ミックス・ブラッド   作:夜草

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聖者の右腕Ⅲ

彩海学園

 

 

 9月1日。

 夏休みが終わって最初の登校日だ。

 二学期制を採用している彩海学園は、始業式などの特別な行事は特になく、一コマつかった長めのHRが終わったら、あとは通常授業の予定である。

 よって、部活動の朝練もやっているところはやっていて、チア部も早朝ミーティングがあった。

 

(古城君大丈夫かな。遅刻してないよね。出かけた時もなんかいつにもまして頭がぼんやりしてたし。でも、お隣に雪菜ちゃんが引っ越してきたから大丈夫かな)

 

 自分の教室に向かう途中、暁凪沙は頭の中でもおしゃべりで、多々考え事(主に兄の古城への心配事)をしてる。

 

(後、リハビリ。リハビリだから、毎日ちょっとずつでもやった方がいいよね。この前は握手だったから、今日はクロウ君と朝の挨拶にハイタッチでもしよっかな)

 

 自然、頭頂部で髪をまとめた尻尾の跳ねるリズムが早くなった。

 そして、階段を上り、三年の教室のあるフロアに着くと凪沙は教室の前に人だかりができていることに気づく。

 中には何やら携帯で写真を撮ってる生徒(男子)もいるようで、凪沙に気づいたらすぐ道を開けてくれた。

 凪沙は自分の教室に入って、すぐその原因がわかった。

 

「あ、凪沙ちゃん。おはようございます」

 

 自分の席でひとりぽつんを座っている少女は、妙に緊張していて、知り合いを見つけてハッと声をかける。

 

「おはよう、雪菜ちゃん」

 

 今は誰もが様子見で話しかけてる人はいないようで、去年まで凪沙と一緒のクラスメイトで『中等部の聖女』なんて崇められてた娘がいたけど、姫柊雪菜も美少女過ぎると逆に話しかけにくくなるケースのようだ。

 けれど、お喋り魔な凪沙に質問責めされたら、HRまでには、そのプロフィールはつまびらかになるだろう。

 皆、学期初めの会話の音量をひそめ、こっそり聞き耳を立てる。

 

「今日から新学期だね。転校初日だけど道迷わなかった? あ、古城君ちゃんと学校行ったかな? 今日はいつもよりなんだか眠そうだったし」

 

「はい、先輩と一緒に登校しましたから」

 

「ありがとう雪菜ちゃん。でも、聞いて雪菜ちゃん。古城君ったら昨日コンビニに行くってずいぶん遅くまで出歩いてたのに、結局、凪沙にアイス買い忘れてたんだよ! 遊びに夢中で忘れちゃうなんて、ホント古城君はいっつも寝坊助だし、誰かが側にいてないと心配だよ。だから雪菜ちゃんがついててくれて安心」

 

「先輩は抜けてるところがたくさんありますから、いつも目にかけてないと心配になるというか……」

 

 一緒に登校。そして、今朝の問題発言。転入して早々に中等部である男子高校生を呪う会が発足された。

 

「うん。それでさ、雪菜ちゃんはバンド少女なのかな? 机脇に置いてるのってギターでしょ? それともベース? どんなジャンルを演奏してるの? 憧れてる人って誰?」

 

「お、音楽の話はもう勘弁してください。お願いですから」

 

「そっか。雪菜ちゃんは今朝のニュース見た? 昨日の謎の爆発事件」

 

 今日のメディアは絃神市で発生した原因不明の爆発事件で一色だ。

 大手食品会社の倉庫などが60棟が被害に遭い、その近辺にある2万世帯が停電騒ぎを起こし、東地区と南地区を結ぶ連絡橋とモノレールの線路も大破したので、事件の総被害額は最低でも500億は超える見積りである。死傷者こそは出なかったのが不幸中の幸いであるが。

 

「登校途中に会った浅葱ちゃんもバイト徹夜で大変だったーってゾンビみたいに疲れててたし。それで古城君は、落雷による倉庫火災だといってたけど、そんなの誰も信じないよねー。爆弾テロとか輸送中のロケット燃料誤爆とかはたまた海底火山が噴火したとかみんないろいろ言ってるけど、凪沙は隕石が怪しいと思ってるんだよね。どうかな、雪菜ちゃん?」

 

「はい……ごめんなさい」

 

「え? なんで雪菜ちゃん謝るの?」

 

 とそこで、チャイムが鳴る。

 会話をやめて、クラスの皆も席に着く。

 

「みんなー、おはよー、早速だけど二学期一発目の出席を取ってみたり」

 

 担任の笹崎岬先生が教室に入る。

 

(……………あれ?)

 

 凄く可愛い転入生ならそちらの方が気になるのが当然で、皆勤賞の学生が新学期早々に欠席したことなんて誰も気にはしない。

 凪沙は所在なさげに右手の指先同士を擦り合わせる。

 

「クロウ君、どうしたのかな」

 

「……やっぱり、来てないんですか」

 

 

彩海学園 生徒指導室

 

 

 呼び出された昼休みになり、すぐ古城は教室を抜け出し、職員室前で雪菜と合流すると生徒指導室へ向かった。

 

「来たか、古城」

 

 招集をかけた当人、南宮那月はソファでくつろいでおり、古城たちの登場にわずかに俯きかけていた顔を上げる。

 前の席に座るよう目線だけ動かした際、古城の背後にいる雪菜を見つけた。ビスクドールの精巧な人形かと勘違いさせられる那月の姿に絶句しかけている雪菜の様子に、彩海学園のカリスマ教師は、ふふん、と唇の端を吊り上げる。

 

「お前が岬のクラスの転校生か」

 

「はい……中等部3年生の姫柊です」

 

「で、獅子王機関が送り込んできたという剣巫か」

 

「……」

 

 雪菜自身が獅子王機関の関係者であることは、“使い魔”から伝わっているのだろう。それでも自分からは何も口にせず、無言で通す。無論言われずとも、那月は事情はあらかた承知してある。

 

「ま、ようこそ、彩海学園へ。おまえが何であれ歓迎するぞ。余計な揉め事を起こさないでくれるなら、特にな」

 

 詰まらせながらも返事し、わずかに雪菜は那月から視線を外す。だが、そのことも那月は察してある。

 

「さて、おまえたち。昨日、アイランド・イーストで派手な事故が起きたのは知ってるな?」

 

 いきなり核心をつかれて、きょどらせながらも古城は頷く。

 

「実は、その現場近くで、『旧き世代』の吸血鬼が1匹、確保されたようだ。重傷を負って死にかけていると、誰かが匿名で消防署に通報したらしい。マスコミにはまだ伏せられているそうだがな。―――何か心当たりがあるか、二人とも?」

 

 古城と雪菜が彫像のように固まる。

 

「その半死半生の状態にまで追い詰められた『旧き世代』は密輸組織の幹部の疑いがかけられている。それで警察からの要請もあって、“犬”をその追跡へ貸していたのだがな」

 

「……、」

 

 暁古城が何とも言えない目で、那月を見ている。それに気づいた素振りを見せることなく、淡々と話を続ける。

 

「爆発事故が起きる少し前、そのあたりで眷獣が暴れている姿が目撃されている。つまり死にかけで発見された男は、何者かと戦っていた、というわけだが、私は“犬”に“待て”を命じた以上、他に敵がいたと考えられる。十中八九、コイツが爆発事故に絡んでいる可能性は極めて高いと私は思うわけだが……何者だろうな?」

 

 言葉を切った那月から刺すような視線を向けられ、古城たちは息を呑む。

 

「ふむ……ところでな、ここ最近、この島で死にかけの魔族がよく発見されているようになった」

 

「え……?」

 

 ここ二ヶ月の間に、警察が把握しているのは6件。今回の件を含めると7件。

 いずれの魔族も一命は取り留めたようだが、意識は今も戻らない。

 それら警察の捜査資料を古城たちに見せながら、那月は優雅に頬杖をついた。

 

「生命力が取り柄の獣人と、不老不死の吸血鬼を相手に、どうやったらそんなことができるのかは知らないが。

 おまえたちを呼び出したのはそれが理由だ」

 

「え?」

 

「何が目的かは知らんが、この無差別の魔族狩りをしている犯人は、今も捕まっていない。つまり、暁古城、お前が襲われる可能性もあるということだ」

 

 未だに吸血鬼としての自覚のなかった古城は、那月に言われてようやく納得する。

 

「企業に飼われている魔族や、その血族には、魔族狩りには気を付けろと既に警告が回っているらしい。おまえにはそんな上等な知り合いはいないだろうから、私が代わりに警告してやる。感謝するがいい」

 

 頭を下げる古城。そして、そこでようやく古城は口を開いた。

 

「なあ、今日学校に来てねーみたいだけど、クロウは昨日、那月ちゃんとこに帰ってきたのか」

 

「さあな。どこをほっつき歩いてるんだろうな。誰かのように夜遊びをするなとは躾けてあったんだが、中々主の命でも頭に入らん馬鹿犬だからな」

 

 ちゃん付けで呼ばれた担任教師は、答えながらも不機嫌そうに古城を睨みつけ―――古城も表情を硬くしながら睨み返す。

 

「さっきの警告ってクロウにもしてたんだよな」

 

「うむ。あれの飼い主は私だ」

 

「だったら、なんで昨日、犯罪魔族の追跡なんてさせてたんだ。二ヶ月も前からこの島で魔族狩りが徘徊してたんだろ」

 

「警察からの要請だ。あいつの“鼻”は便利だからな」

 

「だからってな。まだ学生なんだろ、んな危険な真似なんでさせてんだよ」

 

「学生であるために必要だからしてるんだ。何故、“犬”が攻魔師の助手なんてしてるか、お前は考えたことがあるか暁?

 そうでもしなければ、受け入れられないからだ。利用価値がなければ、また、怪物と迫害を受けるだろう。怪物が、人間の社会に交じるには、それ相応の働きが必要となるのだよ」

 

 那月の正論に、古城が掌に爪を立てるよう、強く拳を握る。その様を、雪菜が心配そうに伺い。そして、那月はふんと鼻を鳴らし。

 

「余計な心配はするな暁。あれは私の眷獣だ。相手にするなら、まず真祖クラスの眷獣を用意しなければ話にならん」

 

 傲岸不遜に那月が言い放ったのを、古城と雪菜はぽかんと見つめた。

 

 

彩海学園 廊下

 

 

 倉庫街の爆発事件。

 古城たちはその渦中にいた。

 あの爆発も古城の――第四真祖の眷獣の暴走が原因だ。

 

 姫柊雪菜が遭遇した殲教師オイスタッハとの戦闘の最中、彼が連れていた少女の人工生命体(ホムンクルス)が南宮クロウを捕えていた右腕とは違う、もう一本の虹色の左腕に不意を突かれ―――後を追ってきた古城が、間一髪で防いだ。

 だが、その後の戦闘で、一撃をもらってしまった古城は、生存本能からか眷獣を召喚。神話の怪物たちにも匹敵する<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の眷獣は、超自然の嵐にも等しい破壊を倉庫街にもたらし、未だ吸血経験のない古城は『世界最強の吸血鬼』の血はあっても、十二の眷獣たちの主とは認められておらず、止めようにも制御できなかった。

 そのため雪菜は眷獣暴走から意識を失っていた『旧き世代』の吸血鬼を<雪霞狼>で守護するためその場を離れられず。

 

 結果として、殲教師に捕まっていた後輩を取り返すことはできず、逃がしてしまった。

 今はまだ、真祖と戦う時期ではない……と言い残されて。

 

「……これで、クロウは助けられると思うか」

 

「希望的憶測になりますが、先輩の眷獣が暴走した際、『旧き世代』の吸血鬼は無視して、彼だけを連れ去りました。それは殲教師にとって、利用価値があるからだと……」

 

「だから、殺さずに生かされてる、か」

 

 古城はあの後、那月に相手がロタリンギアの殲教師であることを伝えた。これは魔族狩りに遭った被害者たちが全員目覚めていないことから、警察には知れなかった情報だろう。それについて、実際にあの場にいたという根拠についてはぼやかしてだが、それでも彼女は聞いてくれたようで、それ以上明確な証言は求めなかった。

 もしも昨夜の爆発事件に突っ込まれていれば、犯人が捕まらない限り自衛の正当性が不透明な古城は一容疑者として勾留されることになっていただろう。まったく、何とも察しのいい担任である。

 

 なんにせよ、この情報でロタリンギア国関連の施設に絞られた。特に一番怪しいロタリンギア正教の教会が真っ先に調べられるだろう。

 担任の言うとおり、後のことは特区警備隊に任せ、古城は大人しくして……

 

「……私も攻魔師資格(Cカード)は持ってます。警察と獅子王機関が、別行動をとっても問題はありません。ただの通り魔事件及び誘拐事件なら警察の仕事ですけど、ロタリンギア正教、それも殲教師クラスの人間が絡んでるとなると、これは立派な国際魔導問題です。獅子王機関(うち)の管轄です」

 

 古城は最初、彼女が何を言っているのかわからなかった。

 

「以前、言いましたが、魔族の自衛権は明記されてます。家族や庇護すべき領民――親しい間柄を守るためなら―――先輩が力を使っても何の問題はありません」

 

 淡々と冷静に。雪菜は事実だけを口にするような口調で。

 

「監視役なら大人しくしてもらった方がいいんじゃねーのか」

 

「だって、先輩」

 助けたい、なんて言われなくともわかってる。

 

 迫害されるきっかけとなったあの時、一番に責めたのは、古城だ。妹に害した敵として、ひどく責めた。長く連鎖したドミノ倒しのようであるが、最初の一押ししてしまったのは、自分だ。

 妹も後輩も、誰も悪くなかったのに、悪くしてしまった責任が、古城にはある。

 いいや、そんな理由付けがなくても、身近な誰かが危機ならば―――

 

「それに、殲教師が捕まらない限り、先輩の正当防衛は認められません」

 

 降参とばかりに頭をガシガシとかきむしった古城に、雪菜はくすりと笑う。

 

「なあ、オッサン達は教会にいると思うか」

 

 

 

 

 その過去を、一冊の本にして覗く。

 

 

 魔女に創られた九個体のうち、その遺伝が――素質が発現したのは最後のひとりだけだった。というより、『八』を超える九体目にして、魔女の望む完成形を得たというべきだろう。

 そして、ある程度育ったのならば、調教。

 その生まれ持ったであろう素質を育てるには、“死体が必要だ”。

 故に、残りすべての失敗作を処分し、これで練習するように命令をする。

 子供の素質は見事にそれに応えた。

 最初は、身体が途中ぼろけてしまうことがあったが、それも月日を追うごとになくなり、一年もすれば、生前と変わらぬ動きができるようになった

 

 無垢であった子供は、その行為がなんであるかを知らないまま。

 

 ただ、話したかったのだろう。みんなと遊びたかったのだろう。失敗作たち――兄姉と過ごしたかった。孤独でいるのはどうしても嫌だった。それでは、人形のままではだめだ。

 それが若くして才能を開花させる原動力となった。

 そして、上達したのか、ついに遺伝子が提供されたオリジナルをも超えて、意思も取り戻せるようになった。

 

 きっと、それが、魔女の失敗だった。

 動かせるだけで留めていれば、こうはならなかったろうに。

 

 

『お願いだ。もう、死なせてくれ』

 

 

 言ったのは、ひとりだったか。いいや、皆同じであった。

 無垢であった子供は、そこで己の罪深さを知り、疑問を抱いた。

 それから、これまで魔女の命令通り、その術を行使するのをやめてしまう。

 

 初めての、反抗であった。

 その反抗期を迎えてしまったせいで、子供は孤独となった。

 

 そんな鳴けなくなった(ホトトギス)を前に、それは成った。

 

 それがより強く刻まれた過去(ページ)に映る影。

 女性のよう。としか、いえない。

 人らしき輪郭だけがあり、その中身を判別することはできないのだ。

 叶ったとしても、表現するための適切な解説は思いつかない。

 だが、魔女は、魔女ならばそれがなんであるかを知っている。

 

 この彷徨いの森が、陽を拝めない極夜であるのは、その残滓が一時とはいえ森全体に充満してしまったからだ。

 

 <堕魂(ロスト)>。

 

 魔女は何よりも己の作品に自信があった。生涯をかけて生み出したものの中で最高傑作だと自負していた。

 故に、その子供を最も恐れたのは魔女だ。

 最初にして最後の、生涯で一度きりの魔女の最終奥義を即断させてしまうほど。

 自らの魂を悪魔に食わせて、肉体を本物の悪魔と化した魔女は、こうなればもはや殺すしか止めようがなくなる。

 

 そうして、ドミノ倒しな悲劇が続いた果てに、ひとり残ってしまった子供は、兄姉(かぞく)たちを埋めたこの地で墓守として、この森にあり続けた。

 

 

 

「これが、森の悪魔が守っていた財宝とやらか」

 

 森の奥にあったぽっかりとひらけた空間。

 そこには住処らしき木材の残骸と、ただ、木の枝を組ませて刺しただけの十字架が並んでいた。

 こんな子供が作ったようなものが、魔女の遺産を狙ってきた墓荒らしどもが欲したとはなんとも滑稽だが。

 その子供が守りたかったのはそれなのだ。

 

 友たちのいる世界を守るために、一人の親友を裏切ったような愚か者が、他にもいるとは。

 

「せめて花くらいはたむけておけ。これでは飾り気が無さ過ぎる」

 

 ここまで己と渡り合ったのは、そういない。

 何せ、切り札たる<守護者>を出すのでさえ、久しぶりだ。

 しかし“一切の物理的なダメージを負わない”こちらに対し、向こうは長期戦となるほど体力を消耗し、そして“無理”が祟って生命力が枯渇する。

 結局、バテたところに一刀をお見舞いして決着がついた。

 この勝因は、経験の差と、何より相性であった。

 

「お前、どうしたい?」

 

 頭から血を流して倒れ、死に瀕している子供に魔女は問う。

 感情の全てを消し、生硬い表情のまま視線を虚空に向ける子供は、浅い呼吸を繰り返してなければ死体そのものだった。

 あれから、森のひとつの防衛装置と化し、食べるために動物を殺すことさえできなくなり、飢えは雨水で凌いでいた『墓守』は、ここで何故死にかけているのかさえ意識できていないだろう。

 半分はタフな獣であるとはいえ、こんな幼い子供がよくここまでもってると思える生き方をしていた。

 

「私が頼まれた仕事は、害獣の駆除だ。連中にはお前がこの土地にいるとどうも邪魔だそうだ。ま、ここから追い出せるんなら、なんだっていい。生きてようが、死んでようがな」

 

 日傘で呆然と見上げたままの頭を小突く。

 

「どうした? 殺してはないはずだ。起きてるんだろう? おい、返事できなくても、私の方を向け。つまらん過去(もん)を見せられて今の私は少々気が立っている」

 

 優しい対応なんぞ期待するな、と。

 そんな傍若無人、優しさのないのが、唯一の救いであった。

 罪を犯し、自身の利用価値を見失った子供には、優しさは毒と変わらない。

 

「ふん。気にいらん目だ。子供のくせに枯れ果ておって。なんのために産まれてきたのだとか、どうしてまだ生きているのだとか……そんなものガキのお前が考えたところで答えなんて出るわけがないだろうに。

 仕方がないから、教師である私が適当に示してやろう。だから、私の下僕(サーヴァント)となれ」

 

 捨てる魔女(かみ)がいれば、拾う魔女(かみ)もいる。

 誰もいらないのなら、私が拾っても構わんだろう。

 

 

「我が名は空隙。永劫の炎を以て背約の呪いを焼き払う者なり。汝、墓守の軛を解き、その身は我が下に―――」

 

 

研究所

 

 

 企業の研究所の建ち並ぶ人工島東区(アイランド・ノース)は、絃神島で最も近未来な区画。

 その片隅――北区第二層B区画に残された、跡地。そこにあるほぼ直方体に近い形の、4階建てのビル。

 本社はロタリンギアにある、スヘルデ製薬の研究所だったところだ。主な業務は新薬実験で、2年前に閉鎖されている。

 

 古城は、ひとつ、気になった点があった。

 

 殲教師は特徴的ともいえる法衣を着て、少女のような人工生命体を連れていて、昼間にうろつけば通報されかねないのに、いったいどうやって2ヶ月もの間、警備隊から隠れられたのだろうか。

 

 警察も事件記録の監視カメラ映像からその容姿は知れてる。

 ロタリンギア所属であるとわからなくても、西欧教会は真っ先に調べたはずだ。

 なら、教会にはいないのではないか。

 殲教師だというのは本人が名乗り上げたからで、その格好もフェイクである可能性もある。たとえ殲教師だとしても、教会以外の場所にいてはいけないというわけでもない。

 

 木を隠すなら、森の中。

 ロタリンギア人が最も怪しまれない場所は、やはりロタリンギア人の中。

 ロタリンギアの大使館や―――ロタリンギアに本社がある企業など。

 絃神市内にある企業の本社所在地を調べるなんて、攻魔師の権限があっても難しいところであったが、そこは全企業のデータを保管している人口管理公社でバイトしてる友人にお願いした。

 

 結果、ヒットしたのはここだった。

 

「人工生命体の調製施設でもあったなら、条件はピッタリです。ホント、先輩にこんな論理的思考ができたなんて……」

 

「なんか、いまいち褒められてる気がしないんだが」

 

 人工生命体の盛んな分野は、その技術を応用した医療品の開発だ。

 人為的に遺伝子構造を変更できる人工生命体であるからこそ、様々なテストケースの試験体(モルモット)に最適である。大手はほとんどこの手法をとっており、この製薬会社も、人工生命体を用いた医療実験を行っていた。

 

 

 

 廃墟にしても民間人が立ち入らないよう研究所には鍵がかけられており、また初歩的な幻術が仕掛けられていたようだが、そこは雪菜の<雪霞狼>で物理的にも、魔術的にもセキュリティを一突きで破壊する武神具で突破する。

 そして、その奥に進み、

 

「これは……人工生命体、なのか?」

 

 あったのは、製造プラントか。

 ひとつひとつの装置は直径1m程度の円筒。それが左右合わせて20基ほどあるその中身はどれもが、普通では考えられない異形であった。

 

 ワニの頭をした巨大な犬、頭が三つある猫、昆虫類の掛け合わせとしかいえないものまで。

 

 自然と強張るのを古城は自覚した。

 ここにいる人工生命体の多くは、おそらく自然界に存在するものより格段に強靭な牙や爪や頑丈な皮膚や殻をもっているだろう。しかし、逆に言えばそれしかない。おそらく総合的には、その辺にいる犬や猫の方が強いだろう。ここにある人工生命体は歪であるが故に、自然界にある何でもない問題に対処できず、また“使われる命が大きすぎて”簡単に死んでしまうのだ。

 濁った琥珀色の溶液に満たされた水槽の中にいる生命体に、生きている気配はないのだから。

 そんな実験室の有り様に思考が向けられたときだった。

 

「―――っ! 先輩!」

 

 あたりを警戒していた雪菜が背後で動く気配に振り返る。同時、姿勢を低く槍を構える。音源は水槽の向こうだった。闇のわだかまった、その奥から影は現れた。古城も見る。吸血鬼の人より優れた視力に、暗視も利く。様子からして、霊視に優れる雪菜も見えているのだろう。

 

「お前は……」

 

 そこにいたのは、小柄な少女だった。

 長い藍色の髪に透き通るような色白の肌。瞳の色は薄い水色で、槍を向けられても感情の動かない表情が特徴的。衣服は―――

 

「見てはダメです!」

 

「え?」

 

 はっとしたように雪菜が古城の眼前に左手をかざし、視界をシャット。

 

「何があっても目を開けてはダメです。こちらを振り向くのも禁止です」

 

「姫柊? いったいなにを……?」

 

 言われて、気づく。

 雪菜の小さな掌ではカバーしきるのは無理があり、少女が手術着のような布きれ一枚でいることをばっちりと確認した。

 そして、昨夜に会った少女だ。

 それなりに整った顔立ちだが、猛烈な違和感を覚えさせられる。

 人間と同じ顔立ち、人間と同じ体形、2本の腕に2本の脚、それぞれについた5本の指。普通ならば当たり前であることが、逆にものすごく不自然に思えてしまう。

 左右の比率にゆがみのない、全くの対称的なボディライン、それがどうにも作り物めいていて、布越しに見える肌も虹色の影が揺らめいて―――なんて、凝視していると真祖すらぶち殺せるおっかない槍を持った後輩からの圧力が高まるのでやめておく。

 

「いや、違う。そうじゃないんだ姫柊」

 

「何が違うんですか、ばっちりと見てるじゃないですか……先輩は本当にいやらしい」

 

「そ、それよりも、なあ、あんた、クロウはここにいるのか?」

 

 話の矛先を変えるような感じではあるも、古城がわざわざ真祖(じぶん)を狙う輩の根城に赴いたのは――ひとり捜索しようとし、ひとり囚われている――後輩たちのためだ。

 そして、人工生命体の少女――アスタルテは、感情を揺らすことのない、そよ風よりも儚げな声で古城の問いに応える。

 

「……提案します、私の後についてきてください」

 

 その予想外の言葉に二人は顔を見合わせて驚いた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 それは、地下にあった。

 途中で見つけたエレベーターに電気が来ているようだったが、古城も雪菜もケージ内だけが異様に明るいそのエレベーターに乗ることを本能的な部分が拒否する。

 アスタルテもそれには乗らなかった。というよりは、回数表示のパネルから、この施設は地上4階で構成されている――つまり、地下がないとされている建物だ。

 それはまだ活動中だった時に世間から隠蔽したい行いをしていた場所だったのか、それとも殲教師たちに新たに増設された区画なのか。

 どちらにしろお天道様の届かない地の底にあるのは、後ろめたいものというのが定説だ。

 階段で2階分を下りた時、異様な寒気を感じる。

 道なりに進むと分厚い隔壁があり、脇にまるで宇宙ステーションにいるような錯覚を陥らせる近未来な壁面パネルがついている。

 それも先導するアスタルテが操作して開けると、大きな廊下が広がっていたが、暗がりの奥には不思議なものが散見された。

 

「檻……なのか?」

 

「そのようですね先輩」

 

 正方形型の檻が廊下の壁をくり抜いて嵌め込まれている。ひとつやふたつと数えられるものではなく。長大な廊下の左右には、視界の続く限り檻があった。

 また大きさも問題だ。動物実験で使うラットやウサギなどとは、明らかに比べ物にならない大きさ。そして、横たわる影。

 なにかが、ある。いや、いる。

 構わず、先を行くアスタルテは闇に溶け込んでいくよう。下手をしたら見失いかけない。古城も続いて、廊下の暗がりに一歩踏み出す。異界に踏み込んだような後悔が古城の精神を蝕んでいく。

 しばらく進んで、ふとアスタルテから視線を逸らし、檻の中を窺う。奥まった部分にいる何かは―――上の実験室で見たのと同じく、フラスコの中の小人(ホムンクルス)たちだった。

 

「先輩……」

 

「姫柊は見るな」

 

 今度は古城が雪菜の視線を手で遮った。

 きっとここは、実際に投与した試薬の様子を、または実験動物を外に出しての経過を観察するために、暴れる実験人工生命体が外へ出ないように閉じ込める檻なのだろう。

 しかし、いくら実験体のために作られた人工生命体だからと言って、ここまでの非人道が許されるのか。

 ましてや、ここにいるのはぜんぶ―――

 

「っざけんな」

 

 そして、ぬらぬらと玉虫色に光る体表、腐肉のように熟れきった体表面がブヨブヨと粘つく液を吐き出すだけのものとなった怪生物たち―――それらが異形と化してない辛うじて原型を保っているパーツは、眼前の少女と似ている。

 やはり、このアスタルテも、人工生命体なのだ。

 

 沸々と湧き上がる憤りに、古城の中の血が騒いだのか。近くから、微かな息遣いが聴こえた。

 

「先輩! そこに!」

 

「クロウ!」

 

 牢屋のひとつ。唯一、完全な人型を保っていたのは捜し人だった後輩。

 コートに帽子、首巻に手袋は外され、上半身の制服半袖Yシャツも脱がされてる。代わりに、人工生命体と同じ手術衣が着せられている。

 後輩がここまで明らかにされるのは古城にも久しい。というより、初めてなのかもしれない。

 分厚い鎧のような装飾を剥がされ、上半身に密着した手術衣のせいか、線の細く小柄な体躯のわりに弱弱しいイメージとは無縁だということがよくわかる。

 とはいえ、包帯が至る所に巻かれており、肌の露出面積はたいして変わってないだろう。

 

 アスタルテが扉と同じように檻の壁面パネルを操作すると檻が開く。すぐさま駆け寄り、その体を見る。

 全身がご丁寧にも“死なない”程度に破壊されていた。切傷や欠損は一切ない。基本的に巨大な手に握り潰されたことによる、打撲と骨折だ。

 

「姫柊、クロウは無事か」

 

「はい、簡単ながら応急処置がされています」

 

 となると疑問になるのが、誰が治療したのか。

 攫うよう指示したのは殲教師だが、半分とはいえわざわざ魔族の治療などしたがらないだろう。なにせ、吸血種ほどでないにしても、タフな生命力を持っている獣人種の治癒能力ならば放置しても勝手に治るものだろうと魔族狩りの男は思ってるに違いない。

 

 考えられるのは、消去法でこの少女。

 

 元々、アスタルテは、医療品メーカーに設計された臨床試験用の人工生命体だ。医療活動に必要な知識は、標準装備として遠隔知識(フラッシュロム)に焼き付けられており、研修医と同じくらいの高度な医療技術が備わっている。

 ただ、これは主たる殲教師から命令されたことではない――彼女自身の意思によるもので。また、古城たちをここに連れてくるのは、主の意に反することではないか。

 しかし、古城が口を開こうとするより早く、

 

警告します(ウォーニン)、彼を連れて直ちにここから退去してください」

 

「え?」

 

 アスタルテはその抑揚の乏しい機械的な発声で、淡々と繰り返す。

 

「この島は、間もなく沈みます。その前に逃げてください。なるべく、遠くへ……」

 

 島が……沈む!?

 

 とても信じられない。もしもそのままの意味だというなら、この超大型人工島にいるすべてが終わってしまう。けれど、人工生命体が、このような戯言を口にするわけではなく、ただ古城たちに事実を伝えているだけなのだ。

 

「“この島は、龍脈の交差する南海に浮かぶ儚き仮初の大地。要を失えば滅びるのみ”……」

 

 この詩のような言葉に古城ではなく、雪菜が息を呑んだ。魔術に関わるものならすぐに察してしまう暗喩があったのだろう。

 

「―――左様。我らの望みは、要として祀られし不朽の至宝」

 

 

 

 カチ、カチ、とゆったりと歩く影が通路の向こうからやってくる。

 それに人工生命体は怯えたように振り返り、古城たちもすぐ身構えた。

 

「やれやれ、<空隙の魔女>を攪乱するのに少々ここを留守にしなければならないほど手間取りましたが、私は調整が済み次第、そこの『混血』を見張っておけと、そう命じたはずですよアスタルテ」

 

 荘厳な法衣に軽鎧のような強化服を装備する巨漢。己を上回る長さの半月斧を片手でもったロタリンギアの殲教師ルードルフ=オイスタッハの顔には冷ややかな表情が張り付いていた。

 

「宿願を果たすためには、多くの力が必要となります。獅子王機関の剣巫のおかげで目標としたラインに達しましたが、使える道具はあった方がいいのです」

 

 剣巫のおかげで、との殲教師の言葉により早く反応したのは雪菜ではなく、古城。

 その胸中に驚愕の念はない。遅かれ早かれ、この男が己の前に出現することは予期していた。また、古城もこの男に弾劾したいものがあった。

 

「そいつはまさか、その子の体内に埋め込んだヤツのことを言ってんじゃねーよな」

 

 歯ぎしりさせ、その怒りを圧し殺す古城の声に、雪菜は動揺する。

 いったい何が先輩の感情をそこまで突き動かせたのか。その答えを知るであろうオイスタッハは、怒気の込められた視線を向けられても臆することなく、

 

「おや、気づきましたか。流石は第四真祖と言っておきましょう」

 

「っざけんなっ―――! その子だけじゃねぇ、ここにいる奴ら全員に“眷獣を植え付けやがったな”―――!」

 

 静謐な地下実験室を震わす古城の一喝を聞き、雪菜も自然悟った。

 上1階でみた培養槽にいた奇妙な生物も、

 地下2階の実験の檻にいる奇怪な死体も、

 そして、アスタルテと呼ばれた人工生命体の少女も、

 

 ありえるはずのない、眷獣を寄生させた人工生命体のなれの果てであり、その成功例にして生存例ではないか。

 

 雪菜は己の想像に怯え、槍にしがみつくように握り締めた。

 

「しかし残念ながら、研究はすでに完成しております。もはや第四真祖と言えど私たちの敵ではありません」

 

 オイスタッハはその行いを恥じることなく、傲然と言い放つ。

 

「自らの血の中に、眷属たる獣を従えるのは吸血鬼のみ」

 

 その定理を崩さんと、孵化する前の眷獣を、体構成を調整した人工生命体に寄生させる。

 魔族の王と言われた最大の要因であり、唯一無二の切り札たる吸血鬼の眷獣を、安価な実験動物で賄えることができれば、それは今までのバランスを崩しかねないほどの戦力を生むだろう。

 

「黙れっ! どうして吸血鬼以外に眷獣を使役できる魔族がいないのか、あんたも知らないわけじゃないだろうが!? わかっててそんなことをやったのか―――!?」

 

「もちろんですとも」

 

 何故、無限の生命力を持つ吸血鬼にしか飼い馴らせないというのかと言えば、眷獣を実体化するには、宿主が多大な生命力を捧げなければならないからだ。それは一体を呼び出すのさえ、枯渇しかねないものであり、“これまでの実験の経過からそれは明らかだ”。

 

「アスタルテが唯一の成功例と言えど、<薔薇の指先>を宿している限り、残りの寿命はそう長くないでしょう。あと2週間生き延びればいい方ではないでしょうか? まあ、これでも魔族たちを眷獣の生餌にさせて延命させてきたのですが」

 

 それが、魔族狩りの目的の、ひとつ。

 そして、もうひとつはオイスタッハが完成させたい術式のため。

 

「しかしもういいのです。獅子王機関の剣巫よ、その槍を持つ貴女との戦闘データは、素晴らしく参考になりました」

 

「なんてことを……そんな、彼女をまるで道具みたいに!」

 

「何故憤るのですか、剣巫よ?」

 

 怒りをあらわにした雪菜に、愉快気に目端を歪めながらオイスタッハはそれを突く。

 

 

「あなたもまた獅子王機関によって育てられた道具ではありませんか?」

 

 

 攻魔師を徴用する傭兵制より、捨てられた赤子を買い取り、一から教育し、訓練した方が実用的で忠実な駒になると。

 ここまで、“人間であるはずの”姫柊雪菜は、この暗闇の中でも吸血鬼である暁古城と同じく迷わない足取りで、また獣人種を素手で打倒し、秘奥兵器があろうと槍ひとつで眷獣を相手にする―――それもまだ、古城よりも年下な後輩が。

 そんなものは、組織が、人間を道具としか思っていなければ―――

 

「黙れよ、オッサン」

 

 いつのまにか、雪菜より前に、古城がいた。血の気を失う彼女を、その背に庇うような位置で、その男を睨んでいる。

 

「道具として作りだしたものを道具として使う私と、神の祝福を受けて生まれた人を道具として扱う獅子王機関。いずれが罪深き存在でしょうか?」

 

「黙れと言ってんだろうが、腐れ僧侶(ボウズ)が―――!」

 

 猛然と青白い稲妻を迸らせる古城。その右手から濃密な魔力と共に練り上げられる雷光は、倉庫街を一夜にして壊滅させた嵐のような災害――第四真祖の眷獣が力の一端だ。自らの肉体を媒介にすることで、どうにかギリギリ制御可能な状態を維持している。どこにでもいる高校生だった古城は、己に宿る世界最強の吸血鬼の権能を、初めて己の意思で御そうとしているのだ。

 

 その凄まじさに雪菜は圧倒され、オイスタッハは昂揚したように笑みを浮かべる。

 

「これが第四真祖の力。いいでしょう。これが我らの使命を果たせるか否かを占う最終試験なら相応しい」

 

 ―――アスタルテ! 彼らに慈悲を。

 

「―――命令受託(アクセプト)

 

 創造主からの絶対命令が下り、立ちはだかるは人工生命体の少女。

 その小さな体にある残りわずかな寿命を捧げて、眷獣を召喚する。

 それも今回は腕だけにとどまらず、胴体に脚。頭部を除いた全身を出現させた。体長4、5mもの巨体は、半透明のまま虹色に輝き、宿主たる少女をその分厚い肉の鎧の裡に取り込む。

 

「てめぇも大人しく従ってんじぇねぇェ―――ッ!」

 

 己の怒りに呼応させて、未だ現界させることのできない眷獣の力を頭のないゴーレムに振るう。一端とはいえ、第四真祖の眷獣の力だ。並の吸血鬼の眷獣でさえ、一撃で致命傷を与えかねない―――しかし、力負けしたのは古城の方であった。

 

「ぐ……あっ!」

 

 殴りつけたその瞬間、荒ぶる閃光と爆発が生じて、攻撃したはずの古城が逆に吹っ飛ばされた。そして古城の全身は、ぷすぷすと超高電圧を浴びせられたように火傷で爛れている。そう、あのとき、古城は自分自身の魔力を反射されたのだ。

 

「先輩っ!」

 

 次は雪菜が突撃を仕掛ける。

 それは不老不死たる真祖をも滅ぼしうる、降魔の聖光を纏った銀槍。魔力を無効化し、あらゆる結界を切り裂くこの槍は、如何なる魔族も防御不能―――しかし、その巨体の身を貫くこと敵わず。

 

「<雪霞狼>が……止められた!?」

 

 青白い浄化の光に包まれた銀色の穂先は、虹色の巨人の体表に接触したところで留まっている。刃が立たない鋼鉄に刺しているような、この槍にはあり得ないはずの手応え。

 それは前回からどことなく覚えていた違和感で、その答えを雪菜は悟る。

 最強の矛であり、最高の盾である獅子王機関の秘奥兵器。この矛盾を崩せるのはひとつ。あらゆる魔力を断つ聖光を受け止められる力は―――“同じ力”において他にない。

 <薔薇の指先>が放つこの虹色の輝きは、<雪霞狼>の降魔の聖光と同じでなければ、この共鳴現象(きっこう)はありえない。

 

「あらゆる魔族の権能を無力化する『神格振動波駆動術式(DOE)』は、世界で唯一、獅子王機関が実用化に成功していた、対魔族戦闘の切り札です。私が欲したこの完成図を与えてくれたのは、剣巫―――あなたですよ」

 

 魔力による攻撃の一切を無効化にし、攻魔戦闘術式の究極ともいわれる秘呪『神格振動波駆動術式』

 この完成こそが、魔族狩りを行っていたもうひとつの理由だ。

 寿命が残り2週間を切り、こちらの要求水準を満たせず、未完成に行き詰っていたとき、幸運にも、その完成形たる七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)を振るう剣巫と遭遇したのだ。

 オイスタッハは、これぞ主の思し召しであると歓喜した。

 完全と成った今の我らに、真祖でさえその道を阻むことはできない。

 そして、

 

「では、アスタルテ。魔女が付けた邪魔な枷を外してさしあげるのです」

 

 あらゆる魔術を破壊する巨人が、薄らと覚醒しつつあるクロウの首を掴むように――首輪に触れる。

 

「彼に、いったい何を……」

 

「おや、ご在知ないとは。これは、もともと、道具なのです」

 

 殲教師は、必死に奮い立たせようとする剣巫に、止めを刺すようにその正体を明かす。

 

「なぜこれが、<“黒”妖犬>などと呼ばれると思いますか剣巫」

 

 錆びた銅のような髪色に、褐色の肌。

 その表面的な特徴に、黒という記号が浮かばない。

 ならば、それは内面的な要素が関わっている。

 

「これは、『黒』シリーズ――かの<黒死皇>の遺伝子を使った戦争兵器だからですよ」

 

 ―――<黒死皇>!?

 

 伝聞でしか情報を知らない雪菜だが、高神の社でその恐ろしさはよく教えられた。

 

 曰く、東欧にある最古の夜の帝国『戦王領域』――第一真祖<忘却の戦王>の支配地で、獣人優位主義を唱え、吸血鬼による夜の帝国の支配に反発反乱を起こした。

 曰く、人間と魔族の共存を目的とした聖域条約の破棄を訴えた。

 曰く、獣人でありながら、死霊術(ネクロマンシー)に精通した。

 

 そして、世界各地で様々なテロ活動を繰り広げた最悪を上回る極悪、そして敵味方関係なしに動死体(リビングデット)を武器とする行いは非道。

 まさしく極悪非道の魔族。

 伝説的な第四真祖よりは格下であるが、その爪痕は現代に生きる者たちに深く刻み込んだ。

 

 血族ではないにしろ、その血筋を、黒狼(クロウ)は継いでいる。

 

「まあ、最期は<蛇遣い>に暗殺されてしまい、その血族もひとり残らず討伐されたそうですが、<黒死皇>は、“完全なる死者蘇生”ができたと聞きます。

 ここにある壊れてしまった道具も、『黒』シリーズを使えば、蘇らせることもできるのです」

 

 眷獣に食い尽くされた人工生命体。この建物には、その亡骸で溢れかえっている。

 完成されたアスタルテに及ばずとも、それなりの水準で対魔力の力を持つ者たち。それが不死となって軍団となって攻めれば、如何なる防壁でもせき止めるのは不可能だろう。

 未だ完全な覚醒とはいかないものの、アスタルテにより首輪に施された封印術が壊されたからか、クロウの意識が少し浮かび上がって呻いている。そこへ、オイスタッハが言葉を投げかける。

 

「―――あなたの境遇は聞いております。この絃神島で、迫害を受けたそうですね」

 

 それは、教会の神父らしく。

 そして、殲教師らしくない、慈愛に満ちた声だった。

 

「魔女の飼い犬であるのも、そのせいであるとか。人に馴染めず、魔を裏切るあなたには道具としての利用価値を示さなければ生きてはいけなかった。

 <黒死皇>の血を引いてる以上、それを危惧する輩からその命を狙われることになるでしょう。そこの剣巫でさえ、あなたの敵なのです。

 こんなことが、本当に正しいのですか。この罪に塗れた島で使い潰されることをあなたは望んだのですか。

 そう、魔女に森から連れ出されなければ、そこであなたは幸福に暮らせたでしょうに」

 

 人里離れた山での暮らしは厳しいものがあるだろう。

 日々の糧を探すのだけで精一杯な生活は、この上なく簡素であり、生きること以外に時間をさくことがない。必要最低限に切り詰められたそこに楽しみなど見いだせるものはなく、生きる為にただ生きるそのサイクルを毎日繰り返す。

 そんなのと、科学が発展した都市のどちらが楽園であるかと選択をさせてみれば、100人中99人は、都市だと答えるだろう。

 だが、それでも、1人は楽園の定義が異なるものもいる―――そう、この『混血』のように。

 

「―――あなたにも、この島の全てに復讐する権利が、ある」

 

 ただ、神父の声だけが研究所内に木霊する。

 

「魔女の枷はもうない。<監獄結界>の鎖から解放された今、その力を縛る必要などないのです。さあ、死者を蘇らせなさい、<黒妖犬>。軍勢を率いて、絃神島に死を」

 

 

 

 

 

「いや、だ」

 

 開口一番。

 覚醒したクロウが放った言葉に、今日初めて殲教師の語りが止まった。

 

「フクシュウだとか、よくわからない。―――でも、ご主人の、眷獣だ、お前の命令なんて、聞かない」

 

 実際、『首輪』にかけられていた制約はさして強力なものではない。

 形式上、鎖と繋がってはいても脱獄阻止機構(システム)から外れていると言ってもいいほど、鎖が長いのである。ほとんど放し飼いと変わらないのに、甘んじて『首輪』をつけているのはほとんどポーズである。

 意味はないが、意思がある。

 その意思で応える。

 

「それに、オレ、わかる。こいつらは、蘇ることを望んじゃいない。望んでるのは、そいつの―――」

 

 だが、それが最後まで言うことはできなかった。

 ゆらゆらとおぼつかない脚で踏ん張っていたものの、パタリ、と倒れた。

 口の端から血液が一筋垂れている。そして、その腹部、真っ白な手術着がじわじわと真っ赤に染まっていく。

 見限った殲教師が法衣の下から引き抜いた拳銃で、クロウを撃ったのだ。

 

「所詮、魔女の犬。それも己の魔性を否定する不良品ということですか。ならば、処分しなければいけませんね」

 

 弾丸は、先端の弾道部が白く、胴部の薬莢が真鍮色に輝く人狼殺し(ライカンキラー)とも呼ばれる銀イリジウム合金弾。それも―――

 

「今撃ったこの特注の銀イリジウム合金弾は、一発しか用意できませんでしたが。弾丸部にロタリンギア教会で聖別された塩の結晶を液状に溶かして濃縮したモノが封入されています。インパクトの瞬間内部で砕けた聖塩が体内に広がり、上位種の獣人であろうと一発で天に召されるでしょう。内側から煉獄に焼かれるような痛苦を味わいながら、その魂が浄化されることを祈りなさい」

 

「よくも―――」

 

 余りの自責に戦意を失いつつある雪菜も、それに己を奮い立たせると槍を―――しかし、すでに殲教師は行動に移っている。

 

「もう遅い、娘。獅子王機関の憐れな傀儡よ。―――魔族ではなく人の手でかかって死ねたことを救いと知りなさい」

 

「……っ!」

 

 そして、雪菜の視界が真っ赤になった。

 

 半月斧の軌跡は線を引いて走った。

 断罪であり贖罪の刃は、その胴体を裂くように横なぐりに―――あっけなく崩れ落ちる。

 雪菜に感じる苦痛はなくて、ただただ、目の前に落ちた物体が一秒前まで誰だったか、彼女はすぐに、理解できなかった。

 

「かはっ……!」

 

 あの一瞬。

 己の魔力を反射されて重傷を負っていた古城が、雪菜を突き飛ばし、代わりにその身に殲教師の一撃をもらったのだ。

 

「せ……先輩……!?」

 

 地に臥した、そう呼ばれていたモノに雪菜は声を震わせながらも呼びかけた。

 彼の顔はもう、自分の足元に倒れている。

 鼻腔をつく臓物の異臭。かつて心臓のあった所から、赤い血液が飛散している。

 一瞬の出来事だった。

 気づかずに蹴って水いっぱいのバケツを倒してしまったように、何もかも一瞬で終わってしまって、現実感が全く追いつけない。

 唯一の救いは、おそらく、痛みさえ一瞬だった事ぐらい。

 

 殲教師の戦斧には、魔族に対しての再生阻害の術が掛けられており、吸血鬼の不老不死の根源たる心臓が潰された―――

 

「どうして……そんな……いや……あああああああっ……!」

 

 雪菜は一変した状況を目前にして、槍から手を放し、その骸の頭部を抱く。しかし、もちろん古城からの返答はない。クロウもまた、動かない。

 

 もう、終わった。

 

 オイスタッハは、半月斧の矛先を、生き残った雪菜に向けるのをやめた。

 もはや剣巫に戦闘する気力は、ない。そこにあるのは復讐鬼となれず頽れる少女がひとり。

 『神格振動波駆動術式』が完成した以上、利用価値がなくなり、これ以上戦う必要性もない。

 

「行きますよ、アスタルテ……この咎人たちが造りし背約の地から我らが至宝を奪還するのです」

 

「―――命令受託」

 

 この場を去る殲教師の後に、顔のない巨人は続こうとして、一度、彼女らを見た。

 その一層と色が沈む瞳は、早くこの島から離れるよう訴えるようにも、あの最後の言葉の続きは何であったのかと問いかけているようにも見えた。

 

 

 

つづく

 

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