◇
この家を目指して駆けて来る何者かがいる――。
その女性はそう気づいたが、すぐに警戒心を解いた。今走ってくる足音はセルクル、しかもこの家から出て行ったものだ、とわかったからだ。それが正しいことを証明するかのように、外の鳥舎に何かを繋ぐ音が聞こえてくる。
彼女は入り口へと向かう。出迎えは本来自分ではなく
玄関の前に立つとほぼ同時、入り口の扉が開いてやや疲れた様子の家主が入ってくる。その疲れのせいで出迎えの
「お帰りなさいませ、ソウヤ様」
「ただいま戻りました。……まさかずっとここに?」
「いえ。ヴィットが近づいてくる足音が聞こえましたので」
「さすがですね。出迎えありがとうございます、
家の主にそう声をかけられ、ガレットの近衛隊長であり今は家政婦を担っているビオレ・アマレットはにこりと微笑んだ。
ここは現在ソウヤが暮らしている別荘であった。休養期間中は城とは離れた場所で暮らしたい、というソウヤの主張からだった。そうでもしないと彼の妻はゆっくり休もうとしない、という懸念を抱いたからである。そして別荘に移る際、ビオレが護衛役兼使用人として名乗り出てくれ、家事の一切を担ってくれていた。
「レオは?」
「奥におられます。手が離せないようでしたので……」
「
苦笑を浮かべつつ、ソウヤは奥の部屋へと進む。
「ご夕食はいかがなされますか?」
「レオとビオレさんはもう?」
「はい。先にいただきました。そう言われましたので」
「先に食べるように言っておいて正解でしたね。やはり意外と時間はかかりましたから。食事は居間にお願いします。あと酒の方も」
最後の部分を聞いたビオレの顔が僅かに曇るが、
「かしこまりました」
一礼し、その顔を戻した時にはもう元の表情に戻っていた。
台所へと向かったビオレと別れたソウヤは居間を通り寝室へと向かう。おや、と思いながらソウヤは寝室の扉を開けた。
「レオ、レグは……」
照明の落ちた暗い部屋を覗き込んだソウヤだが、すぐに「しーっ」という声を聞いて言葉を切った。
人差し指を口の前においてそう言った彼女は、寝巻き姿ではあったが雰囲気から高貴な威厳を放っている。長く美しい銀の髪と、それと同じ色の猫のような耳。かつてはガレットの領主であり、今はソウヤの
「……今ようやく寝たところじゃ」
「……そうか」
フッとソウヤの顔が緩む。そしてレオの傍らで静かにに寝息を立てる
「……
優しく頭を撫でながらソウヤが語り掛ける。その頭には銀、というよりは灰に近い髪が僅かに生え、それと同じ色の耳が頭にある。まだこの世に生を授かって1年にも満たないその姿。
レグルス・ガレット・デ・ロワ。それが
我が子を見るたびにソウヤは穏やかな気持ちになる。髪や耳はレオの血を濃く受け継いでいるが、今は閉じられている瞼の中の黒い瞳を見ると自分の血が受け継がれているとわかるからだった。何より、レオの血を濃く受け継いだ部分が耳だった、というところにソウヤは安心していた。もはやフロニャルドの人間となった彼であったが、容姿はこの世界の人間と異なる。特に耳と尻尾である。かつて彼が読んでいたファンタジー小説においてハーフという存在は迫害の対象として描かれることが多い。そのことが気がかりで、そこだけは自分に似てほしくない、フロニャルドの人々の姿であってほしいとソウヤは願っていた。
もっとも、一説には「フロニャルドで生を受ければ、耳と尻尾を持つ容姿で生まれてくる」というものもある。そうでなくてもフロニャの守護力はこの世界で生を受けた者が受けられるのだから、その説は意外と有力かもしれない。だとすればソウヤの取り越し苦労ではある。
「ソウヤ、夕飯は?」
そんな夫にレオが声をかける。顔色から少々疲れている様子をレオは感じ取っていた。
「まだだ。今ビオレさんに用意してもらっている」
「そうか。話が聞きたいから、食べ終わった頃にそっちに行く」
「ああ」
やや名残惜しそうにソウヤはレグルスの頭から手を離す。そのままなるべく足音を立てないように寝室を後にし、着替えるために自分の書斎へと向かった。本来なら寝室ですませたいが、音を立ててレグルスを起こしたくないからだった。
身軽な格好へと変わって居間へと戻ったところで、丁度ビオレが夕食を持ってきてくれた。
「どうぞ。
「ありがとうございます。……いただきます」
ソウヤの目の前の器には日本ではよく食べられることのある料理、今ビオレが言ったとおりの肉じゃがに似た料理が盛り付けられていた。これはソウヤがレオやビオレに教えた料理の一つで、それからガレット国内に家庭料理として広まり、今では時折ガレットの家庭でも食べられるようになったものでもあった。材料はよく似ているがいわゆる地球の野菜とはやはり少し異なる。とはいえ、味付けもその料理の雰囲気も非常に元に似ており、ソウヤはこれを食べるのが好きだった。
料理を食べ始めてしばらくしたところで、ビオレがガレットの特産品でもある果実酒を持ってくる。
「復帰戦となった久しぶりの戦はいかがでしたか?」
「やっぱり戦場で暴れてる方が俺の性にあってるみたいです。ヴィットの奴も嬉しそうでした」
フフッと笑ってビオレがグラスに酒を注ぐ。
「ビオレさんも、たまには付き合ってくださいよ」
「私は使用人ですから……」
「そんな堅いことは言いっこ無しですよ」
「では……お言葉に甘えて」
ビオレの手から酒のボトルを奪うように取り、ソウヤはビオレの前にグラスを置くと酒を注ぎ返した。その様子に思わずビオレが困った表情を浮かべる。
「先代領主の伴侶様に注いでいただくなんて……」
「今更そんな畏まる必要もないでしょう。昔は俺を騙したことも、殴ったこともあるんですし。……じゃあ俺の復帰を祝って乾杯、ってことで」
一方的にグラスを合わせてチン、と音を鳴らすとソウヤはグラスの液体を半分ほど喉へと流し込んだ。
「……くれぐれも飲みすぎには気をつけてくださいね」
小言をぼやいてビオレも一口グラスに口をつける。
まあぼやきたくもなるだろう。ビオレはここ最近の彼の飲酒量が少し気になっていた。元々飲む人ではなく、レオと結婚して彼女が使用人になった直後は特別な席で飲む程度だった。だが近頃は毎日飲むようになっている。
心中を察すれば当然ともビオレには思えた。彼はレオと一緒に新婚旅行と、その後の家庭のために1年間休養をもらっていたが、
しかし予想以上に心労がたまっている、というのは傍から見てもわかるほどだった。彼がその心労を抱える必要は本来ない、と言ってもいい。だが
だが飲む量が増えたとはいえ、まだ特段に気にかけるほどでもない。そうも思ったから、ビオレは小言でとどめたという意味合いもあった。
「……ワシ抜きで2人で晩酌か? ソウヤ、貴様ビオレを口説いていたのではないだろうな?」
寝室の方から聞こえた声に2人がその声の主を見上げる。まだ酔いは回ってきていないだろうが、ソウヤは少し愉快そうに、いや、どちらかといえば自嘲的かもしれないが、口の端を上げてレオの問いに答える。
「どんなに口説いたってこの人には無意味だよ。それは彼女に格別の信頼を置いているお前の方がわかってるだろう?」
フン、とレオはレグルスを抱いたままソウヤの隣へと腰を下ろした。
「レオ様、ソウヤ様とお話するのであれば私がレグルス様を見ておりますが……」
「いや、構わん。レグは寝付くまでかかるが、寝付いてしまえばなかなか起きんからな。その代わりというわけではないが、ワシにも飲み物を持ってきてもらえるか?」
「もうしばらく酒はやめておけよ」
「言われるまでもない。ビオレ、ミルヒからもらった茶があったろ? それを頼む」
「かしこまりました」
ビオレが飲みかけの酒を置いて立ち上がる。ソウヤは肉じゃがを日本ではあまり見ないであろう、スプーンで口元へと運び、次いで酒を呷った。
「お前も人に言う前に酒は控えたらどうじゃ?」
「飲みたくもなる。……
「……やはりお前が行って正解だった、というわけか」
答える代わりにソウヤはグラスの中身を空けた。
同時にビオレがティーカップとポットを持ってきてレオの前へ遠く。慣れた手つきでカップへと茶を注ぎ、次に空いたソウヤのグラスへと酒を注いだ。
「100対500だった。俺が着いたときにはエクレールが大分無茶をしていたおかげで4割ほどは戦力を削っていたようだが」
「ほう。やるようになったな、タレミミも」
「……だといいんだが」
「何かひっかかるのか?」
新たに注がれた酒を一口引っ掛け、ソウヤは息を吐いた。
「……あれじゃあまるで死に急いでいるようにしか見えん」
「死に急いでいる……?」
「ああ、実に
……だがあれじゃそのためには自分の命までも平気で献上する、って具合だ。事実、あいつは明らかに紋章術を使いすぎていた。自分の体を顧みずにな」
「騎士としては正しいお姿なのでは……」
ビオレが口を挟む。通常使用人が口を挟むなど断じてありえないことではあるが、元々彼女は近衛隊長だ。こういうときには意見が聞きたいからむしろ率先して会話に入ってきてほしい、と以前からソウヤとレオが言っていたのだった。
「確かにそうかもしれません。ですが……あいつに何かあったら、
「なるほどな」とレオが相槌を打つ。まるで姉妹のように長い間接してきたレオならわかる。ミルヒは優しい。が、その優しさゆえ時にもろくもある。両親の行方が知れない、そんな状況ならこれ以上誰も失いたくない、そう考えるだろうとレオは予想した。ソウヤもそのレオと同じ考えに至ったのだろう。
「あいつはそこをわかっていない。自分は姫様の剣で、折れるまで戦うと言った。だがそれは姫様は望まないとしたら? ……それは俺が口で言うよりあいつ自身が理解した方が早い。一応釘は刺しておいたとはいえ、それがわかるかどうか……」
「それでは、奴の
「ラッキーボーイかと思ったが……
「あの堅物も家庭を持つ、ということを経験すれば変わるじゃろうにな」
抱きかかえたレグルスを見つめてそう呟きつつ、レオはティーカップを口に運んだ。実際、「家庭」というものは彼女が思っていた以上に甘美なものであり、ソウヤも同様のようであった。堅物のエクレールであってもそれは同じであろうし、殊に自身が子を産むという経験をすればなおさらだ。守るべき、愛する我が子は目に入れても痛くないとレオが思えるほどなのだから。
「まあそれがあいつだ、と言っちまえばそれまでだ。それより問題は……」
「ミルヒ
グラスを傾けて一口酒を飲んだところでビオレはそう口にする。
「そうです。……この異常すぎる事態の宣戦布告を受けた、その理由を聞いたら自分の失政が招いた結果かもしれない、だったら自分が降伏して誘拐されたとしてもその理由を聞きたいと平然と
「おい、ソウヤ」
姉妹同然の友を侮辱するようなその言葉に、思わずレオの言葉が鋭くなる。
「……すまない。思い出したら
「今日はお前の世界の曜日でいうと……
「そういうことだ」
吐き捨てるようにそう言い、不機嫌そうにソウヤはグラスを空けた。
「ビオレさん、もう1杯お願いします」
「ソウヤ様、飲みすぎは……」
「もう1杯までは勘弁してください。そうでもしないとやってられません」
ため息をこぼしつつビオレがソウヤのグラスに自分の髪と同じ色の液体を注いでいく。それを見つめつつ、重々しくソウヤは続きを口にし始める。
「……例え誘拐されようが
「それだけが原因ではないだろう」
「それはそうだが……。行方がわからなくなった先代領主がいつか戻ってくる時があったとして、その時に恥ずかしくないようしっかりしなくてはいけない、という部分が余計に彼女を締め付けている、それもわかっている。しかしそう思っていながら、あいつが来ればなんとでもなる、と思ってしまっているというのは……やはりよろしくない」
「しかしソウヤ様、それでミルヒ姫様を責めるのはお門違いかと……。かといって、
「わかっています……!」
渦中の人間の名前を聞き、思わずソウヤはビオレの言葉を遮った。ギリッと奥歯を鳴らし、グラスを持つ手に力が入る。
「……わかっています。……あいつにそれを当たるのも、だからと姫様を責めることも本来は筋違いだとわかっているから……俺はこうするしかないんです……!」
並々と注がれていた液体をソウヤは一気に飲み干し、少し乱暴に机にグラスを置いた。
ソウヤがここまで苛立っている大元の原因は、こんな状況でミルヒを支えるべき存在であるシンクが未だ身の振り方を決め兼ねていたからだった。「勇者」というのは本来召喚勇者の事を指し、つまり客人扱いであり、今のソウヤはもう勇者という存在ではなくなっていた。
遡ること3年前、18歳で高校を卒業すると同時にソウヤはフロニャルド永住を決めた。この時からソウヤは勇者ではなくなった。そしてその1年後、すなわち今から2年前に領主から退いて顧問役となったレオと結婚。以降は「先代領主伴侶」でありながら、本人の希望により現場に残り、「王族騎士」という立場である。
一方のシンクは今もまだ勇者のままであった。
けれどもソウヤとしてはその態度がどうしても納得しかねていた。結局のところ「自分ではなく姫様を選んだ」という形を突きつけられたエクレールは背中ぐらいまで伸ばしていた髪をばっさりと切り、同じ親衛隊の副隊長であるエミリオの求婚を受けた。その上で「自分は姫様の剣として戦う」と改めて誓い、主と騎士である自身との間に私情を挟まない、と己の心を殺す決心までしていた。なのにエクレールがそうなっておきながら、シンクが心を決め切れていない、という部分がソウヤは不服なのだ。
加えて2ヶ月前のミルヒの両親、すなわちビスコッティ先代領主夫妻の失踪。これにより辛い状況を背負うこととなった彼女を支えるべきは他ならぬシンクであるはずなのに、それでも態度は保留したままであった。結果としてミルヒは懸命に努力しているもののどうにも空回り気味となり、さらにシンクへの依存が高まっている。加えて20歳というミルヒの年齢。王族である彼女だ、結婚は既に遅いぐらいでもある。噂によると持ち上がる縁談の数も1つや2つでは到底すまないらしい。ならば一刻も早くシンクは態度を明確にするべきだろう。
とはいえ、同時にソウヤは板挟みの状態にもあった。早々とフロニャルド永住を決め、レオと結婚したソウヤだったが、家族や友人や元の世界での生活も考えればその決断は通常は困難である。両親を既に失っていたソウヤと地球に多くの知人を残すシンクとでは、ビオレの言葉通り状況が違うのだ。加えて、早々と永住の決断をした、といってもやはり望郷の念がないわけではない。思い入れなどないと思っていたが、いざフロニャルドに永住してみると、時折、かつていた世界を思い出してひどく懐かしく感傷的な気持ちと若干の後悔が押し寄せて来ることもあった。彼はそれを大陸一の剣士にかつて言われた「良い後悔」と言い聞かせている。だが、もしかしたらもっと別な道を選択できたのではないか。そんな風に思えてしまうからこそ、シンクには自分と同じ悔やむ気持ちを味わってほしくないと願っており、怒りをぶつける先が見つけ出せずに、ソウヤは酒に逃げるしかなかったのだった。
「ソウヤ、今日はそれ以上の酒はやめろ。お前に倒れられてはワシもレグも困る」
置かれたグラスを一瞥した後でソウヤを見つめ、半ば強制するような口調でレオはそう告げる。
「……ああ」
レオの言葉に了解の意思を示した後で全体重をソファの背もたれにかけさせ、ソウヤは天を仰いだ。
「……その話はやめにするか。周りのワシ達が気を揉んでもどうしようもない部分もある故な」
「そりゃそうだが。それでもビスコッティの人々は元がのんびりだ。見てられないときだってある。……それ以上に今の厳しい状況を背負い込み、
「どこぞの誰かさん、とは誰のことかの? それにそれをお前が言うか? かつては自分の心を全て押し殺そうとしておいてよく言う」
「それはこっちのセリフだ。……いや、まあ結局のところ俺もお前も似た者同士だった、ってことだろうが。だから今こうして一緒になってるんだろう?」
そう言い終えて皮肉っぽくフン、とソウヤが鼻を鳴らし、レオはお茶を口に運ぶ。かつて「星詠み」でミルヒの未来を詠み、それを変えるために全てを1人で背負い込もうとしたレオと、愛するものの幸せを願うためにあえて己の心を殺して身を引こうとしたソウヤ。そうやって見れば、やはり2人は似た者同士と言えなくもなかったのだった。
「……それより久しぶりの戦場はどうじゃった? 『蒼穹の獅子』殿?」
レオが変えた話題に対してソウヤの顔に苦笑が浮かんだ。
「やはり戦場はいい。そりゃ気分はよかったが……。その二つ名、いつ広まったんだ? 相手の領民軍のリーダーまで知ってやがったぞ?」
「結婚式の時じゃろ。ガウルの奴がフランぼーずに『いいネーミングを思いついた』とか言っておったぞ。あの時に『蒼穹の獅子、勇者ソウヤと百獣王の騎士、レオンミシェリ閣下が』とか言われておったし」
「くっそ、やっぱりあのやんちゃ坊主とおしゃべりアナかよ。なんだよそのネーミング、そんな有名なのか?」
「あら、ガレット国内や周辺各国では有名ですよ? 『蒼き輝力の光を纏う、百獣王と共に立つ獅子』といえば、他ならぬあなた様のことです。むしろ広まってないと思っているのはご本人だけではありませんか?」
一度席を立ち台所の方へと行っていたビオレが戻ってきながらそう言った。手には透明な液体の入ったガラスの容器を持っている。
「……本当ですか? ……そもそも蒼き輝力の光って、俺のは濃紺だっての。どうせなら昔読んでた小説みたいにもっと横文字なのがよかったってのに……」
「横文字? ああ、あれか、以前お前がワシに読ませた本にあったライトニングなんちゃらとかなんちゃらブレイカーとかか?」
「ああ、そう。そういうのだ。……でもまあいい、別に大したことじゃない」
「なら以前うちの偽勇者が名乗った名称を使うのはどうじゃ? 確か……イミ……なんとかブレイバーじゃったと思うが」
「それじゃ勇者ってことになっちまうだろ。俺はもう勇者じゃない。……あ、でも『勇者じゃない』って意味じゃ偽勇者か」
クックックと笑いを噛み殺すソウヤに対し、ビオレが新たなグラスに水を注ぎ差し出す。酔いを醒ますためか、彼はそれを一杯呷った。
「……ともかくそれの文句は、覚えていたら
「ではソウヤ、明日は……」
「ああ、ヴァンネット城へ出頭命令が出てる。一応今日ので臨時とはいえ復帰扱いだ、明日正式に辞令を受けることになるだろう」
「そうか……。ワシ達もこの別荘からヴァンネット城へと移った方がいいかもな」
もう一口水を飲みながら、ソウヤは難しい表情を浮かべる。
「……本音を言えばお前とレグとビオレさんはここにいてほしいんだが」
「何を言う。もうしばらくしたらワシも復帰するつもりでいるぞ」
「……おい、本気か?」
「当然じゃ」
「レグの面倒はどうする?」
「ビオレがおるじゃろ。それにヴァンネット城に戻れば近衛隊側役のルージュを初めとしてメイド隊もおる」
「しかしなあ……」
「差し出がましいようですが……私もソウヤ様の意見に賛成です。レオ様はまだここに残られた方がいいかと……」
「なんじゃビオレ、お前まで」
「自分の顔を立ててくれってビオレさんは言ってるんだよ。ルージュさんの反対を押し切ってうちの家政婦の役を買って出てくれた、でもそのせいで彼女は近衛隊長というこれまでのビオレさんの役割を押し付けられた形になった。……あ、一応本人は代理を名乗ってるんだったか。ともかく、それなのに何食わぬ顔でビオレさんが戻ったら、あの人は『苦労してこんなに尻尾の毛が剥げた』などと抜けた毛を見せてくるかもしれないからな」
思わず苦笑するビオレ。
「そういうわけではありませんが……。いえ、確かにソウヤ様のおっしゃることも……ルージュならやりかねないと思うところもありますよ。ですが、それ以上にレオ様は今まで大変でしたのですから、もう少しごゆっくりなさっても……」
「確かに悪くないが、落ち着かんな。レグの成長を見守るのは楽しいが……やはりもう少々忙しい方が、なにより戦場に立つほうがワシとしては性に合っておる」
「『蒼穹の獅子』と『百獣王の騎士』のご夫婦2人が同時に戦場に立つとなれば、それは興業的に盛り上がることが約束されていますしね」
「……ちょっとビオレさん、あなた俺の味方だったんじゃないんですか?」
困ったようにソウヤがそう言った。
「……ともかく明日からはどうなるかわからない、とだけ言っておくよ。面倒な配属になれば帰るに帰れないこともあるだろうし」
「そうか……。明日は早いんじゃろ?」
「ああ」
「なら今日は書斎で休め。夜中にレグがぐずってお前を起こしては悪い」
「書斎でだって変わらないぞ? 泣き声が聞こえたら飛び起きちまう」
「よく言うわ。先週夜中にレグが大泣きしたとき、お前が来ないからとビオレが書斎を覗いたら机に突っ伏して熟睡していたと言っていたぞ?」
ソウヤが記憶を探る。確か砦に顔を出した日のことだった。帰ってきたのは夜遅め、加えてビスコッティの現在の状況が
「あれは……。……そんな時だってある」
「じゃったら書斎の方が眠れる可能性があるということじゃ。……レグと一緒に寝たいという気持ちはわからんでもないが、最近のお前は心労も溜まっている様子だしな。なるべく疲れを残さないようにして、明日行ったほうがよかろう」
レオの腕に抱かれたレグルスが寝返りする。初めて寝返りを打ったのは少し前、丁度ソウヤが風呂から寝室へと戻ってきた時で、2人の目の前でのことであった。
「……そうだな」
目を細め、ソウヤは我が子の頭を優しく撫でる。心地良さそうにレグルスが体を僅かに動かした。
ビオレが立ち上がり食器類を台所をへと下げ始める。側役として一流の彼女が「いては野暮な時間」というものを把握していないはずがない。
「くれぐれも無茶はするなよ。お前に何かあっては……ワシもレグも悲しむ」
「わかってるよ」
「あとはガウルの奴によろしく言っておいてくれ。……ワシがさっき言った、復帰についてのことも含めてな」
「後ろのは保証しかねるな」
わかった、と言う代わりに微笑を浮かべ、レオが瞳を閉じる。その彼女の唇にソウヤは優しく自分のそれを重ねた。
「ではワシは寝るとするか」
「ああ。おやすみレオ。……レグもな」
レオが立ち上がり寝室へと向かう。その背を見送った後でソウヤは天井を見上げ、大きく息を吐いた。
レグルス……獅子座(レオ)にある星のひとつ。「獅子の心臓」とも呼ばれる。