ミックス・ブラッド   作:夜草

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戦乙女の王国Ⅱ

???

 

 

 その純朴な反応が眩しかった。

 花に水をやっても、空を見上げていても、ただ散歩しているだけでも幸せそうに微笑む。

 だから、それが曇るのにすぐに気づくことができた。

 

『ひとりで、行くつもりか?』

 

『あなたは……兄さんの……』

 

『何故、王に話さない。兄にもだ。もし身分で公には近寄れぬというのならば、私が話を付けよう』

 

『どうして……? あなたがそこまで私に……』

 

『……それは、王に仕える騎士であるからだ。ここであなたを見過ごすのは、この剣に懸けた矜持が許さない。それだけだ』

 

『そうですか……バレてたんですね。でも、いいです』

 

『何故だ』

 

『私は納得してここを去るからです。故郷に帰り、そこで子供を産み、そして死んでいく。それが、救いです』

 

『本当にそれでいいのか? 賢生の妹であるあなたにわからぬはずがない。王の子を身籠ることがどういうことなのかを……』

 

『……そうですね。でも、兄にも……あの人にも伝える必要はありません。わたしひとりのせいで、きっとたくさんの迷惑を掛けることになるでしょうから』

 

 結局、ついてきてほしいとも、助けてほしいとも言われはしなかった。

 その女は、もう先が分かり、それに覚悟を決めていた。

 己はその女とはさほど深い縁があるわけでもない。家族でも友人でもない、己と同じ頑なな友であった兄のもとに度々訪れていた彼女を遠くで見ていた程度のものだし、そもそも女には愛する者がいたのだ。別にそんな赤の他人のために立ち上がる必要などなかった。そんなことのために命を賭けて、今ある立場を投げ捨て、王を裏切って戦うなど、理由としてあり得ない。

 

『ただ、もし私が女の子を産んだのなら―――』

 

 それでも、己は騎士として王の剣であることを義務とし生きてきた。

 国を脅かす外敵を排除し、ひとりでも多くの民に安寧をもたらす。あの時、“王の血統という王国に重要な情報の流出を見逃した”。それが後の悲劇をもたらすことになり、己の経歴の中で初めての汚点となった。だから、もう二度と失敗はしまいと誓いを立てた。そうだ。あんな戯言で己は動いているわけではない

 

 

ホテル

 

 

 ―――叶瀬夏音の誘拐。

 

 

 それが知れたのは今日未明。

 護衛の要撃騎士が重傷を負って倒れていたところを、攻魔官の助手である人工生命体(ホムンクルス)が発見。人工生命体が応急処置する際、要撃騎士より『『聖環騎士団』の騎士団長が王妹殿下を攫った』と告げて昏倒した。

 

 同刻、絃神島にあるアルディギアの大使館に犯行グループから声明。

 『王妹殿下を無事に解放してほしければ、アルディギアに収監されている政治犯14名を解放せよ』

 要求されたリストに記載された人名は誰もが終身刑を受けている者たち。ひとりでも牢獄より出せば、国益に大損害を起こすだろう。

 それを受けて、アルディギア国王ルーカス=リハヴァインは、決断を下す。

 

 

「アルディギアはテロには屈さぬ。この方針はずっと貫き続けてきたものであるし、これからも貫き続ける」

 

 

 これが『北海帝国』の策略であることは、証拠がないだけでほぼ間違いない。だが、

 

「しかし、それでは叶瀬夏音は……?」

 

 日本政府が派遣した魔導テロ対策の人員がひとり舞威姫・煌坂紗矢華が、王の決定に異議を唱える。今この場に、騎士団長と同じく敵工作員のフェロモンにやられていた第四真祖とその監視役は、念のためのメディカルチェックを受けておりこの場にいない。その彼らの分も紗矢華は気にかけているのだろう。もしその要求に従わなければ……それはわざわざ説明される必要はない。

 

「わかっておる。魔導大国アルディギアも……と、言いたいところだがな。騎士団長が向こうについている以上はこちらの手は読まれるだろう。戦力も把握されておる。迂闊に手が出せん。それも騎士団の半数があ奴にやられておる。これ以上の犠牲はだせん」

 

 ルーカスはぴしゃりと、そう言い放つ。そして、言葉に詰まった紗矢華になおも畳み掛けるように、現実を突きつけた。

 

「それに、奴らの要求に従ってそれが守られる保証がどこにあるのだ?」

 

 ない。これは何の契約拘束力のない一方的な要求。だったら、凶悪な犯罪者を解放したとしても、叶瀬夏音が助かる可能性は極めて低い。

 迂闊に犯人の思惑に乗ってしまえば余計に被害が拡大するだけだ。

 

「そして、『北海帝国』の狙いは、明日の『戦王領域』との休戦条約。もし式典が失敗し戦争となれば、多くの犠牲が出る。それだけは避けねばなるまい。兵力分散は控え、人員も捜査には多くは回せんだろう」

 

 国の発展と平和がかかっている。一人分の命と簡単に引き換えられるものではない。

 

「ですが、叶瀬夏音はアルディギア王家の……」

 

「ならば、なおさら。王族(われわれ)がすべきは、国民の為に尽くすこと。無論、見捨てるつもりはない。だが、優先順位は決まっている。まずは明日の式典を無事に終えてからだ」

 

 警備隊が動いているが、何しろ相手は工作活動を専門とする軍隊崩れの武装集団。人質の解放はそう容易いものではなく、下手に強行すれば犠牲も出る上、式典の警護にも人員を割かねばならない。しかも、その要となる騎士団長が敵方にいる以上、最初から組み直さなければならなくなった。

 

 ―――などとそんなことはどうでもいい。

 

 

「―――主らは今と昔も変わらんな。少しは期待した(ワシ)が愚かであった」

 

 

 それは第一王女の後ろに控えていた少年、その右腕より発せられた声だった。

 

「その声……もしや、あなたは、貴方様は、ニーナ=アデラート!」

 

「久しいな、ルーカス、そしてポリフォニアよ」

 

 事件からこれまでの彼女を見てきたものからすれば信じられないほど尊大に国王を呼び捨てる。

 それを無礼だというものはおらず。

 

 初めて彼女の姿を目にするSPらの間にも動揺が広がり、そのひとりが警戒を呼び掛け、ふらつく同僚の肩を支える。見れば同様の反応は他数名が見られ、そのいずれもが少年の右腕の上に立つ人形のような彼女を恐怖するような目で見つめている。

 

「さて、古の大錬金術師といえど270年も過ごせばいささかボケよう。

 ―――もういちど、先の言葉、もう一度妾に聞かせてはくれぬかルーカス」

 

 周囲の大気が歪んでいるように錯覚するそれは、おそらくは彼女の持つ魔力の膨大さが原因だ。

 縮小はしていても、無尽蔵の魔力を取り込める霊血という人外の肉体。

 その膨れ上がる剣呑な敵意の奔流を受け、心胆を震え上がらせるそれを真っ向に受けても、王は依然とその態度を崩さず、苦渋を噛むように厳つい顔を歪めながら、

 

「テロには屈さぬ。要求にも従わない。民のことを第一に考えるのが王族としての義務だ」

 

「王族としての義務? ふざけるな。15年も放置しておいて、夏音に王族としての生き方を押しつけることなどさせてやるものか!」

 

 一喝。その金属の躰は赤熱したかのように、異様な熱を孕み始める。

 

「夏音の血縁である故に、だ。主らが今ここで金属の彫像とならぬのはアルディギアの王族であるからではないぞ」

 

 それが大言虚妄でないことを知らしめるように、触れてしまうものを融かしてしまいそうなほどの、怒りを抱えたまま、

 

「主らに夏音が求めたのは、王族として認められることなどではない。夏音が欲しかったのは家族だ。それをぬか喜びさせおって、夏音の純真をどれほど弄べば気が済むのだ主らは!」

 

 吠える。

 風が吹き、部屋が揺れる。

 熱風と紛うそれは、その場にいた全員の顔面を叩いた。

 誰も動けなかった。

 今の咆哮に射竦められ、体が動かなくなったのだ。

 たった一人を除いて。

 

「もう、主らには頼らん! 夏音にも二度と会わせ―――むぎゃ!?」

 

 ニーナ=アデラートを右腕に乗せた少年が、左手で古の大錬金術師を掴んだ。ジュゥッと肉が焼ける音。掌の肉が融けるほどの熱を持っている。

 のだが、少年――クロウは平気な顔してそれを感じさせず、王さえ震え上がらせる激昂など何処吹く風とでもいうように、一蹴してくれた。

 

「ニーナ、うるさいぞ。それと熱い」

 

「……な?」

 

 戸惑いを覚えたのは一瞬。

 きっ、とすぐ怒りの炎で燃え上がる黒い瞳がクロウに向けられる。

 

「クロウ! 何を冷静にしておるのだ! 夏音が攫われたのだぞ? お主は夏音を家族と思っとらんのか?」

 

「“匂い”はわかるし、すぐに追える。でもな、“カァッ”となっちまうのはよくない。

 ―――オレは、獣で、兵器だからな」

 

 クロウが、ゾッとするほど冷たい声で呟いた。

 冷たい―――声。

 

 生きるために殺す。無駄な殺生はしない、それが野生に生きる獣の理。だが、それはけして殺すことに躊躇いがあるというわけではない。

 

「壊しちまうな。うん、壊すしかできない。許せないからな。夏音を、家族を怖がらせるのは。テロリストってのもオレひとりでも壊滅できる。でも、それだと加減が難しいんだ。きっと、ひとり残らず死んじまう。皆殺しで、絶滅だ」

 

 それが事実であるように淡々と語るその口調からは、普段ののほほんとした雰囲気が抜け、代わりに聴くものに戦慄を抱かせる静かな鬼気を帯びている。

 けれど、その双眸は穏やかで、強い意志に鋭く(かがや)いている。

 

「だから―――オレだけで夏音を助けちゃいけないと思う。夏音は家族が畜生になることなんて望まないだろうしな。それだと意味がない。

 ―――だから、兵器でも、獣でもない、ひとりの人間として、頼み申す。オレに足りない力を、そしてその命を預からせてください」

 

 

 

 その時に、ルーカス=リハヴァインは気づく。

 この少年の装いが、普段と趣が異なることに。

 首輪こそあれど、手袋も首巻も帽子もなく、その『聖環騎士団』の正式たる蒼銀の法被のフードを取った、露わとなった面相は常より精悍であった。癖のついた髪が整えられ、コートの下の服装上下は軍服で、芯の通った姿勢は見事なる体である。

 

「―――」

 

 王の前に立ち、一礼をする。

 きちんと礼儀を守った、実に床しい従士ぶりであった。

 古典はおろか古今の典礼にも通じる教養人たる主人より仕込まれた従者(サーヴァント)の姿がそこにあった。小柄なれど大人よりも大きく見える躰からいっそ涼しげに薫るような男ぶりである。

 とても王女(むすめ)をあだ名呼びするような無礼な少年とは思われなかった。

 そして、膝をついた彼は、腰に佩いていた剣を鞘から抜き出し、ルーカスの前に捧げる。

 

 ヴァイキングの戦士団にも採用されていた騎士団の従士制。この叙任儀式である『誠実宣誓』は、王が差し出される剣を受け取り、跪いた従士の肩に剣の刃を置き、宣誓を述べる。それを自ら破るのは命さえ投げ出すほどの恥であるという誓いをする。そう、このときでなければ『我に仕えよ』と言ってしまっていただろう。それほどに惚れ惚れするものだ。

 しかし、これは従士として王に仕えたいがためではなく、『人間として嘆願する』という誓いを立てる『誠実宣誓』だ。ニーナ=アデラートを恐れたのを見取って、獣として、兵器として、武王を脅迫するつもりはない、と。あなたたちに害を及ぼすつもりはない、そう誓い、剣を差し出したのだ。

 だが―――

 

「人間として、見ろ、だと……」

 

 ルーカスは勢いよく剣を取ると、目にも止まらなぬ動作で振り落とす。そして、ぎらり、と輝く刃を上段からクロウの首元に向けて鋭く振り下ろした。

 

「クロウ!?」

 

 紗矢華が悲鳴を上げる。その場にいるほぼ全員が、度肝を抜かれたように戦慄して動けなくなる。ひょっとしたら、呼吸さえ止まっていたのかもしれない。

 そんな中。

 長剣の切っ先を首元すれすれで止め、武王は傲然とクロウを見下ろす。クロウはわずかに膝をついた状態のまま固まっていたが、それでも目だけは逸らさず、重厚な鉈のような重みのある視線をしっかりと受け止めていた。

 

 過去――ルーカスに騎士団を辞めるきっかけとなった敗北を味わわされたのは、<黒死皇>。

 『戦王領域』を中心に暴れていた<黒死皇>であるが、その隣国であるアルディギアにも牙を剥くこともあった。

 殺されかけて、己が未熟であると悟った。

 故に、騎士団を退団し、何ものにも縛られない傭兵となり、武者修行で世界を巡る。だが、結局この少年ほど自由にはなれなかった。

 王妃に惚れ、王族に籍を入れ、国王たる今がある。それは後悔するものではないし、何ら恥じるものでもない。

 だが、拭えぬものがあった。あの日に刻まれた、敗北の恐怖だ。

 

「『戦王領域』との国境防衛戦で、そこに乱入して暴れてきた<黒死皇>に儂は仲間と部下を喪った」

 

 突発的に発生するトルネードのように、それはふらりと戦場に現れた。

 その腕を振るうだけで数十が暴虐に呑まれ、また腕を振るってその数十を死霊の骸兵とする。最凶最悪の魔狼が人間魔族を問わず食い荒らしていく戦場は、両国に魔狼を交えた三つ巴の戦争にすらなりえない、蹂躙劇であった。

 

 故に、戦争していた両国は、戦争をやめる。

 “あの事件”があって、アルディギアと『戦王領域』は一時休戦し、それからこの和平不可侵条約を結ぶきっかけとなった。

 それほど、停戦せざるを得ないほど、<黒死皇>は猛威であったのだ。

 

「その時のことを儂は、忘れたことがない」

 

 武王は、長剣を握る手に力を入れ、言った。

 

「儂が、<空隙の魔女>にお前の討伐命令を出した。獣王の血統を恐れた故にな」

 

 そして、

 

「知ってるぞ」

 

 と、少年は口にした。

 

「何?」

 

「ん。アルディギア(そっち)に行く前に、ご主人から普通に聴いたぞ。それに時々凄い目でこっちを睨んできたりしてたしな。そういう“匂い”もしたし。一応、表に出してこないから、指摘し(いわ)なかったけどな」

 

 感情がストレートに出てしまう、あまり顔芸の得意でないと自覚しているが、それが視破られていたことを知り思わず顰め面を作るルーカス。

 

「わかっていて、儂に剣を預けるというのか」

 

 その問いかけはひどく青臭いものだ。

 仇の半分の血を引いているからといって、それと等質に憎むのは、何と幼稚な八つ当たりであろう。もちろん、その将来性を危険視して芽のうちに潰すのが国民の安全になるという理由と意義もあった。

 だからそれは今のルーカスの心の一番深いところで、延々と存在を主張し続けていた燻る火種を意識させる――今でも、この瞬間にも、胸の内を鋭く抉るように鮮烈に蘇る、あのときの屈辱と、痛みと――向き合わせるのに必要な作業であった。

 

「ああ、人間として筋を通すために」

 

「―――なっ!?」

 

 がッ! と首元の長剣を握り締める。生体障壁など纏ってない掌に、刃が食い込み鮮血がどくどくと流れ出すのも構わず、その首筋に当てる。剣がすぐ傷口を塞ごうとする獣王を半分引き継ぐ混血の身体機能を阻んでいる。

 首の切り口から垂れる血の滴。絨毯が真っ赤に染まって、朱の水溜りを作ってゆく。

 見合いながら強い意志の圧し合い、両者は押すも退くもできずその姿勢のまま微動だに出来なくなる。見守る周囲もまた同じ。

 

「………」

 

 そして、根負けで動いたのは、王。首元からルーカスは長剣を離して、

 

「ふっ、よかろう。貴様をひとりの人間として認めよう。だが―――」

 

 眼前に切先を突きつける。

 

「いいか、南宮クロウっ? 貴様が軽々しく言った『命を預かる』というのは、引き換えに己の命を張り、今ここでその首を切り落とされても、構わんと言ってることと同じであるのだぞ! 壊すしか能がないと自身で言った貴様が、そんな筋を通せる覚悟はあるのか!?」

 

 心臓を鷲掴みにされるような、武王の鋭い声。

 それは距離を離れていようとも、全身の血が凍りつくほどの震えが走り、気が遠のくように視界が狭窄していくことだろう。まして、刃と共に至近距離で受け止めているとなっては、どれほどの威力となっているのか想像もつかない。

 それでも。

 決然と見開いた目の中に鬼神の如き王の姿をいっぱいに映して、尚言い放った。

 

「ああ、筋は通す覚悟ならある」

 

「そうか。ならば、筋を通せると思うか!!」

 

 武王の問答に、覚悟を決めた少年は―――

 

 

 

 

 

「それはオレにもわからない」

 

 下手な発言はすなわち死となる最中で、少年は降参を口にした。

 やる気があって取り組んだけれど、答えが出ず解けそうにない数式を前にしたように悩んだのだろう、汗がこめかみより垂れており、その内心の苦難を表していた。

 ここまできて。

 あと一言、いや、首を縦に触れるだけで……というところで、告白する。覚悟はあっても自信はない。あんまりにもな予想外さに、王は肩透かしを食らい、あわや剣を落としかけた。

 ただ、笑ってはいるこの小僧は、理解はしている。獣や兵器の暴力による力技ではできないものであることを。ここで焦って性急な手段に出てしまったことを。

 それに気づけたからこそ、人間としてルーカスに降参した。

 

 ……まったく、何とも素直にはにかむものだ。しかも、まことに“らしい”笑みである。

 

「でも、やっぱり、人の命を救うのは、生死の引き算とは思えないのだ。ひとりの犠牲も仕方ないって割り切れていいものじゃないと思う」

 

「それは童の語る理想論だ。非情だ、冷たいというのならそれで構わん。だが、儂にはそれだけ重い責任がある」

 

「オレにはとても真似ができない。王様って偉いのに我がままにできないなんて、大変だな」

 

 小僧の分際で、理解するか。

 思わず、ルーカスは鼻を鳴らす苦笑のような微笑を浮かべる。呆れと感慨に満ちた溜息もつこう。その裏に隠すのは嫉妬か、いやもっと切実な感情だろうか。

 仇の半分の血を引き、己の半分も生きていないこの若造を―――いや、この人格を形成してきた人々を、その背景に透かして見るように目を細めて、ポツリと呟いた。

 

「当然だ。まだ若造に後れを取るつもりはないわ」

 

 

 で。

 

 

「おい、クロウ。主、負けを認めてどうするのだ?」

 

 不満顔で古の錬金術師様は言う。

 素手で剣を握って、指と掌、それから首筋に傷がしっかりと刻まれて、真っ赤な血で染まっている。

 いち早く部屋を飛び出して、救急箱と水で満たした洗面器を持ってきた紗矢華は、手慣れた動作で消毒液と脱脂綿を取り出す。

 

「う。困ったな。どうしようか?」

「どうしようかではない! ―――「あー、はいはい! 叱るのはそこまでにしてちょうだい後が使えてんだから。クロウ、あんたこれ握ってなさい」」

 

 固く絞った手拭いで手首を絞り、水で血を洗い落としてから消毒液を含んだ脱脂綿の塊を強引に握らせた。そして、もう突くような勢いで首元の傷口をピンセットで摘まんだ消毒液に浸した脱脂綿をあてていく。自然治癒が働いていて怪我の治りは早いが、

 

「い~~~っ! しみる! いたしみるぞ! なあ、もっと優しく……」

 

「できるわけないでしょうがっ! こんな無茶をして、少しは雪菜の為にもその馬鹿を改善しなさいっ!」

 

 真っ赤に染まってゆく脱脂綿を取り換えながら、感情が激して思わず、声を荒げてしまう。さっきのやり取りは、制止がつかなくなって下手をすれば大怪我をしてもおかしくなかった。いくら覚悟を見せるといっても、なんて不器用極まりない。危険な方向に突き進んでいく大馬鹿者なのだ、この子は……っ! とぶつくさ愚痴る舞威姫。

 

「むぅ、オレもバカなとこを治そうとしてるんだけどな。でも、やっぱりバカなことしちまうみたいだ。でも、そんなバカなことに他人をつき合わせるのはまずいな」

 

 これは、これまで力業で我を通してきた慢心だ。最後の最後で“一人分じゃない”重みに気づいて、それが怖くなった。クロウは恥じ入るしかない。

 しゅん、と項垂れる姿に、いくらか気が削がれ、冷静になったニーナは嘆息してから言葉を吐く。

 

「まあ、目先のことに目が眩んで何も考えずに突き進もうとするのは、凡人。その気持ちを呑み込めたのだから、成長はしておるだろう」

 

「そうか?」

 

「結果はダメだったがの」

 

「むぅ」

 

「だが、主の命懸けの覚悟に免じて、妾はそれに従うとしよう。……妾も少しばかりカァッとなり過ぎてたようだからな。なに、夏音を人質に取るテロリストなど恐れるに足らん。アルディギアの助けを借りずとも、このヘルメス=トリスメギストスの末裔にして、大いなる作業(マグナス・オブス)を究めし、パルミアの大錬金術師がおれば十分だ」

 

「ん。オレも四分の三殺しくらいに済ませられるよう頑張るぞ」

 

 そこへ、

 

 

「―――ぷっふふっ」

 

 

 と、小さく声を漏らして笑う第一王女。

 笑う彼女に視線が集中されるも、姫御子はそれを受けてなお微笑を崩さずに、これまで顔色ひとつ変えることなくじっと静観していたラ=フォリアが初めて口を開いた。

 

「お父様はまた随分と意地悪なことをおっしゃるのですね」

 

 その上で意図の読めない発言、だがそれを聞いたルーカスがイヤな予感に、その強面にわかりやすい困惑を皺で刻む。

 

「ニーナ=アデラートの叱責には心胆が縮み上がる思いでしたでしょう―――ですが、その古の大錬金術師を諌めるだけの力量があることをこの子は証明してみせました。

 賊の居場所は捉えており、手段を問わなければ壊滅できるとも宣言し、そして、王の言葉に従う度量と分別もあります。

 これで眷獣(借)(レンタル・サーヴァント)でなければ、満点なのですけど」

 

 対して、娘の顔には唇が弧を描き、花が咲いたような微笑が生まれている。

 

「そして、筋を通す覚悟があるのであれば、その方策を考えるのはわたくし達、王族でなければなりません。逆です。彼に責を求めるのではなく、わたくし達がその想いを汲み、責を負うべきものです。

 

 ―――これより、夏音を救出します。クロウ、その力と命、わたくしに預けなさい」

 

「フォリりん……?」

 

「話を聞いていたのかラ=フォリア! 明日の調印式は何としてでも成功させねばならないのだぞ!」

 

「ここはテロに“屈さぬ”ことではなく、“勝つ”ことをしなければならないときですお父様。ここで『戦王領域』との不可侵条約が更改されようとも『北海帝国』の脅威を排除されたことにはなりません。敵の特殊工作員部隊長を捉えているこの好機、逃せば後々の禍根を残すことになりましょう。国民のためにもこの禍根は立たねばなりません。

 調印式を成功させ、ひとりも犠牲を出さずに夏音を救い出す。この両方をしなければならないのは大変ですが、これだけのカードがあるのならば、ひとりの犠牲を出さずに勝つ自信がわたくしにはあります」

 

 ルーカスの一喝にもまったく怯むことなく、ラ=フォリアは真っ直ぐに見返す。

 

「―――それと、お父様。お父様は、以前にわたくしの“初めて”を捧げた古城に全面戦争を仕掛けるとおっしゃりましたではありませんか。

 まさかその言葉、全軍統帥権を持つ一国王が何の覚悟もなく冗談で言ったわけではありませんよね?」

 

「ぬ、う……」

 

「ならば、わたくしは大事な家族である夏音を奪った相手に、全面戦争を仕掛けると宣言しましょう」

 

 過去に出した言葉は引っ込めず、また引っ込めたくはない。それとこれとは話が別だと言えば、またその揚げ足を取ってくるだろうことがこの弁舌に長けた娘の父として予想できる。

 

「……何も儂も夏音のことを心配していないわけではない。できることなら、我がアルディギアの総力を挙げたいが―――」

「よろしいではありませんか。ラ=フォリアちゃんは、ちゃんとわかっている子ですよあなた」

 

 ね? と向けてくる母の視線に、神妙な顔つきとなってラ=フォリアが頷く。

 

「もちろんですお母様」

 

 ポリフォニアからの援護射撃もあって、場はラ=フォリアに傾く。と言うよりは、己が望む展開にまで持っていったのだろう。

 ニーナ=アデラートの脅迫に、南宮クロウの説得。ニーナ=アデラートの脅迫は本気で、南宮クロウの説得も本気であった。それはルーカスも嘘偽りがないと認める。

 

 だが、ルーカスが惚れ惚れするほど礼は服装及び普段持つことのない剣を小道具として持たせていたのは、あらかじめ用意してなければ無理がある。

 

 つまり、こちらの反応を事前に予想し、夏音誘拐の報を聞きこの国王夫妻の部屋に来るまでに打ち合わせしていた(どちらも腹芸のできるタイプではないだろうから、助言という形で誘導したのだろう)。予想外のアドリブがあったにしろ、交渉するための材料にできるだけルーカスから言動を引き出せて、(おそらくルーカスよりも早くに娘の策を察した)ポリフォニアがそちらについたこの展開は娘が誘導指揮した通りに進んでいる。

 目的の為ならば何でもすると外交相手から警戒されるラ=フォリアだが、我が娘ながら末恐ろしくルーカスは思った。

 

 

「それに協力してくれるのは、クロウだけではありません」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「………と言うことになったぞご主人」

 

『そうか。香水臭い雌猫はこちらの予想以上に行動力があったようだ。それで他にマーキングされた奴は?』

 

「いないぞ。んー、というか、オレの『鼻』じゃ、古城君以外反応しなかったんだけどなー、もうひとりいたのは気づけなかったのだ」

 

『ほう……』

 

「ん! 酔ってたわけじゃないんだぞ! ……でも、むぅ、何か自信がなくなってきたのだ」

 

『……暁古城の異変を察知したのは、まあ、よくやった。馬鹿犬の『鼻』が気づかなければ、あの腹黒王女とついでに監視役もテロリストどもに捕まっていただろう』

 

「っ!?!?」

 

『ふん。だが、それも馬鹿犬がパーティ会場で雌猫を捕らえていれば、話はもっと簡単だったんだがな』

 

「うぅ……褒められるのは慣れないけど、上げて落とされるのはすっごくくるぞ」

 

『これで王族の腹黒王女まで捕まっていれば、(借)(レンタル)ではなく、アルディギア(むこう)に引き取らせることになっていたぞ』

 

「ご主人厳しいのだ~」

 

『私の眷獣(サーヴァント)であるのなら、反省しろ。主人(マスター)が働いているのに、馳走を食い、酒に酔うなど眷獣失格だ。反省する機会を一度でも与えてやった寛大な処置に感謝するがいい』

 

「ははー、感謝するのだご主人ー」

 

『それで、テロリストどもの拠点、叶瀬夏音の現在地の“匂い”はわかるんだな?』

 

「う。ご主人もこっちを手伝ってくれるのか?」

 

『……いや、警備隊に話を通してはやるが、私は別行動を取ろう。テロリストどもの掃除くらいお前らで十分だろう』

 

 

貸倉庫

 

 

「―――マイレディ、遅くなってしまい申し訳ありません」

 

 

 執事服を着た“従者”。その両腕には、命令通り後ろ手に猿轡を噛ませられた、お目当ての北欧の姫御子ラ=フォリア=リハヴァインともうひとり、あの騒動の際、王族を護衛し魔獣を屠っていた少女だ。

 

 そして、二人の少女を攫って、馳せ参じた“従者”の前に立つ女性。

 メイド服ではなく、脇腹と胸元――フェロモンを出す部位を露出させたボディスーツにハイソックスとアームカバーをつけ、各所にベルトを巻きつけた仕事服に着替えた彼女は、『北海帝国』情報部特殊工作班の中で主に潜入工作を実行するチームのリーダーである軍人、トリーネ=ハルデン。

 今回の作戦は、アルディギア王国と『戦王領域』を結びつける不可侵条約更改を阻止し、結果的に『北海帝国』が政治的優位に立てるよう―――“あの男”を殺すこと。

 

「もう、どうしたのよ古城」

 

 トリーネは、古城(コマ)に猫撫で声を囁きながら、甘えるようにその身を寄せ――念のために、時間経過で薄らいでいる暗示(フェロモン)を擦り付ける。

 強力な催眠効果を持つフェロモン系の物質を分泌するジャコウネコ科の獣人種族の固有能力。

 これにより、たとえ相手がこの通り真祖であろうとも、命令に忠実で、嘘言を吐かない、優秀な“従者”になる。

 

「っ」

 

 それに“従者”が僅か半々歩下がり、俵のように片腕に抱えられた“おまけ”が身じろいだが、幸いトリーネに気づかれることはなかった。

 

「プリンセスを誘拐する際、剣巫に見つかってしまい」

 

「ふぅん。そういえば、<第四真祖>には、この国の政府機関から“愛人”が貢がれていると聞いたことがあるわね」

 

 またわずかに“おまけ”の身体が揺れる。

 だがそちらにはあまり興味がないようで、古城にプリンセス――ラ=フォリアと一緒に奥の部屋で吊し上げるよう指示を出す。

 テロの傭兵らに警備された扉を開けると、

 

「あ……」

 

 声が、上がった。

 すでに囚われていた、プリンセスによく似た王妹殿下、先代国王の隠し子、叶瀬夏音である。

 王妹殿下は、天井から吊り下げられた鎖に両手首を縛られていた。手を伸ばそうにも動かせず、白い指が闇に震えた。

 だから、少女は白い喉を震わせた。

 

「お兄さん……っ」

 

 それでも、耳を澄まさなければ聞こえないほどの声。

 たった一本の針を落としたかのような、弱々しくか細い声。

 それに呼ばれた古城は、反応を返さず、“お嬢様”の命通りにプリンセスを吊り上げている。だが、

 

「……か、のん?」

 

 か細い返事があった。

 かすかに、布ずれのような音。

 

「ラ=フォリアさん」

 

 声は今隣に並べるよう吊り上げられ、そして、夏音の声に薄らと意識が醒め始める姫御子のものであった。

 

「ここ、は……」

 

「お目覚めかしら? アルディギアのプリンセス」

 

 眼前には艶然と微笑するトリーネに、猿轡を外される。

 その後方には騎士団長を含め、敵テロリストの傭兵が控えている。

 ラ=フォリアは状況を速やかに悟った。

 

「……申し訳ありません夏音」

 

「何、がでした?」

 

「あなたを……巻き込んでしまったようですね」

 

「そんなの、違いました……」

 

 微笑が、声に含まれる。

 この薄闇の中でも、夏音の弱々しい笑みが見えるようだった、心底から相手を気遣う、はかなくも可憐な笑み。

 

「……それでも……申し訳ありません」

 

 ラ=フォリアが謝罪する。

 夏音は、困ったように微笑んだだけだった。その微笑は、気配だけで十分に伝わる。そこで、

 

「王妹殿下との感動のご対面は済んだのでしょう? そろそろ私とお話ししないかしら?」

 

 トリーネはあくまで静かな表情のまま、その吊り上げられた第一王女を見据えた双眸のみ冷徹に光らせる。

 対するラ=フォリアは、囚われた状態にあって、

 

「わたくしたちを誘拐した目的は、明日の調印式ですか?」

 

 ラ=フォリアは弱々しい声で尋ねる。

 その呟きは半ば以上自嘲に近く、いつも感じられる声の張りは失せて、瞳からも力が損なわれいた。

 その降参している様子に、トリーネは思わず微笑みを柔らかくした。

 あの『美の女神(フレイヤ)の再来』と讃えられた美貌と王家由来の高い霊的資質を持った第一王女が敗北を認めている。ああ、なんと相手を屈服させることで悦楽を得る女王然とした気質を、心地よく擽ってくれるものだろうか。

 気を良くしたトリーネはラ=フォリアの前に歩み寄り、種明かしを語る。

 

「へぇ、こんな時でも頭の回転が速いのね。そうよ、あなたたちが乗ってきた船――<ビフレスト>を使って、式典会場を攻撃するの」

 

 最新軍用魔導兵器を多数搭載した<ビフレスト>。一機で一軍隊に匹敵する戦力をもった飛空戦艦の勇名は、世界に響き渡るほどである。ただし、主機関を動かすには<疑似聖剣>と同じく、アルディギア王族の女性が持つ霊力が必要となる。

 だから、起動させる“鍵”であるラ=フォリアと夏音を“従者”に攫わせた。

 

「―――そして、『黒死皇派』をぶっ壊したアルデアル公をぶっ殺す」

 

 トリーネの言葉に意表を突かれたように、目を丸くするラ=フォリア。それは説明というより、馬鹿正直に胸の内を吐露したようにも聞こえた。

 代表として明日の式典にも出席する、『戦王領域』から送られてきたこの絃神島の外交大使。その重要なポジションについた青年貴族を、停戦を持ちかけたアルディギアの最新兵器によって殲滅する。そして、<黒死皇>を喰らい、残党も玩具のように弄んだ<蛇遣い>への復讐も果たす。それがトリーネの描いたシナリオ。

 それを噛みしめるように聞いていたラ=フォリアは、数秒間黙考した末、『なるほど』と短い感想をもらす。

 俯いたまま、まるで、教えられた内容の確認に復唱するようにトリーネへ問う。

 

「式典自体を我がアルディギア側の罠に見せかけて、調印を阻止し、両国間を緊張状態、あわよくば戦争状態に突入させる……それがあなた方『北海帝国』の狙いですか」

 

「そうよ」

 

 答えたトリーネ、そしてテロリストの傭兵らも、ニッ、と笑みを浮かべる。

 そして―――顔を上げたラ=フォリアもまた、笑っていた。

 

 

「そんなことなら、わざわざ誘拐などせずとも力を貸したでしょうに。

 わたくし、“ずっと前からアルデアル公をぶっ殺したい”と思ってましたのよ」

 

 

 嫌悪も露わに吐き捨てるように、言い切った。

 思わぬラ=フォリアの同意に、トリーネは過剰に反応してしまう。

 

「わかってるの!? アルディギアの船が『戦王領域』の青年貴族をぶっ殺すのよ! そしたら和平が破棄されるどころか戦争状態に突入するのよ!」

 

「ですから、それこそあなた方のお望みでしょう?

 どうぞ、お好きに。騒動に乗じてアルデアル公をぶっ殺せるならわかりにくいでしょうし」

 

 考えが、読めない。

 掴みどころのない相手であると話には聞いていたが、まさかこれほど狂人であったとは。

 

「ええ、いつかはわたくし自らの手で()るつもりでした」

 

「そこまで、第一王女が狂ってるなんてね。高い霊力素養の持ち主でも所詮人間の分際で、『真祖に最も近い』と言われる<蛇遣い>を殺すなんてできるわけがないでしょう!」

 

「ええ、“今のままでは”無理でしょう」

 

 意味深に強調して、姫御子は場の空気を呑み始める。して、ただならぬ気配を滲ませ始めるラ=フォリアに野生の直感が警告を発するトリーネは狼狽をし始め、テロリストたちにもそれが伝播していく。

 

「ですが、獣人(あなた)のような変身能力は、何も魔族に限ってのものではない」

 

「な、まさか……!?」

 

「聞いたことがありませんか? 北欧に伝わりし戦乙女(ヴァルキリー)は、人間の魂を獣の形にした現れた霊的な存在である、と。

 そして、吸血種の中にも獣化の能力を持った個体がいることを。

 そう、わたくし、古城の――<第四真祖>の『血の従者』となり、目覚めたのです!」

 

 閃光。

 ラ=フォリアは高い霊媒素養を持つ巫女。縛られていようと昂る霊力が最高潮に達した、その瞬間、室内は目を開けられぬ光に満たされる。これにはトリーネとテロリストらも反射的に目を閉じてしまい―――そして、目を開けた時にはすべてが終わっていた。

 

 ビシリ、という音。

 その『美の女神』と讃えられた容姿全体に、罅が入っていくように肌が割れていく。ぎょっとするトリーネらの前で、亀裂はどんどん広がっていく。

 

「な、にそれ―――私、知らない―――知らないわよそんなの!」

 

「アルディギア王家の最終手段は知らないのは当たり前です。

 なぜなら………」

 

 無数の亀裂が走り、また膨張していき、大きく裂けていく狼口を動かして、それは語る。

 直後に、崩壊は許容量を超える。

 これまでの『ラ=フォリア=リハヴァイン』という美しい王女の像は粉々に砕け散り、全長4mもの、貸倉庫の天井に頭がつくほどの巨体が曝け出される。

 黄金の神獣は、その視線だけでトリーネらを圧倒しながら告げた。トリーネ達『北海帝国』の終わりを。

 

 

「これが古城に初めてを奪われたわたくしが至った『戦乙女=神獣形態(ヴァルキュリア・ビーストモード)』―――この姿を見たものは、みんな死んでいるからです」

 

 

貸倉庫 外

 

 

 北欧に伝わるとある神話。

 巨人(スリュム)に奪われたものを取り返すために、巨人が要求した美の女神(フレイヤ)に変装する雷神(トール)の話だ。

 

 そんな雷神が美の女神に化けた伝承を元に組み上げられた、姫御子の姿を模す『影武者』の術式がアルディギアにある。

 

 

 

「『―――では、アルデアル公と殺し合いの前の、準備運動に付き合ってもらいましょうか♪』」

 

 獅子王機関の舞威姫の隣で、中にいるであろう剣巫が式神で仲介する通信術式(マイク)に向かって、完璧に役を演じようとノリノリな台詞を連発する王女様に、紗矢華は深い吐息をこぼしつつ、魔弓を構えた。

 

『まさか、こんなことが……! ―――古城! あなたの<第四真祖>の力で、アイツを追っ払ってちょうだい!』

 

 爆発のような打撃音と中にいるテロリストたちの悲鳴が上がり、貸倉庫が崩壊する。突き破って姿を現す黄金の神獣。そして、

 

『Yes,my Lady―――“お嬢様”に仇なすヴァルキュリアよ。神々より受けた呪いの重さを知るがいい』

 

 とポーズを決める暁古城。女獣人の催眠フェロモンの対抗策として、いつもクロウが魔女御手製の首巻にかかっている『匂い消し』と同じ効果を持った呪符をニーナに製作してもらい貼り付けてはいるが、それでもあまり近くにいさせるのは危険だろう。

 また、相手に寝返ったら面倒なことになる。

 そういうわけで、『『影武者(クロウ)』と剣巫を怪しまれずに、叶瀬夏音のいる敵陣中央に送り込む』という任を果たした第四真祖は速やかに退場させる。

 

『―――疾く在れ(きやがれ)、<甲殻の』

 

 左腕を挙げて召喚の文句を告げようとする古城に、『戦乙女=神獣形態』こと南宮クロウが俊敏な動作で襲い掛かる。

 その時すでに、閃光魔術を発揮する『鳴り鏑』の照準をセットしていた舞威姫。狙いは今まさに神獣の爪撃の餌食になろうとしている似非執事である。

 魔狼の爪が古城と接触しようとした瞬間、瞬間転移した目晦まし用の閃光呪矢が炸裂し、再び視界を不明瞭にした。

 

 <煌華鱗>に備わった二つの能力の同時使用。

 空間切断能力によって生み出した空間の裂け目を使って、射放った呪矢を転移させる―――<空隙の魔女>南宮那月が得意とする、空間制御魔術の応用だ。

 本来は呪矢の発射砲台である<煌華鱗>に、『空間切断』という異質の能力が与えられたのは、超遠距離狙撃とこの暗殺射撃を実現するためのものだった。正真正銘の舞威姫の切り札。許可なく使えば始末書ものだが、そこはアルディギア王家に任せるとしよう。

 

 紗矢華の放った矢は、空間の裂け目を通っての瞬間転移で相手陣地に突然現れる。最初の変身時のタイミングに放ったのも、中にいる雪菜との感覚共有で視界をリンクして、座標調節して行ったものだ。こうして、外壁が崩されて、外からでも見えるようになった今は、初撃の暗殺射撃よりも大きく難易度は下がっており、これを外しては舞威姫を名乗れない。

 呪矢は着弾と同時に相当量の爆音を響かせるので“観客(テロリスト)たち”には古城が爪撃により分子レベルで木端微塵にさせられたように見えただろう。実際はクロウが爪撃を寸止めし、吸血鬼の能力である霧化した古城がその場を離れただけだ―――そう、叶瀬夏音を連れて。

 白銀の髪の乙女を抱いた、その白銀の霧が駆け抜けるように紗矢華たちの下へ飛んできて、着地する。

 

『第四真祖が一撃で―――!? それより、あ、あなた、古城の『血の従者(あいじん)』じゃなかったの!?』

 

「『うふふ。ええ、そうです。ですが、“香水臭いおばさん”のものになるくらいならいっそ介錯(ころ)して差し上げた方が慈悲となりましょう』」

 

 哀悼の意を篭めるように哀しげな声音で言いつつ、目を白黒させてる夏音と死んだことにされた古城にウィンクする王女様。ちなみに今の発言に女獣人が怒声を上げて抗議してくるも、きっちりと王女様は『おばさん』のところを『ババア』に訂正して返す。血管がぶち切れた音が通信術式越しに聞こえてきそうであったが、威を借りた神獣(コウハイ)の一睨みで襲い掛かろうにも近づけないという……

 

「(え? あれ? ラ=フォリアさんがそこに? じゃあ、あそこにいるのは誰でした??)」

 

「(叶瀬、混乱するのはわかるが、今はとりあえず大人しくしといてくれ)」

 

「(あの様子だと制圧するのにそう長くはかからん。しかし夏音よ、そなたが無事でよかった)」

 

 突入時は、剣巫に掛けられていた手錠に化けて、変身時で周りが『神獣と成った第一王女』に注目を集める中で、雪菜と夏音の鉄鎖の拘束を錬金術で溶かすように外し、その後は夏音に張り付いていたニーナ。

 古城とニーナの言うことに、夏音はこくこくと頷いて、落ち着いたように安堵の胸を撫で下ろす。

 

『ば、化け物!?』

 

「『いいえ。この程度ではまだまだ。実はわたくし、あともう一段階の変身を残しています』」

 

 で、向こうはテロリストたちの阿鼻叫喚。パニックになって銃弾を浴びせてくるが、神獣の肌に傷をつけるどころかその獣毛に弾かれて、人類の最たる文明兵器が全く通じない。そして、王女が煽りに煽ってくる。暴力を後輩が担当し、説得?を王女がする、鬼に金棒よりも極悪な気がするこの組み合わせ。おかげで、その気当たりを飛ばすだけで相手傭兵は昏倒していく。

 

「『そして、そこにいる雪菜も、わたくしと同じ古城の愛を受けた『血の従者(あいじん)』であり、変身することができます』」

 

(やめてあげてくださいラ=フォリア王女。アドリブで雪菜に変なキャラ設定を追加しないで……!)

 

 恥ずかしい台詞が止まらないラ=フォリアに、向こうの現場に残り、テロリストから恐れられた雪菜は顔を赤らめさせて白い湯気を吹かせている。きっと必死で今の発言に抗弁しているのだろうが誰の耳にも届いていないだろう。不憫に思う紗矢華だがその設定だと自身も入ることに気づいていないのは幸いか。

 

(ご愁傷様だな姫柊……でも、さっきの俺の中二台詞も忘れられて欲しいんだが)

 

 残念ながら、第一王女が最初の犯行証拠を引き出した会話はこの通信術式を通して、録音されており、『北海帝国』を責めるための重要証言として厳重に保管されることになる。つまり、同時録音された<第四真祖>の黒歴史は残り続けるだろう。

 

 して、これ以上更に恥ずかしい展開に陥る前に、アスタルテを先頭に特区警備隊およびアルディギアの騎士団が貸倉庫に突入し、混乱して逃げ惑うテロリストらを捕縛していく。

 それに合わせて、獅子王機関の舞威姫も最後の役目を果たす。

 

「雪菜っ―――!」

 

 最後に紗矢華が魔弓で放ったのは呪矢ではなく、銀槍。

 本来射撃用はもちろん投擲用にも作られていない獅子王機関の秘奥兵器は、重心調整の関係で飛ばしても軌道が安定しない危険性も否定はできない。しかしそこに通す空間の裂け目の座標位置さえつかめれば命中率に関わらず確実に届けられる。大事な妹分の得物である<雪霞狼>を彼女の前に送り届けるためにはなった紗矢華の一射は、女獣人トリーネ=ハルデンと格闘戦を繰り広げていた雪菜の下へ―――

 

 

貸倉庫

 

 

「……あなたが、先輩を操ろうとしたんですね?」

 

「はぁ? なに? もしかして妬いちゃったのかしらぁ? <第四真祖>の愛人さん」

 

「―――いいえ、<第四真祖>の監視役として、その力を利用しようとするあなたを看過できないだけです」

 

「へぇ、看過できないってんなら……どうする気かしら?」

 

 と、彼女は獰猛に笑った。

 ネコ科の大型動物……それこそ、百獣の王の匹敵するほどの威圧と共に。

 

「捕まえます。力尽くでも」

 

 ジャコウネコ科の獣人種。フェロモンを嗅がせるだけで異性を操るこの相手は、先輩はもちろん、同級生も危うい。ラ=フォリアが自身に変装させていたのも、同性に見せかけるためでもあったのだ。

 だから、トリーネ=ハルデンは雪菜が相手をする。

 ―――先輩を誘惑されたからとか嫉妬がどうだとかそういうのは一切ない。ないったらないのだ。

 

「ハッ―――」

 

 嘲笑するよう顔を歪めてからの、女獣人トリーネ=ハルデンの獣化。

 縦に瞳孔が裂けた目は興奮して赤くなり、白い肌が浅黒く変わった。柔らかな女性の肢体が獣性を解放した筋肉質となり、硬い突起物が肘から生える。

 

「たかが人間風情が、大きく出たものね!」

 

 直後。

 血の滴りと共に、指の先からナイフにも似た猛獣の爪が飛び出した。

 

「―――舐めるんじゃないよ小娘が!」

 

 指から飛び出した獣の爪でもって、敵を屠る。

 大仰な神秘や秘術など必要ない、ただシンプルに殺す力があればいい。その果てにあるのが、この獣の力。

 

(迅速に済ませる)

 

 軽く五指に力を込めるだけで、ミシィ!! という轟音が体内に伝わった。

 常人であれば、その音だけで鼓膜が破断していたかもしれないほどの膂力。

 

(この乳臭いメスガキを殺して退散する。あんな神獣(カイブツ)の相手などしてられるか。そして、今度はもっと強力な駒を!!)

 

 たった数mの距離など、もはや何の意味もなかった。

 鎧防具を纏って痛い華奢な女子の肉体など、腕の一振りで切り飛ばしていたに違いない。

 だから。

 なのに。

 

 

「舐めているのはそちらの方です」

 

 

 腕を。

 真横に振り始めてから振り終えるまでの、1秒を20分割したその刹那に、トリーネ=ハルデンは、そんな言葉を受けたような気がした。

 それは『彼女の時間』に、割り込んできたということで、さらに付け加えれば『彼女の時間』よりも先を、剣巫は視ていた。

 

(人間の小娘如きが)

 

 ようやく背筋に悪寒を感じた。

 “見られている”。臆して目を瞑らず、瞬きひとつしない。躱す。躱す躱す躱す。こちらの方が速く動いているはずなのに、当たらない、掠りもしない。

 

獣人(ワタシ)の動きに慣れてる……ッ!?)

 

 トリーネ=ハルデンは、雪菜がこれまで見てきた獣人種の中では、比較的獣化をしても人型を保っていると言える。おそらく完全に獣の姿へ成れないのか、またはそうなることを忌避しているか。

 特殊工作部隊という役目上、戦闘行為は少ないのだろうが、だとしても、同級生の少年と比べれば性能が低い。身軽な分だけ敏捷性はあるがそれでも彼には及ばず、筋力の最大値も常人の3から5倍程度と獣人種としては際立って脆弱である。ある程度鍛えた男性であれば、一般人でも彼女の筋力を凌ぐことは可能であろう。

 

 しかし、それで十分だったのだ。

 身体性能で上回る男性はそのフェロモンで駒になるのだから。

 これまで、彼女とまともに戦える人間に出会わなかったのだから。

 

 だからこそ、トリーネは焦り、驚く――そして、一瞬の思考の空隙が生まれる。その“一瞬”が致命的なタイムロスとなる。何故ならばその間にもトリーネの身体は動き続ける。停められないほど勢いがつき、今更、この動きをキャンセルすることはかなわない。

 

 自転車にとっての10秒と、自動車にとっての10秒は違う。

 高速道路を走る自動車と、サーキットを走るレーシングカーにとっても。

 全力のレーシングカーと、全力の超音速戦闘機ならなおさらだ。

 たった一瞬の余所見、たった刹那の意識の空隙で―――事故る。

 そしてそれは、高い速度に比例して重大な結果をもたらしてしまう。

 

「ガッ」

 

 間近において、女獣人の絶叫があった。

 標準的な速度にいるものにとって、それはドップラー効果のようにひずんで聴こえただろう。

 

「ァァああああァァ! ァァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 実際に、雪菜は“投げて”いない。

 意識の空隙によってトリーネが自らの身体の制御を見失い、足運びを誤り、バランスを崩し、大きくスリップするように体を回転させてしまったのだ。

 届くはずの爪は、雪菜の鼻先、その数mmの地点で空を裂く。

 それが限界であった。

 ぐるんっ! と女獣人の身体が宙を舞う。回る。回転する。ひとりでに転び、最低でも二回転以上は宙で回って落下した。そのまま自らの背中を固い地面へと叩きつける。

 それはもはやてこの原理や体重移動を利用する合気道というよりは、柔術の専門家がひとりきりで土俵に上がり、神に投げ飛ばされる役を買うことで奉納の舞とする『精霊相撲(しょうろうずもう)』の決まり手であった。

 

 ―――ドンガラガッシャーンっ!

 

 遅れて炸裂する爆発的な大音響。

 壁にぶつかったトリーネは呼吸困難に陥るも、体勢を立て直して再び雪菜に飛び掛かる。

 

「はあああああっ―――!」

 

 裂帛の気合いと共に、トリーネが獣爪を突き出す。その爪先が、ついに雪菜の身体を捉え―――

 瞬間、剣巫の姿が陽炎のように揺らぐ。

 残像―――否、幻術だ。

 

 獅子王機関の剣巫が、幻術。

 対魔族の直接戦闘に特化した剣巫は呪術全般が得意ではない、というのが常識だ。事実、雪菜の幻術は初心者の域を出ないだろう。

 だが、それでもうまく使えば、近接戦闘の最中にほんのわずか相手に意識の空隙を作り出すことができる。

 

 昼休みの南宮クロウとの組手。

 あのまともにぶつかれば防ぎようのない馬力で、女子だろうと容赦なくぶん殴ってくる同級生が、ここのところの雪菜の練習相手であった。怪我はさせないよう加減はしてくれていると信じてはいるが、あれは掠っただけでも腕が痺れる。しかも雪菜が渾身の一打(ゆらぎ)を、後出しでそれより早く打ってくるのだ。魔族を素手で仕留めるくらい白兵戦術に自信があったが、同級生はそれ以上に成長しており打撃(パンチ)力に関しては師家様(せんせい)より上である。

 これまで通り真っ向から相手を叩き潰す、剣巫の対魔族の直接戦闘だけでは負ける。

 故に自然と雪菜は、自分よりも速く動く相手に慣れており、防ぐのではなく、身体に衝撃負担を掛けないよう、柔らに受け流し、時に幻術でわずかに相手に間合いを見誤らせる戦術が身についた。

 

「<若雷>っ―――!」

 

 生じた意識の空隙。宙を泳ぐ相手の身体。そこへ叩きこまれる掌打。上手い具合にカウンターが決まり、相手がぐらつく。そのとき、剣巫の霊視がそれを捉えた。

 

「―――紗矢華さんっ!」

 

 突如、空間の裂け目より現れた破魔の槍。ルームメイトが飛ばしてくれた己の得物をほとんど見もせずに捕まえると、バトンリングのように回しながら槍の両側にある副翼を広げて展開。

 

「……ァ……か……ッ!!」

 

 呼吸が詰まってままならず喘ぐトリーネ=ハルデン。

 そこへ、

 

「獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る―――」

 

 対魔族の秘奥兵器<雪霞狼>により、雪菜の体内で霊力が膨れ上がる。あの破魔の銀槍は、

魔族にとって極めて危険な存在だと本能が訴えてくる。その輝きに怯み、両手を顔の前にかざして後逸するトリーネ=ハルデン。

 だがそれを逃さず、静かに祝詞を紡ぎ終わった剣巫が動く。

 時間の流れが緩やかになった錯覚。

 何の変哲もない、ただ前に踏み込んで真っ直ぐに槍を突き出す。ただし、とてつもなく滑らかで、流麗。動作の間の無駄がなくなって、まるで芸術作品を鑑賞するかのよう。

 

 ―――そして、守り(ガード)を固めた女獣人へ、一条の銀光となった槍突きが衝突する。

 

 

「破魔の曙光。雪霞の神狼。鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!!」

 

 

貸倉庫 外

 

 

 そうして、『北海帝国』の特殊工作部隊隊長トリーネ=ハルデンおよび工作員らテロリストを捕縛。

 かなりの力技であったけれども、第一王女(ラ=フォリア)変身のインパクトと王妹殿下(かのん)救出が成功したおかげで、余裕がなくて相手を殺戮するような事態にはならず、労せずに一網打尽である。

 ただ、これにより『<第四真祖>の吸血行為を受けたものは、獣化の変身能力を得る』とか言う古城にあまりうれしくない追加設定の噂が広まることになったが、こうして後輩(かのん)を無事に救出でき、調印式前にテロリストらを捕まえることができたのだからよしとしよう。

 

 ―――だが、これで安堵するにはまだ早かった。

 

「―――やはり、こうなるか。否、これは己の手で下さなかった甘えた不始末だ。尻拭いなどとは考えまい」

 

 その深い声は、魔法のように真後ろから響いた。修羅場でこそ本当の速度で鼓動を叩く心臓が、その瞬間から、実際には2秒にも満たなかっただろう時間を何倍にも薄く長く引き伸ばす。

 夏音とラ=フォリアを庇って、古城は振り返りつつ左手に魔力を篭めて、振り抜く。眷獣の一端を引き出した暴威を向ける前に、気配はすでに消えていた。いや、違う。今のは古城が錯覚した相手の気当たりだ。

 

「あんたは……」

 

 闇に同化したように、全く気配がなかった。声をかけるまで誰に勘付かれることなく背後に、右の腰に剣を差した、ダークスーツ姿の西洋人が立っていた。

 上背は古城よりやや高く、銀の頭髪はすべて後ろへ撫でつけて、時代劇の人斬り浪人のような総髪茶筅。ピンと伸びた背筋、衣服の下の肉体が研ぎ澄まされているのが伝わってくる。おそらく歳が40代と思うが、常識を超える鍛錬の成果によるものか外見はせいぜい30代の前半である。

 ラ=フォリアもその姿を確認するや、背筋を伸ばし、

 

「騎士団長……」

 

「否。第一王女よ。ここにいるのは騎士団長ではない、グレン=カタヤというひとりの破落戸(ごろつき)だ」

 

 笑みを含んでそう言った男の目尻や口元にかろうじて年相応の小皺があらわれる。しかし、その間も、王女と相対してさえ、その目は閉ざされている。

 

「……賢生に続いて、あなたまで裏切ったとはあまり考えたくないのですけど」

 

 優秀な騎士の証である蒼銀のコートを脱いでいる。すなわち、ここにいるのは王に仕える騎士団長ではないという意思表示。

 

「申し訳ありませぬ王女。国王夫妻にもご迷惑をかけたことを心痛く思います」

 

 騎士団長の声音は、詫びているはずなのに刺さるようだ。この人物がただ立っているだけで、いつ斬り合いが始まってもおかしくないと空気の底が冷えるのだ。瞑目していてもこの全身の毛穴が開くほどの、隙を作った次の瞬間に首と胴が切り分けられることを想像させるほどの緊張感。

 そして破落戸を自称する男が、善悪を超越して闊達に笑った。

 

「―――だが、それでも認められなかった。『戦王領域』との和平も、王妹殿下―――否、叶瀬夏音が王族であることが。“故に裏切った”」

 

「テメェ……」

 

 薄々と、古城にも理解できてきた。この男は自分と同じように操られて、テロリストについたのではない。自分の意思でテロリストについたのだ。

 

「そんな……それで、カタヤさんを斬ったのでしたか……?」

 

 古城の背後より、震える声で夏音が問う。それに目は瞑っていても、そちらに顔を向けることなく、

 

「応。それが姪であろうと、剣を構えるのならば関係ない。そして、斬られたのはあれが未熟であったため」

 

 ずっと抜かれた刃物のように薄く鋭くその目が開かれる。

 

 ―――邪魔立てするのならば、斬る。

 

 それだけで、暗闇そのものが押し寄せてきたような、圧倒的な死の予感。

 それを誰よりも早く直感したのは獅子王機関の舞威姫。

 

「―――グレン=カタヤ。魔導テロに加担した容疑であなたを捕縛します」

 

 紗矢華の前に立つのは、『聖環騎士団』の長。そう簡単に撃破できる相手ではないだろう。

 その挙動を注視しながら、近接戦に合わせ長剣形態とした『六式重装降魔弓』の柄を握る指に、強く力を込める。

 

 本気で戦うが、殺さずにかつ迅速に事態を済ませるのならば、まずその得物を破壊する。

 この<煌華鱗>の『空間切断』はあらゆる攻撃を防ぐ障壁であり、この世で最も堅牢な刃。たとえ聖剣魔剣が相手でも、舞威姫の剣舞に斬れないものはない―――!

 しかし、

 

「騎士団長と斬り合ってはいけません紗矢華!」

 

 ラ=フォリアが、常にない切迫とした声で紗矢華の行動に制止を叫ぶ。

 だがそのときにはすでに、煌坂紗矢華の視界から騎士団長は消え失せていた。

 凄まじい速度―――というよりは、巧くタイミングを外され、紗矢華の視界の外へ移動されたと気付くまで、一瞬の時間が必要で、そして、その時には、ビュオ!! という風を切る音が舞威姫の斜め後ろから響いていた。

 

「ッ!?」

 

 舞威姫の霊視の未来予知がその斬撃を予想し、その空間を『空間切断』の刃で薙ぐことで、破壊不能の絶対防壁を作った紗矢華。

 ―――に構わず、騎士団長は、魔剣<バルムンク>を真一文字に薙ぐと、その白銀の刀身がその軌跡に従い淡い残光を煌めかせる。

 魔剣の白刃は、<煌華鱗>の『空間切断』による物理的に突破し得ない障壁など存在しないかのようにすり抜け、舞威姫に一太刀を浴びせた。

 

「……ほう、腕の一本は切り捨てようと思ったが、今の間合いで討ち漏らしたか。王女の助言があったとはいえ、中々に勘の優秀な素材のようだ」

 

 その瞬間、我が身に何が起こったのか、紗矢華にはわからなかった。警戒は怠らなかった。ギリギリ防御も間に合ったはず。なのに、見えなかった。防げなかった。ただ『斬られた』という結果だけがある。

 右腕をやられ、だらりと落して血を流す紗矢華を、騎士団長は追撃せず静かに見下していた。注意深く観察しているというよりは、慌てて止めを刺す必要はないとでも言わんばかりの表情だ。

 

「何を驚いている」

 

 全身から警戒心を発し、指先、その筋の動きまで注目する紗矢華に対して、騎士団長は剣先を下に向けた。その声に滲ませていたのは余裕ではなく、失望。

 

「裏切ったとはいえ、私は『聖環騎士団』の(おさ)だったのだ。舞威姫とはいえ、たかが獅子王機関の一員ごときと、互角に試合えるなどと思われていたとは心外だ」

 

「ッ!! <(ゆらぎ)>よ!」

 

 式神をばら撒く。鳥に変じた銀紙が強襲を仕掛ける。人間に躱せるような距離ではなかったが、敵は難なく回避した。目を瞑ったままで。

 

(なんて反応! こっちの呼吸を呼んで―――)

 

 騎士団長の技量は、紗矢華の師家である縁堂縁や特別講師に招かれ、訓練生時代に二対一でも触れることさえ叶わなかった<四仙拳>と同等。

 それでも無謀を承知で、大きく踏み込み、渾身の剣舞を相手に見舞う。

 

「ハァ―――!」

 

 下段、二段突き、上段と連続で踊るように打ち込んでいく。

 その連撃の一切を物ともせずに瞑目したまま躱す。巫女の霊視がないはずなのに、悉く読み合いを外していく。

 ―――とそこで、先ほど回避された式神の鳥が弧を描いて、再度強襲を仕掛けた。一撃を外してからの不意打ち。そして、それを避けてからの体勢。素早く位置を変え、剣を持っていない右手側から紗矢華は斬りかかる。止められるはずはない―――と思ったが、騎士団長はその白手袋をつけてる右手で<煌華鱗>の刃を正面からつかみ取った。

 

(『空間切断』を、防がれた……?)

 

 紗矢華は必死に<煌華鱗>を引き剥がそうとするが、騎士団長の指は微動だにしない。

 

微温(ぬる)い。私の前を阻むのならば、最低限でも同じ組織の長である『三聖』を連れて来なければ話にならん。はっきりいって、貴殿では役不足だ」

 

 右手で舞威姫の剣を止めながら、左手の魔剣を振りかぶる。

 そして、振り下ろされた剣が、紗矢華の眉間を割る―――寸前。

 

 轟っ、と紫電弾けるバスケットボールほどの雷球が騎士団長へ迫る。

 

 斬っ、とそれを魔剣で斬り捨てられるも、舞威姫に降されようとした軌道を変えることができた。そして、相手の注意がわずかに逸れた隙に、紗矢華は剣を手離して後逸した。

 

「だったら、俺がアンタと“戦争(ケンカ)”してやる」

 

「<第四真祖>、か……」

 

 古城は、即座に眷獣を召喚できるよう左手に魔力を集わせる。騎士団長は、銀光を冴え冴えと照り返す剣を自然体に下段に構えた。

 

「ラ=フォリアたちが必死に国を守ろうとするのを台無しにしようとしたり、叶瀬を悲しませたりしやがって! テメェはそれでも騎士団のトップじゃなかったのかよ! どうして、こんなことするんだ?」

 

「今更囀ってどうする。二度も同じことを言わせるな。女の命を背負った男なら、敵を斬ることだけを考えろ。それもわからんようでは、真祖といえどヒヨッコか―――」

 

 相手が人間であるも、出し惜しみなどできない。

 咆哮し、古城は眷獣を喚び出さんと掲げた―――つもりでいた左腕が、軽くなった。次の瞬間、すっと抜けたぬるい風が、古城の胸元をかすめた。

 起こったことを理解した瞬間、古城の喉は悲鳴を上げていた。騎士団長は間合いに入った全てを斬り伏せる剣鬼だ。『聖環騎士団』はアルディギアを魔族の侵攻より守るために最前線で戦ってきたものであり、その長として魔族を斬ることが最も深く皮膚の奥まで染みついた騎士団長の剣を振るう動作は、不気味なほど音を立てず、吸血鬼である古城にも軌道を見せない。

 そして、腕を斬り飛ばした魔剣の神速の返し刃が上段からの袈裟斬り。

 

 ずどんっ、と衝撃音が響く。およそ剣撃の響きではないが、確かに剣から生じた音だ。男の剣は古城を袈裟懸けに両断して、その背後の建物に5mを超す亀裂を生んだ。

 

 眷獣すらも屠りかねない一刀。これと同じことを<監獄結界>に収監される魔導犯罪者『龍殺し(ゲオルギウス)』ブルード=ダンブルグラフが<蛇遣い>との戦闘でしてみせたが、それをこの男は片手でしてのけた。

 

「いやああああああ―――――っ!」

 

 後ろに庇う少女から悲痛な叫びが聞こえた。

 それに応じることはできない。何故ならば古城の左肩から――左胸の心臓部を通り――右腰までの一直線の断面から、自分の胸から前のめりに倒れてゆくのだ。まだ下半身は地面に立ったままだというのに。ごとりと音がして、古城の顔は地面に転がり落ちる。時間差で、腰から下が崩れ倒れた。

 騎士団長が、剣を血振りする。舞威姫と真祖を無力化され、護りのいなくなった二人に、剣を向けるためだ。

 

「ぐはっ……!」

 

 古城の喉から、血の塊を吐き出す。それより、左腕の傷口より血が噴き出し、またそれ以上に胴より別れた断面から臓腑も血と共に零れ出す。焼けるような激痛に、斬られたことを判別できない脳が混乱して、思考がぐらぐらした。これほどにやられたのはロタリンギアの殲教師オイスタッハ以来か、と冷たい理解が理性を満たしていた。大量に噴き出すあたたかい液体が血だまりを作る。

 

「遅い」

「っ!」

 

 ラ=フォリアが呪式銃を抜いて、騎士団長へ弾を放つが、その銃弾を回避されて、軽く振られた剣閃で合金製の銃身が竹輪でも切るように両断されていた。金属音が、カランと軽く絶望を響かせる。ラ=フォリアは数秒でも古城が立て直せる時間が欲しくて、銃身が伐られた。もはや弾丸を真っ直ぐ飛ばせず、銃口につけた銃剣(バヨネット)もなくては、<疑似聖剣>も発動できない。剣風に圧され、崩した体勢で無防備に空いた腹へ蹴りを入れて、第一王女を遠くに転がすと、

 

「ほれ、返すぞ舞威姫」

「がは!」

 

 掴み取っていた獅子王機関の武神具を投擲され、受けた紗矢華が吹っ飛ばされる、

 残るは、

 

「お兄さんッ!」

 

 服が汚れるのにも構わず、夏音が古城にしがみついていた。この視界が完全に真紅に染まる中で古城がかろうじて意識を保てたのは、彼女のおかげだ。呼びかけ続ける少女に、大丈夫、と古城は獰猛に笑って見せる。

 

「精霊炉かアルディギア王家の加護がなければ、<バルムンク>といえど、真祖は屠ることはできんか。だが、しばらく身動きできんのなら構わん」

 

 夏音に伸ばされる右腕―――に巻き付く銀色の蛇。

 

「剣の腕は大層なものだが、妾とは少々相性が悪いぞ?」

 

 蛇が女性の人型に戻る。ニーナ=アデラート。<賢者の霊血>という液体金属の肉体に斬撃は通用せず、究めた錬金術はその人体を鋼に変える。

 

「ふ。人間に錬金術を掛けるのはしたくないが、主には容赦せん」

 

「結構だ。叶瀬夏音を狙うと決めた時から貴殿のことは警戒していた」

 

 騎士団長の右腕より滲み出た闇色のオーラが、ニーナの物質変成を弾き、霊血の肉体に侵食する。呑まれたニーナは力が抜けたように、騎士団長の右腕の拘束を外してしまう。

 

「ぬ、し……これは……―――」

 

「貴殿の言うとおり、剣で切れぬのは厄介であるが、倒せぬものではない」

 

 騎士団長が左手に嵌めた指輪をニーナの前にかざす。透き通るような青い輝きを放つ宝石が埋め込まれたそれは、魔導技術大国であるアルディギアが誇る凍結魔術が封入されている。規模は小さく、威力も低いが、それはかつて<模造天使>と化した叶瀬夏音が使ったものと同種の能力。そして、以前、特区警備隊が霊血に対してとった作戦の通り、金属の性質からして氷漬けに冷却されれば、その活動は封じることができる。

 

「院長様!」

 

「殺してはいない。真祖と同じく、邪魔な横槍は封じさせてもらっただけだ」

 

 そして、叶瀬夏音に向け、魔剣を構える。

 

「どうして、こんなことを……」

 

「……認められなかったからだ」

 

 ゆっくりと息を吐き、そして今まで閉ざされ、薄く線にしか開かれていなかった、その両の眼を静かに見開く。

 思わず、夏音は驚きに息を止めてしまう。

 特別その眼光が恐ろしく鋭いのではない。魔族の魔眼などではないし、義眼などの特殊な魔具が埋め込まれているわけではない。

 あまりにも、平凡な瞳がそこにあった。

 騎士鎧ではないにしても、漆黒のダークスーツに身を包み、栄えある騎士団を率いる多くの魔族を斬り殺してきた歴戦の戦士には到底不釣り合いなほどに純粋な、世界の闇に濁らない――そう“彼ら”のような少年の瞳。

 

「違いました。あなたは皆を傷つけるような人ではありませんでした」

 

「……否。私は、破落戸だ」

 

 少女の言葉に、これ以上は何も答えず、静かに剣を振り切った。

 

 『聖環騎士団』の長に与えられる<バルムンク>の力は、“切断する対象を任意で決められる”ものだ。

 超高等魔術である『空間制御』に並ぶ『物質透過』の魔剣。如何なる盾鎧、殻鱗であっても防御することが不可能。そして、時空を超える裏技が『空間制御』にあるように、『物質透過』を窮めたその裏技は、“斬れぬものを斬る”。

 

 魔剣が叶瀬夏音の肉体を通り、すり抜けた。

 その肌に斬れ痕はない。斬られたことすら感じさせない達人の一振りは、夢幻のよう。

 だが、“斬った”。

 霊的な感覚の持ち主でなくても見えるほど眩く白光が、叶瀬夏音の肉体より出ていき、それを騎士団長の右手が掴む。意志を篭めて拳に固める握力に引き寄せられるよう、その右手に集っていく。

 

「アルディギア王家女児の霊核、確かに頂戴する」

 

 “斬れぬものを斬る”。

 そうそれは、外科的な心霊療法か。メスの代わりに魔剣を入れ、その触れることのできぬはずの霊体にさえ刃を通し、核を切り分ける。

 叶瀬夏音の霊力が、消えた。

 そう、それはかつて<蒼の魔女>仙都木優麻が、その母親である<書記の魔女>仙都木阿夜により、魔女の魔術回路と結びついた<守護者>を奪われた時と似ている。

 力の源泉を略奪。された少女はその血色のよかった肌が、白蝋の如く変じていく―――

 瞬間、前触れもなく出現した巨大な稲妻が、眩い獅子の姿に変わり、騎士団長に喰らい尽く。

 

「<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>!」

「っ!」

 

 うつぶせに倒れ、背を反らして上体を持ち上げていた古城が、眷獣を喚び出していた。

 斬られた心臓の再生は終わっており、胴体左腕も繋がっている。正確には、魔力の塊でできた得体のしれない仮想肉で型取りして繋ぎ止めているというイメージだが、とにかく体を動かせる。万全ではないにしろ戦える状態にまで持ち直した、吸血鬼の真祖が持つ、呪いにも似た超回復の賜物だ。

 

「叶瀬から離れろテメェ!」

 

 雷光の獅子は咄嗟に魔剣を盾にした騎士団長を大きく弾き飛ばした。初めて一撃をもらった騎士団長は、地面に刺した剣を杖に身体を支えながら古城を睨み、

 

「もう、遅い。その娘はもはや用済みだ」

 

 肉体的な損傷はなくても、霊核を奪われた夏音はひどく衰弱しており、生命の温もりは弱まってきている。その四肢を投げ出して弛緩する夏音を、古城には救えない。世界最強の吸血鬼などと呼ばれていても、<第四真祖>が持つ能力は、“戦争”に特化したものでそれ以外にはほとんど何の役にも立たないのだ。この場で夏音を救えるのは、それは訓練を受けた霊媒である者たち。

 

「夏音っ!」

 

 蹴られた腹を押さえながら第一王女と、そして、舞威姫が夏音の下に駆け寄る。

 夏音と同じくアルディギア王家の血を引き、世界でも最高クラスの霊力の持ち主であるラ=フォリア。その霊力量は人間の限界点に達しているほど桁外れであり、そして血縁が近い故にその属性はほぼ同一で似通っている。輸血の際の血液型が合わず拒絶反応が起こるようなことはない。

 そして、紗矢華も獅子王機関の舞威姫として訓練された霊媒であり高い素養を持っている。けれど、単なる相性の差もあって、この上なく高い親和性を崩さぬよう別の措置に回った。人の生死を操る、呪詛と暗殺の専門家である舞威姫は鍼治療で応急処置を試みる。夏音に霊力を送り続けるラ=フォリアの横で、紗矢華は夏音の肉体、その霊的中枢のある個所に向けて針を差し込んでいく。

 

「煌坂、叶瀬は?」

 

「不幸中の幸い。皮肉だけど相手の腕が良かったお蔭で、霊核のところだけを切り取られて他はまったく傷ついていない。これなら私でも助けられそう……けど」

 

 しかし、これでは大きくその寿命は削られてしまうだろう。助けるには、霊核を取り戻すしかない。

 と、そこで、ひとつの違和感がこれ以上は無視でないほどに膨れ上がる。

 

「……騎士団長、何をしたのです」

 

「何でしょう」

 

 古城と夏音たちを守るように侍らしている雷光の獅子に視線をやりながら、騎士団長が応じる。

 底の栓を抜くように疲労していく精神を奮い立たせて、ラ=フォリアは訊いた。

 

「先ほど、お前は何をしたと訊いているのです」

 

 訝しげに古城はラ=フォリアの顔を見て、そして紗矢華もそこで違和感に勘付く。

 

 

「わたくしですら、触れただけでその霊核を取り込める術は知りません。

 いったい、その右腕には何があるんです?」

 

 

「………」

 

 騎士団長が、沈黙した。

 アルディギア王族の秘儀として、相手の霊核を喰らう『蠱毒』の儀式<模造天使(エンジェルフォウ)>がある。

 だがその<模造天使>は、優秀な宮廷魔導技師がつき、そして、“高度な霊媒素養を持つ者”に対してだけ行える儀式だ。

 騎士団長とはいえ、<疑似聖剣>の発動に精霊炉か姫御子の援助がなければならない彼に霊媒素養は高いはずがなく、そして、叶瀬賢生のような宮廷魔導技師ほどの魔術の技量はない。あくまで彼の力と術は戦闘に特化しているものだ。

 

「王女の慧眼は誤魔化せませんな。その通り、私に賢生のような知識はない。無論、貴方様のような力の器でもない。魔剣<バルムンク>で霊核を切り分けても、それを受け入れることなどできるはずがなかった。

 ―――この右手に埋め込んだ『異境(ノド)』の魔具がなければ」

 

 魔具を人体に埋め込む。

 それは、『聖環騎士団』が、『魔義化歩兵(ソーサラスソルジャー)』――聖域条約にも調印していないアメリカ連合国の人体改造を行ったということだ。

 <疑似聖剣>という北欧の姫御子らの加護を得るために清廉潔白であらねばらない騎士は、そのような邪道に手を出していたなどあってはならない。それは一神教の宗教で、他宗派の神を信仰するに等しい御法度だ。

 それも、

 

「『異境(ノド)』……まさか、『聖殲派』の……!」

 

 ラ=フォリアの言う『聖殲派』という単語に聞き覚えがないが、裏切りを知った時でも毅然としていた彼女が、一瞬、不自然に肩を震わしたのを古城は視た。

 動揺する王女の問いに、騎士団長は薄く笑い、

 

「否……と言っておきましょう。

 この魔具は、15年前に手に入れたものであります」

 

「15年前……?」

 

「ひとりの女人を狙う賊がおったのです。魔族の天敵であるアルディギア女児の“情報”を欲したのでありましょう」

 

 王女への敬意を払って丁寧な口調で、静かに、騎士団長は話し始める。

 

「国を出るまでは彼女を護衛していた私は、その賊――『咎神の騎士』を撃退することに成功しました。あ奴らの力は、魔力を打ち消すものでありましたが、剣技の冴えまで奪うものではなかった。―――今を考えれば、そうでなければ良かったものを」

 

 昏倒している夏音が身動ぎした。

 何かを、予感したのだ。

 おそらくは、聞くべきでない何かを。

 

「……おそらく、その段階で、王家に報告するべきでありましたでしょう。こちらの縄張りに無断で侵入し、それを処断した。そして、賊が持っていた『異境』の魔具を回収したことを……ですが、それができなかった」

 

 く、と苦い笑いに頬を引き攣らした。

 先の雷光の獅子のチャージを受けて、ボロボロになったダークスーツを破り捨て、シャツのボタンを外す。

 その右肩から右肺のある胸元にかけての肌が、青黒い色に変色していたのである。

 

「この魔具を取り込んだ代償で、私の内臓、特に片肺がやられ、生きながらに腐りかけております。右の聴覚も働いておらず、嗅覚も、ほとんどありません。ルーカス王はご在知だ。もっとも、王には魔族からの呪いを受けてのことだと説明しましたが」

 

 言葉を失くす。

 騎士団長の台詞に、何のハッタリもないと理解させられたからだ。

 

 魔具というのには、それを使う術者を選ぶものがある。

 例を挙げるのならば、<雪霞狼>。それは幼少のころから訓練機関で鍛えられた少女の中から剣巫という武神具の担い手が選ばれる。使うことならば、訓練された巫女にも可能であるが、その性能を100%に発揮するには、やはり剣巫しかいない。

 そして、<雪霞狼>に選ばれたのは、現剣巫が二代目。つまり、2人しかいないのだ。

 

 長年、魔剣<バルムンク>を担う騎士として研鑽をつみ鍛え上げた者が、全く違う系統の魔具を肉体に埋め込む。それを誰にも悟らせず、独力で身体に馴染ませていくのに、どれほどの才能と代償が必要であるのか。

 そして、この騎士団長に、そこまでさせた理由は何なのか。外道に踏み外してでも、成しえたいその執念とは一体、

 

「『聖殲派』の魔具は、魔力を打ち消す『異境』を呼び出すだけのものではない。他所から“情報”を奪い、自らに取り込む。触れるだけでいい。この右手にアルディギアの霊核を喰らわせるだけならば、<模造天使>の儀式を行わなくて済む。

 ―――これで、説明は終わりです第一王女」

 

 絶句する中で、騎士団長は語り終える。

 

「いいえ、まだ肝心の動機を聞いてませんが?」

 

「先ほども申しあげましたでしょう。魔族との和平協定など認められぬ。故に王位継承権などない外様の小娘に不相応なアルディギアの力を取り上げ。我がモノにした」

 

「本気なのですか? <模造天使>が門外不出の秘儀であったのは、アルディギアの血筋を引く女児にしかできなかったからです。他人の霊核まで取り込めて無事でいられるほど人間の肉体(うつわ)は耐えられるものではありません。そして、耐えられなければどうなるのか……お前もそれはわかっているのでしょう?」

 

 騎士団長は、巫女のように高い霊媒素養を受けるほどの器がない人間。

 如何に特別な魔具に頼ろうとも、その元が人間の肉体性能であるからには、何が起こるのかはわかり切っているはずだ。アルディギア王族女児、その精霊炉に匹敵する霊力の情報量を“取り入れる術”と、それを“受け入れられるほどの器”は別問題だ。

 そんな王女の裏切者を心配するような声に、騎士団長は静かに笑った。

 静かに笑って、言う。

 

 

「もちろん。承知の上」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「では、そろそろお暇させてもらいましょう。王女への最後の義理立てとして付き合いましたが、これ以上、王女の時間稼ぎ(ながばなし)をされると、面倒になりそうなので」

 

「―――逃がすかよオッサン!」

 

 去ろうとする騎士団長に、古城は荒々しくも腕を大きく振り、吸血鬼の力をぶつける。さらに追加で膨大な魔力が注ぎ込まれた雷光をまとう獅子が、踏み潰す勢いで逃亡を阻止せんと騎士団長の頭上から飛び掛かる。

 

「アルディギア王家女児の霊核を取り込んだ意味が分かっておらんようだな第四真祖」

 

 それを平然と眺めて、騎士団長は悠然と右手を前に突き出し、左手で剣を構える。その闇色に染まる虚無の障壁を纏う右掌が、紫電の速度で迫る雷光の獅子の鉤爪を、正面からまともに受けて、弾いた。まるで投げつけられた風船を叩くように音もなく。眷獣が纏う閃光と稲妻が霧散して、“初めて両手で”構えた剣を振るう。

 

 剣身が赤く光って見えるほどの、猛烈な振りは風よりも速い。神速の踏み込みの後を、巻き起こった疾風が追う。

 

 明日の調印式に出席する『戦王領域』帝国評議会議長ヴェレシュ=アラダール。

 若い世代の吸血鬼でありながら、第一真祖の懐刀であり、<蛇遣い>と同格の実力者。大罪の名を冠した七体の『剣』の眷獣を従えて、数多の戦場でその猛威を振るった武闘派の伝説的な吸血鬼。

 それと国境防衛線の際に、切り結んで生還できたほどの実力者である騎士団長の技量。

 

「―――我が剣に宿れ、戦乙女の加護よ!」

 

 柄に埋め込まれた青い宝玉が、黄昏色の光を閃かす。

 

 普通の鉄ならば、強過ぎる魔力には耐えられない。だが、この魔導大国の技術力で練磨された剣は、魔剣と呼ばれるレベルの品。魔力をよく伝導し、そして強靭。莫大な霊力を注ぎ込んでも灼き切れることのなく、宝剣以上にその威力を振るうのだ。

 精霊炉に匹敵するアルディギアの王家女児の力を手中に収め、<疑似聖剣(ヴェルンド・システム)>の戦術支援を独力でも可能となった今だからこそ、魔剣はその真価を発揮する。

 

 魔剣を中心として半円状に拡散する剣気が、この真夜中の空を黄昏の夕暮れまで時間が巻き戻ったかのように、景色を染め上げた。

 

 雷切一閃の斬撃に、<獅子の黄金>を割断される。

 眷獣が霧散する前に、一陣の風が暁古城の身体を煽った。

 最初に認識できたのは、痛み。

 通常は最後に把握すべき感覚が、最初に来た。痛みがやがて熱さに代わり、肉が裂ける感覚に代わり、ようやく、自分までまた斬られたのだと理解する。

 黄金の獅子が合間に挟まれたからか、また切り分けられたわけではない。だが、斬られたところが強酸を塗り込まれたかのように異様に熱い。これが魔族の天敵たる聖剣の一太刀か。そして、勢いに圧され、仰向けに倒れた古城の胸から溢れた血潮が座り込んでいた紗矢華とラ=フォリア、そして倒れたままの夏音を濡らす。

 

「―――」

 

 すっと意識が遠くなり、戦慄した。

 馬鹿野郎、気絶するな! 今、俺が気絶したら、誰が―――とそこで、古城は慄然とした。

 

「―――再び我が剣に宿れ、戦乙女の加護よ!」

 

(二連発……!?)

 

 一撃で殺し切れなかったとわかるや否や、間髪入れず<疑似聖剣>を再起動。

 眷獣の召喚も間に合わず、庇うものがなくもろに聖剣の一撃を受ければ、古城はもうすぐには回復できないであろう。不完全なれど真祖。その潜在能力が侮れぬものとして、剣鬼はこの好機に討つと決めていた。

 

 

「―――剣では負けたけどあまり獅子王機関の舞威姫を舐めないでもらえるかしら。私の本領は呪詛の専門家」

 

 

 騎士団長の身体に仕掛けられていた呪詛が、紗矢華の合図を受けて発動する。

 剣を振り抜くはずの騎士団長の両手。それが突然、握力を失くす。拘束術式。

 

 いつのまに……?

 舞威姫は常時、強力な呪詛を纏っており、悪意を持って触れればその悪意を何倍にも増幅して返される。ある種、体表に毒を持った生物のようなもの。だが、それ故に仕掛ける機会は与えまいと、彼女の攻撃をもらう、また受けるにしても魔術呪術を無効化する『異境』を発動させていた。

 

「『六式重装降魔弓(デア・フライシユツツ)』を奪われたのは私の落ち度だけど、その柄に触れたのは、そっちの失態よ!」

 

 感染呪術。

 舞威姫は、己が得物に呪詛を仕込んでいた。舞威姫に白刃取りで奪取した<煌華鱗>を投げ返した際に、剣を握った。その段階で紗矢華の呪詛は成立した。

 ―――が、

 

「悪くない。―――が、その程度、たかが未来を1秒先送りしたに過ぎぬ」

 

 痺れに硬直した握力が、また強く魔剣を握る。この手の呪いは、魔族から戦争時に幾度も経験がある。呪殺するには至らない。師家クラスに格上の騎士団長では、一瞬行動を邪魔するのが精々。そして、その一瞬では古城を助けられない―――

 

 そして、今度こそ騎士団長の魔剣が、第四真祖の首を容易く刎ねる。

 それが1秒先の未来だった。

 それは動かせぬ事実だった。

 王女は拳銃を破壊され、舞威姫の剣を盾にしようとも透過する防御不能の一太刀。

 だが、そのとき―――

 天上を向いた古城の視界にそれが映る。

 

「先輩―――!」

 

 その存在に気付いた騎士団長が天を仰いだときには、既に遅かった。

 黄金の神獣に騎乗する、銀槍を持つ剣巫。

 <第四真祖>と言う強大な魔力の波動を感じ取って、即座に救援にかけつけてきた監視役と後続機。

 そして、それが手にする武神具はあらゆる魔力を無効化するモノであり、『物質透過』が通用しない。

 

 避けられぬ―――ならば、迎え撃つのみ。

 

 騎士団長の判断は早い。真祖を屠るはずだった魔剣の軌道を修正。黄昏色の極光が、神獣を呑み込まんとし、

 

「―――<雪霞狼>!」

 

 剣巫が突き出した槍の切先から直線状に放たれる光刃が大気を裂く。

 

 その武神具の名に入っているよう、魔“狼”の神気との親和性が高いのか。<疑似聖剣>のように神獣の神気が『神格振動波』に上乗せされた『七式突撃降魔機槍(シユネーヴァツルアー)』。その穂先より巨大な閃光の刃と化して、魔剣から放たれた黄昏色の一閃を貫いた。

 

 かつて、<ランヴァルド>において、聖剣の霊光が数段格上の天使の神性を侵せず、まるで人工の頼りない照明が、太陽の輝きにかき消された時と同じ。

 

 属性が同質であるのならば、より強い方が勝つ。

 そして、槍の一点に威力を集中させる突きと、剣の一線に威力を拡散させる薙ぎ払いの性質による間合いの優位差もあり、<疑似聖剣>の波動を消滅させた破魔の銀槍が、騎士団長の魔剣を穿つ。

 鈍い音が響いた。

 刃と刃の衝突の瞬間、受けた魔剣の刀身が撓む。火花に混じって剣鬼の周囲に鋼のしぶきが散った。重力が加算された威力が魔剣の耐久限界を超えたのか、<バルムンク>に罅が入り、そこへ突き通った『神格振動波』の刃が武神具に刻まれていた『物質透過』の術式回路をも引き裂く。

 

「<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――」

 

 倒れたまま、獰猛に笑う暁古城が召喚の文句を唱える。そう、彼女ら後輩の姿を視認した瞬間から、そのまっすぐに突き出した左腕を右手で持ち上げ、魔剣を破損して、大きく体勢の崩れた騎士団長へ照準を合わせるよう拳を向けていた。

 

疾く在れ(きやがれ)、<双角の深緋>―――!」

 

 渾身を振り絞り召喚された衝撃波の双角獣が、古城の左手から発射されるように飛び出した。その超振動する双角をぶつけ、魔剣に止めを刺す。粉砕された騎士団長の<バルムンク>の破片が飛び散り、その身体が眷獣の突進に撥ね飛ばされた。

 

 

 

「―――まだだ! まだ終わらん!」

 

 宙にあった騎士団長の姿が虚空に消える。

 右手に嵌められた、仕様の際に宝石を砕く使い捨ての、しかし『空間制御』を発動させる指輪(まぐ)により、予め『門』をつくった地点―――アルディギアの最新鋭の超弩級飛空艇<ビフレスト>へと跳んだ。

 

 

オシアナス・グレイブⅡ

 

 

 深夜の海―――

 東京南方の海上を現在航海中の外洋船。悪趣味なほど巨大で豪華で、荘厳な城塞を思わせるクルーズ船。そのマストに掲げられる船籍旗には、飛龍に牽引される戦車――欧州に君臨する夜の帝国(ドミニオン)『戦王領域』の紋章が染め抜かれている。

 船名は<オシアナス・グレイブⅡ>。『戦王領域』の大貴族にして、アルデアル公国領主ディミトリエ=ヴァトラーの私有船であり、『戦王領域』の外交大使を任されたヴァトラーの絃神島における拠点でもある。

 その<オシアナス・グレイブⅡ>が、本国から絃神島まで送るひとりの吸血鬼。

 浅黒い肌を持つ長身の男性。年齢は外見からは計れない。顔立ちだけならば若く見えるが、身に纏う威厳と落ち着きは、老獪な武将や政治家のようだ。身に着けた古風なコートと長い黒髪が、見るからに実直で聡明な彼の双眸によく似合っている。

 実際、そうなのだろう。

 彼を知り、性格を表する者は、有能で真面目、やや理想主義な一面があり、そのせいで余計な苦労を背負い込む、と言うだろう。元老院の『長老』たちからはしばしば無理難題を吹っ掛けられ、そして同年代で旧知の仲である――かつてはお互いに何度も殺し合った――親友の暴走の尻拭いをする役割をいつも主君たる第一真祖より仰せつかっている。

 その吸血鬼の男が、鮮やかな純白のコートを着る美しい金髪碧眼の青年へ冷たく言い放つ。

 

「いいか。我らが王は、明日の調印式、相互不可侵条約延長更改をお望みだ。ヴァトラー、間違えても暴れて台無しにしてくれるなよ」

 

 アルディギア王国との調印式で代表を任されたヴェレシュ=アラダール、対等の付き合いができる数少ない友人から注意を受けて、愉しげに笑いながらヴァトラーは血のように赤いワインを口に含む。

 

「もちろんわかってるよ、アラダール」

 

 外交大使として、『魔族特区』である絃神島における全権を任せられているヴァトラーであるも、真祖の命にあまり背くようならばその役目を外されてしまうだろう。それはごめんだ。まだこの島には面白そうなものが眠っており、有望な子が集まってきている。なによりも<第四真祖>がいる。今はまだ美味しくなるように育てている、だから、育ちきる前に遠く離されてお預けを喰らわぬよう、自制はできる。本当ならば、ヴァトラーも見知った北欧の姫御子らと停戦よりも戦争状態の方が望むところではあるが、将来性を考えるとやはり、愛しの<第四真祖>の方が美味しそうだ。

 とはいえ、抑えても抑えてもどんなに抑えようとも瞳に浮かぶ炎に似た獰猛な光が鎮まることはけしてない。

 

「ですがもし、向こうから手出しをしてきた場合はどうするんだい?」

 

 隣国であるのに、わざわざ遠く離れた第三国で式典を行うのは、過去の経緯からで両国で行うのは政治的な判断で無理とされたため。だが、それでも武力介入をしてくるようならば―――

 

 

「その場合は致し方あるまい。存分に叩き潰せ」

 

 

ビフレスト

 

 

 王族専用機である<ビフレスト>は、『聖環騎士団』に所属する騎士たちに警護されている。

 だがそれも虚空より突如現れた長の姿に、動揺したその隙を突かれる。

 魔剣を砕かれてしまったが、それで騎士団長の剣技が彼らより劣るわけではない。倒した騎士から配給される剣を6つほど奪い、迅速に制圧。

 そして、操舵室にいた騎士たちを打ち倒したところで、騎士団長は膝をつく。口元に当てた手を皿にし、吐き出される血を受ける。

 

「―――、―――――!!」

 

 これは先の<第四真祖>らとの戦闘によるダメージだけではない。

 肉体が、限界に近づいているのだ。

 寿命を削るほどの拒絶反応。たったひとりの霊核を取り込んだだけで、この破滅。取り込む術はあったが、受け入れる器までは用意できなかった。

 騎士団長はここにきて、『何故<模造天使>が選抜された巫女のみにしかできない儀式であったのか』その答えを実感で思い知った。

 

(これは、少々……甘く見過ぎていたか)

 

 常人にはあまりにも光が強過ぎるのだ。断熱遮光板を間に挟んで、純度を調整した状態でなければ、触れれば身を焦がし、見れば目が潰れてしまうほどに。

 

 『北海帝国』の計画通り、叶瀬夏音の霊力で動かした<ビフレスト>で調印式を襲撃できていれば――王妹殿下がテロに加担したという事実があれば――たとえ襲撃前に制圧され、救助されたのだとしても、あの少女が王族とは認められなくなったであろうに。

 

 だがそれも第一王女の働きにより、計画は破綻した。

 なれば―――もう、奪うしか、ない。

 

「――――!! ――――――!!!」

 

 腕をつき、ついに四つん這いにまで頽れた騎士団長の顔に、手に、胴に、足に、躰の至る所に傷が生じ、そこから夥しい量の血が流れていく。

 警護していた騎士たちから一太刀も外傷を与えられてはいない。しかし、内側からの圧力にはち切れていくように、幾つもの傷口が開いていく。その様は、敬虔な信徒の身体に生じるという聖痕を思わせる。

 

「―――――!!!!」

 

 だがそれでも。

 騎士では限界があることを知った。もう二度とあのような挫折をしたくないと思ったから、この外法に手を伸ばした。

 だから、こんなところで躓くわけにはいかなかった。

 

「―――ああ、そうだ。叶瀬夏音が王族であることなど認められん。なれば、その力を『戦王領域』の重鎮を討伐することに有効活用させてもらう。故に奪ったのだ。それ以外の理由など何もない」

 

 歯を食いしばり、這いずり、<ビフレスト>の制御核に手を置いた。王族の生体反応を模倣(コピー)した“情報”と共に、裡に留めておけぬ王族の霊力を一気に流し込む。

 『戦王領域』から絃神島までの<オシアナス・グレイブⅡ>の海路は推測済みとはいえ、起動させても飛空艇の全機能を個人で動かすことはできないだろう。

 しかし、この<ビフレスト>には、アルディギアの最新魔導兵器である、自動で敵を殲滅する無人機が搭載されている。そう、北欧に伝わる神話の主神の名を冠した最終兵器が。

 

 

「起動しろ、『オーディン』。アルデアル公、セヴァリン候を完膚なきまでに叩き潰せ」

 

 

 

つづく

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