階段を降りる足が覚束ず、
まるで立てるようになったばかりの子供のような挙動をする自身の四肢に危機感を感じる真白。
前に部屋を出て歩いた時にはこんな事は無かったのだから、尚更危機感が強まるというものだ。
「それにしたって何の話だろう……」
このような事は過去に前例が無かった訳ではない。
今までも部屋から出てくるよう言われる事は何度もあったが、母の声のトーンから無視しても構わなさそうな雰囲気を感じ取れば無視を決め込んでいた。
しかし今回は違ったのだ、声のトーンが帯びた真剣さが。いつもとは。
仕方なく赴く事にした彼の頭には、一体何を言われるのだろうと心配が募るばかり。
「まあたぶん、将来がどうのこうのって語る気だろうな。」
母が待ち受けるリビングの前に差し掛かり、覚悟を胸にドアノブを握り、
そしてドアノブに手を掛ける。
「俺にできる事はただ一つ……
聞いてるフリを……し続けるッ!!。」
決意のまま。
扉を堂々たる風格で開き、さあ怒られるぞと意気も充分に入室するも、
しかしそこに彼を待つのは予想外のシチュエーションだった。
「なん……だと?」
動揺し、震える声で呟く。
それも仕方ない。
予想の斜め上を行き、そこにあるのは母の姿だけでは無かったのだから。
穂乃果、帰ったはずでは?
最近はめっきり顔を合わせなくなっていた婆ちゃんまで?
いつ来たのか、そして何故来たのか。
様々に思考を巡らせ、どうにか状況を把握しようと奮闘するも浮かぶのは無数の疑問符のみ。
このままでは埒があかない事をようやく理解した真白は
乱れる思考の中、口を開く。
「な、なんで、穂乃果……?。
お前さっき帰ってたよな……!?
なんでここに……
それに婆ちゃんに関しては本当になんでだよ!?どうして……っ!!」
百歩譲って彼女はいいだろう。
しかし、ここからずっと離れた辺境のド田舎に住んでいたはずの祖母についてはここに居る理由に全く検討が付かないのだ。
「えへへ、やっと出てきてくれたね。
あれ、ほのか別に帰ってないよ……?。」
「で、でもさっき玄関が開く音が!!。」
「あたしが来た時の音じゃないかねぇ……?。」
「いつ来たのかと思えば……っ!。
穂乃果が帰ったとばかり、ただ俺が勘違いしてた訳かよ……。」
頭を抱え、戦意を喪失する。
しかし気になる事が山積みの現状、口を開かない選択肢は今の真白には無い。
「……もう一度聞くぞ、婆ちゃんはなんでここに?」
「私がよんだのよ。」
祖母に対する質問、
しかしその問いにあっけらかんと答えたのは母だった。
「そうじゃなくてっ……!呼んだ理由を聞いてるんだろッ!!」
「あらそうだったのね、ついうっかり。
今日はね、ましろの為にわざわざ来てもらったの」
「いい加減にしろ、俺は理由をッ……!!」
「ましろには、お婆ちゃん家の畑で働いて貰う事にしたの。」
返答を求める頭に返ってくるのは的外れな言葉ばかり
流石に頭に血が上り、声を荒げようと口を開く真白へようやく告げられた問いへの答え。
一体、母は何を言っているのだろうか?。
引きこもり続ける息子を抱えているストレスで、ついに頭でもやられてしまったのだろうか、などと様々な考えを巡らせていた彼だが、そうではない。
そんなくだらない事を考えていられる状況ではないだろう。
「ま、待ってくれよ、突然すぎる!第一俺の意思はどうなるっ!?。」
「ましろの意思なんて関係ないわよ。
学校に行かないのなら働いて貰おうかなって、それだけよ?。」
「はぁ!?なんだそれっ!!?。
と、とにかく……婆ちゃん!俺は働かないからな!!。
そんじゃあまた……」
「……あんたはあの日からずっと、はる兄ちゃんの真似さしよるな。」
先程まで比較的緩やかに流れていたはずの空気は瞬く間に凍りつき、部屋に向かおうとしていた足が止まる真白。
掴まれている、逃がすまいと。
祖母の言葉に、心臓を。
「……は?。
おいおいいきなりなんだよ……?
しかも兄ちゃんの真似してるだって?一体俺のどこを見てそんな______ 」
「どこ見てもさ。」
祖母の言葉を聞く度に、鼓動のペースは瞬く間に上昇していく。
ジワジワと湧き上がってくる心臓が潰れてしまいそうな程の痛み。
苦痛に歪む顔を滝の様な汗が伝っていき、
側から見ても一目で分かる程に今の真白は尋常ではなかった。
しかしそんな事は御構いなしと、祖母は尚も続ける。
「話し方もや仕草も、全部兄ちゃんのもんやないか。」
「だっ……たら……、……だったらなんだよ。
悪い事か、憧れを真似てるだけだ。
近付こうとしてみる事が……悪いことかよ。」
違うのだ。祖母が言おうとしている事の意味はきっとそんな事ではない。
真似してるだとか、してないだとか。
それが良い事なのか、悪い事なのか。
単純にそれだけではない事くらい分かっている。
そう、分かっていたのだ。言われている事の真意が、そこではない事など。
それでも彼が、音無真白がはぐらかしたのには理由があるのだ。
それは。
「ましろ……逃げとるな?
その憧れを、はる兄ちゃんを殺した自分から。」
「______ッ!!」
もうとぼける事はかなわないだろうと、静かに理解する。
「……やっぱりかい。
まだそんなこと考えちょるんね。
昔にも言うたけんど、ましろはひとっつも悪くないやないね?。」
「……そんな訳がない、兄ちゃんを殺したのは俺だ。
他でもない俺が、気持ちも考えずにズカズカと心を踏み荒らして回ったから……役目を、居る場所を失くした兄ちゃんは命を絶ったんだ……。」
部屋の中、まるで人形のように縄に吊られ変わり果てた兄の姿と側に置かれた遺書を見て思ったのだ、
あの日兄の居場所を奪い、殺してしまったその責任を取り、『兄の変わりにならなければならない』と。
自身を、音無真白を心のどこかに縛り付け、置き去りにしてでも。
そう決意した瞬間から、彼は大好きだった兄の全てを真似して生きていた。
……ただ一つ、音楽を恐れてしまう様になった事以外は__
しかしそれでは、それでは駄目なのだ、
『音楽が大好きだった兄』から奪い取ってしまった場所。
ならば仕草や言動を真似するよりも大事な事がある、それはきっと、奪ったその場所で例えどんな事があろうとも音楽を愛する事。
「……兄ちゃんとさ、ほのかと……
ずっと3人で音楽やってきたよ。それぞれに得意な事があった。
偶然3人とも得意な分野が違っててさ、運命だねって、嬉しいねって笑い合ってずっとやってた……」
穂乃果は元気で綺麗な声と安定感を活かしたポップなボーカル。
真白は荒々しい感情移入に長けたハスキーな声を活かしたボーカル。
しかし、このままではただ歌う曲もメロディも知らないボーカルだけのポンコツが二人のそこに、作詞とギターを担当し、ポンコツ二人をステージに立たせてくれる兄のはるがいた。
ようやく音楽をやれる最低限のラインで、
グループとしてしっかり成立していたかと言われれば正直微妙なラインだっただろう。
でも、最高に輝いていたのだ。
ずっとこの3人で音を紡いでいられれば、こんな日がずっとずっと続いていけば他に何もいらないと、
真白にとって、幼心にそう思う程に。
「……でも、俺がそれをぶち壊したよ。
俺の幼くて自分の楽しさしかみえちゃいない好奇心が。」
きっかけは単純だった。
兄が留守の日、なんとなく気になって兄のギターに触れてしまったのが始まり。
最初はピロピロと弦をはじいて音を鳴らして遊んでいたのだが、
ふと、兄のように弾けないものかと思い立ってしまったのだ。
即座に行動を起こしギターを持ち上げ見様見真似で試行してみるも、当たり前だがメロディが形になる事はなかった。
それがなんだか堪らなく悔しく、
その日から兄が留守の日を狙っては真白は練習を重ねていく。
それが兄の居場所を奪う事になるとも考えずに。
「俺さ……知ってたんだ、
兄ちゃんが学校でだいぶ酷くいじめられてたの……。」
ポツポツと言葉を零す。まるで懺悔するように。
その相手はもうここにいないのだけど。
「知ってたんだよ……ここしか、俺と穂乃果のとこしか居場所がなかったの……っ。」
ただ、救われたい。
その一心で言葉を吐き出していく。
「でも……っ、でもその居場所すら奪ったんだよ!!
俺が……っ!!。
兄ちゃんにとってギターは口実でもあったはずなんだ……
居場所を守る為の……そこにいる為の……。
それを……俺は……僕は……っ!!!!」
追い詰められていた兄の最後の居場所を奪い、殺した。
改めて振り返り噛みしめる後悔の味の苦さに、
いつの間にか隠れていた音無真白が顔を出してゆく。
「……逃げてる?逃げてる訳じゃない。
……もうどんなに願ったって戻れないよ、後先考えない馬鹿でどうしようもない過去の僕は変われないよ。」
お前は泣いていい立場じゃないだろう。
そんな意識とは裏腹にジワジワと溢れ出す涙に自分の無責任さを再認識し、
感情の熱が高まってしまった彼の口調は激しさを増していく。
「ならさぁ……っ!だったら今で償うしかないだろッ!!
奪い取ったなら責任もってその場所にいるしかないじゃないかよッ!!!」
「で、でも実際そのせいなのか確証がないよましろ君!!」
「兄ちゃん自身が遺書に書いてたんだから間違いないだろっ!!」
穂乃果の意見を否定し、感情のままに喚き散らした真白。
しかしそれも仕方の無い事だ。
何故ならば遺書に自殺の理由は『居場所がない』事によるものだと書かれていたのを実際に見ていたのだから。
確証など、それで充分すぎるだろう。
「……責任もって代わりになるしかないって思って、真似して……
でも、でも気付いたら、僕……」
音楽がこわかった。
大好きだった音楽がトラウマになっていた事、
そしてそれに伴い責任を果たす事が不可能になっていた事実は、瞬く間に彼を絶望に染め上げる。
生きてきた中で唯一心から楽しいと叫べた、もはやそれを生きる理由とすら呼べる存在。それが音楽だった。
しかし歌いたいのに、奏でたいのに。そして心は未だにしっかりとそれにしがみついていて離さない……はずなのに、
彼の身体は一切の音も形にする事を拒んだのだ。
もう好きな事もなくなった、背負うはずの責任も放棄せざるを得なくなった。
からっぽだ。
自分はどうすればいいのだろうか。
葛藤する真白頭の中に、しばらく黙っていた母の声が響いた。
「……ましろ、落ち着いて聞いてね。
その事なんだけど実はね……さっき言った畑のお仕事は嘘なの。
「……。」
「お婆ちゃんがきた理由は他にあるの。」
あまりにも唐突に告げられ、困惑する。
このタイミングで、今更何を伝えようというのだろうか。
返答に困る彼に対し、続けて口を開いたのは祖母。
「ましろや。
兄ちゃんの遺書は読んだっち言いよったな?」
「……読んだよ。」
「何枚あったかね?」
「……一枚しかなかったんだから、一枚に決まってるじゃないか。」
「やっぱりかい。実はな、2枚目があったんよ。」
「え……?」
「今日はそれを見せにきたんよ」
呆然とする眼前に差し出された一枚のそれを、
恐る恐る受け取り目を通していく。
「……そんなばかな」
衝撃と困惑のあまりに目を見開き驚く真白。
それも無理はない、結果的に言えばそこには『真白が兄の居場所を奪った』という事実が、ただの勘違いである事を証明する可能性を含む内容が兄の手で綴られていたのだから。
内容を要約すると、この遺書は兄がいつの間にか所属していたというバンドのメンバー宛の謝罪文。
見たところバンドメンバーと確執があった風でもなさそうにみえ、
それはつまり、居場所がなくなって自殺したという線は消えてしまった可能性は非常に低い事の裏付けとなりえるのだ。
しかしそうなるとおかしな部分がある、
過去に真白が見た鬱ぎ込む理由になった1枚目の遺書、
そこにはたしかに『居場所が無くなった』から死ぬ事を選んだと書いてあった。その件については一体どう説明すると言うのだろうか。
読み終わり困惑し、それに加え更に矛盾する点に頭を翻弄される真白に対し、待っていた婆ちゃんが話し始める。
「な?あんたはなんにも悪くない。」
「い、いや、おかしいよ。
だって一枚目の遺書には『居場所が無くなったから』死んだって書いて……」
「問題はそれなんよ。
一枚目も持ってきとるんやけど、ようみてみ……掠れて薄まってる文字があるやろ?」
"居場所が無くなったから"その文の前には、
確かに掠れた文があった。
書いてる内容を、動揺しながらも読み取ろうとする。
「……。」
"学校で本格的に"
消えかけた文にはこう書かれていた。
自殺した本当の理由は学校でのいじめの悪化という事だろうか。
それはそれで到底許せる事ではないがしかし、
そうなると彼の数年間の悩みは全て無駄だった事になるのだろうか?
いいや、あと一つだけ、気がかりがある。
「でも、兄ちゃんさ……
僕がギターも作詞も全部やった曲を初披露した時に、ボソッとだけど居"場所が無くなっちまった"みたいな事言ってたんだよ……。
それはどう説明……」
「……あっ!あの時の事か!!
でもそれなら心配ないと思うよ?あの後ましろ君がトイレに走ってって二人になった時、はる君笑いながら嬉しそうに
『上達速すぎてビビったけどこれでメインバンドに集中できるぜー!!』
って嬉しそうに笑ってたもん。」
「あの野郎ッ!!?」
穂乃果に衝撃の真実を告げられ思わず兄ちゃんをあの野郎呼ばわりしてしまったが真白だったが、それも仕方ないだろう。
「ねえ、穂乃果。僕の数年なんだったの……」
「あ、あはは……」
「っふふ、ふふふ!
ほんと、ふざけてる……
ほんともう……なんか安心したら笑けてくるな……ふふっ!!!」
心が、弾むように軽い。
彼は勘違いで数年間という決して短くない時間を無為に過ごした。
でも、そんな事よりも、何より嬉しかったのだ。
大好きな兄を自分の存在が殺した訳では無いという事実が。
いじめで自殺したという真実を許容した訳では無い、
ただ今は、ただ今だけは、この事実に安心感を覚えてしまっているのだ。
「ましろ君……?泣いてるの……?
まだ悲しい……??」
「あれ、なんで、涙が……っ、
いや、数年の重みのせいかな……悲しくはないはずなんだけどな……なんでだろ……。
いやでもいいのかな、兄ちゃんの死に関わる事なのに、安心しちゃうなんて……ダメだなぁ、僕……。」
しかし冷静に考えて、安心感など感じていい場面ではない。
理解はしていても、しかしそれでも勢いよく湧き上がるこの安心作用に、
彼はふつふつと罪悪の念を呼び覚まされる。
「兄ちゃんを殺したのが僕じゃなくても……
これじゃ結局最低だ……。最低な人____」
最低な人間だ。
吐き出そうとしたその言葉は、突如として全身を包み込むような優しい温もりの介入により、
ついには口から溢れる事はなかった。
「ほの、か……?」
「塞ぎ込んで、苦しくて、でも立ち向かう事は止めずに頑張ってた。
ずっとずっと、一人で。
そりゃ安心もするよ……最低なんかじゃない……っ!」
「……僕はきっと、自分の身が可愛かっただけだ。
兄ちゃんを殺した最低な人間になって、でもその事実から逃げて堕ちるとこまで堕ちて更に生き辛くなるのが嫌だっただけ……。
だからそれで……それだけで……っ」
「ほのかにはさ、難しい事は良く分からないけど……そんな事思える人に、我が身可愛さだけで数年間無駄にできないと思うけどなー?」
「____ッ!!!」
揺れていた、心の奥底。
その暗闇を、まっすぐで、透明で……どんな時でも変わらないそんな穂乃果の言葉が混じり気のない白となり、照らしてゆく。
いつしか暗闇しか見えなくなっていた世界に差し込んだ光に、真白はポロポロと涙を零し始めた。
「ごめんねっ……ごめんね穂乃果……っ。
今までっ……何度も、何度もひどいこと言った……っ、
最低な僕を、許さなくていい……許さなくていいから……
これからはどうか、僕に構わずに……どうか幸せに生きて……っ!」
「最低なんかじゃない……大丈夫だよ……大丈夫。許すよ。構うよ。」
「なんで……っ、いいんだよっ……僕なんかに……もう振り回されないでよ……!!。
曲なら作る……だから、僕にはもう関わらな____」
「ましろ君っ!!!」
「!?」
「勝手な事言わないで。
私が、ほのかがましろ君に構いたいから構うの。
なんなら曲なんていらない、でも構う。それだけだよ。」
ああ、そうだった、この幼馴染は昔からこうなのだ。
人の言う事なんて聞かない、そのクセ人の為にいつも必死。
昔から少しも変わらない彼女の姿にどれほど助けられてきただろうか。
「勝手な事言ってるのはどっちだよ……もう……めちゃくちゃだ……」
「えへへ……お互い様だよ?」
「安心する程、変わらないなぁ……穂乃果は……
ほんとに……安心……す、る……」
突如グラつき、不安定になる視界。
「あれ?ましろ君??」
沈み行く意識の中、響く幼馴染の声は、
この先、また何度も彼を立ち上がらせるひとつの光。
読んでいただきありがとうございました、なんかどうしても展開が急になってしまうなぁと感じます。文字書きさんはやっぱり尊敬します。