ミックス・ブラッド   作:夜草

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魔女の迷宮Ⅳ

キーストーンゲート 屋上

 

 

 特区警備隊の検問封鎖を避けるだけでも厄介なのに、進めば別の空間に飛ばされる今の絃神島で移動。

 相当に困難なミッションであるも、古城にまたもうひとり、その道を示してくれる援助。

 そう、この絃神島には魔女が脅威認定する<空隙の魔女>に<蛇遣い>も立ち入れない領域――電子の世界で頂点に立つ女帝がいる。

 携帯にいつのまにやら強制インストールされた藍羽浅葱の(寝)顔写真つき押し売り地図アプリ。空間の歪みを逆算して、空間転移をショートカットにさえ利用してしまうナビにより―――辿り着いた。

 

 絃神島で、最も天に近い場所。

 そこには蔓蔦の絡まる眼球体の群体が雲のように宙を漂い、そして、その親玉と思しき巨大な怪魔。視線を合わさった子機の数体が侵入者に反応。魔術儀式場たるここで熱線を放つようなことはできないようだが、それでもその身をぶつける体当たりの強襲を一斉に仕掛け―――凛冽とした銀閃に細切れに引き裂かれる。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 機雷である怪魔が、爆発も増殖もせず、対魔装備の機動隊でさえ退けたそれが、槍一本を得物とする少女に滅せられる。

 それに古城の眼前、緋色と漆黒の魔女を左右に侍らしている、まさに吸血鬼をイメージした黒の燕尾服――凪沙の用意した仮想衣装を着ている“暁古城”はその表情を強張らせる。

 

「その槍、そうか……『七式降魔突撃機槍(シユネーヴァルツアー)』か……」

 

 獅子王機関より派遣された<第四真祖>の監視役が手にする秘奥兵器は、あらゆる魔力を無効化する破魔の槍。魔力で実体化を保っている吸血鬼の眷獣や魔女の使い魔にとっては、この上なく相性の悪い武器だ。

 それが邪魔者を一掃し、その先の光景を露わとする。

 魔女の姉妹が両隣に陣取る鮮血の魔方陣。

 そして、その中央に立つ月光にさらされたように色素が薄く白に見える前髪の少年――暁古城の肉体と、その声が枯れ果てようと延々と音無く鳴き続ける銀の人狼。

 

「―――ユウマ! クロウ!」

 

「早かったね、古城」

 

 その声は自身のもの。しかし、その口調は友のもの。

 自分の肉体――その中身は仙都木優麻を見た古城は、苦悩に表情を浮かべる。

 優麻の手の中には、一冊の魔導書が握られて、そして、指先から魔導書へ膨大な魔力が流れ込んでいる。魔導書が駆動する術式。それが何を引き起こしているかは、ほぼ息継ぎもなしに鳴いている後輩の姿を見ればわかってしまう。

 親恋しく泣いている仔狼のように、ただただないているそれは、見るだけで胸が張り裂けるくらいに痛ましく、すぐに駆け寄り止めさせてやりたい。けれど、その瞳に輝きはなくて、無情。古城が現れたことにも気づかず、命令された作業を実行している。

 

「キミは昔からそうだったよ。何もわかっていないのに、本当に大切な場所に現れる」

 

「ユウマ……お前は……」

 

 楽観視していた。

 直接向き合うまで、やはり心のどこかで幼馴染は魔女ではなくて事件とは無関係だと願っていた。ただ巻き込まれただけの被害者だと、信じていたかった。

 しかし、古城の身体を乗っ取っとり、後輩を道具のように使役するそれは、どれほどの弁護を費やそうにも覆せない、真実を古城に告げている。

 優麻こそが、事件の首謀者だったという認めたくない事実を。

 

「心配しないで。この身体も後輩君もすぐに返す。だから、少しだけ待ってくれないか。もうすぐ見つけられそうなんだ」

 

 その苦悩を労わるように、友は優しい声音で言う。

 遠吠えが、何かを呼び寄せているように、絃神島の上空を歪ませている。

 あと少しで、実体化するところまで来ている。

 

「見つける……って、なんのことだ……?」

 

「ボクの母親だよ。生まれてから、まだ一度も会ったことはないけどね」

 

 おぼろげながらも古城にその記憶はある

 幼い優麻が母親と離れて暮らしていて、これまで古城はその母親に会ったことがないこと。そして、優麻が魔女であるなら、母親も同じように魔女である可能性が高く、今の発言が正しければ、彼女の母親はこの『魔族特区』である絃神島にいるのだろう。

 そこまでは理解できた。

 だが、そこから先は共感できない。

 ただ母親に会いたいがために、島全土を巻き込むほどの事件を起こすなど理解しがたい。

 それに緋色と漆黒の魔女が嘲笑と共に答えた。

 

「あらあら、第四真祖様はご自分の領土のことさえもご在知ないのかしらぁ」

「<監獄結界>――忌々しいナツキの夢幻の牢獄に我らが『総記』であり、この<蒼の魔女>の母親である<書記の魔女>が囚われているのよ」

 

「<監獄結界>……!? そんなもの、ただの怪談じゃなかったのか……!?」

 

 唖然と呟きを洩らす古城。

 この絃神島に長年住んでいたものとして、その都市伝説は聴いたことがある。

 凶悪な魔導犯罪者を封印する幻の監獄。幽霊の刑務所。殺された罪人の魂が成仏できずに彷徨っている場所。はたまた、海底に沈む邪神の神殿の別名であるとか。

 多々その噂が流れても、どこにあるのか知るものはおらず、存在さえもあやふやな。

 

「いいや、古城。<監獄結界>は存在する。『魔族特区』を流れる竜脈(レイライン)の力を使って造り出された、いわば人工的な異世界なんだ。その存在は魔族であっても見ることはできないし、それを造り出した理事会の者たちにさえ、どこにあるかも知られていない。

 だけど、絃神島の確かに存在するんだよ―――それを証明しているのが、キミの後輩である<黒妖犬>だ」

 

 魔女の女神の眷属にして、墓守の番犬たる<黒妖犬>。

 あの世から死者が起き上がってこないよう見張るとも言われているそれは、都市伝説に監獄の番犬とも魔族で恐れられていた―――そう、

 

「<監獄結界>の看守である<空隙の魔女>と使い魔の契約をしている<黒妖犬>は、昨日、“この島のどこにも存在しないはずの主”を感じ取っていた。それはつまり、この世界ではない南宮那月が眠っている異世界と繋がっている」

 

「<監獄結界>の在り処を探るために……クロウまで攫って、操り人形にしてるっつうのか……」

 

 歪めた空間の中に隠されたものを見つけるために、優麻はサーヴァントが繋がっているラインを引っ張らせて、網引き漁のように、<監獄結界>を現世にまで持ってこさせようとしている。

 

「そうだね。見ての通り、墓守に眠れる主を起こさせるなんて、相当な無理と無茶をさせてしまっている。その実体さえ直接視認できるところまで持ってきてくれれば、あとはこのために<蒼の魔女>として鍛えられたボクの空間制御の術式と、竜脈を上回るほどの膨大な<第四真祖>の魔力で<監獄結界>の封印は解いてみせるよ」

 

 そういうこと、か。

 古城の肉体も後輩も、すべては<監獄結界>の封印を解かねば会えない、魔導犯罪者として封印された純血の魔女たる母親のため。

 だが、そんな娘に監獄破りを強要させるような母親が、古城にはまともだとは思えない。それに<監獄結界>の中にいる犯罪者は、優麻の母親だけではなく、それが一斉に解き放たれてしまえば、街は戦場となる。

 

 止めなければ。

 

 <監獄結界>の捜索と解放のために、優麻は古城の後輩と体を欲していた。ならば、古城が自分の身体を取り戻し、後輩を正気に戻せば、彼女を止めることができるはず

 

「―――先輩! 下がって!」

 

 雪菜が鋭い声で、古城を下がらせる。

 同級生を痛ましい目で心配しつつも、会話には参加せず、相手の出方を窺っていた雪菜は、群れを成して押し寄せる眼球体の怪魔を槍で薙ぎ払う。しかし一体一突で敵を仕留めようにも槍ひとつでは庇いきれない物量作戦は途切れず、剣巫はやむなく迎撃から防衛へ切り替える。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!」

 

 銀槍を頭上に掲げて、高らかに祝詞を唱える。その清冽な響きに呼応して、研ぎ澄まされた刃が眩い輝きを放つ。

 

「雪霞の神狼、千剣破(ちはや)の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 その純白の光が消えた時、雪菜と古城を中心に、直径およそ5mほどの半球状の空間が出現していた。<雪霞狼>の神格振動波による防護結界だ。

 触れた途端に不浄を滅するそれが怒涛に押し寄せる怪魔の侵入を防ぎ、押し潰されるのを防いだ。

 眼球体を操っているのは、優麻の左右に立つ二人の魔女。穏やかな態度でどこか眉を曇らせる優麻とは対照的に、彼女たちは暴力的な興奮と蹂躙、そして支配する喜びに表情を歪めていた。彼女らの手には魔導書はないが、それぞれ優麻の魔導書『No.013』の一頁を手にしており、それがこの怪魔の操縦を行い、特区警備隊に甚大の被害をもたらした。

 

「漆黒と緋色の魔女の姉妹……! まさか<アシュダウンの悲劇>の……!?」

 

 世界的に有名な魔導犯罪者だと気付いた獅子王機関の攻魔師は微かに眉を動かす。

 魔女姉妹も新たに手に入れた力の性能に酔いしれつつも、雪菜の正体を分析する。

 

「なるほど……私たちの新たなる<守護者>に牙を剥くだけあって、小娘にしてはよく勉強してるようですわね」

「―――察するに巫女の類といったところでしょうか。どうなさいます、お姉様?」

 

「できることなら手足を引きちぎり、腹を裂き、我らが儀式の贄として使いたいところですけど、<蒼の魔女>の本体にもしものことがあってはいけませんわね……残念ですけど、ここは<蛇遣い>の眷獣にさえ匹敵するこの<守護者>の力を存分に振るおうじゃありませんか」

「ええ。所詮は魔女の道具であることをよおくわからせるよう<黒妖犬>を使い潰すまで楽しみましょう―――」

 

 魔導書の一頁が禍々しい輝きを放ち、怪魔の親玉からさらにその分体子機が増殖して、攻撃に激しさを増す。

 浄化されるのに構わず特攻を仕掛けるその勢いに、雪菜が敷く結界がじりじりと狭まる。

 ただでさえ決め手のない千日手の状況で、消耗戦を仕掛けられてはいずれ<雪霞狼>を支える霊力も途絶してしまう。霊力だけでなく、体力も削られ、疲労が蓄積していく。それは燃料タンクな扱いにされている後輩も同じ。魔女姉妹が怪魔を増産するたびに、その生命力が削り取られていっている。

 古城にはそれをただ己の無力さを噛み締めながら、見ていることしかできない。

 <第四真祖>の肉体であったなら、双頭龍がこの怪魔を根こそぎ喰らい尽くして、こんな無益な争いを止めてしまえたのに。だが、今の古城は真祖の肉体ではない、ただの一般人だ。

 むしろここで何かの助けになろうと動くのはまずい、もしこの結界内から出て捕まりでもしたら、それだけ雪菜の負担を増やすだけだ。古城さえいなければ、防護結界を張らずともこの怪魔を躱して魔女たちに直接攻撃を仕掛けられたかもしれないのに……

 第四真祖となって後悔したことは多々あったが、今はその力が欲しい。

 

「くそっ……! やめろ……やめてくれ……」

 

 この絶望に弱々しく呻く古城に、魔女姉妹はますます嘲笑を濃くする。

 

 

 一発の銃声が鳴り響いたのはその時だった。

 

 

「なっ、それは……!?」

「精霊の加護の光ですって!?」

 

 光の奔流が跡形もなく、その機雷の爆発ごと呑み込むほどの勢いで、場を一掃。

 魔族にとって致命的な精霊の輝きが、魔性の特性を無効化し、怪魔の機雷を殲滅する。

 さらに、

 

「―――獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る」

 

 その荘厳な祝詞が聴こえて、雪菜は銀槍に霊力を一層に込めて、防護結界を強化する。

 

 

「極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を総べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり―――!」

 

 

 先の閃光で邪魔な怪魔が退けられた空間を通って、天高くに飛翔する鳴り鏑矢より、慟哭の声に似た遠鳴りを一帯に浸透させる。

 人間の声帯や肺活量では唱えられない。すなわち魔女ですらも詠唱不可能の高密度の呪文。そう、矢ではなく、そこから放たれる呪文こそがこの攻撃の本体であり、魔弓『六式重装降魔弓(デア・フライシユツツ)』を持つことが許された獅子王機関の舞威姫の本領。

 雨のように降り注がれる、呪詛と暗殺の専門家が放った凶悪な呪いは、その圧で眼球体の子機を悉くに押し潰して―――残るメイヤー姉妹が操る怪異は、親玉の一体のみ。

 

 登場からわずか数分で、状況を逆転させた二人は、悠然と古城と雪菜の前に立つ。

 

「ラ=フォリア!」

「―――紗矢華さん!?」

 

 黄金の呪式銃<アラード>を構えた北欧アルディギアの『美の女神(フレイヤ)』の再来と謳われる第一王女と魔弓長剣の<煌華麟>を持った獅子王機関の舞威姫というあまりに豪勢な援軍に、古城と雪菜は安堵よりも先に呆然としてしまう。

 

「助けに来てやったわよ、暁古城。本当に世話が焼けるっていうか、私がついてないとあなたはいつもそうやって雪菜に迷惑ばかり………」

 

 と気持ちが良いほどに逆転劇の主役に立つ紗矢華は、助け出される姫様役な古城へ振り返ろうとして、固まった。

 雪菜の隣という羨ましいポジションにいるであろうと思っていたのに、知らぬ間に舞台の役者がチェンジしてた、それも男からボーイッシュな美少女に。

 

「えーと……誰?」

 

 連絡は取り合ってはいたが直接に顔を合わせていない紗矢華たちは、今の古城の状態を知っていない。

 どう応えてやるべきか判断に困ってる古城の代わりに、雪菜がかなりざっくりに説明する。

 

「あの……今はその人が暁先輩なんです。色々とあって女の子になってますけど」

 

「まあ、それは困りましたね。これでは世継ぎが作れません」

 

 古城の女体化に目を大きくして驚くラ=フォリア。さらっととんでもない爆弾発言をした気がするが、紗矢華の方はまるで放心したように硬直し、それから泣き出しような表情で、

 

「なんじゃそりゃあああああ!?」

 

 どうやら彼女にとっては相当衝撃的なことだったらしい。

 誠に遺憾そうに顔を伏せている妹分と美少女になってる古城を交互に見る目は、ほとんど涙目である。

 生来の思い込みの激しさに加えて、普段は先輩らしく凛とした振る舞いを心掛けている反動からか、一端動揺すると再起動に時間がかかる。

 意外なメンタルの脆さを露呈している護衛の舞威姫を置いておいて、見かけ上は常と変わらない王女様はその魔方陣の中心にある二人を見て、指差す。

 

「つまり、あそこで本物に似つかわしくない凛々しい顔をしているのは偽物ですね」

 

「いや、あの身体は一応俺の本体なんだが……つか、何気にひどいな!?」

 

 ふて腐れたように言う古城。それにくすりと笑い、目を細める。

 

「それで、その子はいずれ南宮那月からもらいうける予定ですのに、わたくしよりも先にお手付きするとはいい度胸です。調教(しつけ)のやり方というのを一から教えて差し上げましょう」

 

 それもきっと王女様だけの将来予想図なのだろうが、しかし、古城も古城で気に入っている後輩が“道具として使われている”のを見るのは気に食わない。

 人数の差でも戦力の差でも、形勢は逆転した。

 だが、そんな古城の思考を読み取ったように、優麻は微笑を浮かべている。

 

 

 そう、ついに見つけたのだ―――

 

 

 水平線を血のような紅が染めたその時、仔狼の雄叫びに応えるように大地が鳴った。

 

 激しい地鳴りと共に、絃神島の北端の海上から見覚えのない島影が浮かび上がる。

 その内側より、美しい夕映えを砕くかのごとく岩で出来上がった巨大な建造物がその姿を現した。

 直径200mに標高80mほどの小島にあるのは、どことなく幽玄で堅固な構えの城塞の如き聖堂。

 欧州の修道院で数多くの聖職者や政治犯を収監する監獄である『聖ミカエルの山(モンサンミシエル)』を彷彿とさせる威容をさらし、海上よりはるかに上の絃神島で最も高い場所にいる古城たちでさえも睥睨するように、自らの顕現を主張する。

 

 

 ―――<監獄結界>が夕暮れに屹立したのであった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「なるほど……<図書館>の狙いは<監獄結界>の解放か」

 

 古城の背後より陰気な雰囲気を纏う男が、その存在を露わにする。

 叶瀬賢生。

 僧衣のような黒服を着たこの中年男性は『仮面憑き事件』の首謀者の一人として特区警備隊に収監されていたが、元アルディギアの宮廷魔導技師で、アルディギアの第一王女ラ=フォリアの交渉により、キーストーンゲートへの移動手段として引っ張り出された。

 それを容易に推理ができた古城はさしておどろかず、素直に疑問をぶつける。

 

「あれが<監獄結界>なのか……?」

 

「どうやら異空間との境界が揺らいでいるようだな。今はまだ完全に実体化したわけではない」

 

 封印はまだ破られていない。

 喩えるなら、海底遺跡を水面から眺めてるような状態で、そこから遺跡そのものを海上まで引き上げるには、桁外れに大きな労力が必要になる。

 

 つまり、あとは真祖の肉体を持った空間制御の使い手が力技で、封印を破るだけだ。

 

「では、お集まりのところ悪いが、ボクは行かせてもらうよ」

 

 ゆらり、と水面に広がる波紋のように、優麻の眼前で景色が揺らぐ。

 空間転移のために、<監獄結界>と繋がった“門”を開いたのだ。

 その虚空に呼び止められる寸前で、魔女姉妹に呼び止められた。

 

「お待ちを―――<蒼の魔女>」

 

「キミたちはここで彼らの足止めを」

 

「ならその用済みとなった<黒妖犬>を私たちに―――」

 

「残念だが、そんな契約はしていない」

 

 振り返らずあっさりと切り捨てられて、それでどちらが“用済み”なのは当人たちは認めたがらないだろうが、明白だろう。

 優麻はそれ以上の問答に付き合わず、クロウと共に虚空に吸い込まれるように消えた。

 これより、彼女は<監獄結界>の封印を解除しに行く。

 

「賢生―――」

 

 ラ=フォリアが黒衣の魔導技師に命じ、<監獄結界>の近くに“門”を開かせる。

 無意識レベルで空間を操れる魔女ではないが、慎重に座標計算さえできれば、空間制御魔術は高位の魔導師にでも一、二回は行使可能だ。

 

「古城。あなたと雪菜は先に行ってください。わたくしたちはここで残り物を片付けます」

 

 <第四真祖>の無尽蔵の魔力を手に入れた魔女に、それに魔導書の支配で使役される混血。だが、そのどちらも魔力術式を無効化さえできれば、無力化できる。

 

「雪菜、古城の身体に遠慮なく<雪霞狼>をブッ刺しちゃいなさい。そ、それで何かあったら、私が本っ当に不本意だけど血を……」

 

 最後の方はゴニョゴニョ何を言ってるかは古城には聴こえなかったが、復活した紗矢華がとても物騒なエールを雪菜へ送る。それにややむっとする雪菜であったが、それに僅かにあった、当人でさえ気づけなかった迷いが、晴れる。

 

「わかった。助かるラ=フォリア」

「わかりました。でも大丈夫です紗矢華さん」

 

 そうして、懐から取り出した小瓶から水をまいて、その水溜りにさらに周囲に呪文をチョークで書き込んで賢生が造り出した空間転移の“門”へ、古城と雪菜は飛びこんだ―――

 

 

 

「では、先ほどわたくしが言ったことをよく理解していられないほど痴呆が始まっているおばさま方のお相手をするとしましょうか紗矢華」

 

 それを見届けた王女は護衛の舞威姫とともにここですべきことを果たすため、各々の得物を構え、

 

「―――我が身に宿れ、神々の娘。楯の破壊者。雹と嵐。勝利をもたらし、死を運ぶものよ!」

 

 長剣に切り替えた舞威姫の空間切断の鉄壁の防御で道を切り開き、自らを精霊炉に見立てた王女の<疑似聖剣>で呪式銃の銃剣(バヨネット)から展開される刃渡り十数mに達する光の大剣が、最後の親玉たる眼球体の怪魔を一刀両断した。

 

 

人工島北地区 監獄結界 前

 

 

 魔女とは、悪魔と契約を交わした女性の異称だ。

 悪魔の眷属である<守護者>を経由して、魔女は悪魔と同じ力を使う。故に、人間の身でありながら上位魔族に匹敵する魔力を操り、魔術の技量は宮廷魔導技師などといった最高位の魔術師をも凌駕する。

 

 ただし力を得るためには、代償が必要だ。

 

 悪魔が力を与える――その願いの大きさに比例して、支払う代償は大きくなる。

 

 

 

 <獅子の黄金(レグルス・アウルム)

 

 その身から迸らして発散している余波の電力だけで、一瞬で海水を沸騰させ、気化した水蒸気が水蒸気爆発を引き起こすほど圧倒的なエネルギーを秘めている雷光の獅子。

 <第四真祖>の災厄のごとき十二の力の一端。

 独立した意思を持つ異界からの召喚獣である吸血鬼の眷獣は、たとえ真祖の肉体があっても、支配権を奪い取れていない優麻には喚び出すこともできない。

 だが、<守護者>の援助を受ければ、この一時、ほんの一瞬だけ、この肉体が持つ記憶を辿り、過去に眷獣を使った瞬間と、現在のこの時空を連結することができる。

 それが実現したのはたった一分にも満たない刹那の時間で、空間を接続する術式を破壊され、フィードバックに神経が灼かれたが、それでも空間の裂け目から流れ込んでくる灼熱の奔流は、監獄の幻影を実体化するほどの成果を出してくれた。

 

「流石に<第四真祖>の眷獣……ボクの<(ル・ブルー)>でも制御しきれないか……だが、ようやくここまで来た」

 

 その古い岩山を模した人工島(ギガフロート)だけでなく、そこまでをつなげる浮橋までもこの通常空間で実体化している。

 <監獄結界>の封印が解けた証拠だ。

 そして、破壊された壁の隙間から、聖堂の中が空洞であることが窺い知れる。

 聖堂とは見かけだけで、この中身は完全に空っぽ。伽藍洞の空間。そう、そこに異名に相応しき、“本物の”<空隙の魔女>がいる。

 

「あ……」

 

 ここまで連れてきてしまった<黒妖犬>が、喉を引き攣らせる。

 命令以外に、彼が表現できる方法がそれだけだったからだろう。

 宣言した。すでに、そしてこれからまた、彼の誇りは穢される。

 

 きっとこの子は、ボクを恨むだろう。

 

 そんな断ち切ったはずの迷いが、また蘇り―――彼らの登場に気づいた。

 

「もうボクに追いついてきたのか」

 

 振り向けば、そこに見慣れた自分自身の身体――すなわち優麻の身体に入った暁古城。そして、隣には銀色の槍――警戒すべき『七式降魔突撃機槍』を持った少女。

 彼らは完全に実体化した<監獄結界>を目の当たりにして驚いたようだが、すぐ表情を真剣なものに戻す。

 

「いい友達に恵まれたようだね、古城」

 

 今の古城は第四真祖でもなんでもない、何の力も持たない普通の人間だ。空間を飛び越えて移動した優麻に追いつくには、彼ひとりでは無理だ。

 

「―――他人事みたいに言ってんじゃねぇよ。お前だってその中のひとりだろうが」

 

 そんな答えを返されて、優麻は目を瞬いて、苦々しく唇を歪めてる彼の顔を見返してしまう。

 

「嬉しいな。まだボクのことを友達だと思ってくれるのかい?」

 

「言っとくが、こっちは魔女なんか見慣れてるし、その程度じゃなんとも思わねーよ」

 

 なにせ、世界最強の吸血鬼である古城の周りにはそれに負けず劣らずに個性的な面子が揃っている。

 

「じゃあ、古城の後輩君をまだボクに貸してもらってもいいよね?」

 

 その優麻の返しに表情を険しくさせて、

 

「一応、訊くぞ」

 

 と、古城が言った。

 

「クロウを解放してやる気はないか?」

 

「ごめん。彼は『計画』を果たすまで、ボクの使い魔だ」

 

 優麻は自嘲するように笑みを洩らし、

 

「前に言っただろ、ボクにはキミしかいないんだって。ボク自身の持ち物と呼べるようなものは、キミに出会えたこと以外に何もない。だからかな、たとえそれが禁書の力で強制された、偽りでも主従として手に入れたこの子を手放すのが惜しくなる―――それに、この子は古城の近くにいない方がいいかもしれない」

 

「そんなことっ……!」

 

 声を荒げて反論しようとした古城を手で制して、優麻は静かに語り始める。

 自分が母親の刑務所破りのために造り出された道具であることを、そして、<監獄結界>を破ることは生まれた時から定められたことを。

 

「古城、魔女はね。悪魔と契約に払った代償を破ることはできない」

 

 宮廷魔導技師ですら1、2回が限度の空間制御を難なく連続行使できるほどの力を得た<蒼の魔女>は代償に、<監獄結界>の解放という絶対命令の刷り込みがなされた。

 

 優麻は<守護者>である蒼い騎士に命じて、<監獄結界>の壊れかけた門を破壊させて、その“空隙”を古城たちに見えるように晒す。

 それを視界に捉えた瞬間、古城と雪菜は息を呑む。

 

「馬鹿な……なんであんたがこんなところに……」

 

 聖堂の中は空っぽで、一脚の椅子だけが置かれている。ベルベット張りの豪華な肘掛け椅子に、眠るように目を閉じたまま、座すひとりの女性。

 レースアップされたフリル塗れのドレスなんてこの絃神島にはあるまじき暑苦しい衣装だが、それが恐ろしく似合う。美しくも幼い、人形のような顔立ちの魔女。

 

「お目にかかれて光栄です、<監獄結界>の『鍵』―――<空隙の魔女>よ」

 

 恭しく一礼する優麻。けれど、その眠り続ける南宮那月に、古城たちは声を失い、ただ茫然と眺める。

 第四真祖の力で無理やりに<監獄結界>の封印を破った衝撃を受けたか、そのこめかみから頬にかけて、鮮血が一筋垂れている。

 

 しかし、何故、これまで姿を見せなかった那月が、どうしてこんな場所で一人きりでいるのか。そもそもここにいる彼女は古城が知る本物なのか。

 そして、

 

「那月ちゃんが……<監獄結界>の『鍵』?」

 

「―――そうだよ。人工島管理公社ですら所在地を確認できない異空間にある牢獄へと囚人が送り込むことができる理由が、これだ」

 

 <空隙の魔女>は、<監獄結界>の看守であり、門番であり、扉であり、そして、『鍵』だ。

 <監獄結界>という凶悪な魔導犯罪者を封印するための舞台装置――“そのものが魔術”で、その唯一の使い手が南宮那月。

 

「この聖堂は、南宮那月の居城なんだ。彼女はずっとここで暮らしてたんだ。10年前から一度も外に出ることなく、たったひとりきりで、眠り続けていた―――それが<空隙の魔女>が支払った代償だから」

 

「そんなの、おかしいだろ。那月ちゃんは、ずっと俺らの学校で教師として働いてたぞ」

 

 彩海学園の英語教師で、古城のクラスの担任。絃神市内の高級住宅地にでかい屋敷を構えて、後輩たちと暮らしている。異世界に封印された殺風景な聖堂に、彼女が寝泊まりしているはずがない。

 しかし優麻は、哀しげに微笑みながら首を横に振り、事実を語る。

 

「キミが知ってる南宮那月は、本物の彼女が魔術で生み出した幻影だ。ここにいる哀れな少女が見ていた、ただの夢だよ」

 

 とても、信じがたい。

 けれど、否定することはできなかった。

 南宮那月という大魔女ならば、実体をもつ分身を作り出して、普通の人間のふりをすることなど簡単だろう。

 幼いまま歳を取らない理由もそう考えれば納得してしまう。

 そして何よりも、<監獄結界>の中で眠っているそのそっくりな少女は誰なのか―――百の説明を聞くよりも明白に、その姿を見ればわかってしまった。

 

 そして、“運命”に縛られるのは魔女だけではない。

 

「幻影をいくら壊しても意味がない。だからこれまで<図書館>は彼女に手が出せなかったし、直接的な攻撃しかできなかった未完成な<黒妖犬>では敵わなかった。

 でもね。『黒』シリーズは、運命(プログラム)に従い、畜生に堕ちた大魔女が『真祖を超える規格を目指して創られた人造魔族』」

 

 その戒めである『首輪』に手を伸ばす。

 

「真祖の敵である咎神の末裔に真祖に逆らった獣王の血統から生まれた『混血』だ。そして、真祖を超える第四真祖の後続機として大魔女が造り上げた最高傑作。

 わかるかい、古城―――いずれは真祖(キミ)と争う。これが、この子の血に刻まれた“運命”だ」

 

 手にした魔導書に膨大な真祖の魔力を篭め、唱えた。

 

 

「“蒼”の名において命じる! 全力を出して“敵”と戦え」

 

 

 しかし、<監獄結界>を出すためにひどく消耗して支配力が落ちたからか。その特級の意思抵抗力は、禁書クラスの魔導書の支配すら食い止めるほどだった。敵に襲い掛からんと駆動する全身の筋肉を、後輩は渾身の力で封印する。強権と反抗、鬩ぎ合う二つの力は後輩の中で荒れ狂い、その身体を今にも引き裂かんばかりだった。

 

「さあ、真祖(コジョウ)か、それとも真祖(キミ)の肉体を持つボクか。どちらを襲うか賭けてみようじゃないか!」

 

 その激痛、想像を絶する苦しみと重圧は、食い縛るその様からどれほどのものかとその一端でも見て取れる。

 だが、<蒼の魔女>が魔力を魔導書に注ぎ込み続ける以上、その抵抗も一時のもので。

 古城は、気づく。

 

「“クロウ”! “やめろ”―――!」

 

 友ではなく、後輩に静止を叫ぶ。

 もう、言葉を吐き出す余力のない後輩は、その意思の光が消える間際に、目で自らの意思を古城へ伝えた。

 

 

 そして、総身を苛む魔導書の猛威に悶えつつ―――爪が人狼自身の胸へと吸い込まれた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「クロウ!」

「クロウ君!?」

 

「………!?」

 

 白銀の毛並みを染め上げる艶やかなる朱。

 驚愕は等しく全員のもの。優麻も、雪菜も、そして直前でわかった古城も、このあまりに“裏切る”結果に、愕然と見開くしかなかった。

 わけても、絶対服従の禁書の術者であった優麻の驚きこそ、最たるものだっただろう。何せ、ちゃんと魔導書『No.013』は発動していた。そう、これは魔女に逆らうのではなかった。“主の眠りを妨げようとする南宮クロウ”という“敵”を攻撃対象と見なして、その爪を以て、クロウは自らの胸を刺し貫いたのである。

 その意思ひとつで起こしたものだろうが、そんな真似が、普通はできるか。いかに信じがたくとも、揺るがぬ結果が目の前にある。その身体に、力の限りに突き入れたのは、他でもない、彼自身の両手であった。

 ありえるはずがない。語った通り、混沌としたその血は、真祖と争うためのもの。彼が貫くとすれば、それは古城か、またその肉体を持っている優麻のはずだ。そう思っていた。その“運命”を破ったのだとすれば、彼は『黒』シリーズという道具ではないからだ。

 故に、支配に逆らえない以上は、己を機能停止させる最初から覚悟を持ち、そして、機会をずっと待った。

 

「―――なあ、わかったかよ、ユウマ」

 

 呆然としたところに差し込まれた古城の問いかけに、優麻の身体が震える。

 

「<監獄結界>を解放するためだけに生み出されたおまえは、その“運命”から逆らうことはできないのか?」

 

「古城……」

 

「ああ、俺の後輩は馬鹿野郎だ……けどな、それでも一つ証明したぞ。真祖(オレ)と争うことになるっつっていた後輩は、お前の命令に逆らって、イヤなものはイヤだって貫き通したんだろ―――ユウマ! これでもお前は運命には逆らえないっつうのか!?」

 

 古城が優麻を睨みつける。これが何よりの証明だと突きつける。だが、優麻は涙を流しながら首を横に振り。

 

「わかってるよ。ボクの行動に何の意味もない事なんて! ボクが誰よりもよく知ってる! でも怖いんだ! これまで“運命(プログラム)”通りにしか生きていけなかったボクは他に何も知らない! “運命”から外れて無価値になってしまうのが怖いんだ!」

 

 クロウに駆け寄る雪菜へ、優麻の<守護者>である禍々しい鎧甲冑を纏う青騎士が迫る。

 それを光り輝く銀の槍で、彼女自身の十倍に達するその甲冑に覆われた巨体を断ち切る。しかし、それでばらけた鎧のパーツパーツが倒れている銀人狼へ装着される。

 

「<(ル・ブルー)>! 邪魔者を<監獄結界>に立ちいれさせるな!」

 

 真祖の肉体と繋ぐ空間制御に意識を割かなければならず、十分な戦闘に回すだけの余裕はない。そして、剣巫にはあらゆる魔術を断つ術が―――つまり、ここで最も計画を土壇場でひっくり返す可能性を持っている相手。何としてでも排除しなければならないが、<守護者>ではかなわない。

 優麻には、虫がよくてもここで頼れる戦力はクロウしかいなかった。

 

 船底に穴の空けられた船体だが、<守護者>の力を帆船のように受けて、停止していた身体は前に動き出す。

 

 そして、獅子王機関の剣巫は攻撃を寸前で止める。芯を失くしたように揺れる穂先から、重体を負っている彼に躊躇しているのがわかる。

 

「やはり、甘いな」

 

 空気がびりびりと震える。

 <蒼の魔女>の操り人形となった銀人狼が発散する魔力が、空気を振動させている。<蒼>の甲冑からもまた、猛烈な魔力を発散している。

 二体分の魔力は圧倒的だ。傍にいるだけで、古城の骨に響くほど。

 <守護者>の鎧を纏った状態は、<ナラクヴェーラ>を圧倒した時とよく似ていた。

 

「その槍の力なら、そもそもボクの本来の身体に攻撃すれば、簡単にケリをつけられたはずだ。なのに、それをしないのは、古城に感化されたのか。やっぱり君も古城にたぶらかされた口かな」

 

「違います! 現状ではこれが最善だと判断しただけです! 空間制御術式が破れた際に、<第四真祖>の魔力が暴走する可能性がある以上、優先してその身体を回収する必要があるという、極めて合理的な分析の帰結です!」

 

「―――なら、彼を刺してみたまえ!」

 

 ムキになって言い返した雪菜へ、優麻は言う。

 

「魔導書により強制的に動かしているけど、今の彼は<蒼>の強化で行使されている死霊術でその半死半生の状態を維持してる。いわば自己暗示なフランケンシュタインかな。鎧を打ち消してしまえば、生命維持が保てなくなるよ」

 

「ぐっ!?」

 

 槍が放っていた銀光が淡くなり、雪菜の動きも鈍くなる。

 対して、蒼鎧の銀人狼。その動きに衰えもない。鋭敏な剣巫の感覚は、クロウが自分の身体を破壊しながらも、ますます膨大な量の生命を燃やしていることを察知している。

 自傷しているからこそ、一切のリミッターをカットしているからこそできるのではないかと、そう思わせるほどの凄絶な獣気の解放だった。

 

「―――姫柊!?」

 

 跳躍して飛び掛かり、脳天目掛けて爪を振り切る。

 ぐわっ、と空気がゆがむほどの衝撃。

 拳の振りだけで、その足場としていた浮橋が砕ける。飛び退いて緊急回避した雪菜だが、浮橋が割れて<監獄結界>側にいた古城と分断される。

 

「―――ほんっと、先輩の次に手が焼かされますね」

 

 『神格振動駆動術式』の発動を抑えた<雪霞狼>で蒼籠手を纏う爪と打ち合い―――<過獄結界>から徐々に距離を取っていく。

 

「先輩は優麻さんをお願いします! <守護者>をクロウ君に回していて、魔力の大半を空間接続に割いている今の彼女に戦闘力は残されていません」

 

 それを聞いた古城は、己が立ち向かうべき相手を見据え、

 

 

「行くぜ、ユウマ―――ここから先は、暁古城(オレ)仙都木優麻(オマエ)戦争(ケンカ)だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 絃神島北地区のコンテナヤード―――『魔族特区』内の企業が、原材料や資材を輸送船に積み込むための工業港。

 現在は『波朧院フェスタ』開催期間なので、皆との業務は休止しており、港湾職員たちも残っていない。ヤード内には無数のコンテナが、空っぽのまま積み上げられている。

 

 <雪霞狼>を警戒する優麻に、<守護者>を封殺したい雪菜。

 合致した両者は戦闘の場を<監獄結界>から距離を取り、港にあるそのコンテナが並ぶエリアに移す。

 

「―――<伏雷>!」

 

 蒼鎧の銀人狼の突進を雪菜はひらりとかわし、上から蹴りを叩き込んだ。

 対応できず、防御はおろか、姿勢制御もできず、地面に叩きつけられた。

 決まった! ―――と雪菜はけして油断はしない。

 蒼鎧の銀人狼は反転し、着地間際の雪菜めがけ、さらに向かってきた。

 雪菜は着地前に銀槍の柄で地面を突き、棒高跳びの要領で身を翻して、突進を躱すと、もう一度カウンターの蹴りを放った。

 やはり直撃。容易く吹っ飛ばされて、地面を転がる蒼鎧の銀人狼。

 

 その身体を動かしているのは彼の意思ではなくて、その鎧<蒼>だ。

 身体能力こそ変わっていないが、その動きは単調で読み易い。

 <雪霞狼>を振るえば、すぐに決着がつく。

 

 噛み締めた口角から鮮血を垂らし、蒼鎧の銀人狼――いや、南宮クロウがこいねがうようにささやいた。

 

「姫柊……やる……。……オレは…………だいじょうぶ………どれほど…でも……………耐えられる…………」

 

 起き上がった蒼鎧の人狼の足が地面を踏み締め、自らの筋肉を断裂させながら力を振り絞る。

 押しつけられた命令に、必要な膂力を死に体から引き出させる。当然、それは肉体の限界を超えた代償を要求する。友達が、狂気の激痛を耐えるように目を見開き、開いた胸の傷口から血を噴出させ、呪文のように囁く。

 

「……オレを…………止めてくれ………」

 

 絶対に命令を果たさせるため、使い魔の肉体を壊してでも力を絞りださせるほどの、強制力。雪菜は悪魔の騎士鎧より、仙都木優麻のものとはまた違った“別の意思”の様なものを感じ取る。

 

 先輩の方も心配だ。

 一切の戦闘力がないとはいえ、魔女を今の一般人と大差ない先輩に相手できるものか。

 一刻も早く―――だけど、これ以上、同級生の身体を傷つけることは―――

 

 そのとき、思いも寄らぬ人物が登場した。

 

 

「―――焦るな、娘」

 

 

 山積みされたコンテナの上から見下ろす、雪菜と歳の変わらない同年代と思しき少女の影。

 その口から流れ出したのは、冷たく澄んだ声で、思わず吸い寄せられるような、どこか異様なその響き。けれど、まるで別人のような気配を纏う、ぎこちなさが感じられる。

 何より、口調は違うがその声音は雪菜も聴いたことがある。

 

「凪沙……ちゃん?」

 

 幼い身体の線をくっきりと浮かび上がらせる黒いワンピース。頭には獣の耳を模したカチューシャ。黒いニーソックスの足元は肉球付きのブーツで、猫の手手袋に尻尾までついている。“どこかのクラスメイト”に合わせたかのようなアニマルな黒猫仮想衣装。

 それは昨日の衣装合わせで見せてくれたものと同じで、今、目の前で対峙していた同級生が昨日着ていた蒼銀の法被を羽織っていて、いつも短く結い上げていたその髪は解けており、腰近くまで流れ落ちている。だが、間違いなく彼女は、暁凪沙―――じゃない。

 

 その虹彩の開ききった大きな瞳、凪いだ水面のように何の感情も写していない瞳は―――

 

「これは……この状態は、神憑りか……憑依……?」

 

「おお、そうか。おまえも巫女だったな。獅子王機関の剣巫よ」

 

 凪沙はそういって愉快そうに笑った。困惑する雪菜を、品定めするようにじっと見つめて、

 

「ならばおまえにもわかっていよう。今すべきことはあの坊やのところへ行くことだとな」

 

「あなたは……いったい……!?」

 

 雪菜が鋭く目を細めて訊き返すも、しかし凪沙は何も答えず、とん、と地面へ着地すると、蒼鎧の銀人狼と対峙する。

 

「こ奴の相手は我が引き受けよう。同格として創られようとも以前よりも、その性能を出し切れていないのでは止めることは容易かろうよ。それはこちらも同じだがな」

 

 普段ならば、とてもできない。

 

 だが重度の魔族恐怖症である凪沙が、人狼の前で平然としている。明らかに人間以上の存在を受け入れているように見える。神憑りか、あるいは凪沙自身の裡にある潜在人格の可能性もある。獅子王機関の報告書(レポート)にも書かれていなかったが彼女のかつての魔族に襲われたという事件と、何か関係あるのかもしれない―――だが、何にせよ、今はそれを詮索する余裕はないし、状況でもない。

 

 逆に蒼鎧の銀人狼は、何か、戸惑っているのか、そこから動かなくなる。

 

「変わらず、この娘を大事にしてるのだなお前は」

 

 剣巫の直感が、この場でむしろ自分は邪魔であると告げている。

 数瞬、迷った末、雪菜は『お願いします』と告げて、ここまで来た道を引き返し、<監獄結界>へ向かった―――

 

 

 

「……ようやく、いったか」

 

 猫耳少女は嘆息し、

 

「あまり介入はしたくなかったが、“借り”があるからな」

 

 その背後に、氷河のように透き通る新たな眷獣がいた。

 全長10m足らずの美しい、冷たい凍気を纏う眷獣。上半身は人間の女性に似ており、下半身は魚の姿である。そして背中には翼が生え、指先は猛禽のような鋭い鉤爪になっていた。

 氷の人魚、あるいは妖鳥(セイレーン)―――

 <妖姫の蒼氷(アルレシヤ・グラキエス)

 <焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)>の十二番目の眷獣。

 

「無茶ばかりをしているが、それで壊れたら元も子もない。少しは自分の身体を大事にすることを覚えておけ」

 

 氷霧が立ち込める。

 ダイヤモンドダストの輝き。その氷の霧の中に、蒼鎧の銀人狼が囚われて、瞬間、大気中の水分が一斉に氷結し、その全身に真っ白く霜が降りた。

 動きが鈍る。強制的に動かそうにも、肉体が分子レベルで運動を停止しようとしている。

 

「―――しばし、眠れ、我の“後続機(コウハイ)”」

 

 妖鳥に猛烈な冷気を纏いながら、“凪沙”は凍てつく声で囁いた。

 しゃきんっ、と甲高い音ともに、蒼鎧の銀人狼は一瞬で氷結した。

 フルーツを入れたゼリーのように、この棺のような氷塊の中に閉じ込めてしまう。

 

 

 真祖をも封印する氷棺は、一切傷つけず、また出血をも止めて、その動きの一切を封じた。

 

 

人工島北地区 監獄結界

 

 

 走る。

 剣巫が離れていくのを確認して、<監獄結界>へ入った。

 彼女が言っていた通り、他に容量を割き過ぎてしまっていて、今の自分は空間制御すらできない。

 

「―――ユウマ、もうやめろ!」

 

 追いかける自分の姿――唯一自分のものだと言い張れる友人は後を必死に追いかけてくる。

 男女の足の長さに脚力の違い、それと人間と魔族の肉体の性能差もあって、追いつかれはしないが、それほど離すこともできない。

 眠り続ける幼い少女と変わらない今の<空隙の魔女>ならば、その首の骨をへし折ってやるだけで殺せる。だけど、そんな時間は与えられないだろう。

 

「そんなことやったって意味がないのはわかってんだろ―――!」

 

「でも、ボクは、ボクのこれまでの全てを無意味したくないんだ!」

 

「そんなはずがないだろ!」

 

 一歩分、差が縮まる。

 

「お前が自分で言ったこと憶えてるか。お前には俺がいるってユウマが言ったんだろ。だったら、俺が、お前の生きてる意味を認めてやる」

 

 また一歩分、差が縮まる。

 

「だからお前は、そんなくだらない“運命”になんか従わなくていいんだよ!」

 

 真祖の力が奪われ、自らの肉体を奪われ、それでもなお、奪った本人に向かって断言する。その声に誤魔化しや躊躇もないの意思が嫌でも伝わってくる。

 

「……まるでプロポーズの言葉だな」

 

 昔から、そういう殺し文句を不意打ちのように平気で口にできるような奴だった。それでずいぶん苦労したくせに、未だに自覚がないなんて、小学生から精神年齢が止まっているに違いない。ああ、だからあの子と先輩後輩仲が良いわけだ―――!

 

「……でも、ありがとう」

 

 泣き笑いのような表情を作り、ペースが乱れたその一瞬に古城は優麻の前に回り込んで、

 

「嬉しいよ……もう、それだけで―――それだけで十分だ」

 

 やめろ、と古城が叫ぶ前に、優麻はその手を古城がガードする正面ではなくその斜め上、石造りの聖堂の天井に向ける。

 空間制御の魔術に割くほどの余裕はないが、簡単なものなら今の<守護者>の援助のない優麻でもできる。

 手から初歩的な火球魔術を、魔女の力で放つ。その威力はちょっとした爆弾並であり、その着弾する場所は、ちょうど真上―――眠り続ける南宮那月の。

 重力に引かれて降り注ぐ石塊が当たれば、那月の命はない―――だが、優麻を追い抜いてそのまま真っ直ぐ駆け抜けた古城がその那月の身体を担ぎ上げる。

 

「だあああっ―――!」

 

 天井から落下する石塊が、豪奢な椅子を粉々に押し潰し。その一瞬前に古城は那月を攫ったまま床へ転がっていた。

 

「策士策に溺れるってやつだな、ユウマ。お前は焦ると相手の裏をかこうと奇襲を仕掛ける癖、直してなかったんだな」

 

 埃まみれの顔をあげて不敵に笑う友。今は自分の顔なのに、不思議とその背後に彼の面影が浮かんで見える。懐かしい幼馴染の癖を、彼は忘れてない。そう、奇襲するだろうと彼は“信じていた”。

 那月を庇う古城を前に、足を止め、疾走に息を切らしながら、呼吸の苦しさとは別の理由で、優麻はひどく辛そうに顔を歪めた。

 

「古城……っ! どうしてまだそんな風に笑うんだ!? ボクはキミを騙したのに! 犯罪者に創られた生まれながらの魔女なのに! キミの大事な妹を人質にとった卑怯者なのに! キミの後輩にあんなにひどいことをしたのに! 今だって、キミの住んでいる街を破壊して、キミの友達を傷つけようとしているのに―――――!」

 

「優麻……」

 

 優麻は完全にパニックに陥っていた。

 道具としての存在意義の他に何もない。他には嫌われるようなものしかない、最低な人間なのに。

 何が何だかわからなくて、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

 だから、そんな自身の胸の内から目を逸らし続けて、自分をも裏切ってしまうこの器用なようで不器用な旧友に、古城は声をかけようと―――して、がくっ、と力が抜ける。

 

(なんだ……これは……!?)

 

 今の瓦礫に切ったわけでもないのに、額から鮮血が流れ出す。

 額だけでなく、その美しかった肌にいくつもの裂傷ができて、そこから激しく出血している。

 

 考えられる可能性はひとつだ。

 ついに優麻の肉体そのものが悲鳴を上げたのだ。

 強引な空間接続で真祖の身体を乗っ取り、人間の手に余る真祖の膨大な魔力を引き出し、眷獣を呼び出すため時空を弄る荒技を行ったり、<守護者>で強制的に後輩を戦わせようとしたり、そして、今の不安定な精神状態―――

 いくら魔女でもとっくに限界を超えており、優麻の肉体が崩壊を始めている。これ以上、感情のままに魔力を荒ぶらせていれば―――

 

(っくそ、あとちょっとなのに―――っ!?)

 

 古城が最悪の結末を予感した―――その直後、視界に青いドレスを着た小柄な少女が横ぎった。

 何も言わずともその表情で古城の心情を察した彼女は、華やかな笑みを浮かべて、言った。

 

「―――いいえ、先輩。わたしたちの勝ちですよ」

 

 優麻を救うには、一刻も早く勝負を決着させること。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 その疾走に、魔女は目で追うこともできず。

 神に勝利を祈願する剣士のように、あるいは勝利の予言を捧げる巫女のように姫柊雪菜は粛々と祝詞を紡ぎ出して、

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 これまでの倍する爆発的な霊力が流れ込み、閃光と化した銀色の槍が、狙い違わず優麻の―――古城の肉体の心臓を刺し貫いた。

 

 

人工島北地区 監獄結界 前

 

 

 蒼鎧の銀人狼を閉じ込めた氷棺の上に、黄金の霧が人型に形作る。

 

「……何の用だ……<蛇遣い>」

 

 猫耳の少女――暁凪沙がそれに警戒して、その妖鳥の眷獣の召喚を再び意識する。

 だが、それを見ても戦闘狂である青年貴族の吸血鬼――ディミトリエ=ヴァトラーは昂ることもなく平然と微笑み、

 

「いや。残念だけど、色々と見させてもらったからね。それでキミへの興味はもうないよ。“勝てるとわかっている戦いは”しない主義なんだ。早く本来の力を取り戻してから出直すんだね」

 

 まあ、でも。

 

「暁古城が、アヴローラを喰らって<第四真祖>の力を手に入れた理由に見当を付けさせてもらったんだ。ボクが今ここに来た理由を言おうじゃないカ」

 

 吸血鬼の超視力で、事の顛末をすべて見届けていた。

 姫柊雪菜の援助もあって、仙都木優麻と決着をつけ、無事に元の身体に暁古城が戻ったことも。

 そして、まだ<監獄結界>の本体が現世に残っていることとこの“顔のない青騎士の正体”も。

 

「仙都木阿夜の娘はここまでだったけど、<監獄結界>は現出しているわけだし、最後の鍵くらいは、“自分の手でぶち壊す”という選択肢もありかな―――」

 

 細めた貴族の碧眼が、血のような深い紅に染まり、全身から禍々しい血霧を立ち上らせて―――頭上に美しい水色の眷獣が、濃密な凍気で形作られた拳を振り上げていた。

 

「おいおい、先に舞台に手を出したのはそっちだろ“十二番目”。だったら、ボクも“彼女”に手を貸してやってもいいはず―――」

 

 言い切る前に、<焔光の夜伯>の十二番目の眷獣は力を解放。

 凄まじい冷気が放出され、一瞬で極低温まで冷却された人工の大地が、収縮と低温脆化によって粉々に砕け―――散りはしなかった。

 できなかった。

 それはその氷棺にいる少年も巻き込むことになる。

 しかし、その一瞬の躊躇を嘲笑うかのように、寸前まであえて無防備だったヴァトラーは血霧から灼熱と閃光の蛇を召喚。

 氷棺を破壊し、その籠手の一部が“黒ずみ始めている”蒼鎧の銀人狼を解放した―――

 

 

「まだ、終わらせないよ。祭りはこれからだ……」

 

 

人工島北地区 監獄結界

 

 

 ギリギリで心臓は外れていた。

 深々と槍に抉られた痕が残っているが、高い再生能力を持つ吸血鬼、それも真祖であるなら致命傷ではなく、直に治るだろう。

 それでも、先輩が目覚めるまで安堵はできなかった。

 だから、その少し切った指先を、血の滴玉が浮き出る指先を、そっとその唇に―――

 

「ホント、しょうがないんですから」

 

 

 

「―――姫柊……?」

「気が付きましたか、先輩!」

 

 耳元で聴こえた――膝枕をされていた古城は驚き、慌ててその場に跳ね起き、急動作の無茶に全身を激痛が貫く。

 まるで体内の全細胞がフードプロフェッサーでミンチにされたかのような痛み。

 覚悟していたが、やはり死ぬほど痛い。

 ぐお~~っ!? と苦悶する古城の頭をまた一度膝の上に乗せながら、小さな子供をあやすような手つきでよしよしと撫でる。

 負の生命力で保っている吸血鬼には治癒の魔術はむしろ毒であるが故、雪菜としては古城にこれ以上のことはできないのだろう。

 と一応、ひとつ特効薬が存在するのだが。

 

「あのお願いがあるんですが……姫柊さんの血、を……?」

「吸わせませんよ。絶対、吸わせませんからね」

 

 むーっ、と口を一文字に結んで不埒な考えをする先輩のほっぺをつねり上げる。

 今までのは緊急事態だったからやむなくそうした。

 元ルームメイト紗矢華が優麻を追う直前に言ってくれたエールのおかげで、古城の肉体に対し、容赦なく<雪霞狼>を突き入れたのだが、しかし、そこは古城のことを深く信用していなければできなかっただろう―――と古城は思いたい。

 

「第一そんな、他の人がいるところでなんて……」

 

 人前じゃなければいいのか、と古城は素朴な疑問を抱くもそれを口にしないでおく。

 

「そうだ……ユウマは!?」

 

 姿を捜す。首を巡らせば、隣に優麻はいた。

 

「無事です。空間接続が断絶した時の衝撃は、先輩ほどではないはずですけど……」

 

 頬は青褪め、全身のあちこちには出血の痕。しかし、胸は正しき一定のリズムで上下している。苦痛に顔を歪めているわけでもなく、命に別状はなさそうだ。

 半日と少しの短い間だが、その顔立ちはやはり綺麗で、スタイルも意外と女の子らしいメリハリがある。雪菜らにトイレをするのも禁止されたわけだが、見る限りこうして吸血鬼風礼服を着ている状況から察するに向こうは古城の肉体の着替えをしているわけだし、一度くらいは役得があってもよかったのではないかと古城は思う。思うだけでしないけど。ただそんな不埒な考えがばれたか不安な古城に、淡々とした口調で、

 

「失敗……したのか、ボクは……」

 

 命を失いかけたというのに、意識が戻った彼女が最初に気にしたのはそれであった。生きていた喜びも、果たせなかった怒りも哀しみもない。何もかも、剥がれ落ちている。目的を失くした迷子のような、それとも、もう死を待ち望む老人のような。

 そんな幼馴染に古城は―――激しい怒りを覚えた。

 

「違う、そうじゃない。解放されたんだよ、お前は」

 

 睨む古城と視線を合わせながら、優麻はパチパチと瞬きをしてから、

 

「そっか」

 

 すっきり、と一言。

 それから、男前な幼馴染は不意打ちとばかりに花のような微笑を浮かべて、

 

「うん。あれだけ強烈だった焦燥感が消えてる。お母様には悪いけど、ボクにはもう、<監獄結界>をどうこうする理由はないみたいだ……」

 

 彼女はようやく母親の呪いから解放された。

 古城らも頬を緩め、笑みを作る。

 自由になった幼馴染を心から祝福するような、満足げな笑みを。

 

「そう言えば、古城。ボクの身体と入れ替わってなにかいやらしいことはしなかったか?」

 

「なっ……!? してねぇよ!」

 

 本気か冗談かもわからない優麻の問いかけに必死に否定する古城。隣にいる雪菜は不機嫌な眼差しがチクチクと刺してきて―――

 

 直後の出来事だった。

 

 

 ゴッッッ!!!!!! と。

 岩窟の聖堂に、稲光が落ちるような音が炸裂した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 いたのは。

 <監獄結界>の門を打ち崩して、現れたのは、誰だ?

 

「な……」

 

 粉塵の向こうに、何かがあった。

 目を凝らした雪菜は、ぼんやりと浮かぶ輪郭を見て、思わず声をあげた。

 

「クロウ君……ッ!?」

 

 変貌していた。

 両手足や銅を甲冑のような金属部品に覆われていたが、その姿は変貌していた。

 黒く澱んだ鎧がより禍々しくなり、そして、頭部の兜が髑髏(しゃれこうべ)の仮面に変わっている。

 幸か不幸か、自ら開けた風穴の傷は塞がれているようだが、それでも危うい状態である。

 

 まさか、第四真祖の魔力暴走が、仙都木優麻の肉体に逆流しただけでなく、術者からのラインで魔導書『No.013』にも影響を与えてしまったのか!?

 

 その奥の眼光が、ゆっくりと古城たちを視界に入れる。

 『計画において、予測される邪魔な障害』を無機質に捉える。

 

「く……」

 

 その顔に感情らしい感情はない。

 しかし。

 無機質に遮るものすべてに鬼気を向けるその有様は、危険だ。

 もう終わったのだと、身体がどれほど壊れようとも、そんな理屈は通じないだろう

 そして。

 雪菜としても、そんな命を軽視するのを、捨て置くことはできない。

 その身を縛っている怨念じみた狂化を破魔の槍で打ち消す!

 

 即座に獅子王機関の剣巫は、<雪霞狼>を展開。

 

 同時、鎧骸装の狂人狼の爪拳が、石床を叩く。

 

「■■■―――ッッ!!!」

 

 刹那、岩窟の聖堂の石床から巨大な鋭い角が噴き上がった。

 角が石床を突き破ったのではない。“石床自体が角と化したのだ”。鎧骸装の狂人狼の叩き砕いた震動は波紋の如く広がり、“ざん”とドミノ倒しのように連鎖する地割れならぬ地起こりが雪菜へ迫った。

 

 それは“魔力に頼らない”超能力。

 自然物に己の生命力を伝播させて、強化隷属させる支配力は、高位の精霊使いが起こす現象に匹敵する。

 しかもそれはあらゆる魔術を無力化する<雪霞狼>では、打ち消すことができない。

 必然、雪菜には回避する選択肢しかなく、だが“匂い”を覚えた猟犬の如く自動追跡する地起こりの猛追からは逃れられず、岩角に銀槍が弾かれた。そこへ―――

 

「■■■■■―――ッッ!!!」

 

 狂化されていようとも、動きは機械的だった。

 姿勢を崩し、槍まで手離してしまった雪菜に対し、変貌した鎧を纏う骨鎧人狼が始動する。最短、最速、最良のルートで。一息で、その間合いを一気に潰してくる。

 だんっ!! と。

 地面を踏む足音の方が、遅れて聞こえるような錯覚さえあった。

 

「く……っ!!」

 

 雪菜の手には槍がない。

 あわてて飛んで行った方向を見る彼女だったが、向こうの壁に突き刺さったままの槍を補足すると同時、すでに骸鎧人狼は無機質に雪菜の懐へ到達していた。

 濁った蒼の手甲に覆われたその五本の指から、黒のような蒼のような、不気味な煙を凝縮したような爪が伸びた。長さは1m強。もはや獣というより刀剣を連想させるサイズだ。

 横へ跳ぶ。

 回避した、と思った時には既に、二度三度と雪菜の身体は『爪』に引き裂かれていた。

 具体的な出血はない。

 だが、ガクン!! と体の芯にある力が抜けるのを明確に自覚する。

 

(これ、は……っ)

 

 二本の脚から力が抜ける。立ち上がることもできず、雪菜は石床を転がる。―――だが、そこへ鎧骸装の狂人狼へ走り込む影。

 

「させるかよッ!」

 

 幾分か休めて和らいだとはいえ、身体を動かすだけでもまだ痛みが走る。

 魔力を絞ろうとすると、貧血のように眩暈に襲われて、膝を突きたくなる。

 

「先輩!? 無茶しちゃダメです!」

 

 顔を歪める古城の様子を見て、雪菜が叫ぶ。

 古城の肉体を刺したのは雪菜だ。急所は外したとはいえ、優麻に奪われた古城の肉体を取り戻すため、雪菜は真祖さえ殺し得る<雪霞狼>で抉ったのだ。

 それを無視して、古城は駆ける。

 

「あの時はビビっちまったが、今度は逃げねぇって決めてたからなッ!」

 

 青白い稲妻を纏う右拳。古城が辛うじて掌握している3体の眷獣の中の一体、<獅子の黄金>の雷撃である。

 胸の傷がまだ塞がっていない。だが、眠っている間に、僅かでも摂取できた霊媒の血。まだ眷獣を召喚するには無理のある状態であっても、その一端を貸し出すくらいのことはでき―――――

 

 

 ぐるん。

 

 ぐるんぐるん。

 

 どさっ、と。

 

 

 空中を。

 何回転したか、もはや古城は数えられなかった。

 体感的には随分と長い浮遊感が途切れると同時、彼の身体が地面へと勢い良く叩きつけられる。思い出したように体内時計が元に戻り、現在進行形の激痛が背骨から全身の隅々まで拡散していく。

 

「がば、ァ……っっっ!?」

 

 息の吸い方を忘れる。必死の思いで口を動かすが、海風の潮の匂いに湿気る岩肌の味が充満するだけだった。そこまで感じて、自分が地面に落ちた後も、ゴロゴロと転がされていることに気づく。

 

「ご、ぐっ、が……っ!!」

 

 四肢に無理やり力を込める。

 10本の指の爪で石床を引っ掻くように、靴底で岩肌を削るように、両手両足をトラバサミにして地面に噛みつくような格好で、古城は強引に急制動する。

 

 一発の蹴りで。

 

 未だに右目がチカチカと瞬く。ようやく取り戻した呼吸もリズムが乱れ、逆に内臓を圧迫してるように感じられた。

 肉体が受けたダメージは、尾を引き続けているようだ。

 そうたった一発、蹴り飛ばされただけで。

 いとも簡単に薙ぎ払われ、宙を舞った。それは戦闘というより、歩いてる時に足元の小石を退けるような、あまりに無慈悲で感情のない作業だった。彼我の戦力差に開きがあり過ぎる。と、吹っ飛ばされて転がった古城の近くには偶然にも雪菜が手放した銀槍があった。咄嗟にそれを掴む。

 

「こ、の……! ちょっとくらい手加減しやがれ後輩ッ!」

 

 その骸骨に覆われた後輩の表情は、機械のように変化がなかった。

 今度はそこから脚を動かすことさえなかった。

 ブォ!! と、その場で爪を振るう。上から下へ。そして1m前後だったその長さが、一気に10倍以上も飛び出した。それを見た古城は、銀槍を突き刺さった壁から抜きとった。

 甲高い音とともに、槍と爪が激突する。

 やはり鎧骸装の狂人狼の顔色に変化はない。

 霊力を持たない古城では、<雪霞狼>も本来の魔力無効化能力を発揮できない。

 そのまま押し潰すように、後輩はさらに力を加えた。真上からの重圧を受けて、古城は

膝を突き、さらに地面に接触する膝からミシミシと嫌な音が鳴った。

 直後に、黒のような蒼のような巨大な爪が、唐突に破裂した。

 ぶじゅわっ!! と、焼けた鉄板に水を振りかけたような異音と共に、不気味な煙のようなそれが古城の全身へと殺到していく。

 

「がぐ……っ、ごぼっっっ!?」

 

 皮と肉に覆われたすべての内臓が不規則に蠕動した。

 口と鼻から、赤黒い液体が噴き出すが、全身の動きが緩慢になっているため、口元を手で覆うのは間に合わなかった。

 <雪霞狼>を胸に受けた直後で抵抗力が落ちていたのもあるのだろうが、それでも吸血鬼の“血”をも蝕む呪詛だ。

 

 <(ゆらぎ)>という剣巫が用いる白兵呪術で『肉体の破壊ではなく、肉体の機能を狂わせる』。

 それと同じだ。

 細胞そのものに損傷がない以上、吸血鬼の再生能力は役に立たない。

 

 しかし、それほどの呪詛をどうして使える!?

 

「馬鹿な、死霊術以外を使える情報はなかった! 彼は“まだ願いを決めていない”『仮契約』だ! なのに―――」

 

 空間干渉にも長けた<図書館>の『科学』の魔術部隊の助力を得るための、交渉契約により、『黒』シリーズの完成があって、死蔵されていた残りの七体を“影”に喰わせて、復活させた。

 だが、それは蘇らせただけで、“契約”まではさせていない。『裏切り』の魔導書『No.013』の効力で、強引に魔獣たちを優麻が支配していただけに過ぎない。

 だから、彼には、契約した対価で得るはずの、悪魔から力や術を与えられていない。

 だというのに、行動阻害の呪詛。それも、獅子王機関の舞威姫が以前に<洋上の墓場(オアシス・グレイブ)>で見せたような、斬撃と同時に刻み込むほどのハイレベルな技量が要求されるものだ。

 

「―――っ! <蒼>、解除だっ! <黒妖犬>から外れろ!」

 

 これ以上はまずいと悟った優麻が、自分の狂人狼の強化外装となっている<守護者>に武装解除を命じる。だが、すでに『計画』――『<監獄結界>の解放』という悪魔の契約を諦めてしまった“用済みの”主の命を無視し、分厚い甲冑はその肉体に張り付いたように剥がれない。そして、先ほどまでの優麻と同じ、“何かに取り憑かれているように”装着者を動かしている。これではまるで呪われた装備だ。

 

「“蒼”の名において命じる! 今すぐ行動をやめるんだ!」

 

 落ちていた魔導書を拾い、その進路を阻むように前に立った。優麻は魔導書にありったけの魔力を篭めて、叫ぶ。

 だが、その干渉力をも許容限界を超えていたのか。数瞬、その動きを止めたが命令は弾かれて(キャンセルされ)、魔導書も燃え上がり、原型を留めず灰になる。

 最後の頼みの綱も、切られた。

 剣巫も真祖も、行動不能の呪毒にやられて動けず、もう、狂人狼を止める者は―――

 

「……そこをどけ、仙都木阿夜の娘」

 

 

 

 その時、背後から、舌足らずのようで奇妙なカリスマ性を感じる不思議な声が聞こえた。つい無意識に従って体が動いてしまう声音。

 見れば、そこに、眠り続けていたはずの、南宮那月が立っていた。

 常と変わらない不敵な微笑を浮かべながら、機械的に視線を合わせた(ターゲットロックした)狂人狼に向けて、挑発。

 

「―――来い、私を殺してみろ」

 

 それを見た古城は、叫びたくても叫べない身体で、それでも這わせたまま喉を震わせ叫びる。

 

「………や、めろ……那月…ちゃん……」

 

 今の南宮那月は、魔術で作り出した分身ではなく、<監獄結界>に封印されていた本物の身体だ。人間と体の変わらない魔女、それも彼女の身体は幼い少女のもの。一撃でももらえば死ぬ。

 

「無茶だ! いくら貴女でも、ここは逃げるべきだ。<監獄結界>にぶつけられた<第四真祖>の眷獣の力の反動で、今の貴女は体を動かすだけでも、危うい状態のはずだ!」

 

「そうだな。恩師に手をあげる馬鹿な教え子のせいで、流石の私も本調子とは言えんな」

 

 言って、でも、退かない。

 がつ、がつ、と鎧骸装の狂人狼は石床を蹴り、那月の元へとゆっくりと迫る。

 その顔に感情らしい感情はない、まさに顔なし(フェイスレス)

 それもまた、<蒼>の暴走に干渉されている弊害か。

 そして、那月は、その魔族を封じ込める、神々が鍛えた鎖――<戒めの鎖(レーシング)>をも出さず、待ち構えている。

 

「<監獄結界(ここ)>の防衛システム(機能)を修復中で、生憎、お前を縛るような無駄な鎖を割いてやれん」

 

 その身に纏わりつく甲冑が、空虚な骸骨の仮面兜が、カタカタと震える。そのぶつかり合う奇怪な騒音は、嘲笑だと。

 追い詰められて、無力な大魔女を哀れに、嗤っている。

 

 クロウの表情は、最後まで変わらず。

 躊躇のない呪いの爪が振り下ろされ―――

 

 

「次に会ったら、主の威厳をその頭に教えてやると言ったはずだぞ馬鹿犬」

 

 

 その背後より出現する腕。

 黄金の甲冑に包まれた、機械仕掛けの巨大な両腕。

 黄金の籠手が呪毒の爪撃を弾き、もう片腕、その掌だけでも優に彼女の背丈を超えたそれが、ハエでも叩き落とすように、人狼を潰す。バキバキィッ!! と殻を押し割るように<蒼>の鎧外装に、骸骨面を砕いて、さらに磨り潰す。

 そして、押し潰されて体内の肺より呼気が吐き出さす大口を開け、もがき暴れる人狼、恐れずその咢に突っ込むように伸ばした―――その左手で首の喉輪を捕まえて、

 

「我が名は空隙。永劫の炎を以て背約の呪いを焼き払うものなり―――」

 

 その黄金の光が集って、形成される『首輪』。

 何もない虚空からの零からの高位の呪具練成に禁書に破られた再契約。

 この岩窟の聖堂<監獄結界>という“南宮那月自身の夢の中”であったから、不可能を可能にできた。

 契約の呪が紡ぎ終わり、倒れ込んで人型に戻る小柄な少年を見下し、奇蹟じみた神業を成した破格の大魔女は、皮肉気(シニカル)に片端の口角を僅かに吊り上げる。

 

 

「……ふん、なんて馬鹿面だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 1分も経たずに、南宮クロウは目が覚めた。

 

「……………生きてる、ぞ」

 

 傷も、塞がっている。

 痛みも不思議と和らいでいる。

 致命傷に至らなくても、少なくとも行動を不能にするだけの損傷は与えたつもりだったのに……

 

(どうなってるのだ? ―――!!?)

 

 起き上がろうとして、がくんッ、と前のめりに倒れた。

 

「っ……?」

 

 力が、全然入らない。

 そして―――――脳裏に過る記憶。

 

「―――クロウ君! ああ、良かった目覚めたんですね!」

 

 無事を喜ぶように笑う同級生―――でも……

 

「……なぁ、ひめら―――「ダメじゃないですか。まだ急に起き上っちゃ。本当ならまともに動けるような状態じゃないんですよ」」

 

 常に立ち姿が綺麗な、鍛えられたその動作が、今はわずかに引き摺っているその違和感が目につく。

 

「……姫柊、足……?」

「―――ったく」

 

 また新たな声。

 振り向けば、そこに疲れたように肩を落としてる先輩。彼は呆れたように、

 

「もう起きたのかクロウ。ホント、吸血鬼顔負けのタフな体してるよお前」

 

「それは先輩が鍛えてないからですよ。なのに、あんな無茶して……」

 

「いや、俺も元バスケ部で結構運動してた方だぞ」

 

 その胸元のシャツが紅に滲んでおり、いつもより“血の匂い”が薄く……

 

 ―――やっぱり。

 

「なあ」

 

 夢、じゃなかったんだ……。

 

「……………それ、オレがやったのか?」

 

 俯くクロウ。

 己のしたことを悟ったからか、単に全身に走る痛覚を我慢するためか、ブルブルと震わせながら歯噛みし、食い縛る。

 ひとつ嘆息して。

 雪菜は厳しい硬い声音で、努めて冷静に、その責任を否定する。

 

「あなたのせいじゃあありません」

 

「頼むから、気を遣わないでくれッ!」

 

「クロウ」

 

「~~~ッ、ごめんっ! でも、記憶になかったけど、憶えてるんだ。手が、本気で、殺そうとした。だから、オレ……畜生にならないって……!!」

 

 一線を、破ってしまった。

 けして踏み越えないように、してしまえば、皆と一緒にいられなくなる。

 誰が決めたわけではない、独善的で自分自身に向けられた、誓い。

 くしゃり、と爪立てて頭を掻き毟る。その頭に、古城は固めた拳骨をごつんと落とし、そのまま頭に手を乗せる。

 

「ばーか。よく見ろ、俺が死んでるか? 生憎、後輩にやられるほど、やわじゃねーんだ」

 

「でも、オレ」

 

 これ以上の吐露を遮るように、雪菜も古城の乗せた手の上に手を重ねて、

 

「弱音なら聞きたくありません。誰かのせいにしようなんてこれっぽっちも考えていませんよ」

 

「そうだ。俺の傷もどちらかといえば、姫柊のが………いや、なんでもないぞ」

 

 そして。

 眠っているようにその目を瞑り、椅子に座り、その体を休めていた主が、一言。

 

「―――クロウ」

 

 古城と雪菜は手を離して、クロウも、躊躇いがちに座す那月の前に来る。那月は瞑目したままであるが、クロウは視線を合わせられずに俯かせたままで、そして、主はその“わかり切った”反応を見もせず、ゆっくりと目を開いてから立ち上がって、また一言。

 

「頭が高い」

 

 跪いて、下げた頭に、

 

 ポン、と手が置かれる。

 

「もっと固いもんだと思ったが、意外と、触り心地は良いものだな……」

 

 わしわしと“実際に”触ってみての感想をもらし――思いがけず呆然とするクロウに――思いっきり那月は拳骨を落とした。魔力を頼らない魔女は人間も同じで、幼い少女の見た目通りに素の力は弱く、痛みはない。ただ、“偽りない熱のこもった”圧力が有無を言わせず頭の中に沁み渡った。

 頭頂部を抑えて蹲るクロウに、さらにぐりぐりと旋毛を押しながら、ふん、と鼻を鳴らし、

 

「この馬鹿犬が……っ。後先考えずに行動しおって、どうせお前のことだから、単独で突っ走って、ホウレンソウもしてないんだろ」

 

「む。オレ、ほうれん草ちゃんと食べられるぞ!」

 

「食い物の話じゃない。報告連絡相談、常識の話だ。これでは何のためにアスタルテ()御守(つけ)させたのかがわからん」

 

 やれやれとクロウを見下して溜息を吐いて、

 

 

「それから、あまり失くすなよ。携帯と違って、首輪は他に預けてもしょうがないからな」

 

 

 話は終わったと那月は手を離す。

 けれど、クロウは抑えつけられた手がなくなっても、俯いたままで、それが目についた那月は少しムッと目を細め、

 

「何をニヤニヤ笑ってる」

 

「だって、なんか、なんか……あたまがいっぱいで……」

 

 さっきまで同級生に先輩の説得でも崩れなかった、頑なだった表情を緩ませて。

 ぼろぼろと、ぼろぼろと。

 

「でも、お腹はすっごくからっぽなのだ」

 

 ぐぅううぅうぅう!! と思いっきり気の抜ける音。

 

「……緊張感の続かない奴め。腹の虫くらい気合で黙らせろ。これでは主の品格が疑われるではないか」

 

「だって、しょうがないぞ。オレ、夜食に朝ご飯も昼ご飯も三時のおやつも食べてないのだ! 今日の夕ご飯は五食分いっぱいおかわりしてもいいか!」

 

「ふざけるな。今日は反省してそのまま断食してろ」

 

「えぇ~~~!? オレ、このまま何も食べなかったら死んじゃうぞ!」

 

「一日くらい飯を抜いたところで死なん。だいたいこっちは暴れたお前らの尻拭いをしてるんだぞ。主を働かせておいて、飯を優先するつもりか?」

 

「むぅ~~…………………じゃあ、待つのだ」

 

「おい、葛藤が長いぞ馬鹿犬。すぐに答えろ」

 

「早く早く! さっさとお仕事終わらせて、一緒においしいご飯なのだご主人!」

 

使い魔(サーヴァント)の分際で(マスター)を急かすとは……躾があれでは足らんかったと見える」

 

 そのやりとりに古城は思わず笑ってしまう。

 

「“やっと戻ったな”」

「はい、先輩」

 

 雪菜もそれに笑みをこぼして首肯する。

 

「それにしても、那月ちゃんも素直にクロウ―――ぐおあ!?」

 

 唐突な空間制御の一打。脳天抑えて蹲る古城は涙目で呻く。こちらは視界に入れてなかったのに、僅かなボヤキも拾うとは魔女の耳は地獄耳か。

 

「担任教師をちゃん付けで呼ぶなと何度言わせる……しかし、この私が教え子に助けられる日が来るとはな。人間、歳はとりたくないものだ」

 

「あんたがそういうことを言うなあんたが……」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 優麻はそんなやり取りを皆とは離れた位置で見ていた。

 もしこの件で悪い者がいるとすれば、それは自分だ。その誇りをひどく穢してしまった。

 だから、彼に謝りたいのだが、空気を読んで、心の準備も整えながら静かに出番を待つ。

 けれど、

 

「よかった」

 

 そのやり取りを見て、つい口に出てしまった。

 あのとき、生身で相対した大魔女は神殺しの巨狼に対し、神々に鍛えられた抑止力(くさり)を頼らなかった。

 それがなくても、『現実には存在しないもので創られた鎖(グレイプニール)』のような、“目には見えない”ものがすでにあったのだ。

 

 お母様には、結局会うことはできなかったけれど。もし、会えたら彼らのように―――

 

「ん?」

 

 ふと、違和感を覚えた。

 <(ル・ブルー)

 最後、暴走した優麻の<守護神>。<空隙の魔女>により、バラバラの残骸に変わり果てているそれ。別に、回復するにしてもしなくても、今の優麻に魔女としての能力に特に未練はない。だから、修復できなかったとしても気にしてはいない。

 のに、何かが目につく。そう、“ひとつパーツが足りないのだ”。

 

 

 ずちゅり、と。

 

 

 生々しい肉を刺す音。

 胸を背中から何かが貫く。ただし、それは胸を突き破ることはない。首を巡らして、それが、ちょうど探し物だったことに全てを悟った優麻は、血染めの口元を歪ませる。

 

「……お母様……あなたは、そこまで……」

 

 失くしていた<守護者>の『剣』。

 無手の攻撃手段を主とする<黒妖犬>には不要だった強化外装が、今、鞘から解き放たれて、術者である優麻の身体を突き刺さり―――”その肉体を空間転移の“(ゲート)”にして、

 

 

「待チワビタゾ……コノ瞬間ヲ。抜ケ目ナク狡猾ナ貴様ガ、ホンノ一瞬、気ヲ抜クノヲ」

 

 

 <空隙の魔女>の、実体である南宮那月の胸元から、空間転移された剣の切っ先が生えていた。

 

「ブービートラップ……か。自分の娘を囮にするとはな……外道め」

 

 蔑むような呻きを洩らす那月は、咄嗟に、クロウの身体を押していた。

 主に突き飛ばされて、呆気なく尻餅をついて倒れたクロウの顔にバシャリと温血が飛散する。

 すぐに均衡は崩れた。那月はうなだれたまま膝をつくと、クロウの上に倒れ込んできた。

 愕然と目を見開いたまま、クロウはあまりに軽い人形のような主を受け止めた。

 

 

「ご主人?」

 

 

 

つづく

 

 

 

NG

 

 

 <監獄結界>に迫る狂化された南宮クロウ。

 姫柊雪菜も暁古城もやられ、仙都木優麻の制止も聞かない、まさに絶体絶命。

 その時、

 

 

「―――ナー・ツー・キュン!」

 

 

 優麻が振り返ると、そこにアイドル張りの可愛らしい決めポーズを作ってる(なんか小さくなった)大魔女がいた。その天変地異の如きありえない異様なハイテンションに、度胆を抜かれた優麻、古城、雪菜。

 そして、クロウ。

 あまりにびっくりして、自分で自分の尻尾を追いかけている。絶賛混乱中のようだ。

 

「むむむっ! クロロンが誰かに操られてるぞ! えーい、キュンキュンナツキュンビーム!」

 

「―――え、ご主人……」

 

 暴走状態から一瞬で正気に戻った。

 そんなクロウに向かって、♡な手合せのまま、にっこりと微笑みながら、

 

「もう! ちゃあんと南宮那月(ナツキ)ュンのことご主人様って呼ばないとダメだよ。キュン!」

 

 こつん、と拳骨を落としながら、理解不能な謎の可愛らしいポーズ。そのあまりの(精神的な)衝撃に膝を折り、頽れてそのまま地面に突っ伏すクロウ。

 

「でも、そんなおバカなとこが可愛いー。ほらおいでおいで、なでなでイイこイイこしてあげるキュン」

 

 ありえないほど優しく、そして、ブラッシングするように髪を梳く。クロウは生唾を呑みこんだ。これまで対決してきたどの敵、どんな危機的な窮地も及ばない、かつてない最強の相手がいる。

 

「ご、主人様、大丈夫なのか!?」

 

「なあに心配してくれるのー。ありがと。でも、ナツキュンはクロロンの顔が見れて元気いっぱいだニャン。お礼にぎゅぎゅーってはぐはぐしてあげちゃうニャ」

 

「わ、ワン! ワンワン!」

 

「ニャニャ! そんな照れないでいいニャーごろごろー!」

 

 怯えて逃げようとするところ、鎖が巻きつけられて捕まえられる。

 それをどこか屠殺場に連れて行かれる動物のようなイメージで、古城たちは涙が出てくる。

 万力のようなヘッドロックでもないのに。頬に一筋の冷や汗が垂れ、身体は緊張から小刻みに震えている。目もなんかぐるぐる渦巻いてる。点滅する思考は混乱ではなく混沌と形容するべきくらいヤバい。

 

「こ、じょうくん……ごめん……なのだ」

 

 そうして、大魔女の可愛がりから解放されて、突っ伏している後輩の身体を抱きかかえながら、

 

「うおおおおおおお―――っ!」

 

 古城がただ声を嗄らして絶叫した。

 頭からぷすぷす煙を上げて壊れかけの(ショートしてる)後輩を抱いて、暁古城の咆哮が響き渡る―――

 

 

 

つづかない

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