決闘騒ぎが幕を閉じ、日もとっぷりと暮れた頃、才人は人気の無い所で一通り基礎的な体力トレーニングをして、締め括りに柔軟体操と瞑想をしてそれを終える。
水汲み場でバケツ一杯の水を汲むと、水で湿らせたタオルで汗を拭き取った。更にその水を水筒に移せるだけ移し、残りを頭から一気に被った。湿った髪を後ろに撫で付けると、空を見上げた。自分の世界には無い二つの月が淡い光で夜の帳が降りたハルケギニアを照らしている。
「先生。どこの世界でも、やっぱり空は綺麗だよ。」
ふと気配を感じ、才人は訓練で使っていたナイフ二本を手に取り、一本は何時でも投げられる様に構えた。
「ま、待ってくれ!僕だ。ギーシュ・ド・グラモンだよ!」
慌てながらギーシュが塔の影から姿を見せた。敵意は無いと言う事を最大限アピールしようとしているのか、捕虜の様に開いた両手を上に上げていた。
「お前か。」
「君の言った通り、あの三人にはしっかりと謝罪をしておいた。それを伝えたくて。それと、君にも謝らなければならない。僕が親を誇りに思っている様に、君もまた親を誇りに思っているのも当然だ。相手が平民だろうと、それを侮辱するなんて貴族にあるまじき言動だ。どうか無礼を許してくれ。」
「いや、俺の方こそ少々大人気無かった所がある。殴る蹴るは本気でやったからな。怪我は大丈夫なのか?」
「実家から念の為と言う事で送ってもらったポーションがまだ少しあったから、腹の痛みは大丈夫さ。まだ少し頭痛がしてフラフラするけど。」
あれだけの衝撃を顎に喰らったのだ、脳震盪の一つも起こるだろう。
「二週間位すれば頭痛も引く。それまではあんまり激しい運動はするな。」
「忠告感謝するよ。」
「で?俺に詫びを入れる為だけに来た訳じゃないんだろ?」
ギーシュは逡巡していたが胃を決して行きを吸い込むと再び話し始めた。
「サイト、僕は恥ずかしい。君の言う通り、僕は最低の事をしてしまった。貴族として、男としてどうあるべきかを教えてくれた事に感謝したい。ありがとう。」
ギーシュは手を差し出した。才人は暫くその手と、真意を確かめようと例の視界を展開して顔や脈拍に気を配っていたが、得に変な所は無いと判断すると、その手を握った。
「裏切られた女の恨み程怖い物は無い、それだけは忘れるな。」
「肝に銘じておく。ところで君は、いつも訓練をしているのかい?」
ギーシュは才人の手にあるナイフを見ながら尋ねた。
「体は動かさないとその分鈍るからな。それに俺の好きな格言は、自力更生。もし自分で出来る事なら自分の手でやってしまうに越した事は無いと思う。どんな時であろうと、最終的に頼れるのは自分だけだ。俺はもう寝る。お前も寝ろ。」
「ああ。おやすみ。」
ギーシュが充分遠ざかった所で鍛錬に使っていた道具を入れた包みにナイフを押し込み、車の方へ持って行った。いざ後部座席で寝ようとした所で、ふと何かの気配を感じ、銃を収納したホルスターに手をそっと伸ばす。振り向き様に銃を抜いて構えると、そこにはサラマンダーのフレイムが尻尾を振っていた。
「お前かよ。確か・・・・あのスゲー体付きした女の使い魔だったな。何の用だ?」
思わず本当に引き金を引いてしまいそうになった。安全装置をかけ、ホルスターごと銃をトランクの中にしまい込む。
「先に言っておくが、餌なら無いぞ?第一お前が何を食うかも知らないけど。」
しかしフレイムはズボンの裾を口に銜え、ぐいぐいと引っ張って来る。
「おい待て、破るな。餌は無いって言ってるだろうに。」
しかしフレイムは相変わらず引っ張り続けた。自分を引っ張ろうとしている方向を見ると、赤い屋根の塔があった。
「女子寮?」
つまり使い魔に命じて自分を部屋に連れて来る様に言ったのか?何の為に?様々な可能性が才人の頭を駆け巡る。しかしフレイムは考え倦ねる才人のズボンを引っ張り続けた。
「分かった、分かったよ。行く準備をするからちょっと待て。」
篭手を装着し、刃の機構が正常に作動するのを確認するとジャケットを羽織り、フレイムに先導されて女子寮に向かった。
左手のルーンの事でないのは間違い無い。オスマンとコルベール以外には自分が『ガンダールヴ』であると言う事は知られていないし、皆に委細を知られる前に契約を解除し、ルーンを消した。だとしたらなんだ?色仕掛けか?いや、それならばもっと別の方法があるだろう。使い魔を使って呼び出すなどあからさま過ぎる。
和解したとは言え、既に貴族と揉めて、その貴族が叩き付けて来た決闘にも勝ってしまったのだ。逆恨みでお礼参りと言う可能性もある。あの時はギーシュが油断していた事もあってどうにかなったが、ギーシュよりも魔法に長けているメイジが複数相手になると想定すると圧倒的に不利だった。
仕方無い。
フレイムとその目を通して見ているかもしれない主人に見えない様にポリマー樹脂で出来た小振りなケース二つを開き、分解して片付けたばかりの拳銃を組み立て始めた。淀み無い手慣れた才人の手は、僅か十数秒で二丁の拳銃を組み立て終えた。
一丁は暗殺で重宝される二十二口径の弾丸を撃つスタームルガーmkII。
もう一丁はイタリアのベレッタ社作の最新式オートマチック、九ミリ口径のベレッタPx4。
どちらもかなりの改造や調整が施され、長く使い込まれた見てくれをしていたが、手入れは良く行き届いていた。
マガジンに弾を込め、それらを銃に装填する。予備のマガジンはベストのマガジンポーチに押し込んだ。スライドを引いて初弾を薬室に装填するガチリと言う無機質な冷たい音は何時聞いても心地良い躍動感を呼び起こす。それらも左腿と脇下のホルスターに収めた。
寮の廊下は石畳で壁には魔法で灯されていると思しき燭台が規則正しい間隔を空けて壁にはめられており、扉もまた同じ造りの物が廊下の両側に並んでいた。その内の一つは僅かながら開きっぱなしになっている。その扉の前まで才人を連れて来ると、入るまでこの場を動かないぞとばかりに座り込んだ。
隙間から見える部屋は灯りが無かった。いよいよ怪しい。視界を変化させて探っても、人が隠れられる様な場所など限られているし、その部屋の主と思しき人物一人しかいない。
身構えながら足音を立てずにそっと中に入った。
「扉を閉めて下さる?」
逃げ道を塞ぐつもりか。まあ、良い。とりあえずは誘いに乗ろう。そう思いながらゆっくりと扉を閉めた。廊下から漏れる明かりが途切れ、部屋は真の暗闇に包まれる。
「こちらにいらっしゃいな。」
部屋には消臭用の匂い袋かアロマキャンドルでも置いているのか、やけに甘ったるい匂いがする。指を鳴らす音と共に、部屋にある蝋燭が一つずつ目印の様に灯って行き、最後に火が灯った蝋燭は彼女の側にあった。
薄明かりに照らされ、ベッドで足を組んで座っている部屋の主が悪戯っぽい笑みを浮かべながら自分の隣を指で叩いていた。それもベビードール一枚と言う、艶めかしい肉体美を惜しげも無く晒した状態で。
「座って?」
言われた通り、彼女の横に腰を下ろした。
「そんな姿を見られても何とも思わないのか?お互い名前も知らない。」
「貴方は、ゼロのルイズの使い魔のサイトでしょ?私はキュルケ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。それに、これからじっくり語り合えば良いだけよ。愛を朝まで、ね?」
見事な赤い髪の毛を振り乱したキュルケは、どこの誰であろうと美女と認める女だ。しかも彼女はその強みを分かっている上で最大限利用する性格の持ち主らしい。
「それに、好きな相手に見られるだけならどうって事無いわよ。」
随分と段階を飛ばしている気がするが、まあ自分の世界でもあまり珍しくはない。
「私をはしたない女だと思うでしょう?でも、仕方無いの。私の二つ名は『微熱』。」
「故に、燃え上がり易い。だろ?」
「ええ、その通りよ。ギーシュを倒した時の貴方、ぞくぞくしちゃったわ。狙ったら最後、仕留めるまで止まらない狩人みたいなその目。」
ジャケットから覗く鎖骨を指先でなぞり、タンクトップの上から才人の引き締まった胸板へと下がる。
「それは良かった。ところで、窓からこっちを睨んでいる奴がいるんだが、先約はあったのか?」
「え?」
振り向くと、開け放たれた窓の向こう側には一人のメイジが二人を睨んでいた。恐らくは魔法で浮いているのだろう。
「あら、スティックス?」
「待ち合わせの時間に君が来ないからどうしたのかと来て見れば・・・・」
「じゃあ、二時間後に変更して?」
「話が———」
違う、と言い終わる前に、キュルケは胸の谷間から引き抜いた杖を小さく振った。蝋燭の火が一匹の蛇となり、鎌首をもたげると大口を開けてスティックスに飛びかかる。突然の事に反応出来なかったスティックスはそのままひっくり返って姿を消した。
「良いのか?ていうか、ここ三階だよな?落ちたら骨の一、二本はいってるぞ?」
「良いのよ、彼は只の友達。」
罠である可能性はかなり低くなったがそれでもゼロではない。ベッドは幸い窓に近い。才人は足の速さには自信があった。いざとなれば窓を突き破り、左の篭手に付いたワイヤーを使って遁走すれば良い、そう考えていた。
「兎に角、今一番私が愛しているのは———」
「キュルケ!その男は誰だ!」
二人目の闖入者は、肩にかかる程の長い金髪のメイジだった。
「今夜は僕と激しく燃え上がると——」
杖が再び振られ、彼も落ちて行った。
「今のも友達か?」
「そうよ?兎に角、夜は短いのよ。貴方との時間を無駄に過ごしたくないの!」
「キュルケ!」
今度は複数の声が一斉に唱和した。
「何をしている!恋人はいないって言ったじゃないか!」
「マニカン、エイジャックス、ギムリ!えっと・・・・じゃあ、六時間後に!」
「それじゃ朝だよ!!」
才人は目頭を抑えた。彼女は、キュルケはギーシュと同類だ。ただ彼女の場合、自分の魅力が強みであると分かっている上、その強みを最大限利用して男を手玉に取る方法を知っている。故に、余計質が悪い。
「フレイム〜。」
部屋の外で待機していたフレイムは後ろ足で立ち上がって大口を開けると、凄まじい勢いの炎を吹き出し、三人を纏めて吹っ飛ばした。
「あの火力、怪我じゃ済まないだろうに・・・・・容赦無いな、おい。」
キュルケはジャケットの襟首を掴んで顔を寄せたが、才人は後数センチ距離を縮めれば自分に届く彼女の唇に指を当てて止めた。
「気を悪くしないでくれ。別にお前が魅力的じゃないとか、そう言う事じゃない。ただ、俺は先にやらなきゃならない事がある。それを終わらせるにはかなり時間が掛かるし、出来たら最後、俺はもうここには戻らないし戻れない。だから、俺の事は諦めて欲しい。好きになってくれたのは純粋に嬉しいが、そんな女に返事を待たせるなんてマナー違反だからな。」
何人もの男をたぶらかす様な女と関係を持つと面倒になりかねない、と言う部分は省いておく。
ドアの方に向かおうとしたが、反対側からドアに近付く気配を感じた。既にドアノブが回り始めている。今から窓から逃げたのでは見つかってしまう。
「すまん、上手く誤摩化してくれ。」
一言謝罪し、ベッドの下に潜り込んだ。それとほぼ同時に部屋のドアが開く。
「ツェルプストー!何をしてたか知らないけど、静かにやりなさいよ!眠れないじゃない!」
ドアを開けたのはルイズだった。まあ、熟睡中に起こされれば誰だって不機嫌になるだろう。それに加えてあれだけの騒ぎがあったのだ、起きる者もいるだろう。
「あら、ヴァリエール。仕方無いじゃない?恋と炎はフォン・ツェルプストーの宿命。恋に身を焦がす事こそ本望なの。」
「言っておくけど、私の使い魔に手を出したら承知しないから!」
「ああ、サイトの事?」
「まさか・・・・アンタの部屋に来たの?」
「招待はしたんだけど、フレイムが撒かれちゃったから残念ながら来てないわ。でも、良いじゃない別に。貴方の使い魔かもしれないけど彼は歴とした人間よ?」
「あんたはもう十分男を侍らせてるじゃない、我慢しなさいよ!兎に角、あいつは私の使い魔なんだから!アンタなんかには絶対渡さないわ!」
ルイズは足音荒く去って行き、蝶番から吹っ飛ぶのではないかと思う程の凄まじい音を立ててドアが閉まる。
「すまん、助かった。にしても、相変わらずやかましいな。」
ベッドの下から這い出た才人は耳を抑えた。まるで興奮が冷めやらずに吠え続ける小型犬だ。
「ね?お国柄って奴よ。それに実家がトリステインとゲルマニアの国境を挟んで隣同士だから、昔から向こうの家とは仲が悪いの。不倶戴天の敵って言えば良いのかしら?でもあの怒りっぷり、よっぽど貴方を取られるのが嫌みたいね。」
クスクスとキュルケは口元を隠して笑う。
「誰の物にもなるつもりは無いがな。後、名前から予想はしていたが、やっぱりゲルマニア出身なのか。」
「そうよ。興味ある?」
「ああ。ハルケギニア大陸では最大の面積を誇る国だし、地図で見た限りトリステインの十倍はあった。しかも貴族制度があるにも拘らず社会的地位の柔軟性が高い。面白そうだとは思う。」
君主国家とは言え中々リベラルなお国柄である。
それに、ゲルマニアの東の果てには砂漠が、エルフが住まう地が存在する。アサシンが現れたと言われているその地に行けば、帰る手掛かりが見つかるかもしれない。
「でもトリステインじゃ貴族じゃなきゃ爵位と領地が貰えないなんて変だと思わない?」
「俺は貴族制度や君主国家とは無縁の所から来たから、何とも言えないな。だが、個人的には自分で汗水垂らして金を稼いだ方がありがたみが大きいとは思う。良い話が聞けた、ありがとう。おやすみ。」
そう言い残し、ジャケットの埃を払い、キュルケに別れを告げると、才人は静かにドアを閉めた。