とあるチラシ裏の短編集   作:ハピナ

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それは多分、およそ5年前の話。



240円の正義感

 

普通、小学生や中学生というのは近所の小中学校に通う者である。

学ぶ内容がほぼ変わらないからだ、わざわざ遠くに出向く必要がない。

 

・・・とは言うものの、様々な事情を持って遠出の登校をする者も少なくは無い。

 

今回目を向ける彼女もそういう環境下だ、それは徒歩では大変な距離。

 

交通手段というと電車や市電と多々あるが、彼女はバスを利用している。

 

乗車時に必要になるのは定期券、忘れたならおこずかいから料金を支払う。

 

この話は、そんな彼女が定期券も財布も両方忘れてしまったという失態から始まる。

 

 

時間通りにバス停に向かい、目当ての系統のバスに乗車。

 

まさかこの時は両方忘れているなんて思わない、忘れているからこそ忘れ物だろう?

 

何を油断していたのか、彼女は定期券を忘れる事をそこまで重要視してなかった。

 

定期券を忘れたって現金で払えばいい・・・そんな浅はかな考え。

 

今日も定期券を忘れた事にはそんなに動じなかった、

彼女の顔色が変わったのは財布も忘れたと気がついた時だ。

 

詐欺だ、泥棒だ。 血の気が引くとはこういう事か、その時感じたのは『罪悪感』だった。

 

そんな少女の失態を周囲は気がつく訳も無く、バスは着々とその走行距離を伸ばした。

 

途中の駅で逃げてしまおうか? そんな強行を良心が邪魔をする。 ほら、また一駅過ぎた。

 

今日……というかいつもなのだが、若干田舎の朝の通勤ラッシュは満員とも言えない乗車率。

 

ようはそれなりに混雑しているという事、そんな中彼女は最後の手段に辿り着く。

 

 

『謝ろう、謝って逮捕されよう』

 

 

まぁこの歳で逮捕は考え過ぎかもしれないが、彼女にはそれだけの強い罪悪感があった。

 

『補導』という言葉を知っている、『少年犯罪』も知っている。

 

金額なんて関係なかった、お金を払えない……その事実だけが彼女の首を締める。

 

 

いよいよ目的のバス停が迫った、唾を飲み込み小さな覚悟を決める。

 

降りる時は最後尾、最低限迷惑をかけないようにという彼女なりの小さな工夫だ。

 

運賃を支払う機械の前、お金も払わずに頭を下げた。

周りがどんな反応をしたかなんてわからない、顔を見るのが怖かった。

 

 

「定期券も財布も忘れてしまいました、すみませんでした!」

 

 

……バスの運転手は何も言わずに機械のボタンを押した、運賃の免除だ。

 

その音を聞いて少女はバスを降りて、必死にその場から逃げ出した。

 

何度も、『私は犯罪者だ』なんて頭の中で叫びながら。

 

恥ずかしさ、申し訳なさ、後ろめたさ……様々な感情が頭の中てぐちゃぐちゃに混ざる。

 

 

次の日は休日だった、茶封筒にその日免除してもらった金額の小銭をいれる。

 

『○○ループ△△ ××バス「☆☆☆☆」 ○時△分着』……ボールペンで丁寧に書いた。

 

遊びに行くと親に嘘をつき、向かった先はバスの営業所。

 

奥の方にはたくさんのバスが出発の時を待っている、定期券を買いに来てるから知ってる場所だ。

 

古いガラス戸を開けて入ったなら、受付のおじさんが言う。 「今日は1人なのかい?」

 

なんだ、この人は彼女の事を知っていたのか。 いつもは親と買いに来ている事を。

 

何故いつもは親と一緒に来ているのかって? 歩いて行ける距離じゃないからだ。

 

その為、ここに来るまではバスを使い定期券をフル活用してここまで来た。

 

知らない系統のバスを下調べするのは大変だったのを覚えている、乗り継ぎ無しが幸いだ。

 

おじさんの問いに「はい」と答え、いよいよ本題に入る。

 

茶封筒を差し出された時おじさんは驚いたが、彼女は昨日の出来事を丁寧に話した。

 

運賃を支払わずにバスに乗ってしまった事……怒られるのを覚悟していた。

 

警察に通報される事も覚悟した、少年でも犯罪を犯したら法廷で裁かれるのだから。

 

だが、返ってきたのは笑みだった。 怒ることさえなく、その顔は微笑みだった。

 

 

「返しに来てくれてありがとう、次から気をつけてね」

 

 

その思いがけない優しい言葉に、どんなに安心した事か。

 

「ごめんなさい」と言った後に、予想外の涙が溢れて来た。

 

今回は許してもらえたが、次から気をつけようと決意する。

これ以降、財布どころか定期券も忘れる事はなかった。

 

……その先はよく覚えていない、多分再度一礼して営業所を後にしたと思う。

 

 

数年後、バス停に立つふとした時に、その事を思い出す事になる。

 

客観的にその出来事を考えようとも、その時の周囲の反応がわからない。

 

どんな顔をしていたのだろう? どんな風に思ったのだろう?

それとも、それは気にする事もなく忘れられたのだろうか?

 

もし、今の彼女がその当時の彼女を見たらどうなるかを考えたら簡単だろう。

 

それでも、わからなかった。

 

何故なら当時の自分もまた、今の彼女とあまり変わらなかったからだ。

 

唯一、わかる事と言えば……

 

大事な物を忘れる事を気にも止めなかった『バカ』と、

わざわざバスの営業所まで行って返金をした『正直』。

 

当時の自分が『バカ正直』だったという事だけだ。

 

それはきっと、今も変わらない。

 





出かける前の荷物確認、大人になってもとても大事。
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