夕暮れ時の夏空の下、オレンジ色に染まった世界を4人の人影が歩く。
一介の高校生でありながら、その身に不可思議な力を宿し、世界の命運を握る男、五河 士道。
その妹であり、世界を守る使命を帯びた秘密組織の司令官、五河 琴里。
世界を殺す破壊の力を与えられ、尚も受け入れられた精霊の少女、夜刀神 十香。
そして、つい先ごろ観測された史上初の男の精霊、出自詳細一切不明の謎の存在、識別名『ビースト』こと野獣(仮)。
野獣がフラクシナスに回収され士道によって名前を付けられたあとで、彼の詳細を調べるのはラタトスクのクルーたちに任せる事になり、野獣たちは家路につくという手はずになった。
太陽も山の先端に差し掛かるほど降下した日暮れ時だというのに、気温はより蒸し暑さを増していた。
発見時はブリーフ一丁なんてバカみたいな恰好だった野獣も、フラクシナス艦内に置いてあったISLANDERSとプリントされている白地のTシャツに黒の短パンを履いて、どうにか不審者に見紛われる事を避けられるまでになっている。
その分、体に熱がこもって、ハッ……ハッ……アッー! アーツィ! アーツ! アーツェ! アツゥイ!
ヒュゥー、アッツ! アツウィー、アツーウィ! アツー、アツーェ! すいませへぇぇ~ん!
アッアッアッ、アツェ! アツェ! アッー、熱いっす! 熱いっす! ーアッ! 熱いっす! 熱いっす!
アツェ! アツイ! アツイ! アツイ! アツイ! アツイ! アー……アツイ! とひたすら愚痴っている。うるさい。
野獣以外の3人も、聞かされるこっちの事情も考えてよと辟易していた。
いい加減尻でも蹴りつけて黙らせてやろうかと琴里が考えていた所で、士道が一軒の家を指差し歩みを止めた。
「こ↑こ↓」
「はぇ~、すっごい大きい……」
そこは士道と琴里の兄妹が暮らす五河邸である。
野獣がもらした通り、子供が二人だけで住むには中々に立派な邸宅であった。
ガチャン! ゴン! という大きな音と共に、玄関に施錠されていた鍵が外され扉が開け放たれる。
「あ……お帰り、なさい……」
その音を聞いたからか、廊下の奥の部屋から一人の少女が玄関先まで歩いてきた。
水色の髪に水色の瞳の小学生くらいの幼い外見で、左手には眼帯を付けたウサギのパペットを構えている。
『おかえりみんな~、待ってたよ~』
少女の持つウサギのパペットから声がした。
まるでそれ単体で生きているかのような見事な話術だと野獣は思う。
「ただいま四糸乃。よしのんも、留守番ありがとな」
士道はそう言って少女、四糸乃の頭を撫でる。
「入って、どうぞ」
振り返りながら、士道は野獣を自宅へ招き入れた。十香と琴里もその後に続く。
応接間へと通された野獣は、部屋の中央にある大きなソファに腰を下ろした。
士道は台所から茶色い液体の入ったグラスを5つ、御盆に載せて持ってくる。
「おまたせ! アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」
野獣以外の面々も共にソファに座り、士道がそれぞれの前にグラスを置くと、炎天下の中を歩いてきた四糸乃以外の4人は一息でアイスティーを飲み干した。
「ああ^~、たまらねえぜ」
喉を潤した野獣が声を漏らす。
そして先ほどからこっちの事をチラチラ見てた四糸乃が、おずおずと右手を小さく揚げ口を開いた。
「あ、あの、士道さん……そのおじさんはだ、誰ですか……?」
雨の中で震える子犬のような、おどおどとした態度で尋ねる。
初対面の野獣に緊張している以上に、どうやら元から人見知りが激しい様だ。
「おじさん↑だと!? ふざけんじゃねえよお前、お兄さんだろォ!!」
「ひぃっ!?」
おじさんという単語が逆鱗に触れたのか、野獣は突然大声を出して四糸乃を叱りつける。
四糸乃くらいの子供から見たら十分におじさんだと思うんですけど、それは……。
怒られた四糸乃は怯えきっており、完全に警戒モードで十香の陰に隠れるようにしている。
「大丈夫だ四糸乃!
そんな四糸乃に対して十香が嬉しそうに言った。
四糸乃は「うっそだろお前!」という表情を士道に向ける。
「ああ、本当だよ」
「ま、確証はまだ得てないんだけどね?」
士道と琴里が応えた。
『信じらんねぇ!』
パペットであるよしのんが叫ぶ。
四糸乃は自分と同類という事で少しは安心感を覚えたのか、興味深げな視線を野獣に向ける。
それでもまだ警戒心もあるのか、十香の背からは出ようとしないが。
野獣はソファから立ち上がると、怖がらせないようにゆっくりとした足取りで四糸乃の前まで近づき、腰を下ろして視線を合わせる。
「大丈夫お兄さんはアイシクルライオン」
意味は分からないが、野獣は四糸乃を安心させようと人畜無害な笑顔を浮かべそう言った。
その笑みにつられるように、徐々に四糸乃の顔にも微笑が浮かぶ。
「よ、よろしくお願いします……野獣、さん……」
十香の背から出てきた四糸乃は、ペコリと頭を下げながら挨拶した。
一方フラクシナスのブリッジでは副指令である神無月 恭平を中心に、クルーたちによるミーティングが行われていた。
内容は勿論野獣の存在についてである。
短い時間ながらも優秀なメンバーの手によって、情報はわずかずつではあるが集まり始めていた。
「彼……識別名『ビースト』の体からは十香ちゃんたちに近いレベルの霊波が検知されています」
モヒカンのような白い頭髪を生やしているフラクシナス内の年長者、
ブリッジのメインスクリーンには野獣の顔写真と、身長体重などのデータがグラフとして表示されている。
「その霊波ですが、常に安定せず変動が著しいのが気にかかりますね」
頭部が後退しつつある壮年の男性、
スクリーン上の霊波グラフも上下変動を繰り返している。
「単純に、精霊化して日が浅いから固定化していないのでは?」
ウェーブのかかった髪をしている
「ビーストと同種の霊波は、2001年の下北沢で観測されていたことが分かっています。おそらく彼はその時に出現したと思われるので、今頃なら霊波は安定しているはずですが……」
瞳が隠れるほどの前髪を伸ばした
「男と女の違いなんじゃないかなぁ? 男の精霊って今まで確認されていないんだし、今までの精霊と差があっても不思議じゃないでしょう」
指ぬきグローブをはめた手でメガネをクイと上げながら、
「情緒不安定な男っていうのも変な感じですけどね」
「む、それって女性蔑視な発言ですよ?」
中津川の言動に箕輪は苦言を呈す。
「なんにしても、数値が安定しないというのはかなりの不安要素に違いありませんね」
神無月は普段のフザケた態度などおくびにも出さず、神妙な顔で言った。
精霊が内包する強大な力がもし暴走などしようものなら、空間震に匹敵する大被害を引き起こす可能性がある。それは避けねばならない事態だ。
「そもそも、ビーストは本当に精霊と考えていいんでしょうか?」
「データ上ではそうなりますね。ですが、フラクシナスの統合AIは判断を保留しています」
川越が根本的な質問を掲げ、それに椎崎が返答する。
今まで観測されてきた精霊は全て少女であり、男の精霊はいないのではとされてきた。
それがここにきて野獣の出現により覆ったわけである。
しかし野獣という存在には不確定な部分が多すぎる。
そのため世界最高峰のコンピューターであるフラクシナスの人工知能にも、野獣を精霊だと断定する事ができずにいた。
「……単なるシステム上の
これまで黙々と報告をまとめていた令音が言葉を発した。
彼女の発言に一同の視線が集まる。
「それって、ゲームで起きるエラーとかバグみたいなものですか?」
「そう考えてもらっても構わない」
中津川は自身の趣味に照らし合わせてわかりやすく噛み砕く。
それは精霊という、世界の機能が正常に動作する事が出来ずに発生した誤作動……欠陥……。
「そこに何らかの意思が介入したのか、それとも何の意味も存在しないただの偶然なのか、そこまでは分からないがね……」
令音はスクリーン上の野獣の顔を見ながら呟いた。
その瞳は、どこか憐れみを感じているような色があった。
その頃、当の野獣は五河家の風呂に入り体をさっぱりさせているところであった。
「ふあー疲れたどぉおおん」
浴槽の中にどっかりと身を横たえ、完全にリラックスしている。
湯の熱に当てられたのか、野獣はボンヤリとした視線を天井に向ける。
「どうすっかな~俺もな~」
それは、これから先の事を考えての呟きだった。
令音はラタトスク機関が野獣を保護すると言った。
彼女自身のことは信用してやってもいいだろう。そこに所属している士道たちも悪い人間には見えない。
だが組織というものは様々な人々の思惑によって成り立っている。
野獣のことを単なる道具として利用しようとする者がいないとも限らない。
そうなった時、大人しく利用されてやる気など野獣にはさらさら無かった。
とはいえ、まだそうなると決まったわけでもない。
野獣はひとまず先のことを心配するのは止め、体の芯まで温もりを感じようと湯船の中にその身を沈めるのだった。
『……以上がビーストに関する現段階での報告の全てです』
「ごくろうさま。引き続き調査をお願い」
琴里はそう言うと、神無月からの通信を切った。同時に目の前に投影されていたホログラム映像が消失する。
現在リビングには琴里一人。
野獣が風呂に入る前にみんなで夕食を済ませ、士道は台所で食器の後片付けの最中だ。
十香と四糸乃は五河家の隣にある、ラタトスク所有の精霊専用マンションへ帰って行った。
テレビからは、四糸乃がそれまで見ていた女児向けアニメ番組『マジカルパティシエ中野くん』が流しっぱなしになっている。
「結局、あの男が何者なのかはハッキリしないままか……」
琴里はキャンディを頬張ったまま独りごちた。
「野獣さんの事か?」
台所から片づけを終えた士道が、エプロンで手を拭いながらやって来た。
テーブルに置いた端末を琴里は見る。
神無月からの報告と共に送信されたデータには野獣の事が記載されている。
そこには、野獣を完全に精霊と断定できないまでも、限りなく近い存在ではあるというようなことが書かれていた。
「ええ。でも、あいつが何だろうと精霊である可能性が僅かでもあるのなら、私たちにはやるべきこと、やらなければならないことがあるわ」
わかってるでしょ、士道? と視線を向ける。
「えっ?」
「とぼけちゃってぇ……。今までアンタが何やってきたか、忘れた訳じゃないでしょうね?」
琴里はズイッと士道に歩み寄り睨みを利かせるが、身長が士道より低いせいでどうにも威圧感という物が足りなかった。
「……あっ、おい待てぃ! まさかだろ!?」
江戸っ子口調で何かに気づいた士道にたいし、琴里はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「野獣さんともデートしろってのか!?」
「当たり前だよなぁ?」
士道は精霊と交流を深め、自身に対する好意を持たせたうえで精霊とキスを交わす事で、その精霊が持つ霊力を自分の体に封印する事ができるのだ。
何故彼がそのような特異な能力を持つにいたったかは分かっていないが、その事を知っていた者が士道の活動を支援するために作ったのがラタトスクという組織である。
霊力が不安定でいつ暴発するかもわからない状態の野獣を鎮めるためには、早急にデートして彼をデレさせる必要がある訳だが……。
「あのさぁ……、野獣さんは男なんだぞ?」
「えっ、そんなん関係無いでしょ」
「あーもう1回言ってくれ」
恋愛対象に男性は含まれない士道は難色を示す。しかし琴里は正論で返し一歩も引く気配はない。
「アンタまさか、助けるのは女の子だけで男は知りませんなんて言うんじゃないでしょうね」
「(そんなこと)ないです」
士道はムッとした様子で返した。
「俺だって野獣さんが困ってるなら助けたいよ。3回だよ、3回」
3回、それは士道がこれまで対話し救ってきた精霊の数であり、十香、四糸乃、そして今目の前にいる琴里の事だ。
今まで士道が精霊を助け続けてきたのも、幼い頃実の両親に捨てられ自殺を考えるまで追い詰められたという経歴があり、そのため他人の絶望に人一倍敏感でほおってはおけないという理由がある。
そんな士道を信じているからこそ、琴里は野獣のため、ひいては世界の平和のために、男とのデートという難題をあえて押し付けようとした。
「Foo↑気持ちぃ~」
脱衣所から野獣の声が聞こえてきた。どうやら風呂から上がったようだ。
士道は覚悟を決めた瞳で琴里を見据える。
「ベストを尽くせば結果は出せる」
琴里もしゃがれ声で士道に格言を送った。
「ビール! ビール! 冷えてるか~?」
湯上りの蒸気を体中にまとわせ、野獣はリビングへとやって来る。
当然子供しか住んでいない五河家にはアルコール類は置いていない。
士道は強い意志を感じさせる表情のまま野獣の前に立つと、はっきりと告げた。
「野獣さん、俺と……デートしてください」
次回 『禁断のデート』