◇
その夜。ソウヤ、ガウル、ジェノワーズの5人は明日故郷へと帰る予定のシンクの部屋へと来ていた。フィリアンノ城の一室と言うこともありなかなか豪華ではあるが、来客用にしては少々小さい気もする、とソウヤは感じた。
「ここがシンクが使ってる部屋か……。思ってたより質素だな、俺が借りてる部屋よりは大きいが」
「何言ってやがる。お前だって最初はもっとでかい部屋を姉上が用意してくれたってのに、お前が落ち着かないとかってビオレに言って、結局使用人用の空き部屋使ってんじゃねえか。もっといい部屋はいくらでもあるってのに全然聞こうとしないしよ」
「あ、やっぱりソウヤもそうなんだ。僕も最初はもっと大きな部屋だったけど、落ち着かないからってここに変えてもらったんだ」
「……とまあ庶民の感覚というのはこういうものなんですよ、ガウ様」
ソウヤの言葉に対して「はいはい」とガウルが適当に返事をする。
「で、明日にはシンクは帰っちまうわけだし、今日は朝まで遊びまくるぞ! ってことでいいか?」
「うん、構わないよ」
「……本当にいいのか? さっき姫様と明日の朝散歩に行くとか約束してたろ? ガウ様のことだ、本当に朝までつき合わされるぞ」
そう言ったソウヤに対してシンクは苦笑を浮かべ、ガウルは不満そうな顔をする。
「まあ……そうだけどね。でもそれは僕が頑張ればすむことだし、最後まで楽しい思い出を多く作りたいから」
「それからソウヤ、お前は俺をなんだと思ってんだ? 最近俺の扱いがぞんざいだろ?」
「そうですかね? ……まあ王子様だってんで最初は遠慮してましたが、要は腕白小僧だってことがわかったってのは事実ですが」
「な! ソウヤ、てめえ!」
ガウルがソウヤに掴みかかろうと迫る。が、ソウヤはひらりと身を交わした。
「ソウヤ、それ正解だね」
「ガウ様の扱い方がわかってきたやないか」
「図星だからってガウ様も怒らないでくださいよ」
「おい! 三馬鹿! お前らも言いたい放題言ってるんじゃねえ!」
再びガウルが不満の声を上げた時、シンクの部屋の入り口が開かれた。
「失礼します。先日皆様が持って帰ってきてくださったハチ蜜を使って、ハチ蜜尽くしのメニューをご用意させていただきました。どうぞお召し上がりください」
メイド長のリゼルとフィリアンノ城のメイド隊がティーセットやお菓子の乗ったカートを押して部屋へ入ってきたのだ。
「お! 待ってました!」
その甘くいい香りにさっきまで不機嫌だったガウルの機嫌が一気に直る。甘いお菓子が好きなのは何も女の子に限ったことではないのだ。
お茶とお菓子を来客用の机に置くと、一礼してメイド隊は部屋を後にした。机の上にはパイ状のお菓子に切り分けられたケーキ、パンにサンドイッチ……。目移りしそうなほど数多くの食べ物が並び、どれも見るからにおいしそうである。
「よーし! それじゃいただきまーす!」
まだノワールがお茶を注ぎ終わっていないうちからガウルはケーキを1つ自分の取り皿に分けた。
「あー! ガウ様ずるいで!」
「へっ! 早い者勝ちだ!」
「じゃあ僕も……」
「文句を言ってる暇はなさそうだな。早いうちに確保しておくか。……ノワール、お茶入れてくれてるなら代わりに取っておいてやる。何がいい?」
「ありがとう。なんでもいいよ、フィリアンノ城のハチ蜜メニューはなんでもおいしいから」
「了解、っと……」
言われた通りソウヤは手近なところにあったケーキをいくつか見繕ってノワールの取り皿に取り、次いで自分の取り皿にはパイのようなお菓子を切って取り分けた。ノワールの取り皿を本人の前に置いたあとで、自分の取り皿にある甘い香りのその食べ物を口へと運ぶ。
「……うまい」
驚いた表情でソウヤはそう呟いた。馴染みあるハチミツとは明らかに違う。もっと芳醇な香りと、それでいて繊細な甘味が負けることなくその個性を主張している。これならハチくまという荒くれ者と戦ってでも手に入れたい、と思う気持ちも納得だろう。
「そりゃそうだ。このハチ蜜は特産品だぜ? お茶も飲んでみろよ」
ソウヤの考えを裏付けるかのようにガウルがお茶も薦めてくる。言われるままにソウヤは今度はティーカップに口を着ける。やはりうまい。以前レオの部屋で花蜜を入れて飲んだビスコッティ名産のお茶だが、香りと甘味がますます増している。果実の香りを思わせるその名産のお茶にやはり見劣りしないほどの主張をするハチ蜜は、このお茶に入れるものとしてはベストマッチと言えるのではないだろうか。
「……なるほど、やっぱり俺は甘い方が好きらしい」
「あ……もしかしてハチ蜜足りなかった?」
「いや。このぐらいで丁度だ」
かつてレオと共に飲んだ時よりも口にあったのだろう。ソウヤはそう言うと、もう一口カップに口をつけた。
「それにしてもハチ蜜尽くしで豪華ね。まさに『HONEY HONEY BABY』と言ったところかしら」
ベールの口から先ほどのコンサートでミルヒが歌った曲名が出る。お調子者のジョーヌが次のケーキに手を伸ばしながらその歌を口ずさみ始めた。
「……ああ、どこかで聴いたことある曲だと思ったら、さっき姫様が歌った曲か」
「なんだよ、聴いたばっかだってのにもう忘れたのか?」
「俺が聴いたのは今日が初めてですよ?」
「ああ、そうだっけか。……そういやよ、コンサートといえば、まさか姉上が歌うとは思ってもいなかったぜ」
反射的に全員が深く頷く。
「姫様と一緒に素敵な歌声を披露してくださったから、一言声をかけようと思ったんですが……まさか突っ返されるとは思ってませんでしたけどね」
コンサート終了後、ソウヤ達は2人の控え室の方へ顔を出した。だが、ミルヒは応対してくれたものの、レオは誰とも顔を合わせたくないとかで最後まで控え室の中に篭ったままだった。まあ無理もないだろう、とソウヤは一応納得してはいた。普段見せないような恥ずかしい姿を見せたのだ、顔を合わせにくいというのはある。意外とウブだ、ということに気づいているソウヤはそのように考えていた。
「恥ずかしかったんだろ。姉上があんなことするのは珍しいし」
「というか、レオ様が何かを言おうとしてる時に、かわいいだの似合ってるだの茶々入れた方が悪いとウチは思うんやけど……」
ジョーヌの一言に思わずガウルとソウヤがお茶とお菓子の手を止め、互いに顔を見合わせた。
「私もジョーの言うとおりだと思う」
「お、おいちょっと待てジョー、ノワ! あそこで俺たちが助け舟を出さなかったら姉上はずっと固まったままだったかもしれねえんだぞ? ……まあ俺はソウヤが先に言ったのを見て勢いで言っちまったんだが」
「だとしても、あそこでガウ様が言っちゃったせいで、会場のお客さんが笑っちゃって、それでレオ様が怒っちゃったわけじゃないですか?」
「く、くそ……ベルまで……」
「まあそういうことらしいですよ、ガウ様」
「待てソウヤ! お前はこっち側だろ! そもそもお前があそこで言わなきゃ、俺だって言わなかったんだよ!」
やれやれとソウヤがため息をこぼす。
「……俺としてはさっき控え室に言った時に謝ろうとも思っていたんですがね。門前払い食ってしまったんで、またそのうち、俺が帰る前にでも謝っておこうとは思ってます。……でもまあ、寝て起きれば機嫌も直るでしょう。睡眠は万物の特効薬って言いますしね」
「……言うか? シンク、お前の世界では言うのか?」
「えーと……僕も初めて聞いたんだけど……」
「そこは嘘でも言う、と言っておいてほしかったな」
ソウヤが苦笑を浮かべつつ空いたカップにお茶を注ぎなおした。
「でもソウヤの言うとおりだとも思う。多分レオ様は今頃、姫様に接待されてなでなでされてる最中のはずだから」
「……なでなで?」
ノワールの口から出た単語をソウヤがオウム返しに口にする。
「そや。姫様のなでなでは至極の喜びらしいで。で、姫様とレオ様は姉妹のような関係、と言われてるけど、そのなでなでのせいか、姉は姫様でレオ様が妹、とかって噂も流れるほどや」
「まあ……エクレも姫様になでてもらってる時はヘブン状態だしね」
「つまり姫様のなでなでもあるんで、レオ様は明日には機嫌を直してる、ってことですね」
ベールのまとめにガウルが頷く。
「まあそういうことだ。……だから俺たちは気にせず、目の前の物を食っておけばいいって話だな」
言うなりガウルがパイを大きく切り分ける。最初にソウヤが切ったパイだ。
「ちょっとガウ様! 取りすぎ!」
自分の分がなくなる、と焦った大食いのジョーヌが思わず文句をつける。が、ガウルも気にした様子はない。
「うるせえジョー、文句があるならお前も取ればいいだろ!」
そしていつも通りのガウルとジェノワーズのやり取りが始まる。
その様子を見て、再びやれやれとため息をこぼし、ソウヤは競争率の低そうなケーキを自分の皿に取り分けた。
◇
「ん……?」
時刻は既に夜中。部屋の照明は落とされ、複数人の寝息が響き渡っている。
ハチ蜜尽くしのパーティタイムを終えた後は腕相撲、ガレット式レスリング、フロニャルドのカードゲームと一頻り遊んでいた。だがそこまで経過したところで、朝まで遊ぶと豪語していたガウルが真っ先に寝てしまった。
その後はなし崩し的に全員が眠り始めたために、例に漏れずソウヤも寝る姿勢には入っていた。だがいまひとつ眠れずにいた時に、部屋を出て行く物音を耳にしたのだった。上体だけを動かし、入り口の方へと目を移す。
トイレかと思ったが、その部屋を出た影はトイレのある方向とは逆へと進んだところまで見えて、扉が閉められた。つまり目的はトイレではないということだ。
ソウヤも体を起こす。そして物音を立てないようにそっと部屋を出ると、先ほどの「影」が進んだ方と同じ方向へと歩き出す。行く場所の見当はなんとなくついていた。
中庭を覗く。そこにソウヤの予想通り、1人佇んで夜空を見上げているその姿があった。
「シンク」
その名をソウヤが呼ぶ。驚いたようにビスコッティの勇者、シンクは振り返った。
「ソウヤ……? もしかして起こしちゃった?」
「いや、寝られなくてな」
「そっか、ソウヤもか……」
「お前もか?」
シンクは頷く。
「今日も色々あったし、体は疲れてるだろうから眠いはずなんだけどね……。明日でまたしばらくここに戻って来れない、って思うと……ちょっと眠れなくてさ」
そう言い、中庭の芝生に腰を下ろしてシンクは夜空を見上げる。ソウヤもそれに倣って腰を下ろした。地球では見ることのできない月が2つという異世界の夜空。今日はその両方が満月でとても美しい。
「……ここに来て、2週間とちょっとか」
「2回目だけど、短いようで、長いようで……でもやっぱり短かったな、って思う」
「……だな」
ソウヤも空を見上げる。
「なあシンク」
「何?」
「……お前、姫様のことどう思ってるんだ?」
「ど、どうって……」
思わず言葉を詰まらせたシンクの方をソウヤが見つめた。
「いや、ちょっと気になっただけなんだがな」
「……そりゃあ大好きだよ。でも、姫様だけじゃなくて、エクレもリコもユッキーもダルキアン卿も……ビスコッティの人たちだけじゃなくて、レオ様やガウルやジェノワーズの皆も……。あ、勿論ソウヤもね」
それを聞いたソウヤが一つため息をこぼす。期待していた答えではなかったらしい。
「……それを逃げじゃなく普通に答えるってのが、いかにもお前らしいな」
「え……? 僕何かまずいこと言った……?」
「いいや、なんでもない。気にするな。……じゃあ、お前は姫君に当たる相手と……友達のように接することに抵抗を感じたことはないか?」
「抵抗……? うーん……」
シンクが再び考え込む。最初その様子を見つめていたソウヤだったが、やがて視線を夜空に浮かぶ月のほうへと移した。
「……最初は、確かにお姫様って聞いて、ちょっと気後れをしてた感じはあったけど……。でも話してみたら普通の女の子だし、本人もそう接してもらいたいみたいだったから。そんなわけで今はまったくそういうのは感じてないよ。それに僕のことも勇者として認めてもらってる……。だから、ただのシンクとしても、勇者シンクとしても、もう抵抗とかは感じないかな」
「……そんな風に割り切れるお前が羨ましいな」
「割り切ればいいじゃない、ソウヤも」
「言うのは簡単だがな。俺はお前ほど素直じゃない」
シンクが口を噤む。何かを考えてる様子だった。
「……ソウヤ、もしかしてレオ様と自分が吊り合わないんじゃないか、って不安に思ってるの?」
ソウヤの顔に驚きの色が浮かぶ。
「鈍い奴かと思っていたが……そういうことは気づくんだな」
「鈍い? 僕鈍いかな……」
「大抵そういうのは自覚がないもんだ」
「はは……」
困ったようにシンクが苦笑した。
「まあ……お前が今言ったとおりだ。俺はようやくガレット勇者、なんて呼ばれた時に一応はそうだと返せるぐらいにはなった。だが勇者としてはそれでいいかもしれないが、果たして俺にあの方と肩を並べる資格はあるのか。……ふと、そう思ったから、お前に色々聞いたわけだ」
「そんなの、不安に思う必要もないじゃない。ソウヤはレオ様が選んで召喚されたわけだし、ガレットの神剣エクスマキナにも主と認められたんだから」
シンクの返事は即答だった。だがソウヤはすぐには返さず、やや間が空く。
「……そうか」
そしてポツリと、ソウヤはそのように短く呟いた。
「少なくとも僕はソウヤを勇者としても、自分の友達であると同時にライバルとしても認めてるし、レオ様とも吊り合える存在だと思ってるよ。それにガウルにはもう友達みたいに接してるじゃない。なら気にしなくてもいいと思うよ」
「そうか……。わかった、ありがとう。すまなかったな、明日帰るってのに変な話をして」
「いいよいいよ。同じ勇者だもん、悩み事は互いに相談して解決するのが1番でしょ?」
「そうだな」
ソウヤがシンクを見つめて笑う。つられるようにシンクも笑顔を見せ、次いであくびがこぼれる。
「長話して悪かった。そろそろ眠くなってきたなら寝た方がいいんじゃないか? 明日の姫様との散歩に遅れるぞ」
「うん、そうだね。……ソウヤは寝ないの?」
「もう少しここにいる。今日は月が綺麗だし、お前が散歩から帰ってきた後ぐらいにゆっくり起きればいいからな」
「そっか。……じゃあお先に、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
芝生から立ち上がり、ソウヤに手を軽く振ってシンクが遠ざかる。その背中を見送り、城の中に入ったところまで見届けるとソウヤは夜空を見上げた。
「……あいつぐらい、前向きになんでも考えられる性格ならよかったのかもな」
無い物ねだりだ、とソウヤは自嘲的に小さく笑った。変わろうとして変われた部分はある。だが大元は変われそうにない。結局こうやって自分のことに対してはどこか後ろ向きに、出来ることだけを現実的に考える自分の性格は変わりそうにない。加えるならひねくれた話し方をし、余計な一言を付け加えてしまうその癖も、だ。だがそれはそれでいいか、とソウヤは割り切っている部分もあった。
らしくなくまた物思いに耽ってしまった、とソウヤはため息をこぼす。そして立ち上がり、首だけを後ろに向けた。
「……もう俺1人ですし、そろそろ出てきてもいいんじゃないですか?」
誰もいないはずの空間へとソウヤが言葉を投げかける。その言葉は闇へと吸い込まれ――しばらくして柱の陰から1人の女性が姿を現した。
「いつから、お気づきに?」
「俺がシンクの脇に座った後すぐ……要は最初からですよ、ビオレさん」
ソウヤにそう言われたからだろうか。月明かりで見えたビオレの顔には苦笑が浮かんでいた。
「そうでしたか……。一応隠密行動もする近衛隊の隊長としてはそれはちょっとショックですね」
「そこまで隠そうと言う気もなかったでしょう。それに……これだけ月が綺麗な夜なら、たまたま外の空気を吸いに来て俺たちを見かけた、って可能性もありますし」
「では後者にしておきます。その方が私としては面目を保てますから」
軽口を叩きつつ、ビオレがソウヤの近くへと歩を進める。が、ソウヤはビオレに背を向けたまま口を開く。
「それで、たまたま外の空気を吸いに来た近衛隊長殿は、俺に何かお話が?」
一瞬の沈黙。その後でビオレが切り出す。
「……先ほど、ソウヤ様はシンク君に『姫様のことをどう思ってるか』と質問されました。では私も同じ質問をさせていただきます。……ソウヤ様はレオ様のことをどう思っておられるのですか?」
ソウヤは答えない。いや、沈黙を答えとした、と言った方が正しいか。
しばらく待ったビオレだったが、ソウヤが答えないと判断すると再び口を開く。
「……ソウヤ様はお気づきになられていないかもしれません。ですが、レオ様は、ソウヤ様のことを……」
「わかっています。……だから皆まで言わないでください」
「え……? わかっている、って……」
「そもそも、『星詠み』で俺のことを知った、俺と共に戦いたいと思った……。その動機だけでも十分です。……言うなればそれは『慕情』だ。それが行き着く感情は……。……いや、そうじゃなくても、『閣下』ではなく最初から自分を名で呼ばせた。だったら、あの方は最初から俺に多少なりとも、好意を持って接してくれていた、ってことでしょう」
「そ、それでは……ソウヤ様はレオ様のお気持ちにお気づきに……?」
ビオレの方を見つめ、ソウヤが皮肉っぽく笑った。
「……あいにくシンクほどは鈍くないんですよ。ですが……元々の俺は人と接することを拒絶する人間だった。……浅い付き合いで、ただ好き勝手暴れて、そして淡々と帰る。それでいいと思っていたんです。そんな俺にとって好意なんてのは天敵といってもいい。別れを辛くする原因ですからね。だから気づかない振りをしていたし、その気持ちに応える必要はないと思っていたのですが……。どっかの正直すぎる馬鹿のおかげで俺は変わった。変わった時に……レオ様の気持ちに応えなくてはいけない。1度はそう思いました」
そこまで言ったところで、再びビオレから視線を逸らし、ソウヤは満月を見上げる。
その時、先ほどビオレがいた柱の陰に身を隠す人影があった。が、2人はそれには気づかない。
「……ですが俺は彼女を形はどうあれ一度は傷つけた。約束を破り、気持ちを裏切った。なら俺にあの方の気持ちに応える資格なんてない。よしんばあったとして、俺にはその覚悟がない……。あの方の気持ちに応えると言うことは、あの方と同じものを背負うと言うことですから」
「覚悟がない……そう言って、お逃げになるんですか?」
「そうです。そう思っていただいて結構です。その覚悟を決められない俺など、あの方の相手としてふさわしくない。それに、一国の領主であるなら、俺なんかより優れた、もっとその身分にふさわしい人間と交際をするべきだ。……恋なんてのは熱病みたいなもんだ、それがウブな女性の抱いたものなら、なおさらでしょう。だから、一時の感情でその一生を棒に振らせてしまうぐらいなら……」
一瞬の沈黙があった後、
「……俺は自らこの身を引く。彼女の気持ちに気づかないふりをして帰る。そう決めたんです」
ソウヤははっきりとそう言い切った。
それと同時、先ほど柱の陰に隠れていた人陰が離れていく。が、やはり2人はそれに気づかなかった。
「そんな……! それではレオ様のお気持ちはどうなるんです!?」
「言ったでしょう、恋は熱病みたいなもんだと。……そのうち冷めれば、俺への気持ちなんて忘れる」
「ソウヤ様は……それでいいんですか? レオ様があなたを忘れて、違う方と一緒になった姿を見て、それでもあなたは納得できるんですか?」
「……全てはレオ様のためです。その方が高貴な領主であるあの方のためになる、そうであるなら……。……俺の気持ちなど、介入する余地はありません」
ビオレが奥歯を噛み締める。俯き、足元の芝生を見つめた。
出会った当初こそ勇者としてふさわしいかわからない、とビオレは思っていた。だが次第にその心を氷解させ、勇者としてふさわしい威厳を放ち始め、そして今日あれだけの勇者同士による名勝負を演じて見せた目の前の少年を、もはや疑う余地はない。
彼女はレオの気持ちに気づいていた。それでも何も言い出さない主のために、たとえ汚れ役になってでも自分がなんとかしようとした。なのに、この勇者はそんなレオの気持ちに気づいていてなお、自分を押し殺そうとしている。確かに彼の言うことは一理あるかもしれない。だが、それでは今レオが抱いている気持ちも捨てろと言うのだろうか。
受け入れがたい思いに、彼女は意図せず拳を握り締めていた。
「……結局のところ俺は、レオ様を幸せにするなどというできるかわからない約束をする度胸も、同じものを背負って共に歩いていくという覚悟も持てない、ただの小さな人間なんです。この手で一度傷つけた彼女を、再び傷つけることを怖れている、その程度の人間なんです。……そんな俺に、レオ様を愛する資格など、あるはずがありません」
「……あなたは……!」
呻くように呟かれるビオレの声。それを聞き、ソウヤが振り返る。
「これが俺が出した答えです。変えるつもりはありません。ですが、納得がいかないというなら……ビオレさん、俺を殴ってください」
ビオレが驚いて顔を上げる。
「それであなたの気が済むなら安いものだ。……もっとも、その程度じゃ本当に気が済むとは思ってませんけど」
再びビオレが俯き、奥歯を噛み締め――しばし間があった後、ビオレは両目を瞑った。
そして決意したように顔を上げる。閉じていた目を開き、真っ直ぐソウヤを見据えた。
「……失礼します……!」
乾いた音と共にソウヤの左頬に平手が張られた。
そのままビオレはソウヤに背を向けて数歩足を進める。
「……ソウヤ様、1つ、これだけは言わせてください」
顔を振り返らせず、ビオレが口を開く。
「ソウヤ様は覚悟がない、とおっしゃりました。……ですが、レオ様はもうあなたを受け入れる覚悟を決めておられたのです」
ソウヤは何も言わず、次の言葉を待つ。
「以前、レオ様は、あなたに輝力をお分けになりました。……フロニャルドにおいて、輝力を分けるということは、親族、あるいはごく親しい間柄でしか行われない行為……。あるいは……将来を約束した男女で執り行われる儀式、という要素もあるのです」
ソウヤの表情に驚愕の色が浮かぶ。
「レオ様は、エクスマキナをあなたに預ける時に、勇者として認めるだけでなく……あなたを将来の相手としてもお認めになっていた……。あなたと、これからの人生を共に歩む覚悟は出来ていた……。それだけは覚えておいてください」
そう言い終えると、ソウヤの方を振り返ることなくビオレは城の中へと歩いて行った。
1人残されたソウヤはしばらく呆然と立ち尽くした後、2つの満月を見上げる。
「……ずるいですよ、そりゃ……」
ビオレに叩かれた左の頬がズキリと痛む。
それはもしかしたら、本心をこれまで殺してきた、ソウヤの心の痛みだったのかもしれなかった。