マルガレーテ《完結》   作:日々あとむ

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■前回のあらすじ

魔樹復活ッッ魔樹復活ッッ魔樹復活ッッ

2017/06/11
イビルアイが〈伝言〉を使う描写を修正。たぶん使用出来ないと思われたので、巻物を使った事にしました。
 


The Catastrophe Dragon Lord Ⅲ

 

 

 全身に訴えかける酷い苦痛に、イビルアイはようやく意識を浮上させた。

 

「――――ぅぁ」

 

 何処をどう怪我しているのか咄嗟に判断がつかないほど、身体中の至るところが痛かった。喉元からこみ上げてくる血の味に、骨が折れて内臓さえ無事ではない事に気がつく。

 

「――――ぁ」

 

 つまりは満身創痍だ。全身のどこを見ても、きっと無事なところはない。許されるなら絶叫を上げ、のた打ち回って痛みを周囲に訴えたかった。しかしそれさえ出来そうにないほどに、イビルアイの全身は痛く動かない。

 

(私は、何を……)

 

 どうしてこんなに痛いのか、意識が朦朧としながらも直前の記憶に思いをはせる。王都、エ・ランテル、カルネ村。蒼の薔薇と漆黒。ドライアード。恐ろしい、封印の魔樹。

 

(そうだ、私は……)

 

 ラキュース達がカルネ村に辿り着き、避難させるまでの時間を稼ごうとアインズと共に魔樹の足止めをしていたのだった。アインズを盾に自分が魔法で攻撃してヘイトを稼ぎ、この場に釘づけにする。そう決めて魔樹と戦っていたのだと思い出し――この怪我が、その魔樹の攻撃によって負った怪我だと気がついた。

 

 全身が酷く痛い。生きているのが不思議なほどに、認識出来る外界の感触はそれだけだった。

 

(アインズは、こんな衝撃を受けていたのか……)

 

 舐めていた。アインズが平気な顔で立っていたものだから、攻撃力はさほど無いのだと思い込んでいた。なんて致命的な勘違い。強さに差があるとはいえ、体力馬鹿のガガーランでも一撃でももらえば戦闘不能状態に陥っても不思議ではない。

 

(アインズは……)

 

 ともすれば失いそうな、朦朧とする意識を何とか痛みで繋ぎ止めてイビルアイは周囲を見回そうとする。アインズはまだ生きているだろうか。それとも……既に、死亡してあの魔樹はここから離れてしまったのだろうか。

 イビルアイはそんな不安を抱きながら周囲を見回そうとし、自分の身体が物理的な意味で動かない事に気がついた。

 

(誰かに拘束されている……?)

 

 これは痛みで動かないのではない。誰かがイビルアイを押さえている。イビルアイはそう判断し、苦々しく思った。

 

「起きましたか? まだ、動かれない方がいいですよ」

 

「――――ぁ」

 

 その声色には、なんとなく聞き覚えがあった。少し考えて――それがアインズのものだと気づく。

 なんだか妙に間近で聞こえたな、と不思議に思いながら、イビルアイは自分がまだはっきりとした意識を取り戻したわけでもなく、はっきりとした視力を取り戻したわけではない事に気がついた。目に入る外界はあまりにぼやけていて、なんだかよく分からなかったからだ。

 イビルアイは少しの時間だけ瞬きを繰り返し、意識をはっきりさせようとする。そして――

 

「――――」

 

 視界いっぱいに、漆黒の鎧が目に入った。

 

「大怪我ですから、まだ休んでおいた方がいいです。一応の味方も、今はいますから」

 

「――――」

 

 アインズとの距離は、あまりに近かった。イビルアイとの身長差で、ここまで近づいたのは一緒に馬に乗った時くらいだろう。いや、乗馬した時とて、ここまで距離は近くなかったに違いない。

 

(う、う、う、うわー! わー!)

 

 イビルアイは状況を次第にはっきり認識していく。自分が今どのような状況なのか。アインズにどうしてもらっているのかを。

 ――イビルアイは、アインズに抱きかかえられていた。それもただ抱き上げられているのではない。俗に言うお姫様抱っこだ。身体を横抱きにされ、アインズの胸まで抱え上げられている。

 それはイビルアイも吟遊詩人(バード)の物語の中にしか見た事がない光景。漆黒の戦士に横抱きに抱え上げられる自分の姿は、まさに騎士が姫を横抱きにしている姿に瓜二つだとイビルアイの脳が告げている。

 ……実際は漆黒の戦士が怪しい仮面とローブを羽織った小さな人物を抱えている摩訶不思議な光景なのだが、幸か不幸かイビルアイは自らの姿を思い出す事はなかった。

 

(こ、こんな……まさかこの私が、こんな風に誰かに抱きかかえられるとは……はわわわ)

 

 あまりの緊張に、イビルアイの心臓が跳ねる。いや、跳ねた気がした。何故ならイビルアイの心臓は止まっているのだ。アンデッドなのだから。しかし、決してそれは気のせいではない気がした。

 自らの心に湧きたつ、奇妙な安心感。彼の胸の中にいると、心の底から安堵と安心感が湧き上がってくるのだ。

 

(こ、この気持ちは一体……まさか、この私が安心していると? 私より弱いはずの男の胸に抱きかかえられて、安心してしまっていると?)

 

 そんな馬鹿な。イビルアイは断固としてそんな気持ちは無いと断言する。何故ならイビルアイは、常々そのような女性を侮蔑していたからだ。

 女は強い者に惹かれる。それは種の保存本能を刺激され、庇護下に入る事を望む生存本能からだ。勿論全ての女がそうなわけではないが、人間はその傾向が強い。

 イビルアイはそんな女を侮蔑していた。弱いから誰かに守ってもらおう、なんて愚か過ぎる。最後に自分を守れるのは自分だけだ。そんな風に依存したっていい事なんてきっとない。

 だから――守ってもらわなくてもいいほどに、自分が強く成ればいいのだ――と。

 

 しかし今、イビルアイの心に湧きたつこの思いは何なのだろう。これこそまさに、種の生存本能。自分より強い男に惹かれる女の気持ちではないのか。

 一目惚れなどありえない。何故なら、イビルアイは既にアインズを知っている。一目惚れなら、あのブラックドラゴンとの死闘の時に惚れなければおかしいに決まっている。一目惚れとはそういうものなのだと、ガガーランなどが酒場で話していたのを聞いているのだ。

 だからこれは、種の生存本能。かつて人間だった時の名残。強い男に惚れる女の心理。それ以外にありえないはずだ。

 

(しかし彼は私より弱い――――)

 

 そう思い込もうとした。思い込もうとした、という時点でイビルアイは既にアインズが自分より強いという事を理解している事に気がついた。

 そう、彼は強い。自分よりも。

 強いというのは生きる事だ。生き残り続ける者こそが強いのだ。

 イビルアイは魔樹のただの一発の攻撃でこうして戦闘不能になり――しかしアインズは、未だしっかりと自分の足で地面に立っている。イビルアイの顔を心配そうに覗きこんでいる。

 戦士としての技量はガガーランの方が上だと、ガガーランもラキュースも言っていた。しかし身体能力、という点で見ればアインズは彼女達の遥か上をいく。ラキュースは勿論、ガガーランでも先程の一撃を耐えきる事は出来ないだろう。

 ならばそれが出来る事こそ、アインズの方が強い証明ではないか。

 人間離れした身体能力。記憶喪失で失ってしまった戦闘技術。そのチグハグさで、イビルアイはアインズの強さを見誤っていたのだ。

 アインズはイビルアイより強い。イビルアイの魔法の一撃ではきっと死なない。彼と戦えば、彼は彼女の攻撃魔法に容易く耐えて、そのまま大剣で彼女の身体を二つに別けるだろう。

 

(なんということだ。私は嫉妬で、きっと彼のことを見誤っていたに違いない)

 

 自分より強い存在がいる事を、イビルアイは知っている。それでも自負があった。自分より強い者はそうはいない、と。しかしそれは間違いだった。

 自分などただの一撃で戦闘不能にする魔樹と、その魔樹の攻撃に耐え続ける戦士。ああ、認めよう。強さへの嫉妬で自分はアインズの強さを見誤っていた。そして――自分の気持ちも。

 

(アインズさま……)

 

 もはやこの気持ちに嘘はつくまい。そう、イビルアイはアインズに惚れたのだ。認めるしかない。この自分より強い男に、イビルアイは身も心も惹かれていると。

 ……例えそうであったとしても、その恋に未来はない。イビルアイは吸血鬼(ヴァンパイア)であり、アンデッドであり、不老なのだ。人間であるアインズが先に老いて死ぬだろう。どれほど頑張ったところで、生者と死者の間に子は生まれないし、死者は孕めない。アインズとイビルアイの間には何も生まれない。

 それでも――

 

(それでもいい。彼の思い出の中で、一番愛しい人になれたなら……)

 

 そして自分の人生の中に、一度くらい女としての思い出があってくれたなら。それはきっと、何物にも替えがたいものだと思ったのだ。

 

「イビルアイさん?」

 

 アインズが押し黙っているイビルアイの、仮面の奥にある瞳を不思議そうに覗いている。イビルアイは慌てて、アインズへと口を開いた。

 

「だ、だいッ!」

 

 自分の怪我の具合も忘れて、大声で返事をしようとして途端に痛みを思い出す。アインズの腕の中で痛みに悶えると、アインズが安心させるようにイビルアイに語った。

 

「大丈夫ですよ、そう慌てなくても。魔樹は今、別の方達が抑えてくれていますから」

 

「――え?」

 

 そういえば、先程も似たような事を言っていたような。イビルアイはアインズから視線を外し、痛みに耐えながら視線を変える。少し離れた場所で、魔樹に蠅が群がるように天使達が空を舞っていた。

 

「あれ、は……」

 

 イビルアイはそれを見た事がある。昔、蒼の薔薇と共に亜人の集落の近くにいた時だ。その時に見た天使達と同じ種類の天使だ。それはつまり。

 

(法国の……特殊部隊……?)

 

 おそらく六色聖典のいずれかだろう。それが今、この場にいるという事。アンデッドであるイビルアイにとっては、あまり歓迎したくない事だと気がついた。

 

「ゴウンさん。そちらのお嬢さんは戦力になりそうですか?」

 

 知らぬ声に視線を向ける。そこには凄まじい装備に全身を固めた、見知らぬ男が立っていた。

 

「いえ。怪我の具合も酷いですし、やめておいた方が無難ですね。……まあ、その分必要になったら私が働きますので」

 

「そうですか。……天使達もそろそろまずそうなので、戦闘準備をお願いします」

 

 アインズの言葉に、その男はそう言うとギガントバジリスクを連れて歩いていく。ラキュースに傷を負わされた以前遭遇した特殊部隊の隊長の男も、その男に仕えるように後ろを歩いて去っていった。

 その姿を見送って、イビルアイはアインズに話しかけられる。

 

「――さて、イビルアイさん。私はそろそろ戦場に戻って、魔樹の足止めをしなくてはなりません」

 

「あ……」

 

 そう、戦場は未だ存在している。魔樹は暴れ回り、天使達は魔樹の攻撃に当たる度に消滅していく。

 

「貴方はここに置いていきますが、なるべくこちらの方向に行かないように誘導しますから、ここで休んでおいて下さい」

 

 アインズはそう言うと、イビルアイを木の根元に背をもたれかけさせるように優しく置く。身体から離れていく金属鎧の冷たさが名残惜しいのに、イビルアイの身体は痛みでまったく動かない。

 

「では、行ってきますから」

 

 だからそう言うアインズを止められない。

 

「……ぃ……だ」

 

 行っては駄目だ。イビルアイはそう言いたい。置いて行かないで。貴方と触れ合っていないと不安だから。

 そう言いたいのに、口を開く度に激痛がして、その言葉は決してイビルアイの口から紡がれる事はないのだ。

 

 アインズは去って行く。イビルアイを置いて。木々の奥に消えていく姿を、イビルアイは見送る事しか出来ない。出来ないから、心の中で、ただ祈った。

 

 どうか、彼が無事に帰って来ますように。

 

 

 

 

 

 

 イビルアイを置いてきたアインズは、両手にグレートソードを携えて再び前線に躍り出る。魔樹は鬱陶しい蠅のように飛び回る天使を落とすために触手をやたらと振り回しており、アインズはその内の一本に狙いをつけ、その触手を攻撃する。

 攻撃を受けた魔樹は痛かったのか、別の触手をアインズに向かって振り回す。アインズは地面を跳躍し、近くにいた天使の一体を踏みつけ、そのまま攻撃してきた触手を回避し、先程攻撃を与えた触手の上に飛び乗った。

 

「……ふう」

 

 荒れ狂う触手の上に飛び乗ったアインズは、一つ溜息をつくとグレートソードを振るって足元の触手に攻撃を与える。魔樹はアインズに攻撃しようとするが、そうすると天使達がその隙をついて本体の幹に攻撃をするので、アインズばかりに構う事は出来ない。

 

(なんだか、妙なことになったなぁ)

 

 アインズは内心で困り果てる。最初は魔樹相手に一人で戦い、さっさと適当な言い訳でもして退治してしまおうと思ったのだが、イビルアイも残ると言うし。そうしてイビルアイが気絶したからその間に始末しようとすれば、カルネ村で見た法国の特殊部隊の連中がやって来る。どうにもタイミングが悪かった。

 

(それにしても、やはりいるところには強者はいるか。この分じゃ竜王(ドラゴンロード)って奴も、俺と同レベルかそれ以上の強者、と思った方がいいな)

 

 魔樹の攻撃を防ぎながら、アインズはこの場を打開する方法を考える。クアイエッセが言う、魔樹をどうにか出来る者達というのも、この場に第十位階の転移魔法〈転移門(ゲート)〉で即座に来ない辺り、魔樹を退治出来るという言葉に信憑性がない。魔樹はアインズが第八位階から第十位階魔法を使って討伐するレベルの魔物だ。最高位天使と言いながら主天使(ドミニオン)を準備するような者達には、どうにも出来ないだろう。

 

(何とかして、本気を出せる場を整えないと……)

 

 アインズは頭を捻りながら考えるが、とてもいい案は浮かんでこない。そろそろ、この剣と鎧も蓄積ダメージの関係で耐久性が削られてきた。再び砕けるのも時間の問題だろう。

 

(法国の連中が見ている前で魔法は唱えたくないなぁ)

 

 触手の攻撃を避け、防ぎながらアインズは考える。しかし――

 

「ッ、グッ……!」

 

 触手の猛攻に押される。天使達の数が減ってきている。魔樹はアインズにのみほぼ集中し、アインズが足場にしている触手がうねった。

 

「っと……」

 

 アインズはわざと触手を足場にその場から跳躍する。アインズが先程までいた場所を薙ぎ払うように一本の触手が通り過ぎ、そして空中に身を躍らせたアインズを叩き潰そうと二本の触手が迫る。

 

「舐めるな……!」

 

 触手の一本に左手のグレートソードを突き刺し、腕力で無理矢理それを軸に身体を持ち上げる。くるりと触手に足を突け、もう一本の迫り繰る触手に向かって、右手のグレートソードを両腕に持ち替えた。

 

「ず、お、ああぁぁぁぁああああああッ!!」

 

 そのまま、一閃。力尽くで押し込んだ。骨がミシリと嫌な音を立て、全身に痛みが走ったが無理矢理に押し込む。グレートソードが触手に埋まり、魔樹とアインズの力で切断する。

 同時、グレートソードが砕け散った。

 触手の一本を断ち切られた魔樹は悲鳴のような唸り声を発し、アインズは残った二本の触手に吹き飛ばされた。

 

「い、づッ……!」

 

 地面に叩き落され、唸る。さすがにそろそろ残り体力が心許無くなってきた。体力を回復させたいが、アンデッドは通常の回復アイテムや回復魔法では回復しない。〈大致死(グレーターリーサル)〉などの負の力を流し込むような魔法でなければ回復しないのだ。

 昔は“負の接触(ネガティブ・タッチ)”などでも回復したのだが、運営がすぐに修正を入れて回復しなくなってしまった。〈大致死(グレーターリーサル)〉であれば、自身の体力を回復させる事も出来ただろうが、〈大致死(グレーターリーサル)〉は魔法であり、金属鎧を着用している状態では使用出来ない。〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉の魔法で編んだ金属鎧を脱がなくては、アインズは特定の五つの魔法しか使用出来ないのだ。

 だが、それはこの場で正体を現す事を意味する。それをすれば、必然口封じに全員皆殺しを敢行せざるをえない。あまり取りたくない手段だった。

 

「どうするかな……」

 

 ポツリと呟く。同時、魔樹が雄叫びを上げてアインズに向かって触手を振り上げた。今のアインズは徒手空拳だ。アインズは仕方なく、再び魔法でグレートソードを形成しようとし――

 

 そのアインズの前に、漆黒の長い髪を翻してみすぼらしい槍を構えた男が現れた。

 

 

 

 

 

 

 ありえない光景を前にして、アインズは半ば呆然とした状態で、アインズの前に躍り出た男を凝視する。いや、正しくは男の持つ“槍”を。

 男はその槍を振るい、アインズに向かってきていた魔樹の触手をいともたやすく切り払い、触手を逸らした。続いて、くるりとその場で回転するように体勢を整えると魔樹に向かって走り出す。

 その後ろ姿を見送りながらアインズが強く感じたものは安堵でも驚愕でもない――強い恐怖だった。精神が安定されるはずなのに、アインズが感じたものはそれだったのだ。

 

「…………ッ!!」

 

 アインズは狼狽して叫びそうになりながらも、なんとかアンデッドの精神安定化で感情を抑制する。そして怪しまれないように、男と入れ替わるように前線から下がる。男も、それを望んでいるだろう。

 本当に冗談ではなかった。あの男の前になど、とてもではないがアインズは出る勇気など持てはしない。

 

 魔樹の触手が近づいてくる男に向かって振り下ろされるが、男は平然と避け、そして触手の上に飛び乗る。そのまま触手の上を走り、向かってくる触手を武技などを使って斬り飛ばした。触手を削られていく魔樹が叫び声を上げる。

 アインズが前線から下がりきると、クアイエッセとニグン、ニグンの部下達が男を見ていた。

 

「さすが隊長……。あの化け物相手に余裕の近接戦とは……」

 

「漆黒聖典は化け物ばかりだ……」

 

 クアイエッセとニグンの言葉に、アインズは心の中で頷きながらもクアイエッセに話しかける。

 

「彼が言っていた、例のどうにか出来る人達――ですか」

 

 アインズの言葉に、クアイエッセがアインズをチラリと見て頷く。

 

「ええ、そうです。あの方が来られたからには、もう安心でしょう」

 

「――そうですね」

 

 アインズも男の戦闘する姿を見る。アインズは気配で他人の強さを測るような技能は持たないが、それでも男の強さは見るだけで分かる。

 ――おそらく、身体能力を見るかぎりはアインズと同じような高レベル。近接戦でアインズに勝ち目は無いだろう。

 男はアインズ達が見守る中、触手の攻撃を避け続ける。

 

(……しかし、あれ以降木々を吐き出す攻撃が来ないな。もしかして、口の中は空か?)

 

 イビルアイが戦場を脱落した原因の攻撃が来ない事に、アインズは首を傾げる。口から枯れ木などを吐き出してきた攻撃だが、先程から一向にそういった攻撃が来ない。もしかすると、一度口の中に木々を含まなければ出来ない攻撃なのかもしれなかった。とんだ欠陥攻撃である。

 

「ところで、他の方々はまだなのでしょうか?」

 

 ニグンの言葉に、クアイエッセが考え込む。

 

「……おそらく、緊急事態なので隊長が先行したのでしょう。しかし、そろそろ来ると思いま――」

 

「“一人師団”! 無事か!?」

 

 クアイエッセの言葉に、森からアインズ達のもとに向かって十一人の人間が出て来た。クアイエッセは彼らを見ると、ほっとした顔をする。

 

「ええ、大丈夫です。お待ちしていましたよ皆さん。今、隊長が足止め中です」

 

「どうやらそのようだな。では、これより準備に入る」

 

 彼らは一人の老婆を中心に、魔樹を見ながら動き出す。アインズは彼らに視線が釘付けになっていた。

 

 彼らの装備を、アインズは知っている。それはこの異世界で見た装備などではなく――ユグドラシルでよく見かけた装備だとアインズの記憶が訴えている。

 何より、先の男同様にアインズがもっとも目を引いたもの――それは――老婆の着る、チャイナドレス。

 

 馬鹿な。まさか――こんなところで、こんなものを目にするとは、と。

 

 先程からアインズの意識は驚愕の嵐だった。男の持つ“槍”も、この老婆の“チャイナドレス”も、アインズがかつてユグドラシルの攻略ウィキで仕入れた知識にそっくりだからだ。特に“槍”の方は、プレイヤーならば誰もが知っていると言っても過言ではない。

 

 魔樹の足止めをしていた男が触手の網を掻い潜り、自分から跳ね飛ばされるように吹き飛び距離を取る。巨大な盾を持った男が老婆の前に陣取り、老婆の着るチャイナドレスが、その効果を発揮しようと輝いた。

 

 そして――魔樹が、完全に沈黙する。

 

 不自然に動きを止めた魔樹は、何の反応も示さない。アインズ達敵対存在は未だいるというのに、魔樹は何の反応も示さなかった。

 その不自然さ。あまりに問答無用な行動阻害。これは魔法でも特殊技術(スキル)でも――おそらく武技でもないだろう。

 

「――完全沈黙。魅了は完了したものとする」

 

「――――」

 

 槍を持った男の言葉に、全員がほっとした顔をする。よく見れば全員の顔色は疲労の色が濃かった。おそらく、全力でこの場に向かって来てくれたのだろう。

 槍を持った隊長格らしき男は、顔を見ればこの場の誰よりも若かった。男はアインズに向き直ると、軽く一礼した。

 

「ご協力ありがとうございます。訳あって名は名乗れませんが……」

 

「いえ、お気になさらず。王国に住む者として、非常に助かりました」

 

 アインズも軽く一礼する。男はアインズの言葉に少し口篭もり――しかし意を決したのか、口を開いた。

 

「これはちょっとした助言なのですが、帝国に拠点を移した方がよろしいかと」

 

「…………」

 

 その言葉にある種の不吉な気配を感じ、アインズは魔樹に視線をやる。そして男に視線を戻した。

 

「……そうですね。考えておきます」

 

「…………」

 

 アインズの言葉に、男は再び一礼する。そして他の者達に「撤収するぞ」と声をかけ始めた。一応、アインズは念のため確認しておく。

 

「確認のために聞いておきますが……大丈夫なんですか?」

 

「ええ。詳細は話せませんが、我々が責任をもって管理します」

 

「分かりました。組合長への報告はせざるをえませんが、同僚達についてはぼかしておきます」

 

「……助かります。ところで、こちらにはどのような依頼で来られたか聞いても?」

 

 当然、アインズに依頼内容を彼らに喋る義務はない。そもそも依頼主についてもぼかされている訳ありなのだ。

 しかし、この場での黙秘はほぼ死を意味する。よって、アインズは依頼で蒼の薔薇と共にどんな病も癒す薬草を採取しに来たのだと語った。この森で出会ったドライアードのピニスンと、彼女から聞いた薬草の場所についても。

 アインズの話を聞き終えた男は、少し考えて魔樹を指差す。

 

「聞いたことがあります。おそらく、その依頼の薬草というのは破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)に生えているアレのことでしょう」

 

 男が指差す魔樹の位置には、申し訳程度に苔のようなものが生えていた。おそらく、そこに薬草が生えているのだろう。

 アインズは男から了解を取り、男に薬草を採取してもらい受け取った。

 

「ありがとうございます。なんとか、依頼失敗にならずに済みました」

 

「いえ。ではお元気で」

 

 アインズは礼を言い、男達と別れる。男達はまだあの場に残り、何かするようだった。

 

(……傾城傾国、か)

 

 そしてあの槍。アインズは法国には絶対に喧嘩を売るまいと固く胸に誓い、イビルアイを迎えに森へ消えた。

 

 

 

 ――そして、アインズの姿を見送った漆黒聖典は息を吐く。

 

「なんとか破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は支配下におけたか」

 

 先程までアインズと会話していた彼は安堵の息を吐く。さすがに魔樹は強かった。気を抜けば大ダメージを受けていた事だろう。

 

「それで、“一人師団”。彼はどうだった?」

 

「強いです。戦士としての技量、という点では私ではなんとも言えませんが、少なくとも身体能力では隊長以外には勝りますね」

 

 それはつまり、装備品含めて自分達漆黒聖典と同格、という事だ。鎧の効果を考えれば魔法詠唱者(マジック・キャスター)では勝ち目が無いだろう。

 

「それと、特に王国に対して愛国心は無さそうです」

 

「そのようだな。まあ、そもそも王国出身者ではないのだろうが」

 

 彼は続いて、“占星千里”を見る。

 

「“占星千里”、どうだ?」

 

 “占星千里”、と呼ばれた女は首を横に振った。彼女はアインズを魔法で調べられないと言う。巫女姫も魔法で調べられないと言っていたのも考えると、アインズは何かしら探知阻害のマジックアイテムを持っているのかも知れない。

 

「アインズ・ウール・ゴウン……彼は、どちらなのでしょうか?」

 

「さあな。今のところ、子孫か本人か……どちらとも取れる。ただ、どちらにせよ敵に回る確率が低いことは喜ばしい」

 

 彼の言葉に、全員が「確かに」と頷く。自分達と同格ならば、当然他国家の兵士達など相手にならず無双出来るだろう。しかし暗殺する方としては、その強さは非常に骨が折れる。

 ガゼフ暗殺の件を思い出したのか、横で話を聞いていたニグンは身を縮こませた。それに片手をひらひらと振って、彼は口を開く。

 

「とりあえず、予定通り破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は支配下に置けた。このまま森に潜伏させておき、我々は本国に帰還する。陽光聖典も本国に帰還し、休暇とともに体制を整え、竜王国の支援の準備を頼む」

 

 彼の言葉に全員が了解を示し、アインズが去った後漆黒聖典と陽光聖典もまた森を去った。

 法国へ仲間と共に帰還するクアイエッセは、ふと思い出す。

 

 そういえば、アインズが持っていた二本のグレートソードの残骸は、どこにいったのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 イビルアイがヴァンパイアとしての高速治癒を使い、何とか言葉を紡げる程度に回復した頃、アインズが無事な姿を現した。背にはいつも通り二本のグレートソードを背負っている。イビルアイはそんなアインズの姿を見つめ、それが幽霊でない事を確信すると声を震わせながら「お、おか、おかえりなさ……」と声にならない声を上げる。

 アインズはそんなイビルアイを気にした様子もなく、「失礼」と一言告げるとイビルアイを抱き上げた。イビルアイは役得とばかりにアインズの冷たい漆黒の鎧の胸に張りつく。

 

「あ、アインズさ――ごほん。アインズ、魔樹はどうなったんだ?」

 

 訊ねると、アインズは少し考えるように口篭もるが――イビルアイを抱えたまま歩き出し、語った。

 

「とりあえずは大丈夫です。法国の連中が片付けたんで。転移魔法は使えそうですか?」

 

 アインズの言葉に、イビルアイは自らの魔力の残量を感じ取る。もう少し体力を回復させる事が出来れば、転移魔法の衝撃にも耐えられそうだった。

 

「無理でしたら、〈伝言(メッセージ)〉でブレインとラキュースさんに連絡を入れてもらい、大丈夫だと報告して二人で帰りましょうか」

 

「そうだな。ラキュースとブレインに〈伝言(メッセージ)〉を入れよう」

 

 イビルアイは光の速さでアインズの提案に頷いた。イビルアイは〈伝言(メッセージ)〉の魔法は使えないが、アインズが渡してくれた巻物(スクロール)で唱えられる。

 ……アインズが何故自分が使えないはずの魔法の巻物(スクロール)を持っているのか疑問に思ったが、ありがたく頂戴してイビルアイは巻物(スクロール)を使用する。

 ラキュースはちょうどカルネ村に到着していたようで、イビルアイに何度も本当に大丈夫なのか、と訊ねていたが法国の連中の話をすると、暗い声色になりながらも、納得したようだった。法国は色々とキナ臭い国なので、何かあっても法国ならなんとかするだろう、という安心感も同時にあるのだ。

 ブレインの方は更に大変で、何度も報告の信憑性を問われた。とりあえず、組合長に帰ってから詳細を説明するので、今は納得して欲しいと告げて連絡を切る。幸い、冒険者組合や魔術師組合の組合長まででまだ魔樹の件は止まっており、どうするか考えている最中だったらしい。そのため、エ・ランテルは混乱する前だった。

 

 イビルアイは連絡を切ると、アインズを見上げる。

 

「アインズ、先程から迷いなく歩いているがラキュースが目印でも残していたか?」

 

「いえ、連中が残してくれた目印があるので、それを見て森から出ようかと」

 

 アインズの言葉に、イビルアイは視線をアインズから逸らして周囲を見る。すると、どういう事かモンスターの死体が点々と転がっていた。同時に、木々が斬り倒されている。誰かが、森を真っ直ぐ突っ切ったかのように。

 理由は分からないが、確かにこれを辿れば森の外に出られそうだった。

 イビルアイはアインズに抱きかかえられ、その胸に小さな身体を預けて揺られる。モンスター達とは遭遇しなかった。おそらく、随分と騒がしくしたしこの道を作った者に恐れをなして隠れているのだろう。

 そうしてしばらく歩いていた時、アインズがふと立ち止まる。

 

「ど、どうしたアインズ?」

 

「ああ……いえ。ちょっと揺れるのは平気ですか?」

 

「大丈夫だが……」

 

 イビルアイの返答を聞くと、アインズは懐からマジックアイテムを取り出した。それは動物の姿を模した小さな像であり、イビルアイもカルネ村とエ・ランテルで見た事がある。

 馬のゴーレムを召喚すると、アインズはイビルアイを抱えて乗馬し、森の中を走らせた。どうやら、イビルアイの怪我を気にして使わなかったらしい。しかし、やはり急いだ方がいいと思ったのだろう。

 

(相乗り……アインズ様と相乗り……)

 

 くふー、と内心喜びながら馬に揺られる。少し体が痛いが、高速治癒で怪我は治ってきているため、我慢出来る範囲だ。それよりもアインズに触れる感触が嬉しい。

 アインズが小声で「開けたんだからさっさと使えばよかった。危うく忘れるところだったよ」とか呟いたのはイビルアイの耳には届いていなかった。

 

 そうして馬の上で至福の時間を過ごしていると、アインズが急に馬を止めた。イビルアイは驚き、アインズにしがみつく。思わずアインズに視線をやるが、アインズは前を見ていた。つられるように、イビルアイも視線を前に向ける。

 そこに、白金の鎧を着た騎士が立っていた。イビルアイにとっては懐かしい顔だ。

 アインズが警戒して片手が動こうとしているのを見て、イビルアイは止める。

 

「し、知っている顔だ」

 

「――――」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは一応動きを止める。白金の騎士も警戒していたのだろう、イビルアイの言葉にようやく言葉を紡いだ。

 

「久しぶりだね、インベルン」

 

「ああ、久しぶりだな。ツアー」

 

 白金の騎士……ツアーの言葉に、イビルアイは頷く。イビルアイはアインズにツアーの事を紹介した。

 

「アインズ、彼はツアーという。私の友人だ。それと、ツアー。この方はアインズ・ウール・ゴウン。アダマンタイト級冒険者漆黒の一人だ」

 

「よろしく」

 

「馬に乗ったまま申し訳ありませんが――こちらこそ」

 

 イビルアイの紹介に、ツアーもアインズも軽く言葉を交わす。ツアーは再びイビルアイに視線を向けた。

 

「インベルン。その大怪我といい、何があったか教えてくれるかい?」

 

 ツアーの言葉に、イビルアイはアインズに視線を向ける。止めるつもりはないのか、アインズは無言だ。イビルアイはツアーに何があったか語る事にした。

 依頼と、封印の魔樹。法国の特殊部隊。

 ツアーはイビルアイから話を聞き終えると、アインズに視線を向けた。

 

「――で、魔樹とやらは結局どうなったんだい?」

 

「――――」

 

 ツアーの言葉にアインズは何か考えているようだった。しかし、隠す事は出来ないと思ったのだろう。口を開く。

 

「漆黒聖典という連中が来て、マジックアイテムで魔樹を精神支配して終わりました。おそらく、王国にけしかけるつもりでしょう」

 

「な、なんだと……」

 

 アインズの言葉にイビルアイは驚く。しかし、少し考えれば当たり前の事だった。

 法国はどういうわけか、ガゼフを暗殺し貴族派を有利にしようとしていた、とアインズに聞いている。それを考えれば、魔樹ほどの怪物を支配出来るなら王国を潰すのも容易だろう。

 どうして法国が王国を潰そうとしているのか、イビルアイには詳しい事は分からない。しかしそれは決して見逃してはいけない事だ。

 何故見逃したのかとアインズに問いそうになるが、途中で押し黙る。魔樹を容易く洗脳出来る相手に、一体何が出来るというのか。いや、もしやアインズは既に――。

 

 イビルアイはツアーを見る。ツアーはイビルアイに視線を向けたような気配を感じ、そしてイビルアイを安心させるように首を縦に振った。それにほっとする。

 

「ところで、その漆黒聖典が持ってきたマジックアイテムってドレスのケイ・セケ・コゥクかな」

 

「ええ。傾城傾国ですね」

 

「――――やはり」

 

 アインズの言葉にツアーは頷く。そして、イビルアイは今の二人の会話に何か違和感を覚えた。

 何か……そう何か、アインズとツアーの言葉に、微妙なズレがあったような。

 

「しかし……そうか。なるほど。うーん……分かったよ。私が何とかしておこう」

 

 ツアーの言葉にアインズは驚いたようだった。

 

「何とかって……何とか出来るんですか?」

 

「魔樹は今、待機状態を命じられているんだろう? それなら、何とかなると思うよ。詳しい話は言えないけれど」

 

「大丈夫だ、アインズ。ツアーのことを信じて欲しい」

 

 当たり前に疑念を抱いているらしいアインズに、さてどうしたものかとなったイビルアイだが、ツアーが思わぬ言葉を語り出した。

 

「私は評議国の者でね。何とか出来るのに心当たりがあるんだ。少し信用してもらえないだろうか」

 

「評議国、ですか」

 

 アインズはツアーの言葉を聞くと驚き、ツアーを凝視している。イビルアイも、ツアーがまさかアインズに自分がどこの国の者か語るとは思わなかった。

 

「アインズ、ツアーは本当に評議国の者だ。竜王(ドラゴンロード)にも……」

 

「なるほど。竜王(ドラゴンロード)なら……では、一応イビルアイさんもそう言ってますし信用しましょう」

 

「ごめん。ありがとう」

 

 アインズの言葉に、ツアーは頭を下げる。そして話が一段落した後、ツアーがじっとイビルアイを見ている事に気がついた。

 

「どうしたんだ、ツアー」

 

 イビルアイが思わず訊ねる。

 

「インベルン……さっきから君は何をしているんだい……」

 

 時間が経っているため、既に怪我は走れるほどに回復している。勿論、体力満タンというわけではないが。ツアーはイビルアイの正体を知っているため、いつまでもアインズにひっついて何をしているのか疑問に思ったのだろう。

 イビルアイはツアーに指摘されて、慌てて口を開く。

 

「そ、それは! け……怪我をしているから、運んでもらっているに決まっている」

 

 苦しい言い訳であった。ツアーは既にイビルアイの怪我がある程度回復している事に気がついている。服が血まみれであろうと、ツアーは誤魔化されたりしない。彼はそういう奴なのだ。

 

「怪我って……君ね……」

 

 ツアーはイビルアイを見つめ、続いてアインズを見る。そして交互に二人の顔を見ると――

 

「ははーん。なるほど」

 

 ツアーはイビルアイを見た。全てを理解した賢者の気配に、イビルアイの背中から冷や汗が垂れる。

 

「インベルン。君って奴は、本当にチョロいな」

 

「ちょ、ちょろ!」

 

「昔を思い出すよ。“お前はチョロい。チョロインだ”だっけ?」

 

「う、うぐぐぐぐ……!」

 

 ツアーの言葉に、イビルアイは唸る。かつてリーダーに言われた言葉が脳裏を過ぎり、その馬鹿にしくさった、可哀想なものを見る気配に内心が荒む。

 

「チョロイン?」

 

 唯一、全く何も理解していないのだろうアインズが首を傾げているのにイビルアイは我に返った。ツアーも「おっとっと」と言ってアインズに「何でもないよ。ちょっとした昔話さ」と告げる。アインズはそれで首を傾げながらも納得してくれたらしい。

 

「さて、それじゃあ魔樹の方は任せてくれ」

 

 ツアーはそう言うと、二人から歩き去って行く。「精々頑張りなよ」とイビルアイに最後に一声かけて。

 その姿を見送って、イビルアイはアインズに抱えられるように共に馬に乗りながら、ちょっと気まずげに縮こまった。

 

 

 

 カルネ村に辿り着いた時、イビルアイとアインズの姿を見てラキュース達は大喜びで二人を出迎えた。急いでエ・ランテルに帰還する必要があるので、道中説明をしながらすぐにエ・ランテルに出発する。

 そして馬を全力で走らせ、エ・ランテルに帰還した後は大急ぎで冒険者組合に向かう。組合内ではブレインがそわそわといつもの席で待機しており、アインズ達の姿を見つけてほっとしたようだった。組合内は緊急性のない遠出の依頼を断っている状態で、その事に気がついた冒険者達が困惑している。

 組合員はアインズ達の姿を確認すると、組合長に話がついていたのか大急ぎで組合長室に通した。

 アインザックは――ラケシルもいる――アインズ達を出迎えると、すぐに報告を促した。アインズの語った報告に、アインザックは頭を抱え込む。

 

「法国の特殊部隊の、作戦区域だっただと……!」

 

「さすがにいざこざを起こすわけにはいかなかったので、黙認しました。一応、冒険者が国同士の話に口を出すわけにもいかないですし」

 

「それは……すまない。アインズ君。それで、その魔樹はどうなったんだ?」

 

「法国の者達が討伐(・・)しました。なので、大丈夫だと思われます」

 

「なるほど。……助かった、と見るべきか。無駄に混乱させる必要は無いな。これは極秘として箝口令を敷かせてもらう。よろしいかな?」

 

「かまいません」

 

 アインズを初め、ブレイン、蒼の薔薇も頷いた。

 

「しかしそうなると、依頼は失敗か……」

 

 アインザックの言葉に、アインズが思い出したように「あ」と呟いて慌てて懐から何かを取り出した。

 

「すみません。思い出しました。こちら、薬草です」

 

「え?」

 

 全員が驚き、アインズが取り出したものを凝視する。ラケシルが魔法を唱え、調べると頷いた。

 

「確かに、依頼の薬草だな」

 

「それ、魔樹に生えていたので、たぶんもう手に入りませんから。大切にして下さい」

 

「は!? え!? はあぁ!?」

 

 アインズの言葉に更に全員仰天するが。アインズから法国の工作員達に討伐ついでに採取してもらったのだと聞き、更に頭を抱える。

 

「まさかあの希少な薬草が、魔樹に生えていたものだったとは……」

 

「これが文字通り、王国が手に入れられる最後の一枚というわけだな……」

 

 あまりの貴重性に、全員がごくりと喉を鳴らす。今後一切この薬草は手に入らないと思うと、つい懐にしまってしまいそうだった。

 なんとか全員その欲望を抑え込み、薬草から視線を外す。そして、蒼の薔薇が王都に帰還し届ける手筈になっているので、ラキュースに預けた。

 その後、今回の依頼における詳細や、今後の対応などを話し、それぞれ宿へ帰還した。

 朝になると、アインズとブレインは再び冒険者組合に集まる。そこには、蒼の薔薇の五人がいた。

 

「それでは、お世話になりました。アインズさん、ブレインさん」

 

「いえ、貴重な体験でした。同行させていただきありがとうございます」

 

「さすがにアレに追いかけられた時は死ぬかと思ったがな」

 

 ブレインがぼかしながら言った一言に、全員笑う。全員同じ気持ちだったからだ。

 

「王都に行く機会があったら、是非声をかけて下さいね!」

 

「アインズ、ブレイン。またな!」

 

「待ってる」

 

「ばいばい」

 

 ラキュース、ガガーラン、ティア、ティナの言葉に快く返し――そして、イビルアイがアインズに向けて口を開いた。

 

「アインズ!」

 

「え、あ、はい」

 

 いきなりの大声に、アインズの困惑する気配が全員に伝わる。というか、イビルアイ以外は困惑していた。いや、ガガーランだけはニヤニヤとイビルアイを見ている。

 

「私は転移魔法を使えるので、距離は無視出来る。それで――その……暇な時間があったら、会いに行ってもいいか?」

 

 イビルアイの言葉に、アインズは首を傾げながらも「別にかまいませんよ」と口にした。イビルアイは「約束だからな! 約束だからな!」と何度も確認してその度にアインズが頷いている。

 

 ラキュースが、したり顔のガガーランにこっそり話しかけた。

 

「イビルアイ、どうしたの……?」

 

「いや、恋愛について聞いてきやがったから、遠距離恋愛は破局するぜって言ってやっただけだぜ」

 

 恋愛について詳しそうなガガーランに、昨夜の内にイビルアイは教えを乞うてきたようだ。イビルアイは当然相手をぼかしたが、そこはガガーラン。簡単にイビルアイの恋愛相手を見破った。というか、あまりに分かり易過ぎた。

 

「……アインズと付き合うようになったの?」

 

「いつの間に……」

 

 こっそり話を聞いていたティアとティナの言葉に、ガガーランが首を横に振る。

 

「いや、あいつの片思いだよ」

 

「……前途多難ね」

 

「きっといつか、アインズを語る時は早口になるんだ」

 

「きもい」

 

 それぞれの感想をこっそり口にし、押しまくりすぎてアインズを引かせているイビルアイに、ラキュースが「イビルアイ! そろそろ行くわよ!」と大声を出す。イビルアイはその声に弾かれたようにラキュースを見ると、「す、すまん!」と口にして慌ててアインズから離れた。

 

「えーっと……それじゃあ、皆さんお元気で」

 

「じゃあな」

 

 アインズとブレインに見送られながら、蒼の薔薇はエ・ランテルを出る。これからゆっくりと王都へ帰るつもりだ。

 

 

 

 ――ちなみに数日後、魔樹の確認を組合員がこっそり行ったのだが、そこには巨大なクレーターがあるだけの、更地だったという。

 

 

 

 

 

 

 ――そして、彼らは再び話し合う。スレイン法国の最秘奥で。

 

「――糞が! やられた! 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)め!!」

 

 部屋に罵声が響き渡るが、誰もが罵声を上げた者と同じ気持ちだった。

 

「おそらく、漆黒聖典を尾行していたのだろうな」

 

「ドラゴンの知覚は広い。例え漆黒聖典だろうと感知出来なくとも、仕方あるまい」

 

 首尾よく破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を支配下におけた法国であるが、しかし漆黒聖典が至宝の護衛をしながら法国へ帰還し、法国の他の手の者達が見張りにつこうとしたその時、既に事は終わっていた。

 あの魔樹がいた場所は更地になっており、それほどの魔法の使い手と言えば一人しかいない。始原の魔法(ワイルドマジック)を今なお行使出来る真なる竜王――おそらくはアーグランド評議国の永久評議員の一体、ツァインドルクス=ヴァイシオン――ツアーが犯人だろう。

 

「王国にけしかけ、ある程度消耗させた後に帝国に併呑させるという計画はこれでオシャカになったわけだが――」

 

「仕方あるまい。別の方法を考えて帝国に併呑させるとしよう」

 

 法国は王国に対して敵意を持っていた。それは――王国の現状に由来する。

 王国は立地的にも最も安全な場所に出来た国だ。そのため、建国の頃から法国が尽力して王国を育て上げた。そうする事で王国が豊かになり、多くの人が生まれ、優秀な人材を育てて欲しいという願いからだ。

 人類は亜人種や異形種によって、常に命の危機に晒されている。法国から先には、人間の住む国などほぼ存在しない。だからこそ、王国は安全な場所で優秀な人材を育てて欲しかったのだが――王国は法国の期待を裏切った。

 王国は堕落し、腐敗し、それだけでなく麻薬を作って隣国の帝国にまで広がりつつある。

 王国はもはや百害あって一利なし。王国の国力を低下させ、帝国に吸収させる事。それが現在の法国の目的だ。その時こそ、本来王国で行われるプランを帝国で行うのだ。

 法国が併呑しないのは、王国は評議国とも隣接している。評議国は亜人達の国であり、法国の人間至上主義とは合わない。この理念が危険な意思を生み、危険な方向へ進みかねない。だからこそ、何とか評議国と隣接する危険は避け続けた。

 

「では、次の議題に移るとしよう。例年の竜王国に侵攻してくるビーストマンの件だが――」

 

 彼らの人類の平和を守るための議題は、永遠に尽きない。

 

 

 

 

 

 

 アインズ達がトブの大森林で依頼を達成してから、既に一ヶ月以上の時が経過していた。

 

「……暇だ」

 

 アインズはいつもの冒険者組合のソファに身を預けながら、ポツリと呟く。向かい側に座っているブレインが刀の手入れをしながら、同じように呟く。

 

「最後にエ・ランテルの外に出たのは――確かカッツェ平野から流れて来たアンデッド兵団の殲滅、だっけか」

 

「……ああ。それが、あのトブの大森林の依頼以降、俺達が受けた依頼だ」

 

 つまり、魔樹の件以降一度しか依頼が無い。ギガントバジリスクが出た、という時もあったが戦士二人組のアインズとブレインに依頼は回って来なかった。しかもギガントバジリスクが行方不明になったため、大慌てで捜索する大事までに発展したが、それでもアインズ達に依頼が回ってくる事はなかった。そしてギガントバジリスクも発見出来なかった。

 アインズとブレインは、未だ気軽に冒険に出る事は出来ない。もはやエ・ランテルのアンデッド事件から既に数ヶ月の時が経過しているが、彼らが冒険と呼べるようなものに出た事は、はっきり言ってない。

 

「ブレイン……教えてくれ。俺はあと何回、このソファに転がっていれば冒険に出られる? 俺はあと何回、ここで依頼に出る冒険者達を見送ればいいんだ……」

 

 アインズの言葉に、ブレインは笑いながら答えた。

 

「そりゃ、お前……エ・ランテルが復興して抜けた衛兵達と冒険者達の穴が埋まるまでだろ」

 

「それっていつなんだ……!」

 

 テーブルに顔を突っ伏する。あの日の死者の数は衛兵も冒険者も多く、抜けた人員の数は未だ埋まっていない。というか、アインズとブレインが街の護衛という依頼で残っているため、冒険者の数埋めは微妙に後回しにされている感がある。

 アインズの嘆きに、ブレインは……いつも通りに答えたのだった。

 

「俺こそ一体何回、お前のその愚痴聞いてりゃいいんだよ。毎日毎日聞き飽きるぜ」

 

 刀身の汚れを確認しながら、ブレインが告げる。もはやアインズとブレインのこの会話は、毎日繰り返される日課と化していた。

 

「どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「おう」

 

 そしてイシュペンがアインズとブレインにお茶を出すのも、日課になっていた。まあ、飲むのはブレインだけでアインズは一度も飲んだ事はないのだが。というか、飲めない。

 イシュペンの後ろ姿を見送りながら、アインズは呟く。

 

「冒険がしたい……冒険……ぼうけん……」

 

「諦めろよ。お前が未知の探求に乗り出すなんて、最初っから無茶な話だったんだよ……」

 

 ブレインの無情な言葉に、アインズはポツリと呟く。

 

「ワーカー……」

 

「俺らじゃ要人の暗殺依頼しか来ねぇな」

 

「帝国……」

 

 イシュペンが振り向いた。アインズとブレインは同時に顔を逸らして目を合わさないようにする。聞こえていないはずなのに、何故かイシュペンはこの話題になると「どうしましたか?」とすすすーっと近づいて来るのだ。ちょっと怖い。どんな勘をしているのだろうか、この受付嬢は。

 

「……ごほん! えー……まあ、しばらく大人しくしておくか」

 

「それがいい。暇を楽しめよ、アインズ」

 

 この結論も、いつもと同じであった。アインズは再びソファに身を沈め、ひたすら時間が経つのを待ち、ブレインは刀の手入れに集中する。

 それがいつもの日課。最初の頃はよくアインズとブレインが訓練場で喧嘩をよくしていたものだが、ここ最近はそういった事は少なくなり、冒険者組合でも勝敗賭博は起きなくなっていた。……ちなみに、魔樹の件以降週一でイビルアイがやって来てブレインとよく喧嘩をしたり、アインズの隣に座って蒼の薔薇の冒険譚を話してくれる。アインズは内心で舌打ちをした。

 

 そうしてしばらく時間を潰していた時――組合員から声をかけられた。

 

「ゴウン様、アングラウス様」

 

「はい?」

 

「うん?」

 

 顔を上げると、組合員が少し緊張した表情で二人を見ている。

 

「お客様が来ております」

 

「客……?」

 

 アインズとブレインは顔を見合わせ、困惑する。客と言われても、アインズにもブレインにもそのような予定はなかった。

 

「アインザック組合長――なわけないですよね」

 

「ラケシルのおっさんか?」

 

 いつもアインズを見る度に、「マジックアイテムをぉぉ……」とぬるぬる張りつく魔術師組合長を思い浮かべるが、組合員は首を横に振った。

 

「いえ、違います」

 

「……あー、若い黒髪の男性ですか? それとも、柔らかい表情と雰囲気の男、いや、頬に傷のある男ですか?」

 

 アインズが思い浮かべたのは漆黒聖典の隊長とクアイエッセ、ニグンだ。彼らならアインズを訪ねてきても不思議ではない。

 

「いえ、違います」

 

「? 違うんですか?」

 

 だからこそ、再び首を横に振った組合員に、アインズは首を傾げる。組合員は困った顔をしながら、特徴を告げた。

 

「老人です。帝国から来られたそうなんですが……」

 

「帝国?」

 

 心底アインズともブレインとも関係のない国から来た相手だ。アインズとブレインは顔を再び見合わせ、組合員を見る。

 

「名前は?」

 

 組合員は、二人の言葉に小声で名を告げる。「本物かどうか、私共にはまだ判別出来ないのですが……」と前置きをしてから。

 

「フールーダ・パラダイン様と名乗る方です」

 

 アインズは聞いた事もない人物の名前に、首を傾げてブレインを見る。

 ブレインは凄まじい大物の名前を聞いて、アインズの視線に気づかないほどに仰天して思わず叫ぶ。

 

「はあぁぁぁぁああああ!?」

 

 冒険者組合内に、ブレインの絶叫が響き渡った。

 

 

 

 

 




 
イビルアイ「アインズさま……すてき!」
アインズ「ワールドアイテムとか何それ聞いてない」
ツアー「ステンバーイ…ステンバーイ…ゴゥッ!」

↑大体こんな話。
 

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