◇
おかしい、と彼女は感じた。まだ目前の煙は晴れない。だが、たった今、目の前の親衛隊長と副隊長へ放った晶術弾が直撃していないのではないか、という予感。直撃を確信した時とは異なる違和感。命中する刹那、横から何かが飛来した、そのように見えた。
煙が晴れる。はたして彼女の予想通り、目標は目の前に2人、顕在だった。しかしそれは相手側も意外だったらしく、信じられないといった様子で呆然と立ち尽くしている。
「リーシャ隊長、次弾の指示を!」
空騎士から声をかけられ、ようやくリーシャは我に返る。そして銃口を再び2人に向けて口を開こうとした、その時だった。
「双方ともそこまでだ! ただちに戦闘行為を停止しろ! 戦闘の意思を見せた場合は即座に撃破する!」
街道の脇にある林、そこから凛とした声が響いてきた。リーシャにとっては聞き間違えるはずもない、散々苦汁を舐めさせられ続けている、その相手――。
「繰り返す、ただちに戦闘行為を停止しろ! ハッタリだと思うならそれでいい、だがその場合は俺の『アルバレスト』に即刻撃ち抜かれる覚悟ができた、と判断させてもらうぞ!」
「全員武器を降ろせ! 絶対に戦闘の意思を見せるんじゃない! 相手は『蒼穹の獅子』だ、狙われている以上、こちらに勝ち目はない!」
リーシャの指示は迅速だった。状況は完全に変わった。今この場を制しているのは自分達ではない。姿を見せぬ相手の方だ。
先ほどの違和感は間違いなかった。今も目の前に立ち尽くす親衛隊の2人に晶術弾が直撃するその瞬間、横から紋章砲を撃ち込んで防御したのだろう。一歩間違えれば守ろうとした相手ごと吹き飛ばしかねない。だが、
隊の騎士達にかけた言葉の通り彼女は晶術銃をブランシールの上に置き、両手を見せる。戦闘の意思無し。隊の騎士達も同様に晶術銃からは手を離していることを確認し、彼女は声の聞こえてきた方へ口を開く。
「……デ・ロワ卿! ご覧のとおりこちらに戦闘の意思はありません!」
「賢明な判断だな、アンローベ卿」
普段自分に取っているようなどこか人を小馬鹿にしたような態度からは程遠い、緊張感を感じる態度だとリーシャは思う。「アンローベ卿」などという堅苦しい呼び方を聞いたのはいつ以来か。それ程、向こうとしても真剣な状況ということを意味しているのだろう。
「……姫様達がガレット領に入ったときはヴァンネットを目指すものと思っておりましたが、一向に向かう様子がなかった……。てっきりガレットはこの件を静観するものだと……」
「この件? 何の話かわからないが、俺は領内で戦闘行為があったらしい、と聞いて鎮圧のために来ただけだ」
よくもいけしゃあしゃあと言えたものだ、とリーシャは内心呆れていた。領内での戦闘行為、というだけでいきなり遊撃隊が動くだろうか。付近の砦辺りに駐留している兵に話をつけてまず状況を確認するなり、その時点での警告行為などがあった上で実力行使に移ってくるはずだ。その過程を全て飛ばしている以上、「領内での戦闘行為」などというのは上辺だけの理由に過ぎないだろう。
「……しちめんどくさい話はおいておく。本題だ。そちらの飛空術騎士団をまとめて引き上げろ。そうすれば今回は黙認して見逃してやる。断る、というのなら仮にも領内での無断の戦闘行為だ。
そのソウヤの一言でリーシャの仮説は確信へと変わった。やはり先ほどの理由は表向き、真の理由は「逃亡の姫君」への自分達の追撃をやめさせ、撤退させることに他ならない。そもそも自分達には隊を引くように命じたが、ビスコッティの親衛隊2人はどうするつもりか。それを聞いてもよかったが、どうせはぐらかされるに違いない。やるだけ無駄なやり取りだ。
普段の彼女なら手玉に取られたと重い気持ちになっていただろう。だが今回に限れば違う。いくら領主からの命令とはいえ真意を測りかねる内容、元々乗り気ではなかった。「蒼穹の獅子に割って入られた」という理由は撤退の口実としては十分といえる。ならこれ以上ここに留まる必要も、そして領主に言われた通りに踊り続ける義理ももうないだろう。もっとも、仮に断ったとして、その瞬間に撃破されるのは火を見るより明らかだ。そのことを重々承知している彼女には拒否という選択肢すら存在しなかった。
「……撤退だ! 撃破された味方のだまの回収班と合流後、速やかにエッシェンバッハ城に帰投する!」
考えをまとめたリーシャの判断は素早かった。空騎士達が反転する。それに続いて彼女も方向を転換しようとし、何かに思い当たったようにそれをやめた。そしてつい先ほどまで激闘を演じた、誇り高き親衛隊長を真っ直ぐに見つめる。
(騎士エクレール……あなたは立派だった。どうか、その副隊長と幸せに、そしていずれまた戦いましょう……)
敬意を表したその視線にエクレールも気づいたらしい。傍らの副隊長と何やら話していたようだったがそれを止め、目でそれに応える。
口の端を僅かに緩めたのは、ほぼ同時だった。両者とも互いに言葉を交わさずとも、言いたいことは伝わったようだ。
今度こそ彼女は反転する。次いで、先ほどから声が聞こえてきている林のほうへ首だけを向けた。
「……デ・ロワ卿。ここまであなたには煮え湯を飲まされ続けてきた。見ようによっては今回もそうでしょう。ですが今回だけは……」
続けて感謝の言葉でも述べようかと思った彼女だったが、ふとその言葉を止めた。それを口にしたらやはりいい様に手玉に取られているような、なんだか負けたような感覚を覚えたからだった。
「……いえ、なんでもありません」
「ああ、それでいい。これだけ散々に接してるお前に感謝なんかされたら、逆に気になって夜も眠れねえからな」
どうやら普段の調子が少しは戻ってきたようである。つまり気を張る状況からは脱しつつあるらしい。その方が彼らしいと思いつつ、だがやはりこの人とは馬が合わないな、と彼女は改めて実感していた。
「その減らず口、いつか黙らせてみせますよ。いつもあなたの思うとおりに事が運ぶわけではない、と解らせてさしあげます。……引き上げる!」
空騎士達が引き返していく。その姿が完全に見えなくなって一瞬の静寂の後、林の中から現れたのはソウヤを先頭とした遊撃隊だった。他に隊長クラスはベールとノワール、諜報部隊も数名見受けられる。
「良い捨て台詞だな、眉毛。やっぱお前は『出来る相手』だ。そんじょそこいらのチンピラの捨て台詞とは格が違う。……お前と真正面切って戦う機会があるなら、是非ともやってみたいと思っちまうな」
既にその言葉を投げかけるべき相手はいない。結果としてソウヤの独り言となった。どの道、彼はこのセリフを彼女に贈るつもりはなかった。贈ったところで受け取りを拒否される、相手の感情を煽るだけだと解っていたからだった。
「捨て台詞に良いも悪いもあるんですか……?」
そんな独り言をやはり耳ざとく聞いていたのはベールだった。苦笑を浮かべつつソウヤに問いかける。
「ああ。さっきのは捻りを利かせたうまい捨て台詞だったぞ。お前もその辺りを勉強してみてもいいんじゃないか?」
彼女は苦笑を浮かべたままだった。特に何かを返すでもなく、彼の指示を待つ。その顔には「早く本題を終わらせてしまいましょうよ」と書かれているようにも見えた。
「……わかったよ、さっさとやるべきことを済ませる。……遊撃隊! 周囲を警戒、このドンパチを聞きつけて近づく連中がいないか目を光らせろ! 5分後にこの場から離れる!」
ソウヤの命令に遊撃隊が散らばる。それを確認した後、ソウヤはベール、ノワールと共に隣国の親衛隊2人の元へと近づいていった。既にエクレールは立っているのも辛いのか、エミリオに肩を借りる形になっている。
「……また借りを作ってしまったな」
その肩を借りたままのエクレールにぶっきらぼうに言われた一言。思わずソウヤは笑みをこぼす。
「なんだ、惚気てるかと思ったが、普段通りのお前じゃないか。安心したよ」
「……フン」
どこか気まずそうに、いや、恥ずかしそうにエクレールは視線を彼から逸らす。だが先ほどエミリオに対して口にしたのは彼女の本心に他ならない。今の言葉を否定するのはそれを否定するのではないかと思うと、出来ずにいたのだった。
「まあ、でかい貸しだな。そのうち返してもらえばいい。そうだな、お前たちの結婚式にでも呼んでもらえれば、それでいいか」
「……クッ。よりにもよって貴様に全部聞かれていたというのが腹立たしい」
「俺じゃなくて聞いてたのはベールだがな。……まあいい。お前たちの身柄はガレットで『保護』させてもらう。パスティヤージュより良い待遇は保障してやる。……ああ、これは皮肉でも嫌味でもなんでもなく、そのままの意味で、だ」
確かにパスティヤージュに拉致まがいで「保護」されるよりはマシだろうとエクレールは思った。この介入も表向きこそ「領内での戦闘の鎮圧」という理由だが、実のところは自分達を助けるため、「逃亡の姫君」達を助けるためという意味合いが強いということは彼女にもよくわかっていた。
「ああ。私とエミリオの処遇はお前達に任せる。……仮にも領内で戦闘を行った張本人、なわけだしな」
「気にしなくていいですよ、エクレちゃん。形式上の処置ですから」
「一応監視付きだけど、さっきソウヤも言ったとおり良い待遇を保障するよ。この後一先ずはヴァンネット城に移送する予定だけど、監視には私の部隊から数名付けるだけにするつもりだから」
「まあそういうわけだ。俺がさっき言ったことは聞いていたな? もうすぐここを離れる。そうなれば一応は監視付きだ。……今のうちに2人でしか出来ない話は済ませておけ。お邪魔虫は消えてやる」
ソウヤは2人に背を向けた。興味津々な様子のノワールとベールだったが、ソウヤに促されて渋々彼に続こうとする。
「あ、そうだ、エミリオ」
と、そこでソウヤは首だけを後ろへと向け、エミリオへと声を投げかけた。
「なんですか?」
「……『苦労する者飲み』はまた先にしよう。しばらくはいいだろうが、お前がそいつの尻に敷かれて本当に苦労するのはその後だろうからな」
耐え切れずエミリオは笑いをこぼした。そういえばそんな約束を交わしていた。ひょっとしたら目の前の遊撃隊長はあの時、いつかこうなることまで見越してあんなことを言ってきたのかもしれない、とも思える。
「……いつになりますかね、ソウヤさん。自分は『苦労する者』にはならないかもしれませんよ」
「誰だって最初はそう思うんだよ。だが気づいたら尻に敷かれてる側になってるのさ。……ま、ならないならならないでいいさ」
後は2人だけで今のうちに話しておきたいことを話しておけ、と3人はその場から離れた。周囲から
「あの……たい……エクレール……」
「……慣れるまではお前はしばらくその調子だろうな。まあ悪いのはずっと答えを先延ばしにしてきた私だ。段々慣れていってくれればいい。……それよりお前、さっきのソウヤとの話はどういうことだ?」
「え!? あ、あれは……。ソウヤさんが以前フィリアンノ城にいらした時、『苦労する妻を持つ者同士でいつか酒でも飲もう』と誘われて……」
「……あいつめ。やはりいつの日か一発殴らないと気が済みそうもないな」
「す、すみません! 自分が安請け合いしたばっかりに……」
「お前が謝ることじゃないだろう。あと……段々敬語もやめていってくれ」
そうは言っても真面目なこいつじゃいつになるかわからないな、とも彼女は思う。だが、悪くない。そうやって真面目な性格と、そして一途に自分を思い続けてくれたことは何よりも嬉しいことだった。
「……エミリオ、さっき戦いの中で私が言ったことは本心だ。だがもう1度謝らせてくれ。……今までずっと返事を保留して、お前に苦労をかけ続けてすまなかった」
「そ、そんな、謝らないでください。別に苦労したなんて思っていません。それに……形はどうあれ、結果は……自分にとって嬉しいこととなりましたから」
クスッとエクレールが笑う。実に彼らしい答えだ。
「……さっきあいつは、『そのうち苦労する者同士で飲もう』とか言っていたな」
「ええ……」
「そうはならないな。今まで苦労をかけた分、今度はそうならないように、約束するよ」
そう言うと、エクレールはエミリオに体を預け、両手を背に回した。不意に抱きつかれたエミリオは一瞬その体を強張らせたが、緊張した様子ながらも彼女の両肩を抱き締め返す。
ガレットに保護されたとはいえ、これからどうなるかはわからない。無事ビスコッティに戻ることは出来るのか、この後国に戻れたとして自分の処遇がどうなるのかも不明だ。だがそれでも、今はもう少しだけこうしていたいと、エクレールはエミリオの感触を確かめていた。
◇
「あーんもうエクレちゃん、そこまでいったら後はチューまでぐぐーっと……!」
「いかねえだろうなあ。エクレールはこういうことには奥手だし、エミリオはクソが付くほど真面目な奴だからな……」
そんな2人からやや離れた木陰、息を潜めた3人は声を殺しながらも何やら盛り上がっていた。言うまでもなく2人の会話の盗み聞き、聴力が自慢のベールが普通なら聞こえないはずの距離の話を聞いていたのだ。提案をしたのはベール、そしてノワールもノリノリだった。仕方なく、とはいえあながちまんざらでもない様子でソウヤもつき合わされ、今こうして聞き耳を立てているのであった。
「ソウヤ、何か良い案とかないの? あそこまでいったらもう一押し、何かこう……!」
「……お前もこういうの好きなのな、黒猫」
「当然ですよ。女の子はこういうシチュエーションにグッと来るんです! はい、ソウヤさん、何か良い案出してください!」
「……俺のことを聞けば答えが出てくるアイデアマシーンか何かと勘違いしてるんじゃねえか、お前らはよ」
ハァ、と大きくソウヤはため息をこぼす。さっきは「早く本題に入れ」みたいな顔をしていたはずのベールだったと言うのに、いざ面白そうな話が舞い込むとこの様だと頭を抱えた。いや、彼女にとっての「本題」とは実はこれだったのかもしれない。
「それに残念ながら時間切れだ。そろそろ5分になる。動くぞ」
「えー……。そんな……」
「ノワール、状況はどうなってる?」
未だに切り替えきれないベールを無視し、ソウヤはノワールにそう尋ねた。それを聞いたノワールの表情も真面目なものに変わる。
「姫様達はこの街道をしばらく進んでいたけど、戦闘を行った以上ルートを予測されるんじゃないかと思ったみたい。1本迂回して、ガレット中部への道を今進んでいるところ。この後ルートを取り直すんだと思う」
「そうか。なら、主要街道を突っ走れば……楽に頭を抑えられるな」
その一言に、諦めきれずにまだ盗み聞きを続けていたベールが「え?」と言葉をこぼす。一気に真面目な顔になって振り返った。
「ソウヤさん……? 頭を抑える、って……どういう意味ですか?」
だが、ソウヤは返さない。代わりに表情をより厳しくし、口を開く。
「……ベール、あとノワールも。この後隊員達にも言うが、これから俺がやろうとすることに一切口も手も出すな。お前達は黙って俺のやることを見てるだけでいい。わかったな?」
そんな彼の様子に、ベールは呑気に盗み聞きなどしてる場合ではなかったのかもしれないとようやく気づいた。既にノワールは真剣な表情に変わっている。
そう、エクレールをうまく理由をつけて保護できたとはいえ、まだミルヒ達、更には彼の妻も逃亡中なのだ。こんなことをしている場合ではなかったのだとベールは遅れながら悟った。
「エクレールとエミリオについてはさっきも言ったとおり一先ずヴァンネットへ護送だ。遊撃隊から護衛を10出す。あとはノワール、お前の部下を監視につけておいてくれ」
「わかってる。もう手配済みだよ」
さすが、と言わんばかりにソウヤは小さく微笑む。そしてゆっくりと立ち上がった。
「さて……。幕間休憩のおちゃらけムードはここまでだ。ベール、隊員を集めろ。すぐに出発する」
ただならぬ彼の雰囲気に何かをやろうとしているのだと感じ、緊張した表情で重々しくベールは頷いた。
「それじゃ、次の幕を上げるとしますかね……!」
◇
パスティヤージュの追撃を振り切ったミルヒ達は変わらずセルクルを走らせ続けていた。途中見かけた小さな村で食料をわけてもらいしばらくの休憩はしたものの、出来るだけ移動の足は止めないようにしている。「待ち伏せを避けるために一旦迂回した方がいいかもしれない」というリコッタの提案にレオも賛成して、予定より遠回りのルートを通っていたことも関係していた。安全重視の、背に腹は変えられないという判断だ。しかしその代わりに時間は余計にかかってしまったことになる。さらには夜の行動は危険ということで日暮れまでと決めている。その辺りまでも踏まえて、ロスした分を取り戻そうと4人は口数も少なくひたすら道を急いでいた。
そうでなくてもパスティヤージュの追撃を振り切ってからは会話は少なかった。エクレールの離脱、という事態は4人にとって、特にミルヒにとって大きな衝撃だったらしい。身を呈して退路を切り開いたエクレールのことを当初はしきりに心配していたが、3人になだめられて落ち着いてきたようだ。いや、むしろ逆に塞ぎこむように、話しかけてもあまり話をしようという雰囲気ではなくなっていた。
「そろそろ日が傾くな……。次に集落を見つけたら、そこで宿を探すとしよう」
しばらくセルクルの足音だけが響いていたが、そこに3人に提案するレオの声が聞こえてきた。彼女はこれまでエクレールの役割だった行程の管理を引き継ぐ形となっていた。
「賛成であります。自分もでありますが、姫様もお疲れのご様子でありますし……」
「私はまだ大丈夫です。行けるところまで今日のうちに行きましょう」
が、ミルヒはそれを否定した。塞ぎこむようになりつつあった時から懸念していた心理状態に陥ってしまったかもしれない、とレオは思わず眉をしかめる。
「いや、まだドラジェまではもうしばらくある。それに領内へ入れたとしても目的地のコンフェッティ城への今日中の到着は無理じゃ。なら、寝床の確保を優先するべきとワシは思う。……見る限り、ミルヒ、お前は疲れているように見えるしな」
「言ったはずです、私は大丈夫です、と。まだ走れますし、なんとしても目的地へ到着するために、今のうちに出来るだけ距離を稼ぐべきです。そうでなくては体を張って私を逃がしてくれたエクレールに顔向けできません」
やはりか、とレオは唇を噛み締めた。ミルヒは優しい。だが、それ故に本来自分が背負うべきでもない責任まで背負ってしまうこともあることを、レオは懸念していたのだった。確かにエクレールはその身をもって逃走経路を切り開いてくれた。そしてミルヒはそのことを自分の責任だと気に病んでいる。だからその思いに報いるためにも先を急ごうと主張してきたのだとわかっていた。だがここで自分たちが無茶をしてそれを台無しにしては元も子もない。
「ミルヒ、お前の気持ちはわかる。じゃが、休息は必要じゃ」
「大丈夫です。まだ走れます」
「いい加減にせんか!」
レオの怒声がとぶ。普段自分に向けられることのない荒げられた声に思わずミルヒはビクッと肩をすくめた。しかしながら、振り返ったレオの表情はさきほどの口調のような怒りではなく、苦悩とも困惑とも取れない、複雑な表情を浮かべていた。
「……確かにタレミミはお前のために身を呈してあの場を食い止めた。じゃが、そのお前が倒れてしまっては何にもならんじゃろ。……あいつの意志に何が何でも応えなくてはならないという、お前らしいその心は理解できる。それでも、いや、だからこそ、そのために体を休めなくてはならないと言っておるのじゃ」
諭すように続けられたレオの言葉にミルヒは項垂れた。そのまま何も返さず、唇を真一文字に結ぶ。
「ま、まあまあ! お2人とも、ケンカは良くないでありますよ」
「……ケンカじゃないですよ、リコ」
視線は落としたまま、ミルヒが返す。
「私が浅はかだから、レオ様がお叱りになっただけのことです。レオ様は何も悪くありません」
「ミルヒ……」
あまりにも普段からかけ離れた様子のミルヒに、レオは不安そうに彼女の名を呼んだ。案の定、エクレールという親衛隊長の存在は、思った以上に彼女を支えていたのだとレオは改めて思う。同じ男性を愛し、最後は己の主君への忠誠を選んだ親衛隊長をこの場から失ったことでミルヒはここまで脆く、そして不安定になってしまうのかと思わずにはいられなかった。
「姫様、そんな言い方、姫様らしくないよ」
だが、次に聞こえたその一言にレオは僅かに希望を取り戻す。そうだ、今のミルヒにとってもっとも心の支えとなる人物はこの勇者に他ならない。彼の言葉は暗闇に閉ざされた姫君の心を明るく照らし出してくれるに違いない。
「シンク……」
「姫様はいつだって前向きだったじゃない。これまでだって辛いこと、苦しいこと、たくさんあったはずだよ。でも、それを乗り越えてきたんじゃない。だから、今回だってきっと大丈夫。
……それに、エクレだって大丈夫だよ。現にリーシャさんたちパスティヤージュの空騎士達は追いかけてこない。それはエクレがうまくやってくれて、やられたわけじゃないっていう何よりの証明じゃない?」
とはいえ、期待はしたもののその考えは如何せん楽観的過ぎるな、とレオは心の中で呟いた。少なくとも現実主義者の彼女の夫はそういう楽観視はしないだろう。その癖が移ったせいでそんな風に考えた、という線は否定できないが。
だがそれでも、今のミルヒにとってシンクの言葉は他の誰の言葉よりも心に響いたらしい。さすがは口約束とはいえ婚約を交わした恋人、やはり自分はもうお役御免かもな、などとレオの心に自嘲的な感情が芽生える。
「……そうですね。ありがとう、シンク。私らしくなく、後ろ向きになってしまっていました。レオ様もすみません。この後のことは、お任せします」
まあそれでも少しでも元のミルヒに戻ってくれただけいいか、と彼女は思うことにした。頷き、前へと顔を戻そうとする。
――その時。
「レオ様! 前であります!」
聞こえたリコッタの声とほぼ同時、レオはドーマを急速停止させた。直後、彼女の前方数メートルの地点に矢のようなものが突き刺さり、爆発を起こす。マントでその砂埃をやり過ごし、前方へと目を向けたレオだったが――。
「なっ……!?」
予想もしていなかった人間の姿を目にし、彼女は狼狽する様子を隠すことも出来なかった。だが思考を整理したところで頭がそれを裏付ける事態へと思い当たる。今の矢は紋章砲だ。そしてそれは
「さすが百獣王の騎士様。威嚇のつもりで撃ったが、もう少しギリギリに撃ち込んでもよかったな。……いや、今のは後ろの誰かに促されなかったら気づかなかったのか? だとするなら随分と
聞き覚えのある、いやそれどころではない、聞き慣れた声だった。未だ信じられない心を抱きつつ、レオはギリッと歯を噛み締め、その声の主を睨みつけた。
「なぜじゃ……。なぜ、お前がワシ達の行く手を阻む……