Charlotte ~時を超える想い~ -after story- 作:ナナシの新人
「お弁当です」
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきますね」
「はい。いってらっしゃいませ」
自宅の玄関先で、制服の上からエプロンをつけた
それは、月がひとつ巡った、残暑が残る九月初めのこと。
星ノ海学園を含めた大半の学校は、今日が、二学期の始業式。同時に、俺にとっては、約五年ぶりとなる登校日。
この制服に袖を通すのも、生徒として通学路を歩くのも、何もかもが懐かしく。なんとも形容し難い想いを感じながらの通学途中、併設マンションの前の歩道でばったり、
「あっ、おはよーございますっ」
「その制服。お前、本当に転校してきたんだな」
姉の方は、少し気怠そうに。妹の方は、人懐っこい笑顔で。
目立つ姉妹との登校は、当然、周囲の視線を惹き付けるのだが。ふたりは慣れているようで、まったく気にする素振りはみせない。それならば、と気にしないように雑談しながら、通学路を歩く。
「ここで、失礼しますね」
正門を潜り、昇降口の前に着いたところで足を止める。
「あれ? 一緒に行かないんですか?」
「職員室へ行きます。クラス割りとか、いろいろと」
「あ、そうなんですかー。一緒のクラスになれるといいですね」
「そうですね。また、のちほど。
「ああ、またな」
姉妹と別れ、廊下を職員室へ向かう。ドアを軽くノックして、横開きの扉を開けて中に入る。
「失礼します」
「来たわね。いらっしゃい」
「ゆり先生。ご無沙汰してます」
入り口近くの机に向かっていた、ゆり先生は名簿を持ち、出迎えてくれた。
「話しは聞いてると思うけど。わたしが、担任よ。さっそくだけど、理事長のところへ行くわよ。こっち」
「ああー、はい」
彼女の後に続いて、廊下に戻る。
「温泉旅行は、いかがでしたか?」
「もう、最高よっ! 日々の疲れが吹き飛んだわっ!」
「あはは、それは、なによりです」
土産話を聞きながら歩いている間、何人もの生徒から声をかけられていた。年が近くて、人当たりも良く、誰でも分け隔てなく接する彼女は、この世界でも、男女問わず人気なのは変わらないらしい。
「――っと、ここよ」
少し行きかけた歩みを戻した彼女は、理事長室のドアを軽くノックした。「どうぞ」と、部屋の中から、男性のなじみ深い声が返って来たのを確認してから、ドアを開けた。
先日来た時と同じで、僅かに、コーヒーの芳ばしい香りがする。唯一違うのは、部屋の中に人が居るということ。
スーツを着こなした、初老の男性。
俺が、よく知る人物、
右も左も解らない素人の俺に、マーケットの全てを叩き込んでくれた師匠。
「理事長、転入生を連れてきたわ」
「ありがとう、ゆりさん。ようこそ、星ノ海学園へ」
「お世話になります。
隣に立つゆり先生は、とても不思議そうな
「はっはっは。さて、始業式の挨拶まで時間がある。久しぶりに、将棋を指そうか」
愉快そうに笑った先生は、戸棚から将棋盤と駒の入った小箱を取り出し、ガラステーブルに置いた。座るように促し、駒を並べる。将棋盤が置かれているテーブル挟んで正面に座り、ゆり先生は、俺の隣に座った。
「さぁ、始めよう。先手は、くれてやるが。ブランクがあるとはいえ、容赦はせんぞ」
「じゃあ、遠慮なくいかせてもらいます」
しばらく、黙ったまま指し合っていると。退屈を持て余した彼女が、俺たちの関係を聞いてきた。
「理事長と、
「ええ、師匠です。
「そうなの?」
「僕は、ほんの少し触りを教えただけだ。そう、たいそうなことはしていない。感覚を掴んだの彼の資質、才能だよ。さて、飛車と角が落ちたな」
「それはどうも、と」
飛車と角を捨て出来たスペースへ、痛烈な一手を打ち込む。
賛辞の言葉をかけてくれた笑みが、やや険しい顔付きに変わった。
「ふむ、なるほど......鉄砲か。劣性を装い、優勢と信じ込ませる、実にいい手だ。しかし、キミは師匠の顔を立てるという礼儀を知らないのかな? 無作法な教えをした記憶はないが」
「手を抜くと、キレるでしょ?」
「僕は、女性の前ではキレない」
「あっはっは、あなたたち、いいコンビねっ」
「ははは、見苦しいところを知られてしまったかな。おっと、そうだった。これを――」
「話しは、既に通してある。多少値は張るが、手抜きは一切しない。僕が、保証する。資金は?」
「問題ありません」
「そうか」
軽く笑みを見せ、小さく呟いた先生は、席を離れて窓辺に立ち、窓の外の景色を眺めながら、穏やかな声で諭すように言った。
「
「――はい」
「うむ。では僕は、講堂へ行くするよ」
「ありがとうございました」
席を立ち、頭を下げて見送る。
「コーヒー淹れますけど、飲みますか?」
「コーヒー? そうね、いただこうかしら」
戸棚の奥から、瓶詰めにされたコーヒー豆の容器とミルを引っ張り出す。
「なんで、そんな本格的な物があるのよ?」
「無類のコーヒー好きなんですよ。匂いがしたので」
湯気の立つティーカップ、角砂糖、クリーム、マドラーを添え。先ほどまで、
「どうぞ。オリジナルブレンドです」
「ありがと。あ、缶コーヒーとはぜんぜん違うわね。これなら、ミルクも砂糖もいらないわ」
「それは、よかったです」
コーヒーをすすりながら、授業の進み具合、大まかな年間行事の説明を受ける。
そして、今月末に実施されることが決まった、
なぜそれを俺に話したのか、と尋ねると。
「連れてくることと一緒に、言付けを頼まれたのよ。詳しい事情は知らないわ」
「そうですか」
「ごちそうさま。そろそろ、始業式も終わった頃ね。教室へ行きましょ」
「カップを片します。少し待っていただけますか?」
「お願いするわ。職員室へ戻ってから迎えに来るから」
飲み終えたコーヒーカップを片付け、理事長室の前で彼女を待つ。
「お待たせ。さぁ、行くわよ」
「はい。お願いします」
理事長室へ来た時と同じように並んで歩き。1-Bのクラスの前で立ち止まったゆり先生は、くるりと身をひるがえした。
「ところで、あのカワイイ子。
「はい、お付き合いさせてもらっています」
正直に答えると「そう。なら、任せなさい。呼ぶまで待ってて」と言って、教室に入っていった。
『おはよう。みんな、元気だったかしら?』
教室から漏れる声が聞こえる。
『朝のホームルームを始める前に、転入生を紹介するわ』
『女子ですかっ!?』
男子生徒の期待のこもった大きな声。
『残念、男子よ』
『なんだ、男かよ......』
『はいっ! カッコいいですかー?』
『そうね。好みによるけど、我が校が誇る
『えぇ~......』
――任せなさい、と言ったのはこういう意味か。
もしくは、教え子たちの反応を見て楽しみたかったのか。まぁ、どちらにしても気楽に入れる空気を作ってくれたのは、大変ありがたい。素直に感謝。
『はいはい、静かになさい。じゃあ、紹介するわよ。入ってらっしゃい』
彼女が立つ教卓の横に立ち、クラス全体を見渡す。
窓側から二列目一番前の席で、
「じゃあ、自己紹介よろしくね」
「
「はい、よろしく。あなたの席は、あそこよ」
彼女が指差した席は
感慨深さを感じながら席に腰をかけると、さっそく、隣の
「お隣ですね」
「そうですね、お願いします」
「はいっ。この席、一学期からずーっと空席だったんですよ」
「へぇ、そうなんですか」
あの岬で、
「そこ! ちちくりあってんじゃないわよっ」
「はいっ、すみません」
お叱りを頂戴し、ふたり揃って謝罪。直後「俺も、ゆさりんとちちくりあいたい......」や「彼女って、まさか......ゆさりん?」などなど、殺気が入り混じった憶測が飛び交った。
そして、迎えた昼休み。
昼の準備を始めようとしたところへ、
「お昼は、どうなさいますか? 我々は例の通り、学食へ行きますが」
「俺は、これが――」
鞄の中から、ピンク色のハンカチに包まれた弁当箱を机の上に置く。
「おや、可愛らしい包みですね。では我々、売店でパンを買って来ます。少しお待ちいただけますか?」
教室後部のドアの前で待っている
「
「待ってて欲しい、と言っていましたから。すぐに戻ると思いますよ」
午前の授業が終るとすぐ「少し待っていていただけますか? お弁当、一緒に食べましょー!」と、言って席を立ち、教室を出ていった。
彼女の弁当箱は、既に机に用意されている、どこへ行ったかは推測できるけど、無粋なことは口にはしない。
「
「
「いいんですか? いただきますっ」
「はわ~、これ、おいしー」
「そう言えばお前、寮じゃないんだよな。駅の方から歩いて来たし」
「ええ、自宅通いですよ」
「はいっ、わたし、遊びに行きたいでーす」
「私も、お邪魔したいですっ」
「いや、いきなりじゃ迷惑だろ」
「聞いてみるよ」
たぶん、大丈夫だろうけど。念のため、確認のメッセージを
「大丈夫だそうです」
「やったー」
「やりましたねっ、ゆさりん!」
了承の知らせを聞いた
午後は、文化祭の話しに時間を割いたロングホームルームのみで登校初日を終えた。全員揃って学校を出て、併設マンションの前で四人が来るのを待ち、最寄り駅から自宅へ向かう。
「なぁ、路線違わないか?」
「いや、違わない」
聞いてきた
「今は、六本木じゃないんだよ」
「そうなんだ。どこ?」
「神楽坂」
「また、結構遠いな......」
電車に揺られ数十分、神楽坂駅に到着。
人通りの多い大通りから路地に入り、どことなくノスタルジックな雰囲気が漂う、石畳の路上を歩く。老舗料亭や旅館の門前では、着物姿の女性が忙しなく、客人を出迎える準備している。
「なんか、東京じゃないみてーだ」
「まるで、古都ような雰囲気の町並みですね」
「ああ~、修学旅行で似たような風景を見た気がするな」
「ステキですっ」
だいぶ住み慣れ始めた町の雰囲気も、四人にとっては新鮮のようだ。
自宅マンションに到着。カギの掛かったドアを開けて、四人をリビングへ通す。部屋着姿の
「おかえりなさい。と、おひさっす」
「
「どうって、合鍵ですけど」
決まってるじゃないっすか、と答えた
「とりあえず、着替えて来てください。おもてなしはしておきますので」
「あ、はい」
急かされる感じで、隣の寝室で着替えを済ませ、リビングへ戻る。
「へぇ、三人は同じクラスなんすか」
「そうなんですよー」
飲み物を用意して
取り立てて特別な話しではないが。俺たちにとっては、空白の時間を埋める特別な時間だった。そのことを裏付けるかように、時間はあっという間に過ぎ去り、時計の針は17時を回った。
「夕食、どうしますか?」
「そうですね。えっと、う~ん、お姉ちゃん」
「
「晩ご飯どうしよっか?」
「ああー、そうだな」
考えながらも、
「何か出来合いの物でも買ってきましょうか?」
「その心配はいりません。実は、人数分の材料を用意してあります」
「でしたら。わたしも、お手伝いしますっ」
二人の手伝いを申し出たところ「今日は、男子厳禁です」と、キッチンを追い出されてしまった。そんな訳で、私用を済ませることした。
寝室へ入り、先生から受け取った名刺を取り出す。表面には、氏名、電話番号、所在。裏を見ると「よろしく頼む」と、一筆とサイン書かれていた。事務所ではなく、携帯の番号を打ち込み、電話を掛ける。三度目のコールで繋がった。
『はい』
「お忙しいところ失礼します。
『
とても丁寧な応対してくれる電話口の男性としばらく話をしていると、コンッコンッとノックの音が聞こえた。
「ありがとうございました。また連絡させていただきます。失礼します」
電話を切り、返事をする。朝と同じ、エプロン姿の
「晩ご飯できたっすよー」
「ありがとうございます。すぐに行きますね」
「はーい」
部屋に戻って、輪の中に入る。
メニューは、前世で
「ごちそうさんでした、っと」
「ごちそう様でした。とても美味しかったです!」
「ホント美味かったよ」
「いえいえ~」
「お粗末様っす」
食器を片付け、一息入れる。
「手で洗ってたみたいだけど、食器洗い器は無いのか?」
「ん? ああ、あるんだけど」
「無駄使いはダメっすよー」
「と言う訳なんだ」
聞いた
「何で、
「何でって。
「......は? 今、なんて?」
「生活費」
「いや、その前」
「無駄使いはダメっすよ」
「その後ろっ!」
「もう、なんすか~? あたしたちの?」
「それだっ! あたしたちの生活費って、お前たち。まさか、同棲してるのか?」
「そうですけど。知らなかったんすか?」
「えぇーーっっ!!」と、四人の大声が重なる。一人暮らしじゃないって言ったんだけどな。
「静かにしてください。近所迷惑です」
「そ、そうか、それで、神楽坂だったのか......」
「どういうことですか、
「
やはり、
このあと二時間ほど質問攻めが続き。明日も学校があることから21時前にようやく解放された。
風呂上がり、二つのコップに麦茶を注いで、寝室に入る。先に風呂から上がり、髪を下ろしたままの
因みにこの寝室は、俺の仕事部屋と彼女の勉強部屋も兼ねている。
「よっし、終わりー」
「お疲れさまです。どうぞ」
「ありがとうございまーすっ」
ベッドに並んで座る。
「冷たくて美味しいっすね」
「ですね。お弁当、美味しかったです。ありがとう」
「そうっすか、よかったっす」
彼女は今日、初めての笑顔を見せてくれた。
コップを片付け、それぞれベッドに入り、明かりを消す。カーテンから漏れる、優しい月明かりがどこか心地いい。少し考えごとをしながら天井を眺めていると、ふと、すぐ隣から視線を感じた。
「どうしました?」
黙ったまま何か訴えかけるように、じっと見つめられる。
身体を横に向け、掛け布団を捲って彼女を呼ぶ。
「おいで」
「ん」
持ってきた枕をセットすると、横になった。
温かいぬくもりと、鼻孔をくすぐるいい香りがする。
「どうしたの?」
「いえ、話しついていけなかったなーと」
確かに食事最中、文化祭などの学校行事の話になると、少しテンションが下がってた。こんな
「えっ? それ、マジっすかっ?」
「まだ誰にも言っちゃダメっすよ。附属も、教職員と会長さんしか知らないそうですから」
「了解っすっ。でも、そっかー」
嬉しそうに笑顔で、俺の胸に顔を埋める。
左手で髪を撫でるとくすぐったそうに少し身動ぎをして、しばらくすると、小さな寝息が聞こえて来た。
「......おやすみ」
うっすらと微笑んで気持ち良さそうに眠る彼女の寝顔を目に留めて、静かにまぶたを閉じた。