甘味処『間宮』名古屋支店――
「な、なんで中尉さんが名古屋にいるの!?そんなの全然言ってなかったわよね!?」
「すみません、まだ着任前だったので、機密事項の観念から言えなかったのです……実際、僕も驚いてるんですから」
伊良湖が特別にサービスしてくれたバニラアイスを突きながら、暁は眼前でコーヒーを堪能する誠太郎を凝視していた。
「昨日一緒だった人達が、まさか自分の着任先の皆さんだったなんて……正直、思ってもみませんでした」
「ケッ、神様ってホント人の嫌がることするの好きなのねー」
「それは同感。その分私や姉様の不幸度を減らしてくれたらいいのにーー」
ジトッとした目つきで誠太郎に抗議の意思を向ける蒼龍と山城。彼の隣で幸せそうに破顔している飛龍とは大違いだ。
「いいじゃない。提督補佐官がついてくれるなら、こちらの気苦労だって軽減できるかもしれないわ」
「そうそう。何たって、せいちゃんとこれからずぅーーっと一緒だもんねーーーーーッ♪」
霧島と飛龍は、この年若い補佐官の着任を歓迎するかのように微笑んでいる。特に飛龍は、昨日の今日で再会出来た幼馴染の存在に心が躍り出すのが止められないらしい。
「こらこら、僕だって仕事でここに来てるんだから……公私のけじめはつけないとダメだよ」
一方、誠太郎は手元にあるコーヒーを軽く煽ると、真面目な口調で飛龍を諭す。
「ご、ごめん……」
カランカラーーーン……
来客を告げるベルの音と共に、食事処のドアがパッと開いたのはちょうどその時だった。
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「ほぅ、これは珍しい。
現れたのは、憲兵特有のカーキ色の軍服を纏った男だった。襟元の階級は、この大柄な士官が『大佐』であることを示していた。
「岩本憲兵大佐……御無沙汰しております」
その人物に気付いた霧島が、即座に立ち上がって敬礼する。
一方、岩本と呼ばれた憲兵大佐は奥の席に座る見慣れない顔に気付いたらしい。彫の深い顔に射抜くような目線で件の彼を凝視する。
「……申し遅れました。此度、第8司令部の提督補佐官として着任いたしました、山口誠太郎中尉相当官であります」
一瞬の後、誠太郎は素早く立ち上がって敬礼していた。それにつられて飛龍達も一斉に敬礼を行う。
「中部方面第32憲兵団大佐、岩本 貴明だ。今は名古屋軍港基地の駐留憲兵隊を任されている」
相手も誠太郎達の行動を見止めたのか、一呼吸遅れて敬礼を返していた。
「とはいえ……フン、磯部中佐の指揮下に入るのか……精々頑張ることだな」
敬礼を返したとはいえ、冷たさすら感じさせる目線で誠太郎達を一瞥する岩本大佐。やがて彼は鼻を鳴らすと、踵を返した。
「言っておくが……士官学校で好成績だったからと言って、現場で甘えは通用しないぞ。此処に来た以上は心して掛かる事だな」
そう言って、のしのしと自分の席へと歩いていく。
「ん?」
時雨と横井大尉が暖簾をくぐって表れたのは、ちょうどその時だった。
「あれ?貴方は……」
時雨の視線の先にいたのは、昨日見た年若い士官の姿。あの時と違ってちゃんとした紺の士官服を着こなしていたが、あの顔立ちは間違える筈もない。
「君は…?」
そして向こうも気付いたらしい。少し驚いたように目を見開いているのが分かった。
しかし、相手が時雨だとわかるとすぐに真剣な表情で会釈してくる。
「フフ……また会ったね、山口中尉相当官――――第8司令部の補佐官になるんでしょう?」
「君は白露型の……確か、時雨だったかい?」
一見、不敵とも取れる笑みを浮かべた時雨であったが、やがてクスッと微笑みを浮かべて席に腰掛けていた。
「御名答……それじゃ、これから僕達は同僚同士だね。以後よろしく♪」
「貴公が山口中尉相当官か……名古屋駐留憲兵隊の横井 純だ。以後お見知りおき願うよ」
憲兵である横井大尉は、岩本大佐と同じように厳かな所作で敬礼をする。
「山口 誠太郎中尉相当官です。本日より第8司令部の提督補佐官として着任致します」
そして誠太郎も、横井に向かって敬礼を返していた。
「しかしまぁ、これはまた随分若いのが来やがったなぁ……が、いい気概だ。まぁ此処に来た以上は気楽にやろうや」
横井大尉は、岩本大佐とは対照的にフランクな態度で手を差し出す。
「ありがとうございます。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
誠太郎はその手を握り返すと、力強い表情で彼を見据えていた。
*
「此処が工廠。艤装や装備の建造はこのエリアでやるの……大抵は妖精さんに資材を渡して発注しておけばやってくれるけどね」
甘味処を出た誠太郎達は、名古屋軍港基地の各所を歩いて回っていた。
あと幾許もしないうちに着任となるこの提督補佐官に、少しでも早く施設の様相を知って貰おう……という暁の提案で、誠太郎は幾人かの仲間と共に施設内を案内して貰っている最中だった。ちなみに今、彼について一緒に回っているのは飛龍、暁、蒼龍の3人だった(霧島は書類仕事、時雨と山城も別行動中、横井大尉は憲兵詰所に帰還)。
既に正面玄関、食堂、修復の行われる入渠エリア、憩いの場である甘味処と色々な場所を回り、今は建造を請け負う工廠に赴いてる最中だった。
「よーっす、あんた達お揃いでどーしたの~~~???」
幾つもの大仰な機械がデンと鎮座するこの区画に入ると、早速機械の上から大声が聞こえる。
「あ、ユリカさ~~ん!」
いち早く気付いた蒼龍が、顔を覗かせた人物に向かってピョンピョン跳ねながら挨拶をした。
「作業中すいませ~~ん、せいちゃ……提督補佐官に工廠を案内したいんですが、いいですか~~?」
飛龍が目を向ける先にいたのは、タブレット片手に作業員達に指示を飛ばしているツナギ姿の女性だった。赤みがかった髪をショートポニーに纏め、程よく焼けた顔とうなじが特徴の彼女は、飛龍の姿を見ると作業を中断してこちらに向かって来る。
「提督補佐官だって?そーいや磯部のアホと霧島ちゃんがそんなこと言ってたっけ………そっちにいる連れのお兄さんが??」
ユリカと呼ばれたツナギ姿の女性は、誠太郎の姿を見止めてそう呟いていた。
*
その頃――――
第8司令部の執務室では、何やらガサゴソと穏やかではない物音が木霊する。
「えぇい、これでもない!これか!?」
執務室に籠った磯部中佐は、先刻から金庫のダイヤル相手に悪戦苦闘している。
先程の電話の後、磯部は即座に執務室に引き揚げていた。艦娘達は今頃自由時間、この部屋に来ることは恐らくない。
磯部はこの隙に、何とかして身を守る術を立てておく必要に駆られていた。
(何で奴の息子が俺の司令部に来るんだ!?まさか、あの事を突き止めて………いや、偶然に決まっている!あれは18年も前に済んだ事なんだ!!!)
そう頭の中で思考を目まぐるしく巡らせる。やがて金庫のダイヤルから、カチッ…と何かが嵌まる音がした。
「フン……ぃ、今に見ていろ、俺の平穏を邪魔する奴はどいつもこいつも――――――――」
血走った目を走らせて、磯部は金庫の中の『何か』にゆっくりと手を伸ばした………
*
その頃、工廠では……
「初めまして。本日より第8司令部に着任しました中尉相当官、山口 誠太郎です」
「名古屋軍港基地の整備班長、谷村 ユリカ准尉。以後お見知りおきを」
互いに敬礼して挨拶を交わす誠太郎とユリカ。
しかし、厳粛に思われた沈黙はすぐに霧散してしまう。
「なるほど、資材の配合率はこうなるのですか……試験で同じ問題は出ましたが、現場だと全く違いますね」
「あんなの頭でっかちな試験官が作った『最低基準』よ、坊や。現場じゃそんなマニュアル通りに行かないってーの」
気が付けば、2人とも資料片手で小難しい話に花を咲かせている。階級差はあれど、誠太郎の方が明らかに年下であることもあってかユリカは既にタメ口で会話していた。
「いい?現場は常に手探りと経験、試行錯誤で何でも打ち立ててきたの。そりゃ失敗の方が多いけど……けど、最前線の苦労も知らない試験官風情にエラそうに語られたくはないわね」
「そういえば…プラズマ教官も同じ様な事言ってました。現場の苦労は現場で見なきゃ本当の意味でわからないって……」
「あらーー……補佐官さん、何だか和気藹々してるわね」
少し離れたところで2人の様子を見守る暁は、彼等の様子をキョトンとした風に眺めている。
「あの気難しいユリカさんとフツーに話してる……」
「あぅ、何だか内容が難しくてついてけないよぅ」
その傍では神妙な顔つきで様子を伺う蒼龍と、難解なワードで頭がこんがらがってしまっている飛龍の姿があったとか………
(そういや、飛龍ってば
「ユリ~~、艤装のチェック終わったのね~~~~」
ひとしきり話し込んでいた誠太郎とユリカ。そこに、ペタペタ足音を響かせて誰かが駆け寄ってきた。
「おー
突然現れた闖入者を、ユリカは抱擁する様に受け止める。
「わ~~~これこれ♪あんなバカ提督に触られるより、ユリが一緒にいる方がよっぽど安心できるのね~~~~っ」
「アホの話はやめなって……それより大丈夫だったか?伊19」
現れたのは、紺色のスクール水着を纏ったスタイルの良い女の子だった。ユリカより一回り小柄だが、豊満な胸をツナギに押し当てて嬉しそうに抱き着いている。
「伊19の方はオールオッケーなのね。ユリがいつもチューニングしてくれるから安心して出て征けるの~~~」
幼さが抜けきってない様な口調で、その艦娘……伊19は無邪気に微笑んでいた。
「おーーいイク先輩~~~」
やがて、蒼龍が思い出したように2人のところへ駆け寄っていく。
「あ、蒼龍なのね~~」
ユリカに抱き着いていた伊19は、蒼龍達に気付くと満面の笑顔で手を振って出迎える。
「お疲れ様です。今日は新しい提督補佐官がうちに来てくれたんです」
「あ、これ間宮アイス券。司令官のところからスッといてきたわよ」
後から飛龍と暁もスクール水着の先輩に向けて挨拶する。というか暁、何さらっと不穏な事言っちゃってるの……
「ん…提督補佐官?」
しかし、不意に伊19は身を強張らせる。飛龍やユリカ達の隣に、見慣れない人間の姿を見つけたからだ。
「そーいえばユリ、気になってたんだけど……そっちにいる人、誰なのね??」
それから数分後……
「提督補佐官??そんなのイクは初耳なのね~~~っ、何で教えてくれなかったの~~~???」
「あんたは秋月姉妹(第5司令室所属)と一緒にオリョクルで不在だったでしょーが……それに、あたしだって知ったのは昨夜だったんだよ」
スクール水着から霧島と同じ特務官用の制服に着替えた伊19。ユリはツナギ姿のままだが、持っていたタブレットは置いて来たらしく今は手ぶらである。
2人の前にいるのは、第8司令部の面々である飛龍、蒼龍、暁……そして、紺の軍服を纏った年若い青年が1人。
「しっかし、山口……って、ねぇ――――――」
だが、誠太郎の眼の前に立つユリカは、ふと何か思い出した様に訝しげに顔を強張らせる。程無くして、少々言いにくそうに切り出していた。
「つかぬこと聞くんだけど………坊や、あんたの親類縁者に軍の高官やってる人、いない??」
この准尉が言わんとしてる事は朧気ながら理解できた。そしてその推察は、ほぼ間違いなく的を射ている……そう誠太郎は思っていた。
(た……多分、准尉の推測は当たってますね……隠し立てする気はないのですが)
「せいちゃんのお祖父ちゃんの事ですか!?わたし知ってます~~~♪」
途端に、誰かが勢い良く反応する。飛龍だ。
「ちょっ…こら飛龍ッ」
誠太郎は慌てて諌めるが、飛龍はそんなことお構いなし。嬉しそうに口を開いていた。
「えっ、何々??わたしも聞きたいな~~~」
「何だか気になるのね、飛龍!イクにも教えるのね!!」
しかも、何故か蒼龍と伊19まで喰いついてくる始末。気が付けば、暁も目を爛々と輝かせて誠太郎と飛龍を見上げていた。
「海軍上級大将の山口 源児!参謀総長でせいちゃんのお祖父ちゃんなんだよッッ♪♪」
『ぇ……えぇ~~~~~!?!?!?!?!?』
程無くして、その場にいた者達の声にならないどよめきが響き渡った。
「
目を白黒させながら誠太郎に詰め寄る蒼龍。やや困惑気味であったが、取り敢えず理解するところは理解して貰えたらしい。
「そりゃそうですよ、誰にも言ってないんですから」
一方の誠太郎は、やや及び腰ながらもしっかりと蒼龍を見据えて返答する。
「それに祖父は祖父、自分は自分です。いくら高官の孫だからって自分自身が偉くなったわけじゃないし、此処では自分は一介の補佐官でしかないと思っていますから……」
「山口 誠太郎……ホント、確かに苗字同じだわね」
何処から出したのか、タブレットで何やら調べ出したユリカ。
「この事実、
「きっと平身低頭するか、じゃなきゃゴマ擦りしてくるか……なのね」
伊19が覗き込んだタブレット……そこには、今期の士官学校卒業生の羅列が表示されている。その真ん中に大きく映っているのは、今目の前にいる誠太郎の顔だった。
「それで、アンタ達これからどーすんの?あたしはまだ
やがて、ユリカはふと思い出した様に誠太郎に向けて質問する。
「そうですね……そろそろ磯部中佐のところに着任報告に行こうかと思います。3人とも、案内お願いできますか?」
*
「3人だけでアイツのところに行かせるなんて絶対にマズいの。イクもちょうど今日のお仕事終わったからついてってあげるのね」
そう言っていた伊19が誠太郎達の一行に加わり、賑やかになった5人組は基地の中央エリアへと足を運んでいた。
正面玄関のエレベーターを上に昇り、6階にある各司令官の詰所に到着。東端に位置する一室の前で一行は足を止めた。扉の前の表札は、その部屋が第8司令部指揮所であることを物語っていた。
その扉に触れようとした誠太郎だったが、
「待って、せいちゃん」
ふと、その手を飛龍がくいっと引っ張った。
「あんた……うちの提督の事、どう聞いてるの?」
何時の間にか蒼龍も、そして一歩後ろにいる暁と伊19も、真剣な顔で誠太郎を見据えている。
「あまり評判がよくない……とは聞いています。戦果は挙げているものの、艦娘との連携、指揮は確実性に欠け……手柄を優先した無理な進軍で周囲と協調性が望めず、他の提督との確執も少なくない……正直、警戒しています」
よく見ると、ノックをしようとした彼の手は少し白くなっている。拳を強く握り込んでいる様だ。
「どっちかっていうと、『俗物』って言った方が正しいのね……去年の補佐官さんも、パワハラぶりが酷くて軍を辞めちゃったくらいなの」
伊19は特務官用制服の胸元をギュッと握りながら呟く。強く握っているせいか、彼女のシャツには皺が寄っていた。
「……一部の方からも注意する様にと言われています。とにもかくにも、まずは会ってみない事には何とも言えないんですが」
それでも、誠太郎も飛龍達も緊張は拭えない。その得体のしれない不安を抑え込み、誠太郎は徐に扉を叩いていた。
「……入れ」
奥からその声が聞こえるとともに、誠太郎は勢いよく扉を開いていた。
「――――失礼します。本日着任予定の山口 誠太郎中尉、提督補佐官として着任の挨拶に参りました!」
*
その男は、正面に見えるデスクの椅子にまるで陣取る様に腰掛けていた。
一見するとごく普通の男性に見えるが、中佐の階級章を付けた襟元も、胸元の勲章も、何よりどんより濁った双眸が男の異質さを如実に物語っている―――――そう感じさせていた。
「ほぅ、貴様が山口 誠太郎中尉か」
まるで値踏みする様に男は誠太郎を眺めると……すぐにフン、と鼻を鳴らす。
「何々……江田島では大層な成績だった様だな、しかもお祖父様は今を時めく参謀総長。まったく、鳴り物入りとはよく言ったものだよ」
その男……磯部中佐は、報告書にさらりと目を通すと再び正面の誠太郎を睨む。
「それにしても、おやおや。何時の間にやらうちの艦娘共と仲良くなっているそうじゃないか……早くも取り入る準備に余念がない様だな」
彼の傍に飛龍、蒼龍、暁、伊19がいるのが余程滑稽に見えたらしい。口元を二ィ…と歪めてくぐもった笑い声を見せる。
「っ、誤解です。私達は着任した中尉のご案内を……」
「誰が喋っていいと言った?蒼龍、ん?」
慌てた蒼龍が抗議する。しかし、磯部中佐はジロリと一睨みして一蹴していた。
「申し訳ございません。彼女達に案内を頼んだのは自分の勝手な判断であります」
しかし、そんな磯部中佐を遮る様に誠太郎は呟いていた。蒼龍をやんわりと制止する事も忘れずに。
一見すると単なる言葉の応酬にしか見えない……が、その場に居る飛龍や暁、伊19には、この部屋全体の温度が一瞬で10℃近くも下がった様な不気味な雰囲気を感じたように思えた。
それほどまでに部屋の空気がギスギスし始めていた………
「ふん、まだ着任の挨拶もしていない貴様が……全く、祖父が偉いと多少の勝手は許してくれる様だなぁ。良い御身分だよ、我々とは質が違う―――――――」
一方、対峙する磯部中佐は歪んだ表情をより不気味に歪めて、そして机に置いていたマグカップを徐に手に取った。
瞬間―――――――
ゴッ!!!
突然、陶器の割れる音が響く。磯部中佐がその器を、誠太郎の頭に思いきりぶつけたのだ。
「調子に乗ってるんじゃないぞ小僧!士官学校ではどうだったか知らないが、ここでは貴様など一介の下士官でしかない!それを俺の許可なく勝手に艦娘を運用する!?何様のつもりだ、ガキが!!」
陶器が割れ、熱い珈琲と血が部屋に飛び散る。頭に直撃したそれが皮膚を切って出血させていた。
「せいちゃん!?」
思わず飛龍が駆け寄り、直立不動で佇む誠太郎を庇うように前に立った。
「んん?何だ飛龍、俺のやる事に文句あるのか!?」
目の前に立つ飛龍を見て、磯部中佐はまたも歯軋りするほどに顎を噛み合わせる。
「ぁ、あんた何してるのね!?この人、参謀総長の……」
「知った事か!俺はこういう小僧は大嫌いなんだよ、何の実績も無い癖に偉そうにする―――――」
件の中佐は抗議した伊19の制止も聞く耳持たず、今度はつかつかと大股で誠太郎の傍に近寄り、むんずと襟首を掴み上げた。
「……重ね重ね申し訳ありません。私が至らぬばかりに彼女達に迷惑を掛け、中佐の意向に背く形となってしまいました。以後、このような事が無いよう自身も善処する所存です」
一方…誠太郎は額から出血し、その血が顔を伝って床にまで垂れていた。しかし何事も無かった様に直立不動のまま磯部をジッと見据えていた。
「………いいか、此処の指揮官はこの俺だぞ、艦娘だろうとお偉いさんの孫だろうと俺の命令は絶対!そいつを肝に銘じておけ!!」
まるで相手をそのまま絞め殺しそうな剣幕でまくし立てると、磯部中佐はそのまま突き放す様に誠太郎を手放す。
「それと……俺の許可なく不穏な行為をするなよ。おかしな真似をしたのなら、スパイ容疑で告発してやるからそのつもりでいることだな」
そして………吐き捨てるようにそう言うと、磯部中佐は肩を怒らせて執務室から出て行った。
*
「……おい俺だ。一先ず接触してみたが、奴は気付いていない様だぞ」
人気のない所まで来ると、磯部中佐は不意に電話を取り出した。
『油断するな、昼行燈を装っている可能性もある』
「そいつは安心しろ。何か不穏な事をしたなら……逆にスパイ容疑で突き出してくれる」
不機嫌なようだったが、同時に何処か勝ち誇った様な雰囲気すら纏っている。今の磯部中佐は見る人が見れば不穏極まりない形相で会話を愉しんでいた。
「しかし面白みのない小僧だ。頭かち割っても悲鳴を上げるどころか逆に陳謝するとは……嫌味のつもりか?」
『さぁな……だが油断するな。今は忘れているかもしれんが、いつ思い出さんとも限らん。真相が露見する事だけは何としても避けるんだぞ』
電話の向こうでは何処か上擦った様な声が聞こえる。しかし、磯部中佐はそれを気に留める事も無く不気味な笑みすら浮かべていた。
「安心しろ、俺が逐一監視する。悟られるってんなら、その前に潰せばいいのよ……
――――――――――奴の親父の様にな」
*
「せいちゃん……せいちゃん、大丈夫!?」
磯部中佐が立ち去った第8司令部では、頭から血を流す誠太郎を飛龍が介抱しようとしていた。
「……いや、平気だよ、ひなちゃん。こんなのお祖父様の折檻に比べたら痒くも無いさ」
そっとハンカチを取り出して流れる血を拭う誠太郎。
派手な音がした割に、傷は浅かったらしい。2度、3度と軽く叩くように拭っていると、出血はすぐに止まっていた。
「プラズマ教官の研修訓練でも怪我や捻挫は日常茶飯事だったからね。多少の痛みには慣れっこだよ」
そう言うと、今度はハンカチを取り出して床に落ちた破片を丁寧に拾っていく。こんなものを放置しておいたら誰かが踏んづけて大変だ。
「うぁー、キミって結構頑丈なのねー」
様子を伺っていた伊19は、やや感嘆した様に呟いた。
「すいません、掃除用具一式持ってきて貰えませんか?取り敢えず、皆でこれ片づけてしまいましょう」