ミックス・ブラッド   作:夜草

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前夜

絃神島

 

 

 『第七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)

 魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を斬り裂く破魔の霊槍は、魔族の超再生能力を阻害し、彼らの肉体に致命的な崩壊をもたらす。不老不死の吸血鬼であっても、その例外ではない。それが世界最強の吸血鬼であっても、刺し貫かれれば滅びるしかない。

 だが、その魔族を殺すためだけに造られた、獅子王機関の秘奥兵器<雪霞狼>の刃を向けられて、世界最強の吸血鬼<第四真祖>は、笑っていた。

 監視役から取り上げた銀色の槍に無残に貫かれる瞬間、暁古城は、牙を剥き獰猛に笑って見せた―――

 

 

 ……緋………奈……

 

 

 そして、聴こえた。

 銀色の槍を無情に突き出したその瞬間にさえ、無視できない、できなかった声。

 でも、それはありえない。

 7年前、狼を聖獣とする異邦の女神を信奉する呪術集団の里に潜入し、供物として殺されかけていた幼い少女を救うため、たったひとりで戦って命を落とした、初代『第七式突撃降魔機槍』の使い手は、もういないのだ。『先代の閑古詠』――母親に見捨てられて……

 ―――その彼女の声が、銀槍から響いたよう……

 

「随分派手にやらかしたね、(しずか)。人工島管理公社の連中、今頃頭を抱えてるだろうよ」

 

 あの刹那の出来事を回想する娘。巫女装束――袖と緋袴が、わずかに引き裂かれた――の少女は、不意に足元から気負いの感じられない洒脱な口調で呼びかけられた。

 声の主は一匹の猫。大きな金緑石が埋め込まれた首輪をつけ、しなやかな体つきの美しい黒猫。その金色の瞳の輝きは明らかな知性の光で―――300km以上も離れた本土より術者と繋がってる破格の式神なのだ。

 

「……見ていたのですか、縁堂縁」

 

「獅子王機関の閑古詠を出し抜くとはね。<第四真祖>の坊やもやるじゃないか」

 

 喋りに驚愕な感情まで込める、縁堂縁の伝言の黒猫。

 『三聖』がひとり、<静寂破り(ペーパーノイズ)>の攻撃をしのげたことがよほど予想外だったのだろう。

 

 『存在しないはずの時間を、現実の世界に無理矢理割り込ませる』という、『閑古詠』に許された特権。

 時間を止めているわけでも、超高速で移動しているわけでもない。なのに、存在しないはずの時間の中で実行された、存在しないはずの攻撃の結果だけが残る。

 これが、偉大なる吸血鬼の真祖達すら警戒する、予測不可能な絶対先制攻撃の権利―――獅子王機関『三聖』筆頭の<静寂破り>の能力だ。

 そのとき、<空隙の魔女>との戦いにほぼ死に体であった<第四真祖>に躱せるはずがないもの。

 その不可能が、覆された。

 

 結界で仮死状態に至らしめんとした寸前で、<静寂破り>の力が、打ち消されたのだ。

 他ならぬ<雪霞狼>によって。

 

 『七式突撃降魔機槍』の魔力無効化能力は、使用者である自分にも影響を与える。少なくとも『神格振動波駆動術式』を起動させている間は、<静寂破り>の力は使えない。

 それは、最も注意を割いていたことだ。

 霊槍を突き立てることで、<第四真祖>の魔力を無効化し、『神格振動波』の結界に封じ込めるために<雪霞狼>を使う必要があった。

 

「あの坊やが戦闘の素人だと思って侮ったかい、<静寂破り>? 弱り果てていたとはいえ、“<雪霞狼>を使うタイミングが早過ぎたよ”」

 

 ―――違う。

 自分じゃない。

 あのとき、“まだ霊力を篭めていなかったのに勝手に”『神格振動波駆動術式』が起動した。

 まるで、<雪霞狼>が吸血鬼の武器型眷獣『意思を持つ武器(インテリジェントウェポン)』であるかのように―――そんなの、ありえるはずがない。

 けど、そうでなければ、あれは自分の失態ということになる。

 

「あの坊やは、無力な人間の分際で、『焔光の宴』を生き延びて<第四真祖>の力を手に入れた、正真正銘の規格外品(イレギュラー)なのさ。真祖の魔力や眷獣なんかよりも、その事実の方がよっぽどおっかないことだよ。本人に自覚はないようだけどね」

 

 そして、暁古城はこちらの失態(ミス)で得た好機(チャンス)を逃さず、右腕を犠牲にし、彼自身をも巻き込ませる相打ち覚悟で、眷獣を召喚させた。

 それが、<静寂破り>対策の最適解のひとつ。それを計算ではなく直感でそれを理解して、暁古城は躊躇なく行った。

 

 結果として、暁古城は『三聖』から逃れられた。

 海岸部の形を変えるほどの爪痕を人工島に残し、自らも傷ついたまま海中に沈んで――姫柊雪菜に太史局の六刃神官も一緒に巻き込まれ――戦闘にも外交上にも至極厄介な『戦王領域』の外交大使(アルデアル公)が所有するクルーズ船に拾われた。治外法権の拠点に入られてしまっては、獅子王機関も手出しがやりにくい。そして、『三聖』であってもあの<蛇遣い>との無用な争いはできる限り避けなければならない。

 ……不幸中の幸いで、規格外品な暁古城をどうにか制御できる姫柊雪菜も共に行動しているようなので、最悪な事態は免れたようだが。

 

「……縁堂。あなたには、聴こえませんでしたか?」

 

「なにがだい?」

 

 初代より手渡された魔除けのヒメヒイラギの枝をしるべに、高神の社まできた神狼の巫女が、二代目の使い手として初代から<雪霞狼>を継ぐ際に、

 薙刀から長槍へと武神具の形態は変わったものの、内蔵された古代の宝槍の核は変わっていないはず。一度、大破したみたいだが、それも新たに“親和性の高い素材”で補うことで大破される前以上の性能で“蘇った”。

 ―――もしかすると、蘇ったのは、<雪霞狼>だけでなく……

 

「あのとき……姉様の―――いえ、何でもありません」

 

 首を振って、古詠は薄絹(ヴェール)を脱いだ。

 <第四真祖>の捨身のカウンターから免れるために、手放さざるをえなかった<雪霞狼>。だけど、今も耳に残る“彼女”の声を、何故か幻聴と片づけることができないでいる。

 

「……どうやら、疲れているみたいだね、閑」

 

 黒猫が古詠を気遣うように金色の瞳を伏せて、提案する。

 

「管理公社の伝言役の坊や――矢瀬基樹は、百面相にやられた怪我から目を覚ましたようだし見舞いに行ってやったらどうだい?」

 

 この先日のこと。

 『暁凪沙の件で、獅子王機関の見解が聞きたい』、と接触してきた『覗き屋(ヘイムダル)』が、そのとき、『閑古詠』の顔に触れる―――“血塗られた己の面相を彼に触れられるのを極度に恐れている”ことを知っているはずの彼がありえないその行為。

 それで、それが『覗き屋の偽者』だと気付くも、しかし、“彼と全く同じ顔で触られた”その動揺したその一瞬の隙を突かれ、逃げられてしまった。

 その後、深手を負った本物の『覗き屋』は発見されたが―――『閑古詠』の“情報”を入手(コピー)した偽者は、人工島の特殊牢獄最下層より、絃神冥駕を脱獄させた。

 

「……いえ、そんなことに時間を割いていることはできません」

 

 獅子王機関の長として、とても、彼に顔を合わせられるような状況ではない。

 ―――そんなことは言い訳に過ぎないと黒猫も見抜いていた。『三聖』の肩書を与えられようと、まだ18歳。だが、それを指摘することはなかった。

 

「……縁堂。外事部に連絡を。すぐに動かせる舞威姫が、あと一人残っていたはずですね」

 

「うちの不肖の弟子の事なら、高神の社で謹慎中だけどね」

 

「今すぐ呼び戻してください」

 

「お安い御用だ」

 

 <蛇遣い>が本土に向かう、<第四真祖>を連れていくのが止められない以上、それなりの対策を講じる必要がある。

 また、問題は彼ら魔族だけではなく、

 

「この時期でのタイミングで脱獄、手引きした輩は絃神冥駕と、本土に渡る可能性が高い。早急に<空隙の魔女>へ―――」

 

「ああ、打ってつけの狩猟者(ハンター)の派遣ならもう済ませてるみたいさね」

 

 黒猫の視線が空を向き、古詠も顔をあげる。

 そこには地上を睥睨しながら、悠然と蒼穹を横切っていく飛行船があり、その甲板に包帯に巻かれたミイラ男のような少年がいた。

 『人狼』の百面相を嗅ぎ分ける鼻と『冥狼』を殺さずに捕まえる術を持つ、この状況において『三聖(じぶん)』よりも最適な鬼札(ジョーカー)―――<黒妖犬(ヘルハウンド)

 

「……お願い、します」

 

 その場から見送る古詠が、巫女装束の袖口を握り締めてこっそりと呟く。

 あの<雪霞狼>の違和感を知るためにも、絃神冥駕を、また一度、捕まえなければ―――

 

 

神緒田神社

 

 

 真冬の厚い雲に覆われ、月のない空。

 その手の界隈では呪術の関連深く歴史が古いとされているが、世間的に無名である神緒田神社はひっそりと静まり返っていた。

 

 先程までは。

 

 境内より離れた鬱蒼と樹木の繁る鎮守の森の奥。

 裏庭の木立の間を、高校生と思しき制服の少女たちが走る。

 

「『六式降魔剣(ローゼンカヴアリエ)(プラス)』、起動(ブートアップ)!」

 

 160cmにやや満たない身長で、清楚な雰囲気のミディアムボブの髪型にサイドに流した前髪をリボン型のヘアピンでまとめた少女は、全金属製の銀色の長剣より眩い閃光を放ち、

 

「―――認証申請! 『六式降魔弓(フライクーゲル)(プラス)』プロトⅢ、解放(アンロック)!」

『登録射手、斐川志緒を認証、『六式降魔弓・改』、起動(アクティブ)

 

 そしてもうひとり、背格好がほぼ同じ、両サイドだけを眺めに残したショートヘアの少女は、銀色に輝く洋弓に鳴り鏑の呪矢を番える。

 

 空間断層であらゆる物理攻撃を無効化する防御を備えた無骨な白兵武器を振るう前衛の羽波唯里と、広範囲に呪詛を撒き散らす呪術砲台の後衛の斐川志緒。

 まだ師家様より卒業を言い渡されていない見習いの身なれど、同じ高神の社でルームメイトであった『第二の剣巫と舞威姫』。互いの不得意な分野を違いの得意な分野で補う二人組(コンビ)がなす息の合った連携は、第一線で活躍するプロの攻魔師たちにも劣らない。

 

(志緒ちゃん、この人……)

(ああ、唯里。こいつは危険だ―――!)

 

 その獅子王機関の巫女たちが追うのは、現在、習志野の特殊攻魔連隊と獅子王機関が連携し、『三聖』のひとりが指揮して厳重な結界が張られているはずの『神縄湖』の敷地内に気配も悟らせず忽然と出現した若い男。黒衣を着た、繊細そうな顔立ちの青年だ。

 参加している自分たちにさえ作戦開始日時も知らされていない、上位の人間にしか情報が与えられないこの機密度の高い極秘プロジェクトが行われるこの地に、侵入した青年に不吉な予感を覚えた二人は、警告無しの全力で仕留めると目と目で意思疎通し、頷き合う。

 

「なるほど、それが<煌華鱗>の性能を二分化した量産モデルですか。私がいた頃とは、違う方向性ですね。興味深い。しかし―――」

 

 侵入者の男は、自身を捕えんとする彼女たちを一瞥して、薄く失笑した。握っていた左右一対の短槍を強引に接合し、一振りの長槍へと変える。

 

 

「一応忠告しておきますが、あなた方に私を倒すことはできません。優れた霊視力を持つからこそ、あなた方は私を傷つけることはできない」

 

 

 不出来な弟子に教え諭す師のように、唯里と志緒に淡々と告げられる。

 男は最初からこちらを敵などと見なしていない。

 事実として、こちらの霊視は、彼の次の行動を予測できず、標的固定(ロックオン)したはずの呪矢も、ただ、ほんの数歩、足を踏みだすだけで免れてしまう。あらゆる物質を切断する『疑似空間断裂』の魔剣の軌跡も、妖しい輝きを放つ漆黒の長槍に阻まれて流される。

 

「っ、舐めるな―――!」

 

 生まれつきの呪術の才能では、ルームメイト4人の中で見習いを卒業しすでに第一線で活躍する、“『六式重装降魔弓』に選ばれた”煌坂紗矢華に及ばなくても、積み重ねてきた修練の量では劣っていないという自負が志緒にはある。

 そして、この『六式降魔弓・改』は、そんな自分の能力を最大限に生かすために再設計された武神具。

 だが、その志緒が最も得意とする技である呪術標的の多重固定(マルチロックオン)が悉く外されるという結果に終わる。これがどれほど志緒の尊厳(プライド)に傷をつけたか。

 

「『六式降魔剣・改』が通じない……!?」

 

 また切り結んでいる唯里も遊ばれている。その動きを見れば、唯里が自分と共に長い修練を経て身につけた武技を奪われてわけではない。だが、白兵戦で魔族と戦う剣巫の反応速度を高めるはずの未来視が働いていないよう。武神具の効果が発揮していないのも疑問であるもあんな細腕で軽々と剣撃を受けられるなど呪術による筋力強化までも封じられているのか。

 

「獅子の舞女たる高神の真射姫が請い奉る! 雷霆(ひかり)、あれ―――!」

 

 先読みができないのなら、舞威姫の技で、ここ一帯ごとを制圧する。精密射撃を誇りとする志緒には、当たらないと認めるようなもので取りたくない手段だが、そんなものも相方の危機には曲げる。

 紡がれる呪句に気づき、唯里が下がる。そして、志緒が黒衣の男の真上に放った銀色の矢は、甲高い轟音で森を震わし、幾つもの多重魔法陣を描きながら空へと飛翔した。

 呪矢の先端に取り付けられた鳴り鏑が、人体には不可能な圧縮された呪文詠唱の効果を生み出して、大規模な呪術を形成する。

 無風の爆風が巻き起こった。

 志緒が生み出したのは、稲妻を模した濃密な呪詛の刃だ。それらは雷光の速度で地上へ降り注ぎ、黒衣の男を刺し貫かん―――!

 

「まだ、相性が最悪であることがわかりませんか?」

 

 避雷針とするように漆黒の両刃槍を天に掲げる。たったそれだけで舞威姫の雷霆が、霧散した。

 

「『六式降魔弓・改』の魔方陣を、こんな簡単に打ち消すなんて……!」

 

 志緒の技が防がれたことに、唯里は顔を引き攣らせながら相手の得物を見る。

 鳴り鏑矢の生み出す高密度の呪文を、あそこまで簡単に消せるのは、獅子王機関の秘奥兵器しか思い浮かばない。

 だが、あれは違う。

 一目でその歪な形の槍が、獅子王機関が開発する武神具と同種の技術で造られた代物であることはわかっていた。

 本当ならば<第四真祖>の監視役の第一候補であった唯里は、“自身を担い手に選ばなかった『第七式突撃降魔機槍』”を見ているし、触れて試したこともある。

 それにおそらくあれは、呪矢の魔力だけでなく、こちらの霊力までも打ち消している。<雪霞狼>は、魔力を打ち消せるが、霊力は打ち消せない。陰と陽の生命の成り立ちから、どちらとも消してしまえばそれは生命の否定となるからだ。

 使えば術者が死ぬような兵器なんて廃棄されるべき失敗作―――

 

「はっ! その槍、まさか―――」

 

「ようやく気付きましたか。『零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)』―――獅子王機関の失敗作『廃棄兵器』です」

 

 動揺する唯里に、侵入者の青年は蔑むように見つめて微笑んだ。

 師家様より話だけは聞いていた、霊力も魔力も等しく消滅させる零式は、巫女たちの天敵。巫女としての力を封殺されている今の自分たちは、多少運動神経が良いだけの普通の少女も同然であって、このままではやられる。

 

「そこから離れろ!」

 

 立ち竦む唯里と志緒のすぐ背後で、荒々しい声が鳴り響いた。

 その声に無意識に衝き動かされて、二人はそこから飛びずさる。黒衣の青年の前に、それが投じられ、爆発。

 凄まじい閃光が鎮守の森を満たした。爆発とともに発生した轟音が大気を震わせ、剣巫と舞威姫を圧倒していた侵入者を怯ませた。

 

「魔力霊力を無効化するってんなら、物理攻撃(ドンパチ)は防げるか―――?」

 

 すかさず手にした短機関銃で躊躇なく掃射を食らわすが、こちらにも閃光音響弾(スタングレネード)の影響を受けたか必殺を逃してしまう。弾丸は命中したものの青年の肉体を貫通はせず、漆黒の道士服を破り、皮膚を抉り取るだけに留まった。

 しかし構うまい。フルオートの制圧射撃で侵入者の動きを封じ込める。暴れ馬のように荒れ狂う短機関銃(サブマシンガン)の反動を左手一本で御しながら、同時に右手の指は新たな手榴弾を取り出し、ピンを口で噛んで引き抜いた。世界各地の戦場を何度となく渡り歩いて会得した戦闘技能。

 そして、次に投擲しようと右手に握る手榴弾は、爆風の衝撃によって敵を無力化する、攻撃型の手榴弾だ。破片型の手榴弾に比べて殺傷半径は小さいが、そのぶん至近距離での威力は高い。

 

「やれやれ。これは参りました」

 

 木々の陰に身を隠して、大袈裟に肩をすくめてみせた青年は双槍の連結を解除する―――

 

「どうやら、ここは退散するしかないようですね」

 

 その瞬間、零式が消失させていた霊力と魔力が回復した。

 志緒と唯里が巫女の力を取り戻す。だがそれは、青年も同様に、呪術が使えるようになったことだ。黒衣を纏う彼の肉体の周囲に、墨で描いたような無数の文字が浮かび上がる。

 

「それは、空間制御術式―――!?」

「逃げる気か、お前!」

 

 手榴弾が投げ込まれた。だが、爆発の衝撃波は、青年が展開した呪術結界に阻まれる。結界ごと穿たんとし志緒も降魔弓を構えていたが、運悪くも爆風に邪魔されて照準が合わせられず、唯里が自身と相方の身を守らんと銀色の長剣を振るって空間の断層を生み出して盾を作った。

 

「剣巫と舞威姫、ここにいる『三聖』に伝えろ。私から、唯一の温もりを奪った報い……必ず受けさせる、と」

 

 静かな声で言い残し、黒衣の青年は姿を消していく。

 第二の剣巫と舞威姫は、それをただ茫然と見送ることしかできなかった。

 

 

 

「―――っと、嬢ちゃんたち無事か? 怪我はしてないか?」

 

 青年が最後に垣間見せた、あの純化されるほどに煮詰まれた憎悪に、気圧されて固まる二人に声をかけてきた――追い詰められているところを助けに来たのは、中年の男。

 日焼けした肌に、不敵な顔立ち。前髪はナイフで無造作に切ったように不揃いで、顎には無精髭が目立つ。本職は考古学者だと聞いているが、どう見ても時代遅れのマフィアか、流行らない私立探偵の二択―――そんな雰囲気の男の名は、暁牙城。

 唯里と志緒がここ数日見張っていた……そう、座敷牢で軟禁されているはずの暁凪沙の父親だ。

 

「なっ、暁牙城!? なんで外に出てる……!?」

 

「そりゃ、善良な一般市民として女の子の悲鳴が聞こえちゃ、引き籠ってる場合じゃねーだろ、志緒ちゃん」

 

 指をさして瞠目する志緒に、当然のように答える牙城。

 

「あ、あなたにちゃん付けで呼ばれる筋合いはない! ―――じゃなくて、どうやって座敷牢から!? それにあなた考古学者じゃなかったのか!?」

 

「どうやってと言われても、商売柄、あちこちフィールドワークに言ってるといろいろあるから、こっちもいろいろと身に付けなくちゃなんなかったってとこだ志緒」

 

 答えになっていない解答をいい加減な口調で述べて、カッカと血気盛んな志緒の頭をポンポンと牙城は左手で撫でて、戦闘で乱れた髪を整えてやる。

 

「触るな! 呼び捨てもするな!」

 

 手を叩いて退けられた牙城は、余裕ある大人の対応で苦笑しながら、もうひとりの子にも親しげな口調で声をかける。

 

「おーい、唯里ちゃんは元気かい? さっきからぼけっとしてるけど?」

 

 ひっ、と呼びかけられて、怯えたように牙城から後ずさった唯里。

 

「あ、その……すみません! 助けてもらったのに……」

 

 唯里は慌ててぺこぺこと頭を下げて、必死に謝罪する。幼いころから全寮制女子高で育った彼女にとって、男性への免疫は低い。だから、こう積極的に距離を近づけてくる牙城は、恐怖の対象であった。

 かといって、怖がっていては恩人への対応としてまずいだろうと言うのも理解していた。

 そして、そんな真面目で奥ゆかしい唯里のことを、志緒は一番に知っている。

 ぐいっと彼女を後ろに下がらせて、また牙城を睨み据える。

 

「唯里に近づくな、ケダモノ!」

 

「し、志緒ちゃん……!?」

 

「つれないねぇ」

 

「暁牙城、どうやって出てきた! ちゃんと答えろ!」

 

「それを言うなら、そっちはいつまで俺をあんなところに入れとけば満足なんだ? お前ら一応政府の特務機関なんだろ。一般市民を拉致監禁してもいいのかよ?」

 

「市民を保護するための緊急措置だ。問題ない。だから、脱出方法を言うんだ!」

 

「緊急措置……ね」

 

 ふむ、と牙城は唇を斜めにした。

 久々にストレッチしかできなさそうな狭い場所から出た反動からか、軽いジャンプをしながら、運動不足を解消するついでと言わんばかりな話を聞く態度に、ムカッと来る志緒。それをあわあわする唯里が止めて、牙城に問いに答える。

 

「それに牙城さんの拘束は、緋沙乃様の指示なんです」

 

「いまだに信じられないが、あなたはあの方の息子なのだろう?」

 

「ちっ……またあの婆か」

 

 唯里と志緒の弁明に、牙城はうんざりと舌打ちする。

 神緒田神社に訪れた牙城を不意打ちで気絶させて、座敷牢に放り込んだのが、ほかならぬ牙城の実の母親、緋紗乃である。

 それ以来は二人に監視を任せ、情報は一切与えない環境に閉じ込めた。孫娘を連れて帰省した息子への仕打ちとしては、まず最悪と言っていいだろう。その牙城の捕縛に駆り出された剣巫と舞威姫が同情に気遣う義理はないだろうが。

 

「いい歳こいて実の息子を虐待しやがって。あれはロクな死に方しねぇな。で、その婆さんは今何をしてるんだ? 賊が敷地内に入ったっつうのに。いくら、獅子王機関と習志野の特殊攻魔連隊がいても、人任せにする性質じゃねぇ。むしろ、自分から率先して年甲斐もなく暴れんだろ」

 

 何気ない口調で、こちらが隠し通してきた自衛隊との連携を言い当てた牙城に、志緒たちの顔が青ざめる。

 

「暁牙城、あなた……なぜそれを……!?」

 

「別に驚くこっちゃねーだろ。あの陰険眼鏡が、『三聖』のことを仄めかしてたじゃねぇか。長クラスが出張ってきてるってな。だったら、自衛隊も指揮下に入れられんだろ。で、妖怪蛇骨婆は、どこだ? 目的の神縄湖底の<黒殻(アバロン)>への本格的な作戦準備に手が離せないのか」

 

 すらすらと組織の末端とはいえ、自分たちにも知らされていないそんな重要な情報までも推察されていることに唯里と志緒は動揺する。そして、

 

「誰が妖怪ですか。相変わらず小賢しい上に手癖と口も悪いとは、牙城。そんな育て方はしたつもりはないのですが……」

 

「ひ……っ!」

「緋沙乃様!?」

 

 二人の背後より、合気道風の道着を身につけた老女が現れた。

 実際の身長以上に背が高く見えるのは、上着に物差しでも通したかのように背筋がすらりとまっすぐだからだろう。長い白髪は背中で無造作に結われており、頬には年輪を重ねてきたと思われる深いしわが刻まれている。しかしながら、その凛とした彼女の佇まいは、若かりし頃の美貌を懐古させるだけ面影が色濃く残っていた。

 牙城は老女の登場にふて腐れたように、ようやくお出ましかよ、と舌打ちを返す。

 老女の方も老女の方で、無断で外出している牙城に苛立ちを噛んでいるような渋面を作っている。

 そんな数日ぶりの親子のギスギスとしたご対面に、若い少女たちは息を殺して、不安げにたがいに身を寄せる。

 

 暁緋紗乃。

 彼女の表向きの役職は、神緒田神社の巫女たちのまとめ役の巫司だ。神職としてはそこそこの地位であっても、剣巫や舞威姫の直接の上司というわけではない。

 しかし、緋紗乃は数多くの魔導災害鎮圧に協力している経歴を持つ熟練者(ベテラン)であり、獅子王機関や太史局等の多くの組織で呪術教官を務めていた。そして、彼女の教えを受けた者たちの多くは、今でも現役の国家攻魔官として活躍しており、その中には高神の社の指導教官もいるのだ。

 具体例を挙げれば、獅子王機関の元主席教官の刻御門に攻魔師協会の志渡澤会長。

 つまり羽波唯里や斐川志緒からすれば、師匠の師匠に近い立場の人物である。本来なら末端の見習いには顔を合わせるのも憚れる雲の上な相手である。緊張するな、というのは無理であって、口出しなんてものはとんでもない難題だ。指導教官からもくれぐれも失礼のないようにと言いつけられている。

 組織の属さず、攻魔師免許(Cカード)も持たない非正規(モグリ)の個人攻魔師でありながら、鶴の一声で『三聖』と同等の影響力を動かせるような大物、それが暁緋沙乃だ。

 

 しかし、牙城は攻撃的な視線を向ける、不遜な態度を崩すことなく訊く。

 

「凪沙は?」

 

 座敷牢に囚われたから、一度も顔を合わせていない娘の安否。唯里と志緒は体調を崩したというわずかな情報しか与えていない凪沙の情報を求む牙城に、表情を変えずに緋沙乃は答える。

 

「もちろん無事ですよ。儀式場のある本殿には賊は来ませんでしたのでね。身体の方もようやく回復しました」

 

「そうか。なら、顔を合わせちゃくれねぇのか」

 

「必要はありません。……しかしやはり<黒殻>の存在を知ったうえで、凪沙を連れてきたのですね」

 

 却下して攻めるような視線を息子に向けてくる緋沙乃に、牙城は母親へ挑発的に笑ってみせる。

 

「あいつを救えるなら、何だってするさ。それはあんたも同じだろ?」

 

 一瞬、緋沙乃は息を詰まらせるように沈黙。そして、深々と溜息をついて、

 

「牙城、あなたはどこまで覚えているのですか?」

 

「覚えてる……? 何をだ?」

 

 眉を寄せる牙城の反応を冷ややかに見据えて、緋沙乃はさらに質問を重ねる。

 

「あの兄妹……古城と凪沙のことを?」

 

 似合わぬ穏やかな口調の問いかけに、ハッと牙城は笑ってみせた。

 

「一週間ぐらいでもうボケちまったと息子を心配してんのか。お生憎だが、可愛い娘とバカ息子のことくらい当然、知ってるに決まってる。古城の奴は<第四真祖>になっちまったし、そして、凪沙はアヴローラを憑かせているせいで命が危ねぇ。―――それをどうにかするために婆ァのとこに里帰りしてきたんだろうが!」

 

 啖呵を切る牙城は、さらに留まることなく言い募る。

 

「だってのに、この騒ぎは何だ!? 獅子王機関に自衛隊まで呼んで凪沙の警護は蟻の子一匹も通さない万全なんじゃねぇのか!」

 

 かつて、軍の警備を応援に寄越しておきながら遺跡発掘現場を襲撃され、息子と娘を危うくした暁牙城からして、この本陣近くまで忍び込まれて襲撃を受けるというのは怠慢であると責め立てなければ気が済まないのだろう。

 犬歯を剥き出しにして、怒鳴りつける牙城は腕を大きく振り払い、

 

「婆ァだけに任せちゃおけねぇ。もうこれ以上、座敷牢に閉じ込められるのはまっぴらごめんだ。俺は俺で勝手にやらせてもらうぜ」

 

 激昂する牙城は言うだけ言うと、緋沙乃から背を向けて、歩き出す。

 

「緋沙乃様……!」

「いいのですか? 彼を自由にして……」

 

 勝手な単独行動を取り始めようとする牙城を見かねて、唯里と志緒が同時に叫ぶ。

 緋沙乃はその息子の反抗に、すっ―――と眼を細く鋭くさせて、凪いだ湖のように平坦な声音で、

 

「斐川志緒、あなたにはこの男の監視を任せます。座敷牢に閉じ込めても無駄なようですから、ただし儀式場へはけして近づけないように。羽波唯里は、わたくしと一緒に来なさい。襲撃者についての情報を話してもらいます」

 

「「は……はい」」

 

 緋沙乃の迫力に気圧されて、唯里と志緒は諾々と頷く。二人の瞳には、困惑の色が隠しきれないようだが、それでも緋沙乃に従う。

 牙城は背を向けたまま、顔だけ動かし、

 

「おい、凪沙は本当に大丈夫なんだろうな……?」

 

「問題はありません。凪沙には『三聖』がついております」

 

 

神緒田神社 浴場

 

 

 木々によって窓枠のように形作られた円形の空。

 雪よりも白い花畑を枕にして仰ぎみる視界にいっぱいの星とおおきな月。

 

 目が覚めれば、すぐに忘れてしまうその幻想的な、綺麗で、そして、儚い光景(ゆめ)

 彼から記憶を奪った結果だろう。

 見たこともないはずなのに、見慣れた過去の光を観ている。

 

 ―――あなたは、何も望むことも、欲することもない。

    受け入れるだけの器として造られた、ただの道具なのだから。

 

 そして、いつも聴かされるこの子守唄(こえ)

 

 ―――生の喜びも、死の尊さも覚える必要はない。

    道具のあなたにそれは不要なものなのだから。

 

 ああ、そうだ。

 これは彼があまりにも無意味な一生、その最も奥にあった原点。

 

 ―――ものの好嫌すら感じるのは不可能。

    道具のあなたにそれは無理なものなのだから。

 

 彼にとって心臓に等しき核であったその原点を―――強引に―――根こそぎ―――

 

 ―――心を捨てなさい。器は空でなければ完成しない。

    道具(あなた)の純粋さは報いられることはないのだから。

 

 煩い、と不快な雑音しか流さないラジオから再生途中のカセットテープを無理やり抜き取るように、“原初”は――アタシは、奪い尽した。

 

 ……そんなの、ない!

 

 苛立った吐露を、子守唄を歌う主にぶつける。

 または、その子守唄に大人しく寝入ってしまいそうになる彼に対して、彼が道具(かれ)であるための“一番”を否定する。

 “影”の残滓は、驚きに息を呑んだ。

 ただ心のままに叫んだアタシを、憤怒の激熱に篭った眼光で貫く。

 

《小娘が、私の最高傑作を“欠陥製品”に(おと)すつもりか!》

 

 させない―――そんなことには、させない。

 子守歌は千切れるように音調を激しく乱し、壊れたラジオは息を引き取る間際にも彼の“創造主(おや)”は呪詛の一節を紡ぐ。

 

 

 ―――きっと、誰にも本当のあなたを愛されることはない。

《そう、この小娘は、あるがままの在り方を都合のいいように壊し(変え)たあなたを見ているのだから》

 

 

 否定は、させない。できるはずがなかった。

 “原初”は意のままに操らんとして、“自分(アタシ)”はそれまでの彼を否定せんとして、“一番”を奪ったことは事実なのだから。

 それは心を失くし道具であるようにした“創造主”の望みと何ら変わらない行為。

 ―――そう、この欠陥製品となり果てた彼は、“原初(アタシ)”が好きなように“人格設定(プログラミング)”した末路であったとすれば……

 

 あたしは、クロウ君を、好きになる資格は、最初から―――ない。

 

 夢から覚めれば、すべてを忘れるだろう。

 何を見てきたのか、何があったのかなど、記憶には残らない。

 所詮は、夢。

 罪悪感をも覚えず、無恥厚顔にも、彼を想うのだ。

 この夢の中でしか、彼に謝ることができない。

 

『違う! “後続機(コウハイ)”を壊したのは、汝ではない。我のみが咎を背負うべき』

 

 我がすべてを持っていく。

 さすればもう二度と夢見ることはなくなり、余計な罪業に苦しむことはなくなる、と。

 “彼女”からかけられる慰め(すくい)に、黙って首を振る。

 

 それは、ダメだよ……

 

 そんな無責任な真似はできない。

 『宴』の負債をすべて請け負おうとした“彼女”に、そんなことはさせられない。“原初”を喰らっただけで、“彼女”は“原初”ではないのだ。

 それに、せめて今だけでも彼に謝ることができなければ、合わせる顔はなくなる。傍にいられる資格さえ失う。だから、自分からこれを()らないで。

 

『……ならば、早くこの悪夢より醒めるが良い、優しき巫女よ。汝が汝自身を責め続けることを我も奴も望まぬ』

 

 そう“彼女”に押し出されるように―――夢から追い出された。

 

 

 

 自分が目を閉じていることに気付く。瞼が重い。眉に水滴を感じる。

 意志の力を総動員して目を開ける。不思議なことだが、目を開けて真っ先に感じたのは光ではなく匂いだった。何か薬草(ハーブ)のような、爽やかで少し甘い匂いだ。

 それからようやく、目が光を捉えた。だが、視界の情報は大して増えない。真っ暗闇が真っ白に変わっただけだ。

 間もなく、この白が霧……いや、湯気だと気付く。自分の身体が湯に浸かっていることを認識したことで思考が繋がった。

 

「―――温泉?」

 

 ぷかぷかと澄んだ水面に漂いながら、暁凪沙はまだ眠たげな呟きを洩らす。

 この広々とした浴槽の泉温はおよそ40度とややぬるめの温浴。リラックスできる副交感神経が働くちょうどいい適温だ。

 そして、噂によればこのお湯の効能は、筋肉痛や関節痛の治癒、疲労回復に美肌効果。それから、消耗した霊力まで癒してくれる優れた万能霊泉である。

 

「あ、そっか、お祖母ちゃんのとこに来てたんだっけ……」

 

 お湯の心地良さに少し微睡んでしまったが、現状を思い出した。

 数日前、神緒多神社に着くなり意識を失ってしまった凪沙。冬休みを利用しての4年ぶりの帰省であってものの、来て早々に躓いてしまう。

 おそらく、久しぶりの旅行に思った以上に疲れてしまったのだろう。それと未だに巫女としての力を失っている状態で、絃神島という巨大な龍脈から離れてしまったことも要因だ。

 そんな孫娘に、神社の巫司である祖母は、『ここの温泉で湯治をしなさい』と命じた。

 つまりは、時間が許す限り風呂に入って、体力を回復させろ、ということである。凪沙が意識を回復させたばかりの寝起き直後に、温泉に浸かっているのは、それが理由である。

 しかしながら、神緒多の霊泉は凪沙によく馴染む。きっと水が合うのだ。

 

「ふー……気持ちいいー……やっぱり温泉はいいよねぇ」

 

 ほぼ一日中ベットの上に寝かされる生活をしていたから、凪沙は寝たきりの辛さを知ってる。

 横臥中だるかった身体は、数日ぶりに立ち上がって歩こうとすると逆に硬く痛む。一歩前に出るだけで骨に痺れと痛みが響いたもの。

 それが暖かな湯に凝り解されるのは格別なものがある。

 

 一緒にくることはできなかったけど、雪菜や浅葱や夏音たちも一緒に来られたらよかった。

 そういえば昔は、兄の古城と一緒にこのお風呂に入ったのだ。確か、まだ互いに小学生だったころ、慣れない岩風呂がどういうわけか当時の凪沙は怖がってしまい、それで兄妹一緒に入ったのだ。

 流石に今は無理だろうが、その幼き日を懐かしんで……あ、と気づく。

 

「古城君、心配してるかな」

 

 絃神島に留守番中の実兄と、ここ数日全く連絡を取り合っていない。いきなり寝込んでしまった上に神社の所在地が携帯電話の圏外である。きっと今頃、凪沙に対して過保護な兄は、大騒ぎしているに違いない。焦りのあまり、無茶な行動に出ていないといいのだけど……

 

「あとで留守番電話サービスに事情を吹き込んでおかなきゃ。古城君と……それから、クロウ君にも」

 

 兄の暴走を食い止めてくれるであろう、頼れる彼を思い浮かべた凪沙は、そこでなぜか、まだお風呂中であることを意識してしまい……

 

「……クロウ君、この前の『青の楽園(ブルエリ)』のとき、カラスの行水みたいに出てくるの早かったなぁ。鼻がジメジメするから、あまり長風呂はいやだーって、言ってたっけ……となると、一緒に入るには―――って、何考えてるのよあたし!?」

 

 ―――先の思い出の中の兄の顔がぽんっ、と彼ののほほんとした人畜無害の顔と変わった想像図(イメージ)を、顔を真っ赤にぶんぶんと両手を何もない空にばたつかせて払う凪沙。

 一人ぼっちの入院生活が長かった反動で、やたら口数が多いのが凪沙の悪癖であるも、余計な一言で自爆して意識してしまうのはいき過ぎてた。

 これは顔を合わせない日々に募った弊害?

 またはあのチャンスに一緒にお風呂に入れなかった無念?

 ひょっとしてそこまで欲求不満なのだろうか自分は?

 湯面にぶくぶくと鼻まで沈めさせた表情をさらにゆだたせる凪沙。

 

「うん……なんかこのままだとダメになりそう、いったん温泉から出て頭冷まそう」

 

 んん、と上体を起こす凪沙。

 動ける程度まで回復してるが、完全にとは言えない。全身がひたすら気怠く力が入らない。それに、だいぶ長い間、丸みを帯びた石に身体を預けていたらしく背中が鈍く痛む。

 そのゆっくりと凝った思考と一緒に筋を伸ばし解している背中へ、不意にガッシャンッ、とド派手な騒音が叩いた。

 霊泉を独占して、警戒心の緩んでた凪沙は、ひゃあ、とびっくりして悲鳴を上げ、そして、跳ね上がった腰が思い切り岩風呂の床にごっつんと。霊泉場と更衣室を仕切る立て付けの悪い引き戸を勢いよく開けてしまった張本人から、おそるおそる声をかけられる。

 

「ご、ごめんなさい。驚かせてしまって、すみません」

 

 銀の鈴をまろばすような、甲高くも心地良い声だった。

 あたた……と腰を摩りながら頭だけ凪沙は振り返ると、濛々たる湯気の中にぼんやりと人影が浮かび上がっている。おどおどとした、気弱そうな雰囲気の、まるで小動物のように庇護欲を誘う人影だ。

 年の頃は凪沙よりも少し上だろうか。湯気に溶けてしまいそうに白い少女だった。肌もそうだが、髪の色も白い。愛らしいホッキョクギツネの毛並みを連想させる、神々しいまでの純白だ。ゆったりと落ち着いた双眸だけが、薄ら金色に光る。

 そして、見るからに大人しそうな反して、自己主張の強いその胸元。

 

 で、でかい……

 

 思わず見とれてしまってから、凪沙は慌てて目を逸らす―――ことはなく、がっつりと凝視。白髪の少女が纏っているのは薄手の浴衣のような着物で、肩や膝が湯気で湿って肌が透けていた。それは触れば壊れてしまいそうに華奢で、そのあまりの白さは、見ているだけで相手の身体を苛んでいるような罪悪感を催させる。

 けれど、前屈みでこちらと視線を合わせようとする彼女の、その氷河に彩られた美しいフィヨルドを連想させる深い胸の谷間は絶景で、凪沙は圧巻させられる。

 小柄な体つきには不相応に立派であるふたつのおもち。少女が頼りなさげに震えるたびに揺らて、弾んでいる。形といいボリュームといい張りといいあの美乳は、凪沙が思い描く理想形である。

 そうだ。

 あれくらいあれば、凪沙も……いや、いくらなんでもあれを目標とするのは高望み過ぎるか? 一時期、『クロウは那月先生のような幼児体型が好みなんじゃないか』というひとつ年上の親友がそう分析してくれたけど、でも、やっぱりあれくらいあれば……

 そんな身体から滴り落ちる雫が尽きてもなお凪沙のがっつりと観察してくる視線に、びくびくと少女は固まっていた。睨めっこをする準備のように両手で顔を覆って、ただでさえ小さな(一部分を除く)身体をもう一段階縮こめていた。

 そうして顔を隠す手の隙間から、彼の鳴くような声を出してきた。

 

「ぁ……あの……緋沙乃様より、お孫さんが湯あたりしていないか……様子を見に行くようにと頼まれて……その、どうですか……」

 

「あ、はい、結構なモノをお持ちで―――いえ、大丈夫です!」

 

 自分の世界から帰還した凪沙は半ば失言を洩らしかけたが、元気よく返事した。すると彼女は安堵したように大袈裟なくらいに胸を撫で下ろして見せる。

 しかし、神社の職員にしては随分若い。間違いなく凪沙とは初対面のはずだ。

 

「あのっ、お祖母ちゃんのことを知ってるみたいですけど、ここの神社の方ですか?」

 

「ち、違います違います。ちょっとした事情があって、今だけお世話になってるんです」

 

「ああ。だったら、あたしと同じですね」

 

 あわあわと首を振る白髪の少女に共感を覚えた凪沙はにこやかに微笑んだ。

 祈祷や憑き物落としのために、神緒田神社を訪ねてくる客は多い。きっと彼女もそんな訪問客のひとりなのだろう。

 そうして、そこで彼女はぎこちない口調で名乗りを上げる。

 

 

「わ、わたし、白奈といいます。(くらき)白奈」

 

 

パンディオン

 

 

 正月早々、大変な事態となった。

 

 最初は気軽な情報収集の手伝いするだけの予定だった。

 なのに、いざ行動に移したら、特区警備隊に追い回されて、半ば逃げ出すような形で絃神島を脱出。只今本州に到着したところで、横浜にあるディディエ重工の倉庫に隠れて、ディディエ重工製のティルトローター輸送機<パンディオン>の武器弾薬の燃料の補充、それから改修作業中である。

 暁凪沙の失踪には、国家レベルの重要機密が関わっていることはわかったのだ。その凪沙の行方を探ろうとしたことで無関係では済まなくなったこちらも相応に手抜かりなく準備を万全のものとしなくてはならない。

 このまま捕まれば、最悪、問答無用で拘束されてそのまま留置所行きである。

 

『ケケッ、管理公社は嬢ちゃんに“とびっきりの追手”を寄越してきたみたいだぜ』

 

 と相棒の人工知能(AI)が煽る煽る。こちらが探ろうとすればジャマまでしてくる調子に乗ったモグワイは『遭遇し(あっ)てからのお楽しみだ』とのたまう。こちらはもうお腹いっぱいでこれ以上のサプライズはごめんなのだけど。

 まあ、こいつが調子に乗っていられる余裕があるのなら、大して気にする必要はないということなのだろう、と前向きに考えることにした。

 とにかく、事件解決の糸口なり、政府と取引できる情報なりを自力で入手するまでは、藍羽浅葱は絃神島に帰れない。

 どうしてこんなことになってしまったのか、と嘆きたいところであるが、今はまず凪沙の捜索が最優先。情報入手の唯一の手掛かりが彼女だ。

 

「―――うむ。<膝丸>複座ユニットの接続、完了でござる」

 

 その窮屈な格納機内で、色々と並行して仕事をしている浅葱の元に、年相応に元気にはしゃぐその声。機体調整用の小型端末をもったリディアーヌ=ディディエである。12歳前後とまだ小学生であるが、華やかな赤い髪を持つ外国人の少女は、あのお嬢様学校である天奏学園に通っている優等生であり、浅葱の友人であって頼れるバイト仲間。<戦車乗り>の異名持ちと大変有能だ。

 その彼女の愛機である赤い超小型有脚戦車(マイクロロボットタンク)は、大規模な改修を終えて、大幅に見た目が変わっていた。

 まず兵装が、市街地専用から野戦向けに変更されたこと。加えて浅葱が乗り込むための副操縦席が増設されたこと。おかげで愛嬌のある丸っこい外見はそのままに、各種装備だけを追加したせいで、ゆるキャラが殴り込みに備えて武装したようなユーモラスな姿になってしまっている。

 して、浅葱が乗り込むこの複座ユニットは、あくまで後付けの簡易装備であるため、二つの操縦席はそれぞれ独立しており、通信機を使わなければ会話もできないのが不便であるものの、プライバシーという点では悪くない仕様だ。

 

「エネルギーパックの増設によって、稼働時間が飛躍的に増加。更に火力も増し増しでござる。あとは機能性の低下を補うための補助推進器(サイドスラスター)が、どこまで機能するかでござるな」

 

 己の仕事の出来に満足したように数度頷くポーズを取るこの神童に、浅葱はひとつ訊く。

 

「それはいいんだけどさ、<戦車乗り>。この服、本当に着ないとダメなのかしら?」

 

 浅葱が目線で指すのは、リディアーヌとお揃いのパイロットスーツである。

 その防護服は、素肌にぴったりと張り付く競泳水着風のデザインだ。ボディラインはくっきりと浮き出る上に、胸にはゼッケン付き。それもひらがな。付属品として、二の腕まで覆う長手袋に、太腿丈のオーバーニーソックス……

 

 どっからどう見てもただのスク水。

 

 はっきり言ってこの防護服を開発したディディエ重工の技術者にはもっとましなデザインにできなかったのかと浅葱は物申したい。まさか変態的な趣味に走ったわけではないだろうな?

 けれど、それを仕事着として着慣れている<戦車乗り>の少女は、きょとんと浅葱の訴えに首を傾げて、パチパチと瞬き。

 

「何が問題なのでござるか? ディディエ重工が誇る最新鋭のパイロットスーツでござる故。最高水準の防弾防刃耐衝撃性能に加え、撥水性と透湿性も抜群。家庭用の洗濯機での丸洗いも可能で、殺菌消臭効果も備えた優れものでござる」

 

 セールスポイントを語ってくれるディディエだが、浅葱が指摘しているのは、性能以前の問題だ。

 しかし、それを思っているのはどうやら浅葱だけのようで、

 

「同意。お嬢様(マスター)、何か問題が?」

 

 と浅葱の前でマネキンのように直立していた、見た目中学生くらいの人工生命体(ホムンクルス)の少女にも頷かれた。

 浅葱を主人とし、そして、脱出の際にも助けてくれるだけでなく、この危険な旅路に同行をしてくれる(融通の利かない)助っ人。和服メイドな家政婦スタイルを脱いだ彼女は今、『すわにるだ』と書かれたゼッケンをつけた防護服を装着している。元々人形じみた、人間よりも整っている容姿をしているのだから、もう1/1等身大のフィギュアのようだ。

 

「きっと女帝殿も似合うでござるよ」

 

「あたしが言いたいのは、似合うとかに合わないとかそういう問題じゃなくて……!」

 

 あんたら小学生と中学生くらいの外見だったらスク水着てても違和感ないんだろうけど、高校生で派手な金髪髪型も相俟って、浅葱が着たら痛々しいコスプレ少女にしかならない。

 

「大丈夫。皆で着れば、それはユニフォーム。一致団結して事に当たるには装衣を統一することが重要なのでござるよ」

 

「あー、もういいわよ。着ればいいんでしょ着れば……」

 

 降参、と項垂れる。

 どう考えても一般世間的に自分のセンスが正しいはずなのに、この中では多数決で少数派になってしまうというこの理不尽。

 ああ、もう、古城(アイツ)にさえ見られなければなんだっていい。どうせ戦車内に引き籠るんだし、見た目を気にしても仕方がない。

 で、内心で愚痴りながらも、<膝丸>の増設に加えてもうひとつを並行して進めていた浅葱は作業を終わらせた。

 

 

「―――個体名『スワニルダ』。追加(サプリメント)ユニット『イカロス』接続完了」

 

 

 有脚戦車は、増設しても二人乗りが限界だ。それに万事に備えてひとり遊撃できるのを外に配置しておいた方が臨機応変に対応できる。

 

「おお、それが<(うぐいす)丸>でござるか!」

 

「じゃ、ちょっとプログラムが上手くいってるか試してみてちょうだい」

 

命令受託(アクセプト)。テスト飛行開始します」

 

 スワニルダが機械的な口調で首肯する。

 飛翔プログラム用の簡易強化外骨格(エグゾスケルトン)『イカロス』――愛機に日本刀の名前を付けるくらい侍かぶれの神童命名<鶯丸>。

 これは、ディディエ重工でまだプログラムが調整中の兵装を、浅葱が小一時間で実用可能にまで手直しして、『人造人間(ヒューマノイド)』に合わせて調整までしたものだ。

 機械人形(オートマタ)との融合体であり、複数の魔具を肉体に内蔵されている機械化人工生命体。その特殊性は、神経系に制御回路を接続できるほど、機械電子系とは極めて相性がいい。

 

「揚力確保。出力演算及びバランサー良好。各機能、異常なし」

 

 形状は、ハングライダーに似ているだろう。まるで蝋を固めたように白い翼を広げ、都合二機用意されたエンジンノズルから炎を噴射し、細かくベクトルを切り返しながら、天井の高い倉庫内を器用に飛び回る。

 まさに鳥人、いや、天使か。

 未調整のプログラムを設定し直した浅葱もそうだが、初のフライトで問題なく追加ユニットを操作できる手腕もすごいものがあるだろう。

 ディディエ重工はこのデータを使い、一般人向けに仕立てれば、人間が自由に個人飛行できるような夢の商品が売り出せる。これだけで、浅葱の冒険に協力したおつりが取れるかもしれないのだ。

 

「うむ。合戦支度はこれで整った。では、いざ出陣でござる!」

 

 と気合を入れる<戦車乗り>だが、空飛ぶスク水少女なんてものを実現させた<電子の女帝>は、『プログラムは作ったけどあたしは特殊な感性持ち(アブノーマル)じゃないからね!』と内心で訴えながら、天を仰いで、

 

 

「古城は今頃どうしてるのかしら……多分、姫柊さんと一緒よね?」

 

 

オシアナス・グレイブⅡ

 

 

 連続した時間の中に無理やり割り込んでくる獅子王機関の筆頭<静寂破り>の迫撃を、先輩――<第四真祖>暁古城は、自爆覚悟で眷獣を召喚することで難を逃れた。

 しかし、日本最強の攻魔師のひとりで、吸血鬼の真祖たちが一目を置くような化け物である『三聖』を相手にした代償は軽いものではなく、特に発動中の『七式突撃降魔機槍・改』を素手で受けた先輩の右腕はちぎれかけた。今はもう見た目上は傷が塞がっているように見えても、内部までそう簡単に回復してはいないだろう。きっと何らかの後遺症はまだ残っているはず。

 

「先輩……」

 

 未だに目覚めることなく昏倒している古城の右手を、姫柊雪菜は取る。

 いつも無茶ばかりするこのどうしようもない監視相手(センパイ)を叱ってやりたい。だけど、あのとき、あの場面で、眷獣による自爆攻撃は、最善に近い判断であったと雪菜の冷静な理性は判断を下している。むしろあれ以外に手段はなかった。

 むしろ、誰よりも責めるべきは、雪菜自身である。

 南宮那月たちの迫撃に、<神降し>をしたが制御し切れずに暴走してしまって足を引っ張り、そして、格上の超越者であったが<静寂破り>に自分の得物<雪霞狼>を奪われる始末。

 先輩がこうなっているのは、半分以上が自分の責任と言ってもいい。

 

「すみません、先輩……私のせいで……」

 

 祈るように古城の右手を両手で挟み取ったまま、そこに額を当てる雪菜。

 悪いのは、自分の技量。

 初代の<雪霞狼>の使い手であり、雪菜を救ってくれた剣巫――藤阪冬佳は、『三聖』候補にも選ばれる方だったと師家様から聞かされている。だから、雪菜も初代のように銀槍の性能を発揮できていれば、絃神島最強の主従にも日本最強の攻魔師にも後れを取ることはけしてなかったはずなのだ。

 この未熟さを、雪菜は歯噛む。

 

「どうすれば……冬佳様のように……」

 

 しばらく、古城の右手とくっついたまま動かなかった雪菜は―――目に強い光を灯して、傍に立てかけていた銀槍を手に立ち上がる。このまま徹夜で先輩を看病している場合ではない。もっと<雪霞狼>を手に取り、理解を深めなければ、この先についていけなくなる。

 それは、絶対に嫌だ。

 少しでも今、自分がぶち当たっている壁を越えられる兆しを得られるのならば、誰であっても教え乞おう。

 たとえ、それが頭を下げて頼みごとをするのが癪な相手だったとしても、己の尊厳よりも優先し、貪欲に雪菜は上を目指す……!

 

 

 

 現在、雪菜たちは溺れ時にかけたところを拾ってくれたクルーズ船<オシアナス・グレイブⅡ>にいる。なんでも主であるアルデアル公の粋な計らいで『ニューイヤーホリディ』という体で、本土の箱根――『神縄湖』まで20kmのところまで連れていってくれる。

 でも、それは翌朝のことになる。

 まだ本土に到着するまで時間はある、と雪菜は、同行してくれている太史局の六刃神官――妃埼霧葉を捜し………

 

 

「ああもうっ、酷いバカをしたわ! よりにもよって、あんな醜態を見せて負けるなんて……!」

 

 

 クルーズ船の甲板で、何やら悶絶している古風な長い黒髪の少女。

 

 あれは……妃埼さん?

 

 

「彼ってば動物のような単純思考で……普段は人畜無害でおっちょこちょいで、こっちの関心を引いたりちょっかい出して苛めたくなる小動物系で……でも戦闘になるとヒツジの皮を被ったオオカミのようなギャップで反則的に強いし……ああ、強引に屈服されるのって、なんか、すごく―――や、やだ! こんなの私じゃない―――私じゃないのよ!」

 

 

 雪菜お目当ての人物なのだが、ぶつぶつと独り言を繰り返してる。

 距離的によく拾えないが、何か聞くだけで体温上昇しそうなことを言ってそうである。

 

『妃埼は、打たれれば響くタイプだな』

 

 ふと、以前、『青の楽園』の帰りの船で同級生(クロウ)がそう彼女を評していたのを思い出した。

 そのたとえ方はどうかと思うが、なんとなく今の霧葉を見ていると的確であると思える。

 雪菜も一戦交えたときも、一太刀を浴びせたらより攻撃的に興奮してくるその性格。やられればやられるほど燃え上がって、相手を屈服させようと執着してくる彼女は、もしかすると普段の彼女とは真逆の性質を深層意識に持っているのかもしれない。

 支配の反転―――すなわち、隷属願望である。

 

『う。“匂い”と行動が違う、なんか屈折してる天邪鬼なところもあったぞ。結瞳のことも本当は助けたがっていたのに、太史局ってとこの命令にも従順なのだ』

 

 そう、誰かに支配されたかった。いつも気を張って、一部の油断もなく生きるなんて、疲れるだけだろう。心の底ではいつも楽になりたかった。

 人間は誰しも表と裏、陰と陽がある。

 大事なのは自分自身。自分が納得する生き方を送りたいだけ。

 そのために、妃埼霧葉はすべてを屈服させると決めて―――けど、その裏には、家畜のように管理される立場、自由のない毎日、誰かに命令される自分に、憧れていたのかもしれない。

 

 

「くっ、でも何あの『五車の術』とかいうふざけた技! あれってフェロモンが通じなかった私に、私のために編み出したっていうの……? でも、結局、止めを刺したら放置されてるところは変わってないし! ……あ、でもちょっと気持ちよかった、かも―――あ、ああ、あああああああ!」

 

 

 ……さて、大してする必要のなかった人物考察も済んだわけだし、ここを後にしましょう。

 とりあえず声をかけるのは半時間くらい熱冷ましの時間を取ってからにしよう。

 そう決めた獅子王機関の剣巫は、息を殺して一歩後逸しようとすると、影の剣巫はこちらの気配に気づいて振り返った。

 

「あ、……」

 

「姫柊、さん……」

 

 固まる二人。

 物凄く気まずくて、つい、と雪菜は視線をそらしてしまう。その反応はすべてを物語っており、勘付いた霧葉はもはや詮索に余計な問答を費やすのをやめた。

 

「……………なるほどね」

 

「あの妃埼さん? 何を納得されてるかはわかりませんが……きっと誤解して―――」

 

「<第四真祖>に張り付いて動かないかと思ったら、今は同じ陣営であっても後々に有利な展開にもっていくために相手の弱みを握ろうと情報収集とは、油断も隙もないわね。さすがは獅子王機関の本家剣巫様といったところかしら、姫柊雪菜」

 

「いえ、そんなつもりは全然っ!? 私は別に何も……!」

 

 もはやすべてを断定して決めかかってくる霧葉にたじろぐ雪菜。

 ゴトッ、と三脚ケースがデッキの上に無造作に落ちる。

 引き抜かれた六刃の調伏兵器は、柄の部分がスライドして伸長し、音叉上にわかれた二本の刃が螺旋状に回転しながら展開。そうやって出現した鉛色の双叉槍(スピアフォーク)を、霧葉は雪菜に向ける。

 

「十秒……槍を構えるぐらいは待ってあげるわ。無抵抗の相手をいたぶるのは趣味じゃないの」

 

 剣巫と実力行使による口封じにでた六刃神官との鬼気迫る実戦稽古(ケンカ)が始まった。

 

 

「なんかもう! 恨みますからねクロウ君!」

 

 

ベズヴィルド

 

 

 優雅に空を舞う装甲飛行船の船橋(ブリッジ)

 そこに銀髪碧眼で『美の女神(フレイヤ)の再来』とも称される北欧アルディギアの若き王女――ラ=フォリア=リハヴァインは、物憂げに頬杖を突いていた。

 “社交用の”慈愛に満ちた優しげな微笑を口元に浮かべ、しかしその隠し切れず透かして見える裏から、どこか恐ろしげな冷気じみた圧が滲んでいる。

 つまるところ、王女殿下はご立腹なのである。

 

「遺憾です。折角の休暇で絃神島まで来たというのに、肝心の古城が不在とは―――」

 

「そうだな。あと半日くらい早く来てたら間にあったかもしれないなー」

 

「クロウ。どうしてあと半日古城を引き止めなかったのですか」

 

「あと半日も古城君たちの相手をしたら絃神島が沈むのだ」

 

 ラ=フォリアから透き通った氷のような眼差しを向けられるも、座禅を組んだままのクロウは普通に受け答えをしている。

 正直、その視線に射竦められたら神妙に項垂れてしまいたくなるだろうに、と叶瀬夏音の護衛を兼ねて、絃神島に駐在しているラ=フォリア配下の密偵――ユスティナ=カタヤ要撃騎士は思う。

 この主人であるところの<空隙の魔女>曰くに、『馬鹿犬には、常識――何が危ないかを教えるのかがまず大変だったぞ。こいつは危険かどうか火傷するまで気づかない。と言うより、火傷しても『死ななければ問題ない』と本気で言える。だから、馬鹿犬なんだ』と、

 社交辞令とかその辺をよくわかってないその馬鹿犬は、やはり魔的ともいえる姫御子の視線を相対しながら、自論を述べる。

 

「ご主人は、どんな方法であれ<魔女の騎行(あれ)>を抜けられたら、補欠合格にしてやるつもりだったんだぞ。そうじゃないと島が大変になるからな」

 

「ならば、クロウは私が来るのが遅かったのだと、そう言うのですか?」

 

「う。フォリりんは残念ながら遅刻なのだ」

 

「クロウ殿!? その姫様はご多忙に付き、どうしても時間を取るのが難しいお方でありまして―――」

 

「なら、間が悪かったということだな。しょうがないぞ」

 

 現在王妹殿下との同居人に切腹覚悟でフォローを入れんとするユスティナであるが、残念なことに空気の読まないクロウは当然のように言い返してしまう。

 

「タイミングが合わなかった……ならば、それは仕方がないですね」

 

 ただ、このあっけからんとからからと王女に笑う。

 そんな嘲笑も皮肉等といった毒気のないクロウの対応に感じ入るものがあったのか、船内を支配していた重圧は目に見えて薄れていく。

 

 不思議な御仁ではある。

 互いに剣を合わせてからまだ一日と経ってないのに、ユスティナとしこりなく会話のできるその雰囲気は、とても森の悪魔と言われていたものとは思えないだろう。

 

 極夜の『鉄の森』にて、<血途の魔女>が生み出しし『黒』シリーズの中で最強とされ、『月の犬(マーナガルム)』と畏れられし森の悪魔。

 全ての死者の肉を食らい、月をも捕まえ、天蓋を血の色に染め上げて太陽の光を奪う……なんてかつて噂されていた『混血』の少年。

 曇りなき眼を見れば、その流言がどれだけ誇張された戯言であったと知ることになる。

 そのような人気のない森の奥地で遭遇したものを例外なく鏖殺するような怪物であったなら、死人に口なし、そんな噂立つことはなかったろう。

 陽光も届かぬ秘境で、ひっそりと毎夜月を望みながら、兄姉たちの骸を弔っていた『墓守』は、命からがらに逃げる者を追うような真似はしなかった。

 しかしながら、それが単なる利得ゆえの闘争ではないからこそ、交渉の余地はなく問答無用で、神秘が色濃く残る深森の霊地を狙った輩たちは門前払いを食らわされる。

 

 それでもやり方が暴威に頼るしかなかった狼は、いつか“赤ずきん”に退治(ころ)される運命(さだめ)であった。

 

「ですが、そのおかげで、意外な御方と誼を結べました」

 

 気を持ち直して、一先ず凍れる笑みが適温にまで戻したラ=フォリアが、ちょうど船橋に入ってきた白衣姿の少年へと顔を向ける。

 

「<ベズウィルド>に何かご不満はありましたか、イブリスベール殿下」

 

「よくできた方舟だ。贅沢をこらした装飾もまた見事だ。王族が乗るだけの格はある」

 

 現れたのは、中東『滅びの王朝』王家に連なる、純血の第二世代吸血鬼イブリスベール=アズィーズ。第二真祖<滅びの瞳(フォーゲイザー)>直系の第九王子もまたラ=フォリアの誘いを受けて、この絢爛な装甲飛行船に同乗していた。

 ラ=フォリアと軽い挨拶を交わすと、イブリスベールは椅子に座らず床に座禅を組んでいるクロウへとあっさり興味の対象を移す。

 

「クロウよ。随分と手酷くやられたようだが、調子はどうだ?」

 

「ん……まだ、だるいな」

 

 がっくりと肩を落として、クロウは弱々しく返答する。

 答えながら左手を何度か握り締めたが、指の動きは緩慢で、ぎこちない。身体がまだ不調であるのは明白だ。

 

「動けることは動けるけど、姫柊を殴っちまったペナルティがきついんだ。時計(これ)がピピピッてなるまで無茶するなと言われてる」

 

 言って、クロウは左手首に巻かれているタイマー設定された腕時計を見せる。

 それが鳴るまでは無茶しないようにと後輩に言いつけられているのである。

 イブリスベールは意地悪く口の端を吊り上げ、

 

「今の<第四真祖>は、かつてほど強いわけではなかったんじゃないのか?」

 

「力が強い方が勝つとは限らないのだ。絶対にやってやる、って考えている方がオレには厄介だと思うぞ。実力差以前に勝ち目がなくなる。古城君はその辺が逞しい。十回くらいぶっ殺しても降参しない。こっちの理屈が通用しない。大人しくさせるのは無理。それをご主人もオレもわかったから、負けを認めたのだ」

 

 強くない、とは評したが、馬鹿にしたつもりはない。

 恐れることはなくとも、嘲られるものではない。

 

「『原初(ルート)』よりも力が劣るからと侮るな。古城君は今よりもずっと力がなかったころに『原初』に勝ったのだ。その傲りは、高くつくぞイブリス」

 

 少しだけお怒り気味に睨むクロウ。

 それは先輩と言う親しい間柄だから、庇っているのではなく、そんなのとは無関係に純粋に古城のことをそう思っているから、クロウは言っているのだ。

 

 もしここで暴れれば飛行船が確実に沈没する存在に刺激をするような真似に王女護衛の要撃騎士は宝剣の柄に手を添えて警戒心を高める。

 一挙一動見逃さず、行動を起こそうものならその前に対処できるように。

 少し間をおいて、王子の表情が変化した。

 嘲るよう吊り上がっていた口端が、下がる。

 王子の思惑など読めるほどの付き合いはないが、ただ、身近な王女と当てはめるに、もし姫御子がああいう顔をしているときは、相手の言い分に筋が通っていたときなのであろう。

 

「この真祖直系の吸血鬼である俺を諌めるか。雑種は未だ万全とは程遠いというのに」

 

「ん? 力がなかったらお前に意見も言っちゃいけないのか?」

 

 クロウは首を傾げて、

 

「オレの知る王様というのはわがままだけど、相手のわがままくらい笑って聞いてくれるくらいはできたのだ」

 

 その文句を唖然と聞き入っていた『滅びの王朝』の王子は、しばらくしてたまりかねたように声をあげて笑い出した。

 

「やはりおまえは面白いな」

 

 それは普段の彼を知る部下たちがそれを目にしたらパニックになりかねないほどの晴れやかな笑顔だ。

 しかし、クロウにはもちろんそんなことはわからない。

 あれ? オレ、真面目に言ったつもりだぞ? と首の角度をさらに傾げるクロウ。そして、王子の心境と同意できるたったひとりの少女もまた、くすりと社交用ではない素の笑みを零した。

 

「アルディギアがこいつを欲しがるのがよくわかる。こういうずけずけと遠慮なく物を言う馬鹿者は、ひとりくらい傍に置いておきたくなるな」

 

「ダメですよ殿下。この子は私が先に目をつけたんですから」

 

 よくわからないが自分が笑われてることに気づいたクロウはむっと不満そうに唇を歪めた。

 

 

 

つづく

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