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『暁の帝国』。
魔族による自治を認められた世界で四番目の『
かつて絃神島と呼ばれていた極東の『魔族特区』を首都として、日本政府との協議の上、独立国としての地位が認められている。
『大戦』で発生した『遺産』のおかげで土地面積はだいぶ拡張されているようで、20年前の4倍に人口は膨れ上がっており、400万人を超えている。
『最高技術顧問』の指揮の下で、かつての神代の時代の失われた超科学技術を回収しては蘇らせ、また彼の魔導技術大国北欧アルディギアとの交流もあり、世界的に1、2世代は進んでいる技術力を有し、保有している戦力も年若くも活躍し始める次世代の才媛たちを始めとし、領主を含めて『世界最強』の称号を冠するものが控えている……
「……『世界最強』なんて言われても、古城君もクロ君も普段は全然そうは見えないんだけどね」
実験機器が円周状に設置された部屋。
これは『暁の帝姫』の<天球の蒼>を、正確な時間と場所に移動させるよう、『電子の女教皇』が魔術的なサポートするために造られた実験室。
そこで、出立前にこれから行く“過去”を思ってか、帝姫の何気なく零した呟きを女教皇は拾い、調整しながらも話しかける。
「どうしたの零奈? 何か考え事?」
「いやね、萌葱ちゃん、世界最強の真祖と獣王があたしたちくらいの頃はどうだったんだろうなって。ママたちに領主として立てられてるけど、古城君、家では尻に敷かれてもいるし、シロ君をデコピン一発でノックダウンしたクロ君も、歯を抜かれるだけでギャーギャー騒いでたって言うし」
「まあ、二人とも普段はそんな偉ぶらないから。でも、いざとなったら母さんたちみんな古城君に従うし、
それと歯を抜かれるだけって、あれ、母さんと一緒にあたしも立ち会ったんだけど……那月ちゃんがわざわざ引っ張り出してきた拷問器具じみた魔具で締め上げてから、深森さんが解体器具としか思えない道具を使って喜々(鬼気)として引っこ抜いたのよ。『すごい金脈を発見したわ!』って大満足だったみたいで『またよろしくね娘婿君』って言われた時のクロ君にはあたしも目も当てられなくなったわ」
育ての親な女王様に抑えつけられる義理の息子をマッドなサイエンティストは存分に堪能できた一時。口の中を弄りながら、モンスターハントゲームで超稀少な素材採取に似た歓声を上げる叔父の義母であり、自分たちのグランマ。それはそれは楽しそうに楽しそうに楽しそうに……満喫する感じは、論理で封殺できるものではなく、もっと体感的な快楽や達成感と直結していたことだろう。
「あー……なんかそのときの深森おばあさんが目に浮かんできた。うん、想像するだけで怖い」
「でしょ。でもね、きっと零奈の想像よりもさらに上をいってると思うんだ。真面目な話あれ、古城君のように殺しても死なないか、クロ君みたいに十二の難行でも壊せないくらいでないとお陀仏」
「やめて萌葱ちゃん! わかったから! これ以上聞かされると、昔のクロ君に会ったら涙なしに見れなくなっちゃう!」
両手で耳を押さえてしゃがみ込んでしまう妹分に、女教皇はくすくすと笑う。
ちょっとばかり脅かし過ぎたか。いや、実際にあった話で、事細かに情感たっぷりに語り聞かせ、恐怖体験を誰かと共有したいと狙った気もなくはないけど。
「いきなり泣いちゃうくらいならいいけど、クロ君には気をつけなさいよ零奈。わかってると思うけど鼻がすごく利くし、思ったことをポンポンと口にしちゃう性格だから」
「うん、ちゃんとわかってるよ萌葱。“ネタバレ”はNGでしょ」
モノレール
『さようなら、姫柊』
そういって、槍を壊してしまった私から、先輩は背を向ける。
そこで、いったい私は先輩に何を言うつもりだったのだろうか。
でも……
『俺に必要なのはやっぱり―――』
ひしっと先輩は、同級生と熱い抱擁を交わして……―――この図はいくらなんでもあんまりだと思う。
天気は、快晴。時刻は放課後。
海岸線を走るモノレールの車体を、真昼の太陽が眩く照らしている。
「あー……眠……」
アルミニウム製の車両のドアにもたれて、暁古城は気怠げに呟く。
市内を循環するモノレールは、絃神島を構成する四基のギガフロートのひとつ――
「くそ、この島は秋冬になっても無駄に天気良過ぎるだろ……俺を焼き殺す気か……」
しかし古城は、変わり映えのしない普段着のパーカーのフードを目深に被り、車窓から射しこむ陽光を恨みがましく睨んでいる。
「もう、古城君しっかりしてよ。吸血鬼じゃあるまいし」
そんな古城を呆れ顔で眺めて、制服姿の凪沙が首を振った。冗談めかした妹の言葉に、古城がぎくりと顔を強張らせる。
古城が成り行きで『世界最強の吸血鬼』の力を手に入れてしまったことは、実の妹である凪沙にだけは知られてはならない秘密。魔族恐怖症である凪沙がそれを知ったら、おそらく彼女はひどく苦しむことになる。
「それにしても古城君たちはどうしてわざわざ繁華街に行くの? しかも雪菜ちゃんを連れて。あ、もしかして、古城君がデートに―――」
「ちげーよ。ちょっとした気分転換だ」
変な方向に推理を持っていこうとする妹を遮り、古城はやれやれと嘆息する。
「すみません、先輩。なんか付き合わせてしまって」
二人のやり取りを聞いていた姫柊雪菜が、遠慮がちな口調でそう言った。
凪沙と同じ女子制服姿、そして、背中に愛用の黒いギターケースを担いでいる。ただしその中に入っているのは、ギターではなく吸血鬼の真祖をも殺し得る破魔の銀槍――『
「ああいや、別に気にすんな。俺も偶には繁華街をぶらつきたかったしな」
古城が投げやりの口調で言う。雪菜は絃神島の地理に不慣れだろうし、おまけに一般常識にも少々疎い。それに高神の社ではほぼずっと修行漬けだった彼女にひとりで遊べと言われても、なにするかわからないだろう。
「それより、凪沙がひとりで繁華街行く方が心配だしな。流石に菓子につられて知らない大人についていったりはしないだろうけど」
「またそうやって凪沙をすぐに子ども扱いして! どうせ心配するなら、ナンパされるんじゃないか、とか、芸能界にスカウトされるんじゃないか、とか、そっちでしょ!」
古城の言葉に、凪沙は不満げに眉を吊り上げて反論。古城は妹の抗議に手をひらひらさせて適当に受け流す。
「はいはいそうだな。それで凪沙は、繁華街に何の用なんだよ」
「別に何でもいいでしょ、ふんだ!」
「拗ねるなよ……まさか、デートとかじゃないだろうな?」
「違うよ!」
「いやでもな、部活休んでまで凪沙がひとりで繁華街に行くなんて、そうないだろ……だから、ほら、チャットとかで顔も知らない相手に言葉巧みに誘われて今日会う約束したんじゃないかって心配……」
「もう、古城君は本当に凪沙を子ども扱いして! 出会い系のチャットなんてしてないし、古城君みたいにいかがわしいサイトなんて覗いたことないよ!」
「俺だってしてねーよそんなことっ! それと子ども扱いしちまうのは凪沙が子供だからだろうが。中学生なんて全然ガキだっつうの」
「もう、たった一年違うだけなのに高校生ってだけでそんな大人ぶるなんて。
……お買い物だよ。本土に行くための準備。服とか買うの。今年の正月は帰省するって昨日牙城君から連絡があったの」
「はあ? 親父から? なんだよそれ俺全然聞いてねーぞ」
「古城君はお留守番だから。絃神島の離島許可証はお安くないし、混雑するから年末の本土行きの航空チケットはお高いんだよ、よって、古城君の分は用意するつもりはない……ついてきたかったら自費でどうにかしろ大人な高校生って牙城君が」
「最後のはお前のアレンジが入ってるだろ」
「ふん。だから、繁華街に行って冬物を買い揃えるの。本土はきっと寒いだろうし」
「……この前、研修旅行に行くときにも、本土に行く準備したんじゃないのか」
「あれは秋。今は冬だよ古城君。一年中気候が変わらない絃神島にいると感覚鈍ってくるけど、秋と冬は大違いだよ」
「わかったわかった。……買い物なら買い物だって、最初からそう言えってんだ」
……と、兄妹のやり取り。いつもなら白熱する前に口を挟んでくれる少女が、蚊帳の外で、ぼうとしている。何か考え事しているのだろうが、ここまで無視しているのは珍しい。
「……なあ、姫柊?」
「え、は、はい何ですか先輩!?」
心ここに在らずな調子をあえて古城は指摘せず、
「俺たちもなんか服を覘いていくか?」
「いいね! 雪菜ちゃんの私服姿ってあんまり見ないし」
「そういやそうだな。姫柊って、大抵制服だし」
「高神の社は全寮制だったので、外出着とかほとんど持ってなくて」
「ええー、もったいないよ。雪菜ちゃんならいくらでもオシャレな服が似合うと思うのに」
ここぞとばかりにやる気に満ちた凪沙が、雪菜の服をコーディネイトに燃えに燃える。実際、凪沙がそう言いたくなる気持ちは古城もよくわかる。アイドル級の端整な容姿を持つ雪菜は、実に着飾らせ甲斐のある素材なのだ。
しかし肝心の雪菜本人は、あまり服選びに自信がないらしく、
「今日、繁華街に行くって決めてから、美波ちゃんに雑誌を借りて一応色々と情報収集を。最近の流行も調べてみたんですけど」
そう言って、ギターケースのポケットから真新しい雑誌を取り出した。今日の昼休みから短い時間ながらも、雑誌のあちこちに付箋を貼り付けたりして、雪菜の研究の跡を示している。
古城は感心したように軽く眉をあげ、
「へえ。ちょっと見せてもらってもいいか?」
「はい。このあたりのはどうかなって」
そう言って雪菜が指差したのは、白地にピンクの縁取りが入ったトレーニングウェアだった。
「おお! ルディダスのニューモデルか。いいよな、それ。軽くて動きやすそうだし」
「はい。UVカット機能のある生地ですし、強度と速乾性にも優れているそうです。それにリバーシブルなので一枚で二択着こなせるんです」
感嘆の息を洩らして同意する古城に、雪菜は嬉しそうに説明を続ける。
「こっちのスポーツタイツも結構良かったぜ。俺が使ったのは一個前のモデルだけど、膝や腰の負担がだいぶ減って楽だった」
「そうですか。では、それも試してみます。私も少し気になってたので」
と盛り上がる古城と雪菜。そこに微妙な表情を浮かべる凪沙が口を挟む。
「ちょ……ちょっと待って。ルディダスのニューモデルって、それ……ジャージだよね?」
凪沙の疑問に雪菜は、きょとんと小首を傾げて、
「……え?」
「え、じゃなくて。外出着を買いに来たんじゃなかったの? なんでスポーツウェア一択? オシャレな服は?」
「だから、お出かけ用のジャージじゃないのか? 本土にいた時はオレも冬はジャージによく世話になったし。それに洒落てるだろ、これ?」
不思議そうな表情で確認する古城。元バスケ部の古城にとって、外出着といえば当然ジャージ。冬物といえば断然ジャージである。そのあたりの感覚は、雪菜も同じだったらしいのだが―――
「いやいやいやいや、洒落てるって言っても所詮ジャージだから! 運動服だからね? 世の中には、もっと普通にオシャレな私服があるから! 二人とも思考が体育会系過ぎるよ……シンディもなんでジャージ専門の雑誌を雪菜ちゃんに貸し出しちゃってるの……きっと古城君が布教したりした影響なんだろうけど……」
頭を抱えて大げさに嘆く凪沙。妹に自分のファッションセンスを諸悪の根源みたいに全否定された古城は、苦々しげに唇を歪めて、
「……別にいいだろジャージ。機能的に優れてて、シンプルで洒落てるんだから完璧だろ。この前、『青の楽園』のお土産選びに悩んでいたクロウにアニマル柄のついたのを勧めたけど、すっげぇ喜んでたぞ。那月ちゃんや叶瀬やアスタルテの分も色違いのを買って、壬生狼のユニフォームにするんだって」
黒、白、青、と後輩自身の赤のを選んで戦隊ものっぽく。
もっともそれは、『可愛いは攻撃力』という主張の下、ゴスロリファッションを貫き通すカリスマ女教師に却下されたが。
「え、クロウ君が……」
と、数秒ほど何かを頭の中で想像する凪沙。
自分も同じモデルの違う色のジャージを着て、一緒に草原を走る……………いや、これ普通に徒競走になった。途中から一気においてかれる想像ができちゃったよ!
「……ダメ。ジャージが初めてのペアルックなんて、なんかイヤ」
ぶんぶんと
「こうなったら、今度浅葱ちゃんにクロウ君のファッションチェックをしてもらおう。浅葱ちゃんなら、古城君に布教されたジャージ教からクロウ君を考え改めさせてくれるだろうし」
「なんでそんな異端宗派っぽい扱いされねーとなんねぇんだよ。大体、浅葱の服も、あれが普通ってことはないだろ。
ついでにいうと、浅葱はクロウを『男の娘』に着せ替え人形にした前科持ちで、『波朧院フェスタ』の女装コンテストにエントリーさせたぞ」
「……たとえクロウ君がスカートを穿くようになっても、あたしは受け入れられるよ! 大丈夫! 問題ない!」
「やめろよ! それは絶対に間違った道だから止めてやれ! っつか、女装に理解できるくらい寛容さがあって、どうしてジャージはダメなんだよ!」
「とにかくあたしが一緒にいるからには、雪菜ちゃんには可愛い私服を着てもらうから。古城君だって、お洒落した雪菜ちゃんを見てみたいと思うでしょ」
「いや、俺は、姫柊の服なんかは別に―――」
有無を言わせぬ凪沙の気迫に、うっかり、古城は本音を漏らしてしまい、その瞬間、こういうときだけ会話を拾っていた雪菜の口元が、ピキ、と引き攣った。
「私の服“なんか”……“別に”……ですか。そうですか……(私のこと可愛いとか、水着が似合ってるとか、言ったくせに……)」
口の中で何やらを呟きながら、雪菜が冷え冷えとした気配を放ち始める。古城は底冷えのする悪寒を覚えながら慌てて首を振り、
「あー……そ、そうだな。折角だからジャージや制服以外の服も見てみたい……かな」
「そうだよねぇ。うんうん」
無邪気に目を細める凪沙に毒気を抜かれたか、古城を差す冷気はやや穏やかになる。
直後、古城たちの乗ったモノレールが減速を始める。次の停車駅――目的地に着いたのだ。車窓に映るのはショッピングモールの巨大な建物。十二月に入ったからか、屋上からぶら下がった垂れ幕には、『年末売り尽くしセール』、『王女御用達の人気海外ブランド』、『仮面聖女☆本日降臨♪伝説の幕開け!』の様々なキャッチコピーが躍っていた。買い物客で込み合う駅のホームを眺めて、凪沙のテンションが上がっていくのがわかる。
「……? 今、変なのがなかったか?」
「行くよ、雪菜ちゃん! 古城君も! 早く買い物済ませないと始まっちゃう!」
モノレールのドアが開くや否や、凪沙は真っ先にホームに飛び出した。
小さくなる妹の背中を見失わないよう目で追いながら、古城は深々と溜息を吐く。どうやら今日の買い物は、中々ハードなことになりそうだった。
「……あの……先輩は、もし私がいなくなったら……どう思います」
凪沙が離れて、古城もホームに降りたとき、雪菜が躊躇いがちに古城へ訊く。
「? なんだよ唐突に?」
「え、っと……なんとなく、なんですけど……どうなんですか?」
やや食い気味に、古城に詰め寄る雪菜。
ただ今二人がいる場はモノレールの出入り口の前近く、他の乗客の邪魔になる。それに、先に行った凪沙のことも気になる古城は、深く考えたりせず、思ったことをそのまま適当な調子で答えた。
「あー……研修旅行なんかでいないときもあったし、いろいろ楽になっていいんじゃないか」
お互いに、と最後は欠伸交じりに。
その雑な対応に、むっ、と雪菜はしかめて、
「そうですか。いない方が良いですかっ。わかりましたっ」
ふんっ、と古城を置いて早歩きで先を行ってしまう。
「おい、別に俺はいない方が良いとか言ってるんじゃなくてだな。毎日、仕事してる姫柊が大変だなとか」
「どうせ先輩はクロウ君と一緒にいる方が楽でいいんですよねっ!」
「なんかその言い方含みがあって聞き逃せないんだけどっ! そりゃまあ、あいつはいると気楽だが」
―――その分振り回されるから大変さは、姫柊とどっこいどっこりだ、と古城は続けるつもりだったのだが、そこで雪菜はすいすいと人を避けてとっとと先を行ってしまっていた。
「やっぱり、先輩は―――!」
「おい待て! ちょっと足を止めて真剣に話し合おうか姫柊!」
早歩きの速度を上げる雪菜を人混みをかき分けて追う古城。
その追いかけっこは、改札口前でちゃんと待ってた凪沙に見られるまで続いた。
人工島西地区 リディアン絃神
「ここが『リディアン絃神』……ですか」
ショッピングモールの入り口に立って、雪菜は呆然と店内を眺めている。
『リディアン絃神』は、人工島西地区の郊外に建つ大型商業施設だった。総店舗数は336。ガラス張りのドーム屋根に覆われたモール内には、各種飲食店と小売店、病院や美容室、家電量販店などがぎっしりと建ち並び、一個の街のような堂々たる威容を誇っている。
「こういう人の多いところは、普段あまり寄らないんだけどな」
世間から隔離された獅子王機関の養成施設で暮らしていた雪菜にも、この未来的で華やかなショッピングモールは、異世界も同じことだろう。人混みが苦手な古城もあまり得意ではない。こんな騒がしい店内で、延々と女子の買い物に付き合わされるのかと思うと、それだけでドッと疲労が押し寄せてくるよう。
一方、相変わらず元気なのは凪沙であった。いきなりテンションの下がった古城に、何やら沈む雪菜を励ますように、弾むような足取りで前を歩きだし、
「イマドキのショッピングセンターは、これぐらいは普通だよ。若者向けの服なら、ここが一番安くて品揃えが良いんだよね。
古城としては、おすすめスポットは通路脇に置かれたベンチで、買い物が終わるまでそこで休んでいたい。
とはいえ、猫師匠に頼まれた手前、荷物持ちでもなんでも古城もついていかないといけないだろう。
「……つっても、女物の服の売り場とか、できれば近づきたくないんだが……」
「まあまあ、そう言わずに。あたしや雪菜ちゃんに来てほしい服があったら、リクエスト聞くだけ聞いてあげるから」
「ねーよ、そんなもんは。姫柊だって、服ぐらい自分で選びたいだろ。本人の好きにさせてやれよ」
「うーん……そうかなあ……」
ノリの悪い古城の態度に、むーっと頬を膨らます凪沙。その凪沙に手を引かれて歩いていた雪菜が、何かに気づいて不意に足を止めた。
「あ……」
「どうした? 何かいい服でもあったのか?」
驚きの表情を浮かべている雪菜に、古城が怪訝な口調で訊ねる。すると雪菜はキラキラと目を輝かせて頷いて、
「はい。限定発売のネコマたんTシャツが……! もう手に入らないと思ってたんですけど!」
「う……」
彼女が見つめているTシャツに気づいて、古城は表情を険しくした。
雑貨屋の店頭に置かれていたのは、マヌケなマスコットキャラを胸にでかでかとプリントした、どぎついショッピングピンクのシャツである。控えめに言ってもかなりダサい。
しかし雪菜はそのデザインを、いたく気に入っているようで……
「―――ああ! 隣にあるのは、まさか、幻の黒ネコマたんホットパンツ!?」
何かに魅入られたようにふらふらと歩きだす雪菜。それに不安そうな表情を浮かべて、凪沙が古城に訊く。
「古城君……ホントに雪菜ちゃんのセンスに任せても大丈夫だと思う?」
「そうだな……」
俗世間より離れて育った、この監視役の感性は一般人とは多少ズレているのかもしれない。
頼りなく肩を落とす古城を他所に、雪菜は早速のマスコットキャラの上下一式をもって、胸に抱きしめている。
しかし展示されていた商品を見る限り、明らかに彼女のサイズよりも胸回りが大きい。買い物慣れしていない雪菜はそれに気づいてないようで(しかしそれを指摘すると変なレッテルを張られそうだ)、挙動不審になりながらも近くの店員を呼び止めて、試着室の場所を尋ねていて……
「……まあ、でも、少しくらいはしゃぐのもいいんじゃねーか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『―――今日の姫柊は、気が抜け過ぎだぞ』
言って、自分の眼前に寸止めした拳を引く厚着の少年。
近頃、幻術を用いた『精霊相撲』も彼には効きづらくなってる。互いに同程度の実力を有した相手との実践稽古を求めて始めたこのやりとりも、今では差が付き始めている。普通の人間以上に優れた身体素質を、<四仙拳>の達人に鍛えられ、段違いの基礎能力の土台が組み上がっている彼は、それこそスポンジが水を吸うように相手から技術を吸収していっているのだろう。
もちろん、全て学習しているというわけではなく、槍の演舞を見せても武器は振ったり突いたりくらいしかできず、特に式神の扱いは師家様がいくら教えても使い物にならないと匙を投げられているくらいだ。
ただ、式神や武神具が扱えない分だけ、『八雷神法』や『八将神法』を磨いており、他にも多様な武技を取り込んでいっている。才能においては、剣巫よりも体術に尖っている、と師家様は評している。
『そうだね。坊やの言う通りさ。雑念が入ってる。こんなんじゃ稽古にならない。今日はもうやめにした方が良いね』
加えて、集中を欠いてる状態で、彼の相手になるわけがなかった。
この不甲斐のなさに申し訳なく、わざわざ昼休みに学校の屋上に来てもらってまで、稽古をみてもらっている師家様にも、組手相手の彼にも頭を下げる。
『……前に<雪霞狼>を預かった時にも思ったけど、大分、持て余してるねぇ』
師家様の式神の黒猫が、顔を洗い擦るように手を顔にやったような、人にしてみれば思案するポーズを取ってみせ、何か思いついたのか尻尾を軽く揺らして、
猫目の細めた視線を観客の先輩へやる。
『第四真祖の坊や。ちょいと、雪菜をデートに誘ってやってくれんかね』
「……はあ」
深く、息を吐いた雪菜。
まるで逃げるように、このひとりきりになれる試着室に飛び込んだ。
不調の原因は、わかっている。今朝の夢。そう、これは自分の心の問題。なのに、心配されて、先輩にはこうして迷惑をかけてしまっている。
早くどうにかしないと、とは思うのだが……
(でも、お互い楽だなんてっ。先輩、私が目を離すとすぐにいい加減な生活を始めてしまうくせに。それにしたって楽って何ですかっ。もう少し言いようがあると思うんですけどっ)
バヂンッ! と考え事していたそのとき。
「―――っ!? 誰っ!」
剣巫の霊視にも察せなかった突然の異変。背後で、何か気配。空間転移、とはまた違う、この『魔族特区』において五本の指に入る魔女のみせる、水面から浮かび上がるような感覚とは程遠い、空間を引き裂くに似た現象か。いずれにせよ、突然現出した物体が空気を押しのけ、凄まじい紫電の如き魔力の余波が生じて、こちらの背中を押して―――その物体が雪菜が振り向くよりも速く迫って、一気に撥ね飛ばしたことだけは事実だった。
「かっ―――」
完全な、不意打ち。
脇腹から抉り込む痛烈な掌打は、雪菜の意識を刈り取るに十分な威力があった。
「―――えっ! うわ、これって、限定発売のネコマたんTシャツ! 今ではビンテージものの超プレミア! しかも、幻の黒ネコマたんホットパンツまで!? お宝発見だよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
キャーッ、という人々の絶叫。
騒ぎが起きたのは、ショッピングモールの中央の屋内広場だ。仮設ステージに集まった群衆を中心に、どよめきにも似た悲鳴と歓声が上がっている。
「な、なんだ!?」
通路の手すりから身を乗り出して、古城は広場の様子を窺った。
いかにも悪の幹部が着てそうな黒のロングコートを着た女が、ステージの上に立っている。その吸血鬼の身体的特徴である赤い瞳に、絹のように艶やかなブルネットの髪は、古城がおぼろげながらも思い出す、ある純潔貴族の女吸血鬼の像と重なっている気がしなくもないが、本人かどうかは定かではない。
そして、その背後には、全長2、3mくらいはありそうな大亀。獅子の鬣やら牛の双角やら様々な動物の要素を取り込んだような、自然には存在しえない魔獣……の張りぼてと思しきもの。この前、『魔獣庭園』にて本物を観てきたから、なんとなくあれが偽物であるとわかる。
『オホホホホ、動かないで! この広場は我々『獄魔館』が征服したわっ!』
司会役の女性からマイクを奪って、女幹部が宣言する。それを聞いたステージの観客たちが、おおっ、と大げさにどよめいた。
『抵抗しても無駄よ。もし我々に逆らうものなら、この女の心臓をいただくわ!』
わざとらしく悲鳴を上げる司会役の女性に、女幹部は銀食器のナイフを左胸にあてる。そして、指を鳴らすその合図に、ノリノリでステージの各所から全身タイツに骸骨風のマスクをかぶった戦闘員たちが観客を脅して回っている(ついでに魔族喫茶二号店の宣伝チラシも配りながら)。
「ったく……騒々しいと思ったら……」
一瞬、本気で警戒してしまった古城は、がっくりと落胆して手すりに突っ伏した。何かと思えばショッピングモール主催のステージイベントだったらしい。
中々盛況なようで広場に集まっている見物客は、500人を超えてる。そのうちの半数ぐらいが子連れのファミリー層である。通りがかりの買い物目的の客もいただろうが、スピーカーから流れるBGMの音量が大きいので、どうしても子供の目が向いて、足を止めてしまう。そして怖がらせようと、大きな身振り手振りに、高らかに台詞を語り奮闘する女幹部に、子供たちの反応は様々で、それを笑う者もいれば本気で泣き出す者もいる。我が子のそうした様子を親たちは後ろで見守っていた。大人たちは本当に広場が占拠されたと思っているわけではない。これが
『魔族特区』の住人にこの手でのものは慣れたもので……
「ああーっ! もう始まっちゃった! ごめん、古城君、ちょっとあたし行ってくる!」
「おい、凪沙!」
呼びかける古城をおいて、走り出す凪沙。中央広場の観客席へ行ってしまった妹に、『ったく、中学生になってもこれだから、凪沙の奴は子供なんだよ』と古城は嘆息。しかし、妹がこの手のヒーローショーがそんなに好きだったとは思わなかった。今から無駄に体力を使って妹を追いかけるのも面倒で、小学生くらいの子供たちの騒ぐ観客席に混ざるのも恥ずかしい高校男子。手すりに肘をおいて、ステージ全体を見渡せるこのままの位置で、古城は待つことにした。
そうして、ステージの上に戦闘員たちが幼い子供たちを連れてきたところで、いよいよヒーローが登場か。
『皆さんに乱暴をするのはやめてください!』
ぶほっ!? と思いっきり古城は口から噴いた。
たった今、ステージ上に現れたのは、シスター。修道服を着た、銀髪碧眼の神々しいまでの美少女だ。その神が自ら手掛けた至高の作品と言っても疑問を抱けないような、端麗な容姿に圧倒されてか、観客の大人たちまでも息を呑んで、場が沈黙する。
そんな静寂が舞い降りた舞台に、シスターは懸命に、女幹部に訴える。
『お願いです、カルアナさん。皆さんを開放してあげてくださいでした』
『それは無理な相談よ、カノン―――いいえ、仮面聖女!』
『私たちは争い合う運命にある』と謳い上げる女幹部との対決は避けられない。それでもできるなら平和な道を選びたいと話し合いを呼び掛けた修道服の少女は、『中等部の聖女』と呼ばれてる彩海学園の後輩で、彼女の親友である凪沙を通じて古城も知り合った、叶瀬夏音。
何故叶瀬が!?!?!? と古城は混乱しながらも、『ああ、だから、凪沙が、今日ショッピングモールに来たのか』と納得。
そうしてる間にも劇は進み、説得は無理だと悟らざるを得ない状況に、夏音は修道服の胸元に飾られたロザリオを掲げ、
『願い……思い……そして、私の信じる心を形にする―――院長様、お願いでした。仮面聖女☆変身!』
カッ!!! と閃光が瞬き、観客の目晦ましをしたかと思ったら―――姿が、変わっていた。
眩しさに細めた目を開けたら、少女は、修道女ではなくなっていた。
肌を極力隠す白い修道服。
その腕を手首まである袖がなくなったかと思えば、長手袋風の手甲に変わり、足元まですっぽりと隠していた裾が短く、フリル満載のミニスカートで、でも脚にはロングニーソ風足甲が装着されている。修道服は銀の胸当て付きのゴスロリ風ドレスになって、そして、顔は猫をモデルにしたマスクに覆われている。
実際の露出具合は、修道服からあまり減ってなくて控えめなのかもしれない。しかし、ビフォー・アフターの衣装の布地面積が実際にはそれほど変わっていないのだとしても、心象的な防御率が著しく下がっているとでもいうか。なんというか、全体的に鋼の魔法少女ってうたい文句がぴったりっぽくなっているのだ。
そして、ロザリオから変化した十字のステッキを構えて、ビシッとポーズを決める。
『ミラクル☆カノン♪ 行きます―――!』
いったいどうやって一瞬で早着替えしたのだとかいろいろと気になる。だがそれよりもさっそく始まった夏音のアクション。てっきりそのステッキを振って何か演出するのかと思えば、
『重く、鋭く、激しく! 拳を解放しました! ―――鉄拳聖砕カノン♪ブレード!』
そして、『
リアルなファンタジック・アクション(物理)が終わると、『くっ、次こそは見てなさい仮面聖女!』とお決まりの捨て台詞を吐いて、舞台から霧となって退散してくれた。
「うわぁ……
とそこで感嘆の声が横から聴こえ、隣に誰かいることに古城は気づく。
見れば、そこにはネコマたんTシャツと黒ネコマたんホットパンツを履いた少女――姫柊がいた。
「おい、いくら気に入ったからってその場で着替えたのかよ姫柊」
「だって、ネコマたんすごくいいじゃない、古城君」
「は? 古城、君……?」
はしゃいだ笑顔を見せる雪菜は、そこで、あ、つい条件反射で、とでもいうかのように口元に手を当てる。
そして、急いで背筋を伸ばし、改まって、
「すみません。失礼しました、暁先輩」
「いや、別に俺の呼び方とかどうでもいいんだけどな。まあ、それくらい元気が出てんならここに連れてきた甲斐があったもんだ」
「へ……」
ぽかん、と固まる雪菜。
「どうした姫柊?」
「あ、いえ……聞いてた話と違うなー、って……」
そう雪菜は前に両手を合わせ、こちらを上目遣いで覗くように、訊ねる。
「あたしたち、普段からこんな風に仲良くしてました?」
「ええぇー……」
そういうのを当人に訊くのだろうか?
微妙な表情を浮かべる古城に、雪菜は言う。
「だって、これって、デート……なんですよね?」
流石にそろそろストップをかけた。
雪菜の肩に手を置いて、古城は確認する。
「姫柊、本当にどうしたんだ? 監視役だっつって俺について回っているのは姫柊の方だろ」
「あたし、が……?」
言わないが、任を真面目に取り組み、頑固なところのある雪菜は古城から目を離さぬようひとりで単独行動することはできないと思っている。こうして古城が繁華街に行かない限り、監視役の雪菜も行けないのだ。だから、古城が連れて来なければならなかった。
「……その、たとえば、一緒に登下校したり……とか?」
「今朝もこの放課後もそうだろうが」
「もちろん、血を吸わせたりとかもしましたよね?」
「そ、それは仕方がなかっただろ! 俺が死にかけたりとか、いろいろやむを得ない事情があって」
そんなことは言わなくても監視役の雪菜にはわかっている話だ。さっきからこの奇妙な問答はなんなのだと古城が焦りつつも訝しんでいると、腰に手を当てた雪菜は鬼の首を取ったような笑みを浮かべていた。
「ほっほほう……まあそんなことだろうとは思ってましたけど。まったく、あたしには結婚するまで
「姫柊……」
いきなり訳知り顔で呆れられてしまう古城。
本当に彼女とはよく話し合った方が良いかもしれない、と考えたところで―――またスピーカーからテーマ曲と思われるものが流れ出した。どうやらショーは終わったらしいが、子供たちはステージ前から散る様子もなく、そうしている内に列ができ始めていた(記者会見でもしてるかのように、特撮マニアっぽい大人たちから途切れることなくシャッターフラッシュが焚かれている)。
列の先頭には、戦闘衣装そのまま聖女が立っていて、握手会が始まった(その列の中に、妹の姿を古城は見つけた)。
「ふぁ~! 夏姉と握手会やってるんだぁ! どうしましょ先輩! 今から列に入ってもできますかね!」
「おいおい。姫柊までああいうのに憧れたりしてんのか?」
「だって、先輩、夏姉はすごく可愛いです! 美人だし! 綺麗だし! いい匂いがしそうで、美人だし! 本当に夏姉は昔からすっごく―――う……」
何か妹を彷彿とさせる早口でテンション高く語り始めたかと思うと、唐突に、口元を覆って蹲る雪菜。青ざめた顔でその場に膝を突き、小さく肩を震わせる。
「おい、どうした?」
「すみません。ちょっと興奮してしまったみたいで……」
呼びかけにこちらへ上げられた彼女の顔。それを見て古城は息を飲んだ。
その口元を折った手の指の隙間に覗く、鋭く尖った犬歯。そして、隠しようのない、血のような赤色に変わった瞳。
一瞬、古城は自分の目を疑った。
しかし、この“生理現象”は確かに起きている、雪菜の身に―――いや、これは……
「っ!」
気づかれたことに、気づいたか。途端に立ち上がった“雪菜”は古城の手を振り払って、駆け出す。
「待て、姫柊!」
古城もすぐそのあとを追いかけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前に、聞いたことがある話。
それは確か、研修旅行が終わったあたりの時期だった。
いきなり姫柊雪菜が、凪沙を『凪沙おばさん』、浅葱は『
その後、この話は『姫様のドッペルゲンガー』と彩海学園の七不思議のひとつに加わり……
ショッピングモールの屋上。天気も良く晴れ渡り、溢れんばかりの人だかり。親子連れやカップルがほとんどを占め、とにかくここも活気に満ちていた。買い物を楽しもうという笑顔がそこかしこに見られる。その陽気からは外れた、人気のない場所にあるベンチ。そこに座り、貸したハンカチを鼻に当てた彼女は、どうやら衝動が去ったようで、そして、古城もようやく違和感に納得することができた。
いつもと違う様子の姫柊。それも当然だ。何故ならこの少女は……
「すみません、先輩。もう落ち着きました」
「……吸血衝動」
ぽつりと零した古城の一言に、彼女も悟る。
観念したような、けれどどこか悪戯っ気のある笑みを浮かべた。
「あは、バレちゃいました?」
「お前、姫柊じゃないな。何者だよ?」
「一応、あたしも『姫柊』なんですけどね。え、と……旧姓『姫柊』みたいなかんじで」
うまいこと言ったみたいなドヤ顔を浮かべられた。
そんなので誤魔化される古城ではないが、それ以上の身の内は明かせないという雰囲気を察した。口数はやたら多いみたいだが、それも余計な一言ばかりで、肝心なことは何も言っていないことから、その口も堅いのだろう。
どうするか、と古城が困ったところで―――きつめの声が飛んできた。
「―――先輩、下がっててください!」
制服姿の雪菜が現れる。
人目がつかない場所とはいえ、既に彼女は黒いギターケースから銀槍を取り出しており、こちらに向けて構えてこそいないが、その双眸は鋭い。
間違いない。
「あっちが、本物の姫柊か」
「ご無事ですか、先輩」
古城の容体を心配しながらも、意識は“偽者”から外すことはない。
二人同じ場所に揃ったところで見れば、その違いもすぐ見分けがついた。
彼女たちの容姿は、どちらともまだ幼さを残しているが整った顔立ちをしていて、細身で華奢だが、儚げな印象はない。むしろ鍛え抜かれた刃のような、しなやかな強靭さを感じさせる。
しかし雪菜が穏やかな亜麻色の瞳に対し、“偽者”の目は、少し青みがかかっている。
そして、スタイル……先ほど雪菜が着るにはサイズは胸元大き目と見ていたTシャツが“偽者”にはぴったり合っている。
古城は一度、雪菜の方にも視線をやってから、頷いて、
「それでこそ、姫柊だよな」
「なんだかとても失礼なことを言われた気がしますけど、追及は後にしておきます」
口にはしなかったのに視線で悟られたか。
うげしまった、と古城がたじろぎ、それに同意するよう“偽者”の彼女も、
「あっちゃー、もう気が付いちゃったの?」
「離れてください先輩。彼女は私が相手します」
やる気だ。
数ヵ月過ごして『魔族特区』の環境には慣れてきたようだけれど、初めて会った時に雪菜が痴漢の容疑で魔族を吹っ飛ばしたことを古城は覚えてる。
あの時と同じ、そんな物騒な気配が滲んでいるのだ。このままだとあの少女もやられてしまう。相手は同じ吸血鬼であるようだが、今度はホスト崩れの野郎ではなく、後輩によく似た少女だ。様子見などしてる場合でなく、また彼女のことをほうっておけない古城は割って入って、
「相手って、ちょっとお前のフリをしたくらいだろ」
「そのネコマたんTシャツと幻の黒ネコマたんホットパンツは私のです!」
「怒りのポイントってそこかよ!」
そのマスコットへのセンスは古城に理解しえないものだが、こだわりが相当強いということだけは理解した。が、
「そんなので槍を持ち出してんじゃねーよ。売り場に行けばまだ在庫処理の売れ残ってるのがあんだろ」
「在庫処理の売れ残りってなんですか! 他のどこにも置いてなかったのを、ようやく見つけたんですよ」
「そうだよ古城君。このネコマたんTシャツと幻の黒ネコマたんホットパンツは、ファンクラブ『ネコマ団』でもなかなか手に入らない超プレミアモノなんだから!」
「しらねーよそんなの! つか、お前もなんで姫柊に同意してんだ!?」
容姿だけでなく、センスまでも似通っている二人。
しかし価値観が理解し合えたところで、事態は解決しないのだ。
「<雪霞狼>―――!」
未展開に留めていた銀槍のロックを外す。
槍の柄が勢いよくスライドして長く伸び、格納されていた主刃が穂先から突き出した。まるで戦闘機の可変翼のように、穂先の左右に副刃も広がる。折り畳み傘を開くように一瞬で、原始的な刺突武器でありながら、洗練された近代兵器の外観へと変形を終えた。
そして、展開された銀槍を突き付けられた『自称旧姫柊』は、頬を引くつかせて、後逸する。
「ちょっと待って! ネコマたんのことは謝るけど、一応、事情があるの! だから、あたしの話を―――」
「問答無用です!」
雪菜の攻撃的な目つきに睨みつけられ―――“偽者”はびくつくのをやめた。冷や汗をかかせる恐れよりも、このふつふつと温度を上げてくる怒り、反抗心、これまでマグマだまりのように溜め込んでいた鬱憤がここにきて爆発したか。
「………やっぱ、こうなんじゃん」
両手を細い腰に当て、鼻から息を吐いて、雪菜の鋭い眼差しを真っ向から睨み返す。
そして、視線は固定したままだが、話が通じないと雪菜の相手を諦めたか、彼女は古城に話しかける。
「ねぇ、古城君。そこの人が一回怒ると全然話を聞かなくなるのって、このころからずっと?」
「あー……まあ、ちょっとそういうところもあるかもな」
「先輩!」
正体不明の輩に同意する古城に雪菜の叱責が飛ぶ。
「あ、ああ。でも、なんか事情あるっていうし、話聞くくらいならいいんじゃないか?」
古城の説得に、しばらく槍を構えたままであったが、ひとつ嘆息すると雪菜は構えを解いた。けれど、冷ややかな眼差しはそのままで、淡々とした口調で詰問を始める。
「わかりました―――説明しなさい」
「なによ偉そうにっ。そんな風にいつもガチガチだから!
……今のうちに教えておいてあげる。『固いものほど壊れやすいし、周りも壊しやすい』んだからね」
やや過剰に反発してるようだが、この少女の文句にはどこか雪菜を気遣うような響きをどうしてか古城は感じる。
しかし、生真面目な性格で、今の頭に血が上っている状態にある雪菜にそのような感情的な判断はもちこまないし、感情的に吐いた言葉などうけとらない。
「……ご忠告、ありがとう―――言いたいことはそれだけですか」
口調こそ丁寧であるも、剣呑な光を目に宿す雪菜。一方、険悪な雰囲気の少女の方も、喧嘩腰な態度を止めない。
「ま……まあまあ、二人とも、ここはとにかく冷静にだな―――」
板挟みにある古城が困り果てた、そのときだった。
空が唸る。
暴威のような殺気が一帯に、そして突然、ばら撒かれた。
「なっ―――」
ショッピングモール屋上の上空。
快晴青空に、その黒々とした威容を晒す巨大な飛竜が、出現した。
「ちっ、やっぱり来たのね……!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の昼頃から、違和感を覚えていた。
他の誰も気づいていないようだが、地の底で、何かが無理矢理に押さえつけられ、牙を突き立てられて悶えているような、震えを察する。
主人にはもちろん
けど、人間には聞き取れないかもしれないが、その超低周波の唸り声を、この近くに知覚した。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
わざわざ見に来てくれた同級生の直前でいったん抜け、“彼女”に後を任せると、急いでその発信源の下へ向かう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
体高3m、全長8mはあろうかという巨躯。すらりとして、たくましい。無骨な手足、爪、翼には威厳すら備わっている。
「なんだあれは!?」
「おそらく魔獣です!」
チロチロと舌のように、魔竜の咢から光がのぞく。魔竜が咆哮すると、大気が震え、突風が吹いた。その五体には膨大な力が漲ってる、圧倒的な力感を放つ強敵だと本能で理解する。
そして、それを見る眼差しに動揺と緊張、そして敵意のスパイスを入れている姫柊雪菜に似た、謎の少女。
「おい、お前、アイツについて何か知って―――」
「危ない!」
古城が謎の少女に問い掛けようとしたが、そのとき、怯えて逃げる他の客らを無視してこちらに――<第四真祖>という強大な魔力源へと向けられていた魔竜の赤い目が光る。
その兆候を察してすぐ、少女はこちらを突き飛ばして―――古城は自分が救われたことをすぐに悟る。
魔竜の尾の先端が、中途で、消えている―――同時、古城を咄嗟に突き飛ばした少女の腹が突き破られた。
「がはっ……」
赤い。大量に赤い体液を吐き出す、姫柊雪菜とよく似た少女。
その瞬間、比喩ではなく、古城の世界は暗闇に呑まれた。
光も、音も、何もかもが消え失せる。肉という肉が鉛に置き換わったかのように、重く、ただひたすらに重く、古城の上にのしかかった。
ずちゅり、と尾が腹から引き抜かれて、少女の身体が頽れる。
「―――」
先輩! と後ろから叫ぶ声。
それは聞こえていたが、考えられなかった。ただ真っ白、いや真っ赤になった思考の中で、血塗れに倒れ伏す少女の
しかし、そうしてわざわざ監視役から離れて、前に出てきてくれた恰好の
再び、尾が途中で消失し―――古城の目前に先端が顔を出す。先端は蕾が花開くように割いては、人食触手と化して古城の肩に食らいついた。
「ぐぅっ!?」
反射的な抵抗、すらできないほどに、体が弛緩する。
がくがくと、膝が震える。
いいや、それどころか、まるでフルマラソンでも終えたばかりのような疲労感が古城の身体をどっぷりと浸していた。
吸われている。無限の“負”の生命力を持つ吸血鬼でなければ、秒で枯渇して干乾びるほどに、食らいついた尾より、<第四真祖>の魔力を吸収している―――!
どごんっ、という爆発音とともに、青白い閃光が弾け飛ぶ。
膨大な魔力の放出。爆風とも呼ぶべきそれを、全身から噴き出して、周囲の空気を吹き飛ばす。そして、撃発された弾丸の如く疾駆して、屋上へと駆け付けた影。
「え!? 夏音ちゃ―――」
雪菜の目に飛び込んできたその人影の正体は、鋼の魔法少女をイメージしたようなコスチュームを着た、叶瀬夏音だった。
彼女は雪菜が制止をかけるよりも迅速に、古城に食らいついたまま飛び立たんとする魔竜に迫る。
『
突然の声。すぐに夏音は空へ羽ばたく魔竜へと“喋る十字の
その先端に生じた眩い輝きに、魔力を吸われながら古城は本能的な恐怖を覚えた。その輝きを古城は前にも目にしたことがあるのだ。
それは単なる魔術の光ではない。錬金術の物質変換によって生み出される危険な輝きだ。青白く放電する稲妻が、巨大な砲身のように仮面聖女の眼前で螺旋を描いて―――
閃光を放った。
凄まじい熱量と膨大な電磁波を撒き散らす灼熱の光の刃は、重金属粒子のビーム砲撃だ。
その砲撃は亜光速にも達して、魔竜に的中。その翼に風穴を開けて撃ち落とす。落下の衝撃に、尾に貫かれていた古城は解放される。
また今の一撃は、古城を救出するだけでなく、屋上にいた客たちにも影響があった。泣き叫んでいた子供たちも、ドラゴンをビームで倒すという光景は、泣くのを止めてしまうほどの感動があったのだろう。また、パニックになっていた大人たちも一瞬とはいえ感情を上塗りするほどの感動にまた、落ち着きを取り戻していた。子供たちを連れ、すぐ屋上から避難する。
そして、閃光の余韻が晴れた時―――その魔竜は復元していた。粒子砲に撃ち抜かれた深傷も、塞がっている。
「くそ……こうなったら―――」
今のビーム砲撃以上の一撃となると、『世界最強の吸血鬼』が召喚する災厄に等しき眷獣の一撃しかない。
しかし、それを古城を護るよう、そして制止をかけるように前に出た監視役が古城が腕を振り上げることを諌める。
「ダメです先輩!」
「けど……!」
「その状態で眷獣の制御ができるんですか? それに場所を考えてください。暴走しなくても先輩の力は周りを巻き込んでしまいます!」
雪菜の指摘に、古城は押し黙るしかない。
大量の魔力を一気食いされた状態で、ただでさえ力を抑えるのが難しい<第四真祖>を操る。それは人の身長よりも巨大な箸を、突き指した状態で豆粒をつまむような難事に等しい。そして制御を誤れば、今ここで避難している客たちを巻き込む。
古城が召喚を踏み止まったところで、雪菜は少女を見る。
「院長様……」
「うぬ、これは……」
古城を救出してすぐ、夏音は転がっていた少女を回収して、そのビームを放った十字のステッキが、オリエンタルな美貌を持つ人形のような小人へと変化した。
さきほどの錬金術の大技を披露してくれたのは、やはりニーナ=アデラートと呼ばれていた、今は『霊血』という液体金属の身体を持つ古の大錬金術師。
『
「―――」
魔竜の尾。
瞬間移動。
動きを追っては、ダメ。
霊視にて、刹那の未来―――ただそれだけを見る。
剣巫が、瞳に青い霊光を灯す。
先読みした一秒先に、背後から空間を超えて自身に襲い掛かる魔竜の尾。
それよりも一秒早く動いた雪菜は、その残像を置いていくような幻術を行使しつつ、魔竜の尾を銀槍で弾いて切先を己から外し、逸らされてもまたしつこく迫りくる尾を演舞するように回転をつけた一振りで薙ぎ払う。
「はあ―――!」
攻撃を防ぎ、生じた絶好の隙。すかさず、止めを刺さんと魔竜へ銀槍を携える
「な……っ!?」
剣巫の霊力は獅子王機関の秘奥兵器が、その真祖をも滅ぼし得る、降魔の聖光を発動するだけのものであったはずだ。いや、いつもよりも過分なほどに『
なのに、あらゆる魔の結界を貫くはずの槍は、通じない。
魔竜が、消えた。
浄化されて消滅したのではない―――空間転移。
それは食事の邪魔をして、魔竜を撃ち落とした少女――叶瀬夏音の下へと跳ぶ。
「叶瀬っ!」
魔力を供給しているニーナと共に、少女の容体を診ていたせいか、魔竜の空間転移に夏音の反応は遅れている。
彼女を救うとある男に約束した。いや、それ以前に、そんなのがなくても、夏音は守る。
そう、古城は夏音を不老不死の己の身で庇わんと華奢な身体に抱き着いた。
そして、すぐ状態を立て直した剣巫も動いていた。
「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る。破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」
厳かに祝詞を唱え、体内で練り上げた呪力を、『七式突撃降魔機槍』で増幅。細く、鋭く、まるで光り輝く牙のように、『神格振動波』を銀槍の穂先一点に集中。
純白の雌狼の如く飛び掛かった剣巫は、展開されている魔力障壁ごと魔竜の頭部を狙い穿つ!
今度こそ、剣巫がその全身全霊をかけた破魔の一突きは、魔竜の魔力障壁と拮抗し―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――折れた。
え……
うそ……
雪霞狼が……
槍は、竜に、負けた。
それが、今、生じた結果。
果敢に、竜に立ち向かっていた少女は、槍の刃が欠片と散る光景を前に、みるみる表情が変わっていく。
呆然と口は開けたまま、動くのを止めた。
自分の四肢が砕けた方がよほどましというぐらいに、悲壮な顔をしていた。必死に実現しないようにと願っていた悪夢が、正夢に叶ってしまったみたいに見えた。
「姫柊―――!」
そして、銀槍の主刃が砕け、中空で無防備になった雪菜に、頭部を突かれた魔竜は逆襲をする―――寸前に、その発するはずのない声音が屋上に響いた。
「おいで、<
稲妻が落ちた。
古城たちの視界を残らず奪うほどの近さ。身体を余さず麻痺させる衝撃。夏音を庇い、本能的に耳を押さえて薄目を開けていた古城は、大きく見開いた。
雪菜を庇ったのは、先ほど古城を庇ったのと同じ相手―――姫柊雪菜に似た少女。
そして今度は、その手には黄金の槍。少女が天高くに手を伸ばした暗雲。そこよりたなびく雷霆が、幾重にも少女の傍らに激突し、そんな荒々しい祝福が形作ったように、姫柊雪菜の<雪霞狼>に似た金槍は現れていた。
「はあ―――っ!」
まだ弾ける音をさせて、紫電が走っているそれを携え、少女は地面を蹴る。
竜に挑むその気迫は、剣巫――姫柊雪菜にも負けず劣らず。凄まじいまでに速く、鋭い。そして見た目華奢な身体に合わぬほどの異様な重みを一撃一撃に備えている。槍一本で数倍の巨体を持つ魔竜とやり合う。決して退かない、とそういう不退転の強い意思の込められた槍であった。
「<槍の黄金>―――!」
そして、尾に斬りかかった金槍が、“主の命に応えるかのように穂先を伸ばした”。
尾からグルグルと蔓のように巻き付きその回避行動を封じつつ刃は、魔力障壁で護られている頭部を穿つ強烈な一撃を見舞わせる。
金色で<雪霞狼>に酷似している色違いの槍は、『
稲妻を纏う黄金の槍の形をした眷獣は、自在に変形して攻撃ができるだけでなく、<雪霞狼>と同じ魔力無効化能力を備えているのだ。
そして、魔竜は金槍の一撃に退散。瞬間転移して、何処へと消え去った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔竜が消え去った場所をしばらく見つめていた古城は、その少女に視線を向ける。
「おまえ……」
いったい何者だ? と尋ねる古城に少女は槍を消して、特別でも何でもない事のように答えた。
「驚くことじゃないでしょ古城君。あたしも不死身の呪いを受け継いでるのよ。第二世代なんだけど、普通の
遅れながらも、少女は自己紹介をする。
それは竜と遭遇する前と変わらない、軽口だけれど、話せる
「あたしは、あの魔獣を追ってきたの。このまま放っておくとこの島が大変なことになっちゃうのよ―――だから、
「帰る? どこに……? お前は一体―――」
はぐらかす彼女に古城が詰め寄ろうとした―――そのとき、自分たち以外に誰もいなくなった屋上へ駆けつける足音を耳が拾う。
現れたのは……
「―――あ、お兄さん」
修道服を着た、銀髪碧眼の少女――叶瀬夏音……
その傍らに先ほど舞台でお助けキャラで活躍した『
「「え……?」」
またも
古城は自分の腕の中に抱いている叶瀬夏音を見る。あの時、咄嗟に跳び付いて、勢い余って頭を打って気絶していた叶瀬夏音は、新たに現れた叶瀬夏音の声に反応してか目を覚まし、顔を手で覆い―――ヴェールを解く。
「……古城君、夏音はあっちだぞ」
瞬間、鋼の魔法少女風の仮面聖女の姿が、耳付き帽子に、蒼銀の
その容姿だけでなく、服装まで変化する。北欧アルディギアの雷神の神話伝承から組まれた『花嫁の影武者』の術式。
「クロウ君、それに院長様も、大丈夫でした?」
「うむ。途中で気を失ってしまったが、その間にひとまず危機は脱したようだ」
「ん。とりあえず、今は問題ないみたいだぞ。それで避難はどうなってるのだ?」
「はっ! すぐカルアナ殿らと一緒に、施設の警備員と連携を取り、恙なく客たちの安全は確保したであります」
「那月先生にも連絡しました。アスタルテさんを連れてすぐに来るそうでした」
同じ部屋に生活する彼らはすでに慣れており、また事前に承知していたからか、さほど混乱せずに情報交換をしている。
驚きに未だ古城は後輩を抱きかかえたままなのだが、それも頓着してるのはさほど気にしてない。
「叶瀬?」
「はい、お兄さん。叶瀬夏音でした」
「……それで、クロウ?」
「う、南宮クロウだぞ古城君」
双子現象も今日で二度目だが、流石にそれくらいで慣れない。古城は一度天を仰いで、気を落ち着けさせてから、
「なにそれ? なんでクロウが叶瀬に?」
「うー、話せば色々と長くなるんだがな」
「手短に頼む」
「フォリりんに頼まれて、劇をすることになって、夏音が普通の演技役をやって、オレが夏音のスタント役をやることになったのだ。それで夏音に変化の術ができる道具で夏音になってたんだぞ」
「はい。私になったクロウ君を見てると私までヒーローになった気がしました」
わかっていたが、あの第一王女が原因だったか。
古城の脳裏に、とても愉快気に微笑を浮かべるラ=フォリアが浮かぶ。これは深い考えがあってのことか、それとも単純に面白おかしくしたいだけなのか古城には読めないが、途方もなく疲れて肩を落とした。
そして……
「……………」
ピシッと石像のように固まっている少女。
彼女に向けて、クロウは鼻をスンと鳴らし、
「んー? それでオレにも訊きたいことがあるんだけど……お前、古城君の親戚か?」
「!?」
ビックゥと後輩の一言に、跳び上がった少女。
たらりと冷や汗を垂らす彼女を、また確かめるようクロウは、北欧王家のお家騒動で親子血縁の遺伝子判定を下した『
「おい、クロウ。普通そこは、姫柊の親戚か? っていうところじゃねーのか?」
「そ、そうだよクロ君。あたし、旧姓『姫柊』だから!」
「う、ちゃんと姫柊の“匂い”もするな。じゃあ、お前、姫柊と古城君の親戚なんだな」
「!?!?!?」
「いや、俺の親戚にこんな娘いないからな」
「でも、目の色が似てるぞ」
「そりゃ同じ吸血鬼みたいなんだし、同じ赤に決まってるだろ」
「や、赤くなる前の目の色の方なのだ」
「―――そこまでにしておけ馬鹿犬」
前触れもなく虚空より現れた魔女が、扇子で
「あう!? いきなり何なのだご主人」
「アスタルテ、馬鹿犬を黙らせろ」
「
抗議するサーヴァントに、那月と一緒に連れてきていたメイド服姿のホムンクルスがエプロンドレスのポケットから小箱を取り出す。そして中からひとつ抓みあげて、包み紙を破るとあらわになるのは茶色の大粒、そうチョコレートだ。
「先輩」
「あむ」
目の前に持ってきたのがお菓子だとわかる。それに後輩が用意したものなのだから無警戒に、クロウは口を開けて、アスタルテはその口の中に放り込む。慣れた作業なのか一粒だけでなく、アスタルテは手早く5、6個ほどポンポンと。口の中にいっぱいになったところで、クロウが噛むとアーモンドと―――強烈なアルコールの香りが鼻を突き抜けた。
「あうあうあう~……」
「お、おい、クロウ!?」
薬毒に強いが酒には酔ってしまう後輩は、目を回す。酩酊状態でふらついて倒れかけたところで、アスタルテにしっかりと抱き留められた。
「クロウに何喰わせたんだよアンタ!?」
「なに、ボンボンショコラだ。欧州土産の缶詰は周りにも被害に出るんでな。馬鹿犬用で、アスタルテに作らせた。使った酒の度数は記憶にないが。まあ、火が点くやつだったと言っておこうか」
「それって相当度数高いやつだろ!」
しばらく使い物にならなくなった後輩は、倒れかかった体勢をそのまま横にしてメイドに膝枕されて、
「ふぅ……クロ君が、昔から
汗を拭う仕草をする少女。そして、那月は鼻を鳴らして、
「この転校生の偽者の身柄は私が預かる。反論は許さん。いいな」
「那月ちゃん。いくらなんでも、いきなり現れておいて―――」
古城の口元にすっと日傘の先を突き付ける那月。
「いきなり現れておいてなんだが、何よりもまずそこの転校生本人を何とかしたらどうなんだ?」
目線で古城を誘導する。
……姫柊。
わざわざ言われるまでもなく、古城は彼女のことに気づいている。
魔竜との戦闘で『七式突撃降魔機槍』を大破してから、彼女はそこに頽れて動いていない。
槍の主刃を砕かれた時の、悲壮な顔が脳裏にこびりついている。砕かれたのは槍だけでなく、彼女の中で彼女たらしめる重要なパーツまで壊されたのではないかと思えてならなかった。
そばに膝をつく。
強く、心臓が鳴った。なんて言葉をかけていいか、考えても口から先に出ない。耳を塞ぎたい衝動にも駆られる。
それでも、彼女から、吐露されるのを、無言で待つ……
「<雪霞狼>が、壊れちゃいました」
と、少女は開けられた口から零したように言う。
事実をそのままに告げる―――だからか、それがひどく寂しげに古城は聞こえた。それこそ鋭い刃に、心臓を貫かれた気分だった。思わず、叫びたくなった。
だけど、それは自分なんかじゃなくて彼女の方だと思うことで、やっと堪えられた。
「なあ、ニーナ」
「無理じゃな」
古城が訊ねる前に、その言葉の先を予想していた錬金術師は無情にも告げる。
製錬技術であれば、あらゆる金属を操れる錬金術。この全金属製の槍も古の大錬金術師の技術であれば蘇るのではないか―――しかし、そんなわずかな望みもないのだと。
「本当にどうにかならないのか、なあ、姫柊が―――!」
「至極残念だが、その武神具を武神具たらしめる核が砕かれている。そこが無事であるのなら妾にもすぐに修理ができたのだろうが、そうなってしまえば、数十年はかかるだろう。そして、直ったとしても二度と同じものには戻らない。妾にできるのは精々、槍を同じ形に整えてやるくらいだ」
そして、そのくらい彼女自身もわかっている、と……
「……はい、言う通りです……核を完全に砕けてしまいました」
これ以上、見ないでやった方が良い。そう考えたのだろう。
心配そうで声をかけたそうな夏音や、そして、あの謎の少女も含めて、古城と雪菜を除く全員が<空隙の魔女>の空間転移でその場からいなくなった。
「あの子の言ったとおりですね。硬過ぎるものは脆くて、自分を、周りも壊してしまう」
その後、古城は彼女が自分から立ち上がるまで、一緒にそこで待った。
そうして。
その日すぐ砕けた『七式突撃降魔機槍』を獅子王機関に返却する手配をして帰宅した雪菜が、その際に配達員から一通の手紙を受け取る。
その内容は、『姫柊雪菜への高神の社への帰還命令』だった―――
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『大丈夫よ、零奈。歴史にだって弾性があるの。許容範囲とでもいうのかしら。バタフライ効果のようにあらゆる些細な事象が全体の変動に関わっていたら、時空を跳躍しただけで世界は際限なく崩壊しかねないでしょう?』
と『時越え』の眷獣を血に宿してる少女に、魔術的なサポートやアドバイスをしてくれるお姉さんは語る。
『つまりね、“零奈の方から”過度なネタバレをしない限りは、歴史の流れは変動しない。少しくらい派手に動いたって、それすらも正史に組み込まれる。コントローラーは零奈のひとつに固定されるように、あたしと母さんもサポートしてるわ。だから、無秩序に変化が拡散されることもない、安全性を考慮した丁寧な構成なの』
……でも、もしそうなのだとしたら。
あの人の槍が壊れてしまうのも、正史として組み込まれてしまったのだろうか。
その魔竜は、最凶最悪の戦略兵器として創り出された人造魔獣。
目的は、絃神島を通る龍脈を喰らうこと。龍脈を食われた土地は魔力を失って霊的に痩せ細り、最悪、壊滅する。特に絃神島は魔術建材によって繋ぎ止められている人工島のため、魔力を失うと分解し、海に沈むことになる。
「………なるほど、絃神島をぶっ潰そうとする魔獣を退治しに遥々遠いところからお前はやってきた、それと、お前は姫柊じゃない、ということなんだな?」
「はい、そうであります!」
ピシッと軍隊の教官にするように敬礼する姫柊雪菜に似た少女。
夏音と洗いっこをした風呂上り、古の大錬金術師にお腹の破れていたネコマたんTシャツを補修してもらっていたとき、ちょうど酔いから醒めて復活したクロウに説明をする。
先ほど、歴史的にピンチであったものの、彼の主人である南宮那月より『転校生(偽)の余計な詮索はするな』と命じてくれたおかげで、その危機は脱した(彼女の方にはもう正体を悟られているようであったが)。
「わかったのだ。そういうことなら、オレも協力する。島が変なのはわかってたしな。人造魔獣の“匂い”も追えるぞ」
「ありがとう、クロ君!」
ネタバレ的な意味では恐ろしい相手であるも、将来の『暁の懐刀』が味方に付いてくれるのは頼もしい。それにガチガチなあの人とは違って、思考も柔らかいし、優しいし……時々常識から外れるようなことをしたりするけど。
「んー……」
「どうしたのクロ君?」
何やら思い悩む彼に、明るい調子で声をかける。
「いやな。お前のことをなんて呼べばいいのだ? 名前はダメなんだろ?」
「あー……そうですね……」
拳を口先に添える考えるポーズを取って、少女は、うん! やはりここは、と頷き、
「“新”帝国警備隊特“撰組”――新撰組壬生狼零番隊隊長のレイ―――でお願いします!」
「う! 壬生狼一番隊長のクロウ―――こちらこそよろしくなのだ!」
がしっと握手を交わすクロウとレイ。
うんうん。やっぱりこの人はこのノリが正解だったのか。
そして。
立ち踏みしてるこちらの背中を押すように、クロウはこう命じた。
「じゃあ、零番隊隊長レイは姫柊のことをよろしく頼むのだ」
しばらく、固まった。なんて答えていいのかは、わからない。
どうしてそんなことをいうのか、それを少女自身よりも少女の“
「お前は魔獣を斃すためにここまでやってきたみたいだけど、やっぱり姫柊のことが気になるんだろ? 姫柊に、言いたいことがあったんじゃないのか?」
「ぅ……」
「それに、きっと姫柊の力は必要になるのだ」
「いや、でも、そしたら魔獣は……」
「魔獣の相手くらいオレひとりでも大丈夫なのだ。それに、時間稼ぎをするのにも慣れてるぞ」
ふふん、とやや偉ぶった――でも、やっぱりそういうのが似合わない――笑みを浮かべてみせる。
……本当に、頼りになる。
そして、槍の折れたあの人を、信じてくれる―――
自分のことでないことはわかってるのに、何かこそばゆくなる。
だからか、少女はこの震えを誤魔化すように別の話題に切り替えた。
「あ、そろそろ電話しなくていいのクロ君?」
「でんわ?」
きょとんとされる。
それにやれやれと苦笑してしまう。この人は昔からおっちょこちょいで、忘れ物が多い。世話が焼けるなー、と思いつつ、リビングに掛けられてる、あと五分で九時にある時計を指しながら少女は教える。
「ほら、凪沙おばさ――凪沙ちゃんと毎日夜9時に連絡するって約束してるじゃない。それで前に、うっかり5分時間を間違えて、拗ねられて大変だったーって、クロ君、あたしに言ってたよね?」
きっと向こうは今か今かと待ってるんだから早くしないさいよー……と親切に発破をかけたつもりなのだが、きょとんと反対側に首を傾げられた。
「あう? オレ、そんな約束してたのか?」
「あ……」
しまった、と余計に滑らせてしまった口を手で隠す少女。
時期が早かっただろうか。凪沙おばさん、よく『20年前ぐらいにしたんだけどね、まだ付き合う前からしてた習慣が今も続いてるんだよー♡』とかこの人との話題になるといつもの3倍増しの言葉数で耳タコできるくらいに惚気られてるから、てっきりあたし―――いや、20年前“ぐらい”だから、厳密にはまだ……
もしかしなくても、フライング、しちゃった……?
「うーん、オレ、覚えてないぞそれ」
「あはは、今のは冗だ」
「でも、握手会で途中抜ける前に目があったし、あれからちゃんと避難できたか気になるしな。ちょっと電話してみるのだ」
よかった。本当によかったよ。
この人、勘は鋭いけど、細かい事とか気にしない性格で……というかもしかして、これも正史に組み込まれちゃってる?
ほっと胸を撫で下ろす。
……でも、
妹との結婚の要求に神々が造り出した生体兵器らとの喧嘩という伝説級の無茶ぶりする義兄といい、
新婦入場の際にバージンロードをエスコートしてきたとおもったら、『親父の重い一発を喰らいやがれ婿殿!』と愛娘より先に拳骨をくれた場面を映像ビデオに残している義父といい、
貴重な研究材料を欲しがるマッドサイエンティストな義母といい、
将来は待遇が厳しい家庭環境になるのかと思うと、ほろりと目に涙が。
入れ替わりで今アスタルテが風呂に入っているため、慎重にぽちぽちと自分で電話番号を押しているクロウに、レイは精一杯の励ましの笑みを浮かべて、
「あの、クロ君……凪沙ちゃんとの付き合いは、いろいろ大変だと思うけど頑張って、強く生きてね!」
「う、レイに応援されたはずなのに、なんか将来がすっごく不安になった気がするぞ」
つづく