◇
「ハァ……」
書き物の手を止めて私は
普段ならこんな書き物はすぐに終わらせられる。得意、というほどでもないが、特段苦手というわけではない。今までもずっとやってきたことだし、慣れていることだ。
だがこのところずっとこうだ。気を抜くとふと思いに耽ってしまうことがある。それもこれも全てはふた月ほど前に再びこの国を訪れて帰っていった
『私は……私はお前がまた来てくれて嬉しい……。だから……たとえ次来る時まで間が空くとしても……必ず……また来い……。……私はお前を待ってる……』
「ハァ……」
なんであんなことを言ったのだろう。思い出すだけで自己嫌悪に陥る。まあリコやユキに見られていなかった、というのだけが救いだろう。見られていたらどんなに冷やかされるか知れたものじゃない。
しかし、そう思うと同時に顔は火が出そうなほど熱くなり、そして
『ありがとう、エクレ。なんかエクレにそう言われるのはちょっとびっくりだけど……。でも、そこまで思ってもらえるなんてうれしいよ。だから、また来るからね』
そう言われて頭を撫でられた。あの時は心臓が爆発しそうだった。その頃よりはマシにはなったが、今も思い出すだけで心拍数が上がってしまう。困ったものだ。
だが、だからと言ってリコやユキには相談できない、鈍い私でもこれがどういうことかぐらいは多少わかっている。冷やかされるのがオチだ。
この原因として考えられるのは、1つ目は非常に認めたくないしそんなことなどあるはずがないのだが、私があいつに好意を持っているからということ。……いや、そんなはずはない。ありえない。可能性から消去してもいいぐらいだ。
2つ目はあいつがリコやユキ、特に姫様をどう思っているのか、というのが気がかりだからということ。……だがこれも突き詰めれば1つ目と同じ結論にたどり着く。やはりありえない、可能性から消去だ。
なら……。なぜ私はこんなに心穏やかではないのだろうか。原因があいつだとするなら……他に何か可能性があるのか? いや、本当にあいつが原因なのか?
「ハァ……」
結局考えてもわからず、こんな具合にため息をこぼしてばかりだった。何より私自身、あいつに関連する話を避けるようになってしまっている。
さっきもそうだった。リコに「シンクの世界の放送で甘味の特集があるらしいであります。姫様が星詠みしてくださるそうで、自分は姫様と見るでありますが、エクレも遊びに来ないでありますか?」と言われたが、もうあいつの名前を聞いた瞬間に断ることしか頭になかった。……後から考えたら甘味には非常に興味があったので惜しいことをしたと少し悔やんだが。
「シンク……」
無意識に名前を口にしてしまった。燃えるような顔の熱さと後悔の念に思わず頭を掻き毟る。
「……だあーっ! あのアホめ!」
1人で叫び、八つ当たり気味に机を拳で叩く。……なにしてんだ、私は。
コンコン。
と、その時叩かれたドアに飛び上がるほど驚いた。
「……誰だ!?」
……しまった、高圧的な聞き方をしてしまった。
「あ……エミリオです。お茶持ってきたんですが……もしかして邪魔してしまいました?」
「いや、そんなことはない。入ってくれ」
「失礼します」
その声の通り、部屋に入ってきたのは私と同じく親衛隊、正式には違うが実質副隊長格のエミリオだ。生真面目な奴でこうして時々差し入れを持ってきてくれたりもする。
「……行き詰ってるみたいですね」
「まあな……」
「隊長の悩んでる声が外まで漏れてましたよ」
う……。不覚だ……。
「隊長でも苦労することがあるんですね。……どうぞ」
「助かる。……私も万能ではないからな」
答えつつ、エミリオが差し出してくれたお茶に口をつけた。
「……大方、勇者様のことでも考えていらしたんじゃないですか?」
そしてそのお茶を盛大に吹いた。……書類が数枚ダメになった。
「た、隊長!?」
「き、き、貴様! 何を言い出すかと思えば……!」
「すみません! まさかそこまで過剰に反応されると思っていなくて……」
「べ、べ、別に私はあいつのことなど考えてもいないしなんとも思っていない! 今度ふざけたことを言ってみろ、裂空で貴様をだまにしてやるからな!」
「申し訳ありませんでした!」
エミリオが立って深々と頭を下げる。
……私は何をやってるんだ。気遣ってお茶まで持ってきてくれたエミリオにまで八つ当たるなんて。
主に自分が取った行動に対して苛立ちと申し訳なさを感じつつ、私は吹き出してしまったお茶を拭き、カップの中の茶をもう1度飲みなおした。
「えっと……これ以上邪魔しちゃ悪いんで、自分はこれで……」
そうなるだろうな。せっかくお茶を持ってきたのに、その相手に半ば理不尽に怒鳴られたのだから。だが、だからと言ってそのまま帰しまうのも悪い。なぜなら……
「いや。……カップを2つ持ってきた、ということはお前も飲んでいくつもりだったんだろう?」
「まあそのつもりだったんですが……。隊長もお忙しいようですし……」
まったく、こいつはいつもこうだ。真面目というか、融通がきかないというか……。
いや、私が言うなと言われそうだな。そういえばあいつじゃない方の
「……どうせ書類に向かっても進まないと思っていたところだ。少し話でもして気分を変えたほうがいいらしい。付き合ってくれるか?」
エミリオの表情が明るくなる。わかりやすい奴だ。
「はい! ありがとうございます!」
手近な椅子にエミリオが腰掛け、その間にこれ以上書類をダメにしないように私は机の上を整理する。……いや、また吹き出すなどという愚行を犯すつもりはもうないんだが。
「そういえば……お茶をもらいに行った時にリゼル隊長と会ったんですが、姫様と主席が姫様のお部屋でお遊びになるから、お茶を持って行くって言ってたんですよ。隊長は行かなくてよかったんですか?」
「ああ。書類が溜まっていたからな」
半分は本当だ。嘘は言っていない。
「そんなの自分に押し付けてくれてよかったのに……。隊長、ここのところ働き詰めじゃないですか。少しは自分達に仕事を投げてくれて構いませんよ」
「そうはいくか。私がやらねばならないことだ。お前たちの時間を奪うわけにはいかない」
「隊長は本当に真面目と言うか、融通が利かないというか……」
「お前が言うな」
「え……? そ、そうですか?」
さっき私がこいつに対して思ったことをそっくりそのまま返されるとは思わなかった。……でもまあ、私もエミリオも似た者同士なのかもしれないな。
「ですが、くれぐれも無理はしすぎないでくださいね。隊長あっての親衛隊なんですから」
「別に私がいなくてもお前がなんとかするんじゃないか?」
事実、私がいないときはエミリオが隊長代理になる。それにエミリオは不意打ちとはいえ千騎長であるジェノワーズのベールを撃破したこともある。実力も十分だろう。
「いえ、そんな! 自分に隊長の代わりなどとてもとても……」
「だがお前は実質ナンバー2だからな。私に何かあったらお前が……」
「何かあるなんて、やめてください」
「エミリオ?」
真面目な表情でそう言ったエミリオを私は思わず見つめ返す。
「さっきも言ったとおり、隊長あっての親衛隊です。ですから、何かあったらなんて縁起でもないことを言うのはやめてください」
「エミリオ……」
「……あ、す、すみません! なんだか偉そうなことを言ってしまって……」
別に咎めるつもりはなかったのだが、エミリオは頭を下げて謝り出す。……むしろ逆だというのに。
多分ずっと上の空だった私を心配して書類を書いている私にお茶を持ってきてくれたり、自分に仕事を任せてくれていい、と言ってくれたのだろう。そこまで心配をかけてしまっていたということが申し訳がない。
それに……。「隊長あっての親衛隊」か……。いつまでも私などに頼るというのはよくないとわかってはいるが……。なかなか嬉しいことを言ってくれる。こんな私を隊長として認め、そして慕ってくれている。私の方こそ隊の皆に助けられてばかりだ。
「いや……。むしろ感謝してる」
たまには、自分の気持ちに素直になってみよう。そう思って思ったとおりのことを口に出してみる。
だがそれを聞いたエミリオはまず意外そうな顔を浮かべ、次いで小さく笑い出した。
「……何がおかしい?」
「いえ、すみません。隊長がここまで自分の気持ちを素直におっしゃるなんて珍しいと思ったので」
「悪かったな」
やはり慣れないことはするものじゃないのかもな。結局文句を言ってしまった。若干後悔しつつ私はカップに口をつける。
「……ですが、そうやって素直な気持ちをおっしゃる相手は自分ではなく、勇者様にしてあげてください」
再びお茶を吹き出しそうになり、だが今度はグッと堪える。代わりにお茶が変なところに入ってしまい激しく咳き込んだ。
「エミリオ! お前な!」
「まあもう殴られるのも覚悟してるんで言っちゃいますけど……勇者様といるときの隊長、すごく楽しそうに見えるんですよ。でも、隊長なかなか素直になれないから……。自分……いや、自分達にとって、隊長が楽しそうに、嬉しそうにしてる姿を見られるということは自分のことのように幸せに感じるんです」
「エミリオ……」
真剣そうな、しかしどこか遠くを見つめるようなエミリオの瞳を見て、なんだか怒る気を殺がれてしまった。
「自分にその役割が出来ればよかったのですが……でもやっぱり隊長にもっとも相応しい方は自分なんかではなく、勇者様以外にいらっしゃらないんですよね。だから、隊長には勇者様ともっと仲良くしてほしい、って思ってるんですよ」
どうも怒る気になれず、一先ず頭を掻く。
リコやユキの場合、「なんだか面白そうだから」みたいな理由で私にけしかけてくるところがあったが……。今のエミリオは明らかにそれとは違う。ここまで面と向かってそんなことを言われたら……言い返せないじゃないか。
「……なんて、すみません。出過ぎた発言でしたね。でも……自分は隊長と勇者様のことを……応援してますから」
「……ああ。わかった。ありが……」
いや、待て。今こいつは何と言った? 「応援してますから」と言ったか?
それに対して「ありがとう」と言ったらどうなる? さっき消した選択肢の1つ目の可能性を自ら認めることになるんじゃないか?
ないない、それは断じてない。別に私はあいつのことなんかなんとも思ってない。そんなリコやユキがニヤニヤするような展開になってたまるか。
……ん? リコやユキがニヤニヤする展開? 待てよ、ということは……。
「あの……隊長?」
「……そうか、わかったぞ」
なるほど、やっとわかった。真面目なこいつはさっきみたいなことを面と向かって言い出すような奴じゃない。
「お前にそんな話を吹き込んだ
「え? 黒幕……?」
「お前みたいな真面目な奴が私を茶化すような話題を切り出すとはどうも考えにくいからな。裏で誰かにそんな話をして私をその気にさせろ、という指示でも受けているんだろう?」
「え、え? 隊長何言ってるんです? 別に自分は誰からも何も……」
「じゃあ……お前は自分の意思で私を茶化しに来たのか?」
「い、いや……あの……茶化してたつもりはない……んですけど……」
「ほう……? じゃあなんで『応援してます』なんてことを言ったんだ……?」
グーを握った手に力が篭る。返答次第では鉄拳制裁だ。
「え、えっと……あの、その……す、すみませんでした!」
頭を一度下げ、脱兎のごとくエミリオは私の前から逃げ出した。
「おい! エミリオ!」
まったく何を考えていたんだ、あいつは。
ため息を1つこぼし、私はカップに残っていたお茶を全て飲み干した。
と、そういえばこのお茶を持ってきてくれたのはエミリオだったか、と思い出した。なんだかんだで差し入れは助かった。さっきの一件はこの一杯でチャラにしてもいいかもしれない。
それに……。ちょっと怒ったら、さっきまでのもやもやした気分は全部吹き飛んでいた。
ああ、そうか。黒幕がいないのだとしたら、あいつはあいつなりに私のことを気遣って、それで気分を変えさせるために私にあんなことを言ってきたのかもしれない。
だとしたら……感謝はしないといけないのかもな。いや、そうじゃなくても普段から私のことをよく支えてくれる親衛隊の副隊長格だ。あとで謝る……のは私の性格からは無理かもしれないが、それでも感謝の気持ちは忘れないようにしよう。
「……よし! やるか!」
机に向かう。さっきまでと打って変わった晴れやかな心で、私は残りの書類と睨み合った。