◇
夕方の街中、寝床を探すには少々早い時間だが、その分早く寝て明日早く出ればいいかと、ソウヤは辺りを見渡しながら歩いていた。都内とはいえ都心から外れた私鉄の駅周辺、ということもありそこまで賑わってるわけでもない。それでも漫画喫茶ぐらいはあるだろうという彼の目論見は正しく、歩き始めてさほど経たないうちに目的の場所は見つかった。
料金表を眺めて、一般料金と会員料金が別に存在し、さらにパック料金なら手持ちで十二分に余裕があると確認した上で、その漫画喫茶が入っている階へとエレベーターで昇る。ドアが開くと特有の煙草臭さが鼻をつき、同時に受付の女性が「いらっしゃいませー」と形式上の挨拶で出迎えた。
「すみません、ここを使うの初めてなんですが、会員証とか作る必要ありますかね?」
「あ、大丈夫ですよ。ただ入会金が発生してしまいますが、1度作成していただけば2度目以降はその方がお得に……」
「いえ、作らなくて利用できるなら結構です」
説明を途中で遮られた女性は特に不機嫌そうな表情を見せるでもなく、「かしこまりました」と返し、席が映るディスプレイをソウヤのほうへと向けた。
「当店は個室タイプのみとなっておりまして、現在番号のある個室が利用可能となっております。お望みの席はありますか?」
「煙草は吸わないんで禁煙席で。あと仮眠を取る予定なんでリクライニングがあると助かります」
「かしこまりました。では、身分証を拝見できますでしょうか?」
この一言に、ここまでスムーズに会話を進めてきたソウヤが固まった。
「……会員証を作らなくても、ですか?」
会員証がいらなければ身分証がなくても泊まれるだろう、というのがソウヤの目論見だった。なぜなら、彼は身分証を持っていない。今の彼は「いるがいない人物」という言い方が合っているかもしれない。
「はい。新条例の施行によりまして、昨年からご利用なさるお客様全員に身分を証明できるものをご提示いただく決まりとなっておりますので……」
これは弱った、とソウヤは眉をしかめた。条例施行、ということはどこの漫画喫茶もこうなるだろう。おそらく防犯が目的だろうが、全くもってフロニャルドと違って治安の悪い世界だと思う。が、直後に向こうがよすぎるだけかと思い直した。
「……ちょっと海外にいた期間が長いもので、そのことは知りませんでした。身分証も今は手元にないんですが……それだと利用は出来ませんよね?」
癖になっている適当な言い訳を言い繕い、不審に思われぬように彼は尋ねる。
「申し訳ありませんが、そうなってしまいます……」
「わかりました。ではまた今度利用させてもらいます。すみません」
こちらこそ申し訳ありません、という形だけの謝罪を聞き流しつつ、ソウヤはエレベーターの下降ボタンを押して考えをめぐらせていた。完全に当てが外れてしまった。かくなる上は野宿、となるだろうか。だが今は夏、いくら夜は涼しめだとはいえ寝苦しいは寝苦しいだろう。それに蚊や虫が寄ってくる可能性もあるし、そもそもその野宿できる場所を確保できるかが問題だ。
どうしたものかと頭を悩ませ、ソウヤが建物を出てきたそのときだった。
「そこのお兄さん、困ってるんじゃない?」
聞き覚えのある――いや、あるどころではないその声に彼は声の方を振り向く。
その予想に違わず、声をかけてきたのはさっき別れたはずのナナミ、そしてその隣にはベッキーだった。
「ナナミ、ベッキー……」
「本当に近いうちに会ったね」
先ほど言ったことの揚げ足を取る形で、さらに本来彼が得意とする皮肉までナナミにぶつけられては、もうソウヤは苦笑をこぼすより他はなかった。
「ソウヤがあそこまで断るから一旦帰ろうと思ったんだけど……。そういえばもう身分証とかないんじゃないかな、って思って」
「知らなかったでしょ? ソウヤが向こうに住んだ後、こっちじゃ漫画喫茶みたいな宿泊可能施設を利用する際は身分証が必須になったのよ。防犯の観点とかからってね」
やはりそうか、と予想が正しかったことを確認する。なら泊まるところはほぼ全滅だ。
しかしもしかしたらこの2人はあの後そのことに気づいて自分の後をつけてきて、漫画喫茶から出てきたところを待ち構えていた、ということになるのだろうか。自分が得意にするような先読みをされたようで思わず彼は困り顔を浮かべる。
「ねえソウヤ、うちに来なよ? 明日帰るって言ってたけど、泊まる場所なくて困ってるんでしょ? さっきはお昼食べたけど、この後夕飯も食べるだろうし……。あたしが作るから」
「ベッキーの手料理は最高だよ! 絶対食べたほうがいいって! あ、あとお酒飲みたいならスーパーで買って行くからさ。あたしも一杯付き合うよ」
「あたしは飲みませんからね。未成年ですから」
当の本人は行くと一言も言っていないのに、既に話は泊まる方向で進んでしまっている。ならここは好意に甘えるか、とソウヤは折れることにした。
「……わかった。じゃあすまないけどお世話になるよ、ベッキー」
「うん。全く構わないわよ。ここからだと歩いて5分ぐらいだから。途中スーパーで買い物していくわね」
「全部お任せする。ただ、レオと会う機会があっても絶対に言うなよ。何と言われるか知れたもんじゃない」
「レオ様ってそんなに嫉妬深かったっけ?」
3人は並んで歩き出す。
「さあな。でも女ってのは嫉妬深いものじゃないのか?」
「それは聞き捨てならないなあ。偏見だよ」
「まあ好きな男の人、それも結婚した人が違う女性と楽しそうに話してるのを見たら、普通はあまりいい気分はしないものじゃない?」
とフォローを入れるベッキー。が、ソウヤにはこれが違和感だったらしい。
「……そう言う割にシンクのことは諦めたのか?」
「ちょっとソウヤ!」
デリカシーのない一言と判断したナナミが即座に彼を咎める。思わず肩をすくめてソウヤは反省の色をみせた。
「いいのよ、ナナミ。……あたしの場合、その人が喜んでるなら、その方がいいかなって思っちゃっただけだから」
「お人好しというか、なんというか」
「ほんと。相手がお姫様だろうが親衛隊長だろうが、『シンクはあたしのものだー!』って言ってくっついちゃう権利だってベッキーにはあったとあたしは思うよ」
「そ、そんなことあたしはしないわよ。……そのことはいいんだって。シンクはずっと幼馴染で家族みたいなもので、あたしにとっては兄弟……どちらかっていうと弟かな? そんな感じで育ってきた仲だから。そのシンクが幸せそうにしてるなら、それでいいの」
ソウヤは無言でベッキーの横顔を見つめていた。曇りのない表情だった。先日話したエクレールとはまた違う、諦めとも異なるある種「悟った」とも言える様子。身構える必要もなく、そう思えてしまっているのだろう。
その様子から言うと2人は対照的とも言えた。自分の心を押し込めようとするエクレールと、自然と心が決まってしまっているベッキー。だが2人ともシンクとミルヒのためを思ってのこと、という点では共通しているともいえた。
そういうところまで含めて、シンクには納得のいく答えを、なるべく早く出してほしいと改めてソウヤは思わざるを得なかった。既に口約束を交わしたと聞いてから半年以上が経過している。確かに「姫様の側にずっと付き添えないのに結婚するわけにはいかない」と思う一方で、数年間の勇者生活によって姫様に対して相思相愛になり、彼女からの申し出を断れなかったというシンクの言い分もわからないでもない。だが正式回答を半年も保留、挙句「可能なら大学卒業まで待ってもらいたい」などと呑気なことを言い出す彼に、今のビスコッティの状況がわかってるのかと思ってしまうのだった。第一先に延ばしたところで答えが出るとも限らない。側に付き添えないことに責任を感じるなら、今現在回答を引き延ばしていることの方にも責任を感じてほしい。結果としてそれは周りにも心配をかけているのだから。
「まったくあいつはかわいい幼馴染にこういう思いまでさせてるなんて、お姉さんとしてはその辺りは何とかしたいところだわ」
「同感だな」
今思った通りのことを口にしたナナミにソウヤも思わず同意する。
「だからいいんだって。結局あたしはシンクの幼馴染で、それもあるけど元々お節介焼きで、それで勝手に心配してるだけだし。あとそれを言い出したら、わざわざここに戻ってきてるソウヤだって相当なお節介焼きと言えると思うけど?」
違いない、とソウヤは思わず表情を苦くする。
「誰かさんのお節介焼きが移っちまったんだよ」
「あたしのせいだって言いたいの?」
「一概にそうとは言わないが、一端を担ってるとは思ってるね」
「でもまあつまり、それだけシンクって皆に愛されてるってことなのよね」
ナナミのまとめにソウヤもベッキーも口を噤む。その通りなのだ。結局誰も彼も、シンクのためを思って動いているのだった。
「あ、スーパーここね。リクエストあったら作るから、あと欲しいものは適当にカゴに入れちゃって」
目的の店に着いたらしく話は一旦そこで途切れた。代わりにベッキーにリクエストする料理は何がいいかと、ソウヤの頭の中は今日の夕飯の内容へとシフトしていった。
◇
ベッキーが暮らしているというアパートは、かつてソウヤが1人暮らししていた部屋と同じぐらいの広さが感じられた。あれでそれなりの広さだと思っていた彼としては、いくら外れとはいえ都内でこの物件ならそれなりに値も張るだろうなどと思ってしまう。
そのアパートでソウヤはベッキーの言葉に甘えてくつろいでいた。久しぶりとなる映像板ではないテレビからは夕方のニュースが流れ、何と無しにそれを眺めてみる。家主は台所で料理中、段々といい匂いが漂ってきていた。居候は夕食前にシャワーを浴びる、ということで浴室に行っている。
「夕方の番組なんて面白いのないんじゃないの?」
と、ベッキーが部屋に料理を持ってきながら尋ねてきた。真ん中にポテトサラダが盛られ、その周囲に千切りにした大根と包み込むように広がるレタスという特大サイズのサラダだ。
「いや、いつになっても夕方はニュースと相場が決まってるんだなと思ってな。……それよりそのサラダ、多すぎじゃないか? まだ他にも数品あるんだろ?」
「気にしなくて大丈夫よ。どうせナナミが全部食べるから」
「……そういやあいつの食欲はジョーヌ顔負けだったっけな」
そうそう、と相槌を打ちつつベッキーは再び台所へ戻っていった。
一方今度は浴室からナナミが帰ってくる。上はキャミソール1枚に下はホットパンツ。完全にソウヤの目など気にしていない格好だ。
「あー! いい風呂だったー! 扇風機もらうよー」
「お前その格好もう少しなんとかならないのか? 仮にもここに男がいるんだぞ?」
「えー? 別にいいじゃん、暑いんだし。それに私の貧相な体なんか見てもつまんないでしょ? ソウヤいっつもバインバインでボッキュッボンなレオ様の体見てるんだから」
「ああそうだな。そう言われてみればそうだった」
「ちょっと! そこは嘘でも否定するなりフォローするなりしなさいよ!」
「……めんどくせえなあ」
テレビから全く視線を逸らそうともせず、本当にめんどくさそうにソウヤは答えた。ナナミのこういうところは以前よりも悪化しているように感じる。大雑把というか、適当というか。そういうところが意外にもガレットの空気とマッチし、彼女が滞在した時はあっさりと国の人々と打ち解けていたのは事実ではあるが。
「あ、ベッキー特製サラダ来てるじゃん! ちょっと食べちゃお」
そんなソウヤにお構いなし、ナナミはレタスを器代わりにし、それでポテトサラダを包んで一足先に口へと運んだ。
「んーおいしい! ソウヤも食べなよ!」
「ちゃんと3人揃ってからな」
「もう、そういうとこ真面目だよね。ガレット国民のくせに。あ、そうだ、お酒お酒。お風呂上りはやっぱりビールよね。ソウヤのももう持ってきちゃっていい?」
「……どこのおっさんだお前は」
まずい、突っ込みきれないとソウヤは心で音を上げそうになる。ベッキーはよくもまあこんなおちゃらけた姉ちゃんと一緒にいて疲れないもんだと思ってしまう。というか、早く料理を完成させて助けに来てくれ、とまで思ってしまった。しかし戻ってきたのはベッキーではなく、彼を悩ませている張本人の方だった。
「ほいビール。ベッキーには悪いけど一足先に乾杯といこうか!」
もうダメだ、とソウヤは完全に諦めることにした。郷に入っては郷に従え。ここではどうやら彼女こそが掟らしい。なら長いものには巻かれた方がいい。そう割り切った彼は、外見女子大生中身おっさんの彼女からビールの缶を受け取った。プシュッ、という懐かしのプルタブを起こして口を開ける。
「んじゃあ、ソウヤとの久しぶりの再会を祝してかんぱーい!」
一方的に互いの缶を合わせた後、ナナミは一気にビールを口へと運ぶ。倣う形でソウヤも缶の中の液体を飲み込み、眉をしかめた。
「かーっ! やっぱ風呂上りはこれよね! ソウヤもそう思うでしょ!?」
「……にげえ。ビールは初めて飲んだ。うまいか、これ?」
「え、初めて? ……あ、そうか。向こうで20歳になったんだっけ」
「そういうこと。向こうの酒はどちらかというとワインっぽいからな」
「ちょっとナナミ、乾杯はいいけどあたしのこと忘れてない?」
次の料理を持ってきながら不満そうにベッキー。2品目はたっぷりのもやしとニラに茶色の餡がかかった料理だ。
「出ました、もやしとニラの肉味噌あんかけ! 安い、美味い、多いの3拍子が揃ったお財布にも優しいご飯が進む逸品!」
「……ねえナナミ、聞いてる? 無視ならこの料理下げちゃうよ?」
「ええー!? そんな殺生な……。勿論聞いてます、ベッキー様! 後でベッキーも入れてちゃんと乾杯しなおすから……」
「はいはい……。ほんと調子いいんだから……」
言い残して再びベッキーは台所へと戻っていく。なるほど、このお調子者の姉ちゃんはこうやって扱うのか、とソウヤは勝手に感心してビールを再び流し込んだ。やはりどうしても好きにはなれない味だ。昼のワインもどうにもイマイチという感想が真っ先に出てきたし、自身は相当にフロニャルドの酒に慣れてしまったのかもしれない。
「あ、ベッキー、次ご飯運ぶー?」
「うん」
「じゃあ手伝うよ、丁度1本目空いたし」
立ち上がりつつ、ナナミは缶を右手の握力だけで横に潰し、次いで縦にも潰して容量を縮小させた。その力にもだが、何よりもう1本飲み干したのかよとソウヤは驚いていた。
「あ、ソウヤも2本目いく?」
「……まだまだ残ってる」
「へーい」
台所へと行ったナナミは2本目のビールと茶碗に盛られたご飯を持って来た。後から来たベッキーも茶碗と、平皿に盛られたご飯を持ってきている。
「ごめんねソウヤ、さすがにお茶碗3つはなくて……。ご飯平皿で食べてもらっていい?」
「ああ、気にしないでくれ。俺が押しかけてるわけだし。それに普通1人暮らしなら食器はそうなる。俺も足りなかったから、レオが来た時は汁碗で飯を食ったしな」
と、その一言に2人が固まった。そして顔を見合わせる。
「今……何て言ったの? 『レオが来た時』……?」
「何それ……? 初めて聞いたんだけど……?」
2人に続いてソウヤも固まる。そしてややあって「あ」とらしくなく間の抜けた声をこぼした。
「……それを話したのはシンクだけだったか。完全に忘れてた」
「ちょっと何それ! あ、もう今日の話題まずそれね。ベッキー、もしソウヤがその話を断るようならご飯食べさせなくていいから」
「了解、ソウヤからリクエストの最後の1品も出さないってことで」
「待て待て、横暴だぞ!?」
「だったら大人しく、包み隠さず白状すること! ……よし、料理出揃いね!」
ベッキーが最後の料理の入ったどんぶりと自分が飲む用の麦茶を持ってくる。それで今ナナミが言ったとおり料理は出揃った。
ソウヤがリクエストしたのは肉じゃが。今ではガレットでも似たような料理があるし、家政婦でもあるビオレに作ってもらうことも多い料理だが、やはり故郷の食材を使った元祖の味をどうしても食べたかったのだ。
「はい。じゃあいただきます……と乾杯だっけ?」
「ベッキー、音頭取って! さっきはあたしだったし」
「ええ!? ……まあいいか。じゃあ改めまして。ソウヤとの久しぶりの再会を祝して、乾杯!」
先ほど缶を合わせた2人に、今度はベッキーの麦茶の入ったグラスも加わった。3人ともそれぞれの液体を喉に流す。
「あー! 2杯目もうまい!」
「……オヤジめ」
毒のある突っ込みもナナミにはもはや効果がないようだ。ひょっとしたらもう酔いが回り始めているのかもしれない。
「ソウヤ、リクエストの肉じゃが食べてみて」
「ああ。じゃあいただきます」
取り皿に肉、ジャガイモ、玉ねぎを適当に取り分け、口に運ぶ。一口放り込んだところで、彼は目を見開いた。
「うまい……!」
「本当? よかった。さっきファミレスで聞いた話じゃビオレさんが作ってる、って聞いてたし、勝ち目ないかなって不安だったんだ」
「確かにあの人の手料理はうまいが、これも十分負けてない。……ベッキー、いいお嫁さんになれるな」
「そ、そうかな……」
「そう! 絶対にそう! なのにシンクときたらベッキーの魅力をぜんっぜんわかってないのよねー」
アルコールが入っている現状、これでは管を巻く性質の悪いおっさんと変わらないじゃないかと思ったソウヤだが、内容には同意した。側にこんないい幼馴染がいながら気づかないというのは、勿体無いとか鈍いとか、そういう次元を超越してある種の才能のようにさえ思える。
「やっぱ地球の材料で作るのはいい。調味料も多分違うんだろうしな」
「そっか、向こうだとそういうのもちょっと変わっちゃうものね。砂糖多めで、最後にみりんも入れてるからちょっと甘めにしてるの」
「みりんとか常備してるのか……。さすが料理女子。俺があいつに肉じゃが作ったときなんてめんつゆだけだった」
「あ、それ! レオ様の話! 何、肉じゃがも作ったの!? ほら、さっさと話さないとベッキーが肉じゃが持ってっちゃうよ!」
「そうそう。その話をしてもらわない限りこの部屋からは出られないからね」
女子2人にペースを完全に握られ、ソウヤはたじたじだった。仕方ないと思いつつも、だがこれならナナミの酒の肴がなくなることもないだろうと思い、大人しくソウヤは過去に日本であったレオとの「デート」の話を白状し始めた。
◇
「……それでさ、あたしとしてはガウルもらと思うけどノワももっとガツーンとアタックしないといけないと思っれたわけ。ちょっと、聞いてう?」
「はいはい、聞いてます聞いてます……」
ついでにその話題は1ループして2回目だけどな、とソウヤは心で付け加えた。
夕食は非常に美味だった。ソウヤが褒めた肉じゃがだけでなく、もやしとニラの肉味噌あんかけはナナミが絶賛したとおり実によくご飯に合う味付けだった。安いはずのもやしとニラが、ほどよいしょっぱさと辛さの肉味噌の餡によって最高のおかずへと早変わりする。シャキシャキとした食感に絡む肉味噌の餡は絶品で、それだけでご飯がどんどん進んだ。ソウヤとしては1人暮らし時代にはそれなりに世話になったつもりのもやしだったが、作り手によってここまで姿を変えるのかと感心しつつ、そんなことを考えているうちにナナミの食欲の前に全てなくなりそうな恐れもあったので負けじと箸を伸ばした。
サラダも素晴らしかった。「ドレッシングのほうがよければ大根サラダにはこれ使って」とベッキーは市販のドレッシングを用意していたが、メインのポテトサラダの味付けがマヨネーズベースの少し濃い目ということもあり、それと大根サラダを一緒に食べると丁度の味の合わさり具合だった。
そして何よりソウヤが最も気に入ったのはやはり肉じゃがだった。本場日本の味、フロニャルドではどうしても出すことの出来ない、和の料理。かつて「簡単に作れる肉じゃがのどこが家庭的か」という疑念を抱いたソウヤだが、その意味がやっとわかった。この味は日本人をホッとさせる。ホクホクのジャガイモを割った時に出る湯気と共に口に頬張れば、熱いその身からたっぷりとだしと醤油を吸い込んだ味が滲み出る。浸されて煮込まれた玉ねぎは鮮やかに色づき、その甘さは格別だ。そこに肉が加わることでおかずとしてご飯をかき込みたくなる。これはまさに日本のおかず、家庭の味といわれる物に相違ないと、彼は噛み締める度に思うのだった。
結局、山のようにあった料理はほとんどをナナミが食べていった。同時に、彼女の酒も進んだ。ビールを3本ほど空けたところで「こんなもので酔えるか!」とか言い出した彼女は、ベッキーが調理用として買っておいた赤ワインを見つけ出し、今度はそれを嗜み始めた。今思い出せばこれがこの諸悪の根源だったのだろう。そもそもワインというのは飲み口としては意外にあっさりなことが多く、ついクイッと飲めてしまうのだが、その割に合わずアルコール度数が高い。それをワイングラスではなく普通のグラスで2杯、いや、今3杯目を注いで半分まで飲んでいるところだ、それは酔うに酔うだろう。
結果、もはや彼女は呂律が若干怪しくなり、しかも一方的にソウヤに対してずっと話し続けていた。ベッキーは、というと適当なところで「洗い物があるから」と席を立ち、それが終わっても戻らずに「お風呂もすませちゃうね」とうまく逃げたのだ。要領の良過ぎる彼女に半ば呆れつつ、むしろ逃げられたことに妬みまで思いつつも、ソウヤは延々続くナナミの話につき合わされているのだった。
「ってかあんらちゃんと飲んでる? だいらいそのビール何本目よ?」
2本目だよ、と心で答える。口に出したら「全然足りるか!」とか言い出されて自分もワインを飲まされかねない。昼間ちょっと飲んだときにフロニャルドの酒と似たような味わいだと思ったが、一方でフロニャルド産には到底叶わず飲む気になれないだろう、と気づいている彼は飲もうという気にはなれなかった。しかも元々は調理用、ベッキーも安物を選んだために味はそこまででもないと前置きをしている。
いや、そうでなくても目の前でベロンベロンに酔っ払っている女子大生を見たら飲もうという気にもなれなかった。今思うと風月庵に行ったときにマキシマ兄妹――イスカとブリオッシュと一緒に酒を飲まなくて正解だったかもしれないとも思ってしまう。おそらくあの2人は目の前のナナミと違って本物の酒豪だろう。つられて飲んだら十中八九自分がこうなっていた、と考えて苦笑を浮かべた。
「らによ、笑って! いい、もし戻ってノワに会ったらちゃんと言うのよ! あんらはガウルと一緒にならないといけないんだ、って。身分とか何とか全然知らんから、ガツンと言ったれ! って!」
「はいはい。わかった、わかったよ」
ナナミはベッキーがパスティヤージュで世話になったようにガレットで過ごすことが多かった。その時はガウルやジェノワーズと仲良くすることが多く、彼女もソウヤ同様ノワールのガウルへの気持ちには薄々気づいていたらしい。最近は連絡を取っていなかったがそのことは気にかけていたらしく、現在の状況、特にジェノワーズが解散したことを告げると、酒の影響もあってナナミの逆鱗に触れてしまったようだ。「ソウヤがいながらなんで止めなかった」「ごちゃごちゃ言わずにノワールは自分の気持ちをガウルに伝えればいい」「ジョーヌとベールも何やってんだ」とよくもまあ口が疲れないと感心するほどに愚痴り始めた。
だがソウヤは過ごした時こそ短かれ、やはりナナミにとってもよき友人達であり、いい思い出だったのだろうともその言葉に思うのだった。とはいえ、さすがにこれだけ言われ続けるとそういう気持ちも薄れてきてはしまうが。
「らったくジョーもジョーだしベルもベルよ。あの2人はノワより年上らっていうのに……。ジェノワーズのばかやろー!」
言うなり、彼女はグラスに半分残っていたワインを一気に飲み干した。さらに次の一杯に以降とボトルに手をかける。
「ナナミ、もうやめとけ」
これには絡まれたくないと傍観と聞き流しで場を凌いできたソウヤも思わず止めに入った。これ以上飲んだらますます悪化する。それならいい、病院の世話などということにはなってもらいたくない。
「らによ、止める気!?」
「そろそろ酒は終わっとけ。麦茶持ってきてやるから」
「そんらもんいるかー!」
そうは言われたが、ソウヤはボトルを彼女から取り上げてため息をこぼしながら立ち上がっていた。さすがに酔いすぎだと思う。ちょっと何かを飲ませたほうがいいだろう。確かさっきベッキーが飲んでいたクーラーサーバーに入った麦茶があったと思い出す。それを飲ませようと彼は冷蔵庫へと向かった。
「えーっと……」
冷蔵庫の中は賑やかだった。かつての調味料と飲み物しかなかった寂しい自分の冷蔵庫とは大違いだとふと懐かしく思う。その中の手前のポケットに目的の物はあった。
「おいナナミ、これでも飲んで……」
言いかけて彼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。散々騒いだ彼女は、今は大の字になって既に寝息を立てていたからだ。
「……ったく寝てる顔は美人だってのによ」
レオには負けるがな、と小声で付け加える。酔った後の、いやもうその前から中身はおっさんと言っても差し支えないほどなのに寝顔は年相応の、それも美人な部類だ。まったく勿体ないと思いつつ、ソウヤは麦茶を机に置く。次いで何かかけてやれる物はないかと部屋を見渡した。
と、目的の物ではないが、あるものが目に留まる。本棚、それも綺麗に整頓されていた。そういえば向こうに行ってからは途中まで読んだタイトルがどうなったか全然わからないでいたな、と何気なくタイトルを眺めていく。
「上がったよ。……あ、ナナミ寝ちゃった?」
と、そこで入浴を終えたベッキーが戻ってきた。こちらはさっきのナナミのような格好と違いちゃんと上はキャミソールなどではなくTシャツを着ている。
「ああ。散々わめき散らしてな。何かかけてやるものをと思って探してたんだが……」
「私がやっておくよ。それより……本棚見てたんだね。向こうに行ってから全然読んでないんでしょ?」
「まあな……」
答えつつソウヤは本の背表紙を眺めていく。見知ったタイトルが多かったが、中には全く知らない物もあった。最近発売された物だろう。
その中で、彼は気になるタイトルを1つ見つけて手に取った。そして表紙の絵をじっと眺める。
「あ、ナナミ酔うとあんな感じになるってわかってたから……。ごめんね、逃げたみたいになっちゃって。洗い物を終わらせておきたかったのは事実だし、お風呂から戻ってきてもまだ元気だったら付き合おうとは思ってたんだけど……」
「いや、いい。的確な判断だった。それよりベッキー、これ……」
ナナミにタオルケットをかけてあげたベッキーが、ソウヤが手に持つ小説を覗き込む。
「『1ダースの騎士達』……。タイトルを見たときにもしかしたらと思ったが、表紙を見て確信した。こいつは……」
「そ。『2ダース半小さな騎士達』の続編に当たる作品よ」
かつて、初めてソウヤとベッキーが会った時、ファンタジー小説を読むという共通の趣味のために話題に出たタイトル、『2ダース半の小さな騎士達』。修学旅行に行く途中の中学生1クラスがまるまる異世界に召喚されて騎士なるという話だ。当時ソウヤが「王道」と評した、人気作でもある。
「『2ダース半』終わってたのか。最終巻は9巻……。随分続いたな」
「私もてっきり一通り登場人物に触れた後で話が進んだ5巻ぐらいで終わっちゃうかと思ってた。ソウヤは何巻まで読んだの?」
「その5巻までだ。まさにベッキーの言うとおりあと1巻で終わるだろうと思ってたが……。そっから更に続いて、おまけに続編か」
「人気あるからね、今でも。その人気のある……。あ、ネタバレは言わない方がいいよね」
「いや、言ってくれ。買って帰ってもいいが、どうせ読む暇は当分なさそうだしな。……1ダースになったってことは、主要キャラを削ったってことか? まさか残り1ダース半は戦死とかじゃないだろうな?」
「死んじゃったキャラはいなかったよ。帰る方法が見つかって、帰るか帰らないかをそれぞれが選ぶことになるの。ただ、元の世界に戻れるのは1度限りで、その場合はもう2度と戻っては来れない。さらに留まることを選んだ場合も、それ以降元の世界に戻ることは出来ない、って」
ククッと笑いを噛み殺したようにソウヤは小さく笑った。
「さすが王道。ファンタジーとはかくあるべきだ。『いつでも行ける』『いつでも戻って来れる』はその概念を既に覆している。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ」
「確かに……フロニャルドって不思議でしかも便利なところよね」
「もっとも、最初のシンクはまさにその状態だったらしいが。……それで、あの世界に残った連中が1ダース……12人、というわけか」
「そう。人気投票とかしたのよ。それで上位キャラが残ったの」
「じゃあベッキーお気に入りのヒロは?」
ヒロ、というのは昔ベッキーがお気に入りと言った女子のキャラだった。特に目立つわけでもないキャラだっただけに、ソウヤはそれは意外だと評していた。
「残念ながら漏れちゃった。帰って来た側。……でもね、章の合間に帰ってきたキャラを中心にした短編が入るの。それのヒロが、ヒロらしくてとても良くて……」
「というと?」
「凄い経験を出来たし、わくわくして楽しい思い出だったけど……。でも、自分は元の生活の方が自分に合ってる、って。だけど異世界での経験を胸にこれからは前向きに生きていこう、って言って、段々将来は料理関係の仕事につきたいとか夢を持つようになっていって。なんかそれだけなんだけど、ジーンと来ちゃって……」
ソウヤにはベッキーがそのキャラに共感できる理由がなんとなくわかってしまった。彼女は元々「自分に似たところがある」というような理由で好きだと述べていたのだが、まさに今の彼女と重なり合うとも言えてしまうからだった。
パスティヤージュで擬似的とは言え勇者として戦に参加したベッキーの姿は、今の「平凡な女の子」という印象からは大きくかけ離れたものだった。クーベルから託された神剣メルクリウスを箒状へと変化させ、箒に跨って空を飛び回る魔法少女よろしく、地上の兵達を薙ぎ払う彼女を平凡などと言えるだろうか。自身の経験から輝力の扱いは得意ではないかと踏んで薦めたソウヤもこれは意外だった。結果、今では空騎士に対して最強といわれるソウヤでさえ彼女を撃ち落とせたのは数える程度しかない。
しかしその後、彼女ははっきりと地球での暮らしを選んだ。今でもクーベルと時折連絡を取り合っているという話ではあるものの、最後に空を翔けたのはいつだったか。なぜその選択をしたのか、ソウヤは今もわからないでいた。
「……ヒロの話がいいと思っちゃう理由はわかってるんだ。あたしと被るから、かな」
そんなソウヤの心を見透かしたかのようにベッキーは苦笑を浮かべながら、そう言ってきた。
「元々ヒロがあたしと被るのは感じてたけど……。こんなところまで被るとは思わなかったな……」
「……なんでベッキーははっきりと向こうよりこっちを選んだんだ?」
以前から疑問に思っていた考えを、ソウヤは直接ぶつける。
「……違う、って思っちゃったから」
「違う……?」
「そう。あそこはシンクの場所であって、ソウヤの場所であって……。でも、あたしの場所とはちょっと違うかな、って」
「そんなわけないだろう。あのわがまま娘なクーベルとあれだけ仲良くしてたじゃないか」
「クー様はわがまま娘じゃないよ。それはクー様がソウヤと馬が合わないから、そう思ってるんじゃないかな。本当は寂しがりやのかわいい妹みたいな子だよ」
「……ありえねえ」
2人の関係は相変わらず何だなとベッキーはクスッと笑った。彼女がフロニャルドを訪れていた時も、2人が顔を合わせるとそれは口喧嘩のようになったものだった。
「ともかく、確かにクー様とは仲良くしてもらったし、勇者……あ、擬似的にだけど、それで戦に参加した時も楽しかったわよ。……でもあそこで心から楽しそうにしてるシンクを見た時に……気づいちゃったんだ。ずっとシンクを見てるだけだった。だから同じ場所に立ちたいと思ってた。そしてそれが叶った。……でも、そこはあたしが本当に望む場所じゃなかったんだ、って。あたしは、
「本当に……そう思ってるのか?」
「うん。だからヒロが元の世界に戻るってなったとき、すごくそれがわかった。でも、ヒロと違うところがあるとするなら……。あたしは異世界から帰ってくる人を待つことが出来るってこと。シンクが向こうで姫様と結婚してもいい、永住してもいい。それでシンクが幸せになってくれるなら、あたしだってそれを望む。
でもね、時々でいいから帰って来た時にはきっと『ただいまベッキー!』って言ってもらえる。だったら、その帰ってくる場所を守る、なんて言ったら傲慢かもしれないけど……。その場所にあたしはいなくちゃいけない、って思ったの。シンクの幸せを願いながら元の世界でそんな風に普通の女の子として生きていけるってだけで、あたしはきっと満足なんだって、思っちゃったんだ」
沈黙が広がった。ソウヤとしてはてっきり「長居しすぎるとフロニャルドに未練が出て元世界に戻れなくなる」という辺り、要するに自分が地球に対して抱いている感覚をフロニャルドに対して抱いて、の選択だとばかり思っていた。
だが彼女はソウヤが地球に対してしているほど、意固地にフロニャルドを否定しているわけではない。それがわかっただけでも、彼は少し嬉しかった。今後時々来いよ、と誘えばきっと来てくれることだろう。
いや、むしろ彼女の考え方に感嘆してもいた。さっきのような考え方が出来るとしたら、それは他ならぬ「家族」であろう。彼女にとってシンクは本当に家族同然の、大切な存在に違いない。
「……そういうことだったのか」
「そういうことだったの」
「だが安心した。フロニャルドを嫌いになったわけじゃなかったんだな」
「なるわけないじゃない。ただ……。あまり入り浸っちゃうと、シンクみたいに割り切れなくなるかも、っては思ったけど」
「違いないな。……なら、時々でいい、フロニャルドにまた来てくれ。あの小娘も寂しがってるからな」
「うん、時々……。シンクの今の話が、まとまったらね」
ああ、そうだったとソウヤは危うく自分がここに来た理由を忘れるところだった。そのシンクの外堀を埋めるために周りから突っつかせようとしてここに来たのだった。だが結局はそれも難しそうではあるが。
「シンクには……。まあそれとなく言ってみるよ」
「いや、いい」
だから、彼はその外堀を埋めることを放棄することにした。自分が突っついたせいでシンクとの仲がよろしくなくなった、などということにはなってもらいたくない。
「……この件に2人を巻き込むべきじゃなかった。今までと変わらず、シンクと仲良くやってくれ。余計なことを言って気まずくなるなんてことになったら、俺は責任を感じるからな」
「でもそうしたらソウヤがここに来た理由が……」
「お前達の顔を見に来た、それでいいだろ。……帰ってきていいものか迷ったし、来る前は気が重い里帰りだったが、楽しかったよ」
ソウヤは自嘲的に笑った。が、ベッキーは真剣な顔でソウヤを見つめる。
「そう言うなら……。ソウヤも人に『たまにはフロニャルドに来い』って言う前に、時々でいいから地球に戻ってきなよ」
「戻ってきたって会う人間はお前達しかいない。それにもう帰る場所もない。だったら、戻ってくる理由なんて……」
「あるじゃない」
ソウヤの言葉を遮る形だった。はっきりと、ベッキーがそう言った。
「今、あたし達に会えるって、それにさっきも会いに来たって言ったじゃない」
「言ったが……。2人ともそのうちフロニャルドに来ることもあるだろう? だったら……」
「違うよ。
真っ直ぐ、ベッキーはソウヤの瞳を見つめる。
「この世界はソウヤにとって故郷なんだから。『フロニャルドに永住したしもう思い入れはない』みたいに強がってるけど、だけどここはソウヤが戻って来れる場所、戻ってきていい場所なのよ。もしそれでも帰ってくる意味がない、って言うんだったら……あたし達に会いに来ればいいじゃない。ソウヤにとっても故郷であるこの世界であたし達と会うっていうのは、理由にならない?」
ソウヤも、その瞳を見つめ返していた。不意にベッキーが小さく笑う。
「ね? どう?」
「……ベッキーの言うとおりだな」
その笑みは直視するには、少し眩しかった。ソウヤは恥ずかしげに瞳を逸らし、天を仰いだ。そして息をひとつ吐く。
「俺が今まで張ってたのは、どうもくだらない意地だったらしい。……地球のことを思い出す度に、俺はどこか怖かった。未練がないはずのこの地に、なぜそこまで思いを馳せてしまうのか。自分には不要な感覚だと思っていた。だから心の中から消し去ろうとしていたんだが……。何もそうしなくちゃいけないわけじゃなかったんだな。……俺はここに戻ってきてもよかったんだ」
「そうだよ。……そんなの、当たり前じゃない。シンクもだけど、ソウヤも『ただいま』って顔を出してくれたら、あたしはそれで嬉しいから」
ソウヤがベッキーの方を仰ぎ見る。お節介焼きな、彼の親友の幼馴染は慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。その表情を見て、レグルスを抱いた時のレオの表情が思わずダブる。やはり女性というのはかくも強くあるものらしい。「母なる大地」というが、そうか、人は「母」から生まれ、そして育っていく。その「母」とは女性に他ならない。
自身が結婚していなかったら間違いなく口説いた、とソウヤははっきりと思った。これだけの幼馴染がいながら、そこに気づかないとはシンクは本当に勿体無いことをしていると思う。だがシンクの相手はその幼馴染が「自分よりふさわしい人」として名を挙げたミルヒだ。その2人がくっつかないのだとしたら、たとえベッキーが許すと言ってもソウヤ自身はそれを認めることは出来ないだろうとも思ったのだった。
やはりその件は解決しなくてはならない。それも誰もが納得できる形で。ソウヤは、改めてそう思った。
「……寝るか。明日はそこそこ早くに出るつもりでいるからな」
気づけば、夜も更けていい頃合だった。柄にもなく話し過ぎたな、とソウヤは思いつつ、立ち上がって台所の方へと行く。
「寝るのはいいけど……。どこ行くの?」
「台所の廊下で寝る」
「そんなのダメだよ。床固いし……」
「嫁入り前の女子と同じ部屋で寝ようという気にはならない」
「そういうところ頑固よね……。じゃあこの長座布団使って。あとこれタオルケット」
「……悪いな」
さすがお節介焼き、と思いつつ、自分のわがままを許してくれたことにソウヤは感謝していた。
「あ、お風呂は……」
「いい。明日帰って、フロニャルドで入る。どうせ昼前には向こうだ」
「そっか。7時起きでいいんだっけ?」
「ああ。そのぐらいなら十分だと思う」
「アラームセットしておくね。……じゃあお休み、ソウヤ」
「お休み」
長座布団を敷いて横になったところで、部屋の電気が落ちた。横になりながら、ソウヤはずっと躊躇っていた「久々に故郷の地を踏む」という行為を、今更ながら必要以上に重く考えすぎていたのかもしれないと思っていた。確かに自分はフロニャルド永住を決めた。今増えつつある異世界人の先駆けというのも事実だ。
だが、故郷には待っていてくれる人がいた。「久しぶり」と笑顔を向けてうまい手料理をごちそうしてくれるベッキーと、酔っ払ってずっと喋ってばかりだったが相変わらずいい姉貴分だったナナミがいた。それだけで、戻る故郷があるとわかっただけでよかったのかもしれない。
らしくなく、そんな思いを頭に浮かばせていると段々と睡魔がやってきた。そういえばアルコールも多少ではあるが入っているし大分話した。久しぶりの異世界、その前にここに来る以前からの疲れもあるのかもしれない。もしベッキーが申し出てくれなかったら野宿となり、もっと寝づらい環境で寝るハメになっていただろう。
心の中でもう1度ベッキーに感謝の気持ちを述べ、ソウヤは眠りに付いた。
◇
翌日、再びベッキーの手料理が朝食だった。本当はそれも断るつもりのソウヤだったが、昨日あれだけうまい料理を口にしてはそれも言い出せず、結局ごちそうになったのだった。
一方でナナミは不機嫌というか、酷く難しそうな顔をしながら頭を抑えていた。明らかに二日酔い、昨日あれだけ飲めばそうもなるだろうとソウヤはすかさず突っ込んでいた。
朝食を終え、「二日酔いなら無理すんな」というソウヤの声を無視してナナミもベッキーと一緒に最寄の駅まで見送りに来てくれた。販売機で切符を買い、3人が改札の前で向かい合う。
「じゃああたし達はここまで」
「ああ。悪かったな、泊まるどころか飯までごちそうになっちまって」
「いいのいいの」
「うまかった。感謝してるよ」
そういうと普段の皮肉っぽさをなしに、ソウヤは笑った。
「シンクには……」
「昨日言ったとおりだ。……仲良くしてやってくれ。それだけでいい。2人が突っつかなくても、どうしようもなくなったら最後は俺があいつに答えを出させるさ」
今度の笑みは皮肉っぽくだった。その方がソウヤらしいと思いつつ、ベッキーは苦笑を返す。
「じゃあ……。またな。よかったら、近いうちにまた来るといい」
「ソウヤも。昨日言ったけどたまには戻ってきなよ」
「たまには、な」
「ナナミからは何かある?」
昨日の喋り上戸から一転、今度は不機嫌そうに無口で立つナナミにベッキーが話を促す。
「……えーと、皆によろしく言っておいて。あと、昨日ちょっとはしゃぎすぎちゃったことは謝るわ」
「ああ、いい。気にしてない。あれでこそお前だ」
「……褒めてないでしょ?」
クックックとソウヤは噛み殺した笑いをこぼした。そして、2人に背を向ける。
「……じゃあ世話になった。またな」
「またね、ソウヤ」
「それじゃあね」
改札を抜け、ホームのある階段を昇る。その背中が見えなくなるまで2人はソウヤを見送っていた。
「……行っちゃったね」
「そう……だねっ!」
言いつつ、ナナミは大きく伸びをする。そのまま上半身を左右に捻り、軽くストレッチし始めた。
「ちょ、ちょっとナナミ! 二日酔いなのにそんな動いたら……」
「んー?
ニヤッとベッキーへと笑みをこぼしてみせるナナミ。
「え……?」
「このあたしがあの程度の酒で二日酔いになるわけないでしょ? 演技よ、演技」
「え、ええ!? なんでそんな……」
「……あたしさ、湿っぽいのは嫌なのよね」
言いつつ、ナナミは遠くを見つめる。
「なんだかんださ、ソウヤとは同じ国で一緒にいた時間があったから……久しぶりに会って、それで別れる、ってなると……なんか泣いちゃう気とかしちゃって。それでしんみりしないようにしようと思ってたんだけど……さすがソウヤ、あっさり帰っちゃったわね」
ハハ、と笑顔をこぼしつつ、ナナミは振り返った。
「……んもう、本当に二日酔いかと思って心配して損したわ」
「それは謝るよ、ごめん。……じゃあついでに言っておくと、昨日も実は途中からは起きててさ」
「え……?」
「いやあソウヤとベッキーすっごくいい感じだったよね。あれ、レオ様と結婚してなかったら間違いなくソウヤはベッキーを口説いていたよ」
「な、な……!」
「『ただいま、って戻ってきてくれるだけで嬉しい』なんて落とし言葉じゃない? あれ、ベッキーそれ意識しないで言ってた?」
カーッとベッキーの顔が紅くなる。確かに昨日そう言ったが、捉え方によってはナナミが言った通り落とし文句に捉えられるかもしれない。
「も、もうナナミ!」
二日酔いの演技に加えて狸寝入りまでされ、挙句からかわれた事にさすがのベッキーも非難の声を上げた。そこから逃げるように「キャー」なんて言いながらナナミは走り回る。どうやら二日酔いは本当に演技だったらしい。
「……んもう知らない! 今日はナナミ夕飯抜き!」
「えーっ!? それはないよ、ベッキー!」
「あたしを騙した罰よ」
「でも起きててよかったこともあったっていうか思いついたんだって。ほら、さっきソウヤが『シンクと仲良くしてやれ』ってあれ。今度さ、シンクも気にしてることだろうから姫様との話はなるべく触れないようにして、シンクと3人、久しぶりに遊びに行かない?」
不機嫌そうに口を尖らせていたベッキーも、この一言に表情を元に戻していく。
「それ……いいかも!」
「でしょ! 最近シンクと会ってなかったし……。久しぶりに3人でお出かけ! 早く連絡しないとシンクも夏休み入っちゃってフロニャルドに行っちゃうから、連絡しよ!」
「うん!」
2人が快晴な空の下を話しながら楽しそうに歩き出す。同時に、高架の上のホームでは入ってきた電車が人を飲み込み走り出した。
日本の夏は、今年も暑くなりそうだった。