マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

12 / 22
 
■前回のあらすじ

レエブン侯かわいそう……。
 


The Bloody Tyrant Ⅱ

 

 

 カッツェ平野の赤茶けた大地のなだらかな丘に、王国軍と帝国軍は展開し睨み合っていた。

 王国軍の数はおよそ十五万ほどの大軍であり、対する帝国は六万。数の上では圧倒的に有利だ。

 しかし、どれほどの数を揃えようとこの世界はたった一人の英雄で全て覆す事の出来る、一騎当千の世界。疲労がなければ一〇〇人の戦士がガゼフと戦ってもガゼフの勝利は揺るがないように、農民が幾ら集まっても専業騎士である帝国の騎士に勝つのは難しい。

 だからこそ、王国はいつも数の暴力を最大限に活かせる陣形で戦ってきた。そして帝国はその陣形に向かって、正面から軽くぶつかるか、あるいはその前を通って撤退するだけで済ませてきた。

 何せ、帝国の目的は農民を戦場に引き摺り出し、作物の収穫時期を台無しにする事。そして王国の備蓄を無駄に使わせて国力を衰退させる事だ。わざわざ金も手間もかかる専業騎士を無駄にするような事をするわけがない。

 

 多くの王国貴族達が、今回もそうした動きで終わると信じていた。それがいつもの流れなのだから。

 ――しかし、ここに今までの情報から、帝国の動きをちゃんと読めた男がいる。

 

「レエブン侯」

 

 本陣にて、レエブン侯に話しかけてきた男はかつてレエブン侯の領地にある村で、ゴブリン達に襲われた際にその半数程度の村人で彼らを撃退した勲を上げた平民。今はレエブン侯に気に入られ、レエブン侯にとっての軍師として召し上げられた男だ。

 その軍師が話しかけた事によって、レエブン侯は耳を傾ける。

 

「どうしたのかね?」

 

「今回、帝国は本気――という事ですね?」

 

「うむ。おそらくは、だが」

 

 レエブン侯は軍師としての彼に、全幅の信頼を置いている。勿論、一番信頼している部下は元オリハルコン級冒険者達だが、指揮官としては彼の右に出る者はいないと思っていた。だからこそ、現状や政治的事情をある程度は伝えてある。

 だからこそ、彼はレエブン侯に告げた。

 

「帝国が本気だと言うのなら――陣形が今までと違う可能性があります。歩兵を後ろに下げられませんか?」

 

 今まで王国軍は槍衾の形に軍を展開しており、農兵達に六メートルもの長槍を持たせて帝国軍の初手にして唯一の、重装甲騎馬兵達による突進を防いでいた。帝国軍は今までそうして農兵達の目の前を通り過ぎ、撤退していくだけに務めていたのだ。

 だが、今回はそれだけで終わらないとなると――歩兵である農兵達を前線に出すのはまずい。そのような密集地帯、弓兵達で狙ってくれと言っているようなものだ。

 そう告げられたレエブン侯は、しかし首を横に振る。

 

「おそらく無理だろう。他の貴族達が納得するまい」

 

 他の貴族達は能天気なもので、今回も例年通りだと疑っていない。帝国が六万の軍勢を率いている、と言っても意識改革を出来ないだろう。さすがのレエブン侯でも、彼らを納得させられるとは思えなかった。下手をすると、その時点で王国軍は瓦解するし――敵が例年通りの行動をしてきた場合、弓兵達だと突進を防げない。

 

「なら、せめて追撃を避けるために両翼は騎馬兵で固めて下さい。エ・ランテルに撤退する際に追撃されると、確実に全滅してしまいます」

 

 騎馬兵はそれほどに恐ろしい。中央と両翼、全てを歩兵にして今まで通り騎馬兵や弓兵を下げていると、エ・ランテルに撤退する際に追撃された場合、歩兵が全滅する危険性がある。そうなればエ・ランテルに逃げてもほぼ壊滅した軍では籠城戦も出来ないのだ。

 レエブン侯は軍師の言葉に頷く。

 

「分かった。では、何とかボウロロープ侯を説得しておこう」

 

 騎馬兵はその性質上、金が非常にかかる。そのため財産を持っている貴族ほど、多くの騎馬兵を持っていた。一番持っているのはブルムラシュー侯であるが、今回の戦争には参加していない。ボウロロープ侯がもっとも所有する騎馬兵が多いだろう。彼に話を通しておく必要がある。

 

「ありがとうございます」

 

 軍師は頭を下げ、礼を言う。レエブン侯はボウロロープ侯への伝令を出した。

 そして――カッツェ平野で陣形を整え始める段階になり、彼らは自分達の予感が正しかった事を知る。

 

「……弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、前線(・・)だと……!?」

 

 いつもならば帝国軍の前線は重装甲騎馬兵だ。しかし、帝国の陣形は全く違った。おそらく付近の駐屯基地から隊列を整えていたのであろう、既に完璧な陣形を保っている。中央の前線には弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)がおり、両翼に騎馬兵が並んでいた。見えないが、おそらく歩兵は後ろだ。

 対する王国軍は中央の前線が長槍を構えた歩兵である農兵、両翼に騎馬兵。弓兵は後ろである。しかも少しばかりごたついていた。

 だが、何よりも目を引いたのは――

 

「鮮血帝……!」

 

 帝国の皇帝であるジルクニフが、そこにいる。王国軍と同様に、ランポッサ三世がいるようにジルクニフもまた戦場に来ていた。本陣で帝国軍と王国軍を微笑みを浮かべて睥睨している。

 かつて、ジルクニフがこの戦場に出たのは一度のみ。その時はガゼフを部下にと誘っていたようだが――今回は当然、そんな目的のためではないだろう。

 

「まずい……! まずい、まずい……!!」

 

 レエブン侯は慌てて、最終勧告をする使者に声をかける。

 

「いいか! なんとか時間を稼げ! 無様でもなんでもいい! 死ぬ気で、我々の陣形が整うまでの時間を稼ぐのだ!」

 

「はっ!」

 

 使者は青い顔で頷き、両軍が睨み合う中央に帝国軍の使者が出て来るのを見て急いで去って行く。レエブン侯は慌てて軍師に声をかけた。

 

「どうする!? 動かすか!?」

 

「……駄目です! おそらく、向こうはすぐに開戦します! 前線の歩兵の半分は捨てましょう! 残りの歩兵の半分は下げて、弓兵を前に出すようにして下さい!」

 

「分かった!」

 

 軍師の言葉に頷き、急いで陣形を整えようとする。出来れば間に合って欲しかった。

 しかし当然、帝国軍が待つはずがない。

 

「――これ以上の問答は無意味ですな」

 

 帝国軍の使者がそう言葉を切り、踵を返す。時間は稼げない。そんな暇など与えない。全てをにべもなく切り捨て、王国軍の使者が苦い顔をする。

 そして――戦争が始まった。

 

 

 

 まず動いたのは帝国軍の前線にいた弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。弓を引き絞り、矢を放つ。〈火球(ファイヤーボール)〉が放たれる。

 そして王国軍の前線は、何も出来ずいとも容易く崩壊した。

 重い武器を持っている農兵達に出来る事なぞ何もない。彼らは矢に穿たれ死ぬか、あるいは広範囲攻撃で炎に巻かれて焼け死んだ。

 崩壊する前線を見ながら、王国軍では怒声が響き渡っていた。

 

「最前線は捨てろ! 弓兵達を早く前に出すんだ! 両翼の騎馬兵は帝国軍の両翼を警戒しておけ!」

 

 襤褸布のように死んでいく農兵達を放置し、急いで王国軍は陣形を変える。その間に幾つもの矢が、魔法が前線に撃ち込まれ人が死んでいった。

 だが彼らの死を無駄にしない。何とか彼らが囮になっている内に弓兵達を前に出し、対抗するように弓を引き絞り矢を放つ。王国軍にまともな魔法詠唱者(マジック・キャスター)はいないため、その抵抗は随分としょぼくれていたが。

 

 そうして遠距離戦をある程度行い、帝国軍は目的の数を減らせたと思ったのか――弓兵と魔法詠唱者(マジック・キャスター)が前線から下がる。代わりに、歩兵が出て来る。しかし――

 

「え?」

 

 その疑問の声は、一体誰の声であったのか。歩兵達よりも少し前に、歩兵を引き連れるように歩いているそれに、彼らは目が釘付けになる。

 それは、黒い鎧を纏っていた。片手には人の大きさほどもあるタワーシールド、もう片手には捻じれた奇怪な剣であるフランベルジェ。兜の隙間から見える瞳は赤く染まっており――見える肌は不浄であった。

 そう、不浄だ。だって腐っている。確実に生きていない。

 

 アンデッドだった。

 

「――――」

 

 誰かの生唾を飲み込む音が王国軍で響いた。その、騎士の格好をしたアンデッドは弓兵と歩兵の間に隠れて見えないようにしていたのか、今までさっぱり姿を見つける事が出来なかった。

 騎士のアンデッドは唸り声を上げながら、歩兵を引き連れて前進してくる。いや、歩兵だけではない。

 

「……なんだあれ?」

 

 呆然と、誰かが声を上げる。その声の主はそれを一度も見た事が無かったのだろう。だからこそ間の抜けたような声を出したし、それがこの戦場にいる致命的な意味を理解出来ていない。

 そして理解出来てしまった者は――絶望した。

 

「畜生! ふざけるな! なんて奴らを持ち出してきてやがる!!」

 

 悪態をつきながら、レエブン侯の親衛隊である元オリハルコン級冒険者チームが叫ぶ。そう、彼らはあの騎士のアンデッドは見た事がないが、他の四体の影は見た事があった。

 

「――あれは、なんだね?」

 

 だからレエブン侯は訊ねる。それに、忌々しげな表情を隠しもせず、叫ぶようにチームのリーダー、聖騎士ボリスが答える。

 

「レエブン侯……あれは、あれは――レイスです!」

 

 レイス、というアンデッドがいる。魂を歪ませる能力を持ったそのアンデッドには、ある特徴があった。

 それは――実体を持たない、という事。非実体である彼らには普通の物理攻撃はほとんど通用しない。――そう、通用しないのだ。

 魔法の力のこもった、特殊な武器などでなければ。

 

「――――」

 

 それを聞いて、レエブン侯は絶句する。この場でそんなモンスターを出すという、致命的な意味を。

 王国軍に専業戦士はほとんどいない。この軍の構成員のほとんどは平民だ。

 そんな彼らが、魔法の力がこもった特殊な武器なぞ持っているはずがない。そもそも、専業戦士達でさえ持っていないのに。

 つまり、対抗手段がほぼ無かった。そんなアンデッドを四体――狩り放題(・・・・)である。

 

「ふ、ふ、ふ……ふざけるな!」

 

 思わず、レエブン侯は怒号を叩きつける。帝国軍を忌々しく睨みつけた。

 

「レエブン侯! 俺達を行かせて下さい! 一体ずつ、順番にレイスを狩ります!」

 

「頼めるか!?」

 

「もちろ、ん――」

 

 言葉が途中で途切れる。レエブン侯も絶句した。前進する帝国軍の歩兵達。その中央で先を歩く見知らぬ騎士のアンデッドと、等間隔で別れるレイス達。

 そして、歩兵の中から空気が明らかに違う騎士達が出て来た。

 

「……四騎士」

 

 帝国最強の四人の騎士達。その実力はオリハルコン級以上とされている。その四人が歩兵の中から突出して出て来て、まるでレイスに付き添うようにそれぞれ別れていく。一体につき、一人というように。

 

「……糞! 護衛かよ……!!」

 

 その意図は明白だった。レイスが狩られないための護衛としか考えられない。それに元冒険者チームの一人、盗賊のロックマイヤーが苛立たしげな声を上げる。

 

「連中、一体どこからアンデッドなんか連れて来やがったんだ……!?」

 

「――――」

 

 そう、それが疑問だった。騎士のアンデッドと、レイス四体。だが心当たりはある。そんなものを操れるような凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、世界に一人しかいないだろう。

 

「フールーダ・パラダイン……」

 

 おそらく、あの五体は逸脱者の操るシモベだろう。なんという事か。フールーダの魔力は、あの恐ろしいアンデッド達さえ操るほどの力を持っていたというのか。

 

「――――」

 

 レエブン侯は必死に、目まぐるしく戦場を見渡す。しかし、その影は見えない。

 

「お前達! あの逸脱者の姿は見えるか!?」

 

 レエブン侯の言葉に、彼らも探すが見えなかったのか首を横に振った。その事実に全員が絶望的な声を上げる。

 

「糞が! 唯一の突破口は当然、潰してるって事かよ……!」

 

 戦場の死角にいるか、あるいはそもそも戦場に来ていないか……。操作主のフールーダを潰すという当然の突破口は、当然潰されていた。

 

「しかし、あの騎士のアンデッドは何なんだ?」

 

 誰もが、見た事のない騎士のアンデッドに首を傾げる。もはや帝国軍のアンデッドと歩兵達は王国軍の前線兵士と接敵するだろう。そして、その疑問はすぐに晴れた。どうして、あの騎士のアンデッドがこの場にいるのか、という疑問は。

 

「――――」

 

 一閃。いとも容易く、騎士のアンデッドは王国軍の前線を潰していく。その剣閃の速さは王国軍の専業戦士達以上であり、おそらく元オリハルコン級冒険者チームの誰よりも速いだろう。

 そう――ガゼフと同じくらいではないか、と思えるほどに。

 

 騎士のアンデッドは王国軍の最前線で暴れ回る。最前線を徐々に削っていくように、レイスとそれに付き添う四騎士が広範囲に広がって兵士達を斬り伏せていく。歩兵達が蹂躙していく。

 そして、変化はすぐに訪れた。騎士のアンデッドが殺した死体が、立ち上がっていく。唸り声を上げて。口から血を、傷口からは内臓をこぼして。

 

「――――」

 

 その様子に王国軍は絶句した。騎士のアンデッドに斬り殺された死体が立ち上がり、そして元仲間であった王国軍の兵士達に襲いかかる。兵士達は悲鳴を上げた。しかし、ゾンビに勝てるはずもなく、殺される。増えた。

 そう、増えていく。騎士のアンデッドが殺す度ゾンビが増え、そのゾンビが更に人を殺してそれもまたゾンビになる。なっていく。

 

「――――」

 

 そのおぞましさに、吐き気を催した。

 

「レエブン侯!」

 

「――――」

 

 いつの間に近くまで来ていたのか、軍師がこちらまで来ている。彼は慌てたようにレエブン侯にすべき事を告げる。

 

「戦士長様をあの騎士のアンデッドにつけて下さい! あんな化け物がいては、王国軍は確実に壊滅です! それから急いでエ・ランテルへ撤退します! 撤退準備をする時間は、前線にいる歩兵と弓兵を捨てる事で稼ぎます! そして早馬で、エ・ランテルにいるバルブロ王子と五千の兵をこちらに援軍として向かわせて下さい!」

 

「――分かった!」

 

 レエブン侯は頷き、周囲に聞こえるように声を張り上げた。

 

「聞こえたな、お前達! 撤退準備をしろ! それから戦士長殿に話をつけにいけ! 急げ! 時間との勝負だぞ!!」

 

 

 

 ――そして、ガゼフはそのアンデッドと相対した。

 

「――――」

 

 一目見た時から、ガゼフにはこのアンデッドの強さが分かった。おそらく、自分と同格であろう、という事が。

 更にあのアンデッドを増やす能力。絶対に、ここで退治するしかない。これをそのままにしておけば、王国軍はエ・ランテルまで辿り着ける前に敗北する気がしてならない。

 

「――――」

 

 何故か、邪魔は入らなかった。一人突進するガゼフを、混乱した最前線の戦場で襲う者は誰もいない。帝国の騎士達は王国の農兵達を殺し回り、レイス四体も同様だ。四騎士はレイス達に付き添っていて、ゾンビ達もまたガゼフに頓着せず農兵達を襲っている。

 だから、ガゼフはまっすぐに騎士のアンデッドのもとへと辿り着けた。

 

「――――」

 

 ガゼフと騎士のアンデッドの剣戟が始まる。それはまるで激流と濁流。どちらがどちらなのか、その区別もつかないままに両者の間で閃光が煌いた。

 ここに、表世界(・・・)最高峰の戦いが幕を切ったのである。

 

 

 

「撤退準備、完了しました!」

 

 しばらくして、部下達がレエブン侯のもとへと集まって来る。最前線はアンデッド達の手で完全に崩壊していた。ガゼフは未だ、騎士のアンデッドを倒せていないが足止めだけは出来ている。

 

「よし! 総員、撤退するぞ!」

 

 その声と共に、本陣が後退していく。エ・ランテルまで急いで戻り、籠城の準備をしなくてはならない。最初にランポッサ三世の兵士達が、続いてレエブン侯を初めとした六大貴族の内、参戦していた四者の兵士達。続く大貴族――その後に追撃を防ぐための騎馬兵達だ。

 徴兵した農民達や、末端の貴族達やその兵士達は完全に捨てるしかない。もとよりまともな統率の取れていなかった王国軍だ。それも当然であろう。彼らは帝国軍の囮となってもらい、殿を引き受けてもらう。

 

「戦士長殿に〈伝言(メッセージ)〉で引くように伝えろ! 急げ!」

 

 レエブン侯の部下にはきちんと魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるため、距離の離れた人間に言葉を届ける事が出来る。この類の魔法は滅んだ国がある事もあって、あまり信用されていないのだが今回は別だ。ただ一言告げるだけでいい。ガゼフは早々に撤退するだろう。ガゼフ一人ならば、おそらくあの騎士のアンデッドから離脱出来るはずだ。

 

「急ぐのだ! エ・ランテルまで――援軍と合流するまで……!」

 

 エ・ランテルに帰還した後は、急いで王都や周辺都市に援軍を送るように早馬を出さなくてはならない。相手は帝国軍なのだ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいる以上、籠城戦も長くはもたないかもしれない。まして、エ・ランテルは完全に復旧もしていない。

 援軍はひたすらに速く。そして持久戦を敢行する。カッツェ平野がもとの死の大地としての姿を取り戻す前に、帝国軍は勝負を決めに来るであろう。カッツェ平野がもとに戻るまで、なんとか軍をもたせるしかない。それ以外に勝ち目はなかった。

 

 王国軍は敗走する。ガゼフも無事に撤退した。出来てしまった。帝国軍は無理に追わない。それが不気味ではあった。

 

 

 

「――――ふむ」

 

 ジルクニフは最後尾の本陣で、用意されていた椅子に座ったまま、開戦以来一度も動かなかった。動く必要が無かった。

 

「陛下」

 

「ん? 帰ってきたか」

 

 四騎士達がレイスを連れてジルクニフのもとまで帰って来る。四騎士の一人――“雷光”のバジウッドは更に騎士のアンデッド……デス・ナイトを連れていた。

 

「ご苦労だったな、お前達。素晴らしい戦果だったぞ」

 

「はい」

 

 全員が頭を下げる。その様子を横目で見ながら、再びジルクニフは自らの軍を、騎士達を見る。将軍が乱れた陣形を整えており、再び綺麗な陣形が出来上がっていっていた。

 

「陛下、それではこれからの予定は作戦通りに?」

 

 “重爆”のレイナースの言葉に、ジルクニフは頷く。

 

「当然だ――と、言いたいところなのだが……王国もやるじゃないか。てっきり俺は、いつも通り槍衾の陣形で来ると思っていたぞ。まったく、信用していたというのに」

 

 それならば、騎馬兵は両翼ではなく歩兵の後ろ……本陣の近くであったはずだ。その場合は撤退中に更に追撃して、王国軍を壊滅させてやる予定であったのだ。

 だが、王国軍は両翼にちゃんと騎馬兵を並べていた。これでは、追撃してもこちらの被害も大きくなる。追撃は中止せざるを得ない。

 

 王国の無能を信用し裏切られた、とおどけるジルクニフにその場の部下達が失笑する。

 

「では第二プランに移行する。まずは増やしたゾンビどもを片付けろ。それから、五日くらいかけて撤退する王国軍にちょっかいをかけながら、ゆっくりとエ・ランテルまで移動しようじゃないか」

 

 まるで王国軍の援軍を待つかのような言葉に、しかしその場の誰もジルクニフの言葉に否定の意思を告げなかった。何故なら、彼らは知っているからだ。王国に援軍なぞ来ない事を。

 ジルクニフは嘲笑する。

 

「――悪いな、王国軍。我々は囮だ(・・・・・)。さて、じいは間に合う(・・・・・・・)かな?」

 

 

 

 

 

 

 ――王国軍は帝国軍に執拗な嫌がらせを受けながらも、何とか無事にエ・ランテルまで二日で撤退した。生きてエ・ランテルまで帰ってこれたのは残しておいたバルブロ達五千の兵士達のおかげである、と言えるだろう。ランポッサ三世がバルブロを守るための、ちょっとした我が儘であったのだがそれがここにきて功を奏した。

 

「……それで、これからどうする?」

 

 籠城戦の準備を整え終わり、貴賓館に集まったランポッサ三世とバルブロ、貴族達。ガゼフも疲労で身体が頽れそうであるが、ランポッサ三世の護衛のために気力で立って控えていた。

 会議の内容は、当然今回の帝国軍についてである。

 

 ここにきて、全員が理解していた。今回の帝国は本気だと。本気で、エ・ランテルを落としに来ている、と。

 

「大体、なんなんだあのアンデッドは!」

 

 その言葉を皮切りに、幾人もの貴族達がジルクニフへの罵倒を吐き出す。当然だろう、まさかあのようなおぞましいアンデッドを戦争に投入してくるとは、誰が思うだろうか。

 しかし、これは戦力としてまともな魔法詠唱者(マジック・キャスター)を編入させていなかった王国の不手際だ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)は召喚系魔法を習得している者もいる。彼らはモンスターを呼び出し、襲わせる事くらいするだろう。

 だから、魔法詠唱者(マジック・キャスター)を軽視し、育成してこなかった王国が悪いのだ。

 

「――そこまででいいでしょう。問題は、いかにここで足止めし、援軍を待つかです」

 

 レエブン侯は貴族達の罵倒を止め、建設的な会話を促す。それに怒りを無理矢理沈めながら、貴族達が口々に意見を言い合う。

 しかし、そのどれもが建設的な意見は出ない。当たり前だ。彼らは長年、本格的な戦争というものについて考えて来なかった。王国内に出るモンスター達の討伐でさえ、今までずっと冒険者組合に任せきりで、まともに動かした事はない。

 そう……明確な死を感じる戦闘を、今までずっとやって来なかった。便利に冒険者組合を使っていたツケを支払う時が迫っている。

 

「とりあえず、エ・ランテル住民は全員徴兵するしかあるまい。まず何より、人手が足りん」

 

 先のカッツェ平野での戦いで、被害はおよそ五万近くに上っている事が判明している。十五万ほどの軍勢の、だ。そのほとんどは平民達であるが、数は力。専業戦士の数が帝国と差がある以上、どうしても多くの数を揃える必要があった。

 しかし、それでも塵を詰めるようなものだろう。訓練もしていないのだ。ただの肉盾にしかなるまい。

 だが、貴族達にとってはそれでよかった。とりあえずは生き残る事が先決なのだ。平民の命なぞ知った事ではない。どうせ、放っておけばまた増えるだろうなどと、気楽に考えている。

 

 だが、どれほど平民を大切に思っていてもその案を蹴る事はこの場の誰も出来ない。でなければ死ぬ。ならば使い捨てる他なかった。例え、なんとか無事に済んでも来年には滅びるだろうと思われても。

 

「人員の補充はそうするとしましょう。さて……足止め方法ですが――」

 

 レエブン侯が司会となって、籠城戦についての激論が繰り広げられる。その途中――

 

「し、失礼します!!」

 

 ドアをノックする音が聞こえ、ランポッサ三世が許可を出す。その男は慌てた様子で室内に入って来た。そして、王族と貴族達にいつものおべっかを使おうとし、時間が惜しいとばかりにランポッサ三世が中断させ説明させる。

 彼は呼吸を整え――信じられない事を告げた。

 

「王都より伝令が届きました。フールーダ・パラダイン及びその高弟、帝国軍騎士達により王都が強襲を受けています。至急、援軍を送って欲しい、と」

 

「なんだとぉッ!?」

 

 その言葉に、室内にいた誰もが絶句せざるをえなかった――

 

 

 

 ――そして、時間は少しだけ巻き戻る。

 

 そこは王国でもっとも華やかな場所、王都。王国が誇る王族達の宮殿、王城ロ・レンテは、いつもの華やかさをしかし失っていた。

 理由は簡単、帝国と戦争をするためにエ・ランテルへと出立しているため、人が少ないのだ。

 だがいつもの華やかさを失っているとは言っても、それは平民が見れば些細であると思うだろう。人が少し少なくなった程度では、ロ・レンテ城の華やかさは翳りを見せない。

 

 その廊下を、城に残った王族の一人であるザナックは歩いていた。傍には使用人が付き従っている。

 

 ザナックの現在の役目は、父親であり国王のランポッサ三世と第一王子のバルブロがいないために、彼らの役目の代役である。ザナックの権限でも大丈夫な草案などに目を通し、整理する。そうした書類仕事に彼は追われていた。

 今は、ちょうど息抜きに散歩をしているところだ。

 そうして、あてもなくふらふらと気の向くままに散歩をしていると、ちょうど前から歩いて来る人物がいた。彼もよく知っている男――妹であるラナーの専属騎士、クライムだ。

 クライムはザナックの姿を目にすると軽く目を見開き、ザナックには分かる程度に顔を歪めていた。あれで分かり易い少年である。自分の事を苦手に思っている事も知っていた。

 なにせ、ザナックの妹でありクライムの主人でもあるラナーを、ザナックは化け物呼ばわりしているのだから。

 ザナックはラナーを化け物だと思っている。あの女は頭がおかしい。人間に許される叡智の持ち主ではない、と。

 しかしクライムは、そんなザナックのラナー観を頑なに拒むのだ。――ラナー様は素晴らしい御方です、と。

 

(まあ、もう何も言うまい)

 

 あの化け物の気持ちも、そんな化け物に騙されているクライムの気持ちも理解出来ない。だからザナックはもはやクライムに何かと目をかけてやるのはやめてやる事にした。それでいつかラナーの本性を知った時、どういった対応をするかはクライム次第であろう。

 

「やあ、クライム。ラナーに会いに行くのかい?」

 

 だから、今は普通に話しかけた。クライムは頭を下げザナックに礼を尽くし、「はい」とザナックの言葉を肯定する。妙に体が硬いが、前にレエブン侯と歩いていた時に遭遇した時、ラナーの件について忠告をしてやったのが効いているのだろう。

 

「そうか。妹によろしく」

 

 そう言って、後は何も言わずすれ違う。クライムは頭を下げて彼が去って行くのを待ち――響いた轟音に、思わず顔を上げていた。

 

「なんだ!?」

 

 唐突に聞こえた轟音に驚く。付き従っていたメイド達は身を竦ませ、怯えていた。ザナックはクライムを見ると、クライムは既に剣に手が伸びていた。

 そして、慌ただしくやってくる城を守護する騎士達。

 

「王子! ここにおられましたか!」

 

 ザナックの姿を見つけ、騎士達は安堵しているようだった。

 

「いったい何事だ?」

 

「分かりません。王子、我々が護衛します。急いでここから離れて――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。城内に響くように、誰かの大声が聞こえてくる。

 

「敵襲―――ッ!! 帝国騎士達が城内に侵入! 城を守れ!!」

 

「――――」

 

 その言葉に、その場にいた全員がぎょっとする。

 

 ――敵襲? 帝国騎士? この王都で? カッツェ平野の戦争は?

 

 そんな疑問がザナック達の頭の中にわくが、すぐにザナックは頭を振ってその疑問を追い出した。

 

「お前達! 急いで他の者達と合流し、連携して城を守れ! 早くしろ!」

 

「は、はい!」

 

「王子!」

 

 ザナックは声をかけてきた者を見る。クライムが頭を下げ、ザナックに断りを入れていた。

 

「申し訳ございません。私は、至急ラナー様のもとへ行かせていただきます……!」

 

「ああ、かまわん。さっさと行って妹を守ってこい」

 

 ザナックの言葉にクライムは再度頭を下げ、急いでラナーのいる部屋まで走り去っていった。その姿を見送り、ザナックも急いで指揮を執るために廊下を進む。

 

「帝国騎士だと? ……一体どこからわいて来たんだ!?」

 

 そうギリィ、と歯軋りをしてメイドとザナックの護衛のために残った騎士を連れてザナックは廊下を進んでいった。

 

 ……もっとも、ザナックがどれだけ奮闘しようと、もはや手遅れなのだが。

 

 

 

 デス・ナイト、と呼ばれるアンデッドモンスターがいる。

 伝説級のアンデッドとして認知されているのだが、あまりにも伝説すぎるために逆に知名度が低いアンデッドだ。おそらく知っているのは法国の上層部など、世界のほんの一握りであろう。

 しかし、この伝説のアンデッドは一〇〇年も昔に還らなくとも発見例がある。それはカッツェ平野だ。居合わせた不幸な者達は帝国騎士達であるが、撤退するだけの力と数を持っていたのは幸運であっただろう。

 後に、そのデス・ナイトはフールーダとその高弟達の手によって捕らえられ、帝都の魔法省地下深くに封印されているのだが――。

 

 そして、知っているのは本当に一部であるが、このデス・ナイトはつい最近にも出現した。王国のエ・ランテルで起きたズーラーノーンの高弟によるアンデッド事件。その際にあるマジックアイテムの手で生み出されたのだ。

 幸いなのか、あるいは不幸なのかとある戦士によってその特徴的な特殊な能力を発揮する前に退治されたが、そのマジックアイテムは最低でも一体のデス・ナイトを召喚・支配する事が可能である。

 

 ――既に詰んだ盤石ではあり、蛇足ではあるがここに記そう。

 

 帝国には一体のデス・ナイトが封印されている。そして、王国ではデス・ナイトを生み出せるマジックアイテムが存在した。

 両者が合わさった時、デス・ナイトは二体に増える。

 

 ……今回の戦争で帝国が出したレイス四体は、フールーダがそのマジックアイテム……死の宝珠を使って呼び出し使役していたものだ。そして、騎士のアンデッド――デス・ナイトは魔法省の地下から死の宝珠の力で支配したもの。

 フールーダは、死の宝珠は、まだデス・ナイトを召喚していない。

 

 更に、今回の戦争にとって重要な事であるが、ジルクニフは王国を支配する気である。だが、そのためにすべき事は無数にあった。

 まず、エ・ランテルを王国から勝ち取る事。エ・ランテルを支配した後は常駐させる帝国軍が必要であり、治安維持に努めなくてはならない。

 そして、それは生半可な事ではない。戦争で勝った土地を占領すれば、その都市民の気持ちは下がる。今までの生活と一変する事を恐れ、疑心暗鬼になり――あるいは奴隷にされる事を恐れて。結果として、パルチザン――都市民のテロリスト及びゲリラ化が引き起こされる。

 これを平定し、都市を支配し――しかしそれで終わりではない。王都に向かうまで、順次続けて行かなくてはならないのだ。そして王国は狭まる領地に王派閥と貴族派閥という分離していた派閥が、ついに結束し協力するようになり――強固になっていくだろう。

 

 この徒労をさせないための手段が一つある。

 それを達成するための条件の一つが――電撃戦による、王都の支配化であった。

 

「――――」

 

 ブルムラシュー侯の手によって、フールーダとその高弟数人、そして帝国の大将軍とその部下三〇〇名――それが王都へと密輸されていた。

 フールーダの手によって、ほぼ無防備な王城に一体のアンデッドが現れる。

 黒い鎧、大きな盾、奇怪な剣――デス・ナイトが。

 ここにガゼフはいない。ブレインもいない。アインズもいない。

 

 こうして、王城は満足な抵抗も出来ず、瞬く間に抑え込まれる事となったのだ――。

 王城にいる王族や貴族、王都に残っていた貴族達も瞬く間に取り押さえられる。ザナックは抵抗出来ぬ状態で、奥歯を噛み締めた。

 

「――さて、諸君」

 

 帝国の大将軍が口を開く。その背後にはおぞましい騎士のアンデッド――デス・ナイトとそれに殺されゾンビと化した王城の騎士達、フールーダがいた。高弟数人と三〇〇人の帝国騎士達は王城の周囲を囲っているため、ここにはいない。

 

「取引と行こう。我々に協力し、兵を出してエ・ランテルまで向かってくれるのならば命だけは助けてもらえるよう皇帝陛下に嘆願してあげよう」

 

「――――」

 

 その言葉に、周囲の貴族達がざわめく。自らの貴族としてのプライドか、あるいは命かを相談しているのだろう。

 だが、冷静に考えればその取引に従えるはずがない。ザナックは忌々しげに顔を歪めた。

 

(ふざけるな! そんな真似をしても、あの鮮血帝が助けるものかよ……!!)

 

 ジルクニフは帝国内の貴族達を軒並み、何かと理由をつけて粛清した過去がある。そんな男が、王国の邪魔な貴族達を生かすはずがない。

 だが、ここは王国である。そんな事が分かるような貴族達ならば――そもそも、ここまで王国は腐らなかった。

 

「――私は協力しよう」

 

 ざわり、と空気がさらに動いた。手を上げたのはブルムラシュー侯だ。六大貴族の一人であり、長年帝国に情報を売り渡しているのではないか、と決定的な証拠は無いながらも疑われていた貴族である。

 

(……まずい!)

 

 ザナックは悟る。これはサクラだ。おそらく、互いに一連の流れを取り決めていたに違いない。

 ここで六大貴族の一人が協力を約束したとなると――当然、次に手を上げる者は抵抗が少なくなる。何故なら、あの六大貴族の一人が帝国に下ったのだ。自分達も大丈夫――となるのが、人の心理である。

 

「わ、私も協力しますぞ!」

 

 続いて、リットン伯が慌てて手を上げた。六大貴族の一人ではあるが、ボウロロープ侯の腰巾着でもある男。これで六大貴族の二人が手を上げた事になり――必然、全員が手を上げても貴族達の心理的に問題が無くなった。

 

「…………」

 

 次々と上がる手に、協力を約束していく貴族達をザナックは絶望的な表情を浮かべて見る。帝国の大将軍は満足そうに頷いた。

 

「なるほど。では、全員協力をしてくれると言うことで――」

 

 続いて、大将軍が軍の編成を語り、エ・ランテルの間にある都市についての扱いを述べる。当然、全て抑える。その領地の主である貴族達を取り押さえ、人質に取る。

 そして、ザナックは捕らえられた状態で馬車に乗せられ、運ばれていく。エ・ランテルへと。

 おそらく、ザナックだけではなく第一王女や第二王女、あのラナーも捕らえられて同じような扱いを受けているだろう。

 ここに至り、助かる道は一つしかないとザナックは悟った。

 

 ザナックは願う。どうかエ・ランテルにいる本軍が、帝国軍に勝利してくれているように、と。そして出来ればバルブロが死んでいてくれるように、と。

 ザナックが助かる手段は一つしかない。人質交換だ。本軍が帝国軍に勝利していてくれれば、要人の人質交換としておそらく幾らかの金か何人かの人と交換してもらえる。そうすれば助かる。

 

 だから、ザナックはひたすら祈り続けた。馬車で揺られながら。万に一つも起こる確率が見当たらない、奇跡を。

 

 

 

「――どうして、止めたの?」

 

 ラキュースは王都の宿屋の自室で、ぽつりと仲間に呟いた。

 

 ……ラキュースは先程まで城にいた。友人であるラナーと会うためだ。

 そうしてラキュースとラナーが会話をしていると、轟音が響き――クライムが慌てて部屋へと来たのだ。帝国騎士達が王城を襲撃している、と。

 それを聞いて、ラキュースは飛び上がりそうなほどに驚いた。ラナーも瞳を見開いて驚いていた。すぐに避難しよう……そう告げたクライムとラキュースにしかしラナーは首を横に振る。

 

 ――抵抗してはなりません。抵抗すれば、おそらくその分だけ民が死ぬでしょう。そう告げて。

 

 帝国騎士達が部屋に雪崩れ込んだ時も、決してラナーは抵抗しないように、としかクライムと自分に告げなかった。ラキュースはその場では、見ている事しか出来なかった。あの場の帝国騎士達くらい、クライムと協力すれば二人でもラナーを守りながら突破出来たはずなのに。

 ラナーは、抵抗してはいけない、と告げて逃げる気配が無かった。

 

 優しいラナー。慈悲深いラナー。自らの親友。民を想い、クライムを想い、ラキュースを想って決して抵抗する事無く自らの身体を帝国騎士達に差し出したラナー。

 悔しかった。何も出来ない事が。逃げる気のない護衛対象を連れて逃げる事は出来ない。あの場に全員がいたのなら、ラナーを無理矢理逃がす事も出来ただろうが、それは出来なかった。

 ……そして、帝国騎士達はラキュースを捕らえる事はしなかった。理由も教えてもらった。

 

 ――冒険者なのだから、国同士のいざこざに手を出せないから。

 

 そう、ラキュースは冒険者だ。冒険者組合に所属する者は、決して国家間の事象に関わってはいけないという取り決めがある。

 だから、ラキュースは放置された。城から出て行く時も、何も言われなかった。ただ、この一言だけ帝国の大将軍に告げられた。

 

 ――貴殿が動いた場合、冒険者組合が取り決めを破ったものとする。

 

 その一言で、全ての動きを封じられたと言っていい。ラキュースがラナーを助けようとすれば、それはつまり冒険者がラナーの味方をしたという事。冒険者組合が国家間の争いに割って入り王国の味方をする事を意味する、と。

 だから、何も出来ない。動けない。あのおぞましい騎士のアンデッドさえ、退治出来ない。友達を助けられない。

 宿屋に帰って、そして話をして皆にも止められた。理由も説明された。言われなくても分かっている、理由を。

 

「――分かっているだろう。ラキュース、私達が動けば帝国は王都の冒険者組合が全員王国に味方したと認識し、扱う。そうなれば仮に勝って帝国軍を王都から追い出したとしても、冒険者組合は私達を恨むだろう。冒険者としての地位は剥奪され、犯罪者として扱われ、そしておそらく――アインズとブレインに声をかけて、暗殺を依頼してくるぞ」

 

 イビルアイの告げる言葉に、ラキュースは何も言えない。自分の我が儘で、ガガーラン達を巻き込むわけにはいかなかった。

 

「…………ごめんね、ラナー」

 

 だから、ひたすら涙を流して耐え続ける。ラナーの未来は、きっと暗いだろう。王国軍が帝国軍に勝つとは到底思えない。きっと、人質交換は行われない。奇跡は起こらないだろう。ラナーは処刑されるか、あるいは生きていたとしても籠の鳥だ。自由に部屋の外に出る事さえ、もう叶うまい。

 

「――ごめんね」

 

 だからラキュースは、ひたすら涙を流して友人を想った。きっと、もう二度と会う事も出来ない友人を。

 

 

 

 

 

 

 ――カッツェ平野の大敗北からエ・ランテルに籠城して、既に五日が経過していた。

 

 ジルクニフ率いる帝国軍はトブの大森林を避け、エ・ランテル周辺を囲っている。王国軍を逃がさないためだろう。都市内の平民達のストレスはピークに達し、誰もが暗い顔で過ごしていた。

 そして貴族達は今日も貴賓館に集まり、会議をする。しかしその会議は進まない。当然だろう。もはやする事と言えば王都からの援軍を待つ以外にないのだから。

 レエブン侯は会議の司会を務めながらも、ザナックに全てを託していた。

 

(王都を強襲とは言っても、それほどの兵は王都まで運べていないはず……ザナック王子が帝国軍の別動隊を退け、援軍を連れてきてくれることに託すしかないとは――)

 

 しかし、レエブン侯のこの悩みもすぐに終わるだろう。王都から来た援軍によって。

 

「失礼します! 援軍が到着しました! ブルムラシュー侯とリットン伯の旗を掲げています!」

 

「――よし!」

 

 会議の最中にやって来た部下に向かい、それぞれの貴族が安堵の息を漏らす。レエブン侯もまた、これでなんとかなるかもしれないと安堵の息を漏らした。

 それが、見当違いだと気づくのはすぐである。

 

「――――し、失礼します!!」

 

 更に、もう一人の兵士がやって来る。見張り台に立たせていた兵士だ。兵士は顔色を真っ青にして、震える声で絶望的な事実を告げた。

 

「さ、先程来た援軍ですが――て、帝国軍の旗を掲げており、帝国軍と合流してエ・ランテルを取り囲んでいます!!」

 

「なんだとぉッ!?」

 

 口から泡を飛ばす勢いで、貴族達が立ち上がった。レエブン侯はその一言で悟る。

 

「ブルムラシュー侯……!」

 

 憎むべき男の名が吐き出される。おそらく、あの裏切者が犯人だ。確たる証拠を掴めてはいなかったが、ブルムラシュー侯は間違いなく帝国に金で情報を売っていた。おそらく、手引きして王国を売り渡したのだろう、完全に。

 

「そ、それから……あの騎士のアンデッドを連れており、フールーダ・パラダインもいるようです……」

 

「――――」

 

 それで、王都で何が起こったかを悟る。あのゾンビを増やす騎士のアンデッド。ああ、それを使って来たのなら――王都くらい落ちるだろう。何せ、ガゼフはこちらにいるのだから。

 

「…………おしまいだ」

 

 誰かが、ポツリと呟いた。どさり、と地面に座り込んでいる。フールーダがカッツェ平野にいなかったのは、王都を強襲するためであったのだ。だから、カッツェ平野にはいなかった。

 

「…………」

 

 全員が暗い顔だ。レエブン侯はその中で考える。何か、何か起死回生の一手は無いものか、と。

 そして――たった一つ、この場に残された一手が存在した。

 

「いえ……まだ、あります」

 

 レエブン侯の言葉に、全員が振り向く。ランポッサ三世が口を開いた。

 

「レエブン侯……その方法とは?」

 

「――冒険者組合に行き、冒険者達を徴兵します」

 

「それは……!!」

 

 ガゼフが思わずといった具合に声を荒げる。しかし、レエブン侯はガゼフを睨みそれを黙殺した。

 どの道、ここで彼らを徴兵出来なければ未来は無いのだ。

 

「幸いなことに、現在このエ・ランテルには戦士長殿と互角の戦いをかつて繰り広げたブレイン・アングラウスとドラゴンと一騎打ちを可能としたアインズ・ウール・ゴウンがいます。最悪この二人だけでも徴兵出来れば、あの騎士のアンデッドは間違いなく討伐出来るはずです」

 

「おぉ……!」

 

 希望が見え始めたのか、貴族達が顔を上げる。対してガゼフは渋い顔だ。どちらもガゼフとは無関係ではない相手だからだろう。そして、おそらくではあるが――ガゼフはこの案の顛末には気づいているのかもしれない。

 しかし、それを認めるわけにはいかないのだ。何がなんでも、徴兵し戦ってもらわなくてはならない。どのような褒美を用意してでも。絶対に。

 

 ――でなければ、王国は敗北する。

 

「よし分かった! では早速連中を徴兵しよう! どの道、王国民であるのだから戦争に参戦するのは義務であるのだ!」

 

 貴族の一人が意気揚々と叫び、続いて誰が冒険者組合に向かい彼らにそれを告げるのか話し合おうとする。レエブン侯はその話し合いを止めた。

 

「彼らの説得は、私が引き受けましょう」

 

「?」

 

 レエブン侯が口を出したのを見て、首を傾げている。レエブン侯は理由を告げた。

 

「もしかすると、その使者は生きて還ってこれないかもしれませんよ」

 

「――わ、分かった。レエブン侯に任せよう」

 

 荒くれ者で通っている冒険者達だ。怒らせれば、当然命は無い。それに気づいたのか貴族達はレエブン侯に任せる。レエブン侯としても、細心の注意を払って説得しなければならない相手だ。無能な貴族達に任せたくはなかった。

 

「陛下、構いませんね?」

 

「うむ。レエブン侯――命じよう。冒険者組合に向かい、彼らに戦争に参加するよう説得してくれ」

 

 ランポッサ三世からも許可を取り、レエブン侯は続いてガゼフを見た。

 

「それから――少し戦士長殿とその部下を数名お借りしたい。かまいませんか?」

 

「――――」

 

 ガゼフが驚いたようにレエブン侯を見ている。だが、これは当然だ。何せ冒険者達は普通の兵士より強い。護衛は間違いなくいる。そして――暴力的な意味での脅しとしても。

 

「分かった。戦士長、レエブン侯に従い、守ってやってくれ」

 

「――御意」

 

 ガゼフが頭を下げるのを確認し、そしてレエブン侯はガゼフを連れて会議室を出た。そのまま、廊下を歩いてまずは自分の部下である元オリハルコン級冒険者達を、そしてガゼフの部下を数名連れて行く。

 だが、その前に――二人だけの時に、ガゼフが告げた。

 

「レエブン侯――」

 

「なんでしょうか、戦士長殿」

 

 言いたい事は分かっていた。

 

「おそらく、彼らは頷かないでしょう――」

 

「――戦士長殿が言うのなら、そうなのでしょう。しかし、それを認めるわけにはいかないのです。彼らを王国軍に組み込めなければ、帝国に降伏するしかなくなってしまう」

 

「――――」

 

「だから、何がなんでも彼らを徴兵するしかないのです。今の発言は、聞かなかったことにしましょう」

 

 それきり、ガゼフは無言であった。

 

 

 

 ――そして、ガゼフとその部下数名、元オリハルコン級冒険者達を連れてレエブン侯は冒険者組合に来た。

 

「失礼する!」

 

 中に入り、組合中に響くような大声を出す。冒険者達はレエブン侯達を見て驚愕に目を見開いていた。

 

「諸君らにはこれより、王国軍と合流し帝国軍と戦ってもらう! 王国民としての義務を果たしてもらう!」

 

 レエブン侯の宣告に、冒険者達が顔色を真っ青にしてレエブン侯達を見た。おそらく、彼らは既に知っているのだ。あの騎士のアンデッドを。それくらいの情報くらい、冒険者ならば入手しているだろう。

 だから、あの騎士のアンデッドと戦うなど冗談ではない――そう誰かが口を開くより前の一瞬の静寂の内に、静かな、けれどよく響く声が組合に響いた。

 

「――お断りします」

 

「――――」

 

 声の主を見る。聞いた事も見た事もないが、外見だけは知っていた。レエブン侯の予想通り――その声の主は漆黒の戦士、アインズ・ウール・ゴウンその人であった。

 

「冒険者は国家間の政治に関わらない――それが規律であったはずです。なので、冒険者としてその話は断らせてもらいましょう」

 

 心強い味方の言葉に、冒険者達が活気づいた。「そうだ!」と口々にレエブン侯に大声を出して拒否を示す。しかし、レエブン侯にとってはそれは織り込み済みだ。当然、ガゼフにもそう言われた場合の対処は告げている。

 故に、レエブン侯の背後でガゼフが剣を抜いた。それを皮切り、他の者達も。

 

「――――」

 

 ガゼフ達が剣を抜いたのに気づき、その場の全員が押し黙った。王国の本気を察したからだ。周辺国家最強の戦士、ガゼフが剣を抜く――というのは、貴族達は本気だと示す事になるのだから。

 レエブン侯は再び、口を開く。

 

「当然、そのことは知っている。しかし、現在それを認めるわけにはいかない事情がある。――少しばかり話をしよう。会議室をお借りしたい」

 

 レエブン侯は受付嬢に向かって告げる。受付嬢は「は、はい……」と怯えたように頷いた。そして、アインズと――その対面のソファに座っているブレインを促す。

 

「アインズ・ウール・ゴウン殿、そしてブレイン・アングラウス殿……こちらへ」

 

「……俺もかい?」

 

 ブレインの言葉に、頷く。

 

「お二方は冒険者達の頂点……アダマンタイトだろう。お二方が頷けば、他の者達も頷く」

 

「……へいへい」

 

 アインズとブレインが立ち上がる。受付嬢が「お部屋まで案内いたします」と告げ、レエブン侯達を連れて歩く。

 そして、会議室に到着しドアを閉め、それぞれ椅子に座った。そして、口を開く。

 

「――現在、分かっているとは思うが王国はのっぴきならない状況にある。帝国軍がエ・ランテル周辺を包囲し、そしてこれは極秘だが――王都は既に陥落している。ここにある戦力で、帝国軍を破らなくてはならない。王国軍だけでは不可能だ」

 

「――――」

 

「だからこそ、お二方の力を借りたい。戦士長殿と互角の貴方達が、そして冒険者達の力を借りれば少なくとも、今この場に集まっている帝国軍は撤退させられる。王国は、なんとか首の皮一枚繋がるのだ」

 

「――――」

 

「頼む。望む報酬を用意すると約束しよう。だから、お二方に力を貸していただきたい――!!」

 

 レエブン侯は頭を下げた。何がなんでも説得しなければならないのだ。顔が見えないアインズはともかく、ブレインは大貴族が頭を下げた事に驚いているようだった。

 

「まあ、俺は正直力を貸してやってもいいんだが」

 

 ブレインは居心地悪そうに、そう告げる。そしてアインズを見た。レエブン侯も頭を上げて、アインズを見る。この室内の全員が、アインズに視線を集中させた。

 そして――アインズが口を開く。

 

「――申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。ブレイン、チームリーダーとしてお前にも言っておく。王国軍に手を貸すな」

 

「――――」

 

 その言葉に、レエブン侯は震える声で告げた。何故、と。

 アインズは少し迷っていたようだが――レエブン侯にその理由を告げた。

 

「――法国から、王国に手を貸さず、静観するよう依頼されています」

 

「――――え?」

 

 レエブン侯はアインズに告げられた言葉に、呆然として口から間抜けな言葉が漏れた。いや、レエブン侯だけではない。その場の誰もが、何故この場で法国の名が出るのか分からない、と疑問を抱いた。

 

「ゴ、ゴウン殿……何故? 何故、この場で法国の名が?」

 

「それは――――」

 

 ガゼフの言葉に、アインズは再び口篭もっている。そしてその時、レエブン侯はこの戦争の全ての絡繰りが、ようやく読めた。

 

 ――即ち、戦いは始まる前に終わっている、という事が。

 

 

 

 

 

 

「――――貴方は」

 

「――どうも、お久しぶりです」

 

 イビルアイと冒険者組合に帰って来た時、ブレインが告げたアインズへの客とは、以前トブの大森林で出会った、法国の人間――あの槍を持ち、魔樹と近接戦を可能とした男だった。

 

「少々話をしたいのですが、かまいませんか?」

 

「ええ、勿論です」

 

 男の言葉に頷く。アインズはイビルアイとブレインに断って、男と共に受付嬢に告げて部屋の一つを借りた。

 室内の椅子に対面で座ると、まず男が頭を下げる。

 

「急な来訪、申し訳ございません」

 

「いえ、お気になさらず。暇ですし。今日はどうされたのですか? もしかして、帝国への移動の件でしょうか?」

 

 結局、アインズはあれから帝国に移動していない。少しばかりそれはおかしな話だった。法国はあの魔樹が滅びた事を知っているだろうが、アインズは知らないはずなのだ。動かないのは不自然と言える。

 しかし、男は首を横に振った。

 

「いえ、そちらの件はもう解決しましたので、このままエ・ランテルにいてもらってかまいせん」

 

「? では、何の御用なのでしょうか?」

 

 そうではないとすると、アインズはますますこの男が自分を訪ねてきた意味が分かりかねた。首を傾げるアインズに、男が口を開く。

 

「近い内に、王国と帝国が戦争をします」

 

「――ああ、聞いたことがあります。そういえば、もう秋ですからね」

 

 この季節になると、毎年王国と帝国は戦争をするのだとアインズは街の人間から聞いていた。誰もが、嫌そうな――そして不安そうな顔で話していたのを覚えている。アインズのような冒険者には関係のない話であるが。

 

「はい。そして、これは極秘情報なのですが、今回は例年のような戦争ではなく、帝国は王国を滅ぼそうと本気で制圧する気です」

 

「――例年のような、軽い小競り合いではない、と?」

 

「はい」

 

「……つまり、私に何を求めているのでしょうか?」

 

 なんとなく、既に予想はついていた。法国は王国を滅ぼそうとしている。だとすれば、アインズに告げる言葉も想像がついた。

 

「今回の戦争、決して、王国に手を貸さないでいただきたいのです」

 

「――――ふむ」

 

 そして、男の言葉も予想通りだった。アインズは男の顔をじっと見つめ、再び口を開く。

 

「――それ、手助けをすればどうなりますか?」

 

「――その時は、私ども法国も手を出さざるをえません。ニグン達を出撃させます」

 

 アインズの脳裏に、頬に傷を持っている男が浮かぶ。そして同時に、あのクアイエッセという男も。天使達やギガント・バジリスクが帝国と協力し敵に回れば、王国は滅びるだろう。例えアインズが協力しても、この戦士としての状態では戦況は覆せない事は間違いない。――本気を出せば、話は別だろうが。

 

 しかし、アインズはそこまでの愛着を王国に持っていなかった。それ以上に、世界級(ワールド)アイテムを持っている法国を敵に回す事の方が、アインズにとって死活問題だ。

 

「なるほど。了解しました。――王国と帝国の戦争には、決して手を貸さないと約束しておきましょう」

 

「ご理解、ありがとうございます。大変ご迷惑をおかけしますので、後々その分の補償をお支払いしますので」

 

「そこまでしていただく義理はありませんが――いただける、と言うのならもらっておきましょう」

 

 アインズの言葉に、男も安堵したように頷いて席を立つ。アインズも席を立った。

 

「この度はありがとうございます。また、いつか会いましょう」

 

「ええ、機会があればまた――」

 

 出来れば、あまり出会いたくはないが。アインズは内心でそう呟き、男を見送った。

 冒険者組合から出て行く男の背中を見ていると、横にいたブレインとイビルアイが不思議そうにアインズを見る。

 

「なあ、ありゃお前の知り合いか?」

 

「ああ、少しばかり縁があってな」

 

「そうなのか。……あまり、私はアイツは好きになれそうにない」

 

 イビルアイの嫌そうな言葉に、アインズはイビルアイと初めて気が合ったな――と思った。

 

「ああ――――俺もだよ」

 

 

 

 

 

 

 ――貴方達には、少しばかり同情する。

 

 全てを悟り、打ちのめされたレエブン侯を見送りながらアインズが告げた言葉が、レエブン侯の頭の中をずっとぐるぐると巡っている。

 現在、レエブン侯はアインズに礼を言って冒険者達の徴兵を諦めていた。貴賓館への帰り道の最中である。

 

「あの……侯。よかったんですか?」

 

 ロックマイヤーの言葉に、レエブン侯は力なく首を横に振る。いいわけが無かった。しかし、もうどうする事も出来ない。初めから、この戦いは詰んだ戦争であったのだ。起死回生の一手なぞ、存在していなかったとレエブン侯はようやく分かった。

 

「…………」

 

 打ちのめされたレエブン侯を、ガゼフ達は微妙な表情で見つめて同じように帰る。どうしてレエブン侯が即座にアインズ達を徴兵するのを諦めたか分からないのだ。レエブン侯も理由を告げていない。告げるわけにはいかなかったからだ。この場では。

 

 貴賓館に到着した後、部下達と別れレエブン侯はガゼフと共に会議室へと帰って来た。現在、会議室にはランポッサ三世とバルブロ、レエブン侯と裏切者を除く六大貴族の三人しかいなかった。

 

「おお、帰って来たか。それで、どうだったのだ?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、レエブン侯は「申し訳ございません」と告げてから断られた事を告げた。当然、バルブロとボウロロープ侯達は怒鳴りつける。

 

「徴兵拒否だと!? そんな権利があるか!? 何がなんでも協力してもらうぞ!!」

 

 そう怒り狂う彼らをランポッサ三世が黙るように告げ、レエブン侯を見る。ガゼフは、既にランポッサ三世の背後に控えていた。

 

「レエブン侯……どのような理由で、ゴウンとアングラウスに断られたのだ? 侯が諦めるほどだ。よほどの理由があったのだろう?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、レエブン侯はついに口を開く。アインズからの情報によって、悟ってしまった自分達の現状を。

 

「――法国です」

 

「は?」

 

 誰もが、何を言われたのか分からないという顔をした。レエブン侯は彼らの気持ちが痛いほど分かる。普通に考えて、何故ここで法国が理由になるのか分からないだろう。

 

「いや、待て待て待て! 法国? 何故、法国の名前が? もしや名前の通り、アインズ・ウール・ゴウンという男は法国の手先であったのか?」

 

「いえ――分かりません。しかし、ここに至っては、もはやアインズ・ウール・ゴウンがどこの国の人間かなど、問題ではありません」

 

「――はあ?」

 

 レエブン侯は告げる。彼らに、絶望的な事実を。

 

「今回の戦争、法国は以前とは違う奇妙な書状を送って来ました。例年通りならばいつもと同じ書状になるはずです。しかし、それが違うということはおそらく法国は帝国の新たな戦力――あの騎士のアンデッドに気がついていたのではないか、ということが伺えます」

 

 そう、おそらく彼らはその恐るべき情報網で帝国の事情に気がついた。だから、王国に送られてきた書状が以前と違うものだから、レエブン侯は気づいてしまった。

 

「以前と違うことをしてはならない――法国からの我々に届けられた手紙にはこれを意味する一文が足されていました。しかし、同じような書状が送られているはずの帝国は、以前とは全く違うことを。あのアンデッドを戦場に投入しました。ここから、ある仮説が立ちます」

 

 それは――

 

「おそらく、帝国に送られた法国からの書状は、例年通りのもの(・・・・・・・)です」

 

「――は?」

 

 全員が、その言葉に目を丸くする。それは理解したくないものに遭遇した時にする表情だった。

 

「……例年通り以外のことをしてはならない。すれば、部隊を送る。法国が王国に突きつけた書状です。そして、アインズ・ウール・ゴウンの戦争への参加拒否理由は、“法国から静観するよう依頼を受けているから”でした。動けば、かつて戦士長殿達を暗殺しようとした部隊を王国軍に向けることになる、と言われたそうです」

 

「――ば、馬鹿な」

 

 呻き声。ああ、そうだろう。ここまでくれば、誰だって法国の行動理由が分かる。法国は、王国が生き残ろうと抵抗すれば――六色聖典を動かすと告げたのだ。つまり――救いようのない事に。

 

「――――法国は、王国を帝国に滅ぼさせる気です」

 

「――――」

 

 その言葉に、誰もが愕然とした表情を作り力を抜く。

 

「なんということだ……」

 

 ランポッサ三世が、椅子の背凭れに力なく体を預けた。ここにきて、ようやく全員が自分達が詰んでいる事を理解した。もはやどうにもならない事を、心から実感した。

 帝国にさえ対抗出来ていないのだ。ここにきて、法国まで手を出してきて一体どうやって勝てるだろうか。

 

「……なあ、何か手はないのか?」

 

 現実を拒否するように、バルブロが全員を見回している。当然だろう。ここで降伏するという事は、つまり王族は死を意味するのと同義のようなものだ。相手はあの鮮血帝なのだから。

 

 だが、バルブロに対する現実は非情だった。降伏すれば死ぬ。抵抗してもこの戦力では勝ち目がない。もはやどうにもならなかった。

 

「……最後まで、抵抗するか? 特攻を仕掛けて」

 

 ポツリと呟かれた言葉に、誰も答えない。そんな気力さえ湧いてこなかった。それさえ、億が一以下の勝率だった。

 故に、この流れは必然だったのだろう。

 

「……降伏しよう」

 

「陛下!?」

 

 ランポッサ三世の言葉に、全員が驚き視線を向ける。ランポッサ三世は、既に覚悟を決めた瞳をしていた。

 

「私一人の命で済むよう、何とか助命を嘆願しよう。このまま籠城を続けても勝てず、億が一の確率に賭けて特攻すれば民が死ぬ。ならば、民のために降伏する以外に何の道があるだろう」

 

「……陛下」

 

 ガゼフが、ランポッサ三世の顔を泣きそうな顔で見つめている。それにランポッサ三世は表情を崩した。

 

「そんな顔をするな、戦士長。民のために命を捧げるのだ、中々悪くない最後だぞ」

 

 ランポッサ三世の言葉に、ボウロロープ侯が口を開く。

 

「それしか方法がない、となると仕方ありませんな。降伏しましょう」

 

「…………」

 

 ボウロロープ侯の瞳には、何がなんでも生にしがみついてやる、という気概が見えた。なんとかジルクニフと交渉して、助かろうという魂胆なのだろう。

 対して、もう二人――ペスペア侯とウロヴァーナ辺境伯は複雑な表情だ。二人は王派閥に所属するのだから、ランポッサ三世の決定に思う事があるのだろう。

 そして――バルブロは悲惨だ。頭を抱えている。当然だった。なにせ、この中でランポッサ三世の次に助かる見込みがないのが、第一王子であるバルブロなのだから。

 

 レエブン侯は――そんな彼らを見ながら、脳裏によぎる妻と子に誓う。

 

 ジルクニフはランポッサ三世だけの命で済ますような甘い支配者ではない。まず間違いなく、この室内にいる全員は処刑されるだろう。

 だから、せめて――自分の命で、妻と子だけは救いたいと、必ず救うと心に誓った。何をしてでも。この場の全員を裏切ってでも。

 

 

 

 ――そして、王国は今年ついに、帝国に完全敗北した。

 

 リ・エスティーゼ王国二〇〇年の歴史が、ここで途絶えたのである。

 

 

 

 

 




 
帝国「王都陥落でエ・ランテル包囲。楽勝ですわ」
王国「デス・ナイト二体とレイス四体とか聞いてないんですけお!!」

法国「戦いは始まる前から終わっているのだよ」
 

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。