マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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ぼくはげんきです(震え声)。

■前回のあらすじ

アルシェちゃんアヘ顔ダブルピース。
 


The Evil God Ⅰ

 

 

 ――夜の帳が降りた道を、一人の少年が歩いていた。

 背筋はピンと伸びており、その歩き方にはある種の自信が感じられた。少なくとも、夜の闇に紛れてこそこそと暗躍する類の輩ではない。その歩き方はむしろ――戦闘訓練を受けた兵士を思わせた。

 夜道を歩く少年の腰には一本の剣が下げられている。これはある男が、仕方なく許可を出して少年に帯剣を許したためだ。本当は持たせたくはないのだが、少年には護身が必要である。

 少年に、ではなく――少年が守る少女の方に、ではあったが。

 

「…………」

 

 少年――かつてリ・エスティーゼ王国の第三王女ラナーに仕えていた兵士であるクライムは、帝都の夜道を歩いていた。既に夜という時間帯もあって、道中に人は見ない。店は閉まっている。

 

「……少し遅くなってしまったな」

 

 長年の癖である独り言がクライムの口から洩れる。しかしその独り言を聞く者は誰もいない。

 

 ……クライムは現在、かつて王女であり、そして今は皇帝の側室となったラナーの小間使いとして仕えている。あの秋の戦争で大敗北を喫した王国に抵抗する力はなく、ラナー以外の王族は全て処刑され、唯一の生き残りであるラナーは皇帝の側室として王都から帝都へ一直線に運ばれてきた。

 クライムは、その折にラナーに抵抗するのは止めるように言われ共に帝都へやって来たのだ。今となっては、王国の事は風の便りでしか知る術は無い。

 とは言っても、クライムは皇帝であるジルクニフにそこまで悪感情は無かった。ジルクニフの王族処刑方法については思う事はあるものの、その処刑理由については正当性があるからだ。

 王国貴族は八本指と繋がっている。そんな事は、クライムだってとうに知っていた。知っていたが、何も出来なかったのだ。

 貴族達はそのために処刑された。鮮血帝などと呼ばれるだけあって、ジルクニフのそれは苛烈であったが――それでも、罪が無ければあのような死に方をする事は無かっただろう。現に、生きている貴族だっているのだから。

 

「…………」

 

 その生きている貴族達について思いを馳せた時、ある一人の貴族の顔が頭の中に浮かびクライムは表情を嫌悪に歪める。レエブン侯――かつて蝙蝠などと揶揄され、そして今はかつて王国であった自治領の領主を任されている男を。

 クライムにとって、レエブン侯は複雑な相手だ。ラナーを化け物呼ばわりするザナックと共にいた、ザナックを支持する貴族。そしてラナーが唯一、これと言って口煩く言わなかった大貴族だ。

 ラナーはジルクニフから与えられた離宮から出る事を許されていないため、こうしてクライムに帝都を歩かせ買い物を任せるのだが――その際に街中で聞く元王国の風の噂は酷いものだった。肌寒く、クライムの吐く息は白くなったこの冬に、レエブン侯は戦争後とは言え信じられないほどの税率の引き上げを行い、民衆から徴収しているのだとか。

 

「…………」

 

 搾取される民衆を思うと、クライムは憤りを感じる。そして同時に、ザナックを哀れに思うのだ。クライムは意外に感じたのだが、ザナックは帝国の判定としては八本指と繋がっていない。つまり、ザナックはあれでまともな王族だったのだ。第一王子のバルブロとは違う。

 だからこそ、ランポッサ三世と共にたった二人だけ火刑ではなく絞首刑だった。

 ……そして、そんなザナックを支持していたレエブン侯が今や元王国の支配者。どう考えても裏切りにあったとしか思えないその結末を思うと、ラナーを化け物と呼んでいたザナックであろうとクライムは少しばかり憐憫を感じざるをえなかった。

 

「…………」

 

 クライムは頭を軽く振って、その思考を頭から追い出す。……ともかくとして、クライムは帝国にそこまで悪感情は無い。何より、ラナーが無事であるのだから。クライムにとって最優先すべき事はラナー。そのラナーは皇帝の側室として一定の地位を約束され、離宮内では自由を許されている。

 それは籠の鳥と大差のない扱いであったが、他の王族の末路を思えば破格の扱いだろう。それに、クライムはそんなラナーに対する皇帝の扱いに内心で安堵していた事を、認めざるをえなかった。

 

 ……ジルクニフはラナーに対して側室としての仕事を何も求めてはいない。ラナーに会いに来たのはたったの二度。一度目はこの地に運ばれた際の顔合わせとして。二度目は、それから少しして。どちらも日中であり、どちらもクライムが席を共に許可される事はなかったが短い時間であり、決して側室の仕事としての行為は行われていなかったと断言出来る。

 

 ラナーに決して口にしてはならぬ想いを抱えていたクライムは、そんなジルクニフのラナーへの扱いに安堵している事を、認めたくはないが認めざるをえなかった。

 

「…………」

 

 クライムは夜道を歩く。遠く離れた離宮を目指して。ラナーの待つ、離宮へ。買った品物をラナーに渡した後は、すぐに離宮を離れなくては。変な邪推を起こされては堪らない。たとえ誰も何も言ってこなくとも、クライムはラナーの品性を下げるような行いを自分がしたくはない。

 そうして、夜の街を歩いていると……クライムの耳に、金属音が届く。クライムの足が止まった。

 

「…………」

 

 クライムはふと横道を見る。それは路地裏とも言うべき、月の明かりや夜道を照らす街灯さえ届かない細い道だ。そこから、金属音が聞こえたのだ。

 クライムは考える。果たして、この行動は正しい事であるのか、を。

 

「……申し訳ございません、ラナー様」

 

 クライムは少し考えるとポツリと呟き、その路地裏へと向かった。クライムは正義感を持った少年であり、武の心得もある。見捨てるのは憚られた。クライムの耳が聞き取った金属音は、刃物特有の鋭い音がしたからだ。

 ……これが王都であったのなら、クライムもさすがに路地裏に踏み込もうとは思わなかった。王都は華やかであったが、それはほぼ見せかけだ。夜になれば犯罪者共が大手を振って跋扈しているし、路地裏などは昼間であろうとただの民衆には危険であった。

 しかし、ここは帝都である。あの鮮血帝ジルクニフが君臨する、大帝国の首都だ。たとえ夜であろうと犯罪者達は身を潜ませて動くしかなく、たとえ路地裏であろうと昼間に動く事は許されない。そんな都市なのだ。

 だとすれば、この刃物の音は何なのか。クライムはそれを知るために、路地裏へと一歩足を踏み入れた。

 

「…………」

 

 慎重に、周囲を警戒し、腰に下げた剣の柄に手を置いてすぐに抜剣出来るように歩く。そうして先へ進む内に血の臭いを感じ取り――クライムは、これが決して見過ごしてはならぬ犯罪の現場だと断定した。

 

「んー?」

 

 そして路地裏の奥、地面に倒れた男がいる。そのうつ伏せに倒れた男からは目立った外傷は見えないが、男は血の海に倒れている。そんな、死体とも言える男の前に血に濡れたスティレットを持った何者かが立っていた。

 黒いマントを着用し、影に溶け込んでいるような誰か。黒いマントから微かに覗く顔が、それが女である事をクライムに分からせる。紫の瞳が猫のように煌めいていた。

 

 そして――クライムは、相対した瞬間に悟る。ここに来たのは間違いだった。

 僅かな良心など蓋をしてあのまま去るべきだった。あの女は難敵だ。無造作に立っているようで、隙が全く存在しない。クライムの腕では、あの女に傷を負わせるのさえ難しいだろう。――何気なく立っているその女からは、ガガーランと相対したような圧倒的な力の差をクライムは感じ取ってしまったのだ。

 

「――――」

 

 クライムが怖気づいたのに気がついたのか、女の顔が歪む。それは引き攣ったような不気味な笑みで、端的に言うと正気ではなかった。

 

「ん、んー……人にぶつかっておいて謝りもしない子をお仕置きしただけなんだけど、運が悪い子だねー」

 

 間延びした、間抜けにも感じる声。だがクライムは油断などしなかった。剣を鞘から抜き放つと同時に、大声を上げる。

 

「ほいっと」

 

 ――そして、それより早く女が動いた。いつの間にか目の前にいる女。鞘から抜こうとした剣は女の細腕に軽々と押さえられ、クライムの喉を衝撃が襲う。

 

「がッ――」

 

 空気も音も何もかもが喉で遮られ、喉の痛みに悶絶する。クライムはその痛みの中、必死に女を見た。後ろに下がろうとするが距離は保てない。片手は女に押さえられ、そのまま繋がれて距離が取れない。そしてもう片方の女の手は――スティレットをいつの間にか左手に持ち替えていた女の左手は、スティレットの柄をこちらに向けていた。

 

 それで、ようやくクライムは何をされたのか悟る。喉をスティレットの柄の底で潰されたのだ。大声を出せないように。

 

「はい、これで助けは呼べないねー。じゃあ、お姉さんとこれからいいことしよっかー」

 

 にんまりと動く女の顔。黒いマントから覗く女の体は、あらゆる種類の冒険者のプレートで覆われていた――。

 

 

 

 

 

 

 その日は、ラキュースが受け取った一通の手紙から始まった。

 

「アインズさん! お願いします……!」

 

 頭を下げるラキュースを前にして、話を聞き終えたアインズは少し考える。

 

 ……ラキュースが受け取った手紙の内容は、帝都にいる友人――かつて王国の第三王女であったラナーという少女からのものだった。

 ラキュースはラナーとは親友らしく、その親友が挨拶も何も書かず火急の用件だけを書いた手紙。そこには、ラキュース達蒼の薔薇とも懇意であるクライムという少年の不幸を知らせる内容が書かれていたのだ。

 ……残念ながら、帝国には蘇生魔法を使用出来る信仰系魔法の使い手はいない。ラキュースのみがその魔法を使用する事が可能であった。他に頼ろうと思うと法国に頼らざるを得ないのだ。

 ……そして、法国に渡せる対価がラナーには無いのだろう。ラナーにはラキュース以外に頼れる存在がいなかった。

 

 だからこそ、ラキュースは今アインズに頭を下げて、どうか一緒に帝都まで来て欲しいと頼んでいるのだ。戦争時の事が尾を引いており蒼の薔薇であった五人だけでは帝都には入れない。漆黒と蒼というチームになって、初めてラキュース達は帝都に入る事が出来る。

 

 ……はっきり言おう。アインズとしては、欠片もメリットを感じない相手だ。そもそもラナーという少女の事もよく分からないし、帝国でもそれほど優遇されているような話はとんと聞かず何のイベントも存在しない。

 

 だが――親友のために出来る事をしてあげたい、というラキュースの気持ちは分かる。

 

「……その復活魔法は近場に死体が無いと駄目なんだな?」

 

 アインズの言葉に、ラキュースが弾かれたように顔を上げ、頷く。

 

「は、はい! それに、早めに復活魔法を使わないと、復活出来なくなります。なるべく急ぎたいのですが……」

 

「なるほど」

 

 ……どの道、この異世界で復活魔法を間近で見るいい機会だ。アインズはラキュースの言葉に頷いた。

 

「では、早速旅の準備をするぞ。なるべく早く帝都に着けるようにな」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 ラキュースは再び頭を下げ、ラキュース達五人は冒険者組合を出て買い物に向かった。着の身着のままでも問題の無い、アインズとブレインだけがその場に残される。

 

「……まさか王女さんと友達とはなあ。世の中って割と狭いのかね?」

 

 ブレインがポツリと呟く。ガゼフという共通の知人を持っていたアインズとブレインが出遭う事があるのだ。貴族だったラキュースが王国の王女と友人だったなど十分あり得る事だろう。

 

「人間の世界は狭いからな。そういうこともあるだろうさ」

 

「しかし、ちょっとは渋るかと思ったぜ。お前、割と冷たい奴だろ?」

 

 ブレインはアインズを面白そうに見ている。アインズはブレインに視線を向けた。

 

「そうか? 少しばかり心外だぞ?」

 

「だってお前、あの蜥蜴の連中だって実のところそんなに興味ねぇだろ?」

 

「…………む」

 

 ブレインの笑みを浮かべた言葉に、アインズは黙る。事実、その通りだからだ。

 

 確かに、アインズは命に貴賤は無いと思っている。だがそれは、誰の命も平等だという意味ではない。そういう細かい事をブレインは言っているのだろう。

 

「あんまり得にならないようだったり、キナ臭すぎるようだったら近寄らない。違うか?」

 

「……よく観察しているな、ブレイン」

 

 アインズがそう告げると、ブレインは声を上げて笑った。

 

「そりゃ、俺も似たようなところがあるからだろうよ! 面倒臭いことは苦手だってな! ……まあ、俺とお前の違いはお前には惚れっぽいところがあるってとこだな」

 

「惚れっぽい?」

 

 アインズはブレインの言葉に首を傾げた。ブレインは面白そうに笑ってアインズを見ている。

 

「おいブレイン、俺が惚れっぽいとはどういう意味だ?」

 

「気にすんなよ、悪いことじゃないだろうし――お前にゃ分からんさ」

 

 ブレインの言葉に、アインズは首を傾げるしかなかった。そのブレインの言葉の意味が、アインズはラキュース達が合流するまで考えたがさっぱり分からなかった。

 

 ……エ・ランテルをずっと見捨てずに、結局この街で暮らし続けていたその意味に、アインズは全く気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 バハルス帝国の首都、帝都アーウィンタール。この都市はアインズが知るエ・ランテルやエ・レエブルとは全く違った都市だった。

 まず、華やかさが全く違う。発展の度合いが王国とは比べるべくもないからだろう。王国では一部にしか舗装されていない道も、帝国ではしっかりと舗装されているし街灯もしっかりと準備されていて違いが見て取れる。いや、そもそも――人々の活気が段違いだった。

 これから、この国は発展していく。自分達の生活はもっと豊かになる。そう信じている人間達の熱意に溢れている。王国には決して存在しなかった、人々の生きる熱意だ。

 

「……王国とは随分違うんだな」

 

 一緒に乗っていたイビルアイをゴーレムの馬から降ろしながら告げたアインズの言葉に、イビルアイは頷いた。

 

「確かに。それにこちらは戦勝国だしな。華やかさも活気も段違いになるだろうさ」

 

 アインズはゴーレムの馬を元の姿に戻し、懐にしまう。二人にラキュースが声をかけた。

 

「アインズさん。私達は馬を預けてきますので、先に宿に顔を出してくれませんか? 宿の場所はお伝えした通りです」

 

「ああ。部屋数はそれぞれ一部屋……っと、ティアとティナは同部屋でかまわなかったな?」

 

「ええ。よろしくお願いします」

 

 ラキュースは一礼すると、去っていく。ラキュースとガガーラン、ティアとティナ、ブレインの乗った馬は生きているので預けてこなくてはならない。

 

「さて、行くかイビルアイ」

 

「あ、ああ!」

 

 イビルアイの急な大声にももう慣れたアインズは、気にせずに歩く。隣を歩くイビルアイが妙に近いのももう慣れた。

 アインズは田舎者よろしく街中をゆっくり眺めながら歩を進める。やはり、王国とは活気が違う。春が近いとはいえ、まだ冬であり吐く息も白いというのに街中は人々で溢れていた。

 そして、宿に到着したアインズは宿の警備員にプレートを見せながら、後で仲間が五人来る事も告げてイビルアイと部屋を別れる。

 

「ふう……」

 

 こうした移動があると鎧を脱げないので窮屈だ。久々に鎧を脱いだアインズは深い息を吐く。鎧の下は骨なので、ブレイン達に見せるわけにはいかない。ブレインなどは「お前いつ鎧脱いでんだよ……」と言っているが、疲労しないアインズが見張りをするのは一番効率がいいので、脱がなくてもそこまで突っ込まれない。それに、臭いも特にしないはずなので、いつかどこかで脱いで、ちゃんと清潔にしていると納得されているのだろう。

 

「あー……遠出は疲れるな」

 

 備え付けのソファにドカリと座り、アインズは天井を見上げる。天井は染み一つなく、掃除がよく行き届いていた。

 最近のブレイン達はアインズの鎧の下がよほど気になるらしく、旅の間はあの手この手で脱がそうとしてくる。アインズはそれをあらゆる手段で回避していた。

 何せ、イビルアイはヴァンパイアというアンデッドであり魔法詠唱者(マジック・キャスター)。アインズの幻影で作った顔なぞ見破ってしまうかもしれないのだ。なるべく見せないようにするのは当然の事だ。

 

「風呂も面倒だし……」

 

 こう、肋骨の隙間が。いや、肋骨はまだいい。一番難しいのは背骨の方だ。骨のせいで体を洗うのに手間がかかり過ぎる。

 

「まあ、一番の問題はこの精神を抑制される感覚か……」

 

 おかげで、トブの大森林の探索も沈静化されて感動が長続きしない。ブレインやラキュース達が喜んでいる中、アインズは昂揚した精神が沈静化されて空気の温度差に戸惑ってしまう。

 

「イビルアイは、どうしてるのかな……こういう時は」

 

 イビルアイもアインズと同じく精神を鎮静化させられているはずだが、そうは見えない。アンデッド歴約一年のアインズと違って、アンデッド歴の長いイビルアイはこの温度差をどう心の中で処理しているのだろうか。とても気になった。

 

「そういえば、森の賢王は期待外れだったな……」

 

 アインズはトブの大森林の探索中に遭遇した、心の中で期待していた森の賢王の姿を思い出す。アレは酷い。というかむごい。ユグドラシルプレイヤーならば、心底がっかりするだろう。

 

 ……縄張りを探索しているのだから、当然どこかでは遭遇するだろうと思っていた森の賢王だが、アインズは心底がっかりした。鵺だとかキマイラだとかそういう魔獣を期待していたというのに、遭遇したのは円らな瞳が愛くるしいげっ歯類――巨大ジャンガリアンハムスターだったのだから。

 その時のブレイン達の反応もショックだった。アインズが拍子抜けして気が滅入っている中、ブレイン達はその魔獣を「凄い」だとか口々に褒め称えるのだ。自分の目が狂ったかと思ったほどだ。

 そして、強さも期待していたほどではなかった。確実に、最初に遭遇したあのグリーンドラゴンやブラックドラゴンのつがいの方が強いだろう。

 強いて気になる事があるなら――あのハムスターの魔法の使用法がユグドラシルのモンスターを思い出させた、という事くらいか。しかしおつむの方はからっきしで、周囲の事を全く知らなかったのでアインズは『森の賢王』という異名に首を捻るばかりだ。

 ……いや、分かっている。魔法も使うしこの異世界では強い方で、言葉も流暢に喋るのだから賢いというのも分かるのだ。ただ、アインズが求める賢さは全く持っていなかっただけで。

 ――ちなみに、森の賢王は相変わらずトブの大森林で今までと同じように生活している。退治まではしなかった。リザードマン達やカルネ村の生活の安全のために、退治してはいけないというのが漆黒と蒼の見解だ。

 

「…………はあ」

 

 深い溜息を吐いて、アインズは再び鎧を魔法で編む。そして部屋の外に出て、エントランスでブレイン達を待つ事にした。

 

 

 

 ……ブレイン達と合流したアインズとイビルアイは、さっそく全員で中央に向かった。中央には皇帝ジルクニフの皇城があり、放射状に大学院や魔法学院、各種行政機関の重要施設が広がっているらしい。ラナーがいるのは離宮であり、中央からは離れているらしいがまずはそちらにラナーからの手紙を見せてから案内してもらって欲しい、と手紙には書かれていたため中央に向かったのだ。

 案内に従い行政機関の一つに入り、アインズ達は案内板に従って受付まで向かい名乗る。アダマンタイト級冒険者の登場とあって場は騒然としたが、手紙の差出人を見るとすぐに受付嬢は話の分かる人間のもとへ向かった。そしてしばらく待っていると案内役が来て、アインズ達をラナーの待つ離宮へと案内する。

 離宮へ到着した頃は、既に夕暮れとなっていた。しかし、ラナーは案内役の声にすぐに中に入るよう声を上げた。同時に、案内役は帰っていく。

 離宮へと入ると、金髪の美しい少女がアインズ達を待っており――少女……ラナーが頭を下げる。

 

「……ようこそお出で下さいました、漆黒と蒼の皆様。この度は私の私事を聞いて下さるということで、感謝します」

 

 ラナーは泣き腫らしたような目元の赤い顔をしており、憔悴した表情は同情を誘った。特に友人であるというラキュースは胸に響いたようで、涙ぐんでラナーに駆け寄る。

 

「いいのよ、ラナー! 私と貴方の仲じゃない……! クライムしか頼れる人のいない場所で、辛かったでしょう……さあ、すぐに案内してちょうだい」

 

「……ありがとうございます、ラキュース」

 

 肩を優しく掴んで告げるラキュースに、ラナーは瞳から涙をこぼして何度も頭を下げていた。ラナーはアインズ達を応接室らしき場所まで案内し、ここで自由に寛いでもらって構わない事を告げて、ラキュースと共にクライムの遺体を保管している部屋へと消えていく。復活魔法に興味があるアインズとしては付いていって間近で確認したいのだが、そういう雰囲気ではないため仕方なく応接室で他の五人と共に待つ。

 

「……それで、確かその少年とは全員が懇意なんだったか」

 

 アインズが道中で確認した事を口にすると、イビルアイが頷いた。

 

「そうだ。ラナーがまだ幼い頃に王都で拾ったらしくてな、それ以来クライムは戦士として鍛えてラナーの専属護衛として王国に仕えていた。ラキュースは貴族としての付き合いでラナーと交友関係を結び、必然クライムと仲が良くなる。……当然、連鎖で私達も話をするようになったわけだ」

 

「一応、俺が目をかけて鍛えてやったりすることもあったんだぜ」

 

 ガガーランの補足に、アインズは思案する。

 

 ……ガガーランが鍛えてやっていた、という事実とどこの馬の骨とも分からない年若い人間が王女の護衛としてやっていけていた事実。以上を踏まえると、クライムは王国の専属兵士としては中々の腕のはずだ。そうでもなければ権力闘争の中でラナーの気持ちがどうあれ近寄る事は許されまい。

 そうすると、今回の事件……クライムを殺した下手人は、クライムを殺せるだけの技量を持っている凄腕となる。勿論、複数相手だったとなれば話は違うだろうが。

 

 そうしてしばらく待っていると、怒りに顔を歪ませたラキュースが帰ってきた。

 

「お、おいどうした?」

 

 その形相にブレインが驚き、声をかける。ラキュースは怒りに顔を歪ませ、そして憤怒を抑えるように静かに口を開いた。

 

「クライムの状態を見たんです。……あれは、確実にわざと嬲り殺しにしたとしか思えない状態でした。ほんっとうに許せない!!」

 

 ラキュースの怒り狂った様に、イビルアイが落ち着くよう声をかけた。

 

「落ち着け、ラキュース。それで復活は成功したか」

 

「……ええ。今はラナーと話をしているわ。少し待っていましょう。その間に、私も落ち着かなきゃ……」

 

 ラキュースは荒々しい様子で席に座り、ティアとティナがササッと目の前に用意した茶と菓子に口をつける。そうして再び暫く待つと、ラナーがやって来た。その顔は出会った時と違い、生気が戻っている。

 

「皆様、エ・ランテルからはるばるここまでお越しいただき、ありがとうございます。おかげでクライムは復活しました。しばらくは私が付きっ切りで世話をしようと思います。代わりの付き人は皇帝陛下が準備して下さっているので、もう一時間ほど経ちましたらその方が来ますから、顔を憶えてあげて下さい」

 

「……ラナー、もう大丈夫?」

 

「はい。ラキュース、ありがとうございます。貴方のような友人を持てて、私は幸せです。ラキュースがいなかったら、どうしようかと……」

 

 震える声でそう告げるラナーに、ラキュースは首を勢いよく横に振った。

 

「いいのよ! 私と貴方の仲でしょう! ……これさっきも言ったわね」

 

「……それでも、ありがとうございます。そして更にもう一つ、貴方達に依頼があるのです。どうか聞き入れてはくれませんか?」

 

 ラナーが神妙な顔になり、ラキュースではなくリーダーであるアインズの顔を真っ直ぐに見て告げた。このチームのリーダーがアインズであるためだろう。アインズは厄介事の気配を感じたが、ラキュース達の様子を見るに余程の内容でないかぎり断れる気配ではない。

 

「――まずは話を聞きましょう」

 

 受けるか受けないかは明言しない。ラナーは知ってか知らずか頭を下げてアインズ達に口を開いた。

 

 

 

 ――ラナーの依頼内容ははっきり言えば簡単だ。クライムを殺した下手人を探して欲しい、という内容である。

 

 この帝国の首都では殺人事件など滅多に起きない。帝国の治安維持能力は優秀であり、他の国……王国とは比べ物にならない。

 しかしその帝国の首都で殺人事件が起きた。しかも元王国の王女であり現皇帝の側室である女の使用人が被害者である。皇帝の権威を思えば長い間放置していい案件ではない。

 

「……ねえ、ラナー。皇帝は力を貸してくれなかったの?」

 

 ラキュースの問いに、ラナーは目元に涙を滲ませて答える。

 

「皇帝陛下は今、忙しいのです。私を特別扱いするつもりもありませんから、クライムが襲われた程度では動く余裕はないの。クライムはあくまで、私の使用人でしか今はないから……」

 

 ラナーの言葉にイビルアイが口を開く。

 

「……皇帝が暗殺した、という可能性は無いか? 王国の小僧を傍に付けては少々不都合があるとか」

 

「いいえ。皇帝陛下にとってはクライムの存在に不都合なんて無いわ。王国と違って、その程度で崩れるような支配体制じゃないもの。手を貸してくれない理由も、通り魔の可能性が高いから、もう犯人は見つからない、と踏んでいるのだと思います」

 

「なんで通り魔なんだ?」

 

 ガガーランの問いに、ラナーは丁寧に答える。

 

「事件現場が夜の路地裏で、被害者がクライムだけではないの。……というより、クライムはむしろ不幸な目撃者と言った方がいいのかもしれない。もう一人被害者らしき方がいたのですが、どちらも懐に手を付けられていないので」

 

「懐に手が付けられてない、ってことは金銭目的じゃないってことか。しかしクライムを誘拐して強請ったってこともない」

 

 ブレインの言葉に、ラナーは頷く。

 

「はい。もう一人の被害者の方も一般人――冒険者というわけでもないのです。状況証拠的に見れば物取りでさえなく、何か明確な目的があったわけでもない」

 

 故に、通り魔。道を通り過ぎるように理由なく人を殺していった殺人鬼。

 

「……確かに、それなら皇帝が動かないのも納得ね。通り魔が犯人だと、捕まえられる可能性はゼロに等しいし……」

 

 ラキュースの難しい顔に、ラナーは涙を目元に溜めてラキュースの手を取った。

 

「お願い、ラキュース。貴方達だけが頼りなの。クライムを殺した犯人を見つけてちょうだい。金銭目的じゃないって言ったけれど、クライムからは一つだけ、盗まれた物があるの」

 

「え?」

 

「――私が以前、クライムに用意したミスリルの鎧があるでしょう? あの鎧自体は没収されてしまったけれど、一部のミスリルは返して貰えたから、それでクライムのために金細工を作って渡していたの。それが――」

 

「無くなっている、と」

 

 その言葉にラナーがこくりと頷く。アインズとブレインはよく知らないが、そのミスリルの鎧というのは特別な思い入れがあるのだろう。

 

「失くしたことをクライムがとても気に病んでいて……このままじゃ、クライムまで私から離れてしまいそう」

 

「ラナー……」

 

 ひとりぼっちで心細いのか、ラナーの声は震えていた。その様子に胸を打たれたのか、ラキュースは慰めるようにラナーの手を握り、そしてアインズを見た。

 

「……とりあえず、その少年からも詳しい話を聞きましょうか」

 

 アインズはそう告げ、全員で蘇生したばかりのクライムのもとまで移動した。そこで蘇生したばかりのクライムから詳しい話を聞き……アインズは結局、この依頼を受ける事にしたのだった。

 

 

 

「……で、アインズ。お前犯人に心当たりがあるのか?」

 

 宿屋に帰って全員で一部屋に集まり、開口一番に一番長い付き合いのブレインがアインズに向かって告げた。

 

「そうなんですか?」

 

 ラキュースの不思議そうな顔に、アインズは頷く。

 

「ああ。……確か、あの少年の話では、冒険者のプレートを幾つも鎧に打ち込んでいた、ということだが」

 

「……いつ耳に入れてもとんでもない狂人だな、それ」

 

 ガガーランが顔を不快げに歪める。それを横目で見ながら、アインズは心当たりを口にした。

 

「時にブレイン、俺と出会った日を覚えているか?」

 

「あん?」

 

 ブレインは思い出すように頭を捻り――唐突に顔を上げた。

 

「刺突武器か?」

 

 どうやら、ブレインも思い出したらしい。アインズはブレインの言葉に頷く。ラキュース達は不思議そうな顔だ。

 

「もしかして、何処かで遭ったのと凶器が同じ?」

 

「それで犯人を知ってる?」

 

 ティアとティナの問いに、アインズは曖昧に頷く。

 

「心当たりがある、という程度で顔を見たわけではなくてな……。ブレインと遭遇した日に、当時のブレインの同業者と俺が一緒に行動していた別の冒険者チームが仲良く死んでいたことがあってだな。どちらも刺突武器で殺された形跡があった。それと、冒険者チームの方はプレートを消失していたからな……連想するだろう?」

 

「それは……確かに、似通っているな。むしろ、そんな狂人は二人といて欲しくないが……」

 

 イビルアイも共通項に同じ犯人の可能性を思いついたようだ。

 

「ということは、最初はエ・ランテルにいたのかしら? それとも、今もエ・ランテルを活動拠点に?」

 

「それは分からん。そもそも、本当に通り魔かどうかも定かではないし」

 

 ……と言うより、“本当に”通り魔の可能性は低いのではないだろうか。単なる通り魔が冒険者を殺せるはずもない。むしろ、何らかの訓練を受けていると見た方がいい。

 

「まあ、背後関係を調べるのは後だな。まずは下手人の居所を掴む。……悪いが、明日は少し別行動を取らせて欲しい」

 

「え?」

 

 アインズの言葉に、全員がアインズを見た。

 

「ど、どうしたんだアインズ?」

 

 イビルアイの不安そうな声に、アインズは告げる。

 

「明日、少々心当たりを訪ねてみる。空振りになる可能性もあるからな、俺だけ別行動を取らせて欲しい」

 

「そ、そういうことなら……」

 

「じゃあ、明日はアインズさんは別行動。ティアとティナは周辺情報を探って、私はもう一度ラナーとクライムのところを訪ねるわ。ガガーランとイビルアイ、ブレインは待機してもらっていい?」

 

「ああ、かまわないぜ」

 

「俺もだ」

 

「私もかまわん」

 

 それぞれの役割分担が決まったところで、今日はお開きとなった。

 

「――――」

 

 そして、アインズは自室に帰った後、少し顎に手をやって思考に埋没した後――自分の持っている幾つもの巻物(スクロール)を広げた。

 

 

 

 

 

 

 帝都にある帝国魔法省、その中において最も高価な調度品で囲まれている応接室にフールーダは向かっていた。魔法省を訪れた客に会うために。

 

(やれやれ。本当は、死の宝珠ともっと研究を進めたいのだが……)

 

 突然の来訪客はフールーダほどの地位であっても身嗜みに気を遣う相手だが、今のフールーダにとっては自らの研究を邪魔する邪魔者でしかない。皇帝ならばともかく、多少は待たせようと思っただろう。

 しかし、この相手は少々事情が違った。ジルクニフからも慎重に対応するように言われている相手であり、そしてフールーダ自身、多少の無茶は聞いてあげたい相手だ。

 

 即ち――客人とは、アダマンタイト級冒険者であるアインズ・ウール・ゴウンその人である。

 

 アインズはどこで教育を受けたのか、魔法の知識が高い相手である。魔法詠唱者(マジック・キャスター)でもないのに魔法の種類と効果を知っているという、変人の自覚があるフールーダから見てもおかしな人物だ。もしかすると、あの“エリュエンティウ”に入りフールーダが求めてやまない伝説のマジックアイテムを見た事があるのではないかと疑うくらいに。第七位階魔法を知っている、というのはそれを考慮しなければならないほどの制限された知識だ。

 ……もっとも、名前の響きから法国出身者の可能性の方が高いだろうが。法国は信仰系魔法ならば第五位階以上の魔法の使い手も複数人いるのだから。魔力系の魔法知識があっても法国ならばありえる。

 

 そしてそのアインズが、アポイントメント無しにフールーダに会いに来た。決して対応を誤ってはならない。

 

 ……本当はフールーダとしては研究室に籠って、死の宝珠が遭遇したというエ・ランテルの巨大墓地に現れたデス・ナイトを超越したアンデッドを調べたいところなのだが。

 

「……よし」

 

 応接室に辿り着き、入る前に最後の身嗜みのチェックをする。自分の姿に相手が不快に思うところが無いか調べ、フールーダは扉をノックし、開いた。

 

 ――そこに、いつか出会った漆黒の鎧の戦士がソファに座っている。

 

「お待たせして申し訳ありません」

 

 フールーダが待たせた詫びを入れると、アインズは朗らかな声色で答えた。

 

「いえ、急な来訪に対処していただき感謝しています」

 

 フールーダはアインズからの詫びにも答えると、アインズの向かいのソファに座り、早速本題を訊ねた。

 

「それで、エ・ランテルより遥々帝都に来られ、私に用事とはどのような内容でしょうか?」

 

 ……とは言っても、一応フールーダはアインズが帝都にいる理由を知っている。この周辺国家で復活魔法を行使出来る存在は法国を除けばラキュースしかいない。そのラキュースは確か、ジルクニフが側室に迎え入れたラナーの友人だ。そして、ラナーの目をかけていた少年の死亡も記憶に新しい。おそらく、ラナーがラキュースを帝都へ呼び、アインズは付き添いだろう。

 だが、アインズがフールーダを訊ねる理由は無い。フールーダは内心で首を傾げざるを得なかった。

 

「……ええ。実は少々お聞きしたいことが幾つかありまして」

 

「はあ……?」

 

 フールーダはアインズからの質問に、一つずつ丁寧に答えていった。その、とても奇妙な問いの答えを。

 

「――なるほど、ありがとうございます。とても助かりました」

 

「いえいえ。この老体が力になれて幸いですぞ。……しかし、随分と奇妙な質問ですな」

 

「ええ、まあ。……依頼内容にかかわるので、ちょっと話せないのですが」

 

 ――依頼、というとラナーからのだろう。この帝都でアインズ達が受けるような依頼主はそれくらいしか考えられない。だがそれにしても、やはり質問内容は奇妙だった。

 

 ラナーがジルクニフから許可を取って依頼を自分達に出しているのか、だとか。帝都の地図を広げてこの場所には何があるのか、だとか。幾つも受けた質問は、ことごとく何かがズレている気がする。

 

「では、こちらは私からの気持ちです。私がこの場でした質問内容は、どうか全て伏せていただきたい」

 

「――――」

 

 アインズが出したアイテムに、フールーダは目を見開く。それは巻物(スクロール)であった。その中に込められた魔法を見て――フールーダは即座に頷く。

 

「おお……! も、勿論です! この場のことは、決して――皇帝陛下にも話さないと約束しましょう……!」

 

 もはやあらゆる疑問はフールーダから抜け落ちた。フールーダは決して、この場でアインズから受けた奇妙な質問の数々を誰にも漏らさないだろう。それだけの価値が――この、第六位階魔法が込められた巻物(スクロール)にはある。

 

 ……だが、同時に新たな疑問が脳裏を過ぎる。第六位階魔法を使える人間は、現在フールーダのみ。そのフールーダが覚えていない魔法が込められた巻物(スクロール)を、果たしてアインズはどこで手に入れたのだろうか。アインズ・ウール・ゴウンという男の正体が、フールーダは無性に気になった。

 

(……だが)

 

 その疑問の答えを知る術を、フールーダは持たない。法国を調べれば何か分かるかも知れないが、それは諸刃の剣だ。現在、帝国は法国の心証を悪くしている。力関係はフールーダ程度では覆せないと王国との戦争後に知ってしまった。その状態で、法国に探りを入れられるはずもない。

 同時、フールーダにはある種の打算が働いた。このまま、アインズの心証を良くしておけば――あるいは、この巻物(スクロール)を手に入れた経緯くらいは知る事が出来るのではないか、と。

 

 ……フールーダにとって、魔法の深淵を覗く事は最も重要な価値がある。たとえ我が子同然に想っているジルクニフでさえ、その目的の前には霞む。

 故に、このまま黙して語らぬ。見て見ないふりをする。どの道、デス・ナイトと近接戦を繰り広げられる程の戦士だ。一定位階の魔法を無効化するというマジックアイテムを所有している、という噂もある。帝国が個人に戦争を仕掛けても勝てるか怪しい相手だ。不興を買わない方がいい。

 

 だからフールーダは、ジルクニフに対して報告する義務を怠る事にした。フールーダの中で、特定の条件下であるかぎりジルクニフとアインズの価値が変動する。フールーダは、ジルクニフへの罪悪感に蓋をしたのだ。

 

「では、これで失礼します」

 

「ええ。またいつでも、この老人の力が必要ならば訪ねて来て下さい」

 

 用件が済み魔法省を去るアインズを、フールーダは笑顔で見送る。いつか変動した優先順位が戻る日が来るだろうが、それは今ではなく、今日でもない。

 だから、フールーダは笑顔でアインズを見送った。

 

 

 

 

 

 

「さて、今日の情報交換を行うぞ」

 

 宿屋の一室に集まり、アインズは全員を見回して告げる。街中で聞き込みなどを行っていたティアとティナ、ラナーとクライムから更に話を聞いて来たラキュース、私用でフールーダを訪ねていたアインズに、留守番のブレインとガガーラン、イビルアイ。全員がこの場にいる。

 

「えっと、まず私からね」

 

 ラキュースが手を上げ、全員に教える。

 

「まず、クライムから話の内容が変わったりしていないかもう一度詳細を教えてくれるようにお願いしたのだけれど、特に不審な点は無かったわ。一日経っても話の内容が変わらないから、魔法で操作されているってことは無いと思う。クライムが遭遇した『通り魔』は、冒険者のプレートを記念にしているイカレ女で間違いないわ」

 

「じゃあ、次は私達」

 

「聞き込みしたけど、特に変わったことは無し。強いて言うなら、新しく娼館が出来たとかその程度。冒険者組合でも奇妙な人死には出てないって言っていた」

 

 つまりは、ほぼ収穫無し。もっとも、ホームグラウンドでも無い場所で一日で収穫が出る方がおかしいだろう。視線が最後のアインズに集中したのを確認して、アインズは口を開いた。

 

「まず、今日俺が訪ねた相手を教えておく。フールーダだ」

 

「フールーダ? あの?」

 

「会えたのかよ?」

 

「あー……確かに、あの爺さんにお前ならアポなしでも面会出来そうだな」

 

 疑問が上がるが、ブレインの言葉に彼女達の視線が動く。イビルアイが思い出したように口を開いた。

 

「……そういえば、アインズとブレインはフールーダに会ったことがあるんだったな。それで、何を訊きにいったんだ?」

 

「ああ――ちょっとした魔法を覚えているか、使ってくれるか訊ねにな。結果は上々……目的のアイテムは、地図のこの辺りにあるとのことだ」

 

 アインズは用意していた帝都の地図を取り出し、指差す。

 

「――第六位階魔法に〈物体発見(ロケート・オブジェクト)〉という魔法があるんだが、それが特定アイテムの探査を行う効果がある。あのご老人曰く、この場所にクライムの持っていたミスリルの金細工があるそうだ」

 

「第六位階魔法……なるほど。確かに、それならフールーダでないと無理だ」

 

 イビルアイの納得した頷きに、アインズは内心はどうあれ肯定を返し更に口を開く。

 

「そして、この場所は墓地らしい」

 

「墓地、か。……なんで墓地にいるんだ、そいつ?」

 

 ガガーランの問いはもっともだ。街中ならともかく、墓地にいる理由が分からない。

 

「その辺りが不明でな。正直、まだ踏み込むのは早いと思っている。――というわけで、明日からこの墓地でイビルアイとティアとティナは、少し張り込みをしてくれないか?」

 

「ん、了解」

 

「任せて」

 

「……ふむ、かまわない。何かあったら、即座に離脱だな?」

 

「ああ、それで頼む」

 

 明日以降の方針はそれで決まりだ。アインズ達残りの四人は街中で待機となる。勿論、すぐに行動は出来るようにしておくが。

 

「……しかし、魔法ってやつは便利だな。身を隠している奴もこんな簡単に見つかるのかよ」

 

 理不尽だ、と呟くブレインにガガーランが笑いながら肯定の意を示した。

 

「あー、確かにな。低位魔法でも便利なもんは山ほどあるが、第六位階ともなればこんなことまで出来るとか……さすがに理不尽だぜ。野伏(レンジャー)いらずじゃねぇか」

 

「でも、犯人をこんなに簡単に特定出来るのに、どうして皇帝はラナーに動いてくれなかったのかしら? ……やっぱり、ラナーはここでは軽んじられているのね」

 

 友人の境遇に憤りを感じたのか、ラキュースが不快げに顔を歪ませる。自分の大切な友人を大事にしてもらえない、というのはやはり悲しいし、不満なのだろう。ましてやラキュース達はジルクニフにいい印象を持っていないのだから。

 

「……まあ、皇帝の政治的な動きは俺達が気にしても仕方ない。というより、政治的なことには関わりたくない」

 

「それは同感」

 

 返事をしたのはティナだけだが、おそらく他の面々も似たようなものだろう。ラキュースは複雑な顔をしているが、一応同意ではあるのだ。ただ、対象が友人のラナーだから素直に頷けないだけで。

 

「さて……何か分かればいいんだがな」

 

 

 

 

 

 

 ――帝都のどこかで、その会合は静かに始まった。

 

「では、これより定例会を始めよう」

 

 口を開いたのはこの会議の進行役であり、まとめ役でもある男だ。そう……この八本指の会議の。

 

 ……八本指は王都から帝都へとホームを移していた。理由は言うまでもなく、もはや王都では活動困難になったからだ。

 現在、エ・ランテル以外の王国はレエブン侯の支配下にある。そのレエブン侯は凄まじい重税を掛けて民衆から税を搾り取っていた。とても八本指は活動出来ない。

 なにせ、あんなものは数年ももたず崩壊するのが目に見えているからだ。おそらく、レエブン侯の意思ではあるまい。八本指はレエブン侯の狡猾さやしたたかさを知っている。あんな破滅一直線の統治などしないだろう。間違いなく、帝国が噛んでいる。

 王国にいては死ぬ。なればこそ、帝国の帝都へ身を移したのだ。幸い、幾らかの貴族は八本指に染まっているし、依存性のある麻薬にどっぷりと浸けているため裏切る事は不可能に近い。今までのまじめな仕事ぶりが功を奏した。

 

 確かに鮮血帝は恐ろしい。恐ろしい、が――しかし人の欲望には勝てなかった。欲望に際限など無く、破滅すると分かっていても手を伸ばしてしまうのが人の業。八本指はそれをよく分かっている。

 

 そして、見事八本指は帝都へと根付いた。まだ王国ほどの力は振るえず、細心の注意を払って行動する必要があるが時間の問題だろう。

 

 彼らは次々と議題を出し、それを解決するための案を出し合っていく。今は互いに協力しなければならない関係だ。いずれはまた協力とは名ばかりの敵対関係に戻るだろうが、それはまだ遠い未来に過ぎない。

 ――その中で、一際不機嫌な男がいる。警備部門の長であり、アダマンタイト級の実力を持つゼロだ。当然、ゼロが不機嫌な理由を他の長達は分かっていた。

 

 ……帝都に入るに辺り、話をつけなくてはならなかった非合法秘密組織がある。帝都には邪神を崇拝するおぞましい教団があり、その教団には侯爵などの帝国でも屈指の地位を持つ者達が所属していたからだ。

 性質が悪いのは、彼らは宗教観によって心を繋げている、という事。宗教家は八本指のような悪にとって、もっとも苦手な相手だ。なにせ、彼らは自分の利益にも不利益にもある種無感動な面があるからだ。人の欲望を刺激する悪人にとって、その欲望を抑圧する事に長けた宗教家は鬼門である。

 

 ただ、八本指にとって幸いであったのはその教団が邪神崇拝である事。定期的に生贄を所望していた事だ。何とか、ギブアンドテイクが成り立つ相手だったのである。蛇の道は蛇――生贄の定期提供を八本指が担う事で、利害は一致した。

 そして――その教団の教主の護衛。それがゼロの不機嫌の原因だ。互いに殺すわけにはいかないため、少し手合わせした程度であるらしいが……。

 

「――さて、というわけで帝国でも仕事は全員順調と見ていいか」

 

「そうさね。息を吹き返した奴もいるし」

 

 麻薬部門の長がチラリと、奴隷部門の長を見る。王国では斜陽傾向にあった奴隷部門だが、教団という顧客を獲得した事で息を完全に吹き返している。

 そして代わりに、うなぎ登りと言ってよかった麻薬部門は少し大人しくならざるを得なかった。王国のような杜撰な支配体制ではない帝国では、麻薬の類は目の敵にされている。今はまだ、麻薬関係は大人しくするしかない。

 

「まあ、しばらくは我慢だ。薄いとはいえ下地はある。設立当初よりはマシだろう」

 

 ――それで、この話は終わりだ。全ての議題を片付けた八本指は、それぞれの潜伏場所へ帰っていく。

 

 人の欲望に際限は無い。どのような恐怖で縛ろうと、欲望は必ずその身を突き動かす。

 それこそが人の業である。八本指は、ゆっくりと帝国へと根を張っていた。

 

 

 

 ――――ただし、その欲望と業で破滅へ向かっていくのが、帝国民とはかぎらない。

 

 

 

 

 




 
「オイオイオイ」「死ぬわアイツ」
とか噂のスティレット使いさんに言っておいて下さい。
 

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