マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

ジル君マジ鮮血帝。
ジル君マジ禿皇帝。
 


Poachers

 

 

 ――かつてリ・エスティーゼ王国と呼ばれていた国が帝国領となって、一ヶ月の時間が経過した。

 この季節になると吐息が白くなり、空気は肌寒くなってくる。冬の到来だ。屋外での仕事をする者達はほとんどおらず、外を出歩く者は少なくなった。それは例え、冒険者であろうとも。

 冒険者であっても急な仕事の依頼以外は受けないのだ。未知の遺跡を求めるのも、秘境を探索するにしても危険度が従来より跳ね上がる。そのため、冬は訓練や娯楽、副業に精を出す者が多かった。

 

 ……しかし、他の王国領と違って正式な帝国領となったエ・ランテルの冒険者組合は、別の意味で静寂が組合内を支配していた。

 

「――――」

 

 ざわざわ、がやがやと今までの季節と同じような喧噪が存在しない。冒険者組合の中は冬だからという理由以外でさえ静かだった。掲示板の前では、何か依頼が無いかともはや数の減った冒険者達が躍起になって探している。商人や薬師の護衛などがあれば、すぐに飛びつくだろう。

 そしてそんな彼らを、漆黒と蒼の薔薇――名前については一悶着あったが、新チーム漆黒と蒼はいつもアインズとブレインが座っていたソファに陣取り、じっと眺めていた。既に、全員のプレートがアダマンタイトに戻っている。蒼の薔薇は自治領の冒険者からエ・ランテルに移り帝国の冒険者となったのだ。アインズとブレインもいるし、帝国領に来たので実力に見合ったプレートに戻っている。

 

「ふん――やはり、アダマンタイトに見合う仕事は無い、か」

 

「……仕方ないでしょう。この街には、帝国軍の一軍団が駐留しているから、仕事が減っているんだもの」

 

 そしてイビルアイがそんな彼らを見つめて呟いた一言に、ラキュースが言葉を返す。事実その通りであった。

 

 他の帝国領はともかく、ここは本来の帝国より離れた元王国領だ。帝国における第二軍、およそ一万の帝国騎士が駐留しており治安維持に当たっていた。帝国軍は王国の兵士達と違い職務に真面目であり、規律は当然守られている。今までの治安維持としての冒険者の仕事は皆無に等しい。共同墓地の見張りもまた、冒険者との共同であったのが帝国騎士のみの仕事に変わっている。

 ……逆に冒険者の仕事が増えたのが、元王国であり現在は自治領となっているこの都市以外の街である。軍の数は一気に減り、帝国軍もほぼいないため治安維持のために回せる兵士がいない。そのため、冒険者達の仕事が山のようにあった。

 ――しかし、その冒険者のために払える金額を依頼主が持っていないのが現状だが。元蒼の薔薇がかつて王都であった首都からこの街まで辿り着くために払った税関への金額は、今までとは桁が違う。ただの村人には支払えず、冒険者であっても躊躇するほどであった。更に言えば税金も多く、他の冒険者達は自治領には近づかないのが現状だ。

 ……だからこそ、この街は人が賑わい、そして冒険者の仕事が無かった。

 

「……意気揚々と新天地に来たはいいけどよ、まさか仕事そのものが無かったとはなあ」

 

 ガガーランの呟きは、元の場所へ戻れば仕事がある事を意味している。彼女達とて元はアダマンタイト級冒険者だ。もう一度税関を抜けて自治領の首都に帰るだけの金はあるし、そもそも冒険をする必要さえない。――だが、彼女達にそれは選べなかった。

 蒼の薔薇は様々な要因から帝国に目を付けられていたし、その結果として自治領首都の冒険者組合にも迷惑をかけている。おそらく、あそこにいても冒険者としての仕事があったかどうか怪しい。そして、冒険する必要が無いだけの財産を持っているとは言っても――彼女達は金のために冒険者になったのではないのだから、そのような事実は無意味である。

 

「でも、急な依頼が飛び込んでくる可能性は大」

 

「人がいない分、有利」

 

 ティアとティナの言葉もまた、もっともだ。今の季節は冬ごもりに失敗した凶暴な魔物が村に出る事がある。その急な依頼に対応するのに、このチームは最適だった。

 何せ、この都市の冒険者の総数は減っている。仕事が無くなったために、都市国家群に移動したり、仕事の多い自治領へ行く者も多かった。今この都市に残っている高位冒険者チームは、この漆黒と蒼の他にミスリル級が一チームのみである。急な魔物討伐の依頼であれば、間違いなくこちらに声がかかるだろう。

 

「ま、適当に暇でも潰しておけや」

 

 ブレインはそうラキュース達に告げて、いつも通り刀の具合を確かめている。アインズは、懐からマジックアイテムを取り出して整理をしていた。

 

「――これはいらない。……これは、どうする? いや、いるだろうこれは……」

 

 そう呟き、テーブルの上に巻物(スクロール)などを広げていた。そこには勿論、イビルアイと買い物に出掛け買ったゴミアイテム(スクロール)もある。

 そんなテーブルの上の惨状を見ながら、ガガーランがポツリと呟く。

 

「……お前、ひょっとして物を捨てられないタイプか」

 

 巻物(スクロール)をガガーランが一つ手に取って、じっと見ていた。アインズはそんなガガーランに、沈黙を守る。……事実、アインズは物を捨てられないタイプだった。でなければゴブリン将軍の角笛などという、ユグドラシルプレイヤーにとって真性のゴミアイテムなど持たないだろう。

 

「あと、変わった物があるとつい集めたくなるらしいぞ」

 

 イビルアイがガガーランと同じように、巻物(スクロール)の一つを手に取ってガガーランに教える。イビルアイが手に持つ巻物(スクロール)の魔法を確認する前に――アインズは自然な動作でそれをひょいと回収し、袋に入れた。

 

「……とりあえず、まだ持っておくか」

 

 アインズは呟き、全て袋にしまい懐に隠す。そんなアインズを生暖かい視線で眺めている全員に気づき、アインズは無言を貫いた。……やはり、自分は物を捨てられないタイプらしい。

 そうして誰もが暇を潰す方法を無くし――ガガーランが呟いた。

 

「暇だ」

 

 同感である。

 

 

 

「――漆黒と蒼の皆様、ご指名の依頼が入っております。応接室まで来ていただけますか?」

 

 七人で暇を持て余していると、イシュペンがやって来てアインズ達に声をかける。それに首を傾げながら、アインズは頷いた。

 

「指名依頼ですか? ……分かりました。ちょっと話を聞いてくる」

 

「はいよー」

 

「いってらっしゃい」

 

 それぞれに見送られながら、アインズは応接室までイシュペンに案内され向かう。応接室に辿り着くと、そこにはアインザックが待っていた。

 挨拶を交わし、アインズは早速本題に入る。

 

「組合長、指名依頼と聞いたのですが……」

 

「ああ、そうだアインズ君。ちょっと依頼主が厄介なんだがね」

 

「?」

 

 アインズが首を傾げると、アインザックがアインズに手紙を渡す。手紙の内容をアインズは読む。――それは、法国の使者を名乗る人間からだった。

 その依頼内容は、トブの大森林の探索。トブの大森林の地形や、生息している種族などの詳細な地図を作成して欲しいと書いてあったのだ。

 

(これは……)

 

 アインズとしては、依頼主に目を瞑れば是が非でもやりたい依頼だ。ただ、どうしても依頼主に目が行ってしまう。その事だけが気がかりだった。しかし――

 

「……極秘、というわけではないんですね」

 

「ああ。彼らは作成された地図を帝国が欲した場合、条件によっては複製品ならば譲ってもかまわないそうだ」

 

 つまり、キナ臭さは感じないのだ。それに法国は魔樹の時もだが、ある程度トブの大森林の地形は把握しているだろう。むしろ、帝国にトブの大森林の地図を渡すのが目的なのかもしれない、と感じられた。

 

「それで、どうするかねアインズ君。一ヶ月毎に報酬は貰えるそうだが、受けるかね?」

 

「私としては受けたいのは山々なのですが――仲間と相談しないとまずいでしょうから、少し相談してきます」

 

「だろうなぁ……。返事はいつでもいいらしいから、いつでも声をかけてくれたまえ」

 

 アインズはアインザックに断って、応接室を出る。受付に戻り、待っているブレイン達に先程の依頼を話した。

 トブの大森林の地図の作成、という依頼内容に全員とても喜んだが、法国から――と言うと、途端にラキュースやガガーランが難色を示す。

 

「あの、法国からかよ……」

 

「それは……」

 

 二人が示した難色具合に、アインズは首を傾げた。見ればブレインも首を傾げている。

 

「二人とも、どうした?」

 

 アインズが訊ねると、二人はそれぞれ理由を教えてくれた。

 

「実は、法国の特殊部隊らしき人達と、以前一悶着ありまして」

 

「連中、罪もない亜人種の村を襲撃してやがってな。それを止めるのにやり合ったんだよ」

 

 ラキュースとガガーランの言葉に、アインズは少し驚く。それで、法国に対して嫌悪感を持っているというのが、アインズとしては意外だった。

 

「亜人種の村を襲っていたから、ですか?」

 

「ええ。種族が違うと言っても、罪の無い者達を殺すのはよくないと思います!」

 

 ラキュースの言葉に、アインズはどうしたものか、と思った。別にラキュースやガガーランの判断を責める気はない。ただ――法国とはあまり仲が悪くなりたくないのだ。彼女達は法国がどれだけの戦力を抱えているのか知らないのだから、そういった計算をしていないのだろうが。これからは遠慮してもらいたい。

 さて、どうやって納得させよう――と考えていると、イビルアイが口を開いた。

 

「しかしお前達、そうは言っても法国の方針は人類として見れば正しいぞ。この周辺国家は人間の国ばかりだが、大陸からすればほんの一部……法国から向こうに広がる大地には、人より優れた亜人種達が国家を築いているんだ。この周辺国家にそれがないのは、台頭しようとする亜人達を法国が長い時間に渡って刈り取っているからに他ならない。法国から南に進めば、人間は奴隷階級どころか単なる家畜である国だってある。人類の守護者を名乗るだけあって、彼らは間違いなく人類の味方だ」

 

 イビルアイの言葉に、アインズはなるほどと頷いた。ようやく、アインズもこの世界の力関係が正確に分かり始めてきたのだ。

 しかし、だとすると人類はかなりの苦境に立たされている事になる。法国から先は人類の敵ばかりがおり、そしてこの大陸の最後尾には竜王(ドラゴンロード)達のいる亜人種の国家――評議国がある。さぞや、生きた心地がしないであろう。

 

「……とりあえず、今後は法国に無暗に喧嘩を売らないこと。俺がリーダーであるからには、俺はお前達全員を生存させる義務がある。俺としても、彼らの問答無用さには思うことがあるが、連帯責任という言葉を忘れないように。――ラキュース、ガガーラン。もしかすると、藪をつついて蛇を出す危険もある。なるべく今後は自重しろ」

 

「……はい」

 

「ああ……分かってるぜ」

 

 分かってはいるんだが、という顔をして頷く二人に、とりあえず納得したものとして扱う。こちらとしても、あまり寝覚めの悪い事にはなりたくないのだ。

 

「さて、納得したとして――この依頼、どうする? 俺としては是非とも受けたいんだが」

 

 少し興奮に上擦った声でそう言うと、全員が苦笑した。全員、アインズが常日頃冒険したい、という愚痴を呟いているのを知っているので、苦笑せざるを得なかったのだろう。

 

「まあ、法国は嫌いだがこの依頼は好きだぜ、俺も」

 

「はい、私も大丈夫です」

 

 ガガーランとラキュースが頷き、ティアとティナが胸を張った。

 

「任せて」

 

「詳細な地図を作る」

 

「いいんじゃないか?」

 

「ようやく本格的冒険か」

 

 イビルアイとブレインも文句はない。

 

「よし。では――この依頼、受注するぞ!」

 

 アインズは喜びに上擦った声で宣言し、ブレイン達は明るい声で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 トブの大森林を探索するための仮拠点として、再びカルネ村を訪れたアインズ達はそこで村長から驚くべき話を告げられた。

 

「森の奥の水場に、リザードマン達が棲み付いている?」

 

「はい、ゴウン様」

 

 村長曰く、いつも森を見て回る狩人が森の奥地の水場――少し大きな池まで辿り着くと、そこにいつの間にか今までいなかったリザードマン達が棲み付いていたのだと言う。

 狩人は驚き、警戒したが向こうも当然警戒した。しかし、こちらを襲ってくる気配はなく、狩人が足を下げて池から離れると彼らも次第に警戒を解き、襲って来る事はなかった。村を襲う気配も無いので、村人達も特に警戒せずにそのまま暮らしているらしい。

 

 話を聞き終えたアインズは、今回の目標を決定した。

 

「――というわけで、今回はこのリザードマン達に会いに行ってみようと思う」

 

 村長から聞いた話を他の者達にも告げると、首を傾げた。ラキュースが口を開く。

 

「退治、ではなくてですか?」

 

「ああ。人を襲う気は無いようだし、どこから来たのか気になるからな。『何か』に元居た棲み処を追い出された――という場合、組合に知らせないとまずいだろう」

 

「ああ、なるほど」

 

 話が通じるのなら、話を聞いてみるのも手だろう。アインズがそう言うと、ラキュース達は納得したようだった。

 

「もし、襲ってきた場合はどうするんだ?」

 

「ブレイン、その場合は討伐する。しかしこっちからはなるべく抜くなよ」

 

 襲って来ない、という事は話し合いの余地があるはずだ。アインズはそう言うが、しかし他の者達は微妙に納得しかねる表情である。

 おそらく、人間としてリザードマンには親近感が湧かないのだろう。アインズはユグドラシルで他種族――中身は人間だが――と話くらいしていたし、今は感情を抑制するアンデッドの種族特性もある。なので気にならないのだが、死が現実となっているこの異世界の人間にとっては、亜人種・異形種との会話は馴染みの無い行為なのだ。

 ただ、イビルアイはアンデッドなのだし、そんな彼女を仲間と呼んでいるのだからラキュース達もそこまで抵抗は無いだろう。……イビルアイが、アインズのように内緒にしているのなら話は別だが。

 そしてブレインも、そこまで種族に拘りがあるようには見えなかった。ブレインには、もっと別の基準があるように見える。

 

 アインズ達は一晩カルネ村に宿泊すると、早朝に出発し早速警戒しながら話に聞いていた水場まで森を歩く。そして――

 

「――確かに、リザードマン」

 

「結構な数が棲み付いてる。一〇〇は余裕で超えてる」

 

 ティアとティナに様子を先に見に行かせ、二人からの報告を聞く。

 

「そんな数が棲み付いてんのか? 完全に大移動じゃねぇか」

 

 ブレインの言葉に、全員が同じ気持ちだった。

 

「森の何処かに棲んでいたリザードマン達が、何らかの理由で拠点移動したと見て間違いないだろうな。それだけの数が移動したとなると、間違いなく何か起こったと思っていいだろう。……話を聞かざるを得ないな、これは」

 

「しっかし、襲われると手間な数だぜ」

 

「……話が通じなかった場合、面倒なことになりますね」

 

「ティア、ティナ。リザードマンの強さはお前達から見て、どれくらいだった?」

 

 イビルアイの言葉に、ティアとティナは口を開く。

 

「大体、難度三〇もない。一番強いのでも難度五〇くらい」

 

「エルダーリッチ以下。まず負けない」

 

 アインズは難度、と呼ばれる強さ基準は詳しく分からないのだが、エルダーリッチより弱いという事はレベル二〇以下の存在だろう。ティアとティナの評価が正しければ、だが。

 

「……いざという時のために、イビルアイに転移魔法のマッピングをしてもらって、すぐに包囲から離脱出来るようにしておくか。イビルアイ、出来るな?」

 

「任せておけ、アインズ」

 

 イビルアイが頷いたのを見て、アインズは更にラキュース達に指示を出す。

 

「何度も言っているが、今回はリザードマン達から話を聞くのが目的だ。戦闘行為は基本禁止。向こうから手を出さないかぎりは何もするな。……戦闘になった場合は後衛を前衛が守って円陣を組み、リザードマン達の包囲から抜ける。以前の魔樹のようなとんでもないモノがいた場合は、イビルアイの魔法で即時離脱だ。……まあ、何かから逃げて移動したのだとすれば、そんな強者はいないと思うが」

 

 全員がアインズの言葉に了承を示したのを確認して、アインズ達はリザードマン達が棲み付いた水場へと向かった。

 

 

 

 ――そして、思ったよりも容易く、アインズ達はリザードマンとの会話に成功してしまった。

 

 

 

「……なんだか、拍子抜け」

 

 ティナのポツリとこぼした言葉に、内心で全員が頷く。彼らはアインズ達の姿を見ると、抵抗する気配も見せずに言葉を口にしたのだ。――何の御用でしょうか、と。

 印象として言えば、完全に彼らは心が折れている。強者に抵抗する気概が無い。心が折れていて、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ小舟のような有り様だった。

 

 アインズが代表として口を開き、まず戦闘する気は無い事。無理に追い出す気も無い事。そして、お互いが不幸な行き違いをしないように、今までいなかったはずのこの水場に棲み付いた理由を知りたい、という事を語った。

 

 リザードマン達はアインズの言葉を聞くと、自分達の部族を纏める者の元へ案内すると言い、アインズ達はリザードマン達が様子を窺う姿を見ながら水場を歩いた。

 

「――こちらです」

 

 リザードマンの一体がそう告げ、草が生い茂って大きな草むらとなっている場所へ案内する。そこだけは妙に暗く、陽の光がほとんど無かった。

 しかし、何もいないわけではない。草むらから、真っ白な尾が少しだけ見えている。それは誘うようにするすると地を滑り奥へ入ると、「どうぞ」――という声が草むらから聞こえた。

 

「……失礼する」

 

 互いに顔を見合わせて覚悟を決めると、草むらへと入って行く。中はほぼ空洞になっていたようで、日光を遮断するためだけにあの草むらは存在したらしい。

 そして、そこに一体の白いリザードマンがいた。

 

「はじめまして、人間の方々。私はこの部族を纏めている族長代理のクルシュ・ルールーと申します」

 

「これはご丁寧に。私達は人間の街で冒険者をしており、このチームのリーダーであるアインズ・ウール・ゴウンと言います」

 

 丁寧な言葉に、こちらも丁寧に名乗る。クルシュと名乗った白いリザードマンはチラリとアインズの顔を見るが、すぐに再び口を開いた。

 

「……それで、人間の方。何の御用でしょうか?」

 

 アインズは再び、戦闘をする気も追い出す気も無い事をクルシュに告げ、クルシュに何故今までいなかったこの水場に集まっているのか問いかけた。

 

「――――」

 

 クルシュはアインズの問いかけに、少し黙る。……リザードマンの表情はよく分からない。何を考えているのか、まったく表情が読めなくて少し辟易した。

 やがて少しの沈黙の後に、クルシュは口を開いた。

 

「……この更に奥の地に大きな湖があるのです。そこで私達リザードマンは暮らしていました。ですが……環境が変わり、餌である魚が捕れなくなったのです」

 

「? 魚?」

 

 ラキュースの疑問符に、クルシュは頷いた。

 

「はい。私達の主食は魚で、肉や木の実はあまり食べません」

 

「魚が主食……」

 

 アインズを含め、全員の視線がクルシュの口へと集まる。そして、先程見たリザードマン達を思い出す。……鋭い牙が幾つも生えている姿を思い起こし、とても魚を主食にしているとは思えなかった。

 しかし、彼らの生態はよく分かっていないのだ。本当に、魚を主食にして血の滴る動物の肉などは食べないのかも知れない。逆の可能性も当然あるが。

 

「元居た場所で魚が獲れなくなり、他の部族達と戦争になるよりかは、新天地を目指して行こう――私達の部族はそう決めて、この地へ集まったのです」

 

 それが、このリザードマン達が集まった理由だった。何かに追われたのではなく、冬を乗り切れそうなほどの魚が捕獲出来ず、クルシュ達は大移動する事にしたらしい。

 ……これで、懸念の一つが解消される。『何か』に追われてここに来た、のではないのなら魔物討伐の心配はしなくていいだろう。

 

 ……ただ、それにしては他の者達の心折れた様子が気になったが。

 

 しかし、アインズはそんな些細な違和感を無視し、別の気になる事を伺う。

 

「なるほど。……では、その湖から魚が減った原因に心当たりは?」

 

 アインズの問いに、クルシュは首を横に振った。

 

「分かりません。……もしかすると、森の一角が急に枯れたのが原因なのかもしれません」

 

「枯れた?」

 

 思わず声が漏れると、クルシュはその言葉に頷いた。

 

「はい。私達も詳しくは分からないのですが……村を捨てて移動する時に、木々が枯れ果てていた場所を見つけました。もしかすると、それが原因なのかも」

 

「…………」

 

 全員で顔を見合わせる。アインズ達はその枯れた木々に覚えがあった。……おそらく、犯人は魔樹だ。アインズはブルー・プラネットからよく自然の話を聞いた事があるが、何らかの理由で一部の環境が変化すると、それは一部では済まされず様々な場所が影響されるのだ。おそらく、魔樹が復活する際に周辺の木から栄養を搾取したために、様々な要因で結果的に湖の魚が減ったのだろう。魔樹に遭遇したのは夏であるし、実りの季節である秋に重大な影響を与える下地は十分にあった。

 

「……では、これが最後の問いになるのですが」

 

「はい?」

 

「――この周囲一帯は森の賢王と呼ばれる魔獣の縄張りであったはず。縄張り争いに勝てたのですか?」

 

「――――」

 

 そう、それが一番の疑問だ。この周囲は森の賢王の縄張りであり、カルネ村はそのおかげで今までモンスターに襲われる事なく生活出来た。今でも、カルネ村はモンスターに襲われるような事件は無い。例え、人間に襲われた事はあっても。魔樹の件とて、結局彼らは避難する事は無かった。

 カルネ村は、その事件以降小さな塀と物見櫓があるだけで、平穏無事である。リザードマン達が縄張り争いに勝ち、彼らも人間の村に興味が無いからカルネ村は無事なのだろうか。

 

 クルシュは少し押し黙るが、ポツリとアインズに告げた。

 

「いいえ、森の賢王様には献上品を差し上げることでこの水場に棲まわせてもらっているのです」

 

「勝とうと思わなかったのですか?」

 

 アインズの言葉にクルシュは目を見開いたようだった。

 

「とんでもない! あのような巨大な魔獣に、私達が勝てるはずがありません! ……なので、なんとか交渉をして、日々の供え物でお目こぼししていただいております」

 

「ふむ」

 

 クルシュの言葉に、アインズは増々森の賢王に対して興味がわく。魔法も操る巨大な魔獣だと聞いたが、言葉も喋りこうしてリザードマン達と交渉も出来るとは、かなり高度な知能を持ったモンスターだ。是非、会ってみたかった。

 しかし――今は、リザードマン達の事である。

 

「それで、その――このまま、ここにいて大丈夫でしょうか。勿論、森から出ることはしませんし、自衛以外で人間を襲わないと約束します」

 

「ああ、構いません。――少なくとも森の賢王の縄張りから出なければ、私達も共存可能だと思いますよ」

 

 アインズがそう告げると、クルシュは頭を下げて感謝を示した。アインズ達はクルシュのいる草むらから出る。リザードマン達が思い思いに過ごしていた。

 

「アインズさん。よかったんですか?」

 

「依頼は地図を作るだけだしな。人間を襲う気が無いのだったら、別に放置してもいいだろう。どの道、ここは森の賢王の縄張りだ。一番近いカルネ村が今まで無事なのだから、気にしなくてもいいだろう。――おっと」

 

 目の前を通った小さなリザードマンが、バランスを崩して倒れる。それをアインズは咄嗟に足で支え、足にもたれかかった幼子らしきリザードマンの脇に手を入れ、きちんと立たせる。そこでふと、リザードマンの足に目がいった。

 

(……ん? 水かきか、これ)

 

 その小さなリザードマンの足の指の間には、水かきのようなものがあった。立たせた後小さなリザードマンは急ぐようにアインズ達から離れるが、その走り方は拙い。よく見れば、どのリザードマンも陸地にいる者は歩き辛そうにバランス悪く体を揺らしている。

 

(……もしかして、歩き難いのかな?)

 

 つまりリザードマン達は、この環境に適応していない。この水場では、生活に支障が出るのだ。

 ――それでも、彼らはこの水場で生きていこうとしている。

 

「…………とりあえず、今日は帰って次の予定を立てるか」

 

 アインズの言葉にラキュースが頷いた。

 

「そうですね。環境が様変わりしているとなると、他の場所も生態系が変化しているかもしれませんし」

 

「っつーことは、一から準備し直しかよ」

 

 ブレインの言葉に、ティアとティナも膨れた表情だ。

 

「情報、また集め直し」

 

「森から離れていても、他の村からも聞いた方が無難」

 

「しっかし、まさかリザードマンが魚しか食わないとは思わなかったぜ」

 

「ああ、私も初めて知ったぞ。何事も実際に見聞きしないと分からないものだな」

 

 ガガーランとイビルアイの言葉に、アインズだけでなく他の四人も頷く。アインズもまさか魚が主食だとは知らなかったし、足に水かきがあって陸地だと歩き難いというペナルティがある事も知らなかった。

 

(ユグドラシルからこっちに来て、種族ペナルティが深刻化したケースも多そうだな)

 

 今のところアインズは困っていないが、いつリザードマン達のように種族ペナルティが深刻化するか分からない。よく注意を払って生活しよう、と気を引き締める。

 

「一度カルネ村に帰るぞ」

 

 

 

 ――人間達が帰ったのを気配で見届けて、クルシュは再び草むらの影に蹲る。アルビノであるクルシュにとって日光は大敵だ。日の光は毒であり、少し明るすぎるこの水場はクルシュにとってあまりいい環境とは言えない。

 ……いや、そもそもリザードマン達にとってもあまりいい環境と言えないだろう。はっきり言えば、水場が小さすぎる。暮らしていくには、不自由の方が強い。

 だが、それでも魚は豊富だ。以前の湿地に戻るよりはずっといい。森の賢王の領域だから、リザードマンの敵になるような生物がいないのだ。ここ以上に安全な土地はないから、ここにいるのが正しいのだ。

 

「…………」

 

 クルシュは思い出す。以前の村を。秋頃、冬になる前に魚を集めようと狩猟班が漁へ出た。しかし、どういうわけか不漁が続き――誰もが、数年前の戦争を思い出した。

 

 あの――食糧問題による生存戦争を。

 

「…………」

 

 クルシュ達の部族である“朱の瞳(レッド・アイ)”族は戦争には参加しなかった。するよりも、もっと恐ろしい道を選んだ。誰もが気づいていながら、決して目を合わせようとしなかったもの。同族食い、という罪を。

 

(あの時、族長は笑っていた)

 

 クルシュは同族の肉を自分達に与えていた、全ての罪を自ら被った族長を思い出す。族長は、最後に自分に微笑んだ。

 どうしてそんな事が出来たのか。それが今でもずっと分からない。きっと、これからも分からないだろう。

 

 ただ、思ったのだ。仲間達は、必ず守ると。族長が残したモノを、絶対に守ってみせると。

 

 ――だから、クルシュは再び訪れるであろう食糧問題が本格化する前に、仲間達を説得して村を捨てた。自分達の故郷だ。辛くないはずがない。苦しくないはずがない。

 それでも、再び同族で殺し合うのは避けたかった。再び、同族達の肉を食らうのだけは、避けたかった。

 

 だから、クルシュ達は逃げたのだ。自分達の理想郷を目指して。

 

 ――そして、辿り着いたのがこの地だ。森の賢王の領域。恐ろしい魔獣の棲み処。しかし、もはや行くべき場所も、戻るべき場所も無い。

 故に、クルシュは誠心誠意を込めて、その恐るべき大魔獣に頭を下げた。どうか、この地に住まわせて欲しい、と。

 

 信仰を捧げられた魔獣は、クルシュに是と頷いた。その奇跡をクルシュは覚えている。仲間達の安堵を覚えている。自分を信じて、ついてきてくれた者達の笑顔を覚えている。

 

「……絶対に、守るわ」

 

 人の世界に近かったとは驚いたが、あの森の賢王と同格にも感じるほどの強さの人間達がクルシュ達を見逃したのだ。どこの世界でも、強者には一定の敬意を払うのが普通だろう。彼らがクルシュ達を見逃したのならば、おそらくまだ大丈夫に違いない。

 

 クルシュは草むらの奥で身体を横たえ、祖霊に祈った。かつての族長に祈った。どうか、我々を見守りたまへ、と。

 

「……なに?」

 

 ――しかし、そうはいかないのが世の常である。クルシュは先程人の世界をどのような理由でも強者には一定の敬意が払われ、その言葉には重きを置くと思ったが――人間社会は彼女達の世界ほど単純ではない。

 

 冒険者達が去ったはずのこの新しい村から、仲間の悲鳴が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

「ティア、ティナ? どうした?」

 

 ティアとティナが急に立ち止まったのを見咎めたイビルアイの言葉に、アインズ達も足を止めて双子を見る。

 

「……悲鳴」

 

「……何か、近づいて来てる」

 

 ティアとティナの言葉に、アインズ達は顔を見合わせると即座に武器を抜き、戦闘態勢に移行する。そして、声が聞こえたというリザードマン達の棲み処へと再び踵を返した。

 

「悲鳴が近づいて来てる」

 

「近い」

 

 二人の言葉で先頭に立っているアインズはじっと前を見据えて――近づいて来ているのが、小さなリザードマンである事に気がついた。

 

「なんだ……?」

 

 アインズだけでなく、その姿を見た誰もが首を傾げる。リザードマンはアインズ達の姿を見つけると、アインズの足に縋りついて鳴いた。

 

 ――皆を助けて、と。

 

「――――リザードマン達のもとへ戻るぞ。イビルアイ、この子どもを頼む」

 

「分かった」

 

「俺が先頭、ガガーラン、ブレイン、ティアとティナ、イビルアイ、ラキュースの順だ。行くぞ――」

 

「分かりました――!」

 

 即座に行動に移し、走る。水場に近づいてくると、ティアとティナだけでなくアインズは勿論、ガガーランやブレインの耳にも悲鳴が届いた。同時に、血臭も。

 そして――先頭を走るアインズは、先に見えた光景にグレートソードを振りかぶり、先程は見なかった者達とリザードマンの間を通るように、投げたのだった。

 

「……うおわぁ!?」

 

 未知の敵の先頭にいた戦士が、驚きで声を上げる。同時に全員が仰天し、森を抜けて水場へ戻って来たアインズ達を見た。

 武器を手に戦っていたリザードマン達は、イビルアイが幼子を抱えているのを見てどういう反応をしたものか、困り果てているらしい。具体的には、アインズ達が味方なのかそうでないのか、測りかねているのだろう。

 

 そのリザードマン達の反応も当然と言えた。何故なら、彼らが敵対していたのは、人間だったのだから。

 

「……一体、どんな状況ですかこれは?」

 

 ラキュースが不快感を顕わに、見知らぬ四人組に告げる。見た限りでは戦士、弓兵、神官、魔術師のパーティーと言ったところか。視線を巡らせるが、彼らにはプレートが無かった。

 

「……ワーカーかよ」

 

 ガガーランの言葉に戦士の視線が動き、ガガーランを見てポツリと告げた。

 

「あ、『胸ではなく大胸筋です』……」

 

「――――」

 

 その言葉で、空気が止まった。ガガーランの瞳が危険な色を帯び始める。

 

「さすがガガーラン」

 

「まさに真実」

 

 ティアとティナが茶化し、それにガガーランが叫んだ。

 

「こ、こ、これはれっきとした胸だこんちくしょおおおおおおおおッ!!」

 

「おい、喚くな筋肉」

 

「黙れまな板」

 

「好きでまな板なわけではないわああああああッ!!」

 

 ガガーランとイビルアイの喧嘩が始まったが、アインズ達は無視して四人組を見る。

 

「で――そちらの方々は、何をなさっているんです?」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、四人組は顔を見合わせると、誤魔化すように笑みを浮かべながら戦士と神官が答えた。

 

「あー……さすがに、アダマンタイト級冒険者に喧嘩を売る気はないんで、言いますけど……」

 

「依頼です。リザードマン達を討伐するように、と」

 

 二人の言葉に、アインズは視線をラキュース達に向ける。

 

「俺達はあまり依頼を受けたことが無いんだが……討伐依頼をワーカーがするものなのか?」

 

 アインズに訊かれたラキュースは、少し考えながら頷いた。それに、ティアとティナが補足を入れる。

 

「ただ、その場合は討伐依頼以外に何か頼んでいる場合が多い」

 

「たぶん、何か他に頼まれてる」

 

「ふむ」

 

 しかし、その込み入った事情というものをアインズは元から考慮する気が無い。何故なら――

 

「あの、続きしてもいいですかね?」

 

 戦士が問いかけてくる。アインズは、それにはっきりと告げた。

 

「いいや、駄目だ」

 

「――――え?」

 

 戦士が、彼らの仲間が、そしてラキュース達やリザードマン達がアインズをぽかんと見つめている。しかしアインズは、そんな彼らの疑問を無視して、はっきりと自らの決定を口にした。

 

「俺達は彼らに、森から出て人に迷惑をかける気がないのなら見逃すと、そう告げた。だから、お前達のそれを見過ごすわけにはいかない」

 

「――――」

 

 アインズの言葉に、全員が驚く。だがアインズとしては、これは当たり前の事だった。

 アインズは、リザードマン達にそう約束をしているのだ。そう約束をして話を聞いた。であるならば、それが正当防衛であるかぎり、アインズはリザードマン達を傷つける意思は無い。

 どちらかが約束を破らないかぎり、あるいは明確な不都合が発生しないかぎりそれは守られる。これは当然の事だろう。

 

 だが、そのアインズの言葉が、戦士達は心底理解出来なかった。

 

「いや、リザードマンですよ? そんな約束、守る必要あるんすか?」

 

 戦士の疑問は、人間にとって当たり前の事だ。彼らは人間ではない。魔物である。

 だから、何をしてもかまわない。良心が無いのではなく、もとからそれが適用される対象外なのだ。

 しかしアインズにとっては違う。

 

「おかしなことを訊くな。命に貴賤は無いだろう?」

 

「――――」

 

 そのアインズの言葉に、今度こそ全員が絶句した。だが、アインズはこの言葉を断固として曲げる気は無い。

 

「……アンタ、正気か?」

 

 人間の命と、リザードマンの命を同等に考えるのか、と戦士はアインズの正気を疑う。アインズは頷いた。

 

「無論だ。人間だろうと、リザードマンだろうとそれは一つの命だろう。ならば俺にとってそこに貴賤は無い。同じ命、対等な立場だ」

 

 当然、そんな言葉が通るはずはない。しかしアインズはその姿勢を変える気はない。

 何故なら、アインズにとってここは異世界で――アインズが大切にすべきものは、今のところこの名前以外にありはしない。

 だから、アインズにとってこの異世界の存在は平等だ。そこに優劣が生まれる時は、アインズの利益や好みに左右される。

 

 ……そも、国同士の政に関わらない冒険者の立場だ。ならばこの姿勢こそが正しいだろう。未知の探求、種族の架け橋。あらゆる出来事を既知に変えるのが冒険者の本来の仕事であるべきだ。ならば、命に貴賤を挟んではならない。でなければ、未知の土地を制覇など出来るはずもない。

 

 生きているかぎり(・・・・・・・・)一人では生きていけないのだから(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「――アインズ」

 

 アインズの貴賤は無い、という言葉に、イビルアイが呆然と名を呟く声が聞こえた。次いで、ラキュースやガガーランが嬉しそうな声を上げる。

 

「そうですね、アインズさん! 命に貴賤なんてあるはずがありません!」

 

「確かにな。連中はまだ誰にも迷惑はかけちゃいねぇ。それなら、約束はキッチリ守らねぇとな」

 

 ラキュースとガガーランが武器を構えた。ティアとティナは溜息をつきながらも同じように構える。

 そして、ブレインもまた刀を抜いた。

 

「俺としちゃ、その辺の心情はどうでもいいがね。……まあ、一度した約束を一日も経たず破るのは、ちょいと気分悪いぜ」

 

 全員が戦闘態勢に移ったのを見て、戦士達は怯む。彼らの実力がどれほどかは分からないが、アダマンタイト級に怯む辺り、こちらと同格ではないだろう。戦士がまず、一番に手を上げた。

 

「あー、はい! 分かりました! リザードマンは諦めます! 依頼人も、アダマンタイト級冒険者に邪魔されたってんなら、諦めるだろうし……帰りますよ!」

 

 次いで、神官達も大人しくする。それを確認し……アインズ達は武器を収めた。

 

「そうしろ。何か無いかぎりは、リザードマン達に手を出すということは、俺達に喧嘩を売ったと思えよ。諦めて家に帰れ」

 

「そうしますよ。さすがに、アンタらに喧嘩売っても勝てる気はしないしな!」

 

 戦士が仕方なさそうな表情で答える。互いの実力差がよく分かっているのだろう。アインズは強さの基準を測る事が出来る特殊技術(スキル)など持っていないので、羨ましいかぎりだ。所詮はゲームで身に着けた強さであり、日々の生存競争で鍛え上げられた本物の強さではないからだろう。

 

 互いに武器を収め、唸り声を上げていたリザードマン達も話が一段落着いたのを確認し仲間の死体に駆け寄っていく。アインズがそれを横目で見ていると、ブレインが声を上げた。

 

「ところで、お前らどこのワーカーだよ?」

 

「…………」

 

 戦士達は仲間内で顔を見合わせ、観念したのか名乗っていく。彼らは帝国のワーカー。チーム名をフォーサイト、であると。

 

 それだけ確認してしまえば、あとは本当にもう用は無い。フォーサイトが去って行く後ろ姿を確認した後、アインズは草むらから出て来ていた白い鱗のクルシュに声をかけられる。

 

「ありがとうございます、人間の方々。おかげで、被害は最小限で済みました」

 

「いえ。単に筋を通しただけですよ」

 

「――それでも、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません」

 

 そこまで畏まらなくてもいいのだが、クルシュは何度も頭を下げる。アインズは困惑し、兜の中で視線を彷徨わせるとちょうどイビルアイがリザードマン達に子供を返しているのが見えた。

 

「……まあ、いつか森の薬草を採取する時が来るかもしれませんので、その時に道案内でもお願いしておきたいですね」

 

「……! はい、ぜひ……!」

 

 アインズの言葉に、クルシュは笑ったようだった。目元や口元が歪んだので、きっと笑ったのだろう。

 

「さて、行くぞお前達」

 

 アインズが声をかけ、ラキュース達が返事をする。再びリザードマン達の元を去るアインズ達に、リザードマン達は手を振り見送ってくれた。

 

 

 

 ――そして、しばらく歩いてからポツリとブレインが口を開く。

 

 

 

「――で、アインズ。お前、連中が約束を守ると思うか?」

 

 ブレインの言葉に、ラキュースが驚いたように目を見開いていた。ティアとティナはいつも通りの無表情、イビルアイは微かに仮面で隠した顔を下に向けて視線を逸らす。ガガーランは苦虫を噛み潰したような顔だ。

 

 アインズは、思っている事をブレインに告げた。

 

「――守らんだろうな」

 

 アインズはきっぱりと告げる。彼らは所詮ワーカー。表通りを歩けない、犯罪者も同然の者達である。金のためなら何でもするのがワーカー達の通説なれば、例え相手がアダマンタイト級冒険者であろうと、出し抜く手段を考えるだろう。

 ましてや、相手はリザードマンという亜人達。良心の呵責など抱くまい。アインズが、人を殺すのに躊躇しないのと同様に。

 

「そ、それならすぐに戻って知らせないと……」

 

「無理だ、ラキュース。彼らはもう、あそこ以外では生きていけないんだ。場所を移動しろと言われても、無理な話なんだよ」

 

 慌てるラキュースに、イビルアイがどうしようもない現実を告げる。ラキュースはイビルアイの言葉を聞いて、少しの沈黙の後――何かに耐えるように拳を握り締めた。

 

「あーあ……胸糞悪ぃ話だな、ホント」

 

 ガガーランが舌打ちをしそうな表情で、吐き捨てるように告げた。あの場以外ではもう生きていけないリザードマン達は、もはやどうやっても一介の冒険者では助けられない。自分達の限界を、思い知らされるような結末だった。

 

 だが――そんな暗い表情になったガガーランとラキュースを安心させるように、ティアとティナが告げる。

 

「大丈夫、ラキュース、ガガーラン」

 

「たぶん、リザードマン無事だと思う」

 

「え?」

 

 その言葉に、二人だけでなくアインズも、ブレインも、イビルアイも驚いた。思わずティアとティナを凝視する。ティアとティナは人の悪い笑みを浮かべて、アインズ達に自分達が見たものを教えた。

 

「――もし約束を破ったら、連中は罰を受ける」

 

 

 

 

 

 

 帝国でも指折りのワーカー、フォーサイト。冒険者としてのランクはミスリル級であり、チームワークの優れた四人組だ。

 そんな彼らは、この冬の季節にある問題を抱えていた。いや、正しく言えば仲間の一人が、だ。

 

「――すまない、皆。せっかくこんな危険な依頼を受けてくれたのに」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアルシェが、三人の仲間達――戦士のヘッケラン、神官のロバーデイク、弓兵のイミーナに告げる。しかし、彼らはそんな自分達の妹分に朗らかな笑みを浮かべた。

 

「気にすんなよ、俺らは仲間だろ」

 

「そうです。気にしないで下さい、アルシェさん」

 

「この依頼だって、私達の総意で受けたのよ?」

 

 ヘッケランやロバーデイク、イミーナがアルシェの頭を優しく撫で、背中を安心させるように叩く。アルシェはそれが申し訳ない。

 

 ……アルシェは、元貴族の御令嬢だ。鮮血帝ジルクニフの大粛清の折に、貴族位を剥奪されてただの一般市民となった。

 しかし、それがアルシェの両親は分からない。父も母も愚かで、自分達がいつまでも貴族のつもりなのだ。ジルクニフさえ死ねば、再び貴族に返り咲けると現実を否定して、夢の中に生きている。そんなわけがないのに。

 そして、結果として借金が膨らむ。父親は未だ自分は貴族なのだと際限なく散財し、母親はそんな父に追従して、香水や装飾品を買いアルシェがいつか、貴族の家に嫁ぐ事を夢見ている。

 対して、アルシェはひたすら現実を見据えてきた。魔法学院を辞め、ワーカーになった。そして膨らむ借金をどうにかしようと働き続けた。

 ――だが、いくら働こうと借金は減らない。父も母も、アルシェが金を家に入れる度に散財し、入って来る金以上に、出て行く金が多過ぎる。

 そしてついに、借金取りはアルシェが所属するフォーサイトにも迷惑をかけた。いや、アルシェが迷惑をかけさせてしまった。もっと早く両親の問題を解決していれば、借金取りはフォーサイトにまでアルシェの居場所を探して訪ねに来なかっただろう。

 だから、アルシェはようやく決心が着いた。両親を見捨てる事にした。今回の依頼の後に、妹二人を連れて家を出る。今回の依頼で入る金で借金をある程度減らしてやる事こそ、アルシェの両親にかける最後の想い。……いや、もっと早くこうするべきだったのだ。そうすれば、借金取りだって両親に際限なく金を貸そうとしなかっただろう。ヘッケラン達も、いつまでも装備を新調しないアルシェのために、依頼中アルシェを過剰に守ったりしなくて済んだはずだ。

 アルシェの決心は遅すぎたのだ。しかしまだ間に合うと信じ、今回の依頼にかけた。

 

「……いやー。まさかあんな変わった性格の冒険者がいるとは思わなかったぜ。あいつらの顔、誰か知ってるか?」

 

 ヘッケランの言葉に、全員首を横に振る。蒼の薔薇は知っていたが、蒼の薔薇と行動を共にする戦士二人は知らない人間だ。アダマンタイトプレートを身に着けていたため、実力は間違いなく自分達より上であろう。

 

「っていうか、たぶんあの漆黒の戦士がリーダーよね? 明らかに格が違う感じだったし」

 

「そうですね。仲間からの信頼度が全く違います。見ただけで分かりますね」

 

 イミーナとロバーデイクの言葉に、アルシェも頷いた。そう、あの漆黒の戦士は明らかにリーダーだ。同じアダマンタイト級と言っても、おそらくあの戦士二人は新人だろうに、蒼の薔薇は漆黒の戦士にリーダーを譲っている。それが異常と言えば異常だった。

 

「……んで、どうする?」

 

 この依頼をどうするか、とヘッケランは言外に告げていた。それはつまり、彼らとの約束を守るか否か、という事を意味する。

 ……はっきり言えば、あの冒険者達の意見は少数派だ。事が表沙汰になれば、その高潔な精神は褒められるかもしれないが歓迎はされないだろう。

 それに、アルシェ達はもとよりワーカーであり、地位も名誉もほとんど関係の無い位置にいる。決まりで縛られる冒険者達と違い、ワーカーは暗黙の了解さえ時には無視出来る自由を持っていた。

 

「…………」

 

 しかし、アルシェは沈黙を守った。アルシェはこの話し合いに参加する権利は無い。金銭に問題を抱えているアルシェには、正確な判断は下せないためだ。金に目が眩んで――その結果の事案は、幾らでも存在する。

 

「……蒼の薔薇は確か、王都――あっと、今は違うっけ? まあ、分かり易いから――王都が拠点だったわよね?」

 

「おう。朱の雫――最近噂を全く聞かないが――朱の雫も、王都が拠点だったはずだ」

 

「さすがに蒼の薔薇と行動を共にしているのだから、あの二人の戦士も自治領の方の冒険者でしょう。エ・ランテルの場合もありますが、我々の活動拠点である帝都とは離れていますね」

 

 ――それはつまり、何かあっても自分達に対して迅速に動けない事を意味する。ましてや相手はワーカーだ。一筋縄ではいかない事など、すぐに分かるだろう。なんだったら、都市国家連合に拠点を移してもいいのだから。

 

 

「――決まりだな」

 

 ヘッケランの言葉に、イミーナとロバーデイクが頷く。

 

「んじゃ、引き返して連中の姿が見えなかったら、仕事の続きと行くか!」

 

 その言葉に、一番驚いたのはアルシェだ。思わず口を開く。

 

「……もし、私に気を遣っているなら止めて欲しい。今回の仕事が失敗に終わっても、当てはある」

 

 アルシェとて元々はこの若さで第三位階魔法を使える才女なのだ。魔法学院に伝手があるので、正直に言えばワーカーにならなくても金を稼げる。ただ、ワーカーほど実りのいい金額では無いというだけで。

 

 しかし、そんなアルシェを安心させるようにヘッケラン達は笑う。

 

「ちげぇよ。単純に、俺らも舐められたら終わりだからな。ワーカーであるなら、尚更だ」

 

「そうよ。アダマンタイト級が相手なのは厳しいものがあるけど、今回の件は表沙汰になっても大丈夫だと思うわ」

 

「その通りです。彼らはリザードマンという亜人種を庇っているのですからね。表立って我々を非難しにくい……。私達に不快感は抱くでしょうが、追いかけてこようとは思わないでしょう」

 

「……ありがとう」

 

 アルシェは礼を言う。少し涙ぐんでいたかもしれない。しかし、彼らは笑顔でアルシェを引っ張って道を引き返した。

 

 

 

 ――彼らはワーカーであり、日陰者だ。そして、その中でフォーサイトは比較的情報を軽視する面があった。

 例えば、普通は同業者について情報を集めるであろうがフォーサイトのリーダーであるヘッケランは、王国の冒険者までは調べない。金が勿体ないからだ。同じワーカーのパルパトラはそんなヘッケランを豪胆と称し嫌いではないと笑うだろうが、グリンガムは忠告を与えるだろう。無知は自分のチームを危険に晒すぞ、と。

 ……もし仮に、アインズの名前を知っていたなら話は少し変わっただろう。エ・ランテルのみを自治領ではなく帝国領として扱い、蒼の薔薇を一度はオリハルコンに落とし、アインズと合流した後アダマンタイトに戻すという特例染みた行動。この事を知っていれば、勘がいい者は帝国がアインズの不興を買う事を避けている事に気がついたはずだ。

 そして勿論、そのアインズに喧嘩を売るような真似をする犯罪者を見逃さないであろう事も。

 

 ――だが、フォーサイトが犯した一番の過ちはそこではない。その後の事ではなく今この瞬間明確に、彼らは判断を間違えた。

 

 アインズ達は話を聞いて知っていた事だが、フォーサイトはリザードマン達と会話をする発想が無かった。まあ、フォーサイトは依頼主から珍しい白い鱗のリザードマンを初めとしたリザードマン達の皮を剥ぎに来た密猟者なのだから、会話をする発想が無くても無理はない。しかしそれでも、彼らは判断を間違えた。引き時を誤った。

 

 ティアとティナが気がついた、リザードマン達が用意していた木の実や陸生動物の獣肉に、フォーサイトは気がつかなかった。

 リザードマン達の主食が魚であり、木の実は儀式用で――そして獣肉は食べないという事を、フォーサイトは知らなかった。

 

 フォーサイトは、リザードマン達が森の賢王の庇護下にある事を、知る事が出来なかった。

 

 ――――そして、彼らは地獄への一歩を踏み出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 ……夜の帳の中、傷だらけのアルシェが一人ぼっちで帝都の街を歩く。ヘッケランの姿も、ロバーデイクの姿も、イミーナの姿もそこにはない。もう二度と、あの三人の姿を見る事は無い。

 

「…………」

 

 アルシェは服の袖で顔を拭う。定期的にそうしていないと、涙がこぼれてしまいそうだった。

 

 フォーサイトが再びリザードマン達の集落へ踏み込み、剣を振るおうとしてやって来た大魔獣。その姿を見た瞬間、自分達は判断を間違えた事を悟った。言葉を紡ぐ大魔獣は、アルシェ達の姿を見て笑ったのだ。

 

 さあ、命の奪い合いをしよう、と。自らの縄張りを侵した罪の償いをするがいい、と。

 

 その結果は、語るまでもない。一目見ただけで分かった。アレは伝説の大魔獣。トブの大森林に棲む森の賢王。第四位階の魔法さえ操る御伽噺。自分達では逆立ちしても勝てない絶望である、と。

 

 ……ヘッケランの剣も、イミーナの弓も何一つその装甲に通じなかった。いかなる材質で出来た毛皮なのか、あの大魔獣に傷一つつける事が出来なかった。唯一通じる攻撃手段と言えば、アルシェの使う攻撃魔法のみだ。

 そして、アルシェの魔法が自分を傷つけると知った大魔獣はアルシェを狙った。前衛を無視し、伸縮自在の尾を使ってアルシェを攻撃したのだ。

 結果、ロバーデイクが死んだ。アルシェを庇って。たったの一撃で、ロバーデイクは物言わぬ骸になったのだ。

 ……その後は、もはや語るまでもないだろう。回復役である神官を欠いた状態で勝てるはずはなく、もはや誰もが逃げられない事を悟った。

 そしてヘッケランとイミーナが選んだ選択肢は、アルシェが飛行魔法で大魔獣の射程外に逃げるまで時間を稼ぐ事だった。

 

「…………」

 

 皆に生かしてもらった事に、アルシェの涙は止まらない。アルシェの攻撃しか通用しないのに、そのアルシェが逃げた。ならば、残ったヘッケランとイミーナの末路など言うまでもないだろう。あのアダマンタイト級冒険者達が都合よく近くにいて、ヘッケランとイミーナを助けてくれるなんて、そんな奇跡はあり得ない。

 

「…………」

 

 アルシェは一人ぼっちで歩く。夜の帝都を。自宅目指して。ヘッケラン達が生かしてくれた命を、大切にするために。

 ……そして、自宅へ辿り着く。夜中だと言うのに、家には灯りがついていた。それどころか、何台も馬車が止まっている。それが、アルシェを妙に不安にさせ、怪我で痛む体を無視して、急いで館に入った。

 

 そこで――――アルシェは見た。見てしまった。取り押さえられて泣き喚く両親と、絶望した顔で周囲を呆然と見つめている執事。そして、次々と広間へ怪しい男達の手で集められていく調度品。

 

「な……なぜ……」

 

 呻くように言葉を漏らす。全身の傷の痛みさえ、思考の彼方に追いやられた。いつも見る借金取りの男が、アルシェが帰って来たのを見て微笑んでいる。

 

「おや? これはこれはお帰りなさいませ、フルトのお嬢さん。今、お宅に貸していた金額を返済してもらおうとしていたところです」

 

「――――」

 

 アルシェは呻く。借金の返済期限にはまだ時間があったはず――いや、返済などしていない。ただ、一部何とかアルシェが返済していたものを、全て返済してもらおうとやって来ただけなのだ。……本当の話、返済期限はとっくに過ぎていた。アルシェは自分が今まで、借金取りに甘えてきた事実を悟る。

 

「ア、アルシェ! 早く持っている金を出せ!」

 

 父親の叫び声にはっと我に返った。有り金を全部出せば何とかなるかもしれない――と父親はそう思っているのだろう。しかし、アルシェにそれは出来ない。今のアルシェに金など無いからだ。

 たった一人、トブの大森林を抜けて帝都まで帰って来た。たった一人の旅は、行きとは倍以上の金額と時間を使う。手持ちの金は今は無い。

 そして、依頼を失敗したアルシェに、今すぐ確実に用意出来る金は無かった。

 

 顔色を真っ青にして何の反応も示さないアルシェに、父親がなおも叫ぶ。自分達が見捨てられると思ったのか、命乞い染みた言葉を発する。

 

「ウレイとクーデの命がかかっているのだぞ! 早く出せ!」

 

「――――え?」

 

 アルシェはその言葉に、今度こそ思考が真っ白になった。慌てて周囲を見渡すが、そこには顔色を真っ青にした使用人達と、取り押さえられている両親しかいない。

 妹二人の姿が、どこにも存在しなかった。

 

「……ウレイは? クーデは?」

 

 呆然と呟いたアルシェの言葉を無視して、借金取りが微笑む。

 

「無論、借金の形ですが? さて、お嬢さん……返済は可能ですか?」

 

「――――」

 

 アルシェは借金取りを絶望の表情で見る。いつまでも金を出す様子の無いアルシェに、遂に借金取りも悟った。彼女には、もはや借金を返す事は出来ないのだ、と。

 だとすれば、借金取りのする事は一つだけだ。

 

「――なるほど、なるほど。では借金の形に貰って行きましょう。……コッコドールさん」

 

 借金取りの言葉で、一人の男が姿を現す。男は甲高い声でアルシェを見た。

 

「あら! あらあら! 可愛い子じゃない! さっきの子も、この子もたっぷり稼げるわ! 借金なんてすぐよ、す・ぐ!」

 

「それはよかった!」

 

 甲高い声の男――コッコドールという男の言葉に、借金取りは安心したように微笑む。アルシェの肩を、後ろからポンと手を置いて掴んだ気配をアルシェは察した。

 

「さ、ゼロ。その子も連れていってちょうだい! ワーカーらしいから、ちょっと最初は調教しなきゃだけど、まあ、すぐに心が折れる(・・・・・)でしょ」

 

「分かった。そう急くな、コッコドール」

 

 アルシェは呆然と彼らの会話を聞く。背後をふと振り返った。そこには――刺青を彫った筋肉質な男が、岩のように立ってアルシェを掴んでいる。

 

 ――勝てない。

 

 アルシェは悟った。この男はアルシェなど容易く襤褸切れにする。あの森で遭遇したアダマンタイト級冒険者達と同格の化け物だ。気配で分かる。

 

 アルシェはゼロと呼ばれた男に引き摺られていく。妹二人の顔が脳裏に浮かび、助けなくては、という思いがアルシェの体を動かそうとした。しかし――

 

「ぎ、あああああああああああッ!!」

 

 ゼロという男が、容赦なく腕を捩じ切った。ブチブチと千切れる神経と肉と骨に絶叫を上げる。片腕をもぎ取られたその痛みが、アルシェに魔法の詠唱をさせない。

 

「ふん。じゃじゃ馬だな――まあ、気にするな。そういう趣味の奴は割といる。俺は興味が無いがな」

 

「ええ。気にしなくていいのよ、腕が無いくらい! 達磨がいい――なんて特殊性癖のお客さん、探せばいるし、そういう連中は金払いがいいんだから!」

 

「あ、あ、あ、あ……」

 

 その言葉に絶望する。放り投げられ床に転がった、先程まで自分と繋がっていた腕を呆然と見つめる。

 

「まあ、お嬢ちゃんが嫌なら妹さん達にやってもらうから、全然気にしなくていいからね!」

 

 コッコドールという男がそう放った言葉を聞きながら、アルシェはゼロという男に引き摺られていった。最後に生まれ育った館を見る。

 両親と使用人達が、アルシェと視線が合う事を避けるようにして、床を見ていた。借金取りはアルシェなぞ無視して他の男達に指示を出して調度品を回収している。コッコドールという男だけが、アルシェの新たな門出を祝うように微笑み手を振っていた。

 

 その誰からも見捨てられた絶望を、アルシェは馬車に詰め込まれるまで見つめ続けた。

 

 

 

 

 




 
皆大好きしかし芸芸人、六腕さん帝都に入場。
 

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