マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

 緑竜は屑、はっきり分かんだね。
 


The Dark Warrior Ⅱ

 

 

 ――黒竜(ブラックドラゴン)を退治し、その骸から証拠を剥ぎ取ってモモンガ――アインズは蒼の薔薇と名乗った五人の冒険者達と会話をしながら山を降りる。

 モンスターを討伐した場合はこうして指定されている部位の一部を切り取って、それを組合に持ち帰る事で報酬を得られるらしい。勿論、指定されている部位はモンスターによって違うらしいが。

 ちなみに、(ドラゴン)は指定部位など無い。そもそも、初めから討伐出来るとみなされていないのだ。しかし今回は例外中の例外という事で、首から上を斬り落として頭部を持って帰るよう言われていたらしい。巨大であるため、アインズが彼女達の代わりに持ってあげていた。

 ……その際、最初に巣で退治した黒竜(ブラックドラゴン)がドロップアイテムを落としていなかったのは偶然かと思ったが、やはり二体目もドロップアイテムが無かったために、アインズは再びゲームとの差異を確認していたが。

 

「……なるほど。皆さんはそのような理由があったのですね」

 

 アインズは蒼の薔薇からこの山に来るまでの経緯の詳細を聞き、感慨深げに頷く。

 ……蒼の薔薇はリ・エスティーゼ王国のアダマンタイト級冒険者であり、最高位冒険者だと聞いたアインズは、内心で苦笑いする。

 

(このレベルで最高位冒険者なのか……アダマンタイト級って言っても、ピンキリなのかな? アダマンタイトが一番硬い鉱石ってことは、それより硬い鉱石はこの世界には無い? それとも、発見されていないだけか……)

 

 何にせよ、数あるアダマンタイト級冒険者の中でもそれほど強い冒険者チームではないだろうとアインズは判断する。聞けば他の国にも冒険者はいるらしいので、王国にはそれほど強い冒険者は集まらないのだろう。

 

(まあ、王国は軍がしっかり働いているってことか)

 

 今回の(ドラゴン)討伐依頼のように国に雇われてモンスターを退治する冒険者が弱いという事は、つまり基本的には正規軍がしっかり仕事をしているに違いない。他の国――法国以外の人間の国は基本的に冒険者組合が存在するとの事なので、他の国は治安がしっかりしていないのだろう。

 

(そうなると、一番安定している人類の国は法国か。プレイヤーがいるから安定しているのか、それとも安定しているからプレイヤーがいないのか……どっちかな)

 

 実際に行ってみないかぎりは、はっきりしないだろう。いつか行ってみたいと思うが……彼女達はあまり法国に好感を抱いていないのが気になるところだ。見るかぎりでは善人な蒼の薔薇だが、腹の底ではどうだか分からない。法国に確執がある様子なのは、どういう意味なのか――法国について、もう少し突っ込んで訊いてみるべきであろうか。

 

「それにしても記憶喪失ですか……アインズさんは名前から推測すれば、法国の出身な気がしますね」

 

 アインズがそう考えていると、蒼の薔薇のリーダーであり、神官だというラキュースがちょうどいい話題を出してくれた。アインズはそれに便乗したい気もするが、記憶喪失のふりが発覚しても困る。……この世界の常識にあまり詳しくない、という事実を記憶喪失で通すためだが、少し早まった気がしなくもない。

 

「どうして法国だと思ったんですか?」

 

 しかし、それでも此処は素直に訊いておいた方がいいだろう。アインズにとって、このアインズ・ウール・ゴウンという名前はギルドの目印であり、プレイヤーの判別のためだが、国によって名前に特徴があると言われては聞き捨てならない。

 

「法国は名前に洗礼名があって、一般市民でも名前・洗礼名・苗字となるのが一般的なんです。アインズさんが貴族でないなら、そうじゃないかなって思ったんですけど……」

 

「洗礼名?」

 

「あそこ、宗教国家なんだよ。国民をきっちり管理するためでもあるんだろうけどよ、生まれた子供は必ず神殿で洗礼名を貰えるんだ」

 

 戦士のガガーラン――どう見ても筋肉質な男にしか見えない女性――は、アインズにそう教えてくれる。

 

(洗礼名ってのはよく分からないけれど、宗教的な意味だと普通なのか? よく分からないな……元の世界じゃ宗教なんてはっきり言って存在しないようなものだしなぁ)

 

 宗教はもうほとんど元の世界ではゲームのネタにされるくらいである。一応、まだ三大宗教くらいは残っていたが……戒律を守っている人間が、果たしてどれくらいいるものだか。

 あの世界で、本当に神がいるならそれは“クソッたれ”だ。ギルメンの一人――ウルベルト・アレイン・オードル辺りは、そう吐き捨てる事だろう。

 

「そうですか……それなら、確かに私はそのスレイン法国という国出身なのかもしれませんね。貴族という柄じゃないのは自分でも分かりますし」

 

 とりあえず、そう答えておく。アインズはまた一つ賢くなった。

 この世界には神や宗教という概念が存在する事。魔法が存在する世界ならば――本当に神様とやらが存在しているかもしれない、という事を。

 

(なんだか、知れば知るほどわけが分からないな……)

 

 内心で溜息をつく。なんだか、この世界に来てから溜息ばかりが多くなってしまった。早く他のプレイヤーに会ってこの気持ちを共有したいものだ。

 

「……どうしました?」

 

 ふと、全員が何とも言えない顔でアインズを見ていた。イビルアイという魔法詠唱者(マジック・キャスター)は仮面で顔を隠しているため、よく分からないが雰囲気は他の者達と同じようなものだ。その事に首を傾げる。

 すると、ラキュースが苦笑いをしながら口を開いた。

 

「いえ、アインズさんは十分貴族的だと思いますよ? 普通、そんなに丁寧な物言いと物腰の方は上流階級の者しかいませんから」

 

「はあ……?」

 

 ラキュースの言葉に、生返事を返す。そして、その意味を考えた。

 ……あの緑竜(グリーンドラゴン)の話と、蒼の薔薇の話を統合するとおそらく中世ヨーロッパ辺りの世界観が一番正しいのかもしれない。当然、技術的には魔法という技術があるのだから、下手をすれば元の世界の現代より進歩している技術もあるだろう。だが、モンスターという脅威がある以上、そこまで文明が進むのも難しいと思われた。緑竜(グリーンドラゴン)の話では、人間の国より異形種や亜人種の国の方が多いと思われるのもその考えに拍車をかける。

 だとすれば――学校などという存在が無い可能性もある。精々、一部に奇特な人物による学習塾のようなものがあるか、あるいは家庭教師のみで勉学を修めているのだろう。

 そう考えると、アインズの物腰は最低限の礼節だけは感じられるだろうから、貴族的と言われても納得出来る。

 

(まあ、元の世界じゃエリートとは程遠い小卒の社畜なんだけど)

 

 様々な人間の顔が頭に思い浮かぶが……すぐにその思考を打ち切る。あまり、会社の話は思い出したくないものだ。

 

「まあ、貴族だったらラキュースと同じタイプだな」

 

 カラカラと笑ったガガーランに、アインズは首を傾げた。すると見分けはつかないが、ティアとティナという双子の忍者が教えてくれる。

 

「ボス、本当は貴族」

 

「冒険者やるために家を飛び出した」

 

「それは……お転婆ですね」

 

 全員に生暖かい瞳で見つめられたラキュースは、顔を真っ赤にして口を開く。

 

「だ、だって! 御伽噺の英雄譚を聞いて、私もそんな風になりたいって思ったんだもの……だから、仕方ないじゃない。それに叔父さんだって冒険者をやってるんだから、私だけが責められるのは変じゃない?」

 

「アズスとお前では立場が違うだろう」

 

 イビルアイの言葉に、意気消沈するラキュース。しかしその表情に後悔は感じられず、他のメンバーも責めているわけではなく、単にからかっているだけなのだろう。

 

(いいチームだな……)

 

 先程の戦いぶりを思い出しながら、アインズは一人頷く。ユグドラシル時代のチームプレイを思い出したのだ。自分も、ギルドメンバーとこうして会話して楽しんだり、阿吽の呼吸でモンスターを狩ったものである。彼女達の姿は、そんなかつての自分達を思い起こすのに十分な素晴らしいチームプレイだった。

 ……まあ、アインズにとっては邪魔でしかなかったのであるが。しかし彼女達にあるのは一見してひたすらの善意で、苛立ったのは確かであるが、文句を言うほどでもない。今もこうしてアインズにこの世界の事を教えてくれ、役に立っているし。

 

(しかし、本当にユグドラシルと似ているようで違うんだな)

 

 双子の忍者に視線をやる。忍者はユグドラシルでは、六〇レベルにならないと修得出来ない職業(クラス)だ。

 しかし、先程の身体能力からして彼女達はそれほどレベルが高いように見えない。となると、この世界ではそうしたレベル制限のあった職業(クラス)が解除されているのだろう。

 

(忍者くらいならいいけど……低レベルのワールドチャンピオンがいる危険性もあるか。あまり油断は出来ない世界だ)

 

 緑竜(グリーンドラゴン)は自分一人で人間の国程度滅ぼせると言っていたが、こうしてこの双子の忍者を見ているとしょせんは自己に対する過大評価としか思えない。アインズは気を引き締めた。

 

「……どうしました?」

 

 ふと、ティアとティナが自分を見つめている事に気がついた。忍者という職業(クラス)特性上、自分の視線に気がついて気になったのであろうか。

 すると双子は急に白々しくもいじらしい態度で、アインズに告げた。

 

「そんな見つめられると照れる」

 

「惚れちゃった?」

 

「…………」

 

 何と返答していいのか悩んだ。

 

「あー、駄目だぜアインズさん。そいつら、レズとショタコンだからな」

 

「……うわぁ」

 

 ガガーランの言葉に心底ドン引きした声が出た。その性癖は……百年の恋も冷めそうだ。

 ティアとティナは手でVサインを作ると、ぽつりと告げる。

 

「性転換したら教えて」

 

「年齢が十歳くらいまで若返ったら教えて」

 

「…………」

 

「……うちのメンバーが、本当にすみません」

 

 無言になったアインズに、ラキュースが恥ずかしそうに頭を下げた。ガガーランの大爆笑が周囲に響く。

 そしてアインズは蒼の薔薇と会話をしながら、この山から一番近いエ・レエブルという都市へと向かった。道の途中、農村があったがそこで泊まるような事はせず、野営をするようで、アインズも野営地の準備を手伝った。

 この野営準備というものがアインズにはとても新鮮で、この一連のアウトドアを楽しんだ。現実の世界では勿論、ユグドラシルでも出来ない体験だからだ。

 そして、その中でもまた気になる事があった。イビルアイが周囲を歩き回り、何かの魔法を唱えているのだ。聞けば、〈警報(アラーム)〉と呼ばれる警戒用の魔法であり、ユグドラシルでは無い魔法でありアインズはとても興味を引いた。

 思わずイビルアイにそういった魔法はどうやって覚えるのか訊ねたが、イビルアイは素気ない感じで答える。

 

「魔法は才能ある者しか使えん。そして、才能ある者でも第一位階が圧倒的に多い……第三位階まで辿り着くのさえほんの一握りだ。世界への接続というものが出来なければならんからな。……私が見るかぎり、魔法の力は感じられん。魔法を覚えるのは無理だろう」

 

「はあ……」

 

 やはり、ユグドラシルとは違う過程で覚えるようだ。ユグドラシルでは単純にレベルを上げて特殊技術(スキル)を覚え、出たコンソールで選択すればいいだけの話だが、現実になるとそうはいかないというものなのだろう。運営が用意したものを覚えるだけのプレイヤーと違って、この世界ではやはり経験や知識、そして何よりも才能がモノを言うらしい。

 イビルアイがアインズに魔法の力を感知出来ない、という原因は装備している探知阻害の指輪のせいであろうが、この世界の魔法はアインズでは覚えられないかもしれない。

 

(いや、そもそも限界数まで魔法を覚えてはいるけど、“黒の叡智”で枠を増やせるか? やってみないと分からないな)

 

 知りたい事、実験したい事がどんどん増えていく。自分の収集癖に火が点いたような気がした。

 しかし、気になったからといって即座に実行に移すわけにもいかない。もう少し、この世界の常識を学んだ後に実験するべきだろう。

 

 アインズの無言をどう取ったのか、イビルアイは慰めるように告げた。

 

「そう悲観することはあるまい。お前は記憶喪失でありながら、(ドラゴン)と一騎打ちが出来るという間違いない英雄級だ。記憶を取り戻したお前ならば、もしかするとガゼフ・ストロノーフさえ超えるかもしれん」

 

「ガゼフ……?」

 

「王国最強にして、周辺国家最強の戦士だ。王国戦士長の地位に就いている。記憶を取り戻し、武技を思い出したお前ならばあるいは――十三英雄に匹敵するかもな」

 

 『武技』と『十三英雄』。またも知らない単語だ。王国最強の戦士だというガゼフという男にも興味があるが、先に興味を引かれたのはそちらだ。

 アインズが困っている気配を察したのか、イビルアイは十三英雄について語ってくれた。

 

「十三英雄は二〇〇年前に魔神を討伐した者達のことだ。英雄譚として語られている。……一応、十三人以上いるのだが主に英雄譚として語られているのはその人数だ」

 

「英雄譚、ということは御伽噺ですか?」

 

「いや、ラキュースの持っているあの魔剣キリネイラムはその十三英雄の一人が持っていた魔剣だ。英雄譚、となってはいるが本当にあった出来事だよ」

 

 アインズの頭の中に、ラキュースの持つ大剣の姿が思い起こされる。伝説の武器、と聞くと途端に興味が湧くが奪うわけにもいかない。それは最終手段だろう。

 それよりも『魔神』――と呼ばれる存在の方が気になった。

 

「その魔神、というのはやはり(ドラゴン)よりも強いんですか?」

 

 なにせ、“神”だ。ユグドラシルでもイベントボスとして幾つか存在したが、その強さは普通の(ドラゴン)よりは強い。……まあ、ワールドエネミーとは比べられないが。

 アインズの質問に、イビルアイは少し考えると――複雑そうな声色で答えてくれた。

 

「その質問は難しいな。魔神の強さも色々だ……と聞いている。(ドラゴン)より強い者もいるだろうが、さすがに竜王(ドラゴンロード)より強い存在はいないだろう」

 

「なるほど」

 

 竜王(ドラゴンロード)は評議国の統治者達の事だったか、そんな話を聞いた気がする。彼らよりは弱い――とは言うが、その竜王(ドラゴンロード)の強さが分からない内は何とも言えないだろう。あの緑竜(グリーンドラゴン)は評議国の竜王(ドラゴンロード)と戦っても勝ち目が無いと言っていたので、五〇レベル以上の強さなのは確定だろうが……。

 更に幾つかイビルアイに質問をしようとすれば、ちょうどティアかティナが話し込んでいた二人に声をかけた。

 

「ご飯出来たよ」

 

 その声に、少し離れた場所で話し込んでいた二人は会話を中断し、焚火の方へ近づく。その際中、アインズは一応イビルアイに頭を下げた。

 

「色々と教えて下さり、ありがとうございますイビルアイさん」

 

「……気にするな。――――早く、記憶が戻るといいな」

 

 イビルアイは素気なくそう言うと、武器の手入れをしていたラキュースとガガーランを呼びに行く。アインズはそんな素気ない、けれど少し感じ取れた優しさにヘルム越しに頬を掻いた。

 

 

 

 ――さて、食事であるがアインズは困った事がある。

 

(そういえば俺、アンデッドだから食べられないじゃん!)

 

 わざわざ分けてもらった食事を前に、アインズは固まる。そんなアインズの様子に空気に敏感な双子の忍者が声をかけた。

 

「食べないの?」

 

 食べられるものなら、食べたい。

 アインズはそう心の中で返事をするが、どうしようもない。この場で、本当に食べられるかどうか実験するわけにもいかない。

 

「嫌いなものでも入ってたか? 食べさせてやろうか?」

 

 ガガーランがニヤニヤと笑いながらアインズに訊ねるが、アインズは黙殺する。というか、返事をしたら即座にヘルムをひん剥かれてしまいそうな恐ろしい肉食獣のような気配を何故か感じ取った。

 

(ど、どうするかなぁ……)

 

 少し考え――仮面で顔を隠したイビルアイの姿が視界に入ったアインズは、何とか言い訳を思いついた。食事を持って席を立つ。そんなアインズに、視線が集中する。

 

「……私は離れたところで食べさせてもらいますね」

 

 そう、イビルアイを少し視界に入れて食事を持って離れる。あの五人に見えないだろう死角になる位置に改めて座り、チラリと彼女達の気配を探った。……特に動いた様子は無さそうだ。あの双子の忍者が本気で動けばアインズでは気づけないであろうが、さすがにそこまではするまい。

 

(さて、この食事どうするかなぁ……)

 

 アインズは自分に用意された食事を前に、その処理法に頭を悩ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……気を使わせちゃったみたいね」

 

 ラキュースはアインズの背中を見て、ポツリと呟く。その言葉にガガーランが頷いた。

 

「だな。そういや、イビルアイは仮面で顔を隠してるし、食事もいらねぇからどうすっかと思ったんだよなぁ」

 

「私も少し困った」

 

「合同任務があった時、少し考えた方がいいかも」

 

 イビルアイはアンデッドであり、食事も睡眠も必要のない身だ。アインズの手前つい普段と違って同じように用意してしまったが、困った事になるところだった。

 何故なら――イビルアイの仮面を剥いだら、そこにあるのは人間ではあり得ない、血の色のような真紅の瞳なのだから。

 

 気を使われたイビルアイは、話を逸らすように咳を一つしてアインズの話題を出す。

 

「ところで――奴は本当に記憶喪失だと思うか?」

 

 その言葉に全員が少し考え――曖昧に頷いた。

 

「そうね……たぶん、記憶喪失だと思うわ。確かにびっくりするくらい知らないことが多いけれど、でも記憶喪失ならどこまでの記憶が無くなっているか分からないもの」

 

「武技の発動方法なんかは覚えてないみたいだけどよ、戦闘経験自体はありそうな感じだな……っつうか、歴戦の強者だぜありゃ」

 

「警戒心がとっても強そう」

 

「私達のこと、かなり警戒してる」

 

 ラキュースの言葉に続いて、他の三人も思っていた事を続ける。それに対し、イビルアイは二つ正体に心当たりがあった。その考えを纏めようと思考するが……

 

「でも、あの人一応他の国に対しての記憶はあったわ。周辺の国の名前はきちんと知っていたもの。……自分がどこにいるのかは分かっていないみたいだけど」

 

「あん? でも法国とか王国がどんな国か分かってねぇじゃねぇか?」

 

「だから、名前は知っているみたいな感じだったわ。どんな国かは憶えていないけれど、名前だけは憶えがあったみたい」

 

「ほー……だとすると、南の国出身なのかもな。いや、アゼルリシア山脈にいたんだから別大陸かも」

 

 ラキュースとガガーランの会話に、イビルアイは可能性の一つを切り捨てる。仮にそちらだったとすれば、国の名前を知っているはずが無いからだ。

 だからこそ、イビルアイはもう一つの可能性が正体なのではないかと結論付ける。

 

「ふむ……ならば、アレの正体は法国の特殊部隊の一人かもな」

 

「あー……」

 

 苦い記憶を思い出したのか、ガガーランが気の無い声を出す。そして嫌そうに口を開いた。

 

「はっきり言って、法国出身には見えないんだが」

 

「しかし装備品は一級品どころか国宝級だと思うぞ。頭の天辺から足のつま先までな。そこまでのマジックアイテムを揃えられるとすれば、法国くらいしかあるまい」

 

 法国の特殊部隊六色聖典――アインズは、その内の一人ではないのだろうか。法国ならば、アインズの持つ高額なマジックアイテムが説明出来るのだ。……勿論、別大陸出身の記憶喪失な凄腕の戦士という可能性もあるが。

 

「性格なんぞ、幾らでも誤魔化しが効くし、記憶喪失なら今の性格に意味はないだろう」

 

 イビルアイがそう言うと、ガガーランが「でもよ」と難色を示した。

 

「なんだ、ガガーラン。えらく奴の肩を持つな」

 

「いや、だって記憶喪失は本物っぽいぜ。んで前に遭遇した陽光聖典の奴らと比べると……明らかに毛色が違うしよ」

 

 ガガーランの言う事も分かる。以前、法国の特殊部隊六色聖典の一つ、陽光聖典の作戦中に遭遇した事があるが、その隊長格が嫌味な奴であったのだ。

 

「そうね、出来れば法国の人じゃなければいいわね……」

 

 ラキュースはそう寂しい声色で呟くと、話を切るように咳を一つして別の話題を出した。

 

「妙な詮索はもうやめましょう。それより、街に戻ってからのことを考えた方がいいわ」

 

「そうだな。何せ(ドラゴン)の討伐だぜ。報酬の分け前はどうする? アインズさんにも渡さねぇとな」

 

「王都まで一緒に同行してもらって、冒険者に誘ってみるのは?」

 

「それより、エ・レエブルで王国の常識を教えてあげるのが先だと思う」

 

 炎が照らす中で、蒼の薔薇は破顔しながらこれからの事を相談する。

 そしてその少し離れたところで、漆黒の戦士が一人食事の処理をどうするか頭を悩ませているのであった。

 

 

 

 

 

 

「あー……、やっとエ・レエブルに着いたぁ!」

 

 アゼルリシア山脈の麓にある大都市の一つ、エ・レエブルに着いたアインズと蒼の薔薇だが、門を通り抜けたところでガガーランが叫ぶようにそう言った。その言葉に苦笑するラキュースと、うんうんと頷く双子の忍者。イビルアイは仮面で表情は分からない。アインズはその大都市の姿を田舎者のように興味深げに見回していた。

 

「えっと……それじゃあ、冒険者組合に行かなくちゃいけないんですけど、アインズさんも来られますか?」

 

「……行った方がいいですかね?」

 

 ラキュースの言葉に訊ねると、ティアとティナが頷いた。

 

「街中でその格好は目立つ」

 

「組合に冒険者として登録しておいた方がいいと思う」

 

 アインズは全身鎧(フルプレート)で姿を覆っており、背に二本のグレートソードを負っている。そんな見た目の、冒険者のプレートも持っていない人間が歩いて回るのは住民が不安がるし、街の治安を守る兵士が呼び止めるかもしれない。その面倒臭さを考えると、この場で冒険者組合に冒険者として登録しておいた方がいいとの事だ。身分証明書にもなるらしい。

 

 アインズは少し考えると――それでも、首を横に振った。

 

「いえ、少し考えさせて下さい。どの道、私は王国民では無いようなので、少し自分の進退を考えておきたいので」

 

 記憶喪失という建前上、アインズはそう言って断った。都市の間には検問所があり、そこで蒼の薔薇が気を利かせてアインズの名前で王国民の目録を探してくれたのだ。当然、アインズの名前はそこに無いが蒼の薔薇はアインズが王国民で無い事を知って落胆とやはり――という表情をしていたのを覚えている。

 その一連の出来事を思い出したのだろう、ラキュースはアインズの言葉に残念そうに「そうですか」と呟いた。

 

「それなら仕方ありませんね」

 

「よっしゃ! なら俺が街を案内してやるよ! ついでに常識もな!」

 

 ラキュースの言葉と同時に、ガガーランがアインズの肩をガシッと組み、アインズの手からパッと(ドラゴン)の頭部が入った大袋を取り上げるとラキュースへと手渡した。慌てて受け取ったラキュースは、自分の懐から代わりに小さな皮袋を取り出してガガーランに渡す。そして、ガガーランはずるずるとアインズを引き摺っていった。

 

「え? ちょ」

 

「んじゃラキュース! あとよろしくな!」

 

「もう……ガガーラン! 迷惑かけちゃダメよ!」

 

 仲間達を置いてアインズを引き摺っていくガガーラン。それに呆然としながらもアインズは引き摺られて街へと消えていった。

 ――こうして、ガガーランに引き摺られながら武器屋や道具屋、魔術師組合、宿屋などを紹介されたアインズ。文字が分からない事をガガーランは知ると、アインズに簡単な絵本を紹介したり看板の意味を教えてくれたりと至れり尽くせりではあったのだが。

 

「……この感じ、やっぱアンタ童貞だな?」

 

「――――え」

 

 そう公衆の面前で急に断定(そうだけど)されたり。

 

「な? な? 天井の染みを数えてる間に終わるからよ。ちょっと宿屋に――」

 

「だ、誰かぁッ! 誰かぁッ! ここに痴女があああッ!!」

 

 そう宿屋に引きずり込まれそうになったりと――誰も助けてくれないどころか目も合わせてくれなかった。どうやらガガーランの童貞食いは有名であったらしいと、アインズは後に知る事になる――色々あったが、アインズとガガーランのデート(?)は概ね良好であった。

 

 

 

 一方、肉食獣(ガガーラン)に引き摺られていった哀れな草食動物(アインズ)を見送ったラキュースは、ティアとティナ、イビルアイと共に冒険者組合へと向かった。一応、ガガーランにはアインズに渡す(ドラゴン)討伐の報酬分は渡してある。彼女ならばちゃんと忘れずアインズに報酬を渡しておいてくれるだろう。

 そして黒竜(ブラックドラゴン)の頭部を持って来たラキュース達に、冒険者組合の者達は大喜びであった。さすがは蒼の薔薇である、と。周囲にいた冒険者も嫉妬と羨望の的を見る表情でラキュース達を見つめていた。

 そんな彼らの反応にラキュースは苦笑しながら、知らせておかなくてはと口を開く。

 

「私達だけで倒したわけじゃないの。この(ドラゴン)と一騎打ちしていた人がいて、その人と協力して討伐したのよ」

 

 ラキュースがそう言うと、周囲は別の意味で大騒ぎになった。

 何せ、(ドラゴン)というのは世界最強の種族である。有名な英雄譚である十三英雄の物語の最後の相手も、“神竜”と呼ばれる(ドラゴン)であった。大空を自在に舞い、口からは吐息(ブレス)を吐き、その鱗はいかなる金属も防ぐ――そのように伝わる最強種だ。そんな怪物と一騎打ちをするなど、信憑性の少ない英雄譚にしか存在しない。

 しかも、ラキュース達が持って帰ったこの頭部から察するに、かなり大きな個体だ。難度は一〇〇を平然と超えるだろう。ラキュース達が嘘をつくはずが無いと信頼している組合の者達や同業者達にとって、当然聞き捨てならない情報であった。

 

「そ、その人はどこに!?」

 

 当然、組合員はその話に食いつく。ラキュースは顔を近づけてくる組合員に少し身を引きながら、苦笑を返した。

 

「それが、少しばかり事情のある人で……今のところ冒険者になる予定は無いみたい。一応、一緒にこの街まで降りて来たから、まだこの街にはいるはずだけど……」

 

 その話を聞くと、何人かの組合員が目配せしてすっ飛んでいくのがラキュースの視界の端に映った。おそらく、アインズを組合に誘うつもりだろう。まだアインズの見た目さえ教えていないというのに、せっかちな者達である。……まあ、(ドラゴン)と一騎打ち出来るような人間ならば、見ただけで分かるという自信があるのだろう。実際、ラキュースだって「(ドラゴン)を討伐出来そうな人間を探せ」と言われれば、姿形を教えてもらわなくともすぐにアインズを発見出来る自信がある。ガガーランが一緒にいるはずなので、尚更分かり易い。

 

「それじゃあ、報酬の件を――」

 

 

 

 ガガーランの案内で色々と見て回ったアインズは、気疲れしながらガガーランの隣を歩く。

 重装備の女(?)戦士と全身鎧(フルプレート)の漆黒の戦士の組み合わせはやはり目を引くようで、道を歩くと人々は自然とアインズとガガーランを目で追い、ガガーランの持つプレートの輝きに納得したように目を逸らした。時折、憧れや嫉妬の目でそのプレートを見ている者がいる事にもアインズは気づいている。

 

「その、何から何まで世話をかけまして、ありがとうございます。ガガーランさん」

 

「いいって。気にすんなよ!」

 

 ガガーランは礼を言うアインズに、活気あふれる豪快な笑顔で返した。本当に、気にしていないらしい。

 

(世話好きな人だなぁ……)

 

 その姿に、少しだけ純銀の聖騎士を思い出す。場合によってはお節介とも言えるが、しかしこの優しさに心救われる人間は多いだろう。――たっち・みーに救われた自分がそうであったように。

 

(まあ、こういう人はトラブルも起こしやすいんだけどさ)

 

 こういう人間はいらぬ苦労を背負い込んでしまいがちだ。他人の地雷を踏み抜く事も、よくあるだろう。それでも人を自然と惹きつける。だからついリーダーにしたくなるのだが……言いたくないが、それはトラブルの元だ。経験者だからよく分かる。ラキュースがリーダーな辺り、彼女達はちゃんと役割分担を分かっているのだろう。

 

「ところで、これからどうする気なんだ?」

 

 ガガーランがアインズの今後の予定を訊ねたため、アインズは少し考え――口を開いた。

 

「とりあえず、冒険者くらいはなってみようかと。やはり身分証明になる物は必要ですし」

 

「だろうなぁ」

 

 冒険者になれば、ある程度の煩わしさからは解放される。特に国同士の諍いなどには全く無関係でいられるし、国境を越えて別の国に渡る事も特に禁止されていない。

 

(国に雇われてモンスターを討伐する事もあるみたいだけど、やっぱり未知のダンジョンを探索したり出来るのかな……夢のある仕事だ)

 

 その行動は、ユグドラシル本来の遊び方に近い。ユグドラシルでその遊び方をしている人間は極少数であったが、あまり危険の無さそうなこの世界でならそういった遊び方もいいだろう。せっかく、戦士のふりもしているのだし。

 

「じゃあ、さっそく組合に行って登録してくるか?」

 

 ガガーランの言葉に、アインズは首を横に振る。

 

「いえ、別の場所で登録します」

 

 基本的に、登録した場所を拠点として動くのが基本らしいので、アインズはエ・レエブルでの登録は遠慮した。……別に、蒼の薔薇というかガガーランのいる王都近くで行動したくない、というわけではない。ここはアゼルリシア山脈に近いので、一応あの緑竜(グリーンドラゴン)になるべく遭遇しないためだ。一人の時に遭遇するのは別に構わないが、他人といる時に遭遇すると面倒臭い事になる。主に奴が調子に乗る的な意味で。

 アインズがそう言うと、ガガーランは不思議に思ったのか訊ねてきた。

 

「じゃあ、俺らがいる王都まで行くのか? こっちは別に大歓迎だけどよ」

 

「いえ、エ・ランテル辺りで登録しようかと」

 

 ガガーランが持っているという地図を貰い、その地図で地名の説明を受けた時に教えてもらった場所を思い起こしながら答える。エ・ランテルは王国でも端の方にあり、敵国である帝国に近い。

 ただ、エ・ランテルはアゼルリシア山脈からある程度離れており、更に少し興味のあるトブの大森林という人類未開の地に近いらしいのでアインズにとっては好条件だ。更に言えば帝国や法国とも近いので、色々と見て回るのにも都合がよかった。

 

「なんでまたそんな遠い場所に?」

 

 ただ、ガガーランはそんなアインズに困惑したらしく、更に言葉を重ねた。それにアインズは何と言おうか考えて――少し楽しげに、ガガーランへと返した。

 

「それは――そうですね。やはり、商売敵はあまり近くない方がいいでしょう?」

 

 商売あがったり、なんて言わずに済むのだから。

 笑みを含めた声色でそう言うと、ガガーランはきょとんとした顔から、徐々に好戦的な笑みに変わってアインズの背を楽しげに叩いた。

 

「はは! 確かにな――言うじゃねぇか! んじゃ、アダマンタイト級まで上がってくるのを王都で待ってるぜ!」

 

 カラカラと笑うガガーランに、アインズも苦笑する。まあ、新人としては生意気な事を言っているだろう。

 

(でもまあ、俺の方がレベルとか上だしなぁ)

 

 身体能力的な意味でも、アインズの方がガガーランより遥かに強いだろう。ただ、それでも戦士として戦えば軍配が上がるのはガガーランだ。アインズにはまだ技術が無い。しかし、ガガーランには近接戦の技術も経験もある。――勿論、アインズが本来のスタイルで戦えば勝敗を競うのさえ愚かしい事になるが。

 

 しかし――ガガーランも当然身体能力的な強さでは、アインズに劣っている自覚があるのだろう。だからこそ、笑ってはいるが、同時に笑っていなかった。そこには何と言うか――好敵手を見つけたような感情が見えた。

 

「――さて、そういう事でしばらくお別れですね、ガガーランさん」

 

「あん? もう行っちまうのか?」

 

「はい。善は急げ――と言いますし。それに正直、早くこの街を出ないとこのまま、ここで登録することになりそうです」

 

「確かに」

 

 (ドラゴン)退治が偉業ならば、それを行ったアインズを組合に登録しようと躍起になるだろう。あの手この手でこの街で登録させようと動くかもしれない。そういうのは、少し御免だった。件の場所から離れれば、ある程度収まっているだろう。

 アインズの言葉にガガーランは懐に手を入れると、皮袋を取り出した。

 

「じゃあ、これは渡しておくぜ。アンタの取り分だ」

 

「取り分?」

 

「おう。今回の依頼のな。遠慮せず受け取れよ。俺らだけ受け取るってのもおかしいからな」

 

「――ありがとうございます」

 

 受け取れば、それはずっしりとした重みを感じた。アインズがあの山で手に入れた硬貨と同じくらい入っている気がする。さすがに、中を見る事はしない。そんな事をしなくとも、彼女達はそういった事はしないだろう――少なくとも、ガガーランに関してはそう確信出来た。

 

「――また何処かで会おうぜ、アインズ!」

 

 礼を言い、街から去ろうとするアインズにガガーランが叫んだ。アインズはその言葉に――少しだけ躊躇しながらも、手を振って答えた。

 

「ああ――お前も、また会おうガガーラン!」

 

 互いに名前を呼び捨てて、夕暮れの中別れを告げる。

 運が良ければ、また互いに会う事もあるだろうと信じて。

 

 

 

 

 

 

「――と、そんなことがあったのよラナー」

 

 ラキュースはそう、目の前の人物に話を締めくくった。目の前の美しい少女――王国の第三王女であり、ラキュースの親友であるラナーは瞳をキラキラと輝かせて彼女の話を聞いている。

 

「凄いわ! (ドラゴン)と一騎打ち出来る戦士様だなんて! それも記憶喪失の状態で!」

 

 ラナーの言葉に、ラキュースは苦笑しながら頷く。実際、記憶喪失状態で(ドラゴン)と一騎打ちが出来るアインズはとんでもない人物だ。記憶を取り戻したその時、その強さはあのガゼフを凌ぐかもしれない。

 

「ねえ、その戦士様は今はどこに行ったの?」

 

「ガガーランから聞いた話では、エ・ランテルで冒険者をするって言っていたらしいわ。そろそろ着いて、登録している頃じゃないかしら」

 

「そう――出来れば、王都まで来て貰って城に仕えて欲しいけれど、それなら無理でしょうね」

 

 ラナーの言い分も分かる。強く、そして記憶喪失さえ除けば人格的に全く問題の無い相手だ。王城に勤めてくれれば、さぞや心強い部下となっただろう。

 とは言っても、そう話は簡単ではないだろう。確実に貴族の横槍は入るし、ガゼフの部下にしても、ラナーの特別な相手――クライムと同じように部下にしても、やはり色々と言われるに違いない。彼は、そういった煩わしい事は嫌がりそうな気がする。

 ただ、全てはもう遅いだろう。冒険者組合に登録した以上、もう王族であろうと横槍は入れられない。下手に横槍を入れれば冒険者組合の方が「何故そこまで一人の人間に拘るのか」と言い、そして功績を聞いた日には何が何でも組合の方が離さなくなる。

 

「まあ、あの人くらい強ければ滅多なことで死んだりはしないでしょう。きっと、またいつか会えると思うわ。……と言うより、会うより先に名声の方が届きそうね」

 

「そうなの……それじゃあ、その日を楽しみにしているわ。クライムが、そういった英雄譚が大好きなの。もしその戦士様が王都まで来られたら教えてちょうだい、ラキュース。クライムがきっと、話を聞きたがると思うから」

 

「ええ、必ず知らせるわラナー」

 

 

 

 ――そして、ラキュースが去り一人になった部屋で、ラナーは少し冷めた紅茶に口をつける。口を湿らせカップを置いたその時、ラナーの表情は今までの天真爛漫な、美しいお姫様のものではなかった。どこまでもひたすらに虚無的な、がらんどうの無表情がそこにはある。

 

「……エ・ランテルか。厄介なところに行かれたわね」

 

 地理的に、王都から遠すぎる。一番いいのは王都であったが、例え離れていてもエ・レエブルならば問題無かった。あの領地を統治する大貴族は、他の貴族と違って話を簡単に通す自信がある。

 しかし、これがエ・ランテルとなると一番厄介な場所であると言っていい。

 

「お父様の直轄領である以上、連絡を入れようと思ってもかなり時間がかかることになる――帝国や法国に近いのも問題だわ」

 

 何か王国で問題を起こしても、即座に別の国に離脱出来る位置だ。特に毎年戦争をしている帝国に逃げ込まれると厄介極まりない。あの皇帝ならば、当然――(ドラゴン)と一騎打ちが出来るような漆黒の戦士を逃がすなどあり得まい。あの手この手を使って帝国内で快適に過ごせるよう手配するだろう。そのまま帝国騎士にでもなられたら、王国は完全に詰む。

 

「他の国に行かれると厄介――そうなる前に、何とか手を打つしかないわね」

 

 今のところは問題無く過ごしてくれるだろうが――ある程度は縛り付けておかなくてはならない。ラナーの頭の中に幾つもの案が浮かぶ。しかし――そのどれも、漆黒の戦士の人となりが分からない以上、効果が今一つ期待出来なかった。はっきり言って、情報が少なすぎる。ラキュースからの情報だけでは、漆黒の戦士の強さ以外を判断する材料が少な過ぎてどの案も効果が期待出来ないのだ。下手をすれば、地雷を踏み抜く危険性もある。

 

「――そういえば、戦士長様がエ・ランテルに行くんだったか」

 

 ふと気づく。ちょうど、ガゼフが王命でエ・ランテルへ向かうのだ。――勿論、その本当の意味は薄暗いものしか存在しない。ガゼフは生きて王都に帰還する事はないだろう。普通ならば。

 しかし――

 

「……日数的には、ギリギリで間に合うか。馬を何体か使い潰すことになるけれど、その程度の損失なら――」

 

 エ・ランテルまでの距離を計算し、ガゼフがそこに辿り着くまでの距離を同時に計算に入れる。これならガゼフがエ・ランテルに着くまでに間に合いそうだと思われるが……。

 

「……いえ、やめておいた方が無難ね。まだよく分からない内に下手につつくと、藪蛇になる可能性の方が大きい」

 

 失敗は許されない。それに、エ・レエブルではなくエ・ランテルに向かった辺り、馬鹿ではない。下手な手を打てば狙いに気づかれる危険性がある事は十分注意すべきだ。

 

「戦士長様のことは大人しく諦めましょう。どうせ、生きていても迷惑になるだけですし」

 

 ――このリ・エスティーゼ王国は王派閥と貴族派閥に別れ、いつ内乱になってもおかしくない緊張状態に包まれている。今は極限のバランスで拮抗状態であるのだが、ほんの些細な出来事で容易くバランスは崩れ、王国内は時を待たずして分解するだろう。

 だが……ラナーの考えでは、まだ挽回はきく。王位が第一王子のバルブロに渡れば最悪だが、十中八九バルブロではなく第二王子のザナックが王位に就くだろう。バルブロとザナックでは頭の出来が違い過ぎるし……何より、ザナックがあのレエブン侯を味方につけている以上バルブロや他貴族如きでは即返り討ちにされる。

 更に、王国に巣食っている犯罪組織八本指の件もあった。八本指の扱いには注意が必要だが――ザナックとレエブン侯なら扱いを間違うような事はあるまい。

 八本指はそろそろある程度――特に麻薬部門の力を削いでおく必要があるが、滅ぼす事は出来ない。帝国にも迷惑をかけている麻薬部門は早めに力を削いでおかなければ、皇帝が本気で王国を潰しにくるため仕方ないが、他の部門は問題だ。内部に食いつかれ過ぎていて、壊滅させれば文字通り、一蓮托生で王国も滅ぶだろう。その辺りのバランスも、あの二人ならばなんとか保てるはずだ。保てないようならラナーが知恵を貸してもいい。あの二人は、自分の本性に気づいている節がある。

 

 ……そう、王派閥はこれ以上下手に延命させるより、粉砕してしまった方がいい。貴族を纏められない無能な王。そんな王に愚直に仕える事しか出来ない政治的な頭の無い部下。はっきり言って、もはやこの状況ではもっとも民衆にとって害悪なのは王なのだ。それを気づいていない辺り、救いようがない。

 

 だからこそ――ガゼフは、この辺りで死んでおくべきだろう。どの道、生きていても迷惑になるだけだ。その死が、王派閥と貴族派閥のバランスを崩し貴族派閥を優勢にして――ザナックが最後に王位を勝ち取る。

 それこそが民衆にとってもっともよい未来であり――ラナーの本性に気づいているであろうザナックが王位に就く事で、ラナーもまた願いを叶える事が出来る。もっとも勝算の高い道だ。身分違いのクライムと結ばれるには、一番理想に近い道になるのはザナックが王位につく未来だろう。

 

 だから、少しだけ思い浮かんだ、ガゼフの生還への道をラナーは無かった事にする。

 ただ――仮に何らかの奇蹟が起きたとして、ガゼフが生きて帰る事が出来たとしても、それは失敗にはならない。

 もしその奇蹟が起きるとすれば――それは、あの漆黒の戦士が関わった時であろうから。

 その場合は、漆黒の戦士についての情報が増える。その時に、改めて効率のいい、そして効果のある策を練ればいいだろう。レエブン侯やザナックも交えて。まだ時間はあるであろうから。

 

「ふふ――」

 

 ラナーは微笑んだ。花が綻ぶような綺麗な――同時に、人喰いの魔女が嗤ったような寒気のする笑顔だった。

 

「待っていて下さいね、クライム――私達の、小さな理想の箱庭はもう少し……」

 

 黄金の少女の目指した小さな二人だけの理想郷は、もうすぐそこまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

 ――城塞都市エ・ランテル。その日、そこに一人の新しい冒険者が誕生した。

 

 金と紫色の紋様が入る漆黒に輝く絢爛華麗な鎧で全身を覆い、真紅のマントを羽織り、背中からは背負った二本のグレートソードが柄を突き出している如何にも屈強な漆黒の戦士。

 冒険者組合から出たその漆黒の戦士を、誰もが一度は凝視する。その見事な鎧に。

 

「――――」

 

 漆黒の戦士は黙して何も語らない。見た目通りの寡黙な者なのか、彼は少し周囲を見回すとふらりと街中へ消えていった。

 その威風堂々たる姿に、街の住人達は視線を釘づけにされ――しかしやがては単なる冒険者である、と気づいて視線を逸らし忘れていく。

 星の数ほどいる、と言っても過言ではない冒険者の一人一人など、わざわざ覚えていられないからだ。

 

 ――そう、冒険者とはモンスター退治を専門とする者達の総称である。冒険者組合はそんな傭兵まがいの者達を管理する組織だ。

 傭兵まがい、と言われる事もある通り、冒険者は基本的に荒くれ者が多い。農家の役立たずな次男や三男坊が家を追い出されてなったりする事が多いためだ。そしてそういう者は性根が卑屈である事が多く、はっきり言えば、あまり都会の人間には好かれていない。

 

 モンスター退治のために仕方なく雇い入れた契約社員――それが冒険者の正体であった。未知のダンジョンを探索したり、過去に滅びた遺跡を探索したりするなど――そういった事は滅多にない。

 

「――――」

 

 ……冒険者組合でそのような詳細な説明をまず受けて、一気にテンションが駄々下がりした新しい冒険者がいたなどという事実は、今のところ誰も知らなかった。

 威風堂々たる姿で歩く漆黒の戦士が、実際は肩を落としてしょんぼりとすすけた背中で歩いていたとは、この時誰も気づく事は無かった。

 

「…………詐欺だ」

 

 蒼の薔薇との出会いを思い出しながら、漆黒の戦士は誰にも聞こえないようにポツリと呟いた。

 

 

 

 




 
人情味に溢れ、優しく、世話好きお姉さんなガガーランはヒロインの鑑。
 

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