DOG DAYS DUAL-BRAVER   作:天木武

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異世界で過ごす1日 前編(レオ・ソウヤ)

 

 

 ポットから急須へとお湯を注いで机に戻ろうとしたところで俺は足を止める。いや、正確には止めざるをえなかった、と言う方が正しいが。

 俺の目の前にはかつて見たことのある女性が立っていた。まあ立っていただけなら別に文句はないだろう。問題はその女性が先ほどまではこの部屋の中に()()()()()ということだ。

 と、いうより正確には今床から()()()()()、と言う方が正しいかもしれない。どちらにしろ一般的に考えれば非現実的だ。

 

 だが俺が戸惑っているのはそこじゃない。……いや厳密に言えばそこも戸惑ってはいる。しかしそれ以上になぜこの人が今ここに()()()()のかという驚き、あるいは疑問の方が大きかった。

 

「なんじゃ……。随分狭いしそれに殺風景な部屋じゃの。ここがお前の家か?」

 

 そんな俺の心中など知らずか、彼女はかつて話した時のように俺に話しかけてきた。久しぶりに聞く彼女の声は俺に懐かしさと嬉しさと、それ以上の感覚を呼び起こさせる。

 

「……ええ。まあ俺の家、と言っていいでしょう。この建物の中のいわゆるこの部屋、ここが俺の居住空間になりますので。他の部屋は他の人の家、ということになります」

「ほう……。そういうものなのか……」

「じゃあ今度はこちらから質問いいですかね?」

「なんじゃ?」

「……なんであなたが()()()()にいるんです? ()()()

 

 俺の質問に、俺がレオ様と呼んだ彼女――レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワはニヤッと笑顔を浮かべた。

 

「無論お前に会いに来たからに決まっているだろう、ソウヤ」

 

 俺――ソウヤ・ハヤマは大きくため息をこぼす。期待していた答えからは程遠い、いや、今言われたことは嬉しいことではあるが、俺が聞きたいのはそんなことじゃない。

 

「……まあいいや。()()であらせられるあなたを立たせたまま立ち話というのは申し訳がつきませんし……」

「姫と言うなと言ったであろう」

「わかりましたよ、()()

「ソウヤ」

 

 名を呼ばれただけで俺はこの人が何を言いたいのか把握する。まあそうだろう、そんな呼び方で呼んだのはほとんどない。会ったその時から彼女は自分を名で呼ばせたのだから。

 

「じゃあレオ様。……これでいいですか?」

()()()()()があった後じゃ、もう呼び捨てでいいぞ」

「それは出来ません。例え俺とあなたの仲であっても、今の俺にはその資格はありませんから」

「まったく変なところだけ真面目な奴じゃ……。まあよい。今までどおり、そう呼ぶがよい」

 

 レオ様はそう言うと嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に一瞬()()()()()()なる。

 ……まずい、危うくその笑顔に思考を放棄するところだった。それはまずい、現状俺の疑問は何も解消していないのだ。なんとか思考を繋ぎとめまずどうするべきかを俺は考える。

 

「……で、聞きたいことは山ほどあるんで、お茶でも入れるんでゆっくり話しましょう、と言いたいところですが……」

 

 俺は彼女の足元を見る。彼女の姿を見たとき、まず何よりも気になっていたのはそこだった。

 

「とりあえずまず靴脱いでもらえますかね?」

「靴……?」

「この世界……いや、日本だけかな。まあともかく、この国、少なくともこの家では玄関で靴を脱ぐことになってるんで……」

「ほう……そうだったか。いや、それはすまなかった。脱いだらどこに置けばいい?」

「この部屋出てまっすぐ、外への扉の前の段差になってるところに俺の靴もあるんで、そこにでも置いておいてください」

 

 わかった、と言ってレオ様は靴を脱ぎ始める。できればそれも玄関でやってほしかったが……。このまま靴で部屋を歩き回られるよりはマシだから、しょうがないか。

 俺はその間に6分目程度までしかお湯を入れなかった急須にギリギリ一杯お湯を注ぐ。来客なんて想定していないから、使えそうなのはマグカップだけだ。マグカップにほうじ茶というのも変な感じはするが、致し方ない。もてなしのお茶すら出さない、よりはマシだろう。

 脱いだ靴を置くためにレオ様が玄関へと向かう。その間に自分の湯飲みとマグカップにほうじ茶を注ぎつつ、俺は過去を――レオ様と出会い、過ごしたあの日々を、思い出していた。

 

 俺が彼女と初めて会ったのは()()()()()()()()だった。その世界の名はフロニャルド。人が死なない「戦」が頻繁に行われる、一言で言うならファンタジーな世界。俺はそこの国の1つ、レオ様が治める「ガレット獅子団領国」に勇者として召喚された。

 そこでのガレットとの人々との出会い、隣国「ビスコッティ」との戦、俺と同じ地球人で召喚されたビスコッティの勇者、シンク・イズミとの戦い等を経て、俺は成長し、そしてその世界を満喫して帰ってきた。それが今から約3ヶ月前。

 

 傍から見ればまるでファンタジーであり、そういう小説の読みすぎだと思われるかもしれない。事実俺はそういう小説を読むのが趣味だ。

 だがそれも事実なのだから仕方ない。嘘だと思うのならさっきまで俺以外誰もいなかったはずのこの部屋にレオ様がいるというだけでもその証明になるだろう。それも信じられないというのなら彼女の容姿を見れば否が応でも納得するだろう。なぜなら彼女には、まるで()()()()()()がその頭に、()()が腰の辺りに生えているのだから。

 それがフロニャルドの人々の特徴でもあった。俺が召喚されたガレットの人々は猫のような耳と尻尾を(例外としてウサギ耳の弓術士がいたが、彼女は別な国の出身という話であった)、今では俺の友人となったシンクが召喚された隣国ビスコッティの人々は犬のような耳と尻尾を、それぞれ持っていた。

 

「置いてきたぞ」

 

 そう言いながらレオ様が部屋に戻ってくる。丁度自分の湯飲みとレオ様に使ってもらう用のマグカップにそれぞれお茶を入れ終えたところだった。

 

「椅子がなくてすみません」

「いや、気にするな」

 

 唯一ある座布団の場所へ彼女を誘導し、自分の座る場所の前と、彼女の前に煎れたお茶を置くと俺も腰を下ろす。

 

「……茶か?」

「はい。この国のお茶でほうじ茶っていいます。俺がレオ様の部屋でいただいたようなお茶とは全然別物ですが」

 

 レオ様がマグカップを手に取り、一口流し込む。一瞬不思議そうな表情を浮かべるのがわかった。

 

「……これが茶か」

「俺は好きですがね。まあ安物の茶葉ですし、口に合わないなら残してください」

「いや……。あまり口にしたことはない味だが、悪くはないな」

 

 続けてもう一口。そのカップが彼女の口から離れるのを見計らって俺は口を開く。

 

「……で、このまままったりしたいところですが、聞きたいことは山ほどあるんですよ」

「まあ……そうじゃろうな」

「まずもう1度さっきの質問です。なんであなたがこの世界にいるんです?」

「さっきも答えたじゃろ。お前に会いに来た、と。……じゃが聞きたい答えはそれじゃない、と言いたそうじゃな」

「はい」

「来たのは……まあ試験というのもかねておる」

「試験?」

「ああ。発明王の奴がな。新しい召喚の方法を発見したとかでな」

 

 発明王、というのは隣国ビスコッティの王立学術研究員主席であるリコッタ・エルマールという少女のことだ。俺も彼女の優秀さはよくわかっている。この世界とフロニャルドで異なる文字を自分の世界の文字へと変換できる眼鏡を作ったり、そもそも召喚の方法についても彼女の頭脳なしでは不可能だったと言っても過言ではないだろう。

 

「今度は滞在日数の期限なし、オンミツによる召喚の剣の使用もなし、再召喚までの日数をあける必要もなくなりそうじゃ」

「……本当ですか?」

 

 こいつばかりはさすがに驚いた。俺が召喚された時は滞在日数は最長16日と決められ、再召喚までには91日以上日数をあけなければならない、加えて遣いのチェイニーという名のネコが召喚の剣によってゲートを開ける必要があるということになっていたからだ。

 

「ってことは、言葉が悪いですが日帰り旅行感覚でそっちに行けるって事ですか?」

「それも可能、ということになるな」

「……俺の中のファンタジーの世界観が崩れていく……」

 

 「ちょっと異世界行って来る」って隣町やコンビニに行くんじゃないんだぞ……?

 

「連絡が取れるようになる、という前に移動の方が解決されるとは……」

「いや、連絡の方も解決されているぞ」

「……はぁ?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 

「ただお前の『ケータイデンワ』の、それの番号というものか、あるいはアドレスというものがわからないと連絡が取れない、とリコッタが言っておったな。シンクの奴はタツマキじゃったか? あの遣いの犬を通してその番号とアドレスをミルヒに教えたから、時折連絡し合っていると言っていたぞ」

「……あの野郎、電話でもメールでも一言もそんなこと言ってなかったってのに」

「当然ソウヤもやってるものだと思っていたんじゃろ。会った時にそういう話にならなかったのか?」

「まだ会ってませんよ。たまに連絡は取り合ってましたが、互いに時間が合わなくて。それでも今月の末ぐらいに1度会おうという話にはなりましたが。……っていうか、だったらレオ様の方こそチェイニー使って俺と手紙のやり取りとか出来たじゃないですか。そこで言ってくれればいいのに……」

「そうも思ったが、お前が再びガレットを訪れるのが近づいたらでいいか、と思ったんじゃ。ワシ自身手紙を書くというのは……少々苦手故な……」

 

 そう言うとレオ様がマグカップのお茶をすする。なんだかんだ言いながら気に入ってもらえたようでよかった。

 

「……まあいいや。で、リコッタが新しい召喚の方法を確立したってのはわかりましたが、それとレオ様のいうところの『試験』とで何の関係が?」

「地球からフロニャルドへの移動だけでなく、フロニャルドから地球への移動も容易になった、ということで、それの試験じゃ」

 

 ……危なく湯呑みを落としそうになった。

 

 そりゃ確かに俺がフロニャルドに行くことができたなら、その逆もまた可能と考えるのが普通だ。だが今の地球に突然頭にネコミミが生えた人間が現れたらどうなる。

 噂に聞く程度だが、秋葉原だとかお盆と年末の有明だとかならコスプレと勘違いされて「本物みたいなネコミミだ」ぐらいで済むかもしれない。しかしそんな反応をするのはごく一部だろう。

 街中をネコミミの少女が、しかも尻尾つきで歩いていたら、まず人目につく。人目につけば噂になる、見たことないその容姿に下手すりゃ混乱を巻き起こす。で、研究者が興味を示して行き着く果ては人体実験か解剖か。さらにこの世界と別な世界がある、なんて話になったら馬鹿なこの地球の人間どもは資源と領地を求めて文字通りの侵略戦争を仕掛けるかもしれない。

 ちょっとばかりファンタジー小説を読みすぎた人間の発想だとは自分でも思うが、それでもこんなことになる可能性は否定できない。世間知らずな隣国の姫様ならふらっとやってきてシンクシンク言いながら街中を歩く姿は想像できてしまうからだ。

 

「……で、それに成功した、と」

 

 俺は落とさなかった湯呑みに口をつける。

 

「ワシがここにいるということは、そういうことじゃな」

「試験、ということにかこつけて俺に会いに来たってことですか」

「そうじゃ」

 

 予想と違った反応に俺は一瞬戸惑う。俺の知ってるレオ様はこの手のからかいにはとても()()ですぐ顔を赤らめる方だったし、普段とそこのギャップがまたかわいらしいところでもあったはずなのだが。

 

「……なんじゃ?」

 

 自分でも気づかないうちに彼女を見つめてしまっていたのだろう。俺を見つめ返しながらそう問いかけてくる。

 

「いえ。反応からウブっぽさが消えたなと思っただけです」

「毎日毎日、城の中でそんな冷やかしばかり受ければ慣れもするじゃろ」

「……ああ」

 

 思わず苦笑を浮かべる。その冷やかしを受ける原因の一端は俺にもあるからだ。

 俺とレオ様の関係は勇者と召喚主であると同時に、少し恥ずかしい気もするが恋仲だ。なんだかんだあったが、俺は彼女が好きだし、彼女もそうだと言ってくれた。だがあの時は俺たち2人だけだったはずだが、まあ元々こういうことに関してはウブなレオ様だ。雰囲気で勘付かれたか、詰め寄られて口を割ってしまったのだろう。

 そうなった後の光景は容易に想像できる。どうせ側近のあの紫猫に「今頃ソウヤ様はなにしてるんでしょうかね」と言われたりだとか、元気だけが取り得のトラジマ娘に「ソウヤがいなくて寂しいんちゃいますか?」とか言われ続けたんだろう。そりゃウブっぽさも消える。

 ウブな反応を見られるのも悪くなかったというのに、その楽しみを奪われたと思うと今度顔を会わせたときにはあいつらを一発どついてやりたい気分にもなる。しかし今はそうするわけにもいかず、俺はため息をこぼすにとどめた。

 

「……来た理由はわかりました。で、そのお茶飲んだら帰りますか?」

「……お前、ワシが嫌いになったのか?」

「なるわけないでしょう。今でも愛してますよ」

 

 フン、とレオ様が鼻を鳴らす。

 ……ちくしょう、本当にウブな反応が消えてる。言った俺の方が恥ずかしいぐらいだ。やっぱりあいつらは今度会ったら一発どつこう。

 

「でもあなたは領主だ。国を空けるわけにもいかないでしょう?」

「ああ、そうだ。だから()()には帰る」

 

 平然と言われたそのセリフに、俺は飲んでいたお茶を噴出しそうになった。

 

「……今なんて言いました?」

「明日には帰ると言ったんじゃ」

「正気ですか!? 領主が国を空けて1日異世界で過ごして帰るなど……」

「ビオレはこのことを承知しておる。公務も特にない日を選択したし、いざとなればガウルがなんとかするよう話を通してある。問題ないじゃろ」

 

 いや、問題だろ。あなたもだが、それにオッケー出して送り出す側近のビオレさんも弟のガウ様も。

 

「たまには休めとビオレに言われていたところでリコッタから話が来ての。しかし互いの世界間の移動じゃ、そもそも自国の領主に言ったら飛び出して行きかねないためにそこに話を通せず、あまり話を広めることも出来ずに試したいのだが人がいないと言っていたところでワシが名乗り出たんじゃ。そうしたらビオレがついでに一泊して来い、たまには休んでこい、と」

 

 ……余計な気つかいやがって、あの紫猫め……。

 前回の送還直前の一件といい今回といい、今度会ったら絶対お灸を据えてやる。……でもあの笑顔に騙されてのらりくらりとかわされるんだろうな、きっと。

 

「……話をまとめます。リコッタが新たな召喚の方法を発見した。それに伴ってフロニャルドから地球への移動も容易になった。そしてその方法の試験のためにレオ様がこの世界にいらっしゃった。ついでにたまには休んで一泊してこいとビオレさんに言われたので帰るのは明日。……こんなところですか?」

「そういうことじゃな」

 

 そう言って彼女は空になったマグカップを俺の方へ差し出した。

 

「お代わりじゃ。もらえるか?」

「はいはい……」

 

 ため息をこぼしながら俺は立ち上がる。茶葉を変えようかと思ったが、どうせ飲んであと1杯だろうとそのまま急須にお湯を注ぎ、それからレオ様のマグカップにお茶を注いだ。

 

「……それでこの後のご予定は?」

「お前に任せる。ワシとしてはこの世界を見てまわりたいから、お前に案内を頼みたいところじゃが。……なんじゃ、この茶、先ほどより薄いぞ」

「二番茶って言ってそこには最初よりも控えめながら味の深さがあり、それを楽しむというのが俺の国の和の心でもあるんですよ」

 

 勿論デタラメだ。確かに二番茶という言葉はある、だがそれは茶摘みの段階で言われる言葉だ。今レオ様が文句を言ったお茶は二番茶などではなく、単に使いまわした味の薄いお茶でしかない。多少は薄くなるがまだ使えるんだから勿体無いからと使ったが……。さすが王族、舌はよく肥えているらしい。次は茶葉を変えざるをえない。

 

「……で、案内でしたっけ? 観光したいと?」

「ああ。お前の家で過ごすのもいいが、せっかくじゃから外を歩いてみたい。ダメか?」

「ダメではないですが……」

 

 幸い今日は土曜日。部活も習い事もなく、それがなければ自然と俺の用事はないと言ってもいい。

 

 俺はレオ様の頭、次いで腰の辺りへと目を移す。

 今レオ様が着ている服は戦時の格好ではなく執務時の格好ではあるため、多少は落ち着いている格好ではあるが……。

 いや、それ以上にやはり問題は耳と尻尾だ。今の格好のまま外に出たら間違いなく注目を浴びる。そうなったら観光どころではない。

 

「……ちょっと待っててください」

 

 俺は押入れを開けてタンスを漁る。女物の服など当然ないが、女性が着ても違和感のない服ぐらいはあるだろう。今来ている服よりはマシなはずだ。

 とりあえずこれと……これは入ればいいけど……。あとはこの2つ。冷え始めた11月の頭ならこれを着ていても「寒がりなんだな」で済むだろう。

 

「レオ様、これ着られますかね?」

 

 そう言って俺が放り投げたのは紺のトレーナーにジーンズ、この時期では少し早いダウンジャケットとニット帽。前3つは俺が自分で買ったものだが、ニット帽だけは部活の先輩からもらったもので、俺が夏のインターハイで優勝した時にくれたものだった。「安かったから買ったけど別に俺帽子被らないし、まだ使ってないからくれてやる」などとかこつけて渡してくれたが、見ようによってはいらないものを押し付けられた形になったと言えるかもしれない。それでもこれから役に立つなら、その見方は今後しなくてすみそうだが。

 

 その4つを手にとって眺めていたレオ様だったが、ジーンズを手にした時に表情が変わった。

 

「……ソウヤ、この服、尻尾はどこから出せばいい?」

「出さないでください」

「な、何!?」

 

 有り得ないと驚くレオ様に俺はさも当然のように告げる。

 

「俺やシンク、この世界の人間に尻尾がありますか? ……あなたのたっての願いだ、観光をしたい、案内をしろ、それは受けます。受けますが、代わりにこの世界の人間であるように振舞っていただきたい。……『フロニャルドの人間だ』ということがばれないように、です。混乱を大きくしたくないですから」

「そうは言うが……しかし……」

 

 レオ様は納得いかない様子だ。

 

「尻尾が窮屈だと……どうも落ち着かないんじゃが……」

「うまくなんとかしてください。服の下で体に巻きつけておくとか」

「そんな長くもないし器用に扱えんわ。……仕方ない、腰の辺りでまとめてみるか」

「耳は帽子被ってくれればいいです……って何してるんですか!」

 

 らしくもなく、思わず俺は叫んだ。いや、叫ぶだろう、目の前でレオ様が着替えを始めようとしているんだから。

 

「何って、着替えじゃ」

「そうじゃなくて、俺がいるんですよ!?」

「いたって構わんじゃろ、減る物でもないし、いるのはお前じゃしな。恋人同士なら着替えぐらい……」

「そ、それでも恥じらいぐらいは持ってください! 終わったら声かけてください、廊下にいるんで!」

 

 思わず視線を釘付けにされるその様子から目を逸らして俺は部屋を出る。……これじゃ昔ウブな反応をしたなんてのがまるで嘘じゃねえか、とまで思えてしまう。今のだって完全に俺の方が動揺していた。

 大きくため息をこぼして携帯を取り出す。さて、このことをシンクに報告しようかどうしようか。

 

「終わったぞ」

 

 結局シンクには知らせることなく、携帯を適当にいじっていたところでかけられた声に俺はドアを開けて部屋に戻った。

 ニット帽にダウンジャケットにジーンズ。傍から見れば寒がりの女子、ぐらいに見えるだろう。少なくともその帽子の中に猫の耳が、ジーンズの中に尻尾があるとは夢にも思われないはずだ。

 

「これでいいか? ……やはり耳と尻尾が窮屈じゃが……」

「見た目は大丈夫です。パッと見、異世界人だとは思われませんよ」

 

 本音をいうとジーンズが入ってよかった、というのが正直な感想だ。

 

「そうか。……しかしこれがお前たちの世界の服か……。ちと暑くはないか?」

「この時期にその服は少し早いですからね。ですが女物の服とか持ってないですし、女性が来ても違和感がない服なんてのはそれぐらいしかなかったんですよ」

「なら致し方ないな」

「で、どこ行きます? ……って決めるのは俺か」

「ああ。ワシは何も知らんからな。お前に任せる」

「とりあえず……都内にでも出るか。この辺りは何もないしな」

 

 かけてあるジャケットを羽織り、財布の中身を確認。まあこのぐらいあれば十分足りるだろう。

 行く場所は歩きながら考えることにする。駅までは約15分、何か思いつくだろう。思いつかないなら動物園とかでも問題はないだろうし。

 

 ……いや、檻の中の動物を見せる、というのはもしかしたらまずいかもしれない。実際レオ様の部屋ではライオンを飼ってたっけ。

 なら水族館か。いくら猫っぽいといっても泳いでる魚を見てそれにとびかかったりはしないだろう。

 そんなことを考えながら俺は廊下への入り口を開ける。レオ様も俺に次いで出てきたところで部屋の電気を消して玄関に向かった。

 靴を履いたところで振り返ると、レオ様が不思議そうに部屋の中を見つめていた。

 

「行きますよ」

 

 俺の声に振り返り、「すまない」と言いながら最初に部屋の中で履いていたブーツを履き始める。その格好を全身見直してみたが、一応はこの世界の人間のようには見えるだろう。

 まあ、ばれたらばれたでその時か、と楽観的に考え、部屋の鍵を開けて外への扉を開いた。

 

 

 

 

 

 外は思いのほか肌寒かった。つい数週間前まではそこまででもなかった気がしたが、11月ということを考えればこんなものかもしれない。このぐらいならダウンジャケットを着ていても怪しまれなくてすむだろう。

 ……いや、外よりもやはり中を気にかけるべきだったかもしれないな。

 

「ソウヤ、今脇を通り過ぎた者が乗っていたものはなんじゃ? 車のように見えたが……」

「……あれは自転車って乗り物です。自分の力で漕いだ分だけ進む乗り物で、歩くより断然楽に進めるものです。まあセルクルみたいなもんですかね」

「自転車……? さっきの走る箱もそう言わなかったか?」

「それは自動車です。こっちは自分の力で漕ぐもの、むこうは燃料を使って走るもの、全然別物です」

「ふむ……」

 

 さっきからずっとこの調子だ。確かに物珍しいのはわかる。フロニャルドとはまるで環境が異なってるということも理解している。

 だが挙動が不審すぎると言わざるをえない。きょろきょろしすぎ、何かを見つけるとまるで子供のように俺に聞いてくる。格好の違和感は感じずにすむのに中身の行動は違和感ばかりである。

 

「レオ様、少し落ち着いてください。気持ちはわかりますがそれじゃいくら格好が変じゃなくても怪しいです」

「そうは言ってもな……初めて見るものばかりじゃし……」

 

 口ではそう言いつつもやはり周りは気になる様子だ。

 

「これから駅で電車に乗るってのに……この調子で大丈夫かな……」

「駅? 電車? なんじゃそれは?」

 

 聞こえないようにぼやいたつもりだったが耳に入ってしまったらしい。また説明するのか……。

 

「電車というのは……まあ自動車が大きくなったものって感覚でいいと思います。詳しくは乗ってる時にでも説明しますよ。駅はその電車の発着所です」

 

 正直な話説明するのが段々少し疲れてきた、というのもあってやや大雑把にまとめる。まあ間違ったことは言っていない。

 

 そうこうしているうちに駅が見えてくる。うちの最寄駅はターミナル駅でも複数の路線が走る乗換駅でもないために規模は非常に小さい。

 だがそれにしてもレオ様からすれば十分衝撃的だったらしく、呆気にとられたように何の飾り気もない駅舎を見つめていた。

 

「大きいな……。ヴァンネット城より大きいのではないか?」

 

 その言葉に俺は苦笑を浮かべる。だって浮かべざるをえないだろう、それはもう最低でも()()は言っているからだ。

 最初に言ったのは俺のアパートを外から眺めたときだった。俺が暮らしているアパートは全3階建て、お世辞にもでかいとはいえない、今の日本ならその辺にあるようなアパートだ。

 しかしレオ様は驚いたように目を見開いてさっきのように言ったのだった。

 その後はちょっと大きな家があったり、マンションがあったりすればそう言っていた。マンションはわかるにしても、家と比べるとしたらおたくが暮らしてる城のほうが大きいでしょうよ、と突っ込まずにはいられなかった。

 

 この程度で大きい大きい騒いでたら都内に入ったら一体どうなるのか……。

 と、そこで俺はいいことを思いついた。

 そうか、日本を代表する建造物に案内すればいいのか。幸いあそこは観光スポットとしても有名だし、さぞかし衝撃的だろう。

 そう思って駅への道を進もうとするが、都合悪く駅前交差点の信号が赤に変わってしまった。……俺としてはこのとき赤になった信号を呪わずにはいられないことになるわけだが。

 

「あれが『信号』、それで赤は渡ってはいけない。合ってるじゃろ?」

「その通りです。さすがですね」

「その言い方、馬鹿にしとるのか?」

「いえ、そんなつもりは……」

「お、ソウヤ! ソウヤだろ!」

 

 そう思った原因がこの、俺を呼びかけた声だった。

 聞き覚えのある声に思わず振り返る。そこに立っていたのは――

 

「主将……」

 

 いや、厳密にはもう主将ではなく、

 

「『元』な」

 

 俺が所属する弓道部でつい先月まで主将だった、まあつまり元主将だった。

 はっきり言ってまずいときに出くわした。どうしたものかと俺が頭を悩ませるより早く、目ざとい元主将はレオ様の存在に気づくと、俺の肩に腕を回して彼女に背を向けた。

 

「おいソウヤ、あれ……もしかして前にお前が言ってた彼女か?」

「……ええ、そうですよ。せっかくのデート中なんで邪魔しないでください」

「かーっ! モテる男は辛いねえ! すっげえかわいい子じゃねえか!」

 

 肩に回した右手で肩をバンバン叩いてくる。

 

「俺にも紹介してくれよ!」

「人の彼女奪う気ですか? それを言うならデートの話聞かせろ、とかでしょう。……それが望みでしたら今度話してあげますから、今日のところは邪魔しないでください。彼女人見知りなんですよ」

「いっひっひ、そうかいそうかい。んじゃあ約束だぞ」

 

 面倒なことがまた一つ増えたと俺は大きくため息をこぼす。

 

「じゃあな、ソウヤ。……麗しのお嬢さん、機会があったらまた会いましょう」

 

 普段絶対言わないようなセリフを吐いて元主将はその場を去っていく。レオ様が余計なことを言わなかったことだけがせめてもの救いだった。

 

「なんじゃ……あの者は」

「俺が所属してる弓道部の元主将です。悪い人ではないですが……このタイミングで会うと面倒な人ではありますね」

「ワシのことをお嬢さん、とか言いおったか? ……無礼な奴め」

「その非礼は俺が代わりに詫びますよ。あの人も悪気があったんじゃないですし、素直にあなたを褒めようとしたんでしょう。……まあいきなりグランヴェール出すだとか大爆破するだとか殴るとかやってくれなかったんでホッとしましたよ」

「お前ワシをそんな野蛮な者と思っておるのか? 大体グランヴェールは置いてきた。……そもそもここはフロニャ力がない。紋章術を使うことは出来ん。お前だってそのぐらいのことはわかっておるんじゃろ?」

「そりゃわかってますよ。例えです、例え」

 

 レオ様の言う「グランヴェール」とは他ならぬガレットの宝剣の1つ、魔戦斧グランヴェールだ。さすがに重用品ということで今日は置いてきたらしい。

 一方俺も「再びフロニャルドを訪れる証」という名目で宝剣を預かっている。もう1つのガレットの宝剣、神剣エクスマキナだ。言うまでもなく大切な国の宝剣である。さすがに常日頃から身につけるのは人目につくのでやめていたが、それでも肌身離さず持ち歩くという意味で財布の中に常に入れておくようにしていた。

 だが先ほどレオ様が言ったようにここでは武器への変化は出来ない。要するにただの指輪といってもいいだろう。……それでも俺にとってはレオ様に誓いを立てた大切な指輪であることに変わりはないが。

 

「それより信号は青じゃぞ。渡るなら今じゃろ?」

「おっと、そうですね」

 

 これ以上ここにとどまってまた別の部員にでも見つかったら面倒だ。さっさと電車に乗ることにした。

 

「えーっとここからだと……」

 

 俺は電子マネーの乗車カードがチャージ十分であったので切符を買う必要はなかったが、レオ様の分を買おうと上の料金が乗っている路線図を見上げる。

 

「レオ様、この切符をそこの改札を通る時に入れてください。それでゲートが開くので、出てきた切符を取って通ってください」

 

 ジュース数本買える程度の値段で切符を買い、それをレオ様に手渡す。

 

「人に見せんでいいのか?」

「はい。その券自体に情報が入っていて、機械を通すだけで判別してくれます」

「なんと……すごいな……」

 

 俺に言われた通り切符を改札へと入れるレオ様。切符が吸い込まれた時にビクッと一瞬体を震わせたが、俺に言われた通り出てきた切符を回収して改札を抜けた。

 俺も財布から出したカードをタッチして改札を抜ける。

 

「ソウヤ、お前はそのカードでいいのか?」

「このカードには前もってお金が……いや、お金を払ったという情報が入っていて、電車に乗る時と降りる時、乗った区間を機械が自動で判断して、その分だけのお金を引き落とすようになってるんです」

 

 次の電車が来るまでの時間を見る。あと8分、まあ少し待つ程度か。

 

「……また機械か。すごいな。リコッタの奴が来たら大喜びじゃろうな」

「でしょうね。……でも俺としては、フロニャルドはこの世界のようになんでもかんでも機械、となってほしくはないと思ってますが」

「ほう? なぜじゃ?」

 

 階段を下りてホームへ。電車が来るまではまだ少し時間がある。

 

「確かに機械は便利です。ですが、同時に人と人とが触れ合う時間を奪っている、とも思えてなりません。今の改札にしたって、元は人が手作業で切符を確認していた。ですが機械の発達により、人件費も抑えられるということで今では機械がその役割を果たしている。結果、人は他人と触れ合う時間が減っていき、そして無機質になっていった、と言えなくもないと思っています。

 俺はフロニャルドでそこら辺をとても痛感しました。別にこの世界の人たちが皆心が冷たいだとか、そういうことを言う気は毛頭ありません。ですが、フロニャルドの人々はこの世界のような便利さはなくてもそれに勝るとも劣らない心を持っていた。

 だったら……こんな機械などに頼らなくても、フロニャルドはあのままでいい、発展を焦る必要はなく、今のままのペースでゆっくり時を過ごせばいい、そうも思うんです」

 

 ……なんだ、俺らしくもなく感傷的なことを言っちまったな。

 

「そうでなくても、あそこはフロニャ力が働いてるわけだし、リコッタが作った増幅器やら国営放送やらがある。この世界の技術をわざわざ取り入れる必要なんてないと思いますよ。……まあ元々人との接触を拒絶してた俺が言うセリフでもないですがね」

「そうか。……お前としてはワシ達は積極的にこの世界に関わるべきではない、と言いたいのか?」

「本音を言うと。ですが一方で俺はフロニャルドに呼ばれたおかげで人生を変えるほどの経験が出来た。そこを考えるとやや複雑な心境ではありますがね」

「わかった。参考にしておこう」

「参考? なんのです?」

「異世界からの召喚が容易になったということでもっと地球人を召喚するべきだという意見や、もっと押し進めば地球と外交をすべきという声もあがるかもしれん。そんな時になった場合の参考、じゃ」

 

 やはりそうなるか、と思わず心で呟く。

 その手のファンタジー小説は読んだことがある。結果どうなるかは、召喚された異世界人と元の世界の人間との間で考えが衝突して戦争、あるいは異世界人が優れているからと多く召喚しすぎて最後は異世界と元の世界の2つの世界での戦争。

 なんにせよ大抵ろくなことにはならない。俺やシンクのように召喚された人間全てがフロニャルドを愛し、第2の故郷とみなすことが出来るとは限らないからだ。そうなればフロニャルドを利用しようという者が現れてもおかしくない。加えるならフロニャルドの人々は人が良すぎる。口車に乗せられるなんてこともあるだろう。だとすると先に言ったとおりの展開になりかねない、と言える。

 

「……まあそんなポンポンと勇者召喚をするわけでもないでしょうし、そもそも慎重に考えて行うものなんでしょう?」

「当然じゃ」

「だったら俺の心配なんて杞憂でしょうね。そういう小説の読みすぎってことだと思います」

 

 電車が入ってくる、というアナウンスが流れる。いつの間にか時間が経っていたらしい。

 レオ様が興味深そうにホームを覗き込む。

 

「危ないから下がってください」

「危ない? どういう……」

 

 彼女が疑問を口にしかけた瞬間、電車がホームへと入ってきた。何両も連なって走るその鉄の箱に、レオ様は驚いた様子で目を見開き、ただ呆然と眺める。

 扉が開いて乗客が数人降りてくる。土曜日ということもあってか、車内は席がまばらに空いている程度で、2人が並んでかけられる椅子はなかった。

 仕方ないと扉の脇に立っていようと思ったところで、レオ様がまだホームに立ち尽くしていることに気づいた。

 

「早く乗らないとドア閉まりますよ」

「あ? あ、ああ……」

 

 ようやく電車に乗り込んだレオ様が俺の傍らに立つ。

 

「びっくりしたんですか?」

「そうだ。……まさかこんな巨大な物だとは思っていなかったからな。さっき自動車のようなものだ、と言ったではないか。大きさが全然違うぞ」

「大きくなったもの、ってちゃんと言いましたよ」

 

 我ながら説明不足だったかもしれない、とは思う。そのため非難の言葉が来るだろうと予測していたが、それが返ってこない。見れば彼女は走り始めた車窓から見える風景に釘付けになっていた。

 その横顔は威厳溢れる、普段の領主としての顔とは全く違う。未知の物に出会い、嬉しそうに、そして驚きながらそれを見つめる、まさに少女の顔そのものであった。

 それを見た俺は少し安心した。ウブさがなくなり、会えなかったこの3ヶ月間に彼女は変わってしまったのではないか、などといういらない心配も少ししてしまっていたからだ。だが年相応といってもいいその表情を見て、余計な不安だったと思った。

 

「なあ、ソウヤ」

 

 しかし如何せん、年相応というのも少々考え物か、とも思ってしまった。

 

「あの大きな物はなんじゃ?」

 

 レオ様が指差す先を覗く。高層マンションだ。

 

「マンションですよ」

「マンション……? ああ、さっきも聞いた気がする、人がたくさん住む建物か。ではあれは?」

「……マンションですよ」

「あれも同じなのか!? 造りが全然違うではないか! ソウヤ、ワシを騙そうとしとるんじゃろ?」

 

 その言葉を聞くとやっぱり普段どおり威厳のある方が彼女らしいと思わざるをえなく、俺はため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 電車に揺られること小一時間。途中一度乗り換えて目的の駅に到着した。電車が都内に入ってからはレオ様はますます興奮した様子で窓から外を眺めていた。それはそうだろう、都内は今までよりも高い建物が増える。

 

 乗った時同様少し戸惑いながら改札を通過するレオ様。一足先に改札の外に出ていた俺はその様子を見守り合流した。

 

「やはりなんだか不思議な感じがするな……。機械の受付も、電車という乗り物も」

「そうですかね」

「お前もフロニャルドに来た時は不思議な感じばかり受けたのだろう?」

「そういや……そうですね」

「ならそういうことじゃ。……それでどこに連れて行ってくれるんじゃ?」

「塔ですよ」

「塔?」

「高い塔です」

「それはマンションよりも高いのか?」

「比じゃないですね」

 

 ほう、とレオ様は関心したように相槌を打つ。

 

「それは楽しみじゃな」

「ただ、ちょっと歩くことになりますが」

「構わん。歩いた方が街の様子が目に入るからな」

 

 駅から外に出る。周りに見えるのは高層ビルの群れ。その先に目的の場所が一応見えてはいる。

 

「これは……また……」

「言うなれば『鉄の木々が聳え立つ森』なんてとこですか?」

「……なかなか詩人じゃな」

 

 さすがに俺の家からの最寄駅近辺の風景とは比べ物にならない。道路の路肩には無数のタクシーが停まり、人の数もあの駅近辺の比ではない。

 その人ごみの中を俺と異世界の姫の2人が歩く。やはり彼女は辺りをきょろきょろと見回しているが、都内でなら「田舎から来た人なんだな」程度の印象で済むだろう。口うるさくは言わないでおくことにした。

 

 途中昔からあるという巨大な大門をくぐり、その門の先にあった寺院への入り口の前を横切り、敷地に沿う形で歩く。はっきりいって思ったより遠い。私鉄を使えばよかったと軽く後悔している。

 しかし当のレオ様がどこか楽しそうだからいいだろう。寺に興味があるのか、入り口の前を横切った時はなんだか入りたそうだったし、今も敷地の中を気にしている。

 

「気になるんですか?」

 

 行きたい、ともし言われたなら予定を変更しようかと思ってそう尋ねる。

 

「いや、そういうわけではないが……。なんだか雰囲気がアヤセの町並みに似ている気がしてな」

「アヤセ?」

「ああ、お前は行ったことがなかったか。ガレットの東部にある町でな。東方の人間が故郷の景観を再現した町並みでな。ここのような感じじゃ。お前が知っているところで言うと……ダルキアンの居住もそんな感じじゃ」

「ああ……『風月庵』ですか」

 

 言われてみればそうか。アヤセという町は俺は知らないが、「大陸一の剣士」とも呼ばれていたビスコッティの自由騎士であるブリオッシュ・ダルキアン卿の住まい、風月庵はかなり和風な感じと聞いている。聞いている、というのは実はフロニャルド滞在中に行ったことがないからだ。行きたかったのは山々だったのだが、後半、色々()()()()()してしまい、行きそびれたのだった。

 しかしシンクからその風月庵の話は聞いていたし、言葉遣いや服装などからも和風な感じは受けていた。とはいえ、よく考えてみればここまでそんな和風なものはなく、近代的な部分にだけ触れてきたのだから、ふいに表れた自分の知っているかもしれない雰囲気にレオ様は驚いたのだろう。

 

「ここは昔から日本にある寺のはずですからね」

「寺?」

「俺は宗教関係には疎いんで、宗派とかは知りませんが、要はお祈りする場所です」

「神聖な場所、ということか」

「そんな具合ですかね」

 

 「ふむ……」とレオ様はなにやら考え込んだ様子だった。彼女の頭の中でどんな思考が描かれているのか。それを知る術はないが、次にその表情がどうなるか、というのはなんとなく予想がつく。

 

「着きましたよ」

 

 目的地に到着。それを見上げたレオ様の反応は、やはり俺が思ったとおり、ぽかんと口を開けて高くそびえるその塔をただただ見つめるだけだった。

 

「これが……」

「はい。俺があなたを連れてこようと思った『東京タワー』です。今日本……つまりこの国で2番目に高い建造物です」

「2番!? これで2番なのか!?」

 

 無言で頷き、俺も333mのその電波塔を見上げる。

 

「なんで1番の方じゃなくこっちにしたんじゃ? お前の家からでは場所が遠いのか?」

「いえ、家からなら移動時間はここと同じぐらいです。ですが向こうはまだ建築中で昇れないんですよ」

「……今昇る、と言ったか?」

「言いましたよ」

 

 レオ様がもう1度東京タワーを見上げた。

 

「……昇れるのか?」

「昇れます。上には展望台もありますし。……ああ、階段でもいけますが、エレベーターもありますよ。あ、エレベーターっていうのは……」

「昇降機のことか? それなら知っておる。グラナ砦にあるからな」

 

 時折どこまでがフロニャルドにあって、どこからがないのかがわからなくなる。実際カメラ、テレビに準ずる物は存在していたが、自動車や自転車なんてものは存在してなかったし、さすがに機関銃はなかったが迫撃砲や先込め式の銃は存在して、戦によっては使われることがあるという話だった。

 

「しかしこの高さを昇る昇降機か……。それはまたすごいな……」

「上からの景色は多分もっと凄いと思いますよ。……実のところ、俺も昇るのは初めてですけどね」

「そうなのか?」

「観光名所として多くの人が訪れる場所ですが、近辺に住んでると逆に来ないものなんですよ」

 

 灯台下暗しか。いや、ちょっと意味が違うな。ともかく俺は入場用のチケットを買うために窓口へ行く。

 買うのは大展望台を2枚。他により高いところにある特別展望台があったが、ここまで足を伸ばそうとすると少々懐具合に響く。それを2枚となればなおさらなので、今回は諦めることにした。

  大展望台へのエレベーターは土曜日ということもあってそれなりに混んではいた。しばらく並んでエレベーターに乗り込む。そしてそこを降りた先が――。

 

 地上150m、大パノラマが広がる展望台だった。

 その景色を見て言葉を失ったレオ様はそのまま窓際へと歩み寄る。かく言う俺もここから眺める景色は初めてで、それはまさに壮観、の一言に尽きた。

 

「ソウヤ……」

「なんです?」

「この……眼下に広がる建物は……ビルというものか?」

「そうですよ。さっき歩いていた時に見えた、マンションよりも高いビルの群れです」

「それが……こう見えるのか……」

 

 ただただ驚きを隠せない様子で、彼女はその風景に目を奪われ続けていた。

 

「しかしすごいな……どこを見ても……」

「ビルばかり、でしょう?」

 

 レオ様が俺の方を振り返って頷く。

 

「確かにすごいですよ。まさに人工の森林、『鉄の森林』です。……でもどこか、この景色を見てると落ち着かないんですよね」

「落ち着かない……?」

「俺にとってはフロニャルドみたいな景色を見るほうが性に合ってる気がするんです。この景色はなんだか息苦しい……。人が集まりすぎて、そして、無機質な建物がひしめき合っている……」

「……お前は、この世界が嫌いなのか?」

「嫌いではない、と自分では思っていますが……。でもフロニャルドの方が魅力を感じるような気もします」

「では、なぜお前は戻ったのだ?」

 

 そうだ。なんで俺は戻ってきたんだろう。ガウ様に「永住してくれてもいい」と言われた時、なぜそうすると言えなかったのだろう。

 その時はまだ、俺は彼女に自分の心を伝えずに帰ってくるつもりだった。だから、レオ様が自分という存在に縛られてほしくないと思ったからだった、と言える。

 

 なら、彼女と互いの気持ちを伝え合って、誓いを立てて、それなのになぜ戻ってきたのだろう。

 

「……なぜなんでしょうかね」

 

 結局出た答えはそれだった。つまり、正確には答えなど出ていないということだ。なんとなく、戻ってきてしまったのだ。いずれ永住するつもりはあっても、今はその時ではないと考えてしまったのだ。だが、その理由はわからなかった。

 

「……自分にとって本当の故郷というものは、そう簡単に捨て切れるものではないぞ」

 

 悩む俺にレオ様がそう囁きかける。

 

「いい思い出がなかろうと、しばらくそこを離れていようと、故郷というのは心が還ることの出来る場所じゃ。それは……おそらく理屈ではないじゃろう。お前がフロニャルドを愛してくれるのは嬉しい。じゃが、そのために故郷を完全に捨て去る必要はない。そこは、たとえ時が経とうと、人にとって帰ることのできる場所なのだからな……」

 

 ……そうか。俺は帰ってくるべくして帰ってきたのかもしれない。国を思う領主が言うのだから、今言ったことは間違っていないだろう。そこで衝動的に残るという決断をくだしていたら、結果的に故郷を捨てることになって後悔していたかもしれない。

 

「そもそもそういう話の前に、お前はまだ学生じゃろ? まずはその学校を卒業するのが優先じゃろうが。フロニャルド永住などとはそれから考えても十分間に合う。……ワシの伴侶になるなら、それなりの学はもってほしいしな」

 

 せっかくの人の感傷的な気分をぶち壊すような現実的な一言に俺は思わず失笑した。

 ああ、現実主義の俺が何センチメンタルな気分に浸っちまってたんだ。レオ様の言うとおり、まず今の学校を卒業しろって話だった。

 

 結局なぜ戻ってきたか、の答えは明確には出ない。だが別にいい。戻ってきて、今レオ様とこうしてこの世界を歩いている。ならそれは結果としては()()()()()()()()()のだろう。

 

「……ありがとうございます、レオ様」

「ん? 何がじゃ?」

「……いえ、単なる独り言ですよ」

 

 「独り言のわけないだろうが」と噛み付く彼女を引っ張る形で展望台を進む。せっかくの360度のパノラマだ、たとえ似たようなビルの群れの景色でも、ぐるりと回らなくては勿体無い。

 と、俺はあるものを見つけた。地上150mには似つかわしくない、その施設。

 

「……神社?」

「なんじゃ?」

「いえ、神社です」

 

 「はぁ?」とレオ様が首をかしげる。

 

「神様にお願いをして、ご利益を得る場所ですよ。……いやこの説明は大雑把すぎかな」

「神様にお願い? そんな習慣があるのか」

「困った時の神頼み、という言葉もあります。……まあお願いすれば、少なくとも心は落ち着くでしょうね」

「なるほど。ワシも戻ってビスコッティに行くことがあったら天狐にお願いでもしてみようかの」

 

 俺は苦笑する。天狐というのはビスコッティの隠密部隊筆頭、ダルキアン卿の右腕であるユキカゼ・パネトーネのことだ。彼女は土地神の子らしいのだが、俺から言わせてもらえば土地神(とちがみ)というより乳神(ちちがみ)である。

 もっとも、滞在中もこんなセクハラまがいの接し方をしていたし、第一印象から最悪だったせいで未だに彼女の俺に対する態度は冷たい。最初はそれでいいと思っていたが、最近はそれもどうかと思うし、今度行った時に一応謝ろうと思ってはいる。

 

 ともかく、あの陽気な巨乳ちゃんを神様だと崇めて何かいいことがあるのかあやしい。効果があるとしたら胸のサイズアップとかかもしれないが、それを願うのはリコッタかビスコッティ親衛隊長のエクレール・マルティノッジ辺りで、少なくともレオ様がそれを願う必要はないだろう。

 

「せっかくですし……お賽銭あげておきますか」

 

 財布から10円玉を2枚取り出しレオ様に1枚手渡す。

 

「これは?」

「この国のお金です。これをそこの賽銭箱に入れるんです。神様だってタダで願いをかなえてくれるわけではないでしょうし。とりあえず俺を真似てください」

 

 10円を賽銭箱に入れる。レオ様もそれに倣う。

 

「で、二礼する」

 

 俺は2度お辞儀し、彼女もそれを真似た。

 

「そして2度手を叩き、目を閉じて心の中でお願いする」

 

 パン、パンと二拍して俺は目を閉じる。特に願うことは思いつかないが……。

 ……まあ、これからもレオ様と一緒にいられますように、かな。

 チラッとレオ様の方を伺うと丁度目を開けたところだった。

 

「最後に一礼する」

 

 もう1度頭を下げる。

 

「これで終わりです」

「ふむ……。興味深いな……」

「多分厳密にはこれも簡略化されてるはずです。本当は手や口を清めるだとか鐘を鳴らすだとかあるはずですから」

「よし、この方法で、あとはお金を渡して天狐にお願いすればいいんじゃな?」

「……やめてください。絶対効果ありませんから」

 

 ため息をこぼしつつ、このフロアは一通り見たので、大展望台の1階へと降りる。

 風景は変わらないが下りのエレベーターはここにあるので降りてくるしかない。カフェが目に入ったが、ここでまったりというよりは、そろそろ昼時だし降りた後で何か食べた方がいいだろう。……大体こういう場所の飲食店は場所代がかかるから高いしな。

 

 と、そのフロアで「LOOK DOWN」と書いてある面白い場所を見つけた。

 

「レオ様、こっちへ」

 

 「なんじゃ」と寄って来た彼女に足元を指差す。その俺の指示通りに視線を下に向けて――。

 思わず蒼ざめた顔で数歩後ずさった。

 

「な、な、なんじゃこれは!?」

「ガラスの床みたいですね」

「みたいですね、ではない! 割れたらどうするんじゃ!?」

「割れないでしょう。一応この世界の技術での強化ガラスなら人1人程度はなんともないでしょうし。それより、ここからなら下がよく見えますよ」

 

 俺の声に彼女が下を覗き込む。

 

「……吸い込まれそうじゃ」

「高いところはダメですか?」

「ダメではないが……高さの度合いが違うじゃろ」

「まあ、そうですね」

 

 ふう、と顔を上げてため息をこぼすレオ様。

 

「まったく驚くことばかりじゃな……」

「あとは下るだけか……。まあこんなもんですが、楽しんでいただけましたかね?」

 

 上げていた視線を俺の方へと戻す。

 

「ああ。お前が案内してくれたし、何よりお前と一緒にいられたからな」

 

 微笑を返され、本来彼女がするべきだった照れるという反応を俺がしてしまう。

 ……まずいな。完全にペースを握られてる。

 まるで将来は尻にしかれることが約束されている、と言われたようで、俺は苦笑をこぼし、彼女と下りのエレベーターが来るのを待つことにした。

 

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