DOG DAYS DUAL-BRAVER   作:天木武

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short / long(シンク・エクレ)

 

 

 その日、フィリアンノ城の中は朝から浮ついたような空気で満ちていた。それは騎士団の親衛隊とて例外ではなく、朝の訓練を終えた親衛隊一同を前に、隊長のエクレールが険しい表情で口を開く。

 

「いいか、今日また()()()()()ということだが、だからといって浮かれるな。今朝の訓練もお世辞にも身が入っている、とは言えない様子も窺えた。このフィリアンノ城、そして姫様をお守りするのは我々親衛隊だ。数日後にはまたガレットとの戦も控えている。決して浮かれすぎないように! ……ではこれで朝の訓練を終わりにする!」

 

 エクレールの話が終わり、辺りに弛緩した空気が流れる。私語を交わす者も多く、勇者様が参加する数日後の戦が楽しみだ、と言う者からまた勇者様と親衛隊長の模擬戦がみたい、と言う者まで。今釘を刺したばかりなのにもうこれか、と思わず小言を言ってやろうかと彼女は思ったが、かくいう自分もどうも今日は落ち着かないのは事実だし、と特に何も言わないことにした。

 

 輝歴2911年瑠璃の月。日本の暦なら12月、その下旬。大抵学校はこの時期冬休みに入るわけで、それはシンクの通う紀乃川インターナショナルスクールでも例外ではなかった。その期間を利用し、彼は三度目の訪問を予定していたのである。

 久しぶりにシンクが来る。そう思っただけでエクレールは地に足が着かないような感覚だった。何より先ほど親衛隊の一同に偉そうなことを言ったが、話してる間に「()()が大人しくできていたか」と問われたら「勿論だ」と言い返す自信もない。無意識のうちにせわしなく動いていた可能性は否定できない。事実、彼女もシンクが来ることを楽しみにしているのだから。

 

(……いかん。私までこんなことでは示しがつかん)

 

 気を引き締めよう。そう思いつつ、訓練場所の中庭から城内へと戻ろうとするエクレール。

 

「あら、騎士エクレール。丁度よかった」

 

 その時聞こえた声に彼女はその声の方へと視線を送った。呼び止めたのはフィリアンノ城メイド隊の長であるリゼルだった。

 

「リゼル隊長。私に何か御用が?」

「はい。姫様から伝言がありまして」

「姫様から?」

 

 なんだろうか。考えてみると、いくつか思い当たる節があった。とりあえず真っ先に思いついたことを口にしてみる。

 

「……召喚台までの護衛でしょうか?」

「あら、さすが親衛隊長ですわね。ご名答。この後勇者召喚のために姫様が召喚台へと向かう際、護衛をお願いしたい、とおっしゃっておりました」

 

 むう、と言いたげな表情でエクレールは一瞬黙り込む。姫様からの命令だ、逆らう余地など自分にないことはわかっているし、その命令自体に不服なわけではない。だがどうにも彼に顔は合わせにくいと思っていたからだった。

 別にケンカをした、だのそういうことはない。ただ、以前の別れ際にあんな()()()()()ことを言ってしまった、と思い出すと今でも顔が燃えそうに熱くなる。きっと当の本人はそんなの全く気にしていないだろうが、言った側としてはどうにも気になってしまうのだ。どんな顔をして会ったらいいかいまひとつわからない、というのが彼女の心情だった。

 

「……何が都合が悪かったかしら?」

 

 思わず黙り込んだエクレールを不審に思ったのだろう、リゼルが問いかける。

 

「いえ、そんなことは……」

 

 とにかく、姫様の命令なのだからそれに従うのが騎士として当然の姿だ。それに、どうせフィリアンノ城に来る、自分達の訓練にも顔を出す、そうでなくても彼は以前もそうだったように着いたら挨拶してまわることだろう。なら遅かれ早かれ、顔を合わせることになるのだ。早いか遅いかの違いだ、とエクレールは思うことにした。

 

「喜んで姫様にお供させていただきます」

「そうですか。では姫様にそう伝えておきます。半刻後出発ということでしたので、準備をしておいてください」

 

 そう言い残し、リゼルはその場を去っていく。それを目で追い、エクレールは思わずため息をこぼした。

 

「どうしました、隊長? 何か厄介事でも?」

 

 そんな彼女の様子を見て声を書ける青年がいた。実質親衛隊の副隊長格のエミリオだ。実際には副隊長ではないが、エクレール不在時には親衛隊の取りまとめも行っており、実力も親衛隊中ナンバー2との呼び声も高い。しかし本人が実力が伴っていないことを理由に今は副隊長となることを辞退していた。

 

「いや……。姫様からの命令でな。この後姫様を召喚台まで護衛してほしい、ということだ」

「それの何が不満で……。……ああ」

 

 何かを納得したのか、エミリオは1人で頷く。

 

「……なんだ貴様、1人で頷いて」

「気にしすぎですよ、隊長。今までどおりでいいじゃないですか」

「な、何がだ?」

「大方勇者様にどんな顔をして会ったらいいか、とか考えていたんでしょう? だから言ったんですよ、今までどおりでいいじゃないですか、って」

「な……!」

 

 図星を突かれ、彼女は言葉を詰まらせる。

 

「無理に何かしようとか思わなくても、普段のままの隊長の姿を見せてあげれば、それだけで勇者様は嬉しいでしょうし、十分じゃないんですか? それに自然体の方が隊長も気が楽でしょうし」

 

 エミリオに言いたい放題言われ、しかしどれも間違いではないだけに言い返せずにエクレールは黙り込んだ。

 

「リラックスですよ、隊長。どうせ勇者様はここに来るんです、いずれ顔を合わせるんだからちょっとそれが早くなっただけじゃないですか」

「……好き放題言ってるな、貴様」

「はい。こうでも言わないときっと隊長は勇者様を前にしたら緊張しっぱなしとかになってしまうんじゃないかと思いましたから」

「……フン。余計なお世話だ」

 

 そう言うと話は終わり、とばかりに隊長は副隊長格に背を向けた。それに対してエミリオは何も声をかけてこない。満足したのだろうか。だがそっけない態度をとりつつも、内心で彼女は彼に感謝していた。

 「今までどおりでいい」「普段のままの姿でいい」。そう言われただけで少し気が楽になったように感じた。

 考えてみれば自分が思い込みすぎていただけのようにも感じる。2度目の時もどう顔を合わせるか悩んでいるうちに再会して、なんだかんだ悩んでいたのが馬鹿らしくなったのだ、今回もきっとそうなるだろう。

 

(まったく……。真面目な堅物の癖にお節介焼きめ)

 

 そう思いつつ、だがそんな風に吹っ切れたのはやはり彼のおかげなのだろうと、彼女は再び心の中で感謝しつつ、召喚台へ向かうための準備をすることにした。

 

 

 

 

 

 護衛ということでミルヒに付き添ったエクレールは、今は召喚台を臨む林の中で自身の主君と、その主が異世界より呼び出す客人を待っていた。

 移動しているときからずっと姫様は嬉しそうだったな、とエクレールは思い出す。まあ当然だろう、連絡は取り合えていたようだが、顔を合わせるのは約5ヶ月ぶりだ。

 そこまで考えをめぐらせたところで、そうか5ヶ月か、と彼女は気づいた。自分でさえ久しぶりと思うのだから、姫様にとっては一日千秋の思いだったのだろう。ならあれだけ浮かれた様子になるのも仕方ないと言える。

 などと他人事のように考えているが、エクレール自身も楽しみではある。……なのだが、その前に緊張の方が先に来てしまうのだ。いや、考えすぎだろうとわかってはいる。さっきエミリオに言われた通り、平常心で今までどおりでいい。何も今回だけこんな身構えなくてもいいはずだ。

 

 エクレールがそんなことを考えているうちに、召喚台のほうから天へと眩い光が伸びていく。他ならぬ召喚の光。ああ、あの中にあいつがいるんだ、そう思うと、やはり鼓動が早くなった。

 しばらくして光が収まる。今頃はミルヒと久しぶりの挨拶でも交わしてるのかもしれない。

 

(姫様は……あいつのことをどう思っているのだろうか……)

 

 ふと考え、思わず頭を振る。

 エクレールはこう考えていた。姫様があいつを好ましく思うというのは、不釣合いだと思うし、姫様はもっと優れた方とお付き合いするべきだとも思う。そのため非常に不本意ではあるが、それでも可能なら姫様の意思を尊重したい、と。

 事実、勇者と姫、まあ厳密には姫というと当の本人は怒るのだが、ともかくそういう関係で交際をしている、という事例がここ最近、しかもよりによって()()で起こっているという話である。なら、勇者と姫という立場の人間同士が交際しても問題ない、ということが証明されていることになる。

 

 しかしそれはあくまでミルヒの意思を尊重した時のビスコッティ親衛隊長エクレールとしての意見であり、()()()としての彼女の本心はやや異なっていた。

 悔しさ、焦燥感、あるいは嫉妬……。もしかしたら将来ミルヒの夫としてシンク・フィリアンノ・ビスコッティが誕生するかもしれない、そういう未来を想像すると、先に述べた負の感情に似たようなものを抱いたしまうのを隠し切れなかった。

 

(……しかしそれではまるで私があいつに惚れているようではないか。断じて認めたくない。私はあいつのことなど、別になんとも……)

 

 だが、認めたくない、と思いながらも、認めなければ自分の元から勇者が離れていってしまうのではないか。そうも思えて、それでエクレールは悩んでもいた。

 また来てほしい。待っている。シンクにそう伝えたエクレールの心は本心だった。そこまでは認めることが出来る。が、それ以上となると認められない。ウブな年頃の彼女はどうしてもその一歩を自ら踏み出すことができずにいた。

 

(……やめよう。埒が明かない。エミリオが言ったとおり普段通りでいい。姫様があいつをどう思っていようが、あいつが姫様をどう思っていようが関係ない。またあいつに背中を預けて戦に参加できる、それだけで私は嬉しい)

 

 それを素直に認められると言うだけでも、以前の彼女と比べたら大きな進歩ではあったろう。もっとも、本人はそれに気づいていないようではあったが。

 

 と、召喚台の方から2人が歩いてくるのが見える。その片方、金髪の少年を目にして、やはりというか、エクレールの鼓動が早さを増した。その心を落ち着かせようと大きく数度深呼吸をする。

 

(よし……平常心だ……)

 

 務めて自身の心を顔に出さないように――まあつまるところいつものような不機嫌そうな仏頂面になるのだが、その表情で彼女は5ヶ月ぶりに会う勇者を出迎えた。

 

「あ、エクレ。久しぶり」

「……ああ」

「迎えに来てくれたの? ありがとう」

「まあ……姫様の命令だからな。……ほら、こいつに乗れ」

 

 淡々と答え、連れてきたセルクルをシンクの前へと歩かせる。それを彼は笑顔で迎え、その表情に再びエクレールの鼓動が早くなった。気づかれないように彼女は背を向け、自分のセルクルに跨る。

 

「さあ、行きましょう、シンク」

 

 既にハーランに乗ったミルヒに促され、シンクもエクレールが連れてきてくれたセルクルに跨った。3人をそれぞれ乗せたセルクルがフィリアンノ城へと続く道を進みだす。

 

「えっと姫様、今回の予定ってどうなってるの?」

「はい、3日後にガレットとの戦が予定されてます。その後は特に何もないですので……多分レオ様やガウル殿下がいらっしゃるんじゃないかと」

「レオ様は『恋人』を連れて、かな。了解」

 

 その「恋人」と呼んだ人間の顔を思い浮かべてだろう、ミルヒの答えにシンクが笑いながら了承の意図を示した。

 

「そういえば……シンク、そのソウヤ様とはそちらの世界でお会いになりました?」

「はい。幼馴染のベッキーとナナミと一緒に。買い物したり、ご飯食べたり、ちょっと体動かしたり……。楽しかった、って言ってくれました。あ、その幼馴染の2人ですけど、今回はあまり長くいられないから誘えなかったけど、次また3月……こっちだと珊瑚の月かな? その時にでも連れてきたいなって」

「そうですか、それは楽しみです。……でも珊瑚の月、ということは……シンクが勇者としてビスコッティにいらしてくださってから、もう1年経つんですね」

「あ……そっか」

 

 シンクが思い出すように視線を上にあげ、視界に綺麗なフロニャルドの空を捉えながらそう呟く。

 話す2人の後ろを付き添うように続くエクレールはその言葉にふと思いをめぐらせた。

 初めて会ったときのシンクはどうしようもない奴だった、とエクレールは思い出す。いや、今もどうしようもないかとも思うが。だが自分に対して「女の子?」と言った上に胸を触り、あまつさえ攻撃を誤爆して服までひん剥かれたあの時を思い出せば、あれは本当に最悪だったと言っていいだろう。

 その後は……奪還戦でコンサートに間に合わなそうな姫様をコンサートホールに送り届けたり、魔物に捕らわれた姫様を救い出せたのはシンクのおかげと言わざるを得ないし、勇者なりの活躍はした、と評価していいとは思う。

 

 それから2度目の召喚。今度は頑なに心を閉ざしていた隣国の勇者の心を、その戦の中で解放させてみせた。あれこそまさに勇者同士の名勝負と言えるだろう。後日、改めて開催され、互いにベストコンディションと言える状況で戦って引き分けた2人の一騎打ちも含めて、その2人はそれぞれビスコッティとガレットの勇者にふさわしい存在として、人々に広く認められている。

 

 思い出せば短いように感じるが、それでも充実した日々だった。そして今日またそのシンクが召喚されてきている。

 

(また……こいつと一緒に戦える、か……)

 

 はっきり言って嬉しい。が、言葉に出すのはなんだか悔しいような、恥ずかしいような。そんな感覚を覚え、黙っていようとエクレールは1人そう思った。

 

「あの……エクレール?」

 

 が、思いに耽っていたせいか、どうやらミルヒの呼びかけに気づかなかったらしい。前へ視線を向けると、怪訝そうな表情で2人がこちらを見つめている。

 

「す、すみません姫様。ちょっと考え事をしていて……。えっと、何か……」

「はい。私はこの後もまだ公務があるので……。それでシンクが是非親衛隊の訓練にご一緒したいそうなので、これからのことはエクレールにお願いしようかと」

「戦は3日後って聞いたし、その前にちょっと体動かしておこうかなと思ってさ」

「……わかりました。こいつは私の方でみっちりしごいておきます」

「えっと……戦に響いては困りますので……その、ほどほどに……」

 

 やや困り顔でなだめるようにミルヒはエクレールに声をかける。

 

「大丈夫、姫様。そのぐらいの方が僕としてはやりがいがあるから!」

「……ほう? 貴様その言葉、忘れるなよ?」

 

 言いつつ、ああ、やっぱり無駄な思い過ごしだった、とエクレールは感じていた。結局話し出せばこうなる。どんな顔をして会おう、とか何を話そう、とか考える必要もなかった。この()()鹿()にはそんなしちめんどくさいことは不要なのだ。

 だったら、共に体を動かして、また以前のような熱い日々を過ごせばいい。

 前を向いたミルヒとシンクにばれないよう、エクレールはこっそりと微笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 王立学術研究院。その主席研究室内で書き物をしていたリコッタは、書類をまとめ終えると大きく伸びをした。それから小柄な体にはやや不釣合いな椅子から降り、部屋から出て行く。

 

「あれ、主席、お散歩ですか?」

 

 と、研究室から出てきたリコッタに気づいた学院の研究員が声をかけてきた。

 

「はいであります! 今日はまたシンクが来る日でありますから、そろそろ来てると思うであります」

「あ……そうでしたね。今日は勇者様がいらっしゃる日でしたね」

 

 もう1度「はいであります!」と嬉しそうに答えたリコッタは学院の入り口へとスキップするようにうきうきと進んでいった。

 

(シンクに会えるのは久しぶりだから楽しみであります! それに……姫様、シンクに地球の甘味を持ってきてほしい、とお願いしたはずでありますから……そっちも楽しみであります!)

 

 以前ミルヒの星詠みで見た地球のスイーツを紹介する番組。その中で見た色とりどりの甘味を思い出し、リコッタは思わず垂れそうになった涎を飲み込んだ。

 とはいえ、本当にシンクがもうフロニャルドに来ているのかもまだわかっていない。来ているにしても場所もわからない、と思ったところで、向こうにそれを聞くに丁度いい人物が歩いている姿を見かけた。

 

「リゼル隊長ー!」

 

 自身を呼ぶ声にメイド長のリゼルが振り返る。

 

「あら、主席。どうかなさいました?」

「リゼル隊長、シンクってもう来てるでありますか?」

「勇者様? ええ、いらしてますよ。親衛隊長に連れられていたので、今頃中庭で親衛隊の訓練に参加してる頃かと」

「訓練でありますか? ……シンクは本当に体を動かすのが好きでありますな」

 

 少し呆れたようにため息をこぼすリコッタ。

 

「まあそれが勇者様、とおっしゃってしまえば、それまでかもしれませんが。……ああ、そういえば、主席にお土産を持って来たとか……」

「やったであります! 楽しみであります! では自分は行ってくるであります!」

 

 嬉しそうに小さく跳び上がり、リコッタは中庭の方へと駆け出した。

 中庭が近づくに連れ、騎士達の声だろうか、盛り上がっているような声が聞こえてくる。その声から普段とは違う雰囲気を感じ取り、やはりシンク1人がいるだけでまるで城内が戦勝祭のように明るい空気になるな、とリコッタは感じていた。

 

 中庭に出る。そこの中心を取り巻くように騎士達が立ちながら真ん中の2人を見つめている。その様子を横目に見つつ、やや離れたところに腰掛けるロラン騎士団長のところへと彼女は駆け寄った。

 

「騎士団長」

「おや、主席。主席も勇者殿の顔を見に?」

「はいであります。……ですが今は……」

「ああ。取り込み中、だね。見ての通り」

 

 ロランの視線の先をリコッタも追う。その先に少し前にも見た真ん中の2人――つまりシンクとエクレールの模擬戦という風景があった。

 2人とも得物は兵が普段使うような普通の剣。一見するとどちらもほぼ互角、シンクは嬉しそうな表情を浮かべて戦っているところからも軽く手合わせ、という印象を受けそうだった。

 だが戦いを見始めたばかりの研究院主席の目にはそうは映らなかった。戦では砲術士として参加することもあるリコッタだが、戦いは本分ではない。しかしその彼女をもってしても、エクレールはかなり本気になりつつあるように見えた。そしてそうさせるほどに、シンクが強くなっているのだ、ということにも気づいていた。

 というのも、シンクの故郷、地球での戦、と呼ばれるアイアンアスレチックというものを、ミルヒの星詠みを通してリコッタは見ていたからでもあった。もっとも、リコッタだけではなく、その際はビスコッティ側は勿論、ガレット側からもわざわざレオやガウル、ジェノワーズまで来て観戦していた。

 そのアイアンアスレチックの決勝、シンクは僅かな差とはいえ1年前に苦汁を舐めさせられたライバルのナナミに勝利し、優勝を収めていた。そこだけを見ても、初めてフロニャルドを訪れた時より腕を上げているということがわかる。

 

「エクレ……本気でありますね」

「やっぱり主席の目にもそう映るか。……全力ではないとはいえ、エクレールには以前ほどの余裕はなくなっているように見える。勇者殿、相当腕を上げられたな……」

 

 先ほどまで均衡していた展開は、次第にシンクが押し始めた。エクレールは得意のスピードを武器にシンクの攻撃を避けつつ反撃を繰り出しているが、同様にスピードを武器にするシンクも負けじと反撃を捌き、さらに力強さの増した一撃を放っていく。

 徐々に劣勢となっていったエクレールは武器で受け止める回数が増えていく。とうとうシンクの力の篭った一撃が彼女の持つ剣に当たり――。

 乾いた音と共にエクレールの持っていた剣が中ほどから真っ二つに折れた。

 

「……私の負け、か」

 

 しかしシンクは首を横に振る。

 

「ううん。引き分けだよ」

 

 その言葉が終えるとほぼ同時、シンクが持っていた剣も折れる。

 

「互いに武器が壊れちゃったから、引き分けでしょ?」

「だが内容はお前のお前の勝ちだ。……悔しいが」

「何言ってるの。ここに紋章術が入ってきたら、扱いのうまいエクレには僕は全然叶わないよ」

 

 エクレールはまだ何か言いたそうだったが、たとえ何を言ってもシンクには通じないと思ったのだろう、開きかけた口を閉じた。

 

「シンクー、エクレー」

 

 と、その時自分達を呼ぶ声が聞こえて2人は声の主へと目を移す。

 

「あ、リコー! 久しぶり!」

「はいであります! お久しぶりであります!」

「僕がここに来た時はいなかったと思うけど……いつからここに?」

「ついさっきでありますよ」

「……じゃあ私がこいつに無様に負けたところも見られていたのか」

「だから引き分けだって」

 

 あくまでシンクは引き分けを主張する。気を遣ってくれているのは彼女もわかっていたが、騎士としては逆にその心遣いが少し辛く感じてもいた。

 

「あ、そうだ。リコにおみやげが……」

「それ! それであります! 姫様を通してお願いしていたはずでありますが……」

「うん、たくさん持って来たよ。地球のお菓子」

 

 そう言ってシンクは自分が持って来た荷物の方へと歩いていく。その後ろをまさに小動物のように、パタパタと尻尾を左右に振らせながらリコッタが続いた。

 それを目で追いつつ、エクレールは隊に訓練休憩の指示を出した。自分も甘味は気になる。それに少し気分を変えないとさっきの敗戦を引きずりそうでまずい、そうも思ったからだった。

 

「僕は女の子の好きなお菓子とかよくわからなかったからベッキーに選んでもらったんだけど……こういうのでよかったのかな?」

 

 シンクが持って来た保冷材も入っている袋の中から紙の箱を1つ取り出して蓋を開ける。その中身を見た瞬間――

 

「「うわあ……」」

 

 エクレールとリコッタの声が綺麗にハモった。

 箱の中にあったのは眩いばかりの宝石……にも劣らない洋菓子の数々だった。見るからに甘そうで、美味しそうで、そして女性にとって天敵といえるカロリーが高そうなものばかりだった。

 

「す、す、すごいであります! 姫様と映像版を通してしか見ることのできなかった甘味が目の前にこんなにあるであります!」

「これは……美味しそうだ……」

 

 リコッタは言うまでもなく、思わずエクレールまでも箱の中のお菓子を凝視する。

 

「姫様の分は別にもう預けてあるけど、あとこれを風月庵に持っていかないといけないから、ダルキアン卿とユッキーの分は残しておいてね。……あ、でもあの2人は和菓子の方がよかったかな? まあいいや、好きなの取っていいよ」

「じゃあ遠慮なく……。エクレも食べるでありますよ」

「わ、私もいいのか……?」

「勿論。エクレにも食べてもらおうと思って持って来たんだし。あ、よかったらこれで手拭いて」

「ああ……。じゃ、じゃあ……」

 

 シンクから渡された使い捨てのウェットティッシュで手を拭いた後、エクレールは切り分けられたロールケーキを、リコッタはシュークリームをそれぞれ取り、シンクが持って来た紙皿に乗せる。そして2人同時にそれを口に運んだ。

 

「どう?」

「お、美味しい……」

「であります……!」

「そっか。よかった」

 

 嬉しそうにシンクが微笑む。それを見たエクレールは先ほど久しぶりにシンクを見たとき同様、鼓動が早くなるのを感じた。紛らわせようと残っていたロールケーキにプラスチックのフォークを突き刺して一気に口に運ぶ。

 

「あ、エクレもう食べちゃったんだ。ロールケーキ気に入ってもらえた?」

「あ、ああ……」

「なんでもここのロールケーキはすごい人気らしいよ。卵が違うから、スポンジのふわふわ感が他の店じゃ真似できないとかなんとか……。ベッキーが力説してたよ、自分が食べたいぐらいだって。僕はお菓子に詳しくないから忘れちゃったけど……」

 

 そう言ってアハハ、とシンクは笑う。

 

「シンク、エクレが食べたのが気になるでありますが……まだ食べてもいいでありますか?」

「勿論いいよ。はい」

 

 箱をリコッタのほうに向けて差し出す。そこから彼女は遠慮なくロールケーキを取り出した。

 

「ではいただくであります。……おお! このふわふわの食感にほどよい甘さ……完璧であります! シンクはいつもこんな美味しいものを食べてるでありますか!?」

「いや、さすがにいつもじゃないよ。それに人気のお店だと売り切れちゃうこととかもあるみたいだし」

 

 シンクの説明を聞いているのかいないのか、その後もリコッタは「もうちょっといいでありますよね?」と全部食べそうな勢いでタルト、ワッフル、またロールケーキと食べ進めていく。

 

「リコ、そこまで。これ以上は風月庵の2人の分がなくなっちゃうから……」

「ううー……。全部食べたかったであります……」

「いや、食べすぎだ……」

 

 悲しそうな表情のリコッタに呆れつつエクレールが突っ込みを入れる。箱の中にあったお菓子は既に半分近くリコッタ1人の胃袋に収まってしまっていた。

 

「リコはたくさん食べるとは思ってたけど、これはちょっと予想外だったかな……。まあ持って行く分は残ってるからいいか。……で、リコ、満足してくれた?」

「はいであります! 大満足であります! ……もうちょっと食べたかったではありますが」

「そっか。よかった。エクレはどうだった?」

「言っただろう。美味しかった、と」

 

 言葉にそぐわない、いつも通りの不機嫌そうな表情でエクレールは答えた。

 

「そう? それにしてはなんだか不服そうだけど……」

「そんなことはない」

 

 やはり変わらぬ表情のエクレール。

 

「あ、わかった。本当はリコみたいにもっと食べたかったけど、騎士としてそんな格好は見せられない、とか意地張っちゃったんでしょ?」

「そんなわけあるか! ……貴様は私を馬鹿にしてるのか? それに不服そう、と言ったが、生まれつき私はこういう顔だ」

「うーんそうかあ……。なんか、勿体無いと思うけど……」

「勿体無い……?」

 

 意図が解りかねる。そう思った彼女は次のシンクのセリフを全く予想していなかった。

 

「うん。そういう不機嫌そうな顔をしてるのも……まあエクレっぽいとは思うけど、でもやっぱり笑った方がエクレはかわいいんじゃないかな、って思って」

「か、かわ……!」

 

 一気にエクレールの顔が紅くなる。最初こそ緊張したもののその後は普通に接することが出来ていただけに、この一言はあまりに急で心の準備が全くできていなかった。故に耳まで顔を真っ赤にすることとなる。

 

「あれ? エクレ顔真っ赤だけど大丈夫? 熱でもあるじゃない?」

 

 さらに固まるエクレールの額に、お菓子の箱を置いたシンクの手が当てられる。この追い討ちが完全にとどめだった。

 

「な……な……!」

 

 完全に頭の中がパニック状態になったエクレールは反射的に拳を握り締め――

 

「こ、こ、このバカ勇者があー!」

 

 見事なボディーブローをシンク目掛けて全力で打ち込んだ。

 

「おごふぉー!?」

 

 聞くからに痛々しい声と共にシンクが悶絶し、お腹を抑えて地面を転がりまわる。無理もない、戦で敵に放てば即だま化レベルの一撃だ。

 

「き、騎士の額に気安く触れるなと言ったろうが! このアホが!」

「い、痛いよエクレ! ひどいよ!」

「やかましい! 自業自得だ!」

 

 結局いつも通りか、とリコッタは苦笑を浮かべてため息をこぼす。以前よりもエクレールは素直になったとは思うが、やはりこういう不意打ちには弱いようだ。自分は大歓迎なのに勿体無いとも思う。

 

「まあエクレ、その辺にして……。それはそうとシンク、この後風月庵に行くでありますよね?」

「あー……。うん、そうだよ……」

 

 まだお腹を抑えてうずくまったまま、シンクは顔だけを上げてリコッタに答えた。

 

「だったらエクレ、シンクと一緒に風月庵に行ってあげればいいであります」

「な、なんで私が!?」

「自分がついていければいいでありますが、まだ書類まとめの途中で……。お客様である勇者様を1人で行かせる、というのもなんだか悪いような……」

「別に1人でいいだろう。子供の使いじゃないんだ、お前だって道ぐらい覚えてるだろう?」

「覚えてはいるけど……。でもせっかくなんだし、僕としてはエクレと一緒に行ける方が嬉しいかな」

「なっ……!」

 

 まだお腹を抑えつつ、だがようやく立ち上がれたシンクの、歯に衣着せぬ言葉に再びエクレールが赤面する。一方でリコッタは狙い通り、とばれないように唇の端を僅かに上げていた。

 

「そうでありますよ、エクレ。シンクもこう言ってるでありますし、お世話係としてはついていってあげなくてはダメであります」

「し、しかし親衛隊の訓練が……」

「それでしたら自分が代行で隊を見てますよ」

 

 そこで会話に割り込んできたのがエミリオだった。

 

「エミリオ!? でも私は……」

「主席がおっしゃったとおり客人の勇者様を1人で行かせるのはあまりよろしくないのではないでしょうか。それに勇者様は隊長といけるほうが嬉しい、とおっしゃったんですから、他でもない隊長がついていってあげた方がよろしいかと。なので自分が隊を見てますよ」

 

 むう、と悩んだ表情のエクレールだったが、やがて諦めたように大きくため息をこぼした。

 

「……わかった。そこまで言うなら仕方ない、私がついていってやろう。……それで満足か?」

「うん! ありがとうエクレ!」

 

 勇者は満面の笑みで親衛隊長に感謝を述べる。その表情に再び顔を赤らめ、エクレールは瞳を逸らした。

 

「あ、エミリオさんもありがとう。ちょっとエクレ借りますね」

「はい。隊長をよろしくお願いします」

 

 それに対して「了解!」とシンクは嬉しそうに答える。

 そしてシンクとエクレール、2人の視線が自分から外れたのを確認してエミリオは傍らのリコッタにチラッと視線を送った。それを見たリコッタは小さく微笑み、親指を上へと向けて見せた。

 

 

 

 

 

 

 風月庵に向けてフィリアンノ城を出発したシンクとエクレールの2人だったが、エクレールは明らかに緊張した面持ちだった。別にさっきまで模擬戦をしていたわけだし、その前だって他の人はいたとはいえ話もしている。

 だが2人きりになって、というのは今回の訪問では初めてだった。そのため、否が応でも相手を意識してしまい、何を話すか、どう振舞うのかで困ってしまっているのだった。

 どうしたものかとエクレールがシンクをチラリと横目に見つめる。それだけで、今ここには自分と2人しかいない、ということを再認識し、やはり鼓動が早くなる。

 

 と、その勇者がお腹を抑えているのがわかった。そこで彼女はようやく思い出す。先ほど本気で殴ってしまった、ということを。

 自業自得、とさっきは言ったし、そう思っているのも事実だ。が、それにしてはいささか強く殴りすぎた気もする。

 

「シ……勇者、さっきは思わず殴ってしまったが……その……大丈夫か?」

 

 仏頂面ではあるものの心配する言葉をなげかけつつ、だが()()()ダメだった、とエクレールの気持ちは僅かに沈んだ。

 彼の名を呼んだことはある。だがそれは()()()()()()ところでだ。つまり本人を前にして名で呼んだことは未だないのだ。いつかは呼びたい、そう思っていても今までどおりの「勇者」だの「貴様」だの、そんな呼び方しか出来なかった。

 

「あ、大丈夫だよ。鍛えてるから。でも心配するぐらいなら、最初から殴らないでいてもらえると僕としては嬉しいけど……」

「フン、貴様がアホなことばかりするからだ」

「ひどいなあ……。さっきのはエクレを心配しての行動だったんだけど……」

「だとしたら記憶力も相当なものだな。『騎士の額に触るな』と最初来た時に言っただろう?」

「でもその後のコンサートの時、思わず手握っちゃったけど、何も言い返してこなかったし」

 

 う、と思わずエクレールは言葉を詰まらせる。

 そういえばあの時はそうだった。そしてその後も「なるべく早く、また帰って来い」とも言ったし、もらったリストバンドを後生大事に身につけていた。いや、リストバンドは今も身につけているか。

 

 だが次にシンクが来た時、()()()()()()()はそこではなかった。せっかく前進したと思ったのに少し後ろからのスタート。早い話が、シンクが前回最後に帰る時ほど素直に話すことが出来なかったのだ。

 それでも彼の滞在中、前回同様に少しずつ彼女の心は打ち解けていった。隣国の勇者のお節介もあったせいだろう、帰り際には「また来てくれて嬉しい」と、少し素直に自分の気持ちを伝えることが出来た。

 

 しかし今回もスタートラインはまた少し後ろ。かつてはシンクの言ったとおり手を握られてもそれを許容したというのに、さっきは反射的に手が出てしまった。これではもう1歩を踏み出して名前で呼んでみよう、などまだまだ先のことである。

 

「それにさ、エクレ」

「……なんだ?」

 

 心の中での葛藤を悟られないように、努めて平常を装ってエクレールは答える。が、それも無駄な努力だったと、この直後彼女は知ることになる。

 

「さっき……僕のことを名前で呼んでくれようとしたでしょ?」

「な……!」

「確かエクレが僕のことを名前で呼んでくれたことってなかったと思ったから嬉しかったんだけど……。よかったらさ、名前で呼んでくれない?」

「な……な……!」

 

 顔を真っ赤にしたエクレールは呆然とした表情で魚のように口をパクパクとしている。その様子に思わずシンクは小さく吹き出した。

 

「エクレ……なんか面白い顔になってるよ?」

「ぐ……。わ、悪かったな。生まれつき面白い顔だ」

「はは……。まあそれはともかく……。エクレ、僕のことは名前で呼んでよ」

「なんでそんな今更……」

「その方が僕が嬉しいから。僕のことを名前で呼んでくれる人が増えて、リコとかも名前で呼んでくれてるから、やっぱりエクレにも呼んでもらいたいなって。ダメかな?」

 

 自分に真っ直ぐに向けられた瞳を一度直視し、まるで煌く何かを見てしまったかのようにエクレールはその視線を逸らす。

 

「……ダメ……じゃない……」

 

 一瞬の間を空け、搾り出すようにそう呟いた彼女の言葉を聞き、彼は嬉しそうに表情を崩した。自然とセルクルの速度が落ちた彼女に合わせ、自分のセルクルの速度も落としてゆっくりと並走する。

 横に並んでからも、シンクは特に急かさなかった。恥ずかしそうに俯く彼女の横顔をじっと眺めつつ、自分の名を呼んでくれる時を待っていた。

 

「シン……ク……」

 

 そのまま永遠に続くかと思われた沈黙は、震えるエクレールの声によって破られた。自身と肩を並べ、戦場では背中を預け合う勇者を、初めて本人を前して名前で呼んだ瞬間だった。

 

「うん! ありがとう、エクレ!」

 

 眩いほどの笑顔で、シンクは嬉しそうに微笑む。再び、恥ずかしそうにエクレールは俯いた。

 だが、そんな恥ずかしいという気持ちと別な思いもまた彼女の心の中に芽生えていた。

 

(やっと……名前で呼ぶことが出来た……)

 

 いつかはそうしたい、ずっとそう思っていた。それでも出来ずにいたことが、今日ようやく叶った、叶えられたという小さな喜び。

 いや、それ以上に彼女の心に残ったのは自分に見せた彼の笑顔だった。見るもの全ての心を暖かくするような、勇気づけるような、太陽のようなその笑顔。

 殊にこの少年において、そこには持って生まれた才がある、と思わずにはいられないほどだった。隣国の勇者が「自分にはない」とよく言っていた人を惹きつける才。結局はそう言ったそのひねくれものの勇者も彼に心を開き、今やビスコッティの人々皆が勇者シンクの活躍を心待ちにしている、そう言ってもいいほどだ。

 だからきっと自分も惹かれたのだ、そう自覚する心がエクレールの中に生まれていた。そこに気づいたところで自分はシンクに惹かれている、と認めざるを得なくなってしまったのだった。

 認めたくない、という以前の気持ちはまだある。だが、それ以上に彼の言葉、彼の笑顔……それらがエクレールの意固地な心を氷解させていったのだった。

 なるべく早く帰って来い、と伝えられた。また来てくれて嬉しい、と伝えられた。そして今名を呼ぶことが出来た。なら……もう一歩踏み出してみるのもいいかもしれない。自分のこの気持ちに素直になるのもいいかもしれない。

 

(ああ、らしくないな)

 

 でも、それも悪くないかもしれない。思わずエクレールは小さく笑みを浮かべた。

 

「あ。エクレ、今笑った?」

 

 それに目ざとくシンクが気づく。

 

「い、いや別に……」

「隠さなくていいよ。さっき言ったじゃん、エクレは笑った方がきっとかわいい、って」

 

 思わずエクレールは心の中でため息をこぼした。

 見事な殺し文句だ。笑うのは苦手、とわかっている彼女だが、その言葉に心動かされる。

 さっき一歩を踏み出せたのだ、なら、もう一歩も踏み出せるかもしれない。

 

「……笑うのは得意じゃない」

 

 そう言いつつも、彼女はぎこちない笑顔を浮かべてみせた。それを見たシンクは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐその表情を崩す。

 

「やっぱり……! 笑った方が絶対いいよ!」

「フン……。おだてるのがうまい奴だ」

 

 心とは逆、いつも通りの言葉が口を突いて出る。しかし彼女の本心は……。

 

 ただただ、嬉しかった。

 

 その気持ちから、さっき気づいたこと、それが彼女の心の中で否定できないこととして改めて広がる。

 それは、自分がシンクを異性として気にかけてしまっているということ。笑顔が似合うと言われて嬉しさを覚え、胸が高鳴る。

 

 これはもはや「恋」以外の何物でもない。

 そうだ、自分はシンクを、この馬鹿で女心もわからないような鈍いアホ勇者に、間違いなく恋してしまっているのだ。エクレールは再度、改めて実感した。

 

 どうしても意地を張ってしまう自分だが、この気持ちにだけは素直になろう。いや、なりたい。そう思った。

 だから……次はこの気持ちを彼に伝える。それが彼女にとっての最後の一歩、と言っていいだろう。だがその一歩はこれまでの歩みとは全く異質だ。ここまで彼女としてはそれなりに荒れた荒野を歩く一歩程度だったが、最後の一歩はまさに断崖絶壁に掛けられた綱を渡るにも等しい行為。決意と覚悟が必要だった。

 

「……あ、そういえばさ、エクレ」

 

 しかしそんな彼女の内心に全く気づく気配もない勇者は普段通りの明るい調子で声をかけてくる。

 

「……なんだ?」

 

 彼女も彼女でその内心を悟られんとして、なるべく普段どおりの声で返した。

 

「今回姫様のコンサートって予定されてる?」

 

 自分の話題から離れたことにホッとしたような、どこか残念なような、そんな思いが心に渦巻く。とはいえ、質問には答えるのが礼儀だろう。

 

「勝てば戦勝イベントとしてあるかもしれんな。普通には予定されていない」

「そっか……。じゃあなんとしても勝たないと! 久しぶりに姫様の歌が聞きたいし!」

 

 ミルヒの歌を聞きたいのはエクレールも同じだった。心に安らぎを与えてくれるような姫君の歌声は国の内外を問わず人気が高いし、彼女も大好きである。

 

「なら今度の戦に勝つことだな。しかし相手はガレット、あの()()()勇者も来てるはずだ。一筋縄ではいかんぞ」

「わかってる。でも僕は負けないよ!」

 

 どこからこの自信が来るのか。思わずエクレールはため息をこぼす。

 

「でも姫様のコンサートっていえば……前回はレオ様も一緒にステージに立ったんだよね」

「ああ……」

 

 シンクが2度目の訪問した際のコンサートでは最後にレオがステージに立ってミルヒと一緒に歌うというサプライズがあった。観客の誰もが予想できなかった展開にコンサートホールは大いに盛り上がったのを彼女は思い出した。

 

「……今度はエクレもステージに立ってみたら?」

「はぁ!?」

 

 予想もしてなかった一言にエクレールは驚きを隠せなかった。

 

「馬鹿を言うな! 私はそんなこと……」

「でもレオ様も歌ったんだし、いいんじゃない? それに姫様が着てるようなステージ衣装を着たら、きっとエクレも似合うと思うよ。……そういえば姫様はコンサートの時はまとめてる髪をほどいてるんだっけ。じゃあステージ衣装が無理ならさ、エクレも髪を伸ばすってのはどうかな?」

「髪を……伸ばす……」

 

 右手で緑の自分の髪をいじる。動きやすいよう、戦の邪魔にならぬように、物心ついたときから彼女の髪は短く切り揃えられている。今まで伸ばそうと考えたこともない。

 

「……お前は……髪が長い方が好みなのか?」

 

 言ってから、らしくないことを聞いてしまったとエクレールは後悔する。だがシンクはそれに特に突っ込むことなく、うーんと言いつつ考えているようだった。

 

「どうかな……。考えたことないけど……。でも長い髪のエクレも見てみたいな、って思うんだ。さっきの笑顔みたいに似合うんじゃないかなって。だから……エクレも、姫様みたいに髪伸ばしてみたら? その方がきっと似合うと思うよ」

 

 言葉と共に向けられた笑顔に彼女の心が高鳴った。

 

(そんな笑顔を向けられたら……断りたくても断れないだろうが……)

 

 俯き、一呼吸置いて口を開く。

 

「……わかった。伸ばして……みる……」

 

 口調こそためらい気味だったが、心はその前にもう決まっていた。きっと似合う、なんて言われたら伸ばしてみるしかない。すっかり乙女心となってしまった彼女は、あっさりとそう決意したのだった。

 

「本当!? うわあ、髪が伸びたエクレってどうなるんだろう……楽しみだなあ……」

 

 一方でシンクは能天気そうにそんな声を上げる。

 しかし髪が伸びるまでどのぐらいか。長くなればなるほど手入れは大変だと聞くし、結構な時間がかかるかもしれない。

 だが、エクレールはそのことに気づいた時、別なことを考えていた。

 未だ踏み出せずにいる最後の一歩。その一歩はこの髪が伸びた時に踏み出そう。髪が伸びた分だけ時間が経ち、自分が成長したことになる。その間に自分の気持ちももっと素直になって、きっとこの気持ちを伝えられるようになる。そんな願掛けの思いもあったのだろう。

 

「……シンク」

「何?」

 

 それまで、この気持ちは保留だ。そう決心し、少し安らかな顔で彼女は名を呼んだ勇者を見つめた。

 

「……姫様と同じぐらいまで髪が伸びたら言いたいことがある」

「髪が伸びたら? 今じゃダメなの?」

「ああ。ダメだ」

「ふうん……。なんだかよくわからないけど……。わかった、エクレの髪が伸びるのを楽しみにしてるよ」

 

 そう言って、彼は今日何度目かわからない笑顔を見せた。

 

(そうだ、その眩しいまでの笑顔を直視するために、私はこの髪と共に成長する。そして、いつか……)

 

 エクレールは小さく笑みをこぼした。

 

「だがその前に、お前が勇者として不適格という烙印を押されてフロニャルドを永久追放になるかもしれんがな」

 

 そしていつも通り、辛辣な言葉を口にする。

 

「ええー!? そりゃないよエクレ!」

「なら勇者として恥ずかしくない活躍をすることだな。まずは次の戦、そこで勇者シンクの雄姿をビスコッティの人々に見せてみろ」

 

 いつもの調子に戻ったエクレールに対してシンクが「勿論!」と拳を握り締めて見せる。フン、と再びエクレールは小さく笑い、進行方向を見つめなおした。

 その視線の先に将来の髪を伸ばした自分の姿が見えた気がして、エクレールは思わず鼻を鳴らした。

 

 




瑠璃……ラピスラズリ。12月の誕生石。
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