◇
「リコッタが……誘拐された!?」
一瞬前にはノワールの慌てた様子に珍しいと思ったソウヤだったが、今度は自分がそうなる番だとは思ってもいなかった。だが驚かざるを得ない。
『リコ、昨日今日ってパスティヤージュのエスナートに行ってたの。勇者召喚についての意見交換会とパスティヤージュの研究員との会合があるって。その帰り道、空騎士達が空路で送迎するフリをしてそのままパスティヤージュのグラサージュ砦に……』
「間違いないのか?」
『間違いないよ。パスティヤージュの動きを探らせていた隊員の情報だし、リコもまだビスコッティに戻ってきてないのは私が確認を取った』
ギリッとソウヤは奥歯を噛み締める。パスティヤージュ、しかもまさに危険な橋を自ら渡ろうとするかのごとく、このタイミングでビスコッティに仕掛けたとしか思えないリコッタの誘拐。
「あの小娘め……! 余計なことを……!」
思わずソウヤは恨み言を吐いた。ソウヤが小娘と呼んだ人物、つまりクーベルが主犯であろう。やりそうなことだと彼は思う。以前もビスコッティとガレットが互いに勇者召喚した後で、留学から帰ってきた彼女は「自分だけ除け者にされた」と大いに騒いでいたことを思い出す。その結果、三国間で擬似勇者による戦興業なんてことまで起こったほどだ。彼女には何か考えがあるのかもしれないが、ソウヤから言わせてもらえば要するに「自分にも一枚噛ませろ」と言いたいらしいということに他ならなかった。
だがそれだとしても今はその時ではない。ビスコッティの状況を考えれば余計なことはするべきではないのだ。国内の状況に加えてこれだけあっさりと要人が誘拐された、とあってはビスコッティがやや混乱状態にある、ということを世間的に証明してしまいかねない。そうでなくても前回の姫様誘拐未遂の一件からさほど時間が経っていないのだ。これでは隣国のマイナスイメージが大きく印象付けられることになる。加えてガレットとの戦を入れれば2戦目、国外との戦を行うようになった、とあれば他国、殊にカミベル辺りがまた動き出す懸念もあった。
「布告は?」
『まだされてない。今ビスコッティの騎士団はドラジェと合同演習中で城に戻ってきてない。だから戻ってきてから布告するんだと思う』
「なるほど、それで時間がないって言ってるのか。もし
あの優秀な隊長が側にいながらまた暴走する領主を制することができなかったのか、と再びソウヤは歯噛みする。なんだかんだ、あの人は領主に甘い。暴走が最終的にいい結果をもたらすことが多いからと目を瞑ってしまうのだろう。今回ばかりは少々きつくお灸を据えねばなるまい、とソウヤは思う。
『それで……どうするの?』
「布告がされていないのなら、その前にやめさせる。とはいえ、口頭や文書で言ったところでやめる意思は見せないだろう。おそらくキャラウェイさんも釘は刺しただろうに、これだけのことをやろうとしているんだからな。ならこっちがやることはひとつ、
ソウヤはそれが妥当と判断してのことだった。別に戦を仕掛けるな、とは言わない。ただ誘拐未遂が行った後のこの時期に誘拐興業はまずいと言いたいのだ。だから、一旦これを揉み消し、後日改めてやってほしい、というのが彼の考えである。
『やっぱり……。ソウヤならそう言うと思ってた。でも遊撃隊は今まだ戦闘中じゃ……』
「連れて行きたいが、さすがに無理だろうな。だから俺だけ抜ける。……今動ける諜報部隊をかき集めたら何人になる?」
『えっと……30人ぐらい……』
「十分だ。それでいい。ここからガレットの街道までヴィットをとばして小一時間で着く。それまでに動ける連中と、適当に攻塞戦用の装備を用意しておいてくれ」
そう言うとソウヤは通信を切ろうとする。
『ちょ、ちょっと待って! 相手は500……空騎士は200ぐらいは砦にいるって隊員の情報が……』
「関係ない。リコッタを奪取すれば、いや、あの
通話先のノワールが絶句するのが、通信機越しにもわかった。まあそうだろう。500相手に2人で突破など、大陸最強の自由騎士とその相棒であるならまだしも、ソウヤとノワールという力押しができない技巧派2人では不可能にしか見えない。だがそれは正面から仕掛けた場合の話だ。
言うまでもなくこの男は正面からの戦闘など微塵もやるつもりはない。相手はお世辞にも真っ当とは言えないの方法でリコッタを誘拐した。ならこちらもグレーゾーンの奇襲を仕掛けようが文句を言われる筋合いはない。ましてや戦力差は相当開いている。なら別に何の咎めもないはずだ、とソウヤは考えていた。手段を問わずにそこまでを考えに含めた場合、ソウヤとノワールの2人でも十分目的を達成できる、彼はそう固く信じていた。
「まあ任せろ。とにかく小一時間で戻る。合流までに諜報部隊を連れて準備しておいてくれ」
通信を切り、ソウヤはテントを出る。そのまま駆け出し、遊撃隊が待機している本陣へと戻った。
「ベール!」
「あ、ソウヤさん」
「悪いが非常に重要な急用が出来た。俺は今からこの場を離れる。遊撃隊の指揮はお前に任せる。後は頼むぞ!」
言いたいことだけを言い残し、ソウヤはヴィットに跨る。その姿に「え!? あ、ちょっと!」と明らかに狼狽するベールの声が聞こえてくるが、その声を無視してヴィットに輝力を込め、ソウヤは風の如く駆け出していた。
◇
パスティヤージュ、グラサージュ砦。送迎を装った「誘拐」により連れ去られたリコッタがその大広間へと通される。砦にしてはなかなかに豪奢、さすが芸術の国などという呑気な考えが一瞬よぎったが、今はそんなことを考えている場合ではないとリコッタは頭を左右に振った。
「おおー! よく来たな、リコ!」
そんな彼女の悩みなどどこ吹く風。この騒動を起こした張本人が全く悪気のない様子で誘拐されたリコッタを出迎えた。
「クー様……これはどういうことでありますか!?」
リコッタにクー様と呼ばれた女性――クーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュがその発言に対して予想もしていなかった、という表情を浮かべる。以前はリコと同じような背丈と体型であったが、どこでどう差が出たか、彼女の身長こそリコを少し越えた程度だが、それでいて出るべきところもそれなりに出てきている。
「どういうこと、って……。リーシャから聞いたであろう? 誘拐させてもらったんじゃ」
「だとしても……このタイミングはまずいであります! クー様も今ビスコッティがどういう状況になっているか……!」
「わかっておる!」
自身の言葉を遮られる形で述べられたクーベルの強い口調。思わずリコッタはビクッと肩を震わせた。
「……わかっておる。でも以前から何度相談しようと連絡しても、ミルヒ姉はウチに何の相談もしてくれない……。ウチは寂しいんじゃ。またそうやってウチだけ蚊帳の外で……。力になりたいのにミルヒ姉が自分で大変なことを背負い込んでしまうなら、いっそこうやるしかなかったんじゃ……!」
「クー様……」
そんなクーベルに対し、頭ごなしに否定しようとしたリコッタは出鼻をくじかれた。彼女の言いたいことはよくわかる。相手にしてもらいたいというだけでちょっかいを出してきたわけでない。あくまで彼女の大好きなミルヒの苦境を見るに見かねて、自分もそこに協力したいという純粋な思いからの行動だったのだろう。
だがそれでもこのアプローチは
それはまずい。「火薬庫」と呼ばれるカミベルは虎視眈々と周辺各国に付け入り、自国の国力をアピールする状況を狙っている。実際先代領主が行方不明になった、という情報の後、激励という名目で戦が申し込まれたこともあった。幸いロランの口添えもあり、ミルヒがしばらくの国外との戦をやらないという方針だったために事なきを得たが、あれは明らかにビスコッティの状況をさぐるためだとリコッタは思っている。そんな最中、この誘拐戦が起きれば混乱に乗じて行動を起こす可能性がある。加えて国家間で誘拐戦が発生した、という事例によりアプローチがこれまでより激化する懸念も彼女にはあった。
「クー様の気持ちはよくわかったであります。でも……でも今はやっぱり待ってほしいであります! 自分はこのままビスコッティに……」
「ダメじゃ! それなら布告後にミルヒ姉が断れば済む話じゃ。布告さえ出来れば、これだけの無理をやったということでミルヒ姉はきっとウチの心遣いに気づいてくれる。今まだビスコッティはドラジェとの合同演習中という話じゃから、もう少しして宣戦布告が済めば、返答次第ですぐにリコを返してやれる。それまでは待ってくれ」
それではまずいのだ、と再度リコッタは歯噛みする。この事態は布告が行われるより先に、他国が動きに気づくより先に揉み消さなければならないことなのだ。
だが自分がここでどう言おうと言い分としてはクーベルの方にある。彼女の言うとおり、当事者ではなく布告された相手が拒否しない限り解放はされない。今の自分はどうすることもできない、と彼女は俯いた。
と、その時だった。彼女が何かを思い出したように顔を上げる。
そうだ。他国――すなわち
そしてその諜報部隊から足の軽い部隊――つい先日設立されたばかりという遊撃隊に出動命令が出て自分を
思い当たったその考えは、やがてすがりつくような願いへと変わっていく。だったら、そこに賭けるしかない。先日の内戦による誘拐戦を未遂にした蒼穹の獅子ならきっとやってくれるに違いない。
祈るような気持ちで、リコッタは砦の窓から外へと視線を移した。
◇
合流予定の街道にソウヤを乗せたヴィットが近づいてきたのは、指定時刻よりやや早い時間帯だった。その姿を確認し、ノワールを隊長とする諜報部隊のセルクルが駆け出し始める。やがてそこ追いついたソウヤがノワールと顔を合わせた。
「状況は?」
「まだ動き無しみたい。ビスコッティへの布告も行われていない」
「よし、なんとか間に合いそうだ。場所はグラサージュ砦だな? こっからだと小一時間ってところか。電撃戦でなんとかできそうだな」
「でも……ソウヤ大丈夫? ここまでヴィットに輝力を込め続けて全力でとばしてるんじゃ……」
「んな弱音言ってられるか。大体この後俺1人で砦の戦力の大半を引き受けようとしてたんだ、この程度でひいひい言ってられねえよ」
やはりというかなんと言うか。本気でこの男はこれだけの戦力で空騎士を含むパスティヤージュの500の戦力に仕掛けるつもりなのだとノワールは改めて思った。常識で考えれば到底無理な話、失敗すれば「ガレットが横からちょっかいを出した」という自国によってあまりよくない結果だけが残ることになりかねない。
なのにこの遊撃隊長の自信はなにか。失敗など最初から眼中にない、その目は間違いなくこの作戦の成功を、そしてその後の展開までも見据えているように見える。つくづく敵に回さなくてよかったと思える存在だという考えがノワールの頭をよぎった。
「なんだ、じろじろ見て。作戦が知りたいってか?」
「そういうわけじゃなかったけど……。でも作戦は知りたいよ」
「簡単だ。俺が引き付ける、お前たちが突入する、そして合流して俺が小娘にお灸を据えに行く。以上だ」
説明に全くなっていない、とノワールは苦笑を浮かべた。だがおそらく言ったことをこの人はやる、ともわかっていた。
「信じられないって顔だな。弓と鳥との相性は抜群と、俺が読んでいた小説では相場が決まっていた。それに忘れたか? 俺と空騎士の相性は俺とレオよりいいって揶揄されてるほどだぞ」
そこで彼女はようやく思い出した。ソウヤがフロニャルド永住を決めた頃に行われたガレットとパスティヤージュの戦、今から約3年程前だったと確か記憶している。
レオが領主の座を退いて顧問役に移り、16歳になったガウルが仮領主の座についた頃の出来事だった。いよいよレオが領主の座を降り、さらに召喚勇者のソウヤもフロニャルド永住を決めたということで、かねてから噂されていた2人の結婚もついに秒読みではないか、と言われていた時期の話である。
そんな2人の噂を快く思っていなかったのが、パスティヤージュのクーベルだった。元々ソウヤとは初対面から反りが合わず、しかも彼女にとって姉のように慕っていたレオを奪おうとしている存在。どうにかしてこの一件に水を差してやろうと、ガレットとの戦にかこつけて、その戦の最中にソウヤ1人を指名してリーシャが指揮を執る空騎士50をけしかけたのだ。
だが、それは勝負にすらならなかった。個のポテンシャルが突出しているほどでもない、いわゆる「質より量」の相手にめっぽう強いのがソウヤだ。加えて遮蔽物のない空、防御より回避を得意とする空騎士、そしてソウヤの武器は弓。
全ての状況が味方になったソウヤは一射目の「バリスタ」で空騎士の半分以上、約6割を消し飛ばした。固まると紋章砲の餌食になると判断したリーシャは隊を散開。だが今度はそれを待っていたかのように「アルバレスト」が散らばった残りの空騎士を追跡して撃ち抜き、わずか二射にしてソウヤと対峙した空騎士はほぼ壊滅状態となった。おそらくリーシャの能力を持ってすればその状態からでもソウヤといい勝負を繰り広げることは出来たであろう。だがわずか数分と経たないうちに指揮した隊が壊滅する光景を目の当たりにした彼女はもはや戦意を喪失していた。結果クーベルの目論見は失敗し、逆にソウヤの実力を広く知らしめることとなってしまったのであった。
以来「ガレットの元勇者を見たら陸戦騎士に任せて逃げろ」というブラックジョークがパスティヤージュの空騎士達の間でまことしやかに囁かれるようになった。一方のソウヤも「お前が空騎士と戦うとあまりに一方的過ぎて盛り上がらない」とガウルに苦言を呈され、以降のパスティヤージュとの戦においては空騎士がいない場所に配置される、実質
だが今回は相手もあまりよろしくない方法でリコッタの誘拐を行っている。だったら自重の必要はない。久しぶりに大暴れ出来ると、ソウヤの口元が獰猛な笑みを浮かべる。
「……ソウヤ、この状況を楽しんでない?」
「楽しむ? 出来るかそんなこと。……でもな、休暇前は『量より質』な相手ばっか……というかシンクとばっかやらされてたからな。あいつと戦うこと自体は嫌いじゃねえし、分の悪い勝負でいかに負けを取らないようにするか考えるのも好きだが……。あまり頭を働かせず正面からぶつかって、しかも大部隊を蹴散らすって方が結構スカッとするのは事実だ。で、久しぶりに心が躍ってるってのはある。……まあこんな面倒な状況を引き起こしてくれた、ってんでどっかハイになってる部分はあるがな」
そう言って声を噛み殺してソウヤが笑う。
ああ、こうなった時のこの人は
ではそれを超えた場合はどうなるのか。今彼女の目の前で笑みを浮かべているように、
しかし相手が空騎士が中心とあれば、最初に彼が言った通りソウヤとノワールの2人だけでも勝機があったのだろう。加えて今ここにはノワールが指揮する諜報部隊がいる。本来戦闘がメインの部隊ではないためソウヤが普段指揮する遊撃隊と比べると直接戦闘の能力は劣るが、それでも手練れ揃いであることに変わりはない。
「じゃあソウヤが空騎士を引き出して迎撃、おそらくその対策として陸戦騎士を出してくるだろうから、その時開いた砦門に私達が突入すればいい、ってこと?」
「そういうことだ。理解が早くて助かる。どっかの小娘に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ」
そう言って再びソウヤは小さく笑った。その様子を見てノワールは痛感する。この人を怒らせるのは避けよう、と。レオやガウルのように直情的に怒りをぶつけるのとは全く別物、退路を塞いだ相手をじわじわ追い詰めていくようなこの怒りのぶつけ方はやられたいとは到底思わない。
そういう意味で彼女はこれからその矛先が向くであろうクーベルに同情せざるを得なかった。おそらく向こうもこちらの奇襲に応戦してくるだろう。だが掌で踊らされた挙句、敗北を喫す未来しか、今のノワールには想像できなかった。その上でソウヤはクーベルを丸め込み、自分に有利な方向へ話を持っていくことだろう。
つくづく、今この場で彼と並走出来る立場でよかったと、ノワールは改めて思ったのだった。
◇
誘拐されてから既に2時間近くが経過しようとしている、とリコッタは部屋の時計を見つめて思った。あれから何度かクーベルを説得しようと声をかけてみたが、結局話し合いは平行線だった。ただいたずらに時間だけが過ぎていく。
「むう……。キャラウェイ、ビスコッティはまだ合同演習から戻ってきていないのかの?」
「もうしばらくかかるでしょう。最速でも夕刻前に始められれば早いほうかと。場合によっては明日となることも考えられますので」
「そうか……。どうもリコは早く帰りたがっているようだから、急ぎたかったのじゃが……」
そしてあまりにリコッタがこの誘拐をやめるように言ったために、とうとうクーベルはリコッタが早く帰りたがっているものだと勘違いし始めてしまっていた。
リコッタはきっと横槍が入ると信じている。だが、もう時間がない。布告をされてしまった時点でアウト、あと1時間もすれば布告自体はされてしまうだろう。
「ううむ、待つというのはどうにも性に合わんようじゃ。……もういっそのこと演習から戻ってきてなくても、フィリアンノ城のメイド長辺りに伝言形式で誘拐戦の布告をしておくというのは……」
「それはまずいでしょう。仮にも国家間の戦ですし」
不安な心中のリコッタと対照的、聞こえてくる2人の会話はどうにも呑気に聞こえてしまう。ダメ元でもう1度説得してみようか、と彼女が口を開こうとした。
――その時だった。
突如窓ガラスが割れた。飛び込んできたのは1本の矢。その矢も割れたガラスも、近辺に誰もいなかったために当たりはしなかったが、不意に破られた静寂によって部屋に動揺の空気が走る。
「な、なんじゃ!?」
驚くクーベルとキャラウェイには目もくれず、リコッタは飛び込んできた矢を見つめていた。
(本当に……来てくれたであります……!)
飛び込んできたのは矢だ。間違いなく「彼」だ。そうリコッタは確信する。
「ん? 矢の先に何か……」
床に落ちた矢を拾い上げ、キャラウェイがそこに結んであった紙のようなものを開く。そしてその目が流れるにしたがって、次第に表情に驚きの色が浮かんでいった。
「……クーベル様、これを」
次いでその文面を読んだクーベルの眉がキリキリと吊り上がる。
「『貴国が誘拐した主席を即時解放願いたい。聞き届けられない場合、当方に奪還の用意あり……』。どういうことじゃ!?」
「……扱いとしては要人誘拐戦ですかね。完全にこれは横槍ですが。こちらが誘拐戦を布告する前に、その
「な……! じゃあウチの計画を邪魔しようということか!?」
「そういうことになるかと思います」
未だクーベルは信じられないらしい。リコッタの誘拐はまだどこにも知られていないはず。布告のための公表をしていないのだから、表沙汰にはなっていない。
これは契機とばかりに、リコッタも口を開いた。
「クー様。自分からもお願いであります。どうか、その書状の通り、自分をここで解放してはいただけないでありますか?」
「……リコ、お前はウチに……パスティヤージュに、こんな道義のない要求に屈しろ、と言うのか……?」
口調こそ激しくはないものの、彼女は明らかに怒りの感情を抱いている、とリコッタにはわかった。だがそれを言い出したら自身を誘拐したこの方法自体が道義に反する、とも言える。しかしそれを指摘したところで水掛け論、こうなってしまったクーベルを見ては火に油を注ぐことになりかねない。
「悪いがリコ、その案は却下じゃ。……ウチはこの無礼者を蹴散らし、ミルヒ姉のために、ウチの意思を伝えるためにビスコッティに布告してみせる……!
キャラウェイ! リーシャに指揮を執らせ、空騎士達に空からの偵察をさせるのじゃ! 怪しい影を見かけたら即座に攻撃を許可する!」
「……よろしいんですね?」
「愚問じゃ! 2度も言わせるな!」
わかりました、とキャラウェイが部屋を後にする。相変わらずクーベルは眉を吊り上げていたが、果たしてしばらくした後、同じ表情が出来ているのだろうかと、思わずリコッタの頭に意地の悪い考えが浮かんだ。
◇
一応名目上の書状を
わざわざ挑発気味に矢文、などという方法を取ったのには訳があった。無論彼はこれで相手がほいほいとリコッタを解放するなど思ってもいない。いや、
と、砦から何かが空に羽ばたくのが見えた。パスティヤージュ自慢の航空戦力、空騎士だ。数は数十。それを見たソウヤは反射的に舌打ちをこぼす。
「
偵察ということはわかっている。だが彼はここで砦にいる空騎士
出てこないなら引っ張り出すまでだ、と彼は背後に紋章を輝かせてエクスマキナを弓――それも通常よりも巨大な弓へと変化させ、その場に腰下ろした。両足で弓を支え、輝力生成した矢を同様に輝力で強化した弦に番える。
「挨拶代わりだ……。受け取れ!」
「ストーム・オブ・バリスタ」――ソウヤの対攻城・要塞戦用の紋章砲。とにかく矢の数を撃つことにのみ特化した、まさに砲台とも言うべき紋章術により、矢の雨がグラサージュ砦へと降り注ぐ。砦敷地内に待機していた騎士の中にはこれで早くも戦闘不能になる者もいるだろう。
だがそれは副次的なものだ。真の狙いは弓兵がいる、と相手にわからせること。それも今の矢の数からそれなりの数だ、と錯覚させることだ。
果たしてソウヤの読み通り、砦から更に空騎士が合流するのが見えた。数は数倍に膨れ上がり、おそらくほぼ全戦力だろう。こちらに攻撃を仕掛けてくると見てまず間違いない。
しかし二射目を撃つ前にソウヤはヴィットへと飛び乗る。今の一撃で相手にこちらの場所は相手に察知されているはずだ。二射目より先にパスティヤージュ自慢の晶術砲撃が降り注ぐことだろう。防御しきれないことはないだろうが無駄な輝力の消費になりかねない。場所を変えて回避した後、撃ち終えた相手が「やったか!?」などと思っているところに確実に二射目を撃ち込むのが彼の狙いだ。
「ヴィット、一先ずここを離れろ!」
主の声にヴィットが最初の射撃ポイントから離れる。一瞬間があって、先ほどの場所へと鮮やかな数十もの光が殺到し、次いで土煙を巻き上げた。やはり防御という選択肢を取らなくてよかったという思いが彼の心をよぎる。あれを防ぎきるにはそれなりの輝力を動員しなくてはならなかっただろう。
そこに巻き込まれなかったソウヤはヴィットから転がるように飛び降りる。そして一射目と同様に弓を構え、しかし今度は先ほどよりも紋章を鮮やかに輝かせる。一方で精製する矢は1本辺りの大きさは大きくなったものの数は少ない。
ターゲットをロックオンする。相手は今の射撃で火力を集中させたために密集気味の隊形。模範的な戦い方ではあるが、自分が狙ったとおりのおあつらえ向きな状況に思わずソウヤの口元から歯が覗いた。
「今度は本命だ……。吹き荒ぶ弩弓の嵐、とくと味わえ! ストーム・オブ・バリスタ!」
放たれた数十本の矢は一直線に空騎士へと迫る。相手もそれを目視して迎撃用の拡散防御弾を撃ち出すらしい。だが、ソウヤは命中を確信して笑みをこぼした。
次の瞬間、矢は弾けてさらに小型の矢へと変わり、弾幕を形成した。一発の輝力の矢を弾けさせて複数発に分裂させるベールの紋章砲「フラッシュアローズ」を応用して自身の紋章砲へと組み込んだ、回避不能の矢の嵐。その矢を前にして、晶術による防御弾幕程度では迫り来る紋章砲の弾幕を防ぐことは叶わなかった。防御の幕を消し飛ばされ、空騎士達が次々とだま化していく。その嵐が駆け抜けた後には、もう空騎士の数は当初の半分程度になっていた。
相手が散開する。防御は不可能と判断して回避に移ったのだろうか。だが隊を散開させた瞬間、既に勝敗は決していたと言っても過言ではなかった。
「それじゃいつぞやの時と同じ展開じゃないか、
既にソウヤは立ち上がり、左手の弓状となったエクスマキナは普段のサイズに戻っている。そして右手の指の間に輝力による矢を数本作り出し、散開した空騎士へとソウヤは狙いを定めた。
「とどめだ、ヘッジホッグ・アルバレスト!」
◇
彼女は自責の念に駆られていた。初撃の砦への矢により、相手は50程度、せいぜい多くて100の弓兵と見ていた。その程度なら集結している空騎士の全戦力を導入して空から砲撃すれば簡単に勝負がつく。撃ち合いになったとして数で勝るこちらに負けの要素はない。
そう考え、密集隊形からまず様子見に一斉射。だが既にこれが相手の思う壺だったのだ。次に飛んできた回避不能、防御弾をあっさり消し去る弾幕という想定外の容赦ない紋章砲をなんとか堪え、しかし指揮した隊の半数以上がだま化した光景を目にして彼女は確信にも似たある考えを抱いていた。
相手は50でも、ましてや100でもない。1だ。それも「特別」な1だ。
密集隊形を崩され、防御不可と判断した隊は流動的に散開状態へと移行する。軽いパニック状態で働かない彼女の頭もそれが妥当と判断し「散開!」と声を出し――出した直後に後悔した。
「待って! 散るのはまずい!」
だが遅かった。既に眼前には光る矢が数十本と迫り、さらに分裂して増殖する。
「避けるな! 防御!」
防御弾が効かないならブランシールの機動力を生かして防御より回避を優先、という判断をする騎士達の何割が今の自分の命令を実行してくれるかはわからない。だが過去の経験からいうとここでの回避はだま化を意味するはずだ。なぜなら
防御態勢を解いて辺りを見渡し、彼女――この隊の指揮を執っていたリーシャは愕然とした。残った騎士は当初の2割以下。つい先ほどまでここで密集隊形を組んでいたはずの騎士とブランシール達がことごとくだま化し、地面に落ちていた。
「そ、そんな……」
彼女の脳裏にかつての失態がフラッシュバックする。たった1人の人間に領主の命令で50の空騎士とともに仕掛け、わずか二射で部隊壊滅へと追い込まれたあの戦い――。
「間違いない……! ソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿……蒼穹の獅子……!」
ゾクリと背中を冷たいものが駆け下りる。やはりあの獅子を相手にしてはいけなかったのだ。今ではジョークのように語られる「ガレットの元勇者を見たら陸戦騎士に任せて逃げろ」というのは間違いなく本当だったのだ。
「こ、後退! 飛空術騎士団、後退!」
落とされた騎士の仇を取る、などという考えすら浮かばなかった。このときまだ戦闘の意思が彼女にあり、それに従ってソウヤに仕掛けていれば、紋章砲を3連発したソウヤを討ち取ることは可能だっただろう。
しかし彼女にあったのは恐怖、戦慄、あるいは後悔や自責の念だけだった。1度ならず2度までも同じ手を食ってしまった。一射目でそれなりの数と判断させられ、1人どころか少数であることすら見抜けず、その上で過去と全く同じ展開――密集隊形を弾幕式の紋章砲で崩され、散開したところで誘導式の紋章砲で各個撃破――となってしまったことをリーシャは深く悔やんだ。
そして同時に恐怖していた。その状況を作り出したのは他ならぬ彼の頭脳だ。まるで操り人形のように彼の望むがままに自分達は動かされ、そうして大損害を受けたに違いない。
ギリッと歯を食いしばり、後退したリーシャはブランシールを砦壁内に着陸させる。現状の報告と今後の指示を仰ぐために砦の中へ、そして足早に領主の待つ部屋へと戻る。
「失礼します」
返事も待たず、苦々しい表情のまま彼女はドアを開けた。
「リーシャ! 何があったんじゃ!?」
おそらく砦から自分達の失態の様子は見ていたのであろう、クーベルが信じられないものを見たとばかりに声をかけてくる。
「ご覧になられたとおりです……。やられました……」
「そんな馬鹿な……! 空騎士は200はいたはず、相手はそんなに大勢だったのか!?」
「いえ……。確認はしていませんが、おそらく1人です」
「1人じゃと!?」
そこでクーベルも思い当たったらしい。かつて同様に仕掛け、そして苦汁を舐めさせられた相手――。
「まさか……」
「はい。『蒼穹の獅子』が来ています……!」
「あのおたんこなす元勇者……!」
搾り出すようにクーベルが呻いた。
「あの獅子がいる以上、情けない話ですが空騎士は機能できないと言っていいでしょう……。既に甚大な被害を受けています。差し出がましいようですが、私としては向こうの要求を聞き入れるのもありかと……」
「出来るか! あいつが仕掛けてきたとなったらなおさらじゃ! このままおめおめとパスティヤージュの醜態だけを晒すわけにいくか!」
だがこれ以上続け、それでも負けたとなれば今以上の醜態になる、とリーシャは口にしたかった。が、出来なかった。その最初の醜態を晒すことになった張本人は他ならぬ自分だ。そんな自分が意見する資格など無い。
「キャラウェイ! 陸戦部隊を投入じゃ! あのおたんこなすを蹴散らすのじゃ!」
「伏兵がいる可能性もありますが、いいんですか?」
「なら半分の100だけ割けばいい。残りの100は伏兵に備えて砦壁内待機、どうじゃ?」
「妥当でしょうね。リーシャ、陸戦部隊の隊長に連絡を。君と、あと残った空騎士は砦壁内に待機しておいてくれ」
「了解。……キャラウェイ君、可能ならあの獅子の相手、君にやってもらいたいから出撃してくれると助かるんだけど」
「いや、私はここで待つよ。あの人なら差し向けた戦力を突破してくる可能性がある。そうなった時、向こうが引渡しを要求している主席とこの場のクーベル様を守る意味でも、私が相手をする」
あくまで抵抗の意思を示すことを明らかにした領主とそのお目付け役の隊長に「……了解」とだけ返し、陸戦部隊の隊長に命令を伝えるべくリーシャは部屋を後にした。だが、早くも彼女の心の中には勝てないかもしれないという気持ちがふつふつと湧き上がってきていた。どんな次の一手を打っても、全てがあの獅子の前では看破される。いや、むしろそうなるのを待っていたかのように、次々と被害が増えていく。そんな妄想さえ呼び起こされ、リーシャは頭を振った。
グラサージュ……表面をコーティングするというお菓子用語。