才人の意識が覚醒したのは、腕時計のアラームが午前6時45分を告げた時だった。気になる物を片っ端から調べてはメモを取り、メモをとっては書物を漁るを繰り返して行くうちに眠ってしまったのだ。引っ張り出した本を片付け、車を止めたあたりに向かう。
まず柔軟体操とヨガから始めた。変な姿勢で寝ている間に凝り固まった筋肉と筋を解し、意識と共に体もゆっくりと目覚めさせていく。やはり一仕事した後はこれに限る。
体が解れた所で使い終わった本を全て元の場所に戻し、昨夜入るのに使った出入り口に向かったが、ふと足を止めた。学院には本塔を含めた六つの塔がある。自分はその内の半分しか知らない。真っ二つになった地図の半分を持っているのと大差無く、いざと言う時には役に立たないから調べる必要がある。それに加え、才人は昨夜から一切の飲み食いをしていない。我慢出来ない程ではないが、それもいつまでもは続かない。
「せめて水の確保をしなきゃな・・・・」
偵察中に井戸でも見つける事が出来れば僥倖だ。
そう言えば、本塔は他の塔と渡り廊下で繋がっていた。図書館より上の階だ。踵を返し、図書館の中心にある螺旋階段を駆け上がって二階へ登る。昨夜はそこでも本を探していたお陰で三階へと続く階段も直ぐに発見出来た。渡り廊下と繋がる円形の部屋は周囲に四つのドアがあり、ドアにはそれぞれ風の塔、火の塔など、行き先が書かれた豪奢な飾り額が貼り付けてある。
それぞれのドアを開けてまだ分からなかった敷地の構造を頭に叩き込むと、自分がいる塔の天辺を見上げた。格子にはめられた窓が丁度見える。
他の塔と違い手で掴める様な所は、空を飛びでもしない限りは届かない。魔法で一から削り出しでもしたのだろうか?
才人は腕に目を落とした。彼の篭手は仕込んだ刃以外にまだ使える物がある。特に左の篭手は、刃を収めた部分の下に鏃と滑車の様な部品が付いている。塔の天辺に狙いを定めると、バシュッと空気が勢い良く抜ける音と共に鏃が上空に向けて撃ち出された。ワイヤーの尾を引いて弧を描く鏃は深々と塔に突き刺さる。何度か軽く、そして一度強く引いて鏃が外れないのを確認すると、軽く左手を引いて地面を蹴った。するとワイヤーは自動的に巻き取られて行き、才人は物の数秒で塔の天辺に辿り着いた。
意識を集中させて再び開くと世界は群青と青白い輪郭だけが存在する世界に変わった。学院の敷地をぐるりと一瞥して地形を出来る限り把握してから塔を伝って降りて生き、今度は階段を登ってオスマンの執務室のドアをノックした。
独りでにドアが開くと、オスマンは既にその場におり、何やら忙しそうに羽ペンをインク壺に浸してはせっせと書類に目を通したりしていた。別のデスクでは、秘書らしき眼鏡をかけた若い女性が巻いた羊皮紙や手紙が入った封筒を寄り分けている。
「おお、君か。早いのう。何じゃね?また何か聞きたい事でも出来たかのう?」
「はい、左手にある契約のルーンです。特別な物なのですか?」
「何故そう思う?」
「わざわざスケッチを描かせてくれと頼まれた位ですし、それだけ重要だと考えてしまうのも無理からぬ事でしょう?」
オスマンは無言で、顔色を変えずに才人を見つめ返したが、小さく溜め息をつき、ペンを動かす手を止めた。
「・・・・まあ、当事者である以上いずれは話す事にはなるからのう。ええじゃろ。ミス・ロングビル、少しの間外してくれんかね?」
ロングビルと呼ばれた女性は頷いて会釈をすると、退室した。ある程度彼女の足音が遠ざかってからオスマンは再び口を開いた。
「それについて語るにはまず始祖ブリミルの事を話さねばならん。長くなるかもしれんが、構わんか?」
「是非お願いします。」
オスマンは傍らに置かれた杖を振ると、丁度火にかけられたポットが宙を舞い、ティーカップにお茶を注いだ。カップは受け皿と共にオスマと才人の元へとフワフワと飛んで行き、目の前で静止した。
「頂きます。」
普段は緑茶や麦茶を好んで飲む才人だが、紅茶も別に嫌いではない。一口飲むと、芳醇な香りと味が鼻と口一杯に広がって胃へと落ちて行った。
そしてオスマンは話した。ハルケギニアのほぼ全土で信仰される全てのメイジの始祖と崇められる『ブリミル』と彼女が従えた四人の使い魔の伝説を。
まずありとあらゆる武器を使いこなす事が出来る一騎当千の『神の左手』、または神の楯とも呼ばれる『ガンダールヴ』。その証のルーンは名に因んで左手に現れる。
次にそれと対を成す『神の右手』、『ヴィンダールヴ』。あらゆる乗り物を乗りこなすその使い魔は『神の笛』とも呼ばれ、その証のルーンは右手に現れる。
更に魔法の力を内包したありとあらゆるマジックアイテムを自在に操れる『神の頭脳』、『神の本』、『ミョズニトニルン』。その証は額に刻まれる。
最後の、四人目の使い魔は、ルーンの形状は疎か名前すら知られていない。
その使い魔達の主人は失われた伝説の『虚無』と言う、火、土、水、風のどの系統とも違う第五の性質の魔法を操り、以来それを使えるメイジは現れず、伝説の失われた系統となった。
その強大過ぎる力を恐れたブリミルは三人の子供と一人の弟子に四つの指輪と四つの秘宝を分け与えたとされ、現在ハルケギニアに存在する五つある王家のうちトリステイン、ロマリア、ガリア、そしてアルビオンの四つがその力を受け継いだ四人の子孫である。
「これが、全てじゃ。」
「なるほど。では、色んな物を見聞きし、経験して来た貴方にもう二つ程お聞きしたい事が。」
「ん?」
「聖地奪還とエルフについてです。」
長らくオスマンの書斎は重苦しい沈黙に支配されていた。オスマンは紅茶を徐ら飲んで立ち上がると窓越しの景色を憂いの表情で見つめる。
「エルフとは、儂らとは違う種族じゃ。数千年前からこの大陸の遥か東の地に住まう、砂漠の民。人間より遥かに長命であり、技術は我々の物を遥かに凌ぐ。魔法も我々には使えぬ、強力な『先住魔法』の使い手でもあるのじゃ。そして彼らの住まう地こそが始祖ブリミルがハルケギニアに降臨したと言われる『聖地』。長きに渡ってロマリアは他の国を焚き付け、聖地を取り戻そうとしたが、悉く失敗しておる。数百年前を最後に行われておらん。儂が知っているのはこれ位じゃ。エルフや聖地奪還に関する書物は残らず燃やされるか国が厳重に保管しておるからの。」
「理解しました。早朝からお時間を割いて頂いてありがとうございます。」
「いやなに、大した事はしておらん。儂も久し振りに講義の真似事が出来て楽しかったわい。」
「大変参考になりました。お茶まで御馳走になってしまって。あ、そうだ。最後に一つだけ。」
「何じゃ?」
「自分が乗って来た車を置く、どこか目立たない場所はありますか?車本体もそうですが、中に入っている物は大事な荷物です。誰も手を触れない様な所に保管しておきたいんですが。
「その程度の事ならお易い御用じゃ。学院の敷地にあるミスター・コルベールの研究室がある。その近くにでもクルマとやらを止めておけば良い。赤い屋根の塔の近くにある建物じゃ。」
「ありがとうございます。では失礼します。」
時計に目を落とすと、既に一時間と十五分が経過していた。
「後は食べ物だな。」
「まっっっっったく・・・・・・あの、馬鹿犬は一体どこに行ったのよ・・・・!!」
ルイズは朝から腸が煮えくり返りそうな怒りに顔を歪めていた。全身から滲み出る怒気に気圧され、普段なら彼女を冷やかす連中も今回ばかりは何も言わなかった。朝までには戻って来ると思っていた、使い魔にしたあの平民の青年————確か、サイトと名乗っていた————が全く見つからないのだ。
二年生は使い魔とのコミュニケーションを取る為に今日の授業は免除されている。だが肝心の使い魔がいなければ何も出来ない。結局朝食の後は使い魔を探すだけで無駄に体力と時間を浪費するだけに終わってしまった。
「見つけたら覚えてなさいよ・・・・たっっっっぷりとお仕置きしてやるんだから・・・!!」
そして視界の端にチラリと入った男を見て歩みを止めた。
いた。あいつだ。あのフード付きの灰色の上着を着ている様な男などあいつ以外いない。彼が乗って現れた四輪の妙な乗り物の後ろで何かやっている。それも口笛を吹きながら。
その能天気な姿がルイズの怒りに更なる油を注いだらしく、凄まじい速さで彼の方へ歩み寄る。やっていた事が済んだのか、彼女の怒りなどどこ吹く風と言った調子で、才人は車のトランクを閉じてルイズの方を向く。
「よお、授業お疲れ様。にしてもすげえ形相だな。」
「今日は無いわよ!て言うかどこほっつき歩いてたのよ、この馬鹿使い魔!!」
怒りで真っ赤になったルイズはそう叫んだ。
「図書館に行って、後学院長にちょっと話を聞きに行っただけなんだがな。中々面白かったからつい時間が過ぎるのを忘れてしまった。というか、行って良しと言ったのはお前だぞ?」
「朝までに戻って来なさいよ!私の使い魔なんだから身の回りの世話は当然でしょ!?」
「自分で出来るならそれに越した事は無いだろ?」
今の今まで自分でやって来た身の回りの事を本当に必要な時以外に他人にさせる必要性が理解出来なかった。
「下僕がいる場合、貴族はそんな事しないの!」
しないんじゃなく出来ないの間違いじゃないのか、と言いたくなったが余計に話がこじれるため慎んだ。こう言う相手には正論をぶつければ黙るだろう。
「やっぱりコルベール先生の話を聞いていなかった様だな。俺が貴族であるか否かは兎も角、使い魔は下僕ではなくパートナー、つまり対等の存在だろ?それに昨日お互い合意の上で俺に三日間、この世界に慣れる猶予をくれると言う取り決めをした。明日から数えて三日あれば良いと、俺はそう言ってお前も了承した。そして今日が一日目。」
つまり今日を含めればまだ三日ある。
「それとも何か?貴族ってのは対等の立場にいる相手との約束を反古にする様な不誠実な輩なのか?」
貴族がどうした、貴族がこうしたと事ある毎に肩書きを振り翳す。そう言った、物や地位に固執した人間程御し易い物は無い。ぐうの音も出ないルイズは恨めしそうに才人を睨み付けた。
「あらあら?」
背後から声がした。振り向くと、グラマラスな体系を持つ赤毛で褐色の女子生徒が尻尾に火を灯した巨大な赤いトカゲを従えていた。
「こいつは・・・・・サラマンダー、と言う奴だったか?」
「そうよ?見るのは初めて?」
「ああ。繋がなくて良いのか?火が燃え移るぞ?」
「大丈夫よ。契約をした使い魔は絶対忠実。逃げたりなんかしない。ね〜〜、フレイム?」
フレイムと名付けられているらしいサラマンダーは撫でられ、気持ち良さそうにギュルギュルと鳴き声を上げた。
彼女の言葉に、才人は顔を顰めた。つまり契約を結べばルーンが刻まれ、主を慕い、敬う様に心に働きかけると言う事。仮説通り洗脳やマインドコントロールの様な効果があるのだ。
「ねえ、貴方最初からそこら辺を歩いてた平民を連れて来たんじゃない?爆発で上手く誤摩化したみたいだけど。」
「違うわ!ちゃんと召喚したのにコイツが来ちゃっただけよ!」
こちとら好きで来た訳じゃないんだがな。そう思いながら才人は小さくフッと鼻で笑う。
「まあ、ゼロのルイズだから仕方無いかもね。ホッホッホッホッホ。」
赤毛の女子生徒は高笑いをしながら去って行き、ルイズは拳を握りしめながらその後ろ姿を見送るしか出来なかった。
「何なの、あの女ぁぁ〜〜〜・・・・ボケッとしてないでお茶でも持って来て!!」
言われた通り紅茶を一杯用意すると、すぐその場から離れた。何はともあれ、これでようやく自由に動ける。そう思うと足取りが軽くなる。と、突如目の前に才人の頭程もある巨大な目玉を持った風船の様な生き物が顔から数センチも離れていない所に現れた。
「おぉっと?!」
思わず仰け反り、一歩足を引いたが、その足に何者かがつまづき、小さな悲鳴と共にどさりと倒れた。
「悪い、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。」
盆を持った黒髪のメイドはエプロンをはたいてトレーを持ち直した。才人は落ちたケーキから草を払い除け、皿の上に載せてやる。
「いきなりアレが飛び出して来てな。本当にすまない。」
「大丈夫ですよ、本当に何ともありませんから。貴方は・・・・もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったって言う・・・?」
「ああ。何故それを?」
「平民が使い魔として召喚されたって、もう学院中で噂になってますから。」
「そうか。君も魔法使い・・・・・なんて事はあるのかな?」
「そんな、とんでもない!魔法を使えるのは貴族の方だけです。私は、ここでご奉公させて頂いているシエスタと言う者で、貴方と同じ平民です。」
なるほど。本には書かれていなかった事実だな。
「ご丁寧にどうも。サイトだ。」
「サイト、さん・・・・変わった名前ですね。」
自分の名が変わっているならシエスタの名前の方がよっぽど変わっている。と言うのも、彼女の名はスペイン語で『昼寝』を意味するのだ。尤も、名前とは裏腹に彼女は惰眠を貪る怠け者には見えない程に熱心で真面目に見える。
「良く言われる。」
「幾つなんですか?」
「十八だが?」
「え?!そうなんですか?私てっきり同い年かと・・・・」
「それも良く言われる。これ以上は仕事の邪魔だな。ごめん。」
シエスタは一礼して仕事に戻り、才人も早急に車を移動するべく動き始めた。やはり車を見た事が無い為珍しいのか、既に野次馬が周りに群がっている。それを掻き分けて乗車し、エンジンをかけるとゆっくりと車を発進させた。幸い渡り廊下に幾つもあるアーチは車一台が通るだけの余裕があった為、すんなりと通った。
研究室は石で出来た塔とは違い、大きなログハウスだった。クラクションを鳴らすと中からコルベールが出て来た。
「やあ、サイト君。話はオールド・オスマンから伺っているよ。ここにクルマを保管しておきたいんだったね?」
「はい。それと、呉々も他人が勝手に触れない様にご配慮をお願いします。積んである荷物は大事な物なので。」
「勿論だとも。時にサイト君、これは一体どうやって動いているのかね?」
コルベールは興味深そうに車をあちこちから眺めながら尋ねた。
「燃料を動力源とする機械を積んであり、それが車輪を回転させて前進と後退を可能とさせます。舵を切れば左右に曲がる事も可能です。慣れるのには時間がかかりますが、練習さえすれば誰でも扱う事が出来ます。」
「ほう・・・・君の世界には、これが沢山あるのかい?」
「何百万とあります。所で、コルベール先生は一体何の研究を?」
これ以上無闇に嗅ぎ回られては面倒なので、才人は話題を反らした。
「日常生活に於ける魔法の更なる活用法と、魔法を使わずに魔法と同じ事が出来るかどうか、と言う物だよ。君は知らないだろうが、この世界では魔法を使わない単純な技術力は低いんだ。」
「大半の人間が魔法に頼り切ってそれで全てを解決しようとしているからですか。」
「その通りだよ。メイジに出来る事が平民にも出来れば、生産に要する時間が短縮され、効率もあがる。しかし魔法の価値が下がってしまう。利己的な貴族が平民に対する絶対的な権力を維持する為だけに、国その物が損をしている。最初はシンプルなマジックアイテムを大量に作ろうと思った事もあるのだが、簡単な物でも作る事自体手間がかかるし、そもそも平民に手が出せる様な安価な代物ではないしね。」
魔法社会の一員が発明家を志しているとは、また不思議な物だ。
「サイト君、魔法には五つの系統があるのは知っているかい?」
「彼女が『五つの力を司るペンタゴン』と言っていた位ですから、予想はしていました。火、水、土、風と・・・・・五つ目は・・・・・」
「『虚無』だよ。今は伝説となった、失われた系統の魔法で使える者は誰もいない。その中で、私は火の魔法が最も得意だが、あまり好きではないのだよ。火と言うと真っ先に浮かぶイメージが戦争に破壊だ。しかし、それだけではない筈だと思うのだよ。突き詰めればもっと何か人の為になる、素晴らしい事が出来るのではないかと私は思っている。この研究を思い立ったのもそう言う考えがきっかけだ。」
コルベールは遠い目で空を眺めた。
「見てみたい物ですね。」
「ああ。」
歴史上の産業革命を実際に目の当たりにする。それも魔法が実在する世界で、魔法と科学、水と油の様な物が同時に存在する。想像してみると中々面白そうだ。
「そう言えば、君はミス・ヴァリエールと合流した方が良いのでは?二年生の授業が免除になったのは使い魔とのコミュニケーションを優先させたからだよ?」
「ああ、そうだった。」
軽くとぼけながらそう返す。
「じゃあ、そろそろ戻ります。それと、車に妄りに触れたり他人に触れさせたりしない事、重ねてお願いします。」
小さく会釈をしてから先程いた広場へ戻った。