ミックス・ブラッド   作:夜草

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焔侊の宴Ⅳ

回想 道中

 

 

「……イヤなら、別に無理に行かなくてもいいと思うぞ」

 

「ううん。人質に取られてる深森ちゃんが心配だし、それにここで逃げても、何も解決するわけじゃないでしょ。だから、行くよ」

 

「そうか。わかったのだ」

 

「……それでね、クロウ君。クロウ君は、凪沙の味方になってくれる?」

 

「それはさっきも言ったのだ、オレは凪沙ちゃんの味方になる。誰からも守るし、絶対にひとりにしないと約束するぞ」

 

「うん! ありがとうクロウ君」

 

 

回想 旧南東地区 クォーツゲート

 

 

 穢れた土地より蘇りし死者の王。

 世界の理から外れた殺神兵器。

 無限の負の生命力を操る人造の真祖。

 

 受けた傷を呪い返す『報復』、死体を埋葬する『大地』、万象の原子結合を解いてしまう『霧化』、噛みついたものを己の力とする『吸血』、相手を己の虜とする『魅了』、存在が生まれる以前にまで回帰させてしまえる『再生』、永久に封印する『眠り』……

 吸血鬼の伝承になぞらえた十二の災厄を持つ<第四真祖>。

 

 それは、人間には成し得ぬ奇蹟を起こす権能がある。

 

「時間まであとわずか。ここはひとつ私の身の上話をさせてもらいましょう」

 

 6体の<焔光の夜伯>――<第四真祖>の素体の半数が揃い、『焔光の宴』の魔法陣が敷かれたネプラシ自治区の生贄から吸い上げた魔力も、覚醒の呼び水としては十分なほどに充填された。

 全ての準備は整い、“招かれざる客”も混じっていて、役者も全員が出揃ってはいないが、ずっと待ちわびていた主役が登場した。

 

「私の故郷のバルカン半島の小さな街は、今はもう存在しません。『戦王領域』と『滅びの王朝』、そして西欧教会の三つ巴の争いに巻き込まれ、もう70年も前に消滅しました」

 

 あれからの全ては、この『焔侊の宴』のために。

 不老不死の魔族からすれば短いものだろうが、人間にとっては半生以上の長い年月をかけてきたのだ。

 

「戦争を仕掛けてきた者たちの目的は、私の故郷に封印されていた『一番目』の<焔光の夜伯>―――

 そして、『一番目』を守護する巫女であった、私の妹ヴラスタは、吸血鬼どもに殺されました。私もヴラスタを護ろうとして、同じ場所で殺され……私だけが生き返った。

 ヴラスタが私を生き返らせたのです。『一番目』の『血の従者』として!」

 

 

 

 クォーツゲート。

 かつては絃神の市庁舎や人工島管理公社の本社が置かれ、極東の『魔族特区』絃神島の技術を世界中に知らしめた歴史的な魔術建造物。

 しかし、人工島管理公社の本社は島の中心地キーストーンゲートに引っ越し、旧南東地区の解体が決定したことで、クォーツゲートも廃棄されることになった。現在のクォーツゲートは、一般人の立ち入りが禁止された無人の廃墟。

 ―――この盛者必衰の理を体現する城、その中央の広場が、連れてこられた『宴』の舞台。

 

 母の深森を人質に取られた暁凪沙は、舞台の中心に立つ灰色の髪をした十代半ばの――兄と特徴が似た――少年に主役の登場に歓喜を身体全体で表すよう、大仰に一礼をされる。

 そして、MARの遠山美和に一言二言会話を交わすと、凪沙の隣に立つ南宮クロウを睨んだが、すぐに視線を外した。

 

 少年の傍には、凪沙たちを連行してきた『二番目』、『九番目』、『十一番目』と同じ顔をした『七番目』、『八番目』の少女たちが控えていて、

 背後にある二つの棺桶には、胸に抉られたような傷を持つ金髪の少女と、宝石の結晶に包まれた灰色の髪の少女。痩せさらばえて、骨と皮しか残っていない木乃伊となった遺体があった。

 

「<第四真祖>の『血の従者』バルタザール=ザハリアスは、暁凪沙嬢に今一度、あの奇蹟を再現してほしいのです。

 “死者の蘇生”という、あなたが、あなたの兄を不死身の怪物に変えたあの奇蹟を!」

 

 語り終えた少年――身体年齢が最盛期にまで若返ったザハリアスが、凪沙に真実を突き付けた。

 兄が、自分が恐れる魔族の従者であると。

 そして、そうしてしまったのは、自分のせいであると。

 突然に兄の名前が出てきたことに動揺していたところに、信じがたい話を聞かされた凪沙は、激しく首を振ってそれを否定する。

 

「嘘だよ……そんなの……! あたしが古城君を……」

 

「いいえ。あなたは覚えていないだけ。しかし、たしかにあなたがやったのです!」

 

 だが、ザハリアスはそれを許さぬ、蛇が一度食らいついた獲物をけして逃さぬよう、追及の手を緩めたりはしない。

 

「違う! そんなはずない! だって、あたしにそんな力なんてあるはず……ない!」

 

「ええ。そうでしょうとも。わかっています。いかに優れた巫女であろうとも、死者を生き返らせることはできない。それが可能なのは、世界最強の吸血鬼―――<第四真祖>だけだ!」

 

 舞台役者が観客にするよう、ザハリアスは大きく両腕を広げて、空を仰ぐ。

 覚醒の儀式の準備は整っている。後は暁凪沙が完全な<第四真祖>を目覚めさせるだけだ。そして―――

 

 

 

「いや、死者を生き返らせることならオレにもできるぞ」

 

 

 

 弁舌を振るい、場を呑んでいたザハリアスに投げかけられた、招かれざる客の言葉。

 絶やさなかったザハリアスが固まり、視線だけで“邪魔者”を伺う。興が乗っていたところに水を差された。憎悪の光に射抜かれた南宮クロウは目を点にして、何かおかしなことを言ったのか、と考え込む。

 思いつくのは、今の発言しかなく、クロウは不機嫌そうに眉をひそめた。

 

「わざわざ<第四真祖>?とかいうのを起こさなくても、それくらいオレにだってやれるのだ」

 

 戯言をとこの“邪魔者”を一笑に付す場面だろう。

 だが、ザハリアスがアクションを起こす前に、クロウは重い溜息を洩らした。

 

「あまりしたくないことだけど、凪沙ちゃんの代わりにオレがやってやる。

 ―――本当にそれがオマエの望みだったらな」

 

 それはありえないことなのに、不自然さを覚えさせない言い方だ。

 それに、“死者の蘇生”という奇蹟を何度か起こしてないと言えない台詞。

 

 ザハリアスは、この南宮クロウという少年をあまり調べていない。

 一度は誘いをかけて、その後、『十二番目』に付いていることだけは知っていたがそれだけ。<黒妖犬>という魔女に飼われている獣人であり、『匈鬼』の部隊を圧倒するだけの実力を持った戦闘員、という認識だった。

 それ以上も調べようと思えばできただろうが、『滅びの王朝』と『戦王領域』を相手取っているというのに、“『九番目』から尻尾を巻いて逃げた小物”に煩っている余裕などない。

 だが、協力者である遠山美和に連れられてこられた暁凪沙、と一緒に『焔光の宴』に現れ、『部外者を近づけるな』という命令を出した『王』らもそれを止めはしてない。

 

 もしや……この場で一番常識から外れているのは、こいつなのか。

 

 遠山――『采配者』である獅子王機関に所属する攻魔師を非難するように睨むが、彼女もまた<黒妖犬>については調査不足のよう。

 気を取り直して、凪沙から彼に視線を移し、用心深い蛇のような眼差しで一挙一動を観察しながらも、ザハリアスは薄く苦笑して見せる。

 

「ふっ、一体何のことを仰っているのかはわかりませんが、それ以上の戯言はおやめなさい。私は、私を救ってくれた私の妹を、同じ巫女である暁凪沙に救ってほしいのです。ただ、それだけ―――」

「―――違うな。戯言(ウソ)を吐いているのはオマエだ」

 

 同情を誘おうとしたザハリアスを、バッサリと切り捨てる。

 罪人を裁くように断言。

 邪魔をされなければ、暁凪沙を丸め込めたというのに、波風を立てる。しかし彼の言葉には揺るぎない確信が込められており、そして、それが神風のように場を荒らすトラブルになろうとしている。

 

「その死体(からだ)から香る“匂い”でわかる。凪沙ちゃんとヴラスタ(その子)は違う」

 

「クロウ君……」

 

 クロウは、この二人の巫女に差異があると断定。そして、鬼胎を抱く凪沙を背に庇う。

 もうすでに下腿から力が抜けかけて、気づけば膝を折りそうになっていた凪沙は、この中で唯一の味方である彼の背に倒れるように抱きつく。

 寄りかかっても揺らがない芯の通った体躯は頼もしく、小柄な割に大きく感じさせる安心感、しっかりとした体温、そして、不思議と落ち着く匂い。

 それは、森の中でご神木に体を預けるような感覚を凪沙にくれる。

 大丈夫。

 私はひとりじゃなく、頼れる人が傍についてくれる。

 

「凪沙ちゃんたちが襲われた遺跡にオレもいた。ご主人からも聞いた。古城君は凪沙ちゃんを庇って、凪沙ちゃんは古城君を救うために必死だったのだ。凪沙ちゃんは古城君を怪物にしたくてしたんじゃないし、古城君を助けたくて助けたのだ」

 

 彼も凪沙の記憶にないその事実を語るが、それはザハリアスのように悲劇に歪めて、非道と責め立てるものではない。理解し、弁護し、認めてくれる。そして、今度は、凪沙はそれを聞き入れることができた。驚くほどに安定していた。

 

「だから、オマエとは違う。そして、違うから、オマエは、凪沙ちゃんに嫉妬しているのだ」

 

「何が? 私がヴラスタを命がけで護ろうと―――」

「ウソだな。オマエは妹のヴラスタを道具としか見てない」

 

「ヴラスタが私を、命を賭して蘇らせようと―――」

「ウソだな。ヴラスタは兄のオマエに怒ってるし、ひどく哀しんでる」

 

「私はヴラスタを蘇らせてもらうために『選帝者』となった―――」

「それもウソだ。何だオマエ。ウソばっかりだな。前は容姿(みかけ)がウソっぱちだったけど、性格はそれ以上にウソ臭い奴なのだ。ここまで鼻が曲がりそうなのは初めてだぞ」

 

 今やザハリアスの顔からは、完全に笑みが抜け落ちていた。その代わりに明らかな動揺が浮かんでいる。クロウは理屈ではなく、理論でもなく、ただ直感のみでザハリアスの虚偽を看破しているのだ。武器商人として多くの人間魔族と接してきたザハリアスも、こんな『混血』の相手をするのは初めてなのだろう。

 これを敵に回すと恐ろしいのは戦闘だけではないことを、ザハリアスは理解した。

 <黒妖犬>は直感で真実を悟る。まやかしが一切通用しない。そして、今のクロウは容赦がない。

 

「もし、本当に蘇らせたいのなら、ヴラスタ(オマエの妹)についてる、“邪魔な小細工(トラップ)”を外しておいたほうがいいぞ。そいつは邪魔なのだ」

 

 誰にも明かしていない、協力者の遠山美和さえ隠していた、そして、“暁凪沙”に知られると計画が破綻してしまう。

 

 永遠の命を得るために、祖国を売り、妹を殺し、『一番目』より肋骨を簒奪した。

 そして、さらなる力を得るために、この妹の亡骸に魂魄捕獲の術式を仕込み―――なのに、この寸前で台無しにさせるなんて、絶対にさせない。

 

 握った拳に爪が立ち、皮膚が破れ血が滲む。今すぐこの餓鬼の口を封じてやりたい。そんな思いが、拭い難く湧いてきた。

 ザハリアスは棺桶の中に横たわる『一番目』と手を取り合って、静かに命令を下す。

 

「疾く在れ、<神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>―――」

 

 虚空よりザハリアスを守護する途方もなく巨大な眷獣が出現する。

 この凄まじい魔力の波動で、地鳴りのように大地を揺らすありえないほど強大な桁外れの怪物は、金剛石(ダイヤモンド)の肉体を持つ大角羊《ビックホーン》だ。大気が重苦しく密度を増して、標的の動きを縛ると、眷獣の周囲には数千、数万もの宝石の結晶が浮かび、そして、宝石の雨は弾丸となってクロウに撃ち放たれる―――ことはなかった。

 

(何故、攻撃をしない『一番目』!)

 

 喚び出したのに命令を聞かず、穢れなき絶対無謬の神の羊(アニユス・デイ)はそこを動かない。

 あの獣人の少年が『匈鬼』を圧倒したのを目撃しているザハリアスは、それを前にして一瞬の停滞が命取りになることを知っている。

 

 焦り、そして自身の目論見が暴かれていく死の商人はその口を封じるべき『混血』のことだけしか見ていなかった。

 

「くっ……!」

 

 ザハリアスは袖裏に隠し持っていた拳銃をクロウに向けた。相手は『匈鬼』の硬気銃にも耐え抜く頑丈な身体を持っている。だが、護身用のリボルバーといえども、装填された銀イリジウム合金弾は、獣人や吸血鬼と言った魔族に特に致命傷を与えるだけの破壊力がある。兵器商であるザハリアスだからこそ入手できた貴重な、それも高純度の対魔族用特殊弾。

 立て続けに銃声が鳴り響いて、撃ち放たれた5発の銃弾は―――

 

 ―――楯となった金剛石の結晶に阻まれて、ザハリアスの身体に跳ね返された。

 

「ぐ、ぐふぅっ……!?」

 

 ザハリアスの胸元に、パッと大きな薔薇が咲く。

 薔薇の正体は飛び散った鮮血。血と肉の花びらを撒き散らして、ザハリアスの身体がぐらりと揺れる。

 

 な、何故、『王』が私を裏切る……!?!?

 ザハリアスはその場に膝を突き、そのままゆっくりと倒れていく。

 <焔光の夜伯>は兵器(どうぐ)。命令を聞くのは、素体たちの『選帝者』であり、肋骨の一部を交換した『血の従者』であるザハリアスと……

 そこで、ようやく気付く。

 いた。

 その背中に庇われて―――その背後すぐに“暁凪沙”がいる。

 

(私としたことが、こんなことで……!)

 

 自滅したといってもいいザハリアスは、『血の従者』の恩恵で負傷を再生させようとするも、吸血鬼殺しの弾丸は疑似吸血鬼の治癒を阻害する。

 そして、

 

 

「死になさい、ザハリアス! 父様の無念と領民たちの苦しみ、思い知れ―――!」

 

 

 このタイミングで―――これまで虎視眈々と見計らっていた復讐者ヴェルディアナが、怒号と共に二体の眷獣を召喚した。炎を纏う三つ首の魔犬(ケルベロス)と凍える息を吐く双頭の魔犬(オルトロス)。今の彼女が扱える最大の戦力。

 

 肉壁となる護衛の『匈鬼』は、命惜しさに『滅びの王朝』へザハリアスを売ろうとしたので切り捨てたので、この場にはいない。

 協力者の遠山美和も、彼女の目的は『焔侊の宴』にあって、ザハリアスの身の安全を守る協定までは結んでいない。

 この距離で、ザハリアスの身体能力ではその攻撃を避け切ることはできない。

 その瞬間、神々による不死の呪いを受けた真祖の『血の従者』の肉体に埋め込んだ無数の刃を出現、『匈鬼』と同じ、そして、それ以上に強力な魔具で抵抗を試みる―――しかし。

 

 灼熱と凍結の眷獣の巨体がザハリアスにのしかかる。鮮血と肉と内臓を撒き散らして、ザハリアスは呆気なく潰れた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「はは……あははははは……やったわ、仇を討った。皆の仇を討ったよ……! あははは……あはははははははははは!」

 

 

 むっとするような血ににおいが鼻腔に飛びこんでくる中、頬に涙を伝わせて、着ているメイド服を血塗れにしたひとりの女吸血鬼が哄笑する。

 二頭の魔犬がいた場所は、“バルタザール=ザハリアスだったもの”が散らばって、血の池地獄になっていた。

 

「あの、クロウ君……」

「大丈夫だ。だから、終わるまで、目を瞑っててくれ」

 

 魔族恐怖症でなくとも、見ていた辛い光景だ。

 呪縛されて動けない凪沙を手でその目を覆い、耳と鼻も塞ぐよう腕を巻いて胸に抱きしめるクロウはその表情を険しくさせる。

 ヴェルディアナは両手でお腹を抱えながら笑っていた。堪えきれなくなったのか天を仰ぎ、そこで息を切らす。

 

「見てくれましたか父様、見てくれましたか母様ッ。私やりました。ひとりで倒したの。すごいでしょ!」

 

 ヴェルディアナは空に向けて両手を広げ、心の底から嬉しそうに微笑んでいた。

 その唇は艶やかな赤。瞳は興奮できらきらと輝いている。絹糸のようなブルネットの髪は乱れているも、それさえゾッとするくらいに美しく見えたことだろう。

 

『なるほどな、貴様は家族の仇を討つために『焔侊の宴』に参加したのか』

 

 主の声が脳裏に木霊する。

 ―――カルアナは、何も変わってなかったのか。

 クロウはこの血腥い空気の中、息を止めながら、まだ声を掛けずに見ている。ぐちゃぐちゃと何度も血溜りに沈む肉の塊を踏み潰すヴェルディアナに、悲しくなりながら。

 保護観察として、これまで一緒にバイトをしたりと共に過ごしてきた数ヶ月間が、まるで遠い昔のことのように思える。

 

『私は復讐を忘れるわけにはいかないの!』

「ああ、クロウ。ザハリアスの気を引いてくれてありがとう! 殺せたのは、あなたのおかげよ!」

 

「……別に、そんなつもりはなかったのだ」

 

 クロウはゆっくりと首を左右に振る。

 どこか非難するようなその態度に、ヴェルディアナが、死体蹴りをしていた足を止めて、鼻白んだ顔をする、

 そこへ、拍手が送られる。

 

 

「―――おめでとうございます」

 

 

 思いがけない遠山からの賛辞に、ヴェルディアナは不快気に眉を顰めた。祝福しながらも向けられるのは無感動な瞳の遠山を、ヴェルディアナは眇めた目で見やり、そして侮蔑するように吐き捨てた。

 

「今更何かしら。あなたがザハリアスと裏で繋がっていたことはわかってるのよ。『十二番目』を覚醒させたあの日、ザハリアスに教えたのはあなたでしょう」

 

 暁凪沙(と南宮クロウ)を、ザハリアスの下に連れてきた。

 証拠はなくても、状況証拠から少し考えれば、ヴェルディアナには察することができるのだろう。

 こいつは、自分を売った。

 あの時、助けられなければ、自分は死んでいたのかもしれない。

 だったら、自分の復讐の対象に入るのではないか。

 

 憎悪に細められた紅の瞳が、さらに鋭くなる。

 

 だが、それを受けても遠山はその鉄仮面を崩しはしない。純血の吸血鬼に殺意を向けられて、平然とする、それは彼女が単なる医師や研究者ではありえない胆力だ。そして、あの時、南宮クロウに見せた戦闘技能は、一般人というには無理があるもの。

 利害の天秤より、これ以上隠すのは不利に傾けることになると判断した遠山はあっさりと自らの身分を明かすことにした。

 

「私は、獅子王機関の攻魔師です」

 

 国家公安委員会に設置されている特務機関。遠山はそこに所属する大規模な魔導テロや魔導災害を阻止するための捜査官。そして、

 

「MARは、我々と契約関係にありました。獅子王機関はMARに対して、封印された『十二番目』の占有権を認める代わりに、監視役の受け入れと情報提供を求める―――その監視役が私です」

 

「そう……そういうこと、獅子王機関、『焔侊の宴』の『采配者(ブックメーカー)』が、『選帝者(ザハリアス)』と繋がってたなんて、吐き気がするわね」

 

 眷獣を召喚するために魔力を高めていくヴェルディアナ。その機先を制すよう遠山はその口を開いた。

 

「その不正、あなた達の血で贖ってもらおうかしら―――」

「『選帝者』の引き継ぎを行いますか?」

 

「えっ?」

 

「ザハリアス卿の権利を引き継ぎますか? ヴェルディアナ=カルアナ伯爵令嬢」

 

 訝しむヴェルディアナに、遠山は事務的な口調で言った。

 

「ザハリアス卿を斃した以上、既に暫定自治政府が崩壊したネプラシ自治区は、『戦王領域』カルアナ伯爵領主――故フリスト=カルアナのご息女であるヴェルディアナ=カルアナ伯爵令嬢の管理下に移ります―――これで、土地と人民を得たあなたは、これまでは保留にされていた『選帝者』の資格を得ました、と『采配者(わたし)』はそう判断します」

 

「……どういうことよ?」

 

「『焔侊の宴』を続けますか?

 ザハリアス卿に勝利した以上、ザハリアス卿が所有していた6体の<焔光の夜伯>も所有権はあなたに移っています」

 

 第二真祖第九王子よりザハリアスが、<焔光の夜伯>を奪った時のように。

 ヴェルディアナがザハリアスから、<焔光の夜伯>を奪い取ったのだと。

 

 だから、“続き”をするのか、と『采配者』は問うている。

 

「ふざけないでちょうだいッ! 『焔侊の宴』でいったい何人が巻き込まれてると思ってるのよッ!」

 

 声を荒げて、責め立てるヴェルディアナに、淡々と遠山は言葉を返す。

 

「ネプラシ自治区に居住する一般市民は約265万人。そのうちの約15%が、既に大規模感染(アウトブレイク)によって疑似吸血鬼化していると言われています。これで<第四真祖>を覚醒させる魔力の必要量に達したとみています」

 

「あなたね……それで、私に……領民の皆を犠牲にしろっていうの! 姉様がしようとしたことをやれっていうのかしら!」

 

「疑似吸血鬼化した人々の全てが、必ず死に至るわけではありません。おそらく数日中に感染症は沈静化します。『焔侊の宴』によって奪われるのは命ではなく、記憶だけですから」

 

 記憶……?

 <第四真祖>を復活させるために生贄を用意するのは理解できるが、必要なのが命ではなく、記憶……

 

「ご在知の通り、魔術の世界において、長い年月を経てきたものは、それだけ強力な力を持ちます。

 吸血鬼の真祖たちが強大な力を誇っているのは、彼らが最古の吸血鬼だからです。不老不死である彼らが蓄えた膨大な『固有堆積時間(パーソナルヒストリー)』が、彼らの力の源泉です。

 しかし、造られた真祖である<第四真祖>には過去の歴史の蓄積がありません」

 

 素体のひとりであった『十二番目』にほとんど記憶がなかったのは、何百年も、あるいは何千年も封印されてきたのが理由。

 だから、他者の記憶を食うことで、覚醒に必要な魔力を賄おうとしているのだと。

 魔力の源である『固有堆積時間』が欠けているという致命的な弱点を克服するために、他者の記憶を欲する、

 

「それが『焔侊の宴』の正体ってわけ……じゃあ、生贄になった人たちは……」

 

「記憶を、それも本人にとって大切な記憶の多くを失うことになるでしょう。それは疑似吸血鬼化したものでなくとも、<第四真祖>に接触した人間は、その思い出を足掛かりにして記憶を奪われてしまいます。

 <第四真祖>に関わる記憶のほとんどを失う、ということです。<第四真祖>が幻の吸血鬼であり続けた理由は、その記憶搾取能力が原因です」

 

「……なら、皆はただ<第四真祖>に関する記憶がなくなるだけってこと」

 

 今一度、ヴェルディアナは周囲を見渡す。

 ここにある強大な力は、すべてがヴェルディアナのもの。

 そして、管理していた『九番目』をザハリアスに奪われ、『匈鬼』に戦争で負けたことから、『戦王領域』より切り捨てられていたカルアナ領も『第四の夜の帝国』として独立できるチャンスを得た。

 今、『焔光の宴』で最も素体を持っているのは自身であり、またここには“ちょうど儀式のお膳立てが済んである”。

 ……代償も、<第四真祖>に関わる記憶だけ。

 そうか。だから、姉様はこの決断をしたのよ。かつて奴隷にされた忌々しい記憶を捨て去ることで、栄光を手にすることができるのだから。

 

 ヴェルディアナ=カルアナは、失くしたものを取り戻すことができる。

 『世界最強の吸血鬼』の従者になり、領民も、領土も、名誉も、かつて以上に―――

 そう、家族だって<第四真祖>の力で蘇らせてくれる。

 

「もう一度、訊ねます。

 ―――ここに『十二番目』を連れてきて、『焔侊の宴』を行いますか、ヴェルディアナ=カルアナ伯爵令嬢」

 

 遠山の声に誘われるように、ヴェルディアナは、念のために潜ませていた切り札の『十二番目』――儀式の鍵である素体のいる場所を見やる。

 頭が重い。疲れた。

 あまりにも、色んなことがあり過ぎた。もうわからない。

 復讐も果たして、自分がこれからどうしたいのかも、わからない。

 14年前のあの時から、自分はどうやって生きてきたのか。14年前のあの時、どうして戦争なんて起こったのか。何が狂ったのか。どうして狂ったのか。

 いったい何が狂わせたのか。

 

 『焔侊の宴』の実行。それもいいだろう。ヴェルディアナは、過去を取り戻したい。どうしても取り戻したい。きっと、その奇蹟を行うために自分は狂わされてきたのだと、そう思えてくる。

 この毒を呑み込み、自分は幸せを手にする。

 ヴェルディアナは、近くにいるはずの『十二番目』を呼ぼうと口を開けた。

 

「いいのか、それで」

 

 聞こえたのは少年の声。

 ヴェルディアナと遠山、両者の会話を沈黙して傍観していた、ひとりの少年。

 南宮クロウだ。

 暁凪沙を抱きながら、クロウは感情を堪えきれずに震える表情でヴェルディアナに言葉を投げた。

 

遠山(そいつ)が言っていることは、ウソじゃない。難しいことはわからないが、それでも嘘は吐いてないことはわかった」

 

「だったら」

 

「でも、それは、絃神島(ここ)で過ごしてきた、『十二番目(アヴローラ)』との思い出も失くすってことだぞ」

 

 ……本当に、イヤな子だ。

 考えようとしなかったものを、突きつけてくる。

 いっつもいっつも……私のことなんか放っておいてほしいのに……

 

「失ったモノを取り戻すために、また大切なモノを失ってもいいのか」

 

 ガリッ、と唇を噛む。

 さっきまで酔えていた血の味が、今はひどく(まず)い。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 やはり、あの『十三番目』は、邪魔だ。

 獅子王機関の筋立て(シナリオ)から、外れていく。今も修正をしようとしたのに、また邪魔をする。

 

 『柩の鍵』を持っているだけでそれを狙ってヴェルディアナが襲われた話を聞いて、<焔光の夜伯>の素体たちに余計な警戒されぬよう“真祖も殺し得る武神具”『第七式突撃降魔機槍』を持って来なかった判断を、悔やむ。

 自分では、槍の性能の真価を発揮できずとも、あの刃はあらゆる結界と魔族特性を貫くもの。それさえあれば、『九番目』に介入される前に、この不確定要素を排除できたのかもしれぬのに。

 今では、暁凪沙がいる以上、ここで下手な攻撃をするものなら、ザハリアスの二の舞だ。

 

 ならば、言葉で誘導するか。

 しかし、『十三番目』に交渉事は通じない。攻魔師資格(Cカード)も有さないから、国家機関としての政治的な強権を働かそうにも効きはしないだろう。その主人である<空隙の魔女>を抑えに行った『三聖』とも先から連絡がつけず、『十三番目』は自分だけで対処しなければならない障害。

 

 直感で感情を嗅ぎ分けてしまう『十三番目』がいる前ではウソが吐けない。如何なる時も鉄面皮でいられるほどに表面上の感情を完全に制御しようにも、あれはその気になれば深層まで読んでしまう。

 

 だから、ウソは付けず、真実のみで話をするしかない。

 ただでさえ、ヴェルディアナからの印象が悪い。ウソを吐いたのが『十三番目』にバレされて、騙していたとなれば、二度とこちらの言うことは聞いてもらえないだろう。それはこれまで彼女にしてきたこちらの行いを思えば当然であろうが、今ここで儀式を成立しなければ、きっと遠方からこちらの様子を見ているであろう『戦王領域』と『混沌界域』の『選帝者』は、絃神島から引いてしまう。

 『采配者』が、『選帝者』のひとりと繋がっていたことが公となってしまったのだ。審判役に不可欠な公平性が崩れていると知られた。交渉はこれまで以上に難しいものになる。

 だから、やらなければならない。

 我々獅子王機関は人類の未来を懸けてここに望んでいるのだから。

 

 

 できれば、暁凪沙を前に、この話だけはしたくなかったが、ここは無理やりにでも“自覚”させなければいけない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 クォーツゲートまでの道のりは険しいものだった。

 まず警備隊に検閲が敷かれた旧南東地区の港で、<アシュヴィン>という検疫船に忍び込むのに時間がかかり、そして港からクォーツゲートまでの、本来なら徒歩で一時間足らずの道のりを、『血の従者』と化した古城はその三倍以上の時間をかけた。

 大規模感染で、わずか半日足らずで街の中が数万人規模の疑似吸血鬼で溢れ返っていたのだ。人間離れした運動能力と特に嗅覚に優れた感染者たちは、次々に人を襲い、感染者を増やしていく。それ以上の感染拡大を防ぐため、感染者たちを隔離しようと警備隊が奮戦するが、それで更に大混乱となった。

 古城もまた、感染者らから逃げようとして、離れても離れても鼻の良い感染者らは追いかけてくるのでなかなか振り切ることができず、唯一の武器も一発限りで使えないのでお荷物でしかない。それでも親父から渡されたそれを手放さずに懸命に走り続けて、

 どうにか、このクォーツゲートにまで辿り着けた。

 そして、そこで、

 

「アヴローラ……?」

 

「ひうっ……!」

 

 建物の陰に膝を抱えて座り込んでいる金髪の小柄な少女を見つけた。

 急に呼ばれて委縮したアヴローラに、古城は駆け寄る。その姿を怖がりながらも、薄眼で確認して、古城と気づいたアヴローラはパッと見開いて、頼りなく唇を震わせた。

 

「古城……何故、汝がここに?」

 

「何故、じゃねぇ。勝手に人の約束破って置いていきやがって」

 

「ち、誓いはしてなかったぞ!?」

 

「最初にお前を護るつっただろ。だから、大人しく護られてろ」

 

 アヴローラの頭を古城はぐりぐりと撫でる。

 そして、周りを伺って、

 

「それで、ヴェルさんは? あともう『宴』は始まってるのか?」

 

 古城の質問に、アヴローラは建物の陰から中央広場の方を指差す。古城もそちらを見つからぬようなるべく低姿勢で見てみる。

 そこには、ヴェルディアナにMARの医者である遠山美和がいた。ザハリアスは、いないようだ。だが、<焔光の夜伯>の素体たちがいて、棺桶が並んでいる。そして、後輩のクロウと妹の凪沙の姿が古城の視界に入った。

 

「なんで凪沙が!? あいつは<焔光の夜伯>とは無関係のはずだろ!?」

 

 様子見などできず、古城は広場中央へ駆け出そうとした、その時だった。

 

 

「………このまま、『焔侊の宴』が行われなければ、暁凪沙は死ぬでしょう」

 

 

 ナニヲイッテイルンダオマエ。

 

 古城だけではない、その場にいたものの全ての視線が遠山美和に集まる。

 

 

「世界最古の『魔族特区』ゴゾ島で封印されていたのは、アヴローラと名付けられた“『十二番目』ではありません”。彼女はただの“監視者”に過ぎない」

 

 

 彼女は語る。今になって明かされたその真実を。

 

 

「遺跡に封印されていたのは『魂』。それこそが<第四真祖>の本体です。三人の真祖と『天部』の人々が協力して生み出した、人工の“呪われた魂”―――我々はそれを仮に“ルート”と。『原初(ルート)のアヴローラ』と呼んでいます」

 

 

 暁凪沙に取り憑いているのは、『十二番目』ではなく、『原初』

 古城は、ずっと間違っていた。勘違いしていた。

 おそらく牙城やヴェルディアナも正しく理解していなかった。

 ……そう、クロウだけが、直感でそれを捉えていた。

 

 アヴローラは記憶喪失などではなく、最初から何も知らされていない、赤子と同じ。

 本体にして統括者である『原初』を護衛、あるいは監視するために造られた、空っぽの人形だったのだ。

 

 十二体存在する<焔光の夜伯>の中で、何故アヴローラだけが、世界最古の『魔族特区』ゴゾに封印されていたのは、彼女が監視者であったからだ。

 本物の<第四真祖>の魂である『原初』の『眠り』を護るためにある、人の形をした道具、それが『十二番目』の正体。

 

 凪沙に憑いているのは、アヴローラの人格の一部ではなくて、“<第四真祖>の魂そのもの”だ。

 つまり、その魂を受け入れてしまった暁凪沙は、

 

 

「暁凪沙が<第四真祖>なのです。素体ではない、本物の<第四真祖>です。

 そう、完全な<第四真祖>として覚醒しなければ、暁凪沙は助かりません」

 

 

 古城は、後輩(クロウ)を見た。

 それが虚偽であるのならば、異議を唱えるはずの後輩は、沈黙している。

 それがどんな雄弁に言葉を尽くすよりも、真実だと教えてくれた。

 

「そんな、私、が……」

「「凪沙(ちゃん)!!」」

 

 それまで張り付いていた後輩から離れて、妹は弱々しく呟いた。

 それを見て、古城、それにクロウが追い、走り出そうとしたところで、眩い閃光が視界を白く染めた。

 そして光は衝撃と化して、不届き者たちを打ちのめす。

 

「―――愚か」

 

 それは問題を出した出題者が、勝手に解答を出してしまったような、定義からして崩してしまう浅ましい所業と、『宴』の『采配者』を蔑む。

 

「このような手段で我らを呼び寄せるとは。『采配者』よ、これは高くつくぞ」

 

 閃光と共に新たに現れたのは、鎧姿の三人のアヴローラ。

 『戦王領域』が所有する『三番目』、『四番目』、『五番目』の<焔光の夜伯>の素体。

 彼女たち三人、いや、ここにいた『二番目』、『七番目』、『八番目』、『九番目』、『十一番目』、そして、棺桶で眠っていた『一番目』も、ザハリアスの肉塊より、自身の肋骨を拾い上げて、

 その全員が、暁凪沙の前に地面に片膝をついた。

 まるで王女に傅く騎士のように、暁凪沙にその忠誠を誓う。

 

「あなたたちは、私を……」

 

 呆然としながらも凪沙は、不思議と恐怖を感じない。だが現実の出来事とも思えない。凪沙の下に恭しく跪いている、けれど、少女たちの身に秘めた力は圧倒的すぎた。彼女たちの存在は、まるで天災そのものであり、地震や竜巻がひとりの人間に隷属する、という発想はふつうありえない。

 だが、とても受け入れられるようなものでないそれを見て、不意に何もかも凪沙は理解した。

 

「そうか……ずっと……私のことを待ってたんだね……」

 

 凪沙の言葉に、少女たちが丁重に顔を伏せたまま、首肯する。

 それは凪沙に対する慈愛と畏怖も感じられた。天災の化身である『王』たちが、凪沙の存在を恐れているのだ。

 

 そして、始まる。

 

「ああ……ああ―――」

 

 思い出してしまった。

 気づいてしまった。

 目を見開き、両手で顔を覆う。

 

「あああ……!」

 

 今見えるこの世界がグルグルと暗転し、過去の光景が閃光のようにフラッシュバックする。

 自分を庇って、テロリストに殺された兄、二度と動くことのない古城を見て自失した。

 あの時、自分はこんなことを考えたのではなかったか?

 別れたくない―――

 こんなにも悲しい別れが、現実にあるわけはない。

 自分は、悪い夢を見ているだけではないだろうか―――

 目の前にある、避けられない運命を受け入れられなかった。

 ―――お願い、古城君を助けて。

 こんな運命が本当であるはずがない。だから、運命を捻じ曲げた。

 生まれて初めての辛い“別れ”を受け入れられず、孤独と不安に怯えた自分が、失われた命を諦められないというあってはならないものを抱いてしまった。

 

 そして、叶えられた。

 

 代償として、その将来に大きな負債を作って。

 

 自分が人間をやめて<第四真祖>の『器』となり、人々の記憶から消え去るという、“別れ”が、今、訪れたのだ。

 

「アアアアァァアアアァアアアアァアアアアアッッ!」

 

 人に忘れられつつある廃墟の大気を、高らかな咆哮が震わせた。

 怒りに打ち震えるような。

 歓びに打ち震えるような。

 哀しみに泣き出しそうな。

 獣の遠吠えにも似た絶叫が、古城の良く知る妹が放ったものとは思えなかった。

 暁凪沙という自分の妹は、そんな声で叫んだりはしない―――

 

 ビリビリと震動する大気に、クォーツゲートの建物が揺れる。

 古城だけでなく、アヴローラ、ヴェルディアナが絶句して、その光景の前に立ち尽くす。

 

「すべての<焔光の夜伯>が共振している……!」

 

 無感動なその瞳に間違いなく恐怖の色を浮かばせているも、冷静さをかろうじて残す遠山が、呟く。

 『十二番目(アヴローラ)』を除く、中央広場にいる九体全ての<焔光の夜伯>の素体が、凪沙に呼応するように膨大な魔力を発して、焔と化した黄金の髪が天を衝く。

 

 目覚める。

 真なる<第四真祖>が、今ここに。

 

「―――」

 

 咆哮を消し、暁凪沙が目を見開いた。炎のように青白く燃える焔侊の軌跡を描く瞳が、唯一自身に共鳴をしなかった『十二番目』を捉える。

 その反抗を、面白い、と“暁凪沙”は笑みを零す。

 そして、その背より、刃のように研ぎ澄まされた鉤爪を持ち、赤黒い血管をむき出しにした吸血鬼の翼が広がり、結い上げていた長い髪が解かれた―――

 

 

 

 

 

「誰が相手でもお前を守る―――オレは、そう誓ったはずだぞ」

 

 そして、この場で唯一、不遜にも戦意を金色の双眸に宿らす少年は、震える手を握り締めた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <第四真祖>の覚醒を果たした。大規模感染の犠牲者数も、最悪を想定した場合の半分以下にとどまり、絃神市内に限って言えば、全人口の一割にも満たないわずかな数字だ。

 ならば、次にすることは、交渉。

 迂闊に近づくことを許さない、圧倒的な威圧感。

 特別敵意を感じたわけでもなければ威圧されたというわけでもない。

 敢えて喩えるのなら、獅子の身動ぎで過敏に反応する小鹿のよう。

 

 生涯でこれほどに呑み込みづらい生唾を嚥下し、遠山はその前に立つ。

 

「<第四真祖>。あなたに取引を持ち掛けます」

 

 獅子王機関は、この世界を滅ぼしかねない兵器の国外流出を防ぐために、『采配者』を引き受けた。

 

「獅子王機関は、残る<焔光の夜伯>の素体を差し出す代わりに、平和条約の締結を求めます。

 なお、この交渉が決裂する場合は、実力行使であなたを殲滅させてもらいます」

 

 政府特務機関は、日本という国家の安全確保を最優先にする。

 故に、必要とあらば、脅威を殲滅すると吸血鬼の真祖に宣戦布告する。

 『三聖』という三人の真祖にも対等にやり合えるとすら言われる最強クラスの攻魔師と、真祖をも殺し得る兵器を備えている獅子王機関が総戦力でぶつかってくる。

 如何に、<第四真祖>と言えどそれに怯むか。

 ―――否、だ。

 

「我は世界最強の吸血鬼。『聖殲』のために造られし殺神兵器。不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する者ぞ。我は何者にも屈せず、何者の支配をも受けぬ」

 

 凪沙の口から、凪沙ではない何者かの声がする。『原初』と名付けられた魂の声が。

 

「こうなるとわかっていただろうに、愚かなる『采配者』よ。そもそも、<焔光の夜伯>を賭けての交渉は成立せぬ。神の似姿として造られた人の肋骨の数は十二対。そして神が(アダム)の肋骨から(イブ)を生み出したのと同様に、我が十二対の肋骨から造り出された、眷獣の宿り木となりうる十二の素体」

 

 <焔光の夜伯>という計画の一部として生み出された分身。

 ただ危険すぎるという理由で封印された<第四真祖>は、その復活を恐れた『天部』の人々によって、十二体に分割された。『原初』の力の源を世界各地に分散して隠したのだ。

 <第四真祖>が従える十二体の眷獣を、『原初』が自由に招喚できないように、それぞれに人の形を与えて、この世界に繋ぎ止めた。吸血鬼の眷獣を封印できるよう、<焔光の夜伯>を人造の吸血鬼として生み出して―――そう、彼女たちは、“<第四真祖>の眷獣そのもの”であり、あの少女の姿は眷獣に操られた人形。

 そう、

 

「覚醒を果たした今、<焔光の夜伯>は、我のモノであって、貴様らのモノではない」

 

 交渉は、決裂。

 直後に、破壊があった。

 

「がっ、ばァ!? あぐゥゥゥああああああああああああああああああああああ!?」

 

 交渉役である遠山が、魔力で紡がれた黒い吸血鬼の翼に襲われて、ボールのように吹き飛ばされる。

 

 バキゴクシャ!!!!!! という鈍い音が後から遅れて炸裂したような気分だった。

 もちろん音を超えているわけではない。

 妹の顔をした者が、その妹を世話していた人物を壊す……なんていう光景を古城は見せつけられ、心の方が現実を認識するのが躊躇ったのだ。

 

「帰って貴様の組織の長に伝えよ。殺神兵器は、これより戦争を起こすとな」

 

 暁凪沙――『原初』は、遠山美和にもう一瞥すらせず、そう告げる。

 ぜひゅぅぜひゅぅ、と意識して拾わなければ聞き逃してしまいそうな、微かな息遣い。その全身が無残な傷に覆われている。

 寸前で防護結界を張れたのだろうが、漆黒の翼の一枚一枚に、真祖の眷獣とほぼ同等の威力が篭められているのだ。防げるはずがない。ひどい火傷と無数の裂傷、鮮血で紅く染まり、見るだけで痛々しい、いっそ視界に暴力的な状態。

 

 理解する。

 それが誰であっても、間違えば、ああなってしまう。

 

 それを理解して、暁古城は、その一歩を踏み切った。

 

「―――凪沙を返せ、『原初』!」

 

「……ふむ?」

 

 『原初のアヴローラ』と化した暁凪沙が、冷厳な瞳で古城を見た。見るだけで人の魂を凍てつかせる焔光の瞳。それでも古城は怯まない。今、この瞬間を逃してしまえば、妹は未来永劫に失われてしまう―――そんな予感が、古城を衝き動かす。

 

「お前が何者で、何のために造られたかなんてどうでもいい。だけど、その身体は凪沙のものだ。お前には必要ないだろうが!」

 

「なるほど。愚かではあるが、一理はある。この身体は、我のモノではない」

 

 『原初』は紅い唇を吊り上げて小気味よさそうに笑って、その要求を撥ね退けた。

 

「だが、貴様の望みは聞けんな。我が魂には『器』が必要だ。それに我は身体を貰い受ける代価はすでに支払った」

 

 ―――暁古城(あに)を蘇らせるために、その身体に憑依させた。

 

 あの時点で、もうこれは決まっていたのだと。

 絶句してしまうこの『血の従者』に、さらにそれを絶望で塗り上げんと『原初』は、ひとつの望みを囁いた。

 

「この暁凪沙(モノ)の魂が、『原初(ワレ)』を『同族喰い』で、上書き(オーバーライド)できる可能性はゼロではない」

 

 存在を喰らわれた吸血鬼が、自分を食った相手の存在を逆に奪い取る。本来は吸血鬼同士でしか発生しない現象であるが、同じ肉体を共有しているのならば、あるいはそれが可能か。

 そう、凪沙が『原初』に支配されることなく、逆に彼女の能力を奪い、意識を保ったまま<第四真祖>となることが、古城たちが望んだ最善の結末。

 しかし、奇蹟でも起きない限り、けして実現することのない未来だ。いくら暁凪沙が優れた巫女であろうと、たった一人で<第四真祖>の“呪われた魂”に勝てる確率など絶望的だ。

 

「せいぜい祈るがいい。貴様の妹が、どれだけ我に抗えるのかをな。半刻(一時間)ももてば、褒めてやろうか」

 

 終わりの宣告に古城は膝をつき、凪沙の姿をした『原初』は、大きく両腕を広げた。

 長い髪が翻り、彼女の背中に巨大な翼は生える。鋭い鉤爪を備えた吸血鬼の翼―――

 その数は五対十枚。それぞれが意思を持つ蛇のようにのたうって、その翼がこの場にいる<焔光の夜伯>の胸へと突き刺さった。翼の表面に浮き上がった赤黒い血管が、ドクドクと強い脈動を打ち始める。

 素体らは全身より光を放って、そのまま翼の中へとゆっくりと吸収されていく。漆黒の翼は端から徐々に鮮やかな虹色の光に染め変わっていき、その淡く美しい輝きは、まるで極光(オーロラ)のよう。

 

 引き裂かれた自分自身の分身を喰らって、『原初』が、仮初の器より眷獣の支配を取り戻し、完全体へと近づく―――

 

 

 “ただ一枚の翼を除いて”。

 

 

「……本気で我に逆らうつもりか、『十二番目』」

 

 一枚の翼が古城にめがけて刃のように伸びた。古城ではなく、その背後にいた『十二番目』を捕食するために、障害物(コジョウ)を薙ぎ払おうとした翼は、それを護るように地面から突き出た無数の氷柱によって弾かれた。

 <第四真祖>の眷獣、その傀儡であるアヴローラが、自らの意思で初めて力を使い、『原初』に逆らった。古城を護るために。

 

「アヴ、ローラ……」

 

 『原初』が不機嫌そうに、二度も歯向かったアヴローラを睨む。

 恐怖に足を竦ませながらも、瞳を焔のように輝かせてアヴローラは睨み返す。そして、古城を庇って、両腕を広げる。

 その思いがけない行動に、古城ですら驚きを隠せない。

 

「眷獣に操られた人形ごときが、宿主たる我に逆らうか―――」

 

 放つ鬼気の圧力を増大させる『原初』。解き放たれた魔力は暴風となり、辺りの廃墟を軋ませる。しかし、アヴローラは引き下がらない。

 

「ほう、良い。『十二番目』はよく育ってるようだ。単に長き時を過ごすだけでは無意味。強い感情と思いの積み重ねが力を増す。宿主たる我に逆らうほどの想いとなればそれはさぞ強いモノだろう。

 ―――しかし、逆らうのは許さぬ」

 

 従属を拒絶する『十二番目』にその暴威を振るう―――直前に視界の端でそれが過った。

 

 それは、先ほどズタボロにした獅子王機関の攻魔師遠山美和の身体。

 

 自ら動けず、投げられた遠山は、その先にいた、<第四真祖>の威に呆然自失していたヴェルディアナ=カルアナの下に届く。反射的にその身柄を受けたヴェルディアナは、その衝撃で意識が戻って、飛んできた方向の先にいた少年を見る。

 

「へ? な、なに……!?」

 

「カルアナ。遠山(そいつ)を連れて、逃げるのだ」

 

 下手人は、古城の後輩

 その正体や本質がわかってなお、僅かでも気を緩めれば素体でなくともその場に傅いてこうべを垂れてしまいかねないほどの、圧倒的な暴威。それを受けて、彼は行動していた。

 

「『十二番目』を手伝うって約束したからな。時間稼ぎくらいはしなくちゃな」

 

 五対十枚。漆黒の一枚を除いて、極光の翼を広げる『原初』の前に、後輩が言い放つ。立ち塞がる。

 

「それに、凪沙ちゃんをひとりにしないとも約束したしな」

 

 だから、ここに殿として残ろう、と。

 古城はそれに何と答えればいいのかもわからなかった。

 とにかく何かを叫ばなくてはならないはずなのに、言葉が詰まって何も出ない。

 行き場を失った感情の奔流は口からではなく、目からボロボロと溢れていた。

 逃げろ、も言えない。死ぬな、なんて言えない。

 

「任せたぞ、“後続機(コウハイ)”」

 

 泣いて何も言えない古城の代わりにアヴローラが言った。

 古城の右の肋骨が熱を帯びる。彼女の思いと魔力が流れ込んでくる。

 そして、放たれるのは、膨大な凍気。

 後輩とこちら側を遮るよう、巨大で分厚い氷壁を造り出す。

 

「行くわよ、古城!」

 

 遠山の身体を抱き上げたヴェルディアナに呼びかけられて、古城も動いた。これ以上、他人任せに無様は晒すことなどできない。アヴローラを拾い、担ぎ上げる。

 ここで、後輩の行動を無題にしないためにも、早くこの場から離れることだけを考えろ。

 

「―――よかろう、せいぜい我を愉しませよ」

 

 極光の翼が巨大な鞭と化して振るわれる。

 木っ端でありながら、『原初』と対峙できたことに一応の敬意として、背を向けた古城らではなく、クロウに目掛けて。

 

 

 ズン……ッッッ!!!!!! と。

 どうしようもない轟音が、クォーツゲートをさらに大きく破壊した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <第四真祖>を斃せるはずモノなどこの世にいない。

 だが、それでもあえて斃せるはずのない『原初』に挑む。しかしながら、その愚かしい行為こそが<第四真祖>の本質であった。

 <第四真祖>は殺神兵器。けして殺せない『神』を殺すために造られた特異点(イレギュラー)だ。そんな世界最強の吸血鬼を斃せる者がいるとすれば、やはりそれは、世界の理から外れた特異点であるはず。

 

 ―――しかし、これは期待外れであった。

 

 この『宴』における不確定要素(イレギュラー)――『十三番目』に対し、『原初』が召喚したのは、『一番目』の金剛の神羊、『五番目』の雷光の獅子、『九番目』の緋色の双角獣―――『十三番目』が、目撃した三体の眷獣だ。

 一体であっても十分なところを、同じ特異点である“後続機”というのを評価して、三体を向けてやった。

 

 なのに、『十三番目』はその枷を解こうとはしない。

 

 <神獣化>―――<焔光の夜伯>が眷獣の分身体であることから、素質は似通っている点がある。その力は龍族や鳳凰と言った神話級の怪物に匹敵し、吸血鬼の眷獣を凌駕する。そして、この南宮クロウの『(からだ)』は、『原初』の依代である暁凪沙(からだ)に匹敵するものがある。

 人造であっても、不老不死の真祖である『原初』には、強敵との死闘というのを最高の娯楽とする性質を持ち合わせていた。

 それがどれほどのものか。また、己に取り込めるだけの力があるか。それを試すために、最初は遊んでやった。

 だが、それでも『十三番目』はその首輪を取ろうとしない。先の獅子王機関の攻魔師遠山美和が瀕死の重傷を負った攻撃を何度受けようと、獣化すらしない。

 

『凪沙ちゃんが怖がるからな』

 

 と問うたこちらに返された言葉がこれだ。

 馬鹿げている。

 もうすぐ、この巫女は死ぬ。それはもう決定されている。

 それがわからぬのか。ならば、良かろう。

 何としてでも、貴様を<神獣化>させてやる。

 

 最硬の宝石による雨霰を浴びせ、天罰の如き雷霆と化した巨体の突撃を喰らわせ、気化爆弾(サーモバリック)の爆圧にも匹敵する、凄まじい衝撃波の弾丸で吹き飛ばした。

 それだけの攻撃を受けて、『十三番目』は五体が壊れず、また、首輪を外さない。悲鳴も洩らしそうになっても、寸前でそれを呑み込む。

 

 一方的な展開だ。

 だが、それが終わらない。潰しても壊れず、潰しても乞われず、動き続けるこの玩具。

 そう、一方的に攻められ続ける経験はこれが初めてではない。

 何せ、今の主人と最初は一昼夜も殺し合ったのだから。

 だが、『原初』にとって一方的な展開というものは飽き飽きとしたものである。

 

「もういい―――」

 

 

 

「っ……」

 

 双角獣の衝撃波に吹き飛ばされ、地面を転がるクロウ。

 クロウはそこで、これまで一歩も動かない、動かせなかった本体が高速でこちらに間合いを詰め、彼女の細腕がゆっくりと振り上げられたのを見た。

 死ぬ。

 南宮クロウは率直にそう思った。

 

 ゴギュッッッガ!!!!!! と壮絶な音が鳴り響いたのは直後のことだった。

 何の武器ももたない少女の細腕が、何の躊躇もなくクロウの生体障壁を貫通した轟音だった。

 真っ直ぐに突き込まれた五指が、迷わずクロウの胸板に吸い込まれる。

 肋骨をへし折り、中で護られていた筋肉の塊のような臓器を正確に掴み取る。胸郭の中、その滑らかな指の腹でなぞり、感触を楽しむようにして。

 つまりは。

 心臓を。

 

「えぶっ!? あごは! おばぼぶがあ……ッッッ!!!!!!」

 

「ふははははははははははっ……ははっ! ようやく哭いたわ!」

 

 ドッドッドッドッ!! と自身の鼓動をひどく他人行儀に聴きながら、哄笑するその顔をクロウは聴く。

 

「あはは!! あはははははは!! ――――つまらん」

 

 水溜りを……

 もっと粘質なものを踏んだような音。

 

「これが現代の殺神兵器、我の“後続機”だというのか。それが未完成であるのはわかっていたが、殺されるまで全力すらも出さんとは……興醒めだ」

 

 ずちゅり、と生々しい音。

 感触に飽いた心の臓を潰すことはせずに手を離し、拳大ほどの風穴を空けた身体より腕を引き抜いた。

 落ちたクロウの頬を打つのは、水溜りではなく。

 それはクロウの身体から湧き出るように流れている血溜り……

 

「不愉快だぞ。なんて無様な散り様だ。所詮は欠陥製品か―――」

 

 どんどん血溜りが広がってゆく……

 この身が、動くことはないただの肉の塊となりつつある……

 そして、もうすぐ物言わぬ骸となるクロウの首元――主人より課せられた『首輪』に、血塗られた手が取り、

 

「このまま死なせるものか。この欠陥製品のせいで、『十二番目(ドウデカトス)』を逃がしてしまったのだからな」

 

 外した。

 これまで、一度たりとも外したことのなかった戒めが、他人の手によって解かれる。

 

「これから、お前の“一番”の記憶()を喰らってやる」

 

 ぞくぞくぞくぞくう!! と最強の吸血鬼の『原初』は不規則に背筋すら震わせて宣告する。

 

「そして、疑似的な『血の眷属』にして」

 

 お前の心臓を握り潰さなかったのは、殺すだけでは己の欲求がそれでは満たされないため。

 

「獣のように我を襲えと命じてやろう」

 

 『原初』の身体が、極光の輝きに包まれ、囚われた獲物(クロウ)の身体よりは金色の光が溢れ出す。

 それを吸い取るかのように開けた口内へと黄金の光は極光の輝きとひとつに絡まりながら呑まれていく。

 そして、その“記憶(あじ)”に『原初』は感涙した。

 

「実に、いい味だ。酔ってしまいそうだ」

 

 蕩けてしまいそうなほど恍惚とした声音が、『原初』の口より零れる。

 

「強い感情が伴わぬ記憶は、水で薄めた酒のようなもの。我に記憶()を捧げた生贄どもの中でも、そなたのそれは複雑に濃厚な情動が入り混じった、実に味わい深い格別な『混血(カクテル)』であったよ」

 

 ごくん、と一欠けらも余さずに、呑み切った。

 もう、これで“一番の記憶”は戻らない。南宮クロウ――『九番』という人格を構成するに核となったものは、奪われた。永遠に、彼の下に還ることはない。

 

 

「さあ、我に殺神兵器の本性を見せてみろ―――!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「____―――― ̄ ̄ ̄ ̄ __  ―――  ̄ ̄ ̄」

 

 

 その遠吠えは休眠していた活火山が噴火したかのように、島の全土にまで震撼した。

 『原初』が表情を変えて、手放し、掴んでいたそれから距離を取った。

 その声には警戒に値するだけの高圧的な力と、身も凍らせるような研ぎ澄まされた魔力が篭められていた。

 

 『狼の冬(フィンブルヴェド)』―――北欧における最終戦争の前兆。

 極限にまで圧縮された獣気が結晶と化して、黄金の神狼を中心として雪霞のように舞っている。その景色は見るものに終末を予感させる。

 

「これほどに見違えるようになるとはな。これが、貴様が押さえ込んでいた本性か“後続機”」

 

 強大な圧力が場を震撼させる。その巨体は、通常時の神獣形態であれば、2mに抑え込めていたが、十数m。『原初』が見上げるほどの巨躯へと成長し、本当の意味で世界を見下ろす獣。

 

 あれは、<第四真祖>の眷獣に匹敵する。

 

 あれは、ただの<神獣化>ではない。

 

 『原初(ルート)』の『血の従者』となって、『首輪』を取ってしまった最厄の<神獣化>。

 

 疑似吸血鬼となった人間は、筋力や嗅覚などの身体能力が向上する。

 そう、筋力と嗅覚―――この“後続機”の得意を通り越して、特異と言えるほどに並外れて優れた長所を、限度を超えて増大させた。

 黄金の巨体に血管を浮き上がらせ、生まれ故郷であった極夜の森を連想させる暗緑色の刺青が走る。

 

「■■■■■■■■―――ッッッ!!!!!!」

 

 これこそ、人の手が加わったものではない、真正の『血に飢えた狂狼(ブラッディウルフ)

 

 怒号のような遠吠え。

 するとその刹那、巨大な影が旧南東地区を覆った。

 絃神島は太平洋上に浮かぶ人工島。中央の人工島管理公社に要石とし、四方位に聖獣を敷く陣を敷き、さらに超高度演算機(スーパーコンピューター)で波風と言った周囲の気候環境を計測し、それに合わせて、地下水路などの流出流入によって、調整している。

 それは、この捨て去られる旧南東地区も同じ。故に今日まで、絃神島を水害が襲ったことはほとんどなかった。故にこの旧南東地区にいた警備隊は、天に立ち昇る海象を見上げて慄き叫んだだろう。

 津波だ、と。

 そう、それは紛れもない津波だった。

 超高度演算機の予報にも出ていない、在ってはならない最大級の災害。ましてやこの一区画を呑み込みかねないほどの大津波など、誰も想像だにしなかったに違いない。

 この神話の大洪水は、クォーツゲートを覆い尽くすように迫っている。

 その水量は数千数万などという矮小な数字では表せない。

 都市を丸呑みしても余りあるだけの水量が、生き物さながらに唸りを上げて、<焔光の夜伯>の三体の眷獣たちを呑み込んでいく。ただでさえ水には魔力を減衰させる性質がある。それを神獣と成り、さらに先の遠吠えで、『血の従者』と化した魔狼の嗅覚を起点とした“魔力によらない”超能力『嗅覚過適応』が芳香侵透(マーキング)していた。初めは流されまいと耐えていた眷獣たちだったが、大渦のような激しい海流の前に奮闘も虚しく流される。

 それを六角水晶に似た背の高い時計塔、その尖塔の頂上より見ていた『原初』は、獰猛に表情を歪め、

 

「面白い。力比べと行こうか―――」

 

 暁凪沙の肉体に憑依した『原初』が、その瞳を爛々と輝かせ、背中の翼が輝きを増す。

 召喚したのは、琥珀色の巨大な牛頭神(ミノタウロス)。『大地』を支配する<第四真祖>の眷獣が、浸水した広場の地盤を盛り上げては、地下より溶岩を噴き上げて出現した巨大な戦斧を振り上げる。戦斧が帯びているのは、凄まじい魔力の輝き。それが真っ向からぶつかってくる―――!

 

 さあ、行け。

 

 命すら燃やす熱情がこの背を押し、滾る血が全身を通る。

 魔狼は、この力の意味を見出す時が来た。

 明らかな格上に挑む。

 そこに恐怖はなく、勝算もない。

 故に、この一瞬一瞬にも問い掛ける。この一瞬先には死が待つ中で模索する。

 あの牛頭神は、己を即死させるだけの攻撃力を有している。

 

「■■■■―――ッッ!!」

 

 戦斧が来る―――凶爪を払う。

 その衝突は、火花となって弾け散った。

 魔狼の腕に感じるのは、痺れ。鋼の刃を地殻に叩きつけたような衝撃を受ける。

 

 どちらも十数mの体躯を持ち、体格は互角。しかし、充実した無限の魔力で構成される戦斧は、牛頭神の巨躯よりも巨大であり、さらに数倍の質量が凝縮して秘められているのだ。まさしく地殻変動に比する威力が襲ってくる。

 擦過するだけの接触でも爆発するような負荷をこの身に受け、それを魔狼は削った命を注いで押し返す。そして、削った命の分だけ死から遠ざかる。

 

 凶爪が砕け―――再生する。

 もっと鋭く。壊れやすくなろうが、より薄く、透明になるほど研ぎ澄ます。

 そして、砕けて血飛沫を上げ、また爪を急激に生やして血を噴き出す手指に、奔る激痛を、猛る血潮と雄叫びで捻じ伏せた。

 

「■■■■ァァァ!!!」

 

 絶え間なく連撃する凶爪。振るう度に飛び散る鮮血。

 秒間数百発に及ぶ凶爪の嵐は周囲の大気に目視可能なほどの衝撃を放ち、足元の地盤は魔狼の踏込に耐えきれずに砕けて沈下している。形振り構わない魔狼の猛攻に、さしもの牛頭神の巨体がわずかに揺れた。

 牛頭神がどれほどの質量を抱えているかは定かではないが、魔狼の一撃は大抵の眷獣を必殺する威力だ。その一打一打を受け切っている牛頭神は、<第四真祖>の眷獣。

 

「ふははははははははははははははははははっ……ははっ!」

 

 『原初』が、青白く燃えるような瞳を揺らして笑う。

 攻撃する度に、魔狼の切り裂く凶爪の方が強い反動を伴って弾ける。

 破壊力を得る代償に、脆くなった。

 構わない。

 頑丈さではなく、切れ味を極限に追及した、諸刃の剣に等しい自壊の一撃。

 生涯一度きりの捨身の爪撃を、何度も何度も一度ならず繰り返す。

 

「ほうれ、『二番目』は足元にも注意せよ」

 

 足元より突き出た灼熱の溶岩の杭。それに胸元の肉を焼き削がれて、魔狼は後ろに押し倒される。

 

 存在自体が反則な相手との土俵に、反則などあるはずがない。

 この敵は、かつて『神』を滅ぼした魔狼の“先達者(センパイ)”。

 世界最強という絶対者

 ならば、限界を超えて無限に積み重ねる学習成果(ラーニング)によって解を得よう。

 

 反省と共に、受けたはずの致命傷が倍速になった治癒再生で塞がれる。

 それからまた。我武者羅に牛頭神に挑む。

 五指、左右で十指の凶爪を一度に戦斧に斬りつけて、破損させる。

 それを十度繰り返して百の凶爪を斬りつけ、

 それを百度繰り返して千の凶爪を斬りつけ、

 絶えず絶えず繰り返し、とかく万の機会を試すのだ。

 一指一指ごと再生していく凶爪は練磨されていく。

 敵の硬度性質を学習し、強固な殻を克服し、そして、その性質を特化させる。悠久の一瞬が過ぎ去って―――――――――――

 

 ついに一指爪のひとつが、戦斧に罅を入れた。

 

 まだ続ける。これで終わりではない。

 加速していく疑似進化は止まらない。

 進化とは必ず優れたものになるのではなく、その環境で生き残りうる資質を獲得するに過ぎない。

 だから、今、“<第四真祖>という災厄の如き環境”に魔狼は適応していく。

 この環境に対する天敵にまで至ろうと進化を加速させていくほど、より怪物となっていく。

 この闘争に特化する疑似進化は、当たり前な生態活動さえ放棄していくことを自覚する。

 災厄を一振りでかき消す爪撃など、他に使い道がなく、人の手など取れなくなる、そんな脱することのできない袋小路に陥る進化を続けていく。

 

「■■■■■■■ォォォォ――――ッッ!!!!」

 

 抜かれた底の栓より流れ出ていくように、命が消費されていく。

 10年分の量を、たった1分で失っていく。

 それでも、もう何も考えられなくなる。再生していけば再生するほど、この『血の従者』の恩恵に頼るほどに、人格構成する基盤たる記憶が奪われていく。

 しかし、それでも、ただ<第四真祖>を倒すことだけしか見えない。

 

 再び足元より琥珀色の溶岩杭が飛び出す。

 しかし、今度はそれを躱す。躱し、すぐさま凶爪を斬りつける。

 牛頭神は、戦斧を盾に構えたが―――防御ごと魔狼は袈裟斬りに両断。その余波は忽ちクォーツゲートの残骸を吹き飛ばして人工島の樹脂と金属で構成された地盤を斬り裂く。裂かれた大地は悲鳴を上げて断崖を造り出し、夜の海に通じるほどの裂け目を造り出した。

 そして、遅れて、核は外れたが深手を負った牛頭神は霧散され、『原初』の翼に戻される。

 

「ほう、<牛頭王の琥珀(コルタウリ・スキヌム)>を斃すか。

 ―――だが、次はどうだ」

 

 <第四真祖>の眷獣を一体屠ろうが、それらを統べる『原初』には指のひとつに過ぎない。

 

 『原初』は、すうと人差し指をあげる。

 天空へ。

 月の輝く、漆黒の天蓋へ。

 

 

「―――<夜摩の黒剣(キフア・アーテル)>!」

 

 

 ここで目前の敵より視線を外すという暴挙を取らされた。それほどの悪寒に襲われた魔狼は、天を仰いで瞳を凝らす。夜行性の猛獣と同じ瞳を光らせて雲間を探る。そこからはさほど時間がかからなかった。

 元凶は、隠し切るのが無理あるほど強大だ。

 そこにあるのは、流星。灼熱の炎に包まれた巨大な流星だ。いまだ雲の上にあるにもかかわらず、肉眼ではっきりとその姿が映る。

 流星の正体は、巨大な武器だ。三鈷剣と呼ばれる古代の武具。神々が使ったとされる降魔の利剣。優に刃渡り100mを超えるであろう巨大な剣が、高度数千mの上空から重力に引かれて落下してくる。

 

 単純な位置エネルギーを利用した一撃だが、音速を遥かに超えたその威力は核爆弾にも匹敵することだろう。

 更には重力制御を以て、圧倒的に弾着を速めた裁きの剣。

 

 

 天空(そら)から、今、<第四真祖>最上級の破滅が降り落ちる。

 

 

回想 旧南東地区

 

 

 それを、ヴェルディアナも見た。

 吸血鬼の紅の瞳は、天から降り落ちる三鈷剣を確かに捉えた。同時にその脅威をも察したのは、真祖を恐れる純血の吸血鬼の本能。

 

 刹那、魔狼がその着地点に向けて全力で地を蹴ったのが視界に入った。

 

 彼を殿に、自分たちは逃げた。

 途中、アヴローラを連れた古城と逸れてしまったが、強引に預けられた遠山を担いで、ヴェルディアナはなるべく遠く、そして、広場の様子が見える――ビルの屋上にまで来ていた。

 しかし、どうやらここも安全地帯とはいかないらしい。

 

「ホント……どうして、立ち向かえるのよ」

 

 しかし、どうやら魔狼は諦めていない。

 <第四真祖>の眷獣の一体に何度その腕を壊されようと、挑み続け、そして、破った。

 

「……。私は、あなたが嫌いだった。あの行動力と、あの鼻の良さに……そして、呆れるほどにしぶとい根性と大馬鹿な頑固さ。それを見せつけられるのがとにかく脅威で、不快で、……嫉妬さえ感じるものだった」

 

 それが姉の仇と同じ血を引いてるなんて、納得させるための後付けの理由。

 本当は、あの性格があまりにも眩しくて、太陽のように直視できないモノだったから、自分は目を背けようとした。

 なのに、今こうして見せつけられる。

 

「だから、それが正しくても注意とかされると反発とかしたくなって……後で思い返すと、なんとも自分がみじめなヤツに思えてならなかったわよ」

 

 だからこそ……南宮クロウに対し、ヴェルディアナはこれまで反目の意を抱くのがやめられなかった。彼が自分の眷獣をブッ飛ばしたのは腹立たしいし、『魔女に媚びうる半端者』と魔族の噂で流れる<黒妖犬>の悪評を聞いて、暗い喜びを覚えてたりもしていた。

 ……つくづく無様な心の矮小さだった。

 そんな自分の姿を振り返って、ヴェルディアナは遅まきながらも自らの過ちに気づく。

 

「正直……うんざりしてたのよ。私はなんで、こんな嫌な魔族(ヤツ)をやってるんだろうってね」

 

 残るすべての魔力を注ぎ込み、この血の中にいる眷獣の因子を全て噴出させて、この二体の魔犬を召喚する。

 

「―――最後のお願い……」

 

 復讐は終わった。もう、自分にこの力は必要ない。カルアナ家は、今日、終わりを迎える。

 ―――あのとき、彼の言葉で、この絃神島での思い出と、故郷での家族の過去を天秤にかけてしまった時点で、この答えは決まっていた。

 

「<ガングレト>、<ガングレディ>」

 

 『九番目』を所有していたカルアナ家が管理する『真の九番目』は、一族の血に宿っていくものだと、父様はよく語り聞かせてくれた。

 そして、それを継承した吸血鬼の眷獣には、ある特徴が表れるもの。そう、自分の眷獣には、姉様のにはない、そのひとつの特徴があるものだ。

 実際は、彼に一蹴されてしまう眷獣だったけど。

 これは、そんな小さな誇り。

 今の自分が賭けられる唯一のそれを―――捧げる。

 

「きっと眷獣(あなた)たちと相性はいいはず。だから……お願い。これからは彼の力になってあげて」

 

 二頭の魔犬は、主人の命に、少しの間、待ち、その手にすり寄ってから、行く。

 ―――魔狼に食べられに。自害しろという名に彼らは従ってくれた。

 

 『同族食い』。『血の従者』にして、狼犬の因子を持つ彼に、力を届けられる唯一の手段。

 

 きっとこれは愚かな行い。

 吸血鬼が、切り札である眷獣を譲ってしまうだなんて、馬鹿げてる。自分でも、笑う。でも、自分ができるのは今、これしかない。

 

「これで、クロウには貸しがひとつよ。それも、とんでもない貸しなんだから。後々、あなたがどんな大物になっても……今日のことで私には、頭が上がらなくなるでしょう。私としては、それで十分満足よ」

 

 忘れたりしたら、許さないんだから―――

 そう言って、どこか陰のあったヴェルディアナの顔に、まるで憑き物が取れたようなすっきりとした薄い笑みが浮かぶ。

 

 

「これでいい、これで、肩の荷が下りたわ。あとは、最後まで見届けさせてもらうわ」

 

 

回想 旧南東地区 クォーツゲート

 

 

 家族。

 友達。

 主人。

 思い出。

 あらゆる宝物が、たった一つの想いに詰まっていた。

 この想いさえあれば、やっていける。逆に、この想いが失われてしまえば、自分という存在は獣に堕ちることだろう。

 

「―――■■ァ■■■ッ!」

 

 魔狼の口から放たれる、自然霊をも狂乱させる、人にあらざる咆哮……それが、やけに遠くから聴こえた。

 喰らい尽くされていく―――

 主人に拾われて、この絃神島で育んできた大切な想いが、何かに蝕まれ、削り取られていく。

 『原初』の思う通りであった。

 今、魔狼の身体を衝き動かせているのは、魔狼自身ではない。

 この記憶を奪い、心を獣に堕としてなおも、喰らっていく―――

 “一番”でその味を占めた『原初』が、この『血の従者』にした繋がりから、力を供給している代わりに、いただいていく。

 痛くないのに、たまらなく痛い。

 胸が締め付けられて苦しいのに、頭が空っぽになったように何も考えられなくなっていく。

 

 ―――私の下僕(サーヴァント)になれ。

 

 死にかけていた自分にそう告げた、主人の魔女の傲岸不遜な顔が。

 

 ―――本当にありがとうな、クロウ。

 ―――はい、いってらっしゃいクロウ君。

 

 ここで出会ってきた先輩や友人たちとの思い出が。

 

 ―――ありがとう。

 

 そして。

 

 ―――でもね、誰かがひとりぼっちで泣いているような、そんな気がするんだ。

 

 まだ無自覚な、けれど、その有様を見て、初めての■をした少女の言葉が。

 

 身体が再生すれば再生するほど、再生された記憶が消費されていく。思い出が虫食いされるように穴が開き、真っ黒に塗り固められていく。

 今の■宮ク■ウを作る土台となる、かけがえのない記憶。

 それらがなくなってしまえば、ク■ウはク■ウでなくなる。

 ダメだ、これ以上、奪うな―――

 そう叫びたいのに、叫ぶことができない。

 

「■ァ■■ァ■■―――」

 

 魔狼の口から零れるのは、ひたすらに血を求める狂獣の鳴き声でしかない。

 痛みはない。

 それなのに、どうしようもなく―――心が痛い。

 抗うことができない苦痛は、大切な人たちの顔を欠けさせていき、そして彼らが見つめてくれた自分の顔までわからなくなっていく。

 自分が何者なのか、わからなくなっていく―――

 

 

 

 重力を至極へと増していく三鈷剣。

 雲が割れ、音速を遥かに凌駕する。

 落下すれば、この廃墟区画に致命的な破壊を及ばすだけに留まらず、人工島が沈みかねない。この究極の破壊を成すだけの単純極まる力、故にそれを防ぐのは至難。

 

 

 

 それに向かっていく魔狼の躰。

 その災厄を斃すという使命感が、ただの破壊衝動に塗り替えられていく。

 守りたいという決意が、強大な力を欲する飢餓に変わっていく。

 

「      ッッ!!!!!!」

 

 激突は、どれほどのエネルギーを生んだか。

 烈風が、旧南東地区はおろか絃神市全体を吹き払った。コンマにも満たない時間の中で、三鈷剣と魔狼は拮抗し、確かに動きを止めていた。

 しかし、さしもの<神獣化>を超えた『血に飢えた狂狼』もまた、ただではすまなかった。

 牛頭神と幾度もの衝突を経た身体がついに悲鳴を上げ、腕だけでなく全身、あらゆる筋肉が断裂したかのようだ。

 

 それ……でも……!

 

 魔狼の眼に、赤光が弾ける。

 断裂した身体を再生。破壊。再生。破壊。再生―――繰り返し、

 

 護りたいモノが……ある……!

 

 繰り返すたびに、魔狼は更なる力を練り上げる。

 すべてを費やしたはずの力を、さらに振り絞って、振り絞って、絞り尽くしてなお、引き千切らんばかりにまだ絞る。

 

 裁きの剣が吹き飛ばされる。

 破壊はできなかったが、落下の向きを変えられた三鈷剣が大気を裂いて、水平線の彼方へと消えていく。

 もはや三鈷剣が地上に落ちてくることはない。

 だが、三鈷剣によって生み出された衝撃波は、完全に消滅したわけではなかった。

 遅れて地表に到達した衝撃波が、旧南東地区に直撃する。

 剣本体が落下したほどの威力ではない。だがそれは、人工島の基底部を粉砕するのに足るだけの破壊力を持っていた。

 これまでの激突でなおも、この旧南東地区が一気に沈没しないのは、この人工島の基礎設計が優れていたからだろう。それでも沈むのは時間の問題。

 

 そして、魔狼も空中で一回転し、姿勢を整えて、地に降り立つ。

 

「これは驚いたぞ。<夜摩の黒剣(キフア・アーテル)>をその身に受けて、まだ這い上がるか」

 

 艶やかに嗤う『原初』

 這い上がった、と『原初』は言う。

 それが、違う。

 こうして身体は再生しながらも、ク■■は堕ち続けていた。

 記憶を奪われ、心を引き摺りこもうとする闇色の海で、必死に藻掻いている。

 大切な想いが、あったはずだ。

 その想いを成就させるために、戦っていたはずだった。

 しかし―――

 ■■ク■■は、思い出せなくなっていく。

 護りたいと願った人々がいたはずなのに、顔が思い出せない。

 彼らが呼び掛けてくれた、自分の名前が思い出せない。

 ひどく悲しいのに、どうして悲しいかも思い出せない。

 戦う目的も、大切な人々の顔も、大事な約束までも、力を使う度に、記憶が食われていく―――

 

「だが、哀れ。汝の敗北は必定。我が眷獣はまだいる。

 ―――<蠍虎の紫(シヤウラ・ヴイオーラ)>、欠片も残さず喰らってやれ」

 

 翼を引き抜いてまた新たな眷獣を召喚する。

 それは紫の炎に包まれた怪物だった。鮫の歯と獅子の胴体、蠍の尾と蝙蝠の翼―――人食い(マンティコア)の名で知れた幻獣。

 吸血鬼の相手の生命力を奪う『吸血(ドレイン)』を象徴とする<第四真祖>の眷獣。その牙が魔狼に喰らい尽く寸前―――

 横から二体の魔犬が飛びこんだ。

 

「なに?」

 

 人食いの脅威から逃すように、炎を吐き出す三つ首の魔犬と冷気を纏う双頭の魔犬は、魔狼の巨体を咥えて引き摺る。

 

 ―――そして、霧散した。

 

 灼熱と凍気が入り混じり、蒸発してしまったように、自壊した。

 何故?

 木端の雑魚であっても、それは純血の眷獣。

 それが、喰われやすいように自ら赤い蒸気になった。あの『血の従者』である『血に飢えた狂狼』に『同族食い』されていく。

 

「己の眷獣を食わせるだと……!? こやつ、純血から『匈鬼』に堕ちる気か!?」

 

 純血の吸血鬼が、蔑まれる『匈鬼』に堕ちる覚悟で眷獣を捧げる。

 とても、『原初』には理解ができない愚行。

 

 ―――クロウっ!

 

 あまりにも血を失い過ぎた肉体に、純血が浸透する。満たしていく。魔狼の眼に光が戻る。理性。自我。そして、記憶。この純血が、喪っていったものを蘇らせる。

 クロウ。

 南宮クロウ。

 そう、呼ばれる名前はそう! ―――『血に飢えた狂獣』のものではない。

 『原初』に喰われ、穴の開いた記憶が、狂う前に呑まれた“一番”を除いて、魔法をかけられたように形を取り戻していく。

 

 でっかい借りができちまったな。

 

 飢えた血の渇きが、満たされ、

 魔狼――南宮クロウの瞳が、赤色から金色へと戻っていく。

 色を取り戻した世界で、『原初』を見て―――宣言するように、唱えた。

 

 

 

「<焔光の夜伯(カレイド・ブラッド)>ノ血脈ヲ外レシ者、我ガ肉体ヲ汝ノ器トスル」

 

 

 

 “一番の記憶”と引き換えに拾った、少女との誓いと、『原初』が切り捨てた“情報”。

 人間の肋骨は十二対だが、四足動物の犬に類人猿といった獣の肋骨は十三対ある。つまりは、これは『原初』が不要と捨て去ったモノたちの残滓。獣であるから受け入れられたもの。

 これだけでは不足であった。欠けている箇所が多すぎる。

 しかし、今、欠損部分が埋められる。

 三つ首の魔犬より変じた熱気と双頭の魔犬より変じた冷気。二つを吸い込み、体内で混在させる。

 この“純血の記憶(におい)”は元の“残滓の情報(におい)”とは異なるが、『嗅覚過適応』で読み込んだ魔狼は、己の『混血』に宿らせて、復元させた―――

 

 黄金の魔狼、その身体に走る刺青と同じ暗緑色の尾が、蛇頭に変生される。

 伝承に曰く、三つ首の魔犬(ケルベロス)双頭の魔犬(オルトロス)は、“蛇頭の龍尾”が生えていた―――つまり、これはヴェルディアナ=カルアナの眷獣を『鍵』として形作ったもの。

 そして、体内に収まりきれずに、背中より余剰に排出される熱気と凍気、相反する熱量が対消滅されて純粋なエネルギーの塊――『炎の氷柱』と言い表せるような形にまとまっている。

 

 

 

疾ク成レ(ヨミガエレ)、『十三番目』ノ眷獣、<蛇尾狼の暗緑(マルコシアス・テネブリス・ヴィリディ)>―――!」

 

 

 

 それはまさしく、悪魔の中で月の女神に仕えていた地獄最強の魔獣(マルコシアス)

 

「行クゾ、“先達者(センパイ)”」

 

 それは秒にも満たない瞬間。

 加速装置(ロケットブースター)の如く、『炎の氷柱』より魔力放出。神獣の脚力に、その後押しは魔速へと至らせ―――

 人食い(マンティコア)の視界より、蛇尾狼(クロウ)が消え―――反応すらさせずに、魔爪に斬り裂かれる。

 

 災厄の化身と称される真祖の眷獣―――だがあり得べからざることに、風切り音よりも静かな断末魔と共に、原形を保てずに人食いは霧散した。

 

「ぬ!?」

 

 アクションは人食いを屠っただけに留まらない。

 魔狼が暗緑色の蛇尾を揮って、『原初』の胴に蛇頭を咬みつかせた。吸血鬼の翼が濃密な魔力を篭めた斬撃を放ってくるが、それを弾いて、暁凪沙の体と接続させる。

 <蛇尾狼の暗緑(マルコシアス・テネブリス・ヴィリディ)

 その失われた『十三番目』の<焔光の夜伯>の力は、“死者を蘇らせる”という『蘇生』の吸血鬼の伝承を象徴化したもの。

 蛇と犬を聖獣とする蛇遣い(アスクレピオス)と同じ、神の定めたこの世の摂理に反する“完全なる死者蘇生”。

 それは、『人工的な吸血鬼『僵屍鬼』や『血の従者』として、魔族に転生させるのではなく、人間を人間のまま蘇らせる』

 とても、災厄の如き破壊になど成りえない。

 それを<黒死皇>の悪行と同じく、駒として動死体を操るのではなく、自由意思を持たせたまま、死体ではなく、生者として蘇らせてしまうのだから、『神』はこの力を<第四真祖>より外させた。

 ―――しかし、その失われた残滓だったものが、『原初』を追い詰める。

 

「貴様、巫女を―――!」

 

「言ッタダロ。“死者蘇生クライオレニモデキル”ッテナ」

 

 暁凪沙の身体をした『原初』は、鬼気迫る形相で、『十三番目』の蛇尾狼を睨みつける。

 『原初』の“呪われた魂”に合わせて、十枚の翼を生やした真祖の肉体へと変わりつつあったものが、人間の少女のものに逆戻りしていく。

 無限の“負”の魔力が、“正”の霊力へと(かえ)っていく。

 ―――死んだはずの『暁凪沙』の魂が、抵抗しているのだ。

 

「ソレハ、『原初(オマエ)』ガ蘇ッ()テモイイ肉体(ウツワ)ジャナイ。暁凪沙ノモノダ」

 

 混成能力者(ハイブリッド)の巫女である暁凪沙であっても、『原初』の“呪われた魂”に打ち勝つのは不可能だ。

 “ひとりでなれば”。

 死の淵に堕ちかけていた暁凪沙の魂を、その蛇尾が捕まえ、冥府魔道より手繰り寄せる(よみがえらす)。この命綱の支援があるのならば、『同族喰い』を以て肉体を取り戻せるか―――

 

「おのれ、調子に―――」

 

 また、ひとつ翼を千切る。

 

「乗るな、“後続機”―――!」

 

 生み出される巨大な幻獣。

 美しい女性の上半身と、巨大な蛇の下半身。流れ落ちる髪も無数の蛇。青白き水の精霊――水妖だ。

 その力は、吸血鬼の『再生』を示すもの。

 水妖が撒き散らす水流に触れただけで、クォーツゲートの残骸が砂のように崩れ溶ける。硝子は珪砂や水や炭素へ、コンクリートは土塊に、そして、鉄骨は、人の手に加工される前の―――原子レベルにまで分解還元される。

 時間を巻き戻したかのように、全ての文明を無に還す怪物。それが起こした津波が、蛇尾狼に迫る。

 

「グッ!」

 

 動けない。

 今、『原初』と繋がった蛇尾を外せば、二度と『暁凪沙』の魂は救い出せないかもしれない。

 だが、ここで水妖の攻撃を避けなければ―――

 

 

 

「「疾く在れ(きやがれ)、<妖姫の蒼氷(アルレシヤ・グラキエス)>!」」

 

 

 

 全長10m足らずの美しい眷獣が、膨大な凍気を従えさせて降臨。上半身は人間の女性に似ているが、下半身は魚。背中には透明な翼を生やし、指先は猛禽のような鋭い鉤爪になっている。

 氷の人魚、または妖鳥(セイレーン)―――これが、『十二番目』の眷獣。

 受信機たる肋骨の一部を預けた『血の従者』の暁古城と手を繋ぎ、アヴローラが自分の中に封印されていた眷獣を召喚。そして、激流を纏う『十一番目』の水妖とぶつかる。

 

「従者の分際で、眷獣を従えてまで我に抗うか!」

 

 激流を凍気が氷結させ、その氷が還元され水に戻らされる。

 同じ<焔光の夜伯>の眷獣の能力は互角で拮抗している。ただ、膨大な魔力の余波だけがこの人工の大地を揺らしている。

 

「待たせたな、クロウ」

 

 覚悟を決めて、時間稼ぎした間に勝算を見出して戻ってきたのは、その荒々しく犬歯を剥いて笑っている様からわかった。

 その手に、真祖殺しの聖槍を装填したクロスボウを持ち、暁古城は蛇尾狼の隣にアヴローラを連れて、駆け付ける。

 それに、『原初』と生死の綱引きを行っている後輩は、途切れ途切れに最低限のことを伝えた。

 

「凪沙チャン、魂、繋イデル―――今ノウチニ!」

 

 後輩からのバトンタッチを受けた、古城は頷いて、

 

「ああ、わかってる。凪沙は取り返す。アヴローラは食わせない。吸血鬼化した人たちも解放する。あれが世界最強の吸血鬼だろうが、殺神兵器だろうが知ったことか!

 ―――ここから先は、俺の“戦争(ケンカ)”だ!」

 

「貴様ら……!」

 

 格下の相手にこうまで喧嘩を売られるとは……!

 激昂する『原初』は、全ての眷獣を喚び出す。

 海流に流されていた三体も、深手を負わされた牛頭神に人食い、弾き逸らされた三鈷剣まで。

 

 そして、完全な再生はまだ終わっていない人食いが、蛇尾狼に逆襲をしかけ―――

 

「な!?」

 

 驚きの声を洩らしたのは、古城ではなく、『原初』。

 ゴウッ、と凄まじい爆音を起こして突き抜けた衝撃波が、人食いに直撃し、そのまま数十mも吹き飛ばす。

 

「<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>……!」

 

 凄まじい震動波を全身に纏った緋色の双角獣が、古城たちを庇い、人食いを退けさせる。

 そして、

 

「<甲殻の銀霧(ナトラ・シネレウス)>……!」

 

 半壊した戦斧を振り上げ、古城ら目がけて叩きつける牛頭神を、銀色の霧が包み込む。

 

「<龍蛇の水銀(アル・メイサ・メルクーリ)>……!」

 

 神羊が金剛石の身体より散弾のように撃ち放った宝石が、次元ごと呑まれる。

 

「<獅子の黄金(レグルス・アウルム)>……!」

 

 今度は地平線に平行に沿った薙ぎ払いで迫ってきた長大な三鈷剣が、雷光に弾かれる。

 

 双角獣に続いて、濃霧に包まれた銀色の甲殻獣、次元を喰らう双頭龍、雷光を迸る獅子。

 姉妹の末妹であるアヴローラが驚いたような表情で、姉達の名前を呼んだ。古城もまた驚愕する。

 <焔光の夜伯>の眷獣が、古城たちを護るように同じ<焔光の夜伯>の眷獣と相対したのだ。本体であるはずの『原初』の命に逆らって。

 

「な、何故、我に逆らう、『九番目』、『四番目』、『三番目』、『五番目』……!?」

 

 予期せぬ状況に『原初』が唇を歪めて狼狽する。『十三番目』によって『暁凪沙』が蘇らされたせいで、『原初』は眷獣たちの支配権を完全に掌握し切れなくなっていた。そのことが、四体もの<焔光の夜伯>の離反を招いてしまった。

 

 しかし、制御が外されただけで、『原初』に反抗して古城たちに味方をするものか?

 古城は、そこで『原初』を――暁凪沙の姿をした少女を見る。

 

(凪沙……か!? こいつらも凪沙を救おうとしているのか!?)

 

 理屈もないし、理由にもならないだろうが―――もしかすると、凪沙本人の自覚がないだけで、彼女たちは凪沙に懐いているのかもしれない。

 それで、凪沙を護る“後続機(コウハイ)”から刺激を受けたのかもしれない。

 だから、凪沙を護る。凪沙を救おうとする古城たちの味方をする。

 古城は、そう信じた。とりあえず今はそれだけで十分。

 ちょうど五対五で数は同じ。しかし、損耗しているのは『原初』側の<焔光の夜伯>

 

「―――後ハ、任セタ……!」

 

 とっくに限界など過ぎ去っていた後輩が、最後の最後の力を振り絞って、『原初』に咬みついて離さないでいる蛇尾を時計塔より引き寄せる。

 そして、まだ途中で力尽きたことを悔しそうに歯噛みしながら、蛇尾狼の状態が解かれて、元の南宮クロウの姿に戻って、倒れる。

 それを後にし、古城とアヴローラは地上に引き摺り下ろされた『原初』へ疾走した。暁古城がバスケ部時代に得意だった戦法は、カウンター。この後輩が繋いでいてくれたチャンスに、電撃戦の速攻で終わらせる!

 

「―――終わりだ、『原初のアヴローラ』!」

 

 眷獣がおらず、無防備な『原初』の妹と同じ華奢な体に古城が抱きついて、無理矢理に押さえつける。

 

「従者ごときが! 弁えよ!」

 

 そのクロウの身体を貫いた鋭い刃の如き『原初』の魔手が、古城の脇腹へと突き入れた。

 メキメキと骨の軋む音が古城の身体を震わせ、肋骨を握られる。

 『血の従者』の肋骨は、<第四真祖>の魔力を受け取る、触媒(アンテナ)の役割を果たしている。つまり、この肋骨が奪い取られれば、古城の不死の呪いが解けて、ただの人間に戻る。

 だが、

 

「効かねェな!」

 

 魔手に貫かれた古城は、構わず『原初』の腕をがっちりと押さえ込む。

 

「一度死にかけたくらいで怯んでんじゃあ、先輩として後輩に申し訳が立たねェんだよ!」

 

 魔力はともかく、単純な力比べに持ち込めば古城でも『原初』の動きを止めることくらいはできる。

 しかし、完全に密着される前に、『原初』の吸血鬼の翼が広がる。攻魔師を容易く撃退した強力過ぎる攻撃が、古城に振るわれる―――寸前で、とまった。

 

『もう、あたしの体で勝手はさせない!』

「巫女か!」

 

 身体の制御にも干渉できるほどに、その魂の意識が蘇ってきていた。

 完全に身動きが封じられ、抵抗まで許されなくなった『原初』の表情に焦りが浮いた。そんな彼女の背後にアヴローラが迫る。

 

「『十二番目』!? 貴様―――!」

 

 『原初』が首だけ振り返って絶叫する。アヴローラはそんな本体に背後から寄り添い、白く細い暁凪沙の首筋に唇を押し当てて、鋭い牙で柔らかな肌を刺し貫く。

 

 古城たちの『原初』を斃す策―――それは、『同族喰い』

 吸血鬼が吸血鬼の血を吸って、相手の“血統”や“能力”や“眷獣”を、自分の中で取り込む。しかし、相手を自分の中に取り込むというのは、逆に自分自身を乗っ取られる危険性がある。存在を上書きされてしまうのだ。

 あの時、『原初』は、上書きができれば凪沙(いもうと)は助かる、と自分で言っていた。

 『原初のアヴローラ』の存在を乗っ取り、暁凪沙の人格を保持したまま、<第四真祖>になる、と。

 だが、それが実現できる可能性は限りなくゼロに近い。『死者蘇生』の援助があっても、人間の暁凪沙には“呪われた魂”に呑まれぬよう現状維持に状態を保つので精一杯だった。

 でも、もし上書き(オーバーライド)するのが人間ではなく、魔族ならば?

 それも<第四真祖>の監視者として造られた封印の器ならば―――?

 

 これが、古城たちが見つけ出した『原初』を打倒する勝算、凪沙とアヴローラの両方を救いうる、たった一つの可能性。

 

(アヴローラ……!)

 

 古城がクロスボウに装填した銀の杭を、ゆっくりとアヴローラの心臓に合わせる。

 真祖殺しの聖槍。<第四真祖>を滅ぼす最後の切り札。

 もし、アヴローラが『原初』の魂を上書きできず、逆に彼女が『原初』に喰われたら、その時は古城が彼女を撃つ―――そう、アヴローラと約束した。

 それができるか、古城はわからない。

 『原初』を野放しにしてしまえば、『焔侊の宴』に大勢の人々が巻き込まれて、いくつもの屍の山が出来上がる。そして、後輩が瀬戸際で繋ぎ止めてくれた妹も助からない。

 だから、古城は撃たなければならない。たとえ撃てなくても撃つしかないのだ。と、

 

「くくっ……」

 

 ちょうど時計塔の鐘が鳴った時、それまでアヴローラと凍りついたように動かなかった暁凪沙が、笑う。凪沙本人の笑い方ではない、あからさまな嘲笑。

 内側の心象世界で、支配権を激しく争っていた『原初』が、アヴローラを返り討ちにしたのか―――

 そう、古城が焦った時、笑い続けていた凪沙の声が次第に落ちていく。

 

 

「おまえたちの……勝ちだ……」

 

 

 凪沙は――『原初』は、満足げにぼそりと呟いて、そして眠るように目を閉じた。

 

 

回想 彩海学園

 

 

 蛇遣い(アスクレピオス)が『死者蘇生』で『神』が敷いた世界の理に背いたせいで、天罰を受けて死ぬこととなった。

 それと同じように、あまりにも力を使い過ぎた南宮クロウは、その反動で天罰を受けたようにボロボロと塩の柱のように身体が朽ち果て、崩れゆく。

 ―――けれど、それを真祖の『再生』が、命を救う。

 

 その後にあった、暁古城が<第四真祖>となることになった、アヴローラ=フロレスティーナとのやり取りを知ることはなく、南宮クロウの『焔侊の宴』は終わった。

 この戦闘で負った傷が完全に癒えるまでは、南宮クロウは主人の南宮那月より、<神獣化>はおろか獣化の変身も数ヶ月間……夏休みが終わり、二学期に入るまで禁じられる。

 

 

 

 そして、四月の満月のころから、八月の最後の月曜日。

 

 

 

「馬鹿犬。暁――サボリ魔に追加の課題を届けてこい」

 

「う。お使い了解したのだご主人」

 

 

 

つづく

 

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

 ―――ピロロン♪

 

 

 先輩こと南宮クロウから預かっている――実質、アスタルテが管理している携帯電話に着信が入った。

 

 現在、先輩は教官(マスター)の部屋でお説教中。

 何でもここ最近、先輩の所有物(特に体操服とか帽子といった衣類)を失くすことが多く、一体どこに置き忘れたのだとお叱りを受けている。

 心当たりがないものの、そういう抜けていることを一応は自覚している先輩は言い訳せずに、思い出すまではしばらく正座しながらここ最近学校での生活について話してみろ、と言われ、素直に教官に語っている真っ最中。

 同居人の叶瀬夏音は心配して気になっていたようだが、彼女よりも早くここに世話になっているアスタルテは、あれはこの主従なりのコミュニケーションだと理解した。

 とりあえず、説教は長引きそうなので、メールの内容を見てみると、送ってきた差出人は、暁凪沙。

 

 

 >クロウ君クロウ君! 今週末さ

  どこか泳げるとこに遊びに行かない?

  折角新しい水着を買ったのに

  古城君、補習とか課題ばっかりで

  今年、海に連れてってもらえなかったんだよ

  元気になったらって、約束したのにっ!

 

 

 暁凪沙とは、アスタルテも面識がある。彼女が、重度の魔族恐怖症を患っていることも知っている。けれど、半分が魔族の血が流れている先輩と親しく、また、準魔族指定の人工生命体(ホムンクルス)のアスタルテにも怖がることはせず、良く話しかけてくる。叶瀬夏音も合わせ、三人で付き合うことが多い。

 して。

 ちまちまとしたボタン操作が苦手でこれまでに何台かを潰してきた先輩の代打ちをアスタルテは任されてきた。

 メールが来たときは、いつも先輩がそれを見て、返信内容をアスタルテに伝えて送っている。だから、ある程度の思考模倣(トレース)はできる。

 説教もまだまだ長引きそうだし、返信も待たせるわけにもいかない。ので、ぽちぽちとアスタルテは返信メールを打った。

 

 

         それは残念だったな凪沙ちゃん<

         それで、もう体調はいいのか?

         この前、退院したばっかだろ?

 

 >心配してくれてありがと

  でも、もう大丈夫。元気だよ

  これもクロウ君が気づいてくれたおかげだよ

  だから、クロウ君についててもらえると

  凪沙はすごく安心できる―――

  って、深森ちゃんからのお墨付きもらったよ!

 

                    そうか<

  凪沙ちゃんの体調はちゃんと気にかけてるから

           深森先生にそう言ってくれ

             むぅ、でも今週末には

     『青の楽園』ってとこで仕事があるのだ

 

 

 後輩としてアスタルテは、抜けているダメな先輩のスケジュールもきちんと把握している。

 ホテルや遊園地、それに9種類のプールに『魔獣庭園』を目玉とし、正式オープンは来年とまだ先だが、ここ最近注目を集めている新造の増設人工島(サブフロート)青の楽園(ブルーエリジウム)』、通称ブルエリから教官ではなく、教官を通して先輩をご指名に依頼が入った。

 

 

 >ええっ!?

  それってあの話題のブルエリ!?

  今月から完全招待制の仮営業してるって

  この前ニュースで聞いたことあるけど

  一泊何万円もするあの高級リゾートの!?

  クロウ君、どんな仕事任されたの?

 

 最近、『魔獣庭園』の様子がおかしいらしくてな<

    時々、魔獣たちが暴れたりするそうなのだ

      それで魔獣と意思疎通がとれるオレに

       相手してくれって、頼まれたんだぞ

 

 >へぇ、そうなんだぁ……

  すごいね、クロウ君!

  ……でも、ちょっと残念だなぁ……

 

 

 落ち込んでいるのが、直接見ずとも文章を読むだけで伝わってくるよう。

 仕事なので仕方がないことだが、それでもこのアスタルテとも親しい付き合いである暁凪沙が消沈するのは、あまり好ましいものではなく、

 少し考えてから、またぽちぽちと文章を作る。

 

 

                   う。オレも<

    凪沙ちゃんの水着姿を見れないのは残念だぞ

 

 

 と、先輩の思考模倣(トレース)からは外れてるものの、教官より渡された年頃の学生相談マニュアルに記載されていた男子生徒の会話一例を参考にし、それを先輩口調風にアレンジして、差し障りのない言葉を添えてみた。

 

 

 >み、見たいのあたしの水着姿……?

 

 

 そして、こちらの返信を待たずに、写真画像が添付されたメールが届いた。

 開いて見てみると、アヒル柄のワンポイントが入った白いエプロンと、水着だけを身に着けた水着エプロン姿の暁凪沙の自撮り写真……

 

 一応、状況説明の文章もあった。

 マンションの変圧器を交換するため、現在家庭用の配線は停電中で、冷房の効かない部屋が蒸し暑い。そのため、なるべく涼しい姿をしているのだという。

 それで水着を着たら、海に行きたくなったから先輩にメールしたと。

 そして、最後の隅っこに『どうかな?』と控えめに感想を求められた。

 

 ……………どうしよう。

 見せるべきかどうか。いや、先輩の感想が必要なのだから、見せるべきだろう。アスタルテもそこまで先輩の思考模倣(トレース)はできない。

 しかし、見せてはいけない……あまり、見せたくないと思う。だが、これが先輩の携帯である以上、保存していればいつか見られるだろうし……

 

 携帯電話を持ったまま固まり、長考に入るアスタルテ。

 そこへまた着信音。

 びくっ、と反応し、ひとつひとつのボタン操作を丁寧に、なるべくゆっくりとメールを開封……すると、

 

 

 >クロウっ!

  さっき凪沙が送ってきた写真はすぐに消せ!

 

 

 その後、長々と送ってきた状況説明の文章によると、暁凪沙が水着エプロン姿を自撮りしていたところをちょうど帰宅してきた第四真祖が目撃。

 そして、兄妹で激しい口喧嘩の応酬があったそうで、どうにか暁凪沙がこちらに写真を送ったが、その後すぐに第四真祖が妹の携帯を奪取して、この文章を打ち込んで、送り付けた、と。

 

 命令受託(アクセプト)

 頷いて、アスタルテは画像記録を速やかに消去する。

 それから、何となく第四真祖に感謝をしたい、どうやってそれをさりげなく伝えるべきかと考えつつ、アスタルテは返信文を作成した。

 

 

             ん。ちゃんと消したぞ

                   古城君♡<

 

 

 その後、『この『♡』についてなんなのか!?』と第四真祖は暁凪沙と、監視役で付いていた姫柊雪菜から追及があったそうで、

 ブルエリの招待話を持ってきた悪友の矢瀬基樹が来るまで、正座だった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 主人の説教、それと今週末の打ち合わせが終わり、自室に戻るとそこに置物の人形のように後輩のアスタルテがいて―――

 

「ん?」

 

 いつもと違うことに気づく。

 肩紐のないレオタード状の、バニースーツのような衣装。袖はないのに袖口のカフスがあり、スカートをはいてないのに、ガーターベルトをつけている。

 いつものメイド服姿ではない。寄生型の眷獣を召喚するため背中を大きく開いていたそれよりも肌面積の多い―――そう、あれは主人が収集しているメイド水着だ。しかし、何故それに着替えているのか?

 

「どうしたのだアスタルテ、そんな恰好して?」

 

「……いえ、その……反省です」

 

 果たしてメイド水着が反省になるのかはクロウにはわからないが、この自分と違って真面目に堅実に仕事をこなす後輩が自ら反省をするというのを不思議に思ったクロウは、しばらくアスタルテを観察する。

 じろじろと見られて、アスタルテが内股になりもぞもぞと身体を揺らし、心なしか頬も赤らんでいるように見えるも、やはりクロウにはよくわからない。

 とりあえず、先輩として言うことは言っておく。

 

「水着だからはしゃいじゃってるんだけど、いつもより薄着なんだから、風邪引かないように気をつけろよ」

 

 ピタリ、とその言葉に、後輩の身動ぎが止まった、それから半分開けたジト目で、淡々と宣告する。

 

「……やはり、先輩は想定以上にダメな先輩です」

 

「ぬ?」

 

「おかげで気持ち楽になりました。そのままの先輩でいてください」

 

「ぬぬぬ!? なんなのだ、オレはダメなのかいいのか、どっちなのだ!?」

 

「査定。今のは差引合算で、+40ポイントです」

 

 だからそれは一体どういうことなのだー!? と頭をガシガシと掻いてからクロウは、気を取り直して後輩に伝達事項を話しておく。

 

「今週末、ブルエリに行くから、アスタルテも準備しておけよ」

 

「……………私も?」

 

「? そうだけど。ご主人は来ないし、アスタルテが補助(サポート)についてないとまずいだろ。オレひとりじゃ連絡もできないし大変だぞ」

 

 あっさりと頷かれ、それから同行することを告げられて、アスタルテの半目が見開く。そこに気づくことも、気にすることもなく、クロウはぽんと手を叩いて、

 

「あ、そうか、だから、アスタルテ水着きてたんだなー。相変わらず、仕事の速い後輩だぞ」

 

「当然。先輩がダメな先輩だというのは承知していますので」

 

 クロウに向かって首肯する人工生命体(ホムンクルス)の後輩は、週末を心待ちするように、ほんの少しだけ、笑みに表情を緩めた。

 

 

 

つづく

 

 

 

 南宮クロウの現在の変身形態まとめ

 

 妖精獣←人型→銀人狼→神獣→蛇尾狼

         ↓   ↓

        金人狼→魔人

 

 

 

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