ミックス・ブラッド   作:夜草

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六章
焔侊の宴Ⅰ


回想 道中

 

 

 『十三番』というのは、欧州では不吉な数字“忌み数”である。

 

 西欧教会では、主との最後の晩餐で十二使徒最後の席に座る裏切者(ユダ)

 北欧の神話では、宴に招かれざる十三人目の客の悪神(ロキ)

 黄道十二星座では、空が落ち地が崩れ世界の終わりの混沌(カオス)、と結び付けられてきた。

 

 日本でも、『十三階段』などと死刑執行を意味する隠語であったり、『十三塚』などと死者を象徴する数として用いられたりしているが、

 欧州ではとかく『十三』の数字は省く。航空機の座席番号からアパートの部屋番号などには『十三』は存在しないことがあるし、パーティなどにおいて、『十四番目』に来場した客は“『十三』を免れた”と歓迎されるも、逆に数が減って『十三』なってしまう場合は急いで別の人を招くかそこでパーティがお開きになることもある。

 かの『騎士(アーサー)王物語』において、『十三番目』の円卓の席は、常に空席であるよう強力な呪いが掛けられていたという。

 

 そして。

 かつて、この絃神島で行われた『聖殲』を求め、四番目の真祖を覚醒させようとした『宴』にも、『采配者(ブックメーカー)』や『選帝者』たちから、『十三番目(トリトスカイデカトス)』と呼ばれた“忌み子(もの)”がいた。

 

 

 

 それはよく晴れた秋の日の週末。

 常夏の島。季節が夏を過ぎようと強い日差しに流れる汗を拭い、地面に頽れながら、誰か人影を求めて視線を動かす。通りがかる人は多くないし、堀の陰に隠れてるこちらに気づく者はいない。人を見る機会もあまりなかったし、たぶん時間帯が悪いのだろう。見かけることはあっても、車に乗っているのがほとんど。

 

 はぁ……はぁ……

 

 吐く息は荒く、体の熱は徐々に奪われていく。まるで極寒の猛吹雪の中で遭難しているかのように、少女の身体は発熱せんと急いて取り込む酸素を燃やす。しかし、この“異様な寒気”はそれでも指先から爪先、心臓から送り出される血液が遠い箇所より少しずつ凍らせるように、その体温を死体に近しいものにしていく。

 

(古城……君……)

 

 想うは、兄。夏の終わり、中学最後のバスケ部の大会が終わってから、どこか気が抜けてしまっている。ひとつ年上の親友で女子マネージャーの子から話を聞くところによると、兄はすっかり体育館に近づくこともなくなったのだという。会話も、バスケ馬鹿だったのに、バスケの話はしなくなったし、こちらからしようとすればそれは不自然なくらいに話題を変えられるのだとか。きっとバスケ最後の負け試合で、何かあったのだろう。

 だから、そんな兄を励まそうと、サプライズで妹の手料理を作ろうかと、ひとり買い物に出たところで……

 

 はぁ……はぁ…………ぁ?

 

 朦朧とする意識で、顔に影がかかるのを感じた。誰かは判別できない。人影は小さい。おそらく子供で、自分と近しい年齢。背がそこそこ高くて、年上の兄……ではない。そして、その声音は、男の子のもの。

 

『ごめんな』

 

 助け起こしながら、彼は謝る。何を言っているのか、理解できなかった。

 

『暁が、すごく重いモノを負ってるのは、わかってたのだ。ずっとそんな力を使って大丈夫なのか心配だった。

 ……でも、怖くて、オレはずっと触れるのを避けていた』

 

 自分を抱える彼の顔は、その逆光となった日射によく見えないが、いつかどこかで見たようなもの。そう、破滅の一歩を踏み出そうとした自分を止めようとした客人(まろうど)……

 

 

『でもな、今の暁を見てると、やっぱダメだった。見逃すのは、絶対に後悔する。怖いものがわからない馬鹿でもいいから、次からは倒れる前にちゃんと手を伸ばすぞ』

 

 

道中

 

 

 単純なパワーはそれだけで脅威。

 

 いくら身体強化の呪術を施そうにも、相手の身体性能が高い上に、向こうも同じ身体強化をされては一層その差は開く。人間では身体の限度を超える強化比率でも、より頑強な身体を持っているのならば、耐えられる、そう、強化幅が人間(こちら)とは比べ物にならないのだ。

 ならば、技で躱す。

 

「我が影は、霧にして霧に非ず、刃にして刃に非ず―――

 ―――斬れば夢幻の如く、啼哭は災禍を奏でん!」

 

 透明化。相手に姿を見せず、不意をつく。

 

「―――師家直伝残像拳」

 

 姿を消したこちらに対し、向こうは姿を増やした……!」

 生体障壁を変質させた肉球で足音を消しながら、緩急をつけた独特の足運びで数多の残像を生じさせて相手を惑わす歩法で迫る。至近は彼の間合い。

 

 厄介なことにこの獲物は、力だけでなく、技もある。

 けれど、術においては、基礎的な強化呪術と“あの系統”を除いて、平均の域を出ないはず。呪符や式神が使えないという、剣巫よりも尖った相手だ。だが、剣巫を圧倒するほどの近接戦闘力を持っているのだ。

 

「―――<火雷>!」

 

 残像を一気に消し飛ばす高圧縮の呪力弾。透明なハンマーで殴られたように獲物の像が次々と、ひとつ残らず撃ち抜かれて、

 

「隙ありだぞ」

「―――っ!?」

 

 背後を取られた。

 これは空間転移ではない、先の自分と同じ透明化、だが『隠れ蓑』の魔具だけでなく、仙術『園境』により気配断ちで、こちらの霊視にすら察知させない。

 そして、巫女に攻撃ができずとも戦闘不能にする特殊スキルを、ここ最近身につけた。

 

「―――忍法おいろけの術!」

 

 『三手もらうまで巫女に攻撃できない』という<禁忌契約(ゲッシュ)>で縛られている。彼もその主と同じようにした契約は律儀に守るし、破ったのならその罰を受ける。

 だが、『なら、その契約の裏をかくようにすればいいだろう』と主から助言を受けたりしている。

 攻撃がダメならば、攻撃しないで相手を止める、それがこの超能力の応用。

 

 その顔前に寸止めされた掌。咄嗟に鼻での呼吸を止めたが、醸される芳香はそれをすり抜けて鼻腔内に入る。

 

「く、しまっ―――んぁっ!?」

 

 それを嗅いでしまった途端、全身が熱を帯びたように火照る。腹部を押さえて蹲ってしまい、透明化も解かれる。

 魅了。

 特定の獣人種が行う特殊スキルを、『嗅覚過適応』により再現したもの。超能力であるので魔力の無効化も通じず、魔力抵抗も関係ない。異性であるのなら真祖すら落とせる精神干渉。

 

 つまり簡単に言えば、トリップするほどものすごくいい匂い。

 

 高い霊媒素養があっても抵抗できずに遠のく意識。快楽の果ての夢見心地。この状態であるのなら、どんな命令でも頷いてしまいかねない、そんな巫女殺し。

 

「じゃ、妃崎、今日もオレの勝ちだな」

 

 そして、据え膳を放置していく。

 これと言った命令はされず、強いて言うなら、家に帰れ。悪用すれば、無抵抗の美少女を好き放題にできるのだが、この獲物の少年はこれまで何もしてこない。巫女に手を出すのは厳禁と言う契約の縛りがあるかだろうとかそれ以前に、その手の方向に思考がいかないのだ。紳士的な対応ともとれるかもしれないが、彼を知る者には揃って『朴念仁だから』というだろう。

 巫女への対処法もできたし、彼はきっとこれでしつこい監視の目も緩まるのだろうと考えているのだろうが、太史局からの監視役はそうはいかなかった。

 

「気を付けて帰れよー」

 

 とっとと去っていく少年の背を見つめる、妃崎霧葉の視線は焦がすよう。外見は熱にうかれているように呆けていても、内心は復讐の念で燃え盛っている。

 不意をつかれたのは己の責であるが、囚われた己からあっさりと意識を外すその対応。一度も振り返らず、触りもしない。その年頃の思春期ならば持っているだろう異性への興味、だが、あの少年はまったくその対象として自分を見てやしないのだ。それがまったくもって気に入らない、それが元々の戦闘狂な性格も入り混じって、これから何度も挑ませる闘争の源泉となった。

 

(つ、ちゅぎこそは……! 仕留めて見せるんだかりゃ……南宮クロウ!)

 

 

 

 

 

 そして、六刃との戦闘を見ていた“焔光の”影。

 

「くふふ……朝から面白いものが見れた。我が血族(むすめ)たちもあれは危うい。“世界最強の吸血鬼”たる(ワタシ)にも届きうる牙を持っているとディミトリエ=ヴァトラー――懐かしの我が盟友から忠告されたしの。これは<蛇遣い>と同様に舞台からしばし強引にでも退場させておくべきか、判断に悩むなぁ『十三番目』」

 

 

彩海学園 中等部

 

 

『『抹消地区』ってとこで事件が起きたのだ。ご主人が言うにはすっごい魔力のぶつかり合いが特区警備隊に検知されたっぽい、明日は一緒に登校できないかもしれない』

 

 と同級生の男子生徒からのメールを寝る前に確認したせいで、気が抜けていたかもしれない。

 ここのところ早起きを心掛けていたのだけど、寝過ごした。いつも寝坊助な兄に起こされるくらい寝坊して、それで慌てて身支度を済ませて家を出た。髪を結い上げる時間もないくらいなのだから、朝食の準備もできず、途中のコンビニに寄って菓子パンを購入する余裕もない。兄の古城がそれに文句をぶぅたれてたけど、仕方がない。こっちだって一限目は体育なのでしっかりと朝ご飯を食べて体力はつけておきたかったのだ。そうして、お隣の雪菜とも一緒に通学路を走って、どうにか凪沙はギリギリ始業時刻開始前に間に合った。

 

「? なんかいつもよりも騒がしい気がするね雪菜ちゃん」

 

「そうですね。何かあったのでしょうか?」

 

 高等部の古城と別れ、雪菜と一緒に中等部校舎に入ると、校舎内は、どこか浮ついた、いつもよりもざわめいている気配。歩きながら耳が拾った会話によると、何でも今日、当初の予定になかった短期留学生がまとめて7人もやってきたのだ、という。そしてその中には、あの『オシアナスガールズ』というここ最近、動画投稿サイトではやっている『戦王領域』出身の女性五人組ボーカルユニットである等。

 凪沙も見たことがある。チア部でその投稿動画が流されたのだ。そこに映し出されたのは、可愛らしい衣装に身を包んだ外国人の女性グループで、年齢は凪沙たちと同じくらいのローティーンから二十歳前後。歌と踊りは素人くさくて、ダンスならチア部も負けてないと皆でカクカクしたダンスを真似ては騒ぎ合った記憶がある。それでも5人とも日本人受けの良い美少女であるから、雑誌で取り沙汰されている。

 

「へぇ、有名人が彩海学園に来てるんだ! ちょっと時期はずれな気がするけど、絃神島に『夜の帝国』からの短期留学生が来るのは珍しくないし、私たちのとこにも来るかな?」

 

「ええ、そうなるかもしれません。けど、“オシアナス”……これはアルデアル公の差し金……」

 

「どうしたの雪菜ちゃん? 急に考え込んじゃって? あ! ひょっとして、古城君の心配?」

 

「あ、え、はい、先輩と関わり合いそうというか……」

 

「大丈夫だよ。古城君、アイドルとかそういうのあまり興味がないみたいだし、それに雪菜ちゃんの方が美人さんだよ! もう古城君が相手じゃ勿体ないくらいの」

 

「いや、違いますよ凪沙ちゃん。私は別に―――」

 

 この件に関しては中立な立場であるも、このくらいのエールは良いだろうと凪沙が励まし、それにどう誤解?を解こうかしどろもどろに言い訳をする雪菜。二人が会話をしながら教室の引き戸を開けると、

 

「―――う。姫柊、凪沙ちゃん、おはようなのだ。今日は遅かったな……ん?」

 

 褐色の肌をして、赤銅のような赤茶の髪をした少年、耳付き帽子首巻手袋法被と常夏でもしている厚着装備をその枷のような『首輪』を隠す首巻を除いて学内では外している。だから上半分だけれどその精悍で整った顔立ちや細いけれど引き締まったその二の腕とかが見れて、慣れないうちは視線を合わせるのも大変だったけれど、それも過去の話。凪沙は元気よく、そして雪菜は丁寧に挨拶を返す。

 

「おはよう、クロウ君!」

「おはようございますクロウ君」

 

 凪沙たちは鞄を自分の机に置く。前後左右男女が挟み合う市松模様に決められた席位置は、クロウがだいだいクラス内真ん中の列、その最後尾から二番目の席で、その左に雪菜が、そしてクロウの背後の最後尾に凪沙の席がある。

 

「いやー、目覚まし時計を止めた後、二度寝しちゃったみたいなんだよね。普段は滅多にそんなことやらないんだけど、ほら、猿も木から落ちる的な」

「む、凪沙ちゃんはサルなのか?」

「うん、人間は元々サルだった―――って、誰がサルやねーん! もうクロウ君は。あ、ちなみにサルと類人猿の見分け方はね、尻尾があるのがサルで類人猿には尻尾がないんだって」

「じゃあ、尻尾出せるオレはサルなのか。むぅ、でも、今は尻尾がないし、どうなのだ?」

「うーん、どうなんだろ? でも時々尻尾があるヒトもいるみたいだし、おサルさんじゃないんじゃないかな。それから、あと類人猿で泳げるのはヒトだけなんだって、これ豆知識ね」

「おー、またひとつ賢くなったぞ。感謝するのだ凪沙ちゃん」

 

 寝坊からのショックの立ち直りからか、いつもよりもハイテンションで口数の多い凪沙と思ったことをそのまま口にしてしまうクロウとの、ボケとツッコミまである会話の速度にやや置いてけぼりな雪菜。ただ、この薄く頬を染めながら、彼を見た途端にパァッと顔を明るくした友人を止めることはできないと一歩離れた位置でそれを見守る。このままいくと他愛ない話で朝のHRまで喋り通すことになったが、そこで凪沙が話題を変える。

 

「そういえば、クロウ君、昨日は事件があったってメール送ってきたけど、もう大丈夫なの?」 

 

「ん。まだ解決してないんだけど、『最近、出席が取れてないから学校でも見張っていろ』ってご主人から許可をもらったのだ。朝、またちょっと絡まれたけど、学校に遅刻しないで登校できたんだぞ」

 

 そのクロウの報告に、雪菜が食いつく。監視役として先輩に張り付いていなければならないけれど、それでも国家対魔導テロ機関の一員である。情報源が獅子王機関の定期報告しかない彼女としては、この現地で、しかも国家攻魔官直属で警備隊の仕事をしているクロウからの新鮮な情報が欲しいところなのだろう。

 獅子王機関は商売敵という主人の南宮那月からは先輩を通してでないと情報は得られないけれども、同じ級友であるクロウからは雪菜からでも話せるのだ。

 

「その昨日の事件とは……?」

 

「んー……『抹消地区』ってトコで起こった事件だからニュースにはなってないんだけどな、おっきな力のぶつかり合いがあったのだ。聞き込みしてたら、ぶっ倒れてた巨人のオッチャンから『『蛇』がでてきた』、ってなー」

 

 『蛇』―――つまりは、アルデアル公ディミトリエ=ヴァトラーか。

 今の会話から得られる情報は多い。

 <蛇遣い>が暗躍している、そしてそれと対等かそれ以上の相手がいた。それで南宮那月は自らの使い魔に学校の警護を任せたのだろう。おそらく、先輩が巻き込まれるとみて。

 

「はーい、みんな席についてー、出席取るよー」

 

 チャイナ服をきたクラス担任の女教師笹崎岬が入って、会話は中断。あとで凪沙がいないところでクロウから話を聞き出そうと決めて、雪菜は自分の席へ着く。

 

「それで今日は転校生を紹介してみたり」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!』

 

 笹崎の言葉に色めき立つクラス。特に男子。それは朝、噂になっていたネットアイドルの短期留学生を期待してのことだろう。

 

「失礼します」

 

 そして、クラスに入ってきた転校生はその期待に応えた。

 珈琲のような褐色肌に、幼女以外がしているのを滅多に見ない髪型の、茶髪の髪を黄色にリボンでくくったツインテール。

 

「『戦王領域』から来ました。『オシアナスガールズ』のラナでーす。よろしくね♪」

 

 そしていかにも無邪気でございと言った甘ったるい声を恥ずかしげもなく投げながら、しかしながら礼儀正しく品のある一礼を見せる美少女。雰囲気に滲ませるのは、生まれの高貴さを感じさせる類いの美しさである。そう、ついこの前に来訪したアルディギアの第一王女に通じるものがある。

 

「え? 嘘? 本物?」

「ヤバい、予想以上に可愛い」

「同じクラスになるなんて夢みたい」

 

 クラスメイト達がボソボソと小声で囁き合い、驚きと喜びを広げていく。

 そんな中で、雪菜は予感していた『オシアナスガールズ』の正体に確信を得る。

 彼女たちは、『戦王領域』周辺諸国の王族や重心の娘であり、祖国の不可侵条約のために、アルデアル公に差し出した人質。しかしながら、戦闘狂で女に興味のないヴァトラーには見向きもされず、一応、単なる客人として扱われている。

 で、先輩に眷獣を覚醒させるためのエサとして彼女たちを利用したり、また彼女たちも彼女たちで、<第四真祖>の力を下剋上の道具として利用しようと狙っている。

 ―――そう、あの『波朧院フェスタ』に<オシアナスグレイブⅡ>の大浴場で古城に対し、『子種が欲しい』と告白したのを、式神飛ばして監視していた雪菜と紗矢華は聴いていた。

 

(まさか、学校にまで来るなんて……)

 

 同じ学校に通うとなればますます接触する機会は増える。

 これは、『第四真祖の監視役』として看過できない。これは一層、先輩の監視を厳重にしなくてはと……自然と眉間に皺が寄り、表情を険しくする。

 そんな大半のクラスメイトらの好奇の視線と中等部のお姫様な女子生徒からの僅かに細められた厳しい目を受けながら、件の『オシアナスガールズ』のラナの、長い睫毛に飾られた碧眼は、ジッとクロウを見つめていた。

 

「?」

「む……」

 

 見られている。それに真っ先に気づいたのは当人と、その後ろの席にいた凪沙。気づいた反応に、ラナは目と唇をにっ、と微笑の形をした。

 

「先生、私、ここの席でいいですか?」

 

 彼女が要望したのは、笹崎教師が指定した委員長オブ委員長の甲島桜の斜め後ろにある空席ではなく、南宮クロウの右隣の席、今、シンディこと進藤美波が座っている席位置。

 

「んー、席は生徒たちの自由だったり」

 

「そう。ね、譲ってくれない?」

 

「え、あ、私?」

 

「はいー、そうですお願いします。私、ここがいいんです」

 

 転校してきたアイドル美少女に頼まれるだけでもプレッシャーを感じるものなのに、相手を頷かせてしまう高貴な気配。その声は甲高くはあるが最初の挨拶のように甘ったるくはなく、むしろ密かに圧迫するような威圧感を覚える声だった。ディフェンスの戻りとレイアップの切り込みが得意な女子バスケ部部員は、足は速いが、押しには弱い。このゴール前センターと密着して抑え込まれてるようなプレッシャーに負けて、委員長の下へ向かった。

 

(ひょっとして、彼女が狙っているのは先輩だけでなく―――)

 

 あのヴァトラーが最愛の吸血鬼といった<第四真祖>、その“エサ”として送ってくる相手なのだから、高い霊媒素養を持つ。そして、人質であるが、その実は王族。

 これは、同級生の<禁忌契約>が二つも適用されるのではないか。

 つまり、

 

(―――アルデアル公から送られてきた、クロウ君――<黒妖犬>への『楔』)

 

 

 

 実際、この姫柊雪菜の推理は結構当たっていたりする。

 違うのはこれがヴァトラーの意図したものでないということだ。彼は有望な敵対者を強くしようと育てることはあるが、その逆に縛るような真似はしないのだ。

 だから、これは『オシアナスガールズ』たちの独断。反逆のために力を得ようとする彼女らは<第四真祖>暁古城に注目したが、そこからその後続機である南宮クロウにも目を付けた。<禁忌契約>のことを知り、高い霊媒素養と王族である自分らに、<黒妖犬>は絶好な駒。しかも、『あのアルディギアの第一王女の誘いを蹴った』ということから、ラ=フォリア=リハヴァインをライバル視する最年長(19歳)のヴィカ――アッセントのヴィクトリア王女は、『これで<黒妖犬>を従えれれば、あの世の中を舐めきった腹黒な姫君よりも上』といって燃えている。というわけで、年齢上、古城のいる高等部へは入学できず省かれていたが、しかし都合のいいことに<黒妖犬>と同年代であることから、最年少のラナがその攻略を任された。

 そんな背景があって、メンバーから離れてひとり、『黒妖犬の服属』のミッションにやってきたラナだが、実は内心わりと緊張していたりする。

 

(相手を屈服させたいのなら最初が肝心、そうヴィカが言っていたわ)

 

 いつも年長者として先頭に立つヴィカ、ヴァレリア、マルーシャ、ミスリナらに任せて、ひとりで動くことがなかったラナ。そして、それが籠絡せよと与えられた標的は、<黒妖犬>……

 契約に縛られて、こちらに手出する危険性はほとんどない。そう聞いている。だが、『波朧院フェスタ』のとき、あの『魔人』となったクロウの気に当てられて、泡を吹いて失神して、そして、失禁しかけた記憶がラナを縛ってくる。

 最初が肝心。そう、最初にあの『魔人』と遭遇さえしてなければよかった。これはラナと同じように<黒妖犬>を恐れた他四人の王女らから最年少のラナに押しつけられたような形だともいえる。

 だが、『オシアナスガールズ』は下剋上を誓う王女集団。そのためにアイドルの真似事をしたり、自らも戦えるよう銃器の練習に情報工作のハッキングまで習っているのだ。ここでラナが見事に<黒妖犬>を支配下に置くことができれば、それは『オシアナスガールズ』の中でも一気にトップに立つことになるだろう。そう考えると燃えてくるものがある。

 

(今はヴィカが年上だからリーダーやって仕切ってるけど、おかげで年下ってだけで<第四真祖>暁古城様の子種優先権で私が一番最後にされた。でも、ここでラナが<黒妖犬>を駒にできれば『オシアナスガールズ』はラナの天下布武になる。ううん、アルデアル公をぶっ殺して、私を売った祖国に復讐もできるかも)

 

 がっちりと『良い子』の化けの皮を被りながら、打算的な考えをする最年少。しかしそれは捕らぬ狸の皮算用であった。

 

「隣同士、よろしくね♪」

 

 と可愛らしく作った、ぶった笑みで差し出した右手。一応、ラナの席位置からして反対側にはアピールしてる高清水君がいるのだが、そちらには完全に背を向けている。

 だが、その手は、

 

「―――うん! よろしくねラナちゃん!」

 

 クロウの後ろから、机より身を乗り出して伸ばされた暁凪沙の手に、掻っ攫うように掴まれた。ぶんぶんと握手を上下に振りながら、にこやかに笑顔を交わす。アイドルの登場に興奮した女子生徒が飛びついたとも見える図。だけど、やはり周りが戸惑うくらい無理があったもので、

 

「え、っと、あなたは……」

 

「私は凪沙……あ、ごめん。なんか邪魔しちゃったみたいで。ごめんね」

 

 パッと手を離された。無意識の行動だったのか、凪沙自身も戸惑っているようで、あれ? どうして私こんなこと……と首を傾げている。

 して横槍を入れられて、出鼻を挫かれたラナだが、営業スマイルは保持しており、根気よく再度握手を求めようとした―――ところで、

 

「はーい、自己紹介も終わったみたいだし、次は体育だから早めにSHR終わらせてみたり」

 

 時間切れ。

 手を差し出したポーズのまま固まっているラナ。そこへ、

 

「初めまして、私クラス委員の甲島桜。案内するからついてきて」

 

「へ、あ、私は折角ですからこの方にお願いしようかと……」

 

「残念だけどクロウ君は男子だから女子更衣室の案内はさせられないわね」

 

 クラス委員の甲島桜がまだ慣れてない転校生の世話係を買って出て、更衣室へ付き添おうかと声をかけ、断り切れずに連れていかれた。

 

 

 

 一方、蚊帳の外?であったクロウは、教室を出ようとしていた担任教師を捕まえていた。

 

「? どうしたのクロウちゃん。ひょっとして、先輩から何か伝言だったり?」

 

「師父、やっぱり凪沙ちゃんの体調が悪いぞ。すぐ病院に連れて行った方が良いのだ」

 

 

MAR

 

 

 暁凪沙が絃神島に来たのは、事故が原因だと聞いている。それがトラウマとなるほどの魔族がらみの事故で重傷を負った彼女の治療は、皮肉にも『魔族特区』の技術を利用しなければならないものだった。

 

 一年生の時は半分くらいしか学校に来られず、普通に通えるようになったのは、去年の秋ごろから。

 ―――それから間もなくして、先輩は、突然、<第四真祖>の力を手に入れた。

 

 世界最強の吸血鬼の力を一体どのようにして手に入れたのかは、その当人さえも憶えていないようだが、妹である凪沙の快方と何らかの重要な関わりがあった可能性が高いと剣巫の直感が告げる。

 あの『波朧院フェスタ』で会話を交わした、凪沙に乗り移っていた謎の霊体。操られていた<黒妖犬>を単身で押さえると豪語した彼女に、強大な魔力の波長を覚えたのだ。『旧き世代』の最強クラスか、あるいは真祖の眷獣に比肩するほどのものを、だ。

 どうしてかは知らない。だが、無関係ではないはず。

 そして、その答えを、おそらく、“彼”は知っているのではないだろうか。

 

 

 

 SHRの後、暁凪沙は状態をいち早く察知した南宮クロウに、マグナ(M)アタラクシア(A)リサーチ(R)社の医療研究所付属病院へ運ばれた。

 暁家の母親である暁深森――医療部門の研究主任で愛娘の主治医が、診断されたところによると、危うく意識が昏倒するくらいに体調が悪化していたとのこと。ただし、倒れる前に処置できたことで、問題なく、即日で退院できるのだそうだ。

 

 凪沙が病院に運ばれたことを雪菜から、そしてその後の経過報告を研究所についてすぐ深森の助手スタッフから聞いた古城は、ほっと胸を撫で下ろす。

 特別医療棟に運び込まれているため、直接見舞いはできないけれど、専門家がついているのならば安心できる。

 

「すみません……私が一緒にいたのに、凪沙ちゃんの体調のこと、言われるまで気づけなくて」

 

「いや姫柊を責めるわけないだろ。それを言うなら、俺の方がもっと悪い。あいつが寝坊した時点で、体調が悪いのを疑っとくべきだったんだよな。あいつが身体が弱いのは、今に始まった話じゃないんだし」

 

 不注意でしたと責任を感じている雪菜を慰めつつ、古城も自戒する。

 寝坊したこと、登校中にふらついていたこと等、妹の不調に気づく機会は何度もあったのに、家族である古城が気づけなかったのは怠慢であるに他ならない。口数が多いくせして、滅多な事では泣き言も弱音も口にしない妹であることを、古城は知っていたはずなのに。

 

「まあ、クロウがすぐ凪沙ちゃんの不調に気づけたみたいだし。そうそう、この前も口臭嗅いだだけで、食事の献立を言い当てたのよ。健康のためにも一家に一人は欲しいわよね」

 

「クロ坊は、病気探知犬以上に『鼻』がいいし、聴診器を当てるよりも確実だ。頼れる後輩が同じクラスで儲けものだったな。あとで何かご馳走してやれよ。なんなら、金を貸してもいいぞ」

 

 消沈する古城らを気遣うような声をかけたり、明るく茶化そうとするのは、浅葱と矢瀬。

 彼らも凪沙のことが心配で午後の授業をサボって古城たちと一緒に病棟へ来たのだ。他に二名ほど、今日、学園にネットアイドルグループ五人組と一緒に留学してきた吸血鬼の『貴族』二人組がついてきているが……

 

「俺は自分の役目を果たしているだけだ。おまえの妹を見舞いに来たわけじゃない」

「はい。ですから、自分たちのことは気にしないでください」

 

「気にするわ!」

 

 ったく、と関係のないギャラリーの多さに古城は乱暴に舌打ちしたが、それでも彼らを追い返す真似はしなかった。吸血鬼のふたりは除くとして、浅葱や矢瀬が凪沙だけでなく、古城のことも心配してついてきたのだということに薄々勘付いたからだ。

 

「でも、凪沙ちゃんの怪我って……完全に良くなったわけじゃなかったの?」

 

「ああ、普段の生活には支障はないんだけどな。定期的にチェックが必要だって言われてる。まだ薬もいろいろ試してるみたいだし」

 

「そっか……大変だね」

 

 それでも退院してからは、倒れることはなかった。何度か今日のように倒れかけたことはあったが同じく『鼻』のいい後輩にフォローされた。感謝しても仕切れない。

 

「……んで、クロウはどこに行ってるんだ?」

 

 妹の見舞いに足繁く通い、見慣れた病院待合室のロビーに後輩はいない。スタッフの人にも訊いたが、凪沙をここに届けてから、どこかへ行ってしまったようなのだ。

 

「特別医療棟は、家族でないと立ち入り禁止のはずですし……」

 

「あいつが単独行動してるって何か不安になるんだよな」

 

「先輩に言われると、そんな気がしてきました」

 

 頼りになるけど、目を離していると不安になるのは何だろうか。

 連絡手段も携帯電話をアスタルテに預けてしまっている。大声で名前を呼べばどこからともなくやってきそうな気がするものの、それは最後の手段に取っておきたい。とりあえず、後輩が行きそうなところは古城に心当たりがあるのだ。

 

「食堂に行ってみるか」

 

 昼休みになってすぐ学校を飛び出したせいで、古城たちは昼食を済ませていない。当然、後輩もだ。南宮家のエンゲル係数に大きく貢献している『鼻』の良い大食漢ならば、美味しそうな食い物のある場所をすぐ感知するだろうし、このMAR医療部門付属病院にはここのところ週一で通っているのだろうから確実に知っている。

 そう、このMARの社員食堂は……

 

「え!? もしかして奢ってくれるの古城! MARの社員食堂って、絃神島のグルメガイドにも隠れた名店として紹介されてるのよね」

 

 と目を輝かせる情報通な浅葱の言うとおり、ここのメシは結構うまい。古城も部活帰りに凪沙の見舞いに寄って帰りが遅くなったら、この隠れた名店のお世話になっていたりする。

 

「いや、クロウには奢るつもりだが……まあいいか、どうせうちの母親のツケになるしな」

 

 他人の奢りとなれば容赦なく本気で注文しまくる痩せの大食いの浅葱は、ファミレスのランチプレートくらいなら、4、5人分くらいは余裕で食べる。その美食家で大食いな女子高生と張り合えるほど胃袋ブラックホールな後輩男子との組み合わせは、破産確実となるので回避一択ではある。が、ここは母親の職場で息子の古城も顔パスで通じるくらいなのだから、融通が利くはず……

 

「ふん。貴様と馴れ合うつもりはない。オレたちは別行動させてもらおう」

「すみません。自分も失礼させてもらいます」

 

 その際、吸血鬼のふたりとは別れた。

 彼らは先に言っていた通り、失踪した主人ヴァトラーの命で、古城を護衛している。

 後輩とは違う意味で、ヴァトラーの単独行動は不安だ。無限の近い寿命を持つ吸血鬼の貴族は、最高の暇潰しとして、自らの命を脅かすほどの強敵をとにかく欲する。その周りにははた迷惑な性質が、あの男は誰よりも強く、その欲求に素直だ。

 そんなヴァトラーが姿を消す。戦いそのものを娯楽とする戦闘狂には、似つかわしくない行動。<第四真祖>という『世界最強の吸血鬼』の脅威となるほどの者がいるのならば、部下に護衛などさせず、自らが真っ先にそいつに戦いを挑むはずだ。

 それから、腹の調子が悪いと矢瀬も吸血鬼たちに続いて別れたところで、浅葱が訊いてきた。

 

「……ねぇ、いい機会だし、そろそろ教えてくれない? 古城と姫柊さんがどういう関係なのか? 古城は何を隠してるのか? ヴァトラーさんと古城って、ホントにそういう関係じゃないのよね?」

「―――そういう関係ってどんなだ!?」

 

 ここが病院内であることを忘れて大声でツッコミを入れる古城。あの『波朧院フェスタ』から浅葱は古城とヴァトラーの関係を疑っているらしい。一方通行な片思いで、それも古城ではなくて古城の流れる世界最強の吸血鬼の血にヴァトラーは執着(こい)しているのであって、完全に誤解だと言い切れないのが、少々厄介だが……

 

「俺にそういう趣味はないって前にも言っただろ!」

 

「だって、古城、さっきのキラさんと何か見つめ合っちゃってるし」

 

「それは喧嘩を売ってくる相方(トビアス)と比べて温和で、趣味(はなし)が合うからだけで、そんなトキメキはない!」

 

「それに、ここ最近、古城×クロウが流行ってるってお倫が言ってるし」

 

「築島ァ! やっぱあいつとは一度話し合った方が良いようだな!」

 

 勘の良いヤツだとは思っていたが、ひょっとして彼女は腐っているのだろうか。もしそうだとすれば、なんていやな新発見だ。とかくそれ以上根も葉もない誤情報(デマ)を流されるのはたまったものではない。

 眉間を指で押さえて古城が大きく鼻を鳴らすと、雪菜が浅葱の視線を真っ向から受け止めて言う。

 

「わかりました。藍羽先輩が知りたいことお話します」

 

 お、おい、と彼女の意外な返答に古城は驚き戸惑う。

 以前、浅葱に打ち明けるか相談した際に、それに難色を示したことはなかったが、雪菜の口からそれを言うとは思ってなかった。獅子王機関はれっきとした政府機関であり、雪菜も国家資格を持つ功魔師なのだからバラしても問題はないのだろう。その身分を隠していたのは、どちらかと言えば古城の立場に配慮してのことだ。

 

 古城が最も気に掛ける凪沙――重度の魔族恐怖症(トラウマ)を抱える妹に、兄の正体が吸血鬼であることを知られないように。

 

「でも、その前にひとつ、私のお願いを聞いてもらえませんか?」

 

「へぇ、いいわよ。何よ言ってみなさい」

 

 目に見えない火花を散らして睨み合う雪菜と浅葱。

 重々しい圧を発する両者に挟まれた古城は、頭の中で危険警報がけたたましく鳴らされている。

 

「藍羽先輩に調べて欲しいことがあるんです」

 

 藍羽浅葱はその華やかな外見からは想像できないが、その正体は<電子の女帝>などと呼ばれる世界有数のハッカーだ。その気になれば、北米連合(NAU)情報局の最重要気密ファイルにも平然とアクセスしてみせるだろう。

 雪菜はその浅葱にひとつ頼みごとをする。

 

 

「4年前の事件。

 先輩と凪沙ちゃんが遭遇したというテロ事件、それが本当にあった出来事なのかどうか。そして先輩たちが本当に巻き込まれていたのかどうかということを」

 

 

回想 人工島北地区 研究所街

 

 

 気高き領主の最後の血族として、姉様の遺志を継ぐ者として、この『宴』を勝ち抜き、あの男を殺す―――

 そのためならば、何でもする。そう決めたのだ。

 

 

 黒いコートを翻して疾走する見た目の年齢は17、8の女性。その真紅の瞳は、吸血種の証。絹のように艶やかなブルネットの髪を振り乱しながら、恨み言を上げる。

 

「話が違うわよ、暁深森! 警備を甘くしておいてくれるんじゃなかったの……!?」

 

 密約を交わした共犯者の手引きで侵入し、“真祖殺し”をもって『妖精の柩』に閉ざされた『眠り姫』の封印を解いたところまでは良かった。だがその際に侵入者警報が鳴り、防衛設備が作動。次々と迫ってくる警備ポットは、眷獣で払っても払っても数が減るどころか増えている。何故、ちょっとした軍隊並の武装兵力を有することを許可したのか、一領主の娘だったものとして、この人工島の管理公社に文句を言いたい。

 

「上手く連れ出してよ、暁古城……あの牙城の息子なんでしょ!」

 

 自分は“陽動(おとり)”。これからの『宴』に肝心な『十二番目(ドウデカトス)』は、偶然に居合わせた少年に任せている。だから、果たすべき役目はここで暴れて、注意を引きつけること。

 

「―――お願い、<ガングレト>、<ガングレティ>!」

 

 全身3m近くに達する魔犬が二頭。炎を撒き散らす三つ首の魔犬(ケルベロス)双頭の魔犬(オルトロス)。これが自分の従えている切り札の眷獣のすべて。

 そして、三つ首の魔犬に機銃弾をばら撒いてくる設備の防犯警備への壁役をさせ、双頭の魔犬に対魔族の結界が張られている研究所の防護塀をぶち破らせ脱出のための突破口を開かせる。

 そして、敷地を出たところで追跡はされなくなった。

 とはいえ、生まれて百年にも満たない、『旧き世代』と呼ぶには未熟な吸血鬼に二体同時使役は酷なもので、おかげで霧化して長距離を移動するだけの魔力はない。

 二体の眷獣召喚を解除し、ぜえぜえと荒い息を吐きつつも、『無事に『王』の覚醒――『宴』への参加資格を得られたのだ』という達成感が胸を満たす。

 だが、まだだ。

 名門貴族である自身の生家が管理してきた、世界に三本しか存在しない『メトセラの末裔』のみが扱える『天部』の遺産――魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を切り裂く聖槍を用いて、ようやく立てたのは、スタートライン。

 これから、『十二番目』を除く、11の『王』すべてを打倒しなければならない。

 

「魔族登録証なしじゃ、店にも入れないし……『魔族特区』ならそのへん憂慮しなさいよ。これだから“昼側”の人間の街は……

 あー、それに暁古城と合流場所も決めてなかったわね。

 けど、リアナ姉様、私は必ず一族の無念を晴らして―――」

 

 『戦王領域』カルアナ伯爵領主――故フリスト=カルアナの娘にして、最後の生き残りヴェルディアナ。

 参加資格を得た彼女の最初の一歩目は、

 

 

「施設襲撃。市街地での眷獣召喚に魔族登録証の不携帯。

 ―――魔族特区条例法に基づき、オマエを逮捕するのだ」

 

 

 いきなり躓くことになった。

 

 

 

「きゃ―――!?」

 

 いきなり声を掛けられて、慌てた女吸血鬼だが、走り疲れた足がもつれて、バランスを崩す。そのまま尻餅をついて、尾骨あたりを打った、痛々しい音を立てる。

 

「痛たたたたた……!」

 

 後頭部を押さえたまま上体を起こす、涙目な女吸血鬼。三歩分――5mほど距離を置いて、目の前にいたのは、耳付き帽子に首巻に手袋にコートと完全防備な少年。『戦王領域』出身の女性としては比較的小柄なヴェルディアナだが、そんな彼女と同等くらいの、おそらくこの日本の中学生くらいの身の丈で、しかし息を呑ませる気配を漂わせている。

 で、その位置はちょうど、尻餅をついたヴェルディアナのスカートの中身が見える、丸見えになるところであった。ヴェルディアナは気づいてすぐスカートを押さえて、

 

「見たわね!?」

 

「う。見たけど、なんだ?」

 

 その中学男子には少々刺激の強い黒いレースのガーターベルトに、少年の方は無反応。じーっと声を掛けただけでずっこけた女吸血鬼の様子を見てるだけ。

 

「な、なんという、カルアナの娘である私に、なんという恥辱―――! というか、ちょっとは目を逸らすとかしなさいよ!」

 

「んー、いきなり声をかけて、びっくりさせちまったのは謝るけど、犯罪したヤツから目を離すなんて真似をするわけないだろ?」

 

 ごもっともな正論を返されて、顔を真っ赤にして全身を震わせるヴェルディアナ。そして、この顔も見えぬ厚着な少年は、こちらを捕まえようとしてることを理解する。つまりは、障害。

 

(この島の警備隊っていう雰囲気でもないし、こうなったら眷獣を喚んで、脅しかけてやるわよ)

 

 ついでに鬱憤も晴らす!

 こんなところで捕まるわけにはいかないヴェルディアナは、眷獣の召喚を決め、疲れた身体に鞭打って腕を振りかざす―――そんな感情を先読みしたかのように。

 

「お願い―――」

「だめだぞまた召喚するのは」

 

 振りかざして腕を掴まれた。こちらが腕を動かすよりも早く、5mの間合いを潰した脚力。吸血鬼の動体視力でも挙動を見逃す。そして、驚きに動きが止まってしまっている間に、少年は腕を取ったのと逆の手で、ヴェルディアナの顎を掠るように叩く。

 

「あがっ!?」

 

 ぐらり、と視界が揺れた。苦痛は思ったほどないが、酩酊したように平衡感覚が失われる。脳を揺らされたのだと理解する。直接的な負傷が与えられたわけではないだけに、吸血鬼の回復能力も役に立たない。

 

『“蝙蝠”はまずは本体。できるのなれば、その頭を揺さぶってやれ』

 

 ―――ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱっ!!

 主人より魔族狩りを仕込まれた少年は、一度だけでは終わらず、そのピンポイントで顎先を狙う軽めに手加減したおうふくビンタで徹底的に揺らす。連打で揺さぶる。ヴェルディアナは抵抗することもできずに遠のきかけた意識を必死で繋ぎ止めようとするも、眷獣を召喚するための気力までは持てなかった。

 

「ん。このへんでいいか」

 

 そうして、自分で立つこともできず、またもこてんと倒れる女吸血鬼。女性を相手にグロッキーに目を回すまで攻め続ける容赦のなさ。一応、多少頬を腫らす程度に抑えるくらいの手心は加えたつもりではある。

 

「ああ……いけません。いけませんねぇ、嘆かわしい」

 

 そして、ヴェルディアナを揶揄するように、どこからともなく芝居がかった声が聞こえてきた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 獣人至上主義『黒死皇派』の<死皇弟>ゴラン=ハザーロフから、『十二番目』の<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>を、命を賭して護った姉のリアナ=カルアナ。

 だから、カルアナの一族、その最後のひとりであるヴェルディアナ=カルアナは『十二番目』に賭ける権利がある。

 それがこんなところで―――それも一族の仇に嗤われるなんて……!

 

「落ちこぼれたとはいえ、『戦王領域』の貴族たる吸血鬼のご令嬢が、そのような無様を晒してはいけません。その散り際も優雅に振る舞わなければ」

 

 声の主は、カイゼル髭を生やした痩身の中年男性。肌は土気色しており、目元は線のように細くその感情は読めない。狡猾なキツネを連想させる男。

 両脇には黒装束に全身を包んだ不気味な男たちを控えさせている。

 異常なほどに手脚が長く、肩の筋肉が不可解に盛り上がっている。獣の頭骨を模した仮面で顔面を覆い、剥き出しの分厚い唇からは、異様に巨大な乱杭歯が生えている。

 

 『匈鬼』。極東の魔族特区にはいないはずの吸血種の出来損ない。

 

 眷獣を召喚できない下等な吸血鬼一族は暴力的で略奪を繰り返す、純血の吸血鬼らには侮蔑の嫌悪の対象。そして、ヴェルディアナの一族は『匈鬼』と領地を巡り数百年に及ぶ争奪戦を繰り広げており、ヴェルディアナの父親は、奴らとの戦闘で命を落とした。

 

「しかし、まさかあのくだらない噂が本当でしたとは。いや、ね。戦場での、あまりの不甲斐ない死に様故に、戴くべき王はおろか、領地すら失ってしまった間抜けな貴族の末娘が、未練がましくも新たな<焔光の夜伯>を蘇らせて、『焔光の宴』に参加するつもりなのだとか―――いや、実に滑稽だ」

 

「……黙れ! 薄汚い『匈鬼』ごときが、父上を侮辱することは許さぬ!」

 

 その時のヴェルディアナの怒りは、混乱を蒸発するほどの沸点に達していた。激情に任せて召喚された三つ首の魔犬(ケルベロス)が炎を吐き散らしながら、カイゼル髭の男に襲い掛かる。

 しかし魔犬の攻撃は届くことはなかった。

 左右に控えていた『匈鬼』が動き、腕や肩に内蔵されていた刃で魔犬の突進を食い止めたのだ。

 下等とは言えれっきとした吸血種である『匈鬼』は、眷獣が血に宿ってはいないにしても、その魔力の容量は魔族の中でも上位にある。『匈鬼』は魔力を増幅させる魔器を体内に埋め込むことで、自らを武器にして戦うのだ。

 そして、魔力を帯びた刃を、消耗しているヴェルディアナの眷獣では弾き返すこともできない。

 

「どうしました? ご自慢の眷獣の力はこの程度ですか?」

 

 愉快そうに首を傾げて訊いてくる男に、女吸血鬼は歯軋りさせる。

 

「実を言えばね、我々はあなたに感謝しているのですよ。ヴェルディアナ=カルアナ。あなたが『十二番目』を復活させてくれたおかげで、我々は新たな殺神兵器を手に入れることができる」

 

 『匈鬼』を従えるカイゼル髭の男の目的は、『十二番目』――アヴローラ=フロレスティーナの強奪。ヴェルディアナが目覚めさせるのを虎視眈々と待ち、そして用済みなった今、こうして処分しようとしている。それに抗う力はもう、今のヴェルディアナには残されていない。

 そうして、膝をついて屈する女吸血鬼を見下ろすと、男は右側の『匈鬼』に目配せする。『匈鬼』は無言で頷くと、手首に埋め込んだ銃口をヴェルディアナに向ける。

 

「あなたの役目はもう終わりです。せめてもの感謝の形として、ご両親や姉上と同じところに送って―――「おい」」

 

 そこで、厚着の少年が声を上げて、『匈鬼』の腕銃の射線上に割って入った。しかもそちらに背を見せて。そして、ヴェルディアナを見て、

 

「オマエ、街中での眷獣の召喚はダメだって言っただろ。二度も警告させるのはレッドカードなんだぞ」

 

 こんな状況の最中に注意する少年。ヴェルディアナは、思わず呆気を取られて、ぽかんと口を半開きで呆けてしまう。そして、わなわなと顎を微動させながら、震える声で、

 

「あ、あなたねぇ……状況、解ってるの?」

 

「う。わかってるぞ」

 

「わかってないわよ! あなた、今殺されるかもしれないのよ!」

 

 巻き込まれた少年に、ヴェルディアナは怒声を浴びせて、そして、カイゼル髭の男は大きく笑い声を発した。

 

「はーはっはっ! ―――しかし、部外者である一般人を巻き込むのは『宴』の(ルール)に抵触するのでね。『采配者(ブックメーカー)』に介入されるのは面倒です。

 少年、一度だけ警告してあげましょう。その女吸血鬼を置いて、ここから立ち去りなさい。さすれば、命は助かるでしょう」

 

 振り向いて、ヴェルディアナを背に庇うよう、立つ少年は、その警告を無視して逃げようともせず、そこに立ち続ける。

 

「ちょっと、あなた、こいつは本気で―――」

「? 何を言ってるのだ。オマエらも、魔族登録証持ってないし、武器まで携帯してる。オレが見逃すわけがないだろ」

 

 失笑して、男は、構わずやれと少年に向けて指を振る。

 『匈鬼』の魔力を塊にして撃つ気硬銃弾。当たれば、人間の体を微塵の肉塊にして吹き飛ばすだけの威力がある。それを迷うことなく照準し、少年を目がけて立て続けて発砲する。

 パパン! という乾いた音と共に、真っ赤な滴が弾けた。

 鮮血。

 少年の右の太腿から腹にかけて、巨大なミシンでも走らせたように幾つもの穴がその厚着に空く。

 でも。

 だけど、

 

「……、なに」

 

 表情一つ、変わっていなかった。

 その人体を破壊する弾丸は、背後にいたヴェルディアナまで届いてない。少年の肉体を貫通できていない。

 

「痛かったぞ」

 

 一言。

 吸血鬼の肉体も撃ち抜く銃弾を浴びて、それだけ。その厚着の下に何か防弾チョッキを着こんでいたのか? いやそれにしても、全く直立不動で銃撃に姿勢がぶれもしてないのはあまりにも……

 

「街中での発砲も罪状に追加で、スリーアウトだな」

 

 『匈鬼』は、撃つ。大量の魔力を注ぎ込んで放った、雷鳴のように薙ぎ払う銃弾の雨。このフルオートの圧倒的火力に不意を打たれれば、ときに熟練の兵士であっても士気を挫かれて判断力を奪われる。

 だが今度の銃弾は火花を散らし、あらぬ方向へと跳弾して消え失せた。目にも留まらぬ早業で揺らいだ、少年の両腕の仕業だった。少年は冷や汗ひとつかくこともなく、冷静に状況を推し量っていた。

 ここで殺気の針に串刺しにされてるのを勘付けていない鈍感ではない。

 

「かるあな?って吸血鬼(ひと)

 

「な、なによ」

 

「ちょっと、こいつら黙らせるから、オレの後ろに隠れてろ」

 

 これまで盾としてそこから動かなかった少年。

 一度屈み、それからバネ仕掛けの機械のように飛び跳ねた少年の体が、腕銃を仕込まれた『匈鬼』目掛けて猛然と突進する。怯むことなく発砲する『匈鬼』。

 だが少年は両腕で頭をガードするだけで、避けようとすらしなかった。その肉体を貫通できずとも、秒間10連発で叩き込まれる凄まじい運動エネルギーは、まさに金属バットの猛打のように少年の総身を殴り続けたのだが、少年が“眷獣の攻撃にも耐えうるレベルで”相当に鍛え込んだ筋肉の鎧は、その衝撃から骨と内臓を完全に護りきっていた。

 

 対象の脅威度をクラスBに修正。対魔族装備(オプション・ブラボー)の使用を許可。

 

 少年の総身に生半可な攻撃が通用しないと見て取るや、別の『匈鬼』がその腕より肌を突き破って埋め込まれていた数本の刃物を出現させる。刃渡り30cm近い両刃のナイフだ。魔術文字を刻んだ刃が赤く発光し、魔力の炎を噴き上げる。

 そして、躊躇うことなく少年の心臓めがけてナイフをその針の穴に通すかのような精密な挙動で突き出す。

 噴き出す鮮血。

 

「―――」

 

 二人がかりで女吸血鬼を制止させた『匈鬼』の膂力……など、どうってことなかったのか。

 少年は、無造作に左手を伸ばし、突き出した『匈鬼』の刃腕を掴み。

 

「まずひとり」

 

 一瞬にして、握り潰した。

 

「ぐおおおおおおおおっ!」

 

 怪獣の咢の如き少年の五指は、まるで空気を握るかのようなスムーズさで、止まることなく骨肉から内蔵された鋼刃まで粉砕、圧縮。

 肘から先、もう存在しない腕を引いてよろめく『匈鬼』。

 どろどろと零れていく濁った黒い血。

 今や巨大なホースと化した腕は、凄まじい勢いで身体の中身を噴出している。

 

「何をしてる! 動きを封じろ!」

 

 カイゼル髭の命令が飛び、片腕をもがれた『匈鬼』は残る片腕で少年にしがみつく。

 怒号する気硬銃。仕留めたその直後の隙を狙う。少年の回避は間に合わない―――そのはず。

 撃発の先んじて、少年は右腕を振りかざす。それ自体が凶器である肘先から螺旋を描き、竜巻を生まんばかりの勢いで唸りを上げる。そして神速で閃いた腕が、先よりも至近で放たれた気硬弾と衝突。鎬を削って、物理法則の断末魔の如く発する怪音。そして、一発に魔力を集中させた『匈鬼』渾身の弾丸は、屈服する。

 服の袖が破れながらも、硬化した腕に受けた弾丸を搦め取り、その弾道を捻じり曲げて、あらぬ方向へと振り流した。

 

 そして、少年は体にしがみつく『匈鬼』を軽く左の肘打ちで叩き、沈めると、第二射を与える間もなく、姿を消して。

 ―――風切り音を伴って、それは発生した。

 

「―――」

 

 視認など間に合わない、気づけば目前にそれがある。

 少年は何の工夫もなく、当然と言わんばかりに、銃を構えていた『匈鬼』の骨仮面をかぶった顔めがけて必殺の魔手を打ち出していた。

 

「ふたりめ」

 

 びしり、など。

 めぎり、などとも。

 そんな半端な、生易し音などではなかった。

 全ては一瞬。

 もとから『匈鬼』の肉体に硬度などなかったかのような横暴さで、その五指は『匈鬼』の仮面を粉にし、鼻骨から乱杭歯を砕いた。

 先ほどのおうふくビンタが如何に手加減されていたのかと、女吸血鬼は理解した。

 ただ突き出されるだけの少年の腕は、暴走する列車そのものの圧力であった。刃物ではなく、腕という単純な鈍器で『匈鬼』らを叩き伏せていく。

 

 所属不明戦闘員(アンノウン)、脅威度Aに再度修正。

 

 女吸血鬼の眷獣である魔犬を押さえていたのも含め、一斉に他の『匈鬼』が襲い掛かるも、遅い。真実、火花を散らして暴走する列車が衝突するかのごとき衝撃を伴って、少年の魔手が振るわれる。

 暴走機関車みたいなデタラメな腕など、『匈鬼』でも受けることなど不可能だ。

 そして、次々と『匈鬼』らが一撃で下されるのを目撃する女吸血鬼は、不意にその気配を覚った。

 

(あれは……狼)

 

 同じ系統の眷獣を血に宿すからわかった。

 姉様の使役する二体の眷獣、自分のとは比べ物にならない力を秘めた<日蝕狼(スコル)>と<月蝕狼(ハティ)>―――それら二体合わせても敵わないほどの潜在的な圧が少年の体から滲み出ている。

 あれは、少年の形をした眷獣だ。

 その時のヴェルディアナはそれが『生体障壁』と知識としてその技法を知ることはなかったが、彼女には少年が強大な魔狼の影を纏っているように見えたであろう。

 『獣の皮を纏う者(バーサーカー)』が、戦場を破壊する。それに対抗する術は―――ひとつ。

 

「ザハリアス卿。今すぐ撤退を進言します」

 

 部隊長を任されている『匈鬼』の言葉に、ザハリアスと呼ばれた男は、フム、と思案するように自分の髭を撫でつけた。

 ヴェルディアナ=カルアナひとりを始末するために一部隊壊滅させても構わないかと言われれば、それは否定。

 今すべきことは『十二番目』の確保。このままではそこに送る別働隊も割けられなくなる。

 ―――だが、この少年は危険だ。ヴェルディアナ=カルアナ側につくのならば、

 今のうちに吸血鬼ごと始末した方が良いだろう。

 

「……いえ、撤退はしません」

 

「ですが、奴に我々の武器では……!」

 

「―――『九番目(エナトス)』を使います。『匈鬼(あなた)』たちは離れなさい。巻き込まれますから」

 

 

 

 空気が、変わった。

 

「少年。その孤軍奮闘を讃え、ひとつ提案します。我々の陣営につきませんか?」

 

 『匈鬼』らを下がらせたカイゼル髭の男が笑みを作って、少年と視線を合わせて言う。

 

「そう、報酬は10億でどうです?」

 

 パルタザール=ザハリアス。

 『匈鬼』が支配する独立国家ネラプシの暫定自治政府の議長にして、死の商人。第四次匈鬼戦争の立役者である兵器商。

 戦士ではなくて、商人。

 腕っぷしの強さではなく、積み上げた札束の高さで相手を屈服させる。

 

 まずいわ……!

 ヴェルディアナは焦る。14年前も、あの武器商人の資金力でカルアナの騎士団と『匈鬼』の大勢は傾いた。あの男のせいで父カルアナ伯は死んだと言ってもいい。

 だが、それを止めることはできない。今の自分には人を雇えるほど捻出できる金銭などないのだ。

 

「?」

 

「ふむ、ではその倍を出しましょう。なにしろ『匈鬼』が束になっても敵わない人材です。高く評価しましょう。私は人を見る目は確かなのですよ」

 

 首を傾げてる少年の反応の薄さを、不服と受け取ったのか、ザハリアスは苦笑して、値を釣り上げる。

 

「私だって、それくらいのお金……! 姉様が、『黒死皇派』に殺されなければ……!」

 

 ヴェルディアナが悔しさに歯噛みして、俯く。

 わかっている。これはいつまでたっても過去の栄華が抜け切れない没落貴族の悪癖だ。暁牙城に救い出されていなければ、この絃神島に来ることも叶わなかっただろう。

 

「ふふ、『戦王領域』で一領土を任されていたカルアナ家も、傭兵ひとりも雇えぬとは。本当に惨めで」

「や。何か、また勝手に話進めてるけど、オレ、オマエのとこにはいかないぞ。オレはご主人の眷獣(サーヴァント)だからな」

 

 あっさりと断わりを入れる少年。ヴェルディアナはハッと少年を見る。そして、ザハリアスはすっと目を鋭くすると、背後より何かを呼ぶようにその手を挙げる。

 

 

「残念です。ならば、あなたはここで始末してしまうしかなくなる」

 

 

 瞬間、凄まじい風が一帯に吹き荒れる。

 小規模な竜巻にも匹敵する暴風だ。

 大気がうねって、激しく軋む。それは標的たる少年に向けた敵意と、あるいは得体のしれないものの恐怖が、そのまま形を与えられたかのような強烈な衝撃波だった。

 撒き散らされる震動が、破壊的な超音波となって無差別に周囲を破壊する。

 激しい耳鳴りと頭痛に、少年は耳を押さえた。

 そして、ヴェルディアナは、感情を喪失した表情で呆然とその到来を予感した。

 

「この風……『九番目(エナトス)』―――王が、私を……」

 

 ザハリアスの隣に現れたのは、妖精めいた儚げな容姿の、年若い少女だ。

 手足は幼い子供のように細く、肉付きも薄い。素肌に張り付く強化繊維製の防護服が、その華奢なボディラインをいっそう強調していた。

 瞳の色は氷河のような薄い青。髪の色は淡い金髪で、見る角度によって虹のように色が変わっていく。

 西洋の絵画から抜け出してきたような、人間離れした美貌の持ち主である。本能的な畏怖を感じさせる種類の美しさだ。

 

「それでは冥土への土産に『九番目』を紹介させていただきましょう。『戦王領域』旧カルアナ伯爵領に囚われていたものを、我らネラプシの手で解放いたしました。『九番目』の<焔光の夜伯>です」

 

 そのまた侮辱するような物言いに、ヴェルディアナは噛みつくこともしなかった。そうするだけの余裕がないくらいにその幻想的な少女に怯えていた。

 

「―――<焔光の夜伯>とは、新たなる真祖を生み出すための計画、そしてその計画によって作られた<第四真祖>の素体(プロトタイプ)の総称です。3名の真祖たちと『天部』の技術によって生み出された、至高の殺神兵器ですよ」

 

 兵器として規格外。

 一切の血族同胞を持たない災厄の化身にして、世界の理から外れた冷酷非情な化け物―――それが<第四真祖>。

 最古の吸血鬼である真祖をも超える、世界最強の吸血鬼は、世界の均衡を崩し、秩序を乱す。故に<焔光の夜伯>は封印された。あるものは嵐の砂漠の中に、またあるものは氷の棺の中に。

 そして、『九番目』は、本来ならば『戦王領域』が――ヴェルディアナの一族が管理するべきであった<焔光の夜伯>……

 

「その強さ、身をもって体験しなさい」

 

 呼吸が、止まった。

 金縛りにあったかのように体は止まり、指先さえ反応しない。

 おそらくは麻痺。身体も心も麻痺して、真っ白な状態になってくれたのだろう。

 

「アアァァァァ―――ッ!」

 

 悲鳴と共に頽れるヴェルディアナ。

 狂う暴風に飲まれた素体が、緋色の鬣をもつ双角獣を召喚する。

 眷獣と喚び出した以上、容赦などしないだろう。

 それでも女吸血鬼とは違って、少年は冷静でいられたのは理解していたからだ。

 <第四真祖>のことなど知らない。その『九番目』とやらがどのような能力を持っているのかもわからない。

 ただ。

 本能で、その強さは理解した。ここで何もしなければ、女吸血鬼が幻視している破滅が現実のものになるだろうことぐらい、一目で―――

 

()られる前に、()りなさい》

 

 それは、理性に反して少年の“陰”よりせり上がってきた、目前の敵へ対する、ありったけの創造主からの呪詛(エール)だった。

 少年の手が首巻の下に隠れていた、その枷のような首輪に伸ばされ、止まる。

 

『今の馬鹿犬ではその力は御しきれん。暴走に呑まれたくなければ封印(くびわ)は、死んでも外すな』

 

 主人の戒めが蘇った。それで、点火された闘争本能だとか、破壊衝動だとか、そんな余分なものは燃え尽きた。

 

「……ああ、オレはご主人の眷獣だ」

 

 ―――瞬間、少年の姿が、銀の体毛を持った人狼に変身する。

 

「でも、オレはこの“戦争”をやらくちゃいけない気がする。そうだ、やると決めたのだ!」

 

 凄まじい風圧が五感に突き刺さる。

 震動する双角より放たれる衝撃波。

 

「ぐぉおおおお……!!!」

 

 十倍以上に引き上げられた全身の力という力を右足に集中させて、足だけの力で身体を横に流した。

 火事場の馬鹿力の急加速に、それを殺す急制動。

 ばつん、ばつん、と限界を超えた挙動に筋肉が断線していく。

 その引き換えに、コンマの差で目の前を死の突風が通り過ぎていく。

 

「は、ぁ―――!」

 

 躱した。

 いくら殲滅兵器のデタラメな力を持っていようと、当たらなければ意味がない。

 攻撃を寸前で避けたことで垣間見えた、相手の隙。

 こちらは右足を壊してたたらを踏んでいる。

 

 ―――まだ、狙えない……!

 

 突き出した双角がそのまま横一線に振るわれる。

 

「……く、ぬぅ―――!」

 

 更にもう一度地を踏み締めてる足に全体重をかけて横に跳ぶ。

 それがトドメとなり、右足の感覚はそれで消えた。

 

「―――!?」

 

 同時に、辺りの路面アスファルトがめくれ、巻き上がっていく。

 余波が掠っただけで、地形が破壊されていく。

 まさに、災厄。

 双角獣の死角に入るために、姿勢を低くして獣の如く四足で伏せていた銀人狼は―――

 

「っ―――!」

 

 目が、合っていた。

 辺りに破壊を撒き散らしながらも、双角獣はそれを意にも介さず、こちらだけにその眼光を送っている。

 

「ぐあぁああああ……!」

 

 喉から気合を絞り上げて、体を反らした。

 真正面から最速で繰り出された双角の一突きを躱すために、体は海老ぞりになり、そのまま反った腹の上を超音波が過ぎていく。纏っていた生体障壁の防護も一気にごっそりと削り取られた。

 無理な命令に従っていた右足は、これ以上踏ん張れず、姿勢が崩れてしまう。

 

「く……!」

 

 体が右側に沈む。

 力が入らなくなった右足が滑って、体はそのまま地面へと倒れ込む。

 ゴン、と受け身もとれず背中を打って、一回転び回る。

 顔を上げると、頭上には。

 もはや逃げる場も間もない獲物を狙う、死神の姿があった。

 

 終わった。

 

 己の力に枷をつけたまま、完全に解放しようとしない獣に、素体でありながらも、災厄の力を御している相手は無理であったか。

 

 ―――破滅が迫る。

 双角にまとめて圧縮し、鉄槌と化した暴風。受ければ、この肉体はフードプロフェッサーに入れられた食材と同じ末路になるだろう。

 

 

 

 

 

 ―――いや、まだだ!

 落ちる災厄。

 それを迎い打つ形で、一点、防御に回していた生体障壁を左腕に纏わせ、その一瞬に神獣の如き爪へと獣気が変化した剣指刀掌を突き伸ばした。

 

 世界の時間が停止したかのような、衝突。

 

 神獣の爪拳が暴風の双角と鬩ぎ合う。

 

「がああああ―――っ!」

 

 銀人狼の爪が、双角のひとつを折った。

 倒れたまま、左足首だけの力で、それこそバネのように立ち上がりながらの交差。

 それは、銀人狼の少年にしても神がかった一撃であった。

 だが、その奇蹟に昂っている余裕はない。

 

 今の常軌を逸した運動で、右足と、左腕も骨にひびが入り、その手の指はあらぬ方向に曲がり、爪も剥がれている。けれど、双角の片側を折ったことで共振動ができなくなり、バランスが崩れたのか、眷獣の暴風が弱まる。

 ここが、最後のチャンスだ。

 驚いたように、こちらを見ている『九番目』。左足で限界を超えた一足飛びで迫り、右腕を叩き込めば―――

 

(―――ぬ、かるあな!)

 

 その時、加速していく視界に気絶している女吸血鬼の姿が過り………

 

 

人工島北地区 研究所街

 

 

「さすがはヴァトラーの側近といったところか」

 

 

 人工島北地区(アイランド・ノース)の研究所街。人工島らしさを色濃く残した、未来的でメカニカルな街並み。

 中でもひときわ背の高い灰色の電波塔の上に立つ、白いフードを被った少女。

 彼女がまるで獲物を追う狙撃手のように監視していたMARの附属病院より、二つの影が飛び出す。

 

 ひとりは、摂氏数万度にも達する高密度の魔力の炎に包まれた巨大な猛禽<妖撃の暴王(イルリヒト)>を従え、吸血鬼の中でも希少な<魔眼(ヴァジエト)>を持つ『魔眼使い』トビアス=ジャガン。

 

 もうひとりは、霧化も空間制御も封じる高密度の魔力で溶岩の網を編む琥珀色の蜘蛛<炎網回廊(ネフイラ・イグニス)>を忍ばせながら、相方と訓練された連携を見せてくる『幻影使い』キラ=レーベデフ=ヴォルティズラワ。

 

 『戦王領域』の苛烈な炎と麗しき闇の貴公子たちは、『旧き世代』に比較すれば若いが、『旧き世代』にも劣らないだけの実力を持っている。そして、その主人である<蛇遣い>同様に強者、それが己よりも実力が上の存在であろうとも戦いを貪欲に求む戦闘狂のきらいがある。

 しかし、やはり若い。

 

「警告する。少しでも妙な動きを見せれば、眷獣をぶつける」

「あなたが<第四真祖>を()けていたことはわかっています。理由を聞かせてもらいますか。ついでに、あなたの名前と所属も」

 

 くふっ、と少女は肩を揺らして苦笑する。

 <第四真祖>を脅かす敵の出現を予見していたと思われる主人(ヴァトラー)より、暁古城の護衛を任された彼らに囲まれながらも、その余裕は崩れない。

 

「この私が、<第四真祖>を尾けていた、だと……お前たちは何も知らされていないのだな。ヴァトラーは教えてくれなかったのか?」

 

 主人との信頼関係を揶揄するような口ぶりが気障りで、殺気立つジャガンだが、それでも少女は穏やかな声で続ける。

 

「察するに、貴様たちはヴァトラーが派遣した護衛であろう。あの<第四真祖>を護りたいのなら、貴様たちの敵は(ワタシ)ではないぞ。せっかくのヴァトラーの配慮を無駄にする気か?」

 

 主人の行動をすべて知悉している物言いでの忠告に、冷静に感情を押し殺していたキラが戸惑いの表情を浮かべる。

 この少女は、失踪した主人の居場所を知っているのか? そのキラの問いかけに、不安な幼子をあやすような表情で少女は彼らを眺めて言う

 

「案ずるな。殺してはおらぬ。さすがに彼奴を完全に滅ぼすのは、余の力をもってしても楽ではないのでな。用が済めば、解放してやろう」

 

「貴様如きが閣下を捕えただと?」

 

「信じられぬか? むしろヴァトラー如きが余に敵うと信じられる根拠は何だ?」

 

「あなたは一体……!?」

 

 ジャガンは戯言をと吐き捨てるも、キラと同様にかすかな迷いを表情に滲ませる。

 <忘却の戦王(ロストウォーロード)>直系の吸血鬼である自分たちを―――まして主人であり『真祖に最も近い』ディミトリエ=ヴァトラーを凌ぐほどの力を持つと少女は言っている。なのに、この底知れぬ自信は無根拠なものではない、と戦場慣れした吸血鬼の本能が警告を発している。

 それほどの強大な力を持った存在は、限られている―――

 

「もういい。女が知ってること、すべて吐かせるぞ、キラ!」

 

 荒々しく言い放ったジャガン、その業を煮やした相方にキラも動く。

 ―――瞬間、二人を絶句させるほど凄まじい魔力が少女の身より放たれる。

 『魔族特区』の空を揺るがし、青白い雷光で染めていく、その巨大過ぎる魔力より出現する眷獣は、キラやジャガンはおろか、ヴァトラーの融合眷獣をも凌駕している。これほどの力を扱える存在は―――最強最古の吸血鬼たる真祖しかいない。

 

 

「少々段取りが狂うが、やむを得ぬか。いや、こうなることを見越して護衛を置いていたか、<蛇遣い>め―――余に牙を剥いた報い、側近らにも受けてもらおうか」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <過適応者(ハイパーアダプター)>矢瀬基樹は、張り巡らせた<音響結界(サウンドスケープ)>が拾う音でそれを視ていた。

 

 MARの付属病棟を襲撃する謎の少女。

 この昨夜未明にディミトリエ=ヴァトラーと衝突したと思われる彼女と、そのヴァトラーの直属で、暁古城の護衛を任されている吸血鬼の二人組、トビアス=ジャガンとキラ=レーベデフ=ヴォルティズラワが衝突するのは、想定内。しかし、謎の少女の力は予測を大きく上回るものであった。

 

 トビアスとキラ、およそ200歳――吸血鬼の中では若い世代であるものの<蛇遣い>の腹心に相応しい、『長老』とも渡り合えるほどの実力を備えた貴族を二人がかりで相手にしながらもなお圧倒する濃密な魔力、そして、ヴァトラーの融合眷獣すら凌駕するほどの強大な眷獣を召喚する。

 『真祖に最も近い』と言われるヴァトラーを超えるとなれば、それはもう最強最古の吸血鬼たる“『真祖』だけ”だ。

 

『入島記録なし。魔力波形は計測限界を突破して測定不能。完璧な未確認魔族(アンノウン)だ』

 

 矢瀬が持つスマートフォンと繋がっているのは、藍羽浅葱によって『モグワイ』と名付けられた人工知能(AI)――絃神島を管理する五基のスーパーコンピューターの現身(アバター)

 『魔族特区』を管理する公社に記録される全情報を覗けるモグワイが、機械的な人工知能らしからぬ、妙に人間臭い口調で分析を述べる。

 

『映像の骨格から解析したが、該当サンプルは一個だけだな。98.779%の相似率。

 ―――サンプル名は『十二番目』の<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>アヴローラ=フロレスティーナ』

 

 馬鹿な……!

 あの逆巻く炎のような虹色の髪に焔光の瞳。妖精めいた幼い美貌―――そのすべてが、かつてこの島にいた、そして矢瀬自身とも因縁浅からぬあの少女の特徴と一致していた。人工知能の分析もほぼ100%と回答している。

 しかし。

 しかし!

 ありえない。ありえるはずがないのだ! それをこの人工知能は理由を知っていながらも、面白がってるように言ってくる。

 

『ケケッ……じゃあ、『十二番目』でなかったら、『戦王領域』の貴族をあっさりぶちのめすあの化け物は何者だろうな?

 ま、あの嬢ちゃんが偽者だとしても、それでどうする?』

 

 幼馴染(あさぎ)の言うとおり、全く性格の悪い現身だ。

 天与の<過適応能力(スキル)>と人工島管理公社の支援(バックアップ)をもってしても、あのような超越した怪物どもの戦争に割って入れるだけの実力すらない。いつも通り、これらを指をくわえてただ監視するのが『覗き屋(ヘイムダル)』矢瀬の仕事なのだ。それを自覚してるが、他所から指摘されるのは腹立たしい。

 

『おっと……どうやらのんびりと見てるのは無理そうだぜ』

 

 そのとき、モグワイから忠告が飛んだ。矢瀬がその意を問うよりも早く、予期せぬ第三者の声が掛けられた。

 

「そうですね我らが王。少々厄介な能力を持つ『覗き屋』はここで退場していただかないと」

 

「な―――俺に気づかれずに近づいた……だと!?」

 

 いくら謎の少女に気を取られていたとはいえ、ここまで相手の接近を許すなどありない筈なのだが、その矢瀬より数歩分の距離を置いて、そこに立つ一人の男。

 眼鏡をかけ、繊細そうな面立ちの青年は、ゆったりとした中華服をきており、滲ませている雰囲気はどことなく古代の仙人を連想させるもの。

 視野に入れても、そこに実在するのが不確かと思えるほどに存在が希薄。こうして警戒するほど意識してなければ見過ごしてしまう。

 ―――それは能力によって増幅された超聴覚――数km離れた人間の足音すらも聞き分けられる矢瀬の耳をもってしても、“生きているのならば必ず発している心音すら男から感知できない”。

 

 そして、矢瀬にここまで近づいた相手の目的は何か。

 ニコリともしない物静かな表情、視線、声、言葉遣い。だからか、好意的な様子には見受けられない。

 わざわざ感情を読まずとも、その手に持った黒槍の凶器を見れば明々白々。

 

「矢瀬基樹。傍観者はひとりだけでいいのです」

 

 長さ1mを僅かに超える程度の全金属製の短槍。穂先から柄までその色は黒一色。それを両腕の袖口から一本ずつ計二本を取り出して、接合する。

 短槍二本合わせた両刃槍を構えるその青年に、ようやく矢瀬はその正体に気づいた。

 

「そうか……<監獄結界>からの脱獄者は全部で7人だったな。お前が7人目か!」

 

 『波朧院フェスタ』に起きた魔導犯罪者脱獄事件。

 あの時、<書記(ノタリア)の魔女>仙都木阿夜とともに<監獄結界>から抜け出した囚人は7人いた。

 図書館(LCO)総記(ジェネラル)仙都木阿夜。

 亞神の末裔シュトラ=D。

 堕ちた龍殺し(ゲオルギウス)ブルード=ダンブルグラフ。

 炎精霊遣い(イフリート)キリカ=ギリカ。

 クォルタス劇場の歌姫ジリオラ=ギラルティ。

 美食家(グルメ)摩義化歩兵(ソーサラスソルジャー)ソニー=ビーン。

 そして、罪状能力共にすべての記録が抹消されているこの黒衣の青年。唯一データに残されたその名は、

 

「―――絃神冥駕!」

 

 この絃神島の設計者であり、矢瀬基樹の父である管理公社の名誉理事で矢瀬顕重と盟友であった絃神千羅と同性……

 『聖殲』と関わり深い可能性が高い!

 

「気軽にその名前を呼ばないでもらいたいのですが……まあいいでしょう」

 

 ここで死ぬのだから―――とその死の宣告を、爆風がかき消した。

 青年は、『覗き屋』の周りにある空気全部が粘度の高い液体になり、意志をもってこの場を泳ぎ回るかのような、奇妙な感じを察知する。

 そして、次の瞬間には、超能力を400倍にまで高める増幅薬(ブースター)のカプセル錠剤を噛み砕いた矢瀬が作り出す、光の屈折で暴風の巨人が出現した。

 <重気流躰(エアロダイン)>。数十気圧に濃縮された気流(かぜ)の肉体は、局地的な竜巻にも匹敵する破壊力を持つ。そして、中身は単なる空気であるため、魔術的な防御では防げない、獅子王機関の剣巫の『七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)』ですら打ち消すことのできないのだ。

 

「面白い能力です。ですが……」

 

 それが、消滅した。

 その漆黒の両刃槍が放つ、闇の中で揺れる鬼火に似た、仄白く禍々しい輝きに暴風の巨人が触れた―――それだけで、矢瀬の身を削る一撃は、まるでなかったことにされたように霧散し、微風になる。

 

 <重気流躰>を無効化した、だと……!?

 

 巨人を破壊したのではない、攻撃を防ごうとすらしていない。青年がしたのは、矢瀬の<過適応力>そのものの存在を消したのだ。

 

「その槍……『七式突撃降魔機槍』じゃないな!? っ……! まさか!?」

 

 驚愕に息を詰まらせる矢瀬は、黒槍の正体に勘付く。

 あの『波朧院フェスタ』の日、『キーストーンゲート』にある小さな博物館に銘も来歴も記されずただ展示されていた、死蔵の槍が何者かに盗まれた。

 強固な封印が施されていたそれは、獅子王機関の廃棄兵器『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)』―――その“失敗作”が、この青年の手に渡っている。

 

 矢瀬は理解した。この青年と戦ってはならぬと。

 微風となった暴風の巨人の残滓を掻き集めたわずかな気流に乗り、矢瀬は距離を取ろうとする。

 だが、その前に両刃槍の二の太刀を浴びせる―――寸前、

 

「―――っ」

 

 短い息を伴って、青年の身体が軽々と後方へ吹き飛んだ。

 屋上の柵に細身の肢体が叩きつけられ、体形に凹みをつくった。

 

 

『おっと、のんびりとできないのはおたくもだぜ『冥狼』』

 

 

 知恵の泉を掬う杯(ギャラルホルン)は、『覗き屋(ヘイムダル)』の戦いを始まる角笛―――そう、『神殺しの狼』の到来を報せるもの。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「な―――」

 

 矢瀬は何が起きているのかわからず、呆然と目を見開いた。一体、これは―――

 

「―――無事か、矢瀬先輩」

 

 と状況を理解しようと思考を回らせる矢瀬の鼓膜を、そんな声が震わせた。

 

「は……?」

 

 間の抜けた声を絞り出しながら顔を上げる。

 いつの間に現れたのだろうか、そこには今、『隠れ蓑』を羽織った後輩南宮クロウが、矢瀬を守るように背を向けながら立っていた。矢瀬の『音響過適応』に察知させなかったその『透化』と『園境』の気配遮断。そして、これまで獲物を取り逃したことがない嗅覚の気配探知でこの青年――主人の牢獄より逃した魔導犯罪者の“匂い”を嗅ぎ取ったのか。

 

「クロ、坊……?」

 

 矢瀬が掠れた声で名を呼ぶと、クロウは視線を矢瀬の方に向けて、『う』と頷いた。

 

「なんか気になる“匂い”がしたから探索(パトロール)してたけど、間一髪だったのだ。大丈夫か?」

 

「あ、ああ……」

 

 呆然と声を発する。というのも、矢瀬はその正体が“第四真祖の監視役”であることを、この後輩には教えていない隠し事。その主人の南宮那月は知ってはいるが、それをサーヴァントにまで浸透しているかどうかは定かではない。だが、おそらく知らされてないとみていた。

 と、クロウはその反応をどう受け取ったのか、ぐっと親指を立てるポーズを決め、

 

「ん。矢瀬先輩が、実は極秘任務を任されてる“忍びの者(ニンジャ)”だとご主人から教えてもらってるのだ。だから、オレは邪魔しないよう見ざる聞かざる言わざるするぞ」

 

 あー……あの担任教師、とっくに矢瀬が監視していたことに後輩が気づいていたことを黙っていたな。それで適当に誤魔化してくれたのはありがたいし、任務の邪魔をしないよう言い含めておいてくれたんだろうが、もっと他の説明の仕方はなかったんだろうか。

 中等部で所属していたバスケ部でも古城というスター選手の影に隠れて、あまり後輩らに憧れられたことのないしがない先輩としては、キラッキラとした尊敬の念出まくりな目で見られるのは慣れてないし、恥ずかしい。バレてないと思ってて実はバレてたことも含め、二重の羞恥だ。

 

「じゃ、矢瀬先輩は任務に戻るのだ。―――コイツを捕まえるのは、ご主人の眷獣であるオレの仕事だ」

 

 対峙するのは、<監獄結界>から二度目であり、脱獄犯最後の取りこぼし。主人の失態をのさばらせておく気はクロウにはない。

 

「―――絃神冥駕。オマエは、獅子王機関の攻魔師を13人殺害した獅子王機関の武神具開発者。

 特区治安維持条例に基づき、これよりその身柄を拘束する」

 

 抹消されたはずの個人情報。だがその罪状を、知っているのは当然。この青年を捕縛し、<監獄結界>にぶち込んだのは、主人の南宮那月なのだから。

 

「魔女に飼われ、真に仕えるべきが何であるかを知らぬ、愚かな欠陥製品が、私を捕えるなどとは度し難い―――」

 

 身を起こす絃神冥駕。

 矢瀬から引き離す際に、クロウはその身に一打叩き込んだ。ぶん殴った。そう、並の眷獣をブッ飛ばすその拳は、強靭な肉体を持つ魔族ならまだしも、普通の人間が耐えられるような衝撃ではない。少なくとも殴った胸部肋骨は、完全に粉砕されていることだろう。

 しかしながら、その立ち姿は、胸を押さえるようなこともせず、痛みを堪えているようにも見えない。

 腐敗した血液のようなドス黒い液体を裂けた唇から垂らしながら、南宮那月の眷獣であるクロウに見せる彼の表情は眉間に皺を刻んで険しく、構えた漆黒の槍からは瘴気に似た異様な気配を放っている。

 

「オマエ、オレと相性が悪いだろ」

 

 それを流し、銀人狼と化したクロウが不敵な笑みを作って告げる。

 

「“匂い”でわかったぞ」

 

 超能力により拡張され、獣化してさらに跳ね上がったその嗅覚が、“死臭”の意味を悟る。

 

「それを確かめるのだ!」

 

 すぅ―――胸郭を一回り膨らます深呼吸。

 

「―――忍法火遁の術!」

 

 狼の咢となった口元から一気に吐き出されたのは、灼熱の吐息(ブレス)

 本来ならば<神獣化>した獣人種のみが使えるそれを、獣人化の形態で引き出す。

 尋常ではないその熱量と篭められた魔力は『旧き世代』の眷獣に匹敵するものだろう。浴びれば、骨身残さず火葬される―――

 

「<冥餓狼>!」

 

 青年に振るわれた黒塗りの両刃槍が、灼熱の吐息を一閃する光を放つ。その仄白い輝きは、魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を切り裂く『神格振動波』の閃光だ。

 それが魔狼の劫火を切り裂いて、霧散した。

 

「この『零式降魔双槍』は、失敗作ですが、『七式突撃降魔機槍』とは兄弟みたいなもの。同じく、歪なる魔力を無効化する―――」

 

 灼熱の吐息が完全に散らされるより早く、炎の壁を突き出した影。

 霊的回路及び戦闘に必要な生物的装置を全稼働。爆発的な戦意が点火。体温が急上昇。生体電流が神経で暴れ、血液が煮え滾り、細胞が沸騰し、筋肉の枷が外れ、ついに銀人狼の体表が金色に煌めく。床を蹴り飛ばし、突貫。重力無視の大加速。その運動エネルギーを腕力に乗せ、そして左手を拳に握るのではなく、指先揃えて伸ばす。姿勢の通った、全身をフルに使って、体幹を一直線に伸ばした、槍の如き渾身の一撃。

 

「―――忍法雷切の術!」

 

 その左手に纏うは生体障壁だけでなく、霊気を鋭利に尖らせて放つ霊弓術。矢として放たず、爪に添わせることで刃とする剣指刀掌。

 そして、<疑似聖拳>の発動。青白い電撃が迸る爪刃は、剣巫の振るう破魔の銀槍の如く魔を穿つ―――

 だが、その荒々しく弾ける輝きは、青年の身体に触れる前に鎮圧化される。

 

「―――残念ですが、打ち消すのは魔力だけでなく、霊力も等しく消滅させる」

 

 故に『零式突撃降魔双槍』は封印された。

 あまりに危険すぎるのだ。その武神具を扱うものに対して。

 霊力も魔力も遮断された状態で生きられるのか。

 万物に陰と陽があり、始まりと終わりがあるように、霊力と魔力の拮抗は生命の揺らぎそのものである。人間であれ、魔族であれ、霊力と魔力の双方から切り離された状態で生命は維持できないのだ。生とも死とも無縁というのは、存在しないと同義だからだ。

 

 故に『零式突撃降魔双槍』は絃神冥駕にしか扱えない。

 如何なる異能の力も影響を受けない、完全なる傍観者の肉体である青年にしか使えない。

 

 そう、<冥餓狼>を前にすれば、次の攻撃を予測する霊視や武神具の力さえも働かなくなり、強大な魔力の塊である眷獣も一撃で断たれる。

 

「だから―――」

 

 魔狼の劫火も神獣の聖拳も、その漆黒の両刃槍に呑まれるように無力化された。そんな理不尽を旨とする存在。

 

    「何をしようと―――」

 

 が、人狼は止まっていなかった。悩んですらいない。単純に物事を考える。“この相手は人間ではない”ことは理解している。ならば、容赦は無用。一片の欠片すら情けは不要。目前にあるのは、狩るべき獲物だ。

 

           「無駄―――」

 

 です、と青年が言い切る寸前、トラバサミのように大きく口を開いて設置し、踏み込んだ獲物に食らいつく闇色の刃にかかる直前、構わず、人狼は直進して、跳ぶ。消える。

 ―――『縮地』。わずか一歩分の空間跳躍。線ではなく点と点の移動は、罠を躱し、青年の計算を跳び越えて、人狼の右拳が、ロケット砲のような勢いで顔面を打ち抜いた。

 

 轟音が大気を震撼させるデタラメな、ミサイルの如き一撃。

 

 青年の耳朶に響くは、この世で最も近い炸裂音。

 外界から響く振動ではない。

 内側から振動が伝わっている。

 

 絃神冥駕の体が弾け飛び、トンデモナイ勢いで屋上のフェンスにぶつかり、突き破って、隣のビルの屋上に派手にバウンド。そして、またフェンスに突っ込んで、凹ませ、ようやく止まる。金属の網に半ば埋まった青年は、使い物にならなくなった眼鏡を床に落として、しばらく動かなかった。

 頭があることが不思議なくらいの一撃。原形は保てるだけの加減はできていたのか。

 静寂が流れる中、5秒ほど経過してから、起きる気配。まず指を動かし、次に足を動かし、顔を上げ、頭を左右に振るも、すぐに立てない。フェンスから身を剥がせず、顔に青黒い痣を作り、ドス黒い鼻血を流す絃神冥駕の前に、向こうのビルから八艘跳びしてやってきた人狼。

 

 侮っていた。

 そう、虎が何故強いのか? それは元々強いからだ。

 そして、今、己が対峙しているのは虎の中の虎だ。

 

 魔力霊力を消滅させようと、その者自体の膂力(ちから)が消えるわけではない。

これが身体強化に未来視に頼る剣巫ならばとにかく、これは素で人間を凌駕する生物。吸血鬼も上回る身体性能の持ち主である。

 あの五指に握られた瞬間、青年の頭は潰される。

 おそらく苦しみはないだろう。何しろあの怪力だ。タイムラグなどなく、一瞬で握り潰すのだろうから。

 が、突き出した人狼の手は死神の鎌ではなくて、

 

「今のでわかったことが三つあるぞ」

 

 三本の指を立てて、人狼は言う。

 

「まず、オマエの肉体は“もう死んでいる”。師父が言ってた『僵屍鬼(キョンシー)』だな」

 

 大陸の道教による呪法で蘇らされた動死体(ゾンビ)。いわば、『僵屍鬼』は吸血鬼の成り損ないだ。生きることも死ぬこともできない、不完全な傍観者。

 『零式突撃降魔双槍』の実験中の事故で一度死んだ肉体を、彼の祖父である絃神千羅が蘇らせた、それが今の絃神冥駕。

 死を知らず、体力も底無しの不死身。しかし所詮はまがい物に過ぎない『僵屍鬼』には、『旧き世代』の吸血鬼ほどの再生能力はない。壊れたままでもある程度動けるだろうが、完全に破壊されてしまえば終わり。失われた部位を、他の肢体から部品を奪って、繋ぎ合わせなければ直りようがない。

 

「で、オマエのその槍。魔力も霊力も消せるけど、同時には無理だろ」

 

 二本目の中指を折って指摘されるのを、青年は体の回復に努めながら黙って聞いていた。

 

 霊的中枢のリミッターを解放し、<疑似聖拳>で増幅された霊力を打ち消せたが、その獣化を弱めるまではいかず、また一歩分であるが空間転移の魔術発動を阻止できなかった―――

 

 そう。

 <冥餓狼>が、失敗作と呼ばれる所以は、それが死を知らぬ『僵屍鬼』にしか使いこなせない武神具だからではない。

 霊力と魔力を同時に消滅できないという欠点を持っていたからこそ、こんな不完全な武神具を開発者である絃神冥駕は自分の作品として認めたくなかった。だから、『廃棄兵器』と銘を打った。

 

「そして、オマエ自体はそんな強くない」

 

 三本の指を全て折り拳になったクロウに、『僵屍鬼』特有の虚ろな瞳で冥駕は見据える。

 人間であったことの冥駕は、攻魔師くずれの研究者だ。絃神千羅に蘇らされたのも、その『七式突撃降魔機槍』といった武神具開発におけるずば抜けた才能を惜しんでのことだ。

 冥駕の武術の腕前も、白兵戦に特化した攻魔師の剣巫やその影の六刃と言った本職の攻魔師に比べれば、劣る。護身術の域を出ない。

 彼の脅威はあくまでも『僵屍鬼』の肉体が持つ不死身性と、武神具開発者として自らが手がけた『零式突撃降魔双槍』の能力によるもの。

 そして、魔力と霊力の両方を扱える『混血』で、人間を上回る身体性能と剣巫を超える近接戦闘の武技を持ったクロウ。

 

「……認めましょう。相性が悪いということを。欠陥製品と言えど、あの御方が手がけた最終作(ラストナンバー)を完了させる器であることは変わりない」

 

 出るには時期が早過ぎた。

 せめて『零式突撃降魔双槍』の欠陥を補えるほど、世界を変容させる『聖殲』の力を引き出せるまでは、身を潜めているべきだったか。

 

「ですが、私は、私を裏切ったこの世界を―――私から温もりを奪った人々を許さない。それを果たすまでは死しても止まることはない―――」

 

 冥駕の虚ろな瞳が、怒りに染まる。表層を覆い隠していた仮面の余裕は剥がされ、その彼の世界に対する負の感情が露わとなる。

 それと真っ向から相対する金色の瞳には、憐憫の情が浮かんでおり、

 

「……いや、もう終わってるのだ」

 

「なに?」

 

 動作機能は修復した。すぐに起き上って逃亡用の空間制御の魔術を発動させようとして―――無様に転んだ。

 

「グ、ッ……!?」

 

 動け、ない。死体の肉体の特徴である、死後硬直が始まっているのだ。これは『僵屍鬼』そのものに働きかけなければ……

 

「オレはオマエを動かしてる術に覚えがあるのだ。だから―――止め方もわかった」

 

 そう。

 <黒妖犬>が、『冥狼』の天敵である最大の理由は、身体性能や白兵戦における技量の高さや、人間と魔族を併せ持つ特質ではない。

 彼が唯一、主人の大魔女よりも秀でる魔術―――“死体を操る”死霊術だ。

 

 このような噂が流れたことがなかっただろうか。

 かつて、ロタリンギアの殲滅師が言った、『<黒死皇>は、“完全なる死者蘇生”ができた』と。

 そして、『黒』シリーズの最高傑作にして欠陥製品の<黒妖犬>もまたそれが可能であると期待した。

 

「オマエは、もう動けない。さっきオマエの死体(からだ)を殴った時に、機能停止(コマンド)を打ち込んだ。術が解かれたら、オマエは死体と同じで固まっちまうのだ」

 

 死霊術を極めた技が、人工の吸血鬼『僵屍鬼』の復活。

 肉体の人格さえ蘇らせ、独立した意思を持ち、不滅―――それは、南宮クロウが、かつて兄姉(かぞく)にかけていたものと同じ。

 そして、その兄姉を、南宮クロウは自らの手で眠らせた―――

 

「<冥餓―――「もう遅いぞ」」

 

 冥駕が手放さなかった両刃槍より、仕込まれた魔術を打ち消そうと『神格振動波駆動術式』を発動させる―――より早く、今度こそ<疑似聖拳>の爪刃の手刀が漆黒の武神具を両断。魔力を無効化しようとした今、霊力を込めた一撃は防げない。光の速さの如き雷切の一振りに、霊力無効化は間に合わず、短槍の接合部から真っ二つに断絶させられる。

 さらにその熱した油をぶちまけるような放電音を上げる雷電一閃は、『僵屍鬼』の肉体に縫い込んであった呪符――『嗅覚過適応』で嗅ぎ取っていた空間転移の術式を切り裂いて、最終手段を封じた。

 そうして、くるくると宙に飛んだ『零式突撃降魔双槍』の片割れを掴み取ってから、冥駕が手に持っていた方も強引に取り上げた。

 

「ほい。これで、オマエの得物も魔術も使えない。再起不能なのだ」

 

 奥の手の緊急逃亡手段までも徹底的に無力化して、あとは、もう(ころ)すだけ。その不死身であろうと壊す毒をもって噛みつけば、全て終わる。

 ……しかし、クロウは、それ以上はしなかった。

 まともに覗き込んでしまった青年の仄暗い眼光。瞳の奥底に眠る暗い想念(におい)に臆したわけではなくて。

 主人の眷獣(サーヴァント)として、出来る限り獲物は殺さずに捕まえてくるよう躾けられていたのもそうだが、この青年は、兄姉とは違い『死にたい』と願われなかったから、躊躇った。『僵屍鬼』の兄姉と一緒に暮らしていた少年にとって、この生死の判別は曖昧で、確定できるものではないのだ。肉体が死んだものでも、その魂と心はそこにある。

 

 後は主人の<監獄結界>にまた放り込んでしまえばいいだろう。そう判断した。

 事態は、切迫している。この青年だけに構っていられない。この今もMARの特別病棟を狙い、強大な力を持った襲撃者が暴れている。ここで主人に直接引き渡さず放置しておくような真似はしたくはないが、そんな余裕があるような状況ではない。すでに衝突していた<蛇遣い>の腹心二人組は、襲撃者の圧倒的な力を前に退けられ、今ぶつかっているのは<第四真祖>――暁古城とその監視役の剣巫姫柊雪菜。すぐそちらの救援に向かうべくクロウは踵を返す。

 

「は……ははは……ははははははははははははは!

 『僵屍鬼』の機能を止め、私から<冥餓狼>を奪う……くくっ……主人と合わせて二度の屈辱……けして忘れません」

 

 

 

 南宮クロウは知らなかった。

 <監獄結界>から脱走した絃神冥駕がどうやって今日まで<黒妖犬>の『鼻』の追跡を免れていたのか。何故、7人目の脱獄犯を捜索捕縛せよと命が下らなかったのか。そうなるようにどこが青年を匿っていたのか。

 特区警備隊(アイランドガード)や攻魔局が、迂闊に手が出せない、人工島管理公社のの出資者でもある世界的大企業が後ろ盾にいることを。

 

 

回想 人工島西地区 高級マンション

 

 

 豪華な内装の部屋。インテリアも美しいアンティーク家具で統一されており、特注と思しく絢爛なカーテンを開いて窓の外を見やれば、『魔族特区』の美しい夜景。

 けして、ここは死した魂が導かれる天国などではないが、天国のような場所だ。

 目を覚ますと高級マンション最上階の一室に、ヴェルディアナ=カルアナはいた。

 

「ここは……?」

 

 恐る恐るあたりを警戒しつつ、置かれた状況を確認する。

 奴隷のように枷が嵌められているわけでもなく、監禁されているわけでもないようだ。

 着ていた服は脱がされて、代わりに体中に包帯がまかれている。警備ロボットより対魔族の特殊な弾丸を浴びたせいか、傷の治りこそ遅いけれど、その処置は的確なものだ。

 そう、ザハリアスから『九番目』の<焔光の夜伯>をけしかけられたはずなのに、信じられないほどの軽傷……

 

「気が付いたか?」

 

 弱っているとはいえ吸血鬼の五感に察知させずその背後を取る。その声は舌足らずではあるものの、奇妙な威圧感があった。怪我人の容態を確認するというよりも、連れてこられた罪人を問責する女帝の如き、圧倒的な威厳がヴェルディアナの背中を圧している。

 振り向けば、そこには幼い少女。長い黒髪と白い肌、そして西洋人形の如き豪奢のドレスを着飾ったのは、

 

「く……<空隙の魔女>!?」

 

 幼女の正体に勘付いたヴェルディアナは激しい恐怖に突き動かされ、横になってたベットから飛び降りた。

 <空隙の魔女>南宮那月。日本政府に雇われる国家攻魔官であり、そして、14年前に欧州の魔族を大量虐殺した恐怖の代名詞。ここは天国ではなく、無慈悲な獄卒がいる地獄だ。

 逃げなければ、終わってしまう。

 とにかくこの虐殺者から逃げなければという闇雲な思いに囚われたヴェルディアナだが、虚空より伸びていた銀鎖が首に巻き付いており、それに引っ張られてベットへと倒れこむ。

 

「やれやれ、起きたばかりで元気のいいことだ。その様子なら傷の具合も大丈夫なようだな」

 

 逃亡を阻止されたが、魔女の声音には溜息が混じっており、多少呆れている感じはあるものの、攻撃的な響きはなかった。

 彼女の目的が、読めない。

 そもそもなんで自分がここにいるのか。

 

「ええ、もうどうだっていいわ! 煮るなり焼くなり好きにしなさいよ、魔族殺しの<空隙の魔女>!」

 

 わからないことが多すぎて、もう一周回って逆に冷静になった。やけっぱちになったともいえる。

 そんなヴェルディアナの様子を観察していた魔女は、その下着と包帯だけしか身に着けていない身体を眺めてから、持っていた扇子で面倒くさそうにクローゼットを指す。メイド服がずらりと並んだ。

 

「その偉そうな物言いは不愉快だが、私は寛大だ。そこのクローゼットに入っているのから替えの服を選べ」

 

「え? 私の服は?」

 

「ああ、あの趣味の悪い服なら捨てた」

 

「捨てた!?」

 

「銃で撃たれて穴だらけだった上に血まみれだったからな。ボロ雑巾にも使えん。だから、腐る前に捨てておいた」

 

「ど……どうしてくれるのよ!? あれは私が有り金はたいて手に入れた一張羅だったのよ!?」

 

 貧困にあえぐ没落貴族の涙の訴えに、魔女は鬱陶し気に見返す。

 

「クレームの多い蝙蝠だな。わかった。なら、選んだ奴はくれてやろう。元からやるつもりだったがな」

 

「え、本当に? ……って、メイド服しかないじゃないの!?」

 

「当然だ。そこにストックしてあるのは使用人用の制服だからな。そもそもお前の体格では、私の服は着られないだろうが。なんなら馬鹿犬用に用意していた執事服があるがそっちがいいか?」

 

 平坦な口調で魔女から選択を迫られては、沈黙して頷くしかない。泣く泣く服を選ぶヴェルディアナ。スカートの長さや袖の形など種類こそ豊富であるも、残念なことにすべてメイド服である。

 

「……うう、カルアナの娘である私がなぜ使用人の恰好を……」

 

「ところで、そろそろ自己紹介をしてくれないか」

 

「は?」

 

 着替え終えたところを見計らっての問いかけに、ヴェルディアナは、リボンを結びかけた姿勢のまま唖然と固まってしまう。

 

「私のこと知っててここに連れてきたんじゃないの……?」

 

「知らんよ。

 まあ、貴様がMAR襲撃の容疑者で、ついでに市街地での眷獣召喚に魔族登録証の不携帯してることは聞かされたがな」

 

「そ、それは……」

 

 と、そこで、ふと気づく。

 

「あ……ひとり、少年。厚着してたからわからなかったけど、たぶん、少年も巻き込まれて……その、知らないかしら?」

 

 ヴェルディアナを捕まえようとした少年。ザハリアスから庇ってくれて、そして……―――『九番目』の登場から気絶してしまい、記憶があやふやで、けれど、無事では済まなかったはず。

 ヴェルディアナが控えめがちに訊くと、魔女は長い睫毛に縁取られた瞼を伏せて、

 

「馬鹿犬なら、自室で眠らせてある。“お前の趣味の悪い一張羅よりもズタボロだった”が、まあ、病院に送らずとも勝手に治るだろう。あいつは、吸血鬼(こうもり)ではないが、体力だけは馬鹿みたいに有り余っているからな」

 

 ぞくり、と。

 天鵞絨(ビロード)張りのチェストに腰かけた魔女が、ただ細く目を開いただけだが、それだけで部屋の温度が下がったと錯覚する。

 

「このまま特区警備隊に突き出してしまえば面倒がなさそうだが、“私の眷獣(サーヴァント)”が拾ってきたお前の事情に興味がある。話せ」

 

 

 

 口を閉ざすことなど思いつかない。歯向かえば、地獄を見せられる予感が声帯を震わせてくる。

 ヴェルディアナは、<空隙の魔女>に死の商人バルダール=ザハリアス、『焔光の宴』について話す。

 そして、知る。

 自分をあの死地から救い出した少年――南宮クロウは、<空隙の魔女>が飼っていると噂される<黒妖犬(ヘルハウンド)>……

 ―――姉リアナ=カルアナを殺した仇である『黒死皇派』、その長であった<黒死皇>の血筋を引いている『混血』であることを。

 

 

 

つづく

 

 

 

とある施設

 

 

「―――許さない! ……すんっ……ええ、許さないわ南宮クロウ! ……すんすんっ……私を二度も放置したことを……すんっ……絶対に悔やませてあげるんだからっ!!」

 

「……ねぇ、キリハ、何をしてるの?」

 

「あら、結瞳(ユメ)……ではなくて、莉琉(リル)かしら」

 

「キリハが今持ってるのって、いうか、息継ぎしながら顔を埋めてるのって……タオルじゃなくて、体操服だよね? 男子の」

 

「ああ、これのこと。学校に置き忘れていたのを取ってきたのよ」

 

「盗んできたの……?」

 

「莉琉。これは調達したっていうの。警戒心を解くために、標的(ターゲット)の体臭のついたものを現地で見つけ、その匂いをつけることが野生動物の狩猟(ハント)の基本。

 今回の相手は鼻が特にいいから、呪的迷彩(ステルス)だけではすぐにバレてしまうのよ。だから念入りに……」

 

「そうなんだ。てっきり私の魔力に当てられちゃったのかと思った」

 

「安心なさい私は正気よ。それに、フェロモンに慣れるためでもあるの……すんすんっ……嗅いでないと落ち着かなくなるわね。中毒性でもあるのかしら」

 

「……獣王の監視役って、ストーカーじゃないんだよね」

 

「違うわよ。あのねぇ、これでも獅子王機関の剣巫よりはずっとマシ……すんっ……向こうは、四六時中張り付いているのよ……すー……しかも、あの小娘、嫉妬深くて思い詰めるタイプ……すすーっ……思い込みの激しいみたいだから、いつか<第四真祖>を背中から刺すわよアレ」

 

「うわぁ……なんだか同情しちゃうな……」

 

 

 

つづく

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