野獣先輩 精霊説   作:ほろろぎ

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MTISKTN「記憶、それは淡い夏の日の思い出。甘い思い出。幸せな思い出。……本当に?」


1話 フォーゲット・メモリー

 ……ミーンミンミンミーン……

 

 遠くから聞こえてくるセミの鳴き声に目を覚ます。

 真っ暗だった世界を開いてみれば、そこは一転して白一色。他には何もない。

 足元の地面も、頭上の空も、それらを分かつ地平線すらも、何もかもの一切が存在しない場所に、男はただ独りだけ立っていた。

 

「どこだ……、こ↑こ↓は……」

 

 短髪に浅黒い肌、筋肉質のスポーツマンらしい風貌の男からは似つかわしくない、甲高い声が響く。

 周囲をぐるりと見回すが、辺りには何もありはしない。男の声に応えるものも存在しない。

 これほどに奇妙な目覚めを迎える事は、一生のうちに早々あるものではないだろう。

 

「これもうわかんねぇな」

 

 両腕を組んで思案するが、自身のいる場所が皆目見当もつかないため、男は諦めたように呟く。

 その後訪れる静寂、それによって男は、ある重要な事実に気が付いた。

 

「俺は……誰だ……!?」

 

 わかんねぇのは自身のいる場所だけでなく、自分自身そのものだ。

 男は、ついさっき目覚めるまでの記憶が一切無くなっている事に驚愕の叫びを上げた。

 

「やべぇよ、やべぇよ」

 

 胸の中が締め付けられるような焦燥感にかられ、男の全身に冷や汗が浮かぶ。

 頭を抱える様に両手をこめかみに当て、必死に思考をめぐらす。

 男の脳内で神経パルスが唸り、光の速さで情報を処理し始める。

 しかし、セミの鳴き声よりも前の事は、どうしてもさかのぼる事が出来ないでいた。

 

「ウッソだろお前……」

 

 愕然とした呟きが空間に響く。

 何が何だかわからない。

 男は取り乱す事すら忘れてうろたえる。

 今いる場所が何処なのか分からず、その上自分が何者なのかさえ思い出せないのであれば、参ってしまうのも仕方がない事だ。

 どうすればいい?医者へ行くべきか?それはどこにある?視線をさ迷わせても道しるべは現れない。

 最悪なのは助けを求めるべき相手が誰一人いない事だ。

 万事休す。

 男は弱々しくしゃがみ込むと、そのまま取り残された子供の様にうずくまった。

 

「あらあら、一体どうなさったんですの?」

 

 どれくらい経ったろうか、深閑とした静寂の中に響く自分ではない誰かの声。

 それに気づいた男はハッと顔を上げた。

 眼前には一人の少女が佇んでいる。

 その髪は極端に左右非対称のツインテールで、赤と黒に彩られたゴシックなドレスがその身を包んでいた。

 清楚なお嬢様の様な雰囲気と、どこか不気味な怪しさをかもし出す不可思議な女の子だ。

 垂らされた髪から覗く左目が、白新の世界でなお一層、ランランと金色に輝いている。

 

「何だお前!?」

 

 男は突然奇妙な世界に現れた奇妙な少女に困惑の声を上げた。

 

「人に名前を尋ねる時は、まず自分から名乗るものですわよ?」

 

 子供でも知ってますわ、少女はクスクスと薄く笑みを浮かべながら、男をからかうように言った。

 

「…………」

 

 無言。

 男は自分に関する記憶を必死に絞り出そうとするが、やはり何も浮かんでは来ない。

 溜息と共に頭をゆっくりと左右に振った。

 

「可哀想に」

 

 同情の言葉が少女の口からもれる。

 しかしその声色には男に対する憐みは感じられず、むしろ関心の無い、素っ気無いただの『お決まり文句(セリフ)』であった。

 

「ですけれど、あまり気にしない方がいいですわ。むしろその状態の方が、わたくし達にとっては普通のことなのですから」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

 次いで放たれた少女の訳知り顔の発言に、男は反射的に食いついた。

 必死さを感じさせる男の反応に、少女は笑みを隠す様に口元に手を当てる。

 

「これは悲劇? それとも神様がお与え下すった奇跡? わたくし達という存在は、この世ならざる神域から使わされたのです」

 

「お、大丈夫か大丈夫か?」

 

 突然両手を天に向かって広げ、芝居がかった口調になった少女の頭を男はまっさきに心配した。

 

「こういう時は、オーブラボーと言いながら拍手をするものですわよ。人間たちの間では」

 

 芝居を止め、両手を降ろしながら少女は言う。

 人間たち、という言葉に男は違和感を持った。

 普通は自分達と言うもんじゃないのか? さっきの言い方では、まるで俺達は人間では無い別の何かのようではないか。

 その考えを見透かしたように少女はニコリと微笑んだ。

 

「ええ、そうですわ。わたくし達は人ではありません。『精霊』ですのよ」

 

「せいれい……?」

 

 なじみのない単語を男はくり返し呟いた。

 とはいえ初めて聞く言葉でもない。

 男の頭の中の本棚からわずかに引き出された記憶によれば、精霊とは自然物に宿る霊的なエネルギー存在のはずである。

 そんな超常的なわけのわかんねぇものになってしまったのか?

 男にはまったくもってその実感はわかなかった。

 

「なんで精霊になんてなる必要があるんですか?」

 

 男は少女に尋ねた。

 なぜ自分が奇怪な変貌を遂げたのか、この少女なら何か答えを知っているかもしれない。

 

「それはわたくしの方が聞きたいですわ。今まで会った精霊は皆女性ばかり。男の方の精霊だなんて、わたくしも初めて見ましたわ」

 

 残念ながら男の思うような展開にはならなかった。

 少女にとっても、男の存在は不可思議なものであるようだ。

 

「とても興味深い御方ですわ。ある意味、士道さん以上に……」

 

 少女は男をマジマジと見つめる。

 上から下まで舐めるように視線を這わせた。

 

「あっ、そうですわ。あなたの記憶を取り戻す方法を、わたくしは知っていますの」

 

 少女が唐突に言った。

 

「ファッ!?」

 

 急な展開に男は驚く。

 

「教えてください! なんでもしますから!」

 

 オナシャス! センセンシャル! フイにもたらされた救いの手をつかもうと、男は何度も頭を下げる。

 

「可哀想な子羊さん。もちろん手助けしてさしあげますわ」

 

 少女は氷上を踊る様にクルクルクルと回りながら男に近づく。

 そして男の前でピタリとその動きを止めた。

 そっと伸ばされた少女の腕が、男の顔に向けられる。

 

「『一〇の弾(ユッド)』」

 

 突如、男は後方にのけ反った。

 額には黒い穴。

 少女の腕には一丁の古式短銃が、いつの間にか握られていた。

 その砲身からは、弾丸が発射された事をしめす様に煙が上がっている。

 

「いきなりなにすんだオラァァァァァァン!? 驚いたダルルォ!?」

 

 怒り心頭の男は、エビ反りの状態からバネのごとき筋力で上体を立てなおし少女に吠えた。

 ついさっき頭部に開けられた穴は、最初から無かったかのように消え去っている。

 これは夢なのか、現実なのか……。

 

「痛っ…!」

 

 フイに男の頭に駆け抜けるような痛みが走った。

 だがそれは少女に撃たれた傷跡からではない。

 もっと奥深く、心の中から湧き上ってくる痛みだ。

 

「頭に来ますよ~」

 

 男はガクリと膝をついた。

 少女はその姿を、何か楽しいショーでも始まるかのように見下ろしている。

 

──先輩──

 

 突如、男の脳内にその言葉が鳴り響いた。

 男の声だ。

 同時に懐かしさと愛しさが湧きあがる。

 

……ミーンミンミンミーン……

 

 蝉の声 夏の日差し 焼けるアスファルト

 

ガチャン!ゴン!

 

 扉 疲労感 屋上

 

ブロロロロロ…ブロロロロ…

 

 寝そべる 暑い コインロッカー

 

サッー!

 

 アイスティー 白い粉 地下室

 

 さまざまな音と光景が、男の頭の中を嵐のように駆け巡り心をかき乱す。

 

「やめちくり~!!」

 

 男は叫んだ。

 これ以上はいけない。

 自分の中の何かが、掘り起こされつつある記憶を戒める。

 

「う、羽毛……」

 

 怒涛のフラッシュバックに耐え切れず、男は意識を失いその場に倒れ込んだ。

 少女は相変わらず、その様を冷淡に見つめている。

 やがて男の姿が徐々に、空気に溶ける霧の様に薄くなり、ついにはこの場から完全に消え去ってしまった。

 

「行きますのね、向こう側の世界へ」

 

 少女は男のいた場所を見つめながらひとり呟く。

 

「これは悲劇? それとも神様がお与え下すった奇跡? 一体あなたは何ものなのでしょうか……」

 

 背を向ける少女。歩き出すと男と同様にその体が薄くなり始める。

 

「あなたの存在が、わたくしの願いを叶えるための追い風になってくれることを願いますわ」

 

 少女の願い。それは救世?

 

 全ての始まり、30年前。

 原初の精霊。

 崩壊する世界。

 精霊と化す少女達。

 歴史の転換。

 全精霊の抹殺。

 

 膨大な生命の犠牲の上に成り立つその願望。

 それをなすため、少女は偶然見つけた新たなる生贄を、躊躇なく捧げる事にした。

 

「士道さんに蓄えられる霊力は、少しでも多いに越したことはありませんものね」

 

 誰に向けたものでもない言葉を最後に、少女も真白き世界……この世ならざる場所──『隣界』──から姿を消した。




次回 『野獣ミステイク』
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