ミックス・ブラッド   作:夜草

18 / 91
シルクハットの魔導師設定を追加


観測者の宴Ⅰ

 

 

 花を咲かすのが得意だった。

 

 

 誰に教わるまでもなく、ただ自分の“匂い”を分ければ眠っていた蕾は開き、その花の顔を見せてくれる。

 そうして見事に咲いた花を見るたびに、兄らには感心され、姉らには喜ばれた。

 狩りの仕方や生活の事は兄姉から教わったものだけれど、唯一自分だけが発現したこの超能力(ちから)は、誰にも教えてもらっていない、自分だけのもの。だから内緒に、そして、こっそり何か祝い事があるとその力を使って皆を驚かせる。

 何もない、何も変わらない、ただ生きるだけ精一杯な森の暮らしに、毎日世話になっていた兄姉たちへの末弟からほんのお礼として、ささやかな彩を添えてみたかった。

 

 だけど、そんな隠し事も、創造主(おや)にはバレてしまう。

 

『―――おおお……! いつから“それ”ができるようになったのかい?』

 

 花を咲かせるのはみんなを喜ばす反応で、創造主も狂喜してくれた。

 

『魔力の気配がないみたいだから、<過適応能力>……いいえ、それだけではないわ。感性(さいのう)がなきゃできない……植物だけでなく、動物にもできるかしら?』

 

 わからない。

 ただ、喜んでくれるなら応えたい。それが花でなくても、自分の“生命力(におい)”を分けるだけなら簡単だ。自分にとっては誰に教わるまでもなくできたこと。

 

『ほう……じゃあ、この自動人形(オートマタ)を動かしてみなさい』

 

 創造主を“サプライズ”に喜ばせたご褒美に、って自分にだけ新しいオモチャを与えられた。

 生命力を分け……最初は、できなかったけれど、生命力を魔力へ練るやり方を教えてもらったら、すぐそのコツを掴めた。

 

『叶った! 叶った! ようやく望みの“器”を手に入れた! あとは体が出来上がる13歳になるまで……っ』

 

 そして、その日、狩りも生活の事も兄姉に任せて、ひとり小屋で“人形遊び”に専念するようにと創造主から言いつけられて…………………明日の朝。

 

兄姉(これ)らも動かなくなってしまったから、自動人形と同じ要領で、動かしてみなさい―――そう、花を咲かせるように、私を喜ばしてちょうだい九番』

 

 

彩海学園

 

 

 二年前 『波朧院フェスタ』の前週。

 

 

『―――ご主人、ここにいたのだ』

 

『……ここは私の部屋だが、居ては悪いか』

 

『だって、ずっと不思議に思ってたけど、ここにいるご主人はご主人じゃないんだろ? 本物のご主人はどこかで眠ってるんだって師父が言ってたぞ』

 

『岬め。余計なことを言いおって……』

 

『だから、ご主人がここにいるって言い方は変なのかなーって考えてな』

 

『別にここにいるでいいだろうが。で、どうした。何があった?』

 

『……今日さ。『波朧院フェスタ』ってお祭りで、みんなで育てたでっかいカボチャをくり抜いて飾りにしようって話だったんだけど、カボチャがうまく育たなくてな。それで、オレが生命力(におい)を分けてやって大きくしたのだ。……でも、一個だけ、一番、生命力入れた奴が枯れちゃった』

 

『そうか。それがどうした。お前が失敗しただけの事だろう。なんだ。弁償しろとでも言われたのか』

 

『ううん。みんな喜んでくれた。助かったって……でもさ、実らそうとしてたくさんあげたら、ダメにしたってことはさ。つまり、咲かすというのは、枯らすことと同じってことなんだろ。……森にいた時からずっと考えてきたけど、オレの“匂い”って本当は……』

 

『バカげた考えだ。そんなことで悩ませるだけ無駄だ。ただでさえお前の頭の容量は小さいというのに、くだらんことばかりに割いてどうする』

 

『なら、ご主人はどうなのだ。ご主人が枯れちゃったら、オレはどうすればいいんだ』

 

『……勝手に主を殺すとはいい度胸をしているな。この私が馬鹿犬の世話になるとでも思うのか』

 

『う。オレもすっごいそう思ったのだ。ちっとも大きくならないご主人がそうなるのまるで想像できない―――あぐっ!?』

 

『余計な心配をするな。フン、一生の終着点は同じだ。お前も私も、そこにしかいけない。ならば景色でも眺めながらゆっくりといけばいい。そうすれば見えてくるものもあるだろう』

 

『うん。ゆっくり考えるのだ』

 

『それと、花は咲けば枯れるが、種を残す。お前がダメにしたカボチャにもあるはずだ。弁償として、お前が責任もって育てろ』

 

『むぅ。育てろって言われても……』

 

『別に力を使えとは言ってない。だが馬鹿犬に任せるのも不安だ。仕方がないから、私が監督してやる』

 

『……なんか、ご主人。ここにいなくても、見ててくれるお月様みたいだ』

 

『―――』

 

『だから、なんか、オレ、寂しくても寂しくない』

 

『……人語をしゃべれと言ってるだろう。意味が解らん』

 

『うー。オレがいた森は朝でも真っ暗だけど、夜になるともっと真っ暗でな。静かで、周りに兄姉(みんな)がいるのに見えなくて、ひとりぼっちになったみたいで、眠るとずっと目覚めないんじゃないかって怖いときがあった。でも、お月様が照らしてくれたから、ぐっすり眠れたのだ。だから―――うがっ!?』

 

『もういい。これ以上その口を開くな。いちいち馬鹿犬に付き合ってたらきりがない』

 

しゃへってるとひにははなひへほひいぞ(しゃべってるときにたたかないでほしいぞ)! ひたはんじゃったのだ~(したかんじゃったのだ~)……』

 

『私は忙しい、お前にいつまでも構ってられるほど暇じゃないからな。先へ行ってる。1分以内で来い』

 

『オレも一緒に連れてってくれないのか!? ここから学校の菜園はちょっと遠いぞ!』

 

『廊下は走るなよ。それと1秒でも遅れたら、今日の晩飯は抜きだ』

 

『う~、ゆっくり行けと言ったり、急がせたり、ご主人はやっぱりスパルタなのだ~』

 

 

人工島北地区 監獄結界

 

 

 ―――世界は、悲鳴をあげて目覚めた。

 

 

 崩壊する聖堂。

 この夢幻の世界を維持していた『鍵』はその機能を停止した。雪崩を打つように、<監獄結界>全域に精密な構造を組み立てていた魔術は崩れゆく。そこに桁外れの魔力が注ぎ込まれていた証左か、世界から引き剥がされて散るエネルギーも凄まじい勢いの揺れを起こす。ここまでくれば瞭然、この聖堂は陥落する。震えが大きくなるほど阻む力も必要以上に大きくなる。負の連鎖の中で、崩壊の規模はどんどん大きくなり、夢から覚めていく世界が機能不全に陥ってゆく。

 ほんの数秒前までの、夢幻に区切られた異世界の伽藍洞は死んだ。床や柱はもはや虚飾は剥がれ落ち、正体のむくろを晒す。

 この古めかしくも荘厳な聖堂は、禁断の箱―――囚人たちを閉じ込める牢獄。罪深い超人たちにとって、背約の炎が奇蹟の翼を焼き現世へと出られぬよう永遠に繋ぎ止める檻そのもの。それが、今、分厚い鋼鉄の壁と有刺鉄線に覆われた軍事要塞ならぬ監獄へと―――禁断の箱は現世へと開かれようとしている。

 

 そんな崩落の最中、古城たちを救うは眩暈に似た奇妙な浮遊感。何者かが空間を歪めて、外へと脱出させる。

 

 

 

 ただひとり影に足を掴まれたものを除いて。

 

 

 

 異変は、その数秒後に訪れた

 咄嗟に、混血の少年は鼻頭を押さえた。

 濃厚で豊潤なとある香りが、鼻腔を満たしたのである。

 

 ―――この、匂いは―――

 

 ほんのさわりを嗅いだだけで、少年の精神は一気に深みへと沈みこんだ。崩落の喧騒も聴こえているのにまるで気にならなくなり、代わりに自分の内側から全く別の情報(ケシキ)が湧きあがってきた。

 

(―――っ!)

 

 ザグン、と突き刺されるイメージ。

 

 

 ―――地獄の釜の如き、その口が開く。

 

 

 血と涎を垂れ流す乱杭歯に、足元からしゃぶるように這ってくる蛇舌。

 そのイメージが突然少年の肉体にねじ込まれたのだ。

 この身体を吐き気と怖気と飢餓と悪寒が一度に喰いつき、異様に我慢強いはずのクロウでさえも膝を折って、胸を掻き毟る。

 

「な……あ……が……っ」

 

 息、苦しい。

 呼吸も、満足にできない。

 いくつもの強烈な衝動が現れては消え、消えたと思えば激しさを増して打ち寄せて、少年の無垢な中身(ココロ)を挽き潰す。

 よじった手が、乱暴に足元の影を叩く。

 砕けた砂塵瓦礫が少年の頬を切り、クロウはその微細な刺激へ、懸命にすがりつく。

 少年をもみくちゃにする泥流。蹂躙する腐臭の悪夢。黒の中の黒の中の黒に、そう、少年の影に、ぽっかりと笑う口が浮かんでいる。

 

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 

 伽藍洞の、笑い声。

 

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 

 作り物みたいな、声。

 

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 

 だけど、記憶と一致する音。

 

 鼓膜にべっとりとへばりつき、記憶から一度も剥がれたことのない、絶叫。

 かつてヒトであったものの声なのかと疑うほどの、高密度の自我であり、凝縮された執念であった。

 

(こ、れ……は……)

 

 その渦に翻弄されながら、クロウ自身の思考が明滅する。

 注ぎ込まれるあまりの思念に、脳髄が熱湯に浸されたよう。プルプルとこみ上がってくる激情の渦に、砂地獄の如くにもがき暴れて、呑まれていく。

 

(出て―――くる―――!?)

 

 影が三つに分かれて、頭を形作る。

 左右に道化師のような悪魔、そして、中央に畜生に堕ちた魔女の面影を残す顔が、三位一体で出現する。

 自分自身の身体を抱いたまま、痙攣する。

 呼吸したくても、肺が働かない。まるで肺が大量の泡に埋め尽くされているかのようで、地上で溺れる魚の如く、喉を掻き毟る。

 

 ―――会いたかったわ。

 ―――わたしの愛しい子。

 

 これより主客は転倒する。

 実体は影法師に、影法師は実体に。演者は観客へ、観客は演者へ。

 そう、本来そうなるべきであった主従のカタチへ。

 澱んだ眼球が、こちらを射ぬく。

 見えない指が、眼球へ、鼻孔へ、耳穴へ、地肌へ、口内へ、顔の五感を司る穴という穴に触れる。ゆっくりと入り込み、感覚器にずぶずぶと潜り、神経を逆に辿って、脳底からその内側を優しく撫でる。その指ひとつひとつが『南宮クロウ』を上塗り上書きしていく、悍ましいものを流し込んでいることにも、クロウが気づいていた。

 

 ―――九番。

 

 でも、それを撥ね退けることはできなかった。

 その反応に、嬉しそうに、愉しそうに、身体を弄ったまま、嗤う。

 指から脳髄を伝い、さらに奥の奥まで、底の底まで、この魂にまで思念が響き渡る。

 

 ―――そう、抵抗してはダメ。

 ―――そう、私を受け入れるの。

 

 あまりにも無遠慮に、あまりにも無造作に、こちらを貪ってくる。

 そして、首を絞めるように、その魂に指が―――

 

 

人工島北地区 監獄結界 前

 

 

 崩壊寸前の聖堂から空間転移で脱出した古城たちは見た。

 

 

「―――周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う」

 

 

 『鍵』の夢から覚めた伽藍洞の聖堂が変容する。

 その<監獄結界>の異名に相応しく、禍々しく巨大な監獄へ。

 最強クラスの魔導犯罪者らの封印が解かれた―――

 

「<空隙の魔女>は永劫の夢から醒め、<監獄結界>は現出した。同じ世界空間にあるのなら、そこから抜け出すのは造作もないこと……だ」

 

 ついに夢の異空間から現実へと通じた要塞の巨大な門の上。

 老獪な、けれど、平安の女貴族の見た目の火眼の魔女。足元まで届く長い髪に美しい顔立ちは若々しく、けれど、優しく微笑んでるその緋色の眼球は火眼と不吉で、白と黒の二色を重ね着した十二単は死神の装束のよう。

 

 そして、その声は、仙都木優麻の<守護者>――<(ル・ブルー)>が発したものと同じ。南宮那月に一矢を報い、<監獄結界>を破った魔導犯罪者、仙都木阿夜の声。

 

「お母……様……?」

 

 そう、優麻の母親。

 認めたくないが、髪の長さと眼球の色を除いて見分けのつかない、あまりに似たその二人の容姿は、いやでも血の繋がりを感じさせる。

 

 仙都木優麻とは、単為生殖にとって産み出された(コピー)であり、<監獄結界>からの脱出のために造られた仙都木阿夜の影。

 

 その最後、<監獄結界>の『鍵』に剣を突き立てる際に、犠牲にされた優麻へ火眼の魔女はさらに―――

 

「役目を終えた道具にもう用はない。(ワタシ)と同一の存在たる我が娘よ―――貸し与えた力、返してもらうぞ」

 

「う……あ………ああああああああああああああっ……!」

 

 優麻の背後にあられた、その顔のない青騎士――契約によって下賜された悪魔の眷属の全身に黒い血管のような不気味な模様が侵食。

 そこに生まれてから愛情の一片も与えず、感動の抱擁さえなかった、初対面の娘に対する配慮も慈悲もなく。血を吐くような絶叫にも耳を貸さず。

 その契約魔術よりも血縁という強力な絆によって、<守護者>の支配権を強引に奪いにかかる。

 

「いや……やめて……お母様……!」

 

 弱々しく懇願する優麻。それを前にして、古城も雪菜も何もできない。今、眷獣と槍でこの火眼の魔女を攻撃しても、そのダメージは優麻にも等しく還って、追い打ちをかけてしまう羽目になる。

 そして、火眼の魔女は酷薄な笑みを浮かべたまま、その左手を上げる。

 

 みしっ、と。

 生木を裂くような耳障りな音。

 

 声にならない絶叫を上げる優麻。

 小鳥の翼を引き千切るような行為に、その背中から魔女の切り札たる<守護者>が引き剥がされた。

 

「ユウマっ!」

 

 用済みの道具を捨てるように投げ出された優麻の身体を古城が抱きかかえる。

 ただでさえ、背中を刺された直後に無理をして、<空隙の魔女>の補助があったとはいえ、古城たちを崩落する聖堂から超高等技術である空間転移で緊急脱出したばかりで、ひどく消耗している。

 そして、<守護者>とは、悪魔に差し出した対価であり、魔女の肉体の一部に等しい。単なる使い魔や武器ではないのだ。それを無理矢理な<守護者>剥奪により、結ばれていた霊力経路も切断されて、魔力が鮮血のように噴き出している。

 かろうじて呼吸を保っていようとも、見開かれた彼女の目は焦点があっておらず、母親の裏切りにあった旧友は無力な子供のように怯えている。

 

「なんて……ことを……!」

 

 雪菜は明白な怒気を篭めた視線をその銀槍と共に、火眼の魔女へ向ける。

 すでにその背後には主を鞍替えした青騎士、いまや影の如く黒に染まった<守護者>を従える仙都木阿夜は、それを訝しむように、

 

「第四真祖に、獅子王機関の剣巫か……いったい何を憤っている? その娘は我が作った人形……だ。どう扱おうが我の自由であろう?」

 

 本気で、本心から口にしたその文句。

 

「……ざけんな……っ」

 

 全身の血液が逆流化のような衝動。

 歯軋りしても零れてしまう殺意。

 怒りに呼応して炎と噴き出す無限の“負”の魔力。

 

「俺の友達をこんな目に遭わせておいて、言いたいことはそれだけか……!」

 

 その血のような、緋のような、赤黒い魔力の奔流は、第四真祖に宿る眷獣へ―――ならずに、宿主の激に応えられず霧散した。

 

「先輩!?」

 

 大きくよろめく古城。

 その右手で押さえている胸から、鮮血が霧となって流れ出している。そう、肉体を取り戻すために雪菜が<雪霞狼>真祖さえ殺し得る破魔の槍で抉った傷だ。

 それが底に空いた穴のように、古城から吸血鬼としての力を零れ出させてしまっている。

 

「ほう、『七式降魔突撃機槍』の使い手を捜し当てていたとは、獅子王機関の古狸共も老獪なこと……だ。我が娘にしたことなど、連中の汝への扱いに比べれば可愛いものではないか」

 

「っ!?」

 

 呪詛のように呟かれる魔女の言葉には明らかな侮蔑が含まれている。

 確かに、母親を脱獄させるための道具として育てられた優麻と幼いころから否応なく剣巫として育てられた雪菜の境遇は似通ったところがある。まだ物心もつかないうちから、選択の余地も与えずにやられたことは、獅子王機関も仙都木阿夜も同類だ。

 だが、魔女は己以上の最低であると、それを――<雪霞狼>のために用意された姫柊雪菜の存在自体をも罵り、それも知らない当人を嘲る。

 

「……てめぇは……もう黙れよ!」

 

 古城の沸点が再度達する。

 魔女の欺瞞に満ちた嘲笑から遠ざけるように雪菜に血塗れの優麻を預けて下がらせ、その第四真祖の凄まじい魔力を発する。

 だが、それが驚異的なものだとしても、眷獣として完全に実体化することはない。

 そして、この火眼の魔女は、南宮那月と同格の大魔女であり、

 

「いいのか、第四真祖?」

 

 立つのは、現界してなお原形を保つ監獄。

 

「確かに汝の力なら我を吹き飛ばすことも容易であろうが、<監獄結界>も無事では済まんぞ? この結界を維持している術者にも、相応の反動が及ぶであろうな」

 

 那月の行方はいまだに不明。そして、その後輩も何故か空間転移せず、あの場に取り残されているかもしれない。

 たとえ召喚できたとしても、今の不調で、その強力過ぎる第四真祖の眷獣を御し切れるか怪しい古城に、火眼の魔女だけを打ち抜くほど芸当は無理だ。

 

「―――もっとも、そうなることを望んでいる連中もいるようだがな」

 

 

 

 いつのまにか、黒い監獄の上に見知らぬ人影があった。

 老人。女。甲冑の男。シルクハットの紳士。小柄な若者。繊細そうな青年。

 年齢にも服装にも統一感はなく、特に不気味な容姿の持ち主はない。だが、こちらを地を這うムシケラのように見下すその目が無機質であることは全員が共通していて、

 そして、皆、南宮那月の安否を気遣う古城たちを隠しきれない強大無比の殺気を篭めた視線を差し射抜いている。

 

「まさか……彼らは……」

 

 獅子王機関の剣巫は、この最悪な事態に慄く。

 彼女の声の震えで、古城もまた理解する。

 <監獄結界>に収監されていたのは、この火眼の魔女だけではない。

 そして、火眼の魔女が外にいる現況、つまりは現界した今の<監獄結界>の脱獄は不可能ではない。

 そこにいるのは皆、<監獄結界>の囚人たち。

 この<監獄結界>でしか封じられなかった、最凶の魔導犯罪者たち。

 <空隙の魔女>に捕まり、異世界に閉じ込められた彼らにとって、その当人ではなく関係者であろうと八つ裂きにしても足りない憎しみの対象であり、古城たちへ殺意を漲らせている。

 

「仙都木阿夜……<書記(ノタリア)の魔女>、あの忌々しい<監獄結界>をこじ開けてくれたことに、まずは礼を言っておこうか」

 

 まず言を発したのは、シルクハットの紳士だった。

 おおよそ四十代半ばの白人男性。サロンやオペラハウスと言った社交場に馴染みそうな服装。けれど相当に鍛えられているのだろう、その知的で穏やかな雰囲気を強調させる紳士服も裡から押し上げられて、そのがっちりとした体形がわかるほどだ。

 最悪の囚人たちを前にしても悠然と振る舞いを乱さず、そして、傲然と火眼の魔女は問う。

 

「汝たち6人だけか……ほかはどうした?」

 

「<監獄結界>の脱獄阻止機構(システム)はまだ生きているのだ」

 

「っつうわけで、雑魚は外に出ることもできねェんだ。しっかりと<空隙の魔女>をぶち殺さなかったのか、<図書館(LCO)>の『総記(ジェネラル)』さんよ」

 

 火眼の魔女の不手際を嘲るのは、小柄な若者。

 短く編み込んだドレッドヘア。派手な色使いの重ね着に、腰穿きのジーンズなどと時代遅れのストリートファッションで、古城たちとほぼ同年代だろう。

 だが、彼もその左手首に、<監獄結界>の証たる鉛色のくすんだ金属製の手枷を嵌められている。

 

「システムに抵抗できぬほど魔力か体力が弱れば、我々も結界内に再び連れ戻されることになるだろう」

 

 なに? と囚人らの回答に、眉を顰める火眼の魔女。

 かろうじて、原形は保っているようだが、それも張りぼて、崩壊するのは時間の問題。魔女としての力を奪った以上、南宮那月に<監獄結界>を働かせる権限も魔力もないはず……

 

「<空隙の魔女>を殺して<監獄結界>が消滅するまで、ワタシたちは完全に自由になれないみたいなの」

 

 続けて文句を言うのは、退廃的な雰囲気を纏い、淫らな色気を醸し出す、菫色の髪をした美女。その長いコートの下は露出度が高く、どことなく娼婦めいた気配を漂わせる彼女の瞳は、しかし脱獄の功労者へと凄絶な殺意を放っている。

 それを向けられても、火眼の魔女は平然としているが。

 

「ふふ……おわかりになったら、さっさとあの女の居場所を教えてくださる? 同じ魔女として、心当たりのひとつやふたつあるんでしょう?」

 

「知らんな。あの女を殺したければ、精々自分で捜すことだ」

 

「そーかよ。面白ェじゃねーか……じゃあ、あんたにはもう用はねェなあ」

 

 若者は好戦的に唇をつりあげると、その右腕を振り上げる。利用価値がなければ、殺す。娘を切り捨てた魔女へ因果応報が適用されるか―――の直前に、火眼の魔女は和服の長袖に隠されていたその一冊の古本を囚人たちへと見せる。

 

「逸るな、山猿……南宮那月の居場所は知らんが、手を貸さないとは言ってない」

 

「なるほど」

 

 理解できず唸る若者の代わりに、繊細そうな面差しの青年が訳知り顔で頷く。

 

「それは<図書館>の『総記』にだけ与えられるという『No.014』……固有堆積時間操作の魔導書。つまり、<空隙の魔女>に呪いをかけた―――そうですね、仙都木阿夜?」

 

「そう……だ。十年かけて策謀を巡らせ、実の娘の肉体を囮にして、ようやくほんの一撃を与えることができ……た。致命傷とはならなかったようだが……<空隙の魔女>として体験した時間そのものを奪った今……奴は魔術も<守護者>も使えん」

 

 桁外れに強大な魔力と空間を自在に操る魔術は、<監獄結界>の管理者という凄まじい重責を担ってこそ得られたもの。そして、十年以上に渡る魔族との戦闘で重ねられた経験値は魔女を狡猾な降魔師へと鍛える。

 だからこそ、囚人たちは南宮那月を恐れていた―――だが、『No.014』はその力の源を根こそぎ奪い取った。

 

「完全に魔力を失う直前に、南宮那月は逃走したようですが、あなたが魔導書を起動させている限り、<空隙の魔女>はもう二度と魔術を使えない」

 

 つまりは逃走中の南宮那月に止めを刺せば解放される、と眼鏡の青年は冷静な口調で確認する。

 魔女は無言。解釈を各々に任せると言う体であるのだろう。

 

「そういうことなら、手を貸してあげてもいいわよ、仙都木阿夜。あの女を殺したいと思っているのは、みんな同じ―――早い者勝ちということでいいのかしら」

 

 菫色の髪の女が賛同を求めるように微笑み、そこで、紳士の男性がその手枷を見せるよう魔女に向けて挙手をする。

 

「ならば、何故、“今もシステムは動いている”? <監獄結界>の『鍵』が、その『鍵』としての能力を失したのならば、この神々が鍛えた枷に魔力が宿ることはないはずだが」

 

「んなことはどうでもいいだろうが、魔導師。どっちみち<空隙の魔女>はぶち殺すんだからよォ」

 

 ドレッドヘアの若者の言葉に、脱獄犯一同、遮られた紳士の魔導師も、同意するように頷く。

 逃走した南宮那月を捜し出して始末する。それは共闘同盟を結んだ脱獄犯たちの意見が満場一致した揺るぎない決定である。

 その魔術も魔力も、魔導書の力によって封じられて、記憶も失っている<空隙の魔女>は、一般人と変わらない、とてもこの場にいる魔導犯罪者たちを相手にできる実力はない。

 ならば、その力を取り戻す前に仕留めるべきだ―――

 

「ざけんじゃねェ……そんな話を聞かされて、お前らを行かせると思ってるのか」

 

「……アァ? 何言ってんだ、このガキは……?」

 

 前に出る。

 身体は万全には程遠い。だが、古城の足が向かうは後退ではなく前進。胸の傷口を押さえながらも、目は奴らから逸らさない。

 この<監獄結界>を破るために利用されたのは、<第四真祖>の魔力。そのことに古城には少なからずの責任を感じている。<監獄結界>の封印を護るために、那月が支払い続けてきた代償を知った今ならなおさら。

 <監獄結界>は、番人たる『鍵』がやられても、どうやらまだ作動しているようだ。弱らせれば、また封印できる可能性がある。

 だが、それをこの魔導犯罪者たちにできるか?

 

「おお。そういえば、あなたがいましたね第四真祖」

「この際です。弱っているようですし、先に排除しておきましょうか」

「<混沌の皇女(ケイオスブライド)>の血に連なる氏族(トライブ)としては、真祖に手を出したくはないのだけど。跪かせてみたいわねぇ」

「真祖とは脱獄して早々焼き甲斐のある獲物に巡り合えたわい」

「ジャマをするなら、ダレであろうとホフるのみ」

「ったく……たかが吸血鬼の真祖風情が、止めるつもりかァ?」

 

 社交的な笑みを浮かべながら紳士の魔導師は目に冷酷な光を宿らせ、

 眼鏡の青年が物静かな口調で提案し、

 コートの女は溜息を零しても妖艶に唇を舌で濡らし、

 老人は枯れ枝のような腕を掲げて笑い、

 甲冑の男は何の感慨もなく背中の剣に手を伸ばして、

 小柄な若者は蔑むように鼻を鳴らして、古城たちの前に飛び降りた。

 

 誰一人、暁古城を――世界最強の吸血鬼である<第四真祖>を恐れている者はいない。

 誰が相手であろうと、自分が敗北することはありえないと、彼らは当然のように信じているのだ。

 

「―――先輩! ここは私が引き受けますから、早く優麻さんを連れて逃げてください!」

 

 槍を構えて、雪菜が前に出た。

 その表情に余裕はない。<監獄結界>に収監されているというだけで、この場にいる魔導犯罪者たちは十分に脅威であり、その戦闘力も未知数。それが6人もいて、加えて南宮那月と同格の仙都木阿夜。いかに雪菜が優れた攻魔師であり、あらゆる魔術を無力化する獅子王機関の秘奥兵器を持っていても、この全員を相手に無傷でいられるとは思えない。おまけに、まだ前回の戦いの消耗から回復していない。ダメージが残っているのは古城だけではないのだ。

 

「ダメだ姫柊! 残るなら俺が―――」

「ダメです。こんなところで、先輩に眷獣を使わせるわけにはいきません。ここは私が時間を稼ぐのが最善の判断です」

「―――だからって、おまえを見捨てていけるわけないだろ!」

 

 古城は思わず怒鳴り返した。一方的に自論を押しつける雪菜に腹が立っていた。冷静な判断のようでいて、当然のように自分を犠牲にする考えが、本気で頭に来ていた。そう、“以前にも”―――

 

 

『―――古城君、オレが“センパイ”たちを相手にする。十二番(じゅうにばん)を連れて、ここから逃げるのだ』

 

 

「―――っつぅ」

 

 腹に開けられた風穴からではない、頭からくる痛み――過去を掘り出したときに走る激痛が古城を襲う。

 

「先輩っ!?」

 

 唐突に膝をついた古城の様子を視界に捉え、雪菜は思わず、決戦間近にして囚人たちから目を離して、そちらを見てしまった。

 それを逃す歴戦の猛者ではない。

 

「ハッハァ―――! 余所見とはいい度胸だ、第四真祖ごとブッ潰れろ―――っ!」

 

 その間合いは10m以上離れている。素手の攻撃が届く間合いではないのに、構わず、大上段に構えた右腕を振り下ろす若者。

 そこに魔術も、魔力の欠片も感じられない。

 

 だが、突然、途上にあった浮橋を裂き砕かれた。

 

 砕氷船が北極の氷海を猛然と進むように破滅が迫る、不可視の長大な刃。

 数十m大の刃は破壊の痕跡を刻みつけていき―――だが、浮橋と陸地の境に遮られた。

 

「―――!?」

 

 空間を削いだように生じる、“黒い線の走る亀裂”が、古城たちの前にあった。

 それが、不可視の刃を“噛んで”いるのだ。

 

 ボギン!! という何かが折れる音が炸裂した。

 

 不可視の刃は、破断されるのではなく、“蝕まれた”。

 強酸をかけられた物体のように、消失する。

 

「……なに? 俺の轟風砕斧を防いだだと?」

 

 己の必殺の攻撃を邪魔されて、小柄な若者はピクリと片眉を上げる。しかし、動揺していたのは古城たちも同じだ。凌いだは雪菜でも古城でもなく。

 

「―――っ!」

 

 その瞬間、古城は総毛立つのを感じた。

 

 一瞬にして、場を、沈黙させた。

 大気が震え、すべてを捻じ伏せ、押し潰すかのような凶暴な威圧感が、<監獄結界>から解き放たれる。

 いつのまにか。

 時間が逆戻りするかのように、崩れたその威容が復元されており―――監獄の門が開かれていた。

 巻き戻りに瓦礫が動く際に発生する粉塵は、煙幕が焚かれているように舞っている。しかし解っている。その見えざるカーテンの奥から、明確な『視線』が突き刺さるのを。尋常ならざる、それこそ明らかに人間のものとは違う、満月とも間違う金色に『光る眼』を持つ何者かが、この檻より『番人』が現れたことを。

 

「テメェか! 俺の轟風砕斧を邪魔しやがったのは! おかげでプライドが傷ついちまったぜェ!」

 

 そこには銀人狼がいた。ただその普段とは違っている、その足元の影から煙のように昇り立つ獣気がその感情の熱量に焦がされていくかの如く色がついていく。禍々しい黒褐色のその芳香はゆらゆらと陽炎のように揺れて動き、気体であるはずなのに実体があるかのように見える。そう、空間の亀裂じみた正体はこれで、古城が先ほど受けた蒼黒い瘴気とおそらく。同じだが、無感情に放っていたものとは違い、そこにはより黒々と変化している。

 

 

 

「―――ゥグルルウゥゥァァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 それは、ただの叫び。

 <監獄結界>にいるすべての者が耳にしたであろう、魔女の眷獣の咆哮。

 魔力も何も特別なものはない。けれど。

 怒号、悲鳴、絶叫、人の耳をつんざくような叫びなどそんな感情を乗せた声とは一線を画する。叫びは感情の発露だ。しかしそれはそんなものではなかった。

 あたかも百獣の王が、他の獣を従わせんと天地に向かって吼えたかのようで、それを耳にした者は否応なくその咆哮を耳朶に刻み込まれてしまう。

 

 ただ、耳にしただけの者でもそうなのだ。

 真っ向からそれを浴びせられた小柄な若者が、平静でいられようはずもなかった。

 

「な……あ……!?」

 

 一呼吸。

 この場、すべての“匂い”を吸う。それだけでこの状況を把握し、そして、この身に託された“残り香”から方策を検索して、最適な“解答”がその脳裏に縫合される。

 

「オマエは、亞神の末裔たる『天部』。古代超人類の生き残りで、念動の衝撃波を操る能力者―――シュトラ=Dだな」

 

「テメェ……何者だ」

 

 出てきた建物の上には、まだ残る5名がいる。単騎で敵の懐に現われた少年は、シュトラ=Dの問いに端的に応えた。

 

 

 <空隙の魔女>の眷獣。南宮クロウ、と。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 月の最終週のこの日。

 今宵は、新月。

 陽が沈もうと、月は昇らず。

 

 されど、沈むまでの僅かな間、この煌めきは闇を切り裂いた。

 

 

「―――つくづく、世話の焼ける、使い魔だ」

 

 

 力尽くで。

 黄金の軌跡を描く斬撃が、少年ごと“影”の感応(リンク)を断ち切った。

 脳髄に侵入されたまま、後遺症が残るのもお構いなしに。とにかくそんな悠長に構っていられる余裕はなく、今ある全身全霊を注ぎ込んで、“寄生虫”の接続を断絶する。

 

 ブッツリ、と。

 

 まるで深く根付いた雑草を引き千切るかのような不快極まりない音。切り離されて悲鳴を上げて退散する三顔の悪魔。そして、周囲に飛散する血、血、血……

 それは、少年の身体から発生していた。

 縦一文字に裂かれた傷は、その古傷を精確になぞっている。どっと力が抜けて、糸の切れた操り人形みたいに、前傾からそのまま倒れて、岩肌の地面へ顔から落ちた。

 だが、深刻なのはその外傷ではない。

 

「ちっ、半分もっていかれたか……」

 

 魔女の仮契約とはいえ結ばれていた<守護者>の半分を奪い取られている。身体を乗っ取られることは防いだが、完全に仕留めきれず、内臓の半分を奪い去られた結果だろう。あの『仮面憑き事件』で<模造天使>の過程で敗退して霊的中枢を取られた『仮面憑き』と同じ状態だ。

 そして、強引な施術の代償に、切断された霊力経路から残された魔力が流出している。このままでは生命力が枯渇して、死んでしまう。

 それだけではない。

 

「やはり、これは『No.014』……固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書か」

 

 徐々に、魔女の手が小さくなる。

 その身体から、魔力を絞り出すのが苦しくなる。

 南宮那月もまた、斬られた呪いが発動しつつあるのだ。

 

 大魔女と自負はあるが、力を失いつつある今の状態で、超高難度魔術である契約に関わる魔術に干渉するのは、危険だ。

 

 ならば、今の状況で、可能な手段はひとつに限られる。

 

「……<輪環王(ラインゴルド)>」

 

 何もない背後から黄金の光が溢れ出し、崩れゆく聖堂を温かく照らす。落ちる瓦礫をも弾いて、輝きは徐々に形を変えて輪郭を整え、やがて煌びやかな金属の質感を具現化させて大魔女の背後に君臨する。

 黄金の、悪魔の騎士。

 

 それが顕現してすぐ、金色の粒子に変わっていき、少年の身体に染み込んでいく。

 貴き純血の魔女が結びし<守護者>が、純粋な力に変えられる。

 傍から見れば、それは眩い金塊の銅像を融かすような愚行であったろうが、そこに黄金にも勝る尊さが存在した。消えかけた蝋燭に、灯を別けて輝きを取り戻すよう、その本来の生命力の強さがまた燃え始め、魔力の流出に出血が止まる。

 重要な臓器を失ったのならば、代わりの臓器を繋げて、傷口を塞ぐしかない。長い間使い魔契約を結んでいたおかげで、馴染んだ魔力に、拒絶反応はないだろう。

 だが、すべては等価交換だ。

 魔女はその切り札を失い、眷属は代わりに重荷を背負うこととなる。

 

 ……どうして。

 

 呆然自失した少年は、口に出すほどの気力はなくとも、その目で訴える。

 その力は、主を守護する力。今、なくてはならない力のはずだ。かつて自分を撃退し、自分よりも強大なその力を、何故、自分に使うのだ。どうして、主は<守護者>よりも弱い使い魔の自分に、と。

 けれど、なのに、大魔女の顔は少しの後悔の色はなかった。

 

 ご主人……!! ダメだ! コイツがいなくなったら、ご主人が危ないんだぞ!!

 

 少年は疑念と焦燥がごちゃ混ぜにした表情を浮かべて、力いっぱいに声なき声を叫んだ。それでも魔女はいまさら取り返すような真似はしない。迷いの欠片のない一切停滞しない高速詠唱で儀式を最後まで終えてから、

 

「……たった一人で異界に取り残される私は歳を取ることもなく、誰にも触れることなく、ただこの世界の夢を見ていた。いずれ、どこにも行けない私は忘れられるだろう。

 ―――その私を“お月様”だと」

 

 表情を映すその目の前に手がかざされる。視界を掌に覆い隠しながら、

 

「まったく、名前のなかったお前に『南宮』の姓までくれてやったのは、失敗だった。気まぐれにやっていいものじゃなかったな。あんな戯言ひとつも聞き流せずに……どうやら、私もヤキが回ったかもしれん」

 

 そうぼやくが、笑みさえ浮かべて、

 

「それにどうせ、私が持っていたところで使えん。もうすぐこの体は使い物にならなくなるだろう。しばらくの間、こいつを預けてやる。だから、お前がしばらく私の代わりを『鍵』を担え。そして、蹴りを付けて、私に帰してこい」

 

 まあ、私の代役などそう務まるものではないが―――そう付け足してから、しばし口ぐもった後、何かに慣れない文句に戸惑うかのような間を置いてから、余計な装飾は省き簡潔に略して告げる。

 

 

「お前は、私の…眷獣だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 獣は獲物を襲う時、咆哮などあげない。

 気配を覚られれば無駄に警戒をされてしまうだけ。狩りの難易度を上げる始末だ。

 

 だが、己の存在を、相手に、そして世界に誇示せんがために高らかに謳うのだ。

 

 その声に乗せたのは、感情ではなく、己の意思。

 誰が相手であろうとけして屈さず、退かず。その咽喉笛に喰らいついてでも生きる。敗北は許されず、必勝で臨むだけの戦う理由があるのだとここに示す。

 戦争の開始を告げる叫びは、天地を焦がさんと、響き渡った。

 

 

 

 登場だけで囚人たちを黙らせたせいか、古城のところまで足音が聞こえる。

 しかしそれは、まっとうな人間の出す音ではない。一歩一歩踏み出すごとに、ズン……ッ!! と浮橋から低い震動が伝わってきて、

 

 どろり、と大地が溶けた。

 

 その身に纏う漆黒の獣気が、そのような作用をもたらしたのだろうと、なんとなく古城は直感した。そういう直感が働く理由はあまり考えなかったが、“あれ”が『第四真祖の後継機』たる存在であったと不思議と認めてしまう。

 歩くたびに、大地が溶けた。

 熱で溶けているというよりも、生き物に喰らわれているようであった。

 

 圧倒的な力の片鱗。或いは明確化された死へのカウントダウン。伽藍洞の監獄より現れた奇怪な足音が示すものは、もはや暴力以前の理不尽さだけだ。

 

 眼前より迫る空気は灼けるほどに熱く、肌をひりつかせる。

 シュトラ=Dの背中より突如として、新たな腕が出現する。生身ではなく、念動力によって生み出された幻影の腕。この六臂こそが『天部』として力を発揮する本来の構えだ。

 意識したわけではない。それはほとんど過酷な世界を生き抜いた強者の本能に従った動作であった。

 

「南宮クロウ……<空隙の魔女>の眷獣、ですか」

 

 眼鏡の青年の声が、シュトラ=Dの耳朶をかすめる。

 それを聞き、また銀人狼自らの名乗りを耳にして、魔導犯罪者たちはそれが南宮那月に近しい人物であることを知る。

 そして、同時に。

 あれは、ここで狩っておかねばならない障害である、と。

 

「調子に乗ってんじゃねェぞ、犬公! 行け、轟風砕斧―――!」

 

 六本の腕。数字的に三倍となった念動の衝撃波。それは現代超能力者の<過適応者(ハイパーアダプター)>をも超える古代超人類の猛攻。

 

 ―――火花が咲く。

 

 不可視、魔力の気配さえない三つの鎌鼬は、しかし銀人狼には通じない。

 

 敵の殺気と己の直感、そして、風切り音で軌道を読む。

 銀人狼にとって“視認できない攻撃”はそう脅威ではない。

 銀人狼はその先を行く――“理解しても防げない攻撃”こそが、仕留める極め手である。

 

「―――煌坂の方が鋭いぞ」

 

 その点で言えば、舞威姫の<煌華麟>の『空間断絶』が繰り出す斬撃は喰らえば防ぎようがない。

 あれはもう避けるしかないのだ。

 それに比べれば、『天部』の衝撃波の斬撃は御しやすい。

 不可視であるが、この腕に集中させた生体障壁で弾けば防げるモノならば突風となんら変わらないからだ。

 

「チ―――とっとと潰れろ! 轟風砕斧―――!」

 

 必殺の旋風が悉く。

 互いの距離は10m前後で、こうして観察している限りその手には武器らしい武器は何もないし獣人種のほとんどは魔力が使えないはず。

 それでも、シュトラ=Dは全身の神経を集中して、その指先の動きまで捉えていた。荒れているとはいえ、頭脳は冷めている。下手な一手は打たず、最適な判断で狩り。そして、攻めは最大の護り。その手が届く制空圏に入るのはまずいと判断し、間断なく衝撃波の斬撃を放って、反撃どころか接近する余裕も与えない―――

 

 ゆらりと前によろめいた―――その一瞬。

 逃さず、シュトラ=Dは幻腕をそれぞれの腕に絡める。

 

 決着は、一瞬。

 六臂を一点に集中させて起こした轟風は擬神化された龍の如く、銀毛の人狼を飲み込もうと、その蛇体を螺旋(おど)らせる。

 威力は乱雑に放たれたものとは段違い。

 それが衝突する1秒後、鋼より強靭な銀の体毛はズタズタに引き裂かれるだろう。

 渦を巻いて迫りくる真空の波へ―――潜り込むよう地を這う四足の走法で突進。

 

「ッ!?」

 

 シュトラ=Dが息を呑む前に、すでに銀人狼はその真横へ飛び込んでいた。消えた。そう判断するしかないほどの速度で懐深くへ潜り込んだ銀人狼は、天部の横っ面をぶん殴っていた。

 音は聞こえなかった。

 ただ古城の視覚が、浮橋を超えて、海上へ吹き飛び跳ねるシュトラ=Dの身体をかろうじて捉えた。古城はまだ息も吸えない。それでも肺の中に残っている空気を吸い、ほとんど反射的に叫ぶ。

 

「上だクロウ!」

「―――もう、オソい」

 

 攻撃直後を狙い、銀色の断頭刃(ギロチン)が襲う。

 監獄の上より跳躍して、十数mという距離を一息で落下してくる甲冑の男が、大剣を兜割に叩きつけた。

 

 それは眷獣をも屠る一撃。

 

 ブルード=ダンブルグラフ。

 西欧教会に雇われていた元傭兵にして、『龍殺し(ゲオルギウス)』の一族の末裔。祓魔師の中でも、戦闘だけに特化しており、そして、龍との戦闘に巻き込んで、数多くの都市を滅ぼした。

 

「ワが殺龍剣(アスカロン)にコロせぬマゾクはいない」

 

 避ける隙も与えずに、脳天に振り下される龍殺し。

 人の膂力が繰り出したとは思えない圧は、その場にクレーターを作る。

 だが、それを交差した腕――黄金の籠手を纏ったそれで、火花を散らして、受け止められた。

 

「―――姫柊の方が怖いぞ」

 

 それでもあらゆる魔術結界を破り、あらゆる魔族特性を無力化する破魔の槍を振るう剣巫の一撃と比べて、龍に特化した祓魔師は重いが、止められないほどではない。

 

 そのまま籠手に刃を滑らせて飛び込み、肘打ちを左胸の心臓に叩き込む。

 全身に纏う甲冑は同じ西欧教会に所属していた殲教師の<要塞の衣(アルカバ)>とよく似ている。

 だが、その肘打ちは急所を抉り込む鎧通し。貫通した衝撃は硬い甲冑を突き抜けて、内側で爆ぜる。

 しかしそれを受けて尚、『龍殺し』は怯まず。

 

「ワレのヨロイは、ワレのニクタイをマモるためのものにアラず。ワレのタタカいにタえられるイショウが、これイガイになかったというだけのことよ」

 

 龍の返り血を浴びたことで鋼の硬度と化したその全身は、如何なる武器をも受け付けない不死身の魔性を秘めている―――これが龍を殺した英雄の特権。

 

「ふっ……!」

「ハァ……ッ!」

 

 ぶつかり合う殺龍剣と金剛拳。

 英雄の剣戟に圧されながらも、銀人狼はその拳打を緩めない。

 

 ―――夕闇に走る銀光と金光。

 

 大魔女より加護を貸し与えられてその身体にどれだけの力が籠められているのか。

 わずかに力負けしているようでも、一歩も譲らなかった。

 旋風にしか見えない龍殺しの両手剣を受け、弾き、真正面から打ち崩していく。

 

「―――」

 

 息を呑む音は、古城だけではないだろう。

 傍らでその未来視じみた霊感で視ている雪菜もまた呆然と、その姿に見惚れていた。

 しかし。

 龍殺しの英雄の、あまりに凶悪な一撃によって、銀人狼は体ごと弾き返された。

 

「クロウ……!」

 

 金剛石の籠手に一撃を受け止めたが、それこそボールのように弾き飛ばされ―――海へ落ちる寸前で、だん、と拳を大地に叩きつけ、ブレーキを掛ける。

 

「―――!」

 

 反動によろめいてるのか。

 銀人狼は地面に拳を埋めたまま動かない。

 

「―――トドめだ」

 

 甲冑を纏う英雄は、悪夢のようなスピードで銀人狼へと突進する。

 薙ぎ払われる龍殺しの大剣。

 

 それを。

 

 視線を逸らさず、籠手よりさらに展開された肩当ての甲冑を纏った肩で受け止め、銀人狼は二度、大きく弾き飛ばされた。

 

 ―――岩島の上、何十mと吹き飛んでいく。

 

 銀人狼は一直線に、それこそ剛速球のように、聖堂の門へと叩き込まれた。

 

「―――」

 

 それで、死んだと思った。

 一撃ならまだいい。

 だが、あの龍殺しの渾身の斬撃を二度受けて、無事でいられるはずがない。

 銀の暴風が移動する。

 既に勝敗は決したというのに、まだ飽き足らないのか。

 『龍殺し』の末裔は、獣の如き咆哮を上げて聖堂の門前へと突進する。

 

「クロウ―――!」

 

 監獄へ駆け込もう―――と。

 踏み出した瞬間にあった光景は、古城の予想を遥かに裏切っていた。

 

 真下から突き出された『角』に吹き飛ばされる英雄。

 

「コザカしい!」

 

 怒涛に突き出される角、角、角、角、角、角、角、角、角、角、角、角、角、角……

 拳から生命力が浸透(マーキング)された大地が、龍殺しに牙を剥く。

 咆哮を上げて英雄が大剣を一閃して、冗談のように重い岩角を両断していく。

 

 ―――その中。

 

 乱舞する岩角の上、颯爽と駆け抜ける獣人がいた。

 

 吹き荒れる龍殺しの一撃。

 ドンドンと音を立てて吹き飛ぶ岩角。その中で、先ほどと同じ―――いや、それ以上の力で、銀人狼は龍殺しと対峙していた。

 

「ちょこまかと―――!」

 

 状況は、ここで逆転した。

 ただただ破壊する龍殺しに対し、有利な地の利を築き上げる少年。

 障害物に阻まれる龍殺しと、障害物などないかのように、重力さえも無視したかのように疾駆する銀人狼。

 

 ブルード=ダンブルグラフにとって、この程度の障害など些末事だろう。

 だが、けしてゼロではない。

 戦場としては些細な違いではあるが、その僅かな差こそが、拮抗する両者の天秤を傾けている。

 

 龍殺しの大剣は悉く空を切り、台風のように周囲を破壊するだけだ。

 

 その合間。

 

 振るわれる暴風と舞い上がる土塊、切断されていく岩角の礫の中で、銀人狼は体毛に黄金の籠手を汚さず踏み込んできて―――

 

「ナニモノであろうと、ワが殺龍剣(アスカロン)のテキではない!」

 

 大剣を突き出し、線から点への攻撃範囲変更。

 障害物に遮られない攻撃は迫りくる銀人狼を口から串刺しにする方向で進み、その結果、英雄は喉を凍りつかせる。

 

「こんな簡単に誘いに引っかかるなんて、オマエ、人間なのに馬鹿だな」

 

 突き出された大剣の先端、、そこに軽く爪先を乗せた一本足立ちの銀人狼の姿がある。

 微妙な力関係に、神憑りなバランス感覚があって初めて成立する軽業だ。その絶妙な均衡が崩れる前にもう片足を踏み込む。震脚―――大剣を地面に埋め、さらに足元に“匂付け(マーキング)して岩で固める。それはさながら石に刺さった伝説な聖剣のような有様で、けれどその選ばれたものでも早々抜けはしない。

 攻撃コースを限定してからの、武器封じ。

 されど、龍をも殺した北欧の狂戦士(ベオウルフ)は、剣がなくとも素手で標的を仕留めるのだ。

 

「ナめるな、ジュウジンゴトき、ケンなどいらぬ!」

 

 剣から手を離して、その龍の血を浴びた鋼の肉体を猛然と振るい―――だが、相手は仙術と武術の達人に仕込まれた銀人狼。

 その不死身の肉体頼みの大雑把な突進(チャージ)をする龍殺しへ一打を見舞う。

 

「―――壬生の秘拳『ねこまたん』!」

 

 絶招と奥義の合わせの返し技。

 殺龍剣(アスカロン)を受け流して、叩き込まれた両手から、追い打ちに放たれた紫電迸る気功砲。

 その威力は甲冑を爆散させて、龍殺し(ゲオルギウス)の不死身の肉体を深く抉り抜いて、小三つに大玉ひとつの肉球型の気功砲に呑まれて突き飛ばした。

 今度はブルード=ダンブルグラフが数十mをホームランされて海へと落下。

 

「これは、活きの良い獲物だ! 儂が焼き尽くすに値する!」

 

 息を吐かせるほどの暇しか与えずに乱入した、嗄れた声で喝采する老人の全身が赤く染まる。

 憤怒で肌を紅潮させたのではなく、その肉体そのものが高熱を帯びた金属のように発光しているのだ。

 

 そう超高温の炎の化身たる炎精霊(イフリート)の如く。

 

 キリカ=ギリカ。

 中近東カブリスタンのゲリラ部隊出身で、効率よく敵を殺すために、自分の体内に炎精霊を植え付ける術式を仕込んだ化け物。6年前に、絃神島でテロを起こそうとしたところを捕縛。

 

 精霊は、高次空間に存在するエネルギー体。極めて高純度な霊力の塊であるが、召喚された精霊は、一瞬で崩壊して消滅する。高位の魔術師や聖職者ならば攻撃手段として利用できるが、その扱いは難しく、存在を維持して世界に留まらせ続けるには、戦艦クラスにしか搭載できない精霊炉が必要だ。

 それを個人レベルで扱うごく稀な例外が、『精霊使い』――精霊召喚士。

 その単純な攻撃力は、そこらの魔術師など比較にもならず、人の身でありながら魔族を超えた恐るべき怪物。

 

「―――フォリりんの方が凄いぞ」

 

 それでも、北欧アルディギア王家の姫御子がその身に宿しているものと比べれば、老人の炎精霊は遥かに低級。

 

「これは、神気じゃと……!?」

 

 特殊な呼吸法で身を震わせ、発する重圧を布く黄金の獣気と神気の混合。鋼をも誘拐させる高温の『精霊使い』の炎撃の霊力を、格上の仁獣覚者の神気が塗り替える。

 そして、鶴の舞の如く、鮮やかに軽やかに、枯れ枝の老体に連撃を叩き込んで、また海へと落す。

 

 魔導犯罪者相手に三人抜きで大乱闘を制す。

 それを監獄の上で見る残りの3人は奇襲を仕掛けず―――銀人狼は止まらない。

 

 いいや、戦争を始めてから停滞は一切していない。

 足や身体の捌き方だけでなく、目を動かし、鼻を働かせ、頭を使う。戦いに臨んでは、常に動き、常に感じ、常に考えている。

 必ず機先を制し、相手に一秒たりとも主導権を与えない。

 それが可能となれば、望むままに打ち込むことができ、逆に敵の狙いを悉くいなすこともできるだろう。

 致して、致されず、主導権を常にとり続ける戦法、それはひとつの究極系。

 それはまだ、銀人狼には達することはできていない域であるが、この場にいる誰にも優る立場に立っている。

 その嗅覚過適応(リーディング)の先読みもそうだが、今、大魔女の十年の年月に及ぶ以て編まれ、練られ、昇華された経験値を、<守護者>のパスから過去を嗅ぎ取っている。

 

 

「―――もう、オマエらまとめてブッ飛ばす」

 

 

 右腕の籠手も、肩当ても消えて―――巨大なシャチが海面を跳ねるように、その左籠手より黄金の剣が飛び出した。先の殺龍剣よりも巨大な、人が両手で持つにもあまりに大きなそれを左腕一本片手で振るう。

 <輪環王>と呼ばれた<監獄結界>の『鍵』に仕えし、黄金の悪魔の武器を。

 

「犬如きに那月が<守護者>を託した……だと!?」

 

 火眼の魔女がその黄金の煌めきに、初めて瞠目する。

 

「―――<輪環王(ラインゴルド)>! 一点集中全力全開!!」

 

 爆音が生じた。

 所有者に合わせてしっくりくるよう変形させているのか、黄金の剣は銀人狼の爪に組み込むよう籠手と一体となっており、そこから伸びる生体障壁の気爪が、一気に10m以上に伸長し、

 

「もっと!」

 

 ゴッ!! と不気味な音を発して、さらに10倍。

 

「まだまだ!」

 

 叫びながら、円盤投げをするよう、銀人狼はその場を回って、シルクハットの紳士、コートの女、眼鏡の青年がそれぞれ構えを取ろうとした直後だった。

 

 ドッ!!!!!! と。

 

 彼らの立つ監獄の上を突き抜けるように、黄金の刀身を軸に極限まで伸長された気爪の熊手払いが突き抜けた。ただし、その薙ぎ払いは、一回りしただけで、もはや古城の肉眼では確認できないほど巨大な変化が生じている。長さも、そして、速さも。いきなり『結果』だけが突きつけられることになった。

 そう。

 今のは、上より見下ろしていた魔導犯罪者たちが吹き飛ばされた轟音だ。

 

「おい……おい」

 

 古城は思わず監獄の向こう、海の彼方へ目をやった。

 なんて、出鱈目。

 結局、遥か遠くの雲に横一線の爪痕があったところを見ると、地平線の果てまで届くほどの如意棒と化したのだろう。もはやレーザービームな飛び道具となんら変わらない攻撃距離に範囲。

 それを横へ振り回す、肉眼では現実味が脳まで伝わらない光景で、それだけ長い得物を片手で振るいきった豪腕もそうだが、『一瞬』でそれは終わった。

 その一振りだけ、『殴る時間をゼロにする』という、空間制御の補助が働いた。彼らは構えても、いつ攻撃を喰らったか、わからなかっただろう。

 <監獄結界>に当たらないよう、直撃こそしなかったが、それを掠めた余波だけでも十分すぎる。<第四真祖>の天災に等しき眷獣に匹敵する蹂躙劇。

 それでも魔導犯罪者たちはまだ監獄のシステムに囚われていないようであるが、とりあえずの脅威を払い、

 

「―――クロウ君!」

 

 ふいに叫んだ雪菜に、窮地を脱していなかったことを古城は悟る。

 

「―――<(ル・オンブル)>」

 

 いつのまにか、主たる火眼の魔女の傍らから消えていたその<守護者>。

 それがその名の如くに、銀人狼の影より現れる。

 

 魔女の戦闘は、正面切ってのぶつかり合いなどしない。相手の隙を衝き、騙し合い、一瞬でも早く相手を仕留める。

 魔女の持つ巨大な魔力に比べて、それを防御する彼女たちの肉体はあまりに脆弱だからだ。だから、一撃必殺の技量を磨く。

 

「犬め。外道が産み出した穢らわしい忌子が……生まれながらにして管理者として設計(つく)られた我が盟友(とも)の代わりをするなど、思い上がりも甚だしい……!」

 

 漆黒の鎧を纏った顔のない騎士は、容赦なくその首を掻っ切るように剣を突き出して、

 

 

「―――オマエより、ご主人の方がずっと強いぞ」

 

 

 “匂い”はもう覚えてる。

 二度目の奇襲は察知したが、意地でも避けず。

 主の力を奪った呪いの刃を、白刃取りのように口で噛んで止めた。

 呼気と共に漆黒の獣気を洩らす顎力で噛み止めた剣先を砕いて、魔導書で魔術強化された呪剣の欠片を咀嚼する。

 

「オレは、オレがご主人の代行を務まるかなんて、思っちゃいない」

 

 天上にある月星は、手を伸ばせば届いたように思えても、触れることのできない。けれど―――

 

「オマエら如きを相手するには、未熟者で十分なのだ」

 

 火眼の魔女に睨まれ、海上より6人の魔導犯罪者たちが帰ってくる。今度こそは、油断のない逆襲に遭うだろう。それでも、大魔女の眷獣は啖呵を切って、火眼の魔女を睨み返す。

 

「オマエが、一番嫌がることをしてやるぞ」

 

 悪戯っ気な笑みさえ浮かべるその様を見咎め、阿夜が不快を露わに、眉を顰めて―――吐き出された問い掛けに、不覚にも息を詰まらされた。

 

 

「なあ、どうして、オマエだけ、ご主人の束縛から解放されているのだ」

 

 

 そう、囚人たちにも聞こえるよう、大きな声で。

 南宮那月の記憶を奪ったというのなら、当然そこには<監獄結界>の『鍵』――解除(デコード)プログラムが含まれていたはずだ。現に、十二単の袖に隠された火眼の魔女の手首に、あるべきはずの手枷はない。

 仙都木阿夜は、すでに<監獄結界>から完全に解放されている。

 しかし彼女は、<監獄結界>の『鍵』を手に入れたことを、他の囚人らには伝えず、ばかりか無力化された南宮那月を追うよう扇動している。

 けれど、その企みも銀人狼の言葉で崩壊する。

 

「テメェ、騙しやがったのか……」

 

 気づかされて、真っ先に視線を向けたのは最も感情的なシュトラ=D。今このとき、魔導犯罪者たちの選択肢が――ひとりすでに気づいていた眼鏡の青年を除いて――南宮那月と仙都木阿夜の二つとなる。

 ひとつではない。捜すのが面倒でも無力化されて明らかに弱い<空隙の魔女>を狙う方が賢い選択だろう。けれど、捜さなくても、<書記の魔女>はすぐそこにいる。目の前にエサを釣り上げられて、少しも迷わないものはこの5人の中にはいない。どれほど<図書館>の『総記』たる火眼の魔女が強力な力を持っていようと、ここにいる魔導犯罪者たちは真祖相手でも怯まない猛者たちなのだから。

 

 ―――その逡巡の僅かな隙に、銀人狼は戦場より駆け出す。

 

 第一の目標は撃退ではない。ほぼ力を使い切った今の状態で、彼らを倒すほど高望みはしない。停滞せず、とにかく動き続けて、この状況より離脱すること。でなければ、主の救助などできはしない。

 

「古城君、姫柊、“迎え”が来たから逃げるのだ」

 

 その言葉に戦況を見守っていた二人は動き、そして、クロウが稼いだ時間で援護射撃が間に合った。

 

 

「―――獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る」

 

 

 『波朧院フェスタ』のナイトパレードに用意されていた首なし騎士の愛馬(コシュタ・バワー)をモチーフにした機械仕掛けの馬車。その巨大な軍馬に牽引される古代騎馬民族風の戦車の上に立ち、金属製の洋弓を引くのは、獅子王機関の舞威姫。

 アルディギア王女の護衛の任を解かれた煌坂紗矢華は、古城たちの後を追い、援軍に来た。

 事態が混乱してる最中に、さらに後押しするよう、ありったけの呪矢を撃ち込んだ絨毯爆撃で状況を攪乱して、その間に馬車に乗り込み、古城たちは危機的な状況を切り抜けた。

 

 

ファミレス

 

 

 絃神島全域に生じた空間の歪み。

 その解決に、バイト先から急援を依頼され、そのまま占拠されて折角の祭りなのに泊りがけで働いた藍羽浅葱は、ようやく面倒事から解放されたと思ったら、今度は迷子に引っかかった。

 

「ママ……どうしたの? 何か疲れてる顔してるの」

 

「え? あー、何でもない大丈夫よ……ちょっと考えごとしてただけ」

 

 ファミレスのボックス席。

 その正面からこちらを上目づかいで、抑揚の乏しい声で窺うのは、おおよそ4、5歳の幼女。西洋人形のような愛くるしいドレスを着て、髪を腰まで長く伸ばしている。ぱっつんの前髪に大きなリボンがよく似合う。おそらく祭りで賑わう人混みで親から逸れてしまったのだろう。けれど、それで偶然に手を取ってしまった浅葱を『母親(ママ)』と勘違いする(呼ぶ)のは勘弁してほしかった。女子高生で、周囲から子持ちと見られるのは、精神的に来るものがある(ちょっとこの相手役の父親を想定してしまったけど)。

 それでも幼女を見捨てるわけにはいかず、とりあえず腹ごしらえも兼ねてこのファミレスに避難してきたわけだが、

 

「ね、何か思い出した?」

 

 リボンの幼女と目線の高さを合わせてから、浅葱は優しく尋ね……首を横に振られる。

 移動している間にも何度か同じ質問をしたのだが、それでも、今と同じような反応を返される。

 自分の名前や住所も答えられない。ひょっとすると、記憶喪失なのかもしれない。見た目の割にしっかりとしていて、質問の意味もちゃんと理解している子だ。

 なのに、

 

「お母さんのお名前とは覚えてるかな?」

 

「あいばあさぎ」

 

 なんでそうなるのかな……

 ぐったりと脱力する浅葱だが、それでも保護者と逸れてしまった幼女を不安にさせぬよう、ぎこちないながらも苦笑を浮かべる。

 と、そこへ、

 

「お待たせしましたー。期間限定ブリリアント・ハロウィン・ハンバーグプレートのライスの大盛りと、お子様パンケーキセットです」

 

 ハロウィンに合わせた雰囲気の衣装を着たウェイトレスが、テーブルにほかほかの湯気が立つ料理を並べる。

 すると、幼女はほんの少しだけそわそわとした態度で前にあるお皿を目移りしてから、ちらちらと浅葱の様子を見てる。食事に手をつけていいのかどうか、悩んでいるのだろう。

 くすり、と小さく笑い浅葱は、食べていいよ、とナイフとフォークを幼女に渡してあげる。

 リボンの子は手渡されたナイフとフォークを握り、危なっかしい手つきながらパンケーキを一口より、やや大きめに切り分けて、たっぷりシロップとバターを塗ってから、小さいながらも目一杯に大きく開けた口へ運ぶ。

 

「美味しい?」

 

 笑みを堪えつつも浅葱が伺えば、幼女は栗鼠のように頬を膨らませたまま、ぶんぶん、頷いて……しゅん、とうなだれた。

 

「どうしたの? 何か苦手なものとかあったの?」

 

 心配そうに浅葱が訊けば、幼女はたどたどしくも吐露してくれた。

 

「……クロと一緒にご飯食べるって約束してたの」

 

「クロ?」

 

 初めて、少女から出てきた意味のある単語。きっかけとなりそうな情報に浅葱は話題を咲かせるよう幼女に追及すると、幼女ははしゃぎながら答えてくれた。

 

「うん! 小さくて、撫でると気持ちよくて、ばかなの!」

 

 ふむ……ペットの飼い犬だろうか。

 浅葱は、なんとなく携帯CMに出てくるもふもふな小型犬をイメージする。

 

「でも、私の言うことちゃんと聞いてくれて、缶詰いやだーって言っても残さず食べるの! ……でも、きっと今頃お腹を空かせてる」

 

「そっかぁ」

 

 罪悪感に視線を伏せる幼女の頭を、浅葱はよしよしと撫でて、慰めつつも、今得た情報から頭を回す。

 

 『波朧院フェスタ』で外から絃神島に来た子だという可能性もあるが、もしも絃神島在住ならば、今の話で相当情報が絞られただろう。

 以前に、古城から捨て猫の引受先を捜したこともあったが、一軒家が早々ない高級住宅で、アパート暮らしが大半の絃神市人口に、ペットを飼えるお宅は限られている。暁家のマンションもペット禁止だ。

 だとすると、この子は結構いいとこのお嬢様で、データーベースからさらに小型犬の飼い主記録を検索し、登録されたペット画像を見せて確かめれば……

 

「せめて、犬種さえわかれば、もうちょい絞り込めるんだけどなー」

 

「ミックス!」

 

 じゃあ、捜そうかと携帯のネット検索画面を開いて提案すれば、元気よく返答してくれた。

 でも、それはパターンが多々ありけりの一番困るタイプだ。けれど、いくらか検索数を削減できた。

 

「じゃあ、他に特徴……毛並みとか毛の色とかわかる?」

 

「普段は茶色」

 

「茶色ねー、ふんふん……………え、普段は?」

 

「それから白色」

 

「うーん、っと、それは茶と白の」

 

「怒ると、黄色になるの」

 

「犬じゃなくて、カメレオンなのその子!?」

 

「クロは馬鹿犬だよ」

 

 きょとんと首を傾げられる幼女。けれど、浅葱も首を傾げたい思いである。

 にしても、その『馬鹿犬』というフレーズ、何かどこかで聞いたことのあるような……

 

 とにかく、茶に白に黄とまるで三毛猫のようだが、そんな色を変えるカラフルな三毛犬はそれなりに流行に気を遣い情報通である浅葱に心当たりはない。

 つまり、これは相当、情報が限定されているということだ

 

「毛の色が変わる犬かー。流石は『魔族特区』ってとこね。どこかの研究所でそういう新型犬種を開発してたのかしら?」

 

 

MAR研究所

 

 

 MAR――『マグナ・アタラクシア・リサーチ社』は東アジア地区を代表とする巨大企業。世界有数の魔導産業複合体である。

 その研究所の敷地は広大であり、無数のビルが連結された複雑な立体構造となっていった。

 そんな敷地の片隅にある、リゾートマンションを連想させる円筒形のビル。そこは本来、外来客もしくは夜通しで勤務する研究者たちのために用意された宿泊施設(ゲストハウス)なのだが、とある臨床魔導医師免許も持つ優秀な医療部門の主任研究員の女史が勝手に私物化して、占拠しているという……

 

 

「ばあっ! 悪戯か、死か(トリック・オア・ダアイ)!」

「ひゃあああああっ!?」

 

 

 玄関を開けて早々、ガチガチに緊張していた女子二人を驚かしたのは、ここの主である白衣を着たカボチャお化け。

 暁古城ができれば会いたくなかった相手。実の息子であろうと、それが本来存在しえない四番目の真祖なんていう研究魂に火を点ける垂涎の研究対象ならば、監禁して身体の隅々まで調べ尽くして果ては解剖までしかねないという狂科学者(マッドサイエンティスト)

 

 そう、古城の母親、暁深森である。

 

「ふんふー……驚いた? 期間限定『波朧院フェスタ』風の挨拶よ」

 

「驚くわっ! いきなりなにやってんだ、あんたは! っつか、怖ェよ、その挨拶!」

 

 声を荒げて突っ込む息子に、すぽん、とカボチャの被り物を頭から引き抜いて、その可愛らしい童顔を露わにする。

 背も高からず低からず、しかし胸は大きい。

 しわくちゃの白衣に、古城と同じ色素の薄い灰色な長い髪は、手入れが悪いせいかぼさぼさで、開ききらない眠たげな瞼など、だらしない系大人の代表である。だけど、その怠惰な感じがどことなく息子の雰囲気と似通っているところもある。

 で、ドッキリのせいで古城の左右にぴったりと引っ付いている雪菜と紗矢華、息子に背負われている優麻に、ぐてーっと燃料切れで隣で倒れかけているクロウを見て、深森は目を瞬き、それからニヤリと。

 

「あらあら、めちゃくちゃ可愛い団体様ね!」

 

 新しいオモチャが手に入ったとばかりに嬉しい歓声を上げる母親。それを息子として嗜めようとして、ドス、と脇腹レバーを叩くフックが不意打ちされる。

 30歳はもう過ぎてるのに、うきうきを抑えきれないでいる態度はどうなんだ! もっと頼むから落ち着きを持ってほしいと脇をさすりながら目で訴える。けれど、息子との抗議などどこ吹く風か。

 

「ぐはっ……!? いきなりなんてことしやがる、てめェ……!」

 

「どの子? どっちが本命なの? もうヤッた? やだ、もしかして家族が増えちゃう? 私、もうすぐおばあちゃんになっちゃうの?」

 

「増えねぇし、ならねーよ!」

 

「え、子供ができないって、じゃあ、そこの男の子が本命? うそーん、私の息子ならちゃんと異性に興味持ちなさいよ。孫ができないじゃない」

 

「なわけねーよ! 少しは人の話を聞け!」

 

 むぅ、と頬を膨らます深森だが、話をするだけでもう異様に疲れる古城。どうして母親もそうだがうちの両親は話をするだけでこんなに苦労するんだ、と恨みがましい気分で考える。とはいえ、どちらもその腕は頼りになることだけは確かなのだ。

 

「……頼みがあるんだ。ユウマを診てやってくれないか?」

 

「ふんふ? ユウマって、ユウちゃんのこと? 懐かしいわねぇ。そういえばユウちゃんって女の子だったのよねぇ」

 

 古城に抱きかかえられたままの優麻を視察してから、臨床医として手慣れた感じでその傷ついた優麻の肌に触れて、それから背中の傷痕に目を留めた。

 

「何があったの、古城君」

 

「詳しい事情を話してる暇はないんだ。だけど……ユウマは実は……」

 

「―――魔女だった?」

 

 言い淀んだこともあっさりと当てられる。

 母親がわずか30代で一研究部門のトップに立っているのは、研究者として優秀なだけではなく、一般人にはない『触れただけで状態を調べる“スキル”』のおかげもあるだろう。

 詳しく診察すると言って、奥へと案内させられる。

 このゲストハウスの中でも特に豪華なスイートルームに下着やら未開封の郵便物やら怪しげな医療器具やらが散らばっている部屋であるが、これでも前見たときよりは比較的にマシである。

 そして、ソファの上に優麻を寝かせると、新しい白衣に着替え、両手を消毒殺菌した深森が改めて、診察を始める。

 

「出血のわりに外傷はそこまで深くないわね。胸の刀傷も、内臓までは届いてない。空間を歪めて致命傷を防いだのかも」

 

 うーん、ちょっとこのままだとよくわかんないな……とぼやいてから、古城を呼び、患者の上体を起こして支えてくれと息子の手を借りる。

 

「よいしょっ、と……これ、持ってね」

 

 優麻のドレスの胸元におもむろに手を突っ込んで、スルッとティッシュ箱からティッシュでも取るように何かを取った。それをぽいっと雪菜らの前に放り投げる。何だろうか、と確認すれば、それは白い布きれであり、広げてみれば女性下着――幼馴染のブラジャーである。

 

「あ、暁古城!? あんた何を―――」

「俺じゃねぇ!? やったのは俺じゃねぇからな!?」

 

 優麻の下着から思いっきり目を逸らしながら、実行犯な母親に抗議する。

 

「い、いきなりなにをやってんだっ、あんたはっ……!?」

 

「触診の邪魔だったから、つい外しちゃった……まあ、ユウちゃんったら、ちょっと見ないうちに立派に育っちゃって、これは医師としてほっとくわけにはいかないわね……ぐへへ」

 

 いくら大人の女性と言えど、口元に涎まで垂らして、明らかに変質者としか言いようのない深森が、昏睡状態で無抵抗な女子の胸をまさぐるのはさすがに見咎めたのか、雪菜はドン引きしつつも、やんわりとたしなめる。

 けれど、それは先輩の母親の注意を惹きつけてしまい……

 

「あの……おばさま。相手は一応……その、怪我人なので……」

 

「あら、あなたが姫柊雪菜ちゃん?」

 

 上から下に、それから下から上に視線を動かして――つい、雪菜と、それから紗矢華まで背筋を無意識に伸ばした――じっくりと検分したのち、機嫌よく深森は口元をほころばせて、

 

「なるほどねー。あ、心配しないで。私、一応医療系の『接触感応能力者(サイコメトリー)』だから。直接肌に触れるだけで、大体のところは診えるのよ」

 

「え……クロウ君と同じ、<過適応能力者(ハイパーアダプター)>?」

 

 魔術魔力を介さない、生まれ持った異能を持つ超能力者。その存在は魔族特区であっても稀少であり、暁深森の能力はこの上なく医療研究に適した特殊技能であろう。

 とはいえ、

 

「でも、肌に触れるだけでいいのなら、胸を揉む必要もないのでは……?」

 

「私の能力は可愛い女の子のおっぱいを揉むのが発動条件なの。だから仕方なかったの」

 

「―――出鱈目ほざいてんじゃねぇよ。そんな下品な『接触感応能力者』がいるかっ。初対面の相手に適当なことを言うなっ」

 

「だって、私が触りたいんだもん。女の子のおっぱいに触れるために、魔導医師になったんだよ母さんは!」

 

 鼻血を噴かせて力説する母親に、息子は怒鳴りつけた。

 もう、こんな医者しか心当たりがなくて、古城は申し訳なくなってきた。

 

「そんな理由で医者になった奴がいるか! もう冗談言わずに真面目にやってくれよエロ医者!」

 

 むぅ、と拗ねたように頬を膨らませる深森。『ああ、この人が先輩(暁古城)の母親か』と納得した雪菜らは、鼻血を拭くティッシュを手渡す。なんだかんだで、深森とのやりとりは自分らのペースを取り戻せるくらいに、緊張がほぐれている。それに何より腕は確かなのだ。瀕死の状態に追い込まれている優麻のことも救ってくれるのではないか、と不思議と期待感まで抱かせてくれるし、その診断も正確である。

 

「ふーん、この霊力経路(パス)の傷……ユウちゃんは<守護者>を無理やり奪われたわね。研究所の方へ運びましょ。できれば専門家の助けが欲しいところだけど、私だけでもできることはあるしね」

 

 受け取ったティッシュを鼻に詰めながら、深森は真面目な口調で初診の判断を述べる。

 強化人間(サイボーグ)が人工心肺を引き千切られた状態に近い今の優麻は、このまま放置すれば魔力が枯渇してしまう。それを応急処置して、流れ出る魔力を止めることはできるが、やはり、治すには力のある魔女の助けが必要だ。

 そして、別のソファに埋もれるほど深く座り込んでいる後輩に目を向ける。

 

「それから、君が南宮クロウ君?」

 

「お前が古城君のお母さんなのか。はじめまして、オレはクロウ。凪沙ちゃんともクラスメイトで、よろしくなのだ」

 

 ふかぶかーと頭を下げる後輩。

 意外にも、きちんと母親と後輩が顔合わせたのはこれが初めてだったりする。

 何せ、後輩は、この二学期まで皆勤賞で、これまで病気にかかったことがない健康優良児であり、病院のお世話になったことがない。

 雪菜らにしたようにじっくりと検分してから、はい握手、と手を差し出されて、お手するようにそれを取る後輩。

 

「……うん、古城君とそれから凪沙ちゃんのお母さんの深森ちゃんだよ。よろしくねー―――それで早速なんだけど、君の血液サンプルとっても良い?」

 

「初対面の挨拶でいきなりクロウに何を言ってやがる」

 

 後輩が病院へ――この狂学者な母親のいる医療研究所にお世話になったことはない。この絃神島に住む魔族は研究に協力することで市民権を得ているようだが、後輩はその校長よりも権限のあるカリスマ教師な保護者が手を回したのか、人間と変わらない生活が保障されている。

 であっても、後輩が稀少価値の高い生体研究に値する、研究者にとって垂涎モノの標本であるのは変わりないのだ。

 

「まさか、クロウで実験したいとか考えてねーよな」

 

「ぶっちゃけ、その子の話を聞いた時から研究所(ラボ)にお持ち帰りィ~~♪ したかったって本音はあるわよー。それがクロウ君のためにもなると思ってるしね。ここ最近は母親としても興味あったし。

 ま、それとは別にして、ユウちゃんと同じようにクロウ君も霊力経路を傷つけられたようだけど、古城君気づいてた?」

 

 え? と古城らはクロウを見る。あれだけ魔導犯罪者らに無双していたのに、重体だったのか。

 

「けど、それほどひどくないわね。すでに処置もされてるみたいだし」

 

「うん。……ご主人に助けてもらったのだ」

 

 時間を奪われ、召喚できなくなった<守護者>を、使い魔契約を経由して、仮契約させることで、<監獄結界>の維持に魔力を供給するラインをつくり、その生命の流出を防いでいる。

 

「―――けど、処置済みでも、それは急場凌ぎみたいなものだから、とりあえず、他に異常不具合がないか血液のサンプルを採っておきたいのよ」

 

「う。注射嫌いだけど仕方ないのだ」

「うん。それから、最低一週間は検査通院してね。後々になって見つかる症状とかあるから。もしかしたらこわーい感染症とかにかかってるかも」

 

「むぅ。オレ、病気になったことがないからわからないけど、結構大変なのか?」

「うん! すっっっごく大変! 健康診断は絶対にしとかなきゃダメよ。だから、この書類にちゃちゃっとサインして頂戴っ!」

 

「ふむぅ。『わたくしは、MAR医療部門所属暁深森主任研究員の身体検査(生体実験を含む)に協力することを誓います』……よくむずかしいことわからんけど、サイン、って名前を書けばいいのか?」

「それから印鑑もお願い。なかったら、ここに朱肉があるから指紋をぺたってやってね」

 

「わかったぞ。ペタッてやればいいんだな」

「そうそう。今、契約してくれたら、なんと凪沙ちゃんがついてくるサービスが」

 

「―――待てコラ。何さらっと、やってんだあんたは!?」

 

 研究欲が前面に出過ぎてる母親を拳骨して止めて、後輩がとんとん拍子で勧められるがままに記入途中の書類を奪い取り、破り捨てる。

 

「ぶーぶー、ちょっとした冗談なのに、手を上げるなんて。よよよ。息子もついに反抗期でぐれちゃったのかしら」

 

「だったら、本当にこのまま書いちまってたらどうしてたんだ?」

 

「そりゃあ、まあ……大切に保管して、有効活用させてもらいますけど」

 

「グレるぞ本気(マジ)で」

 

 やっぱり、妹は違う意味でこの母親に正体がばれるのはまずいと古城は改めて認識した。

 そうして、半ば呆れた視線を左右からもらいながら古城が深く溜息をついたとき、ぎゅるるるる~~~っ、と盛大に腹の虫が鳴く。

 

「………ダメ……もう、限界………」

 

「あちゃー、空腹状態で血を採っちゃうのはまずいわよね」

 

 朝から何も食べていない後輩。かくいう古城も同じで、空腹感を覚えてたりする。わりとぶっ倒れそうな予感がしている。

 後輩がついにふらふら倒れかけて、そこで玄関の方から音が。誰かがこの宿泊施設に入ってくる。そして、向こうも騒がしい気配を聞きつけたのか、真っ直ぐに深森の部屋までやってきて、ノックもなしに扉を開ける。ショートカット風に束ねた長い髪と大きな瞳が印象的な少女が顔を出して、

 

「あれぇ? 古城君?」

 

「えっ……!?」

 

 現れたのは、凪沙だった。

 尻尾付きの黒のワンピースに猫耳や猫球手袋と言ったアニマルな小道具に、何故か侍風な法被を羽織っていて、両手に買い物袋をもってるが、間違いない。

 思わず、古城は妹の顔を凝視して、ぽかんと口を開けてしまう。

 何も言わずに自宅から姿を消して、それきり音信不通だったはずの彼女が、どうしてここに?

 

「凪沙? おまえ……なんで……ここに?」

 

「昨日の夜遅くに深森ちゃんに呼ばれて、着替えを届けに来たんだよ」

 

 ああ、なるほど、と納得と安堵に古城は胸を撫で下ろす。

 比較的に片付いていた深森の部屋も、お世話好きの家事上手な妹がせっせと掃除したんだろう。そういえば、このMAR研究所区画には、携帯の電波が入らない。

 魔女の事件と時期同じくして凪沙が失踪していたから、ずいぶん心配したが、それでもこうして無事な姿を見れたのなら、それでいい。

 

「もう、深森ちゃんに任せてた部屋が大変で、部屋のお掃除だけでなく、クリーニングに出してた服を引き取ってきたりしてたんだけど、冷蔵庫の中身まで空っぽだったからこうして買い物に行ってきたんだけど……それで、古城君はどうしてたの? 雪菜ちゃんたちとずっと一緒だったの?」

 

 凪沙の追及に、古城たちは硬直した。引き攣った笑みを浮かべながら雪菜はぎこちなくうなずいて。

 

「こ、こんばんは」

「ていうか、ユウちゃん、怪我してる!? 何があったの? それからそっちの人ってこの前会った……―――うわっ!? く、クロウ君!?!?」

 

 ソファで寝かされてるユウマを見て驚いたり、紗矢華を睨んで半眼になったり、早口だけでなく表情も忙しなく、矢継ぎ早な質問にどう回答すべきか困ったわけだが、何故か、ぐったりしてるクロウを見た途端に慌てて部屋の外へ逃げてしまった。

 

「……ん……凪沙ちゃん?」

 

 反応が普段の7割減してる後輩は、一番遅れて、のそのそと首を回らすが、凪沙の方はその死角のなる陰で何やら髪型とか色々と整えたりしている。

 魔族恐怖症な妹であるが、それでもここのところは『混血』と言えど後輩には慣れてきている。トラウマが再発してるようには見えない。

 不自然な凪沙の反応に訝しむ古城だが、深森の方はふんふー、と微笑んでいて、

 

「ちょうどよかったわ凪沙ちゃん! 至急、ご飯作って頂戴! クロウ君、すっごくお腹減ってるみたいで死にそうなのよ。胃袋を掴むチャンスね!」

 

 

???

 

 

 島全体で行われる絢爛な祭りの喧騒から外れたくらい路地裏。

 古いビルとビルの間で、風通りも悪い。空気の循環しない通りには、嫌な臭いがこもったまま、檻の如き薄闇だけが沈殿している。この常夏の熱帯夜でも、この路地だけは避けて行った風に思えた。

 『抹消地区』

 絃神島27号廃棄区画。不慮の事故で海に沈んだ人工島・旧南東地区の跡地――地図からも消された最先端の学究都市にあるまじき、異端の街。

 退廃的な享楽を欲する酔客や快楽を求める薬を探して徘徊する中毒者が往来を賑わう、その路地裏は打ち捨てられたとうに腐り果てた生ゴミが散乱して、野鳥や野犬に引き千切られたビニール袋の残骸を晒している。

 

 そこに、“影”があった。

 

 写す実体のない“影”。そんな曖昧模糊とした陽炎が、路地裏に漂い―――その妖しい篝火に惹きつけられた魔族らが積み重なって倒れ伏している。

 皆、一応に血を抜かれた痕がある。その魔族登録証から異常を検知されるのを恐れてか――『抹消地区』は電波障害でセーフティが働かないのだが――致死量となるまでは奪っていないようだ。

 だが、これはけして吸血鬼の仕業ではない。

 見えないものまで視る吸血鬼の超視力が、すでに正体を暴いている。

 

「―――さて、そろそろ顔を見せてくれないかナ」

 

 金髪碧眼の美しい青年貴族。ディミトリエ=ヴァトラーだ。

 けれど、彼の声はいつもと同じ気障な口調でありながら、端々に冷え冷えとした殺気が見え隠れしている。

 

「どうやら、“体”のないキミはそうやって喰っていかないと存在が保てないようだネ。とはいえ、それだけ喰えれば十分だろう?」

 

 基本的に、異世界から喚び出された使い魔は、召喚者からの魔力供給がなければ、現界を維持できない。

 だが、その“影”は、かつて<堕魂>した大魔女の魂を取り込んだ悪魔だ。

 今は新たに3つの欠片――合わせて、八体の内四体を取り入れたようで、ようやく一体目を順調に消化している最中といったところだろう。

 それが終わるまでは、誰にも邪魔をされたくない―――そう、今度こそ“体”を手に入れるための準備を。

 

「聖域条約に定められた外交特使としてこの地にいるボクが、こうして吸血鬼が関与してるのではないかと疑われる事件を起こされては立場を悪くしてしまうし、人道的見地からしてもこれ以上の凶行は看過できない―――中々筋の通った建前だとは思わないか?」

 

 殺し合い、喰らい合い、そして、残った完成体を相手する。戦闘狂として、この上ない馳走を待つのもよかったが、場所が悪い。

 

 人工島・旧南東地区――この半年前に沈んだとされる悲劇の街は、聖戦の果てに無数の想いが刻まれた聖地であり、とある少女たちの墓標。

 無関係の余所者が、荒らし回っていい場所ではない。

 

 瞬間、青年の肉体より発散された膨大な魔力に、周囲の建物群が吹き飛ばされる。

 

「いつまでボクにだけ喋らせるつもりだい。それとも会話ではなくこちらの方が御望みかナ」

 

 碧眼が真紅に染まり、唇から長大な牙がのぞいている。

 そして、同時に三体の眷獣を召喚して、螺旋状に絡みついて、融合。漆黒の鱗と翼を持つ三つ首の悪龍(ドラゴン)

 無制限に周囲の大気を吸い込んで、質量を増大させていくその姿は、神話や伝説の怪物にも等しい姿だ。古来より東方では龍は大自然が意思を持った存在とされているそうだが、これはまさに暴風の化身といえるだろう。

 存在さえあやふやな残滓を消し飛ばすには、過剰な眷獣だ。その余波だけでこの旧南地区が抹消された地図の通りになりかねない。

 

 ずずん……!! と27号廃棄区画が、妙な震動を発した。

 地震、じゃない。

 それは何か巨大な存在の足音。

 

《私の邪魔をするな、蝙蝠が》

 

 音源が、実体化する。

 貪狼、角獣、美猴と三つの顔を持つ阿修羅の如き巨大な獣。

 その足を踏み下ろすだけで、大地が砕ける。巨重によってすり鉢状に踏み躙られ、狂乱の爪が振り下ろされる。荒れ狂う悪龍の嵐は切り裂かれて、青年貴族を玩具のように砕いた。

 

「グッ……ガハッ………!」

 

 勢いのまま人工島の基盤を割り、その真下の海面が見えるほど深い穴を開けられ、ヴァトラーはその寸前に埋もれている。

 純白の三揃え(スリーピース)は無残に切り裂かれた布きれとなり、無傷な骨は一本もなく、普通の人間や魔族はもちろん、まともな吸血鬼でも即死だろう。

 それでも意識を失っていないのは、真祖の血を受け継ぐ吸血鬼の『貴族』であったからこそ。

 けれど、魔力の供給を断たれたヴァトラーの眷獣は、すでに実体を失って消滅しており、全身の傷が回復(なお)りきるのにも時間がかかるだろう。

 それでも彼は獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「はははは、いいね。実に素晴らしい。完成体がすごく楽しみになってきたヨ!」

 

 

MAR研究所

 

 

 仙都木優麻は姫柊雪菜に運ばれて、基本男子禁制の研究室へ。

 暁古城もその胸の傷を見抜かれていたようで、煌坂紗矢華とそのまま部屋にある救急箱で応急処置を。

 そして、暁深森は血液サンプルを採ったら、研究室へと向かい―――リビングには南宮クロウと暁凪沙しかいない。

 

「―――うまうまはぐはぐっ」

「クロウ君、ホントずいぶん健啖家だね。浅葱ちゃんも結構食べる方だけど、それ以上にすごいよ! ああ、でも、あるもので思い付くだけ作ってきたから、量が多すぎたかも……」

 

「ん。ありがたくいただくぞ」

「ううん! 無理はしなくていいよ。食べたいものだけ……食べてくれれば……」

 

 遠慮がちに、だんだんと声が小さくなる。

 陽を浴びて咲き誇る、朝露に濡れた大輪の花のような朗らかさ。けれど、その輝きが曇る。花は生長を逆戻りしたかのように閉じてしまう。

 視線が揺れて。少女の表情は、沈む。

 おそらくは、テーブルに並べられた料理の山を見て、我に返ったのだろう。

 深森が血を採ったり、その他もろもろしていた合間に作り、米を炊くほどの時間はないので、基本は手早く調理が済ませられるサンドイッチ。なのだが、大食漢で育ち盛りな少年に合わせてか、一枚目の皿にはたまご、シーチキン、ハムレタスなど定番ものが揃えててんこ盛りの山となって、それも各種サンドイッチ自体も象の足の裏を思わせて加重積載。さらに追加で出されたその隣の二枚目の皿にはお相撲さんの腕みたいなバゲットが皿の幅を超えて突き出してる。下手をすると、この一食分だけで、身近な男子高校生の三日分ぐらいの食事になりそうだ。

 一枚目だけでも、あからさまに少年の腹よりもでかい。

 なので、乙女的な葛藤をぶつけんと、ありったけ存分に腕を振るって、幾分かすっきりしたけれど、凪沙は視線を空になった一枚目の皿と少年の腹部を交互する。

 そんな不安がちな“匂い”が鼻腔を擽ったからか、

 

「別に無理なんかしてないぞ」

「でも―――」

 

「今日はまるまる五食分も逃したからな、いっぱいお腹が減ってたのだ」

「そうなの?」

 

「それにちゃんと腹ごしらえしないと、元気は出ないのだ。多すぎても全然困らないぞ」

 

 もぐもぐ。口いっぱいに頬張ってから、ごっくんと飲み込む。それから、ほわーと満面な笑みを浮かべる。その満足げな顔を見るだけでも、作り手として満足感があるだろう。

 少女を安心させるために弁明はしたものの、実際、この程度の量ならば無理というほどでもない。言葉にした事柄もある種の事実、これより戦場に赴いて、強敵を相手にするには大いに活力を必要とするだろう。それが山となろうが、あるだけ平らげて見せる。

 

「だから、ありがとうなのだ」

 

 これは、虚飾のない本心からの言葉だ。

 その言葉のままにサンドイッチを口へと運び、二皿目のおよそ半分の量が消えるころになって、ようやく少女は元の朗らかさを取り戻していた。美味しいぞ、と感想を伝えるたびに、少女はみるみるうちに明るくなって。花の気配が戻る。自然と、口元には微笑が浮かんでいた。

 少女も、少年も。

 

「ん。美味しい」

「本当に?」

 

「うん、凪沙ちゃんの料理は美味しいぞ」

「本当の、本当?」

 

「うん」 食べながら、頷く。

 

 今、手に取っているバゲットサンドもベーコンとチーズをレタスやトマトと言った生野菜で挟んでいる具合。汁気の多い新鮮なトマトが、肉やチーズにとても合う。それに作り手の見えるいい匂いがする。ここ最近、何度か彼女の手料理というものを食したがどれも当たりで、全部―――

 

「好きだぞ」

 

 全部。好きである。

 これも、嘘偽らざる言葉であり、元々彼は滅多に嘘を口にしない。というよりは、感情が表に出てしまうのでできない。だから今も、ただただ本心を告げる。

 

「い……今のは……」

 

「ん」

 

 もぐもぐ。サンドイッチを頬張りながら、少女を見ると、何故か狼狽えている。

 

「い、今のは、流石に……」

 

「ん」

 

 もぐもぐ。次は海老とアボカドを挟んだのを食べようと思いつつ、少女の頬が赤みを帯びているのを見る。でも、体調が崩れているといった傾向はないようだが、

 

「大丈夫か凪沙ちゃん?」

 

「……ずるいよ。クロウ君」

 

 そう言って、拗ねるように頬を膨らませて、凪沙は唇を尖らせてしまう。

 けれども、すぐ、ぷすぅと空気が抜けて、朗らかに笑う。

 それから、朝のことで色々と訊きたいことがあった気がするけどなんだかどうでもよくなってきて、食事の邪魔をしないようしばらく見ていた凪沙だが、二枚目の皿が空になったのを見計らって、祭りの屋台で見かけてつい買ったそれをテーブルに出す。

 

「はいクロウ君。これ、あげる」

 

「? 何なのだ凪沙ちゃん」

 

 出されたのは、ブレスレット。材質はアルミかなにかで、持ってみるととても軽い。それに猫をデザインしたと思われる彫刻模様の上からクロームシルバーの鍍金がかかっていて、黒猫に見える。

 クロウがそれを見て、きょとんと傾げてると、凪沙が指一本をピンと立てて説明。

 

「黒猫のお守り。『波朧院フェスタ』の出店に売られてた物なんだけどね。なんといっても、黒猫は魔除け厄除けにもなったり、怪我病気が治ったり、恋煩い――色々と御利益があるんだよ!」

 

「おお、すごいアイテムなんだな! うー、でも。オレ、これをもらう理由がないぞ?」

「いいのいいの。ほら、いつもお世話になってるし……それに法被(コート)を貸してくれたお礼! うん、これで貸し借りなし。もう気にしない。だから、もらってクロウ君」

 

 右の手首に巻かれるブレスレット。それを頭上に掲げて、照明との反射の煌めきを楽しむよう手首を返しつつ角度を変えて眺めて、

 

「ありがとうなのだ凪沙ちゃん!」

「うんうん―――あ、でも、お守りがあるからって、無茶はしちゃダメだよ」

 

「むぅ」

「だーめ。今日は絶対に安静だって深森ちゃんも言ってたんだから。クロウ君はゲストハウス(ここ)から出るの禁止」

 

「むぅむぅ~」

「もし破ったら、デラックスサンドイッチのおかわりは無しだよ」

 

「むぅ……それは困るぞ。凪沙ちゃんのご飯、美味しいから……」

「じゃあ、わかった?」

 

 納得していないながらも、しばらく目を合わせて、最後は掴んだ胃袋をゆすれば、根競べに負けたよう、こくん、と頷く。重々に言い含めた後、凪沙はキッチンへと向かい、ちょくちょく調理の合間に何度かリビングの扉が開けられてないかを確認しながら、三皿目を作り、それを持っていくと……………リビングは、もぬけの殻。昔、彼は兄の言いつけを守り凪沙が接近すると教室の窓から飛び降りていたけど―――部屋の窓が開け放たれている。

 

「………………………クロウ君のばか」

 

 残っていたのは、『ごめん』と『ごちそうさま』の二言の書き置きがテーブルに。

 そして、リビングにひょっこりと顔を出した深森だが、『あらあら』と零すだけで、さほどその逃亡に驚きはなく、見張り役の凪沙を責めるようなこともない。ただ、そのメモを拾い、片目を瞑りながら、娘を諭す。

 

「男ってのは中々女の思うとおりに動いちゃくれないものよ。凪沙ちゃんも勉強したわね」

 

 

 

つづく

 

 

 

NG

 

 

 それは、南宮クロウが己の影に呑まれかけたその時、

 

 

「―――クロロンのピンチに那月ュン参上!」

 

 

 現れたのは、いつもより10歳分若返ってる大魔(法少)女。

 その瞬間、背筋にこれまでにない、今の不快感さえも塗り替えるほどの強烈な悪寒を覚えるクロウ。

 

「やめろー! やめるのだーご主人!」

 

 鎖に雁字搦めにされて、一本釣りされるクロウはそのまま、チョキを横にして目前に決めたポーズをとる幼女は、きらりと閃光を放って、

 

「ミラクルメイクドレスアーップ!」

 

 

 

 それは、<監獄結界>より脱獄した魔導犯罪者たちに目を付けられたときだった。

 

「―――クロロン参上だワン!」

 

 なんかフリルをふんだんにつけたゴスロリチックな衣装を着た後輩がいた。

 それも、獣人化してる。

 犬に無理やりリボンとかフリフリな服を着せられたのを見てるようだ。

 小柄な後輩少年であったなら、まだ違和感を覚える程度で見れたものであったが、これはダメだ。服のサイズからして合ってない。少しでも激しく動いたらボタンが弾け飛びそうなくらい、内側からはち切れんばかり。服の端々から悲鳴を上げているのが聴こえてくるようだ。

 もう、これではリアルに『赤ずきんの狼婆(ろうば)』である。

 そんな遠い目をする古城の前に、蟷螂拳の構え――いや、可愛らしくわんわんポーズをとる後輩。

 

「月に代わってお仕置きなのだワン」

 

 クロウってあんなキャラだったか……?

 

 何故か古城は、あの脱獄犯どもを相手にするより、これ以上後輩が道を踏み外さないように止めてやった方がいいのではないかとそんな考えが脳裏に過った。

 

「昼休みにスパーリングして調整に調整を重ねてきましたが、ようやくクロウ君も自分にあった可愛らしさというものを理解できて来たようですね。……猫キャラではないのが、個人的に残念ですけど」

 

 口元に手を添えて、冷静に語る獅子王機関の剣巫。

 それに対して、

 

「あ、あの服のセンスは、那月の……!」

 

 もう見てられないとばかりに顔を両の掌で覆い、ひどくショックを受けている敵の魔女。

 そして、相手が油断してる隙に接近する後輩。

 どこからか、カーン、と鐘が鳴る音。

 この監獄結界がそびえる人工島を舞台(リング)に、大乱闘がはじまっ―――

 

 

「ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンッッッッ!!!!!!!」

 

 

 ……………うん。『殴る時間をゼロにする』という超高等な空間制御の魔術が働いているのは理解しているが、開始早々ぶっ放した、この魔法少女的要素絶無の徹底した物理破壊。遠当ての技能を身に着けた今、手の届かない距離でも問答無用。

 シルクハットの紳士も、眼鏡の青年も、小柄な若者も、コートの女も、甲冑の男も、枯れた老人も、そして、大ボスっぽい魔女も、老若男女平等パンチが炸裂しまくった。しかも、明らかにオーバキルのフルぼっこで。

 

「! あれは本気狩る(マジカル)パンチ101(ワンオーワン)! この戦争、クロウ君の勝ちです先輩!」

 

 そろそろ、解説者してる剣巫も不安になってきたぞ。

 

「くっ、殺してくれ! 紳士服が似合う私が、もうゴシックフリフリな囚人服のワンダーランドへ帰りたくない!」

「冬佳、ごめん。私はもう変わってしまったっ!」

「やめろ! 俺は背が小さいが女物は似合わねェ!」

「いやー! ワタシにこんな少女趣味は無理よー!」

「ワれのニクタイにアうショウゾクではない!」

「儂の炎でも燃やし尽くせぬとは、呪われておるぞ!」

 

 鎖を巻きつけられて、強制的に服装がゴスロリ衣装に変えられる魔導犯罪者たちが、少女の眠れる夢の世界へと引き摺りこまれる。

 

「次こそは……(ワタシ)の和装趣味を……反映して見せる」

 

 そうして、大魔女も恐るべき<監獄結界>へと封印。

 絃神島に平和が戻った。

 

 

 

つづかない

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。