ミックス・ブラッド   作:夜草

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九章
逃亡の真祖Ⅰ


回想 人工島西地区 藍羽家

 

 

 三年前

 

 

『う、お前、あずーる、というのか』

 

『バウ!』

 

 鋭い牙とつぶらな瞳。ボクサー種の血が濃いのだろうか、ふてぶてしい面構えをしているが、その目の輝きからか、陽気で知的な印象を受ける。

 そんな体重30kg以上はありそうな、筋肉質な大型犬と相撲でもとるようにその猛烈な突進じみたじゃれつきを受け切った帽子、手袋、首巻、コートと厚着完装備の少年は、でーん、とひっくり返す。仰向けにさせたその腹を撫で擦り、それに気持ちよさそうに、この人懐こい番犬は尻尾を振る。

 

 人工島西地区(アイランド・ウエスト)の東岸。絃神島では珍しい一戸建ての邸宅が多く建ち並び、緑の木々に囲まれた高級住宅地である。

 そのひとつのコンクリートの塀に囲まれた和洋折衷の屋敷。

 人工島である絃神島では本土と比較にならないほど時価が高く、一戸建てというだけで相当贅沢だったりする。その中でも鉄製の巨大な門扉まで構えるこの邸宅の敷地は群を抜いて広大で、屋敷の造りにも明らかに金がかかっていた。

 ここのセキュリティもまた厳重。

 電子的なそれと、魔術的なそれが仕掛けられた結界。機械的なものは把握し切れないが、かなり高度な侵入者除けの呪術に呪詛返しも施されている。

 

 そんな絃神島の評議員、『魔族特区』の為政者の家。

 その庭の、広大というほどではないが、眺めていて飽きない程度には豪華な枯山水の日本庭園で、転げまわる番犬と少年。

 何かしら犬同士で通じ合うような儀式でもした後、ああしてはしゃいでいるのだが、それを見るその保護者の魔女は、深く溜息をつかされる。

 

『わびもさびも理解せんで、庭を荒らしおって……馬鹿犬め』

 

『はっは、構わんよ。アズールも喜んでいる。番犬のつもりで飼っているのだが、あそこまで(なつ)いているのは初めて見るよ』

 

 その隣で、低く落ち着いた声を発するのは、着流し姿の中年男性。

 さして身長が高いわけでもなく、物腰はむしろ穏やかだ。しかし独特な雰囲気を纏っているよう。初対面の人が見れば、ヤで始まってザで終わる三文字の単語を連想させられることだろう。強面のボクサー犬よりも、この男の方がよっぽど恐怖だった。

 

『魔女が禁忌を冒して生み出した最高傑作……そう、話に聴いた時は、もっと近寄りがたいものだと思っていたのだがね。ああしてみると子供と変わらない。とても警戒心を(いだ)けるものではないほど、純粋だ。百閒は一見にしかずとはこういうことを言うのか』

 

 外見の印象に反して優しげな口調で、男は所感を述べる。

 

『犬と同レベル扱いされない程度の自尊(プライド)(いだ)いていてほしかったところだがな。俗世と離れたところで純粋培養されていた。あの世間知らずは、都会にあるものが何でも物珍しく、慣れるまではしばらく魔術と科学の区別がつかないだろう。同じように人間と魔族の違いもな』

 

 だから、人間と魔族の住まう『魔族特区』で生活させる。

 そう絃神島の評議員、藍羽仙斎に告げる。人工島管理公社に友人が多く、起こり得る危機について、最低限の予備知識――『聖殲』に、この前に回収した<第四真祖>と深く縁の繋がった兄妹など――を持ち合わせる為政者。

 この絃神島でも有力な国家攻魔官であり、華族の一員でもある魔女は、それだけに見合った高い権限を有するが、この最新の殺神兵器と成り得る可能性を持つものを抱えるとなっては、呼出しにも応じざるを得ない。それほど『魔族特区』の為政者には強い権力がある。

 と、仙斎は空を仰ぐよう上を向くと深く目を瞑り、

 

『……彼を、お譲りくださいませんか』

 

 薄らと目を開き、表情は動かさず、物静かな口調で淡々と続ける。

 

『先生は、浅葱のことをご在知でしょう』

 

『ああ。だから、私が担任を任されることとなった』

 

『ええ。あれはいささか厄介な運命を背負って生まれた娘だ。そして、あの子はその娘の運命に大きく巻き込まれることになろう。それはきっと避けることはできないものだ』

 

 予言に似た確信に満ちた口調で、仙斎が言う。

 その見開かれた瞳には、揺るぎない気迫のようなものが感じられる。

 

『だから、今のうちに、お側付きの護衛(SP)にでも仕立て上げる、か……』

 

『私は浅葱の父だ。出来得る限りの手を尽くしたいのだと思う。娘を護る盾とするのが、どれだけ酷なものかは私にも予想がつかない。だが、それで彼の立ち位置は確固たるものと保障される。どうせ避けられぬ運命。ならば、その方がよろしいのではないか?』

 

 一政治家として問い掛ける、ひとりの親として乞い願う彼に、国家攻魔官は、す、と席を立つ。

 

『いいかどうか、それを決めるのは私ではない』

 

 と主人の魔女は言い切った。

 この世のすべてを見下したような普段の彼女の冷笑ではなく、歳の離れた弟を慈しむような優しい微笑を、ふ、と浮かべ、しかして強い眼差しを番犬と遊んでいる少年へと向ける。

 

『森を出ることも、私の眷獣(サーヴァント)となることも、ヤツ自身の意思で、選ばせた。この先どうなろうが、あいつの意思を私はでき得る限り尊重させてやるつもりだ。貴様の言う運命に殉じようが、逆らおうが、あいつの勝手であって、私や、誰の意思に振り回されるものではない』

 

 この『魔族特区』の防衛装置として縛られることとなった彼女は、揺るぎない意思を以て、宣告するようその誓い立てを口にした。

 

 

『私は、縛らない―――そう、約束したのだからな』

 

 

人工島西地区 藍羽家

 

 

『『人間として造られなかったとしても、人間らしく生きようと足掻こうとするものは人間である』―――それについて君はどう思うかい?』

 

 対面の牢獄、そして、同じ人工生命体(ホムンクルス)と近しい存在であった

 血のように赤い髪、そしてその両腕は液体金属を模したもの。機械人形(オートマタ)と複合した人工生命体である自分と似ている。

 『人形師(マイスター)』と『賢者(ワイズマン)』――互いに創造主の操り人形でしかなかった境遇も重なる。

 まるで歪な鏡でも見せつけられるような同族嫌悪を覚えて、しかし、男が飽きることなく傷を舐め合うのではなく、抉り合うように問答を続けているうちに、いつからかまた別のような感情が芽生えた。仲間意識とは違う、何か……

 

『師匠は気前が良過ぎる。僕に腕二つはやり過ぎだ。だから、これまで愚痴に付き合ってくれた隣人へとお裾分けしようじゃないか』

 

 融合した略奪式人工生命体(ナタナエル)とはもう分離された。

 でも、黒妖犬(ヘルハウンド)に破壊された左腕は戻ってこない。『人形師』は依然と使い物になることはなくて、人工生命体を見るたびに怯えてはその腕の振るいようもない。機械化人工生命体を、『人形師』以外の誰も直すことはできない。

 だから、完璧なバランスで創り出されたはずの肢体は、片側だけ欠けて、不協和音のように歪。

 『永遠』になんて、手を出した報いか。

 この姿を曝すのを恥じて、条件付きの釈放にも応じず、この牢獄に留まっていた。

 

 そんな踊らなくなった人形へ、一体何の気まぐれか、半人半金の人工生命体は、その片腕を移植させようかと申し出た。

 

 不滅の肉体と無尽蔵の魔力―――そんな『永遠』の可能性をもった『霊血』。

 『人間の限界を超えて、“神”に近づくこと』を目的とした錬金術の究極的なその産物を、手に入れた。

 その時に覚えたのは、喜びよりも驚きが勝り、とても理解できるようなものじゃなかった。かつてないほどに理解不能な事態に見舞われる。

 そんな自分に、片腕となった錬金術師の弟子は、してやったりと意地の悪い笑みを向け、教え諭すような厳かぶった口調で言う。

 

『なんで君にそんな勿体ない真似をしたのか―――その答えを探し続けて、人形から人間になるといいさ』

 

 

 

「浅葱さん、ちょっと」

 

 和服の女性に呼び止められて、そちらを向く。

 

(すみれ)さん?」

 

 藍羽菫。浅葱の父親の再婚相手、つまり浅葱の継母に当たる人物である。母親が病気で亡くなった直後、元要人警護(ボディガード)サービスの会社に勤務するプロの運転手(ドライバー)であった菫と、政敵の罠により危機に陥った父親が、命がけの逃避行を続けているうちに恋に落ち、結婚することになったというのが、娘に語って聞かされた馴れ初めのエピソードである。割とフレンドリーな継母なのだが、浅葱と菫の関係は微妙で、仲が悪いわけではないのだけど、どうも浅葱はこの年齢の近い継母のことを一方的に苦手と思っている。

 

「あなた付きの新しいメイドさんを雇ったから」

 

「はぁ!?」

 

 若い継母から決定事項を告げられ、浅葱は口を開けて瞠目する。

 

「ちょっと、あたし、そういうのは遠慮したいんだけど」

 

「でも、これは仙斎さんが決めたことなの。浅葱さん、バイト先でいろいろとごたごたに巻き込まれてたりするから心配して」

 

「そ、それは……」

 

 あまりそういうお嬢様っぽいのは性に合わないというか、とにかくつっぱって拒否しようとするのだが、これは決定事項。不思議な押しの強さを発揮する菫に、浅葱の反論は却下されて、その少女が浅葱の前に連れ出される。

 

「はい、浅葱さんに自己紹介して」

 

命令受託(アクセプト)

 

 現れたのは、和服にエプロンドレスと女給スタイルで着飾った、清楚で儚げな容姿をした少女。

 穢れなき純白の長髪。

 しなやかな体躯と、真珠のような艶やかな肌。

 完全に左右対称の彼女の面差しは、精密な工業製品を連想させた。

 『魔族特区』暮らしの浅葱は一目で、自然ではありえざる姿から彼女が準魔族の人工生命体(ホムンクルス)であると悟る。それにしてもこれほどに美しく仕上がっているのは、そうそうない。

 

 

「<水銀細工(アマルガム)>のスワニルダと申します、お嬢様(マスター)

 

 

修道院

 

 

「不許可! それは先輩の分です!」

 

「ぅん?」

 

 その声にびっくりして、修道院内を清掃中の叶瀬夏音は振り返った。

 蒼穹を写したようなその眼に、浮世離れした白皙の美貌。陽光を弾く銀髪が揺れる。

 あと三日で年末であっても、変わらぬ眩しい陽光。

 常夏の空気に、凛と咲き誇る百合と薔薇。

 アデラート修道院と呼ばれた跡地―――様々な事件に関わったその場所を、過去を乗り越えたことをきっかけに、かつての思い出の情景に蘇らせようと時には人の手を借りながらもなるべくできるところは自分の手で復旧作業をしている夏音はその日、大掃除にとやってきていた。

 

(えっと……今のは、アスタルテさん?)

 

 ぱちくりと瞬きをして、目を凝らす。

 少し前まで半壊した修道院は今では、北欧アルディギアの支援から屋根や壁が直されており、廃墟というイメージを払拭しつつある。

 そんな、修道院の裏口から、人影が現れた。

 見た目の年齢は、夏音と同じか下に見えるだろう。

 今にも折れそうな細い肢体に、居候先の主人から貸与されているというメイド服を纏っている。

 白いうなじに零れるのは、陽光に透ける藍色の長髪。瞳は淡い青水晶の色を秘め、長い睫毛は慎ましげに伏せられていた。整った容貌は人形と紛うばかりの美しさで―――そんなここのところ感情が豊かになってきている彼女に、この大掃除を手伝ってもらっているわけなのだが、その足元に目がいく。

 というのも、藍髪のメイドの足元から、小さな毛むくじゃらの動物がランチボックスを咥えて走り出たのである。

 

「主張。待ってください。それはあなたの取り分ではありません」

 

 子犬を、メイドが追う。

 意外と機敏な動作で修道院の窓際へと追い込み、しかしその子犬を拾い上げるでもなく、きっかり1m半の距離を置いたまま人工生命体(ホムンクルス)は硬直した。

 

(………?)

 

 しばらく、メイドは動かなかった。

 それから、尻尾を立てて威嚇する子犬を前に、可憐な唇を開いた。

 

「―――否定。そのランチボックスの内容は、あなたが摂取する栄養には不適切であると判断します。空腹(うえ)は理解しますが、強奪は条例に違反し、十戒にも背く罪です。合理的にも、道徳的にも、早急に返却してくださるよう依頼します」

 

 堅苦しいような、それでいて自然のような、不思議な口調で、子犬へと説得を開始する人工生命体(ホムンクルス)

 無論、イヌの側がそんな説教を斟酌するはずもない。ランチボックスを咥えたままで、ぴいんと短い尻尾を立てて、ぐるるる……と唸りを上げたままだ。そんな子犬を見つめたまま、メイドは微動だにせず立ち尽くしていた。

 

「……強硬な手段に出たくありません。どうか、今のうちに返却してください」

 

 整った美貌は、眉一筋動かない。

 言葉も大真面目で、見事に無表情のままだが、打つ手なしと困り果てた様子でもあった。

 少しの間そんな姿を見つめて、夏音は何となく苦笑を洩らしながら、持ってきていた袋からジャーキーを取り出す。

 夏音は子犬の前にしゃがむと、そのペット用のおやつを差し出した。

 

「―――はい、おいで」

 

 初めての動物と触れ合うコツは、目線の低さだ。

 同じくらいの視線に下がった夏音へ警戒心を緩めて、おどおどと近づいてきた子犬が、あんぐりとジャーキーに噛みついた。

 

「よしよし」

 

 そのついでに落ちたランチボックスを拾い上げ、夏音は子犬の頭を撫でる。

 

「これでいいですか?」

 

「肯定。……ありがとうございます」

 

 ランチボックスを受け取って、メイド――アスタルテは深々と頭を下げた。

 それに、やはりどこか変わったな、と思いつつ夏音は訊ねる。

 

「クロウ君は、今頃どうしているのでした?」

 

「そうですね」

 

 ランチボックスについた土を払いながら、アスタルテは小さく頷いた。

 

「長期休暇の最中ですので、特区警備隊からの任務を優先しているようです。学業中にはできない泊りがけも可能です。……もっとも、予定通り、真面目にしているのかは怪しいですが」

 

 国家攻魔官の助手をしているのも凄いことだが、実際に結構頼りにされているのを聞くと自分のことのように嬉しくなるもの。

 感心した夏音を前に、アスタルテはギュッとランチボックスを胸に抱く。

 無感情というよりも、いっそ水や金属に似た無機質さ。

 そうしていると人間離れした美貌も相俟って、彼女は人間を模した人形のように思えるのだった。

 

 ……でも。

 でも、夏音は別の印象も覚えていた。

 ここ最近、あの夏音の大事な家族のような少年について話すときは、いつもほんの少しだけ、人工生命体の表情に変化が生じたからだ。

 よく注意しないと見逃してしまいそうな、ささやかな波紋。

 まるで、しんと凪いだ湖の底で―――かすかに揺れる花弁のような、密やかな感情。

 じいっ、と見つめて。

 

「やっぱり、いないと寂しいでした?」

 

「な……っ!」

 

 人工生命体が言葉を失う。

 雪花石膏(アラバスター)のように白い肌が、さあっと耳の先まで朱に染まったのだ。

 

「ななななななな何を、理解不能な発言をされて……ひ、否定。第一前提からして先輩がいてもいなくても、私がそんな特別な感情を抱くのはまったく意味不明であり得るはずのない仮定でありますし、このように食事を用意するのもただ単に先輩が昼をどうするか予定をはっきりと伝えてないがための念の準備で寂しいとかどうとか一緒に食べられると少し楽しいとかそういう考えとは何も関係が―――」

 

 立て板の水どころか、滝を流すような勢い。

 可憐な瞼も口もぱくぱくと開閉し、言い訳しながら激しくかぶりを振った拍子に、ランチボックスをすっぽ投げてしまった。それが偶然、夏音のちょうど目の前辺りに落ちてきたのでキャッチできたのだが、よもや、そこまでの効果があるとは思わず、あのおっとり夏音もまた慌ててしまうぐらいであった。

 

「あ、あの、その……私、クロウ君のことだなんて、言ってないんですけど……」

 

「……っ!」

 

 硬直。

 沈黙。

 欧州では、会話途中に発生した沈黙をさして『天使が通り過ぎていった』というのだが、この場合、通り過ぎた天使も苦笑いを浮かべたことだろう。

 アスタルテは、メイド服の手首袖のカフスを掴んだまま、深く俯いて、

 

「……先輩は、私の中で優先順位が高いというだけです……それ以上の他意はありません……」

 

 やっとのことで、呟いたのである。

 

「ご理解いただけましたか?」

 

「はい。わかりました」

 

 夏音もそれ以上はツッコミはせず、小さく何度も頷いた。

 

 

人工島東地区 空港

 

 

 海上に浮かぶ絃神島の貴重な外部からの玄関口である空港は、年末里帰りのシーズンと大変混雑する時期では、警戒レベルが上がるというもの。また、ここは先週にテロ事件が発生したところだ。

 学校が冬休みに入った南宮クロウは、空港の修復工事が終わるまでの間、一端絃神島の見回りは中断し、そこに四六時中と張り付いていることとなった。

 主人は先輩の補習を監督しているためここにはおらず、また学園の用務員のような役を請け負っている後輩も主人の補佐についている。時折、後輩が主人の代わりに様子を見に来てくれたり、何かしらの差し入れを持ってきてくれたりするも、基本的にクロウは単独行動している。

 常駐している警備員はいるものの、攻魔師資格(Cカード)がない国家攻魔官の助手が彼らに指図ができる権限はなくて、また彼自身も一匹狼を好むところも性質であった。

 独りを寂しく思う時もあるが、独りでありたいと思うこともあるのだ。

 

「……、」

 

 腹の具合からして、そろそろ昼時。

 ちらと確認した時計を見る限り、この腹時計は正確なようだ。それから、ふ、と無意識に誘導されるよう時計のすぐ近くにあった本土行きの便の時刻表を見つめて―――その“匂い”を感じる。

 

「ん?」

 

 人通りの激しい、意識を昼食に向けていても、本分を怠らない。

 その嗅覚は、麻薬犬よりも正確迅速に、犯罪者を感知する。

 この国際線ターミナルは、日本国内で唯一魔族の自治領(ドミニオン)への直行便がある。『夜の王国』から空路で日本に入るには、いったん極東の『魔族特区』絃神島を経由しなければならない。

 それ故に、クロウは“嗅ぎ慣れぬ匂い”――絃神島に立ち寄る外部からの魔族に特に気を配っていた。

 

 感じたのは、濃密な血の鉄臭さ。

 

 風に流れてきたその残滓を拾うだけで、鼻腔内が血一色に充満するほどの濃度。

 視線を向ければ、そこにいるのは、12、3歳ほどの年若い少年だ。

 少年はゆったりとした白い衣装(カンダーラ)をまとい、全身を黄金の装飾品で華やかに飾り立てている。

 黒髪に褐色の肌。そして闇を見通すような金色の瞳。顔つきはまだ幼さを残しているが、その風貌には、若き獅子を思わせる圧倒的な威厳が滲んでいた。

 

(吸血鬼……それも、すごく強い)

 

 遅れてる成長期か、ここ最近背が伸び始めたが、まだ小柄なクロウと同じくらいの背丈。

 しかし、その小柄な体躯に纏う鬼気の圧力は、あの『戦王領域』の実力者であるディミトリエ=ヴァトラーや『混沌界域』の第三真祖のジャーダ=ククルカンに劣るものではない。

 真祖にも匹敵する、最上位の吸血鬼。

 その力が猛威を振るえば、それは先日の『アメリカ連合国』陸軍特殊部隊が起こした事件とは比じゃない被害をもたらすだろう。

 クロウが、少年へ警戒意識を高める。それに、向こうの少年も気づいたか、こちらへ威厳さえ感じられる不敵な笑みを返した。

 

「やれやれ……このような極東の僻地、平和ボケして警備がザルかと思い、試しに魔力を昂らせてみれば、雑種が釣れるとはな」

 

「お前が強いし、偉いヤツなのは分かった。でも、オレもここを護る仕事がある。挑発以上の狼藉は看過できない」

 

 金色と金色の瞳が真っ直ぐに相対する。

 いつでも対応できる間合いには、まだ半歩程遠い。

 前傾に重心を寄らせたクロウに、少年はニタリ、と―――

 親愛ともとれる微笑を浮かべて、邪悪ともとれる敵意をクロウに向ける。

 

「俺に歯向かえばそれは命を賭す戦い(モノ)になるだろうとわかっていながらも、退くつもりはないか。この屑鉄と魔術で生み出された紛い物の大地。こんなガラクタがそんなに大事か?」

 

「う。住めば都と言うだろ?」

 

「だが、雑種には都など相応しくない。ここに縛られているとは思わぬか?」

 

 この初対面であるはずの少年は、こちらのことをわかったような口調で、問いを投げかける。

 

 運命を歪め、不幸や被害を肩代わりさせてでもその身の安全を守らされるものに、その自覚はない。

 

 自覚がないからこそ譲歩は不可能であり、当人がやめると言ってやめられるものではなく、安寧の未来は閉ざされ、その命がいくつとあっても足りぬ戦いに巻き込まれるよう決定されている。この定めから解放するためにはもはやひとつしか道は残されていない。

 少年は、こう質問を投げかけてきたのだ。

 貴様は、その生涯を誰かの都合よく振り回されていると思ったことはないのか?

 こうして絃神島の防衛戦力のひとつに頼りとされるようになった経歴も、現在の殺神兵器としての成長も、本当にそれは己自身で歩みたかった道であり、また分岐点に戻りたいと思ったことは一度もないのか?

 そう。

 あの時、南宮那月に故郷の森を追い出された時に。

 

「そんなことを訊いてどうするのだ?」

 

 純粋無垢な言葉が、張り詰める空気を一薙ぎで切り裂いた。

 

「ここ最近、色んな奴からそんなこと言われるけど、ちっともわからん。ぶっちゃけ、どうでもいい。結局、オレ自身の意思で決めたものだとか、誰かに勝手に決められたものだとか」

 

 クロウは、ごく当たり前のようにそう答える。

 

「オレのことを認めてくれるみんなの側にいられるなら、オレはそれでいいよ」

 

 それは、何の飾り気もない言葉だった。

 この雑種と呼ぶ、人間と魔族の混血であって、しかし己がままにある少年の一番奥から汲み出されたような、ひどく純潔な言葉だった。

 ふむ、と少年は鼻から息を吐いた。

 何か気に入らないらしい。

 

「人間に随分と飼い馴らされているのだな、雑種よ。それだけの力があればひとりで覇を唱えることも可能だろうに。愚かしいことだ」

 

「あう?」

 

 ところが、ここでクロウは首を傾げてしまった。

 その予想外の反応に片眉だけを上げて訝しむ少年に、彼は続けてこう言ったのだ。

 

 

「お前も、何でもひとりで問題ないとかいう『賢者(わいずまん)』と同じようにはみえないし、馬鹿なんじゃないのか?」

 

 

 …………………

 美しい黒髪に褐色の肌をした、異国人の少年は頭が真っ白になった。

 

「ふはっ」

 

 そして、笑う。

 場違いにも、公衆の面前で何も憚ることなく、少年は盛大に笑う。

 永遠を生きる不老不死の吸血鬼にとって最大の敵とは、退屈だ。この世の快楽のほとんどを味わい尽した彼らは、生きるということに倦み疲れているのだ。

 それでも、すべてを自己完結するほどに終わっていない。むしろひとりであるのに飽きている彼らは、外部との刺激を積極的に欲している。

 

「はははっ!! 面白い、気に入ったぞ! 不老不死という位の長生に飽きることもあれど、こういう“心地良い侮辱”あるから死に切れん!! あのような屑鉄が、烏滸がましくも賢者を名乗るのなら、なるほど、俺は愚者であろうよ。流石の俺もそこまで枯れ切ってはおらんわ」

 

 己と対顔して、恐れもせず、媚びへつらいもしない。そこに来て、不遜な発言。王族として釈明の余地なく刑に処しても構わないだろう。

 されど、今、少年が浮かべるのは、涼やかな顔だ。

 

「我が名はイブリスベール=アズィーズ――第二真祖直系の第九王子にして、『滅びの王朝』北方八州を統べる者よ。見知りおけ、雑種」

 

 イブリスベール=アズィーズ王子殿下。

 中東を支配自治領として統べる『第二の夜の帝国(ドミニオン)』の真祖(おう)滅びの瞳(フォーゲイザー)>の血統である『旧き世代』。その見た目は少年であっても、実年齢は、数百をいく吸血鬼であり、王族が従える眷獣は、巨大な戦艦をも一撃で沈められるほどの力を持つという。

 

「第九王子なのか。オレも、九番目に創ら(うま)れた末っ子だ。一緒だな」

 

「ほう、それは奇遇だ。同じ九の誼だ。無礼を赦すとしよう。それと俺のことは、イブリスで構わん」

 

「そっか、イブリス。あ、俺はクロウだ」

 

 何とも軽い自己紹介。

 クロウはきょろきょろと周りを見て、いつのまにか視線を集めてしまっていることに気づく。普段ならあまり気にすることはないが、今は吸血鬼の王子がついているのだから、流石のクロウも気を遣う。気を遣うが、それは特別、外交レベルと呼べるような畏まったものではないだろうが。

 とりあえず、場所を移そうかと提案する。

 

「そろそろ、お昼時だし、時間に余裕があるならご飯食べに行かないか? この国際線ターミナルにある闘将軒は、浅葱先輩から寄ってみる価値があるって教えられたのだ。だから、今日のお昼はそこのラーメンと決めてたんだぞ」

 

「無礼講で良いと言ったが、やはり変わっているな雑種」

 

 王子であると紹介されても、対応が変わらず、どころか気安く庶民の食堂へ誘う男子中学生。しかしながら、その気兼ねない反応が珍しく、興味を誘うのだろう。

 ―――そして、王子が強いと察せられたように、王子もこの混血の獣王が己に届きうる牙を持つことを覚っている。

 

「そういえば、にんにく大丈夫かイブリス? オレはもう大丈夫だけど、臭いが嫌いな吸血鬼って多いからな」

 

「それは軟弱な『戦王領域』の連中だろう。我が王朝では気にする者は少ないからな。むしろ鼻ならば貴様の方が敏感であろうが」

 

「じゃあ、問題ないな」

 

 とっとこ先導するクロウ。

 そこへまた一度、王子は問いを投げかける。

 

「雑種。貴様は、<第四真祖>の眷獣と戦ったようだな」

 

「ん。それがどうかしたのか?」

 

「俺も『焔光の宴』には参加していた。あの忌々しい成り上がりの兵器商にしてやられたが、それで<第四真祖>の眷獣と戦って敗れたことがある」

 

 イブリスベールが、独り言を語り聞かせるよう、クロウの反応を待たずに言葉を続ける。

 

「ゆえに俺は『原初(ルート)』の復活を恐れた」

 

 かつて殺神兵器として猛威を振るった“本物の”<第四真祖>――『原初のアヴローラ』

 クロウは、完全な復活を遂げる前の彼女とすべてを賭して戦い、そして暁古城が<第四真祖>を打倒する一助となり、彼が現在の眷獣たちの支配権を獲得することに貢献した。

 

「そして、雑種と今の<第四真祖>と知己であることは知っている」

 

 とイブリスベールは、鋭く尖った白い牙をのぞかせて、皮肉るように嘲笑う。

 

 

 

「それで、どうだ? 今の<第四真祖>に、貴様は恐怖を覚えるか?」

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――監視役を辞任せよ。

 

 

 『世界最強の魔獣対策』の任務―――その裏の『カインの巫女の抹殺』の任務もまた失敗し、『青の楽園(ブルーエリジウム)』から帰還した自分に下された命がそれだった。

 納得ができない。

 <リヴァイアサン>をも撃退するほどの力を持った『獣王』を、なぜ放置するのか?

 この国を守護するために幾多もの魔獣に立ち向かってきた太史局が、まさか臆したとでもいうのか?

 いいや、そうではないのだ。

 この任務失敗のせいで、太史局の上層部が、別派閥であり敵対している同じ国防組織の獅子王機関との抗争に敗れ、彼の監視権限を自分から取り上げたのだ!

 

 今回は破れてしまったが、それでも『獣王』をあと少しのところまで追い込めるほどに実力をつけて、対抗策も編み出してきたというのに……! このまま再戦の機会も与えられずに、負けっぱなしで終わるなんてありえない!

 そもそもその任務失敗と『獣王の監視役』はほとんど関係がなく、なのになぜそれを止めさせられなければならないという……

 

 ……こうなったら、新たに派遣されてくる獅子王機関の監視役――剣巫だろうが舞威姫だろうが、いいや三聖であろうと、闇討ちし、実力で監視役の権限を取り返してやる―――そう意気込み、『橋姫伝説』の呪術を用意して、獅子王機関の動向を探っていたのだが、一向に彼へ監視役が派遣されるということはない。

 最も有力な候補で、諜報部に監視しつぶさに報告するように言いつけてあった『第二の剣巫』羽波唯里と『第二の舞威姫』斐川志緒は、別の任務へと派遣された―――しかし、この行いが無駄に終わりはしなかった。

 獅子王機関が隠蔽している秘事に辿り着くことができたのだから―――

 

 

 

「そうね、まずは<第四真祖>を焚きつけに行きましょうか」

 

 空港から出た若い外客が、眩い青空に目を細めた。

 ほっそりとした痩身に、ひどく怜悧な美形の顔立ちをしている少女だ。

 彼女が着ているのは、古風な黒いセーラー服に赤いカーディガン。左の肩に背負っているのは、大型の三脚ケースだった。

 制服と同じく古風な長い黒髪が、強い海風に吹かれて揺れている。

 太史局より正式に『乙型呪装双叉槍(リチエルカーレ)』を与えられた攻魔師――『六刃神官』妃崎霧葉である。

 

「ふふ、ここに着いた途端、すぐ近くに彼の気配(におい)を感じたのだけど、流石に空港にはいないわよね。ダメね、少し昂ぶってるみたいだわ」

 

 逸る気を落ち着けさせるよう、胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。

 彼女が地に足をつけるのは絃神島。東京の南方海上330km付近に浮かぶ、常夏の『魔族特区』。カーボンファイバーと樹脂と金属と、そして魔術で造られた人工の大地が、亜熱帯の強烈な陽射しに炙られて、年末間近にも拘らず、島の気温は30度代後半をいっていた。

 アスファルトの路上には、陽炎がゆらゆらと揺れている。

 本土から到着したばかりの観光客の体力を、この蒸し暑く湿った大気がじわじわと奪っていくところなのだが、“この程度はまだ温い”とばかりに涼しげで、視線が通過するだけで切れると錯覚するほど鋭利な細い双眸を、バスやタクシーといった交通機関を探しに巡らせる。しかし、人が多いせいか中々どこも埋まっている。

 とそれが、案内役(ガイド)がいなくて戸惑っているように見えたのか。

 

「ねえねえねえ、きみ、一人? 魔族特区初めて?」

「もしかしていくところわからないの?」

 

 そんな霧葉を左右から挟むように、出入りの激しいこの時期を狙っておのぼりさん目当てで空港前に待ち構えていた二人組の男たちが、唐突に声をかけてくる。普段からナンパ慣れしているのか、やけに馴れ馴れしい態度である。

 

「………」

 

「あ、俺たちって魔族だけど、全然乱暴な真似とかしないから」

「本土から来る娘は見慣れてないかもしれないけど、ここじゃ普通よ普通。むしろ輪っか付きは安全な証拠だから」

 

 手首に装着された金属製の腕輪を見て、表情を硬くした霧葉に、慌てて男たちはフォローを入れる。

 魔族登録証と呼ばれる装身具。『魔族特区』の正式な住人であることを示す身分証であり、同時に生体センサーを内蔵した監視装置だ。すなわち彼らは普通の人間ではない。絃神島の全人口の約4%を占めているという登録魔族なのである。

 もちろん魔族だからといって、彼らが人間に危害を及ぼすようなことはめったにない。むしろ魔族登録証によって監視されている分、一般人よりも安全という考え方もある。

 とはいえ、相手が魔族だろうが人間だろうが、しつこく付き纏われれば迷惑な事には変わりなかった。それでなくても霧葉はこれから監視役奪還のための任務で単独行動中なのだ。魔族と関わり合いになって下手に目立つような真似は、狩人としても失格であり、絶対に避けなければならない。

 

(盛った魔獣を相手する方がまだ楽そうね……)

 

 霧葉は眼中にないというように視線を合わせることなく、彼らを無視して、そのまま歩き去ろうとした。しかし魔族の男たちは、素早く回り込んで、霧葉の逃げ道を塞いでみせる。

 

「おおっと、どこ行くのさ? ちょっと俺らと涼しいところ遊んで行こうぜ? 案内するからさ」

 

「どいてくれないかしら。急いでいるの」

 

「またまた、ちょっとくらい寄り道しても大丈夫でしょ。でいうか急いでいるのなら送ってくよ。すぐそこに俺たちの車があるから」

 

「結構よ」

 

「ねえ、ところで、君名前は? 荷物持とうか?」

 

「………」

 

 強引に会話を続ける男たちに内心うんざりしながらも、霧葉は“にっこりと笑みを作っている”。

 如何に登録魔族といえども、相手は単なるナンパ男。魔族よりも屈強な魔獣を相手にする六刃が、本気を出すような相手ではない。そうなれば確実に病院送りされる。……こちらとしてもできれば穏便に彼らをやり過ごしたいところなのだが、しかし向かってくるのを叩きのめせばいい魔獣とは勝手が違い、法律で彼らは守られている。自衛権がない限り、手出しをするのはマズい。そう、自衛権がない限りは……

 

「……あなたたちって、本当に魔族なのかしら?」

 

「え、何それ疑うの? ほら、これ魔族登録証」

 

「でも、それが本物かなんて私にはわかりませんもの。魔族と仰るなら、是非、証拠を見せて欲しいのだけれど」

 

 彼女の意図を察した、かのように男たちは互いに相槌を打ち合う。

 『魔族特区』に来たおのぼりさんが、本物の魔族を見たいとせがんでいるのだろう、と。

 

「しょうがねぇな……じゃあ、ちょっとだけ」

 

「まあ」

 

 近くに車は止めてある。

 魔族の力を使えば、登録証に嵌め込まれたセンサーが作動するが、それでも現行犯でない限りは厳重注意で済むはず。すぐさまここから離れて腕輪を破損したとか適当にでっち上げた理由を保安部に言えばお咎めなしで済ませられるかもしれない。それに、この目を(ギラリと)輝かせる、“魔族に憧れを抱いているような上玉”を逃すわけにはいかない。

 

「俺は獣人種―――実は巷で、『獣王』に最も近い獣人と言われているんだぜ」

 

 吸血鬼の眷獣召喚よりも、獣人の獣化の方が目立たないだろうと判断したのだろう。

 相方よりもこのアピールチャンスをものにしようと、大げさに話を盛ってしまったけれど、どうせおのぼりさんにはわからない―――と獣人のナンパ男は目論んだのだが、それがまさか彼女の逆鱗に触れるとは夢にも思わなかったであろう。

 

「<鳴雷>!」

 

「へ!?」

 

 獣化しようと魔族登録証を外し、警報が鳴るや否や、霧葉の身体は動いていた。

 男の顔面へと押し当てられた掌底が、紫電を発して強烈な一撃をお見舞い。獣人種が大柄な体躯をしていてもそれは魔獣ほどの重量ではない。剣巫と六刃が操る白兵戦術で軽々と吹っ飛ばしてみせた。

 

「な……!? お、おまえ、攻摩師か―――!?」

 

「あら、仮にも『獣王』を口にするなら、今の一撃くらいでのびないでほしかったのだけど」

 

 魔族登録証を外した―――自衛権の口実ができたところで、容赦なく。その仲間の男もこれ以上何かをさせることもなく、同じ掌底を撃ち込んで仕留める。

 

「子犬じゃ肩慣らしにもならなかったわね……業火で焼いて、剣で斬り裂いて、それでも壊れない身体でないとサンドバックには不合格」

 

 落胆した息を零すと、遠くからサイレンの音が近づいてきた。

 おそらく特区警備隊の保安部隊が、魔族登録証の異常を感知して駆けつけてきたのだろう。自衛権発動しても構わない状況であるのだけど、太史局の攻魔師が、登録魔族相手に暴力を振るうのは問題行動である。そして、問題となれば、獅子王機関に面倒な理由を与えてしまうことになる。

 横暴にして美貌の黒き魔槍使いは、そそくさと透化迷彩の呪術をかけてこの場を後にした。

 

 

 

つづく

 

 

 

邯鄲の夢枕X

 

 

 

人工島西地区

 

 

 マンションから十分以上走り続けて、古城たちは駅前の繁華街に出た。

 ショッピングモールでは年末のバーゲンが行われており、大晦日とはいえ、人通りはかなり多い。流石の魔女も、こんなところで戦闘を仕掛けてくることはないだろう。そう思って古城は足を緩める。そろそろ体力の方も限界だ。

 

「ここまでくれば大丈夫か?」

 

「はい、多分。追跡妨害の術式を使えるだけ使っておきましたし」

 

 式神用の呪符を握ったまま、雪菜が古城に答えてくる。

 『七式突撃降魔機槍』を、機関へ預けている彼女だが、それでも剣巫としてのスキルが失われたわけではない。

 空間制御の魔術を使う魔女には、たとえどんなに離れたところで、一瞬で追いつかれる可能性がある。しかし彼女が古城たちを見失っている間は、おそらく安全なはずだ。

 

「けど、参ったな。まさか“あの<空隙の魔女>に”目をつけられるなんてな」

 

 乱れた呼吸を整えながら、古城が弱り切った口調で呟いた。

 

「ええ、それほど管理公社は、先輩を――<第四真祖>を絃神島から出すわけにはいかないということなんでしょう」

 

 生徒の安全確保のため『魔族特区』内の教育施設には、攻魔師免許の保有者を一定の割合で配置することが義務付けられている。古城たちが通う彩海学園には各学年に一名ずつ、中高一貫であるから計6人の兼業攻魔官が雇われている。

 しかしながら、あの<空隙の魔女>は、彼らの中でも少々特殊な立場にある。何故なら国家攻魔官としての実力が突出しているということで、現役で犯罪捜査にも関わっているのだ。

 その魔導犯罪者の捕縛率は、100%―――狙われれば、逃げられたものはいない。

 

「それでどうやって本土に行くつもりですか先輩」

 

「島を出る方法なら、ひとつ心当たりがある」

 

「<オシアナス・グレイブⅡ>―――アルデアル公のクルーズ船ですね」

 

 古城の思考を読んだように、雪菜が先に答えてくる。

 不本意そうに口を歪めて、古城は溜息交じりに頷いた。

 絃神港に停泊している巨大な外洋クルーザー<オシアナス・グレイブⅡ>の所有者(オーナー)は、欧州を広く支配する第一の魔族自治領の『戦王領域』出身の吸血鬼ディミトリエ=ヴァトラーだ。特命全権大使の肩書を持つヴァトラーには、魔女もおいそれとは手出しできないはずだ。

 絃神島から本土までの所要時間は、長距離フェリーで約半日。

 流石に飛行機の速度には及ばないが、この際、贅沢を言っていられない。

 

「あいつの船の中は治外法権で、人工島管理公社も手出しできないんだろ? どうにか頼み込んで本土まで運んでもらうさ。正直、この手だけは使いたくなかったんだけどな」

 

「随分高くつきそうな手段ですね」

 

「しょうがないだろ。他に手なんて……ねぇんだから!」

 

 苦悩するように歯を剥きながら、古城は呻いた。

 そもそもの問題はあのヴァトラーが、古城の頼みを快く聞いてくれるかどうか、ということだ。<第四真祖>に愛を捧げた、などと口先ではふざけたことを言っているが、基本的にヴァトラーは単なる戦闘狂であり、強者との殺し合い以外には、ほとんど興味のない男である。そんな奴に願い事をすれば、代償として、どんな無理難題を吹っ掛けられるか予想もつかない。

 一回古城と喧嘩をさせろ、程度で済めばマシだが……

 

 

 暁古城たちの意識は、すでにヴァトラーとの交渉へと向いていた。

 それがどれだけ夢物語であったのか、そのゴール寸前に辿り着いてようやく二人は知る。

 

 

 港へ着くと、島の様子は一変していた。

 明かりは途絶え、人間の気配がしない。

 無人の港には、しかし、強い波長を感じる。

 

 

 “■■■、■■■、■■■、■■■―――!!!!”

 

 

 囁きにも似た不安を煽る遠吠え。

 

「―――」

 

 警戒態勢に気を尖らせる。

 空気に混じった獣臭のせいだろう。

 まだ見てもいない相手に、激しい恐怖を抱いた。

 

「……先輩、港に、何かがいます」

 

「ああ、さっきから何か声が聴こえるな」

 

「声、ですか? いえ、私にはこれといって―――いえ、確かに何か聴こえますね。これは……犬の鳴き声、でしょうか」

 

 聴き取り辛そうに目を細める雪菜。

 魔族の古城とは違い、人間である彼女にはまだ拾えない距離か。それとも人間には聞き取れない、可聴域外の周波数で声を出しているのか

 

 

 “■■■、■■■、■■■、■■■―――!!!!”

 

 

 しかし、声はだんだんと大きくなる。

 キンキンと、頭蓋と脳の隙間に反射して本能を刺激する。

 

 引き返せ―――そう叫ばれてるようで。

 

「先輩、何かあったのですか? 顔色から血の気が……まさかすでに攻撃を受けて……!?」

 

 ああ。

 確かに、耳内の螺旋を掻き乱すほどの重圧は、平衡感覚を狂わせる。

 

「……いったんここは引き返しましょう。また別の手段で本土行きを……」

 

「いや、俺は大丈夫だ。それより先を急ごう。どの道、本土に行くにはこれしかないんだ!」

 

「せ、先輩!」

 

 先だって走り出す。

 自分には彼女が一緒にいてくれている。

 そして、自分は世界最強の吸血鬼の力がある。

 この先、何が待ち構えていようと、遅れを取ることはない―――

 

 

 “■■■■■―――ッ!!!!”

 

 

 遠吠えが咆哮に変わった。

 

「―――」

 

 ここに至って、雪菜と言葉を交わす必要はない

 

 今宵は、月は昇らない。

 星も見えない暗雲の静寂の中、二つの人影が古城たちを待ち構えていた。

 

 ひとりは、幼い少女の見た目をした、魔女。

 そして、もうひとりは―――

 

「―――逃避行もそこまでだ」

 

 感情に乏しい声。

 その出で立ちから、無機質な人形を連想する。

 

「―――<空隙の魔女>―――」

 

 剣巫は瞬時に反応する。古城を守るように前に踏み出し―――でも、今の彼女の手にはあらゆる魔術を破る槍が、ない。古城は、

 

「■■■―――!!」

 

 愕然と、魔女の隣に侍る“三次元に盛り上がったような影”を凝視していた。

 

「術式で追跡妨害していたのに……」

 

「転校生の腕が未熟かどうかそれ以前の問題で、その手の魔術はまったくの無駄だ。あんな子供騙しにしかならない小細工で、貴様らが逃げ切れるなど万にひとつもあり得ない」

 

 つまり、自分たちを逃がしたのではなく、人気のない場所に移動するのを待っていた。

 隠密に行動していたつもりが、結局、この魔女の掌の上で踊らされていたのだ。雪菜にしてみれば、ひどくプライドを傷つけられる展開だろう。

 そして、魔女は暴れても被害が少ない場所にあればいつだって捕まえられると余裕がある。獅子王機関の剣巫だとか、世界最強の吸血鬼だとか、まるで気にも留めていない。たとえ相手が真祖であろうが、これまで悉く監獄にぶち込んできた魔導犯罪者と同じであると、言葉にせずとも思い知らされる無関心な態度だ。

 

「……まだ、抵抗する気か。懲りないなお前らは―――何にしても私が言えるのはひとつだ。倒さぬ限り先へはいけない」

 

「!」

 

 雪菜の双眸に蒼い火花が走る。

 溢れん出さんばかりの戦意は、今の言葉にウソはないと感じ取ってのことか。

 

「先へはいけない……この港はすでに封鎖されているということですか?」

 

「……港、というより“ここ”がだな」

 

 空間制御に長けた魔女であるのなら、空間置換で出入り口を繋いでしまうことで脱出不可能の結界も即興で作ってみせることも可能なはずだ。

 何にしても追跡妨害が意味をなさない相手であるのなら、ここで倒さなければいつまでも追ってくるだろう。

 雪菜の戦意は、すでに敵意へと変わっていた。

 あの者たちを完全に敵と認識し、背中越しに古城の決断を待っている。

 だが、古城は生憎と思考が停止してしまっている。

 呼吸も忘れて目前の光景を見つめている。

 

 

 ―――俺は、これを知っている……!

 

 

 ヒュン、と魔女が左腕を一閃した。

 その直後―――声もなく、雪菜の身体が背後へと飛ばされた。激しい砂塵を噴き上げながら、4、5mほど吹き飛んで、彼女はコンテナへと叩きつけられる。

 

「姫柊ッ!?」

 

 力無くふらついて、ばたり、と崩れ落ちる雪菜を、古城は信じられない気分で眺めた。

 <雪霞狼>の魔術無効化能力がないとはいえ、霊視による未来予知で気を張り巡らせていた雪菜をここまであっさりと倒すなんて、古城はこれまで見たことがない。

 霊視でさえも見切れない―――霊視に頼りがちな剣巫には、まず防げない不可視の衝撃波。

 雪菜の視界が、ぐらりと揺れた。霊視で迸っていた目の光も消える。苦痛より衝撃より、ピンポイントで脳を揺さぶられたことで平衡感覚が酩酊したように失われた。

 たった一撃で、相手の抵抗を奪ってみせるその技量の高さ。直接的に負傷が与えられたわけではないだけに、吸血鬼の回復能力も役に立たないだろう。

 あれは、古城にも通用するのだ。

 古城の意識が魔女へ向いた―――

 

「テメェ、よくも……!」

 

 本気でやらないと、まずい。

 

 信頼していた監視役の少女を倒された古城は、自重を止める。

 全身から、溶岩にも似た濃密な魔力の奔流が噴き上がった。これで四方から不意打ちをされようが、爆発にも似た魔力の放出で弾き返してみせると古城。そして、固く栓をしていた<第四真祖>の力を解放し、眷獣を召喚す―――

 

「遅いな。何もかも」

 

 もうすでに火蓋は切って落とされている。

 そして、対峙しているのは魔女だけではなく。

 

 膨大な魔力放出により、迂闊に近寄れない暴風域と化した古城の周囲―――それを突っ切る影。

 

疾く在(きやが)―――!?」

 

 古城が一瞬視界から外したその影が、視界を覆い尽くす近距離に迫っていたのだ。

 慌てて後退しながら、距離を取る。

 だけど、それは無意味であった。

 相手は魔族の吸血鬼以上の身体能力があり、すでにここは相手の間合い。

 距離を取ろうとした時点で、もう終わっていた。

 吸血鬼が切り札である眷獣を喚び出すよりも早く仕留めるのが鉄則だと、主人の魔女にされた教訓(しつけ)。まったくその通りに、眷獣がなければ、肉体が不老不死であるしかとりえがない吸血鬼に、切り札を出させる前に終わらせる先手必勝はこの上なく効果的だ。

 

「■■■■■―――ッ!」

 

 慄然となった古城の内懐に、影が死神の如く滑り込む。眷獣の召喚が成功しても間に合わない至近距離。

 踏み込んだ震脚がコンクリートの地面を雷鳴のように撃ち鳴らし、繰り出された山をも引っ掻く虎の如き猛然とした爪拳を獲物(こじょう)の右腕に喰らわす。停滞せ(とまら)ず。素早く身を寄せながら寸勁をこの身に打ち通し、最後は体当たりをぶちかますように肘を抉り込む。

 淀みのない一連の流動。目にも留まらぬ連撃は、頑健な城門すらも打ち破る絶招の一手『猛虎硬爬山』というものであった。

 反応、できなかった。

 受け身など、望むべくもなかった。

 血を噴出させ、眷獣召喚の起点となる右腕が、一撃目で引き裂かれた。続く連撃で心臓に杭を打つかの如き貫通した衝撃が襲い、もはや胸元で手榴弾が炸裂したも同然の破壊力に呼吸ができなくなるどころか肺が爆散。完全に息の根を止められた死に体が、先の雪菜よりも無残に、藁屑のように宙を舞い、コンテナのひとつに叩きつけられる。

 ほんの一瞬、注意を怠っただけで、利き腕をなくし、肺と心臓をもろとも粗挽き肉へと変えられた。

 

 勝敗は、一瞬で決した。

 秒殺、という表現があるが、現実時間で10秒もかかっていない。

 そして、戦争(ケンカ)にすらならなかった作業で、勝者は喜悦もない。

 ただ淡々と、為すべきことを成したという無感情な顔を魔女は浮かべる。

 

 

今回の夢物語(チャプターX)は、失敗だ……」

 

 

 抵抗や反撃なんて、考えるだけで無駄。

 身動きのできないところに虚空より放たれる鎖が古城たちに巻き付いて、異空間へ引き摺り込まれた。

 来年へ越せず、夢から覚めることもないまま……

 

 

 

つづかない

 

 

 

 

 

彩海学園

 

 

 世界最強の吸血鬼の力を、成り行きで受け継ぐことになってから八ヶ月。

 将来のためにも、高校を留年なく卒業できるだけの教養が必要だ。

 正直、今もまだ自覚に乏しいのだが、一応、<第四真祖>と呼ばれる吸血鬼である。そして吸血鬼の真祖というのは、永遠に近い寿命が与えられているもの。

 そこでまず頭を悩ませるのは、職業選択の問題である。

 吸血鬼だからって、霞を食って生きられる仙人ではないのだから生物的欲求で空腹を覚えるし、世俗を捨てるつもりはないのだから衣類や住居も必要となる。貴族社会に生きる華麗なる吸血鬼男爵など似合わないしするつもりもないが、一般庶民の吸血鬼としては、働かなければ食っていけない。広大な領地を所有し、豪華なクルーズ船で悠々自適に道楽に生きるディミトリエ=ヴァトラーとは違うのだ。かといって、『世界最強の吸血鬼』なんていう馬鹿げた肩書きが、就職活動の履歴書に書けるわけがない。

 そんなわけで、教養を身に付けようと古城は考えた。

 

「暑ィ……」

 

 たった一人の教室。難解な英作文の問題を相手に苦悩の表情を浮かべる暁古城、その額に大きな汗の滴がひっきりなしに伝い落ちていく。

 不老不死の吸血鬼だからこそ、学歴や知識はあって困るものではないだろうし、あとは就職に役立つ資格や、手に職を身につけるのが望ましい。そのためには、何かと厄介な事件に巻き込まれまくったせいで減らしてしまっている出席日数を留年しないよう補う、この長期休暇を潰す補習授業を合格せねば―――

 そんなことを考えてせっせと補習に向けて、予習をするくらいに頑張っているのだが、それでもきついものはきつい。

 湿った手首にベタベタと答案用紙が張り付いて鬱陶しいは、季節外れのセミたちが騒々しく鳴いて集中力を掻き乱すは、と頭がぼうっとなってしまうのも無理はなくて。

 年がら年中真夏のように澄んだ青空が広がる光景に、日付感覚まであやしくなってくる。

 

 あれ?

 今日って、12月の何日? っつか、年越しまであと何日だ?

 

 ちょっと携帯機器で確認する。

 ……ああ、もう明日で大晦日になるじゃねぇか。

 

 情けを掛けられたのか、今年最後の日の前日に当たる今日で、無断欠席しまくって追試で赤点を取りまくったどこかの馬鹿の補習授業は最後となる。

 でも、こんな年末のどん詰まりに近くまで追い込まれるなんて、本当に余裕がない学生生活だ。

 

「テスト時間終了。答案回収。採点します」

 

 と見張り役と立たされた人工生命体(ホムンクルス)に、古城はどうにか全部埋めれた答案を差し出す。

 教卓にて採点するアスタルテは、彩海学園の用務員のようなことを任されている。英語担当の教師ではないが、彼女の代役を任されているらしい。こんな暑い最中に、補習に付き合わせてしまって申し訳なく思う。でも、その職員室から運んできた扇風機を独占しているのなんとなくジト目で見てしまうのだが、しかしながら扇風機ももってきたのは彼女であるので快適さをお裾分けされないからって恨みがましく思う権利は古城にはない。

 テスト中、ずっとセミの鳴き声をバックコーラスに『ああああああああああ』と扇風機の前に座り込んで発声練習していたのだが、きっと興味深かったのだろう。

 

(あー、大掃除どうするか……)

 

 年末といえば、やはり一年を清掃する大掃除。

 正直、そんな気力もない。今はクソ親父に連れられて丹沢の祖母の家に帰省しているのでいないが、凪沙が時々掃除してたし構わないかとか考えてたりする。

 でも、それでしなかったのがバレたら妹は『あたしがいないとどうしようもない』と兄的に不名誉な文句を言われることになるだろう。

 

「採点完了。百点満点中六十六点。補習クリアです」

 

「ほっ……」

 

 妹の顔を思い浮かべている間に、速やかに赤ペンを答案に走らせたアスタルテから、可もなく不可もないとりあえず赤点セーフした微妙な点数を告げられる。

 とはいえ、これでも予習の成果で古城としては高得点な部類である。客観的には精々落第生が人並みになった程度だとしても、真面目に頑張ったのである。

 胸を撫で下ろした古城に、アスタルテは相変わらず淡々と、

 

「では、よいお年を第四真祖」

 

「ああ、お前もな、アスタルテ」

 

 投げやりに返事をした古城は、教室を出ていく教師代行(アスタルテ)を見送ってから、筆記用具を片付けようとすると、入れ替わるように教室のドアを軽やかに開けて現れた新たな人影。

 スポーティな装いをした体育教師の笹先岬だ。

 

「じゃ、次行くよ。英語の後は体育の補習だったりして。とりあえず護身術研修の分を武術研究会のみんなとやるから、着替えて体育館に集合ね」

 

 慢性的な出席日数不足の古城にとって、受けるべき補習授業の科目は英語だけではなくて……

 いつも通りのテンションの高さで、古城に中華拳法の達人が行う講習へ強制参加を告げると体育館と行ってしまった。

 

 

 

 

 

「…………………あれ? 今日って本当に大晦日の前日で良かったのか?」

 

 

道中

 

 

「あの……大丈夫ですか、先輩?」

 

「なんとか、な……ああくそ、本気で吐きそうだ……」

 

 護身術講習と称した軽いサンドバック。

 軽い技の手ほどきを受けてから、暴漢役を演じるからとにかく逃げ続けろ、と。

 そんな大雑把な感じで体育教師とほぼワンツーマンで行われた補習は、吸血鬼の古城であっても目で追うのがやっと。笹崎岬は、彩海学園に6人いるという兼業攻魔官のひとりであり、剣巫の雪菜と舞威姫の紗矢華が訓練生時代であるも、指一本も触れることができなかったという仙法と拳法の達人<四仙拳>のひとりだ。最後なんて、八極拳の奥義だとかを寸止めでやられて、心臓とか肺が爆散するイメージが古城を襲った。

 思ったよりもいい反応するから興が乗っちゃった、と体育教師の弁。

 いくら不老不死だからって、胸郭がブッ飛ばされる想像をされては精神的損耗が凄まじくて、これならば常夏の炎天下で10kmマラソンというデスマーチの方がまだよかったくらいだ。

 

「とりあえず水分補給してください。あと、これ。レモンの蜂蜜漬けです」

 

「ああ、サンキュ」

 

 手回しの良い雪菜に感謝をしつつ、古城はスポーツドリンクのボトルとレモンをいただく。

 ああ、なんだかバスケ部にいた頃を思い出さされる。

 古城と雪菜は、世界最強の吸血鬼とその監視役として日本政府から派遣されてきた剣巫であって、運動部のエースと敏腕マネージャーという関係ではない。傍から見ればそうとしか見えないのだが。

 と、わずかながら元気を取り戻したところで、古城はまた一度雪菜に謝意を示す。

 

「悪いな、姫柊。大晦日も明日なのに学校に付き合わせちまって」

 

「いえ、先輩の監視が私の任務ですから」

 

 予想していた通りの返しをされて、古城は思わず苦笑する。

 年度末の武神具検査とかで『第七式突撃降魔機槍・改』という<第四真祖>の対抗手段を獅子王機関に預けている以上、雪菜が無理に古城に付き合う必要はないのだが、なんだかんだで生真面目な彼女にいつも通り世話になっているという具合だ。

 そこで、ふと、古城は記憶の光景と今の在り方が重なり、感想をこぼす。

 

「なんかこうしてると姫柊に会ったばかりのころを思い出すな」

 

「え……?」

 

 唐突なその発言に、雪菜が警戒したように表情を硬くする。制服のスカートの裾を押さえながら、古城の視界から逃げるように後退する。

 

「な……何を思い出してるんですか!? 忘れてくださいってお願いしましたよね!?」

 

「……え? あ! ―――いや、違うぞ!」

 

 ぼん、と突沸したように顔を赤らめる雪菜に、古城も顔に焦りの冷や汗が浮いた。

 出会いがしらの不幸な事故というか、神風は二度吹くというか。

 雪菜との初遭遇で、古城は彼女のパンツを二度も拝んだことを思い出したのだ。

 でも、違う。

 古城が言いたかったのは、補習で登校していた時に雪菜と会った時の事。顔合わせしたのはその前日であるが、まともに会話をしたのはその時だ。

 この日と同じように古城はひとりきりで学校を訪れて、補習授業を受け、そしてその帰りに中等部の転校生であった雪菜が古城の前に現れた。

 

「あんときの姫柊の印象は最悪だったけどな。なんか知らんが、いきなり槍を向けられたり」

 

「そ、それは先輩の責任だと思うんですけど! 思うんですけど!」

 

「いや、でも、無抵抗の魔族をいじめるのは、攻魔特別措置法違反だろ」

 

「よく知ってましたね、それ……でも、先輩は未登録じゃないですか」

 

「ちょ、いくらなんでもそれはひどいだろ!?」

 

「けど、先輩だってひどいじゃないですか! だって世界最強の吸血鬼だって聞いてたのに妙に頼りないし、何を企んでいるのかよくわからないし、こそこそと逃げるのが上手だったり、記憶がないって話も胡散臭いし、いやらしいし……そんな人のことを信用できると思いますか!」

 

「いやらしくねぇよ! あんときパンツ見たのだって完全に不可抗力だっただろ!」

 

「だからそのことは忘れてください!」

 

 あの頃の刺々しい言動は、雪菜にとってもあまり思い出したくない恥ずかしい記憶らしく、珍しくムキになって言い返すと雪菜は、古城を残して速足で駅に向かって歩き出す。

 そこで古城も追いかけようとするが、運悪く横断歩道を踏み出す前に、赤信号に捕まってしまった。手持無沙汰となった古城はこの待ち時間、携帯電話を取り出して、黙々とメールのチェックを始める。

 

 ひとつ、古城は気になることがあった。

 これを言うと周りからシスコンとか言われるかもしれないが、凪沙からの連絡がないのだ。

 この前、セレスタ=シアーテを中心とした『邪神怪獣騒動』が終わった直後、だいたい午後八時あたりに連絡して『祖母さんの実家にもうすぐ着く』と報告があったが、それっきり。以来一切音沙汰なしだから、流石に古城も不安になる

 確かに、帰省先は携帯電話の届かない場所であって、連絡が途切れているのも特に不自然ではないかもしれない。古城たちの祖母は、人使いが荒いため、メールをする暇もないくらいに手伝いをされている可能性もある。

 そもそも中学生の妹が、用もないのに兄にこまめに連絡をしてくる方がおかしい、そういう定期報告は彼氏とやるものだ、という世間の常識も、一応は自覚している。

 

「………」

 

 でも、古城は、青信号となってもそこから動こうとせず、空っぽのメールボックスを最後にもう一度未練がましく確認する。

 結局、二度のチェックの甲斐もなく、携帯電話をポケットにしまう古城は、そこでこちらに駆け付ける人影に気づく。

 

「古城! お願いちょっと匿って!」

 

「はぁ? いきなりなんだ浅葱!?」

 

 視界に入ったのは、華やかな髪形の同級生の浅葱―――とその背後に迫る割烹着姿の白髪の少女。

 意外と運動神経の良い浅葱の俊足につかず離れず、三歩後ろ斜めに張り付いていることにまず古城は感心して、それに何かと重なるその整った人形めいた顔立ちが目に留まる。

 

「まさか何か事件か?」

 

「え、っと、そういうのじゃないんだけど……」

 

「哨戒開始。半径50m圏内に危険対象と該当する魔族は一名―――排除しますか、お嬢様(マスター)

 

「しないしない! そんな物騒な真似しないでいいから! もう大人しくしててちょうだい!」

 

命令受託(アクセプト)―――待機状態に移行。何かあれば何なりとご命令を」

 

 古城にガラス玉のような無機質な瞳を向けた割烹着の少女は意味深に左腕を挙げてみせたが、そこへすぐさま浅葱が制止した。

 未だ、状況を上手く呑み込めていない古城だが、とりあえず面倒な奴に絡まれていることはわかった。

 

 

 

つづく

 

 

 

???

 

 

 ―――漆黒の裂け目が生じた。

 光が差し込んでいくのではなく、内側の闇が外へ染み出していくかのようであった。

 どろどろとした、嘆きや怒り、怨念と負のものを醸造された闇の成分。

 

「見つけました……」

 

 と、眼鏡をかけた文学少女が喉から声を洩らす。

 扉の裂け目から、淡い影が浮かび上がっていた。

 明かりの一切ない、冷え切った地下室。

 壁という壁に呪術式が描き込まれた、魔封じの空間。

 その牢獄の中に―――

 

「……おや、もうお時間ですか」

 

 じゃらりと、鎖の擦れる音。細い体を包んでいる灰色の囚人服。かすかな音に反応して顔を上げる青年の姿。

 そう。

 頭しか、動かせないのだろう。

 

 

「ええ、出所のお時間です」

 

 

 その双眸を目隠しによって閉ざされ、鎖に雁字搦めにされて椅子に縛り付けられる。拘束椅子に座らされる男は、その四肢の動きを完全に封じられ、“この身体”となった時から触覚や味覚というのがすでに死んでおり、音しか拾えない。

 だからこそ、絞られた感覚の精査は、表面上の誤魔化しが通用しないのか。

 

「……(しずか)、ではありませんね」

 

「おや……機械の声紋照合さえも誤魔化せたのですが」

 

 内心で舌を巻く。ここに閉じ込められてから、腕が鈍るものかと危惧はしていたが、それは杞憂であったらしい。

 

「しかし、自意識まで保っているとは……」

 

「ええ。本物の閑は『三聖』の中ではわりとお行儀の良い方だと思いますよ。単なる苦痛や薬の投与、催眠暗示の呪術では意味がないことを知っていますので、最初からそっち方面は諦めていましたし。両手両足を切断したり、防腐処理をされて人造吸血鬼(キョンシー)の標本にされたりしなかっただけでも、ありがたい限りですね」

 

 くっく、と笑みを零して、ようやく誰何を投げる。

 

「それで、あなたは誰なんです? 生憎と、声に覚えはありませんし、このように目も見えませんから」

 

「貴様の同士だ、『冥狼』」

 

 最下層の囚人――絃神冥駕の目隠しを外し、その仮面を取った侵入者の正体――右腕のない人影を晒してみせる。

 

「これまで名は捨てていたが、折角魔女が付けてくれたのだ。―――『人狼』、とでも呼ぶといい」

 

 この右腕を斬り落とされた相手からの忌々しい蔑称をあえて名乗る。

 そして、冥駕はその『人狼』が手にした、血のように赤い髪をした人型へ目をつけた。

 

「ああ、これはここに来るまでに見つけた“道具”だ。ちょうど失った右腕の代わりと、ここを出るまでの間、最下層の囚人の身代わりとなる“情報”が欲しかった」

 

 仮面を翳すと、すでに左腕のない人型の残っていた右腕――師より錬金術師の弟子天塚汞へ分け与えられた最後の、生命線であった『霊血』が、溶けた銀のような一筋の輝きとなり宙に浮く。一瞬何の形もなく捩れるように動いていたが、やがてそれは、また人の手の形になり、月明かりのように仄かに光を振り撒きながら舞い下りて、『人狼』の新たな右腕へと収まった。

 『人狼』は目を細めて、銀の右腕を見つめた。まるで輝く銀の手袋をはめたように、その手は継ぎ目なく腕についていた。『人狼』は輝く指を曲げ伸ばしして、これが己のものとなった手応えに満足したように笑みを作る。

 

「『霊血』……目をつけていた素材だったが、いいものだ。実に馴染む」

 

 両腕を失くした人工生命体(ホムンクルス)をもはや用済みと、拘束椅子に座る冥駕の足元へと蹴って転がす。

 

「これから本土であの御方が我々に授けし遺産の封印を解く。そのために有能な人材はひとりでも多い方が良い。協力するのならば、貴殿をここから出そう」

 

「なるほど、『聖殲派』の方でしたか」

 

 物静かな青年の風貌が、ほんの一瞬、魔性の凄みを帯びた。

 

「ええ、構いません。私をここから出してくださるのであれば、誰の手でも取りましょう。『聖殲派(あなたたち)』であれば私の目的とも合致しますしね」

 

 二人の“狼”は笑みを交わした。途端、拘束椅子へ縛る封鎖がほどけ、自由となった『冥狼』の手に、『人狼』は両刃槍――獅子王機関の廃棄兵器である『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)』を持たせる。

 瞬間、霊力を無効化する“失敗作”の力を起動させた冥駕は、拘束から完全に解放された。

 

「これはこれは、閑も大目玉を食らいますね」

 

「本物の『三聖』がどうなろうと一向に構わない。その顔を捨てた私にはもはや関係のないのだから」

 

「後で恨まれますよきっと」

 

「そのころには獅子王機関も我々の下についていることになっている」

 

 

 

つづく

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