◇
応接間にミルヒが現れたのは、それからしばらく経ってからだった。扉を開けて秘書官のアメリタと共に部屋に入ってきた姫君を見て、ソウヤは立ち上がって軽く頭を下げる。ある意味で普段どおりの改まった態度の元勇者にミルヒは一瞬困惑し、座るように手で促した。が、ソウヤは立ったまま、ミルヒが椅子の前まで来るのを待っていた。
「お待たせしてしまってすみません、ソウヤ様」
今度はミルヒが頭を下げる。
「いえ。こちらから急な訪問を申し出たのですから、お気になさらないでください」
「立ち話もなんですから、おかけになってください。今お飲み物を用意させますので……」
そう言って彼女は腰を下ろす。本来は客人を先に座らせるべきとも思ったが、自分が先に座らなければ目の前の人は座らないだろうという考えに至ったからだった。案の定、ミルヒが座ったのを確認したところでソウヤもようやく椅子に腰掛ける。
それとほぼ同時、まるでタイミングを見計らったかのように入り口のドアが開き、飲み物の乗ったカートと共に数名のメイド達が部屋に入ってきた。そのメイド達の長であるリゼル・コンキリエがソウヤに深々と頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいました、デ・ロワ卿。お元気そうでなによりです」
「お久しぶりですリゼルさん。……2ヶ月前に来た時もそれほど畏まらないで以前のように話してほしい、と言ったはずですよ?」
「そうはまいりません。他国のメイド長である私如きが口を挟むのもおこがましいとは思いますが……貴方様は王族に婿入りしたのですから、そろそろ慣れていただかないと」
「やれやれ。まるでうちの家政婦に小言を言われてるみたいですよ」
うちの家政婦、という単語に反応したのか、一瞬リゼルの眉が引きつったように見えた。
「あら。私ごときがそちらの優秀な家政婦殿に似てきたなど、あるはずがないではありませんか」
思わずソウヤが苦笑をこぼす。
今話題に上がったビオレと目の前のリゼル、実は互いに因縁浅からぬ仲である。ソウヤも以前から噂は耳にしていたし、つい2ヶ月前にはここで2人のやりとりも目にしていた。
事の発端は5年ほど前に行われた、互いの国の宝剣を賭けてのビスコッティとガレットの
互いに「不覚を取らされた相手」と「本陣を狙ってきた無礼な相手」という認識であるために、その後も2人の仲はお世辞にも良いとはいえない。一度は模擬戦、という形で手を合わせたこともあるが、結果は引き分け。遺恨はまだ精算されておらず、互いに「食えない相手」と評価しつつも、もし戦場でまた自分達が相見えることがあればその時こそ互いの決着をつけるとき、という約束を交わしていた。
目の前の彼女にとってあの優秀な近衛隊長はそんな相手だ、こんな風に言いたくなる気持ちはソウヤにもわからないわけではなかった。が、ここまでベタベタに言われたら苦笑をこぼさざるを得ないだろう。
「まったくビオレさんに対しては相変わらずなんですね。あなたたち2人の戦いの場を見れなかったことが、今でも悔やまれてなりませんよ」
「デ・ロワ卿の華麗なる戦いぶりに比べたら、私達の戦いぶりなどお遊戯にも等しいですわ。悔やむほどのことでもありません」
「美しい女性同士がじゃれ合う遊戯というのも、俺は嫌いじゃありませんよ。ますます見たくなった」
リゼルが茶を注いでいる肩を僅かに震わせる。どうやら笑っているらしい。
「……やはり貴方様には敵いませんわ。さすがレオ様の心を射止めたお方、ですわね」
ソウヤは何も返さず肩をすくめるにとどめた。リゼルが茶を注ぎ終えたところで、他のメイドがお菓子の乗った皿を机に置く。お茶請け、ということのようだ。
「それでは私はこれで。ごゆっくりしていってください、
再び頭を下げ、リゼルとメイド達が部屋から出て行く。今のやり取りからどうにもいいように遊ばれてる気がする、とソウヤは感じていた。だが嫌いではない。王族に婿入りした、ということで気を遣う人は多いが、エクレールやリゼルのように今までどおりに、もっと砕けて言えばフランクに接してくれるのはソウヤとしては嬉しかった。
しかしリゼルの言葉の通りいい加減慣れなくてもいけない。わざわざ最初は意地悪くデ・ロワ卿などと言ってきたのは彼女なりの思いやりもあるのだろうとも彼は考えていた。
「……さすがですね、ソウヤ様」
だが、フランクに接してくれるのが嬉しい、ということは、目の前にいる姫君と話す、となればどうにも気が張ってしまって得意ではない、ということになる。最初から対等のような立場で話しかけてきてくれたからか、レオにはそんなことは感じなかった。
ところが、目の前の姫君にはどうにも緊張感を感じざるを得ない。レオが姫らしくない、というのもあるだろうが、こちらはまさに絵に描いたような姫。いくら今では入婿の一応王族扱い、とはいえ、元が庶民でしかないソウヤからすれば気後れを感じてしまうのだ。
だから、リゼルが出て行った後でミルヒにかけられた言葉にソウヤは反射的に身を固くしてしまい、「さすが」と褒められたのが何か思い当たらなかった。
「……何がです?」
「いえ、今のリゼルとのやり取りです。私だったら褒められたら恐縮に思ってそこで会話が途切れてしまうでしょう。ですがソウヤ様は見事にお返しになった。真似たくてもできない、と感心したのです」
思わずソウヤはため息を1つこぼす。こんなのは感心するべきではない。ましてや真似るなど。生粋の王族の出であり、天真爛漫で純粋無垢な性格の彼女にはまったくもって無用の長物、いや、むしろあってはいけないものだ。
「真似るべきではありませんよ。さっきのはひねくれ者の問答にすぎません。姫様は私とは違うのですから、明るく真っ直ぐに自らの道をお歩きになれば、それでいいと思います」
「明るく真っ直ぐに……ですか……」
言ってから言葉を選び損ねたか、とソウヤは後悔する。両親の行方がわかっていない娘に「明るく生きろ」というのは酷だったかもしれない。
だが、ミルヒは特にそれ以上気にした様子は見せなかった。
「そうですね。誰かを無理に真似ても仕方ないかもしれないですね」
ミルヒの笑顔を見てソウヤは考えすぎか、と一旦胸を撫で下ろす。が、同時にその笑顔を不憫に思わずにもいられなかった。今の彼女はどうしても無理をして笑顔を作っている、と見えたからだ。
「……お忙しいところを時間を割いていただいてるんだ、本題に入りましょうか」
そんな彼女を見るのが辛いというのが半分、それでも無理をしようとして空回ってしまう彼女に、また昨日のように辛辣な言葉を吐いてしまいかけないという懸念が半分。だからソウヤはさっさと今日来た本来の目的を済ませておこう、と思ったのだった。
復帰の挨拶をしてこい、とガウルに言われてはいたが表向きの訪問目的はガウルから預かった親書を手渡すことだ。ソウヤは懐にしまっていたその書簡を取り出そうと、騎士服の胸ポケットへ手を入れる。
「本題ですか? 復帰の挨拶にいらしたと思っていたのですが……」
「まあ本当のところはそうです。が、表向きはこの親書を姫様に渡して欲しい、という遣いが訪問の目的になってますからね」
そう言ってソウヤは書簡をミルヒへと手渡す。ミルヒはそれを受け取り、確かにガレットの
「ソウヤ様はこの内容については?」
「いえ、まだ存じ上げていませんが」
「そうですか。……内容を掻い摘みますと、8日後、ビスコッティとガレットで戦を行いたい、と書かれています」
8日後。そう聞いただけでソウヤは自国の領主が意図していることを察知して苦笑いをこぼした。
今日は地球の曜日で言うと金曜日。つまり8日後は1週間と1日後であるから土曜日。その日なら今まだこの世界に来ていない勇者が来ている、つまり週末の日となるだろう。ソウヤの正式な復帰戦では元勇者対現勇者の戦いを放送したい、という狙いらしい。
「姫様はどうなさるおつもりで?」
「勿論お受けしたいと思っています。アメリタ、私の予定は大丈夫ですよね?」
「どの道勇者様がいらっしゃる日と思っておりましたので、スケジュールは控えめにしてあります。問題はないでしょう」
「でしたら喜んでお受けいたします。この2ヶ月間、国外との戦は自粛してきましたが、ソウヤ様の両国民にお披露目となる復帰戦であれば、ビスコッティとしても大いに盛り上げねばなりませんから」
前領主が行方不明となってからの2ヶ月、ビスコッティでは3度内戦が起こったものの、国外との戦はミルヒの言葉通り自粛してきていた。ガレットは空気を読んで布告すら行わなかったが、他国から数度の布告はあったらしい。しかしミルヒはそれを丁重に断っていた、とのことだった。
「……責任重大ですね。そんな節目の戦が、放送される復帰戦になるとは……」
ビスコッティの人々にとっては久しぶりの国外との戦だ。否が応でも期待は高まることになるだろう。
「気を張る必要はないではありませんか。先ほどリゼルが言ったように、いつも通りの華麗な戦いぶりを見せていただければいいのですから」
「華麗なのは私ではなく、お宅の勇者でしょう」
目の前のティーカップを手に取り、ソウヤはお茶を口に運んだ。昨日も砦で味わったものだが、香り、風味とも格別に思える。やはり無骨な砦よりも格調高い城内で飲むものの方がどうにも味わい深くなるらしい。
「そんなことはありません。昨晩のソウヤ様の戦いを砦の窓から拝見させていただきました。単騎で突撃をしながら、次々と相手をだまへと変えていく見事な戦いぶり……。やはり『蒼穹の獅子』の名は伊達ではないということを再度認識させていただきました」
「よしてください。あれは奇襲です。誇れる戦い方ではない。それに単騎といっても後方からベールには直接援護をさせていたし、隊の弓による援護もあった。全て1人でやったわけではありません」
「だとしても、あの時ソウヤ様が助けにいらしてくださらなかったら、私は今頃『誘拐』されていて、こうしてお話している時間はなかったと思います。……その点で改めて御礼を言わせてください。ありがとうございました」
頭を下げたミルヒを、ソウヤは困り顔で見つめていた。
「本来は私の仕事ではなかったのですが……。
「代わりだなんて……」
「ところで、そのあいつは今日来るんですよね?」
その話題にミルヒの表情が明るくなる。わかりやすいことだ、と思わずソウヤはため息をこぼしかけた。
「はい。このあと夕方前に来てくださいます。明後日用事があるとの事で明日の夕方には帰られてしまうということでしたが……」
「まったく忙しい奴だ」
皮肉を込めてソウヤがポツリと呟く。
「そうですね……。でも向こうの世界でも勇者のように活躍しているということですし、仕方ないと思っています」
その皮肉はミルヒには通じなかったらしい。続けて彼女はソウヤに問いかける。
「ソウヤ様、今日はシンクに会っていかれますよね?」
あたかも当然、と言わんばかりの質問。親書を渡したらさっさとヴァンネット城へ戻り、遊撃隊の編成をベールと話し合うつもりでいたソウヤは完全に虚を突かれた形になって一瞬固まった。
「……私も何分忙しい身ですので……」
「そうおっしゃらず……。2ヶ月前に会ったきりですよね? シンクも会いたがっていましたし……。 ガウル殿下には後で私の方からその旨を伝えて、少々お帰りの時間を遅くしていただきたいというお願いの連絡をいたしますので……」
まいったな、とソウヤは視線を外して考え込む。確かにシンクと最後に会ったのは2ヶ月前、ビスコッティ先代領主夫妻が行方不明になったと聞いたときの慰問訪問以来だ。
久しぶりに会いたい、という気持ちはある。が、それ以上に顔を合わせたら「お前は何をやってるんだ」と弟分の彼に詰め寄ってしまいそうな気がする。「いつまでもお客様でいるな」「そろそろ腹をくくれ」。本音を言えばそう言いたい。シンクがミルヒとの口約束の婚約をちゃんと受けて結婚する、と表明すれば、空回りしつつも必死に頑張っているミルヒの華奢な両肩にかかる重みはいくらかマシになるだろう。加えてその明るいニュースによって、今ビスコッティに蔓延りつつある不穏な空気も払拭されるかもしれない。
しかしミルヒが「仕方なく」という形での解決を望んでいない。シンクにはシンクの、地球での生活がある。だから自分のわがままでそれを奪い去ることは出来ない。だがシンクとはいつか結ばれたいと思っているのは事実だ。それでも今すぐに、というつもりはないらしい。
シンクもシンクで結婚という事の重大さぐらいはわかっている。だから勇者として往復生活をしてる間は受けられない、と正式回答を保留しているのだった。
結果が現在の様相だ。自分が悪役になってシンクを煽ることでこの問題が解決するなら、喜んでソウヤは悪者のレッテルを貼られるだろう。だが事はそう単純ではない。シンク1人を責めて済む問題ではなくなってしまっている。
そうわかっていても当の本人と会ったら、やはりソウヤは自制し切る自信がなかった。現に昨日はミルヒに「
だからこのまま帰りたい。が、ミルヒの頼みを反故にしたらしたで領主やら前領主やらに何かと突っ込まれかねない。
仕方ない。領主殿はさっさと帰って来いとは言わなかった。むしろ適当にゆっくりして来いと言っていたはずだ。ならそれに従うか、とソウヤは考えを決めた。
「……わかりました。帰るのはあいつに会ってからにします。連れて来てる騎士達とノワールにも伝えていただけると助かります」
「はい。ではガウル殿下には私の方から……」
「ああ、それは私がやります。わざわざ姫様の手を煩わせた、となれば帰ってから何を言われるかわかりませんから」
冗談のような口調で、だが内容はありえることだと思いつつソウヤは答えた。それを聞いたミルヒは苦笑しつつ、ここでようやくカップを口に運んだ。冷めてきているであろうが、一段落突いたからだろうか。あるいは姫様は
「そういえば……。2ヶ月前に話しそびれてしまいましたが、レオ様とは新婚旅行に行かれてらしたんですよね?」
「ええ。半年前には戻ってきてましたので、実質半年間ですが」
「周辺各国を回られたと聞きましたが……」
「ビスコッティ、ガレット、パスティヤージュにドラジェ……。周辺各国の名所を巡らせていただきました。……ああ、その際トランペ……じゃなかった、
かつては「トランペ旅行代理店」という別名で呼ばれることもあったアメリタが困ったように笑顔を浮かべる。ミルヒのコンサートツアーや遠征の際、宿やその土地の名所などを調べているうちに情報通となってしまった彼女は、いつしかそんな名で呼ばれて旅行のコーディネートをするようになっていたのだった。
4年前にミルヒを中心に仕組まれた
「ガレットの先代領主伴侶様に喜んでいただいたとあれば、私としても光栄です」
「そのうち義妹の新婚旅行もコーディネートしてあげるといいんじゃないですか。……いつになるか見当もつきませんけど」
少々嫌らしかったか、と自分でも思う。しかしアメリタは渋い表情で作り笑いを返した後、視線を下に落としただけだった。やはり彼女の兄、つまりアメリタにとっては夫に当たる人物から色々と聞いているのだろう。この後時間があるだろうからロランに会うのも悪くない、ソウヤはそのように思った。
「お子様は、お元気ですか?」
再びミルヒが尋ねてくる。
「ええ、おかげさまで。レオは大分手を焼いてるようですが……やはり自分の子というのはかわいいものなのでしょう。毎日幸せそうですよ」
「そうですか……」
ミルヒが再びカップに口をつける。
ソウヤとしては「だからさっさと結婚して子を産むといいですよ」と付け加える言葉が喉まで出掛かっていた。実際、レグルスが家族に加わってからというもの、レオは確かに変わっていった。元々は勇猛で勇ましい女帝、などと見られることが多かったレオだが、今ではそこに母性の優しさ、慈愛と言っていいような部分も見え始めてきていた。
だから結婚もそうだが子というのは大きな契機となる、とソウヤは考えていた。細かい悩みや問題ごとなど全部ほっぽり出して、さっさと結婚して生まれてきた自分の子の顔を見ればいい。そうすればその天使の笑顔の前では、これまで悩んでいたことがどれだけ些細な事柄だったか、と気づくだろう。
以前ソウヤは「結婚は人生の墓場」という話をチラリとガウルに話したことがあった。その時は「1人のときより不自由になる」という程度の認識だったが、今は違う。
「人生は旅である」と言った人がいたはずだ。それなら「結婚とは旅の終着点」と言い換えられるのではないか。だからソウヤはこう考えていた。「旅は終わり、しかし自分に守るものができた。だからこれからは旅するのではなく、守るべきものを守り、そして次の旅人を見守っていくのだ」と。
かつては生きる意味すら見出せなかったような人間がここまでの考えを持てるようになったのだ。愛する人と結ばれること、子を持つことの影響力は誰よりも強く気づいている。だからこそ、「さっさと結婚しろ」と言ってやりたい。
「では、レオ様のご復帰はもう少し先になるんですか?」
しかし目の前の姫様はそんな自分の心中など全くわからないだろう。子供についての話題に特に深く切り込まず、今の質問に切り替わったことでソウヤはそう思うに至った。
「そうですね。……と、言いたいところですが、レオの奴はさっさと戻りたいみたいです。個人的にもう少しのんびりしてもらっててほしいところなんですが」
「復帰されたら……休養前同様に顧問役か相談役といったところでしょうか?」
「さあ……。一騎士に留まらせてもらっている私にはなんとも」
事実、ソウヤは先代領主伴侶、現領主義兄という立場でありながら一騎士の立場だった。望めばもっと高い地位には就ける。だがあくまで現場主義のソウヤがそれを好まなかった。
「ソウヤ様ももっと高い地位にお就きになってもいいと思いますが……。あ、今は部隊長ですか?」
「今日辞令を受け取りまして、新設される遊撃隊の隊長をやらせていただくことになりました。弓術師隊の再編ということですので、あの方はわざわざポストを用意してくれたってわけです」
「ガウル殿下なりのお気遣いなのでしょうね」
やんちゃ坊主もいらないところの気を遣ってくるようになった、とソウヤは感じていた。だが、まあ彼なりに感謝はしている。もっと地位の高い面倒な役職に就けることもできただろうが、現場に残してくれたのだから。
「……すみません、姫様。そろそろ国営放送の方に向かわねばならないお時間が近づいてきましたので……」
と、アメリタが会話に割って入ってきた。
「申し訳ありません、ソウヤ様。もっとお話したかったのですが、時間みたいです」
「気になさらないでください。時は金なり、大抵高貴な方というのはお忙しいものですから」
ミルヒが立ち上がり、ソウヤもそれに合わせて立ち上がる。
「ではシンクが来るまでごゆっくりなさっていってください。エクレールは訓練を見てると思われますので、よろしかったら顔を出してあげてください」
「煙たがられそうですけどね」
「そんなことありませんよ。そういう態度を取るのは、彼女なりに貴方を信頼している証拠だと思います」
言い返せずソウヤは肩をすくめる。その様子に思わずミルヒがクスリと笑いをこぼした。
「夕方、シンクの召喚のために戻ってきます。……それでは後ほど」
深く頭を下げ、ミルヒは踵を返した。アメリタを連れ立って部屋を後にし、入れ替わるようにリゼルとメイド達数人が部屋に入ってくる。
「ソウヤ様、城内の案内役は私が務めさせていただきます。そちらの優秀な家政婦殿ほどではないかもしれませんが……」
「どれだけ根に持ってるんですか、あなたは」
思わず苦笑を浮かべるソウヤ。だが特にそれを気に留めるでもなく、リゼルは普段通りのメイドスマイルを浮かべたままだった。
「それで、この後はどうされます? 騎士団の方にでも?」
「いや、まずガウ様と連絡を取らせてください。シンクと会ってからとなると帰るのが少々遅くなりそうなので、その辺を伝えておきたいです」
「かしこまりました。では私に着いて来て下さい」
食器類をカートに乗せて片付けるメイド達を尻目に、リゼルに言われた通りソウヤはその後をついていく。
(あの人のことだ、「じゃあついでに泊めてもらってこい」とか言い出しそうだな……)
例えそう言われても突っぱねて帰るつもりである。昨日言ったとおり、やはり愛する家族の顔を見たいというのは世の男どもの普遍的な願いだと思うからだ。
「そういえば、隠密2人に挨拶に行きたいとは思っていたのですが……。今は旅でしたっけ?」
「そうですわね。1年ほど前からかしら。ダルキアン卿もユキちゃんも、狩人としての使命がありますからね」
「じゃあ帰ってきてから顔を出すことにするか……」
今話題に上がった2人、ビスコッティの隠密である頭領のブリオッシュ・ダルキアンと筆頭のユキカゼ・パネトーネは「魔物の狩人」という裏の顔も持っている。かつてはソウヤもその2人の裏の顔を見たことがあっただけに、時折旅に出ることがあるというのは納得であった。
「おお、ソウヤ殿。来ていたという話は聞いていたが……丁度いいところで会った」
と、ふと聞こえてきた声にリゼルもソウヤも足を止める。声の主はビスコッティ騎士団の苦労人騎士団長、ロラン・マルティノッジだった。
いや、ひょっとしたら苦労人、というのは合っていないかもしれない。もう彼はアメリタと結婚して4年になる。忙しいのは相変わらずのようだが、それでも随分幸せそうだという話はミルヒからレオを経由してソウヤの耳にも入ってきていた。
「お時間があるなら、話したいことがあるんだが……よろしいか?」
「ええ、構いませんが……。ちょっと本国に連絡をいれなくてはならないので、その後でもいいですか?」
「ああ、そのほうがいいと思う。……少々混み入った、長話になりそうだからね」
やはり苦労人というのは相変わらずか、とソウヤは思い直した。話したい内容など容易に想像がつく。婚約しておきながらいつまでも結婚しない妹の話だろう。自身も
「わかりました。……リゼルさん、その時はお茶お願いします。本当に長い話になりそうですからね」
どうやら中庭に顔を出す時間は取れないらしい。まあ致し方ないか、とソウヤは肩をすくめてため息をこぼした。
◇
夕刻。案の定、いや、予想以上に長引いたロランとの対談を終えたソウヤは、疲れた様子でリゼルが案内した部屋に入りソファに腰を下ろした。腰掛けると同時に反射的にため息がこぼれる。
「ご苦労様です、ソウヤ様」
その彼女は部屋の入り口にたったまま、声だけをかけてきた。
「……疲れましたよ、本当に」
そんなソウヤの様子を見てもリゼルは笑うだけだった。疲れが出るような内容だったのは把握している。茶を差し入れた際に2人の要望でそのまましばらく談義に入っために内容を大方察しているのだ。それはため息もこぼしたくなるだろうと思う。
「まあよいではないですか。騎士団長はソウヤ様に相談できて随分と晴れ晴れとしたご様子ですよ」
「……俺は全く逆なんですけど」
そう愚痴り、もう1度ソウヤはため息をこぼす。どうにも最近厄介ごとに首を突っ込む習性がついてしまったのかもしれない。あるいはそういうのを呼び寄せているかのどちらかか。そんなのはこの国の勇者殿の幼馴染だけでいいだろうがよ、とソウヤは心の中で一人ごちらずにはいられなかった。
「もう少々お待ちください。今姫様が召喚台から戻って来られるところらしいですので」
「わかりました。それはいいですが……ここはあいつの部屋ですよね? いいんですか、部屋の主が来るより先に俺がここにいて」
「構わないでしょう。兄弟のようなお二人の仲ですし。それに勇者様と話された後は、麗しの家政婦の手料理をお食べになるために夕食は摂られずにお帰りになられるんですよね?」
相変わらずビオレの話題となるとリゼルの言いようはこれだ。
「……棘ありすぎますよ? でもまあそのつもりです」
「でしたらこちらにいらした勇者様と最も早く会えるであろう場所はここでしょうし。……あら?」
リゼルが視線を廊下へと移す。どうやら早くも待ち人は来たらしい。
「いらっしゃったようです。では私はお茶の用意を……」
「いえ。さっきの騎士団長のように長話をするつもりはありません。ですので結構ですよ」
少々意外そうな表情を浮かべたリゼルだったが、
「……かしこまりました。では私はこれで」
一礼し、入り口から遠ざかった。ややあって小走りな足音が近づいてくる。リゼルから話を聞いて駆け出したのだろう。まったく手に取るようにわかりやすい奴だ、とソウヤは息を一つ吐いた。
「ソウヤ……?」
ドアが開くと同時、名を呼ばれたソウヤは声の主の方へ視線を移す。最初に会った時はまだあどけなさの残る顔だったが、
「よう、シンク。久しぶりだな」
声をかけられたビスコッティ勇者、シンク・イズミはその声の主を懐かしむように見つめる。そして自分が部屋に入ったときに名を呼んだ友人だと改めて確認すると表情を明るくした。
「ソウヤ! 久しぶり!」
嬉しそうにシンクは部屋へと駆けて入り、荷物をベッドへと放り投げる。次いで自分の腰もベッドへと投げ出した。
「ああ、この間の慰問訪問以来……2ヶ月ぶりか」
「そうだよね、あの時も久しぶりだったけど……」
「悪いな、お前の部屋なのに先に入って待たせてもらった」
「いいよいいよ、そんなの気にしないで。……召喚台から来る途中で姫様から色々聞いたよ。休暇を終えて、遊撃隊長で復帰したんだって?」
「まあな。役割としては近衛隊と親衛隊の中間みたいなものらしい」
「そっか。親衛隊に近い……ってことは立場が近いエクレは喜ぶんじゃないかな。もうそのことは話してあげた?」
まったくこいつは、とソウヤは気づかれないように瞼を一瞬引きつらせる。彼女が喜ぶのは自分と話すことではない、貴様と話すことだ、と言ってやりたい。いや、それはもう過去の話か。今のエクレールからすれば逆にそれは苦しいことかもしれない。
最初に再会の喜びを味わったのも束の間、ソウヤの心は早くも沈みつつあった。目の前の勇者は自身も厄介ごとの渦中にいる、という認識はないのだろうか。周りの人間ばかりが気を遣って、当の本人にこれだけあっけらかんとされているとどうにも腹の虫が収まらない部分はある。
まずいな、とソウヤは心を落ち着かせることにする。ここでシンクに当たっても状況は何も改善しない。それはわかりきっていることだ。自分はここには復帰の挨拶に来ただけだ、と言い聞かせる。
「……いや。昨日の夜戦で会ったきりだ。ガウ様から辞令を受けたのが今日だし、お前を待たせてもらっている間も時間が取れなかったからな。もっとも、俺がどうなろうとあいつにとっちゃそこまで興味の対象じゃないだろうよ」
「そうかなあ……。この後行ったらいいんじゃない?」
「こう見えて色々と忙しいんだよ。悪いがお前との話も適当なところで切り上げて帰らせてもらう。……ま、待ってる家族のためにもさっさと帰りたいってのが本音だ」
「そっかあ……。ソウヤとレオ様、もう夫婦でしかも子供までいるんだもんね……」
シンクが遠い目をする。彼自身がそうなる、という景色は描けていないのだろう。そう認識したところで、数秒前に自制しようした心は早くも消え失せ、ソウヤは切り出していた。
「お前も結婚すればいいだろ」
予想していなかった、と言わんばかりにシンクがソウヤを見つめる。
「姫様との婚約は口約束でだがしたんだろう。だが正式な回答は保留にしてほしいと。……だったら今すぐにでも正式に回答すればいいだろ」
「……気楽に言ってくれるね」
「ああ、言わせてもらう。俺はもう既婚者だしな」
そのソウヤの言葉に、シンクにしては珍しく自嘲的な笑みを浮かべた後、視線を床に落とした。
「……できるならそうしてるよ。でも……僕は地球での生活も捨てられない……」
「なら結婚しても勇者でいればいい」
「出来ないよ。……そんな常に傍らにいることのできない人間が姫様と一緒になるなんて……ダメだと思う」
「……そこまでわかっていて、お前はなんで姫様の婚約の申し出を受けようと思ったんだ?」
「だって……姫様は僕のことを大好きだと言ってくれた。僕だって姫様のことが大好きだ。だから一緒になりたい気持ちはある。……だけど……僕には地球での生活もある。自惚れかもしれないけど、僕に期待してくれる人はたくさんいる……。そんな人たちの期待を裏切ることは出来ない。だからずっとここにいるのも難しいけど、それでも姫様のことは大好きだし、ってなって……いつも同じところをぐるぐる回っちゃってるんだ……。
僕が欲張りだって言うのはわかってる。きっとどれかを捨てればなんとかなるんだ、って。……でも、捨てられないんだ。姫様のことも、地球での生活も。だから……どうしたらいいかわからなくて……ずっと保留したまま今日まで着ちゃってるんだ……」
思わずソウヤは舌打ちをこぼし、小さく「クソッ」と呟いていた。それは優柔不断なシンクに対する苛立ちだったのか、それとも状況がわかってしまっているだけに同情を禁じえないと思った哀れみだったのか。いや、ひょっとしたら本人が「どれも捨てられない」といいつつも、気づかぬうちにエクレールを「捨てた」ことに対する憤りだったかもしれない。
自分でも言い表しようのない混迷の心を抑えつつ、ソウヤは再度シンクに尋ねた。
「……じゃあ姫様との結婚……いや、正式な婚約発表でいいか。それはまだ当分できない、ということだな?」
「……そうなるね。本当は大学卒業まで、あと3年ぐらい待ってほしいけど、そんな悠長な余裕は……」
「ああ、はっきり言うがないな。姫様ももう20歳だ。いい加減相手を見つけないといけない限界の時期にさしかかりつつある。……お前もわかってるんだろう、フロニャルドは俺たちがいた地球よりも低い年齢から一人前とみなされる。地球、とりわけ日本じゃ20歳の結婚は早いほうかもしれないが、ここじゃもう遅いぐらいだ。ましてや姫様は王族だ。結婚は非常に重要なこととなる」
そう言ったソウヤに対し、シンクはグッと拳を握り、搾り出すように返事を返す。
「わかってる。……わかってるけど」
「やっぱりすぐには答えは出ない、か。……わかった。悪かった、お前もわかってることだってのに急かしちまって。ただ、理解してるだろうが時間はない。納得いく答えをなるべく早く出せ。……まあどうせ後悔するなら『いい後悔』をするように……いや、お前には是非とも『後悔しない道』を歩いてほしいがな」
「……らしくないね。現実主義者のソウヤなら最後みたいなことは言わないと思ってたけど」
「俺自身の選択でならそうする。……現に俺は
先ほど言った「らしくない」という言葉が、再びシンクの頭をよぎっていた。自分に厳しく、同様に他人にも厳しいソウヤにしては珍しい。
「本当に珍しいね。ソウヤがそんなことを言うなんて……」
「……言っておくが、俺だってここに永住すると決めた時にまったく後悔をしなかったわけじゃない」
「え……? そうなの……? なんか早い段階でここに永住するって決めてたって聞いたけど……」
「心はそう決まっていた。……だがやはりいざ故郷を捨てる、となると……覚悟がいったさ。今だって時々西洋にかぶれたビル群の日本の風景を懐かしく感じることはあるし、育った町並みを夢の中で見ることもある。あの安くて味の濃いハンバーガーや牛丼だの、汗をかきながらすするラーメンだのが恋しくなる時だってあるし、インターネットでくだらねえ動画を見たりしょうもねえテレビ番組を見たり……。まあここでもテレビに似たものはあるが、それでもそういうものを思い出すと……心の中じゃ完全には捨て切れてないんだな、っては思うさ」
言葉通り、ソウヤは故郷を、日本での生活を基本的に完全に捨て去ってフロニャルドに来ていた。高校卒業と同時に親の代わりとしてここまで面倒を見てくれた親戚に礼を述べ、「これからは自分1人で生きていけるから大丈夫」と言い残し、地球を去った。それ以来1度も戻ったことはない。まったく戻ることができない、というわけではない。だがソウヤは自身を耳と尻尾がなくてもフロニャルド人だ、と言い張っている。だから一時的にも戻るつもりはなかった。ある種の意地とも言えるだろう。
シンクは、ソウヤはなんの心残りもなく永住を決めたとばかり思っていた。だからこそ、「心の中じゃ完全には捨てきれない」という言葉は意外だった。
「だから、お前には俺と同じ苦悩は味わって欲しくない。とはいえ、そんな理想的な方法なんて基本的にないわけで、まあ難しい話なんだがな……。でも、俺はお前ならそんな問題も全部解決しちまうんじゃないか、なんて勝手に期待を抱いてるんだよ」
「僕には……そんなことはできないよ。でも、どうしてそう思うの?」
フッと小さくソウヤは笑った。
「決まってんだろ。『勇者だから』だよ」
思わずシンクも苦笑をこぼす。実にナンセンスな回答だ。言った彼自身が元は勇者だ、説得力も何もあったものじゃない。
「……まあいい。こんな話しか出来ずに悪いが、俺はそろそろ帰る」
藪から棒に、ソウヤは帰ることを告げた。
「もう? 一緒に夕飯食べていけばいいのに……」
「あいにくうちには優秀な家政婦がいるんだよ。俺の夕飯はあの人の手料理と決めている。それに……愛する家族も待ってるからな」
「そっか……」
「羨ましいと思うならさっさと結婚しろ。今の悩みがどれだけ些細だったかよくわかるぞ」
「もしかしたらそうかもしれないけど……でも……」
「ああ、いい。わかってる。……お前の気の済む、お前自身の答えを出せ。出来ることならなるべく早く、な」
そう言うとソウヤはソファから立ち上がった。シンクもつられるように立ち上がる。
「送ろうか?」
「いや、いい。明日には帰ると姫様から聞いた。俺にこれ以上時間を割くぐらいならこの国の人たちと過ごしておけ。……それから次の戦の話、姫様から聞いたか?」
「うん。来週の土曜日だよね?」
「ああ、8日後だ。俺にとっちゃ放送される復帰戦になる」
「……そっか」
シンクがどこか嬉しそうに呟く。彼はわかっている、自身が戦うことになるのはおそらく目の前のこの同郷の人間であるだろう、と。
「いい加減休養前は負けが込んでたからな。そろそろ勝たせてもらうぞ」
「僕だって負けないからね」
そう言って不敵に笑ったシンクを見て、ソウヤは内心少し安心していた。今日はきつく言い過ぎた、とはわかっていた。わかっていてもなお言わざるを得ない状況だったために、やむなしと思って苦言を呈した。ひょっとしたら恨まれるかもしれないなと思っていたが、取り越し苦労だったらしい。戦のこととなればケロッとした顔になるこの男は、やはり自分や自分の妻同様の戦馬鹿なのだろうとソウヤは改めて思う。
「それでいい。……さっきみたいにしょげられてるとこちらとしても張り合いがないからな」
痛いところを突くソウヤにシンクは苦笑を返す。言った当の本人は全く気にする様子もなく、軽く右手を上げて背を向け、廊下へと出た。シンクもその背を追いかける。
「じゃあな、勇者。8日後の戦、楽しみにしてるぜ」
「じゃあね」とシンクも挨拶を返す。が、ソウヤは振り返ろうとせずにそのまま離れていった。
角を曲がって背中が消えるまでシンクはその背を見送り、やがて表情を沈める。
「ソウヤの……皆の言いたいことはわかってるんだけどね……」
「勇者」としてぶつかった現実と苦悩。そんな葛藤を込めてシンクは一言呟いた後、俯いたまま廊下から自室へとその姿を消した。
◇
「ただいま」
ソウヤにとって現在の我が家である別荘に戻ってきたのは夕暮れが過ぎようかという頃だった。帰り際にミルヒに挨拶を交わした後、フィリアンノ城から少し速めにセルクルをとばしてヴァンネット城へ戻り、報告を済ませた後は全速力でここまで走ってきていた。おかげでヴィットはやや疲れ気味のようだが、それはこの後の休息で回復してくれるだろう。
「お帰りなさいませ、ソウヤ様」
「お、今日は早かったの」
昨日と違い、今日の出迎えは2人……いや、3人だった。ビオレにレオ、そしてレオに抱かれたレグルスという全員での出迎えである。
「……何してるんだお前?」
家に入るなり開口一番、怪訝な表情でソウヤはレオにそう尋ねる。確かに彼女はレグルスを抱いていたが、特に何をするというわけでもなく、ただ立ってビオレの様子を窺っていたのだった。
そのビオレはというと夕食の準備中。一旦ヴァンネット城に戻った際にソウヤから「今から全速力で帰る」という連絡を受けてから準備を始めたため、完成までにはもう少しかかりそうである。
「ビオレの料理の様子を見て、真似られるところは真似たいと思ったからな」
「お前……料理する気か?」
「いけないか?」
ムッとしたようにレオが返す。
「やめとけ。確かに手とか怪我しながら料理して『一生懸命作ったの』なんて言われるのは男としてはグッと来るものが……いや待て、ここじゃ怪我もしないのか?」
「……お前ここに住んで何年じゃ? するわけなかろうが」
「ならなおさらダメだ。風情も何もない。どうせ俺が読んだことのある小説みたいに台所を吹っ飛ばすのがオチだろ」
「おい、お前はワシをなんだと思っておる?」
さあね、と言いた気にソウヤは両手を広げた。「おい!」と呼ばれるレオの声を無視して寝室へと足を進める。
「着替えてくる。文句はその後受け付けてやるよ」
寝室へと入りつつ、まったく今日は話し疲れる1日だったと振り返る。最初のガウルはまだしも、その後フィリアンノ城に行ってからのミルヒ、ロラン、シンクの3連続対談、さらには帰りのヴィットの全力疾走によって、ソウヤは冗談抜きで疲れていた。このままベッドに飛び込んで寝るのも悪くないとは思う。
が、この後は家族団らんの時間だ。少々強気だが美人な妻とそれに劣らぬ家政婦、それに愛する我が子と共に食す夕食は格別の時間だろう。それを思うと寝るのは勿体無い、と着替えを終えたソウヤは寝室を後にし、3人の待つ台所へと戻ってきていた。
「戻ったぞ。で、文句は何だ?」
「もういい。忘れたわ」
不機嫌そうに返すレオ。
「……おお、そうじゃ。ソウヤ、ちとレグの面倒を見ておいてくれ」
「俺がか? 別に構わないが……なんでだ?」
「せっかくじゃ、ビオレに直々に手ほどきを受けたいと思っての」
いたずらを思いついた子供のようにレオが笑顔になる。それに思わずソウヤとビオレは苦い表情となった。
「……どうします、ビオレさん?」
「まあ……レオ様がそうおっしゃってますし……無下にもできませんので……」
ハァ、とソウヤはため息をこぼしてレオのほうに腕を伸ばす。
「レグ預かって居間で待ってるよ」
「ああ。それがよかろう」
「……くれぐれも台所吹っ飛ばすなよ」
「ワシをなんだと思っておる」と先ほどと同じセリフを言った後、レオは大事そうにレグルスをソウヤへと手渡した。愛する我が子を抱き、愛らしい瞳で自分をみつめていることに気づいてソウヤは思わず目を細めた。
レグルスを抱いてソウヤは居間へと戻るとソファへと腰掛けた。台所からは早くも悪戦苦闘するレオの声が聞こえてくる。そんな音を聞き流し、髪が生え揃わない頭を撫でつつ、ソウヤは我が子へと優しく話しかける。
「お前のママも自分で料理を作るんだと。任せておけばいいのに……好きだよな、あいつも」
答えが返ってこないのはわかっている。まだちゃんと話すには程遠い年齢だ。言葉を発することも出来ない。だが、赤ちゃんに話しかけることは悪いことではない、と言われている。聞く言葉を懸命に理解しようとし、将来的に言語を得る時に関係してくるらしい。だからなるべく語りかけるように話そう、とソウヤとレオは互いにそう決めていた。
「でもな……お前のママは立派だよ。国を治め、勇敢に戦って、お前を生んで……。俺なんかには勿体無いぐらい、最高の女性だ」
常に心では思っていても、そういえば最近そんなことを口にはしていなかったな、とソウヤは振り返る。今更言うまでもなく、互いにわかりあっていることではある。
「でもな……俺は今でも時々怖くなる。俺は本当にレオに釣り合う人間なのか……。そして……お前の父親としてふさわしい人間なのか……」
彼の息子は言われている意味が、いや、言葉すら理解していないだろう。でも、否、ひょっとしたらだからこそ、ソウヤは本心をそうぶつけることが出来たのかもしれない。
「自身はレオンミシェリと肩を並べられる存在か」。ずっとソウヤが抱いてきた不安であった。以前と比べればそれは大分薄らいでいる。結婚したことで、ほぼ消えたといってもいい。しかし、今でも時折、ソウヤはそのように自分に問いかけることがあった。
そしてレグルスが生まれ、今度は父親としてふさわしいか、そんな風に思うようになった。ソウヤの両親は彼が10歳の時に亡くなっている。今になれば、我が子の独り立ちを見れずにこの世を去ったことはさぞかし無念だっただろうとわかる。だから、自分は深い愛情を注いでレグルスを育てたい。そう思っているからこそ、父親としてふさわしい姿を求めてしまう。
自分はどうなのだろうか。レオのように正々堂々、常に王者の風格を漂わせるなどということは到底出来ない。結局姑息な駆け引きと相手の隙に付け込み、結果として勝ちを取るそのスタイル。彼はそれが自身の生き方、戦い方だと思ってるし変えるつもりもない。が、それは息子が成長した時、場合によっては王となりうる存在であるその瞳にどう映るだろうか。
「レグ……。でっかくなった時、お前は俺を軽蔑せずに見てくれるか……? 所詮ただの小物に過ぎない俺を、レオのことを母と呼ぶように父と呼んでくれるか……?」
「あーう」と言葉にならないことばをレグルスは発した。だが、今のソウヤにはそれで十分だった。意味も言葉も伝わっていない。しかし我が子に元気付けられたように錯覚し、ソウヤは思わず目を細め、優しくその頭を撫でた。