マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

魔樹復活ッッ! からの爆発オチ。
 


an Opium Den

 

 

 中火月の二十六日。

 その日、王都の裏路地で、誰の心に残る事も無く――ひっそりと一人の女が息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 クライムがラキュースに頼まれガガーラン達に会いに、彼女達がいる王都でも最上級の宿屋に向かい彼女達がいるであろう酒場兼食堂に辿り着いた時、クライムは軽く目を瞠った。

 イビルアイが、テーブルの上に頭を突っ伏してぴくりとも動かない。横でガガーランが頭に手をやり、まるで何事かを嘆いているような仕草をしている。

 そんな二人の様子にクライムは首を傾げながら、二人に近づいていく。先にガガーランがクライムに気づき、大声を上げる。

 

「よう、童貞!」

 

「…………」

 

 ガガーラン達と同じように周囲でそれぞれ駄弁っていた冒険者達が、クライムに視線を送り、続いて同情的な目になる。

 何度言っても呼び方を変えないガガーランに、クライムはもはや言っても無駄だと知っているので必死で気にしないふりをしながら二人のもとまで歩いた。

 

「お久しぶりです。ガガーラン様――さん。それにイビルアイ様」

 

「おう、久しぶりだな。なんだ? 俺に抱かれたくて来たのか?」

 

 椅子に座るよう促されながらそう告げられるが、クライムは無表情で首を横に振る。これはガガーランの挨拶なのだが、冗談などではなく頷いてしまえば二階の個室に連れ込まれ、花(?)を散らされるだろう。

 

 続いてクライムはラキュースに頼まれた用件を果たす。ガガーラン達に伝言を伝え終えたら――クライムは気になっていた事を訊ねた。

 

「ところで――イビルアイ様はどうなさったのですか?」

 

 ガガーランに伝言を伝えている間も、イビルアイはぴくりとも動かずにテーブルに頭を突っ伏したまま動かない。寝ているのかとも思ったのだが――ガガーランが残念なものを見るような目でイビルアイを見た事によって、そうではない事を悟った。

 

「いや、コイツ今恋煩いをしているんだけどよ」

 

「はあ…………はい!?」

 

 そのまま流そうとして……頭の中に届いた言葉にクライムは驚愕する。何度も瞬きを繰り返し、自分の脳に届いた言葉が真実か何度も何度も反芻した。

 

「イビルアイ様が……恋煩い!?」

 

 しかし何度頭の中で言葉を繰り返そうと理解出来ない言葉に、クライムは思わず叫んでしまう。その場がざわりと別の意味で騒々しくなり――まるで何も聞いていません、と言うように不自然な空気で喧噪が戻る。だが、誰もがクライム達の会話に耳をそばだてているのが丸わかりだった。

 

「だ、だれ! ……ごほん。失礼しました。一体、相手はどのような方なのですか?」

 

 少し小声にしてクライムはガガーランに訊ねる。その間、イビルアイはやはりぴくりとも動かない。ガガーランはにやけながら答える。

 

「エ・ランテルにいるアダマンタイト級冒険者だよ。名前はアインズ・ウール・ゴウン」

 

「アインズ・ウール・ゴウン……」

 

 聞いた事のない名前だった。というより、蒼の薔薇と朱の雫以外のアダマンタイト級冒険者がいる事自体、クライムにとっては初耳だった。

 

「あの、その方はどのような偉業でアダマンタイトに?」

 

 クライムの問いに、ガガーランは答えてくれた。

 

 曰く、難度一〇〇級のドラゴンと一騎打ちをしていた漆黒の戦士。非公式ではあるがズーラーノーンの一味が犯人と思しき犯罪者達が起こしたエ・ランテルのアンデッド襲撃事件の街の防衛。その際に出現した未知のアンデッドの討伐。そして蒼の薔薇と協力してトブの大森林からの超希少薬草の採取。

 

「他にもあるんだが、まぁこんなところか」

 

「……それは、凄いですね」

 

 クライムは喘ぐように言った。特に、最初のドラゴンと一騎打ちというのは正気とは思えない。おそらく、周辺国家最強と名高いガゼフだろうと、ドラゴンと一騎打ちは無理だろう。

 そんなクライムの表情が顔に出ていたのか、ガガーランが付け足す。

 

「おっと! 一応、ドラゴンは後で俺達が加勢したんだぜ。まあ、最初に一騎打ちで生きてた状況自体おかしいんだけどよ」

 

「そうなのですか……」

 

 さすがにそのまま一騎打ちで勝ったわけではないらしい。クライムは安心した。――ドラゴンと一騎打ちの末に勝利するなど、それはあまりに人間味が無さ過ぎる。

 

「しかし、そのような素晴らしい戦士なら、惚れても仕方ありませんね」

 

 強い人間はもてる。種族としての生存本能からだろう、種の保存という意味では強い者に惹かれるのだ。イビルアイが恋をしても仕方のない人間に思えた。

 

「はは! まあな――」

 

 しかし――

 

「それで、どうしてイビルアイ様はこのように突っ伏しておいでなのですか?」

 

 未だ、イビルアイはテーブルの上に突っ伏したまま動かない。しん――と動く様子のないそれは眠っているようだが、そうではない事をガガーランが先程から態度で教えてくれている。

 

「あー……こいつ、時々エ・ランテルに行ってアインズに振り向いてもらおうと色々やってたんだけどよ」

 

「はあ」

 

「振り向かせる、っていやぁまずは相手の興味を引く話題で会話することだ。一番いいのは趣味の話だな。相手の好みを把握して、さも自分も興味ありますって面で相手の関心を引く――っつうのを、イビルアイには教えてやったんだが」

 

「……惨敗ですか?」

 

 イビルアイの様子を見ていれば分かる。このザマは、間違いなく失敗した人間のソレだ。クライムはそう思いガガーランに訊ねたのだが――ガガーランの返答は、もっと救いようのないものだった。

 

「惨敗どころじゃねぇぜ。アインズのヘイトを無駄に溜めて帰って来やがったからな」

 

「――――え?」

 

 つまり、戦果ゼロという失敗どころかマイナス。嫌われて帰って来たという。

 

「えぇっと……何か地雷でも踏んだんですか?」

 

 相手の心にズカズカと押し入ったなら、それは相手はいい気はしないだろう。そういう事なのだろうか、と思ったがガガーランは横に首を振る。

 

「……アインズはな、エ・ランテルが数ヶ月前のアンデッド事件で復興に忙しいってんで、冒険者として外に出ずに街の見張りっつう依頼で街から動けねぇんだよ」

 

「はあ」

 

「けどな、アインズは未知の冒険が大好きで、色んなところを見て回ったりしたいらしい。しかし街の人間を不安にさせてまでは気が引けるってんで、街に残ってるんだが」

 

「はあ」

 

「イビルアイの馬鹿は、そんなアインズに蒼の薔薇の冒険譚を聞かせ続けたってわけだ」

 

「――――」

 

 むごい。何がむごいって言うと、とにかく色々むごい。冒険がしたくてしたくて仕方ない相手に、自分の冒険譚を聞かせるとは。嫌われてもしょうがない所業である。

 

「アインズは心が広いんで、特にイビルアイに文句も言わずイビルアイの話を聞いてくれたらしいんだが――さっきイビルアイからアインズとの手応えを聞いて、俺は思わず頭抱えたぜ」

 

「その方にとってはひたすら自慢話を聞かされたようなものでしょうに……とても心の広い方ですね」

 

 少し荒くれ者の気のある冒険者だ。キレても不思議じゃない話である。よく黙ってイビルアイの話を聞いていたものだ。

 

 クライムがガガーランからそんな話を聞いていると、イビルアイが突如顔を上げた。

 

「だ、だって私の話を頷いて聞いてくれるんだぞ! 時々質問もするし! それなら興味があるんだって思っても不思議じゃないじゃないか!」

 

「イビルアイ……お前って奴は……」

 

 ガガーランが再び天を仰いだ。ちょっと考えれば相手をよく知らないクライムでも分かる事が、イビルアイには分からなかったとは、と。

 

「もっとこう、別の話題は無かったのかよお前。“その漆黒の鎧かっこいいですね”とか“そんな大きな剣を二つも振り回すなんてガガーランでも出来ません”とか相手の自尊心を満たしてやるような、そういう話題は」

 

「い、いや。冒険がしたいとか未知の冒険に興味があるって聞いていたし、十三英雄とか八欲王とかの伝説も興味深げに聞いていたから、蒼の薔薇の冒険譚をしても喜ぶと思って……」

 

「昔の奴の冒険譚を聞くのと、今目の前にいる奴の冒険譚を聞くのとじゃ意味と受け取り方が全く違うっつうの!!」

 

 ガガーランの大きな手がイビルアイの小さな頭を引っ掴む。イビルアイは「だって、だってだな……」としどろもどろに言い訳をし、その都度ガガーランがイビルアイの言い分を論破していく。

 そんな二人の話を聞いていたクライムは顔を片手で覆った。ふと見れば、周囲の盗み聞きしていた者達も似たような態度や表情になっている。

 

「と、とりあえず今度会いに行った時は、まず謝ることから始めるよ……」

 

 ガガーランの説教にイビルアイは震えた声で返す。ガガーランはイビルアイの頭から手を離し、溜息をついている。

 

「そこで謝られたら本人マジギレしても不思議じゃねえぞ……。お前が天然で悪意がねぇから、わざわざ広い心でお前の自慢話聞いてやってんのに」

 

 まったくである。

 

「ば、馬鹿な! ではどうすればこの負債をどうにか出来るのだ……?」

 

「マイナスをプラスに変える魔法の言葉なんざねぇんだよ、このタコ! 大人しく好感度マイナス状態から、地道になんとか取り戻していけや」

 

「――――ぐふ」

 

 ガガーランの言葉に、イビルアイは再び顔面をテーブルに突っ伏させぴくりとも動かなくなる。なんとも無様な姿であるが、これも恋愛における試練であると納得するしかあるまい。大変だなぁ、とクライムは思ったが、その哀れんだ心をイビルアイが知れば「相思相愛のリア充はこれだから! 爆発しろ!!」とリーダーから聞いた言葉でもってクライムに詰め寄ったであろう。

 

「えっと……それではガガーランさん。アインドラ様からの伝言を、よろしくお願いします」

 

 クライムがそう告げると、ガガーランは頷いた。

 

「おいよ。……そういや、あの以前教えた一撃なんだがな」

 

 ガガーランの教えてくれた一撃というのは、この宿屋の裏庭で以前彼女から教わった大上段からの一撃だ。クライムは戦士として肉体的に恵まれておらず、筋力も敏捷も抜きん出ているわけではない。

 

 ――たった一つ、自信を持って放てる技を作れ。

 

 ガガーランからそんなクライムに向かって言われた言葉。才能のないクライムにガガーランが教え、クライムが必死に磨いたのは上段からの一撃である。何度も何度も、無限とも思える反復によって無理矢理に身につかせた、特化した筋肉の構成による斬撃。クライムがガガーランに教わった一撃とはそれだった。

 

 ガガーランは必死に覚えたクライムに向かって、少し迷いながらも残酷な事実を突きつける。

 

「その技、破られると思って次に繋げる技をそろそろ作っておけよ」

 

 クライムはガガーランの言葉を、ぐっと色々と押し込んで頷く。

 ガガーランはクライムに語った。あの一撃は一撃必殺のつもりで放たなくては意味は無い、と言いながらも才能のないクライムにはそんな事は無理である、と。

 戦士は、本当は無数の手からその場に適した剣を振るうのが正解である。しかしクライムにそれは出来ない。よって三連撃くらいの攻撃の型を作り、もし防がれても相手が攻撃に転じられないようにしなくてはならない、と。

 

「全ての攻撃が当たれば必ず死ぬ、なんて必殺は英雄だけの特権だ。ひょんなことから技術力を失おうが、強い奴は強い。――本当に強い奴は、たぶんきっと生まれた時から強いんだよ。俺にもお前にも、そんな出鱈目の才能はねぇ。だから、努力しろよ。……ちょっとは、英雄に追いつけるようにな」

 

「――はい」

 

 完全に無駄な努力は無い、と。クライムはそれを胸にガガーランの言葉に頷いた。その後イビルアイを横目で見るが、とてもではないが「魔法を教えて欲しい」とは言えない。精神的大ダメージを負っている真っ最中であるが故に。

 クライムはガガーランに礼を言うと、宿屋を出て行く。イビルアイの恋愛話が終わって誰もが既にガガーラン達に興味をなくしたのか、彼女達二人に興味を引く者達はこの場にいない。

 

 クライムが去った後、コップに手をかけ、中身を飲み干そうとしていたガガーランにイビルアイがポツリと告げる。

 

「――勝てない、と諦めたのか」

 

 誰に、とは言わなかった。該当者は二人いたが、きっとどちらも同じ意味だ。

 

「――ああ」

 

「――ガガーラン、お前には才能があるよ」

 

 イビルアイの言葉にガガーランは笑った。目を細めて、天井を見上げる。決してイビルアイの方を見ない。

 

「――ガゼフのおっさんにさえ、追いつけないのに?」

 

「…………」

 

「イビルアイ、俺の才能はここまでだよ。英雄には追いつけない。ガゼフのおっさんのように、英雄の領域に片足を突っ込むことさえ出来やしない」

 

「…………」

 

「なあ、イビルアイ。正直に答えてくれ。あの三人に俺が追加で、どういう勝率になる? 最下位は誰だ? お前の見立てでは、俺はどの位置なんだ?」

 

 イビルアイはガガーランの言葉に仮面の中で口を閉じたり開けたりしながら、けれどはっきりと、ガガーランに現実を突きつけた。

 

「アインズが不動の一位で、二位と三位はガゼフとブレインが状況次第で切り替わる。お前は、最下位だよ」

 

 この四人が一対一の勝負をした場合、アインズは必ず全員に勝つ。頑強さ、筋力、敏捷全てが高水準であり、多少の技術力の無さは身体能力が余裕でカバーするだろう。というより、自分より強いだろうアインズに三人が勝つ姿は想像出来ない。

 次がガゼフとブレイン。アインズに勝てないが、ガゼフとブレインはどちらがどうなるか予測がつかない。少なくとも、トブの大森林でブレインを見たイビルアイはガゼフと遜色ない強さだと感じた。

 そして、最後にガガーラン。筋力で見ればブレインより上だろうが、ブレインとは見るからに相性が悪過ぎる。そしてガゼフとアインズは完全にガガーランの上位互換だ。格下が格上に勝つ方法は、運と奇襲以外に存在しない。

 そんなイビルアイの無情に等しい見解を聞いても、ガガーランは笑い声だった。少なくとも、イビルアイにはそう感じた。

 

「ああ――やっぱり」

 

 英雄には、追いつけなかったなぁ――ガガーランの言葉が、この場の喧噪に紛れて消えた。

 

 

 

 

 

 

 ラキュースが去った自室内で、一人残されたラナーはカップを手に取り冷めた紅茶を飲む。――さすがのラナーでさえ、この現状には一呼吸の落ち着きが必要だった。

 

「…………」

 

 カップの紅茶を空にしてテーブルに戻した後、ラナーは眉間に皺を寄せ、人差し指の指先をテーブルの上にトントントンとリズムよく打ち付ける。その単調な音色がラナーの心を落ち着かせて頭の中の現状を整理させた。

 ……その光景をラキュースやクライムが見れば、目の前の光景を疑って目を瞬かせるだろう。何故なら、ラナーのこのような様子は、今までラキュースやクライムも……誰も見た事が無いのだから。

 

「…………」

 

 ラナーは考える。現在、この国で起こっている出来事を俯瞰して。

 

 ――現在、王国は滅びの危機に瀕している。王派閥と貴族派閥の内乱寸前の仲間割れ。八本指による内部からの腐食。帝国から毎年国力を削るように行われる秋の戦争。大きなものはこの三つだが、小さなものまで挙げるとそれこそ山のように。王国は坂道を転がり落ちるように破滅へと向かっている。

 それを、クライムとの蜜月のために何とか押し留めようとしてきたが――此処に至って、ラナーは手遅れである事を理解した。

 

 遂に、その時がやって来た。王国の一切合財を全て滅ぼすために、隣の国から血塗れの皇帝がやって来る。

 

 ラキュースから今朝届けられた、八本指の情報に最近貴族達の間で起こる強盗殺人事件(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 まるで野盗から身を隠すように縮こまった八本指達の行動と、ブルムラシュー侯の今までとは微かに違う動き。エ・ランテルにいるアインズ・ウール・ゴウンという名前の、ガゼフより格上らしき漆黒の戦士の存在。

 

 これだけならば、まだラナーは違うと言い切れた。

 だが徹底的にキナ臭かったのは、ラキュースが仲間のイビルアイから聞いた一ヶ月前(・・・・)に冒険者組合に現れたという、フールーダ・パラダインの存在だ。しかもアインズ達に会いに来たという。

 

 これは駄目だ。何があったか分からない。ラナーでも何がどうしてそうなったのか、理由は分からない。だが気づいてしまった。帝国は、何かが足りてしまってその気になった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

 本来ならば、まだ早過ぎる。

 本来ならば、あと数年は国力をゆっくりと削る方向で来ていたはずだ。

 だが、もはや帝国はそれは不要と判断した。被害が拡大する前に(・・・・・・・・・)なのか、あるいは被害が最小限に留まる目処(・・・・・・・・・・・・)が立ったのか、帝国はその気になってしまった。

 もう、間に合わない。王国のあらゆる可能性はこれで閉じた。あとは唯一残された道に向かって、帝国に走らされるだけの家畜だ。何をどうしようが、王国の未来は確定した。

 鮮血帝(・・・)が、やって来る。

 

「…………」

 

 今回の戦争における、あらゆる可能性を頭の中でシミュレートする。どんな荒唐無稽な出来事も、不可能なのではなく可能な出来事(・・・・・・)として考える。そしてその場合、自分がとるべき行動も。

 ――そうして、全ての可能性を考えて、自分と可愛い子犬の運命をそこに滑り込ませて。そこから漏れた者達の事をようやく考える。

 

「ああ――――」

 

 さようなら、お父様とお兄様方、お姉様方。

 さようなら、六大貴族達。

 

「さよなら、ラキュース」

 

 さらば、私を友だと呼ぶどうでもいい女よ。

 お前達を置いて、私は愛しの君と幸せになる。

 

「――――」

 

 誰も見ていないラナーの顔は、歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 円卓を囲んだ九人の男女。これは王都のどこかで行われる、実質上この王国を支配している者達の集会だ。

 一定の期間で定期的に行われる定例会。だがしかし、今回に限って言えばそれはいつもと違う空気があった。

 

「――では、最後の議題になるが……大問題だ。帝国が動いている」

 

 ざわり、とその場の空気が動いた。それは既に勘付いている者もいれば、知らなかった者まで平等に。唯一不動だったのは八本指における警備部門の長、六腕のゼロだけだろう。……もっとも、ゼロが不動であったのは唯一ゼロ達だけがほぼ全く関係の無い立ち位置にいたからだが。

 

「確かか?」

 

「確かだ。密輸部門のルートとブルムラシュー侯のルートを通って、帝国から王国に物資が届いている。まあ、それも僅かだがな。ほとんどはブルムラシュー侯の隠し財産で王国の物資を買い漁っている。だが――屈強な兵士の横流しなぞ帝国以外あり得まいよ」

 

「…………」

 

 王国のありとあらゆる場所に内通している、王国についてもっとも詳しいのは王族でも貴族でもない八本指だ、とも言われる組織だ。当然、この国の事情と王国を取り巻く現状については人一倍詳しいし、危機意識には敏感である。その言葉だけで、誰もが嫌な想像をした。

 

「……本格侵攻か」

 

「それしか考えられまい。もう少し後だと思ったんだがな」

 

 後数年ほど、今までと同じように嫌がらせのように麦の収穫の時期に戦争を仕掛けていれば僅かな労力で王国を占領出来たであろうに。どういうわけか、向こうの皇帝はやる気になったらしい。

 

「貴族達に情報は流したか?」

 

「無論、流したとも。だが情報を流した貴族の家は皆殺し(・・・)のあげく焼き討ち(・・・・)だ。当然、金品財宝の類は全て空。どこに行ったか不明という有様だ。……お前達が何かしたのなら話は別だがね」

 

 勿論そんな事をする八本指はいない。わざわざそんな冒険をしなくとも、金品なぞ幾らでも手に入るのが現在の八本指の状況。貴族達を皆殺しにして証拠隠滅など、国に正面から喧嘩を売るような危険な真似は冒さない。

 ――となればやはり、これは帝国から八本指への警告と見るべきだ。余計な真似をすると冤罪で王国の正規兵に討伐――から王国の国力を削ってこれまた帝国だけが得する事態になりかねない。

 ならば、やはり取るべき行動は一つだろう。

 

「“潜る”か」

 

「それしかないね」

 

「現在、王国内で活動するのは危険過ぎる。戦争が終わるまでは王都を離れ、身の安全を重視し確保するべきだな。幸い、王都の衛士長達は全て鼻薬を嗅がせてあるし、主な貴族や第一王子も同様だ。今ならば、王都を離れている間に何も起きなくとも(・・・・・・・・)すぐに利益を取り戻せる」

 

「――それで、ゼロ」

 

 全員の視線がゼロへと動く。岩のように不動な、屈強な男に。

 表の世界で王国最強がガゼフであり、アダマンタイト級冒険者ならば、裏の世界の王国最強こそゼロであり、六腕だ。ゼロを初めとした六腕と呼ばれる警備部門に所属する六人は、アダマンタイト級の戦闘力を誇るのだから。

 ゼロは瞑っていた目蓋を開く。最初に、麻薬部門のヒルマにしたように視線を周囲に巡らせる。

 

「……雇うのか?」

 

「ああ、状況が変わった。各員、どのような配置にするかそれぞれ決めるとしよう」

 

 そこでようやく、ゼロも会議に参加して口を開く。今日の早朝から行われた彼らの会議は、夜が更けるまで徹底的に行われる事になった。

 

 表舞台にいる者達が気づかない内に……ひっそりと、帝国の魔の手は忍び寄っている。気づいたのは舞台裏に住む日陰者達と、おぞましく聡明な黄金の姫君のみ。

 王国の破滅は、刻一刻と近づいて来ていた。

 

 

 

 

 

 

 ――それは、中火月の一日の出来事。

 

「フールーダ・パラダインが来たぁ?」

 

 アインズと組合員が落ち着かせて、ブレインの第一声がそれであった。

 

「は、はい。本物かどうか、正直まだ測りかねるのですが……」

 

 組合員はブレインの言葉に困惑しながら告げる。それを見ながら、アインズは一人首を傾げて訊ねた。

 

「すみません。お恥ずかしい話ですが、私は詳しくないんですが……誰です?」

 

 アインズの言葉にブレインと組合員は仰天したような表情を作るが、すぐにブレインは納得した。

 

「あー、そういやお前記憶喪失(アレ)だったな。フールーダ・パラダインっつうのは、帝国にいる逸脱者。人類最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だよ」

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)?」

 

「ああ。なんせ、第六位階までの魔法も使える化け物だ。人類最強っつってもいいんじゃないか? さすがに、俺でも勝てる気はしねぇな。お前の馬鹿げた鎧がありゃ話は別だが」

 

 対外的に第六位階までの魔法を無効化する、という事になっているアインズの漆黒の鎧。確かにこれを装備していればこの異世界の魔法詠唱者(マジック・キャスター)には勝てるだろう。

 だが、問題はそこではない。この異世界では、魔法は主に第三位階まで。第四位階を使える魔法詠唱者(マジック・キャスター)の数は少なく、第五位階に至っては本当に数えるほどにしか存在しない、というのが通説だ。

 そんな中にいる、第六位階魔法の使い手。なるほど、それは確かに有名人だろう。

 

「……その老人が、私達を訪ねて来られたんですか?」

 

 アインズも思わぬ大物の登場に、組合員を見つめる。組合員も困惑しながら頷いた。

 

「はい。本物かどうか、少し分からないのですがゴウン様とアングラウス様に会いたい、と」

 

「…………」

 

 アインズとブレインは互いに顔を見合わせた。

 

 

 

 ――相談の結果、結局二人は会いに行く事になった。組合員は怯えており、「よろしくお願いします」と頭を下げると場所を教えて去って行った。さすがに、止める気にならない。

 現在、フールーダは待合室で一人待っているらしい。アインザックが現在組合から離れているため、相談を仰げなかったのが痛いと言えば痛かった。

 

「本物だと思うか?」

 

 ブレインが廊下を歩きながら、アインズに訊ねる。アインズは少し考えながら、ブレインに口を開いた。

 

「分からん。そもそも何をしに来たのかさっぱりだ。……まあ、安全に本物かどうか確かめる方法はあるが」

 

「あー……お前に第六位階魔法でも唱えてもらや一発か。でも、俺は第六位階魔法の種類なんざ知らねぇぞ?」

 

「俺が知っているから安心しろ。……〈転移(テレポーテーション)〉でも使ってもらうか」

 

 第六位階までの魔法は無効化されるので、アインズは問題無い。第六位階魔法を使った時点で、相手はフールーダ確定という結論に持っていけるのでそうするべきだろう。しかし微妙にアインズはフールーダが第七位階以上の魔法を使った場合が怖いので、転移魔法を使用してもらい判別をつける事にした。これなら、アインズかブレインに魔法を撃ち込むような動作をした時点で敵対出来る。

 

「その魔法、どんなのなんだよ?」

 

「ああ――」

 

 廊下を進みながら、アインズはブレインに魔法の説明をする。ブレインも転移魔法という、戦士職の人間にとっては厄介な魔法に興味津々だ。

 そうして説明をしている内に、件の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が待っている待合室に着いた。ノックをする。

 

「――どうぞ」

 

 老人の声が聞こえた後、「失礼します」と一声かけてからドアを開けた。室内には、椅子に一人の老人が座っている。その老人は真っ白なフードとマントですっぽりと体を覆っており、顔を隠していた。老人はアインズ達が室内に入ると立ち上がる。

 

「お待たせして申し訳ありません。はじめまして、アインズ・ウール・ゴウンです。こちらがブレイン・アングラウス」

 

 アインズの名乗りに、老人の視線が胸元のアダマンタイトのプレートに刺さった気がする。老人は一呼吸置いて、名乗った。

 

「私の名前はフールーダ・パラダインと申します。この度は急な来訪申し訳ない」

 

 フールーダらしき老人が頭を下げる。その頭を上げさせて、老人が「どうぞお座り下さい」と言うのを遮り口を開いた。

 

「……失礼ですが、本物かどうかご確認させていただきたい」

 

 アインズの言葉に、老人は頷く。

 

「ふむ。当然ですな」

 

「第六位階に〈転移(テレポーテーション)〉という魔法があったはず。出来ますか? 無詠唱化せずに、そこから窓際まで移動していただけますか?」

 

 老人から鋭い視線がアインズに刺さった。アインズは内心でびくりと身体を震わせる。

 

(なに!? やっぱり、戦士が第六位階魔法知ってるのはおかしいか!? でもイビルアイとか蒼の薔薇は詳しそうだったし……)

 

 イビルアイ達蒼の薔薇との会話を思い出しながら、アインズは冷や汗をかく。老人は少しの沈黙の後、頷くと口を開いた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 その一言で、老人の姿が掻き消えて窓際にいつの間にか立っている。その時の仕草、動き、詠唱。その全てが第六位階魔法である事を物語っていた。

 

「……本物ですね」

 

「マジか? え? マジでか?」

 

 ブレインも思わず口を開いて老人――フールーダを凝視する。フールーダは移動した窓際から再び元の位置に戻ると、「信じていただけましたかな?」と訊ねた。アインズとブレインは頷く。

 三人は椅子に座ると、まずフールーダが口を開いた。

 

「それで、改めて名前を。フールーダ・パラダインです。この度は急な来訪申し訳ない」

 

「いいえ、お気になさらず。どうせ暇しているので」

 

「だな」

 

「それで、どのようなご用件なのでしょうか?」

 

 アインズの疑問にフールーダはフードを取り顔を見せると、ギラリと瞳を輝かせて口を開いた。

 

「――ゴウン殿。貴方は、未知のアンデッドとこのエ・ランテルで戦ったとか。そのアンデッドの特徴をお聞かせ願いたい」

 

「はあ……?」

 

 アインズはフールーダに、デス・ナイトの特徴を教えていく。当然、未知のアンデッドというくくりであるためにアインズはデス・ナイトの名前を出さないように注意した。

 事細かに特徴を聞いたフールーダは、次にその事件の犯人はどのような者達であったのか訊ねる。それは、さすがにアインズも言うのは憚られた。アインズはブレインの顔を見る。ブレインも困り顔だ。

 

「あー……それは、さすがに言い辛いですね。組合に直接訊ねていただきたいのですが」

 

「確かにそうですな。では、少し訊き方を変えましょう。ゴウン殿、貴方は魔法に詳しいようですが、ずばり犯人が事件を起こした際に使用した魔法に心当たりがあるのでは? その魔法を教えていただきたい」

 

「……それは」

 

 その質問も、アインズにとっては口にしにくい類のものだ。何せ、組合にも報告していない。しかし、ここで帝国の重鎮であるフールーダに顔を覚えてもらうのは、少し魅力的だった。帝国で、様々な便宜を取り計らってもらえる可能性も含めて、いつか帝国も訪ねる気でいるアインズにとっては。

 アインズは少し考えて――やがて沈黙を破る。

 

「第七位階魔法、〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉だと思います」

 

「――――」

 

 フールーダはアインズの言葉に、驚愕したのか目を見開く。

 

「何故、そう思ったのかお聞きしても?」

 

「……あの魔法はアンデッドを大量に召喚する魔法です。普通ならば、あれだけの量のアンデッドを召喚することは不可能でしょう。おそらくご老人、貴方であっても。しかしあの魔法ならば可能です……まあ、何らかのマジックアイテムを使用した、ということも考えられますが」

 

「ふむ」

 

 アインズの言葉に何故かブレインが考え込んだ。まるで、何かを思い出すような仕草だ。アインズとフールーダがそんなブレインの様子を不思議に思い、見つめる。

 二人の視線が集中する中――ブレインはようやく思い出したのか、口を開いた。

 

「そうだ、確か変なマジックアイテム持ってやがったな、犯人」

 

「それは――確か、お前が死体を確認したって言う件の犯人らしき男のことか?」

 

 アインズが訊ねると、ブレインは頷く。

 

「ああ。組合の連中と一緒に、霊廟に行った時死体を確認したって話はしたよな? その死体が、確か変なマジックアイテムを持ってやがったんだよ。水晶玉みたいなの」

 

「水晶玉?」

 

 アインズの脳内に、魔封じの水晶が思い起こされる。その中に〈死者の軍勢(アンデス・アーミー)〉でも封じていたのだろうか。

 

「その水晶玉、どうしたんだ?」

 

「あー……その時は、俺まだ正式な冒険者じゃなかったろ? なんでそいつが持ってたアイテムは全部組合に没収されたぜ。その水晶玉は、確かラケシルのおっさんが懐にしまってたな」

 

「魔術師組合長が?」

 

「おう」

 

 二人の会話を聞いていたフールーダは、少し考えた仕草をすると――席を立った。

 

「お二方、ありがとうございます。では、これから魔術師組合の方に行って訪ねてみることにいたします」

 

「はあ……お役に立てたのならば、幸いですが」

 

「ええ、大変ありがとうございました。またお会いしましょう(・・・・・・・・・・)

 

 フールーダは二人に頭を下げた後、待合室を去って行った。残された二人は顔を見合わせて首を捻る。

 

「結局、あのご老人は何の用だったんだ?」

 

「さて、な。どうも、俺が退治したアンデッドの話(・・・・・・・)を聞きたかったみたいだが」

 

 そう、おそらく一番の目的はそれだろうとアインズは思う。フールーダは、アインズが遭遇した未知のアンデッド……デス・ナイトの話を聞きたかったように思うのだ。犯人やマジックアイテムはついでだろう、と思う。

 

「あー……お上の考えることはさっぱり分かんねぇな」

 

「しがない冒険者だからな。別に気にしなくてもいいだろう。組合に報告した後、もとの席に戻るか」

 

 二人も席を立つと、待合室を出る。もとの受付のある大部屋に戻り、先程の組合員を見つけたために、報告する。

 フールーダ・パラダインの事と、そのフールーダの質問内容を。

 そうして二人が説明していると、ざわりと受付が騒がしくなった。しかし、すぐに喧噪が元に戻る。

 

「アインズ!」

 

「――イビルアイ」

 

 聞き慣れた声に、アインズは振り向く。週一で現れる仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がそこにはいた。最初は驚かれて騒がしくなっていた組合の受付も、もはや慣れたものでイビルアイがアインズに一直線に向かってももはや誰も気にしない。

 それほどまでにイビルアイの態度は分かり易く、そしてそれに気づいていないのはアインズだけだった。

 

「おーおー、まーた来やがったかあのチビ」

 

 ブレインが悪巧みをしているような表情でイビルアイを見る。イビルアイはブレインなど全く気にせずに、アインズの隣まで近寄ると少し大きな声でアインズに話しかけた。

 

「久しぶりだな! 今日も会いに来たぞ!」

 

「ああ、久しぶりだな」

 

 何度も週一で訪れるイビルアイに、さすがのアインズも既に口調は砕けていた。本人からも、「砕けた口調で構わない」と言われているのだし。

 

「この一週間、何か変わったことはあったか?」

 

「いや、特に――――ああ、一応今日は変わったことがあったのか?」

 

 アインズはブレインを見る。

 

「まあ、変わったことと言やぁ変わったことじゃね?」

 

「なんだ? 何かあったのか?」

 

 首を傾げるイビルアイに、アインズは教える。

 

「ああ。何故か帝国の重鎮のフールーダ・パラダインがさっき俺達を訪ねて来たぞ」

 

「フールーダ・パラダイン? あの?」

 

 アインズの言葉にイビルアイが仮面越しにも驚愕したのが分かった。それはそうだろう、とアインズも思う。アインズがイビルアイの立場であっても、戦士二人にあの帝国の重鎮がわざわざ会いに来たというのは信じられないだろう。

 

「とは言っても、それ以外にゃ何の変化もねぇけどな」

 

「――ああ、そうだな」

 

 ブレインの言葉に、アインズは一気に気分が落ち込む。本当に、特に何もない日々であったのだ。

 そんな二人の様子にイビルアイは気づいた様子もなく、話しかける。

 

「そうか! 私達は今週はこんなことがあったぞ! あのだな――」

 

「分かった、分かった。とりあえず席に座って聞こう」

 

「ああ!」

 

 イビルアイの悪意の無い蒼の薔薇の冒険譚に、アインズは内心で溜息をつきながらイビルアイの背中を押して席に促す。ブレインもアインズとイビルアイの後ろについて行った。

 アインズはいつもの席に、ブレインもまたいつも通りのアインズの対面に。イビルアイはアインズの隣に座って。

 

「それでだな――今回の依頼で私達は評議国の国境付近に……」

 

 嬉しそうに教えてくれるイビルアイ達の冒険譚を、アインズは時折相槌を打ちながら黙って聞く。イビルアイの嬉しそうな声が、その日組合が閉じるまでずっと響いていた。

 

 

 

「――ラケシル」

 

 アインザックは魔術師組合の組合長室で、頭を抱えてショックを受けた様子の友人に声をかける。しかし、友人の言葉にラケシルは何の反応も示さない。ただひたすら、頭を抱えてソファに座り込んだままだ。

 その気持ちは、アインザックにも多少は分かるつもりだ。

 

「なあ、ラケシル。いい加減、立ち直れ。するべきことは山のようにあるんだぞ?」

 

 そう、するべき事は山のようにあった。いや、山のように増えた、と言うべきか。少なくともあの客人が来るまでは、もう少しするべき事は少なかったはずなのだ。

 だがあの客人が、彼らの仕事を膨大にした。せざるを得なかった。

 

「……そう、そうだな。いつまでもこのままでいいはずがない。すまない、アインザック」

 

 アインザックの言葉に、ラケシルはようやくそう返すと顔を上げる。顔色は真っ青だ。彼は正気に戻った時から、顔色を真っ青にしていた。

 そう――マジックアイテムに操られていた(・・・・・・)事を自覚してから。

 

「……フールーダ・パラダイン老には感謝しないといけないな」

 

「ああ…………」

 

 その日、二人は仕事の関係で集まり、一緒にいた。そんな時にやって来たのだ、あの帝国の重鎮は。

 当然、二人は仰天したものである。いくら冒険者組合などが国との諍いを無視すると言っても、ここは敵国である。そんなところに、帝国の重鎮が密入国して現れるとは誰が思おう。

 二人はとりあえず、フールーダを通した。フールーダは急な来訪という無礼を詫び、アインズとブレインから先に話を聞いてここに来たのだと語った。

 その理由は、ラケシルがズーラーノーンの高弟らしき男の死体から拾ったマジックアイテムを知るために。

 

 最初、ラケシルは難色を示した。いくらフールーダとはいえ、マジックアイテム狂いのラケシルにとってマジックアイテムを手放す可能性は避けたかったからだ。

 しかし、フールーダを敵に回す愚は避けたいアインザックは、ラケシルにマジックアイテムをフールーダに見せるよう説得した。アインザックの説得に渋々頷いたラケシルは、懐からそのマジックアイテムを、水晶玉を取り出す。

 ……その時、アインザックは疑問に思ったのだ。何故、こいつは普段からこのマジックアイテムを持ち歩いているのか、と。

 そしてその理由は、フールーダの手に渡った瞬間すぐに判明した。

 

「――――」

 

 ラケシルが、驚いたように目を見開く。そして、周囲を見回し――小さな声で呟いた。

 

「俺は、今まで何を……」

 

「ラケシル……?」

 

 その呆然とした様子に、むしろアインザックの方が呆然とした。まるで、何故こうなっているのか分からない、という友人の今の様子が、殊更アインザックを不安にさせる。

 そして――

 

「――ふむ。インテリジェンス・アイテムか」

 

 そんな二人の様子を尻目に、フールーダが静かに、その手の中に水晶玉を持ちながら呟いた。

 

「インテリジェンス・アイテム?」

 

 アインザックは驚き、フールーダを見る。フールーダの視線は手の中の水晶球に固定されたままだ。

 

「〈道具鑑定(アブレイザル・マジックアイテム)〉」

 

 二人の目の前で、フールーダが鑑定魔法を唱える。

 

「ふむ。アンデッドの支配力の補佐に、死霊系魔法の複数使用可能――そして、人間を支配し操る、と」

 

「なッ……!」

 

 フールーダの言葉に、アインザックは仰天してフールーダが手に持つ水晶玉を凝視する。ラケシルはそれを見ながら「そうだ……」と呟いた。

 

「声が、声が聞こえたのだ。俺を導くような……そんな声が……お、俺は……」

 

 ごくり、と唾を呑む音が室内に響いた。

 

「俺は今まで、このマジックアイテムに操られていたのか!?」

 

「…………!!」

 

 ラケシルの言葉にアインザックはおぞましいものを見た、というように身を仰け反らせ水晶玉を凝視する。そして、思わずフールーダの顔を確認するが、老人は凪の様に静かだ。

 

「……どうやら、私が操れないので驚いておるらしいな。まったく、こんなところで伝説級のマジックアイテムを目にすることになるとは」

 

 フールーダは何でもないように、手の中のマジックアイテムを観察している。

 

「パ、パラダイン老……大丈夫なのですか?」

 

 アインザックが声をかけると、フールーダは頷いた。

 

「うむ。私を操るには至らなかったようだが……さて」

 

 フールーダはアインザックとラケシルを見る。

 

「このマジックアイテムを、私に譲ってほしいのだが」

 

「…………」

 

 アインザックとラケシルは顔を見合わせる。しかし、拒否権は無かった。あるはずが無かった。

 ここでフールーダの頼みを拒否すれば、エ・ランテルの魔術師組合の地位は地に落ちる。何故なら、マジックアイテムや魔法を調べる専門組織の長であるはずのラケシルが、そのマジックアイテムに操られていたのだから。もしこんな事が表沙汰になれば、それは破滅だろう。

 フールーダだからこそ、操られずに済んだのであろうが、そんな事が余人に分かるはずはない。そんな友の破滅を、アインザックが見ていられるはずもない。

 そもそも、ここで断ったら生きていられるのかさえ疑問だった。

 

「……分かりました。そのマジックアイテムは、我々では手に余るようです。管理を、パラダイン老に任せます」

 

 アインザックは頭を下げる。フールーダは頷いた。

 

「うむ。任せたまえ。……さて、用件は終わってしまったな。では、私はこれで失礼するとしよう。――では、また会おう(・・・・・)

 

 フールーダは二人にそう挨拶を終えると、再び去ってしまった。残されたアインザックはほっと息を吐き――ラケシルは、頭を抱え込んだのだ。顔色を真っ青にして。

 ――それが、事の顛末であった。

 

「……俺は、操られていたとは……自分が情けない」

 

 ラケシルの苦渋の声に、しかしある意味でアインザックは安心していた。ラケシルはマジックアイテムに操られていた。だから、あのンフィーレアの時もマジックアイテムに固執し、人命を軽視するような態度だったのだろう。

 確かに、ラケシルは未知のマジックアイテムに我を忘れる傾向がある。あのアインズにぬるぬると張り付きマジックアイテムを求めていた姿は、ラケシルの本質だろう。

 しかし、アインズにマジックアイテムを求めるのとンフィーレアの件は全く話が違う。ンフィーレアには明確に人命や彼の尊厳が掛かっていた。それを度外視するようなラケシルの口調は、アインザックも不思議に思っていたのだ。

 

 ――いや、まさか。いくらなんでもそこまでは、と。

 

 そして、それは証明された。さすがのラケシルとて、マジックアイテムに固執はしても罪の無いンフィーレアという少年の尊厳は守るはずだ。惜しむらくは、そのンフィーレアが既に行方不明である事だろう。今もって、誰がンフィーレアを誘拐したのかは不明だ。おそらく、ズーラーノーンではないかと思われるが。

 

「さあ、ラケシル。今までお前が片付けた案件の洗い直しだ。変なことになっていたら困るからな。俺も手伝ってやる」

 

「……アインザック」

 

「俺達は、友人だろう?」

 

 アインザックの言葉に、ラケシルは再び顔を伏せた。そして、ポツリと告げる。

 

「ありがとう、アインザック」

 

 アインザックは、友人に向けて笑った。

 

 

 

 

 

 

 絢爛豪華な部屋で、バハルス帝国の皇帝――ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは報告書を見ながら、同じ部屋で椅子に座っている一人の老人――フールーダに声をかけた。

 

「じい、厄介事だ」

 

 フールーダはそんなジルクニフの言葉に、少し喜色が混ざっているのを感じ取った。

 

「どうされましたかの、陛下」

 

「ああ、これなんだがな――」

 

 報告書を受け取り、フールーダは読み進めていく内に目を見開く。それは王国で未知のアンデッドと相対し、退治した冒険者の記録だった。

 

「ドラゴンと一騎打ちの末、蒼の薔薇との協力により撃破? それに、法国の特殊部隊を相手にガゼフ・ストロノーフを初めとした戦士団と共に協力、そして撃破? 更にはこの未知のアンデッド……」

 

 そのアンデッドの特徴は、フールーダが知っているある一体のアンデッドを連想させた。ジルクニフはそんなフールーダの様子を面白そうに眺めている。

 

「じいの弟子が報告を読んでいると仰天してな、じいを呼ばせてもらった」

 

「それは……なるほど」

 

 フールーダの弟子ともなれば、当然そのアンデッドを知っている。もっとも特徴的な能力の報告はここに記されていないが、それでも外見特徴だけでそれは連想させるに十分だった。

 

「それで、どうなんだ? じい。そのアンデッドは噂に聞くデス・ナイトなのか?」

 

 ――デス・ナイト。それはかつてカッツェ平野に現れた伝説のアンデッドである。

 かつてはデス・ナイトを退治するのにフールーダを初めとした数多の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を投入し、空中からの〈火球(ファイヤーボール)〉などで弱らせるしかなかったという。現在は魔法省の奥深くに封印されているとジルクニフは聞いていたのだ。

 

 ジルクニフに問われたフールーダは、少し考えながら首を捻る。

 

「ふむ……特徴的に言えば、デス・ナイトと一致します。しかし肝心の能力――殺した相手をスクワイア・ゾンビにする能力が報告にありませんので」

 

「その報告によると、その漆黒の戦士が前衛を務めて他の冒険者達が後衛を務めたとあるな」

 

「ええ。つまり――仮にこのアンデッドの正体がデス・ナイトならば前衛を務めた漆黒の戦士は、間違いなく四騎士を超える化け物ということになります」

 

 帝国にはジルクニフ直属の部下である四騎士がいる。彼らはガゼフやアダマンタイト級冒険者に迫る強さの者達であるが、デス・ナイトとの近接戦は出来ないとフールーダは考える。

 いや、それどころかデス・ナイトと近接戦なぞあのガゼフでさえも出来るかどうか疑問だ。それがこの漆黒の戦士――アインズ・ウール・ゴウンという男が戦ったアンデッドがデス・ナイトではないという証明の気がするのだが……。

 

 この、アインズの戦歴が常軌を逸している。後に協力したとはいえ、ドラゴンと一騎打ち。そして法国の特殊部隊との戦闘。明らかに、普通のアダマンタイト級ではない。

 

「直接話を聞いてみれば分かるかもしれませんが……」

 

 フールーダがそう言うと、ジルクニフが面白そうに顔を歪めた。フールーダは首を傾げる。

 

「陛下?」

 

「なら、直接会いに行って確かめてみるか?」

 

「――――」

 

 それは、ひどく魅力的な案だ。

 

「どの道、そんな伝説のアンデッドが再び現れたのか確認は必要だしな。王国の連中はデス・ナイトを知らぬようだし。……もっと言えば、そもそもコイツは何故エ・ランテルに現れたのか気にもなる。じいも気になるだろ?」

 

「勿論です」

 

「では、決まりだな。じい、顔を隠して王国に入り、このゴウンという男に会いに行ってこい」

 

 ジルクニフはそう告げると、横で話を聞いていた四騎士の一人……バジウッドが不思議そうに口を開いた。

 

「陛下、いいんですかい? 敵国ですぜ?」

 

「かまわん」

 

 バジウッドの問いに、ジルクニフはバッサリと答えた。

 

「訪ねるのは冒険者組合なんだ。国同士のいざこざに冒険者は関わらない、それが彼らの決まり事だ。ならば当然、王国にとっては敵であろうとフールーダが個人的に訪ねることの何が問題があるだろうか? ――というより、連中がフールーダに文句を言ってくるような度胸があると思うか? 少なくとも、エ・ランテルの都市長はとても言えんだろうよ」

 

 エ・ランテルは王の直轄領だ。そこを任されるのは、当然王派閥に属する者に決まっている。ましてやあの城塞都市――帝国が侵攻したら真っ先に狙われる都市だ。そこを任されるのは忠心厚く、優れた貴族に決まっている。

 だとすれば、何も問題はない。フールーダが単独で乗り込んでいようと、何か言ってくるような度胸も蛮勇も都市長は持ち合わせていないだろう。

 ジルクニフはそう告げた。

 

「では陛下、さっそく準備をしてなるべく早く訪ねに向かおうと思います」

 

 フールーダがそう言うと、ジルクニフは笑顔で肯定した。

 

「ああ、そうしてくれ。事によっては――クク、もしかすると、今年で王国は滅びるかも知れんぞ?」

 

「はは、そうですな」

 

 ジルクニフの言葉をフールーダは肯定する。確かに、ありとあらゆる事が上手く回れば、そうなってしまう。

 

 例えば――本当に、アインズの討伐したアンデッドがデス・ナイトだった時。

 例えば――そのデス・ナイトが人為的に生み出されていた時。

 例えば――デス・ナイトの作成・支配方法がマジックアイテムだよりであった時。

 例えば――そのマジックアイテムが、未だエ・ランテルにあった時。

 

 その時――王国の未来は潰えるのだ。

 

「何か問題があったら、すぐに転移魔法で帰ってくるんだぞ、じい」

 

「ええ、陛下。陛下も、何か問題があった場合はすぐに〈伝言(メッセージ)〉でも早馬でもいいのでお知らせ下さい」

 

 フールーダはジルクニフにそう告げると、「ではこれで失礼」と言って室内から退出する。

 

 そしてフールーダは歩き去る。まずは、自分の今行っている研究の引継ぎや、アポイントメントの調整などをしなくてはならない。時折アダマンタイト級冒険者や貴族・国外の使者と会談する事もある立場である。きちんと自分の仕事をこなして行かなくてはならない。

 フールーダは帝国では要職に就いている。色々、責任重大な案件もある。

 だが、しかし――

 

「ふふ……」

 

 フールーダはつい笑みを漏らしてしまった。エ・ランテルに向かう日が待ち遠しい。待ちきれない。

 

 もし、アインズの討伐したアンデッドがデス・ナイトであったなら。

 もし、そのデス・ナイトが人為的に生み出されたものだったなら。

 もし、デス・ナイトの作成・支配方法がマジックアイテムだよりであったなら。

 もし、そのマジックアイテムが未だエ・ランテルにあったなら。

 

 フールーダは感謝したい。デス・ナイトを支配する事。それはフールーダの長年の夢の一つでもあった。

 そう――フールーダは餓えている。魔法の師という存在を望んでいる。

 しかし、フールーダはいつだって先駆者だった。まずフールーダが道を開き、舗装し、その後を弟子達が追従する。それがフールーダの今までの人生。

 だが、フールーダのもっとも求めている望みは、地位でも名誉でもない。魔法の深淵。ただ、魔法を知りたいという知識欲。

 通常ならば、それは魔道書や師匠という存在によって、より深く知る事が出来るだろう。だが、それがフールーダには許されない。何故ならば、フールーダこそがもっとも魔法の深淵に近い存在なのだから。

 しかし、そんなフールーダでもデス・ナイトの創造の仕方も、支配の方法も知らないのだ。

 だが――もしかしたら、エ・ランテルに行けばそれが解決するかもしれない。フールーダはまた一歩、魔法の深淵に近づけるかもしれない。

 それが、フールーダには待ち遠しい。

 

 このフールーダの願望を知るのは、ジルクニフのみ。ジルクニフはフールーダに、褒美のような気持ちで今回の命令を下したのだろう。

 

「ありがとう、可愛いジル」

 

 フールーダはジルクニフに感謝する。齢二〇〇年を超えるフールーダにとって、ジルクニフは赤ん坊の時から知っている、可愛い可愛い我が子のような子供だ。

 そんな彼の贈り物に、フールーダは心から感謝したい。

 

 ――そして、全ての仕事を終えたフールーダは一人、旅立った。エ・ランテルへ。もしかすると、自分の望みに一歩近づくかもしれない運命の場所へ。

 そこで、フールーダは知るのだ。自らの理想のような状況を。

 

 アインズの討伐したアンデッドは、間違いなくデス・ナイトだった。

 そのデス・ナイトは人為的に生み出されたものだった。

 デス・ナイトは死の宝珠というマジックアイテムにより生み出され、支配されていた。

 その死の宝珠は、エ・ランテルにまだあった。

 

 フールーダは、死の宝珠を手に入れた――。

 

「ふ、くく、ふははははは――ははははははははッ!!」

 

 エ・ランテルから帝国への帰り道。フールーダはたまらず笑う。全てが自分の思い描いた理想。懐にしまったインテリジェンス・アイテムには心からキスを贈りたい。

 

 ――何がおかしい、老人。

 

 死の宝珠が高笑いを浮かべるフールーダに、不思議そうに声をかける。死の宝珠はもはや諦めていた。フールーダの魔法抵抗は高い。とてもではないが、精神を支配出来なかった。

 だから死の宝珠は、全て諦めてフールーダの支配下に入る。いつか、また再び死を振りまける日を夢見て。

 

「なんでもない。なんでもないとも、死の宝珠よ――」

 

 フールーダの返答を、人間の心の機敏が分からぬ死の宝珠は、ただ不気味に思いながらフールーダの懐で揺られる。フールーダは転移魔法で帰らなかった。この天にも昇るような気分のまま、ゆっくりと帝国に帰還するのも悪くないと思って。

 

「ああ――」

 

 フールーダは笑っている。素晴らしき日々。素晴らしき我が人生。また一歩、魔法の深淵に近づいた、と。

 

「私は今、生きている――」

 

 老人の高笑いが、エ・ランテルと帝国の間にいつまでも響き続けた。

 

 

 

 

 




 
六腕編があるとでも思ったかッ!
次回から、ジル君無双、はじまります!
 

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