ミックス・ブラッド   作:夜草

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四章
魔女の迷宮Ⅰ


人工島南地区 マンション前

 

 

 前夜祭 当日 深夜。

 

 

『君が、欲しい』

 

 

 その声に反応する。

 薄らと開いたぼやける視界に、いつもよりも五割くらい増しで凛々しく決めてる兄の横顔が映る。

 それが歌劇団の男装の麗人が舞台から観客へ見せつけるよう、半ば覚醒してるが昏倒している自分を左腕に抱くのと逆の右手を伸ばす。

 

『君に誤魔化しがきかないってのはわかってるからね。直球で宣言しよう。

 ―――南宮那月から君を奪う』

 

 ―――妹のクラスメイトの男子生徒に。

 

『  古城君  凪沙ちゃんから離れろ』

 

『安心してくれ  の身体は10万人の  つり合う『計画』の要だからね。もちろん、この子も傷つけたくない。できれば、ね』

 

『お前は、そんなことしないって、思ってたのだ』

 

『だけど、ボクはしなければならない。この宴の間だけでいい……凪沙ちゃんを助けたければ、ボクのものになるんだ』

 

 ……今の状況を客観的に説明すると。

 

 兄が妹を人質に脅迫して、妹の気になる男の子に強引に迫っている。

 

 ……………うん、これは悪夢だ。

 

 こんな女子としても妹としても最低過ぎるシチュエーションは想像もできなかった、というより、したくなかったよ!

 何でこんな夢を見ちゃってるの私!?

 これが兄ではなく、もっと別の誰かであったら、まだマシ……ある意味、女子の憧れるシチュエーションになったかもしれないけど。でも、兄はきつい。

 雪菜ちゃんや浅葱ちゃん、それ以外にもたくさんあんなに綺麗な女の子に囲まれながら誰一人とも恋人関係になっていない古城君だけど、きっと健全な男の子だって思ってたし、隠してるつもりだけどむっつりスケベなのはわかってた。

 

 そう、思ってた。

 だから、まさか、そんな……

 いや、古城君、クロウ君のこと信頼してるし、気にかけてるし、一番仲のいい男子後輩なんだろうなーとは思ってたよ!

 

 クロウ君が自分を慕ってくれる男子後輩だからって、“そっち”にいっちゃってたの!?

 

 ここ最近、ちょっと距離が近いだけであんなに口煩かったのって、凪沙のことを心配してのことではなくて、古城君もクロウ君を狙っていたからなの!!?

 この前のケーキバイキングの時も勝手に凪沙たちの間に割って入るように古城君が同伴して、それを申し訳なさそうに雪菜ちゃんがついてきて、そしたら、慌てて浅葱ちゃんも追いかけてきて、何かついでのように矢瀬君も現れてて、いつのまに団体様になってたりしてたけど!

 それって、もしかして、嫉妬!? 凪沙に嫉妬してたの古城君!?!?

 

『…………………わかった、ぞ』

 

 頷いちゃダメだよクロウ君! お願い、ホント、ここは首を横に振って! 古城君に付き合ってそんな不健全な方向にいっちゃダメーーーッッ!

 

 

 

 暁凪沙は、そのあまりに衝撃的する悪夢のすべてを次に目覚めたときは忘れていた。

 ただ、深層意識的なもので、暁古城(あに)が最()の恋敵だと認識するようになったという。

 

 

モノレール

 

 

 前夜祭 前日

 

 

 『波朧院フェスタ』

 伝統的な民間行事の存在しない『魔族特区』で娯楽や刺激を求める者たちのために、欧米の魔除けの儀式ハロウィンを参考にした人工島管理公社の行政サービス。

 毎年10月の最終週に全島をあげて、花火大会や野外コンサート、そして仮装パレードなど様々な企画が催される、絃神島の一大イベント。

 普段は、『魔族特区』絃神島は、企業や研究機関の関係者及びその家族以外の訪問を認めていないのだが、この祭典の期間中だけは特別に、一般の観光客やジャーナリストたちにも市内に入ることが許可されている。

 日本本島から遠く離れている絃神島の立地条件であるものの、集まってくるその来場者は例年最低でも12万人を超えるという驚異的な数字を叩きだしており、まだ開催前なのに今の絃神島は『波朧院フェスタ』一色のお祭り騒ぎ。

 無論、楽しむのは観光客だけではない。

 彩海学園も前夜祭となるその前日から休校になっており、絃神市内の学生たちも、吹奏楽コンクールや展覧会など部活がらみイベントに参加する者、町内会主催の屋台などに労働力として駆り出される者、バイトに精を出す者、或いは単に客として祭りを満喫する者などなど、スタイルは様々だが、それなりに慌ただしい時期なのだ。

 

 というわけで、この通勤ラッシュも普段より一段と混雑している。

 日々の平穏こそをこの絃神島の誰よりも愛し、そして、この絃神島で誰よりも不安定で危険な魔力源である暁古城は、この熱気と圧迫に少々うんざりしながら、『波朧院フェスタ』関連でほぼ全部埋まっている中吊り広告に目を通している最中、ふとそれが目に入る。

 

「ん……?」

 

「どうしたんですか先輩?」

 

「いや、姫柊」

 

 監視役として一緒に登校している姫柊雪菜の怪訝な眼差しに、古城は目線だけでそれを誘導する。

 その先にいるのは、通学中の女子生徒だ。

 彩海学園の制服の上に真っ赤なフード付きケープを羽織り、下には、『中等部の聖女』こと叶瀬夏音と同じハイネックの長袖シャツを着ている、と常夏の絃神島では中々珍しい冬衣装の恰好で、それが意外とセンス良くまとめられていて、意図的なまでに女の子らしさというか、か弱さを印象付けている感がある。

 そして、ミニスカートから伸びるその脚は服に隠さず露わにしている。瑞々しくしなやかで健康的な艶のある美脚。褐色、それもサロンなどで人工的に日焼けしたものではない天然の肌色。ということもあってか、特に目につく。

 それに、なにか着慣れてないのか、きちんと服を着ているのに、心許なさがあって、妙に視線を吸い寄せられる、と言うか。

 

「なんか危なっかしい感じだな。中等部の生徒か? けど、あんな目立つ格好してる子、あまり見かけたことがない気が済んだが」

 

「はい、私も初めて見ますね」

 

「じゃあ、もしかして姫柊と同じ転入生か……」

 

 人混みの中に埋もれている少女を見て、古城は眉間にしわを寄せた。彼女が立っているのは、逃げ場のない上に目立たない混み合った通路。おどおどと体を縮こませながら気弱そうに俯く彼女の背後に、挙動の不審な中年男性が密着している。

 

「その後ろに立っている男性、もしかして」

 

「痴漢か! 野郎―――!」

 

 えっ!? と雪菜が虚を衝かれるほどの勢いで、古城は男に向かって突進を始めた。正義の味方を名乗るつもりもないし、正義をかたる気もないが、それでも絶対に許してはいけない『悪』がある。年頃の妹を持つ古城にとって、痴漢はその筆頭だ。凪沙も通学に使うこの路線でそんなふざけた真似をする相手など、とっ捕まえて警察に突き出してやらねば気が済まない。

 

「先輩、待ってください! 先輩! もっとちゃんと確認しないと……ん?」

 

 車内に限界まで詰め込まれた人混みを強引にかき分けて進んでいく古城を、懸命に追いかける雪菜はそこで何かに気づいたようにはたと止まった。その間にも直進を続けた古城は、すでに女子生徒の傍まで辿り着き、彼女の太腿に伸びている男の腕を確認。これ以上の痴漢を阻止しようと男の手首に手を伸ばし―――ちょうどその時にモノレールは次駅に到着。

 ドアが開き、満員電車から解放され達乗客たちがホームへ一気に溢れ出し、その流れに古城も巻き込まれて―――目一杯伸ばしていた手の平が、冬衣装の少女の臀部にぐわしと鷲掴みに。

 

「―――ん? んん?」

 

 直感的に、何か違和感を覚る古城。それから、なんとなく確かめるように一度、揉む。

 柔軟性に富む筋肉質なのか、ハリがあってやわらかいお尻。だが、こう、鼻にくるものがない。

 

 しかし、それが何なのかを知る前に、その少女が後ろに回した両手が古城と痴漢野郎の手首を捉えた。

 がっちり、と万力のように力強く。

 

「ぐおぉぉっ!?!? いたっ!? なんだこの馬鹿力!!?」

 

 そのまま古城と中年男性ふたりを冬衣装の少女はそれぞれ左右の手で掴まえながら、電車内他の乗客の邪魔にならないよう、駅のホームまで引きずり出された。

 古城が、その吸血鬼で人並み外れた力を全力で抵抗を試みても、ギシギシと骨を軋ますだけで、全く抜け出せない。

 

「―――ん、痴漢現行犯二名入れ食いで確保なのだ」

 

 困惑する古城の耳元で、妙に聞き覚えのある声がした。声の主は先の痴漢に遭っていた少女のもののはずだ。見上げてみれば、かけている大きめの眼鏡の奥には純金に煌めく瞳。その褐色肌もあってよくその輝きは映える。ケープからあふれ出てる髪の色は金髪で、うっすらと化粧がされているのが何となくわかるが、どことなく見覚えのある顔立ちだ。

 

「お……おい、離せ! 離してくれ! 俺は痴漢じゃなくて、お前を助けようとして―――!」

 

「む。やっぱり、この“匂い”は古城君だったか」

 

 必死に釈明する古城は、その“匂い”という単語でようやくこの“少女”の正体に気づいた。

 遅れて、ホームに出てきた雪菜が、おそるおそると問いかける。

 

「おはようなのだ、姫柊」

 

「え、っと、もしかしなくても、クロウ君、ですよね?」

 

「おう。―――いや、違うぞ、今のオレは南宮クロウじゃなくて、クロミちゃんなのだ」

 

 と言っているが、元気よくクラスメイトに挨拶をするのは、“男子生徒”。まぎれもなく、古城の後輩で、雪菜の同級生の、南宮クロウだ。

 

「で、なにをやってるんだ?」

 

「お仕事だぞ。ここ最近、この電車で痴漢に遭う生徒が多いらしいからな。痴漢撲滅作戦、ずばり『赤ずきん作戦』なのだ」

 

 女装趣味に目覚めたわけではないのはわかっていたが、なるほど。

 

「赤ずきんと言うより、婆さんに化けたオオカミの方だけどな。それでその制服はどうしたんだ?」

 

「浅葱先輩にお願いしたのだ。作戦のこと話したら快くお古を貸してくれて、メイクまでしてくれたんだ。いっぱい親切にしてもらったぞ」

 

「そうか、浅葱が……」

 

 気風がよくて面倒見のいい浅葱の性格なら頷いてくれただろうし、この制服の着こなしに反して着慣れてない感はそういうことか。

 とはいえ、普通は後輩でも、自分の制服を異性の男子に貸し渡したりはしないものだが、このワンコな後輩は、花より団子派、女子よりケーキを楽しむという性格で、そういった意識がほとんどない。それは不快な視線に敏感で男嫌いな獅子王機関の舞威姫にさえも敵意を欠片も抱かせないくらいだ(古城は会うたびに睨みつけられるが)。おかげで、高等部でも先輩のお姉様方からペット的な人気があり、古城も個人的に色々と非常に安心している。

 

「それで、祭りの『女装男子によるミスター美少女コンテスト』ってやつに出るようにってエントリーされたんだ」

 

「あいつ、目的の趣旨がわかってんだろうけど、変な方向に気合い入れてんな……」

 

 金髪のかつらまでして……と半ば呆れる古城。

 かつては地味な黒髪の女子学生は、ある男子学生の何気ない一言でイメチェンして、ファッションに目覚めており、それがどことなく反映されている後輩の装いなのだが、それには気づかない。

 

「おかげで、3人はつれたぞ。古城君をいれたら、4人だったのだ」

 

 『赤ずきん作戦』は成果を出しているらしい。男子にしては小柄な後輩は、声を出すまでは古城も正体に勘付けなかっただろう。

 そこで、古城に対してむっと顔を作ってから、指を立てて注意。

 

「古城君、痴漢はダメだぞ」

 

「だから、違うっつってるだろ。押し出されたせいで触っちまったけど、本当はこの痴漢野郎を捕まえるつもりだったんだ」

 

「でも、しっかりと揉まれた気がするのだ」

 

「それは、反射的につい……」

 

 違和感を確かめようとして……と古城が言い切る前に、ドサッと物音。見れば、学生鞄と楽器ケースを落とした雪菜がショックを受けたように顔を青褪めさせて、悲鳴のような甲高い声を上げる。

 

「先輩、そんな……!?」

 

「待て、姫柊、冗談でもその反応は傷つくぞ!」

 

 割と真剣に抗議する古城。その誤解だけはダメ絶対。それなら、むっつりスケベと蔑まれて、痴漢冤罪にされる方がずっとましだ。下手にそんな噂が広まったら、あの血に執着する『戦王領域』からの全権大使の貴族が歓喜する展開になりかねない。

 

 して、これまでのやり取りに赤の他人でも悟ったのか、わなわなと衝撃の事実に震える中年男性。

 

「お、男の()……?」

 

「う。男の子だぞ」

 

 がっくり、と真実を知った中年男性は何かが折れたように肩を落とす。憐れとは思わないが、同情はする。……いや、ぶつぶつと小声で『これはこれでいい……』と新しい扉を開きかけている様子に、同情の余地はない。そうして拳骨を現行犯の頭に落としてあっさりと昏倒させた後輩は、その近づいてくる“匂い”に真っ先に気づく。

 

「ご主人! それに笹崎師父!」

 

「やっほー、またまたヒットしちゃって大人気ねクロミちゃん、それに姫柊ちゃんも一緒だったり。あと、そこにいるのは暁ちゃんのお兄さん?」

 

 クロウに続いて、古城と雪菜も挨拶をする。

 チャイナドレス風にコーディネイトされた装いで、赤髪をお団子にまとめてる若い女性は、彩海学園中等部の体育教師で、雪菜とクロウ、そして凪沙のクラスの担任の、笹崎岬。

 その後ろから、舌足らずでありながら、妙に威厳のある叱責が飛んでくる。

 

「やれやれ、目立つからあまり騒ぐな馬鹿犬大小」

 

 全身鎖でガチガチに縛られて、恐怖におびえる中年男性を引っ立てている、長い黒髪の女子生徒は、ただ今女装中の後輩の主である―――

 

「え?」

「……南宮先生?」

 

 そう、制服を着てそこにいるのは、南宮那月。彩海学園高等部の英語教師で、年齢は自称26歳。普通ならば、十代の制服を着こなすなど無理があるが、彼女は顔の輪郭も体つきもとにかく幼い。少女、あるいは幼女という表現がよく似合い、一応笹崎岬の先輩教師なのだが傍から見たら完全に保護者と娘。そんな構図に見られるのを嫌ってか、隣に立つとあっち行けと岬を追い払っている。

 

「もしかして、那月ちゃんか? なんだその恰好?」

 

「巡回だ。そこの力の有り余ってる小型犬の方の馬鹿犬はともかく、生徒を痴漢捜査の囮にするわけにはいかんからな。無理を承知で変装したんだ」

 

「いや、無理って……」

 

 どうやら、この数多くの魔族から恐れられている厚着主従は、今回限定で、女子学生の平穏のために、主従揃って、コスプレしているようだ。痴漢如きの取締りに投入するには、過剰戦力とさえ正直古城は思うが、中々よく似合っている(けれど、見た目幼女と中身男の娘にひっかかる痴漢野郎が結構いるとは、大丈夫なのか絃神島と心配になる)。

 

「クロウもだけど、全然違和感がないな……むしろ、中等部の方が似合ってるんじゃないか那月ちゃん」

 

「ほらほら、那月先輩。私の言ったとおりだったりしたじゃないですか。せっかくだから、このクロミちゃんと並んで、ペアルックにすればよかったのに」

 

「余計なお世話だ。そんなふざけた真似ができるか。だから、近づくんじゃない馬鹿犬大小!」

 

「うー、ご主人、鎖で叩くのは痛いぞー」

 

 鞭代わりに鎖を叩いて、半径1m圏内に近づくのを禁じる那月はふんと鼻を鳴らし、

 

「だいたい中等部の時の制服は残ってない」

 

「残ってなかった……って、笹崎先生の言ってることが本当なら、その制服、那月ちゃんの自前なのか?」

 

 衝撃の事実だ。

 しかしながら、小学生並の彼女の身長には、特注のものをわざわざ頼まなければならないだろうし、サイズがぴったりということは彼女の私物であることに違いない。

 そんな驚く担当生徒の反応に、那月は鬱陶しげに唇をゆがめる。

 

「どうして、この大型犬の方の馬鹿犬が先生呼ばわりで、担任教師をちゃん付けにする暁古城?」

 

「威厳と風格の差だったりして」

 

「撫でるな隣に立つな馬鹿犬大!」

 

「ご主人のカリスマはすごいぞ笹崎師父」

 

「だったら様を付けろ馬鹿犬小!」

 

 天上天下唯我独尊を地でいく那月だが、学生時代から先輩後輩である笹崎岬の相手は苦手にしていて、保護者として面倒を見ているクロウの相手には苦労している。なんとなく勝手にあちこち駆けまわったりじゃれついたりと元気の良過ぎる犬二頭の幉を引くが逆に引っ張り回されて手を焼いている飼い主のイメージが古城に見えた。

 とそんなじゃれ合いを眺めながら、古城は言う。

 

「まあ、とりあえず、俺たちはもう行っていいですかね。時間、そろそろヤバいんで」

 

「だったら、そこの後輩もつれていけ。これ以上、馬鹿犬ふたりも相手していられるか」

 

「そうねー学生だし。あ、クロミちゃんのまま登校しても担任としてOKだしたり」

 

「それは、ちょっと凪沙ちゃんが何と言うか……普通に似合ってるんですけどね」

 

 ぐっと親指を立てるポーズをとる岬に、同級生を想いやんわりと止めさせる雪菜。それをみて、深く疲れたように嘆息する那月。

 

「……保健室でアスタルテに制服を持ってこさせてあるから、教室に行く前に、着替えてこい」

 

「う。わかったのだご主人」

 

 ……そこで那月が、古城に読めない不思議な表情を浮かべる。いつもと少し雰囲気が違う、古い友人と再会した直後のようななつかしさと切なさが混じる微笑。

 けれど、それも一瞬で、いつもの不敵な笑みに変わっていた。

 

「もうすぐ『波朧院フェスタ』だが、週明けからは普通に再開するからな。あまり羽目を外して学業をおろそかにするなよ」

 

 

彩海学園 屋上

 

 

『なあ、バイトしないか? うちの町内会でオープンカフェやる予定なんだけど、店員の頭数が足りなくてさ。もちろんバイト代ははずむぜ』

『待て、古城! どうせ働くならうちのブースの売り子をやってくれ! 今なら特典で利益の一割……いや、二割をバイト代としてくれてやる』

『待て待て、古城! 『波朧院フェスタ』といえば、伝統のビーチバレー大会のことを忘れてないか。俺たちと一緒に爽やかな青春の汗を流そうじゃないか!』

『待て待て待て待て! 祭りの華といえばやはりミスコン。貴様には特別審査員席を用意した。だから当日は命に代えてもテティスモール前のイベントステージにくるんだ!』

 

 クラスメイトから、多々勧誘された古城。

 その目当ては古城ではなくて、それについてくる美少女後輩こと姫柊雪菜なのだろう。転校してから常に傍にいるせいでどうもセットと思われているのか、エビでタイを釣ろうとクラスの男どもが古城を引き込もうと躍起になっている。

 だが、そんなのに巻き込まれるのはごめんであり、古城には『波朧院フェスタ』を『友人』と一緒に回る予定がすでにある。

 そこへさらに高等部でも人気な『中等部の聖女』こと夏音、教会のシスターを思わせる銀髪の美少女が、退院報告と一緒に『今日の夜、お兄さんのお宅に泊りに行ってもいいですか?』と爆弾発言に、古城の教室は一瞬凍りつき、そして阿鼻叫喚。

 それから逃げて、夏音を中等部の校舎へと送りがてら、この中等部の屋上へと避難してきたわけだが、そこには先客がいた。

 校舎内でもメイド服な人工生命体アスタルテと、そして、真ん中に雪菜とクロウ。

 告白とか密会という雰囲気ではない。互いに屈伸とか柔軟をやっていて、何か運動をするように見えるが、

 

「……え、っと何しようとしてるんだお前ら」

 

「組手だぞ。師父風に言うと、散打なのだ」

 

 ここ最近、学校ではそのコートと帽子を装備しなくなった後輩が言う。

 槍こそ持ってきてはいないようだが、制服姿の雪菜もそれに首肯。

 

「はい。先輩といるといつも何かに巻き込まれますから。監視役として腕が鈍らないよう、クロウ君に私からお願いしたんです」

 

「別に俺がトラブルを起こしてるわけじゃないからな」

 

「先輩にそのつもりがないのは、わかってます。ですが、この『波朧院フェスタ』、高い確率で何か問題が起こる予感がするんです」

 

 直感の鋭い剣巫にそういわれると、閉口してしまう古城。

 そのつもりがなくても、第四真祖である以上はトラブルメーカーだ。常在戦場の構えでいなければならない。

 というわけで、始まった後輩同士の対決。たぶん、これは彩海学園中等部の頂点を争う試合となるだろう。祭りも始まっていないのに、これは見物なイベントだ。観客が二人なのはもったいないくらいだが、雪菜が剣巫というのを秘密にしているので仕方ない。

 獣化と武器なしの条件で、模擬戦闘であるものの、両者の雰囲気は真剣そのもの。それに雪菜の方もどこか動物っぽいせいか、二頭の狼が睨み合う、闘犬のようなイメージがある。

 どちらも実力は伯仲したものがあるだろうが、それでも古城は6:4くらいでクロウの方が有利と見ている。

 獅子王機関の剣巫の雪菜も素手で吸血鬼といった魔族を倒せるほどの実力者であるものの、国家攻魔官の助手をやってる後輩は素手で並の吸血鬼の出した眷獣を殴ってブッ飛ばしてしまうくらい滅茶苦茶な奴だ。

 

(ま。怪我だけはしないでくれよ)

 

 屋上に通じる扉に背もたれる古城を見張りに立たせて、両者は対峙する。

 

 

「ん。じゃあ、姫柊、適当にやってみるのだ」

 

 

 始まった―――けれど、中々、手は動かないものだ。

 巨体でもない、どちらかと言えば平均よりも小柄だけれど、どこからどう攻めてよいかもわからない。獣化もしていないのに並々ならぬ気配、難攻不落の要塞と言うか、反則とさえ思える。全くの素人の古城では、朝の痴漢冤罪に軽く捻られたと同じ目に遭うだろう。

 

「………」

 

 そんな少女の様子を、後輩はさして長考もせず、

 

「ほれ」

 

 屋上の砂利を蹴り立て、真っ向から迫る。

 ぐうん、と腕が唸る。

 細腕なのに、分厚い斧を思わせるラリアット。

 来るのはわかっていたが、あえて雪菜は躱さずに防御姿勢をとった。

 それを受けただけで、雪菜の手は骨まで痺れた。

 

「っく!」

 

 呻きを、こらえる。

 しゃがみ込みたくなる衝動を抑え、必死に後ろへ跳ねた。

 間合いを取る。相手の動きが見えるだけの距離。戦況を正しく把握し、整理し、利用するための距離。

 次の瞬間、雪菜が後ずさったのとほぼ同じ速度とタイミングで、クロウは詰め寄っていた。

 

「遅いぞ」

 

 尖った双眸がギラリと光り、その右手が消えた。

 五指を曲げたままの掌底が、雪菜へ追い打ちに放たれる。

 まともに直撃すれば、ほとんど肉をこそいでしまうような、暴力そのものの一撃。技術ではなく、純粋な筋力で圧倒するそれに、剣巫の身体は応戦しようとした。

 

「<若雷>っ!」

 

 襲い掛かる掌底を、手前に突き出した腕のねじりで逸らして、震脚。

 逸らしたエネルギーをそのまま利用。自らの体重移動(ベクトル)と地面からの反発力を螺旋状に変換。足の裏から膝を、膝から太腿を、太腿から腰を、腰から脊椎を辿って肘や拳の先まで伝播と増幅。俗に発勁と呼ばれる、エネルギーの利用方法。

 その己の魔力をも物理衝撃に加算させる『八雷神法(やくさのいかずちのほう)』の一手。

 しかし、

 

「苦し紛れに打っちゃ(クダキ)も半減なのだ」

 

 ご―――っ!

 陽炎のように一瞬ゆらりと揺れて、雪菜の打撃は、左手ひとつで受けられる。

 前回の天使事件で、女吸血鬼をも一撃で仕留めた対魔族近接戦闘術だが、あれは戦士ではない、槍の眷獣――『意思を持つ武器』の性能に頼った素人であったからだ。

 この相手は、強化された衝撃を弾く生体障壁に徹した衝撃をも殺す内力相殺――発勁と同じ気功術を反射的に使いこなせるほど功夫を積んでいる。

 

(足、払い!)

 

 一打を受け止めたままで雪菜の身体を強く押して、ごおっ、とクロウの身体が回転する。

 一瞬、背中を見せて、ぐるんと体を沈めながら大きな円を描く足―――後ろ回し蹴りめいた挙動を、雪菜は先読みして動く。

 押されてたたらを踏みつつ、片足で跳んだ雪菜の身体が、紙一重で足払いを躱す―――はずだった。

 

(逆立ち!?)

 

 体を沈めて右手を地面についた反動を先ほどの雪菜のとは逆の手順で、脊髄に通して足先にまで伝播させる、震脚ならぬ震腕。片腕一本で浮かす逆立ちの姿勢で、足払いの勢いそのままに腰を捻る。常識的な範囲で合理化を追求する獅子王機関の攻魔師だからこそ、その異常さがわかる。アレは人間の筋肉だけで行うにはあまりに無理があり、並外れた膂力を四肢だからこそできた芸当だ。

 

 ストリートダンスやカポエイラのような予測から急遽切り替えられたトリッキーな動作を、コンマ1秒遅れて認識する。

 そして、そのコンマ1秒が致命的。

 

 跳んでしまい無防備な雪菜へ、十分に狙い澄ました逆立ち上段回し蹴りが炸裂した。

 その威力たるや、爆弾に匹敵する。

 ガードが間に合っても、受け流すための足捌きや踏ん張りが利かせられない宙にある雪菜の体は無残に吹っ飛ぶ。

 ごろごろと屋上の地面を転がる。

 

「うおっ!?」

 

 背中が“何かコンクリートとは違うもの”に受けられて、やっと止まった。

 あまりの激痛に意識を失いかけた雪菜は、ハッと眼を見開いた。

 

「っつつ、おいクロウ、やり過ぎだぞお前」

 

 視線の先には、先輩の顔。

 たまたま彼のいる方に蹴り飛ばされた少女は、逆さの姿勢のまま、自分の尻と太腿で彼の頭をきっちり挟んでいる。運良く露わに垂れ下がっていないがそのスカートの中が彼の方からではまさしく目と鼻の先にあるだろう状況を確認して、ぴきっと固まった。

 

「大丈夫か、姫らっ―――「こっち見ないでください先輩っ!」」

 

 真っ赤なものを吹き散らす前に、変則三角締めで雪菜は古城を落とした。

 

 

 

「……クロウ、お前って、割と男女平等に容赦ない奴だな」

 

 と、試合した二人のために控えていたはずのアスタルテに看護されながら、首が30度ほど傾いている古城は顔を真っ赤にさせてるもう一人からは視線を外して、まずは男子後輩に感想を述べる。

 <洋上の墓場>でも、煌坂を殴り飛ばしていたし、クラスで姫と崇められてる姫柊も蹴り飛ばすとは恐れ入る古城だ。

 

「ご主人から女には優しくしろとは言われてるけど、戦いに男も女もないのだ古城君。だいたい、オレの周りはどちらかといえば女の子の方が強いのが多いぞ」

 

 言われてみれば、古城も納得して頷く。

 あの<蛇遣い>のヴァトラーを除けば、これまでクロウとまともに打ち合えたのは、ロタリンギアの殲滅師オイスタッハに黒死皇派の残党ガルドシュと<模造神獣>に改造されたキリシマの3人。

 対して、<空隙の魔女>と魔族に恐れられてるという南宮那月に、クロウの師父である<四仙拳>のひとり<仙姑>笹崎岬、それに獅子王機関の剣巫の姫柊雪菜に舞威姫の煌坂紗矢華、それから<薔薇の指先>を寄生させた人工生命体アスタルテに個人精霊炉のラ=フォリア王女と『仮面憑き』や<模造天使>の叶瀬夏音もいれるとなると、女性が多い。

 

獅子(ライオン)は、雄が群のリーダーだけど、実際に狩りが上手なのは雌だからな。別に不思議でもないのだ」

 

 どこか説得力のある野生の理を展開する後輩。

 どうやら古城の周りは女性が強い社会のようだ。

 

「姫柊は強いからな。油断してるとやられるのだ」

 

「ええ。それぐらいでないと訓練にはなりません。それに、私から相手してほしいと頼んだんですから、これくらいは、高神の社ではよくありました。むしろ、優しいくらいです」

 

 タオルを、地面を転がった際にできた掠り傷に当てながら雪菜も同意する。

 あれだけ動いたというのに、息ひとつ切らしていない。微かに肌が汗ばんでいるぐらいだろうか。それも常夏気候で陽射しの厳しい屋上でなのだから、相当な体力。

 雪菜より激しく動いていた後輩もまったく。訓練された剣巫以上に並外れた体力のようだ。

 

「しかし、やっぱり強いですねクロウ君は。昔、紗矢華さんと一緒に武術教官だった<四仙拳>のひとりに稽古をつけてもらったことがありますが、その時は二人がかりで掠らせることもさせてもらえませんでした」

 

「うーん。オレも笹崎師父に“過適応(はな)”にばかり頼るなーってよくいわれるけど、姫柊も“霊視()”に頼り過ぎなのだ」

 

 それは理解してる。

 雪菜は誘導されていた。常に一手先を読んでる相手を動かして、隙を作るよう反応を操っていた。

 

「『剣巫は剣にして剣にあらず、巫にして巫にあらず―――未来(さき)()て流されるだけでは半人前』、と師家様からよく言われてました。反省です」

 

「ま、実戦だったら、最初にあんなまともに受けるとは思わなかったけどな。あれはオレもちょっとびっくりしたのだ」

 

「訓練ですから、色んな事態を想定して、あえて初撃は受けてみることにしたんです。クロウ君なら人並みの加減ができると思ってましたし」

 

「う。そっか。オレも姫柊の技には興味があるから、組手が楽しいぞ。師父以外で、こんなにできるとは思わなかったのだ」

 

「私も、高神の社以外で同年代を相手にここまで稽古ができるとは思いませんでした」

 

 そうして、反省会を終えた後、また組手を始める二人。

 それを見ながら古城は、少し、部活に入っていたころを思い出す。

 ワンマンエースでチームをとにかく引っ張っていた古城だが、切磋琢磨できる相手がもしいたら、何かが変わっていたのだろうか。もしかしたら、高校に入ってからもバスケをしていたのかもしれない、なんて、どこか未練がましい考えに古城は自嘲するように鼻を鳴らした。

 と、

 

(そういや、あの那月ちゃんも、学校で競い合える相手なんていたのかね)

 

 

 

「………にゃー! っとこれが壬生の秘拳『ねこまたん』なのだ! どうだ、姫柊」

 

「―――全っ然ダメです。ふざけてるんですかクロウ君? 『ネコマたん』は、もっと猫らしい、そう可愛らしさがありました!」

 

「むぅ、ちゃんと猫らしい動きができてると思ったのに、それに可愛らしさって必要か?」

 

「一番必要不可欠です! そんな技名にしたんですから一切のおふざけは許しません! いいから、クロウ君、もう一度、気の練り方からやってみてください」

 

「う、なんか逆らっちゃダメな姫柊になってるぞ」

 

「ク・ロ・ウ・君?」

 

「わ、わん!」

 

「違います! 返事はにゃんです!」

 

「にゃ、にゃん!」

 

 

 

「予定。あと5分で昼休み終了のチャイムが鳴ります」

 

「……おまえら、途中からほんとに何をやってんだよ?」

 

 

人工島南地区 マンション

 

 

「あ、あの。すみませんでした、皆さん……私なんかのためにこんな」

 

 大変恐縮ですと人見知りなせいか小動物のように身を縮こまらせるのは、叶瀬夏音。

 透き通るような銀髪に、水宝玉(アクアマリン)の瞳に白皙の美貌は、近寄りがたいほどの神々しい気品を放ち、その優しげな雰囲気も相俟って、まさに“聖女”と呼ぶにふさわしいだろう。

 

「何言ってんの。今日は夏音(かの)ちゃんが主役なんだから」

 

 そんな彼女に力づけるよう、ひときわ明るい声を出すのは、暁凪沙。雪菜と夏音と同じ中等部の3年生で、古城の実の妹。体つきや顔立ちは、同年代の女子よりも子供っぽい印象を受けるが、全体的にできの良い妹といえるだろう。それなりに可愛らしい顔立ちに、それなりに優秀な成績、そして、家事も器用にこなすので非の打ちようがないとも思うが、やたらしゃべり好きで口数が多いのが欠点。とはいえ、それも誰かを不快にさせることはない。

 今回の宴の料理も、ほとんど彼女がせっせと調理したのだ。

 

「ほら、食べて食べて。このサラダ、自信作なんだ。クルミとピーナッツとゴマを使った自家製ドレッシングだよ。こっちは棚屋の絃神コロッケ・デラックス。そっちが凪沙特性レッドホットチリビーンズ・グランドフィナーレ。もうすぐハイブリッドパスタも茹で上がるから」

 

「あ、ありがとう凪沙ちゃん」

 

 暁兄妹の自宅の704号室で、叶瀬夏音の退院祝い。『波朧院フェスタ』の前夜祭の前日――クリスマス・イブイブのような前祝も兼ねているのか、藍羽浅葱や矢瀬基樹、それに築島倫といった夏音とはあまり付き合いのないはずの古城のクラスまで肉食料やパーティグッズを持参して参加して、開始のクラッカーを派手に鳴らして、大いに盛り上がってる。

 ……ただし、

 

「おー、美味いなこれ。流石凪沙ちゃん。また腕を上げたんじゃない」

「ほんとね。古城の妹にしとくのはもったいないわ」

 

「なんで叶瀬の快気祝いに、お前らまでいるのが疑問なんだが。……それで、俺の分の皿と箸は」

「つーん」

 

 夏音に凪沙、雪菜と同級生組に、古城、浅葱、矢瀬、倫で、全員で7人。

 けれど、テーブルに並べられた取り皿とお箸は、6人分で、古城の前だけない。

 

「……で、古城、あの後ちゃんと謝ったの?」

 

「いや、あれから中々顔を合わせてくれなくてな」

 

 視線を向けて妹にそっぽを向かれてる古城に、浅葱と矢瀬はやれやれと息を吐いた。

 

「何やってんのよあんたはもう」

 

「浅葱だって、この前約束破った詫びってことでケーキバイキング俺に奢らせたじゃねーか」

 

「そりゃ、あたしも知らなかったとはいえ悪いとは思ってるわよ。でも明らかに悪いのは古城でしょ。折角、凪沙ちゃんから誘ったのに、クロウを口車で丸め込んで同伴したのは」

 

 そう、前回の事件で、侘びとして妹にケーキバイキングをご馳走することになった後輩だが、“たまたま”その店にいた古城が相席してから、大変凪沙の機嫌がよろしくない。朝も起こされなくなったり、食事のおかずも一品減らされたりしてる(それでも目覚ましはかけていてくれて、朝夕のきっちり用意はしてくれてる)。

 

「……別に、二人きりで行くって決めてたわけじゃねぇだろ?」

 

「あんたねぇ。そういう屁理屈は小学生までしか通用しないわよ」

 

「んで、古城、そのケーキバイキングで貸したお金はいつ払えそうなんだ?」

 

「今月も最終週だし、そろそろ来月分の小遣いがもらえるはずなんだが……」

 

「もらえそうなのか、あれ」

 

 矢瀬に促されて、古城はもう一度、雪菜と夏音に挟まれて、こちらをじーっと半目で見てた凪沙に視線を送る。

 

「つーん」

 

 思いっきり、そっぽを向かれた。

 

「ダメっぽいなありゃ」

 

 しばらくすれば、機嫌が治ると思っていたが、矢瀬の言うとおり。

 普段ならばその途切れることのない口数の多さで言いたいことを出し切ったら、それで後腐れなくすっきりする性質(たち)なのだが、それさえもない。

 古城も浅葱たちに言われるまでもなく、無礼な働きをしたとはわかっている。妹にもそうだが、後輩には卑怯にも騙すような真似もしたと思っている。

 それでも、古城にはその行為を止められなかった。

 ふぅ、と深呼吸するように長く息を吐いてから、古城は席を立つ。

 

「わり。ちょっとコンビニ……じゃなくて、るる屋のアイス買ってくる」

 

 まずはお詫びの品を用意しよう。二人分。

 

 

道中

 

 

「―――お兄さん」

 

 道中、控えめな声で呼びかけられた古城は振り向くとそこにパーティの主催であった夏音がいた。

 

「あの、私も一緒についてってもいいでしたか?」

 

「……叶瀬? どうしたんだいったい」

 

 困惑の視線を向ける古城に、夏音は真面目な表情で頷いて、

 

「二人きりで少しお話がしたくて、パーティを抜け出してきました」

 

「話?」

 

 古城が歩行のペースを落とすと、夏音は少し照れたようにはにかんで、その隣までちょこちょこと駆け寄ってくる。そして再び神妙な顔つきになって続ける。

 

「お話というのは、<模造天使>のことでした」

 

 ―――天使化していた間の記憶があるのか?

 

 夏音の口からその単語を聞いて、古城の表情は自然険しくなる。

 人より上の存在へと霊的進化するために『蠱毒』の応用で“殺し合い”が強要された非道な魔術儀式。

 それから夏音を救い出せた古城だが、そんな一歩間違えればこちらも死んでいたかもしれない過酷な状況を無理に思い出せる必要はなく、それを夏音に伝えるつもりはなかった。夏音も<模造天使>の間の記憶を失くしていると診断されていたそうで、むしろ好都合であった。

 なのに、それをいまさら彼女が古城に問い掛けるということは……

 

「か、叶瀬……あのな……」

 

「お礼を言いに来たんでした。覚えてます。お兄さんと雪菜ちゃん、それからクロウ君が私を助けてくれたこと」

 

 え……? とその告白に古城は息を呑む。

 

「全部、那月先生から聞きました。父様の研究も、お兄さんの正体のことも」

 

 <模造天使>の実験に関与していたとして夏音の父親であった叶瀬賢生は、この街の警察組織に収容されて、現在は南宮那月が彼女の後見人となった。

 その後見人の口からすべての真実が夏音に語られているというのなら、彼女は古城の正体を知っているということになる。

 

「お兄さんは正義の味方だったんですね」

 

 とどこか憧れの篭った口調でそれを言う夏音に、はぁ? と古城沈黙。

 何を言っているのかさっぱりとわからないけど、しかし夏音は至って真剣な口調で、

 

「那月先生がそう言ってました。お兄さんは悪の組織に捕まって改造された魔法戦士で、絃神島の平和のために人知れず働いているのでしたね」

 

 あ、あのチビッ子は……! 吸血鬼だってことは言わなかったけど、他にもっと上手い言い方ってのがなかったのか!?

 

 どうしようもない虚脱感に、古城はがっくりと肩を落とす。

 きっと途中で考えるのが面倒になって適当に言ったんだろうが、それであのカリスマ幼女教師は、この純情な聖女を納得させてしまったらしい。まさに、魔女だ。

 

「……あのさ、叶瀬。今の話、凪沙には黙っててくれないか」

 

 弱々しい声で古城は切実に頼む。

 改造人間と誤解されるのと、吸血鬼だとばれるのとどっちがマシだろうかと一瞬真剣に悩んだが、やはり後者は妹にはまずいのだ。

 そんな古城の声を聞き届けてくれたか、夏音は大きく顎裏が首に付くほど頷いてくれた。

 

「わかってます。正義の味方の正体は家族にも内緒でした」

 

 どこかおかしくもある答えであるも、とりあえず古城は安心して深く胸を撫で下ろして息を吐く。

 

「そういや叶瀬、大丈夫なのか? また退院したばかりなんだろ」

 

「はい。体の方はもう元気でした。那月先生にも許可をいただきました」

 

「そうか、よかった」

 

「はい。アスタルテさんもよくしてくれますし、クロウ君も良く気遣ってくれてます」

 

 夏音の答えに、古城は安堵の笑みを洩らした。どうやら新しい住居での暮らしも、結構上手くいっているらしい。

 にしても、

 

(クロウは人の心に敏感な奴だと思うんだが、凪沙のことには気づいてなさそうなんだよな)

 

 きっとそれだけ、この日常にいっぱいいっぱいなのか。それともまだそれを知らない純朴なのか。

 

 そう、“誰かのように”大きな力がありながらどこか世間知らずで放っておけず。

 ひとりでは背負い消えないような過去と“血”に縛られる運命があって。

 それでも、“凪沙を命懸けで護ろう”としてくれた―――

 

「―――っつ!?!?」

 

 突然の頭痛――古城がその過去を思い出そうとすると生じるそれが唐突に苛ませる。

 

(なんでだ!? アヴローラ(あいつ)のことを思い出そうとしてないのに!? それに凪沙を護ったってそれは―――)

 

「―――お兄さん!? 大丈夫でしたかお兄さん!?」

 

 心配するその声に引っ張られるように古城は深く沈んだ思考から意識を浮き上がらせる。

 気づくと横断歩道を渡っている途中で蹲っていて、それを夏音が脇から抱くように身を寄せている。

 古城は一度息を吐いてから、大丈夫、と夏音の肩を叩いて、信号が変わらぬうちに急いで渡る。

 

「すまん。ちょっと、いきなり立ちくらみがしてな」

 

「そうでしたか。大丈夫そうで、よかったでした」

 

 ほっと胸を撫で下ろす夏音を見つめながら、そっと古城は額に手を当てた。

 一瞬、“何か”と後輩が重な(ダブ)った映像を消えないうちに掴みとろうとするように。

 

 

海岸沿いの道路

 

 

 もうすぐ外から大勢の人が来る『波朧院フェスタ』。

 だけれど、今宵はまだその前日。『魔族特区』は、まだ外から無関係のものの立ち入りを禁じられている。

 それも海港空港といった正規の玄関口を通っていないのならなおさら。

 

 海岸沿いの道路。

 護身用の魔方陣が刻まれた盾を持った機動隊を展開させる特区警備隊の密入国阻止部隊。

 その『外敵の排除』という任務の性質上、強力な武装と豊富な実戦経験で知られた精鋭たち。

 それが今、包囲するのは、二人の二十歳前後の女性。

 

「相変わらずここは醜い街ね、お姉様」

 

 異国の踊り子を連想させる露出度の高い衣装。男の視線を挑発するガーターストッキングに、そして、魔術師のローブを思わせる、長い頭巾。それらすべてが血のような緋色で統一されている。

 前から見れば娼婦、そして、後ろから見れば尼僧のように見える。けれど、放っている雰囲気は禍々しい―――魔女のもの。

 

「ええ、本当に」

 

 同じく、もうひとりも艶めかしく、嘲笑う。

 魔女の代表的な象徴である、鍔広の三角帽子にマント、それにボンテージ衣装のような黒革のライダースーツを身に纏う衣装は、裸よりも扇情的に体のラインをくっきりと浮きだす。

 そして、緋色に対して、彼女は喪服のような漆黒で統一されている。

 

 そんな緋色と漆黒の魔女が、夜の海面を悠然と歩いて、絃神島の大地へ堂々と踏み入ろうとしている。

 

『侵入者に警告する。貴君らは『魔族特区』の管理区域を侵犯している。これより特区治安維持条例に基づき身柄を拘束する。ただちに魔術障壁を解除し、我々の誘導に従え』

 

 特区警備隊を率いる分隊長からの警告。

 しかし、その海辺の大気を震わせる拡張器からの発生にも、まるで意に反さず、逆に気だるげに嘆息する。

 

「興醒めですわね、お姉様」

「10年ぶりに私たちが帰還したのだから、もっと華々しく出迎えていただきたいものだわ」

 

 構わず。

 警備隊長の警告を無視して、上陸。そして、市街地へと足を向ける。

 

『10秒間だけ待つ。これは最終警告である。従わない場合は、実力をもって拘束する』

 

 隊長からのハンドシグナルで、隊員たちは獣人すら無力化する大口径の呪力弾や琥珀金弾を装填した機銃の安全装置(セイフティ)を解除する。

 だが、そんな緊迫とした警備隊に反して、魔女たちは依然余裕を崩さず、その嘲笑をより冷やかに温度を下げていく。

 

「愚民どもが騒々しいこと」

「せいぜい愉しませていただきましょう」

 

 10秒後。

 警備隊長は、同じ人間に対する僅かな躊躇を、瞬きほどの瞑目で捨て去った後。無感情な挙動で振り上げたその手を下した。

 

『撃て!』

 

 雷鳴の如き音と光を散らした、一斉掃射。大地を揺るがすほどの衝撃音が止んだころには、たとえ障壁で身を護っていたとしても彼女らの身体が粉々に粉砕されているだろう。

 だが、特区警備隊の前に、魔女たちの肉体は依然と人の形を保っていた。

 その傍に、銃撃から盾となった“なにか”を侍らせて。

 

 ぶじゅり、という柔らかい音が聴こえた。

 足元からだ。

 

「……、」

 

 警備隊長は無言で、自分の靴がある辺りへ目をやる。

 おかしなものが広がっていた。

 海に接してる道路から特区警備隊が陣取ったそのフロート、そこは基本的にステンレス製で、浮き輪と同じで中に空気を閉じ込めることで浮力を確保するため、サイコロ状の塊をいくつも連結させることで、隙間ない平らな陸地を作り出す。

 ゴミ置き場などに利用されてる増設人工島(サブフロート)を小さくしたものをいくつも並べて簡易的な足場にしていると考えていい。

 その硬いステンレス製の表面に、脈打つ血管のようなものが走っていた。

 警備隊長の足は、くるぶしの辺りまで沈み込んでいた。硬い地面が、溶けたチョコレートのように輪郭を崩し始めている。

 

「……な、ん……?」

 

 疑問が口に出る。

 だがそれを理解するより早く、それはその足元から突き破って表れた。

 

 

 ぞるり、と。

 

 

 何か、腐った腕のようなものに警備隊長の身体は舐めるように撫でられた。

 

「仮にも『魔族特区』を名乗る都市の住民が、この程度の使い魔で驚かないでいただきたいわ」

「それは無理な注文というものよ、オクタヴィア。あの礼儀知らずの小娘が住んでいるような街ですもの」

 

 警備隊のしかに飛び込んできたのは、腕なのではなく、もっとおぞましい、その胴体の太さが最低でも直径1mは超えてる半透明の蛇のような触手で、不快を催す粘液に包まれている……

 

「そうね、お姉様。ならば彼らには自分たちの血で、この薄汚い街を精々美しく飾ってもらいましょう」

 

 緋色の魔女がいつの間にか広げていたその本に掌をあてる。描かれた文字が発光し、膨大な魔力が溢れ出す。

 

 直後。

 ぴたりと隙間なく敷き詰められた、サイコロ状の基部構造を内側から引き裂くようにして、おぞましいものが大量に噴き出してきた。それは躊躇なく、特区警備隊を暗い海に引き摺りこもうとして―――

 

 

 

「―――壬生狼(みぶろ)一番隊隊長。局長代行で援軍に只今推参! なのだ」

 

 

 

 翼のように少女の背中から広がった半透明な巨人の腕が触手を掴んで阻み、その間に、疾駆する銀影が警備隊を横合いからまとめて掻っ攫っていく。

 

「照合完了。人工島管理公社の犯罪者登録情報(クリミナル・データバング)に記録されていた術紋と一致。高確率で一級犯罪魔術師『メイヤー姉妹』と推定。所属は<図書館(LCO)>第一類『哲学(フィロソフィ)』」

 

 <薔薇の指先>を展開させたまま、その露出度高めなメイド服の少女は機械にのように淡々と。

 藍色の髪に青い瞳。完全に左右対称の人工的な美貌。人の手によって工業的に生み出されて、眷獣を寄生された人工生命体の娘、アスタルテ。

 そして、警備隊を回収してその隣に立つ、新たな蒼銀二色のコートを羽織る銀人狼………はちょこんと首を傾げて。

 

「? 結局、何なのだ、あの“おばさんたち”は」

 

 あまりのその純粋な反応に、思考がストップしてしまった魔女、メイヤー姉妹は、しかし、すぐ、ブッチィッ! と血管が切れたのではないかと思うほどその形相を歪ませる。

 けれど、そんな純粋な反応に慣れてる人工生命体は、銀人狼の穴だらけな知識を可及的速やかに埋めていく。

 

「『メイヤー姉妹』。かつて北海帝国領アッシュダウンで危険な魔術儀式を敢行し、その州都ひとつを消失させる巨大災害を引き起こしたことから、<アッシュダウンの魔女>と呼ばれる国際魔導犯罪者」

 

「うーん。つまり、すっごく悪い魔女なんだな」

 

「肯定」

 

 アスタルテのように眷獣を寄生された人工生命体という例があるも、通常、眷獣に匹敵する強大な使い魔は、召喚すればたちまち術者の生命力が枯渇して絶命する――人間が使役できるレベルを超えている。

 しかし、何事にも例外というものが存在する。

 人間でありながら、高位の吸血鬼に匹敵する強大な魔力を得る方法、己の魂と引き換えに、悪魔の力を与えられたもの

 

 すなわち、魔女―――

 

「ご名答。私たちのことを、ちゃんと知ってる女の子は偉いわ。ホント、死体にしたら映えそうな綺麗な娘ね」

「けど、そのケダモノはダメね。この偉大なる魔女を侮辱した罪、許しがたい。串刺しにして臓物をばら撒いて殺すわ」

 

 そして、<図書館>は高位の魔導師、そして魔女だけで構成される巨大犯罪組織。

 構成員は数千人規模で、『図書館』の通称に相応しく、強力な魔導書を多数有している。

 そして、メイヤー姉妹は、その<図書館>でも有数な武闘派。強力な魔女を相手に、数で対抗するのは愚策であり、特区警備隊が束となってもかなわない。同等以上の実力をぶつけるしかないのだ。

 そう、“『旧き世代』の貴族”や“獅子王機関の剣巫”クラスでなければ撃破できない。

 

「そうか……あいつら魔女か、ふむ―――」

 

 そのとき、“魔女”、という単語に、銀人狼の警戒は“最大限近く”にまであがった。

 

「そんなに強そうには見えないけど……アスタルテ、『連携』の準備だけして、ちょっと下がってろ。皆を頼む」

 

命令受託(アクセプト)

 

 その直感との齟齬に戸惑いながらも、銀人狼は緋色と漆黒の魔女姉妹の前に出る。

 

「飛んで火に入るムシケラね。自分から生贄になりに来たわよ」

 

 嘲笑する漆黒の姉エマ。そして、緋色の妹オクタヴィアは、その手の魔導書を起動させる。魔道書『No.193』―――過去に『アッシュダウンの惨劇』を引き起こした、忌まわしき書物。

 

「モナドは窓を持たず、ただ表象するのみ―――!」

 

 緋色の魔女の詠唱に反応して、魔方陣から瘴気の霧が噴出し、その霧が、再びあのおぞましい触手の姿へ変わる。その姉妹の色が混じるように漆黒と緋色の斑模様の触手だ。

 

 魔導書からの魔力の供給を受けて、今や魔女が契約した悪魔――<守護者>の触手は特殊な属性を帯びている。

 『No,193』の能力は『予定調和』。如何なる攻撃も<守護者>を傷つけることはできず、如何なる防御も<守護者>の攻撃を防ぐことはできない。

 

 そして、魔女の<守護者>は際限なくあふれ出てくる触手―――

 

「ん。この“匂い”は、“森”か」

 

 ―――ではなく、“枝”。

 そう、これは軟体動物ではなくて、植物。

 かつて、このメイヤー姉妹は一夜にして300Haを超える巨大な森を消失させた事件を引き起こしたが―――その失われた森の木々全てが、悪魔の眷属として怪物化させたのが、この“触手(えだ)”の正体だ。

 

「ねぇ、お姉様。この獣人(ケダモノ)をあのイヌを飼ってる<空隙の魔女>――ナツキが見ただけで失神してしまうような、素敵なオブジュにしてみない」

 

 巨大な鞭と化して伸びた“枝”が、銀人狼めがけて叩き落とされて―――銀人狼の姿が消えた。

 

「あら、あっさりと消し飛んじゃったわ。残念」

「―――っ!? 違うわオクタヴィア! これは、透明化! それも私たちの目をかいくぐるほどの相当な軍用迷彩だわ!」

 

 銀人狼が羽織っていた蒼色と銀色で彩られる法被(コート)の表面にはびっしりと難解な魔方陣が刻み込まれている。

 長い歴史と優れた魔導技術で知られた北欧アルディギアからお礼の品として贈られた極めて高度な魔導装備。

 彼の北欧の龍殺しの英雄が着たという<タルンカッペ>をモチーフにしたそれは、身を包んだ者の力を増強し、同時にその身体を見えなくさせる。

 

「ちっ、魔術もできない獣人のくせに、よくも魔女である私に恥を! 見えなくたって、関係ないわ! ここら一帯滅茶苦茶にすればいいんでしょ!」

 

 さらに魔力を送り込んだ魔導書の文字の不気味な輝きは増して、数十の“枝”が緋色の魔女の周囲から突き出てくる。

 これだけ多くの“枝”を、攻撃無効に防御無効の魔術強化(エンチャント)をするには、尋常ではない量の魔力が必要だが、それを可能とするのが、悪魔の加護を受けた魔女の力だ。

 特区警備隊の対魔族弾の一斉掃射でさえ余裕で耐え抜く怪物が、のた打ち回るように暴れる。そのたった一撃でももらえば終わる、打鞭の嵐の中へ、それはいく。

 

 

「―――オレを舐めてるな。森を駆け抜けるのは得意だぞ」

 

 

 展開された八方塞りの“森”の枝一本にも触れることなく、木々を躱して移動できるのなら―――

 特区警備隊が見えていたところで避けることのできないほどに錯綜した“森”を、枝一本も掠らずに活動が可能だという―――

 そんな、仮定が成立するというなら。

 そんな、机上の空論が実現するというなら。

 

 『予定調和』の結界は、空間制御系の魔術以外はほぼ完全に遮断する。しかし、もちろん例外はある。光や重力、大気といった最初から自然界に存在し、術者が脅威と認識していないものに対しては、結界は侵入を防げない。

 銃撃の弾丸もそれは自然界にとっては本来あるべき調和の外れた異物だからこそ、その結界を超えることはできなかった。

 

 だが、今の銀人狼は術者に姿を認識させず、また自然の“匂い”に溶け込んでいる。

 

 

 ドゴンッ!!

 

 

「ッ……!!」

 

 見えなかった。その全体を見渡せる間合いまで離れていた漆黒の姉には何も。

 “森”を速攻で突破した銀人狼が攻撃の瞬間だけ残した残像以外、何も。

 

「―――ぐほぼばはぁぁっっ!?!?」

 

 緋色の妹が、脇腹に砲弾でも直撃したかのような勢いで、真横へ水平に吹っ飛んだ。

 

「オクタヴィア!?」

 

 それは水切りのように向こう海面を数度跳ねて彼方へと飛んでいき―――ぽちゃん、と沈む。

 そして、これは吸血鬼の眷獣にも当てはまることだが、宿主の意識が失ってしまえば、魔力の供給が途絶えて、膨大な魔力の塊である眷獣はカタチを保てなくなる。つまり、このような相手は、強力な使い魔を壊すのではなくて、それに護られている主を倒す方がはるかに効率的だ。緋色の魔女が召喚していた<守護者>も霞となってその姿を消す。

 

「………んん? 牽制のつもりが当たっちゃったぞ? 思った以上に手応えがない、ご主人と同じか? いや、でもちゃんと感触があったし……??」

 

 何か戸惑うような声が聴こえた。

 

 ―――近くにいる!?

 

 漆黒の魔女はすぐさま己の魔導書を取り出し、ページを開いて掌をあてる。

 姉妹同じ悪魔に契約した漆黒の姉は、緋色の妹と同じ、漆黒と緋色の“森”を召喚。

 それにあらゆる攻撃を無効にする『予定調和』の魔術強化を施して、それで一切の侵入を許さぬよう隙間なくその周囲を巻かせて、繭のように魔女を包む壁を作る。

 緋色の妹とは違い、術者を狙ってくる相手に、まずは徹底した防御網を敷く―――

 

「術者を狙うなんて卑怯者め! けど、オクタヴィアのようにはやられないわよ!」

 

 ヒステリックな悲鳴じみた声で魔女は叫ぶ。

 

「オマエらに卑怯も何もないと思うんだが、なるほど、時間稼ぎだな。でも、させないぞ」

 

 透明化を解いて、その姿を晒した銀人狼が、後衛にいる人工生命体の少女に向けて、その左腕を掲げて、呼ぶ。

 

「アスタルテ!」

 

「―――付与せよ(エンチャント)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>」

 

 人工生命体の少女の声とともに、繋がっている半透明の巨人の腕を形成する魔力をほどき、その糸のラインが銀人狼の左腕に巻くように集っていく。

 

 銀人狼の指先で、爪が淡い輝きを放つ。

 解かれて糸となった魔力(におい)を掻き集め、その“皮を纏う”。

 それは、原理とすれば、アルディギア王女が行った<疑似聖剣>と同じ。

 しかし、それは、その魔性の属性を秘めている、聖拳ならぬ、虹の巨人の腕を纏う魔拳である。

 宿る。

 左腕がどんどんと熱くなる。

 今こそ銀人狼の指先に、その眷獣に等しき魔力が宿る。

 

 雷光の獅子に主と認められた<第四真祖>は、眷獣の恩恵を得て、その手に雷撃の球を出せるようになったという。

 そして、<薔薇の指先>は、あらゆる魔力と結界を断つ<雪霞狼>と同じく、『神格振動波駆動術式』を展開する。

 <嗅覚過適応(リーディング)>の吸引側(パッシブ)の応用により、それが眷獣を物理的に破壊するほどの膂力を秘めた『獣の皮を被る者』の豪腕に宿るとすれば。

 

 

 ―――<守護者>の“森”の防護が、木端微塵に弾け散った。

 

 

 有り余る銀人狼の膂力に、半透明の巨人の眷獣の腕が強化外骨格のようにさらに強化し、そして、『神格振動波駆動術式』の属性が重ねた魔拳。風圧だけでステンレス製のフロートを破壊し、その直前に魔導書を開いていた魔女をよろめかせて、尻餅をつかせた。

 

「なっ……」

 

 悪夢のような光景だった。

 人間の魔術師が操る使い魔の中でも、魔女の<守護者>は別格だ。<守護者>とはすなわち悪魔の化身であり、並の吸血鬼となら、互角以上に戦える。魔導書による援護があれば、『旧き世代』の吸血鬼に対抗することもできると言われている。その<守護者>がひとたまりもなく粉砕されたことで、漆黒の魔女は完全に戦意を喪失していた。

 なのに。

 

「あ……ああぁ……あ……いや……」

 

 妹を吹き飛ばされて、使い魔も一撃で粉砕された魔女へ、銀人狼はさらに油断なく構え直し、再び、その姿を周囲と同化させて透明とする。そして、じっと見る。もう何もできない相手の出方を窺うように。

 

「……ほら、時間の無駄だぞ。早くするのだ」

 

「な、なにを……何をしろっていうのよ……!?」

 

 痛み、恐怖、焦燥。歯の根も合わせられぬ漆黒の魔女に、あっさりと銀人狼は言う。

 

「まだ終わりじゃないんだろ。次の手札を見せるまで、迂闊には近づかないぞ」

 

 何を言ってるのこの獣人は……?

 

 理解不能だ。

 完全に決着はついている。止めの一突きさえもう要らない。この魔女はもう、意識があるだけなのだ。魔女は普通の人間のように怯え、震えているだけなのだ。

 だが、銀人狼の口ぶりも、冗談を言っている素振りではない。むしろ、自分こそが劣勢にあるかのように、いつにもまして緊迫とした雰囲気を発している。

 

「オマエ、魔女なんだろ」

 

 その声は、震えていた。

 

「殴っても殴っても空気のようにまったく手ごたえがないし、殴っても殴ってもまた現れるのだ。どんなに縛り上げようとしたって、そこからあっさりと抜け出しちゃうし、今いない赤いのもまた出てくるんだろ……!」

 

 理解。

 アスタルテは彼の言葉の端々から、その齟齬の意味を掴んだ。教官――南宮那月が主であるからこそ、“魔女という存在を勘違いしている”のだと。

 本体に殴撃しても物理衝撃が通じない。拘束しようにも違い場所に転移する。どれほど速く動こうにも、釈迦の掌の上で踊らされた斉天大聖のように、先回りされる。

 ―――そういう存在をアスタルテは聞いたことがある。

 けれど、それは―――それは、この絃神島で五指に入る<空隙の魔女>と呼ばれた大魔女の話。大人数でようやく行使できるはずの空間制御を呼吸するようにこなす、世界でもこの上ない、魔女の最上位クラスの話。だからこそ、この最上位の魔女が縄張りとしている絃神島には、10年前から、他の魔女が寄りついてこないこず、唯一、その<空隙の魔女>との一度きりしか魔女と対決したことのない先輩は、魔女という存在の基準を、あまりに高く設定しすぎている。

 欧州で魔族を大虐殺した最高位の魔女と殺し合いを演じて尚、生き延びているというのに、それもまだ子供のころにだ。しかし、だからこそ、普段は意識していないにせよ、敵に回った時のそれがトラウマとなっているのかもしれない。

 だからこんな状況でさえ、まだ警戒し、怯えている。

 

「あなたは……何を言って……ますの……?」

 

 敗者を見るにはあまりに異様な気迫に、漆黒の魔女が呟く。

 この常夏の島で、真冬の冷気以上に震えている。

 

 今、魔女が対峙しているのは、大魔女が“運命(プログラム)”に従い、創りだした最高傑作の神殺し。

 それがかつて<蛇遣い>と衝突しかけた時のように、ちりちりと肌につく獣気でその毛を逆立たせて、けれどその姿は透明化させたままでその位置を覚らせない。

 そして、警備隊に人工生命体の少女も巻き込ませないよう下がらせて、状況次第では、主に禁じられている奥の手――<神獣化>も辞さない構えだ。

 

「オマエ、芝居なんてするな」

 

「私は……何も……」

 

「オレの“鼻”を誤魔化すなんて、でも、油断はしないぞ」

 

 殴っても実感がつかめなかったときのように、“匂い”を嗅いでもその心情はこちらを惑わすための虚偽だと。

 

 貪狼に大口を開けて喰われる寸前が、いつまでも引き伸ばされる野兎のような状況。耐えきれぬように、漆黒の魔女が頭を振っていた。

 

「い……イヤぁ! もう、イヤよぉ……!」

 

 泣き喚く<アッシュダウンの魔女>の姉に、それでも銀人狼は姿を現さない。

 アスタルテは警備隊長らが立て直して、すでに海に沈んでいた緋色の妹の回収したのを見計らって、先輩――南宮クロウへ声をかける。

 

「意見。もう対象は降参しています先輩。以前、教官と対峙した状況は憶測でしかできませんが、魔女はもっと現実的な存在です」

 

「……そう、なのか?」

 

「肯定」

 

 ようやく安堵の溜息をしたクロウが、すぅっと魔女のすぐ背後で姿を現して、その首根っこを掴む。

 持ち上げたまま、小さく悲鳴を上げる漆黒の姉と顔を合わせるクロウは、うーん、と考えるように首を捻る。

 

「オマエ、本当に魔女か?」

 

 その止めのつもりはない、純粋な疑問は、魔女のプライドを折って、そのトラウマを刻んだという。

 

 

 

 そうして、絃神島に離陸した直後、特区警備隊を壊滅させた<図書館>の中でも上位の実力者メイヤー姉妹は、国家攻魔師官の代理で送られた援軍二名の働きによって、市街に立ち入ることなく撃退されて、警備隊に引き渡された。

 

 だが、その護送中、緋色と漆黒の魔女姉妹は虚空に呑まれたように車内から姿を消して、警備隊から逃亡を果たした。

 

 

 

つづく

 

 

 

王女と出会った時のお話。

 

 

 

アルディギア王宮

 

 

「―――クロウ殿、こちらが我が主君、ラ=フォリア=リハヴァイン王女であります」

 

「ふーん、お前が偉いヤツなんだな」

 

「ほう」

 

「クロウ殿!? 姫様はアルディギア王国の第一王女で」

 

「よい。わたくしが招いた客人です。……それより、その首輪。ふむ、おまえは南宮那月の犬か」

 

「うん。オレは、ご主人の眷獣だぞ」

 

「なるほど―――では、おすわり」

 

「? なんだ?」

 

「おや? おまえは犬ではないのですか?」

 

「お前は気持ちのいい“匂い”がするけど、ご主人じゃないだろ。なんでいうことを聞かなくちゃいけないんだ」

 

「ほうほう。誰にでも尻尾を振るわけではないと。確かにその言い分は一理ある。―――ですが、犬と言うにはまだまだ」

 

「む」

 

「そこにいるユスティナは有望な要撃騎士であり、忍者です」

 

「ニンジャなのか! ユスティナ、結構強い奴だなって“匂い()”がしてたけど、どこでも忍法でどろんと隠れたり、手裏剣をしゅぱぱぱーって百発百中したりできるのか!」

 

「もちろん。できます」

 

「ひ、姫様!? このユスティナ=カタヤは騎士です。たしかに日本文化が好きで、忍者に憧れておりますが、それはちょっと無茶ぶりで」

 

「何を言うのですかユスティナ。いたずらに名誉を求めることなく、その存在を陰に隠し、主君のために命を懸ける。ジャパニーズ・ニンジャこそまさに騎士の模範」

 

「「おお!」」

 

「つまり、忍者とは主の犬。そして、優秀な騎士であるユスティナは優秀な犬なのです」

 

「な、なるほど、そうなのでありますか……」

 

「そうなのか。すごいぞ、ニンジャ!」

 

「いや、そんな純粋にキラキラと眩しい目で見られますと、その、なんとも照れると言いますか、ははあ……」

 

「なあ、後でサインくれ! 帰ったらオレの後輩のアスタルテにもニンジャ見せてやりたいんだ!」

 

「この子の期待、裏切れますか、ユスティナ?」

 

「―――忍! これよりアルディギア『聖環騎士団』所属ユスティナ=カタヤ要撃騎士は、騎士道を極めるべく忍者を研鑽してまいる所存であります」

 

「さて、おまえは忍者よりも犬として優秀であると言えますか?」

 

「む、むむぅ……オレも分身ができるようになったけど、ニンジャはもっとすっごいからなぁ。でも、オレも負けないぞ!」

 

「いい心意気です。ならば、忍者の主君であるわたくしが、おまえがどれほどのものかを見定めてあげます」

 

「わかったぞ!」

 

「いい返事です。では、これからわたくしを主と思って、わたくしの言うことに応えてみなさい」

 

「うーん、でも、ご主人はご主人だけだぞ」

 

「かつて森の悪魔と恐れられたおまえにどれほどの躾がなされたのか。これは、おまえの主の手腕が問われてますよ」

 

「む。ご主人の沽券なのか」

 

「ここでわたくしに認められないようでは、おまえだけでなく、ご主人の評判も落ちてしまうでしょう」

 

「むむ。これは絶対に負けられないぞ!」

 

「では、おすわり」

 

「わん!」

 

「よろしい。素直な子です、おまえ、名前は?」

 

「南宮クロウなの、であります!」

 

「ふふ……かわいいですねクロウ。段々と楽しくなってきました。しかし、そう無理に畏まる必要はありません。それに、流石に主と呼ばせるのはいけませんし、なによりわたくしも聞き飽きています。―――そうですね、ここは愛称という手でいきましょう。こう見えて日本文化にも詳しいですのよ、わたくし」

 

「姫様、そろそろご自重を……!」

 

「この子はわたくしが招いた友人ですよユスティナ。それに故郷とはいえ、遠い異国からひとりで来たのです。ならば、せめてこちらから合わせてあげられなければ、王女としての度量が小さいとは思えませんか?

 ―――というわけで、これからわたくしのことは、フォリりん、と呼びなさい」

 

「姫様ーーーっっ!? いくらなんでもそれはーーーっっ!?」

 

「う。わかったのだ、フォリりん」

 

「クロウ殿ーーーっっ!?!?」

 

「無視しなさい、クロウ。それでは、最初の命です。先に言っておきますが、これは、忍者にさえできなかった難問ですよ、よろしいですか?」

 

「愚問なのだ。オレはニンジャよりも優秀だって証明してやるんだぞ」

 

「大変いい覚悟です。

 ―――さあ、わたくしのお祖父様――前国王の浮気を暴いてくるのですクロウ!」

 

「了解なのだ、フォリりん!」

 

 

 

つづく

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