マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

フールーダと死の宝珠、死の神とすれ違う。
 


The Bloody Tyrant Ⅰ

 

 

 その日は、この一言から始まった。

 

「イビルアイがおかしい」

 

「…………」

 

 いつも通りの冒険者組合の受付、いつものようにソファに向かい合って座っていたアインズの呟きに、ブレインは刀に向けていた視線を上げてアインズを見る。アインズはいつも通りソファにぐでっと体を沈めていた。

 

「……まず、なんでそう思ったのか聞こうか」

 

 ブレインは刀を鞘にしまうと、脇に置いてアインズを見つめる。本格的に話を聞く体勢になったブレインに、人と会話するような態度が皆無のアインズは口を開いた。

 

 ――あの魔樹の事件以降、イビルアイは週一でエ・ランテルを訪れてアインズ達に話しかける。会話の内容は毎回蒼の薔薇の冒険譚だ。アインズはそんなイビルアイの口から発せられる羨ましい冒険譚を、多大な嫉妬と未知への憧れを抱きながら聞いていた。

 そのイビルアイが、ここ最近蒼の薔薇の冒険譚をしなくなった。自分の事とアインズの趣味、好きな食べ物への問い。普段何をして過ごしているか、など……そういった些細な内容に切り替わったのである。

 アインズは不思議に思い、イビルアイに最近蒼の薔薇は依頼に出ていないのか、と訊ねたがイビルアイは何故か慌てた様子で首を横に振り否定した。

 だからこそ、アインズは思う。これはイビルアイ達蒼の薔薇に何かあったのではないか、と。彼女達は自分達とは違い、外に依頼に出る冒険者だ。アインズ達が街の外に出ないのは治安の問題からで彼女達とは状況が違うが、それでもいきなり冒険譚が聞けなくなれば何かあったと考えるのが普通だ。

 

「――と、いうわけなんだが」

 

 アインズが自分の考えを話すと、ブレインが口の端を引き攣らせてアインズを見ていた事にアインズは気がついた。そんなブレインに内心で首を傾げ、とりあえずの結論を口にする。

 

「だから忙しいのなら遠慮せず、今の問題を片付けるためにしばらく来なくていい――今度イビルアイが来たら、そう伝えようと思うんだが」

 

「やめろォッ!!」

 

 最後まで口にすると、ブレインが身を乗り出すように止める。アインズは驚き体を硬直させた。

 

「お、おま、お前……それイビルアイがショックで寝込むからやめてやれよ……。ようやく失敗に気がついたっぽいのにお前にその反応されるとか、死体蹴りだぞ本当……」

 

「はあ?」

 

 ブレインの言葉に疑問符を浮かべる。ブレインは少し深呼吸をして精神を落ち着かせると――アインズに言い聞かせるように口を開いた。

 

「まず、お前――イビルアイがなんでエ・ランテルに毎回来てると思ってたんだ?」

 

「それは……新しいアダマンタイト級冒険者が気になってるからじゃないのか?」

 

 あるいは、アインズを心配してくれているのかもしれない。記憶喪失だと騙るアインズを。イビルアイは割とアインズの疑問に答えてくれるので、おそらく彼女はあれでお節介な性質なのだろうと思われた。

 しかし、アインズの言葉を聞いたブレインは天を仰ぐ。何も分かってねぇなコイツ、という態度だ。

 

「いや、お前が鈍感なのは気づいていたけどよ……マジか。え? マジで? お前、真面目に鈍いな。あのチビッ子、あんな分かり易いのに」

 

「?」

 

 ブレインの言っている事がさっぱりアインズには分からない。そんなアインズの様子に溜息をブレインはついて、ビシッとブレインはアインズに指を突きつけた。

 

「ズバリ言うぞ。イビルアイは、お前に惚れている(・・・・・・・・)

 

「――――ぇ?」

 

 ブレインが突きつけてきた言葉に、アインズは思わず呆然とした。そして、即座に精神状態が元に戻る。アンデッドの精神の鎮静化で。……つまりそれくらい、アインズは驚いた。

 

「いやいやいや……無いだろ?」

 

 驚愕に身を支配された後瞬時に冷静に戻り、アインズはブレインに告げる。それはあり得ない。イビルアイがアインズに惚れるなど、あるわけがない。

 何故なら、彼女は異形種(ヴァンパイア)。アンデッドである。そんな怪物が人間(と思われるモノ)に惚れる。あるはずが無い。

 

 確信をもってそう告げたアインズに、ブレインは何を頑なな、とでも言いたいような小馬鹿にした表情を浮かべた。

 

「俺もこんな生き方をしてるから、お前に偉そうに言える立場じゃないんだがな。それでも知っている事がある。恋に男も女も年齢も関係無いだろ。お前以外の誰がどう見ても、イビルアイはお前に惚れている。この場の全員が、間違いなく俺の意見を肯定するだろうよ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは思わず周囲を見やる。少しばかり聞き耳を立てていたらしい周囲の冒険者達や受付嬢などがアインズを見て、頷いた。

 

「――――マジか」

 

 アインズが思わず呟くと、再びその場の者達が頷く。つまり、それほどイビルアイの態度は分かり易かった、と。

 

「えー……」

 

 アインズは頭を抱える。この場にいた誰もがそう思っていた、という事実に。アインズはかつての世界で営業職に就いていたサラリーマンだ。当然、人の心の機微には営業職として自信を持っていた。

 それが今、木端微塵に砕け散る。この場の誰もが分かったイビルアイの心が、アインズにだけは分からない。

 

(だって仕方ないじゃんか! っていうか恋愛感情なんて分かる方がおかしいよ! 営業職に恋愛要素無いし! 損得勘定とか信頼と信用とかが重要だろ! ――そもそも俺、童貞だし)

 

 最後の思考に盛大なダメージを心に負いながら、アインズは頭を抱えた状態でブレインを見る。

 

「……マジか?」

 

「ああ、マジだ」

 

(イビルアイが、俺のことを……好き?)

 

 長年の童貞生活に終止符を打つかのごとく、ついに春到来――とはアインズは決して思わなかった。そもそもイビルアイとアインズの間には、周囲が思っている以上のあらゆる障害が発生する。

 

 まず、お互いアンデッドである。周囲はイビルアイがアンデッドだという事を知らないし、そして周囲の人間どころかイビルアイさえアインズがアンデッドであるという事を知らない。だから愛を育んだ確かな結果など決して生まれては来ない。

 次に、アインズは骨である。ぶっちゃけ、ナニなど無い。非常に悲しい現実だが、実戦使用しないで無くしてしまったのだ。つまりそもそもの愛を育むという行為自体が出来ない。

 最後に――そもそもの問題として、アインズはイビルアイに恋愛感情なんて持っていない。きっと、これからもそんな心が育つ事は無いだろう。

 

 アインズは冷静に、二人の恋の行く末を結論付ける。どう考えても続くはずがない。

 何故なら互いにアンデッド。大きな精神作用は沈静化させられる。恋が燃え上がるなどという現象自体が、お互い発生などするはずが無いのだ。例え発生したとしても、続くはずがない。その精神高揚は確実にどこかで抑制され、お互いどこか冷めた空気を纏ったまま生活していく事になるだろう。

 こんなものが真っ当な恋愛であるはずがなく、例えイビルアイが本当にアインズに恋をしていたのだとしても、彼女はいつか冷や水を頭から被せられたように冷静になる。

 アンデッド同士の恋愛なぞ、おそらくその繰り返しだ。その感情を燃え上がらせて、一気に鎮静化させられ――最後には互いに冷めた空気だけがその場に残る。

 情熱など欠片もない。愛情なぞ育たない。そんな恋愛に未来は無い。

 

 アインズはアンデッドとしての特性を考え、いっそ残酷なほどに冷静に自分達が付き合った場合の予測を組み立てた。

 

「…………」

 

 沈黙して考え込むアインズを、そんな残酷な事実なぞ知らないブレインが面白そうに告げる。

 

「これからはもうちょっと気をつけて見てやれよ。まあ、あんなチビッ子はお前さんの趣味じゃないかもしれねぇけどな」

 

「……確かに趣味じゃないが」

 

 イビルアイは自分の趣味じゃない。凹凸なぞ無し。どこもかしこもつるぺたで、しかもちょろちょろとうざいし騒がしい。好かれて悪い気はしないが、それだけだ。イビルアイに欲望を感じるような人間は、ペロロンチーノのような特殊な趣味の人間だろう。

 もっとも、アインズが欲望を感じないのはイビルアイのせいではない。例え傾国とも言えるような絶世の美女が相手であろうと、今のアインズは欲望をほとんど感じないだろう。

 しかしそれは、おそらく、イビルアイも同様に違いないのに。

 

「お前が冒険が好きそうだから冒険の話をして、んで満足に冒険出来ないお前に嫌味言っていたことに気がついて、ちゃんと話をしようと頑張ってんだ。俺が言うのもなんだが、断る時はちゃんと気をつかって断れよ」

 

「?」

 

「……イビルアイのあの姿見てりゃ、恋愛下手でたぶんお前が初恋じゃね? 初恋相手に嫌な振られ方しちまったら、きっとこじらせるぜ」

 

 ――と、どっかで聞いた事がある。ブレインはそう呟くと、もう興味を失ったのか再び刀を手に取って、入念に刀身の様子をチェックし始める。アインズはそんなブレインの持つ刀の、周囲を鏡のように照らす鈍い光を放つ刀身を見つめた。

 

「――アインズ! 来たぞ!」

 

 そして、今日もイビルアイがやって来る。

 

 

 

 ――偶には、エ・ランテルを歩き回って見るか?

 

 イビルアイはアインズにそう尋ねられ、一も二もなく頷いた。むしろ何度も何度も頷いたせいで、アインズに少し引かれた。

 ブレインは「今日は泊まって帰って来てもいいぞ」などと言い、アインズに殴られたが彼は笑って二人を冒険者組合から見送る。イビルアイはアインズの隣に並び、アインズの漆黒の兜に覆われて見えない顔を見上げた。

 

「……行きたい場所とか、見てみたい場所はあるか?」

 

 アインズの言葉にイビルアイは少し考え――首を横に振った。

 

「いや、特には」

 

 そう言ってから――イビルアイはガガーランの言葉を思い出した。

 何か尋ねられて、何でもいいと答えるのが一番駄目な答えなのだという事。それがもっとも相手に負担をかける答えであり、そんな事を言ってしまえば自分の方が何をしてもらっても確実に不満が残るだろうとガガーランはそう言っていた。

 

(し、しまった! アインズを困らせてしまう! ど、何処か行きたい場所はないか――!?)

 

 イビルアイは脳内をフル回転させて考える。しかし、何も思いつかない。アインズといい雰囲気になれるような場所の知識は、イビルアイの中には無い。

 何故なら、イビルアイはエ・ランテルの事をほとんど知らなかった。冒険者組合と魔術師組合、そして蒼の薔薇が宿泊した宿屋。自分が転移魔法のマーキングをつけた場所――道具屋。以上がイビルアイの知るエ・ランテルの情報である。どこもデート場所として失格であった。

 

(ま、まさかこんなに早く二人で外に出ることがあるとは――なんということだ! もっとリサーチして、計画を立てておくべきだった!)

 

 ……ちなみに、イビルアイが例えデート計画を立てていたとしても、最後はアインズとロマンチックに結ばれてベッドインしているという妄想炸裂の計画しか立てられないので、ガガーランに大変残念がられて計画は無意味になるという未来しかない。二〇〇年以上恋愛処女だったヴァンパイア・プリンセスは伊達ではないのだ。

 

「――なら、俺の買い物に付き合ってもらってもかまわないか?」

 

「勿論だ!」

 

 イビルアイは即座に頷く。イビルアイはアインズの案内に従って、隣を歩いた。

 

 ――着いた場所は、魔術師組合だ。アインズは既に顔見知りなのだろう。何人かと話して迷いなく歩いていく。イビルアイは慌ててその後を追った。

 アインズはカウンターまで行くと青年に声をかけ、魔法の巻物(スクロール)のリストを貰っている。リストを受け取ったアインズはゆっくり見るつもりなのか、カウンターを離れて室内にあるソファに向かい、座る。イビルアイも隣に座った。

 

「イビルアイ、何か面白い魔法はこの中にあるか?」

 

 隣に座ったイビルアイにアインズが訊ねる。イビルアイはアインズの言葉にそのリストに視線を向けた。

 

「面白い魔法、と言われてもだな……どんなのだ?」

 

「あー……例えば、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉みたいな、一見これ何に使うんだ、みたいな魔法とか」

 

「……あぁ」

 

 つまり、つい最近開発されたような、人気の無い魔法だ。魔法の進化は日々目まぐるしく、イビルアイもよくこんなものを思いついたな、と言うような魔法が開発されている事がある。

 もっとも、イビルアイにとってはほぼ必要のない魔法だ。冒険者としては日常で便利に使える魔法よりも、より高位の魔法を覚えた方がいい。特にイビルアイほどの強さになれば。

 

「そんな魔法なんかよりも、いざという時に役に立つ魔法の巻物(スクロール)の方がいいのではないか? 〈道具鑑定(アブレイザル・マジックアイテム)〉とか」

 

 アインズとブレインは戦士二人組なので、そもそも巻物(スクロール)は使えない。しかし他の冒険者と協力するような事態があった場合、鑑定魔法や回復魔法など、そういった魔法の方が役に立つはずだ。

 

「あ! いや……ちょっとした趣味みたいなものでな。こういう変わった物があると、つい集めたくなるんだ」

 

「そうなのか?」

 

 イビルアイにはそういう趣味はないが、蒐集家(コレクター)と呼ばれる者達は役に立たないゴミであろうと、手元に置きたがる性癖があると聞いた事がある。どうやらアインズにはその気があるようで、おそらくアインズが持っている数々のマジックアイテムも、その結果として集まったのだろう。

 

「変わった趣味だな、アインズ。……そうだな、これなんかどうだ?」

 

 イビルアイは身を乗り出し、アインズにリストを指差しながら魔法の説明をしていく。そうして幾つも説明していき、アインズが何の巻物(スクロール)を買うか決めた後にアインズが「ありがとう、イビルアイ」と礼を言う段階になってから――イビルアイはアインズと密着していた事に気がついた。

 

(わー! わー!)

 

 内心で思い切り興奮するが、すぐにアインズは離れる。立ち上がってカウンターに向かうアインズに、イビルアイは内心で悔しがった。

 

(くっ! き、気がつくのが遅かった……! もっと密着して胸くらい押しつけておけば……!)

 

 自分の平坦な(げんじつ)を忘れて、イビルアイは悔しがる。そして、次のチャンスは逃がすまいと固く決意をした。

 

 ――その後も、イビルアイはアインズと共に色々な所を見て回った。アインズの贔屓する道具屋、住民達の憩いの広場、子供達の集まる公園……エ・ランテルで笑顔を取り戻している数少ない場所。

 そうして見回って冒険者組合に帰るまでに、色々な話をイビルアイはアインズとした。アインズの事に、少しだけ詳しくなる。イビルアイはアインズの声が平坦ではあるが、それでもエ・ランテルにはそれなりに愛着を持っている事を感じ取った。

 

(だから……エ・ランテルから出ないのだろうか?)

 

 彼は彼なりに、エ・ランテルに愛着を持っている。イビルアイはそれを感じて嬉しくなった。記憶喪失の根無し草なアインズであるが、こうして王国の都市を気に入ってくれたなら、記憶を取り戻しても王国に残ってくれるかもしれないからだ。

 

(いつか、アインズに自分がアンデッドだということを話せたらいいな……)

 

 そして、それでもラキュース達のように受け入れてもらえたら、何も言う事は無かった。

 

 日が暮れて冒険者組合に二人で帰ると、二人の姿を見たブレインが手を上げて存在を示した。

 

「おい! アインズ、お客さんだぜ!」

 

「客……?」

 

 ブレインの言葉にアインズが視線をブレインの方へ向ける。イビルアイもつられるようにして視線を動かした。そこに――イビルアイはぞわりとしたものを感じ取る。

 

「――――貴方は」

 

「――どうも、お久しぶりです」

 

 アインズと知り合いらしい雰囲気を漂わせて、長い漆黒の髪の見知らぬ青年が、ブレインの対面のソファに座っていた。

 

 

 

 

 

 

 夏が過ぎ実りの季節である秋がやってきた頃、毎年のように、今回も帝国から王国に布告官からの宣戦布告文が届いた。そしていつものように――ガゼフにとって、頭の痛くなるような宮廷会議が始まる。

 今回宮廷会議に参加しているのは、ガゼフに、国王であるランポッサ三世。その息子であるバルブロ第一王子とザナック第二王子。六大貴族からは王派閥の三人と、貴族派閥に属する貴族で参加しているのはレエブン侯のみという結果になった。後は有象無象の貴族達である。

 六大貴族はある一部門では王の力さえ凌ぐ者達だ。そのため、色々と言い訳をして参加しないのが常であった。今回もそうなったというだけであろう。

 ……もし、仮に六大貴族が全員参加する気になった場合、それは何らかの異常事態が起きた時か。あるいは六大貴族の中でもっとも不気味な男――レエブン侯が声をかけた時くらいだろう。ランポッサ三世ではこうはいかない。

 

「――さて、今年も帝国から宣言文が届いたわけだが」

 

 ランポッサ三世の言葉が会議室内に響き渡る。宣言文もまた、一字一句例年通りであった。そのため、今回もいつも通り帝国が王国の国力を減退させようとする嫌がらせに思われた。だからこそ、今回の宮廷会議もまた例年通りの動きをなぞるだけである。

 

 曰く、今度は帝国軍を撃退し、その足で帝国に攻め込もう。

 曰く、帝国の侵攻を撃退するのは飽きた。

 曰く、帝国の者達に我々の恐ろしさを知らしめる時が来たのである。

 ああ、まさに侯爵様の仰る通りでございます――。

 

 笑い声混じりの貴族達の声は、毎回一言一句違わない。ガゼフとしてはうんざりする行いだ。

 王国はここ数年間、定期的に帝国とカッツェ平野で戦争を繰り返してきた。

 睨み合うか、あるいは王国側が多少の被害を出して終わる小競り合いであるが、今回もそのように終わるだろう。そうした慣れ切った生温い空気が貴族達の間にある。

 ガゼフとてそうだった。その結果として国力が減退する、という結果はあるが何度も繰り返されれば人は慣れる生き物である。麻痺してしまうのだ。

 だからこそ、いつも通りに行われた宮廷会議。民衆から徴兵し、帝国軍よりも多くの兵士を集める。貴族の幾つかは参戦しない。特にブルムラシュー侯は帝国に情報を流している噂さえあるのだ。だから、今回もブルムラシュー侯は参戦表明をしなかった。

 これもまたいつも通り。そもそも、万が一のために内部に兵を残しておくのは当然である。ブルムラシュー侯はそれを買って出ているに過ぎない。そのように、大義名分がいつもあるのだ。

 だから、誰も気にしなかった。

 今回も例年と同じだろうと信じて疑わなかった。

 結果として国力は減退し、憂鬱な気分にはなるし未来はどん詰まりであったが、まだ大丈夫だとあのレエブン侯でさえ信じていた。

 

 ――二ヶ月後、帝国の動員した兵力の報告を聞くまでは。

 

 

 

「……馬鹿な! 六万だと!?」

 

 ざわり、と室内の空気が動く。報告を聞いた誰もが、その数に恐れおののき、顔色を悪くする。それは彼らにその情報を告げたレエブン侯でさえ例外ではない。

 

 ――現在、彼らは兵士を掻き集め城塞都市エ・ランテルに集まっている。二十万に近い民兵が王国中から集められ、エ・ランテルの中で戦闘訓練を行っていた。

 そして、都市長パナソレイの住む館の隣、貴賓館にてランポッサ三世とガゼフ、武勲を求めて参加したバルブロ、六大貴族はブルムラシュー侯とリットン伯だけ不参加であり、後は他の大貴族達が複数。バルブロの頼みで、ボウロロープ侯さえ今回の戦争は出て来ている。ボウロロープ侯は次期国王にバルブロを推しているので、バルブロの価値が上がるであろうイベントは見逃さない。例年通りの小競り合いならば、戦場に勇敢に参戦した、という話だけで十分だったからだ。

 だが、今回は例年通りとはいかないかもしれない――それをようやく、彼らも認識するに至った。

 

「確かか、レエブン侯?」

 

「はい。私の配下の元オリハルコン級冒険者チームに調べさせましたが、兵力は不明なれど紋章は計六軍団分……つまり、およそ六万の兵士を導入していると思われます」

 

 帝国騎士団の総数は八。今までの戦争で参戦したのは最高で四軍団であったが、今回はその一・五倍が動いている。

 今までの戦争とは明らかに違う――そう思わせるに相応しい数字だった。

 

「まずいな。もう少し兵を増やすべきであった」

 

 王国は今回もいつも通りの兵力しか動員していない。何せ、王国の主な民は農民であり、彼らは本来ならば遅い麦を刈っていなければならないのだ。あまり兵士として働かせたくないという思いがある。

 だが、専業騎士である帝国軍と民兵が主な戦力の王国軍とではそもそもの自力が違う。数で圧倒しなければたちまちの内に王国軍は崩壊するだろう。

 

 確かに、いつもと違う兆候はあった。それは法国からの書状である。彼らも毎回帝国と王国の小競り合いの時に宣言を出しており、内容は例年通りであればエ・ランテル近郊は元々法国のものであって、不当な権利で争うのは遺憾である、というものだ。

 しかし、今回の法国からの書状はいつもの文に追加があった。“この不当な権利争いに、何らかの変化があった場合部隊を派遣させてもらう”――という、いつもとは違う一文が。

 おそらく、この意味は例年通りの事をしなかったら軍を出すぞ、という意味だと思われた。しかし王国は例年通りの小競り合いと認識していたため、この法国の書状を全く気にしなかった。だからこそ、いつも通りの布陣で迎え撃とうとした。しかし帝国の方はそう思わなかったらしい。

 

「どうする? 今から兵力を集めるか?」

 

「駄目だ。今からでは訓練など足りるわけがないし、そもそもエ・ランテルまで来れるかどうかも分からん」

 

 軍勢を再び再編するなどすれば、むしろ前より酷くなる可能性も高い。今ある兵力でどうにか対処するべきだった。

 

「……冒険者達は使えないのか?」

 

 バルブロの言葉に、貴族達は顔を見合わせて曖昧な笑みを浮かべる。それが出来れば苦労はしないのだ。レエブン侯がバルブロに丁寧に冒険者達を参戦させられない理由を説明し、その理由をよく知らない貴族達も頷く。

 

「提案があるのですが」

 

 そして幾つもの話し合いの後、ボウロロープ侯が口を開く。

 

「今回帝国の兵力は増大しております。別動隊を警戒し、エ・ランテルに兵士を五千ほど残し、王子に指揮していただく、というのは?」

 

 その言葉に、バルブロが驚いてボウロロープ侯を見る。しかしランポッサ三世は頷いた。

 

「確かにその通りだな。バルブロよ、お前に命じる。ここエ・ランテルに残り、帝国の別動隊に警戒せよ」

 

「……王命とあれば」

 

 これは帝国が予想以上に軍を動かしてきたためだ。いつもと同じであるなら小競り合いだけで済むので、王と同じく後部に待機しているバルブロがいても問題は無いが、帝国は例年とは違った事をした。ならば、万が一を考えて第一王子であるバルブロはエ・ランテルに残した方がいい。

 

 そして、最後に戦争の全軍指揮権であるが――これはランポッサ三世がレエブン侯に一任した。ボウロロープ侯は狙っていたようだが、とても彼には任せられない。しかし、レエブン侯であれば任せられる。ボウロロープ侯も相手がレエブン侯であれば口出し出来ない。

 

 ――以上をもって、本格的な出陣の準備は始まった。明日にはエ・ランテルを出て、カッツェ平野まで赴く事になるだろう。

 貴族達やバルブロが出立の準備のために部屋から出て、最後にランポッサ三世とガゼフが残される。ここから、本当の意味での会議が始まるからだ。

 少しすると、都市長のパナソレイがやって来た。もう一人後でやって来るらしいが、ガゼフは誰がやって来るかまだ知らない。

 

「では先に都市内の――」

 

 パナソレイが糧食等の出費や、一年後の王国の予想国力などを説明していく。横で聞いていた内政に詳しくないガゼフすら、眉を顰めてしまう事情を。

 

「来年、また帝国の侵攻があれば、王国は内部から崩壊する危険がますます大きくなると思われます」

 

「なんということだ……やはり、もっと早く行動していれば……」

 

 ランポッサ三世は嘆くが、これはランポッサ三世だけが悪いとは言えない。王国の今の状況は、今までの王家が積み重ねてきた行動の結果なのだ。それがランポッサ三世の代で、明確に表沙汰となった。今までの王族の無能のツケが、ここにきて一気に回って来たのである。

 帝国も同じ状況であったはずだが、残念ながら帝国は何代か連続で優秀な皇帝を生み出してきた。結果として、今代のジルクニフに浄化されてしまいあちらは真っ当な国として立ち上がった。いや、優秀すぎて王国を食い破ろうとまでしている。

 

 そうして話をしていると、ついに最後の一人がやってきた。ガゼフは来た人物を見て仰天する。何故なら、ガゼフがこの世でもっとも信用できないと思っていた貴族が、そこには立っていたからだ。

 

「皆様、お待たせしました」

 

 やってきたのは――あのレエブン侯である。王派閥と貴族派閥を交互に行き来する蝙蝠のような男。いつも顔色が悪く、しかしその顔に薄気味悪い微笑みを浮かべている男だ。現在は貴族派閥に属し、ザナックを次期王として推薦している。

 しかしガゼフの思いとは裏腹に、ランポッサ三世は嬉しそうな笑みを浮かべてレエブン侯を迎え入れた。

 

「おお、待っていたぞ。手間をかけさせてすまなかったな」

 

 これは、ボウロロープ侯が指揮権を貰おうとしてレエブン侯に投げた事を言っているのだ。貴族派閥のボウロロープ侯にこれ以上の権力を握らせないため、ボウロロープ侯でも文句を言えない人材にその指揮権を渡したのである。

 しかし、彼以外に指揮権を渡せる人間がいなかったのも事実だ。ボウロロープ侯は勿論駄目だが、ランポッサ三世でも駄目だ。ランポッサ三世が直接指揮権を握った場合は、下手をすると貴族派閥の兵士達が戦争前に撤退してしまう。そのため、レエブン侯以外に任せられる人間はいなかった。

 

「さて、申し訳ありませんが、あまり長居も出来ませんので、手短に問題を解決していきます」

 

 いつものように蛇のような冷たい顔を浮かべて、レエブン侯は語る。ガゼフはレエブン侯に思う事はあるが、しかしランポッサ三世が信じているのならば、と黙する事にした。

 

「まず、今回の帝国ですがおそらく本気です。私の部下の元冒険者達に探らせましたが、運び出される物資の量や、動員される兵士の数が例年を上回っており、その前準備に本気の度合いが見て取れます。もし仮に今回も例年通りの小競り合いを想定していると言うのなら、はっきり言って無駄が多過ぎると言わざるを得ないでしょう。今までと同じように、最小限の戦力で小競り合いを続けていれば、数年もしない内に王国は破綻するのですから」

 

「……なんと」

 

 レエブン侯に明確にそう言われた事によって、危機感が募る。

 

「しかし、法国からの書状が帝国にも届いたはずですが――彼らは何とも思わなかったのでしょうか?」

 

 パナソレイの疑問はもっともだ。法国は強い。帝国であっても勝てるかどうか分からない。これまで王国が法国との戦争を一度も意識して来なかったのは、法国は一度たりとも人間の国家に戦争を吹っ掛けた事が無いからだ。今までの帝国と王国の小競り合いも、法国は書状を寄こして些細な横槍を入れる程度で治めていた。

 そこに、例年とは違う一文である。帝国は思う事がなかったのだろうか。

 そしてその疑問には、レエブン侯が答える。

 

「法国の方は軍を動かしている気配はありません。彼らは単に言い回しを変えただけか――あるいは何か別の狙いがあるのか、今は分かりません。しかし、帝国は法国からの書状を見て、むしろ法国を威圧するために敢えて例年以上の軍を動かしたのではないかと思われます」

 

「つまり――法国の書状で気が変わった?」

 

「おそらく。今回の法国からの書状で、帝国の強さをアピールして一筋縄ではいかない事を示したかったのでしょう。……エ・ランテルまで攻め込む気かもしれませぬな」

 

「エ・ランテルを落とす気でいると?」

 

 ランポッサ三世の問いに、レエブン侯は首を横に振った。

 

「いえ、私の軍師が言っておりましたがその可能性は低い、と。城塞都市を落とすのは帝国全軍を投入しても難しく、落とされたとしても確実に奪還出来るそうです。ただ、それこそが狙いなのかも知れません」

 

「うん?」

 

「一度エ・ランテルを落とした、という事実を欲している可能性がある、ということです。エ・ランテルを統治する気はなく、一度落として王国軍を追い払った後、放棄。つまり国力を例年以上に大きく落とすのが目的ではないか、と」

 

「なるほど……」

 

 支配しておきながら、自治区として放置する、という手段を取る可能性。王国の現状として、帝国軍が本国に帰還している最中に攻撃を仕掛けるほどの元気はない。そうしてエ・ランテルを一度落とし、帝国は法国を恐れてなどいない、という事をアピールするために軍を動かしたのではないか、とレエブン侯は予測しているらしい。

 

「帝国の面子のために、ある程度の痛みは妥協する――そのような手段が取れるとは、羨ましいかぎりだ……」

 

 ランポッサ三世はそう呟いた。それは酷く疲れ切った声色で、その声色が王国の現状を明確に表している。

 王国にはそんな事は出来ない。どこかと戦争をするような余力を、王国は持たない。何故なら、王国は一年を無事に過ごせるかどうかさえ、毎年恐れるほどに疲弊しているのだ。

 そんな今にも死にそうな、けれど必死に生きる王国を帝国は喰らおうとしている。現状、彼らは何も困ってなどいないのに。

 

「――――」

 

 ガゼフは帝国の皇帝を思い出す。鮮血帝ジルクニフ。かつて戦場で出会った時、勧誘された相手だ。もしガゼフを見出してくれた権力者が国王のランポッサ三世でなければ、ガゼフはジルクニフに下っていたであろう。

 しかし、ガゼフはランポッサ三世に出会った。彼こそ、ガゼフが忠義を尽くすに相応しい――いや、忠誠という言葉と概念を教えた素晴らしい人だ。

 

「陛下、必ずやそのようなことはさせません」

 

 だからこそ、ガゼフはランポッサ三世に告げる。そのガゼフの言葉に、レエブン侯が頷いた。

 

「そうですとも、陛下。そしてそれを防ぐ方法は一つです。まず一当たりした後、わざとエ・ランテルまで後退します。何せ戦場はカッツェ平野です。我々が戦争をするその日だけは何故か霧が晴れますが、本来は霧で視界も利かないアンデッド達の棲み処です。それを利用します」

 

 帝国軍が王国軍に突撃を仕掛け、それを王国軍が防ぐのが今までの小競り合いの攻防だ。それ以降帝国は何もせずに戦争を止めるが、今回はそのような気はないだろう。そのまま王国軍に大打撃を与え、エ・ランテルまで進軍しこの都市を落とすと思っていい。どうせ放棄する気でいるのだ。統治する気はないのだから、落とした時の状態を考える事はしないだろう。

 ならば王国が取るべき手段は、最小限の犠牲で敗走する事。十分に戦力を残した上で、エ・ランテルまで撤退し、わざと帝国を王国領まで引き摺り出す。そしてエ・ランテルで時間稼ぎのための防衛戦だ。カッツェ平野の晴れていた霧が戻った時、今度は帝国が大打撃を受ける。背後から、アンデッド達によって。

 その気になってしまった帝国に勝つ手段は、これしかない。……勿論、帝国もカッツェ平野は警戒しているだろうから、作戦を気づかれた時点で進軍して来ないだろう。それならばそれでいい。そちらであっても、犠牲は最小限で済む。

 

「――では、細かな作戦を煮詰めていきましょう」

 

 

 

 

 

 

 ガゼフは貴賓館を出て、街中に出る。精神的疲労を呼吸にして吐き出した。

 

(さて……)

 

 少しの間の自由時間だ。本当ならば自らの守るべき民衆を見て回るべきだろうが、今回のガゼフはそれよりも行きたい場所があった。ガゼフはそこに向かって歩き出す。目的の場所は……冒険者組合である。

 

「――――」

 

 無言で冒険者組合の扉を開け、中を見回す。そこには様々な冒険者らしき者達が雑談をして立っていた。彼らはガゼフを見て、酷く驚いた様子を晒している。それも当然だろう。ガゼフの顔を知る者は少なくとも、ガゼフの装備している鎧は王国戦士の鎧だ。そういった人物が来るような場所ではないのだ、ここは。

 

「――――」

 

 ガゼフは目的の人物達を探す。二人――少なくとも一人はかなり目立つので、いるならばすぐに見つかるだろう。実際、ガゼフは見回してすぐに発見出来た。ソファに座って、それぞれ思い思いに過ごしている二人を。

 

「ゴウン殿、アングラウス」

 

 ガゼフが声をかけると、二人の視線がガゼフに動いた。ソファにもたれかかり天井を見上げていたアインズは視線を下げ、手に持っていた武器の手入れをしていたらしきブレインは下げていた視線を上げる。

 そして、ブレインが軽く目を見開いた。

 

「ストロノーフ……!」

 

「戦士長殿ではありませんか」

 

 二人の言葉に、周囲が再びざわりと騒がしくなる。ガゼフはそれを無視し、二人のいるソファまで歩いて近寄った。二人の目の前まで着くと、まずはアインズに声をかける。

 

「ゴウン殿、あの時は大変感謝する」

 

「いえいえ、お気になさらず――と前にも言っていたはずですよ、戦士長殿。それで、今回はどうされましたか?」

 

 二人は既にガゼフがこの街にいる理由を知っているのだろう。当然だ。二ヶ月も前からエ・ランテルで戦争準備を始めていたのだから。

 

「まあ、どうぞお座り下さい」

 

「ああ、では失礼する」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは空いている席に座った。なんとなく、ブレインの隣は憚られたためにアインズの隣だ。ブレインとは複雑な関係なので、なんとなく隣に座るのは居心地が悪い。

 ……本来、二人の立場からすればアインズもブレインも立ち上がってガゼフに礼を尽くすべきなのだろう。しかし二人ともそんな事はせず、座ったままで気軽な様子だ。それに内心で感謝して、ガゼフは座った後口を開いた。

 

「――――」

 

 しかし、再び口を閉じる。目線の先にいるのはブレインだ。何と言って声をかければいいのか分からない。ブレインも口を開くが、そのまま何と声をかければいいのか悩むのかすぐに口を閉じている。きっと、ガゼフも同じような表情をしているのだろう。

 そんな二人を見かねたのか、アインズが朗らかに声をかけた。

 

「お二人は確か知り合いでしたね。なんでも昔、御前試合で決勝を飾った相手だとか」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは頷いた。

 

「ああ。あの時の事は今でも鮮明に思い出せる。あの時――敗北の恐怖を味わわせてくれた男だ」

 

「――そうとも。そして、俺は初めて敗北を味わった。お前の手でな」

 

 獰猛な笑顔をブレインが向けてくる。それにガゼフは微笑み返した。もしかすると、同じような笑みを浮かべているのかもしれない。

 その笑顔をお互いに見て――噴き出した。ガゼフだけでなく、ブレインまでも。

 

「ふ――ふふ――久しぶりだな、ストロノーフ」

 

「ああ、久しぶりだ、アングラウス」

 

 笑いながら、互いにようやくきちんと言葉を交わす。奇妙な感情がそこにあった。ガゼフは何故か安心する。きっとブレインも、ガゼフと同じような気持ちを相手に抱えてくれていたのだと気づいて。

 そう――即ち、ライバルである。

 

「冒険者になったと知った時は驚いたぞ。今までどこで何をしていたんだ?」

 

 ガゼフがそう訊ねると、ブレインは言い辛そうな表情で言い淀む。

 

「ああ……その、剣の修行兼ちょっとした用心棒をな」

 

「ふむ」

 

 ブレインの実力ならどこでも用心棒として務まるだろう。ただ、王国貴族の中で雇われたわけではない、というのは分かる。もし貴族に雇われていたのなら、ガゼフとブレインはもっと早く再会していただろうから。

 

「カルネ村の一件の後、別の依頼で遭遇しまして――意気投合して組もうってことになったんですよ」

 

「ああ、そうだ」

 

 アインズの言葉にブレインが慌てた様子で頷いた。それにガゼフは驚く。

 

「なんと、なら俺とも再会する可能性が高かったわけか。惜しいことをした」

 

 そうだ。もし再会出来ていれば――

 

「惜しいこと?」

 

 ブレインの言葉に、ガゼフはついぽろりと本音が零れる。

 

「ああ。もしよければ――戦士団に入団してくれれば、と」

 

 言った後に気がつく。冒険者になっている者に、その発言はまずい、と。二人はコンビを組んでいるというのに、これではブレインの引き抜きになると気がついたからだ。ブレインが断っても、了承してもどちらにしろ角が立つという事に気がついてしまった。

 

 しかし、二人はまったく気にした様子がなかった。それよりも、面白そうなものを見る目でブレインはガゼフを見ている。

 

「そりゃつまり、俺に部下になれってことか? ふふ――舐められたもんだな、俺も。俺がお前に従う時は、俺と再戦し、お前がもう一度勝った時だ」

 

「――――」

 

 ブレインの言葉に、ガゼフは驚く。それは、ブレインはガゼフの部下になってもいい、と思っている事。悪い気はしない、という好意に他ならないからだ。

 

「好きにすればいいんじゃないか?」

 

 思わずアインズを見ると、アインズは気にせずブレインにそう言っていた。つまりアインズも、ブレインが引き抜かれてもいい、と口にしているのだ。

 それはブレインが抜けても問題無い、と思っているのか。あるいは、ブレインの意思を尊重しているのか。ガゼフの知るアインズの性格ならば、なんとなく後者の方が正解に近い気がした。

 

「ああ――俺はお前ともう一度戦いたかった。あの日、あの時から――俺はずっと、お前に勝ちたいとそう思っていたんだ」

 

「――――」

 

 ブレインの研ぎ澄まされた剣気が、ガゼフへと刺さる。その気配に、ガゼフは息を呑んだ。

 この高揚感を覚えている。ああ、そうだ。あの時も、ブレインと対峙した時、ガゼフはこのような気分に――

 

「まあ、今は戦士長殿は戦争に行かなければならないのだから、ブレイン。お前と戦う暇は無いだろうが」

 

「――――」

 

 ついその気になっていた気持ちに、アインズの一言で冷静さが戻って来る。ガゼフは頭を少し振って気分を入れ替えると、ブレインを見た。

 

「アングラウス。許可も出たことだし、もしよければ――」

 

「ああ、ストロノーフ。今回の戦争が終わった後、すぐ再戦だ。その時、俺に勝てたら冒険者止めてお前の部下になってやるよ」

 

「――ああ。そしてお前が勝ったら、遠慮なく周辺国家最強の座を持って行け」

 

「二言は無いな」

 

 ギラリ、とブレインの視線がガゼフに刺さる。ガゼフは力強くブレインに頷いた。

 必ず、帰って来よう。ここに。約束を果たすために。

 

「――さて、それではせっかくだから世間話でもしていきますか?」

 

 アインズの言葉に、二人の空気が正常に戻る。ガゼフはアインズの言葉に頷いた。

 

「ああ。今までどんな冒険をしてきたか気になるな。色々と話してもらえないか」

 

「おう、いいぜ。とは言っても俺らそれほど冒険してねぇんだけどな」

 

 ブレインの言葉に何故かアインズの気分が沈んだ気がする。それに首を傾げるが、ブレインはそんなアインズを笑っていた。

 

「ああ、そういえばなガゼフ。以前帝国のフールーダが俺らを訪ねて――」

 

 ブレインが告げた言葉に、その時ガゼフはなんとも言い難い感覚を受けた。だが、ガゼフにはそれを言葉という形にして告げる事が出来ない。政治的思考に疎いガゼフは、この情報から今回の戦争に結びつける事が出来ないのだ。

 しかし、ガゼフを責める事は誰にも出来ないだろう。何故なら、普通教わった事以外は覚えられないのが人間だ。王国は腐敗が進み、一人一人の人間もまた身体だけでなく頭もとっくに膿んでいる。ましてや平民出身のガゼフがラナーのように僅かな情報で今回の顛末(・・・・・)を予測出来ると思う方がおかしい。例え、ラナーが異常なほどに、おぞましいほどに狂っていると言えるほど優秀な頭脳を持っているとしても。

 もし仮に、この場にレエブン侯がいれば違った結末になったかもしれない。少なくともレエブン侯であれば、アインズ達の話からアインザック達に、そこから更に死の宝珠について辿り着けただろう。

 だが、アインズ達はフールーダに会った。ガゼフはそれを聞いた。それだけで話題は切れてしまい、別の話題に移行してしまった。

 よって、レエブン侯が全てに気がつくのはこの戦争の後になる。

 それを、きっと彼は未来永劫後悔する事になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ――約束の日、常にアンデッド達と霧で覆われているカッツェ平野は、例年通り晴れていた。

 対カッツェ平野駐屯基地にて、六万の軍勢、皇帝のジルクニフと四騎士に皇帝直轄の近衛隊、フールーダの用意した兵士達(・・・・・・・・・・・・・)が集まっている。何故なら今回は本格侵攻。王国を攻め落とすために来ているのだ。気合いの入れようが違う。

 その駐屯基地のもっとも立派な天幕にて、ジルクニフと四騎士の内の三人、将軍達とその護衛が集まり会議を開いていた。

 

「さて、お前達。今回の最終目的は当然理解しているな?」

 

 ジルクニフの言葉に、将軍の一人が頷く。

 

「勿論です、陛下。作戦内容も全て頭に入れております。必ず期待通りの――いえ、期待以上の働きをしてみせると誓いましょう」

 

 彼は第二軍の指揮官だが、今回は最高指揮官を務める。本来ならば第一軍の将軍である大将軍が最高指揮官を務めるべきであるが、今回彼はここにはいない。

 

「そうか! 連携の練習をした甲斐があったというものだ」

 

 その連携の練習で出た死者の数は少なくないが、それでも今回の作戦において上げる功績を思えば釣りが出るだろう。

 

「ではもう一度確認するぞ。――アレ(・・)をまず突っ込ませた後、数を増やす。その間にガゼフ・ストロノーフがやって来るだろうが、四騎士で妨害。増やし切ったら思う存分アレと戦闘させてもかまわない――そうだろう?」

 

「その通りです、陛下」

 

 もっとも、ガゼフならば殺し切る、という事もあり得るだろうが瞬殺や秒殺とはいくまい。必ず激戦になる。その間に勝負は決するだろう。

 

「他の軍勢にはあの四体を差し向ければいい――ふむ。なんとも楽な仕事だな。我々が一番気にかけなくてはならないのが、同士討ちというあたりが少々厄介だが」

 

「大丈夫でしょう。パラダイン様は今もきちんと制御しておられる」

 

「まったくだ! いや、いい拾い物をしたものだよ!」

 

 ジルクニフは朗らかに笑った。何故なら、本当にいい拾い物であったからだ、死の宝珠は。

 そしてジルクニフはひとしきり笑った後、全員を見回す。

 

「さて――もう一度、口を酸っぱくしていっておくが、今回略奪は無しだ。どんな小さな村であろうと見逃せ。もし誰かやった場合はかまわん。首を斬れ」

 

「はっ!」

 

「その後のための布石だ。いいな? 絶対に略奪や虐殺の類はするな。やった奴は誰だろうとかまわん、殺せ」

 

 そう――その後の王国統治のための布石だ。本来ならば補給やストレス解消のために末端の兵士達がそういった事をしていても、ある程度は無視するべきなのかもしれないが今回は絶対にそれをさせない。させるわけにはいかない。

 王国が補給させないために自分の領土の村を焼いて回った――どうぞご勝手に。好きなだけするといい。

 それをすればするだけ、困るのはアチラである。

 

「……エ・ランテルで籠城させるのが目的ですが、もし冒険者達を徴兵して出したらどうしますか? その、ガゼフ・ストロノーフ級が追加で二人増えると、さすがに難しいと思うのですが」

 

「ああ……」

 

 もしこの作戦に問題があるとすれば、王国が躍起になり冒険者達を戦争に駆り出す事だ。特にアインズとブレインを出されれば苦しくなる。しかし――

 

「何の問題もないとも。その場合は、エ・ランテルに攻め込む必要はあるまい? 周りをゆっくり落としていこうではないか」

 

 わざわざ馬鹿正直に攻城戦をする必要はない。フールーダを初めとした魔法詠唱者(マジック・キャスター)達を使い、定期的に飛行呪文で超高度の空から魔法でも石ころでも降らせておけばいい。

 そうして彼らが困っている間に、ゆっくりとこちらは周囲の都市を落とす。三つも落とせば補給もままならなくなり、一ヶ月もしない内に備蓄が尽きて降伏せざるを得なくなるだろう。そもそも、エ・ランテルは城塞都市として今までほどの堅牢さを持っていない。例のアンデッド事件のせいで、人手という意味ではまだ復興しきれていないのだ。城壁は最優先で修復したであろうが、人はそうはいかない。もしかすると、正面からでも行けるかもしれないほどに。

 

「なんだったら、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を何人か使ってトブの大森林から、魔物達をわざと引っ張ってきてもいいしな」

 

 そして、王国軍に突っ込ませる。向こうは大混乱になるだろう。

 エ・ランテルに逃げ込み、持久戦を挑めば勝てる――などという事はない。王国軍は帝国軍をカッツェ平野に押し込もうと躍起になるであろうが、そのような事を許すものか。

 こちらの備蓄が尽きる前に、王国軍は降伏させる――そのための布石は既に打ち、作戦も立てた。フールーダ達は必ず、うまくやるだろう。

 

「――というわけで、連中とまともにやり合う必要は無い。そもそも、冒険者組合の連中が動く可能性の方が低い、と俺は見ているぞ」

 

 ジルクニフとしてはそう考えていた。今までエ・ランテルの冒険者組合の情報を探らせていたが、彼らは国同士のいざこざに関わる事を嫌い、確実に動かないだろう。

 ガゼフを差し向けて無理矢理徴兵――というのもなくはないだろうが、それもやはり可能性が薄いと見ていた。というのも、肝心要のアインズが動きそうにないからである。

 アインズ・ウール・ゴウン。エ・ランテルに拠点を置くアダマンタイト級冒険者。調べてみたところ、彼は王国に対しての忠誠心が薄い、というよりも皆無である。それは同じチームのブレインも同様だ。彼らはそういうのを嫌う傾向さえ見えた。

 アダマンタイト級冒険者は、数多の冒険者達の花形であり指標である。それが動かない、と言えば彼らは梃子でも動かないであろう。王国の貴族達は腹を立てるだろうが、さすがに内部で殺し合ってまで徴兵はしないに違いない。それでは本末転倒である。

 

「ははあ……それならば、無駄な犠牲も減りますな」

 

 将軍は納得したらしく、ジルクニフに礼を言って頷いた。ジルクニフも満足気に頷き、天幕の外に視線を移し、立ち上がった。

 

「――――さて」

 

 ジルクニフは部下達を見る。頼もしき、部下達を。これからジルクニフの語る覇道に付き従い、共に歩む者達を。

 

「開戦の時だ。()くぞ、お前達――」

 

 天幕の中に、ジルクニフを王と崇める者達の声が響き渡った。

 

 

 

 戦争が、始まる。

 

 

 

 

 




 
アインズ様と会った謎の男「布石は打っておきました」
王国貴族達「俺達は死なねぇー!」
ラナー「分かり切った結末のために知恵なぞ貸すはずないでしょう?」
ガゼフ「フールーダが二人を訊ねたらしいがただの世間話だな!」

レエブン侯「ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )」
 

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