ミックス・ブラッド   作:夜草

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焔侊の宴Ⅱ

回想 りあな号

 

 

 純血の吸血鬼は言う。

 

 あなたには“彼女”を護る義務がある。

 あなたの妹凪沙の衰弱は医学ではけして治せない。凪沙を救うことができるのは“彼女”だけ。

 

 考古学者の親父は言う。

 

 お前は“彼女”の『血の従者』だ。

 凪沙の衰弱の原因は霊力の暴走。3年前の事件で死亡した兄の生き返りを“彼女”に願った代償をその身体で支払っており、また“彼女”は記憶がほとんどない不完全な状態に陥っている。

 

 死の商人は言う。

 

 600億で、“彼女”を私に譲りなさい。

 世界最強の吸血鬼、その十二の素体のひとつが“彼女”。その力は戦争を制するもので、“彼女”たちを巡ってこれより絃神島で『焔侊の宴』が始まる。

 

 

 

 親父が用意した白いプレジャーボート。全長14、5mほどの小型クルーザーの名は『りあな号』。過酷な航海を潜り抜けてきたからか、あちこち外装は古びているものの、船内は意外に整理整頓が行き届いている。停泊してる港から電気も来ていて、冷蔵庫や電子レンジ、キッチン等、生活に必要な設備が一通りそろっていて、風呂やトイレの心配もない、寝泊りするには十分な生活環境だろう。下手に安いホテルを借りるよりずっと快適だ。

 そして、古城の手を取りながら、その備え付けられたベッドに眠る少女。

 

『わ、我が魂の安寧のため、汝の掌に契約の軛を』

 

 金髪の髪を持つ妖精のような少女。ずっと独りで氷の棺で眠り続け、そして、また眠ってしまえばまた孤独になって、二度と目覚めることがないのでないかと不安を抱える『眠り姫』

 その少女を見ていると古城は右脇腹の肋骨が鈍く疼くのを感じる。

 

(アヴローラ……)

 

 “彼女”は、『十二番目』の<焔光の夜伯>、その名は、フロレスタン王の娘オーロラ(アヴローラ=フロレスティーナ)

 

 これから、古城と一蓮托生で『焔侊の宴』へ参加することになった、『王』。

 

 古城は、その一切の血族同胞を持たない世界最強の吸血鬼の『血の従者』

 つまりは吸血鬼によって造り出される疑似吸血鬼。主人である吸血鬼の肉体の一部を受け入れることで、人間は吸血鬼の従者の変わる。忠実な部下として、あるいは伴侶として、主人と共に生きるために永劫の命を与えられたもの。限りなく魔族に近い“人間”。

 アヴローラの封印が解かれた今、魔力の供給ラインが再開され、吸血鬼の特性を発揮できるようになっている。

 ただし、人間の寿命を超え何百年も従者として生きれば、後戻りはできなくなるが、古城はなり立てであるために、主人である吸血鬼が死ねば、『血の従者』の資格を失い、元の人間に戻ることができる。

 

 ……だけど、それはいい。

 古城にとって、重要なのは古城自身のことではない。

 

 凪沙……

 父方の祖母から受け継いだ霊媒の素養と、母親から受け継いだ過去透視能力(サイコメトリー)を併せ持つ、極めて稀少な混成能力者(ハイブリット)という桁外れに優れた巫女である暁凪沙が、暁古城を救うために、遺跡に封印されていた<第四真祖>を憑依させた。

 しかし妹の肉体そのものは、脆弱ない人間の少女のものであり、吸血鬼の眷獣――それも<第四真祖>の破格の力を憑依するのは相当に無理なことだ。

 だから、凪沙は今も入院生活を送っている。

 

 そして、ここにいる『十二番目』も、暁凪沙に力を憑依されているため、記憶喪失となっていて、不完全。持っているのは、人格の一部。親父曰くに余り物、もしくは搾り滓。暁凪沙が<第四真祖>の全てを受け入れることができず、体に意識の一部が残ってしまって、そうなっているのだと。

 

 そう……つまりは、凪沙に憑いている<第四真祖>の意識を本来の体に戻せば――アヴローラが吸血鬼としての能力や記憶を取り戻せば、凪沙は助かるのだ。

 少なくとも、能力の暴走が収まれば、これ以上の体力の消耗は控えられ、後はリハビリをこなせば凪沙の容体は今よりも安定するだろう。

 

 ……今、この展開になるよう親父は仕組んでいた。

 凪沙を救うために家族と離れて世界を駆けずり回って、アヴローラの封印の解き方を見つけ出し、

 また母親も計画に絡んでいるだろう、何故ならば、彼女の助手である遠山が、“研究所が襲撃される”という都合のいいタイミングで通行証を与えてくれたおかげで、『血の従者』である古城はMAR内に研究対象とされていたアヴローラに遭うことができたのだから……

 

 そして、MAR研究所から、『十二番目』を連れ出たところで、親父の手引きでこの拠点まで来て……死の商人ザハリアスに連れられた『十二番目』と同じ顔をした『九番目』と会った。

 <第四真祖>の兵器としての強大な力を見せつけられ、ここで『十二番目』を売り渡さなければ、『焔侊の宴』という災厄同士の戦争に巻き込まれることになるだろうと脅される。

 『十二番目』は古城には御し切れず、疫病神と変わらない。ならば、一生遊んで暮らせるほどの大金と交換しようではないかと。

 

 それを古城は断る。

 短い間だが接してわかった。“彼女”は疫病神でもないし、兵器でもない。

 『十二番目(アヴローラ)』は、いや彼女だけでなく、『九番目』と呼ばれる少女もそんな扱いをしていい者ではないのだ。きっと甘い氷菓(アイス)に舌鼓を打ち、大いに喜ぶ、女の子と変わらない。

 たとえ、真祖に至ったのだとしても……

 

(そういや、ヴェルさんと別れたっきりだけど、大丈夫なのか……?)

 

 囮役を買って出てくれた純血の吸血鬼のおかげで研究所からの逃避行が無事に済んだのだが、そういえば、合流場所とか決めてなかったことをいまさら思う古城。

 共犯者と思われる親父は、ザハリアスが身内(なぎさ)に手を伸ばさないかと警戒してその安全確保のために出ていったためここにはいない。アヴローラも古城におまかせだ。連絡の取りようがない。

 

「あ、暁古城……我の眠りに淫らな視線を向けるなど、汝は夢魔か……!」

 

 と、手を握ったままのポーズで考え事に固まっていた古城に、『眠り姫』が顔を赤らかに弱々しい抗議をする。言葉遣いは難解というか高圧的というか、怯えたような頼りない口調のせいで、<第四真祖>なのにあまり偉そうではない。これは幼い見た目というより、内面が問題だろう。古城の担任も彼女と同じくらいの低身長(ちび)であるも、人を平伏せさせるカリスマがあった。

 

「はあ? 何言ってんだアヴローラ、別にお前の寝顔とか見てないからな」

 

「う……うう~……忌まわしき不浄の瞳が魂の安寧を妨げる! やはり、淫らなる血脈を継いでるな……!」

 

 どうやら、寝るところを見られてると緊張すると。そして、それがイヤらしい。

 呪われよ、と吸血鬼の真祖に睨まれるのは、中々の破壊力である。それにこの見た目幼い少女の寝顔に欲情されてると思われるのは精神的にショックが地味に大きい。

 勘弁してくれ、と古城は唇を歪めて弁明する。

 

「ちょっと考えごとしてたんだよ。ほら、ヴェルさんって、悪の女幹部っぽい服着てたけど、あんまり怖くなかったろ。なんとなく育ちは良いってのはわかるけど、それがむしろ甘っちょろいというか、隙だらけで、特区警備隊にあっさり捕まってそう」

 

「―――抜けてて悪かったわね、このド平民っ!」

 

 いきなり背後から痛烈なキックを喰らって、もんどりうって壁に激突する古城。

 視界の片隅に映るのは、ブルネットの髪をなびかせた、たった今話をしていた件のMARで出会った純血の吸血鬼――『第四次ゴゾ遺跡調査団』に属し、『黒死皇派』から身をもって、この少女と、古城と凪沙を護って死んでしまった女吸血鬼の妹。

 ヴェルディアナ=カルアナが、仁王立ちして古城を見下ろす。どういうわけかメイド服を着て。

 

「ぐ……痛ててて……ヴェルさん? あんた、なんでこんなとこに……!?」

 

「牙城から連絡があったの。アヴローラをここで保護してるって。そもそもこの船は私が牙城から借りてたのよ。それなのに私がいないのをいい事にアヴローラになにを迫って!」

 

 突然の女吸血鬼の登場に困惑してるアヴローラを抱き寄せて、古城より引き離す。

 ああ、そう言うことか、と古城は納得。この船内が片付いていたのも、女物の香水がしたのも、やはり女がらみであった、と。

 

「てか、なんでメイド服なんだ?」

 

「うるさい!」

 

 メイド姿になったのはつらい事情があるのか、わなわなと肩を震わせ、憤りを露わにするヴェルディアナ。

 

「よりにもよってこんなド平民が『十二番目』の『血の従者』だなんて。こんなことではカルアナ家再興の夢が……いえ、諦めてはダメよ、ヴェルディアナ! 姉様の為にも私がしっかりしないと! アヴローラは私が護るのよ!」

 

 自分の世界に没頭しているヴェルディアナ。そんなぶつぶつと何かを呟く彼女を不安げに眺めてると、その背後より新たな闖入者、それも見知った人物が登場してきた。

 

「ん。やっぱり、暁先輩もいるな」

 

「その声は……クロウか?」

 

 耳付き帽子首巻手袋コートの完全防備の厚着を、どこか騎士風に着こなす後輩が、ひょっこりと船内に入る。見知らぬ人物にアヴローラがびくり、と震え、またヴェルディアナもどういう表情を向ければいいのかわからないような複雑な表情を作って、胸に抱いたアヴローラと距離を取った。

 

「え、っと……お前、何やったんだ?」

 

「それはどっちかというとオレが暁先輩に言いたい台詞だと思うぞ」

 

 後輩も古城がここにいるのが意外そうに驚いてみせると、ヴェルディアナとアヴローラの方を見て、

 

「カルアナを捕まえたのだ。カルアナ、研究所で眷獣だして暴れてたんだぞ。それに魔族登録証もつけてないからな」

 

「……やっぱり、捕まったのかヴェルさん」

 

「やっぱりって何よ! 私だって、魔力が切れかけてなかったら、<黒妖犬>にやられて、<空隙の魔女>のところまで連れて来られてなかったわよ!」

 

 というが、女吸血鬼の戦闘能力はあまり高そうには見えない。古城の担任であり国家攻魔官の仕事を手伝う後輩は、見た目は小さいが相当な力を秘めている。これまで数度、その街中で魔族の犯罪者と戦っているところを偶然に目撃したことがあったが、吸血鬼の眷獣をワンパンチでブッ飛ばしていたこともあった。真っ当にぶつかったら、秒で叩きのめされるのが目に見えるように予想がついた。

 とはいえ、

 

「クロウに捕まったのはラッキーだったな。警備隊だったら普通に牢屋入りだったろうし。まあ、那月ちゃんに借りを作っちまったぽいけど」

 

 古城の担任であり、後輩の主人である南宮那月は警備隊方面に顔が効く。彩海学園でも校長室よりも上の階に自室を構えてるなど、影の権力者のようなポジションにいるカリスマ教師なのだ。

 

「……そうね、助かったわよ」

 

 言葉少なに肯定するヴェルディアナに、古城は訝しむように眉を顰める。彼女の性格からして、ここは噛みついてくるとは思ったのだが。

 

「それで、カルアナの事情はわかったから、ご主人が見逃すことにしたのだ。でも、また面倒事起こすと庇えなくなるからな。オレが保護観察についたんだぞ」

 

「そうか……」

 

 これは、ヴェルディアナにつかせたと見せて派遣した、那月からの遠回しな古城への援助、援軍か?

 南宮クロウは、この『魔族特区』でも稀少ない<過適応者(ハイパーアダプター)>であり、その『芳香過適応(リーディング)』は探知(レーダー)に優れた能力だ。

 もし近くにザハリアスが兵を忍ばせていようとも、後輩の『鼻』はすぐに嗅ぎ取る。加えて、腕っぷしも強い。この人材は、能力が知れたら争奪戦を起こしてもおかしくないくらいに優秀だ。

 

 古城は真剣に後輩を引き込めないかと考える。

 元伯爵令嬢だか何だか知らないが、ヴェルディアナ=カルアナという吸血鬼は高飛車だし、その割に貧乏そうだし、精神面も未熟で、戦闘力も高くなさそうだ。しかし彼女は本気でアヴローラを大切に思っているし、自分の身を危険にさらしてでも、アヴローラを安全に逃がそうとしてくれた。

 

 しかし、安心するには、戦闘力を有した確かな戦力が欲しい。

 後輩がアヴローラの味方につけば、うまく危険を回避しながら、この『焔侊の宴』を切り抜けることができるかもしれない。『十二番目』を警戒して、しばらくザハリアスは手を出してこないと親父は予想していたが、それでも不測の事態に備えて味方は作っておくべきだ。アヴローラも真祖の素体ではあるものの、記憶がなくて不完全で『十二番目』の力を発揮できるか不安だ。

 

「し、紹介せよ、暁古城。その小童は汝の何か?」

 

 アヴローラを背に隠すヴェルディアナ。そのヴェルディアナの背中に抱きついたまま、アヴローラが探るように後輩を見る。

 

「む。お前の方が小っちゃいぞ。それに……何かいろいろ足りてない気がするのだ」

 

「ぶ、無礼な。我の体躯は凍てつく呪にて時の理を止めてる故に……」

 

「やっぱり、『九番目(アイツ)』と比べると怖い感じが全然しないなー」

 

 後輩に率直な第一印象を述べられ、アヴローラは泣きそうな顔で女吸血鬼の陰に隠れる。恐る恐る伺い見て、そこで目力を入れて、我が威厳に畏怖せよ、と睨むも、その大きな金瞳にまっすぐ見つめ返されれば、人見知りな彼女はまた隠れてしまう。

 やれやれ、と古城が仲介に入ることにする。

 

「アヴローラ、こいつは南宮クロウ。俺の後輩だ」

 

「コウハイ……古城の下僕であるか?」

 

「違う。同じ学校に通ってる、学年(とし)が下の知り合いだ」

 

「な、ならば、我のコウハイか?」

 

「あー……そうなる、のか、一応」

 

 アヴローラの年齢はわからないが、見た目通りというわけではないだろう。吸血鬼で真祖であるからには、古城よりも相当年上である。

 

「それでクロウ。こいつは、アヴローラ=フロレスティーナ……まあ、吸血鬼の少女だ」

 

「う。よろしくだぞ」

 

「……で、那月ちゃんから事情(はなし)は聞いてるんだよな? 『十二番目』の<焔光の夜伯>のこととか」

 

「う。ご主人から大体のことを聞かされたのだ。『焔侊の宴』というので、11人倒して最後まで勝ち進んだら、<第四真祖>とか言うすっごいやつになるんだろ?」

 

「ああ、大体そんな感じだな。それで、お願いがあるんだが、クロウもアヴローラのことを護ってやってくれないか? お前がついてると心強いからさ」

 

 隠れているアヴローラを引き寄せて、古城は真剣な表情で頼む。

 孤独に怯えて、眠るのも恐れる少女。彼女をひとりにしてはならない。

 

「ちょっと古城……!」

 

 と引き込むことに反感を示したのは、アヴローラではなく、ヴェルディアナ。

 おそらく、保護観察が味方に付くのはあまり快いものでもないだろう。ただ、その揺れてる瞳を見れば、それが確かな戦力となるのは理解しているようだ。『焔侊の宴』――ザハリアスに勝つには、出来る限り多くの力と人の協力が必要である。だから、明確な反対の言葉は口にしていない。

 ―――それでも、ヴェルディアナには、この少年を味方に入れるのには抵抗があることがその態度にありありと出てしまう。

 

「ヴェルさん、魔族と人間の『混血(ミックス)』ってことで、誤解されちまうけど、クロウは良いヤツだ」

 

 古城は、落ち着いた声音で説く。しこりがあるのはすぐにわかった。その反応は古城にも覚えがあるもの。初めて、妹がこの後輩を触れた時、悲鳴を上げ、怖がった。古城もまたそれを見て、後輩に怒りをぶつけた。

 でも、それは勘違いだったのだ。学年は違えど、もう3年近く同じ学び舎で過ごせばわかる。ただ、妹は重度の魔族恐怖症であるため、『混血』の後輩を今も近づくことはできてはいない。

 ……もしも、最初の出会いをやり直すことができれば、あの時自分が落ち着いた対応を見せていれば、こうはならなかったのかもしれないと古城は思うのだ。

 だから、ヴェルディアナが一体何を怖がっているのかは知らないが、後輩が怖がるような相手でないことを古城は知っている。

 

「……それは、わかってるわよ」

 

 そのしこりはまだ完全に解きほぐせはできないが、ヴェルディアナに古城の言いたいことは伝わったようだ。

 そして、

 

「……わ、我の手と契約の軛を」

 

「? 握手か?」

 

 アヴローラが右手を差し出す。それが彼女の意思であるのならば、ヴェルディアナは消極的にであっても賛成する。そして、後輩はその手を取る前に、少し考える間を置いて、ひとつ訊いた。

 

「なあ、アヴローラは、戦いたいのか?」

 

 そもそも兵器として見れない古城に、殺神兵器に戦いは運命であり避けられるものではないと当然のことと受け入れているヴェルディアナは、見落としていた、最も重要と言えるもの。

 そう、後輩の問いかけが求めるのは、彼女自身の意思表明だ。

 

「『十二番目』ってことは、オマエがたぶん末っ子なんだろ。オレも殺して壊すために創られた兵器で、兄姉(かぞく)の中じゃ一番下だったけど……オレは、兄姉(みんな)と本気でやり合うのは、やっぱりイヤだ」

 

「我は……………まだ、わからぬ。長き封印の眠りより目覚めし直後故、我が記憶は未だ混沌の中に、だが、我が下僕は護りたい」

 

 たどたどしい口調で懸命に説明したアヴローラの希望する方針は、専守防衛、と言うことなのだろう。それについて古城は文句ない。賛成だ。そして、ヴェルディアナは一瞬眉間に皺を寄せるも、一呼吸を置いて揉み解し、異議ははさまなかった。

 

「ん、それならオレも手伝いをするぞ」

 

「! か、感謝する!」

 

 そして、後輩はアヴローラの手を握った。取ったその手をアヴローラは左手も合わせ、両手で包む。

 

「よかったな、お姫様」

 

「うむ」

 

 古城もアヴローラの頭を撫でながら、優しく笑ってみせる。金髪の吸血鬼の少女は、はにかむように下を向き、消え入りそうな声で頷くと、小さく幸せそうに微笑んでくれた。

 

 

回想 道中

 

 

 アヴローラは、ヴェルディアナに任せ、古城は自宅へと帰宅することにした。

 彼女らは人間以上の力を持つ吸血鬼であって、古城もほとんど初対面の異性と一緒に一夜を明かすことには抵抗がある。それに、今はまだ必要以上に警戒するべき時期でないと考えたのだ。

 

「本当にありがとうな、クロウ」

 

「ん」

 

 そして、後輩がその帰り道に同行している。

 ザハリアスが去ったとはいえ、古城がひとりのところを狙って闇討ちを仕掛けて来ないとは限らない。親父は、妹の安全を優先して、古城の方は放任してるため、古城は襲われれば自力で対処しなければならなかった。

 

「ザハリアスの“匂い”はこの近くにはしてないけど、夜は魔族たちが元気になるからな。夜中にほっつき歩いてるとケンカを売ってくることもあるから、危ないのだ」

 

 先輩としてはやや情けないが、この担任の使い魔であり、警備隊の仕事の手伝いをしている後輩が、身辺警護についているのならば安心して夜道を歩ける。感謝してもし切れない。アヴローラのことも警備の仕事が本業であるためパートタイムではあるがそのボディガードを請け負ってくれたのもそうだが、彼女と似た境遇にある後輩が側にいてくれるのは、いい刺激になると思うのだ。

 

「それで、アヴローラのヤツ、どうやら記憶を失ってるみたいなんだ」

 

「む。そうなのか。それは大変だな……オレに何かできることはないか?」

 

「なら、アイツに話しかけてやってくれないか。話題なんて何でもいいからさ、それが回復させてやるための刺激になると思うんだ」

 

 今日一日でわかったのは、その妖精そのものな見た目のわりに、アヴローラは中身はポンコツ以外の何者でもない。記憶喪失という条件を差し引いてでもだ。

 だが、それは暁凪沙が、<第四真祖>の意識を憑かせているせいで、その一部しか残っていないからだ。だから、本来持つはずであった吸血鬼としての能力やら記憶やらをアヴローラに戻さなくてはならない。

 凪沙が体力を消耗するのは憑依させてしまっている『十二番目』の魂が負担となっているからであって、またザハリアスに狙われるアヴローラも『十二番目』の知識や能力を取り戻すことができれば彼女の安全を確保することができる。

 そのもっとも確実な方法は、アヴローラ本人が、失っている『十二番目』を自身の中に受け入れること。そして、その下地を作るには、色んな人と接したり、会話させたりしてやるのがいい……

 道中、古城自身もその考えをまとめるためにも、考古学者の親父、暁牙城が話してくれた自論をかいつまんで後輩にも話す。

 

「ふむぅ。暁先輩が、アヴローラを護りたいのは、暁の為なのか?」

 

「まあ、それが全部じゃないが、重要ではあるな。ああ、もちろん、アヴローラを護ってやりたいって思ってるのは本当だ」

 

「う、それはわかってるのだ」

 

 かくんと小首を傾げる。

 

「んー、でもなんかそれ違うと思うのだ」

 

「何がだ?」

 

 目の前の信号が赤くなった。人の流れが寸断され、たちまち横断歩道の前には登録証をつけた夜の住人(まぞく)たちの人だかりができる。その中で話すことを憚ってだろう、後輩は答えない。横顔を見たが、むーむー、と唸っているその様子は、まだ彼の中でも確かなものとなっていないようだった。正直言って、もう今日これ以上、頭の中に情報量を詰め込むのはパンクしてしまう。普段は怠惰にやり過ごす自分にしては脳みそを働かせ過ぎた……しかしこのまま半端に気になってると、寝付けなくなるだろう。

 信号が変わり、人の波が動き始めるところで、古城が再度促すと、

 

「暁が、アヴローラの力とか記憶とか取っちまっている、って暁先輩の父さんが言ってたんだな」

 

「ああ」

 

「んー……と、だな」

 

 首を戻すと、後輩の視線はこちらを外れて宙をさまよった。珍しくも迷ってる。ややあって、慎重に言葉を継ぐ。

 

「あいつの“匂い”嗅いでみた時、アヴローラは『空っぽな棺』みたいな感じがした。中身が足りてないけど、“『棺』自体はほとんど欠けてない”。オレ、アヴローラは記憶のほとんどを失くしてるというより、忘れてるだけだと思うのだ。だから、アヴローラの中にアヴローラの記憶はあるぞ。

 ―――つまりだな、アヴローラは力とか記憶とかを暁に取られちまってない、のだ」

 

「……なんだって?」

 

 前提を覆す発言に驚き見てくる古城に、後輩は自身の鼻に指をあてる。人よりも鋭い感性を持ち、同じ造られた人造魔族である後輩。その純粋な様は、やはりアヴローラと似ており、彼ならば気づける点があるのだろう。

 

「暁先輩、オレの『鼻』が『嗅覚過適応(リーディング)』っていう超能力を持ってて、『過去透視(サイコメトリー)』ほど精度が高くないけど、それの感情や記憶と言った情報記録(におい)を嗅げるってことは知ってるだろ?」

 

「ああ、知ってる。クロウがその力で那月ちゃんの仕事を手伝ってることは知ってる。

 けどな、アヴローラは凪沙に『十二番目』のこと押しつけちまってるのをかなり責任感じていたんだぞ」

 

 あの青い瞳から透明な滴を迸らせて、子供のように泣きじゃくった少女の様。あれは嘘ではない、そんな不純なもので結晶化された涙ではなかった。

 無理やりに遺跡の封印を解かされ、しかも絃神島で研究対象とされて立派な被害者である彼女に負うべき責はない筈なのに、それでも泣いた。

 

「んー、確かにアヴローラはウソを吐いてない。でも、オレの『鼻』は、“それがウソだって自覚がなかったら”、気づけないのだ。

 アヴローラは、暁先輩の父さんの言ったこと、まんま真に受けちまったんだと思うぞ」

 

「―――」

 

 そういえば。

 記憶が回復していないというアヴローラに、その原因を憶測で語ったのは、親父だ。それを信じ、アヴローラは凪沙のことを謝罪した。

 だから、その情報は親父からもたらされたもの。ならば、親父が嘘を言っていたのならば?

 

 親父は、娘のことに関しては真剣だ。何が何でも救ってやりたいその意思、それは古城も認めている。

 しかしながら、親父の性格はあまり信頼できたものではない。

 

「……今度、あのバカ親父と会ったら、ウソ発見器(クロウ)にも同席してもらった方がいいかもしれねぇ」

 

 もし隠してたり、騙してたりしてるのがあったら、それを無理やりにでも吐かせてやる。

 

「ん、でも、暁のことは真剣に考えてるんだろ? なら、何か意味があるんじゃないのか? さっきは、違うって言ったけど、オレには解決の仕方まではわからないのだ」

 

 余計な口出ししてややこしくしちまってごめん、とそこで謝る後輩の頭を古城は、気にするな、といって上げさせる。

 

「意見を聞かせろっつったのは俺の方だ。それに、クロウのことは信用してるし、信頼してる……まあ、そんなの“あんなことしちまった”俺が言えるセリフじゃないけどな」

 

 この後輩を怪物と怒鳴り散らしてしまった。そのせいで、後輩は一年近くも学校で忌避されるものとなった。それは、古城の罪だ。そのことを棚に上げるのは、恥知らずと蔑まれても仕方のない事だろうが、

 頭を上げさせた後輩の前に、古城は頭を下げた。

 

「もう一度、頼むよ。俺のことは護らなくていいから、アヴローラのことは護ってやってくれないか。凪沙も、助けられるかもしれないんだ」

 

「……別に、暁先輩を恨んじゃいない。あれは間が悪かったのだ。

 むしろ―――そうだな。家族が大事、ってことが分かったのが、オレには嬉しかった」

 

 今度は後輩が古城の頭を上げさせて、そして、眉をハの字にしてから、率直に言う。

 

「でも、オレは、暁先輩が期待するくらいの働きがやれるのか、わからない」

 

「いや、お前は俺の期待以上のことができる奴だぞ……なあ、この前、凪沙を助けてくれただろ」

 

「ぬぬ、」

 

「この島で、厚着してる男子生徒なんて、お前しかいねーよ」

 

 先日、凪沙が急に体調を崩して、病院に運び込まれた。

 路地裏で倒れていた凪沙を担ぎ、病院まで届けてくれた人物は、届けてすぐに病院から去ってしまったそうだが、その後すぐ駆けつけた古城が病院の看護師(スタッフ)から恩人の容姿を聞けば、耳付き帽子首巻手袋コートと言う随分な厚着をしていたことを教えてもらった。それに該当する人物は、古城が知る限り、ひとりしかいない。

 

「ごめん。近づくなって、約束破っちまったのだ」

 

「ばーか、んなの気にしてんじゃねェよ。俺は感謝してるんだ。お前がいなかったら、今頃凪沙はもっと大変な目に遭ってたかもしれねぇ……

 だから、悪いがお前への期待を撤回するつもりはないからな」

 

 これまであまりこういう台詞は口にしたことがなかったので照れくさいが、指で鼻を磨りながら、古城は後輩に言っておく。

 そして、ちょうど、古城が住んでるマンションが見えたところで、

 

「なあ、少し部屋に寄ってかねーか? まだ夕飯食ってねーんだろ?」

 

「お……―――いや、止めておくのだ」

 

 古城の誘いを、一瞬乗りかけたが後輩は断る。その反応に訝しんで、すぐ古城は気づいた。

 玄関口に、妹――凪沙が立っていた。

 

「―――あ、古城く」

 

 きっと帰りの遅い兄を心配して、待っていてくれたのだろう。実際、彼女は古城にすぐに気づき、手を振ったかと思うと―――その隣に、後輩がいることに気づき、固まった。

 

 同じクラスメイトではないとはいえ、同学年で、顔は知っている。兄やその級友から話を聞かされ、妹と後輩の共通する友人が間を取り持とうとしている。

 

 けど、ダメなのだ。

 

「……っ」

 

 こちらに駆け寄ってきそうだった凪沙は、踵を返し、マンションの中へ駆けていった。避難するように。一言挨拶をするどころか、人懐っこい妹がその姿を認識しただけで、背を向ける。去っていく。走っていく。

 何も罵詈雑言は口にしていないし、悲鳴絶叫で喚くこともない。ただ、その行動で。

 それだけで、世界が凍りついたようだ。

 たった今、後輩に掛けた言葉の熱が、止まる。

 急激な温度変化に耐えられず亀裂が生じてしまうよう。嘘など欠片も吐いたつもりのない本心からの言葉であったのに、古城は今それがひどく痛々しいものと思えてくる。

 

「じゃあな、暁先輩……」

 

 そこで引き止める言葉など、古城は口が裂けても吐けやしなかった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 夜の暗闇を裂く、青白い雷光。

 

 暁古城を無事に送り届けて、自宅へと帰還しようとした南宮クロウの前に“彼女たち”が立ちはだかった。

 

「お前らは……!」

 

 クロウが身構えると同時、眩い閃光が視界を染めた。回避できず、クロウの知覚を超える速度で叩き込まれる雷撃。焼けつくような肌の痛みと共に、クロウが吹き飛ばされる。オゾンの異臭が鼻を突き、帯電した大気に着ている衣服が焼き焦がされる。

 

「ぐ、ぬ……っ」

 

 隠していた手袋が破られて、包帯が巻かれた左腕が露わとなる。先の『九番目』との戦闘で負った、左手の負傷がまだ癒えていないのだ。そこへ神経系を過電流が激痛となりて走り抜けた。痺れる。

 油断した。これほどの敵意を、接触されるまで気づかないなんて。

 コンディションは、最悪。そして、シチュエーションはそれに輪をかけてさらに最悪だ。

 

「我は『五番目(ペンプトス)』」

 

 ひとり前に出たのは、稲妻を纏っている、14、5歳程度の小柄な少女。男子のように短く刈り込んだ髪は金髪。瞳は焔のような青白い輝きを放っている。

 そして、

 

「我が名は、『三番目(トリトス)』」

 

 空間をも抉り取る漆黒の球体を左右の掌に載せる少女。長い髪をツインテールに結び、蛇のように緩やかにうねって揺れる。その瞳は、左右で色の違う金目銀目(ヘテロクロミア)

 

「『四番目(テタルトス)』」

 

 銀の濃霧と重厚な鎧でその小柄な身体を包み、兜で美しい顔立ちを半分以上覆い隠す少女。

 その二人が斜め後方左右にクロウを挟んで、退路を塞ぐ。

 

 “彼女たち”の、全身を覆っているのは、金の縁取りを施した白金の鎧だった。明らかな戦装束である。

 そして、その顔は『九番目』と同じ―――この三人とも、災厄に等しき殺人兵器<焔光の夜伯>の素体だ。

 “彼女たち”に囲まれる渦中にあって、なおかつ敵意を向けられる状況、心臓の悪い者であればそれだけで止まりかねない。が、

 

「オレに何のようだ?」

 

 大げさな話ではなく、クロウはこの類の理不尽をイヤというほど体験していた。

 なにしろ島にやってきてからこっち、理解できなかった事は一度や二度、両手の指で数えるには足りないくらいだ。

 最初、物の売買と言う仕組みすら知らずに人間社会に放り込まれた彼は、自動車が行き交う横断歩道や通勤ラッシュで混雑する駅のホームで何度か取り乱しては、主人より叱られながらそのルールを学んでいった。

 クロウにしてみれば、それとこの状況はそう大差のないものなのである。

 彼はまだ命も恐怖も知らない、無邪気な幼子ではないし、一個の人格を持った生命として、時間をかければ全く違う文化圏にも適応できる順応性は持ってると自負してる。

 だから、いきなり雷を浴びせられても、落ち着いて他人の話を聞くだけの対応はできた―――ただし、根気よく何度も言い聞かさなければ、理解できない馬鹿犬だと主人は語る。

 

「―――警告する。『宴』に関わるな」

 

 それは美しい鳥の囀りのようで、無慈悲な機械音声にも似た声音。突然に宣告してきた鎧の少女は、焔の双眸がクロウを見つめ、異を唱えるのならば即座に打ち抜かんと魔力を込めている。

 

「『王』を擁護する『選帝者』でも『血の従者』でもない、参加資格のないモノなどが立ち入っていいものではない、と言っている」

 

 鎧の少女が再度告げると、その全身を包む稲妻が輝きを増す。

 理不尽。力も掟も何もかも理不尽な存在。クロウは慣れている―――だからと言って、それに屈することが習慣となっているわけではない。

 

「オレがすることはオレが決める! オマエに言われる筋合いはないぞっ!」

 

 『五番目』に対抗するよう、その獣気を昂らせる。が、まだ体が硬直しており、その意思は伝わらない。全身の神経がほぼ麻痺状態。強大な災厄の化身でありながら、膨大な戦闘経験を持った<第四真祖>の素体。遊びがない。最初の一撃で、クロウの戦闘力を奪っていたのだ。頷くことしか体の自由が許されていない。

 

「反抗するとは……愚かな」

 

 常夏島の夜闇を瞬いて出現したのは、雷光を纏う巨大な獅子。

 その時の雷光の獅子の巨体は、優に十数mを超える威容をクロウに見せつけ、空一面を覆い尽しているような錯覚をも与えてくる。

 その獅子の前脚の一撃が、跡形もなく消滅させんとクロウに迫る。

 

(これは、まずい……!?)

 

 脚は動けず、生体障壁を展開させて身を護る術しか選択できない。

 眷獣とは実体化し、自らの意思を持つにいたった濃密な魔力の塊だ。だがこれは、あまりにも強大過ぎる。これだけの魔力が無秩序に解き放たれれば、最悪、絃神島の半分は焼き払われて消滅しかねない。

 そしてそれほどの脅威がまともに南宮クロウ一体に降り注ぐ。

 

「………がっ…く…ぐぅ…」

 

 視界が明滅する。頭が焦がされそうに痛む。それでも、ここは一撃を受けてなお五体欠けず原形を保てた少年を賞賛すべきではあろう。

 だが、そんなものはあってもこの場では何の役には立たない。

 

「『九番目』に一矢を報いたと聞いたが、この程度か」

 

 あまりの期待外れに落胆とした表情を浮かべる『五番目』が右手で、ぷすぷすと肉臭い白い蒸気を上げているクロウを指差し、雷光の獅子にさらなる追撃を命じる。

 

 立て、動け、理不尽に抗え。どれだけ命じようと、クロウの体は応えなかった。

 

 そして、一帯を蒸発させる熱衝撃波が、クロウを襲う。

 

「がァあああああああッ!?」

 

 反応する、という選択肢すら頭に浮かばない。もう今度こそは、踏ん張ることなどできなかった。

 ふわりと足の裏が浮いた。そのあとに遅れて、まるで地球の重力が数倍に増したようなダメージに襲われ、クロウは地面に落ちる。そのまま体は何mも転がされ、路上に植えられていた街路樹の一つに背中をぶつけて、ようやくその動きを止めることができた。

 

 ケタが、違い過ぎる。

 

「かはっ、げほっ……」

 

 あまりの痛みに全身が痙攣し、このままでは危険だと本能は警告を発している。

 これまで、この絃神島で狩ってきた魔族、その眷獣など比較対象にならない。

 それでも。

 クロウは何とか立ち上がっていた。痛む身体を無理に動かし、のろのろとしていたが、立ち上がろうとしていた。まだ足腰に力が入らない。まともに歩くことすらできそうにない。

 そこへ容赦なく。

 

「そのまま寝ていれば楽になれたものを、ならば、もう少し現実を知ってもらおうか」

 

 開いているとも閉じているとも取れない、まるで壊れたオートフォーカスのように半開きのまま停止しているその輝きのない瞳。それに雷撃迸らせる獅子の前脚が映るも、反応なし。雷光の獅子は、よろめいているクロウの背中を上から踏み潰した。

 ドゴォ!! という轟音と共に、少年の躰は地面に埋まる。

 暴力的な音と共に、彼の手足から力が抜ける。少しの間、意識が断絶していた。

 

「ふん」

 

 改めて、雷光の獅子が少年の頭上に前脚を上げる。

 まだ終わっていない。

 全身を焼かれ、障壁を裂いて肉を削ぐ獅子の爪、体の芯までダメージが蓄積し、意識を失っていたはずのクロウが、どろどろの手を動かして地面を突き、現実感を喪失させてくるこの神経が引き千切れそうな痛みに悶えながら、またも体を起こそうとしている。

 

「ぐっ、がっ、ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 内臓を震動させるその叫びはまさしく死力であった。今のクロウはもう勝算など考えていない。血走った眼を見れば、そんな余裕は残っているわけがないのは容易に想像がつく。

 負けたくない。

 立ち上がりたい。

 そう、自分に掛けてくれた期待を裏切りたくない。

 そんな想いを燃料にして。

 口から血の塊を吐き出しながら、その瞳にこれまでにない粘ついた眼光が宿る

 

「この短時間で動けるほど回復した点といい、この耐久力といい、身体は文句なしに頑健だ」

 

 初めて、鎧の少女が称賛の言葉をかけた。

 けれども肝心のエンジンがない。元から備わっていないのか、それとも点火し切っていないせいか、兵器としては未完成故の、なんてアンバランスな在り方だ、と酷な評価を下す。

 だが、それ故に、この未完の大器の完成形はこちらの想定を上回る可能性があった。

 そう、

 

 

《ほうら、『九番』、あれは、あなたが壊すべき相手よ》

 

 

 その足元。存在しないはずの、影の向こうより。

 ゾゾゾゾゾゾぞゾゾゾゾゾゾゾざザザザザザざザザザザザザザザザザざザザザザザザ!! と、陰が這いずり上がっていく。

 

 なに?

 

 鎧の少女は眼球だけを動かし、得体のしれないものを洞察する。

 影に潜み、封じられるのは、“創造主(オヤ)”の魂を喰らった、八つに別れた第八大罪の分体がひとつ。

 

 まさか、これは自分たちと同じ殺神兵器か!!

 

 獣の如くでありながら、さながら闇の如くに影より拡散する莫大な力の渦をもって場を呑んでいく。

 怯んだ。あの<第四真祖>の素体が。これまで一方的に叩きのめしいた相手から感じる……『■■』にすら届きうる牙の気配に慄く。

 異質であり、歪、だけれど、純粋。餓狼がそこにいる。この長い年月、喰らうべき獲物を待ち続けながら、ずっと封印されていた魔物が、今、起きようとしている。

 

「『三番目』、『四番目』」

 

 『五番目』の呼び声に応じ、左右後方。控えていた二人の<焔光の夜伯>が動く気配。

 『四番目』。その力は、相手を雲散霧消にして消失させる。

 『三番目』。その力は、相手を次元食いでこの世から消滅させる。

 生体障壁などと言う物理的な防御ではけして防げず、そして一撃で必殺となりうる力。

 『■■』が、それを恐れる理由を理解した今、まだこれが未完成である内に、殺す。二度と『■■』に近づけぬよう、今ここでその命以外のすべてを奪うのではなく、万が一にも危険が及ばぬよう、命も奪っておくべきだ。

 『十二番目』の『柩』の解放を許してしまった故に、何としてでもこの脅威は除く。

 

「■■■■■■―――!!!」

 

 皮膚を染めていく影が、その下の筋肉にまで浸透する。ズゾゾゾと空っぽの器に大量の水が注ぎ込まれていくような異音を発して、裡なる魔が膨張する。

 それは一撃で大地に地割れを起こし、果ては世界まで喰らわんとするほどの力を秘めて―――しかし、拡張していく存在を、首に嵌められていた枷が押し留めていた。そして、

 

「――――――――――――だめ、だ」

 

 自らの首を絞めるように『首輪』に手を添える。

 噴出する莫大な力がこれ以上出ることはないよう、その栓を塞ぐように手に力を込めている。唇を噛み切った血を垂らして、堪える。

 

 枷を解かなければ破滅。

 だが、枷を解いても破壊される。

 

 自分が、自分でなくなる。

 六年周期で細胞が入れ替わる。何一つ、いつまでも続く自分なんてないわけで、当たり前のことだ。

 それでも、この狂熱を冷ますくらいに忌避感があった。そして、その代償を払う以上に―――

 

「……これは、ダメだ。使っちゃ、ダメなのだ」

 

 ずるずるずるずる!! と発せられる湿った音。描くように絡みついていた影紋様が、重力に引かれるよう足元に帰っていく。あれだけの莫大な力を使わずに押し戻してしまった。

 

(何故、だ……?)

 

 『五番目』は問おうとして、言葉が出ていないことに遅れて気づく。

 ただ口にされずとも勝手に回答が出てきた。

 

「オレには、オレが正しいと納得できる、この力の使い道が、まだわからないのだ」

 

 大人びた、静かな声で、幼稚な答えを口にする。

 <第四真祖>の眷獣に匹敵し得るほどの力を、そんな理由でやめたと言ってくる。<第四真祖>の素体の前で。

 

「なあ、お前たちは、どんな理由でそんなすっごい力を使うのだ?」

 

「そんなことを問う時点で、汝は、兵器失格だ」

 

 『五番目』はあえて蔑むように返答した。

 殺神兵器に、力を使うに悩む人間性など必要がないのだから。

 だから、自分らが正しく、この“後続機(コウハイ)”が不良品である(まちがっている)……そう、言い聞かせるよう。

 

「ああ……お前らも、わかってないのか」

 

 あまりにも未熟なクロウの発言は、的確に『五番目』、『四番目』と『三番目』の逆鱗にも触れまくった。

 獅子吼と共に雷撃が弾けて、銀霧が拡散し、空間を喰らう球体が放たれる―――よりも早く、その銀鎖が巻き付いた。

 

「―――そこまでにしてもらおうか、人形ども」

 

 いつもの舌足らずでありながら高圧的な声が、クロウの頭上から聞こえた。

 ゆらりと波紋のように虚空を揺らして、音もなく現れたその人影。豪奢なゴシックドレスに身を包んだ人形のような美貌を持つ、長い黒髪を持った小柄な女性。

 

 それに構わず、『三番目』の少女が空間を削ぐ球体を投げるが、銀鎖を巻き付かせたクロウを連れて、女性はまた虚空へ姿を消し、別の地点に現る。

 そこへまた、『四番目』が全身を霧としてクロウごと包むが、背後より現れた黄金の篭手が掴む。機械を思わせる駆動音を響かせながら粘土をこねるように手指を動かし、霧化した『四番目』をその時空を震撼させるほどの魔力で強引に実体化させて、白金の重装鎧に身を包んだ素体を一度握り絞め、投げる。

 

「魔女か。黄金の悪魔と契約した<空隙の魔女>……」

 

 <焔光の夜伯>の素体二人の攻撃を軽々と凌いだ乱入者の正体に勘付いた『五番目』。天災の化身そのものという彼女たちでも容易ではない、この絃神島に君臨する大魔女。

 

「貴様らがよってたかって私刑(リンチ)しているのは、私の眷獣(サーヴァント)主人(マスター)としてそれ以上は、流石見過ごせんのでな。それに、そろそろ人目も集まってくるぞ、ここらで手を引いておけ」

 

 邪魔をされた少女たちは、憤怒の眼差しで<空隙の魔女>をしばらく睨みつけるが、その力をどう読んだのか、クロウが一向に動く気配がないのを確認してから『五番目』は雷光の獅子を退去させた。

 『五番目』は雷光の速度で飛び去り、『四番目』は霧となって大気中に溶け込んで、『三番目』は巨大な球体に自らの身体を呑ませて異空間へ入り、何処かへと飛び去って行った。

 それを確認してから、南宮那月も自らの拠点へと跳んだ。

 

 

回想 人工島西地区 高級マンション

 

 

「一日で二度もボロ雑巾になるとは貴様は学習能力だけでなく運までもないのか馬鹿犬」

 

 自室に空間転移して、ベッドの上に投げ出される身体は異様に軽かった。

 神経を焼かれたからか、肉をこそぎ落とされて身軽になったのか、感覚がなくなったのか。

 だが軽い筈の体が、今の自分には重い。鉄になってしまったようで、立つこともできない。

 クロウは、那月の愚痴をぼんやりと聞きながら、身体を柔らかなベッドに埋もれさせていく。

 

「いったいどこの馬鹿が、人形どもを放し飼いしている。あれは火薬庫に、爆弾を抱えた猛獣を投げ込むようなものだ」

 

 『三番目』、『四番目』、『五番目』の素体を預かるは、『戦王領域』の貴族。

 そう、脅威なのは、武器商だけではない。『選帝者』として参加する吸血鬼たちに、この『魔族特区』を盤上として認め、『采配者』として『焔侊の宴』を仕切る獅子王機関の『三聖』もだ。

 だというのに、人工島管理公社より、一般市民に被害が及ぶまでは国家攻魔官らはそれを静観しろとお達しが来た。

 人の手には負えぬ災厄は、通り過ぎるのを待つのが上策というのだろう。

 そして、

 

「ヴェルディアナ=カルアナの監視までは許したが、<第四真祖>の復活の儀式に深く関わるなと言っておいたはずだぞ馬鹿犬」

 

 堂々と主人の命を破った自らの使い魔にも那月は怒りの矛先を向けて、『五番目』と同じことを告げる。

 

「お前が戦う必要はない。『選帝者』でも『王』でもない。これで馬鹿犬でも、『宴』が終わるまで大人しくしているのが賢い生き方だというのがわかっただろう」

 

 愚かな教え子を諭すような声音で説いてくる。

 その言葉に、頭が真っ白になる。

 そう、この主人に頭が来たのだ。

 

「やだ!」

 

 クロウが起き上がろうとする瞬間、ベッドに縛り付けられた。これ以上の反論は口にするのも許さぬ、と全身を雁字搦めに巻き付くのは、神々が打ち鍛えた封鎖<戒めの鎖(レーシング)>。本調子で全力であれば抗えるこの拘束に、今のクロウは押さえつけられた。

 

「づ―――!」

 

 視界が赤色に反転する。

 絞めつけをじわじわと強めていかれて、声が、出せなくなる。それにいくら自然治癒でも一日かそこらで完治しない重症の身で鎖に圧されている。ただ吼えただけで、全身の筋肉が引き攣ってしまうというのに、死にはしないが死にそうになる痛苦が虐める。

 

「ほう、もう戯言を吐けるくらいに回復していたとは驚いたぞ。体力だけはあるな。まったくつくづく躾甲斐のある馬鹿犬だ」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべる那月。かつて魔族を虐殺した大魔女であれば、<焔光の夜伯>よりもうまくその戦意を奪って見せるだろう。

 そう、たった一言囁くだけで。

 

 

「いや、今のお前は、“負け犬”だ」

 

 

 熱が消える。

 天啓の如くに真実を突き付けてくる、冷徹なその言葉に、煮え立った頭の中でさえ、凍りつく。

 思考が凍り付けば、身体まで震えてきた。

 そして、目に涙を滲むのを瀬戸際で堪えている使い魔の無様を、冷ややかに見下ろす魔女は、静かに扇子を畳み、紅い唇を小さく歪める。

 

 

「今の貴様がなんとほざこうが、そんなものは全て“負け犬の遠吠え”に過ぎん」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『頼む先生、ガキどもを守ってくれないか』

 

 

 盗掘屋からの依頼。

 あの『十二番目』の<焔光の夜伯>が発見され、『黒死皇派』が猛威を振るったゴゾ遺跡から、『聖殲』がらみの因果に巻き込まれた兄妹をこの極東の『魔族特区』まで連れてきたのは那月の采配だ。

 欧州から遠く離れた太平洋上に浮かぶ人工島、日本政府が管轄する特別行政区であり、そして、<空隙の魔女>の本拠地である。ここならば、『十二番目』や暁兄妹に対して、『戦王領域』や、他の真祖たちの『夜の帝国(ドミニオン)』もおいそれとは手出しができないだろう―――そう、那月は踏んでいた。

 

 しかしながら、『焔光の宴』などというまったく面倒なことに巻き込まれてしまった。

 

「……<死都帰り>め、これが子供たちを預けて、貴様が見つけてきた救うやり方か」

 

 暁凪沙を救うために、封印されていた『十二番目』を起こす。それは『焔光の宴』という戦争の呼び水となった。しかも、『夜の帝国』や獅子王機関までも巻き込んだ戦争だ。

 それ以外に娘を救える方法がなかったにしろ、暁牙城はそのリスクを知っていて、事を起こしたに違いない。

 

 そして、カルアナ伯爵の最後の生き残りであるヴェルディアナ=カルアナは、共犯者ではなく、利用されたといってもいい。『妖精の柩』を破壊するための『鍵』を彼女の一族が有しており、その在処を唯一知りえたヴェルディアナに、カルアナ家再興と一族の仇であるザハリアスへの復讐の機会をエサにして、この絃神島に引っ張り出してきた。

 しかし、ヴェルディアナは、『焔光の宴』に『選帝者』として参加できない。領地を失っている彼女にその資格は認められないのだから。

 

 ここまで来れば後は状況から推察して、上の思惑は知れた。

 まず、MARほどの企業が、貴重な『十二番目』の<焔光の夜伯>を手放したのか。そして、何故それを武器商ザハリアスが知りえたのか。

 答えは仕組まれていたのだ全てが。

 MARには兵器の製造部門があり、武器商人であるのならば何らかのつながりは持ってるだろう。そして巨大企業のMARを挟めば日本政府を動かすのも難しくはない―――またそれは逆に日本政府がMARを挟んで武器商人の行動を誘導させることも可能ということ。

 『鍵』をもったヴェルディアナに最も罪を被る実行犯をやらせ、目覚めた『十二番目』は『選帝者』としての資格を持てない故に、日本国政府が絃神島を開催地に差し出して、その『選帝者』の権利を勝ち取った。獅子王機関に『宴』を仕切らせる『采配者』をやらせているのだから、それはもう出来レースだといってもいい。

 

 そう、暁牙城の真の共犯者であり、この裏で糸を引いているのは、獅子王機関。この絃神島管理公社も一枚噛んでいるだろう。武器商人や『夜の帝国』を誘導して素体たちを集めて『焔光の宴』をやらせて、この絃神島で<第四真祖>を復活させようとしている……

 万、いや最悪この島の住人数十万の犠牲も容認して。

 

「……ふん」

 

 那月は思索を止めた。

 これ以上考えたところで、自身がやるべきことは変わらない。

 それに、ひとりにさせた部屋から聞こえてくる声が耳についてくる。

 

『……っぐ、……うぅっ……』

 

 あれが泣いたのはいつ振りか。おそらく、森で見た以来だろう。少なくとも、この島では見た記憶が一度もない。

 

「……こうも夜泣きが酷くては眠ることもできん」

 

 『宴』に利用されたのは、ヴェルディアナ=カルアナだろうが、最も巻き込まれているのは、己の眷獣だ。

 『九番目』から辛くも逃れたかと思えば、『三番目』、『四番目』、『五番目』に絡まれるという運のなさ。何が原因か、それは那月にもまだ憶測でしかできないが、このままだと死ぬだろう。

 だが、

 

「……言って聞くようなら、私も苦労しない」

 

 今日のサーヴァントは、負け犬だ。しかし、それは戦ったからこそ負け犬になれたのだ。端から尻尾を巻いて逃げるものは負け犬にすらなれない。

 

 

「覚悟しておけ。本気の私と一昼夜殺し合ったが、アレは負けてから相当しつこいぞ」

 

 

回想 獄魔館

 

 

 この島に来てから、しばらくの月日が経ち、11月の第一週目に入る。

 

 極東の『魔族特区』絃神市は、東京の南方海上330万km付近に浮かぶ人工島。

 樹脂や金属、そして魔術で造られたまがいものの大地。亜熱帯の強烈な陽射し。見渡す限りの広大な海。東欧の内陸部で育った身としては、どれもが物珍しい光景で。

 それでも毎日のように眺めていれば飽きが来る。

 もちろん悪い土地ではない。聖域条約が発効して40年以上が過ぎたとはいえ、人間と魔族が、ごく自然に共存できる都市は少ない。

 建物は清潔だし、治安もまあ悪くない。そして、何より食事が美味い。

 もっとも、暮らしやすいかと問われれば、素直に首を縦に振ることはできない。

 何故ならば、食糧自給率の著しく低い人工島は、物価が高過ぎるのだ。遠く離れた故郷とは軽く6倍以上はある。その理由は理解できても、理不尽と思っても仕方ないだろう。

 そんなわけで……

 

 

「フハハハハ! 哀れなる仔羊たちよー、恐怖に彩られた惨劇の館へよぉぅこそ! その肉をこの獣王の贄として捧げるがいいぞー! さすれば汝の願いを叶えてやるのだー!」

 

 

 がおー! と両手を上げるポーズを取る少年に、キャーキャー、と悲鳴……ではなくて、歓声が沸く。注文を取ってるテーブルの客だけでなく、その周囲の客らからもカメラのフラッシュが瞬く。

 

「いいわよ、クロちゃん。ちゃんとうちのコンセプトを掴んでるわ。わざわざ『魔族特区』に来てくださった濃ゆーいお客様のご要望に応えられてる。

 ―――わかったかしら、カルアナちゃん」

 

 黒のタキシードを着こなし、襟の高いマントをなびかせる(オネエ言葉を話しているが)中年男性。その左手首には魔族登録証の腕輪を嵌めており、自身よりもさらに高位の『旧き世代』の吸血鬼は、この絃神市にオープンしたばかりの魔族喫茶『獄魔館』の店長であり、ヴェルディアナの雇用主だ。

 

「え……と、あんなやり方で注文を取るんですか……?」

 

「ええ、そうよ」

 

 黒ずくめのゴス風メイド服に身を包んだヴェルディアナは、紅いルージュで濡れた唇をひくひくとさせる。

 お嬢様育ちの彼女にとって、接待業は未知の領域だ。しかし学歴も職歴も特技もない彼女を雇ってくれる職場となると、必然的にこの手のイロモノ系となってしまうのは避けられない。ただ、それにしても、『中世暗黒時代の封建魔族領主』をイメージしたこのお仕事は想像以上の痛々しさであり、見世物にされてるあの保護観察の少年は自分よりも馴染んでいないかあれと突っ込みたい。

 

「……カルアナの娘である私が……なんでこんなことを……!」

 

 屈辱に打ち震えるヴェルディアナ。

 近頃就職難の『魔族特区』で、正式な就労ピザをもらえたのはよかった。

 ただし、予定から大きく外れてしまっている。

 『十二番目』の<焔光の夜伯>アヴローラ=フロレスティーナを手に入れれば、それだけで父や姉の仇を討てるような気がしていた。<第四真祖>として覚醒したアヴローラの家臣として新たな『夜の帝国』を統治し、カルアナ伯爵家を復興する―――それが、ヴェルディアナの思い描いた未来予想図だ。

 だが、現実は、アヴローラは<第四真祖>として覚醒せず、獅子王機関の『采配者』からは正式な所有者である『選帝者』として認められず、建国するどころかその日の食費を稼ぐために下っ端アルバイトに明け暮れる毎日。しかも、姉の仇の血筋を引いているという保護観察付きで。

 

 ……いや、それを不幸だと感じているわけではない。

 自分が少しずつ今の暮らしに慣れつつあることをヴェルディアナ自身も自覚しているし、彼もとても<黒死皇>の血統とは思えない。

 そう……今の彼を見ればとても。

 

「どうしたのだー、カルアナ?」

 

 今や、店長より接待業の“看板娘(エース)”を任される彼。

 着ているのは、店長が着る黒のタキシードとは違い、ひらひらしている。

 ゆったりとして、ウィッグまで付いて、そして可愛らしかった。

 そう、それはヴェルディアナと同じゴスロリチックなメイド服であった。

 

「あなた本当に、<黒妖犬>なの?」

 

「? そうだけど?」

 

 保護観察が、オレっ子メイド(男の娘)……顔立ちは整ってはいても、低身長のせいで店長ほどの迫力が出ないと考慮された結果、こうなった。小柄な体つきに厚手のタイツまで着ていて、店長にされた軽いメイクで多少カムフラージュされているが、ちょっとばかりがたいがあり過ぎ、仕事の端々が角ばった異様なメイドさんである。だけど、これはこれでキャラが立っているので人気が出ている。

 

「犬耳まで付いてるし……」

 

「う。オレはワンちゃんメイドなのだ」

 

 メイドさんが被る頭飾り(プリム)を改造した犬耳風のシルエット。自分だったらもう罰ゲームもので、付けるのが義務だったら、もう職場には来ないだろうが、当人は特にこれと言った文句もないよう、そもそも女装を受け入れている時点でアレだ。

 

「クロちゃーん、こっちに来て一緒に記念写真をお願い!」

 

「む。愚かなる仔羊め。オレの肖像を求むとは、なんと欲深きものよ。その肉、食ろうてやろうか」

 

 何故これがフロア成績第一位なのだ。そして、こんなのに私負けたの!?

 ヴェルディアナはもうやけくそ気味な笑顔を浮かべた。ちょうど館の玄関ドアを開けて、学生と思しき四人組の客がご来店。

 アレでできるんだから私だって、と食器置き場から銀のナイフを4、5本まとめて掴み取り、それを扇状に恰好よく構えてみる。そして、スカートを翻しながら勢いよく振り返り、唖然と立ち尽くす客たちに哄笑。

 

「フ……フハハハハ! 哀れなる仔羊どもよ、き、恐怖に彩られた惨劇の館へようこそ!」

 

「ひうっ!?」

 

 怯えた少女の悲鳴。つかみとしては中々いいインパクトだろう。ただし、その声は聞き覚えがある。

 見ればそこには、デパートの紙袋を両手にぶら下げた男子中学生と、妖精のような金髪の吸血鬼の少女が立っている。暁古城とアヴローラである。

 

「あー……どうも」

 

 反応に困った末に打った曖昧な相槌をする古城、その背中にアヴローラは隠れて小刻みに全身を震わせている。

 

「なに? 古城の知り合いなの?」

 

 して、その後ろから顔を出す小洒落たファッションに身を包んだ暁古城の友人らしき少女に、ヘッドフォンを首に掛けた矢瀬基樹までいる。

 思わぬ知人たちの遭遇に狼狽したヴェルディアナが思わず、ぽろり、と落してしまったナイフ―――を横からインターセプトする犬耳オレっ子メイド。

 

「貴様ら四人、生贄の祭壇へと案内してやろうぞ。オレについてまいれ!」

 

「い、生贄の祭壇……!?」

 

 完全に怯えきった表情で、弱々しく呻くアヴローラ。無垢な彼女はその口上を本気で信じてしまっているらしい。

 涙目になった金髪の少女に、看板娘(男の娘)は、目線を合わせるよう跪いて、

 

「この呪文書(グリモワール)(メニュー表)にあるスペルを詠唱(注文)するがよいのだ。さすれば、汝は災禍を免れ、馳走を目にするであろう」

 

「ま、(まこと)か?」

 

「うむ。しかし、努々忘れるな。スペルの代償(金銭)が払えぬ時はそれ相応の罰が下されよう」

 

「!?」

 

 こくこく、と頷くアヴローラはすっかりこの店の世界観に取り込まれたようで、こちらからは注意は逸れてくれた。店長の方も今は厨房にいて、ヴェルディアナの監督の目は外れている。アヴローラがテーブルに連れて行かれるのを見送りながら、残った三人へヴェルディアナは改めて顔を向けて、小声で怒鳴るという器用な真似をしてみせた。

 

「(古城!? なにやってるの、あなた、こんなところで……!?)

 

「あー……ほら、買い物の途中だったんだけど、服とか。そしたらアヴローラのやつが、ヴェルさんが働いているところを見てみたいって言い出したから」

 

 赤貧にあえぐヴェルディアナが、昨日、皿洗い見習い研修期間を終えて、制服が支給されたことを、ついついアヴローラに自慢してしまったことが裏目に出てしまったようである。

 落ち込む没落貴族の女吸血鬼に、空気の読める浅葱が明るい調子で、

 

「ねぇ、さっきの子って、もしかして、クロウ?」

 

「……ええ、そうよ。うちの看板娘だけど」

 

 へー、結構いけるわね、と感心するように頷く浅葱。言われてから確信した古城が、微妙な感じの笑みをこぼす。そして、二人がテーブル席へと案内したところで、こっそりと顔見知りの矢瀬基樹が声をかけてきた。

 

「いやぁ、さっきのヴェルさんはノリノリだったな。流石は本場の貴族様。その衣装もよく似合ってるし、本気でやれば看板娘になれんじゃね?」

 

「基樹……あなたねぇ!」

 

 茶化すように笑いかけてから古城たちの後に続く矢瀬。ヴェルディアナはふて腐れた顔でその背中を睨みつける。

 彼女にとって矢瀬は、MAR襲撃する前に助けてもらった恩人であり、そして、矢瀬もヴェルディアナがこうして絃神島で働けているのを安心してる気配がある。

 

 そう、予定とは外れてきているけれど、ヴェルディアナは不幸ではない―――そのことにかすかな罪悪感を覚える。

 カルアナ伯爵家唯一の生き残りである自分が、安らぎを覚えていることに……

 

「ええ、私はこんなことをするために、『魔族特区』に来たわけじゃないの。違うのよ」

 

 これ以上目の前にある光景を見ていられず、それより目をそむけたヴェルディアナは逃げるように店を出た。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 店の裏に出たヴェルディアナは、誰もいないことを確認してから、それを取り出して、振るえる手でその針を制服の袖をまくりあげた腕に当てる。

 ハアハアと過呼吸のような荒い息を吐き、親指に圧す力を篭めんとする。

 何もできていないこの状況。

 アヴローラの純真さが煩わしく思えてしまう。幼いころの無知な自分を思い出してしまうから。

 そして、それが八つ当たりでも彼を憎みたいのに、憎ませてくれない。

 だから、“これ”に頼るしか、私は私を保てない―――

 

 

「それはダメだぞ」

 

 

 投擲された銀食器の――先ほど取った――ナイフが、ヴェルディアナの手に持った注射器に命中し、落とす。その弾みに中にあった液体が零れ、路地に吸い込まれてしまう。

 

「―――っ! あなたねぇ!」

 

「その“(ドラッグ)”は、いくら上位の吸血鬼のカルアナでも、保護観察として見過ごせないのだ。それは最近、『魔族特区』でも中毒者が多発して問題になってるってご主人に教えられたヤツだ。“匂い”を覚えてるから持ってるのもすぐにわかるぞ」

 

 びくり、と叱られた子供のような表情で、ヴェルディアナは体を硬くし、それから、

 昏い光をたたえた瞳で、クロウを睨んで、呪詛のように黒ずんだ言葉を吐き出す。

 

「……あなたに何がわかるっていうのよ」

 

「カルアナが楽しんでたのはわかった」

 

 金色の眼光が射貫く。

 ヴェルディアナの顔からほんの一瞬、僅かに表情が消えたが、次の瞬間には元に戻っていた。

 

「そう、それがあんたの『鼻』の能力ってわけね。人の感情を盗み見て、最悪よ―――」

 

 蔑むように、ヴェルディアナ=カルアナは蔑むような、かつて傲慢であったころの仕草を返そうとするが、

 

「貧乏で大変だけど、アヴローラといて、笑ってたカルアナは本物だった。本当の家族みたいに思ってる。それは幸せなんじゃないのか?」

 

「………………」

 

 突きつける言葉に、ヴェルディアナ=カルアナは、下唇を噛んで口を閉ざすしかなかった。

 おそらく自分でも顔の筋肉をどう動かしていいのかわからないのだろう、ヴェルディアナの頬が壊れたように引き攣っていた。

 

 わかっている。

 そんなことは、言われなくてもわかってる。

 そう、『魔族特区』の暮らしは悪くない。贅沢ができなくとも、ちっとも気にならない。アヴローラのことを家族のように思えるし、幸せだって感じる。

 

「でも、私は復讐を忘れるわけにはいかないの! 私だけが、こんな縁もゆかりもない土地で、奪われた家名や領地のことも忘れて幸せになるなんて、姉様に申し訳が立たないわ!」

 

「なあ、お前の姉さんは、妹に復讐を望んでいる奴だったのか?」

 

 ぎりっと歯軋り鳴らす。

 

 お前が、姉様を口にするか。

 何も知らないくせに。姉様を殺した怪物と同類の癖に。

 

「うる、さいわよ。アンタ」ヴェルディアナは、震える口を動かして、「アンタなんかにわかるもんか。人間にも、魔族にもなれない造られた怪物兵器に、私や姉様のことなんかわかるはずがない、二度とそれを口にするな!」

 

 叫びながらクロウへ迫ったヴェルディアナは衝動的に腕を振るう。その細い指先で人肉を裂く、野蛮で力任せな一撃。見た目はほっそりとした女性でも、ヴェルディアナの筋力は吸血鬼のものだ。

 

 ただし、半分が人間ではないクロウは、その吸血鬼を軽く捻れるほどの獣王の血が半分を引かれている。

 そう、ヴェルディアナの姉リアナ=カルアナを葬ったのと同じ類いの怪力。

 

 

 だから、ヴェルディアナは自分の指先が血塗られたのを見て、放心した。

 

 

「え……」

 

 当たるはずのない攻撃が、その肌肉を切り裂いたのだから。

 

「そうだな。オレにはわからなかった」

 

 破かれた服の下は、包帯が巻かれ、痛々しい火傷の痕。いつも厚着をしてその肌を見せることがなかったから気づけなかった。おそらく、全身に傷痕があるだろう。それを曝しながら、少年は語る。ヴェルディアナが引っ掻いて、また開いてしまった傷口など頓着せず。

 

「ご主人とオレが遺跡についたころには、カルアナの姉さんは死んでたからな」

 

 『十二番目』が眠るゴゾ遺跡を、襲撃した『黒死皇派』。それを狩るよう依頼されたのが、<空隙の魔女>。そして、その使い魔<黒妖犬>が、リーダーであった<死皇弟>を討伐した。

 

「そう」

 

 ヴェルディアナはグッと奥歯を噛み締めた。

 

「じゃあ」

 

 ヴェルディアナが苦しげに、無理矢理言葉を絞り出す。

 

「あなたたちがもっと早く来ていれば、姉様は死なずに済んだかもしれないってこと」

 

「そういうことになるな」

 

 ヴェルディアナの理不尽な言いがかりを、クロウは一言で受け入れた。

 クロウに頷かれて、ヴェルディアナの方が動揺していた。

 

「私は、あなたのこと、恨んでもいいのよね?」

 

「そんなの本人の自由だろ?」

 

 これが意味のないやつあたりだと重々承知した上で訊ねる彼女に、答えるクロウの声は、淡々としたものだった。

 そこに罪悪感は一切ない。力不足と後悔の念は懐けても、クロウが罪悪感まで懐く謂れなどないのだから。それが道理だ。それでも、見せかけてもいいから頭を下げて謝辞を示さないクロウが、どうにも薄情な態度にしか見えず、怒りを禁じえなかった。

 

「―――<ガングレド>!」

 

 純血の吸血鬼が召喚するのは、炎を纏う三つ首の魔犬(ケルベロス)だった。クロウへ飛び掛かり、燃える巨体がのしかかる。赤熱した岩石に潰されれば、人間は生きていないだろう。それと同じくぺっしゃんこに……はならず、小さな『混血』は思い切り真上に蹴り飛ばしていた。

 そして、重力に引かれて落ちてきた眷獣の真ん中の犬頭の眉間を拳が穿つ。爆散。

 

 勝負は一瞬で終わった。

 

 魔力となって弾け飛ぶ三つ首の魔犬の中心にあるのは、巨大な魔狼の影を羽織るような、『混血』の姿。

 眷獣を失い、半ば放心したようにその場に頽れるヴェルディアナ。

 

「負け、たわ」

 

 負けを認めた―――それ以上に、これで鬱憤が晴らせないことを悟ってしまったヴェルディアナの目から涙があふれ出す。彼女は体育座りになって、俯いたまま嗚咽を漏らした。

 警報が鳴り響く魔族登録証の腕輪を止めると、クロウはヴェルディアナが泣き止むまで、彼女の前に立っていた。

 その間、数秒とは言え警報が鳴ったというのに、何故か誰も来なかった。

 

「……女の子が泣いているんだから、ハンカチくらい出しなさいよ」

 

「お前、女の子なのか?」

 

 その物言いにカチンときたヴェルディアナはその脛を蹴っ飛ばす。確かに見た目は17、8歳くらいで、実年齢は少年の主人より倍はあるはあるが、吸血鬼の中ではまだ百にも満たない若者なのだ。

 眷獣の一撃もものともしなかったクロウが、泣き所を蹴られたくらいで痛がるわけもなく、とはいえご要望通りにヴェルディアナへハンカチを差し出した。

 

「なるほど。カルアナは、永遠の女の子ってやつなんだな」

 

「そんなこと言ってないわよ!」

 

 ヴェルディアナはクロウから受け取ったハンカチで涙を拭い、鼻をかみ、それだけで足りなかったのか制服の袖で目を擦った。

 

「……あんなのありなの? 眷獣は、獣人種だってどうにかなるものじゃないのよ」

 

 文句を言い始めるヴェルディアナ。

 

「眷獣みたいに熊よりも大きなヤツは森でも見なかったけど、島に来てから結構経つしな。最初は驚いたけど、もう慣れっこなのだ」

 

「本当に、魔族の血は半分なのよね。だったら普通は力が半減してたりするものじゃないの」

 

「ん。むしろ純血のよりも身体性能(スペック)が高いとかご主人が言ってたぞ」

 

「何それ反則じゃない」

 

 ヴェルディアナが眉を顰めて嘆く。その姿は、いつもの彼女に戻りつつあった。

 彼女は泣き腫らした目で、全てではないけど憑き物がいくらか落ちたようなすっきりとした眼差しでなぞるように、その露わとなったクロウの胸元、吸血鬼の眷獣をぶつけても無傷な『混血』に刻まれた傷痕を見て、問う。

 

「あなたそれ、誰にやられたのよ」

 

「これか? 『五番目』だな」

 

「はぁ!? あなた、『王』に襲われたの!?」

 

「むぅ、最初だけは『三番目』と『四番目』もいたんだけどな。ここ最近は、ひとりになると『五番目』が喧嘩を吹っ掛けてくるのだ」

 

 仰天するヴェルディアナ。

 <焔光の夜伯>に遭遇した経験のある彼女だから、それは死を覚悟するものだとわかる。生涯で一度経験すれば十分すぎるほど不幸だといえる災厄の化身。しかも聞くところによると、そんな生きるか死ぬかの瀬戸際を何度も何度も行き来しているようで、

 

「よく生きていられるわね……」

 

「う。十に六回は、殺されかけてる。三人に囲まれた時は九死に一生を得たのだ」

 

 <焔光の夜伯>に何度も殺されかける状況なんて、ヴェルディアナにも想像がつかない。

 

「でも、おかしいわ。だって、あの時、『王』に襲われた時も『采配者』が介入してきたし、『宴』の(ルール)からも外れてるわよ」

 

「さあな。たぶん、何か気に障ることをしちまったんだと思う。虎の尾を踏んじまったんだな」

 

 ホントに何言ったのよ……その状況は恐れ戦くのを通り越して、呆れ果ててしまう。そして、頭に来た。心の底から。

 

「何で、それを今まで言わなかったのよ」

 

「訊かれなかったからな」

 

「『王』も、それを放し飼いしてる『選帝者』も、見逃してる『采配者』もおかしいけど、あなたもおかしいわ! <死皇弟>を倒した<黒妖犬>だって、『王』には敵わない。『王』には、『王』をぶつけるしかないの!」

 

 アヴローラ=フロレスティーナ――『十二番目』に何故頼らないのか。対抗できるのは彼女だけだというのに。どうして、それがわからないのか。

 

「や。アヴローラは、姉達(あいつら)と戦いたくないって言ってただろ」

 

「何を言ってるのよ。あの子は殺して壊すために造られた―――「オレには、兵器(どうぐ)には見えないぞ」」

 

 ヴェルディアナにそれを間違っても口にさせぬよう、被せてクロウは言う。

 

「『五番目』たちも、自分は兵器だって言いながら、『宴』のためじゃなくて、多分、アヴローラと同じで何かを護るためにやってるんだと思う。じゃないと、あんな“感情(におい)”はしない。

 ―――だから、オレは何とかして認めさせてやりたいのだ」

 

 実際、彼女たちに『十二番目(アヴローラ)』と同じく話は通じるとクロウは思っている。

 問答無用で実力行使してくるが、それでも戦闘の最中、こちらを見ている。『三番目』と『四番目』が来なくなったのも、自分のことを認めてくれたのでないかとクロウは勝手に期待していたりする。だから、追いかけ回しているのは、最も気性の激しい『五番目』だけになっているのではないか。

 などと語るクロウを、ヴェルディアナは絶句したまま見つめた。

 ……頼りがいがある姿というか。単純な負けず嫌いな性格というか。でもきちんと芯の通った振る舞いというか。不覚にも、少しだけ尊敬してしまったほどだ。

 

「カルアナの言う通り、『十二番目』がすっごい力を持ってるのはわかってるけどな。これは負け犬を撤回させるためにも、オレひとりでやらないと意味がない。それに、『十二番目』が入ると問題が複雑になるのは目に見えてるのだ。そんなワケで、こっちには構わないでいいぞ」

 

「………本気?」

 

 試すようなヴェルディアナの問いに、クロウは気軽に頷いた。

 事の深刻さを過剰なくらい理解しているヴェルディアナと、それほど深刻な事でもないと語るクロウ。

 路地裏に差し込む陽の光が、目と目を合わせて話し合う二人を光と影とに別けている。

 どちらが光に照らされているのか、どちらが影に佇んでいるのかは、語るまでもない。

 短かな、ほんの数秒ほどの沈黙。

 ヴェルディアナはクロウを真顔で見つめて、

 

「……それで死んだって、私は知らないから」

 

「オレも死ぬ気はないぞ」

 

「口ではなんとでもいえるのよ。じゃあ、明日になるといなくなってるかもしれないから、今のうちに言っておくわ。

 ……姉様の仇を取ってくれて、ありがとうクロウ」

 

 とヴェルディアナはクロウから背を向けた。

 結局、彼女は八つ当たりをしたことについては、謝らなかった。

 クロウにも謝罪を求める気はなかった。

 ただ、

 

「そういえば、オレが死んだら、このメイド服はヴェルディアナが全部弁償するのか?」

「え゛」

 

 

 

 で。

 休憩でもないのに接客中に店を抜けたヴェルディアナと、店長渾身の作品であるメイド服をボロボロにしたクロウは二人仲良く店長から今日の給金無しという説教の雷を落とされることになった。

 

 

回想 道中

 

 

『また、見てました』

 

 

 親友(かのちゃん)が、もう両の指では数えられなくなるくらいの指摘をする。

 

『凪沙ちゃんは、クロウ君のことを気になっているのに、どうしてそんなに避けようとするのでした?』

 

 彼女はそうは言うが、私はそんなに彼を視線で追うつもりはなかった。ただ、どうしてかここ最近の彼の動きが違うように見えた。どこか怪我をしているのではないか? けど、室内でも厚着をしているので誰も気づいてない。きっと周りで勘付いてるのは私だけなのだろう。でも、私はそのことを誰にも言えないし、彼に声をかけることもできない。

 

『一度、話し合ってみませんか?』

 

 私と彼の間を取り持ってくれる彼女は何度も根気強くそう提案してくれるけど……

 前に古城君も、『魔族が怖いのは仕方ないけど。そろそろクロウのことを避けるのは止めにしたらどうだ?』と言ってきたりするけど……

 

 

 

 部活が終わり、彩海学園から帰宅する。

 今日は冬休み前の学期末テストの部活停止週間前ということでミーティングが長引いて、いつもよりもだいぶ遅い。遅くなると古城君にメールした際も『迎えに行こうか』と心配されたけれど、もうそこまで子供のつもりはない。ここのところ体調も良いみたいだし、人気のない坂道を吹き抜けていく夜の風は涼しくて心地いい。

 ただ少しだけ、暗くて不気味に感じるけれど。

 ここ最近、絃神市で原因不明の爆発事故が多発している。狐の嫁入りならぬ雷様の嫁入りだとかで突発的に落雷が発生しているみたいだ、ってこの前、検査入院した際に深森ちゃんに言っていた。

 ヘソを取られぬようお腹に手をあてつつ、調子の外れた鼻歌を口ずさみながらテンションを上げて、暁凪沙は駅へ向かって歩き出す。

 部活帰りの同級生たちと一緒だったのだけど、ひとりまたひとりと急にいなくなり、不自然と思う間もなく、凪沙はひとりになっていて……

 見知らぬ女性に呼び止められるまで、そのことに気づけなかった。

 

「暁凪沙さん?」

 

「あ、はい」

 

 名前を呼ばれ咄嗟に応えた凪沙はそこで、自分を取り囲むように10人近い人間が立っていることに気づいた。

 

「―――――ッ」

 

 何で今まで気づけなかったのか、と凪沙は思う。

 まるで道端のアンケートの質問をしにきた調査員ぐらいの距離。まるでかごめ歌で取り囲むように、10人近い人間がじっとこちらを見ているのに少しも気づくことができなかった。

 考え事をしていたにせよ、これは異常。異常なくらいに気配の消えた、暗殺者じみた連中だった。

 

「……、」

 

 皆同じような目立たない地味なスーツ姿の男女。見た目の印象も世代もバラバラの、よくわからない集団。ラッシュ時の満員電車の中にいれば、顔と名前もわからなくなるほど無個性に見える彼女たち。だが、そのやけに画一化された目つきは迷いがなくて、怖い。けして風景に溶け込むことなどできないように見える。

 

「心配しないで。私たちは人類救済機構『楽園の護り手』の闘士よ。善良な市民の生活を護るために魔族を根絶する活動をしているの」

 

 口元だけの笑みを浮かべて、最初に声をかけてきた女が言う。

 油汚れと同程度に魔族根絶を語る彼女に、生理的な恐怖と嫌悪を覚えてしまう凪沙はその正体を悟り、それをおそるおそる口にする。

 

「差別……主義者……?」

 

「そんな風に私たちを非難する連中もいるわね。でも、ね、正直にあなたは魔族のことどう思っているの? 彼らが怖いとは思わない?」

 

「そ、それは……」

 

 怖いと思う……けど、頷かない。確かに怖い、怖がってしまう、でもそれは彼らが怖いことをしたわけではなく、凪沙の過去の体験に根差した魔族恐怖症(トラウマ)がその過去と重ね合せてしまうのが原因で、彼らを弾圧していいなどと思ったことは、ない。

 ただ、凪沙が口を開くよりも早く、その返事を待たずに女は一方的な主張を続ける。

 

「聖域条約が締結されて魔族による凶悪犯罪は減ったって言うけれど、それは政府による印象操作の大嘘よ。彼らは本当のデータを隠蔽して、捏造した資料を流しているの」

 

「あの……あたし、早く家に帰らないといけないから」

 

 女の言葉をこれ以上聞く気にはなれず、この場から逃げ出そうとする凪沙だが、しかし彼女たちは腕を広げ、その行く手を遮る。鳥籠に閉じ込められたような凪沙へ、女は作った顔で微笑みかけながら、スーツの懐に手を入れて、

 

「ごめんなさい。大丈夫よ、時間は取らせないわ」

 

 取り出した“それ”を凪沙に突きつける。“それ”はレディースタイプの掌に隠し持てるほどの小さな拳銃。

 

「私たちの用事はすぐ済むから。<第四真祖>の復活を阻止するために、お願い。死んで」

 

 それは女だけでなく、十人全員が短銃身のリボルバーの銃口を凪沙に向けている。皆、その瞳に凪沙への同情も憐憫もなく、ただ己の正義だけを猛進するものに特有の昂揚感だけが浮かんでいる。

 凪沙は彼女らに震える声で、

 

「人間が……人間が殺すの?」

 

「同情を惹こうと演技をしても無駄よ。異端の巫女が人間を名乗るなんて厚かましい!」

 

 問い掛けた凪沙へ、初めて女の顔に敵意が浮かんだ。

 その唐突に叩きつけられた猛烈な悪意、理不尽に、凪沙はどうしようもない絶望を覚える。

 おそらく彼女たちが求めるのは、暴力を振るっていい免罪符が与えられたサンドバック。今は偶々魔族に対して敵意を抱いているが、その矛先が他のものに向けられてもおかしくはなくて、つまりは最初から話が通じるような相手ではなかった。

 

(―――誰か、助けて!)

 

 

 

「抵抗しなければ、楽に死なせてあげるわ」

 

 形式的な手続きのような文句を無感動に言い放つと、女は引き金に指を掛け、無表情で連射。―――寸前、凪沙は十人の間をすり抜けて割って入ってきた誰かに抱きかかえて地面に伏せられた。銃声の震動が凪沙の鼓膜を揺らす。何者かが割って入ったことに気づかず、または異端の巫女を構うものであるのならそれ自体が罪人であると断じたのか、引き金を引き続ける。

 そして確実に仕留めたと判断できる、いや死体蹴りと言えるほど十人が銃弾を撃ち込んだところで、ようやく乱入者を確認する。異端の巫女を胸に抱いた厚着の学生が地面に倒れ、その背中には無数の穴が開いていた。この様子だと、下にいた暁凪沙も撃たれているだろう。女は撃ち尽くした拳銃を懐に仕舞いながら、隣の男に命じる。

 

「ふん、邪魔が入ったわね、『人払い』はちゃんとしてなかったの。まあいいわ、そいつ、どかしてちょうだい」

 

 男は何の感慨も込めずに凪沙と、それを庇った学生に近寄ったが、凪沙の目が開いていたのを見て驚く。

 

「異端の巫女の方がまだ―――」

 

 男がすべてを言うより早く、突然立ち上がった厚着の少年の裏拳がその顎を打ち抜いた。衝撃で男の首が曲がり、白目を剥いて崩れ落ちる前に少年は跳躍。疾風のように振り抜かれた右足の蹴りが、並んで立っていた男3人の鼻を削ぎ落とし、さらに蹴った勢いのまま捻転した左足の踵蹴りが、続けてその隣に並んでいた男女3人をドミノ倒しの如く蹴り飛ばした。着地と同時に、少年は別の男の眉間を人差し指と中指を嘴にした指突で突いて、さらにもうひとりの股間を師父直伝の禁じ手で潰す。

 ―――そこでようやく、最初に反撃を喰らった男が地面に倒れる。

 その9人が気絶し、あるいは地面に倒れ痛みにもがいているのを確認してから、少年――南宮クロウは、『楽園の護り手』のリーダー格の女にゆっくりと顔を向けた。

 

「『人払い(まじゅつ)』はちゃんと張られてたぞ。でも、これよりもっとすごいカルアナの姉さんの眷獣のヤツでもオレの『鼻』は誤魔化せなかったのだ」

 

 暁牙城からの頼みごとを受けた主人より、南宮クロウは『嗅覚過適応』の“匂い”さえ覚えれば広範囲で現在地を特定感知できる位置追跡の応用で、対象の動きに合わせて移動し、その周囲にある敵意といった“負の感情(くさいにおい)”に敏感な探知網を暁凪沙に敷いていた。

 だから、凪沙へ銃口を向けたその殺意が本物であることを悟っているクロウは、本気で頭に来ていた。この前の『匈鬼』ではなく、ただの人間であるから手加減こそいたが、躊躇なく撃った弾がすべてクロウの背中で防げずに、もし一発でも凪沙に当たっていれば、果たして自制ができたかも怪しい。少なくとも、この場にいる全員五体満足では済まないくらい破壊されていただろう。

 予想外の事態に、女は撃ち尽くして空の拳銃を震え出しながら向けてくる。

 

「あ、あなた、魔族なのね……!」

 

「半分はな。オマエら、全滅したくなかったら、大人しく特区警備隊に捕まっておいた方が良いぞ」

 

「は、はぁ!? 捕まるのはあんたの方よこの魔族め! 私たちは清浄なる世界のために異端の巫女を排すのであって、裁かれるのは―――」

 

 クロウが近寄ろうとすると、女は尻餅をついて後退。目の前で同志たちを一蹴された女は、口答えはしていても戦意は失せている。それ以上の耳が汚れるような罵詈雑言を聞く気にもならず、軽いデコピンでクロウは女を昏倒させる。

 

「暁?」

 

 クロウはすべてを終わらせて、凪沙を見たが、彼女の眼差しは伏せられていた。その手はクロウのコートの裾を掴み、唇を引き結ばれる。遭遇した暴力沙汰で、自分に向けられた殺意をどう処理したらいいのか、混乱しているようだった。

 もっと、早く駆けつけるべきだったな、とクロウは己を恥じる。

 ここのところよく力不足を痛感するが、それは何度もあっても麻痺す(慣れ)ることのないもの。

 

「ああ、」

 

 凪沙の感情(におい)が、一段と乱れが大きくなる。

 

 

『そうか……妹を庇ったのか。その気概は賞賛するぞ、少年』

 

 

 そこで、クロウはそれが魔族恐怖症(いつもの)とは違うことに、気づく。

 

 

『無謀で愚かだが、勇気ある行動だったことは認めよう。だが、所詮は脆弱な人間の身体。残念だったな―――』

 

 

 自分を庇い、一斉射撃を浴びたその背中。

 それはあの時、自分を庇って、死んだ兄の姿と同じで、たとえそれが無事であっても、重なってしまっている。

 

 

「―――暁! 落ち着くのだ!」

『―――案ずるな娘。今度こそ楽にしてやる!』

 

 

 そして、また別のものに、重なった。

 

「おい、暁!」

「―――こっちに来ないでッ!!!」

 

 近寄る“死皇弟(クロウ)”へ、拒絶の言葉。

 その何かの蓋が外れた予感に、クロウの心臓が、大きく跳ねる。塗り替わっていく圧倒的な気配、存在感、オーラ。或いはそれだけで敵対者を捻じ伏せ、平伏させかねないほどの暴力。神経をスタンガンで焼かれるような感覚を浴びながら……その少女の顔を見た。

 

「暁、お前……」

 

 固まるその同級生の顔を見て――金瞳から鏡映しに自分の顔を見て、ハッと正気に戻る凪沙は、その場から――少年から離れる。逃げるように。

 走り出した少女に手を伸ばそうとして……

 クロウは愕然とする。

 何故ならば、力を入れようとした両足は震えていた。

 力を入れようとした両足が、震えていた。ブルブルと震えていた。

 進むことを拒むように、震えていた。

 

「オレは、まだ、ダメなのか……」

 

 『首輪』の下――“創造主(オヤ)”に付けられた絞め痕が、■されかけた記憶が、疼く。

 その場から動けず、その振り返ることのなく小さくなっていく背をその歪む視界に映すしかできなかった。

 

 

 

 同じ、だ。

 私は今、差別主義者(あのひとたち)と同じことをしようとしていた。

 彼を、この手で■そうと―――

 

 

 

 

 

 そして、第二真祖<滅びの瞳(フォーゲイザー)>直系の第九王子イブリスベール=アズィーズ殿下を降し、ネラプシ解放軍率いるバルダザール=ザハリアスは、『滅びの王朝』が所有する二体の<焔光の夜伯>を奪う。

 半数――計六体の<第四真祖>の素体を手に入れたザハリアスは、絃神島にて、『焔侊の宴』最後の支度を始める。

 

 

 開催は、四の月の満月の時……それはちょうど、中等部三学年に進級した少年少女が同じクラスとなってから、十日後であった。

 

 

 

つづく

 

 

 

とある施設

 

 

 修行の成果、見せてあげるわ<黒妖犬>

 

『ぬぬ!? な、なんなのだ、妃崎の姿が見えなくなったと思ったら、気配まで感知できなくなったのだー!?』

 

 『鼻』に頼るからそうなるのよ。ほうら、隙ありよ!

 

『うわっ!? なんだ、今オレは何をされたのだ?』

 

 ふふ、これは何かしら?

 

『あ、それはオレの帽子! いつのまに!?』

 

 すぅ……はぁ……―――では、お次は手袋をいただこうかしら。

 

『っ!? また消えた、“匂い”までしないなんて、どこにいるかわからないぞー―――わっ!? またやられたー!』

 

 すぅ~……はぁ~……―――これは攻撃でなくてよ。そう、あなたと私の差を教えるためにしているデモンストレーション。

 

『ダメだ、今の妃崎には敵わないぞ。逃げるのだー!』

 

 はぁはぁ……―――逃がさないわ。その身ぐるみを全部剥いであげる!

 

『きゃー捕まったー!? こうなったら、喰らえ、忍法おいろけの術!』

 

 あぁん、っぐ……―――ふ、残念、それはもう克服したのよ! <霧豹双月>!

 

『うわー……参りましたのだー霧葉様ー』

 

 

 

「………何か違う気がするけど、まあ、良いわね」

 

「えー、っと、今のは何なのキリハ」

 

「イメージトレーニングよ莉琉。あらゆる事態を想定して、それに自分ならどう対処するかを考えるの。標的を狩る前に三回ほどすれば、未来視の精度も上がったりするのよ」

 

「そうなんだ。てっきり、私……」

 

「じゃあ、まだイメージトレーニングをしておきたから、しばらくひとりにしてもらえないかしら莉琉」

 

「うん、邪魔しないよキリハ」

 

 

 

つづく

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