◇
「しかしこれの中腹から景色を見下ろしていた、とは……。やはりどうも信じられんな」
東京タワーから外に出てきて、もう1度見上げながらレオ様はそう言った。
「まあそんなものですよ。……で、そろそろお昼にしませんか? もう昼時を若干外してしまってはいますが……」
実のところ朝は栄養バーで済ませたので空腹感はそれなりにある。ひとまず駅の方に戻れば何かあるだろう、と俺は来た道を引き返す形で歩き始めた。
「そうじゃな。確かに空腹じゃ。せっかくじゃから、普段お前が食べてるようなものが食べたいがの」
「普段俺が食べているもの、ですか……」
少し前まで俺の食事は朝と昼は栄養バーかゼリー飲料、夜はスーパーの見切り品というのが大体の食生活。外食するにしても牛丼かハンバーガーといったところだった。
今でこそシンクの奴に「栄養は体の資本だから、もっと栄養価のある物を食べた方がいいよ」とメールやら電話やらで口うるさく言われ、時折自分で作ったり、コンビニでサンドイッチや野菜ジュースを買うことも増えたが基本的に食生活は変わっていない。
そのため外食をするといってもほとんどワンコインで収まる範囲内、せいぜい部活の人間に誘われて行くファミレス辺りが限界だ。そうでなくても懐の厳しい高校生が2人分を払うとなると、おのずと店は限られる。加えてこの辺りに来たのは初めてで、どのお店が美味しい、など到底わからない。そもそもそういうのに詳しくなるのは社会に出て色々と食べ歩いてからの話だろう。
よってここから導き出される結論は、どこででも見かけるようなチェーン店が味的にも値段的にも無難、というものだった。
とはいえ、フロニャルドでの食生活を思い出してみると、使われた食器はフォーク、ナイフ、スプーン辺りで箸というものは見かけなかった。ダルキアン卿やユキカゼ辺りなら使ってそうではあるが、危険な
ともかくそうなると俺の胃袋を支えてくれることの多い牛丼やラーメン屋はダメだろう。そもそもデートの食事場所が牛丼屋、というのは少し考え物な気がする。いや、断じて牛丼屋を否定するつもりはないが長居するには不向きな場所だ。
それなら……。
「ソウヤ? どうした?」
「いえ、どこで食べようかと考えていたもので……」
「そんな考えるほどでもなかろう。普段食べてるものでよいではないか」
「普段食べてるもの……いいのかな……」
まあココナプッカなんてものもあったし、パン(正確には「のようなもの」だが)はフロニャルドでも常食されていたはずだ。何よりレオ様は肉好きのはず、だったらいいだろう。
「何をそんなに悩んでおるんじゃ?」
「いえ、決まりました。口に合わなくても俺に任せたレオ様の責任ですよ?」
「む……。それは困るが…」
「ですがレオ様、肉は好みでしたよね?」
「ああ。好きじゃ」
「なら大丈夫でしょう。……使ってる肉の品質は保証しかねますがね」
来る途中にチェーン店で見かけたその店を思い出しつつ、俺はそう答えた。
一先ず記憶を辿って、レオ様と並んで歩きながらその店へと向かう。異世界の姫君はすれ違う学生やカップルが気になるのか、横目に見つめている。
「ソウヤ」
「なんです?」
「手を握らんか?」
思わず俺の脚が止まる。一瞬の
「……何言ってんですか?」
「いや、この世界では男女が一緒に歩く時は手を握るようじゃからな。通り過ぎる人々はそうしておったぞ」
「……そりゃ仲のいいカップルはそういうことをするかもしれませんが……」
「ならよいではないか。ほれ」
そう言って無造作に右手を差し出してくる。あの、「ほれ」と言われましても……。
しかしまあ今更手を握る
差し出された右手の指の間に俺の左手の指を割り込ませて握る。こんな経験は初めてで少し戸惑う。見ればレオ様の表情もどこか硬いようだ。
だが日本でレオ様とこんなことになるとは夢にも思わなかった。見せ付けるように恋人同士で手を繋ぐ連中の気持ちが少しわかってしまう気がする。……本音を言えば、このまま繋いでいたい。
そう俺が思った矢先だった。ポケットの中の携帯電話が震えだした。メールにしては長い、着信だろう。
取り出して発信者を確認すると……。
「……あいつかよ」
ディスプレイにはシンクの文字が映っている。タイミングが悪いのか、それとも逆に天才的にタイミングがいいのか。いや、普通に天才であることは認めるが、それは別の話だ。ともかく、よりにもよってこのタイミングである。
「『ケータイデンワ』か? 急用かもしれんじゃろ、話した方がいいのではないか?」
レオ様にそういわれた以上は出ないわけにはいかない。ため息をこぼすと俺は繋いでいた手を離して少し彼女と距離を取り、かなり旧式の携帯を開いて通話ボタンを押した。
「……はい?」
『あ、ソウヤ? シンクだけど。今大丈夫?』
「……大丈夫といえば大丈夫だが……お前はこういうタイミングを読むのの天才か?」
『え? どういうこと?』
「いや、気にするな、独り言だ。何か用か?」
『あ、うん。ほら、再来週会おうってことになってたじゃない? それどこ行くのがいいか、とか待ち合わせどうしようか、とか話そうと思って』
「……まだ2週間前だぞ? 急ぎすぎだろ」
『そうかなあ? 僕は今から楽しみにしてるからさ。まあそれについてはベッキーとナナミも……あ、2人のことはメールに書いたよね?』
「ああ、読んだしお前からの電話でも聞いた。……ともかく都内合流予定だろ? なら俺はそれなりに融通が利くからお前に任せる。幼馴染と相談でもして、ある程度決まってから俺に連絡してくれりゃそれでいい」
『うーん、そうは言ってもなあ……。ソウヤの意見も聞きたいし……』
雰囲気を察する、ということができないのかこいつは。ここまで話せば今それなりには忙しい、ってぐらい察するだろう? それに気づけよ。
「……シンク、実のところ今ちょっと面倒な状況になってる。できれば後だと助かるんだが……」
が、俺もここで奴の名前を出したのはミスだった。
聞いたことのある名を耳にしてレオ様が俺の方を見つめる。
「ソウヤ、もしかしてシンクと話をしておるのか?」
『え……? あれ……? ソウヤ、今レオ様の声が……』
「気のせいだ。気にするな、忘れろ」
「気のせいではないじゃろうが。あいつと話してるならワシにも話させろ」
『あ……え……? やっぱりレオ様の声……』
「……言っただろ、今ちょっと面倒なことになってる、と。……悪いな、一端切るぞ。詳しいことは後で教えてやる」
そう告げるとまだ携帯から聞こえてくる声を無視して俺は一方的に通話を切り、大きくため息をこぼした。
「なんじゃソウヤ……冷たいのう。ワシにも奴と話させてくれてもよかったじゃろうに……」
「……意外と俺は嫉妬深いんですよ。自分のデート中に彼女が他の男と話しているところを見るというのは、どうもいい気はしないもんでしてね」
勿論デタラメだ。これ以上話をややこしくしたくないだけだ。こんなところで長電話もゴメンだし、もしかしたらレオ様がいると知ったらあの猪突猛進の馬鹿は今すぐ行くとか言い出しかねない。そもそもこの携帯電話は
そんなことで気が滅入りそうになりながらも、俺達は来る途中に見つけたハンバーガー店へとようやく到着し、足を踏み入れた。
「何にします?」
「上にある絵から察するにサンドのようなものとはわかるが、あとはわからんからお前に任す。そもそも文字も読めんしな。まあ読めたところでそれが何かわからん」
「リコッタの便利眼鏡持って来てないんですか?」
「あれはフロニャ力が働かないと使えんらしい」
「……中途半端に便利なわけか」
まあ基本的にフロニャルドの人々はフロニャルドで暮らすのだから、当然といえば当然か。
俺はメニューを見上げながらどうしたものか考える。
「レオ様、チーズは?」
「チーズ?」
「……いや、なんでもないです」
もういいや、全部自分が決めよう。
「ご注文お決まりでしたらどうぞー!」
無料でいただける笑顔を受け取りつつ、俺はカウンターに近づく。興味があるのか、レオ様も背後に付き添っていた。
「えっと……てりやきバーガーのセットとチーズバーガーのセットを」
「ありがとうございます。店内でお召し上がりですか?」
「はい」
「サイドのポテトはオニオンリングにすることもできますが、いかがなさいますか?」
意見を仰ごうと反射的に彼女の方を振り返る。しかし一瞬後にそれを聞いたところでどうせわからないということに気づいた。
「なんじゃ?」
「ポテトにするかオニオンリングにするか……ああ、芋の揚げ物にするか玉ねぎの揚げ物にするかです」
「じゃからよくわからんが……。まあ1つずつ選べば、両方食べられるじゃろ」
「そうですね。……じゃあポテトとオニオンリング1つず……」
そのとき、俺はある
「……両方ポテトでお願いします」
「え!?」
さっき言ったことと違う返答に思わずレオ様がそう声を上げる。
「お、おい、ソウヤ!」
「あの……ポテト2つでよろしいでしょうか……?」
「ポテト2つで。飲み物は両方コーラでお願いします」
これ以上は時間をとりたくない、さっさと会計を済ませようとドリンクも前もって言ってかかる時間を省き、言われた金額を俺は支払う。
……思わずセットにしちまったがやはり2人分は予想以上にかかるな。普段はケチって単品で頼むしな……。しかしデートで単品というのもどうもな……などという俺のくだらないといえるかもしれない意地によってセットという判断になったのだった。
少々お待ちください、と言われて場所を横にずれて待つ。レオ様のほうを見るとさっきの一件から不機嫌、というか、なぜ自分の意見を無視したのか、という表情をしていた。
「怒ってるんですか?」
「怒ってなどいるか。じゃが理由を知りたいの」
「ポテトの方がいいと思ったからですよ。オニオンリングは広義で見れば野菜だ。レオ様野菜は苦手でしょう?」
「まあ……確かに苦手ではあるが……」
実際の理由はそんなところではない、だがそれは本人に言ったらさすがにまずいだろう。
と、いうのも、何かで聞いた話だが
ガレットの人々は猫っぽい人々が多い。さすがに体組織は地球の猫とは異なるだろうと思うが、万が一異世界でレオ様が倒れたなどとなり、しかも俺にも原因があるとかなったら、次に俺がフロニャルドに行く時は勇者としてではなく領主の命を狙った
「……ともかく、ワシのことを気遣ってのことだったんじゃな?」
「ええ、そうです」
「ならよい。むしろ感謝するぐらいじゃ」
レオ様が俺に笑顔を見せる。
……ああ、その笑顔を見られるならもう何でもいいか、なんて安易な考えが頭に浮かぶ。
お待たせしましたー、という店員の声を聞き、俺はトレイを両手に持った。
「2つは大変じゃろ、片方はワシが持つ」
「しかし……」
「自分の分は自分で運ぶ、と言ってるんじゃ」
「……わかりました」
てりやきバーガーセットの方を俺は彼女に手渡した。
「ほう、なかなかいい香りじゃのう」
階段を上がり席を探す。土曜日のせいで客は多いが、運よく空いていた席に俺とレオ様は向かい合って座った。
「ではいただくとするかの。……とは言ったものの、かぶりつけばいいのか?」
「そうですね。……王族の方から見たら少々はしたないかもしれませんが、汚れたら口はその紙で拭いてください」
「ふむ……」
レオ様が少々お困りの様子なので見本を見せる意味でも俺が先にチーズバーガーにかぶりついた。この濃い味とチーズの具合がやはりいい。
シンクに食事のことをあれこれ言われてから料理をするようにもなったが、そこで気づいたのは「とりあえず味をそれなりに濃くすればうまい」ということだった。無論やりすぎはまずいが、濃い味というのはどうやら人間の味覚はうまいと感じるらしい。言うまでもなく薄味はおいしくないというわけではない、ただ濃くした方が無難にうまいと感じる、というだけだ。
だからこの濃い味つけは俺は好きだ。あとはレオ様がそれをどう感じるか、だが……。
俺が食べたように、鋭い犬歯が覗く口を開いててりやきソースたっぷりのそのハンバーガーへとかじりつく。こんな光景はめったに見られるものじゃない、録画していたら永久保存物だろう。
「……ほう!」
もぐもぐと噛んだ後に飲み込んでレオ様はそう感心したような声を上げた。
「なんとも初めての味じゃが……なかなかに美味じゃ」
「それはよかった。付け合せのポテトもどうぞ」
「……おお、これはガレットでも食べられるぞ。これほど口当たりは軽くないが……」
「あ、そうでしたね。戦勝祭の時にそういや食べたことがありました」
俺は手元のコーラを流し込む。
「それは飲み物か?」
「そうです。吸い出してください。……あ、でも炭酸飲料飲んだこととか……」
……遅かった。と、思ったが、何と言うことはなくレオ様はそのままコーラを喉に流す。
「……なんじゃ?」
「いえ、フロニャルドに炭酸があるのか怪しく思ったので……」
「味は違うが似たようなものはあるぞ。酒にもこういうものはある」
……やっぱり時々どこまでがフロニャルドにあってどこからがないのかわからなくなる。
「しかしこれがお前が普段食べているものか」
「庶民が気軽にお金を出して食べられるものです。学生はよくこういうところに
「ふうむ……」
レオ様はそう言うとなにやら考え込む様子を見せる。
「ガレットにもこういう軽食を取りながら時間を過ごせる店をもっと作るのも悪くないか……」
「領主様はこういうときも大変だ」
「茶化すな」
そう言って互いに見つめあって思わずプッと吹き出す。
「その辺りはまたお前がガレットを尋ねた時に詳しく聞くことにしよう」
「俺を経営者にでもするつもりですか?」
「面白いではないか? 勇者経営の直営店、とかな」
「それこそ茶化さないでほしいですね」
彼女との他愛もない会話。それを楽しむことが出来るというだけで俺は今幸せだった。結局俺たちはそれからしばらくの間、同じぐらいの年の人たちがそこでそうするようにおしゃべりを続けたのだった。
◇
それからしばらくその店で駄弁った後は適当にウィンドウショッピング。やはりレオ様も年頃の女の子ということでアクセサリや服などは気になる様子だった。
……もっとも、「ソウヤ、この世界の服はなんだか戦には不向きではないか? 機能性が乏しいように感じるが」などと言われた時にその前言は撤回されることになったが。この人は俺の中の年頃の女の子、というくくりでくくってはいけないらしい。
そんなことをしている間に時刻は夕方に近づき、段々と陽が傾き始める。暗くなる前に帰ろうと早めに電車を乗り継いで最寄の駅まで戻ってきた。その後、行きつけのスーパーへと足を伸ばす。
本当は夕食も外食する予定だった。だがレオ様が「いい加減耳と尻尾が窮屈すぎるからお前の家でゆっくりしたい。お前が普段家で食べるものを食べられればそれでいい」と言い出したため、仕方なくの選択だった。
夕方ということで得意の見切り品には頼れない。ここの値引きが始まるのは20時過ぎ、それを待つ連中もいるために見切り品の倍率は意外と高い。シールを貼りに来る店員を待ってパッと商品を持っていくのあの駆け引きを「この世界の戦だ」とかレオ様に紹介するのも面白いかとは思った。
だがこの時間では値引きシールが張られた惣菜はほぼなく、たまに店で見かける見切り品狙いの連中の姿も全く見えない。仕方ないのでここは自分が作る、という最終手段を取る事にしたのだった。「普段食べているもの」という要求は満たしているのだから、味についての文句は言わせない。
そんなわけで俺は今台所に向かって夕飯を作っているところだった。レオ様は、というと、今入浴中で大分ご機嫌は
帰ってくるなり「耳と尻尾が窮屈じゃ、もうこの服は着たくない」と不満そうに言って、彼女は着てきた執務用の服へと着替えた。その間に俺は普段シャワーで済ませるために使わない湯船を掃除し、お湯を張り、風呂の準備をすませておいた。「耳と尻尾が蒸れて洗いたい」と言っていた彼女にこれは効果的だったようで、その時点で機嫌は直りつつあったが、風呂場からの「極楽じゃー」という声を聞く限りその心配はしなくてよさそうである。
しかしレオ様が風呂でくつろぐ一方、こうやって俺が白菜を切ったりじゃがいもの皮を剥いたりしてると、なんだか将来までこんなことになりそうで怖い。今じゃ主夫も増えてるしそういう偏見を持つつもりもないが、これでは完全に尻に敷かれてしまっている。……将来もしこの人と暮らす、なんてことになったら絶対家政婦を雇おう。ああ、レオ様にビオレさんを無理矢理説得させてヴァンネット城から連れ出すなんてのもいいかもしれない。……何考えてんだ俺は。
アホな考えに自らため息をこぼした俺はコンロの火をつけて万能の中華鍋に油を敷く。中華鍋というものは非常に便利だ。火の通りが早く、底が深いから煮物も出来る。勿論フライパンの機能は十分に果たす。自分1人の食べる分を作る程度なら、フライパンだの鍋だの買い揃えずともこれ1つで十分と言ってしまってもいい。
その中華鍋と油が熱されてきたところで肉を投入、火が通ったところで切った具材も投入し、軽く火を通す。さらに水とめんつゆを入れて煮込んでいく。あとは具材が煮えれば完成だ。
そうしてる間に炊飯器が炊き上がりを知らせてくれる。それを聞いた俺は蓋を開けてご飯をほぐす。まさに文明の利器、機械に頼りすぎるのはよくないなどと言った自分だが、始めちょろちょろ中ぱっぱだの知らなくても簡単に米を炊き上げてくれるこの機械には感謝せざるをえない。
今度は鍋の方の様子を見る。灰汁を取りつつ味見、まあ悪くない。やはりめんつゆは万能の調味料だ。「さしすせそ」の「し」と「せ」ぐらいは1本でなんとでもしてくれる。一応言っておくと「さ」が砂糖、「し」が塩、「す」が酢、「せ」が
「お、いい匂いがしてきたの」
と、レオ様が風呂から戻ってくる。執務用の服の上着を脱いで手に持っており、つまり上半身は戦時の上着を脱いだ状態の格好である。前々から思っていたが目のやり場に困る。
「もうすぐ出来ますのでもう少し待っててください。あ、さっき水買っておきましたけど飲みます?」
「お、気が利くの。いただくとしよう」
冷蔵庫開けて500mlペットボトルの水をレオ様に手渡す。が、彼女はペットボトルを不思議そうに眺めた。
「ああ、ペットボトルとかないのか。使い捨ての水筒みたいなものですよ」
「なんと。これは中身を飲み終わったら捨ててしまうのか?」
「そうです。でもそれを一旦原料に戻して……いや、違うかな。ともかく一応再利用は可能なので、本当に使い捨てというわけではないですが」
「ふーむ……」
「キャップを捻ってください」
言われた通り蓋を開け、レオ様は水を喉に流す。
「……ほう、なかなかうまいの」
「天然水ですからね。それでもフロニャルドの水には到底かないませんが」
話しながら煮込んでいたじゃがいもを菜箸でつついてみる。個人的にはもう少し煮崩れた方が好みだが、食べることは可能だろう。火を止めて大皿と小皿を1枚ずつ取り出し、冷蔵庫の中から透明な袋に入っている液体に入った白菜も取り出して小皿に盛り付ける。大皿の方には鍋で煮込んだ料理を盛り付けた。
それを机に運ぶと炊飯器を開けてご飯茶碗と汁碗にご飯を盛る。ご飯茶碗など自分の分しかないため、仕方なく片方は汁碗ということだ。そっちをレオ様に出すわけにもいかないので今日の俺のご飯茶碗は汁碗になる。あとは箸を使えるかあやしいレオ様のためにスプーンとフォークも用意し、ほうじ茶を入れて今日の夕食は完成だ。
「出来ましたよ。普段召し上がっているものと比べたらかなり質素かとは思いますが……」
作った料理は肉じゃが、それから白菜ときゅうりの浅漬け。俺が普段作ることが多い上になるべく和食な物を考えた結果こうなった。「肉じゃがを作る女性は家庭的」などとよく言われるが、俺から言わせてもらえば材料切って水とめんつゆで煮込めばできるわけだし、味付けを間違えない限り大きく失敗しないこの料理のどの辺が家庭的か聞いてみたい。もっと手間のかかる揚げ物やさらに長時間煮込む必要のある煮込み料理だとかのほうが家庭的じゃないかとも思う。
ちなみに和ということでいうなら本来外せないのは味噌汁だろうが、如何せん汁碗が1つしかなく、しかもそれを俺のご飯茶碗代わりに使っている以上却下。何よりこの冷蔵庫には味噌がない。ついでに酢もない。俺は「さしすせそ」「す」と「そ」を放棄した料理しか作れないのだ。というか、実際なくてもさほど困らない。味付けはめんつゆか塩コショウでなんとかなるといえばなるからな。
「ほう……。お前が作った料理か……」
「普段から一流の料理人が作ってるであろう料理を食べてるあなたの舌には物足りないかもしれませんが……。食べたいっていったのはあなたですから、食えればいいぐらいの感覚で、あまり期待しないで食べてください。……じゃあいただきます」
肉じゃがを適当に取り皿に分けて口に運ぶ。……さすがめんつゆ、無難な仕上がりだ。じゃがいももいい具合に煮えている。あとはレオ様がこれをどう感じるか、だが……。
「……ふむ、珍しい味付けじゃ。普段あまり食べない味じゃが……なかなか美味だぞ」
……正直ホッとした。フロニャルドの人と俺たちとの味覚が大きく異ならないで助かった。
「お前がこれを作った、か……。どうじゃ、勇者をやめて料理人としてフロニャルドに来る、というのは?」
「やめてください。確かに自分で作るようになってから少し楽しいと感じ始めてますが……。だったら戦場で暴れる方が俺の性にあってます」
笑いながらレオ様が浅漬けにフォークを刺して口に運ぶ。しかしスプーンで食べる肉じゃがとフォークで食べる浅漬けというのもなかなか斬新な光景だ。
「これは……野菜か。ワシは野菜は苦手じゃが、お前が作った、と思えると不思議と食べられるものじゃな」
「作ったとも言えませんよ、それは。材料切って浅漬けの素に漬けただけですから。……でもまあそう言ってもらえると俺としては嬉しいですが」
なるほど、普段は自分で作って自分で食べるだけだから気づかないが他人に「おいしい」と言ってもらえるとどこか嬉しいもんだ。
「野菜苦手だって言ってる割に肉じゃが食べてるじゃないですか」
「肉じゃが?」
「そのメイン料理ですよ。確かに肉は使ってますが、他は野菜ですよ。じゃがいもに人参に玉ね……」
……まずい。
「ん? どうしたソウヤ?」
「……レオ様それ食べました?」
「肉じゃが、か? 食べたぞ。おいしいと言ったではないか」
「その玉ねぎ……透明な葉っぱみたいなものも?」
「ああ、勿論。甘みがあってうまいぞ」
思いっきりため息をこぼす。なんで今の今まで気づかなかったんだよ……。
「なんじゃ、どうした? まさかお前これに毒を盛った、などいうわけではなかろう?」
いや、もしかしたらそうかもしれません……。もう1度ため息をこぼした後、俺は猫っぽいガレットの人と地球の猫の体組織が異なっているという部分に願いを託して全て白状した。
「隠しててすみません。昼のオニオンリングについてもそういう意味で止めたんです」
「なんじゃ……そういうことか。なら心配いらんわ。似たような食材はフロニャルドにもある。それに今現在ワシも気分が悪いだの、そういうことはない」
「……そうですか。それを聞いて一安心です」
とりあえず勇者ではなく罪人として呼び出されることはなくなったようだ。
「それに猫っぽい、って……ワシは獅子じゃぞ? 猫などというな」
「それは失礼しました、
「……ソウヤ、次にその呼び方をしたら勇者ではなく
だが代わりに料理人として召喚される可能性は残ってしまったようだ。まずい、口は災いの元だ。
「とはいえ……。なかなかうまいのは事実じゃ。お前にでも作れるならワシも作れそうじゃな。今度作り方を教えるがよい」
「……レオ様料理とか出来るんですか?」
「なんじゃ、料理人で呼び出されたいか?」
いや、それだけは本当に勘弁してほしい。
「ワシが作るかどうかは置いておくにしても、お前の世界の料理、ということでガレットに広めるのも面白かろう?」
「それはなかなか面白そうですね。……ですが昼の話と今さっきの話、これを繋ぎ合わせると『勇者が経営調理する店』とか作ろうとしてるんじゃないですよね?」
「お、その発想はなかったぞ。それはなかなか良さそうじゃな」
本当に口は災いの元だと俺は痛感した。余計な一言を言ってしまうのが俺の悪い癖だが、直した方がいいのかもしれないとまで思ってしまった。
ちなみに余談ではあるが、後で知ったのだが猫に玉ねぎを食べさせてはいけないように、犬に紅茶を飲ませてもいけないらしい。これがフロニャルドの人に当てはまったとしたらビスコッティは大変なことになるだろう。あの国の特産品は茶だ。シンクもよく姫様とお茶は飲んでいたらしいし、それを知っていれば俺はこんなに玉ねぎで神経質になる必要はなかったのだ。
◇
食事を終え、食器を片付けた後で俺はシャワーを浴びるために浴室に入る。この家で誰かが使った後の浴室に入るというのは初めてのことでなんだか新鮮に感じられた。
風呂から上がるとレオ様は
「何か面白い番組でもありました?」
冷蔵庫開けて風呂上りの一杯、といってもミネラルウォーターだが、それをグラスに注ぎつつ俺は尋ねる。
「ああ。とても面白いな。……お前の世界では放送している場所が複数あるのか?」
一瞬思考が停止した。
「……番組の内容じゃなくてですか。そうですよ。民間で複数あります」
「それはまた……」
「そうか、ビスコッティもガレットも国営放送だけですか」
「そうじゃ。ここは国営放送というのはないのか?」
「この国では
「……民間の放送局か」
レオ様が興味を示しているようだ。これはもしかしたらガレットの放送が多局化するかもしれないな。
なおもレオ様はテレビ番組に興味津々のようで食い入るようにみつめている。局ごとの差異とか気にしているのかもしれない。
と、そこで俺の携帯が震えるのがわかった。メールが1件着信している。
「……あ、やべ」
シンクからだった。そういえば昼間に「後で説明する」と言ったきり全く説明していないということを完全に忘れていた。案の定内容は『後で説明、って言われてから全然連絡ないんだけど、何がどうなってるの? 凄く気になるから教えてよ!』という説明を急かす内容だった。
一先ず地球とフロニャルドの行き来が簡単になりそうなこと、そのために向こうからこっちに来るのも可能になってるだとかで今レオ様が来てるということ、ついでにちょっと街を案内してきたことをまとめて返信する。
それから1分と経たないうちだった。今度は着信だった。まああいつはそういう奴かと思いつつ通話ボタンを押す。
「……はい?」
『もしもし!? ちょっと、さっきのメールどういうこと!?』
「お前今何時だと思ってるんだ? こんな夜にかけてくるなよ」
『いやそういうのいいから! じゃあ何、今そこにレオ様いるの!?』
「ああ、いる。今テレビ見てる。代わるか?」
『え、ええ!? ほんと? ほんとに!?』
どうやらあいつは信じられないらしい。俺はスピーカーモードに切り替えてテレビに集中するレオ様に携帯を差し出した。
「なんじゃ?」
「シンクです。話したいっていってましたよね?」
「おお! いいのか?」
答える代わりに俺はレオ様に携帯を手渡した。受け取るとレオ様は嬉しそうに携帯に話かける。その間に俺は通話の邪魔にならないようにテレビの電源を落とした。
「ようへっぽこ勇者、元気しとるか?」
『え、ええー!? 本当にレオ様の声……』
「そうじゃ。本物のワシじゃ」
『じゃ、じゃあソウヤが言ったことって本当なんですか?』
「ソウヤが言ったこと……?」
「地球とフロニャルドの行き来が簡単になってあなたがここに来た、ってことです。言ったらまずかったですか?」
「いや、まあそこまでまずくはないが……。……シンク、ソウヤが言ったのは基本本当じゃ。今ソウヤの家でワシは明日の朝にガレットに帰る。だがミルヒと連絡を取る際、特にフロニャルドから地球に来られる、ということは伏せておいてくれ」
『え……? いいですけど……なぜです?』
「今日歩いてみて、またソウヤの話を聞いてわかった。まずワシ達は容姿が異なる。これでは目立ってしまう、とソウヤに前もって言われていたし、歩いてみてもそれを実感した。歩く時に容姿を隠すためにこいつの服を借りたが、どうにもこうにも耳と尻尾の居心地の悪い服じゃったしな」
その前に男物ですがね。
「じゃから何もわからないまま突然ミルヒがお前の元を訪ねてパニック、などということも起こりかねん。このことをあいつに教えたら『シンクシンク』言いながらお前のところに行きかねんからな」
……俺も全く同じことを考えたわけだが。レオ様がそう言うのなら間違いないのかもしれない。
『……そうですね。レオ様の仰るとおりかもしれません』
「じゃが……お前としてもミルヒには会いたいだろうが、すまないな」
『いえ、気にしないでください。冬休み……っと、来月に夏ほどではないですけど少し長めの休みがあるので、元々その時にそちらに行こうってことでしたから。なので大丈夫ですよ。それにさっきのソウヤのメールの内容だと、この後は週末ごとに行く、なんてことも出来そうですし』
「そうじゃな。これからは一気に距離が近くなるわけじゃ」
『最初僕が戻ってくる時は記憶までなくしちゃう、って言われたのに……なんだかそれが嘘みたいですよ』
そう言って電話の向こうのシンクが笑う声が聞こえた。
「まあ近いうちにまたフロニャルドに来る、というのであれば積もる話はそのときにでもするとしよう。今はガレットもフロニャルドも落ち着いておる故、今度はゆっくり話が出来るじゃろう」
『わかりました。今度行く時を楽しみに待ってますよ。……あ、ソウヤ、昼ちょっと話した再来週の件だけど……』
レオ様が携帯を俺に差し出す。一先ず受け取ってそれに話しかけた。
「そのとき言ったとおりお前に任せる。ある程度まとまったら連絡くれればいい。……お前は幼馴染2人連れてくるんだろう? ならその
『……じゃあまずベッキーとナナミに話してみるよ。それで大体まとまったらソウヤのほうに話を振るから、それから行きたいところを追加する方向でいい?』
「それでいい。よろしく頼む」
『オッケー。決まったらまた連絡するね。じゃあそういうわけで。レオ様、ソウヤ、おやすみ』
「ああ、おやすみ」
通話が切れたことを確認して俺は携帯を閉じた。
「ソウヤ、先ほどのお前たちが会うという話じゃが。お前が言った両手の花を枯らすな、とはどういう意味じゃ?」
「あいつ幼馴染を2人連れて来るって言ってましたよね? 両方ともあいつと年の近い女の子らしいですよ」
「なんと! ……まさかあいつ、
「そんなわけないでしょう。……いや、本人は無自覚なだけかな。でもあいつからすると幼馴染2人は仲のいい友人、というぐらいじゃないですかね。その2人だけじゃなく、姫様やエクレールに対してもそういう感情なのかもしれません」
「……なるほど」
「もっとも、それはあいつと仲のいい女性陣から見ても同じなのかもしれませんが」
「タレミミはどうだか知らんが、ミルヒは……少し変わってきたようじゃぞ」
「へえ……」
俺は素直に驚く。俺の送還直前に話したときにはシンクとの話題で顔を赤くしていたことには気づいていた。だがてっきりあの様子では2人で話せて嬉しかった、程度のものだと思っていたが……。少し違ったらしい。
そうなればエクレールにはかわいそうだが勝ちの目はないと言わざるを得ない。姫様が奥手なうち、あるいは友達として見ているうちがチャンスだと発破をかけてやったのだが……。
「あいつ自身、シンクと互いを思い合う感情の温度差を少し感じ始めたようじゃ。……まあワシとしてはその結果、ミルヒを取られるということになれば少々寂しいが」
取られる、ねえ……。寂しい、ねえ……。
ここで「お前には俺がいるだろ」何て言うことも考えたが、もはやウブじゃないこの人にそんな恥ずかしいセリフを吐いたら自爆するのは目に見えてる。そのセリフはお蔵入りだ。
「まあいいんじゃないですか。周りが気を揉んでも仕方ない。俺たちは見守る側、ってことで」
「そうじゃな。……しかしソウヤ、その考え方はいささか年寄り臭くないか?」
……そうか? 偉大な剣士に「年寄り」なんて暴言を吐いたこともあったが、俺自身がそう言われるのは予想外だった。
「それに見守る側、とはな。
正直痛いところを突かれた。こいつばかりは言い返せない。
さてこういう困った時はどうするか。簡単だ。寝るに限る。幸い時間も寝てもいい具合だ。
「……レオ様、明日早くに戻った方がいいんですよね? だったらもう寝ましょうか?」
「お? なんじゃ、都合が悪くなって逃げるのか?」
「ええ、そうですよ。俺はそういう人間ですから」
ややふてくされたように俺はそう言い、昼にレオ様が着たダウンジャケットを今の服の上から着込んだ。
「寝るのではないのか?」
「寝ますよ。俺は床に寝るんで着込んでるんです。ベッドは1つしかないので、レオ様が使ってください」
当然だろう。姫君を床に寝せるわけにはいかない。まだこの季節なら少し着こんでジャケット辺りを足にかければまあなんとかなる。幸いこの建物は断熱性が高い。
しかし当の本人はありえないといった表情で俺を見つめていた。
「何を言うか! 部屋の主がベッドを使わんでどうする。ワシが床に寝る」
「そんなことできるわけがないでしょう。あなたを床に寝せたとビオレさん辺りに知られたら俺はどうなるか想像もできませんし、したくもありません」
「ワシがいいと言っておるんじゃ、ワシの命令が聞けんのか?」
「いくらレオ様の命令でもこれは譲れません」
「……そうか、そこまで言うのならわかった」
よかった、頑固な人だがなんとか納得してくれたようだ。
「ならワシとお前、2人でこのベッドで寝るぞ」
……は?
「それならワシが床で寝るわけではないんだし、お前もベッドで寝れる。問題ないじゃろ」
問題だらけだろ! と普通に突っ込みそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。
「……問題だらけです。まずそのベッドは元々1人用だから狭い。次に布団も1人用だから2人で使ったら寒い。そして3つ目、これが1番重要なことですが、そういうことには
「順序? 何を言ってるんじゃお前は?」
……あーやっぱりこの人はウブだった。結局冷やかしに対する耐性がついただけで、恋愛がどうのだとかに対してはとことん鈍いらしい。これじゃさっきの自爆を回避しても結局俺が自爆した形だ。
「……なんでもないです。ともかくその意見は却下します。俺は床で寝ます」
頭を抱えたい衝動にかられつつ、俺は靴下を履いて昼に着たジャケットを下のジャージの上にかける。
「おいソウヤ!」
「じゃあ寝ますね、おやすみなさい」
一方的に会話を切り、座布団を枕代わりにして横になるとリモコンで部屋の電気を消してしまった。
「おい! 照明を消すな! 何も見えんぞ!」
「ベッドの場所はわかってるでしょう? そこに行って布団被って寝るだけでしょうが」
取り合う気もないのでとにかく寝た振りを決め込む。レオ様も床に寝に来るのだけが気がかりだったが、どうやら諦めたらしく布団に入った音が聞こえて正直ホッとした。
「……床は寒いじゃろ? 半分空けておくから入れ」
心遣いは嬉しい。だがそれは断じて却下だ。
「……ソウヤ? もう寝たのか?」
はい、寝ました。寝ましたよ。だから何も聞こえません。
「……フン」
ようやく諦めたらしく、レオ様の声が止まってこちらに背を向けるような布団の音が聞こえた。
「……
しかしポツリと呟かれたその言葉に危うく反応しそうになる。反論したいのは山々だったが、今の俺は寝てることになってるので無視を決め込んだ。
それきりレオ様は眠りに入ったらしく、安らかな寝息だけが聞こえてきた。
……ちくしょう、意気地なしとか一方的に言ってくれる。さっきも言ったとおり順序をわきまえてるだけだってのに。……もっとも、彼女に対して取った
だが意気地なしなら、
◇
翌日は俺のほうが早く目が覚めた。冷たい床で寝たから、というのもあるだろう。ついでに硬いというのもあったせいで体の節々が痛い。
レオ様はまだ眠っている様子なのでそっとしておく。元々無理を背負い込む気質の人だから疲れも溜まっているかもしれないし、そうでなくても昨日は慣れない異世界を窮屈な服を着て歩き回ったのだ、きっと疲れているだろう。まだ6時を回ったところ、7時過ぎまで起きなかったら起こしてあげよう。
そう考えをまとめて洗面所へ向かう。顔を洗って携帯をいじりつつ部屋へ戻ると、先ほどまではぐっすり寝ていたはずのレオ様がまだ寝ぼけている様子で起き上がっていた。
「おはようございます、レオ様。もしかして起こしてしまいましたか?」
「ん……。おはよう……。いや……そういうわけではないが……」
さらにフワァ、と欠伸を1つ。
「朝食どうします? 普段俺は適当に済ませますが、お望みなら少し作りますよ」
「……頼む。洗面所を借りるぞ」
「どうぞ。ああ、味は昨日同様期待しないでくださいよ」
一応断って冷蔵庫から卵とベーコンを取り出す。普段ならこの材料からだと文句なくベーコンエッグ、あるいは玉ねぎも加えてチャーハンというのが相場だが、前者は大皿が1つのために取り分けるのが面倒、後者は朝食としては重いという理由で両方却下。取り分けやすいスクランブルエッグとベーコンをカリカリに焼いておかずにすることにした。といってもスクランブルエッグを作るためにバターだの牛乳だのそんな手の込んだことはしない。油を敷いて卵を炒めて塩コショウで味付ける、早い話が卵炒めただけベーコン焼いただけという朝食だ。あとは冷凍しておいたご飯をチンで完成、となる。
「すまんな、全てやらせてしまって」
先ほどまでの寝惚けた様子から一転し、いつも通り凛々しい表情に戻ったレオ様が部屋へと戻ってくる。
「いえ、ですが本当に侘しいですよ?」
「構わん。ワシが食べたいと言ったのじゃし……。お前が作った、ということがきっと最高の調味料として働くじゃろ」
……ちょっと待て、それは女が男に言うべきセリフと言うよりは男が女に言うべきセリフだろう。俺は断じて料理人にはならないし家事をやる気もない。それだけは自分の心の中ではっきりさせておく。
しかしどんなに心の中で言ったところで結局は尻に敷かれるのかもな、ともやはり思ってしまう。実際今朝食の準備をしてるのは自分だし、意外とこうしているのも悪くないなどと思ってしまったりもする。
……いやダメだ、俺は戦場で暴れる方が性に合ってる。夢にまで見た異世界に召喚されて料理人というのは……いや、そんなファンタジー小説を読むのは面白いかもしれないが、俺自身がそうなるのは御免蒙る。
などとアホなことを考えているうちに溶いた卵にいい具合に火が通って固まり始める。皿に取り分け、次いでベーコンをじっくり炒める。少し弱めの火力で脂を出すようにややじっくりと焼くのがカリカリに焼くコツらしい。とはいえ、市販のパックベーコンではそううまくもいかないが。だが極論を言ってしまえば食えればいいというのが俺の考えだ。問題はないだろう。
ベーコンを焼き上げてチンしたご飯を昨日同様に(ただし昨日よりは量を少なめにしてあるが)ご飯茶碗と汁碗に盛り、大皿にはスクランブルエッグとベーコンを盛り付ける。侘しい朝食の完成だ。こうなるとふりかけだとか味付け海苔だとか納豆だとか常備しておいた方がいい気分になる。いや、ふりかけや海苔はともかく納豆は保存が利かないし、俺自身は好きだが好き嫌いが激しく分かれるからレオ様には不向きか。
「出来ましたよ。本当に少ないです、すみません」
「いや、庶民の朝食というのはよくわかっていないがこういうものなのだろう?」
「……もう1品ぐらいはあるかとも思いますけどね」
いただきます、と炒めた卵を口に運び味を確認する。塩コショウのみのシンプルな味付けだがまあ悪くない。次にご飯を口に運ぶ。
「ふむ、質素な味付けに質素な食事、たまには悪くないな」
と、レオ様の感想。本人としては普通にそういう感想を口にしたのだろうが、普段から皮肉っぽくそういうことを言う俺としてはどうも勘ぐってしまう。しかしまあ実際見た目から判断すればおいしそうに食べているのだから、言葉に他意はないのだろう。
「帰るときはどうするんですか?」
「時間になったら自動的にワシをフロニャルドに戻すように召喚術式をセットしてきた」
「……もうなんでもありだな」
「それもリコッタの発明だが、無論誰でも使えるというわけではない」
「あなたが領主だから使える、と?」
「そういうことじゃ」
つまりこの人が領主をしてる間はガレット領民が地球に溢れ出すなんてことはないわけだ。昨日も異世界同士の交流の危険性を釘刺しておいたし、おそらく俺は余計な心配をしないでいいだろう。
「ああ、お前のケータイデンワの番号とアドレスというものを教えろ。そのほうがこれから便利じゃしな」
「……ちょっと待ってください。それ……もし繋がったら電話会社だとかなんだとかいろいろまずくないですか?」
「大丈夫じゃ。その辺はリコッタが……」
「また
俺はため息をこぼす。まあしかしシンクと姫様も時折連絡を取っていた、という話だったはず。なら大丈夫なのだろう。
「難しいことはよくわからんが、なんでもこちらからかけると、お前の国にある公衆電話というものの中から1つを無作為に選んでかけたことになるらしい」
……つまりフロニャルドからの着信は公衆電話からの着信扱いになる、ってことか?
「……まあリコッタが1枚噛んでるなら何も心配しなくてよさそうですが」
「そうじゃな。ともかく番号とアドレスじゃ」
まだ少し残っているご飯を食べる手を休め、手近にあったメモ帳を1枚破ってボールペンで番号と携帯アドレスを記す。
「どうぞ」
「……これだけ見てもよくわからんな。まあリコッタに見せればいいか」
「番号はわかりましたがアドレスはなぜです?」
「通話というものはこちらから発信するだけの一方通行になるが、メールというものはアドレス、というものを取得できれば相互やり取りが可能らしいからな」
……メールで繋がるフロニャルド! 連休はあなたも勇者になりませんか!? 思わず頭に浮かんだ。異世界と交流することになったらこのキャッチフレーズで決まりだろう。こんなご近所の異世界とは、俺が自分の体験を小説にしたら「そんな身近に異世界があってたまるか」と怒られるかもしれない。
「ひとまずごちそうさまじゃ」
そんな妄想をめぐらせている間に、見ればレオ様はご飯を平らげていた。おかずの皿はスクランブルエッグがまだ少しと、5枚焼いたうちのベーコンが1枚だけ残っている。
「ベーコンあと1枚食べていいですよ」
「いや、お前1枚も食べておらんじゃろ? ワシに気を使うのは嬉しいが、お前が作ったんじゃ、食べるがよい」
そこまで言われたら食べないわけにはいかない。
「じゃあ遠慮なく……」
最後のベーコンを口に運び、ご飯をかきこむ。残りの卵もいただいた。
「ごちそうさまでした」
茶を飲んで1つため息。
「お代わりもらえるか?」
マグカップを差し出しつつレオ様がお茶を要求する。
「はいはい……」
丁度自分ももう1杯飲みたかったし、と思って急須を手にポットのところまで歩く。そういえば昨日2杯目を入れたら薄いと言われたことを思い出した。まあたまにはいいか、と今使った茶葉を捨てて新しいものと取り替える。
「……すまなかったな」
そのとき突然聞こえたその謝罪の声に俺は思わず彼女の方を振り返った。
「急に押しかけてお前にこの世界を案内させて……その上食事まで馳走になって、手を煩わせた」
急須にお湯を注ぎつつ俺はため息をこぼした。
「……今更何言ってんですか」
ほんと、何言ってんだよという気持ちだ。
戻ってレオ様のマグカップにお茶を注ぐ。
「楽しかったですよ。フロニャルドじゃなくてこの日本であなたと一緒に歩けたことも、お世辞にも上手いといえない俺の料理を食べて美味いと言ってくれたことも。それに俺がフロニャルドに行ったらあなたに迷惑かけっぱなしになるんだ。お互い様……というには俺のほうが迷惑かけるような気もしますが」
「そんなことあるか。お前が来てくれるだけでワシは嬉しい。ワシだけじゃない、ガレットの皆、ビスコッティの人々も同様に……な」
「だったら俺も同じってことです。……まあできれば、今後こちらに来る時は前もって連絡してくれると助かりますね。せっかく連絡先を教えたわけですから」
「そうじゃな。……まあ、たまには来たいかもな」
「俺はこれからは毎週末にでもそちらに伺う勢いですけどね」
レオ様が微笑む。
そう、あなたのその笑顔が見たいから、俺は毎週だってフロニャルドに行くさ。フロニャルド永住はまだでも、これからはご近所だ。連絡も取れるし、いつだって会いに行ける。だからもう少し、高校を卒業するぐらいまでは俺はこのまま日本とフロニャルドを往復する生活でいいだろう。
と、その時、部屋にかつて見たことある光が溢れ出す。
「おっと、もう時間か」
レオ様がマグカップの中の茶を飲み干した。
「……名残惜しいですが、来月にはシンクとそちらに行きます。近くなったらまた連絡を取り合いましょう」
「……そうじゃな」
そう言うなり、レオ様は俺の体を抱き締める。危なく理性が吹き飛ぶところだった。
「……待っておるぞ」
耳元でささやかれ、頭がくらくらする。
「ええ、必ず行きますよ。だからさよならは言いません」
フッと小さく笑う声が聞こえ、俺の体が彼女から離れる。が、そこで彼女の全身を見て俺はあることに気づいた。
「……やべえ、靴」
「あ……」
「ちょっと待っててください、今急いで持ってきますから」
玄関までダッシュし、レオ様の靴を手に取る。そのまま戻ると光はますます強くなり、今にもレオ様はフロニャルドに戻ってしまいそうだった。
「レオ様!」
靴を手渡して手が軽くなった感覚を覚え、間に合った、と思った瞬間、目を覆うほどの光に包まれる。そしてレオ様の姿が消え――
「……え?」
早い話が、俺までフロニャルドに
「……ありゃ?」
空中から落下中、俺の姿を見たレオ様が間抜けな声を上げる。
「ありゃ、じゃないです。……レオ様、これどういうことですか?」
「……お前まで一緒に巻き込まれた、のか?」
「俺のほうが聞きたいんですけど」
……おい、さっきの感動的な別れを返せ。
「まあ……よいではないか」
「よくないですよ! 明日からは学校です!」
「なら今日1日だけ遊んでいけ。どうせもう簡単に帰れるんじゃし。そうじゃ、夕食を食べたら帰ればよい」
「確かに今日はこれから暇ですが……。いや、そういう問題じゃないでしょう!」
「キーキーやかましいのう。ほれ、地上に降りるぞ」
……まあもういいや。きっと帰れるんだろうし。俺は考えることをやめた。そんな先のことよりまず当面の問題は、今