前回はプロローグの約半年、今回は約2ヶ月前です。
ちなみに手直しも込みの移転分は前話まで、この話からが新作になります。
◇
「ビスコッティ先代領主様ご夫妻が……旅先で行方不明……!?」
輝歴2916年水晶の月。夕食後の団欒の時間に舞い込んできた情報にレオは我が耳を疑った。
「間違いないのか、ビオレ!?」
「はい……。諜報部隊長……ノワールがエルマール主席から得た情報ということですので、確実かと思われます。正確な場所は不明ですが……どうやらドラジェの山岳地帯を移動していた際に事故に巻き込まれたようです」
「事故って言いました? じゃあ興業じゃない意味での誘拐、って線もなしですか?」
「その辺りは不明です。しかし、安否の確認が取れなくなってからもう3日が経過したそうです。興業なら何かしらの発表があるのは勿論ですが、そうでなかったとしても声明が一切ないという点からソウヤ様の説はないものかと……」
思わずレオの表情が強張る。が、そんな母の表情に不安を覚えたのだろうか、彼女の腕に抱かれたままの、生まれてまだ3ヶ月である赤ん坊のレグルスは泣き声を上げ始めた。慌ててレオが息子を抱き上げてあやし始める。体を揺さぶれたことで安心感を覚え直したらしいレグルスはまだぐずってはいるものの、次第に泣き声が小さくなっていった。
「行方不明、ということは明確に死亡が確認されたわけではないんですね?」
レグルスが落ち着くのを待って、ソウヤがビオレに問いかける。
「今のところは……。ただ、山岳地帯と渓谷が連なっている場所らしく、フロニャの守護力も弱い場所ということです。もし谷底に落下してしまった場合は、発見すら困難ではないかと……」
「……それで、ビスコッティは先代領主様ご夫妻に対して、事実上のご逝去扱い、ということか?」
レグルスを刺激しないよう、声のボリュームを落としつつも、やはり難しい表情のままレオが尋ねる。
「そのようです。ただ、国を挙げての葬儀は行わない、と」
「先代領主様って姫様のご両親でしょう? それなのに、ですか?」
「ミルヒのことじゃ。99%もう助かっていない、とわかっていても残りの1%で生きているかもしれない、となれば、その1%を信じるじゃろう。それがあいつだからな」
「……なるほど。確かに理想主義で夢想家のあの方なら考えそうなことだ」
嫌味の入った夫に対し、レオが思わず鋭い視線を送る。それを感じ取ったソウヤは大人しく肩をすくめて言い過ぎたと謝罪の意思を表した。現実主義者である自分と真逆の思想を持つミルヒに対して時折ソウヤはこう辛辣になってしまう。相手が生粋の姫君ということで気後れを感じてしまい、話し相手として得意でないことは事実だ。だが、だからと言って別に嫌っているわけではない。言ってみればいつも通りのソウヤの余計な一言、の範疇ではある。
とはいえ、姉妹同然の隣国の姫君に対する一言としてはやはり少々腹に据えかねたために、レオは思わず夫を睨んでいたのであった。しかし当の本人も一応は反省の色を見せている。詰め寄ったところでどうせ直ることはないだろうし、やるだけ無駄だろうとレオは諦めの意味が濃く、突っ込むことをやめた。それにここでまた険悪なムードを作ってはレグルスがそれを感じ取って再び泣き出してしまうという危惧もあったからだった。
「それで……ビオレ。明日慰問訪問に出かけたいが、可能か?」
ある意味予想通りだったのだろう。だと思った、と言わんばかりにビオレが眉をひそめる。
「お言葉ですが、レオ様はレグルス様のお世話がありますし……。それにレグルス様をご出産されてまだ3ヶ月です。もう少し表立った行動はお控えになったほうがよろしいかと……」
「ちょっと顔を出すだけじゃ。お前もついてきてくれればレグルスの面倒もなんとかなるじゃろ。それに……。両親の行方がわからない、となれば、ミルヒは深く悲しんでいるに違いない。そんなミルヒを、ワシは少しでも元気付けてやりたいんじゃ……」
「レオ様……」
「ビオレさん、俺からもお願いします。多分こうなったらレオは何を言っても聞かないですし、まあそこをざっぴいても、俺も姫様のことは気になります。一応弟分が世話になってますからね」
2人からの強い要望に、根負けしたようにビオレがため息をこぼした。この2人にこうやって頼み込まれては断ることなどできるはずもない。
「……わかりました。ヴァンネット城の方に騎車と護衛騎士を回してもらえるように手配しておきます」
「すまんな。助かる」
言うほど申し訳なさを感じていないような主の口調に、思わずビオレは愛想笑いを浮かべてそれに応えた。
◇
ビスコッティとガレットは隣国同士であるが、その距離は決して近くはない。ビオレの要請によってヴァンネットから来てくれた騎車にレオ達が乗り込んだのが朝食を食べてややあってからだったが、ビスコッティに到着した時は既に昼頃になっていた。
ちなみに騎車に乗り込んだのはレオにレグルス、そしてビオレであった。ソウヤは久しぶりとなる戦の衣装に身を包み、愛騎ヴィットと共に騎士たちと共に先頭を走っていた。万が一凶暴な野生動物、言い方を変えれば魔物ともいえる存在に出くわした時、咄嗟に対応出来るようにするためである。また、ソウヤ自身が車に揺られるよりは自身の愛騎に久しぶりに跨りたいという思いもあったのだった。
フィリアンノ城に着く。出迎えたのは親衛隊長のエクレールと彼女の兄で騎士団長のロランだった。その親衛隊長の姿を見て、ソウヤは思わず眉をしかめる。
その髪は、初めてソウヤが彼女に会ったときのように首元までばっさりと切られていた。この数年伸ばし続け、いよいよ彼の愛妻ぐらいの長さになろうかという髪型を見慣れていただけに、どうにも拭えない違和感が心に広がる。
話は聞いていた。シンクがミルヒからの婚約に口約束ではあるが了承の意思を示したこと。それと時を同じくしてエクレールの髪が切られ、彼女は彼女でエミリオと婚約したこと。
彼ほど頭が切れなくても少し考えればわかることでもある。シンクへの思いが届かないと悟ったエクレールは髪を切り、その傷心の彼女をうまく口説いたか、あるいは彼女の方から当て付けの意味を込めたか、その辺りだろう。どこぞの
「お待ちしておりました、デ・ロワ卿にレオ閣下」
形式的にエクレールが固く挨拶を交わす。さて、とソウヤはさっきの予想がどの程度当たっているか確かめる意味を込めて挨拶を返すことにした。
「お出迎え感謝しますよ。エクレール・
「
なるべく顔色を変えないようにした様子はあったが、明らかに不機嫌に返したエクレールを見てどうやら予想は前者だった、とソウヤは気づいた。当てつけで婚約したならわざわざ姓を訂正する必要はないはずだ。それを訂正したということは、傷心の彼女は流れでエミリオからの求婚を受けてしまったが、その心はまだ決まりきっていない、という線だろう。チラッとロランの方へ視線を移すとそういうことだ、と言わんばかりに彼が肩をすくめたために、ソウヤは大体の事情を察した。
「……失礼、エクレール・マルティノッジ親衛隊長。それにロラン騎士団長も。わざわざありがとうございます」
「何、気にしないでくれ。ソウヤ殿にレオ様の訪問と聞いていたからね」
一方のロランの方は妹ほど肩肘張った態度ではないらしい。次いで騎車から現れたレオと、その腕に抱かれたレグルスを見ると思わず目を見開く。
「お久しぶりです、レオ様。それに……」
「久しいのう、ロラン。これはワシの子、レグルスじゃ」
「おお……」
ロランだけでなく、エクレールまで初めて見るレオが抱いた赤ん坊に興味津々の様子である。
「興味があるならせっせと子作りに励むのはどうですかね、ロランさん。うちのバナード将軍に勝るとも劣らない愛妻ぶりと聞きましたけど」
「……それはいささか過剰な表現だな。私もアメリタも育児に割ける時間がないのが現状でね」
「苦労人は大変じゃのう」
「そんなの俺やレオみたいに1年ぐらい休み取ったらいいじゃないですか。まああなたが無理なら妹さんでもいいかと思いますけどね。婚約はしたと聞きましたし、さっさと式でも挙げて結婚したら……」
「黙れ。それ以上喋るなソウヤ」
あからさまに不機嫌に、しかも最初の堅苦しい態度はどこへやら。今度は
「おい、エクレール」
「いいんですよ、ロランさん。こいつはこの方が
フン、と不機嫌そうにエクレールは鼻を鳴らして応えた。
「……大体私も兄上も休みなど取れるはずがなかろう。今のビスコッティの状況を鑑みればな。呑気に1年も休める貴様と一緒にしないでもらいたい」
「エクレール!」
責めるような兄の厳しい声が飛ぶ。無理もないだろうが、大分荒れているようだとソウヤは悟った。自身の主人の両親、しかも国にとっての先代領主が行方不明になった、となればこのぐらいナーバスになるだろう。加えてその前に触れるのはよろしくない話題が挙がっていればなおさらだ。
あまり彼女をささくれ立たせるのもよくない、とソウヤは判断した。慰問訪問に来たというのに相手方を刺激してしまっては何もならない。とりあえずさっさと目的を果たすが吉だろう。
「いいです。気にしてませんし、俺も言い過ぎたのは事実ですから。……まあここであれこれ話すとどうにも俺が余計なことを言ってしまいそうなんで、中に案内してもらっていいですかね?」
「ああ、それなんだが……」
何やら言いにくそうにロランが口篭る。昨日の今日で急な訪問だったからもしかしたらまずかったのかもしれない。
「実は今、姫様は城をお空けになっている」
が、返ってきたその答えにソウヤは違和感を覚える。もし城を空ける予定があったなら断ればよかったはずだ。しかしそれを受けている以上、一時的に空けているにすぎないだろう。
「城にいない? では一体どこへ……」
言いつつ、僅かにエクレールの表情が陰るのを目敏いソウヤは見逃さなかった。それである程度を把握する。
「……召喚台ですか」
「ご明察通り。さすがですね」
「ではシンクは今日来るのか?」
「ええ、そうなります、レオ様。姫様が嘆願したことでしたので」
なるほど、どうやら姫様は生じた心の隙間をシンクによって埋めてもらおうとしているらしい。なら慰問訪問などと自分達が来る必要はなかったかもな、などと毒のある考えが思わずソウヤの頭に浮かぶ。
しかしそれはそれだろう。恋人の慰めも大きいだろうが、姉妹同然の関係の人間、しかもその子供も一緒に、ということになれば慰問という意味合いとしては十分とも言える。
「じゃあ待たせてもらってもいいですかね。久しぶりにフィリアンノ城で飲む本家のお茶も頂きたいですし」
「ああ、了解した。応接間を準備してあるから、そこでお待ちいただきたい」
チラッとソウヤがレオのほうを振り返る。彼女の頷きで了承の意図を確認すると、マルティノッジ兄妹へ目でそれを伝えた。そのアイコンタクトを受け、2人が歩き出し、ソウヤ達もそれに続いた。
◇
マルティノッジ兄妹が来客を応接間へと案内する。目的の部屋のドアを開けると、2人は中のメイド達に後を任せてそれぞれ自分たちの持ち場へと去っていった。
2人が離れて行った後でガレット一行が応接間へと入る。それを待っていたかのように、部屋の中で待機していたメイド長のリゼルが頭を下げた。
「お待ちしておりました、デ・ロワ卿にレオ様。それに……」
自慢のメイドスマイルに加えて相変わらずの線目で視線の明確な行き先はわからない。が、どうやらビオレの方を見ているらしい。
「……近衛隊長殿も」
「お久しぶりですわ、メイド長殿」
ビオレもビオレで作ったような笑顔でそれに受け答える。放っておけばこのまま「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」などと不気味に笑い出しそうな雰囲気。2人の関係をある程度把握しているソウヤは思わずため息をこぼさざるを得なかった。
「相変わらず仲がよろしいことで……。それはともかくリゼルさん、その『デ・ロワ卿』って堅苦しい呼び方何とかなりませんかね? 公式の場ではさておき、こういう場ではあまり畏まらなくてもいいですよ」
「そうはいくか、ソウヤ。お前はいい加減ワシの夫という立場を理解せい。そういう者はそのように呼ばれて然るべきじゃ」
言葉を向けたリゼルではなく傍らのレオに突っ込まれ、ソウヤは肩をすくめる。これまで何度もそう言われてきたことだったが、彼としてはやはり堅苦しい呼ばれ方はどうにも慣れないようだ。
「レオ様のおっしゃるとおりですわ、ソウヤ様。……まあお掛けになってください。お茶をご用意いたします」
言われた通りにソウヤとレオが椅子に腰を下ろす。ビオレはレグルスが乗った乳母車の傍らに立ったままだった。リゼルがカートの上のカップを準備しようとする。それを見たビオレが念のため、と口を開いた。
「私は結構ですので」
「あらそうですか。もっとも、元々カップが足りませんでしたけど」
形式的に払った礼儀を無下にされたことにビオレの作り笑顔が引きつる。
「これ、あまり見苦しいところを見せるなビオレ」
「リゼルさんも。うちの近衛隊長を虐めないでおいてあげてください。……どうせそうやるならまた模擬戦やったらどうですか? 俺は見損ねてますし」
「見物にするほどでもありませんわ。それに戦場で互いに相見えたら決着をつけよう、という約束ですし。そうですわよね、近衛隊長殿?」
「ええ。メイド長殿のおっしゃるとおりですわ」
やはり放っておけばこのまま「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」と笑い出しかねない状況。意図せず、ソウヤは再びため息をこぼしていた。
「お子様……えっと……」
「レグルスじゃ」
「レグルス様は、さすがにまだお茶は飲めませんよね?」
それはそうだ、と言いたげにレオが眉を寄せる。まだ生後3ヶ月だ。そういうのはもっと成長してから飲ませるのがいいだろう。
「気遣いは感謝する。じゃがレグの世話はビオレに任せてある。大丈夫じゃ」
「そうでしたか。でしたらいらぬ心配でしたわね」
リゼルがソウヤとレオの前にビスコッティ特産のお茶を出す。香りを味わい、次いで実際の風味も味わう。ミルヒに送ってもらった茶葉でこれまでガレットでも幾度となく飲んだものだが、やはり本場のフィリアンノ城で飲むのは格別だ。
「姫様はもうしばらくしましたら戻られると思いますので、それまでお待ちください」
「わかりました。……で、メイドって人たちはゴシップネタとかをよく知ってそうだってのが相場なんで質問なんですが」
カップをソーサーへと置きつつ、だが表情はこれまでよりも険しくソウヤがリゼルに尋ねる。
「……先代領主様ご夫妻の失踪の件。事故だ、と聞きましたが、本当にそうなんですか?」
予測していなかった単刀直入な質問だったのだろう。思わずリゼルがたじろぐ。
「おいソウヤ」
「……どうにも引っかかる。確かに布告や声明がない以上、興業か否かに関わらず誘拐でないという話はわからないでもない。状況から事故だ、という見方が妥当だというのもわかる。……だが正式な失踪原因は不明。そして未だにはっきりしない。何とも解せない話だ。……だから質問です。ゴシップなネタでもなんでもいい、リゼルさん、何か知りませんか?」
そう言われても知らないものは知らない、と言いたげにリゼルは眉をひそめた。
「……申し訳ありません。私共もおそらく事故だ、という以上の話は伺っておりません。姫様も大変にショックを受けていらっしゃるようで、口にしたがらない話題ですし……」
そこまで話したところでリゼルは口を噤む。やはり情報が全く入ってきていない。仕方ないか、とソウヤはカップを口へと運んだ。
「そうですか……。すみません、変なことを聞いてしまって」
「いえ。ご期待に副うお答えを返せず、申し訳ありません」
形式ではあろうが、リゼルが軽く頭を下げた。
と、その時、扉をノックする音が部屋に響く。
「失礼します、姫様と勇者様がいらっしゃいました」
その言葉から短く間があって、扉が開いた。クリーム色の髪にまだどこかあどけなさの残るメイドに連れられて現れたのは、この城の主である姫君のミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティと、この国の勇者にしてその姫君の婚約者候補のシンク・イズミだった。
ソウヤとレオが立ち上がる。2人にとって久しぶりに目にする互いの友人に思わず懐かしさを覚える。が、久方ぶりの再会だというのにビスコッティ側2人の、特にミルヒの表情はどこか沈んでいた。それもそうだろう。両親の行方が未だわからないのだ。
「久しいのう、ミルヒ」
だがそんな様子に気づいていてなお、レオは妹同然の、いや姉かもしれないが、隣国の姫君へと明るく声をかけた。彼女なりの気遣い、自分と話す時ぐらいは辛い現実を忘れてほしいというものだった。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。お久しぶりです、レオ様。それにソウヤ様も。お元気そうですね」
ぎこちない笑顔でミルヒが返す。その笑顔を見たレオは「お前もな」とは言いかね、開きかけた口を思わず閉じた。代わりにその言葉をかけるべく、今度は視線を傍らの勇者の方へと移す。
「お前も元気そうじゃのう、シンク」
「おかげさまで、なんとか。でも今月から新しい学校に通うようになったんで、結構バタバタしてるんですけどね……」
「ああ、そういえばお前は今年から大学生だったか」
「一応ね。実のところ、今日はちょっと無理してこっちに来たってところだけど……」
ソウヤは大学に通ったことがないために実際にどのぐらい忙しくなるのかはわからない。だがこれまで高校に通いながらの往復生活が結構な負担になっていたことは事実だった。そこに加えて環境が変わっての新生活が始まったばかり、となれば暇ということはないだろう。
しかしその状況をおしてもなお、シンクはフロニャルドへの訪問を決めていた。両親の失踪、という事態のために落ち込んでいる姫様の気持ちを思ってのことだろう。ソウヤはそのように予想したが、だったら保留している口約束の婚約を正式に了解した方が彼女のためになるだろうと思わずにはいられなかった。
「姫様、勇者様、ご苦労様です」
そんな2人に労いの言葉をかけ、リゼルが席にお茶を差し出す。が、ミルヒはそこに座ろうとせず、レオの傍ら、乳母車の方へと引き寄せられるように歩き出す。そんな姫君の様子に一度怪訝そうな表情を浮かべた勇者とメイド長だったが、すぐその目的を察した。次いでシンクもそこへと歩み寄る。
「こちらは……レオ様のお子様ですか?」
「ああ。他に誰の子というんじゃ。ビオレか?」
「レオ様の……お子様……」
再度同じ言葉を口にしたミルヒだが、どうにも実感がわかない、と言いたげな口調である。
「お名前はなんと……」
「レグルスじゃ。レグルス・ガレット・デ・ロワ」
「ってことは……ソウヤはお父さんになったってことでいいんだよね?」
「そうなる。いや、そうでないと困るな」
「……ソウヤ、それはちと笑えない冗談じゃな?」
レオからの冷笑を浴び、ソウヤは肩をすくめる。その間、ミルヒはずっと興味津々といった様子でレグルスを見つめていた。
「抱いてみるか?」
「いいんですか?」
答える代わりにレオがレグルスを抱き上げ、ミルヒに手渡す。恐る恐る、しかし好奇心には勝てない様子で彼女はレオの子を手に抱いた。愛らしい眼で自分を見つめられ、思わずミルヒの表情が緩む。
「……かわいいですね」
「そうじゃろう。親馬鹿と思われるかもしれんが、ワシもかわいくてかわいくて仕方ないんじゃ」
「でも何だかちょっと信じられない気持ちもします。レオ様がお子様を出産なされて母親になったと、頭ではわかっているのですが……」
「確かにそうですね。こいつが母親、なんてのは夫の俺でさえいまひとつ信じられないところがありますよ」
「ほう……? お前、最近ワシがおとなしいからと随分とでかい口を叩くようになったのではないか?」
そんな2人を苦笑を浮かべつつミルヒがなだめようとするが、腕に抱かれていたレグルスがその空気を不安に感じ取ったのだろうか、次第に目元に涙が溜まり始める。次いで嗚咽のような声が漏れ始めた。
「あっ……! レ、レオ様……」
慌ててミルヒが母親に子を返す。「よしよし……」とあやされて段々レグルスも落ち着いてきたようだ。
「……ま、なんだかんだ言ってもこうやってレグをあやしてるこいつを見ると、やっぱり母親なんだなっては思いますけどね」
口元を緩めつつ、ソウヤが呟く。
その様子を見たレオは初めて会った時と比べたら大分変わったなと改めて思った。だが、今でもやはり口は悪くどこかひねくれ者である。それでも時折こうやって口にされる言葉は、彼の本音に違いないと彼女はわかっていた。だから今更「愛している」だの「結婚してよかった」だの、確かに言われれば嬉しいものの月並みな言葉を
今も自分と軽口を叩き合っていたが、ふと出たその一言でレオは満足していた。間違いなく自分を信頼している、という証明に他ならない。彼女も勿論彼を信頼しているし愛してもいる。しかしわざわざ言葉に出さずとももはやわかりきっていることだろうし、彼が自分にそうしているように、彼女も意図せず本音をこぼすことがあるだろうから、それで十分だろうとも思っていた。
やはり家族というものはいいと改めて実感する。言葉だけが互いの信頼関係を作っているわけではないと気づかせてくれる。可能なら、ミルヒにもこの感覚を味わってほしい。両親の行方がわからないという辛い現状であっても、自分を支えてくれるパートナーがいればきっと乗り越えられるであろう。
「……ありがとうございました、レオ様。赤ちゃんを抱かせていただいたのは初めてですが、なんだかそれだけで元気がもらえるみたいに感じます」
「ああ、そうじゃろう。……じゃからミルヒ、お前も結婚したらどうじゃ?」
予想していない問いかけだったらしい。一瞬驚いた表情を見せた後、ミルヒはその顔を陰らせた。
「……今はそういう時ではないと思っていますので。それに、シンクにも都合がありますから。私ひとりでどうこう、ということは出来ないと思っています」
「僕も大学に入ったばかりで、もうちょっと先延ばしにしてもらいたいと思っていたから……。もうしばらくは往復生活かな……」
どこか呑気そうに聞こえたシンクの一言に思わずソウヤはため息をこぼしていた。ミルヒを支えるべきは間違いなくこの勇者のはずだ。だが、地球との生活の板挟みにあって思うように動けずにいる、ということもわかっている。それ故に強くは言えない。
「……私がレオ様のお子様を抱いてから立ち話になってしまいましたね。お茶もありますし、お掛けになってください」
ミルヒの薦めによって4人が腰を下ろす。しかし口が悪い自分が「慰問」として訪れた役割を果たして全うできるのか、ソウヤはどこか先行き不安そうに苦笑を浮かべていた。
◇
ミルヒ、シンクとしばらく話した後、旅で不在の隠密達以外のビスコッティの面々に一通り挨拶を交わし、慰問訪問は終わった。ソウヤとレオの一行はフィリアンノ城を出発して帰路へと着いていた。その騎車の中、レオが神妙な面持ちでレグルスを抱いている。
「姫様……やはり落ち込まれておりましたね……」
ビオレにかけられた言葉にレオは無言で小さく頷いた。
「シンク君と口頭とはいえ婚約を交わされたと聞いていたので、喜ばれていた矢先のことと思うと……」
「いや……。それもそう簡単なことではなさそうじゃな」
「と、言いますと?」
「シンクはシンクで元の世界の生活が忙しいようじゃ。別にワシは勇者での往復生活で結婚しようが構わないと思っておる。実際ソウヤにそのように提案したこともあったわけじゃし。それにミルヒもそのようじゃが。……しかしソウヤといいシンクといい、そこはなぜか譲ろうとしないみたいでな。責任感のようなものを感じておるのかもしれんな」
レグルスの頭を撫でながら、レオはため息をこぼす。彼女としてはこれまでの関係から一歩を踏み出そうとしたミルヒを応援してやりたい気持ちはあった。しかし今日の会談でわかったことだったが、現在の状況が状況なだけにミルヒは口約束の婚約を正式なものに変えようというつもりはしばらくないらしい。シンクの現状を省みてのことでもあろう。
しかしそれだとしても2人の進展はなるべく早い方がいい。そろそろ結婚を考えるべきなミルヒの年齢、ということがある。2人のために身を引いたエクレールのため、ということもある。ミルヒは「時期ではない」というようなことを述べたが、レオから言わせればそれは逆、ここで明るい話題を出すことで先代領主失踪という暗いニュースを吹き飛ばし、領主として改めてこの状況に臨むべき、と思っていた。
そのことは会談中に提案したのだが、やはりというべきか、ミルヒはそれを断っていた。ならせめて勇者として妹、あるいは姉同然の姫君を是非とも支えてやってほしい、とレオはシンクに嘆願した。彼はそれを了承してくれた。ならばしばらくはミルヒの支えとなってくれることを祈るしかないだろう。
「レオ様、あまり考え込みすぎない方が……」
ビオレに声をかけられ、レオは彼女を見つめて数度目を瞬かせる。
「ワシはそんなに考え込んでいるように見えたか?」
「ええ、とても。確かに今回は不幸な
事故。その単語に対してレオは違和感を覚える。
本当にそうだろうか。そう言えばミルヒが来る前にソウヤがリゼルに熱心に質問していたことを思い出した。
確かに彼の言うとおり今回のビスコッティ先代領主の一件は不可解な点がある、とも思える。しかしいかに正確な情報が入ってこないとはいえ事故は事故だろう。そのようにいらない考えを働かせてしまうのはソウヤの悪い癖、とも言えた。
だがその一方、ひょっとしたら夫が考えているようなことがあるのかもしれない。だとするなら、それはビスコッティに不穏な空気をもたらすことに他ならない。
いや、あるはずがないと、その不吉な予感を振り払うようにレオは頭を振った。確かにここ最近で召喚される異世界人が増えたことで情勢が芳しくなくなった国はある。そのように情勢が悪くなるなどということが、よりにもよってビスコッティで起こるはずがない。やはり考えすぎなのだ、という結論に彼女は達した。
「そうじゃな。お前の言う通りじゃな、ビオレ。不安ではあるが、ワシ達は事が良き方へ動くことを願って、見守る他なかろうな……」
レグルスの成長も、と彼女は心の中で付け加える。母親となってから見守ることが増えた。やきもきさせられることも多いが、そういうものなのだろう。
目を細めて彼女がレグルスの頭を撫でる。心地良さそうに身を揺さぶらせた我が子を見た彼女は、これからのこの子の健やかな成長と、そして隣国の平穏な未来を思わず願わずにはいられなかった。
console for~:~を慰問訪問する。タイトルは「ビスコッティ慰問訪問」といったところで意味が合ってるはず。