ミックス・ブラッド   作:夜草

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黒の剣巫Ⅲ

青の楽園 エリュシオン コテージ

 

 

「―――キャハハ」

 

 肩のあたりで切り揃えた柔らかそうなクセっ毛、

 子猫のようにクリっとした大きな瞳、

 自分たちが知るその外見的な特徴は変わっていない。それに大きく反り返り、彼女自身の背筋をなぞっている黒い尻尾が生えただけで、少女そのものの変化はない。獣化ではない。後輩のように肉体全てが変身するのではない、部分的な変化。

 しかし、その内面は裏返ったように変わっている。そう一瞬で、切り替わった。

 

「あーあ、見られちゃった」

 

 結瞳は唇をほころばせた、

 それは幼いながらも、人の目を釘付けにする妖艶さを見せる微笑。

 淡く、ほの暗い、闇と月光を結晶させたような笑みだった。

 

「もっと楽しみたかったのに。その変な槍の力で台無し」

 

 と彼女は不機嫌そうに肩をすくめる。

 拗ねたように唇を尖らせて雪菜へ最初は視線をやり、それから流し目を古城へ移す。

 

「それで胸の内を曝け出せるように、ここにいる皆を素直にさせてみたんだけど、どうしてお兄さんだけあたしの支配が効かないの? 何者? そこらの魔族でも抗えないくらいに強力なのにな。なんだって、“レヴィアたん”も魅了できるって、キリハは言ってたんだよ」

 

 その声は、舌足らずで、聞き覚えのある。

 ただ今は、陶然とした響きに、淫蕩な色合いを加え、声の主は愉しそうにコロコロと表情を変えていく。

 やはり、違う。古城はこれが別人であると確信する。

 

「おまえ……結瞳じゃないな。誰だ?」

 

「あたしも結瞳ですよ。結瞳はあたしのことを“莉琉”って呼んでたみたいですけど」

 

 ―――莉琉!?

 それは、江口結瞳と『クスキエリゼ』に囚われている、結瞳の姉の名だ。

 だが、それを結瞳が、名乗っている。

 ここで、目の前の少女の変貌に、雪菜が思い浮かぶひとつの推測。

 それは、

 

「まさか……『解離性同一性障害』……?」

 

 つまり、多重人格。辛い体験をした人が、自身の精神安定のために生み出した、もう一つの人格。

 雪菜の推理に、結瞳――莉琉は他人事のように嘲笑を返す。

 

「ふふっ、そうですねぇ。当たらずとも遠からず、ですかねぇ。だって、結瞳、ずっといじめられてましたから」

 

「いじめ、って……」

 

「はい。同じ学校の生徒にも、実の両親にも怖がられて。だって、結瞳は『夢魔』なんですもん。だから、孤立していた結瞳を引き取ってくれた『クスキエリゼ』は、あたしの恩人なんですよぉ」

 

 こちらの問いかけに、何の気負いもなく答える。しかし、古城はその言葉の意味を咀嚼することはできなかった。

 

「先輩、彼女は、『夢魔』――サキュバスです」

 

「はい、正解。滅多にいない魔族なんですけど、よく知ってましたね。そ、精神支配が特技で、他人の心に入り込んで好き勝手に操ったり、欲望を刺激したりしちゃう、『夢魔(サキュバス)』です。

 ―――そんなエッチな小学生なんて、恥ずかしいですよねぇ。それはみんなに嫌われても仕方ないですよぉ」

 

 『夢魔』であることを否定したい江口結瞳が、『夢魔』の能力や欲望を切り離して創り上げた別人格が、莉琉。

 

「だからって、ずるいですよね。イヤなとこだけ他人に押しつけて、ひとりで清純ぶっちゃって。もー、結瞳のむっつりさん! こんな立派なモノを生やしちゃってるくせにぃ」

 

 言って、『夢魔』の証拠である黒い尻尾――魔力によって実体化した獣の尻尾を見せびらかすように揺らして見せる。

 となると彼女は、未登録魔族。『夢魔』と言うのがどれほど稀少な種族であるかは古城は知らない。しかし結瞳がただの小学生ではないのなら、『クスキリエゼ』が監禁する理由にも納得する。

 で。

 

「だから、どうした」

 

「……あら?」

 

 古城は呆れたように舌打ちする。

 正体を明かしたのに、その意外な反応に、莉琉は固まる。

 

「結瞳が『夢魔』なら、こっちは『吸血鬼(ヴァンパイア)』だぜ。散々いやらしいだのなんだのと言われながら、姫柊たちの血まで吸わせてもらってんだ。尻尾が生えるくらい可愛いものじゃねーかよ。そんなのうちの後輩だって生やしてるぜ」

 

「ふーん」

 

 その言葉に、莉琉は笑みを消した。幼い唇を不愉快そうに歪めて、

 

「お兄さん。いい人なんだ。なんか、ヤだな、そういうの。偽善者ぶってるっていうか、同病相哀れむっていうかぁ……それともひょっとして、ロリコン?」

 

「誰がだ! 言っとくが俺は、同性愛(ホモ)でも幼児趣味(ロリコン)でもない完全ノーマルだ!」

 

「そんなにムキになられると逆に怪しくなるんだけど―――ま、少しは気が晴れたし、これだけ時間稼ぎしたらキリハも迎えに来られるよね」

 

 凶悪そうに眉を吊り上げて、莉琉は階段の手すりを乗り越える。サマードレスの背中を破って、翼が生える。魔力によって紡がれた半実体の『夢魔』の翼。その翼をはためかせ、莉琉はガラス窓から悠々コテージから外へ出た。

 

「待て、結瞳……!」

 

「あ、そうそうお兄さん」

 

 古城たちが莉琉を追って外に飛び出すと、コテージ前に車が一台、そして、見慣れぬ赤のカーディガンを着た黒のセーラ服の少女と、もうひとり――銀色の洋弓を構える、すらりと背の高い少女、煌坂紗矢華が待ち構えていた。

 

 

「莉琉を捜しに、研究施設に行っちゃった人、早く呼び戻した方が良いですよ。だって、あそこ“レヴィアたん”の子供で、何度もホールを壊しちゃう暴れん坊の“タラちゃん”がいますから」

 

 

青の楽園 魔獣庭園 研究施設

 

 

『ゴォオオオオォオォォォァアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 

 巨大なスピーカーから合成された音声が流れてるような、不気味で暴力的な咆哮が轟く魔力波動。

 そして、空間に広がり、景色を数瞬塗り替えた魔力波動は、波が引くように戻る。半漁半獣の開けられた口より眩い魔力光が集い始め、口腔に蓄積されていく。エネルギーを充填していくように―――

 

「―――忍法雷槍の術!」

 

 それに臆さず飛び出すは、霊的中枢のスイッチを入れて、白銀から金色に塗り替わった人狼。その左手より迸らせる清浄なる霊力。神気に限りなく近しき<疑似聖拳>の聖光が、変形操作する霊弓術の応用で、剣と化した手刀。そこからさらに指一本に一点集中させて、槍状に捻じり伸ばす。

 そして、最後の一歩は、力を溜めるように、発条(バネ)が抑圧され縮んでいくように身を沈み込ませ―――解放。

 紫電一閃と突き伸ばされ、貫手を練り絞った指突が、<タラスク>の魔砲弾を穿つ。

 

 音と光の定義を丸ごと覆すような、圧倒的な衝突があった。一瞬で眼球の裏側までもが真っ白に染まるような錯覚に埋め尽くされ、どちらが上でどちらが下かの区別もつかなくなる。波間に揺れる小船のように床が小刻みに揺れている。

 

 その魔獣の意識に空白が生じたその隙に、人狼はその背に飛び乗っていた。

 

「<若雷(わか)>!」

 

 右腕を振りかぶり―――厳つい甲羅に、瓦割りを打ち下ろす。六本足で支える半獣半魚の竜の巨体が、床に腹をつけるほど沈んだ。それぐらいの衝撃が、ホールを震撼させた。衝撃変換を加算させた獣人の一撃に、拳の形にめり込んだ甲羅に血飛沫が散らばる。群青色の分厚い硬鱗が、粉砕されてバラバラと剥がれ落ちる。

 だが、瞬時に、拳骨(グー)の凹みのない、新しい硬鱗に生え変わった。そして、半獣半魚の竜はダメージを負った様子もなく身を起こす。

 魔力障壁。体表に薄らと、極めつきに強力な魔力のバリアが張られていた。この頑丈な魔力の楯に拳打の威力を削がれて、損傷も自然治癒で即座に修復できる程度の軽微に済んだ―――ところへ、また拳骨。

 

「<若雷(ワカ)>! <若雷(ワカ)>! ワカワカワカワカワンワンワンワンワンワンワン―――――!!!」

 

 右拳打に続けて、左の拳を甲羅に叩き込む。また手の皮膚が裂け、血が迸った。が構わず。

 間髪入れずに人狼は左腕を振りかぶる。

 左。右。左。右。と自己再生する間も与えず――かつ、まったく同じ箇所に打ち込む――鉄拳が甲羅を叩く音が、研究施設のホールに響き渡る。

 

 マウントポジションはこちらがとっている。そして、魔力障壁で物理衝撃を食おうと、その強靭な脚を六本、膝を突かせるだけのことはできていた。

 なら、話は簡単だ。<賢者の霊血(ワインズマンブラッド)>を相手にした時と同様、一撃でダメなら、通じるまで何度でもやる。

 そう、金槌で釘を打ち込んでいくように、少しずつだが着実にダメージを蓄積させている。立つ間も与えない連打に屈せられる巨体が、徐々に地面に埋まっていく―――

 

 

『ゴォオオオオオオオォオォォァアアアアアアアアアアアッ!』

 

 

 歪みまくった重低音が轟き、半獣半魚の竜が、廻る。六本の脚を引込めさせて甲羅内に収めると、竜の咢より、魔砲弾を放つ。その魔力放出を推進力とし、巨体を独楽のように高速回転しだした。甲羅に張り付いていた人狼を弾き飛ばし、邪魔な重石が除かれるとさらに速度を上げる。

 シュポン、というシャンパンのコルクを抜くような音が聴こえた。

 高速回転する巨体―――その肛門から、燃え盛る塊が発射された。糞が出た音だ。

 

「ぬ!? 糞!? いや、これ―――」

 

 弾丸のように射出された糞がホールの壁へと着弾し、大爆発を起こす。

 一瞬のうちに酸素を食うと、爆炎を躍らせる。そう、この糞は、魔力爆弾。

 

 

『ゴォオオォォオオオォオォォァアアァァァアアアアッ!』

 

 

 ポンポンポンポン……と半獣半魚の竜は、咢からの魔力放出で巨体を廻しながら、肛門から魔力爆弾をホール内にまき散らす。最終的に、ホール内は糞だらけに埋め尽くされた。そして、燃料気化爆弾の脅威には『広範囲への炸裂』とは別に『通常爆弾とは考えられないほど長期にわたる爆炎を使って徹底したダメージを与える』と言ったものがあるのと同じく―――この爆炎は、かなり“長い”。ひとたび呑み込まれれば相手がどれだけ歯を食いしばっても徹底して削り倒す、破滅の爆炎。

 

 

 カッッッ!!!!!! と。

 瞬間、ホール内が染まった。

 

 

 金色に。

 

 

 四股を踏むようにその場にどっしりと不動の構えを取った人狼の咢より洩れる、細く、震えた黄金色の息吹。

 『白鶴震身』。鶴の鳴き声を模倣することで、体内の精気を増強させる身体運用。覚者に等しき霊力が人狼の獣気と練り混じり、獣王の奥義のひとつ『朱雀飛天の舞』にて空間を圧す。

 

 魔力爆弾は、体内から排出されて、大気と反応し、爆発を起こす。

 

 今、この一瞬で、『嗅覚過適応』の発香側(アクティブ)にした人狼の香気(におい)がホール全体を支配圏に置く。つまり、魔を浄化減衰させる神気に近しき霊力に大気は満たされて―――それを酸素と一緒に取り込んだ燃え盛る糞は、封入されていた魔力を、消失されて、鎮火する。土砂を被せる消火法のように、爆弾に獣気を呑ませて、対処した。

 

 そう、これこそが、『六刃』よりスカウトされる、魔獣への対応力。

 

「だから、建物を壊すとご主人に怒られるって言っただろ」

 

 <タラスク>は、回転を止め、改めて対峙している相手を見る。

 これまでこのホールにて、数多の魔獣と戦闘させられ、全てを屈服させてきた半獣半魚の竜。“最強”の遺伝子を持つ魔獣。その必勝パターンを、対決してきた魔獣のどれよりも小さな人狼に、初めて崩された。

 その動きを止めた魔獣から、驚きの心情を嗅ぎ取ったか、かか、と人狼(クロウ)は笑いを噴き出す。

 重なったのだ。『井の中の蛙大海知らず』と、それまでずっと森から出なかった己が、生まれて初めて、主人たる大魔女に屈せられた時の反応と。

 今日、これまで研究施設に閉じ込められていた『蛇』の仔は知る。

 

 

「こんくらいで驚くなんて、糞の躾もなってないし、やっぱり、まだ子どもだなお前」

 

 

 世界の広さを。

 

 

青の楽園 道中 海岸線

 

 

『初めまして、<第四真祖>。私は、妃崎霧葉。太史局の『六刃』といえば、『剣巫』のあなたはわかるでしょう?』

 

 そういって、莉琉を攫った――迎えた彼女。

 整った顔立ちと、華奢だが、しなやかな強靭さを感じさせる体つきで、そして、カメラの三脚を持ち運ぶための黒いケースを肩にかけた、“同業者”。

 獅子王機関と太史局。その派閥は違えど、同じ国のために尽くす政府機関。ちょっとした政策(ポリシー)の違いがあっただけ、と『六刃神官』は、こちらと事を構える気はないという。

 

『煌坂は俺に任せていけ! こいつが姫柊を殺そうとしただなんて知ったら、正気に戻った時、死ぬほど落ち込むぞ!』

 

 遠くで、閃光。

 舞威姫の呪矢を用いた雷撃術式と、真祖に喚び出された雷光の獅子の眷獣がぶつかり合った余波が、ここまで離れても監視役を身震いさせる。

 しかし、そのおかげか、『青の楽園』を走る無人車の運転装置が、落雷の影響を感知して緊急停止。結瞳を連れる『六刃』に雪菜は追いつけた。

 

「―――結瞳ちゃんを、返してもらいます」

 

 莉琉を手を引く霧葉の前を遮るよう、銀槍を構える雪菜。

 剣巫に睨まれた六刃は、一端、莉琉から離れて前に出ると、嘆息交じりに首を振り、肩に背負うケースから槍を引き抜いた。音叉のように二又に別れた、鉛色の双叉槍である。

 

「わからないわね、姫柊雪菜。あなたには、莉琉を連れ戻す理由はないのではなくて」

 

 静かな声で述べるその主張は正しい。

 舞威姫と剣巫は別部署であり、姫柊雪菜に与えられた任務は、『<第四真祖>の監視役』だ。たとえ江口結瞳が何者だろうと、連れ戻す権利はないはず。しかし、

 

「洗脳した紗矢華さんに暁先輩を襲わせただけでも、私があなたを敵とみなすには、十分な理由だと思いますけど」

 

 そうだ。剣巫の監視対象である古城に、六刃は間接的に害した。そう、先ほどからここまで絶え間なく聴こえる巨大な破壊音は、精神支配した舞威姫と今、戦っているのは先輩が起こしているものだ。詭弁ではある。それに私情がないとはけして言えない。部署が分かれても親しいルームメイトを操られて、雪菜も怒りを覚えてる。

 だから、一応の戦闘する建前があり、断固たる理由がある。

 

「莉琉と<第四真祖>を接触させたくなかったの。彼はあまりにも危険すぎる不確定要素(イレギュラー)だから。それだけ。

 本当、別に<第四真祖>に興味はないのよ。剣巫が監視していることは知ってるけれど、それを邪魔するつもりはないわ。この件に<第四真祖>を巻き込んだのは、私ではなく煌坂紗矢華。そこのところはお間違いのないようにね」

 

「結瞳ちゃんを連れ戻して、『クスキリエゼ』は彼女に何をするつもりですか。どうして、太史局が彼らの手伝いを」

 

 霧葉の言い訳を無視して、雪菜は訊く。

 獅子王機関が表だって結瞳の保護に動けなかったのは、太史局が政治的に圧力をかけて押さえ込んでいたからだ。しかし、何故そこまでしてこんな犯罪も同然の所業に手を貸すのか。

 だが、霧葉はこちらを揶揄するように笑い、のらりくらりとその追及をかわす。

 

「ふふ。『クスキリエゼ』は法的に承認された江口結瞳の保護者よ、そして彼女は、自らの意思でそこに戻ろうとしている。獅子王機関といえど、それを止める権利はないはずよ」

 

「そうですね。結瞳ちゃんが、本当にそれを望んでいるのなら。ですけど―――」

 

 これ以上の問答は、時間の無駄。

 雪菜は前触れもなく地面を蹴ると、銀槍を霧葉へ叩きつける。銀槍が描く純白の軌跡は、六刃を斬り裂いた。

 しかし。

 手応えはなかった。

 

「幻影……なんて、ありきたりかしら?」

 

 かすかにシルエットを歪ませて、霧葉は失笑を零す。

 

「さて、これでいきなり襲われた太史局の六刃は、獅子王機関の剣巫へ、正当防衛ができるとみてもいいのよね?」

 

「っ、」

 

 ヒュン、と霧葉は双叉槍を無造作に旋回させる。先手奇襲を失敗した雪菜は後退する。

 

 狙いが読まれていた。

 

 まるで深夜に突然覚醒した莉琉の人格が目覚めた直後に、六刃は現れた。あまりにもタイミングが良い。それにいじめによって生まれた別人格が目覚めるきっかけとなる、刺激や体験もなかったはずなのに、結瞳は莉琉となった。

 つまり、目覚めたのではなく、外部から精神干渉して莉琉へ覚醒させた、と考える方が正しい。

 そして、舞威姫の紗矢華に掛けられるほど強力な暗示。

 導き出される答えは、今、<雪霞狼>で狙った双叉槍。

 太史局の『乙型呪装双叉槍(リチエルカーレ)』―――獅子王機関とは異なる技術体系によって生み出された調伏兵器<霧豹双月>。

 その能力は、蓄積した魔力を増幅し、そして使い手の意思に応じて放出すること―――

 それによって双叉槍の使い手は、人間には使えないはずの特殊な能力や、膨大な魔力を操ることができる――すなわち、『魔力を模倣(コピー)する』武神具。

 

 それを以って、江口結瞳の『夢魔』としての魔力を予め双叉槍に蓄え、そして、その能力を使い逆に結瞳を莉琉へ覚醒させ、

 そして、呪術と暗殺のスペシャリストである舞威姫をも己の手駒として催眠を施した。

 

 だから、魔力を打ち消す<雪霞狼>の『神格振動波』によって、<霧豹双月>に帯びていた魔力を消滅させれば、その影響を受けて覚醒した結瞳を、莉琉から元に戻せると雪菜は睨んだ。

 

「残念ね。この槍の正体に気づいてたみたいだけど、遅い……あの子と比べると、遅すぎるわ」

 

 この六刃は、“剣巫の雪菜でも五回に一回しか勝ちが取れない舞威姫を倒した”相手だ。

 『影の剣巫』とも称される『六刃』は『剣巫』と同じ『八雷神法』を使い、魔族を相手にするか、魔獣を相手にするかで違いはあるものの、戦法(スタイル)はほとんど同じ。

 つまり、それだけ実力差は覆すのは容易ではない。不意打ちでやられるような相手ではなかった。

 

「獅子王機関と事を荒立てるのは協定違反だし、するつもりはないのだけど、現場の判断と言うことで大目に見てもらいましょうか―――それに本音で言うと、私、あなたのことを叩き潰したいと思ってましたし」

 

「何―――ッ!」

 

 トン、トン、と左右交互にステップを踏む六刃、背後ろに流す長い黒髪も生物的に蠢く。まるで獲物をどう嬲るか思案する大蛇だ。

 そして、その笑みを作る口元から隠しきれない火の粉がちろちろと風に流れている。

 

「ふふ、うふふ! さっきも言ったけれど、<第四真祖>には興味はない。でも、お昼休みに<黒妖犬>と組手なんて―――羨ましいわぁ、ふふ!」

 

「見てたんですか!? いえ、だからって、あなたからどうこう言われる筋合いは―――」

 

「ふふ―――あるわよ。だって、私、南宮クロウの監視役なんですもの。だから、あの子に勘付かれないよう、遠くから、それも毎度毎度風下に位置を変えて、ずっと監視してたのよ。ずぅっと。ふふ、監視対象と四六時中ベタベタしてる本家とは違って、奥ゆかしいでしょう?

 なのに、一緒に鍛錬してるところを見せ付けてくれるなんて―――」

 

 すう……と一際大きく六刃の少女が息を吸い込んだ。

 大声を出すための下準備ではない。

 

 

 轟!! と。火炎放射のような炎を口から噴き出すためのものだ。

 

 

 瞬く間にこちらまで一直線に焼き払われる。ばら撒かれた熱波が下にある路面を融かす。その六刃の炎はそれ自体が蛇のように蠢き、枝分かれし、ミサイルの群のように剣巫へ飛び掛かっていく。

 刹那、標的が消失した。

 ストン、と一跳びで大きく避ける際に、幻術で翻弄。そして、安全地帯へと着地する。未来視で先読みした雪菜が先手を打って動いていた。そう、六刃もまた霊視で一瞬先の未来を視るが、剣巫の霊視の方が一枚上手であった。しかし、雪菜の顔には明らかな狼狽の色が浮かんでいる。

 

「さすがは、獅子王機関が、<第四真祖>の監視役に選んだ人材と言うことね……見た目の良さだけが取り柄の乳臭いお子様だと思ってたけど、あの子の言う通り、才能はあなたの方が上のようね。ふふ……でもこの程度で驚いているようじゃまだまだ未熟ねぇ……」

 

「今のは一体……?」

 

 人が口から火を噴く―――そんなの、まるで魔族ではないか。

 

「ふふ、正式な見習い卒業はしていないと聞いてるけれど、仮にも同じ流派を扱うものとして、『八雷神法』の由来はご存知でしょう?」

 

 『八雷』―――それは神道における八柱の雷神『火雷大神(ほのいかずちのおおかみ)』である。

 大雷神は、強烈な雷の威力を、

 火雷神は、雷が起こす炎を、

 黒雷神は、雷が起こるときに天地が暗くなることを、

 析雷神は、雷が物を引き裂く姿を、

 若雷神は、雷の後での清々しい地上の姿を、

 土雷神は、雷が地上に戻る姿を、

 鳴雷神は、鳴り響く雷鳴を、

 伏雷神は、雲に潜伏して雷光を走らせる姿を、

 つまり、それぞれが雷が起こす現象を指し示している。そして、『八雷神法』は、それをなぞらえた対魔の白兵戦術。

 しかし、

 

「『火雷大神』は、黄泉に堕ちた地母神から生まれたもの」

 

 神道の雷神とは、黄泉の住民となった女神の産物。

 

「だから、『八雷神法』を極めた者は、ある“裏技”が使えるのよ」

 

「つまりそれは、<神憑り>ではなく、<生成り>……!」

 

 霊的な高位存在を巫女の身に降ろす<神憑り>。<生成り>とは、その逆をいく。巫女の性質を鬼や獣、魔に限りなく近づけさせるものだ。もうあと一歩でも踏み出せば、完全に一線を越えてしまうほど、人でありながら魔のすぐ手前に身を置いている。

 人間が天使になる儀式も存在するのだから、人間が魔族になる例はなくはない。吸血された人間が魔族になる――二世代の吸血鬼『血の従者』だって、それに入るだろう。また魔女が悪魔に魂を捧げる<堕魂(ロスト)>も、人間を魔族にさせるもの。

 身近な例を挙げれば、人間から世界最強の吸血鬼になってしまった先輩がいるのだ。

 そう、日本にも、激しい情念が女の身体を巨大な蛇竜に変え、自分を捨てた僧を仏神に保護された寺ごと焼き尽くした『清姫』という伝承がある。

 

 そして、雷神とは、竜や蛇に関連付けられるものが多い。

 

「あら? 何やら非難がましい目ね、剣巫。本家には気に入らないかしら。あなたも性質的に男を焼き殺しそうな感じがするのだけど」

 

「<生成り>は、邪道です。自制を誤れば、般若と化す危険なものです」

 

「『七式突撃降魔機槍』なんて真祖をも殺せる秘奥兵器が与えられる本家は、言うことがお綺麗ね―――思わず、汚したくなるくらいに」

 

 二叉槍を逆に構える霧葉。

 その『夢魔』の魔力を蓄えている<霧豹双月>を、自分自身に向けている。

 

「何を……―――っ! まさかっ!」

 

 標的対象への執着心により、<生成り>の力を得た六刃。

 ならば、その女の情念を高めれば、それに魔性の力は比例する。

 ぎりと噛み締める霧葉の唇からは一筋の血が滴った。紅く赤く朱く、その顎から首元までを垂れていった。

 

「この前の舞威姫は、5分ともたなかったけど、本家の剣巫は今の私を相手にどれくらい頑張れるかしら?」

 

 六刃が顎を持ち上げ、ぐるりと回した。

 歌舞伎の見得にも似たその動きと共に、半透明なそれが額とこめかみから盛り上がったのだ。

 二本の、角が。

 

「『夢魔』の力を自己暗示に利用するなんて、キリハってやっぱり怖いわ。結瞳も注意してたけど、間違っても嫉妬を買わないよう、キリハの監視対象にはあまり近づかないようにしないとね」

 

 剣巫と六刃の決闘を愉しげに観戦する莉琉も、流石に恐れ戦くか。

 間近で向き合っている六刃の鬼気は、雪菜の想像を超えていた。一瞬でも気を抜けば、たちまち戦意を奪われかねないくらいに。

 

「ふふ、<火鼠の衣>でも着てないと私自身も燃やし尽くしてしまいそう」

 

 その生物としての特性で、表面張力を操作することで水上歩行と可能とする水霊馬(ケルピー)のように、けして燃えない魔獣である火鼠。

 その皮衣がなければ、焼身自殺して自滅しかねないほどに、霧葉の<生成り>の力は高められている。今や霧葉の黒髪は、魔性の赫色に染め上げられていき、

 

「でも、これならあの子を―――」

 

 これ以上絶句してはいられない。雪菜は魔を浄化する破魔の銀槍を構え、突きを放った。が、

 

「厄介な装備ね、獅子王機関の『七式突撃降魔機槍』―――でも、対『獣王』を想定してる私には遅い」

 

 <雪霞狼>の主刃が、六刃を貫き、<生成り>を祓い清める―――そう思われた瞬間、あらゆる魔力を断つはずの雪菜の銀槍が、横殴りの衝撃を受けて軌道を逸らす。

 <若雷>。掌打より衝撃変換の呪術を威力に加算させる『八雷神法』の一手。それで<雪霞狼>を殴り飛ばしたのだ。雪菜が放ったものの倍以上の威力がある<若雷>。

 そして、間髪入れずに炎の追打ち。咄嗟に後退して、雪菜は<生成り>の炎を回避するが―――それは追尾する。さらに勢いを増して。

 

「ふふ、避けるのは悪手よ」

 

「な―――!?」

 

 ズゴウッッッ!!!!!! と先ほどの倍以上の勢いで炎が吹き荒れる。喰いそびれ、捉え損ね、袖にされるたびに、女の情念は膨れ上がっていく。そう、<生成り>の炎は、狙った相手が逃げていくたびに、仕留められなければ仕留められないほど、強大に凶暴に変質していく精密誘導兵器だ。

 

「情念に比して膨れ上がる炎、ついには仏神に守護された寺社仏閣さえ焼き尽くすもの」

 

 大蛇のようにのたうつ情念の炎。躱しても躱しても追いかけ、そして逃げるたびに火力を強めるこれは防ぐしかない。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 ありったけの霊力を長槍に注ぎ込み、情念の炎を迎撃した。どれほど昂ろうが、所詮は魔力。魔力を無効化する<雪霞狼>の一撃は、炎自体を消滅させる。

 

「ええ、だから、あなたは『七式突撃降魔機槍』に頼るしかない。そうでなくて」

 

 ―――炎を突き抜け、飛び掛かる六刃。

 未来視では負けている。だから、選択肢をひとつにしか絞らせない袋小路へ、剣巫を追い込ませて、撃つ二段構えの策。

 

「<黒雷>―――!」

 

 <生成り>になり、さらに身体能力増幅。ロタリンギアの殲滅師とも互角以上に渡り合えた雪菜が、1、2年ほどしか自分と変わらない少女に一方的に追い詰められる。才能が上回ろうとそれを覆す執念に、呑まれる―――

 

「させない!」

 

 荒々しい一喝が響いて、猛然とそれが迫る。

 無人の電動カー、『青の楽園』の主な移動手段として使われるそれは、一度動き出すと目的地に着くまで止まらない。レールもないのに、決まった通りにしか走れないようにプログラムされている。

 それが今、猛牛のように霧葉へ迫っている。このまま雪菜へ攻撃すればぶつかる。獲物を仕留める直前に急制動を掛けねばならない霧葉は大きく体勢を崩してしまい、そこへ、

 

「はあ―――!」

 

 伸びてきた一条の銀閃。破魔の銀槍が、双叉槍の矛先に当たる。そこに蓄えられていた『夢魔』の力が、消滅。

 

「本当、厄介な装備ね、獅子王機関の『七式突撃降魔機槍』。こんな一当てで折角『乙型呪装双叉槍』に蓄えた力を消滅させられるなんて。それに……」

 

 力任せに雪菜を押し返した霧葉が、狩りの邪魔をした下手人を睨む。

 

「藍羽……浅葱……」

 

 雪菜の背後に、新たに駆けつけた人物。

 雪菜も振り返る。サンダル履きの浅葱が息を弾ませながら、ノートPCを開いて、険しい表情を向けている。その彼女の元に、先ほど猛然と突っ込んできた無人車が大きくカーブして、傍に停車。それはどこか忠実な牧羊犬を思わせる。主人の命令とあらば、狼が相手でも立ち向かう。

 おそらくコテージで意識を取り戻した浅葱が、古城たちの不在に気づいて捜しに来たんだろう。そして、剣巫と六刃の戦いに遭遇し―――それを止めさせんと、ハッキングして、制御権をものにした無人車をけしかけた。

 本人はさすがに息切れしてて、喋ろうにも喋れないようだが、それでもキーボードに指を乗せたまま、またいつでも動かせると言わんばかりに、無人車を前後に動かしアピールする。

 次は、直撃させる、と。

 

 そして、雪菜も唖然として彼女の横顔を見つめる。浅葱の膝はかすかに震えている。恐怖を感じてないわけではないのだろう。戦闘訓練など受けていない普通の女子高生なのだから当然だ。

 しかし雪菜の危機を救ったのは、そんな普通の女子高生に過ぎない彼女なのだ。

 

「本当に一瞬で、プロテクトが施されているはずの電動無人車をハッキングして、思い通りに操るプログラムを流し込んだなんて……なんて、デタラメなの」

 

 あれだけ好戦的に燃え狂っていた六刃が、今ではバケツ三杯の冷や水を浴びせられたよう。しかし、霧葉が浅葱に視線を向ける瞳には、憐れみと侮蔑、そして憤りの感情が浮かんでいる。

 

「そう……これが、『カインの巫女』の力ってわけね……」

 

「誰よ、あなた……」

 

 確かに勝負に横槍入れて水を差したけれど、見ず知らずの相手からそこまで憎悪にも似た視線を向けられては、浅葱も不愉快そうに睨み返す。

 霧葉も、殺意に駆られたように強く双叉槍を握ったが―――しかし、それは今、天敵ともいえる<雪霞狼>に、『夢魔』の魔力は消失されて、術もすでに破れている。

 

「雪菜お姉さん、浅葱お姉さん―――!?」

 

 莉琉―――ではなく、本来の人格に戻った結瞳が、助けを求めるように雪菜たちを呼んだ。

 槍を構えている雪菜を見ても、さほど驚いていないのは、莉琉として過ごしていた間の記憶が残っているからなのかもしれない。

 ともあれ状況は変化した。今の結瞳は『クスキエリゼ』への帰還は望んでいない。

 それでも強引に結瞳を連れ去ろうとするのなら、太史局の六刃は誘拐に加担するどころか、実行犯となる。獅子王機関の任務とは無関係に、雪菜は結瞳を助けることができる。

 

「これであなたを止める理由ができました。それともこのまま立ち去りますか、六刃?」

 

 今度は、雪菜が霧葉に警告を飛ばす。立場は逆転した。霧葉がこれ以上ここに留まり続ければ、太史局の面目を潰すことになる。

 しかし、それは実力が逆転したわけではない。

 

「まだ見習い風情の剣巫が言ってくれるじゃない。まさか、これで勝ったと思って?」

 

 無造作に振るった双叉槍。『乙型呪装双叉槍』の二本の刃が共鳴。魔力を増幅する槍が<生成り>の魔性の呪力を増幅し、制御し、強力な攻撃呪法として撃ち出す。『夢魔』の魔力は消したとしても、武神具としての機能が失われたわけではない。

 

「っ!?」

 

 六刃の一閃より放たれる破壊的な熱波は、浅葱の支配下に置かれた電動無人車を吹き飛ばしては、その金属の材質を水のように一瞬で融解させた。

 それに驚愕した様を見せる雪菜と浅葱に、霧葉は興奮したように息を吐く。

 アカく染まりつつある<生成り>の瞳には、高ぶる力に裡から擽られたように、陶酔した表情すら浮かんでいる。とはいえ、ひとまず、二人の反応に留飲を下げたのか、槍を下した。

 

「残念。もう時間切れみたいね」

 

「時間切れ……?」

 

 霧葉の唐突な発言に、かすかな戸惑いを覚えた雪菜。

 その答えは、すぐ覚る。

 夜が明ける。道路の先に広がる水平線を白く染める朝日。雪菜たちの横顔を、眩い輝きが照らし出す。

 その直後、増設人工島(サブフロート)青の楽園(ブルーエリジアム)』を、大地を震わすほどの爆発的な魔力の波動が襲う。

 

「―――っ!?」

 

 あまりの衝撃に踏ん張り切れず、地面に膝をつく雪菜。

 昨日、『魔獣庭園』で察知したものと同じ。この島の魔獣たちが怯える何か。そして、それは、前回より魔力の密度を上げて襲ってくる。

 

「この波動……いったい、なにが……!?」

 

 魔力の発生源は、おそらく海底。『青の楽園』からも遠く離れた海の底から、膨大な魔力が無目的に放出されている。

 そう、それは軍用潜水艦の放つ探信音に似た魔力波動。水底に潜む何かが、敵となるものの位置を知るために探査用の魔力波動を放っている―――

 

「行き、ます」

 

 雪菜たちが魔力波動に気を取られ、海の方へつい視線をやってしまった。

 その悲痛だが決意を感じさせる声に顔を向ければ、正気に戻り助けを求めていたはずの結瞳が、こちらに背を向け、まるでどこかに飛び立つように黒い翼を展開してるではないか。

 魔力で紡がれた幻影の翼。それは莉琉ではなく、結瞳自身が『夢魔』の力を引き出したもの。

 

「だから、戦うのは、もうやめてください。霧葉さんも、雪菜お姉さんも。もう、私が全部……終わらせますから……」

 

 寂しげに笑い結瞳はそういうと、黒い翼を羽ばたかせる。彼女の小柄な体は音もなく空へと舞い上がり、そのまま滑るように飛び去って行った。向かう先はコテージではなくて、『魔獣庭園』――『クスキエリゼ』の研究施設。

 

「……結瞳ちゃん……どうして!?」

 

 これで、剣巫も六刃も、彼女の望みどおりに、戦う理由をなくした。

 しかし、一瞬で取り残された雪菜には、疑問しかない。

 『クスキエリゼ』から逃げ出してきたはずの結瞳が、なぜ急に心変わりしたのか。あの海底から放たれた魔力波動は何なのか……

 その答えを知る霧葉も、なぜか少し不満げな表情を浮かべて、結瞳が飛び去った空を見上げている。半物質の角も消え、髪の色もすでに赫から、黒色に戻っている。そして、首を振ると雪菜たちへ背を向けた。

 

「そう、藍羽浅葱。あなたを責めるのは、筋違いだったわね。でも、ごめんなさい。悪く思わないで―――」

 

 さよなら。

 そう言い残して、無言で立ち去る霧葉を、雪菜と浅葱は為すすべなく見送った。

 

 

青の楽園 魔獣庭園 研究施設

 

 

「―――よし、こい!」

 

 

 空中を走る巨大な物体。

 円盤のように高速回転する半獣半魚の竜は、大きな弧を描いて、人狼へと突撃してきた。稲妻の如き強烈な生体電流を炸裂させながら激しく廻る甲羅。その突撃は、この研究施設にあるどの魔獣をも屠るであろう。人間が受ければ、間違いなく即死となる雷電の飛沫。

 

 それを体全体で受け止める。

 

 耳を聾する轟音。破壊などという言葉さえ生温い、魔獣の暴走。

 人狼に凄絶なエネルギーの塊がぶつかる。切れ味の悪い電動ノコギリのように、硬鱗で覆われた甲羅が火花を散らしながら廻り廻り廻り続ける。灼熱の魔砲弾も荒れ狂い、世界を蹂躙する―――しかし、その人狼を轢くことも、そして、退くこともできず、捕まった。半獣半魚の竜の突撃は、人狼に真っ向から受け切られ、止められた。

 

 回転突撃に轢き潰され、肉体を跡形もなくミンチに砕かれる。吸血鬼の眷獣だろうと、魔女の悪魔だろうと、一度蹂躙されれば壊滅は免れぬ―――しかし、その人狼は不壊。

 

「終わりか?」

 

 体格の大きさは象と人ほどあるというのに、それを逆転させた横綱相撲。

 <タラスク>の最後の攻撃手段をも、防がれた。獣にも理解させる、馬鹿馬鹿しいほどに単純明快な力の差を見せつけて、『蛇の“仔”』に思い知らした。

 上には上がいるということを。

 

『ゴォオオォオォォァアアァァァアアッ!』

 

 しかし、<タラスク>は止まれない。血を吐くように吠えながら、血が滲むように目を赤くする合成魔獣。

 檻から出されれば、標的を殺すまで停止する(やすむ)のは許されない―――!

 

『ゴア―――――ッッッ!!!』

 

 それでも、これ以上、動けない。喉を嗄らすほどの魔力放出を咢より吐き出し続けても、廻らない。

 一度勢いがついて動き出した石臼を廻すのは、容易であるも、完全に停止してるものを廻すには大変な労力がいる。

 そして、車輪にブレーキを噛ませるように、甲羅を挟み取っている人狼の両手が硬鱗に爪を立てて、抵抗されている。

 

「―――精製完了。お待たせしました」

 

「アスタルテ!」

 

 ホールに、逃げたはずの人工生命体の少女が帰ってきた。

 その手に研究室にある三角フラスコを持ち、半獣半魚の竜を抑え付けている人狼へ、急いで駆け付ける。

 

「先輩」

 

「ん。よくやったぞ―――じゃ、このまま抑えてるからアイツに投げてくれ」

 

命令受託(アクセプト)―――」

 

 人狼を振り切ろうと咢からの魔力放出を限界まで吐き出し―――しかし、円周の四分の一ほど動いたところで甲羅が止まった<タラスク>が、息切れしたときに、アスタルテがその大口にフラスコを投げ入れる。

 

『あいつは、『彩昂祭(まつり)』でばら撒かれた『B薬(くすり)』で正気を失ってるみたいなのだ』

 

 クロウが、その口臭から嗅ぎ取った、チョコのような匂い。

 『彩昂祭』、MARが間違って流出してしまった『B薬』―――すなわち、『惚れ薬』

 真祖をも狂わすほど強力な『惚れ薬』は、元々、『魔獣庭園』から魔獣を制御するために開発を医療部門主任の暁深森氏に依頼されたものだ。

 久須木和臣が、『夢魔』を介さずに、『クスキエリゼ』が創り上げた最高傑作を御そうとして、MARの『惚れ薬』が使われている。

 

 医学生ほどの医療技術が情報入力(インプット)されているアスタルテは、『彩昂祭』にて、科学実験室で『B薬』の解毒薬を作製していた暁深森の見張り役兼助手を務めていた。

 一から作り出すのは知識があっても経験が足りていない人工生命体には無理だが、アスタルテは一度薬剤精製の補佐を経験して、そのときの解毒薬のレシピを記憶している。

 先輩(クロウ)の命を受けたアスタルテは、ホールからその前に通りがかった研究室へと赴き、『惚れ薬』の解毒薬を作り、ここへ戻ってきたのだ。

 

 <タラスク>の口腔内に放り込まれ、割れたフラスコから拡散される解毒薬。揮発性が高く、吸引して速攻で効き目が表れた。

 半獣半魚の竜もまた、すぐピタリと暴れ回るのをやめ、そのままの体勢で固まり、やがて血走った眼の色も、穏やかな青色にと戻っていき、狂想から醒めた……

 

 

 

「じゃあ、後やることは躾だな」

 

 

 

 はい? と狂った夢見心地から目覚めたばかりの『蛇の仔』だが、人狼は正気に戻ってからが本番だと言わんばかりに。

 

 

「最初が肝心!」

 

 

 甲羅を掴んだ両腕を振り上げ、ちゃぶ台返し。タラスク仰向けにひっくり返る。

 

 

「悪い事したらダメだって!」

 

 

 尻尾を捕まえてジャイアントスイング。タラスク投げ飛ばされた。

 

 

「痛みで覚えさせるのだ!」

 

 

 宙に飛んでるところに飛び掛かってライダーキック。タラスク撃沈。

 

 

「特に糞はちゃんとトイレでするんだぞっ!」

 

 

 着地の際、どてっぱらにトドメのフライングクロスチョップ。タラスク白目を剥いて痙攣。

 

 

 ワン、ツー、スリー、とKO。

 流れるようにコンボが炸裂。そして、ついにホールが崩壊。

 

「子どもでもそこんとこはちゃんとしておかないとな。夏音から猫たちにまず教えるのはトイレの躾だと教わったのだ」

 

 『惚れ薬』で狂わされていたのはわかっているが、それとこれとは話が別である。このタラスクの今後のことを考えてのクロウなりのコミュニケーションである。

 ふー働いたのだ、と一試合終えて、獣化を解いたクロウが額の汗を拭うポーズを取る。そこへ、

 

「……先輩」

 

「う。お疲れ様なのだ、アスタルテ」

 

「報告。只今の攻撃で、建物の損耗率が20%を超えました」

 

「え゛……う、うぅ……あのラスクってのが結構バリバリ暴れてたからな、うん」

 

「訂正。ラスクではなく、タラスクです。菓子ではありません。そして、何にしても止めを刺したのは先輩です」

 

「あ、アスタルテ……オレはいろんなことを考えて、アフタフォローしたのだ。あいつがまた糞塗れにしたらボボーン! と爆発して大変だから、ちゃんと躾けとかないと……な?」

 

「理解―――では、厳重に忠告してもダメな先輩にもダメなものは痛みを伴う肉体言語(ボディランゲージ)で覚えさせます。執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先(ロドダクテユロス)>」

 

昼御飯(ランチ)の時も思ったけど、眷獣使うのは反則―――ぶはっ!?」

 

 後輩(眷獣)のビンタがクロウに炸裂した。

 

 

青の楽園 魔獣庭園 中心部

 

 

 聖書にも記された海の怪物。神話の時代、神々が創り出した、最強の生物。『嫉妬』の蛇<レヴィアタン>。

 

 

 超古代より現代まで活動し続ける世界最強の魔獣は、今は休眠状態であり、龍脈に沿って深海の底を漂っている。

 その全長は、4000mを超えている。超弩級空母だろうが原子力潜水艦だろうが目じゃない、この地球上では最大クラスの生物種。その圧倒的な質量をもった生体兵器は、ただ泳ぐだけでも海水をメチャクチャに撹拌し、一帯の海流に変化を及ぼしてしまうだろう。海底で暴れ狂えば、災厄を呼び込む。海面に顔を出しただけでも、大津波が起こってしまう。一個体だけで人間たちの主要国家と同格である『夜の帝国(ドミニオン)』を築いてしまう真祖と同じで、もはや生物などと言うカテゴリには入らず、環境そのものと呼べるほどの規格外の存在だ。

 

 だから、手に入れる。

 魔獣の王国を、この世界に作り上げるために。

 

 『魔獣庭園』の中央部。海に面した岬の突端にある『クスキエリゼ』の研究施設。銀色の巻貝を地面に埋め込んだような、未来的なシルエットの建物は、森にある合成魔獣<タラスク>を研究する第二研究施設とは別の研究が進められている。

 そう、<レヴィアタン>の制御実験。世界最強の魔獣を飼い馴らすために建造された施設だ。

 普段は、絃神島本島に人員を移動させるための連絡船や魔獣や魔獣用の飼料を運ぶための輸送船が停泊する港。そこに今はたった一隻だけ、純白に塗られた、イトマキエイを膨らませたような奇妙なシルエットの潜水艇『ヨタカ』がある。

 その船体の全長は15mほどで、3人乗り。巨大な推進スクリューを船尾に二基搭載した、本来は軍用として試作された小型潜水艇を『クスキエリゼ』が買収し、改造。窮屈な操縦席の奥に、棺桶に似た影の透明な水槽が垂直に設置されている。

 この青色の液体を満たした水槽の中に、水着に似た服を着た――先ほど帰還した――江口結瞳が眠るように目を閉じている。

 それを整備用クレーンの上から感慨深げに眺めて、久須木和臣は呟く。

 

「―――これが、<LYL(リル)>か。意外に小さいものだな」

 

『正確には<LYL>の一部――制御モジュールで(そうろう)

 

 久須木の呟きにスピーカー越しで応えるのは、電子的に合成された野太い男性の声。時代がかった言い回しの端々に、外国人風の訛りが少し残っている。

 ゆっくりと振り返る久須木の視界に入ったのは、潜水艇『ヨタカ』と無数のケーブルで接続されている、全身を赤い装甲で覆ったリクガメに似た超小型有脚戦車(マイクロロボットタンク)<膝丸>。

 

『『蛇』の制御に必要な演算は、この研究所のメインフレームで行いまする。潜水艦に貧弱な電源では、必要な規模のシステムを運用できませぬし、不慮の事態にも対応できませぬ故に』

 

 演算自体は研究所で行う。宇宙船の制御と同じ要領だ。

 

「妥当な判断だな。システムの改良が進めば、『蛇』の単独運用もできようか」

 

 実力至上主義の久須木は年齢や性格をあまり人材登用の判断基準に入れない。

 広所恐怖症で有脚戦車に引き籠る小学生ほどの女子でも、それが通称『戦車乗り』と呼ばれる凄腕ハッカーで、プログラマーとしての実力は本物。この『クスキエリゼ』が<LYL>

と名付けた、特殊システムの要となる『人格を入れる器』を構築したのだから、その働きは称賛に値する。

 

 <レヴィアタン>と共に七つの大罪の象徴であり、楽園で(イヴ)を誘惑した『蛇』とされる<レヴィアタン>と同一視される―――それゆえか、最高の相性をもった存在。

 それが、世界最強の夢魔<リリス>。

 『夢魔』と言う種族はそれほど強力な魔族ではない。その精神支配が及ぶのは睡眠中の無防備な相手だけで、それも人間との交雑が進んで、純血の『夢魔』なんてほとんど残っていないだろう。

 <リリス>はその例外的存在で、凄まじく強力な精神支配力を持っている。吸血鬼のような不老不死性をもっているわけではないこの世界最強の夢魔は、転生という形で力を引き継がせる。先代の<リリス>が死ねば、『器』の適性を持った者に宿って、その彼女が次世代の<リリス>となる。

 そう、江口結瞳は、偶然、<リリス>に選ばれ、子供ながら『夢魔』に覚醒した者。人間から魔族になったその稀有な一例だ。

 

 元々、人間に迫害されやすい魔族である『夢魔』を魔獣調教に有効な手段として、久須木は積極的に確保(ほご)していた。その中に、偶然に両親から虐待を受けていた江口結瞳がいて、その彼女が<リリス>であると久須木に教えた“協力者”――太史局から、さらに『その<リリス>こそが、<生体兵器(レヴィアタン)>の制御装置として神々に生み出された存在である』という、推論を伝えられ、

 『クスキリエゼ』が総力を挙げて、この江口結瞳を核とした世界最強の魔獣の制御装置――<LYL>を造り上げたのだ。

 

「江口結瞳はどうなっている? 眠らせたのか?」

 

『半覚醒状態でありますな。リリス殿が意識をなくしては魔力の供給が失われてしまいます故。すなわち今の彼女は夢を見ておられるのでござる』

 

「なるほど、『夢魔』だけに、か。しかし、世界最強の夢魔が、こんな子供と言うのも皮肉だな。このような娘を生贄にするのを、心苦しく思わないわけではないが……」

 

『ですが、これはリリス殿が自ら望んだことでありましょう。そのために<LYL>は生み出されたものでありますので』

 

「そうだったな。ではせめて、彼女の犠牲を無駄にしないよう心掛けようか」

 

 この久須木和臣が“王”だとすれば、江口結瞳は“王”に力を与えるためにその身を捧ぐ“妃”といったところだろう。

 そう、不敵に唇を吊り上げた久須木へ、『戦車乗り』が仰々しい口調で訊ねる。

 

『そういえば、獣王殿の勧誘は失敗したようでござるな』

 

 途端、久須木は不敵な笑みを、不快気に歪める。

 

「あれは、“王”の『器』ではなかった。魔女の使い魔であることを許容し、誇りと言うのがない『獣王』などそこらのイヌと変わらんよ。今頃、『蛇の仔』<タラスク>のエサになってるだろう」

 

 <タラスク>の魔力波動により、第二研究施設のカメラは壊され、通信が途絶えてしまったが、その末路は想像できた。これまで何十と危険種の魔獣を屠ってきた世界最強の魔獣の因子を持つ先兵。それも薬により、死ぬまで戦い続けるように強制されている。それと一対一で立ち向かうなんて、先が見えてる愚行だ。賭け事(ショー)にもならない。

 

『ははぁ……六刃殿がご執心してる監視対象であります故、そう勝手をされると……恨まれますぞ』

 

「構うまい。我々に重要なのは<レヴィアタン>だ。それに監視対象がいなくなれば、妃崎攻魔官も楽ができるんじゃないか」

 

 再び、久須木が不敵な笑みを取り戻したその直後、『クスキエリゼ』の若いスタッフが駆け寄ってくる。タブレット型の端末を抱えた研究員の表情は、どことなく恐怖に引き攣っているように見えた。

 

「会長―――『蛇』の位置、補足できました。絃神島本島の南西、40海里付近。深度約400m。推定移動速度は毎時16Kt(ノット)だそうです」

 

 計画通りだ。

 やはり、<リリス>に誘惑されたか。神々の時代の生体兵器などと称されても、所詮は

魔獣(ケダモノ)。もっともそうでないと困るが。

 

「このままでは、30分以内に沿岸警備隊(コーストガード)の警戒網に補足される恐れがありますが―――」

 

「問題ない」

 

 不安げな研究員の忠告を一蹴すると、『戦車乗り』に確認する。

 

「『ヨタカ』の出発準備は済んでいるな?」

 

『モジュールの起動が終わり次第、何時(なんどき)でも』

 

 有能なハッカーからの頼もしい言葉に、久須木は純白の潜水艇『ヨタカ』へと飛び移った。

 『戦車乗り』も、電子演算を積んでいる有脚戦車との接続ケーブルを潜水艇から引き抜く。

 整備ハッチが閉ざされ、コックプット内に電源が入る。<LYL>のプログラムが起動(スタート)。核となる<リリス>を包み込むように配置された機械から低い唸るような音。水槽内に気泡が浮き、水着に似たピッタリとしたスーツを着た結瞳が苦しそうに身動ぎした。

 

 <LYL>とは、世界最強の夢魔<リリス>の能力を安定して引き出すために、江口結瞳の人格の一部を電子頭脳(コンピューター)に移植した人工知能。いわば、人工的に作り出した『仮想第二人格(ワイヤード・ドッペルゲンガー)』。

 そう。

 憤怒、憎悪、嫉妬、怨嗟、破壊衝動と自滅願望……受け継がれるたびに濃縮された<リリス>の負の感情―――その部分だけを取り出して電子的に濃縮した<LYL>が、江口結瞳を乗っ取ろうとしている。

 

「本当に自ら搭乗されるおつもりですか、会長? 十分な安全確認が、まだ―――」

 

「それは研究所に残るきみたちも同じことだろう? 40海里の距離など、奴にしてみれば、目と鼻の先だ。

 それに、“王”には“王”に相応しい乗騎というものがある。城の中に引き籠っている支配者に、民衆を熱狂させることはできんよ」

 

『相違ありませぬな』

 

 研究員を宥める、芝居がかった久須木の言葉に、『戦車乗り』が機嫌よく応じる。

 やはり、有能な人材は良いものだ。王国をつくるのに、絶対的な“王”の存在は必要不可欠であるが、それを支えられる優秀な部下がいなければ立ちいかないこともある。

 <LYL>のプログラム作成に大きく貢献した『戦車乗り』に、そして、<レヴィアタン>と<リリス>と言う貴重な情報をくれた協力者――六刃神官の妃崎霧葉。彼女たちは、今後も必要となるだろう。

 久須木は有脚戦車、それから接岸バースの奥からこちらを――冷たいほど――涼やかな眼差しで見守る、赤の上着(カーディガン)と黒の制服を着た若い女へ一瞥をやり、

 

「―――君たちの協力には感謝している。無事に『蛇』を手懐けることができれば、恩に報いることもできよう」

 

呵々(カカ)、気遣いは無用でござるよ、会長殿―――拙者には拙者の思惑があります故』

 

「正直だな。そう言ってくれれば、むしろ信用できるが。こちら側につきたいのならいつでも言ってくれ。私は、君たちを高く買っている」

 

 久須木が乗り込んだ純白の潜水艇は潜航を開始。青一色の世界が視界に広がり、そして、操縦席正面のメインモニタには、海中を悠然と泳ぐ『蛇』の影を映し出している。

 世界最強を、これから独占する。

 そうなれば、海上は久須木の絶対的な支配権となる。神々の時代の生体兵器に逆らえる存在などいるはずがなく、そして、島国である日本のライフラインすべてを久須木は抑えることができるのだ。

 その興奮にこらえきれず、つい久須木は獰猛な笑みを作り、独りごちる。

 

 

「では、行こうか、魔獣の王よ。かつての<忘却の戦王(ロストウォーロード)>に倣って、力を示せ。思い上がった人類に鉄槌を―――」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

『………行ったでござるな、六刃殿』

 

 『戦車乗り』は、久須木和臣にシステム管理で雇われている、わけではない。正式な彼女の依頼主は、太史局。

 潜水艇『ヨタカ』が海中に沈み、視界から消えてから妃崎霧葉は、有脚戦車の傍に歩み寄る。

 

「ごめんなさいね、久須木会長の相手をさせちゃって。でも、私、“これから出荷される家畜(ブタ)”に、なんて言葉をかけていいのか思い付かなかったのよ」

 

 だから、せめてもの慈悲で、『本当の生贄が誰なのか?』という真実を最後まで告げずに、“束の間の”、良い夢をみさせてやった、と。

 

 太史局は、久須木和臣が<レヴィアタン>を使ったテロ活動を画策していたのを知っていた。そう、<レヴィアタン>や<リリス>のことをこちらから教えるまでもなく久須木和臣は知っており、そして、最初から<リリス>を手に入れるために『夢魔』を積極的に保護していた。太史局に無用な警戒をさせないように無知を装っていたが、『<リリス>は、<レヴィアタン>の制御装置として神々が造り出した』ことなど、多少でも魔術を齧ってる人間なら推理するのはさほど難しくない。だから、長年<レヴィアタン>を求めてきた久須木和臣がそれを知らないというわけがなく、そしてそれをこちらに隠そうとしている。

 本来であるのなら、それが判明した時点で、未然にその計画を防ぐのが六刃神官の仕事なのだが、訳あって太史局の上層部の意向でそれを利用することとなった。

 だから、久須木和臣は騙していたつもりで騙されていたのだが、向こうも自身の目的のために江口結瞳を生贄にしようとした。きっと恨まれるだろうが、因果応報と受け入れてもらおう。

 

『しかし、獣王殿の件は残念でござったな』

 

「別に。あの子を、そう簡単に手に入れられるとは思ってなくてよ」

 

 むしろ、こちらの誘いをずっと袖にしておいて、“王”を詐称する“小物”に靡くものなら、自制心が利いたか怪しい。

 

「それに、“子亀”程度にやられるわけがないわ」

 

 久須木和臣は、『蛇』の遺伝子より造り出された合成魔獣<タラスク>に、<レヴィアタン>が進撃できない地上部分の制圧をさせようと考えていたみたいだが、それはあまりに夢見過ぎだ。

 世界最強の魔獣の細胞が使われているのだとしても、あれにはそれ以外の――余計な――魔獣の因子を複数も掛け合わせている。そんなせっかくの最高の遺伝子を薄めてしまった雑種で、親と同等の生体兵器になれるわけがない。しかも、あれはまだ生まれて間もない子供。相手にできるのは同レベルの知性の低い野蛮な(けだもの)。そんなのに太史局が認めた天性の魔獣狩り(モンスターハンター)である『獣王』に勝てるなど大言壮語も極まったものだ。

 

「その証拠に、『魔獣庭園』が静かでしょう?」

 

『おお、それは先から気になっていたのでござるが……あの御仁、やはり只者ではござらぬな』

 

 <レヴィアタン>が放つ強大な魔力の波動は、敏感に察知する魔獣たちにすれば、死の恐怖に等しい。接近すればするほどその恐慌は酷くなり、完全にモンスターパニックとなることだろう。人食いなど危険な習性を持つ獰猛な魔獣種の檻には脱走を防ぐ設計がなされているだろうが、人間に危害を加える恐れのない温和な魔獣たちまでも自滅することも厭わず一斉に暴走を始めたら、『魔獣庭園』のスタッフに、完全に抑えきれるものでない。

 300種のすべてとは言わないまでも、その半数近くは、庭園の外に脱走し、観光客ら一般市民に被害が出てきた。

 しかし、その予測を外れて、庭園(もり)は静かだ。普段通りというわけではない、そこで息を潜めてるような雰囲気。けれど、どの魔獣も逃げ出そうとはしていない。

 ―――そう、魔獣たちは『蛇』を察知するのと同じく、『獣王』の存在を感じている。この庭園の主人である人間よりもずっと、彼こそが自分らの“王”だとわかっているのだ。

 そして、圧倒的な王の威厳(カリスマ)に、民衆は戦争が起きようとも平静を保てるように、騒ぎは起きない。

 

「礼を言っておくべきかしら。魔獣たちの暴走に対する対策を、私たちは用意することができなかったから。おかげで来場者を避難させる余裕ができたわ」

 

 そろそろ沿岸警備隊が、<レヴィアタン>の接近に気付く。そして、すぐに避難勧告が出るよう“根回しは済ませてある”。おそらく、あの子の――いちいち監視を邪魔してくる、姑のような――飼い主である<空隙の魔女>が陣頭指揮を執ることになるだろう。空間制御を操る大魔女ならば、避難民を一人も取りこぼすことはないはずだ。

 しかし、

 

「……できるものなら、あなたも避難させたいのだけど。思った以上に藍羽浅葱は厄介なのよね」

 

『呵々、女帝殿は正義感が強いお方でござる。必ずや妨害してくるであろうな』

 

 電脳世界において敵無しの藍羽浅葱に対抗する術――時間稼ぎができるのは、凄腕の迎撃屋(インターセプター)として管理公社に非常勤(アルバイト)で雇われている『戦車乗り』リディアーヌ=ディディエしかいない。

 しかし彼女は、『カインの巫女』――<電子の女帝>と友人と呼べる親しい間柄らしい。なのに、『戦車乗り』がこちらの『『青の楽園』を含めての絃神島の破壊』などという計画に協力しているのは、西欧ネウストリアに本社を置く大企業ディディエ重工が、太史局上層部に同意したからだ。

 エリートチャイルドと才を見込まれて拾われ、英才教育を施された彼女は、本社の意向に逆らうわけにはいかない。

 

『ご心配召されるな、六刃殿。拙者、一度依頼を受けた以上、裏切るつもりはござらん。最後まで任を全うさせてもらうでござるよ』

 

「……そう、助かるわ」

 

『それに、女帝殿と本気で矛を交えるという体験はなかなか得難いものであります故』

 

 いつもの調子で、不敵に言ってみせる『戦車乗り』

 一部の業界で伝説的なハッカーとして名を馳せる<電子の女帝>を撃退することができれば、『戦車乗り』の名は一躍有名になるだろう。だから、こうして彼女と本気で戦う機会を、むしろ待ち侘びてたりする。

 

『この前の『彩昂祭』で、偶然にも仮想女帝殿と模擬戦ができる機会がありましてな。その情報を下に対策はすでに構築済みでござるよ。女帝殿のパソコンに残っている恥ずかしいポエムをばらまいてみせましょう』

 

「ふふ、頼もしいわね」

 

 六刃は、笑う。獰猛に。

 優しい顔はもういらない。

 ただ任務を果たすことだけを考え、そのために討つべき獲物のことを想う。

 

 

 

「なら、私は、南宮クロウを屈服させて、六刃神官の(ペット)にしてあげるわ」

 

 

 

つづく

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