◇
翌日、休暇をもらったソウヤはヴィットと共に風月庵を目指していた。家を出たのは朝早め、遅くとも昼前には風月庵に着くだろう。だったら無理にヴィットを速足で走らせるまでも無い。それに久しぶりの1人旅でもある。心地よい夏のフロニャルドの風を肌に感じつつ、彼は目的地を目指していた。
予想通り風月庵に着いたのは昼前だった。出来ることならここで故郷の和食に似た昼食でも出ないかと下心を抱きつつ、彼は庵の門をくぐる。
「あら。これはこれはソウヤ様。こんにちは」
ソウヤの来訪に気づいて声をかけてきたのは風月庵使用人の1人でもあるカナタだった。
「こんにちは、カナタさん。ダルキアン卿に用があってきたんですが……。昨日の戦の後、戻ってきてますよね?」
「ええ。今呼んで来ますね、ちょっと待っててください」
彼の故郷を思い出させるような、割烹着姿の女性が邸宅の中へと速足で駆けていく。その間、彼は「和風」という言葉の似合う風景を見渡していた。
彼はブリオッシュと話すことは嫌いではなかった。いや、むしろフロニャルドに来るまではまさに「孤独」という言葉通りであった彼にとって、初めて「師」と呼べる人物であったと言っても過言ではない。それは剣や武において、というよりも人生そのものにおいて、と言ったほうが正しいかもしれない。どこか達観したような、諦めにも近い態度で生を過ごしていたソウヤにとって、異なる道を面と向かって提示してきた人は彼女が初めてだったのだ。今の彼があるのは彼女がいたから、と言ってしまっても間違いではないのかもしれない。
だから勇者時代の彼は、フィリアンノ城を訪問した際、あるいはそうでなくても時間があるときは風月庵を訪れることが多かった。その度に時にブリオッシュと剣を合わせ、時に語らい、時に彼女の相棒でもあるユキカゼと少々舌戦気味に話したものだった。
しかし、フロニャルド永住を決めてからの彼は、風月庵に訪れる回数がめっきり減っていた。確かに隠密2人が旅に出ていて風月庵を空けていた、ということもある。だがそれはここ1年の間だ。その1年という期間で言えば、ソウヤもレオと新婚旅行に出かけていた時期でもある。
要するに、故郷を思い出すようなこの風景、そして佇まいを見るのが、永住を決めた後のソウヤとしては
その度にソウヤはかつてレオと地球で話した言葉を思い出すのだった。「故郷というのは心が還ることの出来る場所」と彼女は言った。なるほど、その通りともいえるのかもしれない。特に懐かしむようなことなど何もなかったはずなのに、時折抱く望郷の念はそれで説明がついてしまうのではないか。「住めば都」という言葉があるが、いや、それ以前にソウヤにとって住む前からフロニャルドは都だったのかもしれないが、その都は故郷とは異なる。だから、「第2の故郷」としてフロニャルドを見ているつもりでも、心のどこかで本当の故郷を求めてしまっているのかもしれない。
過去に読んだファンタジー小説のエピローグに、「戦争のためにその土地を離れた人々が、戦争終了後に戦火に荒れ果てた元の土地に戻り、そこを再建する」というものがあった。当時はそんな大変な場所にわざわざ帰らずとももっと住みやすいところで生活すればいいのに、という程度の感想しか持たなかった。だがそれも今のソウヤなら頷けた。人は、生まれ育った場所を離れることが出来ないのかもしれない。心に求める故郷にいつか帰りたいと願い、居住を失い戦火に荒れ果てても、その先に苦労や困難が待ち受けていると解っていても、帰ってこようとするのかもしれない。
ふう、と大きくソウヤはため息をついた。やはり故郷に似た風景を見るとどうしても余計なことを考えてしまう。そしてその考えからシンクに強く言えないでもいる。自分の今のような苦悩をしてほしくないと願ってしまうからだ。だがそうも言っていられない。段々とビスコッティは平穏を取り戻しつつあるように見える。となれば、次の話題は姫様の成婚に移るだろう。以前はシンクに「後悔しない道を歩いてほしい」と言ったソウヤだが、果たしてシンクがその道を歩くことが出来るかどうか。
いや、その前にあいつ自身が答えを出すのが先か、答えを
結局のところ、シンク自身が答えを出せるのか、というのがソウヤの懸念、そして出してほしいという願いでもあった。いい加減周りも周りでこれ以上気を揉まされるのも疲れるものがある。さっさとケリをつけてほしいと、再びソウヤはため息をこぼした。
その2度目のため息と同時、縁側に見知った顔が現れる。狼のような耳を持つ茶色の髪の女性。ブリオッシュ・ダルキアン。昨日の戦で颯爽と乱入してパスティヤージュ軍を蹴散らしてビスコッティを勝利へと導いた、大陸最強の剣士にして自由騎士、隠密部隊の頭領だ。
「これはソウヤ殿ではござらんか。久しいでござるな」
「ご無沙汰しております、ダルキアン卿」
昨日の戦の時に身につけていた騎士団服とは異なり、和風な普段着でこの庵の主は客人を出迎える。
「立ち話もなんでござるから、縁側にでも」
「ええ、ではお言葉に甘えて」
ソウヤが縁側に近づくと同時、奥からもう1人の見知った顔が現れた。金髪で狐のような耳、そして何より目を惹くのが朝顔風の模様が描かれた浴衣を窮屈そうに押し上げる、はち切れんばかりの果実のようなその胸であろう。ソウヤはその人物に対して僅かに笑顔をこぼすが、彼女の方はどこか不機嫌そうにも見えた。
「こっちも久しぶりだな、巨乳ちゃん」
「ほら、やっぱり言ったでござる。だから顔を合わせたくなかったでござるよ……」
隠密部隊筆頭、ユキカゼ・パネトーネはそうぼやいてため息をこぼした。
結局ソウヤはこの呼び方を改めなかった。真面目な話のときはちゃんと名前を呼ぶが、普段の他愛も無い会話の時はいつもこうだった。
「大体そんな胸を見せ付けるような服を着てたら、そうも言いたくなるだろうが」
「仕方ないでござろう、この頃は暑い故、それに久しぶりに庵に戻れたのだから、過ごしやすい格好ぐらいさせてもらいたいでござる」
相変わらずな2人のやり取りに思わずブリオッシュが笑いをこぼした。
「本当に2人は仲がいいでござるな」
「お館様、これが仲がいい者同士のやりとりに見えるでございますか!?」
「いいだろ、実際お前だって嫌悪感を持つほど俺を嫌ってるわけじゃないんだろうし」
「そ、それはそうでござるが……って何を言わせるでござるか!」
「やれやれ。俺と話すとお前はエクレール化するな」
「エ、エクレ化? それはどういう意味でござるか、まったく!」
プイっと横を向いたユキカゼを見て、再びブリオッシュは笑い声を上げる。
「いやいや、久しぶりに帰ってきてみればやはり愉快であるな。……ああ、ソウヤ殿にお茶もまだでござったな。エイカ、お茶を
「4つ?」
3つじゃないか、と言いたげにソウヤは聞き返した。この場にいるのはソウヤ、ブリオッシュ、ユキカゼの3人だけのはず。
「ああ、実はパスティヤージュから帰る時、もう1人
「居候とはひどいな、
呑気そうな声と共に現れたのはこれまたブリオッシュ同様に侍、という言葉の似合う男性だった。顔立ちも整い、甘い言葉を街の女性にでも投げかけたら簡単に食事ぐらいには誘えるだろう。
「……こちらは?」
「ソウヤ、まさかイスカ様を知らないでござるか!?」
ありえないとばかりに声を上げるユキカゼ。
「……なんでいつの間に俺はなんでもかんでも知ってるみたいになってるんだ? 俺は元々は異世界人だぞ。こっちの世界では有名人だとしても、俺の耳には今まで入ってこなかった」
「情報通、というか何でも知ってそうなソウヤにしては意外でござる……。こちらはイスカ・マキシマ様。名高き刀鍛冶でお館様同様退魔の剣士でもあるお方でござる」
「そして拙者の
その一言にソウヤが固まった。
「……耳がおかしくなったかな。ダルキアン卿、今『兄』と言いました?」
「言ったでござるよ。イスカ・マキシマは正真正銘拙者の兄者でござる」
「意外かい、ソウヤ君?」
自己紹介もまだなのに名前を呼ばれ、ソウヤは戸惑う。
「……なぜ俺の名前を?」
「ヒナから聞いていたからね。ガレットの姫君を
「いえ、そのままで。というか、呼び捨てでも結構ですよ。……ところでさっきから言ってる『ヒナ』ってのは……」
「ヒナはヒナさ。な、ヒナ?」
「……あまりそう連呼するな、気恥ずかしい」
ブリオッシュにしては珍しく恥ずかしそうに頬を染めつつ目を逸らす。このやり取りから2人は間違いなく兄妹だとソウヤは察していた。
「お館様の本当の名は『ヒナ・マキシマ』でござる。『ブリオッシュ・ダルキアン』というのはビスコッティから与えられた騎士名、と言ったところでござるよ」
「ヒナ、ねえ……」
そう言うとソウヤはククッと笑いを噛み殺した。
「……なんでござるかソウヤ殿、その反応は?」
「いえ、いつも凛々しい『ダルキアン卿』の本名がヒナ、という可愛らしい名だったと知ってちょっと面白かっただけですよ」
「かわ……! ……そうでござるか?」
「俺のいた世界では、少なくとも」
使用人のエイカによってお茶が4つ運ばれてくる。珍しくうろたえる様子のブリオッシュを尻目に、ソウヤは出されたお茶をまず一口呷った。
「……ああ、やはりここのお茶はうまい。故郷を思い出しますよ。あまり思い出しすぎないようにはしてますが」
「よいではないでござるか。たまには戻っても」
「戻ったとして、俺の居場所なんてありませんよ。それに俺はもうフロニャルドの人間ですから」
まあいいや、とソウヤはこぼした。
「さて、久しぶりの再会で話に華が咲くのもいいですが……」
「本題、でござるな。ノワールから受け取った文書に書かれていた、レオ様が星詠みされたという魔物の話……」
「ええ。本題はその辺りです。が、その前に……」
チラリ、とソウヤはイスカのほうへと視線を向けた。
「……イスカさん、ダルキアン卿の兄と言うことはわかりました。でもどういった流れでここにいらっしゃるんです? ああ、疑うとかそういうんじゃなくて、単なる好奇心です。兄妹ならここに居ついててもいいものを、これまで見かけたことがなかったので」
「ああ。元々俺は流れの鍛冶師でね」
「風来坊、の間違いであろう?」
ブリオッシュから入った指摘に苦笑を浮かべつつ「違いない」と、イスカは特に訂正しようともしなかった。
「……まあとにかく、各地を転々とした後で、ちょっと
「やっぱりあの小娘の仕組んだことか。それでダルキアン卿もユキカゼも戦に参加した、と」
「拙者は断ろうかとも思ったが、クー様がなかなか熱心に頼んでこられるからな。おそらく、自国の勝った負けたよりも、盛り上がる戦にしたかったのだろうとお見受けし、引き受けたでござるよ」
「にしてはやりすぎですよ。キャラウェイさんはいいにしても、グラサージュ砦の兵を問答無用で蹴散らすとか、まったくもって
「ははっ……。否定できないでござるな」
ブリオッシュは苦笑を浮かべつつ茶を一口運んだ。
「まあいいか。で、なんでイスカさんは戦に参加しなかったんです?」
「俺は別にどこの所属でもないからね。戦には基本的に参加しないんだよ」
「ああ、なるほど」
言いつつ、ソウヤはお茶を飲み干した。そして空になった湯飲みを盆へと戻す。
「ソウヤ殿、もう1杯いかがか?」
「いえ。……というか、本来ならこうやって茶をすすってる時間も、本題に入ったほうがいいんでしょうが……」
「では……」
今度こそ、と真面目な表情を見せたブリオッシュ。だが、口の端を僅かに緩めつつ、ソウヤは再びそれを止めた。
「もう少し待ってください。その本題を差し引いて非常に興味があることがありまして。……イスカさん、ひとつ手合わせしてもらえませんかね?」
予想もしてなかった申し出にイスカが数度目を瞬かせる。
「手合わせ? 俺と君がかい?」
「ええ。ダルキアン卿の兄、とあればその腕前は間違いなく超一流でしょう。なら是非とも剣を合わせてみたい。紋章術抜きの軽い手合わせで構いません。ひとつ、お相手していただけませんか?」
◇
「ソウヤが風月庵に来てる?」
フィリアンノ城、今日の夕方前には地球に戻る予定のシンクはリコッタからの話に目を丸くしていた。
「ノワがそう言っていたであります。本当はノワも着いてきたかったらしいでありますが、なんでもたまには1人でぶらっとしたい、とかで……」
「丁度よかった、僕も帰る前に風月庵に行こうと思ってたんだ。リコも来る?」
「いや、自分はこの後少し用事が……」
「エクレ……は騎士団の訓練中だし、僕1人で行けばいいか。じゃあちょっと行って来るよ!」
言うなり、シンクはフィリアンノ城の廊下を脱兎の如く駆け出していた。
「あ! ちょっと待つで……」
そんな彼を呼び止めようとしたリコッタだったが、それより早く、シンクは既に遠くへと行ってしまっていた。
「……まあいいでありますか」
実はリコッタはレオの星詠みの一件を知っていた。だがそれは絶対にという口止めの約束と共に、ノワールから聞いた情報である。ビスコッティの頭脳であるリコッタの耳には入れておいたほうがいいというソウヤやノワールの判断からだった。言われた通り、彼女の口から他の誰にもこのことは言っていない。
だから、おそらくソウヤは今日その件で風月庵に来ているのだろうという察しはついていた。そこで状況を知らないシンクが行ったのでは、もしかしたら話がうまく進まなくなるかもしれない。
いや、その時はその時か、と彼女は特に深くも考えなかった。どうせその辺りはうまくやるソウヤだ、話が中断したなら後から文書ででも通信ででも対策を伺うことは出来る。
それより彼女が気がかりだったのはガレットの魔物対策部署でもある諜報部隊のノワールを連れてきていない、ということだった。確かに1人でぶらっとしたい、という彼の言い分はわからないでもない。しかし直接話を聞くなら何もわざわざ1人で来ることもなかっただろうに、と思ってしまう。
まあそれもソウヤの気まぐれ、と言ってしまえばそれまでかもしれない。自分の誘拐未遂の一件からどうにも疑心暗鬼、というわけではないが考えすぎるようになってしまった感じも否めない。そんな風に思いつつ、リコッタは自身の用事を済ませるためにフィリアンノ城の廊下を歩き始めた。
◇
「……なるほど、そういうわけでござったか」
再び風月庵の縁側、4人が何やら真剣な表情で話をしている、いや、丁度話が終わったところだった。だがよく見ると真剣なのはソウヤ以外の3人。ソウヤは、といえばなにやら相当に疲れた様子でぐったりと肩を落としている。
「まあそういうわけです。本当はその話をするためにここに来たんですが……。やっちまった、イスカさんがあまりに強いんで思わず熱が入っちまいましたよ……」
ソウヤの話もだが、既に2人の模擬戦も終わっていた。口では「軽い手合わせ」と言っていたソウヤだが、いざ模擬戦が始まると次第に双方ともエスカレートしてきた。最後は紋章術、とまではいかないまでも少々輝力を動員してぶつかり合うほどの戦いとなり、さすがにこれ以上は熱くなりすぎるだろうと判断したブリオッシュによって途中でストップがかかっていたのだった。
内容は完全にイスカのペースだった。トリッキーな動きのソウヤにやはり最初こそ戸惑った様子のイスカだったが、すぐそれに対応し、途中からはほぼ全ての攻撃を封殺、あるいは完全回避された状況だった。そんな状況に思わずソウヤのほうも熱くなり、そしてこの様相、となってしまったのだった。
「まさか途中から全く手も足も出なくなるとは想像もしてませんでした。一応これでもシンクに後れを取らないように日々鍛えてるつもりでいたんですが……」
「いやいや、なかなかいい剣捌き、そして実に戦いにくい奇抜な動きだったよ」
「戦いにくいとは、完全封殺の人間によくもまあ言えたもんですね」
ソウヤは苦笑を浮かべる。自嘲気味に言った完全封殺、という言葉だがまさにその通りだった。倒れると見せかけて放った蹴りも、上段への斬撃と思わせておいての下段への足払いも、全て読まれたようにかわされた。得意のフェイントや予測できないはずの連携まで、有効打どころかヒヤリとさせる場面さえ作り出せない、となればソウヤでなくても自棄になりたくなるだろう。
「そうは言っても、全力を出し切ってはいないだろう? ……まあお疲れの様子ではあるが。それにヒナから輝力の扱いが見事だという話は聞いていた。現に見る限り、君の戦い方は紋章術を軸に据える方法のようだ。あと得意武器は弓だという話じゃないか。だとするなら、この模擬戦だけでは実力は測りきれないよ」
「……よく言いますよ」
イスカの言葉の通り、ソウヤは全力ではなかった。それでも5割、場合によっては6割は出していたというのに、肝心の相手はせいぜい2割か3割程度、力量の差は圧倒的だとわかっていた。そこに紋章術が入ったところで焼け石に水だろう。この様子では出力はソウヤの比ではない紋章術を持っているようなのだから。
「兎も角、さすがは『討魔の剣聖』の兄上君、お手並みの程はよくわかりました。ですが、いやここはむしろ、だから、と言うべきか。協力していただけるというのなら、こちらはとても心強い。……先ほどの俺の頼み、受けてくださいますか?」
珍しく、真っ直ぐな眼をソウヤは向けていた。ブリオッシュとイスカ、両名がその瞳を確認した後で互いに視線を交わす。
「……俺はヒナに任せよう」
「ユキカゼ、お主は……」
「拙者も、お館様の意思に従います」
2人から判断を一任されたブリオッシュは一瞬黙り込む。
「……いや、考える理由もないでござったな。魔物対策は拙者の役目故、ソウヤ殿からのご依頼、謹んでお受けするでござるよ」
「ありがとうございます。……正直ホッとしました、魔物ってのはどうにも俺にはどのように手を打つべきか、というよりそもそもレオの星詠みが本当に当たるのかどうかさえ疑問でいましたので。それにうちの対策部署は魔物といってもそこまで大型の存在を相手にしたことすらありませんでしたから。動いていただける、とあれば一気に気が楽になったようにも感じますよ。……では改めて、魔物関連で何かあったときはダルキアン卿に全てお任せする、ということで」
「ああ。……というより、先にも言ったとおりそれが拙者の役目故な、よくよく考えればそんな改まって頼まれることでもなかったかもしれないでござったな」
「違いありませんね」
鼻で笑いつつ、ソウヤはそう返した。いや、それでも「ビスコッティの」自由騎士に、それも対策をほぼ丸投げ状態で頼むのだ。やはり改まる必要はあったのだろう。
「ユキカゼの星詠みで不吉な星が視えたら、拙者達は動くことにしよう。今のところは大丈夫なようでござるが。何かあれば連絡するでござるよ。それで、そのさっきまでの話の他に、今話しておきたいようなことはあるでござるか?」
「いえ、俺からの重要な話は以上です。イスカさんとの手合わせも出来ましたし、満足ですよ。……せっかく個人的に休暇をもらってきてるんだ、あとは久しぶりに
少し肩の荷が下りた様子のソウヤが提案する。ブリオッシュもイスカもそれはいいと言いたげに表情を僅かに緩めた。
「いい提案でござるな。しかしソウヤ殿は飲める口でござったか?」
「最近飲むようになったんですよ。苦労ごとがどうにも多くてね」
「いいね。ヒナは
「よく言う。兄者こそ大概であろうが」
「……ソウヤ、この2人を相手に酒の話を出したこと、絶対後悔するでござるよ」
やはり兄妹、2人ともかなりの酒豪らしい。その様子を知っているであろうユキカゼが失敗だと言いたげにソウヤに忠告した。
「一応この後フィリアンノ城にも寄りたいは寄りたいですし、何より帰れなくなるとレオにどやされるんで、ほどほどにはする、と前もってことわっておきますよ。じゃあ……」
「ダルキアン卿ー! ユッキー!」
その時だった。風月庵の入り口から聞き覚えのある元気な声が聞こえてくる。
「あ、シンクー!」
その声にまず反応したのはユキカゼだった。表情を明るくし、入り口の門へと走っていく。
一方でソウヤは眉間に眉を寄せた。そしてため息をこぼしつつ縁側から立ち上がる。
「……残念。酒は今度にしますよ」
「行くでござるか?」
「ええ。……はっきり言って、今のあいつとはあまり顔を合わせたくないんですよ。あいつもわかってるであろうことを色々言ってしまいそうになるんで」
「そうか……。お主がそう言うなら、止めはしないが……」
「兄貴分ってのも色々と面倒なもんですね。ダルキアン卿の心が、少しは判る気がしましたよ」
「拙者は好き勝手させてもらってるだけでござる。どちらかといえば拙者よりもロランでござろう?」
皮肉っぽく、ソウヤは笑った。「言われてみればそうですね」という彼なりの肯定の意思表示だ。
「……ではダルキアン卿、イスカさん、よろしく頼みますよ」
「ああ。では、またな」
「俺も君と是非飲みたいからな。また来てくれ」
2人に笑顔を返し、ソウヤは入り口へと歩いていく。
「あ、ソウヤ!」
ユキカゼと話し込んでいたシンクがソウヤに気づいて声をかけてくる。
「おう。せっかく来たのに悪いな、俺はもう行かないといけない」
「え? そうなの? 元々ここに来たいってのはあったけど、ソウヤが来てるって聞いたから足を運んだのもあるんだけど……」
「別にいつだって話せるだろうが。それにいつも言ってるだろ、俺はお前と違って忙しい身だってな。……じゃあな、シンク」
ソウヤは話も早々に切り上げる。繋いでいたヴィットをカナタに連れてきてもらい、それに跨った。
「寂しいけど、じゃあまた今度ね」
「ああ。……また
そう言い残し、ソウヤはヴィットを走らせて去って行った。残されたシンクが訝しげな表情を浮かべる。
「戦場で、って……。僕と普段は顔を合わせるつもりはない、ってことかな……?」
「2人はライバルでござろう? だから意識を高める、とかだと思うでござるが。……それに普段あいつと顔を合わせても疲れるだけでござるよ」
「ユッキーはそうかもね。でも僕は楽しいんだけどな……」
最近どこかそっけなくなった友人であり好敵手でもある青年のことをシンクは思う。理由はなんとなくわかっている。多分自分と顔を合わせると色々と小言を言う結果になってしまうからだろう。そうやって周りに迷惑をかけている状況はなんとかしないといけない、とわかりつつも、シンクは今も答えが出ないでいた。
そのシンクとユキカゼ、そして去って行ったソウヤを縁側からじっと見つめていたイスカが不意に口を開く。
「……ソウヤ君か。なかなかに面白いな、彼は」
「兄者もそう思うか?」
「ああ。あの若さであれだけ達観したような物の見方を出来る人間は稀少だね。そして実に頭が切れる……いや、それ以上に
「確かにな。結局自分のためにどれほどなるかわからず、それでも友人のためにあれやこれやと走り回ってしまう。……滑稽といえばそうかもしれない。彼自身それをよく承知の上で動くのを見ていると、出来る限りあの若者の力にはなってやりたい、と思ってしまうのかもな……」
ポツリとブリオッシュは呟く。本当は酌み交わしたかった酒の相手を逃し、仕方なく彼女は1人で酒を呷った。
「飲むなら付き合うぞ、ヒナ?」
「まだ昼だぞ? ……まったく兄者も人のことを言えぬほどに酒好きであろうが」
それでも1人で飲むよりはいいか、と彼女は兄の御猪口に晩酌してやる。
「……『討魔の剣聖』殿のお酌とは、これはありがたいね」
「茶化すな。まったく……」
文句を言いつつも、きっとソウヤにお酌をしたら同じことを言ってきたのだろう、とブリオッシュは小さく笑った。
◇
風月庵を後にしたソウヤは一路ビスコッティ城下町へと向かっていた。ちょうど
昼食を終え、フィリアンノ城へ。一応王族騎士、先代領主伴侶ということもあり、更には戦では有名人となればそれなりに顔は利く。見張りの兵は顔パスで城内へと入れてくれた。
だがいくらなんでも無用心すぎないか、ともソウヤは思うのだった。確かにここ最近国自体は平穏であるようだが、内戦が起こって姫様誘拐未遂もまだ謎が多い状況であろうに、自国の者でない人間をこうもあっさり入れるとは、どうなのだろうとも思ってしまう。しかしそこがビスコッティのお国柄、お人柄といってしまえばそれまでか、と半ば諦めの心でソウヤはフィリアンノ城へと足を踏み入れた。
そこで適当なメイドを見つけ、リゼルを呼んでくるように頼む。メイド長として忙しいかもしれないし彼自身も個人的な訪問ではあったが、色々と彼女がいる方が楽だろう。
ややあってリゼルが小走りに駆け寄ってきた。
「ソウヤ様。どうなさいました? 突然いらっしゃるとは……」
「いえ、ちょっと個人的訪問です。護衛の騎士も連れてませんし俺1人です。……ちょいとエクレールと話がしたいんですが、どこにいます?」
「親衛隊長? 中庭で訓練中かと思われますが……」
「邪魔したら悪いかな……。いや、まあせっかく来たしちょっと話すか。……ああ、その後ロランさんにも話あるんで、彼にも話通しておいてください」
「珍しいですわね、親衛隊長とお話なさるとは。かしこまりました。……ではお茶は」
「あいつとの話は誰の耳にも入らないところでやりたいので、結構です。お茶はその後のロランさんとの話のときにでも持ってきてください。まああの苦労人と話すと時間がかかりますからね」
前回を思い出し、ソウヤは顔を困らせつつそう言った。あの時はおかげでエクレールと話しそびれてしまった。その埋め合わせ、というわけでもないが、彼は今日エクレールと直接話をしたくてフィリアンノ城に来た、という目的もあった。勿論その後のロランとの話も合ったが。
「かしこまりました。では中庭まで案内しますわ」
リゼルが先導し、ソウヤがそれに続く。中庭ではビスコッティの親衛隊が訓練をしているところだった。今は隊員同士の模擬戦中。しかしエクレールは監督役に徹しているらしく、丁度手が空いていた。
「あら、丁度よかったですわね。……騎士エクレール!」
自身の名を呼ばれ、エクレールは声の方へと向き直る。
「リゼル隊長? どうかなさい……ソウヤ!? ……いえ、デ・ロワ卿、なぜここに?」
一応公式な場、と彼女は捉えたらしい。いつもの調子で呼びかけた彼を正式な呼び方で呼びなおす。
「ちょっと騎士エクレールと個人的に話をしたくてな。風月庵に寄った後、寄らせてもらった」
「風月庵? ……ああ、昨日ダルキアン卿がお戻りになったから」
「そうだ。颯爽と戦場に現れて、な。……まあいい。とにかく少し時間をくれないか? ちょっと2人きりで話をしたい」
ソウヤにしては珍しい。直接彼女自身に話したい、など過去何度言ってきたことがあっただろうか。成り行きで話したことは数あれど、こんな風に頼まれることはとても珍しかった。
「……了解です。エミリオ、すまないが少し隊を見ていてくれ。デ・ロワ卿が私に話があるそうだ」
わかりました、という声と共にエミリオが駆け寄ってくる。その彼を一瞬チラリと横目で見つめ、ソウヤは踵を返して城内へ向かう。エクレールもそれに続いた。
リゼルが案内したのは小客間だった。「では、ごゆっくり」と口上を述べ、彼女は扉を閉めて出て行く。
「それで、わざわざ訓練中の私を呼び出しての話とは何だ?」
向かい合う椅子の片方にエクレールが腰掛ける。ソウヤもその対面に腰を下ろした。
「お前とエミリオ、いつもあんな感じなのか?」
「……貴様そんなくだらないことを言いに来たのか? だったら今すぐ帰れ」
「おい、そうカリカリすんなよ。挨拶みたいなもんだろ。……昨日の戦、どうだった?」
あまりに漠然とした質問にエクレールは一瞬言葉を詰まらせる。一言で言えば「楽しかった」だろう。だがそう言えばなぜか、と突っ込まれて「結局シンクを捨てきれないのか」なんてことを言われるのは目に見えている。
「……別に。普段通りだ」
そうすると彼女はシンクにとっているような、「別になんでもない」という態度を取るしかなくなってしまっていた。しかしそこまで含めて、ソウヤには予想の範疇だったらしい。
「やっぱ、楽しかったか」
「なぜそうなる!」
「普段通りのわけねえだろう。見てる側は最高に盛り上がった。ガウ様なんか絶賛してたぜ。ダルキアン卿の乱入から熱い展開で、特にお前とシンク対クーベルの空中戦はここ最近じゃ最高の見物だった、って言うぐらいにな」
再びエクレールは黙り込んだ。結局どう言ったってこの男には通用しないのかもしれない。ならもういいか、と今度は半ば自棄に口を開いた。
「ああ、そうだよ。お前の言うとおり最高に楽しかったさ。まさか空中戦をやるとは思っていなかったし、こちらの策が完全にはまってクー様を撃破出来たのもよかった。……それに貴様はこの答えを望んでいるようだから言ってやろう。シンクの後ろに乗り、あいつと共に戦えて満足だったさ。これでいいか?」
「結構結構。素直なのはいいことだ。まあ実にいいコンビネーションだった。さすがはビスコッティの名コンビだよ。……それで、お前の方はそうやってあいつと共に戦っているわけだが、シンクへの未練は断ち切れたか?」
ギリッと思わず彼女は歯を噛み締めた。言われるとわかっていても、実際に言われるとどことなく腹が立つというか、苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「私は姫様の剣だと前に言ったはずだ! 私情は挟まない! 確かに私とあいつは名コンビ、なんて言われているかもしれないが、それは戦の中だけのこと。ビスコッティの勇者シンク・イズミはビスコッティ領主ミルヒオーレ姫殿下の婚約すべき相手、その口約束を交わした相手だ。そんな人物に私個人の私情など、介在する余地があるはずないだろう!」
言ってからしまった、と彼女は思う。最後の言いようは捉え方によっては「本当は介在したい」とも聞こえるのではないか。そこを間違いなく突っ込まれる、と心の中に苦渋の色が広がる。
「……聞き方を間違えたな、悪かった」
だがそんな彼女の予想に反し、彼は謝罪という言葉を選んでいた。
「冷やかしで言ったんじゃなかったんだがな。戦場であいつと共に立つとき、お前はどう思って立っているのかを聞きたかった。……未練はないのか?」
一転し、真面目に聞いている、という雰囲気を出したソウヤに対し、今度はエクレールも心を静めて答える。
「……ない、といえば嘘になるな。だが、自身を姫様の剣と再び決めなおしたあの日から、戦場でのパートナー、としてだけ見るように心がけている。私は姫様がお喜びになる姿が見られればそれでいい。だからあいつは姫様と結ばれるべきだし、私は姫様に勝利の報告を持って帰る、そのために共に戦うだけだ。その生き方に私は誇りを持っているし、これからも貫くつもりでいる」
大きく、ソウヤはため息をこぼした。
「……本当に馬鹿だよな、お前も」
「主に仕える騎士なら当然だ。私の騎士道精神を侮辱するつもりか?」
「いや、毛頭ない。気を悪くしたなら謝ろう。……だがあまりに不器用すぎて、そしていたたまれないと思ってな。お前は強いな、エクレール」
「……何だ急に、気持ち悪い」
「褒めてやってるのにその言い草か? まあいい。いや、正直言って安心した。以前よりはかなり吹っ切れたみたいだな」
そんなに自分は思い詰めていただろうか、とエクレールは眉をしかめて考え直す。が、その表情でソウヤには何を考えるのかわかったのだろう。
「最初に慰問訪問でここを訪れた時のお前は相当ピリピリしてたぞ。だがお前は自分なりの答えを見つけたようだな。ビスコッティの姫君に忠誠を誓っている、よくわかったよ。なら、その答えを、姫様の剣として生きると言った己の言葉を貫き通してくれ」
らしくなく、心に真っ直ぐ響くソウヤの言葉に思わずエクレールはたじろいだ。彼がここまで真っ直ぐに言葉をぶつけたことなどあっただろうか。大抵は遠まわしに言葉を選び、自分を苛立たせるような言い方ばかりする彼が、今日に限って素直に謝ったり頼んだりしてくる。
「……今日のお前はおかしいな。悪いものでも食ったか?」
「昼飯は城下町の飯屋で食ったぞ。うまいご飯ものだった」
「真面目に答えろ。らしくなさすぎる。何か企んででもいるのか?」
一瞬、間があった。だがすぐにソウヤは小さく笑みを浮かべる。
「いや、俺はお前の心をただ確認したかったのさ。昨日の戦の様子を見ている限り、お前の心にはもう迷いがないようにさえ見えた。その時に……本当にそうか、って思っただけだよ」
「なら、その疑問は晴れたか?」
「ああ、おかげさまで。……話せてよかった。じゃ、あとはお前のお兄様とでも話してくるよ」
言いつつ、ソウヤは立ち上がる。そこでエクレールは何かに思い当たった。
「待て。……心の迷いだのなんだの言っていたな? どうにも解せないと思っていたがようやく気づいた。貴様、まさか兄上と共に私とエミリオの
「お、それも面白そうだな。……だが、正直お前がそこまで心を決めてるなら別にその必要もないだろう。おかげでロランさんのお前への心配事をそこまで聞かずに済みそうだよ。それに今のビスコッティでそれをやらかすのはあまりよろしくないだろうしな。
まあお前とエミリオはまだ時間がある。周りが急かさなくても、本人同士でじっくり決めればいいことだ。……むしろ急かすべき人間達は他にいるからな」
急かすべき人間達。それが誰かはエクレールにはすぐにわかる。その彼らの件が決まれば、自分も心を決めることが出来るかもしれない。だが今すぐ能動的に自身の心を決めろ、と言われれば、それは出来ないだろうとエクレールは思っていた。
「時間を取らせて悪かったな。俺は本当にお前が気になっただけだ、それだけだよ。そしてそれを確認できてよかった。じゃあ元気でな、親衛隊長。……じっくり決めろと言ったが、エミリオとも仲良くはしてやれよ」
「やかましい。余計なお世話だ」
「見送りはいらない。……それじゃあな」
エクレールに背を見せ、ソウヤは左手を上げて部屋を後にした。言われた通り彼女は特に見送りもせずに部屋に残り、考えをめぐらせていた。
今日のソウヤは実に奇妙だった、と思う。だが彼は彼なりに自分のことを心配してくれていたのかもしれない。なんだかんだ今日も毒の吐き合いのようになってしまったが、思い出せば気にかけてくれたような言葉が多かったようにも思えた。
(エミリオとの仲、か……)
その中で言われた自分の婚約の話。いい加減、自分も身の振り方を考えなくてはならないだろう。そのことを実感してはいる。ここ最近の戦で離れた配属になっていることは、彼女も気づいていた。兄の気遣いだろうとは思う。無論彼女はエミリオを煙たがってなどいない。しかし結局それも周りに気を遣わせている事に他ならない。かつてリコッタに「あまり自分のことで気を遣うな」と言った彼女だが、本当にそれを望むなら自分もそろそろ身の振り方を考える必要がある。
平穏になりつつあるとはいえ未だ動乱収まらず、とも言えるビスコッティ。その国の状況と同様、彼女の心も揺れ動いていた。
◇
「レオ、話がある」
その日の夜、夕食を終えたソウヤは不意にそう切り出した。
「なんじゃ?」
「すまないが、数日後、1日ここを空ける予定でいる」
「ほう、珍しいのう。別に構わんぞ。じゃがわざわざワシに言ってくるということは、何かあるのか?」
鋭いな、と言いたげに苦笑を浮かべ、ソウヤはグラスに注がれた食後の酒を一口呷る。
「ああ、まあな……」
「なんじゃ、愛人のところに泊まりに行く、とでも言うか?」
「愛人……いや、そいつは違うか」
「じゃがその言い方、女のところか?」
「まあ……一応な」
その一言に一瞬レオはムッとした表情を浮かべた。別に独占欲が強い、と彼女自身は思っていないが、「他の女に会いに行く」と言われれば、妻であるなら多少は気を悪くするだろう。
「それでなんだが……。確か俺が昔
が、その一言でレオは彼が行こうとしている場所を把握した。次いで意外そうな表情を見せる。
「移動の時にビオレが持って来たはずだからあるはずじゃが……。しかしいいのか? お前自身嫌っていたことでは……」
「ああ、そうだよ。出来れば避けたかったよ。……だが俺が直接シンクにこれ以上言ったところで効果が期待できない。なら……
「本当にお前にしては……熱心に肩入れをするな」
自分でグラスに酒を注ぎつつ、ソウヤはため息をこぼす。ビオレは洗い物中、妻に注がせてもよかったが頼むのも面倒だと自分で注いだのだった。
「首を突っ込みたくても今はできないお前の分まで俺が動かないといけないからな。……あいつの決心は、姫様の成婚関連の話の解決を導くわけだ。なら、それでお前の心配の種も一つ減るわけだろう?」
「それは……そうじゃが……」
その前にお前に倒れられるようなことになっては困る、と彼女は心で付け加える。ただでさえ今忙しく駆け回っているのにさらに何か、ということではその身を案じずにはいられない。
「だったら俺は今出来ることをやるだけだよ。それに俺だってあいつにはさっさと心を決めてほしいと思ってる。だから、もう少し動けるだけ動いてみようと思うのさ。……ま、周囲から見たら自分のためにならないことをしている、実に滑稽な道化に見えるのかもしれないけどな」
自嘲的に小さく笑った後、グラスに入った酒をソウヤは一気に半分ほど流し込む。臓腑に焼けるような感触を覚え、そしてグラスを置くと同時、再びため息をこぼした。
「とにかく、そういうわけだからここを1日空けるのは了承してくれ」
「ああわかってる。言わずもがな、じゃろうが」
「……まったく、本当はやりたくなかったってのに。誰かさんのせいでとんだ