◇
ビスコッティ共和国フィリアンノ城。応接間に隣国の客人2人の顔が並び、人を待っていた。そのうちの片方、ガウルの表情は特に普段と変わった様子はない。一方でその隣に腰掛けたパンシアは落ち着かない様子で、顔にもどこか緊張の色が浮かんでいた。
特に何ということはない隣国訪問である。友好国同士のガレットとビスコッティ、互いに時折こうして訪問しあうことで親睦を深めている。領主同士が直接顔を合わせて互いに今後の国の係わり合いを話す、という意味合いもあるが、深刻なものからは程遠いために特に肩肘を張るような事柄ではない。それ故、ガウルは傍らのパンシアの様子がどうしても気になっていた。
「おいパンシア、何そわそわしてんだよ。トイレか?」
デリカシーの無い父親の一言に「ち、違います!」と彼女は顔を赤らめつつ答えた。
「姫様とお会いになられるのはお久しぶりですから、緊張なされているんだと思いますよ」
フォローするようにそう答えつつ、メイド長はビスコッティ名産であるお茶を2人の前へと差し出した。答えたかった内容を先に言ってもらえたことと、鼻腔に広がる果実を思わせるような独特のお茶の香りに、パンシアはわずかに緊張が解けたように感じる。
「そうです。ミルヒ姫様とは、あまりお顔を合わせる機会がなかったので……」
「ああ、そうか。いっつも
「おふたりとも仲がよろしいですからね。まるで幼い頃の姫様とレオ様を見ているようです」
「幼い頃の、って……。そのときはまだ
言いつつ、ニヤッといたずらっぽくガウルは笑う。そして改めて、メイド服に身を包んだ
「ところで……。見るたびに思うんだが、やっぱお前は髪伸ばしてる方がいいし、その格好もなかなか様になってるぜ、
冷やかしのような一言に、エクレール・アラシードは反射的にため息をこぼしていた。お茶の入ったポットをカートの上へと戻し、味を調節するための花蜜の入った容器とお茶請けのお菓子を机へと用意しつつ返答する。
「ガウル殿下、その言い方はあまり好きません。あなたの義兄に言われているような錯覚を覚えてしまう」
「なんだお前、まだあいつのこと嫌ってるのか?」
「嫌っているわけではありませんが……。もう条件反射ですよ。私はあいつと相容れない性格ですから。……あと髪は随分と前から伸ばし続けてますし、私がリゼルさんから正式に直属メイド隊長の座を譲っていただいてからもう1年になります。仮隊長の期間を入れればもっとです。いい加減この格好を云々言うのはやめてください」
彼女の言葉通り、今のエクレールの肩書きは姫様直属メイド隊長、リゼルのかつての肩書きを引き継いだ形である。エミリオと結ばれ、その後子宝にも恵まれた彼女だったが、産休中は夫のエミリオが隊長代理を務めたもののしばらくは親衛隊長のままだった。しかし数年前、ガレットでバナードが将軍と騎士団長の座を退くのと時を同じくして、彼女の兄であるロランも騎士団長の座を自分より若い者に譲る考えでいた。その時に抜擢されたのが彼女の夫で当時は親衛隊副隊長だったエミリオだった。
それを契機に、彼女にも後進の育成のために立場を譲るべきかもしれない、という考えが生まれたのだった。その時丁度いいタイミングで前メイド隊長のリゼルが彼女に声を掛けたのだ。結果、エクレールはメイド隊長、エミリオは騎士団長、そして親衛隊長はアンジュが務める形となっている。こうしてエクレールは「姫様の剣」として、親衛隊長からメイド隊長に鞍替えをしたものの、今も己の信念を貫き通しているのであった。
「いや、そうは言ってもよ。やっぱ親衛隊長やってたお前の印象が俺の中では強いからな」
「確かに、今でも私はその方が合ってる気がしないでもないこともあります。リゼルさんに言わせればメイドとしての心構えはまだまだ、と言われることもありますし。……ですが、それをおっしゃるなら、私は殿下の奥方に対しても同じような印象を受けますよ。あの負けず嫌いの黒猫が今では姫になった、という話を昔の私が聞いたら果たしてどう思うことやら」
「おうタレ耳、ノワに『姫』っては言わない方がいいぞ。あいつ、なぜかそう言われるのを嫌ってやがるからな」
そう言ってガウルは愉快そうに笑う。エクレールも「ガラじゃなさそうですからね……」と思わず苦笑を浮かべていた。
「つーかお前の話聞くとどうしても思い出しちまうな、ベールのあの笑い話」
「もう何度目ですか、それ? 私が親衛隊長からメイド隊長に鞍替えしそうだから、ベールにも同様に近衛メイド隊長辺りに鞍替えしてはどうかとガウル殿下が提案なされた。ところが……」
『飲み物をこぼすメイドがいるか!』
ガウルの声にハモる形で重なったパンシアの声に、思わず3人とも吹き出した。パンシアも幾度となくその話は聞いた。もう有名な笑い話ではあるが、さすがにベール本人の前でこれを言うと怒られるものでもある。
「んで結局近衛隊長ってわけだ。あいつもしばらく前に結婚して二度産休挟んだから、もっと裏方に回れるようにしたかったんだがな」
「相手を婿に入れたんですよね? ファーブルトン姓名乗ってますし」
「ああ。相手は騎士じゃないから、家柄を貶めたくないとかってクソ真面目なこと言ってたっけな。子供も父親の方に似たらしくて学者肌みたいだし。
それよかジョーだ。あいつ、バナードの後任として騎士団長になっちまって忙しいから男どころじゃねえとか言ってやがる。まあ別に結婚が全てじゃねえ……とは思うが、姉上がずっと言ってた通り実際家庭っては持ってみるといいもんだな」
「違いありませんね。今なら姫様に早いうちから結婚を勧めていらっしゃったレオ様のお気持ちもわかります。……っと、申し訳ありません、パンシア様。私と殿下がずっと話していては、パンシア様に退屈な思いをさせてしまいますね」
そんなことないよ、とパンシアは首を横に振りつつ答えた。パンシアは話すことは嫌いではないが、聞き役に回ることも苦とは思っていない。ましてや、自分の知らない父や母の昔の話、そして目の前の元は親衛隊長だったというメイド長の話は聞いていて十分に面白い。
「エクレの話は面白いよ。お母様と一緒に修行のために合宿した時の話とか、戦で戦った時の話とか。私の知らないお母様を知っていて、時々うらやましいとも思うもん」
「そうなのですか。パンシア様は私などと話すより、私の
「おお、そうそう、お前の娘だよ。
そう言われると、エクレールは困ったような表情を浮かべた。
「殿下、アラアラはやめてください。あの子、その呼ばれ方を好んでいません。確かに
「シュアラ・アラシードだもんな。そりゃアラアラ呼ばれるぜ。言い出したのは……ソウヤだったか?」
「そうですよ。そのせいでレグルス様もそうお呼びになられる。娘までそう呼ぶなんて、あいつ、そんなに私に恨みでもあるんですかね」
そうエクレールは言ったが、これまでよくあったような嫌がらせ、と言うと言い過ぎかもしれないが、彼がしょっちゅう言ったりやったりしてきたようなことだ。もう気にも留めていない。もっとも、それが彼の息子に影響し、自分の子にも似たようなことを言われているとなると、まだ免疫の少ない娘はあまり気分のいいものではないだろうとも思うのだが。
と、そんな話をしていた時。応接間の扉が開いた。メイドの1人が「姫様達がいらっしゃいました」と一礼し、部屋の中へと2人を案内する。その姿を目にし、ガウルとパンシアは席から立ち上がって迎え入れる態度を示した。
姿を見せたのはピンクの髪をシニヨンキャップに纏め、華麗な衣装に身を包んだ女性と、麗しい金色の髪を2つに分けて肩先に垂らして、白を基調としたドレスのような衣装を着た、パンシアと同じぐらいの年の少女だった。
「お待たせしてしまって申し訳ありません、ガウル殿下」
「気にしないでくれ、姫様。タレ耳と世間話してたらあっという間だった。……ほれ、パンシア、挨拶だ」
ガウルに促され、緊張した面持ちでパンシアは姿勢を正す。
「お、お久しぶりです。ミルヒオーレ姫殿下」
「久しぶりですね、パンシア。そんな堅苦しくならないでください。私までなんだか緊張しちゃいますから。……さ、
今度はミルヒの傍らに立っていた少女が、パンシア以上にガチガチに固まったまま口を開いた。
「ご、ごごご機嫌麗しゅうございます、ガウル・ガレット・デ・ロワ殿下! お久しく存じております、クリム・フィリアンノ・ビスコッティであります! ほ、本日はお日柄もよく……」
自分の娘以上に緊張して、しかもまだ続けようとするその少女の姿に、ガウルは思わず声を上げて笑った。一方で母であるミルヒは苦い表情を浮かべている。
「おいおいクリム、お前パンシア以上に緊張してんじゃねえかよ! 姫様、さっきこいつに言ったセリフ、まんま自分の娘に言ってやってくれよ!」
「クリム、いくらなんでもちょっと緊張しすぎかと……」
「で、でも母様、ガウル殿下と会うのは久しぶりだし、それに……。とても厳しい方だそうですし……」
「そいつは心外だな。姫様、俺のことをそんな風に吹き込んだのか?」
「え? 私ではありませんよ。シンクでもないでしょうし……」
「と、なると……」
ガウルは隣の娘へと視線を移す。それを感じ取り、彼女は思わずビクッと肩を震わせた。
「……パンシア、お前だな?」
「クリム! なんでそう余計なこと言っちゃうの!」
「だ、だって! 2人で話してるといつもパンが『お父様が厳しい』って言ってるじゃない……」
反射的にガウルはため息をこぼす。妻と姉が娘に甘い分自分が釣り合いを取っている、と思ってはいるが、親の心子知らずらしい。
「パンシア、一応ことわっておくが俺はお前のためを思って色々言ってるんだぞ?」
「そ、それは勿論わかっています! ……でもお母様や伯母様と比べると、やはりどうしても厳しいから」
「その2人が甘すぎるんだよ。そもそも姉上は昔は俺以上に厳しかったんだぞ? それが結婚してレグルスを家族に迎えてからと言うもの随分と丸くなりやがって……」
「レオ様は昔からお優しかったですよ?」
「それは姫様に対してはそうだろうけどよ。……っていつまで立ち話してんだ、俺達は。ほれ、全員座れ。タレ耳がお茶出したくても出せないでいるじゃねえか」
ガウルに指摘され、皆腰を降ろす。それを見計らい、気を使われたことに対して苦笑を浮かべながらエクレールがビスコッティ側2人の前にお茶を準備していく。「ありがとう、エクレール」という主の声に、彼女の表情が僅かに緩んだ。
「そもそも今日だって堅苦しい話じゃないだろ。単なる隣国訪問なんだからよ。……ああ、そういや俺は先日のクリムの誕生日に来られなかったから、それを兼ねてるといえば兼ねてるのかもしれねえけど。13歳になったし、いよいよ次期領主候補として、勉強期間に入るわけだろ?」
「はい。当人もそれを望んでおりますし。……といっても、まだ遊びたい盛りでしょうから、私としてはあまり強制したくはないのですが」
「そんなことないよ。母様だって14歳の時にはもう領主として立派にやっていた、という話はよく聞くし。私も母様に負けない立派な領主を目指したいと思ってるよ」
「……と言ってる割には、机に向かうのは苦手みたいなんです、この子。シンクに似たんでしょうね。どちらかというと年の近いシュアラを相手に体を動かしてる方が楽しそうですし」
思わずクリムは「もう、母様!」と非難の声を上げる。それに対してその場の全員が小さく笑いをこぼした。
「立派な心がけだとは思うがよ、あんまり無理はするなよ。まあそれはうちのパンシアにも言えることなんだがな」
「でも、パンはもう輝力武装も使えるし、私なんかよりすごく強いから……。私も負けないようにしないと」
「んなもん気にする必要ねえよ。クリム、お前は
「それをおっしゃるなら、ガウル殿下とノワールのお子様であるパンシアもそうではありませんか」
「どうだかな。こいつ、俺の言うことなんて聞かないでノワと姉上に甘えてばっかいるからな」
「甘えてなんていません! ……お父様が厳し過ぎるんです」
口を尖らせつつ反論するパンシアを見て、まあまあ、とミルヒが2人をなだめる。次いで彼女は一瞬尋ねるべきか迷うような表情を浮かべた後、やはり聞いておこうと躊躇しつつ口を開いた。
「ガウル殿下。その……今レオ様のお話が少し出たのですが……。レオ様のお子様……レグルスからその後連絡は……」
「ねえってよ。まああいつこそあのソウヤと姉上の子だ、どっかで野垂れてるなんてことはねえだろ。戦いの腕前で言えば俺だって隙を見せたら食われかねないほどの実力だしな。……ま、すまんがそのことについてはあんま話したくねえ。文句を垂れるとパンシアに怒られる」
「パンシアは彼を兄のように慕ってましたからね。……パンシア、寂しくはないんですか?」
ミルヒからの問いかけに、パンシアは少し返答に困った様子だった。やや間をおいてから口を開く。
「寂しくない、と言えば嘘になります。でも、現領主の子は私ですし、兄さんには歩みたい道を歩んで欲しく思っている……。だから、そのことについてはもう私の中で答えは出ています」
「って頑なに言うからな。俺も出来るだけ話題には出さないようにしてるんだ」
「そうだったんですか……。でも、クリムからするとその方がいいかもしれないですね」
「うん。一緒に立派な領主になろうって約束したし、パンとならそれが出来る、って思ってるから」
その言葉を聞き、ガウルは僅かに眉をしかめた。視線をミルヒの元へと動かしてみるが、彼女は特に気にかけた様子もなくビスコッティ名産のお茶を口にしている。
「ま、仲がいいのはいいこった。互いに高めあうことも出来るしな。ただお友達ごっこにだけはならないようにしろよ」
「勿論心得ています。……こういうことを言うから、お父様は厳しい、と言ってるんです」
「ガウル殿下も、何も嫌がらせで言っているわけではないのですよ、パンシア。そこは勘違いしないでくださいね」
ミルヒにもそう忠告されてはパンシアに返す言葉もない。「……はい」と了承の意思を示すに留めた。
「さて、と。あんま俺らが説教みたいなことしてもお前らはつまんねえだろうしな。パンシア、姫様に元気な顔は見せたんだし、クリムと一緒に遊んで来い。いいよな、姫様?」
「はい。2人とも折角顔を合わせてるんだし楽しい方がいいでしょうから」
「え……。お父様、本当にいいの?」
「俺も姫様もいいって言ってんだ、いいんだよ」
パンシアのほうはまだ半信半疑の様子だが、クリムは既に表情を明るくさせ、「やったー!」と喜んで椅子から立ち上がっている。そしてパンシアの元へと駆け寄り、彼女の腕を掴んだ。
「お許しが出てるんだし、行こうよパン! どうする? シュアラのところに行く?」
「訓練中じゃない? 邪魔するのは悪いよ。だからって見学してると体動かしたくなっちゃうけど、今日はその準備してきてないし……」
「じゃあリコのとこ! パンの母様も来てるんでしょ? けってーい!」
半ば一方的にクリムはそう決めると、ぐいぐいとパンシアの腕を引っ張る。パンシアは困った様子でゆっくり立ち上がった。
「でしたら、エクレール、案内してあげてください」
「大丈夫だよ、母様。迷うわけないじゃない」
「いえ、私も個人的にリコのところに行きたいですし。ご一緒しますよ」
腕を引っ張ってパンシアを立ち上がらせたクリムは、今度はその手を離してエクレールに抱きつきつつ「ありがと、エクレ大好き!」と喜びの声を上げている。
「では失礼します、姫様。殿下、大切なご息女をお預かりします」
「おう、任せたぜ」
楽しそうな声は扉の奥に移り、やがて遠ざかっていく。それを耳にしつつガウルはお茶を口にし、それからため息をこぼした。
「クリムのお転婆は、姫様じゃなくてシンクに似たんだろうな」
「でしょうかね……」
それ以外考えられねえだろうがよ、と返し、彼はお茶のカップを受け皿に戻した。そしてやや神妙な表情で切り出す。
「……なあ、姫様。俺は……やっぱ厳しすぎるのか? ただ単に女子の気持ちが理解できてねえだけかもしれねえが、わかっていてもどうしてもパンシアにきつく当たっちまう……」
「いえ、そんなことはないかと思います。殿下は我が子のためを思っておっしゃっていることだと感じますし。むしろ、私がクリムを甘やかし過ぎている気もしています。先ほど殿下がおっしゃられた『お友達ごっこ』という忠告、本来なら私がすべきかもしれないとも思いました」
再びガウルがため息をこぼす。まったくもって難しい。そのことについては先輩であるソウヤやレオに意見を仰ぎたいところであったが、息子を流浪の旅に出させてしまうような保護者だ。あまり期待は出来ないだろう。
「ですがいつか、あの子達も自分のことを思って厳しく言ってくれていたんだと分かる日がきっと来ると思います」
「……だといいがな」
「きっとそうですよ。親の心子知らず、とも言いますし」
ああ、さっき自分が思ったこととまったく同じじゃないかとガウルは思わず表情を緩めた。だとするなら、あれこれ心配してもしょうがない。いつか分かってもらえる日が来る、そう自分に言い聞かせるしかないのかもしれない。
「楽じゃねえな、親ってものも」
「ですね」
「ま、楽じゃねえのは領主も一緒か。……どれ、じゃあ領主同士の、ちょっと事務的な話に入るかな」
ミルヒはそれに対し特に異を唱えるつもりはないらしい。「はい」と了解し、話題は子供達の件から移り変わっていった。
◇
応接間を後にしたパンシア、クリム、エクレールの3人は王立学術研究院を目指して歩いていた。先ほどまでの緊張から解放されたからか、パンシアとクリムはやけに嬉しそうでテンションが高いように見える。
特にクリムは元々テンションは高めである。よほどシンクの血を濃く受け継いだのか、体を動かすことが大好きな故に「お転婆姫」とまで呼ばれるほどだ。そんな彼女がより高いテンションになっている、というだけでもはや雰囲気すらかしましい気配もある。
「パンが色々言ってたから、殿下と顔を合わせるの緊張しちゃったよ……」
「私だって、姫様と会うの久しぶりで緊張したよ?」
「おふたりとも固くなり過ぎです。ガウル殿下は怖い方ではありませんし、姫様も……まあ雰囲気に気圧されそうになるのかもしれませんが、無駄に緊張する必要はありませんよ」
フォローしつつ、だとすると何故自分はこうも懐かれているのだろうとエクレールは感じざるを得なかった。と、いうのも、今現在両手は2人に繋がれて塞がれているのである。
「あの……。それで、おふたりとも殿下と姫様を前になさると緊張する、とおっしゃったはずですが……。私は大丈夫なのでしょうか?」
「勿論! だってエクレって強いし、かっこいいし、優しいし!」
「私もクリムと、あとお母様からそう聞いてるから。なんだかお姉さんみたいなイメージを勝手に持っちゃってたりして」
意図せずエクレールは苦笑を浮かべる。親しみを持たれるのは嬉しいことだが、少々度が過ぎるのはよろしくないかもしれない。2人とも次期領主候補、そんなクリムの口から「優しい」という言葉が出たとなると、もう少し厳しく接するべきだろうか、という考えも頭をよぎる。先ほどガウルが口にした「お友達ごっこ」になってはいけないのだ。
「お言葉は嬉しいですが、私は直属メイド隊長です。言うまでもなく、王族に相応しい振る舞いをしていただくよう厳しくしつけることもありますから、そこは覚えておいてください」
「わかってるよ。母様が怒らない分、エクレが怒るもん」
「姫様怒らなそうだもんね……」
「その分母様は怒ると怖いよー。私はそこまで怒らせたことないけど、聞いてない? 昔パンの伯父様のソウヤ様にマジギレしたとかなんとかって。凄かったって聞いたよ」
パンシアは数度目を瞬かせ、「本当?」とエクレールへと尋ねる。その質問を受け、彼女の表情に苦いものが浮かんでいた。
「少々尾びれ背びれがついてるかと……。ただ、私は直接その様子を見てはいませんが、場に居合わせた兄上が相当なものだったと言ってましたよ。まああの時はあいつよりリコの方が貧乏くじを引いてましたね。止める人がいない状況でみっちり絞られて、『二度と怒らせないと心に誓った』と言ってましたから」
もっとも、自分は姫君が言葉だけで済ませた人間に対して鉄拳を叩き込んだわけですがね、と彼女は心の中で1人呟く。しかしその時殴った相手の姪がこの場にいる以上、それは黙っておいた方がいいかとも思うのだった。
「そんなに凄いんだ……。やっぱりちょっと緊張しちゃうかも」
「普段は大丈夫だって。ほんと滅多なことないと怒らないから。私を怒る役はちょっと前まではリゼルで、今はエクレだしね」
「クリムのお父様は、怒らないの?」
そのパンシアの問いにクリムは唸ってしばらく考える。
「……怒る怒らないの前に、喋る機会もあんまりないかな。父様は未だ勇者として2つの世界を行き来してるから、忙しくてあまり会う時間ないし」
「あ……そうか……ごめん」
「いいのいいの。気にしないで。母様もそれを了承してる、って話だし、私も父様はどっちの世界でも勇者でいる本当に凄い人だってわかってるから。……あれ? パン、最後に会ったのいつだっけ?」
「直接顔を合わせたのは去年が最後かな。戦の放送でたまに見るけど。お父様やレオ伯母様と一緒で凄い戦無双だよね。確か以前はエクレと名コンビ、とか言われてたって……」
2人の視線を受け、やれやれとエクレールはため息をこぼした。確かに親衛隊長時代は随分と共に戦場を駆けた。しかし衰え知らずのあの化け物と、産休などを経て既にピークを過ぎて久しい彼女との実力差は開くばかり。段々と戦場でのパートナーを務めるのが厳しいと思っていた矢先にかかったリゼルからのメイド隊への誘いの言葉に、惜しまれつつも彼女は裏方へと回ることになったのだ。
「昔の話です。今はあくまで城内の平和と清潔と規律を守るメイド長として役割が、私の仕事ですから」
その言葉に嘘はない。過ぎ去った日は思い起こせばどれも輝かしいものばかりだった。それを良き思い出とし、今でも「姫様の剣」として決めた己の心に従い、彼女はミルヒと、その娘であるクリムという2人の姫に仕えている。それだけで十分だった。
「パン、父様とエクレの活躍なら昔のライブラリ漁れば映像板の記録で幾らでも見られるよ? あと……あの有名な『逃亡の姫君』の中でパスティヤージュの空騎士と戦うエクレも、見事なタイミングで飛び込んで来る騎士団長のエミリオの姿も見られるし」
「ちょ……! クリム様、あれを薦めるのはやめてください! 当事者としては、あの時はもう気が気ではなかったんですから!」
「残念、エクレ。私もう見てるよ。伯父様が見事な筋書きを書いて演出した、って。兄さんと見た」
「ぐっ……。レグルス様はそういうところは本当にお父上にそっくりでいらっしゃる……!」
だから自分の娘にも、旅に出る前は似たように接していたな、と思い出す。つくづく自分も娘も、あの男の系譜とは合わないのだと思うのだった。
そんなことを話しながら歩いているうちに、目的の学術研究院へと到着した。本が大量に並んだ部屋の中では研究員達がそれぞれ思い思いの本を読んだり要点を写したりと、精力的に活動しているようであった。
そんな彼らも扉が相手の来客には気づいたらしい。「ああ、クリム様にエクレール隊長」「これはこれはパンシア様」と無礼がないように声をかける。それらにこちらも挨拶を返しながら、3人はさらに部屋の奥へ。部屋の中で1番の大机で何かを読んでいる2人のところへと近づいていく。
「あ、エクレ。それにクリム様にパンシア様も。お久しぶりであります、パンシア様」
この研究院の主でもあり、今でも小動物のような愛くるしさを持つリコッタ・エルマールが3人に気づき、本を読む手をやめて声をかける。それを受け、傍らの彼女の親友のノワールも視線を移した。
「ご苦労様、パン。どう? 姫様と話すの、緊張した?」
「うん……。久しぶりだったから。でも、私よりクリムがお父様と話すときに緊張してた」
「だって……。パンが厳しいっていつも言ってたから……」
これにはノワールが思わず苦笑をこぼす。確かにガウルはどうにも娘に厳しい節がある。夫に言わせれば自分が甘やかしすぎだから、とのことだが、やはりかわいい娘はどうしても大切に接してしまう。とはいえ、ガウルも娘を思って言っていることもまた承知している。そこはこの場にいない当人のためにも補足しておこう、とノワールは口を開いた。
「確かに厳しすぎる時もあるかもしれないけど、お父様はあなたのためを思って言ってるんだよ。それは忘れないで」
「分かってるけど……。なんだかいつまでも子供扱いされてるみたいだし。私はもう十分一人前なのに……」
それを聞いて、なぜか小さくリコッタが吹き出した。皆その理由がわからず首を傾げる。
「なんでリコが笑うの?」
真っ先に尋ねたのはノワールだった。それに対してどこか気まずそうにリコッタが返答する。
「いやあ……。昔はノワもよく同じことを言っていたなあ、と思ったでありますよ」
「う……。そういえば言ってたかも」
「血は争えないな。……うちのシュアラももっぱら私みたいだとか言われているらしい」
3人はそう言い合い、小さく笑った。今も昔も変わらない。こうやって3人で交わす他愛もない話はやはり楽しいものだ。
「エクレもリコもお母様も、本当に仲良しなんだね」
そんな様子を見ていたパンシアが口を挟んできた。普段の母と違う一面を見れているからか、その目が僅かに輝いているように見える。
「そうでありますね。……まあエクレとノワは、互いに競い合っていたところもあるかと思いますが」
「確かにな。こいつの負けず嫌いにはまいったもんだ」
「なんかその言い方……。ちょっとカチンと来るかも」
まあまあ、とリコッタが2人をなだめる。ところが、少女2人は止めようとするリコッタには加勢せず、むしろ目を嬉々と輝かせて火の中に火薬を投げ込むつもりらしい。
「お母様、そういう時は実際に戦ってどっちが強いのか白黒はっきりつけるというのは?」
「パンの言うとおり! エクレが本気で戦ってるところ、間近で見たいな」
戦に興味津々のパンシアとクリムからすると、自分と馴染みのある2人が目の前で本気で戦う様子というのは非常に魅力的なのだろう。どうにかそういう状況にならないものかと口を添えてくる。
が、エクレールもノワールももう大人だ。ましてや、普段はこうして以前と変わらず接しているとはいえ、本来は身分を気にしなくてはいけない。メイド長と姫が戦うというのは、互いにどうにも気が引けてしまうと思っているのは事実だった。
「パン、あまりエクレを困らせちゃダメだよ。……確かにさっき文句を言ったのは私だけどさ」
「私達よりもガウル殿下やレオ閣下といった、もっと見ごたえのある戦いをする方が近くにいらっしゃるではありませんか」
「……エクレ、それだと私達の戦いに華がない、って言ってるみたいじゃない」
折角火消しをしているのになんでまた燃やそうとするのか。エクレールは苦笑でもってノワールを諭すことにした。
「そこまで言う気はないが……。さっき言ったガウル殿下やレオ閣下、それにうちの勇者辺りと比べるとどうしても見劣りするのは事実じゃないか? 未だ現役で、戦においても若手を完全に食ってしまっているからな」
「それは……。そうだね」
ようやくノワールを納得させられたとエクレールは意図せずため息をこぼした。こうなればあとの少女2人を説得するのは造作もない。いや、その前に既に2人ももうけしかけるのは諦めているような表情だった。
「なあんだ……。せっかくエクレとお母様の戦いが見られると思ったのに……」
「エクレ、私に稽古つけてくれるときはいっつも手抜いてるし、本気で戦うところをこの目で見たかったなあ」
「いや、クリム様は見たことがあるでしょうに……。シンク……あなたのお父上がここに来ては、何かと昔のように私と手を合わせたがりますから。もうこっちは到底敵わないというのに」
確かにかつてはビスコッティの名コンビと言われた。未だにそう呼ぶ人達がいないわけではないが、如何ともしがたい実力差が開いてしまっていることは確かだ。それ故、シンクの調整を兼ねた手合わせでもエクレールは手を抜く、という余裕などない。紋章術抜きであるため全力とはいえないが、単純な技量と力量なら彼女は持てる限りを動員して戦っている。
「それに仮に私とノワールが戦うとしても、基本的に紋章術は抜きですよ。やはり戦の場で戦う様子をご覧になった方が、実際に紋章術もご覧になれますしよろしいかと」
「でもそれだとエクレは戦場に立たないじゃん。紋章術の名手とまで呼ばれてるんだから、たまには参加してかっこいいところ見せてよ」
このクリムの提案に対し、これは困ったと彼女は苦笑を浮かべた。名手などと言い出したのは一体誰であろうか。確かにビスコッティで見ればそれなりに扱いのうまい方だという自負はあった。が、国外にまで目を向ければ、特に隣国には紋章術の扱いだけでいうなら彼女でも舌を巻くほどの存在がいる。戦いの最中に輝力を用いて騙し合いを行うなど、到底真似出来ないことだと思うのだった。
「名手というのは、いささか誇張が過ぎるかと。それに私はメイド長ですから。有事でもなければ、戦には参加しても剣を取ることはないと考えています」
「そんな固いこと言わず、たまには前線に出ればいいでありますよ。自分だって今も時々砲術士として参加させてもらってるでありますし」
気軽そうに言ったリコッタのそんな一言に対しても、エクレールは表情を変えられずにいた。そもそもリコッタは彼女と立場が違う。メイド長はビスコッティにおける実質近衛隊長扱い。ミルヒとその娘であるクリムの安全の確保、あるいは拠点防衛において最後の砦として動くことが求められる。進んで前線へと出るようなものではないのだ。
もっとも、クリムは母親もそうだが父親にも似た部分が多いらしく、戦のデビューは済んでいるものの、まださほど戦う場がないことから不満な様子でもあった。最前線で颯爽と敵を蹴散らし、存在するだけで戦場における燦然と輝く星であるといえる父に憧れ、いつかそうなりたいと思っているのかもしれない。そうなれば、守護する存在として自分もまた前線に出る機会はあるかもしれない、とも思うのだった。
「何にせよ実際の戦を見た方がいい、っていうなら……。お母様、明日ドラジェに行くことは出来ないかな?」
と、そこで不意にパンシアがそう切り出した。質問の意図がわからないと母は首を傾げる。
「ドラジェ……? どうして?」
「だって、レオ伯母様は明日のドラジェでの戦に呼ばれたんでしょ?」
「あ、そういえばそうだったね。……見に行きたいの?」
間を置かずに「うん!」とパンシアは勢いよく頷いた。少し考えてから、ノワールは諭すように言う。
「……わかった。お父様には私も一緒に掛け合ってあげる。明日は元々予定もなかったもんね」
「やった! お母様大好き!」
満面の笑みを浮かべながら母に抱きつくパンシアを見て、一方でクリムは口を尖らせていた。
「いいなあ……パンばっかり。……ねえ、エクレ」
「いけませんよ。明日も勉学の予定があります。励んでいただかないと、私が姫様からお叱りを受けてしまいます」
「まだ何も言ってないじゃん! ……エクレのケチ」
「まあまあ。クリム様、あくまで風の噂で、ですが。近いうちにビスコッティと他国で戦があるのではないか、という話でありますよ。その時まで楽しみにされていてはどうかと」
「ほんと!?」
そう言ったクリムもだが、エクレールも本当だろうかという意味でもって視線を送る。それに対し、リコッタは意味ありげにメイド長に片目だけを閉じてみせた。
「自分は他国へと出向く機会も多いでありますから。そういう噂には耳が早いでありますよ。でも噂でありますから、あくまで内緒、でお願いするであります」
今度は先ほどのパンシアのようにクリムが嬉しそうに「うん!」と頷く。しかし、エクレールはさっきの親友の仕草から、大方状況を察していた。
おそらく出まかせであろう。嘘も方便、とでもいうことだろうか。とにかくこれでクリムは一応は納得するだろうし、もし後で問い詰められても「あくまで噂だったから」などとシラを切ればいい。真面目な自分には出来ない返し方かもな、とエクレールは考えつつ、5人での談話は弾むのであった。
クリム……シンク→真紅→クリムゾンと、ミルヒ→ミルク→ミルククリームという連想から、共通する部分を抜いた形。
シュアラ……シュークリームのフランス語、シュー・ア・ラ・クレームから。同じシュー生地を使うという点でエクレア(フランス語でエクレール)と共通点がある。