ミックス・ブラッド   作:夜草

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観測者の宴Ⅵ

彩海学園

 

 

 <書記の魔女>

 その力は<図書館>の『総記』に相応しきもので、『知識さえあればあらゆる魔導書を複製する』という、所謂『写本』の技能。

 『自分が望むように自由に世界を作り変える魔導書』――<闇誓書>の原本は、もう10年前に焼失している。

 だが、所有していた南宮那月は、その内容を覚えており、その記憶を元手にして、『写本』をかき上げることは可能である。

 

 そう、この至る所に文字が記された彩海学園こそが、<闇誓書>となっているのだ。

 

「すでにこの絃神島は、我の世界となった。ここでは我以外の異能の力はすべて失われる。それがたとえ真祖の力でもな」

 

 歯向かってきた不完全な四番目の真祖も力の真価を発揮することなく、顔のない騎士(フェイスレス)の剣を胸に突き刺された。

 そして、眷獣を無理やりに召喚して暴発させたことで逃げられてしまったが、吸血鬼の再生能力が満足に働かない以上、あれは致命傷。もう放っておいても死ぬだろう。

 

 ひとり。この<闇誓書>の結界の中でも支配を拒んで、力を振るってきた獅子王機関の剣巫もいた。『世界をあるべき姿に戻す』と推測する槍の使い手は、やはり<闇誓書>が通じぬようであった。が、それも捕えた。今は盟友と共に、この世界の真理を知るための観測者としてここに招待してある。

 

「<闇誓書>の起動には、『魔族特区』を流れる龍脈(レイライン)の霊力と、星辰の力を借りる必要があった。我が、10年もの間、<監獄結界>に雌伏していたのは星辰の配置を待つためだ。残り一晩、『波朧院フェスタ』が終わるころには、我の世界は消滅する」

 

 期限が、迫っている。

 天体の位置が変わってしまえば、<闇誓書>は動力源を失って、実験計画は破綻する。

 だが、その明朝までに、呪われているのは魔女ではなく、この世界であることを証明する。

 人が平然と魔術を行使し、吸血鬼や獣人が闊歩するこの世界。

 本当にこれが正しいのか。

 この世界の原理(ルール)がまだ解明できていないにしても、魔術や魔族の存在理由の疑惑が晴れるわけではない。かの<蛇遣い>は、ものの数分でこの絃神島を壊滅させるだけの力を持っているという。一体何故、たった一人の吸血鬼に巨大な都市を壊滅させる力が与えられているのか。世界はどうしてこんなにもアンバランスな在り方を許容しているのか。

 答えは、世界そのものが狂っているからだ。

 魔術も魔族も、本来は人の想像の中でしか存在しなかった、偶像の産物であって、それらが実在しない世界こそが、有るべき正しい姿ではないか。

 

 故に、我はこの世界に真実を取り戻す。

 たとえ、それで歪みの中心たる『魔族特区』の島が沈み、何十万もの犠牲が出ようとも。

 

 島が軋む。鋼鉄同士がこすれ合う耳障りな音が、絶え間なく響いて、不規則な震動で波打つように大地が震える。

 50万を超える人口に無数の高層ビル群に地下街も展開しながらもこの太平洋上に浮かぶ、人工島である絃神島の基盤は金属で造られた超大型浮体式構造物(ギガフロート)

 海に浮かんでいる浮き輪の上に砂のお城が造られているようなもので、非常に不安定で脆く、その非常識な有り様を支えているのはやはり魔術だ。ビルに使われている鋼鉄も、セメントも、プラスチックのすべて重量軽減が掛けられた魔術建材で、地盤には何重もの強化魔術が施されている。

 それらの魔術が一斉に消滅すれば、この絃神島は不安定な浮き輪の上の砂城に戻ってしまう。自重に耐えきれずに崩壊する。

 

 <闇誓書>は読み手である術者を除いてあらゆる魔術魔力を禁じている。

 

 明朝で<闇誓書>は機能を失うが、それよりも早くに絃神島が沈むであろう。

 

「『魔族特区』――魔術がなければ存在することすらしなかった人工の島。いわば狂った世界の象徴だ。なら、我の仮説を証明するための成果としてこれ以上に相応しい舞台はあるまい」

 

 あと少しで、この盟友の犠牲の上で成り立っているこの忌まわしき島を消す。

 

 

 

 ビギィ!!!!!! と。

 何もない筈の空間に、真っ黒な亀裂が走っていた。

 文字を消す消しゴムのようにその黒き毒霧が噴き出して、その向こうより、

 

 

「やっと、着いたぞ」

 

 ありえない声がひとつ。

 客人(ゲスト)の剣巫でも、眠っている盟友でもない。

 

「ここまで来るのに時間がかかったけど、それでも着いた。出遅れたけど間に合ったのだ」

 

 黒い亀裂が広がる。

 大魔女が幾重にも仕掛けた迷宮の如き術式が、コンピューターウィルスにやられてように喰われていく。

 

「ご主人の居場所はどこに居ようとわかる。そして、ここに着けばやることはひとつ」

 

 広がる。広がる。広がる。

 その大きく開かれる亀裂の中から、一歩。

 招かれざるものが、着実に歩を進めて、この世界へと踏み込んでくる。

 

 

「オマエの世界をブッ壊してやるだけだ」

 

 

 現れたのは、この世界の異分子たる、忌み子。

 大魔女が創り、大魔女に育てられた、そして、大魔女の世界を壊す、存在しえないはずの混血の人造魔族。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「クロウ君!?」

 

 姫柊雪菜は視認した。

 ガラスのように<闇誓書>の世界を掘削するよう砕け散らせながら出てきたのは、見たことのないけど、どこかあの少年の面影のある青年。獣耳や尻尾が生えているが、それ以外はほとんど人間のもの。雪菜はそれが直感的に誰であるか理解した。

 

「姫柊とご主人を発見」

 

 鳥籠の形をした、猛獣用の頑丈な檻。その直径4、5mもありそうなその檻の中に雪菜は閉じ込められていた。

 魔女が創造したものであるが、非常に単純な作りで直径10cmもの分厚い鉄棒が縦に等間隔で据えつけられていただけで魔術強化は施されておらず、それゆえに魔力を無効化して、あらゆる結界を破る<雪霞狼>でも壊すことは出来ない。

 これまで彼女は為す術もないまま鳥籠で囚われの身となっていた。

 

 その鳥籠の縦に並んだ鉄柵を右手で一本、左手で一本、それぞれ握り締め、特に力を込めた様子もなく。

 鉄が軋む異音が学園内に響き渡り、鋼鉄の鳥籠は魔人の膂力によってあっさりと―――本当にあまりにもあっさりと捻じ曲げられたのだ。

 2本の鉄棒が捻じ曲げられたことで、鳥籠には小柄な女子であれば何とか通り抜けられることができる隙間が生まれる。

 だが、それだけで休まずに。

 鳥籠を捻じ曲げた魔人は、ついでとばかりにさらに腕を引く。

 その怪力乱神の、つまりは馬鹿力に耐えられず、鳥籠それ自体ではなく、(した)天井(うえ)で鉄棒を支えていた留め金が悲鳴のような音を立てて弾け飛んだ。支えを失った2本の鉄棒は、苦もなく取り外されて、後にできたのは雪菜どころか大の大人でも楽に通れるであろう大きな隙間であった。

 

 ここまでくれば、もう間違いない。

 というか、こんな脳筋思考で力技をするのは雪菜が知る限りはひとりしかいない。

 

「え、っと、クロウ君なんですよね?」

 

 一応の確認のための問いかけであるも、やや不安げなのはその姿が普段と違うからだ。

 これまで、通常時、人狼時、神獣時とその形態をそれぞれ目撃してきた雪菜であるも、今のこの大人になったような状態は初見である。

 して、問い掛けられた当人は、あっさりと首を縦に振って、

 

「うん。古城君や煌坂にも驚かれたけど、成長したら、おっきくなったんだ」

 

 それは驚くでしょう、と雪菜は半ばあきれて同情する。

 当人はあまり気にしてなく、その表現もわかりやすいのだが、簡易的過ぎて伝わらないものもある。

 

 そして、変化したのは外見だけではない。

 力の量、密度が劇的に上がっている。

 

「ご主人……」

 

 そっと幼い少女の前に膝をついて、額に手を伸ばす。

 サナ――南宮那月の仮想人格(バックアップ)が、この<闇誓書>があらゆる魔術を無効化にする力の影響下で消滅したのか、眠りについている。

 寝息を立てるそれに安堵したか、胸を撫で下ろすよう深く息を吐く。

 

「それで、クロウ君、先輩は? 先輩は無事ですか!?」

 

 雪菜が囚われる寸前に、先輩は顔のない黒騎士に胸部を剣で貫かれた。

 かつて、殲教師に上半身を吹き飛ばされたがそれでも復活した真祖だ、胸に穴が開いた程度で死にはしない。けれど、今、<闇誓書>の影響下で魔族が能力を失い、人間も同然の状態に陥っている。

 この様子だと、おそらく先輩に会っているはず。

 心配する雪菜に、同級生の少年はついと目を逸らしながら、

 

「―――え、あ、うん! が、頑張ってるっ!」

 

 思いっきり怪しい。

 何の答えになっていないはずなのに、何かもう色々とわかってしまうような……

 嫉妬などという監視者にあるまじき感情を抱く自分が認められないが、あくまで生存確認のためと言い訳をしてから雪菜は追及する。

 

「……先輩は大丈夫なんですね?」

 

「う、うん。古城君は元気になれるようチューチュー頑張ってる」

 

 先輩を庇って、詳細な説明を省こうとしてると思われるが、彼に隠し事は無理難題である。

 

「内容をもっと具体的に説明してもらえませんか?」

 

「ぴゅー、ぴゅーぴゅぴゅー」

 

 下手な口笛を吹きながら、雪菜の視線より逃れるよう顔が横に向く。

 

「……どうして、目を逸らすんです?」

 

「それは……」

 

「クロウ君?」

 

「姫柊にバレたら怖い姫柊になるから内緒にするよう古城君に言われたのだ」

 

 成長しても、怖いものは怖い。

 ……でも、きっと先輩は助かる。素直にうれしい。多少の苛立ちと哀しみはあるが、それを同級生にぶつけるのは八つ当たりであろうし、この場はこれで納めるとしよう。

 

 そして、

 

「……よもや結界を食い破って、我の世界の中枢(コア)まで入ってくるとはな。土足で自分の部屋を踏み荒らされた気分……だ。それも……犬にやられるとは……最悪……だ」

 

 仙都木阿夜が、その火眼金睛を妖しく揺らめかせる。

 憎悪の刃を差し向けられた南宮クロウは、主を雪菜に預けると、むくりと身体を起こして、拳を作る。この大魔女の殺意に対応するように。

 

「先に荒らして、皆に迷惑をかけてきたのはそっちだろ」

 

「ふん……穢らわしい忌子が、何を言う。汝は我ら魔女の負の産物。どれほど醜悪なのか気づかない……か」

 

 存在自体が許されない、と否定する。今、この学園は大魔女の世界。大魔女の力は極大化し、反逆者は半減する。たとえそれがこの世界の異分子で、<闇誓書>の支配が及ばない因子を持っている相手であろうとも。

 その指先が、虚空に文字を描き出すだけで森羅万象が生み出される。龍殺しのブルード=ダンブルグラフ。天部のシュトラ=D。惨劇姫のジリオラ=ギラルディ。炎精霊遣いのキリカ=ギリカ。美食家のソニー=ビーン。赤黒の魔女二人組メイヤー姉妹。

 

「記憶を元に、魔導犯罪者たちを新たに創り出した……!?」

 

 記憶より具現化された魔導犯罪者の模造品(レプリカ)に雪菜は愕然とする。そして、それらが弾劾するよう同級生(クロウ)を取り囲むのを見て、雪菜は手を伸ばして制止しようとするが、一歩、前に出られた。その際、彼の呟くような声を耳が拾う。

 

 

 ……そんなの知ってるよ、と。

 オレの醜いトコなんてたくさん見てきたし、いっぱい見られてきた、と。

 

 

 そして、戦闘が始まった。

 仙都木阿夜が望みのままに創り出し、思いのままに動く人形は一斉にそれらの武器で侵入者を排除する。

 龍殺しの剣が、念動力の鎌鼬が、毒蜂の眷獣が、精霊の火炎が、静止の邪眼が、森樹の悪魔が、魔人たったひとりに向けられる。

 

 だが、どんな超常の力を振るって再現しようとも。

 一度倒した敵、しかもその魂のない幻影にすぎない劣化版に、見せ場などあるはずがない。

 

「でもそんなのは当たり前だ。この世界で生きてるんだからな」

 

 そう、生きる。

 闘いながら成長をする者には。

 

 巨剣を煌炎揺らめかす聖拳で砕き、真空波を空を断つ遠当てで貫き、千の蜂群を三葉重分身の阿修羅が散り飛ばして、炎精霊を神獣の劫火で吹き飛ばし、邪視を睨み返して気功砲を放ち、悪魔の眷属を神気で一掃。

 有形無形を問わず、そこにあるのならば壊せぬものがない怪物は、誰にも止められはしない。魔導犯罪者の影を容赦なく破壊する。

 

「ちっ」

 

 虚空に出現した光り輝く文字の羅列。それはこの世界で、神に等しき力を振るう<書記の魔女>の魔法文字の束縛。第四真祖の眷獣さえ封じ込める力。

 

 しかし、それが振るうは、神殺しの力。

 概念さえも喰らう“壊毒”に、魔法文字は黒く塗り潰される。

 

 次に水晶の壁が前を塞ぐが、怪力乱神の魔人を阻むには脆い。その一打で砕け散る。

 そして、魔女の懐へ跳躍。空を蹴って加速し―――だが、それも空間転移で躱される。

 

「何もかも壊す……か。世界に拒絶されるべき異分子には相応しい醜さだ。だが、壊すしか能がない犬に守れるものなど何もない―――」

 

 島が、揺れる。

 <闇誓書>の効力で島全体に施された魔術が消されて、自重に耐えきれず崩落する。

 そして、暴れれば暴れるほどその崩壊は早まるだろう。

 

「これで、わかっただろう。一個の存在が巨大な都市を壊滅させるだけの力が与えられているこの世界は間違っている。

 ―――つまり、汝の存在はあってはならない」

 

 魔族の脅威を正しく理解すれば、誰しもそう思う。何故、彼らはそれほどまでに強大な力が与えられているのか―――?

 火眼の魔女が理知的に自論を述べ、それを受けた少年は拳を握る。

 

「そうか。浅葱先輩が、この島が大変だと言ってた。だったら―――」

 

 生きる。

 闘いながら成長をしている。

 それは、たった今も続いている。

 

 瓦割りをするよう、真下に拳を放つ構え。

 地面に叩きつける魔力を篭めた拳打の衝撃は、地盤深くにまで浸透する。

 

「―――オレが、死の淵から蘇らせるのだ」

 

 その魔拳の一撃は、壊すためではなく、直すために。

 

 奪われた魔的霊的中枢を取り戻した際、意図せず得てしまった“創造主”――<血途の魔女>の経験値――<固有堆積時間(パーソナルヒストリー)>があった。

 そう、嗅ぎ取ったのは彼女が得意とした魔術―――

 

「揺れが、止まった……?」

 

 魔力がこの島全体に染み渡って、術が掛けられた。

 空間制御のような超高等魔術ではない、功魔師であるならできるだろう基本中の基本、至極単純な『強化』の魔術。

 

「確か、硬化に重量軽減、空間固定、悪霊除けに錆止め……う、色々と無効化(キャンセル)されているから大変なんだ。

 なら、島の地盤の強化魔術をオレが掛け直して補強すればいいんだろ?」

 

 事も無げに、拳一発で島の崩壊を防いだ。

 <闇誓書>にも無力化されないその魔力で、強化魔術を掛け直す。言うだけならば、簡単に聞こえる。しかし、それをこの彩海学園だけでなく、絃神島全体に行使したとなれば、尋常ではない。少なくとも人間にはできない。都市ひとつを破壊できるだけの力を持った怪物がその破格の魔力、都市を守護することに行使してできるもの。

 神話に、天空を背負った巨人(アトラス)の代わりに、一時、天の重荷を支えた英雄(ヘラクレス)がいたが、まさしくそれ。

 

 

「ご主人が起きるまでは、代わりにオレが護る」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――なら、賭けてみないか? 阿夜

 

 今更、この期に及んで何を賭けるつもりだ、那月―――

 

 

『月が沈んだ後に昇ってくる、太陽を』

 

 

「―――そんなものは、ない」

 

 ああ、その一挙一動が、発言のひとつひとつが、逆撫でする。

 壊すしか能のない獣風情が、盟友の眷獣(サーヴァント)たらんとするその姿勢が、どこまでも仙都木阿夜という魔女を苛立たせた。

 

「良いだろう」

 

 ぶちぶちぶちぶち、という細い線の束が千切れるような音が炸裂した。

 無表情に徹していた魔女の口の端が、笑みの形に裂けていく音だった。

 

「10年前、我の計画を阻止した汝が賭けたものを、“汝の力で壊してやる”!」

 

 虚空に殴り書きして、<書記の魔女>が新たに創造するのは、小柄な少女。この彩海学園の制服を着た、その女子学生は、“まるで人形のような美を持っていた”。

 

「そんな……あれは、まさか……あの夢で見た、10年前の南宮先生!?」

 

 姫柊雪菜が見せられた、『闇誓書事件』の終わり、二人の魔女の決闘。

 そこに出てきた過去の南宮那月と瓜二つの姿で、投影される。

 

「そうだ剣巫。汝に見せた、かつて我が心を許した盟友にして、忌々しい裏切者―――<空隙の魔女>南宮那月だ」

 

 そして、背後より、ゆらりと金色の巨大な影が浮かび上がった。

 

「ご主人の<輪環王(ラインゴルド)>、のそっくりさん……?」

 

 優雅さと荒々しさを併せ持つ、金色の甲冑をまとった機械仕掛けの騎士。

 その禍々しい存在感に、闇そのものを内側に閉じ込めたような分厚い鎧から怪物の咆哮の如き異音を轟かせ、この人工の大地を震わせる。

 

「言っておくが、記憶するにも値しない脱獄犯どもとは精度が違う。『No.014』でその記憶そのものを奪ったのだ。忠実にその実力は再現されてあるぞ」

 

 先の魔導犯罪者らは本体と同じ能力を持っていたとしても、魂のない幻影で、その脅威度が格段に劣る。

 だが、この『南宮那月』は、その本体の記憶から抽出したもの。そこに魂がなくとも、その<固有堆積時間>はそのまま組み込まれた、想像を補強して創造した幻影。

 

「出現するだけでこの世界の時空を歪め、召喚に制限が掛けられた<輪環王>。その魔力を十全に解き放てば、島が沈みかねないと言われているが……さて、汝は島を支えるほどの強化魔術を行使しながら、我の<空隙の魔女>を相手にできるか?」

 

 盟友の幻影を隣に侍らす阿夜は、心底愉しそうに笑みを浮かべた。

 

 

 

「―――来る」

 

 (ナツキ)の幻影が右手を掲げる。

 銀の鎖がそれに応じるように、背後の暗闇から出現。そして、掲げた右手が振り下ろされると同時、神々が鍛えた封鎖が蛇のように踊る。

 指一本を動かすだけで、攻撃の動作が終了するその卓越した技量は忠実に再現されていると言ってもいい。しかし、そのあまりにその通りな挙動は、長年、傍に居続けた眷獣にしてみれば、霊視するまでもなくわかり切った癖であった。

 闇の奥から飛び出した<戒めの鎖(レーシング)>が、魔人を搦め捕ろうとするが、最初に迫ってきた先頭の鎖を一瞬で粉砕した。更に前に進みながらも、瞠目すべき反射神経で鎖の悉くを打ち落とす。

 鎖はさながら蛇のように這い回り、はたまた猛禽類のように上より強襲を仕掛ける。その百を凌駕する鎖を、九十九余りその二本の腕で叩き落として、最後の一本が足に絡みつくが、それも一蹴で粉砕して―――しかし、動きが鈍り、隙ができる。

 

 それを見逃す、ご主人じゃない。

 

 背後より大気が揺らいで、断頭台(ギロチン)の如く長剣を真上に掲げた黄金の騎士。脳天に落とされた斬撃を魔人はその強化の魔術を重ね掛けした両腕を受けた。

 

 ズンッッッ!!!!!! と沈む。

 龍殺しの殺龍剣(アスカロン)を受けた時よりも凄まじい、真祖の眷獣であろうと屈服させかねないその膂力。それを受け切ったクロウは受けたまま身を沈めて、重心を移動。背後跳びの変則的な型ながら、魔族と人間の混在した魔人の武技を放った。

 

「―――壬生の秘拳『ねこまたん』!」

 

 黄金の甲冑の胴体部に叩き込んだ両拳から迸る気功砲。

 スッ―――と霞と消える黄金の騎士。空間転移。確実に捉えたはずの返し技が、躱され―――

 

「所詮は、犬。南宮那月に肉弾戦で挑む愚かさを理解しておらぬか」

 

 反撃を予測し、待ちかえていた罠。マラソンのゴールテープを切るように胴体に鎖が巻き付き、それを千切る間も与えず、魔人は宙高く放り投げられた。更に足に腕に鎖が絡む。遠心力の働きによって、背中から大地に叩きつけられた。

 

「グ、ッ……!」

 

 マズい、と直感が警告を発する。だが封鎖に力を制限されて、さらには小型の眷属、クマの人形のファミリアが自動追跡爆撃弾と化して迫っては、眼前で爆発。音響閃光弾の如く爆風と閃光で獣人の感覚を麻痺させては、そのたびに巻き付く鎖が数を増やしていく。

 

「ほうれ。早く逃げねばこのまま嬲り殺しぞ」

 

 鎖が振り回され、まるでモーニングスターのように校庭に、学舎に、渡り廊下にと投げつけられて―――

 

 だが、それは誤りであった。

 魔人は

魔女の思う通りにただ嬲られていたのではない、絶好の位置取りする機会を待っていた。

 

 

「ゥグォォォオオオオオッッッ!!!」

 

 

 ―――鎖が弾け飛んだ。

 黒ずんだ銀の鎖、それは“壊毒”に侵され、封鎖の性質が壊された証左。

 そして、ただの鎖では、この魔人を引き留めるに値しない。まして、既にクロウは足元より気功砲を放出して全力を疾走に傾けている。

 そして、神獣の膂力で放たれた拳が<空隙の魔女>の幻影と<書記の魔女>の前に立ちはだかる<輪環王>――避ければ、主らに当たる、故に転移できない――を“第三の契約”で遠隔接続された王女の威光を纏わせた左の聖拳が徹甲弾の如く、機械仕掛けの胴体部を一撃粉砕。

 

 やはり。

 経験値はあっても、魂なき抜け殻の<守護者>は、本物よりも脆い。

 あの力は主が多大な代償を払って得た力だ。再現するにも限度がある。

 

 

「―――甘い。<輪環王>は囮だ」

 

 

 砕いた甲冑の内側から爆ぜるように伸びてきた真紅の茨が、神殺しの狼を縛る。

 

「む!? <禁忌の茨(グレイプニール)>まで!?」

 

 虚空より現れた荊は、空間そのものを束縛するようにクロウを封じていた。

 

「―――ガアアアアアッ!?」

「クロウ君っ!」

 

 その身に食い込む荊は魔人の両腕を絞め上げ、あらぬ方向へと捻じ曲げていく。

 全身に巻きついている荊は際限なく絞られていく、引き締まった強靭な筋肉によろわれた首でさえ、その張力で絞り切ろうとしていた。

 

「邪魔をするな剣巫。汝はこやつらでも相手にしてるがいい」

 

 再び出現する魔導犯罪者の幻影。背に眠れるサナを庇わなければならない雪菜はそこを動けない。

 

「さあ、我の実験を邪魔する、この『魔族特区』に掛けた強化魔術を止めろ。さすれば、縊り殺さずに、解放してやろう」

「やだ! 絶対に断る!」

 

 吼えた瞬間、新たな荊が首と、手首足首に巻きついた。

 牛裂きの刑のように四肢頭部を引き裂こうとするその相乗効果による激痛が脊髄を走る。

 

「グフッ……今日、ひとつ、わかった。魔女は、皆性格が悪い……」

 

「戯言をほざけるほど余裕がある状況ではないはずだが? それとも、汝は死に際も理解できないほど愚かなのか?」

 

 上から出現した黄金の籠手が腹部に叩き込まれ、ダメージと共に荊の張力の反動で二重に苦しめる。それでも、絃神島の地盤に掛ける強化魔術を途絶えさせない。

 

「クロウ君! やめて……もうやめてください!」

 

 雪菜は何とか魔導犯罪者らの幻影を躱し、<雪霞狼>で荊を切り裂き解放しようとするが、水晶の壁がそれを阻む。

 サンドバックにされて悪魔の巨手に痛めつけられながら、魔人は不敵に笑い、

 

「こんなの、ご主人に、ドリブル、された方、がきつい、のだ。ああ。ご主人、オレをいじめるときすごくいい顔するけど……」

 

 そして、魔女の火眼を見据えて、

 

 

 

「―――なあ、なんでオマエのご主人は、笑わないんだ?」

 

 

 

 固まる。乱打する籠手が、止まる。

 

「な、に……?」

 

「これ、オマエのイメージのご主人だろ? なら、オマエの中じゃご主人はこんなぶすっとしてるのか?」

 

 その問いを投げられた瞬間、仙都木阿夜の心は再びざわつく。

 苛立つどころではない。心の中に湧き上がるのは、もはや明確な憎しみだ。その火眼は、不倶戴天の敵を見るような目で、魔人を射抜く。

 ―――何故だ……

 ―――何故、まだ耐える?

 疑問を憎しみに、憎しみを憎悪に変換しつつ、魔女は思う。

 ―――これ以上の遊びは、不愉快だ。もう付き合うだけ無駄だ。

 ―――そこまで汝が盟友の眷獣と自称するというのなら……

 ―――我は、汝を真実の姿に戻してやろう。

 ―――盟友に拾われる以前、獣のころにまで時間を戻してな。

 

 縛られ、身動きのできない魔人の前に、顔のない黒騎士が現れた。

 このまま、盟友の幻影にやらせてもよかったが、阿夜は、自らの手で始末をしたくて仕方なかった。

 

 ―――本当に……ここまで、犬に苛立たされるとはな。

 

 そうして。

 終わりを示すように、火眼の魔女は片腕で魔人を指した。

 勝敗は決したと思ったその瞬間―――

 

 

疾く在れ(きやがれ)、四番目の眷獣<甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)>―――!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 暁古城は、<闇誓書>の力に<第四真祖>の性質を封じられ、重傷を負わされた。

 古城は眷獣が暴発し、その乱戦の隙に傍にいた舞威姫に抱えられ、避難したが、それでもただの人間にまで落ちている彼は回復しない。

 その時に現れたのが、後輩に抱えられた幼馴染であった。

 

 仙都木阿夜は自分の魔力だけは消さなかった。

 <闇誓書>を発動するには術者の魔力が必要であり、そのおかげで、彼女の複製として造られた仙都木優麻の魔力も健在だ。

 

 元より<第四真祖>は本来この世界に存在しないはずの四番目の真祖で、ならば、<闇誓書>の支配より逃れられる可能性はあるはず。

 実際、その後続機(コウハイ)は、異能を存分にふるえている。

 ならば、ごく少量のワクチンがウィルスを無効化するように、体内に優麻の血を取り入れることで、その<闇誓書>に抗える因子の覚醒を促せば―――

 

 そうして、仙都木優麻、そして、煌坂紗矢華と吸血行為に及んだ古城は、<第四真祖>としてまた一つ覚醒する。

 

 実体(カラダ)にこだわるから穿たれる。

 姿形(カタチ)にこだわるから崩れ落ちる。

 吸血鬼とは生死の境界を超越した者。存在と非在の狭間に棲まう者。

 聖も邪も、生も死も、すべては原初の混沌の霧の中へ戻せばいい―――

 

 目覚めたのは、四番目の眷獣。

 銀色の霧を灰色の甲殻が覆っている甲殻類は、吸血鬼の『霧化』を示したもの。万物を霧に変えてしまうその力。

 

 それまで霧になれない不完全な吸血鬼であった暁古城が、初めて行使した霧化は、絃神島全体を霧としてしまい、仙境如く世界に溶け込ませてしまった。

 

 そのおかげで後輩の強化魔術で崩壊の瀬戸際を繋いでいた絃神島は、重力の影響を免れた上に、建材の連結部が実体を失ったことによって、強度面の問題が解消された。

 島全体を強化した後続機も凄まじいが、島の実体そのものを失くして崩壊をさせなくする<第四真祖>は恐ろしいものだ。

 もし『霧化』の制御をミスすれば、街は霧と化して消滅してしまうのだ。世界最強の吸血鬼らしいデタラメな能力である。

 

 

 

「我の複製品である人形の血を吸い、魔族の力を取り戻したか」

 

「ああ。おかげであんたをブッ飛ばしてやれるぜ」

 

 紗矢華と優麻を連れて現れた古城は、怒りに震える魔女を冷たく眺めて、言う。

 

「あんたにいいように利用されたユウマはボロボロで、那月ちゃんも幼児に変えられちまって、クロウも随分と世話になったようだな。浅葱も、アスタルテも、祭りを心待ちしてた島の皆も、あんたのせいで苦しんでいる」

 

 それに対して、魔女は静かに無言のまま、殺気を撒き散らして、虚空に無数の文字を描いた。

 脅威であることもそうだが、使い捨てた人形(むすめ)の血を吸って魔族の力を取り戻して、それで自分の計画を崩壊させようとする。自身の純血を誇り高く思う<書記の魔女>にはあまりに度し難い蛮行。一秒でも存在することが許せぬほどに。

 魔法文字は、煮え滾る溶岩、巨大な氷塊、地面より突き出す無数の針と化して、さらにそれらに加え、魔導犯罪者らの幻影も、この第四番目の真祖をめがけて襲ってくる。

 

 それを払うは、雷光と暴風。

 激昂する魔女にも劣らぬ宿主の怒りに呼応して、血に宿る災害に匹する暴威が解放される。

 

「いい加減、本気で頭にきてんだ。あんたがユウマの母親だろうが、<監獄結界>からの脱獄囚だろうが関係ねェ。あんたの目的も知ったことか! あんたは俺の大事な友達(なかま)を大勢傷つけた! ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ!」

 

 黄金の雷霆が大気震わす獅子と緋色に煌めく鬣をなびかす双角獣。

 百雷と暴風を暴れ振るう破壊の権化らは、魔導犯罪者らの幻影や魔女の魔術攻撃を巨大な竜巻が薙ぎ払うように蹂躙して、一掃する。

 

 その力を振るい終わった隙を狙い、魔女の魔法文字の障壁が古城に―――銀色の槍が一閃して、それを裂く。

 

「―――いいえ、先輩。わたしたちの反撃(ケンカ)です」

 

 本来ならば冷静に古城を諌めるべき立場の剣巫であるが、流石に今は己の意思で火眼の魔女に破魔の槍を向ける雪菜。

 

「自分たちが魔女だから、この世界の人々に蔑まれ、利用されてきたとあなたは言った。だったら、あなたが優麻さんに対してしたことは何なんですか!?」

 

 仙都木阿夜は、本当にこの世界を変えたかったのかもしれない。世界から異能の力が失われれば、魔女が畏怖され、疎まれることもなくなる。それが願いなのだろう。

 だがその過程で、自分よりも弱い誰かを傷つけ、踏みつけにするのなら―――それを正義だと認めることはできない。誰かが止めてやらなければならない。

 

「クロウ君にしたことも、全部八つ当たりです。世界の脅威だからじゃなくて、ただあなたは10年前に裏切った盟友(トモ)である南宮那月の側にいることに嫉妬しただけでしょう。だから、あなたの想像する南宮那月が笑わないのは当然です」

 

 第三者として見ていた雪菜の追求に火眼の魔女は、心を激しく動揺させた。

 ―――まさか……

 ―――我が今更……こんなことに執着するなど……

 同時に、彼女が感じていた南宮クロウへの苛立ちの理由も理解する。

 ―――だが……どうして……“我がいるべき場所に奴がいるんだ”?

 

「あなたが呪われているのは、あなたが魔女だからではありません。自分が魔女であることを理由に、他人を傷つけても許されると言い訳する限り、誰もあなたを受け入れてくれない。今すぐクロウ君を解放して、投降してください」

 

「……たかだか十数年しか生きていない餓鬼どもが、知った風な口をきいてくれる」

 

 苦々しげに目を眇めるその表情には、絶望と拒絶が満ちている。

 そう、十年前、南宮那月との決別を決めた時と同じ―――

 

「我は『太陽』など認めん! <(ル・オンブル)>! 犬の記憶を、奪えッ!」

 

 十二単の袖口より古き魔導書『No.014』を取り出し、<守護者>の剣に呪的付与(エンチャント)をかける。

 黒ずむ刃。この刺突を受ければ、盟友が幼児化されたように、固有堆積時間が奪われることになる。無力化されるが、それより、南宮那月との時間を消去する。

 

「クロウ!」

 

 真紅の茨に拘束された魔人に悪魔の刃が振り落される。

 古城、そして、雪菜がクロウの元へ走り出す。強力過ぎる古城の眷獣では、クロウごと巻き込んでしまう。雪菜もその立ち位置で槍が届くには遠過ぎて―――

 

 一瞬という時間を十にも二十にも分割しながら、その光景は古城の真紅の瞳いっぱいに膨れ上がる。その魔剣は後輩の躰を貫き、時間も何もかも奪われてしまうだろう。

 

 そのとき、虚空が揺らいで、

 

 

 ギンッ、と金属同士が激しく衝突する音。

 

 

 黒騎士の剣を、黄金の籠手が弾いた。

 

 ―――何故、黄金の<守護者>……が!?

 

「幻影に指示は―――まさか!?」

 

 美しい波紋のように空間を揺らして出現する、黄金の鎧に身を包んだ人型の影。

 それは悪魔の如き騎士の威容は、外見は同じ―――しかし、明らかにこの世界のものではない、光を侵食する黒天体(ブラックホール)を連想させる漆黒の魔力を放っている。

 偽物には出せない、別格の本物の妖気。

 

 もう片方の手に持った黄金の剣が煌めいて、一閃、二閃、三閃―――魔人を縛る模造品の真紅の茨が切り裂かれる。

 

「ようやく、その本を持ち出してくれたな。待ちわびたぞ、阿夜」

 

 舌足らずな可愛らしい声を発したのは、解放された使い魔の前に降り立った幼女。しかし、纏う豪華なドレスがその魔力の波動に煽られるほどで、不敵な微笑も年齢とはあまりに不釣り合いなほどに、傲岸不遜なカリスマ性を放っている。

 

「那月!? 汝、記憶が―――」

 

「返してもらうぞ、私の時間を」

 

 指を鳴らす、ただそれだけの動作。高速詠唱もない無詠唱で、虚空より撃ち出した無数の鎖が、阿夜の腕に巻き付いて『No.014』――固有大敵時間操作の魔導書を絡め取った。

 

「……那月ちゃん、魔力が戻ってたのか?」

 

「一瞬だけ魔術が使える程度の、僅かなストックだがな。馬鹿犬に『鍵』をやらせていたから消耗しないで済んだし、どこぞの真祖が風呂場で鼻血を駄々洩らしてくれたおかげだ。藍羽には感謝しなければな」

「―――幼児化してた間の記憶も残ってんのかよ!?」

 

 愉快そうに唇を曲げて言う幼女に、古城は思わず頭を抱えた。

 オシアナス・グレイブⅡの大浴場で古城が流した鼻血には、微量ながら<第四真祖>の魔力の残滓が含まれており、それが溶けだしたお湯に浸かったことで幾分かの魔力が回復できたという。

 

「いつのまに……」

 

「? 姫柊は気づいてなかったのか?」

 

 驚き唖然とする雪菜に、同級生の少年は首を傾げて言う。

 

「えっ? クロウ君、気づいてたんですか?」

 

「う。ここにきて、すぐ。ご主人に<輪環王>を返したときに狸寝入りしてたのすぐわかった」

 

 あの慌てぶりは古城の吸血行為がバレないようにではなく、主の作戦を知ったからなのか。

 

「よくわからんけど、あの本を出すまで起きてることバラすなー、って念話さ(言わ)れたのだ。だから、魔女は皆性格悪いと―――「ほう、馬鹿犬。折角、褒美をやろうとしたが叩いて躾けてやった方が良いみたいだな」―――ご主人は違うけどな!」

 

 完全に復活したその主従を、呆然と立ち尽くしていたまま見つめている阿夜。

 

 南宮那月が仮想人格を使って記憶を復旧していて、<闇誓書>が発動する前に、記憶が戻っていたことを、彼女は知らない。

 そして、<闇誓書>の読み手としての記憶が戻った南宮那月に魔力無効化は及ばない。

 

 那月は無力な幼女のふりをして、仙都木阿夜の目を欺き続けた。油断させ、感情を押し殺し、奪われた時間を取り戻す好機を虎視眈々と待っていた。

 

「どうやら、賭けは私の勝ちのようだな阿夜」

 

「……っ」

 

 動揺する火眼の魔女を、幼き魔女は一瞬だけ憐れむように見つめて、

 

「よし! 難しいのはこれで全部、後はぶっ飛ばすだけで終わりだぞ。今日こそ下剋上であの<輪環王>をブッ飛ばしてや―――る゛ッ」

 

 ガツン、と脳天に衝撃。

 勢い良く駆けだそうとした犬のリードを思いっきり引っ張ったような所業。

 倒れこそしなかったが、つんのめるクロウは、下手人たる主を睨んで、対して那月は、ふん、と鼻を鳴らし、

 

「何をするのだご主人!?」

 

幻像(ニセモノ)だろうが、馬鹿犬にやられるのは気に喰わん。なんとなく」

 

「小っちゃくてもおっきくてもご主人は理不尽なんだな」

 

「馬鹿犬、それに姫柊雪菜は一緒に、仙都木阿夜の意識を刈り取ってこい。あとそこのポニテ! 阿夜の娘はまだ意識があるな?」

 

「ポ、ポニテって……」

 

 何の捻りのないあだ名に若干の不服は覚えても、ここは那月に従うべきと紗矢華は判断する。強引な契約破りを受けた優麻を救えるのは、高位の魔女である那月しかいない。

 

「あくまで我の敵に回るか、那月」

 

「潮時だ、阿夜……<監獄結界>に戻れ。おまえが見た夢はもう終わった」

 

 那月の警告は、彼女ができる恩情だ。

 凶悪な脱獄犯を扇動し、絃神島の崩壊を謀って、全島民を危機に陥れた首謀者である仙都木阿夜の罪は重い。彼女が待ち受けるのは、死刑すら生温く思えるほどの過酷な罰だ。

 だが、<監獄結界>の中に封印してしまえば、人工島管理公社は彼女に手出しはできなくなる。この夢幻の世界に“避難させてやる”のが、古き盟友として那月が選べる手段なのだ。

 

 そして、古城らも、傷ついた優麻のためにも、阿夜を見捨てることはできない。ようやく出会えた母親を、娘の目の前で破滅させてやるわけにはいかない。

 

「孤立無援か。<図書館>の魔導師どもを見限ったツケが、このような形で回ってくるとはな」

 

 那月の心情を正しく理解した上で、阿夜は首を横に振る。

 『総記』であった<書記の魔女>だが、既に彼女自身が組織の支援を切り捨ててしまった。どの道実験が終われば不要な連中であったので特に後悔はしない。だが、その結果、彼女は使える手駒を多く失ったのは確かであり、

 そして、<闇誓書>の支配が及ばない、10年前に自分を破った盟友に、殺神兵器の真祖と魔人、それに魔女の天敵たる破魔の槍を振るう剣巫をひとりで相手取れると考えるほど自惚れていない。

 だが、ここで退くわけにはいかず、そして、打開策はひとつある。

 たったひとつ、仙都木阿夜という駒を犠牲にすればいい―――

 

「なら、取れる手段はこれしかあるまい」

「―――よせ! やめろ、阿夜!」

 

 火眼を細めて陰鬱に笑う阿夜の表情に、那月は悲鳴のような声で制止を呼びかけた。

 しかし。

 仙都木阿夜の全身は炎に包まれる

 自然界に存在する炎ではない、焦熱地獄より召喚したような、不吉な闇色の焔。

 その業火に一体化するように、火眼の魔女の身体が完全に呑まれて、それを黒騎士の鎧が包み閉じ込めるように覆われる

 

 そう。

 <堕魂(ロスト)>。 自らの魂を悪魔に喰わせて、肉体を本物の悪魔と化す魔女の最終形態にして、最期の魔術。

 

「……こうなったら誰にも止められない。阿夜は、もう……」

 

 追い詰めさせ過ぎたか。

 那月が絶望に満ちた表情で唇を噛む。同じ魔女であるだけに、<堕魂>の恐怖を誰よりも理解している。

 もう、助けてやることはできない。

 精々、何もかもを奪われてしまう前に、悪魔ごと葬ってやるしか……

 

 

 ごつん、と後ろから那月の頭をチョップされる。

 

 

「~~~~~っ!?!?」

 

 頭を押さえて蹲る那月。完全に不意を衝かれた。

 今ここにあるのは彼女の実体、眠りの代償として、障子紙くらいの頑健さしか持ち合わせぬ成長の止まった幼き身体に、今のは痛すぎた。

 涙目交じりで振り向けば、驚いた顔をしてるクラスを受け持ってる問題児に、おっとなんかやりすぎったぽいぞ、と下手人とわかりやすく手を振ってるサーヴァント。

 それは何の悪気なく、普段通りのあっさりとした調子で、主の那月に問い掛けてきた。

 

「まだ寝惚けてるのか? らしくないぞご主人」

 

「っ! いきなり叩きおって、らしくないとはなんだ貴様!」

 

 それだけで射殺さんと呪がかかってしまいそうな眇めた視線を受けて、眷獣の魔人は―――笑った。

 

「殴れよご主人。馬鹿犬って叱りつけるのが、オレが知ってるご主人だ」

 

 威圧的な鬼神めいた笑みでも、上から見下すような蔑みの笑みでもない。

 ただ、見ている者を安堵させんとする、強がりともいえる、けれども不敵なもの。強気に偉ぶった姿勢が不思議と似合ってない残念な感はあるのだが、

 諦観に陥る間際に映ったそれは、呆れてしまうくらいに覿面であった。

 

「………」

 

 これ以上の説得(ことば)は必要なく、胸の中の情感に熱が入っていくのを感じる。熱くなる心中に、諦めはもう蒸発して霞んでいる。

 失笑が零れる。

 それはどちらに向けたものか、それとも両方か。しかしながら、南宮那月という魔女が、より主たらんとさせる。

 

 それを見ていた雪菜は、一度瞑目して、口を開いた。

 

「ひとつ、救える手段があるかもしれません」

 

「姫柊……」

 

「はい、先輩。<雪霞狼>は魔力を無効化するのではなく、世界を本来あるべき姿に戻しているのだと、あの人自身が言ってました」

 

「―――よし! とりあえず、あいつをブッ飛ばして、姫柊に任せればいいんだな!」

 

 ここまでの戦いで、ひどく消耗している。

 完全な悪魔と化しつつある仙都木阿夜の魔力は桁外れに膨れ上がっており、ただでさえ相手にするには至難。

 止めの雪菜は機を逃さないよう控えてるため、古城とクロウが前に出る。

 

「あまり霧化(これ)を維持できる余裕もないから一気にやりたいとこなんだが」

 

 新しい眷獣の銀霧の甲殻獣も他の眷獣同様に、性質は暴れん坊、今は大人しく人工島を支えていても、少しでも幉を緩めれば絃神島を文字通り雲散霧消しかねないので、制御に恐ろしく気を遣うのだ。

 災厄の化身たる眷獣の力が存分に振るえるのはせいぜい一回。果たしてそれで、<堕魂>した大魔女を倒せるかどうか。

 渋面を作る古城に、後輩は気息を落ち着けつつ前を見据えている。彼も古城が来るまで強化魔術で人工島を支えていたのだから、相当消耗しており、全力は出せて一度で、

 

「悪魔と合体して強くなったんだろ。だったら、古城君! こっちも合体するのだ!」

 

「んん……???」

 

 後輩の提案がわからず、首を捻る古城に、何故か顔面蒼白にする獅子王機関の攻魔師二人。

 

「ま、まさか、暁古城! 私や仙都木さんのだけでは飽き足らず、彼も……」

「ひょっとするとそうかもしれないと思ってましたが、本当に先輩は……」

 

「お前らが何を考えてるかわからないし聞きたくもないが、絶対に違うとだけは言っとくぞ!」

 

 船でも浅葱から、ヴァトラーとの関係性を疑われたが、どうしてそう結論に至るのか、年ごろの女の子の頭の中を覗きたくなる。

 

「で、クロウ。合体とはなんだ? こんな時だからふざけてるわけじゃないとは思うんだが、ちゃんと説明してくれ」

 

「む。そうだな。見せたことはあったけど、古城君とやったことはなかったぞ……」

 

 

 

「―――では、一気に行きます!」

 

 獅子王機関の剣巫が破魔の銀槍を構えて疾駆する。

 かつて仙都木優麻だった存在が、炎と化した指先で、虚空を焦がして文字を描く。呪詛を篭めた魔法文字より創り出されるのは得体のしれない不定形の怪物。この異形は<堕魂>した魔女が呼び出せる魔界の生物なのだろう。

 槍を担う巫女の行く手を阻むよう、津波の如く押し寄せる異形らに、先輩後輩の殺神兵器がその腕を振るう。

 

 

「合わせろ、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>―――!」

 

 

 天上に挑まんと自らの血を噴き出さす左腕を突き上げ、牙のように白い歯が剥かれる。

 超振動を起こす双角獣の激震が暴風を起こして、異形らを片端から破断し、粉砕。あまりにも強烈な衝撃波とそのソニックブームに取り込まれ、不定形の怪物らはフードプロセッサーに放り込まれた果実のように次々と引き千切り霧散された。

 

 突如、眷属を薙ぎ払われた堕ちた魔女の前に、巨大な壁が現る。

 

 無論、怪物の第二陣に招来されたのだ、普通の壁ではない。

 炎と氷と砂塵とが入り混じり、竜巻の如く内側を覆い隠す―――けして敵対者の侵入は許さないという、厳とした意志の感じられる結界。それが第四真祖の凄まじい魔力を帯びた風を弾き、拮抗。

 半端な破壊力で突破できない結界だというのは、嫌でもわかったが、それでも真祖の力をも防ぐとは驚嘆する。しかも、これも魔術ではない自然現象そのものを呼び寄せている以上、<雪霞狼>が通じない超自然の結界。

 だが。

 こちらも二発目が本番だ。

 

「クロウ! ラストパスを無駄にするんじゃねぇぞ!」

 

 まるで背中を叩くような叱咤。

 同時、“双角獣を霧散させた”。

 濃密に凝縮されていた第四真祖の眷獣は、形を失い血霧となってその場に解放―――

 その風を、掴むは、魔人。

 

「おうよ古城君!」

 

 荒れ狂う双角獣の膨大な魔力を残らず掌握。その瀑布の勢いに呑まれず、そして一滴も余さず呑み込む。力任せと繊細さを両立させ、魔人が吼える。

 

「おおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 超能力に拡張された嗅覚が、この双角獣の“残滓(におい)”から固有堆積時間を吸い出し、合わせて魔人が纏う神獣の生体障壁を変質。

 『獣の皮を纏う戦士(バーサーカー)』―――元より大罪を受け入れるために創造された魔人は、成長し、真祖の力を取り込めるだけの“器”足り得た。

 

 

「―――壬生の秘拳『ばきくろす』!」

 

 

 『馬鬼(ばき)くろす』―――それは、絃神島で人気のマスコットキャラクター『猫又(ねこまた)ん』の仲間。人間にいじめられた過去を持つ『ばきくろす』は人に懐きにくいが、それでも心を許した相手には優しく、同じ釜の飯を食った『ねこまたん』にはお姉さんのような存在。

 その設定背景から獅子王機関の舞威姫に密かに収集してるとかなんとか……

 

 

 擬獣武術が象形拳のひとつ、馬形を双角獣に合わせて変則使用。

 その両腕を音叉の双角を模して体の前で交差。して、踏込と同時に外より内に両手を巻き込みながら丹田より獣気を掬い取るよう双掌を放つ。

 

「ぶっ……飛べえええええっ!」

 

 衝撃波を練り上げ、手中に固体も同然に超高圧縮された衝撃砲が、さながら猛る神獣の咆哮の如く、轟然と迸る。

 拡散するだけだったものにより狭めた指向性が与えられただけでなく、腕の動きに合わせてねじれが起こり、突風は旋風に変じて、一秒に数千回というレベルに回転が加速する。さらには魔人体内に高まる獣気を限界まで上乗せする。結界の強度が未知数な以上、一切の手加減せず、ここに今ある全てを費やす。

 堕ちた魔女の炎と氷の砂塵の最終防壁に、双角獣の皮を被る魔人が牙を剥いた。結界は大嵐の衝撃砲に反発してその威力を減じんと防壁を厚くさせるが、魔人の攻撃はなおさら一点に威力を集約する。

 殺神兵器の合わせ技の進撃に結界が、軋みを上げる。

 闇色の炎を撒き散らし、夜色の氷を砕き、墓土の砂塵を撹拌して、さらに突き進み―――堕ちた魔女を守護する黒騎士の鎧を弾け飛ばした。

 

 ついに、姫柊雪菜の進路が確保された。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 粛々と祝詞を紡ぎながら、銀色の槍を掲げて舞う剣巫。獅子王機関の秘奥兵器である銀槍に静謐な霊光が満ちる。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 破魔の一閃に、黒騎士鎧が破れて露わとなった魔女の鬼火が断ち切られる。

 <雪霞狼>が放つ魔を滅する浄化の光に仙都木阿夜の身体から、悪魔が退散する。それは彼女が悪魔と交わした契約が破棄されたも同じ。堕ちた魔女の肉体と、魔界との接続が断絶されて―――

 

「よくやった、教え子ども!」

 

 歓声を上げる舌足らずな声と共に、虚空より放たれた魔女の鎖が、盟友の躰を引っ張り上げた。

 そして、術者が昏倒し、接続(リンク)が途切れている<守護者>にも逃さず、銀鎖を放ち、黒騎士を締め上げる。

 

「悲嘆の氷獄より出で、奈落の螺旋を守護せし無貌の騎士よ―――

 我が名は空隙。永劫の炎をもって背約の呪いを焼き払う者なり。汝、黒き血の軛を裂き、在るべき場所へ還れ。御魂をめぐみたる蒼き処女(おとめ)に剣を捧げよ!」

 

 高位の大魔女の令呪が鎖を通して、黒騎士に伝播して―――卵の殻を割るように罅割れ剥かれた黒甲冑より、真夏の海に似た、蒼き鎧が現れる―――

 

 

「―――<(ル・ブルー)>!」

 

 

 朦朧としながらも叫ぶ優麻の母親の支配を断ち切る――親離れの意思に、青い騎士は咆哮して応えた。

 

 

港湾地区

 

 

 <闇誓書>の支配が消えて、世界に元の色彩が戻ってから一日。

 『波朧院フェスタ』は、間もなく二日目の夜を迎えようとしていた。

 最終日の明日にもイベントは盛り込まれているが、最大の目玉はやはりこの二日目に上がる『魔族特区』ならではの特殊な花火にある。

 錬金術の粋を尽くした魔導花火玉を8000発も打ち上げる絶景は、国内外からの注目度が高い。

 そんなわけで、会場となる港湾地区(アイランド・イースト)の岸壁には、着飾った多くの若者たちで賑わい、屋台も軒を並べている。

 24時間前までは、ここは脱獄した魔導犯罪者らとの死闘を繰り広げた場であったとは信じられないだろうし、

 

「………でなー、色々と七面倒なことになったからオレの身体は“ハウス”されて、ご主人に預けてるのだ」

 

 ……このマスコットな後輩がその死闘を演じたとはとても信じられないであろう。

 

 花火見物にやってきた古城と雪菜が目的地に着いたモノレールを降りたところを出迎えたのは、メイドな人工生命体(ホムンクルス)……と、ふよふよ浮いてる二頭身の妖精獣(モーグリ)

 

「……本当に、クロウなのか?」

 

「肯定。先輩は、今回の事件で調整を要すると教官(マスター)に実体を預けられています。授業再開する週明けまでには返却されるとのことですが、それまでは猛省も兼ねて、この仮想肉体(バックアップ)で我慢しろとのことです」

 

 曰く、戦闘やら呪詛やら契約やらでクロウの身体はこんがらがって解けなくなった糸玉のように大変複雑な状態であって、不具合を直すにしても調整して安定させるにしても面倒なことになっているらしい。

 とりあえずは大丈夫なので心配はしなくていいとのこと。

 

「無事なようでよかったです、本当に心配したんですからねクロウ君」

 

「うー。みんなに迷惑をかけて申し訳ないのだ」

 

 しょぼーん、と眉をハの字に垂らし、反省した顔がちゃんと作れる。

 それに、船で見た時にはなかったパーツもある。ほぼ意味をなさない短すぎな手足では移動に苦労するから配慮されたのか、物的軽重の呪術が掛けられ、ぱたぱたとちっちゃな羽(飾り用にしか見えないのだが)を動かし、空も飛べてる機能付き。他にもチョウチンアンコウについてるような触角もあって、それから暗い夜道もライトアップしたり、ウソ発見器のように感情に合わせて点滅したり、救難信号を発することができるという……

 魔法少女の相棒にはまり役な妖精獣(モーグリ)形態(フォルム)だが、ギミックが多彩というか、芸が細かいというか、仮想肉体の作成者である主のこだわりが透けてみえる。

 海風に流されないよう、その胴体部に紐がしっかりと巻き付けられて、それをアスタルテに握られているその姿は、本当、二頭身人形というかそこらの出店に売られてる風船(バルーン)にしかみえないのだが。

 これも『魔族特区』仕様だと受け入れられ、道中、女子供に、どこで売ってるんですかそれ! と人懐っこく喋る妖精獣(コウハイ)は大人気であったが、そのたびにメイドの人工生命体から、教官が先輩に合わせた特注品(オーダーメイド)で非売品です、と断わりを入れられていた。

 

「くんくん! あっちから美味しそうな匂いが! ―――ぐえっ!?」

 

「不許可。先輩の勝手な行動は一切禁止するよう教官に言われています」

 

「そんなぁ~……この仮想肉体(カラダ)、お腹は減らないけど、それでも食べたいものは食べたいぞ……」

 

「ん、んんッ! あの、アスタルテさん、クロウ君の幉を取るのは大変でしょうし、私と交替しませんか?」

 

無問題(ノープロブレム)。先輩の管理を教官より任されたのは私です。客人(ゲスト)に世話をさせるわけにはいきません」

 

「いえ、その私も少しでいいから、抱き心地がどのようなものかとか色々確かめてみたいと言いますか、無理とか全然……」

 

無問題(ノープロブレム)。先輩の管理を教官より任されたのは私です」

 

 主人に忠実なメイドさんガードは鉄壁のようだ。

 

 そうして、古城らはクロウ(アスタルテの)先導についていきながら出店を冷やかしつつ、港湾地区の外れにやってきた。

 周囲に人影はない。ガイドブックに載っている花火大会の見物スポットからは離れており、街灯も必要最低限で暗い。早速、妖精獣(モーグリ)のライトアップ機能が役立った。

 

「ここが目的地……なのか?」

 

「そうだぞ。ご主人のとっておきなのだ」

 

 貨物船用の係留スポット。この時期に絃神島を訪れる貨物船はほとんどないため、随分と見晴らしのいい。周囲の海が一望できる。

 

「時間です」

 

 アスタルテの時間に正確な報せ。

 直後、鮮やかな光が世界を染めた。

 ドン、と一瞬遅れて轟音が伝わり、肌が震える。

 

「あ……」

 

 色とりどりの花火に彩られる夜空に、生真面目な少女も童心に帰ったように大きく目を見開いて、幾分か幼い笑顔を浮かべた。

 

「なかなかの穴場だろう?」

 

 古城たちの傍には、いつの間にか豪華なドレスに着飾った、人形めいた幼女が立っていた。感激している古城たちの表情を見て、どこか得意げに鼻を鳴らす。

 そう、この絶景が彼女が送る今回の報酬である。

 

「私のとっておきの場所だが、お前たちには今回借りを作ったからな。特別だ」

 

「那月ちゃん……」

 

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 いまだに幼い姿の那月が、不愉快そうに古城を睨む。

 

「だが、サナと呼ぶのは許してやらんこともないぞ」

 

「気に入ったのかよ、その呼び名」

 

 脱力してその場に跪きながら、古城はうめく。そんな受け持ちの生徒から視線を流して、

 

「あ」

 

「馬鹿犬もこのままでいても構わんのだが」

 

 手品のようにアスタルテの元から那月の手元に移動される妖精獣。

 

「イヤだぞ! オレ、このままじゃご飯の味わからないし、匂いだけじゃ生殺しなのだ!」

 

「食事代もかからないし是非ともクロのままでいさせてやりたいのだが、これではペンが持てないから授業が受けられん。残念だ」

 

 ぽんぽん、と浮く妖精獣の触角を掴んでは、ヨーヨー風船のように弄ぶ。

 

「ぎゃーぎゃー!? 何をするのだーご主人!?」

 

「昔の女に蹴りをつけて来いと言ったが、それで別の女に貸しを作ってきてどうする馬鹿犬め。お前に掛けられた契約を解呪するにしても、『No.013』の魔導書が必要だが、あの腹黒王女め、『使い魔(サーヴァント)の所有権と魔導書の所有権は別だ』と主張し(言っ)て渡してこんぞ」

 

 悲鳴を上げる使い魔に、ストレス発散していい笑顔の主。

 良いようにオモチャにされているが、けれども、やはり気に入ってるに違いあるまい。なにかと世話を焼くのも馬鹿な子ほどかわいいのあれだ。

 きっとこの後輩がいるから、彼女は安眠できる。それで過ごしてきた日々は、いい夢なのだろう。

 ……でも、それは本当に良いのか

 

「また、<監獄結界>に戻るのか」

 

 花火が途切れるのを待って、古城はつい訊いてしまう。

 <監獄結界>とは、管理人である那月が見ている夢であり、それを封印するために、那月は異界の中で眠り続けなければならない。

 誰にも直接触れることなく、歳を取ることなく、たった一人きりで。それが魔女として、彼女が支払った契約の代価。

 

「気にするな。すぐにまた会える」

 

 幻影である那月には、またすぐに会える。話すことも、触れることも出来るだろう。しかし、それは本物の那月ではない。<監獄結界>に彼女が居続ける限り。

 

 そして、那月が<監獄結界>の管理人であるのは、通常の監獄では抑えきれない魔導犯罪者らを封印するためだけではない。

 この絃神島にいる世界をも滅ぼしかねない危険――<第四真祖>の暴走を止めるためでもある。

 たとえ世界最強の吸血鬼であっても、<監獄結界>に閉じ込められれば封印されるであろう。

 <空隙の魔女>は、<第四真祖>への対抗策としても<監獄結界>の『鍵』でなくてはならない。

 

 だから、古城が吸血鬼でありながら学生生活を送れて自由を謳歌できることへの恩返しをしたくても、制御も不安定ですべての眷獣を従えていない不完全な第四真祖のままでは、那月に<監獄結界>の管理人を止めろ、と言える資格はない。

 

「―――週明けからは普通に授業を再開するからな。遅れずにちゃんと来いよ」

 

 そんな古城の心情を察した上で、傲岸不遜にこの担任は笑って言う。だから古城も、いつもの笑みで応じた。

 

「分かってるよ、那月ちゃん」

 

「私を那月ちゃんと呼ぶな」

 

 ばんっ! と小さな掌で叩かれ飛んできた妖精獣が鼻先に当たって、古城はぐぉ、と仰け反った。

 

「うー。何か、オレの扱い酷くないかー?」

 

「おい、クロウ離れろ!? 前が見えん!」

 

 よちよちと顔面に張り付かれた後輩に視界が塞がれて、そのまま倒れそうになった古城を、誰かが後ろから優しく抱きとめる。はじめ、人並み以下の体力しかないアスタルテに男子高校生を支えることはできないだろうから、助けたのは雪菜かと思ったが、違った。

 後輩を剥がして首を回らし見れば、視界に入ったのは、快活そうなショートボブの少女。絃神島に訪れた時と同じ服装をした幼馴染が、同じように古城に笑みを向けていた。

 

「ユウマ……!? 怪我は大丈夫なのか?」

 

 <守護者>を取り戻したとはいえ、今回の事件で心身ともに受けたダメージは大きく、しばらくは入院が必要だと聞かされていたけれど、

 優麻はそんな不調を微塵も感じさせない快活な笑みを浮かべていて、いや、ほんのりと寂しげな色を癖を知り尽くした幼馴染の観は見取る。

 

「空隙の……いや、南宮先生に許可をもらって一瞬だけ時間をもらったんだ。またしばらくは会えそうにないからね」

 

 まだ未成年で、しかも母親に利用されていただけとはいえ、彼女は犯罪組織<図書館(LCO)>の幹部だったのだ。たとえ負傷から回復しても、長い取り調べが待っているのだろう。

 そして、罪がないというわけではない。

 

「だから、古城、キミにお別れを―――そして、彼に謝りに来た」

 

 優麻が視線を向けるのは、ふよふよ浮いてる妖精獣(モーグリ)――今は仮想肉体の南宮クロウ。

 

「クロウ君、キミには本当に大変なことをしてしまった。死蔵されていた大罪の悪魔と契約させて、呪いをかけた。これは誰のせいでもなく、ボクの責任だ」

 

「そうだな。その通りだぞ」

 

 沈む幼馴染。それを弁護してやりたい古城であるが、今回、後輩が大変な目に遭ったのは事実。

 

「でも、すぐに大丈夫になるぞ」

 

 ピカピカ、と明るく触角。

 その口調はつい先ほど古城が那月に言われたのと似通っていた。

 

「いつかこうなるのは予感してた。森を出た時からなんとなくわかってたのだ。“創造主(あいつ)”も出てくるのも含めて、いずれ俺は壁にぶつかったり、重荷を背負うことになるはずだった。それで、今、こうなった。オレは、それを受け止めるしかない。逃げないで、戦う。生きるってそういうことなんだ。

 とにかく、やっちまったことを後悔してもはじまらないぞ。だから、オレは前に進むんだ」

 

 この後輩は大物になる、そう古城は不確かながらも予感する。

 あの戦いに狂った英雄の末裔ではない、始祖の龍殺し(ゲオルギウス)のような、正真正銘の英雄に至るだろう。

 そう思い、先輩としては気を引き締められて背筋を伸ばさずにいられなくなり、誇らしげに胸を張りたくなってきた。

 

「……キミは、すごいな。そして、強い、本当に。罪人(ツミビト)のボクが証明したところで印象が悪くなるだけだと思うけど……それでも言うよ。もしも、キミがこの先、謂れなき誹りを受けることがあったら、キミが誠実であることをボクが証明しよう」

 

 すっ、と晴れたような笑みで優麻は左胸に手を置いて宣誓する。

 舞台の花形を飾れるほどに颯爽とした幼馴染が格好つけると非常に様になる。と、片目を閉じて、茶目っ気に、

 

「それと、凪沙ちゃんのこともボクが保証する」

 

「?」

 

 きょとん、とする後輩。

 古城も何故そこで妹の名前が出てきて、何を保証したのだとこの幼馴染を問い詰めてやりたくなったけれど……それは別に今訊かなくてもいい。

 何故なら、

 

「なあ、今日はお別れだけど、また会えるんだよな」

 

 古城は奇妙な確信をもって、言った。

 たしかに優麻は取り調べを受け、罪を問われることになるだろう。しかし、そう酷い扱いは受けないはずだ。意外なとこであるが、世界的にもそして絃神島の力ある企業MARの研究主任――暁深森よりも弁護があり、それに彼女には価値があるのだから。『第四真祖の幼馴染』という、とてつもない利用価値が。

 

「そうだね。たぶんそう遠くないうちに」

 

 優麻が微笑みながら両手を挙げる。その仕草は一緒にバスケをした時のハイタッチの合図と同じ。これがただ握手するよりも性に合っている自分たちなりの別れの仕方だと、古城は相変わらず気の利く幼馴染に応じて、両手を挙げる。

 そして、幼馴染の掌に目掛けて、勢いよく自分の手を叩きつけ―――ようとして、虚しく空を切る。

 優麻が不意に古城の動きから避けたのだ。

 それで勢い余って倒れこむ古城―――を正面から抱き留めて、幼馴染の少女は唇を重ねた。

 

「―――っ!?」

 

 古城は硬直して声も出せず、されるがまま。それから息を呑んでいた雪菜に向けて、挑発気に目を細めて、

 

「それまでは古城は預けておくよ、姫柊さん。次は負けない」

 

 宣戦布告をしてから、古城を解放する。

 

「やれやれ。では、アスタルテ、馬鹿犬の面倒は任せた」

 

命令受託(アクセプト)

 

 溜息を吐いて、指を鳴らす。瞬間、那月は優麻を連れて、虚空に溶け込むように消え去った。

 再び、夜空に花火の第二陣が打ち上げられる。

 無数の火花が舞っていて、爆音は途絶えずに連続する。

 しかしそれらも、どこか遠い国の出来事のようで、

 また一応、岸壁には古城と雪菜以外にもいるのだが、人形のようなメイドと風船のようなモーグリは、視界の端に置物のように控えている。

 空気を読んだのだろう。古城の心情的には壊してくれた方がありがたかったけど、

 

「先輩……」

 

「待て。今のは俺の責任じゃないだろ。ちょっと油断しただけで」

 

 そうですね、と古城の発言を認める雪菜。理解あるようだが、無表情な彼女がなぜか恐ろしい。

 

「ですが、先輩は隙が多すぎるんじゃないんですか。こないだ身体を乗っ取られたじゃないですか」

 

 怒りまかせに古城に詰め寄ってくる雪菜に、胸板を叩かれる。軽い筈の彼女の拳が、ずっしりと重く響く。

 

「本当にもういつもいつも心配させて……昨日だって……先輩が死んじゃうんじゃないかって、わたしがどれだけ不安だったか!」

 

「あ……ああ、悪かった」

 

「本当にそう思っているなら、私の目の届かないところで、変なことはしないでください!ちゃんと私の傍にいてください!」

 

 先ほど後輩にも叱りつけていたが、あまり感情を表に出さない雪菜は、溜め込んでしまうタイプ、そして、それを吐き出すのは紛れもない本音なのだ。そして、心配をかけ過ぎたのは事実。古城はそれを受けて、深く反省する。

 でも、一応、参考のためにどれくらいでほとぼりが醒めるのか訊いてみる。

 

「傍にいろって……花火大会が終わるまでってことか?」

 

「この先もずっとです!」

 

「いやさすがにそれはちょっと」

 

 びっくりするくらい大きな瞳に睨みつけられて、たじろぐ古城。

 反論は許さぬ圧に、打開策はないかと古城はあたりを見回し―――同罪人な後輩と目が合った。

 

「く、クロウ! お前も心配をかけたんだから反省しろよ! アスタルテ、クロウをパスしてくれ」

 

「びっくりするくらいとばっちりが来たぞ!?」

 

命令受託(アクセプト)。先輩もあちらで反省をするべきですと身柄要求に応じます」

 

「アスタルテ!? 信じてた後輩に裏切られたぞ!?」

 

 よし。

 ひとりで辛いこともふたりでなら半減する。

 妖精獣を受け取った古城。この可愛いフォルムに、剣巫様も隠してるようで興味津々であったし、荒御霊に人身御供を捧げて鎮めるように、貢げば怒りが少しは収まってくれるかもしれない。

 

「う~、オレはさっき説教されたばかりなのに、怖い姫柊の説教は勘弁なのだ~!?」

 

「おら、暴れるなって、大人しくしろ」

 

「古城君は、やっぱりオレの扱いが最近ひどくないか? 合体した時もすっごく荒っぽくて激しかったから、受け止めるのにとっても疲れたのだ」

 

「そりゃ、あんなのぶっつけ本番で初めてだったんだからしょうがないだろ」

 

 うねうねともがき暴れる妖精獣を無理やり押さえつけて盾にしようとする男子学生。

 それに夢中で、古城はその時、近づく気配に気づけなかった。

 

「ばたんきゅ~……」

「よし、捕まえた!」

 

 閃光と爆音が続く花火の中で、古城がどよめきを拾ったのは、ぐったりと目を回した妖精獣を抱きかかえた時であった。

 怪訝な顏で振り向いた古城たちが見たのは、呆然と立ち尽くしている友人たちの姿。

 

 人を呪わば穴二つ、という言葉を古城はこの時痛感することになった。

 

「……ゆ、雪菜……!? ずっと傍にいて……って、……それってまさかプロポー……」

 

「あ、あの……待ってください。今のは、その……」

 

 蒼白な顔で呟くのは、雪菜の心配と古城を警戒して監視役を買って出て、途中で別れたはずの紗矢華。

 どうやら紗矢華たちに聞こえてきたのは、古城たちの会話の後半部分だけらしい。

 

「そ、そう……まさか、正攻法で来るとはね……やるわね……」

 

「ち、違っ……だ、だから……私は先輩の監視役として……違うんですっ!」

 

 動揺しつつも、なぜか闘志を燃やし始めている浅葱。あわてふためく雪菜を見つめる彼女の目つきは、宿敵に遭遇したスポーツ選手のそれによく似ていた。

 

 

 そこまではいい。

 本当はよくないけど、いい。

 

 

 紗矢華と浅葱は、雪菜の発言に注意がいっていて、後のことは聞いていなかった。

 あたふたと取り乱す雪菜を注視していた、古城のことは見ていなかった。

 だけど、後の3人はちゃんと聞こえていたし、しっかりと見ていた。

 一歩離れた立ち位置で面白おかしく眺めている第三者な矢瀬と倫の2人、古城のクラスメイトら、その背後にいたもうひとり、凪沙。なぜか、ブルブルと身を震わせ、顔を蒼白にしている。

 

 

「クロウ君を、無理やり押さえつけて……合体、ってどういうこと、古城君?」

 

 

 <雪霞狼>よりも強烈な一刺が、世界最強の吸血鬼の胸をぶち抜いた。

 

「ちっ、違う! 誤解だ凪沙!」

 

「じゃあ、どういうことなの?」

 

「それは……―――」

 

 言って、それ以上の言葉を出せずに口を閉開させるだけの古城。説明するには、妹への禁止用語が多すぎる。吸血鬼だと明かさないで眷獣召喚できると語るなんて無理だろう。どちらに転んだとしても凶ならば、せめて凪沙が怖がらない方向に落ちてやるがのが、兄の選択肢なのか。

 

「……まさか、こんなネタがあったなんて。そう、暁君が攻めで、クロウ君が受けなのね」

 

「おまえはなんだか鋭い奴だと思ってたけど、それは的外れだと言わせてもらうぞ築島!」

 

 頼れる味方はいないのか!?

 雪菜、紗矢華、浅葱は何か話し合いのようなことをしていて、こちらに気づいていない、モーグリ後輩は目を回して倒れてる。そして―――

 

「なあ、笑ってないで、矢瀬からもなんか言ってやってくれよ」

 

「………」

 

「って、せめてこっちを見ろ!?」

 

「いや、俺、何にも知らないし、聞いてないから―――ぷふっ」

 

「くそっ! ―――と、とにかく違う! 違うんだ信じてくれ凪沙!?」

 

 爆笑する親友に、冗談を言ってる(と信じたい)クラス委員は頼りにならない。ひとり戦うことを決意した古城はもう死にもの狂いで凪沙に誤解を解こうとしたが―――哀しいかな、必死になればなるほど妹の態度は硬化していく。

 

「……まさか、そんな……それっぽい夢を見たような……」

 

 普段の明るくお喋りは鳴りを潜め、俯いたまま何かをぶつぶつ呟く凪沙。

 そして、ばっと勢いよく顔を上げ、

 

「絶対に古城君には負けないから!」

 

 言って、さっきの浅葱が雪菜を見るように、こちらをライバル視して、凪沙は走り去った。

 

 全部投げやりな気分で膝をついた古城。もう泣きたくなった。というか、泣いた。

 そんな彼の姿も、色鮮やかな炎の輝きが照らす。

 騒々しい宴の夜に起きた事件の、知られざる最後の一幕だった。

 

 

 

つづく

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