◇
魔物から僅かに離れた高台の上、シンクとミルヒは互いの神剣を携えたままその時を待っていた。ややあって、パスティヤージュの一斉砲撃が始まったのがわかった。相手の気を引くための攻撃だろう。だが囮役をやるといっていたソウヤは動きを止めている。いや、むしろ傍らにレオが寄り添い、明らかに紋章砲の構えを取っていた。
「レオ様……お引きにならなかったのですか……!?」
「それどころか……ソウヤと一緒にあの体勢ってことは、合体紋章砲……僕達のホーリーセイバーみたいな一撃を撃つつもりなんだと思う」
「……あのお二方は……本当に強い絆で結ばれているのですね」
ミルヒもつい少し前、血相を変えてソウヤに斬りかかったレオを目撃している。それでも今ああやって自分のパートナーを信じて寄り添っているということは、彼女なりにソウヤを信じた、つまり心の奥底では彼を信じていたということにも繋がるのであろう。
そんな2人が、ミルヒは少し羨ましかった。先ほどソウヤに「シンクとキスしろ」と言われて動揺しながらも、内心で本当はそうしたいという気持ちもあった。エクレールが言ったとおり破廉恥かもしれない。だが自分で切り出した婚約の口約束以降、進展らしい進展はない。
それから色々なことがあった。先代領主、つまり両親の失踪、国内での内戦、自身の誘拐未遂、そして謀反による逃避行……。その間ずっと付き添い心の支えとなってくれたのはエクレールでありリコッタであり、そして他ならぬシンクであった。だがその間、シンクから互いの仲に関連するような言葉はなかった。彼にとってもう1歩を踏み込むのは容易でないことはわかっている。だが、自分が言い出した婚約が彼を苦しめているのなら、そこまでのわがままを自分が言うべきではないのではないかとも思っていた。
シンクのことは大好きだ。だが、それ故これ以上彼が悩む姿を見たくなかった。ロランに言われた通り今現在、民が明るいニュースを心待ちにしていることは事実だろう。伴侶を見つけられない自分が領主としていつまでも存在することを疑問視されて今回の謀反が起こったと言われれば否定できないだろう。よって、ここが潮時かもしれないと彼女は気づいていた。自分のわがままを我慢さえすればいい。変わらず勇者としてビスコッティを訪れ、シンクと顔を合わせられるならもうそれでもいいかもしれない。伴侶を持てばこうやって戦場に立つことはもう出来ないかもしれない。シンクと共に放つ合体紋章剣はこれで最後になるかもしれない。
だから後悔しない一撃にしたいと、彼女は思っていた。先ほどソウヤに言われた通り気負いすぎる必要はない。だが、それでも自分にとっての全力を出し切りたい。
「ソウヤとレオ様の合体紋章砲……! あれが撃たれたら、行くよ!」
そんなミルヒの心中なぞ露知らず、戦況をずっと伺っていたシンクがそう口走った。見ればエクレールも紋章剣を2発放ち、いよいよソウヤとレオの紋章砲が放たれようとしている。これまで見たことのないほど美しく、眩く輝く背後の紋章から、あの一射は2人の魂の篭った最高の一撃になることは彼女でも容易に予想がついた。
「シンク……。私は、シンクのことが大好きです」
なら、その一撃に負けないぐらい、自分達も最高の紋章剣を放ちたい。ソウヤに言われたようなキスは無理でも、今自分の気持ちを素直に伝えて、少しでも絆を深めた一撃を放ちたい。
不意にミルヒにそう告げられたシンクは驚いたように彼女を見つめ返した。次いで優しく微笑み返して口を開く。
「……僕もだよ、姫様」
その一言だけで十分だった。自分がこの人と決めて召喚した勇者は、彼女が胸を張って「ビスコッティの勇者様です」と誇れる存在だった。次の一撃は確実に決める。いや、失敗するはずがない。
ソウヤとレオの合体紋章砲が放たれる。先ほどまでのダブル魔神旋光破より遥かに威力に勝るであろう、神々しく輝く3本の矢が引き寄せられるようにそれぞれの頭に直撃した。
「す、すごい……」
思わずシンクが感嘆した声を上げた。相当の威力のある紋章砲、ソウヤはそれを3発に分断させ、かつ軌道を操るように別々の頭に直撃させてみせたのだ。それでいてかなりのダメージらしく、魔物は体をよろけさせつつ頭を振っている。出来ることなら傷つけることも避けたいと思っていたミルヒだが、禍太刀を抜いて元の姿に戻すことが出来れば、弱まった守護力も満ちて傷を癒すことも可能だろう。そしてそのためにも、今こそシンクと共に渾身の合体紋章剣を放つ時だと、彼女はエクセリードを握る手に力を込めた。
「行くよ、姫様!」
「はい!」
迷いはない。自分が信じた「勇者」と共にトルネイダーに乗り、魔物へと最短距離を一直線に突き進む。その2人に魔物は気づかない。今度は確実に決まる。同時に剣を振り上げ、そして振り下ろす――。
「「ホーリーセイバー!」」
今日2発目となる必殺の合体紋章剣。その波動は真っ直ぐ禍太刀の突き刺さる魔物の背中へと伸び、命中して爆ぜた。効果が確かだったことを示すように魔物が咆哮を上げる。だがシンクはそれを聞き流しながら、ミルヒを抱きかかえて魔物の背へと飛び乗る。狙い通り、禍太刀を体に結び付けていた鎖は今の衝撃で吹き飛び、その姿が露になっている。
かつての記憶を呼び起こしながら、シンクとミルヒはその刀の柄の部分を握り締めた。己の体の異変に気づいたのか、魔物が暴れだす。背中にいる邪魔者を振り落とそうと体を振るが、2人は禍太刀をしっかりと握り締め、そして少しずつ抜いく。刀身が現れるたびに一層魔物は激しく抵抗したが、2人はその手を緩めず、後もう少しで全てが抜けるというその時。
「よし! 姫様、あとは僕が引き抜く!」
「はい!」
以前と同じく、最後の切っ先をシンクが引き抜いた。同時に魔物が激しく咆哮をあげる。苦痛、怨嗟、悲鳴……。だがそれらのように聞こえたその声の中に、どこか安らぎの色が含まれているとミルヒは感じた。再度、断末魔の雄叫びを上げる。「魔物」が、その呪いから解放された瞬間だった。
禍太刀を抜かれた――具体的には、「突き刺さった対象」と「禍太刀」が別たれた場合、それまで魔物として存在していた体は、その形を維持できない。禍太刀の力によって巨大化し、異形化したそれまでの体は土塊へと変化し、やがては崩壊する。
その崩壊より早く、引き抜いた禍太刀の先、だま化したような音と共に傷ついた1匹の犬が宙へと放り出される。慌てて追いかけ、背中から落下する前にミルヒはその犬を抱きかかえた。傷は深いが息は確実にしている。以前の土地神と同じでよかった、と彼女は安堵のため息をこぼす。
「シンク! この子は大丈夫です!」
そう言って振り返った彼女だったが――禍太刀を手放そうとして出来ないシンクを見てしまった。かつての魔物から禍太刀を引き抜いたときと同じ、その刀身が生き物のようにうねり、次の寄生先を求めるようにシンクの右腕に絡み付いている。既に柄は彼の手にはなく、投げ捨てようとしたがそれが出来なかったとわかった。
「う、うわっ! こ、こいつ!」
「レオ様! ソウヤ様! シンクが!」
その声に全力の一射を放って脱力状態にあった2人は視線を上げた。シンクが危ない。そう悟り、ソウヤは弓を再び構え、レオもその手助けをするが、背後の紋章の輝きが薄い。
「まずい……。さっきので輝力を使いすぎた……!」
「ワシも同じじゃ……。じゃが、シンクを見捨てられるか……!」
「わかってる! ……でもどれを撃ち抜けってんだよ!?」
柄を手放してしまったことが逆に裏目となってしまった。以前のレオはその柄を撃ち抜き、シンクを禍太刀から救ったが、今回はそれを手放している状況。別れた刀身が複数シンクの腕に絡み付いており、1本で撃ち抜くことは出来ない。
かといって今のソウヤの輝力の状況から軌道をコントロールしての紋章砲を撃つのは困難な状況にあった。仮に出来たとして、命中させられるか。さらには撃ち抜けるだけの威力を発揮できるか。
悩んでなどいられない。事は一刻を争う。なんとか狙いを定めようと、ソウヤは体に残った輝力をフルに動員し、レオもソウヤにその輝力を分けようと弓を握る左手に力を込めた。
しかし――その矢が放たれることはなかった。
「
誰も、
「破ッ!」
なおも次の獲物を探そうと刀身を再生させようとする禍太刀の柄へ、男は納刀と同時に何やら札を張り巡らせた。それによって生き物のように蠢いていた禍太刀の刀身の動きが収まり、普通の刀のように真っ直ぐ1本の、しかしやはり禍々しい刃となる。
「これでよし、と。危ないところだったな、シンク」
「イスカさん!」
助かった、とばかりにシンクが彼の名を呼んだ。その声に彼は軽く笑って返す。
「イスカさんですか!? ……さっすが頼れる兄貴だ。ベストタイミングです。本当に助かりましたよ」
「ああ、無事かソウヤ君。すまなかった。俺達が相手にしていたのがこいつよりちょっとばかり厄介な連中ばかりだったせいでこいつを任せてしまったが……。その1匹がここまで手強かったとは思っていなかった」
これより手強い、と聞き、ソウヤは反射的にため息をこぼしていた。もっと怖ろしい存在がいたと思うとぞっとする。
「いえ、なんとかなりましたし。……ってかこれよりヤバいのとか、想像したくないんですが」
「さすがにてこずったよ。知り合い2人連れてきておいてよかった。……おっと、無駄話はこの辺りにしよう。そろそろこの土塊が崩壊しそうだしな。禍太刀を抜く、ってのは実は強引な治療法だ。だがその方法を取ったとはいえ、その動物はおそらく手当てしてあげれば大丈夫だと思うよ。俺はこいつをユキ坊のところに持っていってちゃんと封印しないといけないから、これで失礼する」
「大丈夫なんですか、その刀?」
「今は、な。魔を抑える札で強制的にしばらくその力を抑え込んでいる。……その辺り興味があるなら、今度酒でも飲む時とかに詳しく話してやるよソウヤ君。じゃあ俺は行く。頑張ってな」
一方的に会話を切り上げ、イスカは再び超人的な速度でその場を離れていった。その速度と、今の短い時間に起こったことに誰もが呆然と立ち尽くす。
が、そんな暇はなかった。シンクとミルヒが立っていた魔物の残骸、今では土塊となったそれが崩壊を始めたのだ。
「崩れる……!」
「姫様捕まって! 皆も下がって!」
シンクはトルネイダーを展開し、ミルヒも怪我した犬を抱えながらそれに乗る。空騎士達も距離を置き、地上にいたソウヤ、レオ、エクレールもその場から離れた。
ややあって土煙が巻き上がり、その残骸は崩壊した。それは魔物との戦いが終わったという、魔が退いたことの証に他ならなかった。
◇
魔物との戦いが終わっても、野営地と変わらない本陣は慌しかった。幸い、怪我人はどのエリアでもほぼ出なかったらしく、野営地で確認できる範囲では禍太刀から助けた犬が1番の重傷、次いでレオの足、という状況で、他は皆軽傷どころか戻りつつあるフロニャの守護力の影響で治療すら必要がない程度であった。今、シンク、ミルヒ、レオ、リコッタの4人はその本陣の野営地に設置されたテントの中にいる。そこで禍太刀から助けた犬にリコッタが回復の紋章術を施しているところだった。傷はもう完全に塞がっている。レオはそれより先にあっさりと治療してもらい、既に何の影響もなく歩けるようになっていた。
「これでこの子は大丈夫であります。あとはおそらくユッキーが風月庵でしばらく様子を見てくれると思うでありますよ。でもレオ様も、大した怪我じゃなくて良かったであります」
「別に戦えたというに、ソウヤの奴は『下がれ』とか大袈裟に言うからな。この程度で下がっていられるか」
「でもソウヤさんはレオ様のことがそれだけ心配だったということでありますよ。何かあっては、一大事と思ったに違いないであります」
「……フン」
レオはリコッタから目を逸らして鼻白んだ。確かにあの時はソウヤを信じ、自らの輝力とグランヴェールを預けてシンクとミルヒの「ホーリーセイバー」に匹敵するであろう紋章砲「イクリプスアロー」を放った。
だが、あの時は心から楽しそうに、生き生きとしていたソウヤだというのに、戦いが終わった後は「助かった。休戦は、ここまでだけどな」とだけそっけなく告げると、グランヴェールを彼女に返し、リコッタに治療してもらうようにだけ言ってさっさとこの本陣へと戻ってきてしまっていた。
その様子から、一度は彼を信じることが出来た彼女だが、今それは少し難しく感じていた。魔物という難題は解決した。しかし、この後はそれと同じぐらいの難題が待っている。そのことはわかっているからだった。
「テントの中の4人、治療が終わったら出てきてもらいたい」
そしてそのことを裏付けるように、無機質気味な声がテントの中に響いた。今のはソウヤの声。だが、「休戦」していた時とはまた別な、冷たい声のようにも聞こえた。
「……行きましょう、シンク、リコ、レオ様」
意外なことに切り出したのはミルヒだった。それを予想していなかったとばかりにレオが見つめる。
「じゃが……出て行っても……」
「わかっています。……いえ、わかっているからこそ、行かねばならないのです」
何かを決心したような彼女の目に、レオは一瞬たじろいだ。その間にミルヒは外へと歩き始め、レオは声をかけるタイミングを失う。
已む無く外に出た4人を待っていたのは、はたしてその声の主であるソウヤ、レザン、そしてロランと騎士数名であった。
「……まずは礼を言わせていただきたい。この度はドラジェに現れた魔物を打ち倒していただき、感謝しております」
頭を下げながらのレザンの感謝の言葉だったが、白々しいとレオは鼻を鳴らして返した。ところがミルヒは丁寧にそれに返答する。
「いえ、国をも滅ぼしかねない魔物の出現というのは異常事態です。そのような場で、かつて魔物を倒したことがあるとはいえ、私達を信頼して戦わせてくれたというのはこちらとしてもありがたいと思っています」
「さすがは『聖剣の姫君』と勇者様です。期待以上のご活躍でした。そのことに対しては、心から礼を述べたいと思います。ありがとうございました」
レザンが深々と頭を下げた。が、次に頭が元の位置に戻った時にはもう顔に完全に無表情を張り付けている。
「……ですが、それはそれ。申し訳ありませんが、『休戦』はここまでです。話を進めたく思っています」
「わかっています。……私も、今の戦いで心は決まりました」
これにはレザンもソウヤも、一瞬虚を突かれた様子だった。だがすぐに表情を戻して続ける。
「……それはよかった。では先ほどの返答、お聞かせ願いたい」
「その前に確認させてください。……今ビスコッティの民は明るい話題を心待ちにしている。内戦に私の誘拐未遂……。このようなことが起こっているような現状、今のままでは私が領主として居続けることは不適格ではないか。……ロラン、あなたはそう言いたくて謀反を起こしたわけですね?」
姫君に鋭い視線を向けられてそれをしばし直視した後、しかし彼はその視線を逸らした。
「……そう捉えていただいて結構です」
「ではビスコッティの民に明るい話題を提供し、今一度私が領主として相応しいという姿を見せれば、あなたは納得するんですね?」
「それは約束しましょう。そうなった際、私の身は如何様にでもしていただき結構です」
ミルヒは一度大きく深呼吸した。それから決意を秘めた目で口を開く。
「……わかりました。では、私、ミルヒオーレは……」
「待て、ミルヒ」
「口を挟むな、レオ」
が、レオがその彼女の言葉を遮ろうとし、それもまた遮られる。ギリッと歯を鳴らし、レオはソウヤを睨みつけた。
「ソウヤ、貴様……!」
「俺達が口を挟むことじゃない。これは、当の本人の問題だ。……ただ姫様、あなたは俺がさっき言ったことを早くもお忘れのようだ。皆が納得する方法を選びたいというのなら、それは自己犠牲でさえもあってはならない。俺はそう言ったはずだ。……今あなたが出そうとした答えは、その俺の忠告をちゃんと守ってくれてますか?」
思わず、ミルヒは言葉を詰まらせた。図星だった。自分1人が我慢すればいい。シンクとは2度と会えないわけではない、むしろ、自分のためにこれ以上彼を縛ることは出来ない。そしてそこで半ば強制的に婚約を迫られているこの状況。なら仕方がない、と彼女は思っていた。だから、レザンからの提案を受け入れるつもりでいた。
しかし何かおかしい。なぜわざわざソウヤは忠告してきたのか。彼はロランの側のはず、さっさとレザンとの縁談がまとまればそれでいいはずだ。彼女がそう考えているそこへ、口が挟まれてくる。
「……ソウヤの言うとおりだよ姫様」
これまで、この件ではほぼ無言を貫いてきたシンクが、ここに来て口を開いた。
「シンク……?」
「姫様、まさかとは思うけど、僕にこれ以上負担をかけたくない、だから仕方ないんだ、とか考えてないよね?」
「そ、それは……」
「もしそうだとしたら……。そんなの……そんなの僕が納得するわけないじゃないか……! さっき戦ってる時言ってくれたじゃない、僕のことが大好きだって。それは嘘だったの!?」
「嘘じゃないです! 嘘じゃないから……大好きだからこそ……シンクにこれ以上負担をかけさせたくない……私のせいでシンクを縛るようなことをしたくないんです……!」
「姫様!」
ビクッとミルヒは肩を震わせた。怒りの色の篭ったシンクの声。その声で自分のことを呼ばれるのは、ミルヒは初めてだった。
だが、次に口を開いたシンクから出てきたのは、普段通りの優しい、語りかけるような声だった。
「……僕なりに考えたんだ。姫様は、僕がもうここに来ない、って言ったら、悲しい?」
「当然です! そんなの……そんなの絶対嫌です!」
「僕もだよ。だから、僕が地球に戻ってここに来ない、という選択肢はなくなる。……じゃあ僕がここに永住する、って言ったら?」
「それは……嬉しいですけど、でもシンクには地球での生活も……」
「うん、僕は申し訳ないって思いながらも、地球での生活を捨てることも出来ないんだ。……そしてさっき言った通り、僕に負担をかけたくないから仕方なく、なんて答えを出して欲しくもない」
そこまで言うと、シンクはひとつ息を吐いた。
「……レザン王子、騎士団長。先ほどの話、要するにビスコッティに明るい話題が欲しい、そして姫様が領主として相応しい姿……つまり、結婚相手が必要だ、そういうことですよね?」
「そういうことです。だから僕が名乗りを上げさせていただきました」
「……申し訳ありません、レザン王子。僕はそれを認めるわけにはいかない。なぜなら、姫様は僕と婚姻の約束を交わしているからです。付き添う者が必要というのであれば、僕が付き添います」
「シンク!?」
それは口約束のはずだ。ここでシンクがそのことを言い出せば、それは正式なものになる。そうなったらミルヒとしてはこれ以上なく嬉しい。嬉しいが、シンクをより縛ってしまうのではないかという懸念の方が先に出てしまう。だから彼女は彼の名を呼んでその先を止めようとした。
が、それより先に口を挟んできたのは意外なことにソウヤだった。
「待て、シンク。それをこの場で認めるということは……正式に婚約を受け入れるということだぞ。……いいんだな? お前は王になるんだな?」
「王にはならないよ」
シンクがミルヒの方を振り返る。どこか困ったような、申し訳なさそうな表情だった。
「……さっき言ったように、僕はここに来ないという選択も出来なければここに永住という選択も出来ない。そして姫様が仕方なく、という選択をするのも見過ごせない。……なら残った方法は1つ。
姫様、以前言ってくれたよね? 僕が勇者として往復生活をしていても、互いに顔を合わせる時間が少なくてもいい、会えるだけでも嬉しいって。その言葉は、本当?」
「本当です。シンクが私と一緒になってくれると言うのなら……たとえ会える時間が少なくても、私は構いません」
「……僕は、本当はそれは嫌だった。姫様と結婚しても側にいられないなんて、そんなの婚約する資格がないと思ってた。でも、地球での生活を捨てきることも出来ない。フロニャルドでの生活も捨てられない。なら……欲張りだしわがままだけど、両方取るしかない、って思ったんだ」
「わがままでもなんでも構いません……! シンクに負担をかけたくないし自分のことで縛りたくない……。でも本音を言えば私はシンクと一緒にいられるなら、もうなんだっていい……!」
「姫様……!」
思わず、2人は駆け寄り、抱き合った。そのまま数秒、シンクがミルヒの両肩を掴んで自分から離す。そして、ソウヤの方を振り返った。
「……ソウヤ、僕が姫様と婚約したら、今回のこの騒動は全部収まるんでしょ?」
「そういうことになるだろうな。……だがわかってるだろうな? これまでの往復生活からその大変さは身に沁みているはずだ。もしお前がこれまでどおりの往復生活を続けながら、それでも姫様と結婚する、となれば、その負担はより大きなものになるぞ?」
「わかってる。……でもそれは僕が頑張ればいいこと。ずっと一緒にいられないことだけは申し訳なく思うけど、姫様がそれで納得してくれるなら、僕は構わない。それでいいなら、僕は姫様と婚約を交わすよ……!」
ソウヤがミルヒの方へ視線を移した。
「……と、こいつは申しておりますが、いかがですか、姫様?」
「構いません。シンクは勇者で、そして私の伴侶になっていただければ、それ以上望みません。私がこれまで同様領主として、一層精進することを誓います」
ひとつ、ソウヤは息を吐き出した。
「……最終確認だ。シンク、お前の選ぶ道は間違いなく茨の道だ。これから先、苦難が数多く待っている。それでもいいんだな?」
「それでも乗り越えてみせる。姫様と一緒なら、きっと乗り越えられる」
「姫様もこいつがずっと側にいるわけじゃない。それでもいいんですね?」
「はい。シンクが納得する道、そして私もそれを受け入れることが出来る道です。シンクがいいというのであれば、是非もありません」
「なら最後にひとつだけ。……シンク、俺は往復生活の辛さから、言っちまえば逃げてこうなった。そのことに若干の後悔はある。……お前はその地球とフロニャルドの両方を選んだ苦難の道を、後悔せず挫折することなく進むことが出来ると思ってるか?」
「思う、とかじゃない。出来るよ」
「なぜ、そうはっきりと言い切れる?」
シンクは笑った。どちらかといえばそれは、ソウヤがよくやるような皮肉っぽい笑みだった。
「ソウヤが言ったことじゃない。だって僕は……」
息を吸い、そして吐く。そこにあったのは。迷いも曇りもない澄んだシンクの顔――。
「だって僕は、勇者だから!」
ソウヤの口元が僅かに緩む。そして彼は天を仰いだ。大きく息を吐き出し、肩が大きく下がる。それはまるで、これまでの両肩にずっと乗り続けていた重石から解放されたようにも見えた。
彼の顔が戻ってきた時、もうそこにはシンクのよく見知った、親友としてのソウヤの顔しかなかった。どういうことか尋ねようとするより早く。
「……終幕だ!」
演技っぽく上げたソウヤの両腕とその言葉に呼応するように――どこかで花火が数発上がった。
呆然とするシンクを余所に、不意に空に映像板からの映像が映し出される。
『ビスコッティ国営放送のパーシー・ガウディです! ここで緊急ニュースが入ってまいりました! ビスコッティ勇者シンクと領主のミルヒオーレ姫殿下が、旅行先のドラジェにて婚約を交わしたということです! ひょっとしたら婚約のための旅行だったのかもしれません! 少々不鮮明ですが、我々の優秀なスタッフがその映像を収めることに成功しています!』
あることないことを言ったパーシーのアップの後、確かに不鮮明ではあるがシンクとミルヒが並んで立っている映像が映し出される。ほんのついさっきの出来事をどういうことか撮っていたらしい。だが音声では確かに「僕は姫様と婚約を交わすよ……!」という声を拾っている。
『お聞きいただけたでしょうか!? 確かに勇者シンクの声であります! ついに勇者様と姫様の婚約が決まりました! もうビスコッティはお祭り騒ぎになるでしょう! 以上、臨時ではありましたがパーシー・ガウディがお送りしました!』
それで空に映し出された映像は消えた。ぽかんとそれを見つめていた2人に、不意に拍手が送られる。ソウヤ、レザン、ロラン、目の前の騎士達、野営地にいた者達……。明らかに2人を祝福しての拍手だった。
「ちょ、ちょっと待て!」
まず我に返ったのはレオだった。おかしい。ついさっきまで自分達を陥れようとしていたはずではなかったのか。なのにこれはどういうことか。
「どういうことじゃ!? レザン、なぜ貴様まで祝福しておる!?」
「嫌だなあ閣下。僕なんかが姫様と釣り合うわけがないじゃないですか。姫様のお相手は勇者様、それ以外ありえませんよ。そもそも、僕の方の縁談はまだ姫様ほど切羽詰ってはいませんし」
平然とそう言ったレザンは普段通りの、レオがよく知るかつてのレザン王子そのままだった。
「な、何を言っておる!? じゃが貴様確かに……」
「おいおいレオよ、お前さん本当に
気楽そうに言ってみせたのはソウヤだった。もはや彼女が1度感じた狂気といった類は微塵も感じられない。
「まだ気づかないのか? ロランさんの謀反から先全部……いや、魔物の一件を除いて全部、か。俺が筋書きを書いた、と言ったな。確かに筋書きを書いたのは俺だ。だがそれは同時に
「……え?」
「……は?」
「なん……じゃと……?」
シンク、ミルヒ、レオの順に、そう間の抜けた声が響いた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 演技って、そんなわけ……」
「それが……こいつが言ってるのは全部本当なんです、姫様」
その声と共に姿を表したのはガレットに保護されているはずの、しかし先ほどの戦闘でも加勢してくれたエクレールだった。表情には苦々しい様子が浮かんでいる。
「エクレール!?」
「さっきも思ったけど……エクレ、どうしてここに?」
「そう、今シンクが言ったとおり……本来私はここにいるはずのない存在なのです。その私がここにいるということは、何よりの証明になりませんか? 私はパスティヤージュの追撃戦の後、エミリオと共にガレットに保護された……。ですが、そんな『保護下』であるはずの私が、なんの咎めもなしにここにいる……」
言われてみれば妙だとレオは思った。確か先ほど「バナードに直訴してこの場にいる」という話を聞いた気がするが、保護下の人間を自由に動かすなど通常では考えられない。その前にバナードはソウヤ側、つまり自分達を陥れた、いや、彼はそれは演技と言っていたが、ともかく相対する側のはず。だとするのなら……。
「ではタレミミ、こいつが言った『演技』という言葉を信じるとして、お前はワシ達を騙す側にいたのか?」
「騙す、ってのは……。いや、実際騙してたか。俺は
「……こいつの言うとおりです。私も姫様との逃避行、パスティヤージュの追撃戦までは何も知らず、こいつの手の上で踊らされた……。その後保護され、エミリオと共にヴァンネット城に護送された時に、バナード将軍からこの一連の騒動の真相を聞かされ……腹立たしいことですが、最終的にはソウヤの側、つまり、レオ様のお言葉で言うなら『騙す側』に属していたことになります」
「ま、待て! タレミミ、お前の話はこの騒動が『演技』だという前提で進んでいるが、ではロランの謀反はどう説明する!? それも嘘だった、とでもいうのか!?」
「ええ。その通りですよ」
そううそぶいてみせたのは当のロラン本人だった。その表情からはかつてミルヒに見せたような険しさはすっかり消え失せている。
「その度は、とんだご無礼をしてしまいました、姫様。ですが……」
「ちょ、ちょっと待ってください! あのロランの言動が……全部演技だったというんですか!?」
「……姫様をここまで欺くとは、相当熱演されたようですね。どれだけだったか見てみたいものだ」
「い、いやそれはおかしいでしょソウヤ!」
愉快そうに言ったソウヤと対照的、シンクもやはり信じられないとばかりに会話に割って入った。彼はあの場に雪崩れ込んでミルヒを連れ出している。この狂言はミルヒを連れ出さなければ始まりもしなかった。なら、彼がいなければ何もかもが成り立たなかったということになるはずだ。
「だってあそこに助けに入ったのは僕だよ!? それじゃまるで僕が姫様を助けるために飛び込むのを最初から予想してたような……」
「してたような、じゃない。お前は俺の狙い通りにあの場に乱入し、そして姫様を助け出した。知らず知らずのうちに俺に踊らされていたんだよ」
「そんなはずは……! だってあの時飛び込むのを決めたのは僕自身だよ! それもソウヤによってそうさせられた、ってこと!?」
「思い出せ、シンク。あの時なぜお前はロランさんの動きを知ることが出来た?」
「それは……」
「『騎士団長とメイド長のよからぬ話を耳にした。だから姫様の部屋に盗聴器を仕掛けた』、そう言った人物がいたからだろ? 付け加えるなら……その人物はその時にシンクに姫様を助け出すよう提案し、その後宿を取った時にあっさりと受付を済ませ、それからもそれとなく口を出してきて、俺の揮下でこちら側のノワールと情報収集という名目で連絡を取り合っていた……」
ハッとしたように、3人は一斉にある人物の方を振り返る。
「そんな……!」
「リコ!?」
「リコッタ、お前まさか……!」
視線の集中を受けたリコッタはどこか困ったように身を縮こまらせた。
「いやあ……何もかもソウヤさんが言ってるとおりであります。この件ばかりは本当に申し訳なく思ってるであります……」
「リコッタはお前たちのお目付け役だ。逃避行を続ける姫様達をそれとなく監視し、連絡役のノワールを通じて状況が逐一俺の耳に入ってきてたわけだ」
「じゃあ騎士団長とメイド長のよからぬ話っていうのも……」
「それ自体でっちあげであります。そもそも騎士団長もリゼル隊長も、今回のこの一件を仕組んだ側。やましい心など全くないでありますよ」
「待て」
レオが話に水を差す。まだ彼女の表情は険しい。これまでの話の一応の筋は通っていると感じながらも、容易に信じることは出来ないでいたからだった。
「百歩譲ってこの件が全て狂言だった、そして絡んだ人間が全員、今リコッタが述べたようにやましい心がなかった、としよう。……では、一国の領主と勇者、さらにはこのワシを手玉に取ってまで行ったこの一連の騒動、一体何が目的じゃ?」
チラッとリコッタがソウヤのほうへ視線を送る。その視線を受け、ソウヤは深々とため息をこぼした。
「その質問がお前から出てくるとはな。本当にわかってないのか?」
「……薄々は勘付いておる。じゃがそれは首謀者の口から語られるべきじゃろう」
「ま、それもそうか。……言うまでもなく目的は、シンクと姫様の正式な婚約の取り付けだ」
さも当然とばかりに告げるソウヤ。それに対してレオは視線をより鋭くしただけだったが、当の本人達、つまりシンクとミルヒは「え!?」と明らかに動揺を見せる。
「……ちょっと待て当人2人。本当に気づいてなかったのかよ?」
「い、いや、それは目的の一部とかにあるとは思ってたんだけど……。本当にそれだけ!? だって、たったそれだけのために、ソウヤは複数の国や隊長クラスの人達を巻き込んだんだとしたら、全く釣り合いの取れない話じゃない?」
「ワシもシンクと同意見じゃ。いくらなんでも規模がでかすぎる。シンクとミルヒの婚約の取り付け、それだけのためだとしたらこんな大騒動を引き起こす必要がなかったのではないか?」
真面目なレオの質問に対し、だがソウヤはフフッと不敵に笑っただけだった。
「それだけのためだ……と、いいたいところだが、残念ながら半分はそうだってところだな。あとの半分は……はっきり言えばその方が面白いからだ」
「面白いじゃと!?」
「だってそうだろう。言っちまえば、こういう
3人が言葉を失うのがわかった。なるほど確かにこれは興業、エンターテイメントとして成り立つ方法だ。だが規模がおかしい。「面白い」という理由だけでやるには度が過ぎてはいないだろうか。
しかしそれでも完全に否定は出来なかった。確かに似た例で言うなら以前のロランとアメリタの件がそうだろう。大いに盛り上がったという前例がある。それをさらに、大幅に規模を広げたのが今回だ、と言われればそれまでとなってしまうかもしれない。
「……ソウヤ様、今までのお話、全て筋が通っているとは思います」
皆一応はわかったからだろうか、しばし沈黙は続いた。ややあって、それを破るように静かに口を開いたのはミルヒだった。その表情は複雑で、沈んでいるというほど暗いわけでもなく、だが話がわかったからと明るいわけでもなかった。一言で言うなら困惑、という言葉がもっとも適しているであろう。
「ですが、やはりどうしても納得出来ません。そもそもこの一連の『騒動』は、ソウヤ様が筋書きされたと言うロランの謀反から始まるより前に始まっていました。私の誘拐未遂、内戦、そして私の両親……先代領主夫妻の失踪。その混乱に乗じるようにしてこの一件が行われたというのであれば、私は納得することは決して出来ないでしょう。一歩間違えれば、ビスコッティは本当に混乱の渦に巻き込まれることになりかねなかった……。いえ、先に述べた真相もわからない以上、明るい話題を国民に送ることが出来たとしても、本当にその空気を払拭できるか……」
「あー姫様、ちょっといいですか」
不意にソウヤによって話を遮られミルヒは言葉を止める。代わりに懐疑的な目で彼を見つめなおした。
「……なんでしょうか?」
「じゃあこういうことならどうでしょうか。確かに俺が仕組んだ茶番はロランさんの謀反からだった。だが、俺とは別の何者かが、
「……え?」
「そもそも俺は混乱に乗じてさらに何かを仕掛けることが出来るほど肝っ玉がでかく、また悪趣味に出来てませんよ。……信じるか信じないかはあなた達次第ですが。
まあいいや。つまり俺は何が言いたいかというと……。
「ば、馬鹿を言うな!」
叫んだのはレオだった。
「貴様が復帰したのはミルヒの誘拐未遂の時からのはず、それ以前はワシと共に休暇だったはずじゃ!」
「だから、以前のことに俺は関与していない。加えるなら、あの誘拐を俺が未遂に
……それはともかくとして、時に姫様、あなたはこうお考えのはずだ。『例えそれらが仕組まれたものだとしても、あくまで内戦と誘拐未遂の話。やはり最初から、というのは言い過ぎではないか』と」
まさにその通り、心の中を読まれたようなソウヤの言葉にミルヒは重々しく頷いた。それを見てソウヤはどこか満足そうに口元を緩める。
「……そろそろ全ての種を明かすとしますか。……王子」
ソウヤに名を呼ばれ、レザンは頷き、その場を離れ始める。彼が近づいていったのは殺風景な野営地の中にはやや似つかわしくないような、そこに止められた騎車だった。丁寧に、敬意を払いながら彼が扉を開ける。中から現れたのは中年の男女だった。その姿を見た瞬間、ミルヒが目を見開き、レオが「馬鹿な……」と呟いて息を飲むのがわかった。
唯一わからないシンクだけが誰か知りたいとミルヒの方へ視線を移すが、彼女は呆然とその2人を見つめ続けるだけだった。代わりにレオが、やはり信じられないとその2人の呼称をポツリと口にする。
「ビスコッティ……
天元鷹紬……DD’7話でイスカが使用した紋章剣。公式設定資料集に「天元」とありました。どうやらイスカの太刀の名前が天元のようです。