◇
その日、ヴァンネット城に現れたソウヤの姿を見た者は皆我が目を疑った。普段は青を基調とした、ガウルが着ている礼服に近い騎士服を身につけている。戦のときはここに更に手甲や脚甲といった防具をを纏う形だ。だが今のソウヤの格好はそのどちらでもなく、そういった、いわゆる「フロニャルドの服装」からはかけ離れている。
廊下で彼を見かけた近衛隊長代理のルージュも他の城の者達と同様の反応だった。思わずぽかんと口を開けて数度目を瞬かせる。その後でようやく何かを思い出したように「ああ」と言いながら手をポンと叩いた。
「おはようございます、ソウヤ様。ガウ様の元へ行かれるのですね?」
「おはようございます。ええ、そうです。……あなたは事情知ってるでしょう? そんな驚かないでくださいよ」
「ごもっともなご指摘です……。いつもの見慣れた格好からあまりに違ったので、思わず驚いてしまいました」
やれやれ、とソウヤはため息をこぼした。家で着替えてレオとビオレにこの格好を見られたときもさほど言われなかったから大して気に留めなかったが、城での反応は正反対。さすがのソウヤも戸惑う。いや、それ以上にこの格好を見た城の人々が戸惑ったかもしれないが。
「ガウ様、ソウヤ様がいらっしゃいました」
中から「おう」という声が聞こえてくる。それを聞いてルージュは執務室の扉を開け、ソウヤは部屋の中へと足を踏み入れた。が、踏み入れると同時にジョーヌのこれまた驚いたような視線とガウルのニヤけながらの物珍しそうな視線が彼へと突き刺さる。
「な、なんやその格好……何かあったんか!?」
ジョーヌの反応から、彼女はガウルから何も聞かされていないのだとソウヤは察した。特にわざわざ言う必要があるわけでもないが、ガウルの場合この反応が見たいから、と伏せていた面もあるのだろう。
「そんなに変か?」
「変、って言うか……いや、変やけど……」
ソウヤが苦笑する。まあそうかもしれない。確かに
「俺が初めてここに来た時と同じ格好だぞ? 今だってシンクがここに来る時はこの格好だ。昔は制服が多かったらしいが」
「ああ、そういえば……。でもソウヤがその格好やと変やで……。もう何年もの間着てなかったんやろ?」
「まあな」
「なんでそれを急に……。ってまさか、元の世界に帰るんか!?」
ジョーヌの驚きようは演技には見えない。どうやら本当にガウルは何も言っていないらしい。
「ちょっと野暮用でな。すぐ戻ってくる」
「なんや……。レオ様と息子を置いてホンマに家出かと思って心配したわ……」
「するかよ、そんなこと」
ため息をこぼし、ソウヤはガウルのほうへ視線を移した。
「ガウ様、なんでこいつに説明してないんです?」
「面倒だったし、説明する必要もなかったし、まあ何より反応見たかったってのはあるかな」
思ったとおりだ、とソウヤは再びため息をこぼす。シンクほどではないがこの人の思考も短絡気味で読みやすい。
「ともかく、用意は出来てるらしいな。ならそろそろ行くか」
「お願いします。お手を煩わせてすみませんが」
「気にすんなっての。領主じゃなきゃ勇者召喚は……ああ、お前は勇者じゃないか。しかし要するに互いの世界間を繋ぐことができるのは領主にのみ与えられてる特権だからな。俺がやらなくちゃいけないってことだ」
ガウルは椅子から立ち上がる。彼の言葉通り、勇者召喚、という枠を拡大して地球とフロニャルドの世界間の行き来は既に可能になっている。4年半ほど前、勇者召喚の制限を取り払った際にリコッタによって可能となったことであった。
が、その功績は光だけではなく闇もまた生み出していた。異世界からの召喚の安全性が確立され、さらに召喚される地球人が軒並み高い身体能力と技術、とりわけ輝力の扱いに関しては優れていたことに目をつけて召喚される例が報告されている。それが最も顕著だったのがソウヤが「火薬庫」と述べたカミベルである。かつてその国の勇者として召喚され、今では名誉騎士という立場まで上り詰めた地球出身の野心家は、既に内政にも影響を及ぼすほどの発言権を持ち、さらなる地球人召喚の策を推し進めているとも聞く。
ソウヤにとって最も懸念していた事態だった。彼が趣味で読んでいた小説には「異世界間での人間による軋轢」などということがテーマにされることもしばしばだったのだが、事実は小説よりも奇なり、その通りの展開となってしまっていた。その地球人のやり方をよしとしないカミベル人と、召喚された地球人との間で主張の食い違いが起こっていると聞く。もはや国内の社会問題にまで発展している、とも言われるほどだ。「耳なし」と侮蔑される地球出身の者たちは好戦的で、戦による国取りまで企んでいるのではないか、とも噂され、ビスコッティの状況に加えてこちらも頭痛の種だ。
だからこそ、ソウヤはレオとガウルに余計な地球への干渉は行うべきではない、と強く主張していたし、ガレットにおいては彼の最後の召喚から互いの世界間で行き来があったこともない。確かに主張した手前、ソウヤが帰ろうとしなかった、というのもある。が、ソウヤの本音はそこにはない。あくまで自分はフロニャルド人であり、元の世界をなるべく思い出さないようにしよう、という心の表れからでもあった。
だがガウルは「帰りたくても自分で主張してしまった以上帰れない」と捉えたらしい。
「せっかくの里帰りだ、半日でいいとか言ってたが、たっぷり1日強行って来い。明日の夕方前……15時に呼び戻してやる」
余計なことを、と言い掛けてソウヤは口を閉じた。彼の気遣いはわからないでもない。が、まさに余計なことだ。長く戻ってしまえば、それだけ未練がわいてしまうかもしれない。なるべく距離を取るようにしてきたかつての世界に長く触れることが、今のソウヤには怖かった。
「……どこに泊まれっていうんです?」
「お前の実家に……あ、すまねえ、両親は亡くなってたのか……。ならお前を育ててくれた親戚の家にでも行って来い。というか、元気な顔見せてやれよ。全く連絡取ってないんだろ? あと、その両親の墓参りでもして来い。こっちに永住を決めてから全く戻ってないんだ、そのぐらいやってこいよ」
「……気軽に言ってくれる」
ボソッとソウヤは吐き捨てる。事実、親戚に顔を出すのははっきり言って面倒だった。幸い1人で暮らすと言った時も深く追求してはこないでくれたが、さすがに顔を合わせればそうもいかないだろう。そういう追及をかわすのが大変だ。その辺りを言いくるめるのに労力を使いたくないと考えていた。いや、むしろそれ以前にもしかしたら失踪届を出されている可能性すらある。そんな親戚にどんな顔をして会えばいい、とガウルに返してやりたい。
「せめて24時間にしてください。今が昼前、なら野暮用済ませて泊まり、夜が明けて墓参りでもすれば丁度いいぐらいだ」
「……お前がそれでいいって言うなら、そうするが、いいのか?」
「お願いします」
後頭部を掻き、渋い表情を浮かべながらもガウルはそれを了承する。
「わかった。……じゃあ召喚台に行くぞ」
◇
数刻後、ソウヤは懐かしの世界へと戻ってきていた。が、久しぶりの故郷の最初の空気は最悪だった。人目につかないという理由から自分で要求した場所だったが、さすがに公園のトイレはまずかった。
「……いきなりテンション駄々下がりだな、こりゃ」
実際に人目にはついていない。平日の昼下がりということもあって、幸い公園に人は少ない。そういう意味ではソウヤの選択は間違っていない。が、如何せんもう少し考えればよかった。「トイレから召喚された勇者」とか面白いかもしれない。「トイレが互いの世界を繋ぐゲート、そこが異世界への入り口だ!」なんてキャッチフレーズは小説としてはそれなりに印象に残るものと言えなくもないだろう。
だが実際やるのは金輪際御免だとソウヤは堅く心に誓った。せっかくファンタジーな世界に行けて、小説よりも奇なりな事実を体験しているのに、戻ってきたらトイレというのは気分を大きく損なう。久しぶりの日本、7月中旬の陽気な昼下がりだというのにソウヤの心はそんな天気のようには少々なれそうにない。
いや、これからのことを考えれば、確かに楽しみな面もあるが、それだけではダメだということもわかっている。そう思うとやはり陽気な気分にはなれないまま、彼は歩き始めた。目指すは駅、ある場所である人と待ち合わせをしてある。携帯はもう持っていないが、フロニャルドの機械を通してその人物と連絡を取り合うことは出来ていた。
駅までの道のりは間違えるはずがない。なぜなら、ここは彼が数年間通い続けた道のりだからだ。慣れた場所から動くのが1番だと、ソウヤは見知った場所を帰還場所として指定した。閑散とした公園、その中でも人目につきにくいトイレ。久しぶりの故郷に対する第一印象という誤算を除けば、ほぼ見立てどおりだった。再開発でやや変わった風景もあったが、道に迷うこともなく、かつての最寄駅へと到着する。ここから待ち合わせている場所まで電車で小一時間。待ち合わせ時間は13時だから少し早いぐらいだろう。切符売り場は変わっていなかった。以前はここで今妻となった彼女と共に電車に乗ったこともある。
ああ、まずいと彼は苦笑し、ポケットから財布を取り出した。過去のことを思い出すとは、やはりいささか感傷的になっている。自分はこの世界に決別した人間だ。そう意地になっている部分が崩れるような気がしたからだった。財布から小銭を取り出し、目的地までの料金を入れて切符のボタンを押す。彼の財布には数万円ほどの現金は入っていた。フロニャルドに行った時のままの、今の彼にとっての全財産である。もっとも、フロニャルドでは価値のないものだが、どうにも処分しきれず、衣服やバッグといった他の物と一緒に今も取ってあったのだ。結果としてそれが役に立っているのを考えると捨てなくてよかったと思う反面、やはり心を割り切れなかったのではないかとも思ってしまうのだった。
ホームに下りるとほぼ同時、電車が入ってくる。数年ぶりだが、特に変わっていない。乗り込み、空いている席へと適当に腰掛ける。そのまま電車は動き出し、ソウヤの目には見知ったはずの風景が次々と飛び込んでくる。一見懐かしく感じるが、どこか変わっている部分も多い。3年という月日が、短いようで長いことを思い知らせるものだった。やはり切符を買うときに抱いた感傷的な気分に捕らわれつつ、ソウヤは電車に揺られる風景を眺めていた。
◇
待ち合わせ場所に着いたソウヤだったが、予定よりも30分近く早かった。都内のとある私鉄の駅。ホームのある高架から降りて改札を抜け、辺りを見渡す。都内なものの都心部からはやや外れに位置しているここは平日と言うこともあって人通りが少ない。その人の少なさから待ち人は来ていない、とすぐに判断でき、適当な壁に寄りかかって待つことにする。どうにも手持ち無沙汰を感じるが、こんな時に時間を潰せる携帯電話はもうない。駅前のコンビニから新聞を買って、自分が離れてからの昨今の世界情勢、なんてのを知るのも悪くないとも思ったが、それではまるで自分がまだこの世界に未練があるみたいではないかと頭を振った。いや、実際彼は本心では気づいている。未練がないわけではない、と。ただ、そう強がりたかった。
結局彼はこの世界を捨てたのだ。もしかしたら捨てずともフロニャルドとの行き来で両方の生活を両立できたかもしれないのに。だがそれがどれだけ大変なことか、高校時代に往復生活をしていた彼は重々承知していた。その上で現実を見据え、フロニャルド永住を決めた。
しかし、そこで自分が
明らかに考えすぎだろう。彼自身そう思う節はあるし、大分前に一度レオに話したこともあるが、笑いと共に一蹴された。それ以来深くは考えないようにしていた。が、こうして久しぶりにかつての世界に戻ってくると、そんな考えをせざるを得ない。もっとも、ここに来た理由もそれに関することだ。頭をよぎってしまうのは仕方がないともいえる。
「あ、いたいた。おーい、ソウヤー!」
聞こえてきた自分の名を呼ぶ声に、考えを中断して声の主の方へと目を移す。手を振っている一見短い黒髪の女性と、茶色の髪をロングのストレートに垂らしてその傍らに立つ女性。21歳のナナミ・タカツキと19歳のレベッカ・アンダーソンの2人であった。今ではイギリスと日本の大学に通う2人ともシンクの友人であると同時に、それぞれ師匠兼ライバルと幼馴染。シンクを通じてソウヤも2人と出会い、地球にいた頃は友人として遊びに出かけたこともあった。そして2人ともシンクの異世界訪問のことは知っている、というより、彼女達自身もフロニャルドに行き、「擬似勇者」として戦に参加したこともあったのだった。
ベッキーはこの駅から近くの大学に通っているということであった。シンクとは高校までは一緒だったが、大学は異なる。今はアパートで1人暮らしらしいが、既にテスト期間などは終わって夏休みに入っているらしい。さらにナナミももう夏休みと同様の状態らしく、来日してベッキーが暮らすアパートにしばらく居候する、という話だったので、ソウヤは2人に会って話したいと連絡したのだった。
「あれ、もしかして待った?」
「いや、大して待ってない。というか待ち合わせ時間はまだ先だと思うんだが……」
「え?」というナナミの声にソウヤは辺りを見渡し時計を見つける。見れば時間は既に待ち合わせ5分前。どうやら考え込んでいるうちにいつの間にか時間が過ぎていたらしい。
「……まあいい。とにかく悪かったな、急に呼び出したりして」
「いいのいいの、どうせあたしは暇だからこっちに来てしばらくベッキーのアパートに居候してるわけだし、ベッキーもベッキーで今はテスト期間終わって夏休みに入るところだったし。だから平日希望したってのもあるんだから」
「暇って、お前確か今大学4年だろ? イギリスの……いや、それ以前に俺は大学のことをよく知らないが、忙しい時期じゃないのか?」
「そうでもないよ。単位は足りてるし、就活は一応終わってるし、卒論のテーマも決まってぼちぼち書き出してる。卒論自体は年内に書き上げれば余裕だし」
「ナナミってばいっつもこんななのよ。ソウヤからも何か言ってあげてよ」
「大学ってのがどういうものか知らんから何とも言えないな。本人がいいって言ってるなら、いいんだろ?」
応援を要求したが援護先から返ってきた期待できない言葉に、思わずお節介焼きの彼女はため息をこぼした。相変わらずのそんな彼女の様子にソウヤも苦笑を浮かべつつ見つめる。
懐かしい。まだソウヤが高校生だった頃、数こそ多くないがここにシンクも伴って街中に遊びに行ったことを思い出す。その時もシンクとナナミが突っ走り、ベッキーはそれを止める役割という関係を見てきた。そう思ったところで、やはり感傷的になっているとソウヤは改めて自覚した。
「っていうか、ソウヤと会うのも久しぶりじゃない? 確か最後に会ったのは……」
「あーもうナナミ、ここで立ち話するぐらいならどっかお店入ろうよ。丁度お昼時なんだし」
「ベッキーの意見に一票。腹が減った。それに……久しぶりにこの世界の飯を食いたいと思っていた」
「あ、そっか。向こうとこっちとじゃ食べる物違ったりするもんね。ソウヤ、リクエストは?」
尋ねられて彼は一瞬考え込む。食べたい物は色々あるが、女学生2人と持ち金に期待の出来ない自分、それに色々話し込むつもりだし、と思ったところで、過去に街に出かけたときの食事同様の答えに辿り着いた。
「……ファミレスだな。この辺に長居出来そうなファミレスは?」
「あるある。来る途中見かけたよ、そこの角曲がったところにいつものイタリアンのチェーン店」
確かにファミレスと言ったのは自分だが、これに思わずソウヤは苦笑をこぼす。その店は過去に何度も行ったことのあるチェーン店だからだ。もっとも、過去に何度も行った、と言ってもソウヤはこの世界に戻ってきたのが実に3年ぶり。久しぶりの味といえるだろう。
「ああ、そこでいい。昔を懐かしむ味に再会するとしよう」
「なんか……それはチェーンじゃない、地元の行きつけのお店とかに対して言うセリフじゃないの?」
困った表情でベッキーが突っ込みを入れる。さすがお節介焼き、と心の中で感心の声を上げつつ、ソウヤは2人の案内に続いてかつてお世話になったチェーン店へ足を運ぶのだった。
◇
昼時であったが、店内は割りと空いていた。平日というのが影響しているのだろう。
「いらっしゃいませー!」
店員が入店してきた3人に店員が笑顔で声をかける。失礼だとは思いつつも、普段から完璧なメイドスマイルを見ているソウヤからするとまだまだ、という印象だった。ナナミが「3人」と人数を告げると今度は煙草を吸うか吸わないかを聞いてきた。
「ソウヤ、煙草吸うっけ?」
「吸わない。……いや、そもそもあそこにねえよ」
「あ、そっか。禁煙でー。……でもそれは見たことないだけであって、実際煙草ぐらいあるんじゃないの?」
店員は案内モードに入っている。後ろで不明瞭な会話があろうと気にもかけないだろう。
「さあな。少なくとも俺の目の届く範囲では見たことがない。健全な場所だからな」
「ふーん……。お酒はあるのにね……」
案内されたテーブル席へベッキーとナナミが並んで腰掛け、向かい合ってソウヤが座る。水を机に置いて「ご注文がお決まりでしたらそちらのボタンでお呼び下さい」というマニュアル通りのセリフを残し、一礼して店員は去っていった。
「さて、じゃあ改めて……久しぶりだね、ソウヤ」
「ああ。ベッキーもナナミも元気そうで何よりだ」
「ソウヤも。……でもちょっと痩せた?」
「元々痩せ気味だ」
軽口を叩きつつ、ソウヤは目の前にある水の入ったグラスに口をつける。が、一口喉に流し込んで軽く眉をしかめた。どうやら長居するうちに体はフロニャルドの美味い水に慣れてしまったらしい。水道水そのままではないようだが、フロニャルドの水には到底かなわない。
「何年ぶりだっけ……。2年ぶり?」
「そうね……。確かあたしとナナミがソウヤとレオ様の
「ああ、あれ以来か」
2年前のソウヤとレオの結婚式。これはシンクからの強い要望でベッキーとナナミも顔を出していた。かつてはシンクの客人としてフロニャルドを訪れ、クーベルが首を突っ込んだことで発生した
「あの時のレオ様すっごい綺麗だったよね。いつもは露出は多めでも戦向け、って感じの結構無骨な格好してるから……」
「そっか。ナナミはガレットにいたのが多かったもんね。あたしはビスコッティとパスティヤージュにお世話になったことが多くて、ガレットはあまりないからわからないけど」
「あいつは元が美人だからな。馬子にも衣装、とはいかないってことさ」
「へえ……」
ニヤニヤしながら2人がソウヤを見つめる。そのただならぬ視線に思わずソウヤはたじろいだ。
「……なんだよ?」
「聞いたベッキー? 『あいつ』だってさ」
「昔は『レオ様』ってちゃんと呼んでたのにね」
不機嫌そうに唇を尖らせ、ソウヤは目の前にあったメニューを手に取った。どうやら恥ずかしがっているらしい。
「あれ? 照れてる?」
「……うるせえ」
「というか、もうお子さんいるんだっけ? シンクがそんなこと言ってたような……」
「ああ、いるよ」
ベッキーのその問いにそう返すとソウヤは財布を取り出し、そこから1枚の写真を取り出した。フロニャルドで撮られた写真なために地球のそれとは若干違うが、写し出された内容を見るには十分だ。
「え!? これソウヤの子供!? かわいい!」
「うっそ、目元ソウヤにそっくり!」
そんな会話は自分には縁がないものだとソウヤは思っていた。昔テレビで親戚の人が新たに生まれた子を見てそう言うシーンは見たことがある。が、はっきり言って自分では全然わからなかった。現にレオも「目元はお前に似ているな」と言った事があったが、目の色はともかく、目元が似てる、というのはどうにもわからない。得てして男とはそういう部分に鈍感な生き物なのかもしれない。
「でも他はレオ様だよね。髪と……あと耳とか?」
「そこは俺も本音を言うと安心した。俺はもう向こうに永住を決めた身だ、それで耳が俺似では不憫だと思ったからな」
「名前は何て言うの?」
「レグルスだ。レグルス・ガレット・デ・ロワ」
へえ、と相槌を打ちつつ、一頻り写真を眺めた後で2人はそれをソウヤに返す。受け取ったソウヤは大切そうに財布に入れた後、ポケットに戻した。
「今いくつ?」
「6……いや、もう7ヶ月になるか」
「そんな可愛い息子をほっぽり出して……いいの? こっちに戻ってきて」
そのベッキーの問いには答えず、ソウヤは先ほど一旦取った後で置いたメニューを再度拾い上げた。
「……そっからは本題だ。長話になる。先に注文した方がいいかもしれない」
ソウヤの提案を了解し、ナナミとベッキーもメニューと睨み合う。結局注文したのは昼時ということで3人ともドリンクバー付きのランチセットとなった。ソウヤとナナミはハンバーグランチ、ベッキーはパスタランチ。さらにナナミが3人で分ければいいという名目でマルゲリータピザを頼み、ソウヤもそこに便乗してグラスワインを1杯だけ頼んだのだった。これには思わずナナミが「昼から飲むのか」と突っ込みを入れたが、「ガレットの名産と比較したい」という主張でソウヤが突っぱねた。
「じゃあ私飲み物持ってくるよ」
メニューの注文が終わった後で、ベッキーがドリンクバーを取りに立ち上がる。こういうところはさすがお節介焼き、と思いながらソウヤもナナミも彼女に任せた。
その彼女が立ち上がり、声が届かなくなったであろう距離まで離れたところで、ソウヤはナナミに切り出した。
「ベッキーとシンク、どうなんだ?」
聞かれ彼女は眉を寄せた。そしてどうもこうもないだろう、と言いたげに彼女は両手を広げる。
「ソウヤだって知ってるでしょ? 結局あの朴念仁はベッキーの心にはずっと気づかなかったのよ。ベッキーもベッキーで足踏み出そうとしなかったし」
「その割には大分大人びたと言うか、美人になったというか」
「さっきソウヤが言ったレオ様と一緒で、元がいいからね。髪をほどいただけでも印象変わるってのに、シンクってば……」
「いいの、それは。私が出した足を引っ込めたんだから」
いつの間に戻ってきたか、ベッキーが2人の会話に割り込んだ。彼女自身を含めたそれぞれ3人の前に持って来たドリンクの入ったグラスを置く。
「……本当はね、ソウヤに背中を押された後……高校生になるときかな。いつまでも『ベッキー』ってシンクに呼ばれるのは幼馴染感覚、っていうか、なんだか昔のままっぽくて、少し足を踏み出そうと思ったの。それでシンクは『レベッカ』って呼んでくれたんだけど……なんだか逆にあたしが恥ずかしくなっちゃったっていうか、なんか無理、っていうか、やっぱりその距離間よりもこれまでの距離間でいいって思っちゃったっていうか……」
「それで未だに『ベッキー』のまま。ベッキーもこうやってイメチェンっていうか、色々雰囲気を変えてみたりしたのにあいつは全く気づかないでさ。結局ベッキーが踏み出さないでいたら、あいつ姫様と婚約交わした、とか言い出したし……」
「……よかったのか、ベッキー?」
ソウヤの問いかけに彼女は間を置かず頷いた。
「シンクが選んだなら、それでいいって思ってるから。……というより、フロニャルドに行った時に気づいちゃったんだ。姫様とは色々お喋りする時間もあったから仲良くなれたけど、私じゃ敵わないな、って。それに姫様もだけど、エクレちゃんもシンクのことを凄く大切に思ってくれてるし、あの2人のうちのどちらかとシンクが一緒になるなら……あたしは満足できちゃう、って思っちゃったから」
「……そうか」
場の空気を振り払うかのように、ソウヤは彼女が持ってきてくれた炭酸のドリンクを喉に流す。久しぶりのこの感覚、これだけ甘ったるい飲み物はフロニャルドでは味わえないな、とも思う。
「それでナナミ、さっき『姫様と婚約を交わした』と言ったな? シンクから聞いたのか?」
「うん。……ってかエクレちゃんは?」
「身を引いたよ。あいつは自分よりも自分の仕える主の幸せを願う、と言って私情を挟まないと心に決めたそうだ。その証に伸ばしていた髪もばっさり切った。あいつの心は段々と確固たるものになりつつあるらしい。先日の戦でもシンクと共に戦場に立ったが、あいつの心はもう決まってるようにも見えた。その後話してみても、そういう意思は確認できたしな」
「そっか、エクレちゃん、髪切っちゃったんだ……。長い方が似合ってたのに……」
「それについては俺も同感だ。……で、話を戻すぞ。さっきナナミは『婚約を交わした』と言ったが、厳密には交わしていない。それはわかってるか?」
2人が頷く。
「口約束なんでしょ? だから正式な回答を保留してるとか。あたしとしてはふざけんなって言ってやりたいけど……」
「ちょっとナナミ……」
「まあナナミの気持ちもわからんでもないが……。あいつもあいつなりに悩んでるんだろうよ」
はあ、とため息をこぼし、ナナミは両手を頭の後ろに組む。そのまま椅子の背もたれにどかっと身を預けた。
「わかってるわよ。でもさ、エクレちゃんにもそこまでの思いさせてるのに決めきれない、ってのはどうかと思うのよ。……実はその話はシンクから電話がかかってきて知ったんだけど、その時に結構きつく言っちゃってさ。そしたらその後メールとか連絡がちょっと疎遠気味で……」
「逆にシンク、申し訳なく思ってるみたい。あたしにもどうするべきか連絡が来て、シンクが決めるしかないよって返してから、やっぱりあんまり連絡来なくなっちゃったし……。住んでる場所が遠くなっちゃった、ってのもあるとは思うけど……」
思わず、ソウヤは左手で頭を抱えた。悪く思ってる気持ちはシンクにもどうやらあるらしい。それで周りにも気を遣わせまいとして1人で抱え込み、結局はそれで周りがまた気を遣う。完全に悪循環じゃないか、と思わずにいられなかった。
「……なんだよ、外堀埋めようと思って来てみれば、もう外堀は修復不可かよ」
「もしかしてソウヤ、あたし達にシンクの背中を押してほしい、ってわざわざ言うために……?」
「そうだ、ベッキー。そのために3年間、戻ることを避けていたここに帰ってきたんだよ。……まあ2人の顔を見たかったから、ってのはないわけじゃないけどな」
「そんなの頼むならメールでいいじゃん? まああたし達に会いたいって理由はわかるけど、頼むためにわざわざ来るようなこと?」
歯に衣着せぬナナミの物言いにソウヤは思わず苦笑を浮かべる。
「それが礼儀ってもんじゃねえのか? 俺は誠意を見せたほうがいいと思ったから出向いたんだがな。たとえそれが自分のためになるかわからない、傍から見たら馬鹿馬鹿しいと思われることかもしれなくてもな」
場が静まった。確かに帰還を嫌って、いや、
と、そこで料理が運ばれてくる。久しぶりの地球の食事を前に、ソウヤは場の空気を変えようと息を吐いた。
「……まあまずは冷める前に食おう。懐かしの地球食だ、ありがたくいただかせてもらうよ」
◇
料理を平らげた後も、3人の会話は続いた。シンク関連の話も少しはしたが、結局は2人とも「もう1回発破をかけてみる」という程度の回答でまとまっていた。
まあ仕方ないか、とソウヤは思っていた。一度言われているならシンクもわかっているはず。それをやかましく言っても結局効果が薄いのはソウヤがこれまで体験済みのことでもあった。だからこその外堀埋め、だったのだが、そこも期待できないと知り、彼としては少々がっかりせざるを得なかった。
その後は主にフロニャルドの話だった。特にベッキーは今も時折連絡を取り合っているクーベルのことをしきりに尋ねてきた。相変わらず口は悪くて生意気だが、一応はちゃんと領主をしてると伝えると、姉のような表情を見せて彼女は喜んだ。
ナナミはジェノワーズのことを聞いてきた。ノワールが言い出して解散したことを伝えると、こちらはガウルに対して呆れというか、そういう悪いところはシンクと変わらないと少々ムッとした様子だった。
楽しくも懐かしむ会話は数時間続いた。周りを見れば客は完全に入れ替わり、3人は完全に居座り状態になってしまっていた。
「……さすがにそろそろ出る? もう迷惑だろうし……」
「ああ、そうかもな」
ナナミの案に賛成し、ソウヤとベッキーも立ち上がる。自分の分を確認しようとレシートに手を伸ばそうとした矢先、ベッキーがそれを取り上げた。
「ちょっとソウヤ、こっちのお金あんまりないんでしょ? だったらここは私達が払うから」
「いや、でもな……」
「拒否権はないよ。地球人の奢りになりなさい」
ナナミにもそう重ねられ、ソウヤは観念のため息をこぼす。
「……わかったよ。ごちそうになる。悪いな」
「いえいえ。久しぶりに話せて楽しかったし」
店を出る。入る時は昼時だったはずなのに、辺りは既に夕方の様相を見せ始めていた。
「それで、これからどうするの?」
「明日にはフロニャルドに帰るからな。この後は適当に漫画喫茶かカプセルホテルでも探して泊まるさ」
「だったらベッキーのうちに来れば? 今あたし居候してるし、あと1人増えたところで別に大丈夫だよ」
「お前が言うことじゃないだろ。それはベッキー本人が言うべきことだ」
「あたしも構わないわよ。3人だと少し狭いかもしれないし、ベッドは用意できないけど……」
本人からの言葉を耳にしても、それはダメだ、とソウヤが頭を横に振った。
「……既婚の男が嫁入り前の女子の部屋に泊まれるかよ。レオに知れたら何と言われるか想像したくもない。寝床は適当に探す。それは譲らん」
「何を気にしてんのよ。別に誰もレオ様に言う人なんていないじゃない?」
「俺の気持ちの問題だ。ともかく断る。……まあシンクにそれとなく、一応言うだけは言っておいてくれ」
言いたいことだけを言い、ソウヤは2人に対して背を向けた。
「あ、ちょっとソウヤ!」
「じゃあな。……また近いうちに会うことになるのかもしれないけどよ」
そう言い残し、彼は夕方の街並みへと消えていった。