アスタルテの先輩呼びイベントと強化フラグ
回想 人工島北地区 スヘルデ製薬社付属研究所跡地
とにかくその男は、『永遠』を求めた。
琥珀色の液体が満たされた調整槽。
ポンプと濾過フィルタが静かな駆動音を響かせる。
そして、ゆらゆらと溶液中を漂いながら眠り続ける、藍色の髪をした
その肌には、電子回路のような複雑な文様が、青白く輝きながら浮き上がっている。
生体組織に
『アスタルテの調整は進んでいますか、『人形師』』
聖職者のような法衣を纏った男性――依頼者の殲教師の呼びかけに、『人形師』は、経過を報告する。
『術紋の書き換えは済んでいるよぉ。なあ、スワニルダ』
『肯定。上書きした術紋が肉体に完全に浸透するまで、残り4時間15分です』
『人形師』の言葉を補足するのは、彼の“お気に入り”。
人工生命体の肉体に、精密機械の骨格を埋め込んだ、世界に一体だけの生体人形、『人形師』が手掛けた生きた芸術作品であり、忠実な僕にして、愛玩物―――そして、彼の伴侶。
殲教師は、その視認したものを分析する
しかし、構わない。
人間に近しい人形を造る
原初の人間の創造は神の御業にのみ許された行為であり、それに反するのであれば誅罰すべき対象であるが、これは“道具”。『人形師』が創っているのは、有限の命しかない人間ではなく、永遠に美しい人形である。
依頼した、この罪悪の蔓延る人工島の中枢を破れる、強力な結界で護られた隔壁を突破するための“道具”さえ、造れればいい。今はこの背教者よりも、この背約の土地から聖人を救うことを優先する。
『依頼した術式は、完成したのですね』
『当然さ。俺を誰だと思ってる?
とはいえ、あんたが持ってきた『
『背教者である貴方が、神の意思を語りますか?』
『そう怖い顔しなさんな。んで、もうひとつの“お土産”があったな』
『<
『ああ、流石は『魔族特区』だ。あれほどの作品を拝めるとはな。『黒』シリーズを生み出した魔女、方向性は違うが、同じ作り手として尊敬しているんだぜぃ。おかげで、創作意欲が湧くってモンだ。できるなら、生きてるうちに魔女に会いたかったけどな』
『異端同士通じ合うものがあるようですね……しかし、あれは、私の
“完全なる死者蘇生”。『死者を魔族に転生させず、人間のままに蘇らせた』という噂が真ならば、我らの貴き主の復活が叶うでしょう。それに、ここにある貴方の失敗作を再利用できる。だから、これ以上
『違ぇな。“壊せなかったんだろ”? ま、壊さなくて正解だが。ちっと視たが、
ああ、本当に解剖してぇなぁ。けど、あの『首輪』が邪魔だ。ありゃ、魔女の<守護者>と繋いでるモンだ。それもとんでもねぇ化け物。もし死んじまうか瀕死に近い状態、それか施されてる魔術解除もなく他人がそれを外すものならそいつが出てくる。悪魔付きの救難ブザーってヤツだ。<空隙の魔女>ってのはひょっとして、過保護なんじゃねぇか?』
『魔女の考えなど理解したくもありません。ですが、<空隙の魔女>とやり合うのはできれば回避したい。<監獄結界>の噂が真実ならば、敵に回すのは愚かだ』
『それで朗報だ。この『首輪』を解析して、<空隙の魔女>を誘き寄せる
『異端であっても、仕事はできますか』
密入国と同じルートで小道具を持たせた人形たちを島の外――欧州ロタリンギアへと送り出す手配を進める依頼主に、『人形師』はニヤリと笑い、
『なあ、死んじまったら、<黒妖犬>の屍を俺にくれないか』
『報酬はすでに十分すぎる額を支払ったはずですが』
『
壊すしか能のない殲教師様にはわからんだろうが、<黒妖犬>は俺みたいな作り手には垂涎モノなんだよ。世界にたった一つしか存在しない<血途の魔女>の最後の遺産にして、最高傑作。レア中のウルトラレア。だから、死体でも回収できればしておきたいのさぁ』
笑ってはいるが、その目はどこまでも飢えた獣の如き眼光を放つ。人形の方も、主人の一動ですぐ行動できるよう構える。この『人形師』の執着に火を点けるとは、厄介な拾い物を連れてきてしまったと依頼主は、肩をすくめ、
『死肉を漁るハイエナの事情など、今の私にはどうでもいい。土に還る前に、拾いたければ拾えばいいでしょう。しかし、すでに支払った報酬分の働きを怠るのは許しません』
『そんじゃあ、もらった金額分は働かせてもらいますよ。ほれ、シミュレーションの結果だ。気になるだろ』
『人形師』が素っ気なく右手を上げるポーズを取れば、人形は、滑らかな動きで
体内に寄生させた人工眷獣の、最新の能力値、つまりは改造後の状態を示したものだ。
『やはり魔力の完全無効化は無理ですか』
『人工眷獣の膨大な魔力で無理矢理補っちゃいるが、素体になってるのが
だがまあ、完全無効化は無理でも、魔力を反射するだけなら何とかなるだろ。あとは力で押し切ることだな』
『十分です。キーストーンゲートの結界を破れるなら、それでいい』
『もったいねぇ。折角こいつには、普通の人間の何十倍もの寿命を設定してやったのにな。このまま眷獣を使い続ければ、保ってあと2、3週間ってとこだな』
『問題ありません。それだけあればこの島を完全に沈めてもまだ余裕がある』
『やれやれ。ものの価値のわからない男だな』
依頼主であるも『人形師』とは価値観を共有することはできない。
聖職者である依頼主にとって、神の摂理に逆らって生み出された人工生命体は、忌むべき魔族の同類であり、使い潰したところで良心の呵責など憶えるはずがない。
『人形師』にしてみれば、人形の人工生命体は人間よりも価値があるべきものだ。使い捨てるしかない、
『人形ってのは、『永遠』に生き続けるから価値があるんだぜ。所有者である人間が滅びても、な。そうだろスワニルダ』
『肯定。私は
無表情なまま静かに頷く
人工島北地区 スヘルデ製薬社付属研究所跡地
それは、西欧教会の司教でありながら、魔族を駆逐する高位祓魔師の技能をも身につけた特殊な聖職者――ロタリンギアの殲滅師、ルードルフ=オイスタッハが起こしたキーストーンゲート襲撃事件から間もない、事件の後処理の話。
眩い人工の証明が照らす、何層にもわかれた無機質な街並み。
最も『魔族特区』らしさを感じさせる未来的な風景。企業や大学の実験施設が建ち並ぶ、広大な研究所街があるのは、人工島北地区。
そんな殺風景な街の片隅に放置される建物は、欧州ロタリンギアに本社を置く大手薬品会社、スヘルデ製薬の研究所跡地だ。
スヘルデ製薬は人工生命体を利用した新薬の臨床実験を行うため、この『魔族特区』絃神島に研究施設を持っていた。ただし景気低迷と採算の悪化を理由に、研究所は閉鎖。この建物はその成れの果てである―――そして、先日、世界的にも深刻な話題となったキーストーンゲート事件を起こした実行犯が隠れ家としていた場所。
その前に、小柄な少女と、その少女へ日傘を差す傘持ちをしている厚着の少年。
豪奢なドレスと長い黒髪。人形のように整った顔立ちは幼く、美女というより美少女という文句が似合う。あるいは幼女という形容がしっくりくるか。
そして、少年は、耳付き帽子、コートに手袋、それから枷のような首輪を隠している首巻と制服の上に厚着を重ねている。
帽子は兜に、手袋は籠手に、外套は鎧、と服ではない趣を漂わせるというどこか騎士風に着込なしている。
傍から見れば、小さなお嬢様と小さな従者という彼らは、彩海学園の英語教師にして、
「なあなあ、ご主人。今日、古城君が風邪引いて学校休んじゃったんだろ? 古城君、未登録だけど、病院に行かなくても大丈夫なのか?」
クロウが尋ねるは、主人が担任と受け持ってる先輩。
それが体調不良で学校を休んだそうだ。クラスメイトで先輩と兄妹である暁凪沙が表面的に明るく装っていても内心は心配していたり、先輩と合わせて学校を休んだ姫柊雪菜もその看病を努めてたりしている。クロウもまた仕事がなければ、藍羽浅葱や矢瀬基樹と先輩たちと一緒に見舞いに行っていただろう。
不老不死の吸血鬼が、風邪。
あまり知られていないが、魔族特有の感染症というのが存在する。特に絃神島は世界各地から多くの魔族が集まっており、人工密度も高いため、知らないうちにどこかで
「問題ないだろう。暁は真祖だ。病気で死んだりはせん。それに“蝙蝠”が罹るヤツは数少ない。おそらく、吸血鬼風邪だろうな」
そのまんまであるが、これは医学論文にも登録されている立派な病名である。
吸血鬼風邪は、吸血鬼ならば誰でも一度はかかる病気だ。子供のころに経験してれば免疫ができて、それ以降はそう滅多に発症することはなくなる。
「暁は吸血鬼になって、この前吸血童貞を捨てたばかりだ。免疫がなかっただろうし、ちょうどいい。あれは大人になってから罹患すれば、重症化する可能性があるものだ。最悪、子供が作れん身体になるくらいだ」
吸血鬼風邪は、人間で言うおたふく風邪のようなものだ。大人になって発症すると、高熱が何日も続いたり、情緒不安定になって奇行に走ったり、そして、生殖機能に後遺症を残してしまうかもしれないもの。
大人しく治療に専念させておくのが正しい。
かといって、未登録魔族の生徒を、カリスマ教師は特別病欠として処理してやることはない。出席日数や単位の危ういところに、さらに休んだ分の補習課題を上乗せしてやるつもりである。
「うー、やっぱ風邪って大変だな。オレ、一回も病気?ってのになったことがないからよくわからないけど」
「ひとつ勉強させてやろう馬鹿犬。『馬鹿は風邪を引かない』という俗説は、迷信だ。あれは『馬鹿は風邪を引いても、それに気づかないくらい鈍感だ』というのが正しい解釈だ」
「う、そうなのかご主人」
「といっても、致死クラスだろうと
と、見た目で侮られる二人であるが、揃って現場に望めば、難事件だろうと半日かからずに解決してしまえるこの絃神島でも“最恐の主従”。
それ故に、ここ最近は眷獣の経験値稼ぎに単独行動をさせることが多かったのだが、今日は久しく共に行動している。
これは、それほどにこの事件は警戒すべきものである。か、先日、
先日の事件で、南宮那月は、たとえ能力があってもこの馬鹿犬には冷静なサポーターが必要だと痛感した。
そんな思い出しては眉間に手に持った扇子をあててる那月に、その悩みの種は、
「ご主人、今回の獲物は何なのだ?」
「ここに来る前に教えたはずだぞ?」
「だって、そいつ名前が長いぞ」
「ザカリー=多島=アンドレイドだ―――先日、“小細工”が施されていた軍用
ザカリー=多島=アンドレイド。
欧州ヒスパニア国籍の日系人。国際指名手配中の魔導犯罪者。通称、『人形師』。
特に生体操作を得意とする凄腕の魔術師。この男が調整した人工生命体は“芸術品”と呼ばれ、今でも凄まじい高値で取引されている。
「セビリアの大学で医療魔術の教授を任されていた奴だ。そこそこ腕は立つのだろう。だが、決定的に頭のネジがぶっ飛んでる」
「馬鹿なのかそいつ?」
「ああ、馬鹿犬とは違う意味でな。『人形師』は自分の研究のために、20名以上の人間と魔族を違法な実験で殺してる。人工生命体の犠牲者は、その十倍は軽く超えるだろうよ」
素っ気ない主人の説明に、む、とクロウは眉根を寄せる。
単なる猟奇殺人犯と呼ぶには、あまりに多すぎる犠牲者の数。大量虐殺者だ。
「まあ、私ほどではないがな」
と欧州にて『魔族の大量虐殺者』と今も震撼される<空隙の魔女>は淡々と続ける。
「しかし、『人形師』は魔導犯罪者として指名手配されたあとも、仕事を依頼する連中は後を絶たなかった。こいつが造りだす人工生命体や
「そいつ、<監獄結界>に送るのか?」
「さあな。『人形師』の持ってる技術やその顧客リストは、公社の連中も欲しがるだろうし、送るのだとしてもそれからだ」
まずは捕まえる。そう方針を打ち出すと、那月は扇子を少し開かせて口元に当てる。
「(眷獣共生型の人工生命体を生み出す技術か。人工島管理公社の連中にくれてやるのは癪だな……)」
どうしたものかな、と那月が珍しく考え込む。
殲教師の依頼で『人形師』が手がけ、この隠れ家の調整槽にでも使われた
最優先の依頼は、『人形師』の捕縛であるが、眷獣寄生型人工生命体はその次の優先度。『人形師』の足跡を辿るための“残り香”を得るために隠れ家へ来たが、その際についでにデータ回収もするようにと。
確かに眷獣を使う人工生命体が量産されて軍隊も造ってしまえる可能性がある以上は、残しておくわけにはいかない。かといって、それを人工島管理公社に任せれば安心できるというわけでもない。魔導犯罪者は論外だが、公社の連中でも、その技術を悪用されないという保証はどこにもない。
無論、『人形師』も自らの秘蔵のデータを流出させないように、消去処理を徹底してるだろうが、那月の教え子である、<電子の女帝>という公社の雇われ天才ハッカーは、ハードウェアさえ残っていれば、僅かな電子的痕跡からプログラムを
那月としては、この隠れ家にある調整機器を物理的に破壊してしまうのが手っ取り早いのだが、それを“那月自らが”直接手を下し破壊するような真似をするのなら明白な契約違反。正式に依頼を受けた以上、施設を破壊するにはそれに足るだけの何かしらの大義名分が必要だった。
そのあたりをどうするか具体的な策はまだ思いつかないが……
「さて、おまえが調整されたのは、この建物で間違いないな、アスタルテ?」
「肯定。最終調整終了日は、私のキーストーンゲート襲撃実行日と同一です」
主従についてきていた、藍色の髪を持つ人工生命体の少女――先日の事件の襲撃者である眷獣寄生型人工生命体アスタルテが、抑揚の乏しい無機質な口調で淡々と答える。
脆弱な人工生命体の肉体に、眷獣を寄生させている。驚異的な技術の産物であり、同時に貴重なサンプルでもあるアスタルテの身柄は、現在、人工島管理公社の厳重な管理下に置かれているのだが、その破壊活動及び付随する多数の罪状に対する処分の一環として、後見人である南宮那月と行動を共にしている。
「そうだぞ。オレも、ここにいた気がする……ん―――どうしてオレに確認しないのだご主人!」
「そんなの馬鹿犬の残念な頭が頼りにならんからに決まってるだろう」
ざっくりと言い捨てられた主人の言葉を受け、ぐぬぬ、と唸るクロウ。
「やれやれ、不服ならば今一度訊いてやる。今回の標的の名前を言ってみろ」
「うぐぅ……ざ、ざ、ざ……ザッカレー……た、た……たまご……あ、アンド、ドレッシング! カレーにトッピングにたまごで野菜にドレッシング付きが、今日の
「意味が解らん。どうして“匂い”は覚えられるのに、五文字以上の単語を一発で覚えられん。ほれ、アスタルテ答えてやれ」
「解答。ザカリー=多島=アンドレイド」
「ぬぬぅ、暗記物は苦手なのだ。でも、ご飯の内容だったら、一ヶ月分は自信あるぞ!」
「それで、アスタルテ、お前を調整した『人形師』について覚えていることはあるか?」
「
首を振るアスタルテ。無感動な薄水色の瞳から、彼女の内心は推し量れない。
名前を聞いても思い出せない、“創造主”のことを忘れられている。
証拠隠滅は当然の処置ではあるが……
那月は静かに息を吐き―――で、その使い魔は、
「そっか、アスタルテもあんま憶えてないんだな」
「
と肩を軽く叩かれながらそう言うクロウを、アスタルテはその無感動な瞳を揺らして見つめる。
「む。その
「疑問。先日、私とあなたは敵対していたはずでは?」
「でも、今はオレと同じでご主人の世話になってるんだろ? ほら、あれだ、『昨日の敵は今日の友』ってやつだぞ」
「では、ミスター・クロウ、と」
「んー、もっと、こう上下意識ができてる感じの呼び名がいいぞ。う、ご主人をマスターっていうみたいに特別感が欲しいのだ」
「ならば、最適な呼称についての意見を求めます」
「そういわれてもなー、何がいいのかオレもわからんぞ」
「面倒だから、適当に馬鹿犬とでも呼んでやれ」
「む、それをご主人以外に呼ばれるのはオレも流石にやだぞご主人」
「だったら貴様も、いい加減にご主人様と呼べるようになるんだな」
那月が扇子を振るって、空間制御の応用でクロウの頭に衝撃を叩き込む。
「ところで、アスタルテ。おまえのその服装はなんだ?」
アスタルテが今身に着けているのは、就職活動中の女子大生を思わせる紺色の地味なスーツだ。サイズが合っていないのか、袖回りがぶかぶかで、可愛らしくはあるが、正直あまり似合っているとは言い難い。
「質問認識。人工島管理公社からの支給品と回答」
「地味で無個性な服を与えておけば、お前の正体を隠せるとでも思ったか。美意識に欠けた公社の職員どもが考えそうなことだな」
フンと鼻を鳴らす那月に、アスタルテは微かに首を傾げて、訊き返す。
「“美意識”についての情報が不足。この服装の問題点についての補足説明を要求します」
「そんなの簡単だ。おまえの服には、“可愛さ”が足りん。つまり、“
唇の端を吊り上げて笑い、持論を展開する那月に、地面から異議の声が上がる。
「うー、オレ、ご主人が“可愛さ”を追求したとか言う“
「それは、馬鹿犬が馬鹿だから主人の“美意識”が理解できんだけだ。だから、サーヴァントのくせに私の
「
アスタルテが馬鹿正直な態度で頷くを見て、那月は満足げに頷いて。
―――そして、三人は隠れ家の研究所跡地へと足を踏み入れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ロタリンギアの殲教師の依頼で造り上げた眷獣共生型人工生命体。
何週間も生きられないような欠陥製品には、正直、興味はなかったのだが―――あれが“『永遠』を手に入れた”という。
あの欠陥製品に膨大な魔力が送り込まれている。おそらく、吸血鬼によるものだろう。
以前に、軍用機械人形の改造を依頼されたことのあるメイガスクラフトで、それと似たような『血の従者』となることで疑似的な<神獣化>を可能とした獣人を見たことがある。
あれならば、本来は吸血鬼にしか使役できないはずの眷獣を埋め込ませてやった試験体でも、寿命を削らずに眷獣と共生ができるだろう。一体どこの物好きがあんな欠陥製品を『血の従者』としたのかは気になるが、
とにかく、
そして、至高の芸術作品を生み出すために、
そう、考えて、準備を進めていた時に―――管理公社に囚われているはずの欠陥製品が、この隠れ家にまで
しかも、おまけを連れて、だ。
『黒』シリーズの
この美味しい状況を、この国では、『カモがネギを背負って来た』というのだろう。
また、あとひとり、11、2歳ほどの小柄な少女。顔立ちは作り物のように端整で、恐ろしく豪奢なドレスを纏っている。それもスワニルダの表皮の張り替え時であったからちょうどいい。
「スワニルダ、この施設に仕込んであるすべての人形を使っても構わない。あの“素材”を、なるべく傷つけないように仕留めろ」
「命令受託―――」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
―――研究所跡地へと入り、その建物内へと進んだ時、南宮那月は足を止めた。フロアに残る異臭に気付いて細い眉を寄せる。
「フロアの入り口で待機していろ、アスタルテ。この建物に近づく者がいた場合の対応は任せる。おまえの判断で行動して構わん」
これは、那月のアスタルテへのせめてもの心配りであった。
感情を制御された人工生命体といえども、この仲間の残骸が漂っているような場所を見るべきではない。
と、それに先頭を進んで、那月よりも早く、そして深く“匂い”を嗅ぎ取っていた使い魔のクロウが異議を唱える。
「ご主人。ここに誰かいるぞ。待ち構えてる“匂い”だ。ひとりにさせるのは、危険なのだ」
常とは違う、注意を喚起させる声音を発するクロウ。彼もまた、主人の考えを悟ってるだろう。それを理解して、言う。
「……それに、ここに眠っている
那月はしばらく無言でクロウの訴えを咀嚼するだけの時間をかけてから、口を開く。
「変更だ。ここで待機するか、ついてくるかはお前が決めろ。ただし、ついてくるのなら私の傍につけ、クロウより先行することは許さん」
「……
那月、それからクロウを見たアスタルテは、後者を選んだように通路を戻らずに那月の側に寄った。
それに、やれやれとひとつ嘆息し、那月は制御端末の前に移動する。機器の状態を見たところ、研究所の電源はまだ生きている。調整槽の状態がモニターに表示されているも、やはりその数値はすべてデタラメ。プログラムが正常に作動しておらず、またそうなるように手が加えられている。しかしながら、これも那月の教え子ならば復元してみせるであろう。
「………」
そして、モニターを見る那月に対し、アスタルテはその調整槽の中を見ていた。人工眷獣を植え付けられた人工生命体のなれの果てたちを。
アスタルテは、何も言わない。ここにいる彼女の“先行作”は、もう死んでいる。
「なあ、ご主人。こいつら外に出してやれないか? ここで眠らせるのはなんかイヤだぞ」
「やれやれ、今日の馬鹿犬はやけに口応えが多いな」
「むぅ」
「馬鹿犬。おまえにとって、生きてるか死んでるかは、起きてるか眠ってるかとさほど変わらんのだろう。だが、おまえはおまえの正常が異常だと理解してるし、何を優先すべきかもおまえは理解できているはずだ。感情移入はするな」
「むぅむぅ~」
唸るのをやめないクロウに、口出ししたのは、那月ではなく、アスタルテ。抑揚の乏しい声音で、その行為を咎める。
「
「だから、
機械的な口調で、“正しい回答”を述べるアステルテにクロウはふくれっ面からしかめっ面を作り、
「命令だからって何でもかんでも納得できるわけないのだ。お前は、もっとワガママになってもいいと思うぞ」
ぷんすか、と先を行くクロウ。
彼がなぜそこまで憤りを覚えるのか理解できず、口を噤む人工生命体に、その監督者は言う。
「気にするな。馬鹿犬は、
だから、よっぽどおまえが我慢しているように感じたんだろうよ」
「私は……」
「それと、あれでも馬鹿犬は、私の
けして真似をしろとは言わんがな、と。
従者としては失格な、飼い犬なのに主人の手を噛むような真似をした黒妖犬を、認めているような教官の訂正に、アスタルテは無言のまま、彼らについて施設の地下へと向かう。
金属製の隔壁をくぐると、鼻に突いていた不快な臭気が一層強まる。
薄暗い地下研究所の内側には、無数の医療機器やベットが墓標のように立ち並んでいる。
「
診療台の上に無造作に打ち捨てられているのは、バラバラに解体された人型の骸。
剥き出しにされた傷口からは、錆びた金属製の骨格や、プラスチック製の人工筋肉を覗かせており、
まるで人形の部品を使って生み出された、醜悪極まる芸術のようだ。
やはり、この手口は、見覚えがある。
ロタリンギアで回収した囮とこの診療台の残骸は似てる、同じ人物が手がけたものだ。生きているかのような精巧な機械人形を生み出しては、それを容赦なく部品として使い捨てる冷酷な技師。
その人物――ザカリー=多島=アンドレイドならば、人工生命体に眷獣を植え付けるような凶悪な真似を平然とやってのけるであろう。
そう、馬鹿犬の“
(だから、今日の馬鹿犬は反抗期になるんだが……)
那月は小さく唇を歪める。
ここ最近は主従で同行することがなかったが、この案件については那月はその幉を引き締めてやる必要があると判断した。
「む……」
先頭のクロウが停まる。そして、ギシリ、と金属の軋む音。診療台に横たわっていた、またはこの診察室に打ち捨てられていた機械人形たちが動き出す。
真紅に輝く瞳。
肉体の各部位から刃物や銃口が迫り出す戦闘態勢。
三原則により、自律型の機械人形は人間を攻撃することはできない。
市販されている機械人形の起動コアには、『
しかし、機械人形のコアを弄れるほどの魔導技師がいるのならばそんな制限など外してしまえるだろう。
そして、ただ与えられた命令だけを忠実に実行する機械人形は、痛覚を持たず、自らの肉体が壊れようがお構いなし。完全に破壊されて停止するまでは、戦い続ける。
それに、<空隙の魔女>は、獰猛な笑みに歪む口元を黒いレースの扇子で隠し、悠然と命を下す。
「貴重なサンプルだ。一体は残しておけ―――」
犬の躾に『待て』の戒めを外すような気軽さで。
アスタルテもまた出ようとしたのだが、それより早く、
「了解したのだご主人」
飛び出して、その群れに突っ込んでは、機械人形を、黒妖犬は簡単に解体していく。
1体。2体。3体。4体。さらに奥からわらわらと入ってくる機械人形を、躊躇なく壊していく。そこには無駄が一切ない。
すぐに診察室は残骸で埋まっていく。
―――強い。
圧倒的でさえある。人間のように精巧に作りながらも、部分部分が欠損し、まるでゾンビのような機械人形、しかしその動きが緩慢なわけではない。むしろ人並み以上の激しさで襲い掛かってくる。
だというのに、黒妖犬は眉一つ動かさずにあっさりと始末する。頭部や人体の急所を壊そうが動き続ける機械人形だが、黒妖犬はそのコアをコンパクトに穿ち、または四肢を砕いて行動力を封じていく。武器を持っているが、向けてくる銃口を握り潰し、刃物を打ち砕く。
6体も抱き着かれれば、並の獣人は獣化をしても身動きができずに押し潰されるだろうが、人間のまま黒妖犬は10体以上の物量作戦も軽々と蹴散らしていく。
「ほう、
使い魔が暴れる中で、那月は四肢を壊され、身動ぎしかできない機械人形の一体から、精巧な回路に埋め込まれた鉱石の結晶――機械人形の起動コアを空間制御の魔術によって体内から転移。起動コアに刻まれている術式を読み上げており、まったく加勢する素振りを見せない。精々流れ弾に注意を払うくらいだ。それに顔に感情を出さずとも、アスタルテは惑う。すぐに眷獣を実体化できるだけの魔力を高めながら、召喚せずにいる。加勢しろとは命令は出されていない。しかし判断を任されているのならば出るべきかと。
そんな人工生命体の少女に、教官は適当な調子で口を挟む。
「あれくらい手出しは無用だ。馬鹿犬は、拳銃の弾を目で見て避けられる」
「……補足説明を要求します」
「雷と同じだ」
那月は呆れたように息を吐く。
「拳銃が発射されると、銃口からマズルフラッシュの火花が散るだろう。光と弾の速度は一緒じゃない。必ず光の後に弾が来る。だから、馬鹿犬は銃口の光を見てから首を振れば、その後にやってくる弾丸を回避できる―――そんなバカげたことをほざいていたのだあの馬鹿犬は」
未来視だとかそういうのではなく、素の性能、動体視力で反応できてしまえる。
「さて、そろそろこのような歓待をしてくれた主催者には挨拶に来てほしいところだが」
ひとりで50体ほど機械人形を破壊した――機械人形では相手にならない、また那月がその手の内を明かさないことを、まざまざと見せつけたところで那月がそう嘯いた。その直後―――
「
天井を突き破ってそれが現れた。
銀色のドレスを身に着けた、ほっそりと美しい影。
それは美しい純白の髪を持つ、十代半ばの少女である。
完全に左右非対称の美貌は、アスタルテによく似ており、アスタルテを少し成長させた姿、またアスタルテの姉妹と言っても通用する。
「ぬ……!?」
人間が注意を外してしまう真上より奇襲。それも機械人形たちを狩り終えて、意識が弛緩したその一瞬のタイミングを狙って。
だが、黒妖犬がここにきて初めて後れを取ったのはそれだけが理由ではない。
この整い過ぎた人外の美貌を持つ少女は、殺気を放たない。彼女からは何の感情も感じない。ガラス玉のような緑色の瞳でこちらを見て、ほぼ無味無臭の“匂い”しか嗅ぎ取れない、
まるで意思を持たない機械人形のように―――
「
無表情のまま少女の唇が紡がれる声音は、決められた手順をなぞるような無機質なもの。
黒妖犬へと彼女の伸ばした左腕が、上下に大きく割れる。そして、腕の中から
刃と化した左腕で、黒妖犬を斬りつける。咄嗟にその腕を盾にしたが、初めて黒妖犬の体に切り傷が生じた。あの殲教師の強力な退魔の力が施された戦斧と素手で打ち合った鋼の肉体に、傷を。それだけで凄まじい威力だとわかる。
―――構わず、黒妖犬は、銀の少女を蹴り抜いた。
「―――っ!」
肉を裂いて、骨を砕く、捨て身のカウンター。
機械人形を粉砕した腕力、その三倍はあるという脚力の打撃をまともに食らって、少女の体が軽く吹っ飛ぶ。
しかし彼女が壁にぶつかることはなかった。少女の右手から伸びた透明な糸が、彼女の体を空中に繋ぎ止めたのだ。
室内、いや、この建物内には、無数の糸が、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。糸で結界を張り、<空隙の魔女>の空間転移に干渉している。さらに彼女はその糸を利用して、うまく衝撃を殺すように体を受け止めさせた。
強靭な獣人種をも上回る膂力で蹴り飛ばされたというのに、少女が苦痛を感じている気配はなかった。動きに支障が出ていても、人間の関節では不可能な動きで糸を手繰り、自らの体を操り人形のように操作して補う。
だが、驚かされるのは少女のことばかりではない。
「ご主人、アスタルテ、あいつの刃には毒が塗られてるぞ」
「進言。至急、撤退することを推奨します、黒妖犬―――」
アスタルテが呼び戻そうとするが、黒妖犬はこちらを振り向きもしない。アスタルテは繰り返し、
「重ねて進言します。黒妖犬、撤退して治療を」
「馬鹿犬の肌に傷をつけるとはな。中々鋭い刃物だ。それで、問題はないな?」
「う。問題ないのだご主人」
腕の筋肉を締めて、斬られた傷を塞ぎながら、黒妖犬は教官に答える。
ぐーぱーぐーぱーと手指を動かし、特に支障がないことを確認。
人工生命体の肉体とは比較にならないその身体性能に、少女は硬質な声で淡々と分析を述べて、警戒する。
「対象の脅威度判定を更新。毒に高い耐性を持つと推定」
微量でも鯨一頭を即効で麻痺させる毒を食らいながら、平然としている。今、少女の“身体に仕込まれている”兵装では、捕獲するのは難しい。
そして、明かりのない室内にかろうじて光を届けている部屋の入口に、また新たな人影が立っていた。
意思のない機械人形や、機械のような少女とは違う。
白い石碑と錯覚するほどの塊は、薄汚れた白衣を着た男だった。
ぼさぼさに長く伸ばした髪、手にはスキットル。
上半身は白衣以外着ておらず、擦り切れたジーンズを穿いた長身の男は、研究者というよりは時代遅れのロック歌手か、反社会的な芸術家に見えた。
「カモがネギを背負ってやってきたかと思えば、予想以上に処理がいる素材らしいなぁ。いや、頑健であるのは予想していたから、スワニルダを対獣人使用に装備を固めてるのだが。ここは俺の
その声を聴いた瞬間、アスタルテの意識は凍り付いて、糸が切れた人形のように指先一つ動かなくなった。
起動する直後に消去された記憶が、その声紋を
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
南宮那月は、正面に対峙した男と、それに付き従う純白の髪を持つ美貌の少女。彼らの正体を一目で看破していた。
「……
「どうせなら、『
男――『人形師』ザガリー=アンドレイドはそういって、この世界で唯一の少女スワニルダを抱き寄せる。
それに対するスワニルダの反応はごく自然で、とても人形とは思えない。むしろ普通の人間よりも、より完全な人間に近く感じられるほど。
「人工生命体を素体とした機械人形の製造は、聖域条約で禁止されているはずだが『人形師』」
那月が不機嫌な声で指摘した。
まるで生きているかのように自然な機械人形――スワニルダの完成度の秘密は、彼女に本物の生命が宿っているからだ。
先に小手調べで押しかかってきた機械人形も
死霊術も含む生体制御に秀でる『人形師』が、その技術の総結集させたスワニルダは人工生命体の細胞を機械と融合させた
だがそれは、スワニルダというひとりの少女を切り刻み、単なる
『
しかし、『人形師』は法則になど縛られず、己が目的だけを追求する狂人。
「聖域条約、か……ハッ、芸術の価値を理解できない凡俗どもに、『永遠』すら生み出す俺の才能を縛れるとでも?」
「……才能、だと?」
「そうさ。彫刻家が石から作品を彫り出すように、俺は人工生命体から芸術を創り出す。俺の死後も生き続ける『永遠』のアートをな」
その実例ともいえる『人形師』の作品が、
「だから、そのためにアスタルテを返しにもらいに来たのさ」
『人形師』は美味そうに酒を舐めながら語る。
何週間も生きられない
「今のアスタルテに送り続けられる『永遠』に尽きることのない無尽蔵の力。これこそ俺の芸術に相応しい。欲しいねぇ。是非、このスワニルダの部品にしたい。至高の芸術作品を生み出すためになぁ」
「そうか。狂人の感性など欠片も理解できんが、アスタルテは現在、私の管理下にある。残念だが、貴様には引き渡せんな」
「何を言う。依頼者がその権利を放棄したのなら、道具の所有権は『
「―――それは、違うぞ!」
黒妖犬が、前に出た。
それまで教官の会話を邪魔しないように、口を閉ざしていた彼が、『人形師』に噛みついた。
「アスタルテは、アスタルテのものだ。オマエのものなんかじゃない!」
「おいおい。突然、何を言い出すのかと思えば、わけのわからないことを。吠え癖くらい矯正したらどうだ? それとも<空隙の魔女>は、道具の躾もできないのか?」
「道具なんかじゃない! オレはオレだ。アスタルテはアスタルテだ!」
そこで『人形師』が黒妖犬を見る目に、初めて落胆の色が浮かび始める。
「ったく……これは、<黒妖犬>も欠陥製品なのか? <血途の魔女>は失敗したのか、それとも<空隙の魔女>の調整の仕方が間違ったのか、どっちにしてもがっかりだなぁ。
いいか、アスタルテは
空になった酒瓶を投げ捨て、『人形師』がそう揶揄する。
「それは違うぞ」
それは、感情のままに吠えたてるのではない、ひとつ自分の中で理屈の通ったものを言い放つ、芯を響かす声音であった。
「いくら命令されてもやりたくないことは誰だってやりたくない。でも、アスタルテは『
人工生命体に入力された人格設定など何も知らない彼が、語るその文句は、なぜかアスタルテの無感動な瞳を揺らした。
そして、『人形師』は落胆から心底から蔑む、殺意さえ孕んでいる眼差しで、これだけ語ってやっても己の芸術性を欠片も理解できない愚鈍な“
「スワニルダ、黒妖犬は生け捕りを考えなくていい、
「
『人形師』の命を受け、スワニルダが右腕を上げた。
彼女の指先から伸びた透明な糸が伸びて、『人形師』が持ってきた革製の大型スーツケースに接続される、ケースの蓋が開いて、中から新たな人形が現れる。
その数は2体。
球体関節を剥き出しにして、鋭い刃のような四肢を持つその姿は、スワニルダのような生々しさはない。そう、これは稀代の才能を持つとされる『人形師』アンドレイドが用意した、特殊な魔術装置を内蔵する完全な戦闘用の
「ヘルシリア、スアーダ、戦闘出力で起動。統合演算開始。
スワニルダの指揮で、昆虫のような複眼を輝かせた2体の人形が左右から黒妖犬に迫る。
一瞬のズレもない完全な同時攻撃。刃と化した四肢が大気を裂き、人体ではありえない角度から襲い掛かる、
凄まじい速度、そして、殺気のない無感情な攻撃は読み難く、回避のタイミングをつかませない。そして、息切れすることもないため、猛攻は絶え間なく続く。
「ぬ……っ!?」
ガガガガガガガガガガガガッ!!!
金属と骨がぶつかるような、鈍い激突音が続く。
人形の攻撃を捌いた腕が、線を引いたような傷ができる。先の山刀にも劣らぬ斬撃。戦闘用にチェーンされた人形たちの攻撃は、速く、そして、重い。威力の一点のみならば、『人形師』の
二体連携を取って攻め立てる。攻撃を終えた一瞬の隙をついて反撃しようとすれば、対となる人形が攻め込んでくる。
互いの隙を補い合って相手の反撃を防ぎ、そして、司令塔のスワニルダの指揮で、一個の精密機械のような完全な連携攻撃を可能とした自らの意識を持たない2体の人形は詰将棋のように逃げ道を塞いでいく。
そう、この二体はスワニルダの両手に等しいのだ。
「はっ。性能だけはいいみたいだな<黒妖犬>」
本気で感心するように『人形師』は呟く。彼にしてみれば、人形たちの攻撃を凌いでいるほうが、むしろ驚きなのだ。
「なるほどな。奴の体内には『
しかし、人形に人形を操らせるとは、噂通り悪趣味な男だ」
種を看破した那月は、呆れたように息を吐いた。
『傀儡創造』は、無機物に仮初の生命を吹き込んで、意のままに操る物質操作系の魔術である。物質編成などの錬金術の要素を含むために、魔術としては難易度が高い部類に入るが、力押しの戦闘以外には、ほとんど使い道のない術であった。動かないはずの無機物を無理やり動かすには大量の魔力を消費するし、複雑な命令を処理するには高度な思考能力を要するのだから。実用性はない。
故に、『傀儡創造』の魔具を半人半機械の自律兵器になど取り付けたのは、この作り手の趣味としか言いようがなく、またその思想がよく表れているといえよう。
「なんとでも言え魔女。読み合いで
たん、と純白の人形が軽く足元を蹴る。左腕の巨大な刃物を構えたまま、黒妖犬をめがけて加速する。
人形2体の猛攻を受けているところに、3体目の攻撃を防ぐ余裕はあるか―――
「さあ、どうする<空隙の魔女>。おたくの使い魔が死ぬぞぉ」
不安を煽る『人形師』
この絃神島で五指に入る実力者である<空隙の魔女>と相対しながらも、委縮した様子は微塵もない。ここで使い魔を庇おうものならば、その隙に魔女を仕留めると爛々と光らす目が無言のうちに語っている。
3体の人形がそれぞれ散開して、黒妖犬を包囲する。
そして、その中身は武骨な回転式多銃身型機関砲。
機関砲の弾丸として装填されているのは、長さ10cmほどの聖別された銀製の杭だった。対獣人用の
「
那月の斜め後ろより、感情のこもらない静かな声が発せられる。人工生命体の少女が、未だに動く気配を見せない那月に言う。
「進言。即急に対応が必要だと判断します。先行の許可を」
ふ、と那月は微苦笑を漏らす。どうやら那月の命令を律義に守っているようだ。しかしながら、それを撤回してほしいと嘆願する。それは先ほど
しかし、だ。
「必要はない」
この状況に、那月は眉一つ動かさずに、扇子を閉じた。
「―――『手枷』を外せ。それと人形は壊してもかまわん」
その許可に、黒妖犬は身に着けていた手袋――手加減の不安な使い魔に<空隙の魔女>が力を抑制するよう、十本指を締め上げる呪を施した“
それがまるで騎士の籠手のように身に着けているその手袋は、防具などではなくて、神獣を禁ずる『首輪』と同じように獣化を抑える『手枷』なのだ。
しかし、それで制限をかけても、加減を誤ってしまい指圧で携帯電話を壊すことが何度もあるのだから、
「<空隙の魔女>、あんた一体どれだけガチガチに自分の使い魔を束縛してやがる!?」
「この程度縛ったうちに入らん。だいたい、主神を食い殺すような狼を、鎖だけで抑えきれるわけがないだろうに」
獣化。
獣性を開放した黒妖犬――疲労困憊の状態であっても、切り札の聖戦装備<
その制限が外されて、目に見えて濃くなった生体障壁を両腕に纏う気爪が―――霞んでは、毎分数百発の速度で飛来する聖銀杭のすべてを叩き落し、
―――スワニルダは、足元からしがみつかれた。最初に出した戦闘用の機械人形に。
「……っ!?」
銀人狼の常軌を逸した凄まじさ―――それに目を取られている内に、傑作を生み出すために、使い捨てられた道具がスワニルダに襲い掛かる。そう、この起動コアを『第一非殺傷原則』を書き換えるのに使われたのは、死霊術。命令通りに、主人のコレクションを確保するために死霊術を上書きして止めていた機械人形の一体を、今、動かしたのだ。
そして、統率の起点となる糸を伸ばす右腕に抱きつかれ、スワニルダの手である2体の人形の動きが止まった。
「使える駒の数も質も劣ろうが、“使いどころ”はどうやら馬鹿犬の方が巧いらしい。いや、それとも宝の持ち腐れと言ってやるべきか。着飾る服のセンスは認めてやってもよかったのに、実用性を無視したオタク趣味に走り過ぎたな『人形師』」
「オタク、だと?」
冷静な一言は、けれどこの上なく挑発的な侮辱だった。
芸術家を自称する『人形師』にとって、自分を素人同然のコレクターと同列に扱われるのは、許されない侮辱なのだろう。
しかし怒気を孕む『人形師』の眼光を受けながら、そちらを見もせず那月は挑発的に軽く鼻を鳴らし、
「なんだ“人形オタク”、私の顔に何かついてるか?」
「俺は、芸術家だ! そこらの俗物どもと一緒にするなっ!」
クセの強い長髪を鬱陶し気に振り払って、その憎悪の顔を露わにするアンドレイドは叫ぶ。
「何をしてるのだスワニルダ! 早く立て直せ! この愚図め! それでも私の最高傑作か!」
『人形師』の喉を壊しかねない勢いで浴びせられた罵声に、それまで無表情だったスワニルダの瞳に、初めて動揺の光が浮かんだ。
そして、行動を立て直すよりも早く、銀人狼は動く。
「愚図はおまえだ“人形オタク”。判断が鈍いのも当然。魔具を詰め込み過ぎたせいで、選択肢が多すぎる。メモリの無駄遣いだな。まったく極めて
人型時が目にも止まらぬものであるのなら、銀人狼は目にも映らぬ凄まじい敏捷性と跳躍性を見せた。機関砲を構えた人形の懐まで、一気に間合いを詰めて潜り込むと、一撃で戦闘用に調整されたヘルリシア、また移動し、スアーダを木端微塵に粉砕する。
スワニルダの演算能力をもってしても、銀人狼の動きはとらえられない。
「―――ヘルリシア、スアーダ、両機損傷率60%オーバー。再起動不能」
勝敗は決した。
スワニルダが右手を振るい、透明な糸で銀人狼を拘束しようとするも、鎖ではないたかが糸に拘束できるはずもなく、あっさりと振り切られる。
左腕の山刀も一合で気爪に左腕ごと斬り飛ばされた。さらに気爪の一振りは、左腕より衝撃を全身に伝播させ、左顔面にひび割れを生じさせる。
「スワニルダ!」
絶叫する『人形師』は、床を無様に転がる純白の機械人形のもとへと駆け付け、拾い上げる。その左半身をほとんど台無しにされている状態に、クソが、と吐き捨てるようにうめくが―――まだ、終わっていない。
「さて、そろそろ終わらせるとしよう」
互いの使い魔同士の決着がついたところで、主人がようやく動き出した。
「優れた芸術家の大半は死んでから名を馳せるものだ。
―――喜べ、監獄という墓場に入れて、おまえを巨匠にしてやろう『人形師』」
『人形師』の視界に銀色の輝きが横切る。
金属同士がぶつかる澄んだ音色が、薄暗いフロアに鳴り響く。
その正体は、鎖。神々が打ち鍛えた銀鎖だ。
どこからともなく出現した銀鎖が、槍のように降り注いできて、檻のように『人形師』を囲む。
空間制御の術式を使った奇襲は完璧なタイミングで、<
そして、竜巻のように渦を巻いた鎖に絡みつかれて、鳥籠に囚われた雛鳥も同然に、確実に『人形師』とスワニルダは捕縛される。
「甘ぇ。あんたが<空隙の魔女>と分かってるのに、迂闊に出てくるわけがねぇだろ」
<戒めの鎖>は、魔力をも縛る。魔術も使えず、搦み付かれた銀鎖から逃れるのは不可能だ。
―――第三者に破ってもらわない限りは。
「俺の人形は優秀だ。顧客も大勢いる。けど、そん中には俺の人形を独占したいやつもいるのよぉ。だから、万が一の保険を仕込んでおくのは当然だ。
―――それが欠陥製品であってもなぁ」
鎖が、弾けた。
人工生命体の背中から生えた虹色の翼が、『人形師』らを封じる銀色の縛鎖を断ち切ったのだ。
「
壊れたラジオのように延々と繰り返すアスタルテ。
透き通った光の翼から巨大な腕と化した眷獣<
「俺がピンチになるのを視認したら、発動するように仕組んでるんだが、これを使うと、人形がぶっ壊れちまうからなぁ
チッ、と舌打ちした那月が扇子を振り下ろす。空間に目に見えない無数の亀裂が走り、銀色の鎖が撃ち出された。それらは暴走する人工眷獣を完全に包み込み、そして四方から一斉に搦め捕る―――
しかし、銀鎖は弾き飛ばされた。
『人形師』がアスタルテに植え込んだ人工眷獣には、『
それが暴れられては、空間制御の術式を組み立てられることも難しく、また“魔力に干渉する”攻撃を南宮那月は受けるわけにはいかない。
「ご主人!」
那月に振るわれようとした人工眷獣の腕を、割って入った銀人狼が受ける。
<薔薇の指先>の攻撃は、物理的には何の干渉がない。素の馬力が尋常ではない、獣化した黒妖犬は、真っ向から打ち合って、その主人を守護する。
「アスタルテ、どうしたのだ!?」
「
そうして、手古摺っている合間に、『人形師』の周囲に炎の紋様が浮かび上がる。
足元に撒いた強い
スワニルダの体を抱えたまま、『人形師』の姿が消滅した。
練達者級の魔法使いでなければ制御できないといわれる、空間転移の術式である。退廃的な外見に反して、『人形師』の正体は、凄まじい技量を持つ高位魔術師であった。
そして、那月たちはアスタルテの暴走を止めるために逃亡を見逃すしかない。
「いったい何が起こったのだご主人?」
「―――そうか、あの“人形オタク”め、人工眷獣だけでなく<
監督する人工生命体の少女を見つめて、那月は言う。
この暴走は、眷獣共生型人工生命体に仕組まれた魔術的なウィルスによるものだ。『人形師』が、自身の作品に襲われないようにする保険なのだろう。
流石の那月も管理公社の精密検査をも潜り抜けるほどに潜ませていたこの<論理爆弾>の存在は見抜けず、予想外であった。
(
封印した状態の不完全な<守護者>や『首輪』をした獣化の使い魔の力があれば、とりあえず押さえつけることはできるが、<薔薇の指先>だけを斃し切るのは難しい。
「なあ、ご主人」
葛藤する那月に、使い魔がふと
「魔術的なウィルスっていうけど、アスタルテの眷獣は、姫柊の槍と一緒で魔力なら何でも打ち消しちまうものじゃないのか?」
「違う。あの聖槍は、獅子王機関の小娘だから力を発揮する代物だ。たとえ同じ術式だろうとアスタルテでは選ばれた小娘には及ばん。
<
獅子王機関でも、現役は、30名にも満たない剣巫。さらにその中から、秘奥兵器たる<
いくら調整をしようが、土台、人工生命体には無理な話だ。
「う。わかったぞ、ご主人」
「なに?」
銀人狼の拳と虹巨人の拳が衝突。
純粋な膂力で眷獣を吹き飛ばす銀人狼の一打が、巨人の眷獣を仰け反らせ―――跳び込む。
「ご主人、ちょっと<
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、『
けれど、今、私は壊れかけている―――
<黒妖犬>の一撃で半身を打ち砕かれたのだ。
人工生命体の肉体に埋め込まれた精密な機械の骨格に罅が入り、いびつに歪んでるせいで、関節を動かすたびに不快に軋む。
美しい顔も、左半面が割れてしまい、絶え間ない苦痛が苛んでいる。
それでも、絶望はしない。
『人形師様』の最高傑作。だから、すぐに壊れている箇所を直してくれるだろう。動かなくなった機会を取り換え、醜く割れた肌も張り替えてくれる。
「『
あの
試作品が幸運にも手に入れた『永遠』を回収できなかったのは残念だが、ここで終わりではないはずだ。『人形師様』は、絶対に『永遠』を諦めないのだから。また別の方法を探す。そのためには、まずここから逃げなくてはならない。だから、『人形師様』の伴侶であるスワニルダの力が必要になるはず―――
……………と、『人形師様』は、スワニルダを柩型のベットに横たえさせたまま、放置している。こちらに目もくれず、何よりも最優先であるべきはずの
「修理しろ? ハハッ、ずいぶん面白いことを言うようになったなぁ、スワニルダ」
「……『
困惑しながら訊き返すが、『人形師様』は愉快そうに口元を綻ばせる。それは、『人形師様』が壊れた玩具に向ける時と同じ表情。無感動な冷たい眼光が、スワニルダを差している。
「何度も教えてやっただろぉ? 人形ってのは、『永遠』に“美しいまま”生き続けるから価値があるんだぜ。所有者である人間が滅びても、な」
『人形師様』の体が横にどいて、そこでようやくスワニルダにもそれが見えた。工房の奥にある調整槽の中に浮かんでいる見慣れない生物。直径1.5ほどの、奇怪な卵型の
それは琥珀色の培養液の中を漂いながら形を変える
「俺が生み出した最高傑作だ。まだ未完成だがな。だが、きっと美しくなる。『永遠』に」
最高……傑作……?
おかしい。『人形師様』の最高傑作、『永遠』に寄り添う伴侶は、スワニルダのはずだ。なのに、なぜ、そんな奇天烈なものに―――?
「こいつは人工生命体を取り込んで、相手の
私は……私のために、していたのではなかったのですか……?
試験体を捕獲しようとしたのはスワニルダに『永遠』を与えるためで、どうしてそれを他の作品に―――
「あんな“駄作”如き壊されるお前にはもう価値はねぇよ。お前があんな無様を晒さなきゃ
怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い―――そして、何故??????
『人形師様』が、これまで何百もの人工生命体を弄っていたのを知っている。見ている。そして、どんな末路を辿るのかも、わかっている。
でも、それはスワニルダには無関係のはずで―――
「ナタナエル、起きろ。食事の時間だ」
琥珀色の培養液が排出され、ナタナエルと呼ばれる不定形の人工生命体が覚醒する。蓋が開き、蛞蝓のようにずるずると調整槽の外へ這いずり出てきて、不気味に蠕動しながら言葉のようなものを発する。
『I…I…accept your order……Meister』
工房の床を腐臭を放つ粘液で汚しながら、スワニルダに近づくナタナエル。
ベットから逃げようにも、ベルトを巻かれて拘束されているため、身動きできない。かろうじて動く右手を『人形師様』に伸ばす。
これから喰われる恐怖より、何故主人に棄てられた不理解が心情を占めている。存在意義が揺らぐ、揺らぐ、大きく揺らぐ。身体ではなくて、心が壊れていく―――
「『人形師様』……私は……私は、『人形師様』の『永遠』の伴侶では、ないのです、か……」
「違うよぉ。おまえは、廃棄物。ナタナエルに部品をくれてやるしかできない廃棄物。だから、大人しく処分されてろよ」
そして。
全身が焼けるような激痛。体内に埋め込まれていた、『人形師様』に与えられた機会が奪われて、何度も何度も美貌を保つために交換してくれた生体組織も食われていく。奪われていく。何もかも。存在意義であった、『永遠』という伴侶の称号までも略奪される。
「まあ、こんなものか」
想定通りの性能だ。
この
生命力だけでなく、知識や経験の『
無制限に。
このまま人工生命体や機械人形、魔族や人間を喰らい続ければ、
その未来を想像して、『人形師』は満足げに笑う。
「そうだな。この研究所に残ってる他の
やがては、『人形師』ザガリー=多島=アンドレイドが理想とする『永遠』の伴侶へ―――
「―――
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ご主人、任せた!」
暴走するアスタルテの前に立ってすぐに、獣化を―――解く。
拘束具の『手枷』を嵌め直し、人間に戻った
虚空から出現した二本の腕――黄金の鎧に包まれた機械仕掛けの巨大な腕が、虹色の人工眷獣の腕を抑えられる。
それは魔女の<守護者>と呼ばれる、悪魔の眷属の腕。
那月はただの魔術師ではない。悪魔との忌まわしき契約によって、超常の力を手に入れた魔女なのだ。契約を破れば、たちどころに彼女の魂を刈り取る監視者でもあるが、契約の対価として与えられた<守護者>の力は凄まじい。それが一端の腕だけの限定顕現であっても人工眷獣を抑えきるだけのことができる。
「どんな思い付きかは知らんが、私に<守護者>まで使わせたんだ。失敗すれば承知せんぞ馬鹿犬」
獰猛に笑う主人の叱咤を背に受けた
「―――捕まえたぞ」
しなだれるアスタルテがその肩に乗せるよう顔を預けられると、ひやり、と硬く冷たいものが頬に当たる。
黒妖犬の首に巻かれた、拘束具の『
そう、抱き着かれたのだ。
港で敵対した時も、同じ台詞で、軟な首を掴まれたことがある。
でも、今回は、その腰に腕を回されて、華奢な体を抱きしめられている。
それは前回よりも息苦しくはないものの、しっかりときつく、そしてより密着して、息が止まるよう―――
「遠慮するな。存分にもっていくといいぞ」
黒妖犬が、何を言っているのか、理解ができない。けれど、説明要求する間でもなく、その行動ですぐに理解する。
その身体より、金色の光が漏れ出す。神狼の高純度の
「アスタルテの眷獣は、接してる相手の力を奪えるものなんだろ?」
元々の<薔薇の指先>の能力は、力の略奪。
「だから、オレのを使ってみろ。それで、姫柊みたいにやってみるのだ」
つまりは、足りない霊力をあげるから、『神格振動駆動術式』を働かせろ、と。
かつて、幾多の魔族の魔力を強引に食らってきた。そして、瀕死になって彼らを昏倒させてきた。
―――ダメだ。
暴走する<薔薇の指先>は、宿主の人工生命体を無視して、彼の身体よりその霊力を貪っていく。
―――ダメなのに。
それでも彼の腕が解かれることはない。依然、力強くあり続けている。
「ぐぬっ……」
耳元に黒妖犬の苦悶が漏れる。されど、芯を削っていく脱力感を覚えながらもその場に踏みとどまった。猛烈な負担がかかっているが、だからこそ、彼は彼自身の答えが正しいと手応えを感じた。その手応えを、さらなる意思の力に変えて、自分を離さない。
何故?
あの時のように、神獣となれば、暴走した自分など一撃で葬れるはずだ。
ここで人工生命体の自分を助けようなんて、まったく合理的じゃない。
そもそも無茶だ。たとえ霊力が足りても、剣巫でない人工生命体に神気を作り出せる保証もないのに。
だから、早く“
「遠慮するなっていってるのに……仕方ない、後輩なのだお前は……」
苦笑して、それから小さくだけどよく通る強い声音が耳朶を打つ。
「―――命令だアスタルテ。自分にかけられた枷をぶち壊せ」
人間の命令ばかりを聞いて、自分に意思のない
命令されれば、何でもする。
『オレの勝ちだ。降参しろ』
港で、捕まってなお抵抗する。
『死にたいなら止めはしない。だが、生きたいなら止めろ』
キーストーンゲートで、警告を無視する。
人間に命令されれば、逆らえない。
そう、考えていた。
なのに、抵抗され、警告も無視された彼はこう言ったのだ。
『いくら命令されてもやりたくないことは誰だってやりたくない。でも、アスタルテは『
この時、初めて、自分はこれでいいのだ、と思えた。
「
意思の抵抗、遠慮をやめる、存分にその霊力をいただいていく。
流れ込んでくる霊力量は膨大。こちらの肉体の魔術回路を満たすどころか、ショートさせかねないほどに。ひょっとすると、それはあの獅子王機関の剣巫と同等かそれ以上なのかもしれない。それも今は獣化を抑えた人間形態で、魔力量分を閉ざしているのだ。
根本的に、人間とは比較にならないエネルギーを貯蓄していると見るべきだ。
『第七式突撃降魔機槍』より複写したものが、この身体には書き込まれている。
回路はできていて、霊力が足りても、届かない。
けれど、『枷を壊せ』と命じられた。
その言葉が蘇った時、かあっと熱が込み上がった。身体の奥から湧いて、胸へと、肩へと、手足へと――全身の細胞へと行き渡り――世界へと跳ねた!
回路の限界など初めからない。
せき止めているのが壁ではなく闇であるのならば―――その闇の先に、この
そして、それを突破した先に『神格振動波駆動術式』は真価を発揮する。
一の回路に満ちた十の霊力は、その逃げ場を求めて基盤を壊し―――百の回路をもって、千の霊力を引き入れる。
瞬間。
何もかもが壊れ、あらゆる物が蘇生する。
アスタルテの電子回路のような複雑な魔法術式より、青白い光が迸り、弾ける。
虹色の巨人の腕が、金色に染め上げられ、天使の翼のように展開。魔力を無効化し、ありとあらゆる術法を打ち消す、真なる神格振動波の輝き。
カキン、と。
内側で何かが外れた幻聴を耳にする。
人工生命体を強制する<論理爆弾>のプログラムが解けて、アスタルテは自我を取り戻した。
つづく