ミックス・ブラッド   作:夜草

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お待たせしました<(_ _)>

そして、今話で終わらせることはできず、今章は次話に続きます。


咎神の騎士Ⅴ

???

 

 

 何もかもが血の海に沈んだかのようにアカい、真夏の島。

 

 絃神島によく似ていて、絃神島ではない。

 そして、この廃墟の瓦礫の上に一人佇むのは、漆黒の六対十二枚の翼を背に、胸には折れた槍を抱く男。

 哭いているようにも、歌っているようにも見える彼は、どちらにしても裡に留めおけぬ衝動を世界へ訴えていた。

 

 けれど、それを解する前に男、の残留思念は緋色の世界に溶けゆく。

 この過去の記録たる核が消滅したことで、廃墟の島は細かな光の粒子となって静かに壊れ始める。

 音は消え、色を失くし、形は崩れる………

 

「く……まずい……」

 

 暁古城は、その崩壊する間際の世界にいた。

 『赤竜』に喰われ、『異境』に呑まれたはずの自分はどうしてこんなところに? そんな自問する余裕もなく、とかく一秒でも早くここより出なくては巻き込まれる。『異境』の侵食は、たとえ吸血鬼の力でもってしても抗うことはできない。その唯一の対抗策は、破魔の銀槍が放つ『神格振動波』で―――

 

「なっ……!?」

 

 侵食が古城の肉体にも及ぶかというそのときだった。

 身体全体をシャボン玉に包み込まれるかのように、純白の光放つ透明な膜、指でつつけば割れそうなそれが侵食の波を弾いた。

 <雪霞狼>とその武神具を振るう自身の監視役の剣巫のイメージが激痛と共に脳神経を電流の如く走り抜けて、手の甲に埋め込まれていた見えない回路より発生した輝く泡で古城は護られたのだ。

 『異境』の対抗策は数限られるもので、すなわち容易に消去法で答えは導き出せる。

 そうこの泡の正体は、結界。何度となく見てきた古城にはこれが『七式突撃降魔機槍』によるものだとすぐに察した。

 けれど、その獅子王機関の秘奥兵器に選ばれた雪菜は傍にいないはず。ならば、この強力な『神格振動波』は、どうして古城の右腕にあるのか―――その理由はひとつ。

 

 <静寂破り>。

 古城たちが絃神島を出ようとした時、最後に現れた獅子王機関筆頭『三聖』の『閑古詠』。

 彼女が古城の右腕に刻み込んでいたはずの、奇妙な傷跡が薄らいでいく。まるで右腕に留まらされていたものが消費されていくよう。そしてその消耗は、これまで止められていた血流が通り始めていくように古城の右腕の感覚も戻してく。

 

 あの最後の激突で、『閑古詠』は、<第四真祖>を絃神島に留めておくことは適わないと悟ったのだろう。

 ならば、と彼女は古城の右腕に封印の術式を仕込んでおくことで万が一の“保険”を掛けたのだ。

 まさにこの事態―――『異境』を操る『聖殲派』という敵と遭遇してしまう状況に備えて、誰にも気づかれずに、この八方塞がりを打開する切り札を古城の手の中に入れていた。

 

 封印とは、外に逃がさないためのものとは限らない。時として内側にあるものを護るためにも使われるものだ。

 『閑古詠』はその後者。

 古城の右手の傷は、眷獣を召喚する妨げにはなってはおらず、しかし、『咎神』の魔具の波動を察知したとき自動反射で、刻んだ回路は発動するようにできている。

 このおかげで『赤竜』に喰われても消化されず、『異境』に当てられて侵食されず、古城は即時消滅だけは免れたが、だからと言って助かったとはいえない。元の世界に戻れるというわけではないし、せっかくの『神格振動波』の命綱もそういつまでも保つことはないのだ。

 右腕の封印結界が尽きるまでに、この消滅世界より脱出する術を見つけなければ……そうだ。元の世界に残されている彼女たちの事も気がかりだし。

 

「だー……こじょう……」

 

 必死にあたりを何かないかと探していた古城の頭上より、鋼色の鬣を持つ龍族が現れる。

 この虚無の闇を泳いで孤立したこの漂流者のもとへ巨大な龍――グレンダと呼ばれた少女は、『神格振動波』の泡を通り抜けて無事着した。

 

「グ、グレンダ!? まさかお前まであの怪獣に喰われちまったのか……!?」

 

 む、と可愛らしくふくれっ面を作る裸の少女の横顔を、古城は呆然と見返した。

 

「ママ、グレンダ、食ってない。ママがつかえるのは、みこじゃなくて、おにぃ」

 

「いや、ママとか言われても何の事だかわかんねーぞ」

 

 『巫女』や『(おにぃ)』というのが一体誰を指している個人名かはまだ知るところではないが、この『龍族』の少女が(ママ)と呼ぶのはどんな存在かを想像したが、できれば人間の姿であってほしいと古城は思った。

 どうしてグレンダがこの『異境』に現れたのかは、古城にはわからないが、これでますます消滅を待つわけにはいかなくなった。どんな手段を使ってでも、彼女を、元の世界に連れ帰らなければならない。

 

「ったく、何だってお前までここに来たんだ」

 

「こじょう、つれてかえる。みんな、よろこぶ」

 

 鋼色の髪の少女は、そう答えると、落ち込むかのようにやや俯き、

 

「グレンダがおにぃの言うこと守れなかったから、みんなにめいわくかけた」

 

 そういうことか、と古城は納得して、息を吐く。消沈するグレンダはこの事態を自分のせいであると思っているらしい。そんなわけがない。それは確かにいきなり龍に変身して捕まったまま逃避行されたのには驚いたが、あの状況で冷静に対応できるなんて古城だって無理だった。

 だから、責任を感じてこの虚無の世界に飛び込んでしまった彼女に古城は苦笑しながら、下を向いてる頭のつむじに手を置いて、

 

「迷惑なんかかけられたなんて思っちゃいねぇよ。そんなことよりもグレンダがこうして俺を連れ帰りにきてくれたんだろ? だったら、“ありがとう”しかいうことがないな」

 

 古城の感謝に顔を上げたグレンダ。その鏡鉄鉱(ヘマタイト)に似た美しい瞳が、古城の目を見返す。

 

「それで、どうやればここから脱出できる? グレンダ、わかるか?」

 

「わかる……しってる……グレンダ……“情報”のうつわ……みこにとどける……」

 

 ひどく断片的な言葉を零して、グレンダから人間味が消えて、ひとつの装置と化す。

 無邪気な表情からの無機質な美貌というギャップに驚くも、それ以上に仄かな輝きを周囲に包み込むとグレンダの輪郭が曖昧にぼやけて姿形を変え始めたのを目の当たりにした古城は目を瞠る。

 

 

『……オレの……血……オレの血を吸ってくれ』

 

 

 それは、『龍族』ではなく、小柄な人影……

 

 

『吸血行為で、古城君にもたらされる血の記憶……オレの中にある“情報”が、古城君(アナタ)に力を与える。『異境(ノド)』の虚無に抗う力を……』

 

 

 現れたその裸身(すがた)を見て呆然と固まる古城。それはどうもリアクションが麻痺している古城の手を取って、自らの胸元へとそっと導いた。

 しっかりとした肉感のある膨らみの下で脈打つ心臓の上へと。

 

 

『大丈夫だ、触れてくれ―――オレの中の“情報”を感じて……』

 

 

 いまだかつて触れたことのない滑らかな肌と柔らかな弾力は、極上の筋肉をしているのがよくわかった。昔、バスケの試合、ゴール下の押し合い(プレス)で幾人とも当たってきた古城だが、この肌感触は文句なしに一番の肉体だといえるだろう。本当に羨ましくなるくらい良い身体だ。

 ただし、犬歯は疼かないし、強烈な喉の渇きなど襲ってくるはずもないが。

 

「グレンダ……色々と訊きたいことがあるが……」

 

 古城は鼻頭……ではなく、目眩を覚えたかのように揺れる頭部を片手で押さえながら確認する。

 これまで聞いた話から、グレンダは“情報”の『器』。

 ならばグレンダに、その“情報”を注いだのは誰か―――それを推理したとき、刺激するのは今も耳に残るあの音。

 その唇から零れるのは、夕闇の中で折れた槍を抱き、慟哭していた少年の歌だ。

 そうか、彼女は―――――――――――――――とこの推測が正しいものかをグレンダに訊いてみたい気もするが、今はそんなことよりも追求しなければならないことがある。

 

 

「なんで、“クロウ”なんだ?」

 

 

 褐色の肌、銅色の髪と金色の瞳。大柄な体躯ではないけど、その分だけ詰まっているかのように絞り込まれた筋肉は、古城も負けを認める。うん、肉体美としては惚れ惚れするくらい綺麗に整っているといえるだろう。

 普段は厚着でガードされて中々拝むことのできないその肢体、それもその全容がこうして古城の前に晒されているわけであるが、しかしなぜこのチョイスなのかと古城はグレンダに訊きたい。

 と歌を止め、素の口調に戻ってグレンダは答えてくれた。

 

「? こじょう……おにぃのこと“好き”だと言ってた」

 

 あー……そんなことあったな。それと、『(おにぃ)』って後輩(クロウ)の事か。なるほどなるほど……

 

 天を仰いだ古城。それから持ち直して、いつになく真剣な口調で、

 

「チェンジで」

 

 早く元の世界に帰りたいという気持ちはもちろんある。

 封印もあと少しでなくなるところまで来ていて、えり好みしている余裕がないのはわかっているが、これで吸血衝動=性的興奮が起こったら、『異境』から出た後、古城は絶対に自殺したくなる。

 せめて変身するなら、異性が望ましいというのは贅沢なのか。

 

「……こじょう、おにぃ……好きじゃない?」

 

「いや、好きだぞ。だけどな、こういうのじゃなくて……―――っ、おい! だから、スリスリと抱き寄ってくるな!」

 

 そして、古城はわりと時間ギリギリまで、この世間知らずの無垢なドラゴンガールに常識的(ノーマル)な情操教育を切々と説いた。

 

 

神縄湖付近

 

 

「―――――」

 

 鎧甲冑を装着し、妖鳥(セイレーン)の翼を背に展開する魔人。

 復活を遂げた『十三番目』にして、『咎神』の殺神兵器は、『多頭竜(ヒュドラ)』に上空を押さえられ、<蜂蛇>の骸の“情報”を合成して生み出された『堕天使』に囲まれ、そして、『赤竜』と<女教皇>に睨まれる最中、不敵に笑む。

 

「ぶっちゃけると、バカのオレには何もかもさっぱりだ。凪沙ちゃんは利用されて、グレンダは攫われそうになって、それで古城君までどっか行ってる。うん、どうにかして帰ってくると思うけどな。まあ、だからこっちはこっちでやることやるしかない。ん、とそこで、ご主人がいつも口酸っぱくして言う合理的思考ってやつを意識して頭をちょいっと働かせ、オレなりの冴えた解決策を考えた」

 

 ……はじめ、羽波唯里は喉を引き攣らせて、圧倒された。

 つい先ほどの<雪霞狼>を現在の所有者(ユッキー)よりも遥かに性能を引き出して、『聖殲派』をひとりで相手取って無双したことも驚いていたが、“『彼』に戻ってからの”事態も瞠目する。戸惑いを隠せないでいる。

 今、目前に立つのは、今日初めて(まみ)えた天変地異を起こせるあの<第四真祖>に匹敵する鬼気を放つ―――こともない、どころか、“剣巫の霊視にまったく感じられない”のだ。

 はっきりいって魔力のない一般人と大差ない……そんな感覚しか覚えられない。もしこれが正しいとするのならば、あそこにいるものは自分よりも弱いということになるだろう。

 だがそれは、違う。けして霊視()が曇っているわけではないが、唯里はその強さを正しく測れていないだけだ。

 

 爆音とは、一定のラインを超えてしまえばむしろ静寂を呼ぶものだ。

 あまりに強烈な爆轟が、それまでチロチロと残っていた火を吹き消してしまうように。膨らみ切った攻勢が自分の重力に耐えきれずに大爆発を起こし、ブラックホールを生むように。

 

 初めての大規模な実戦で、今日は羽波唯里のこれまでの常識という枠をぶち壊す多くの桁外れな事例を目撃してきたけれども、あの『魔人』はそれとは一線を画す―――そう、巫女としてではなく、生物としての本能が悟らされる……

 

(南宮君……)

 

 ただ、まあ、

 

「まずはオマエらをブッ飛ばす。そんでもって、フラミーを解放させる」

 

 中身(せいかく)の方はあまり変わっていないようで安心した。

 それに……きっと『魔人(あれ)』が大人になった彼の姿なんだろうけど……うん、いい。

 少女漫画にも、玉手箱みたいなアイテムで一時的に大人になった少年に、これまでの弟のような見方を一新させられる場面があったけれど、まさにこれ。つまり、ギャップがあっていろいろと凄まじいのだ。

 己の欲求のままに動けるような余裕があったのなら、こちらを背に庇うその立ち姿をアルバムに保存できるよう写真に撮っておきたいところで、

 

 カシャ―――

 

 はっと横から聞こえたシャッター音に反応すれば、そこに旅館の土産コーナーとかに売ってそうな使い捨てのカメラを持った古風なセーラー服の女性。この太史局の六刃神官は、いったいどこにそんなものを隠し持っていたのか気になるところだが、それより一体こんな状況でよくそんな真似ができるなと呆れを通り越して逆に感心してしまう唯里。

 

「情報収集は大事でなくて? きちんと実体を記録していくことが今後の対策を左右するのよ」

 

 こちらの視線に気づいた彼女は、もっともらしいことを語りながらそそくさと写真をしまう。その際、ふっと何故か唯里に向けて、まるで勝ったような含んだ笑みの横顔であったが、なんか悔しい。これはあとで獅子王機関にも資料提供するよう交渉するべきだろうか。実に悩みどころで―――そんな視界に入らぬ背後で行われる、剣巫と六刃の静かな攻防を気配で察したのか、後輩の少女攻魔師が注意した。

 

「……おふたりとも、まだ気を抜けるような状況じゃないんですよ?」

 

「あ、う、うん! ちゃんとわかってるよ雪菜(ユッキー)

 

 唯里は慌てて、何か誤魔化すように雪菜に忙しく手を振ってみせる。

 けれど、それに対し、逆に霧葉は返された双叉槍の具合を確かめながら、前に出ようとする雪菜を諫めた。

 

「巻き込まれたくなければ、しばらくは様子見に徹した方が良いんじゃないかしら。そう滅多にないのではなくて? ―――“南宮クロウが(キレ)る”というのは」

 

 

 

 『異境』を蒸発させるほどの高純度の神気は、危ういものであった。『七式突撃降魔機槍・改』を基点として発動する高次元の力は<女教皇>にも脅威。

 けれど、それを振るっていた“残滓”は去った。

 もうあの『天敵』さえいなくなれば、この場で何も恐れるはずはない。

 

 だが、今も悪寒から生じる冷や汗を拭えていない。

 この『人狼』の身体は鋳型に入れられたようで、ゾッとするほど背筋が冷たい。

 

(おかしい)

 

 『百王』の資格、ある種の王権(レガリア)たる<守護獣>を奪った。中身のない『器』など抜け殻に過ぎない……はずであった。

 なのに、まだ動いている、立ち上がり、歯向かっている―――正統な後継者ではないにしても、『咎神』の殺神兵器が、『巫女』である<女教皇>に向けて。

 

(おかしい)

 

 制御権を奪い、使役している『赤竜』

 しかし、その実、“反転されていた属性を元に戻し本来の姿にしているはずなのに”二割も性能を発揮できていなかった。

 そう、あらゆる物質を全て砂塵に変え、エネルギーを喰らいて、万象を自然へ還す。神をも殺し、神代を黒歴史にしてしまえるほどの“壊毒(ちから)”をまったく使えていない。

 まさか。

 この『もうひとりの巫女(シュビレ)』の手で掬った力は、“上澄み”であったとでもいうのか。

 

(ならば、『器』ごと<女教皇(わたし)>に跪かせる―――!)

「『―――コード認証、“正統ナル後継者デアル(49 72657175657374)我ニ従エ“力”ノ器ヨ(7666c69873)”』」

 

 高らかに、『巫女』としての権利を行使する。

 だが、『魔人』は、暗証を唱える<女教皇>に対し、『?』を頭上に浮かべた。

 

「悪いな、オレは日本語と英語しかわからん。師父から大陸の言語を聴いたことはあるけど、意味はちっともだ」

 

 “欠陥製品”に、正規の『巫女』ではない、<女教皇>の命は効かず、

 そして、今更そのような行為をすることに、『魔人』は心底におかしく思う。

 

 

「―――だいたい戯言を吠えてどうする。怒る獣(今のオレ)に、“聴く耳があると思うのか?”」

 

 

 ごお、と風が巻いた。

 生温い、異様な臭気をはらんだ常世の風。

 手負いの獣に説得を試みる愚かさを、その魔風に煽られてようやく、<女教皇>は理解した。

 あれはいつでもこちらの手駒にしてしまえる道具などではなく、明確な敵だ。

 同じく、『聖殲派(むれ)』の中核たる<女教皇>を狙われていることを、『堕天使』たちも悟り、一斉に動いた。仮にも『特殊攻魔連隊』に属していた軍人として訓練された集団戦法で逃げ道与えず八方より、そして神獣にも匹敵する3、4mの巨躯である<蜂蛇>の強靭な爪が『魔人』めがけて凄まじい速度で振るわれた。

 

 それを。

 クロウは、その場から動かずに受けた。

 まるで、爪を受けることがせめてもの贖罪であるかのように、ただ立ち尽くしていた。

 瞠目する『堕天使』。

 視界には、爪を立てられ――しかし、その肌を破ること叶わず――見事無事に耐えた『魔人』が、そのひとりの竜鱗を撫でた手の平があった。

 そう、すでに断罪は成された。

 

「<蜂蛇(お前)>たちは、筋を通した」

 

 いつもとは異なる口調。

 だが、命じ、裁く、権威と共にあるその言葉遣いに、いささかの違和感もない。そこに相応しいだけの貫録を備えていた。

 『魔人』に襲い掛かった『堕天使』、そのすべてが全身を霜で覆われた彫像となる。

 

 異形に対抗するために骸の“情報”を合成された者たち。

 その破綻者が、眠るように凍り付いている。

 物理的にも―――精神的にも。

 その間合い一面、局所的に白い霜で覆われていた。

 『魔人』の立つ制空圏内、そこは今、この冬よりも極寒で静謐な『狼の冬』が到来していた。

 妖鳥の翼が羽ばたくたびに鱗粉のように白い霧が、渦を巻き流れる。

 霧は冷気で、できている―――この『神縄湖』という人工貯水湖(ダム)を一瞬で底まで凍結した災厄の如き魔性と同じ。

 『魔人』が右手をあげた。

 手甲(ガントレット)。人間のそれの何倍も大きな鎧の手甲の内に、現在進行形で塗り替わっていく髪と眼と同じ――『十三番目(コウハイ)』と認められた証――虹色の焔光を噴き上げ、頭上に掲げる。

 

「―――だから、後はオレに任せて逝け」

 

 焔光を握りしめるように五指が閉じて、拳を作った。

 一際巨大な手甲は、重厚な装甲とケーブルとが接続されていて、鈍重なイメージは欠片もない。真上より一息に振り落す様は裁きの雷霆さえ想起させる。

 自然の理に反する不遜な人間より力を剥奪するべく、鉄槌が降された。

 

 神獣の剛力を人の身にまで圧縮させた比類なき豪腕。

 ごおっと、その拳は大地へ叩きつけられる。

 瞬間、異変が―――いや、天変地異が巻き起こった。

 大地が鳴動したのだ。

 地震であった。

 ぴたりと、この制空圏内だけを、局地的な激震が襲う。

 その震動は凍れる『堕天使』に伝わり、鍍金の殻が割れるように<蜂蛇>の“情報(かわ)”が剥がれ落ちて、元の人間に戻った。

 

「『なっ!? 取り込ませた“情報”を壊した―――!?』」

 

 『異境』を破るのであれば、『神格振動波』でも可能だ。

 しかし、<女教皇>の力で、他所の“情報”を合成させた『堕天使』の改変を修正することまではできなかった。

 

 <黒殻(アバロン)>ごと“情報(におい)”を取り込んだ『魔人』は、この一時、“双極の超常”を振るう。

 

 殺神兵器の封印――眠らせる氷。

 完全な死者蘇生――蘇らせる炎。

 

 この『凍結』と『解凍』による“情報処理”で、“死した魔獣”と“生きてはいる人間”を分別したのだ。

 

(………)

 

 この作業で失われる熱量を感じ取り、思う。

 申し訳ない、と。

 すまない、と。

 この魔獣の一頭ずつは、己を『獣王』と認めて従えさせたはずだった。

 守護を約束して、暴動を抑えさせた相手のはずだった。

 今、その相手を守り切れずに自分は壊している。蘇らせるのが難しい死念より、敵であったが生者であるこの『聖殲派』の人間を優先して。

 

(……だから)

 

 ―――だから、謝らない。

 咄嗟には思ってしまう。

 反射的には考えてしまう。

 だけど、絶対に口には出さぬ。

 己の弱さを補ってくれた一体一体が、己の身代わりとなって守ってくれた一体一体が、今こうして壊している生命のすべてが無駄になってしまうから、謝罪は口にしない。

 かつての練習台にされた操り人形の兄姉の遺骸を壊したときもそうだった。あのときも許されるのなら一時でも蘇らせて、謝罪を乞うことができたなら、どれだけ楽だろうと思った。今も、この人間の身に取り込ませておけば、一先ずは“情報”は失われていないのだから、すべてが終わった後に先延ばしにしてしまいたいとも思う。

 だけど、延長の代償にこの無理な合成をされた『堕天使』のうちの何人かが、<蜂蛇>の死に引き摺り込まれることになるだろう。それがイヤでもわかった。

 だから、このすべての感情を封殺して、今、終わらせる。

 

「ああ……お前ら全員、オレが解放(こわ)してやる」

 

 せめて、誓う。ここにいるすべての『堕天使』を屠ることを。二度と“情報”に利用できぬよう塵も残さない。

 その取捨選択されて剥がされる一体一体の人間には余分な“情報(めっき)”――己らのために消費した命を、噛み締める。無理矢理に、歯を食いしばる。

 

 

 

(南宮君……)

 

 彼の宣誓を唯里は拾う。

 今日一日と共に行動した。初めての大規模な実戦は彼女にとって非常に“濃い”時間であった。だから、彼の気持ちが――“どこへ彼の怒りが向けられているのか”が、わかるような気がした。

 一体ずつ、きちんと見定めて破壊しているその姿は不自然であろう。しかし、そこに『魔人』の、少年の想いを見ているような気がした。

 そして、彼が突出して前に出た理由も、いやというほど伝わった。

 

(……こんなときまで)

 

 と、思った。

 南宮クロウが最前線に立ち、その一斉攻撃をひとつ残さず受け切ったのは……戦力外の剣巫(ゆいり)に被害が及ぶのを避けるためでもあろう。

 獅子王機関の武神具がない。また、『異境』に対抗する術をもたない以上、戦線に突入すれば足を引っ張るのは目に見えた末路だった。彼の判断は正しい。ただ、こんな時まで、あの少年に甘えなければならない自分が情けないだけだ。

 

「………っ」

 

 拳を、握り込む。

 そんなくだらないプライドを捨てる。

 この戦況に集中するのではなく、広い視野を意識。予測外の事態に備え、武器をもたない自分は警報の代わりと目を光らせ、羽波唯里は甘えることを選択する。

 

 

 

 凍らされながら解かされるその力。他所から“情報”を取り込んでいき強化している『聖殲派』にはいかに脅威であるのか。

 『巫女』は、『赤竜』と共に後方へ、爪による直接的な攻撃の通用しない『堕天使』も六と危険を悟り下がる。

 警戒された『魔人』は、しかし動かない。

 その場から一歩も。『聖殲派』を追いかけることなく、あくまでも専守防衛の構えを解かない。

 そんな不動の仁王立ちをする彼の足元には、血だまりのような紅の影がある。

 元は『赤竜』の広げた不知火の影。『門』の支配権を奪ったそれを踏んづけて、自身の下に固定させているかのように。

 

(早く帰ってくるのだ、古城君、グレンダ!)

 

 そう、これは黄泉平坂に等しき『異境』の入口。

 暁古城が堕ちて、グレンダが飛び込んだ基点である。この『門』が閉ざされれば、彼らは繋がっている現世の座標(ゴール)を見失い、永遠に彷徨うことになる。

 この場に降り立って、二人の姿がないことに気付き、現状と基点の重要性を“鼻”と“肌”で本能的にクロウは悟った。

 

「愚かな」

 

 その立ち往生の意味がわかったのか、制空権を取る『多頭竜』より戦場を見下ろす安座間は嘲笑いを零す。

 この戦況において動けないというのは、『魔人』であっても致命的だろう。こちらはいま有利な上空の位置を取っている。攻撃の届かぬところから一方的に滅多打ちにすれば、あの怪物も倒せるはずだ。

 

「境界を維持しようが、『異境』から自力で戻ってくる魔族(もの)などいないわ!」

 

 『咎神』を奉じる『聖殲派』にとって、『異境』とはすべての異能の力が存在しない世界でなくてはならない。そこから帰還する魔族など、けして存在してはならないのだ。たとえ<第四真祖>であっても、その例外に適用されることはない。

 きっとその行為は、無意味に終わる。

 それでも帰りを待つというのは勝手であるが、『聖殲派』に壊滅的なダメージを与えかねない障害を潰せるこの絶好の好機をこちらが見逃す手はない。

 

「防御もできず、回避もしないというのなら、そのまま帰らぬ待ち人と共に死に果てるがいい、『欠陥製品』よ!」

 

 重い砲声が、連続して轟く。

 竜に化けたAC-2(ガンシップ)の九つの砲台(あたま)が『魔人』へ一点集中で照準を合わせ、火を噴いたのだ。

 『異境』の薄膜にコーティングされた砲弾は、眷獣の障壁であろうと防ぐことはできず、また古城たちの蜘蛛の糸である『門』を護るために避けることはできない。

 

「なら、壊す」

 

 『魔人』は、五指の指先から爪のように鋭く伸ばす気の硬質化と並行して、焔光を纏い白霞が吹く双腕を振るい、

 『多頭竜』のばら撒かれた弾丸へ1mほどの巨大な苦無を放った。

 この身に滾る獣気を、先の尖った氷柱(つらら)のように固めた霊弓術。神獣の劫火炎を妖鳥の氷細工で凍らせたこの『炎の氷柱』は、砲弾をひとつたりとも地表への着弾を許さずに迎撃。

 

 <第四真祖>の眷獣の魔力も打ち消せる『異境(くろ)』の鍍金(ヴェール)が施されていても、雷光の獅子の突撃に押されたという事実がある通り、体当たりに生じた物理的衝撃(エネルギー)までもが瞬時にゼロにできるというわけではない。

 

 しかし、それでも空飛び回避する『多頭竜』を撃ち落とすことまでは叶わず―――また、攻撃したその隙を狙う地を這う不知火の影。

 

「『従えぬのであれば、<第四真祖>と同じ喰らうまで―――』」

 

 飛び出す『赤竜』の咢。

 頭上へ意識を向けられた『魔人』を、死角より襲い掛かる―――だが、それは一陣の白い竜巻に祓われた。

 

「先輩と同じ真似はさせません―――!」

 

 どっ、と大地を蹴る。消失かと思われる高速移動。

 一瞬先の未来で蹂躙されるその地点に飛び込みながら、白い手が霞む。

 呪術身体強化によってブーストを受けた槍は、まさに紫電の四斬撃。斬撃は四つに留まらず、絶妙な足捌きで、其々の『赤竜』の首の死角へと回り込みながら、その数倍の弧と刺突を描いた。

 <女教皇>の奇襲を防いだ姫柊雪菜は、油断なく<雪霞狼>を『赤竜』へと構えながら、クロウへ確認を取る。

 

「クロウ君、先輩はまだ“そこ”にいるんですね?」

 

「ん。グレンダが助けにいったみたいだ……だから、そのだな、呑むモノ呑んだら出てこられるはず、だ」

 

 最初の発言の通り、彼は希望をまったく捨てていない。そして、雪菜もまた同じ。

 実際、『異境』から帰還を成し遂げた者は、遥か遠い過去にひとりだけいうのだ。

 ……ただその微妙に濁した後半部分の意図まで正確に解した監視役は、やや荒ぶった調子で青白い輝きを纏った銀槍を――微妙に軌道をクロウの足で押さえつけている『(かげ)』を掠らせるよう――旋回させた。

 

「そうですか、わかりました。では、先輩とグレンダさんが帰ってくるまで、私が彼女の相手をします」

 

「姫柊、あんまり無茶はダメだぞ」

 

「それは私のセリフでもあるんですが、クロウ君。私のことを信じてください」

 

 ここで『巫女』を相手してくれるのは、『門』を維持しているクロウは楽になる。ただ彼の目の前で暴走してしまい、世話をかけてしまった前科がありながら不躾な話だろう。

 ―――だけど、一にも二にもなく、頷き返した。

 

「わかった、姫柊。お前のことオレ()は信じるぞ」

 

 応えて、左胸に手を当てる。まるでその仕草は“まだ胸の裡にいるであろう誰か”の分までも含めているようで、雪菜は場違いにも小さく笑ってしまう。

 

「ありがとうございます……」

 

 授業参観で親に見られていつもよりも張り切る子供な性格ではないと思っていたけれど、しかし確かにその動作は最良であった。槍を握る手に力が入り、より力が引き出されていく。

 

 

 

「『………っ!』」

 

 雪菜は『赤竜』に乗る『巫女』を見据える。

 先程、苦手意識を植え付けられたのか、『天敵』と同じ『七式突撃降魔機槍・改』を向けてくる剣巫に、臆するかのように<女教皇>は息を呑む。

 しかし、すぐに気を取り直し、虚ろな瞳で剣巫の眼差しと相対しながら、美しくも醜い少女は荒々しく嗤う。

 

「『愚か……愚かなり、メトセラの末裔よ。槍ひとつで、攻略するつもりか―――!』」

 

「ええ、私はまだ<雪霞狼>を完全に引き出せることはできません」

 

 けれど、雪菜の姿勢は冷静に、そして、静かに答えた。

 

「ですが、勘違いをしてはいません。撃退すると妄言しませんが退却するとも断言せず。互角で平等な足止めのみ、それだけならば、私にもできるでしょう」

 

 確かに『赤竜』が脅威だ。

 しかし、雪菜は眷属の一体一体が災厄の如き強大な力を持つ世界最強の吸血鬼の監視役だ。多頭であれど、たかが一体の竜の抑え役をこなせなくてどうする。

 それに『赤竜』の猪突は人の身に受けられるものではないが、師家様監修のもとで“眷獣をもぶん殴るほどの豪力をもった相手”との組手で受け流す術を身に着けている。

 

「―――しっ!」

 

 雪菜が、鋭く息を吐き出す。

 地を、走る。

 津波の如き、いいや津波以上の蹂躙劇。

 多方向より迫るこの四つの頭を、雪菜の槍が打ち払う。破魔の槍より放たれる連撃に構わず、『赤竜』は重戦車を思わせる突貫をしようとする。

 

 たちまち穿たれていく、不知火を纏う竜鱗。

 それでも、『赤竜』は止まらなかった。

 されども、剣巫の一意専心は乱れず。

 

「は―――!」

 

 銀槍、反転。

 そして、頸椎が、圧し潰された。

 

 その瞬間、

 シャチが獲物を玩具のように海上に突き飛ばして弱らせるように襲ってくる『赤竜』の頭を、槍の柄で受け止め、空中へと跳ね上がる。

 剣巫(ゆきな)より、その奥にある『魔人(クロウ)』を『巫女』は優先しており、一見、撥ね飛ばされたかのように見えた彼女を無視させて直進させる。その隙を狙って、宙空で身軽に身を捻りながら勢い付けて、<雪霞狼>を叩きつけた。『神格振動波』のカマイタチと化した雪菜の槍刃は、断頭台(ギロチン)にかけるかのように『赤竜』の四つの頭、その無防備な後首、すべてまとめて一気に斬撃を見舞う。

 

「<雪霞狼>―――!」

 

 全身を使っての渾身の一振りから繰り出された槍は、『赤竜』を切り分けることまでは届かなかった。だが、この叩きつけられた勢いに地べたを擦り、大きく勢いを削られる。

 攻撃は失敗し、迂闊に『魔人』へと近づけさせることを警戒する<女教皇>は、『赤竜』を引き下がらざるをえない。

 そして、これで姫柊雪菜という阻む障害を無視できなくなった。

 

(やはり……)

 

 巫女であると同時に攻魔師である雪菜は、気づいている。

 あの『人狼』――<女教皇>は、『咎神』の遺産を扱う資格を有する『巫女』であるが、戦士ではない。

 それ故に理解できない。

 たった一振りを、極限にまで練り上げる『担い手』の力を。

 

(勢いでこのまま、――から、離す―――!)

 

 同級生から―――その同級生が守る『異境』の(もん)から―――そして、その『異境』に囚われている先輩から、この脅威を突き放す―――!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あらゆる火力制限を解き放ち、“情報”を凶悪に改造された砲の大威力は、轟音だけで大気を破壊せしめる。これまでの戦闘で荒れ果てているこの地上を凶猛なる砲弾は大地を抉る。

 弾数に後先のことを考慮せず『多頭竜』は、ここぞとばかりに吼え猛った。

 

「すべて撃ち落とせるのならやってみせろ欠陥製品!」

 

 文字通りの、爆心地であった。

 激しい爆音が山間を蹂躙し、雪も土も樹木も、何もかもをごたまぜに撒き散らす。

 一秒ごとに崩壊していく景色。

 大地を抉る、砲弾のクレーター。

 たった一日前までは森閑としたこの土地の自然が、無残に踏み躙られていく。

 

「……ああ、世界を救うのだ我々『聖殲派』は―――そのためには、人工島管理公社が所有する殺神兵器は邪魔なのだ」

 

 安座真は重い声をひとりごとのように零す。

 彼が纏う漆黒の鎧は、複製品でも粗悪品でもない、本物の『咎神』の魔具。今回の『聖殲派』を指揮する長であるからこそ与えられたもの。

 数少ない本物を授かったものとして自己暗示(イメージ)するのは、現世の歪みを矯正するための聖戦に身を投じる偉大な革命家だ。

 轟く砲声を華麗なオーケストラと聴き、火薬の臭いを甘い葡萄酒の香りと嗅ぐかのごとく、瞼を閉じて昂る気分を落ち着けさせる。

 だが、弾幕と土煙が収まり、ゆっくりと目を開けて確認すると、指揮官の予想を裏切る光景が現れる。

 それは、無傷のまま身体についた砂塵を払う、一歩もそこより動いていない『魔人』と―――荒れ果てたその周囲。

 直撃するものだけを迎撃し、必要最小限でこの絨毯爆撃を凌ぎ切った。

 ガリッ、と安座真は奥歯を噛む。

 

 ああ、あれだ! あの理不尽こそこの世界の歪みであり、人間を絶滅させかねない脅威なのだ!

 

 

 

 バサッ、と妖鳥の翼は羽ばたき、反撃の狼煙を上げるかのように白霞の冷気を立ち昇らせる。

 

 

 

「むぅ……」

 

 砲弾は苦無で迎撃するも、苦無を『多頭竜』に直撃させるのは難しい。

 上空の機体に苦無が届かせられないというわけではないが、飛び回りながら撃ち込んでくるので当てられないのだ。

 遠距離攻撃は可能だが、やはり大雑把、細かな狙いが苦手だという自覚はある。

 波間に揺れる舟に立てられた扇を射落とすような難事。

 これを相手の攻撃を防御しながら成すには、やはり自分の手だけでは余る。

 

「なあ、ひとつ思い付いたんだけど、霧葉、バーッてド派手にやった昨日のあれを空にぶっ放せないか?」

 

 と傍らに避難していた六刃神官に援助を求める。

 軽く身振り手振りの入ったジェスチャーを無視し、そっぽを向いている六刃はそっと息を吐いた。

 

「(……昨日のね。ええ、憶えてるわよ。でも、あれだけ剣巫を褒めちぎっておいて、ピンチの時は頼るというのは虫が良過ぎるのではなくて。もっとお願いの仕方というのがあるんじゃないかしら)」

 

「おーい、何をぶつぶつしてるのだ」

 

「別に何も」

 

「ん、そうか。で、どんなお願いの仕方が良いのだ……?」

 

「しっかり聞こえてるじゃないのよォォ―――――――――――!!」

 

 

 叱られた。

 

 

「むぅ」

 

 上空からの絨毯爆撃を、焔光を閉じ込める氷柱の苦無で迎撃しているクロウは、どうしても対応は片手間となってしまう。

 けれど、こちらとしては、無理な相談なのかもしれないから、それ相応の態度を示すべきではないかと思い訊ねたのだが、どうやら何か尾を踏んでしまったようだ。

 とはいえ、向こうも攻魔師資格を有するプロとして戦況はきちんと読めており、打開する術を模索していた。

 が、先ほどから双叉槍の具合を確かめるように力を篭めている霧葉は、調子の悪そうに首を振る。

 

「……ダメね、力が出ないわ」

 

「ぬ、お腹減ったのか霧葉」

 

「あなたが剣巫にやられたからよっ! おかげで<生成り>に雑念が入って……」

 

 見れば、戦闘形態に入った証である角が生えていない。

 いったい羽波唯里との一件がどのように響いているのかはクロウもわからないが、こちらに原因があるというのであれば責任を感じるところではある。

 

「よくわからないけど、オレは何をすればいい?」

 

「あ、あれをしなさい! 『五車の術』とかいうふざけた……」

 

「ん。それご主人に禁じ手にされてるからダメ」

 

「はぁ!? なにそれ! 責任取りなさいよっ!」

 

「でも、ご主人にピンチな時以外は使うなーって」

 

「わかったわ。だったら、あなたを半殺しにすればいいわけね」

 

「霧葉、敵はあっち! オレじゃないのだ!」

 

 双叉槍の間に、頸を挟まれたクロウは、目配せで上にある『多頭竜』の傀儡(ゴーレム)を示す。

 わりと危機的な状況なのだと思うのだが、どうして呉越同舟とは行かずに、四面楚歌と背後より刃を突き付けられなければならないのか。

 

「いいから、私の言う通りにしなさい」

 

「でも、禁じ手は簡単に使っちゃダメだから禁じ手なんだぞ」

 

「あら、そんな危険なものだというのなら、なおさら太史局として看過できないわね。仕方がないから、私が練習台になってあげてもよくてよ」

 

「仕方ないなら、やら―――」

「やりなさいっ! 危険なものは完璧に制御して、完全に監視役の管理下に置かないとダメなの! いいわね!」

 

 鬼気散らす双眸に凄まれて、『あれ? 霧葉、監視役から外されたんじゃないのか?』という喉まで出かかった疑問を呑み込んで、こくん、とクロウは頷いた。

 

 して、六刃の口八丁に丸め込まれ、言う通りの体勢を取る『魔人』。

 大人時の姿にまで成長をして高身長となった身体で、細身(スレンダー)な体形の六刃を、背後から腕を回して抱きしめる。俗に『あすなろ抱き』と呼ばれるものである。

 

「これでいいのか?」

 

「(……いいわね。逞しい肉体に覆い包まれるこの密着具合。ああ、すごくいい。もっときつくしてほしいけれど、でもこれ以上、ダメ。昨日のことを思い出したせいで身体が火照って……)」

 

「おい、結局調子は良くなったのか?」

 

「ハッ!? ええ、よくてよ。ほら、早くやりなさい!」

 

 急かされて、『五車の術』を、今回は妃崎霧葉の身体に『匂付け(マーキング)』するように発動―――

 

 

「今だ! 撃てェ―――――!?」

 

 

 両腕を降ろしたその体勢、この隙を見せた相手に愚かしく嗤いながら、安座真は『多頭竜』の九つの頭を向けさせる。だが、真下で殲滅対象が浮かべていたのは、太々しい微笑。

 味方にとっては、頼もしい笑みだ、ただし、敵対しているものには、修羅に映る。

 その双眸に射竦められたかのように、いずれの竜頭も火を噴くことはなかった。

 

「いや、もう撃てないぞ」

 

 氷柱の苦無で砲弾を迎撃しながらも、上空へと煽っていた白霞の狼煙。

 それは、人造湖を瞬間冷凍させた妖鳥の力が篭められていた魔風。

 この火を凍りつかせるほどの魔力は、対象とした『多頭竜』の保有する熱量を一定レベル以下に抑制させる。

 つまり、燃焼を封じてしまう。

 弾丸というのは、突き詰めてしまえば、発射薬(ガンパウダー)――火薬の燃焼により生じるガス圧で飛ばしているものだ。発射薬を燃焼させる雷管の爆轟も、燃焼の一形態。

 そして通常の概念における燃焼という現象は必ず熱量の増大を伴うものであり、熱量の増大を禁じられた可燃物は、燃えることはできない。

 

「っ! 小癪な真似を……!」

 

 火薬爆薬を使用する火器の吐息(ブレス)、しかし、局所的に上空の気温を急激に下げられて芯まで凍てつかされた九つの竜頭、“情報”を取り込み、生体兵器に変形しようが、傀儡の装甲や機構は情報源と同じ。密やかに散らしていた極寒の狼煙を迂闊に吸い込んでしまい、沈黙を強いられることになる。

 

 

 そして、隙を見せた相手は容赦なく討つのはこちらも同じ。

 

 

「霧葉、今なのだ―――!」

「すぅ~~~……南無八幡大菩薩。―――行くわよ! しっかりと抱きしめてなさい!」

 

 『匂付け』された情念の炎は、情念の大火となりて燃え盛る。

 

「我が影は、霧にして霧に非ず、刃にして刃に非ず―――」

 

 角を生やした六刃から放たれる鬼気は、冬の冷気を夏の熱風へと変えていた。

 呪句と共に静かに周囲へと流れゆく鬼気は、抱いている『魔人』の肌をちりちりと焼くかのようだ。

 

「斬れば夢幻の如く、啼哭は災禍を奏でん!」

 

 そして、『乙型呪装双叉槍』より<生成り>の情念を具現化させた大火が、奔流となって放たれる。

 

「<霧豹双月>―――!」

 

 眩い光と音。そして、圧倒的な、熱。

 これまでのモノとは格の違う、共同作業で振るわれた炎魔は、『凄まじい』というより他に形容しようがない。

 真下の地上より噴き上げた熱波に煽られ、『くっ!?』と鎧に包まれた腕で顔を覆う。

 神社仏閣をも一息で全焼させる威力の込められた大蛇を形作る大火の化身。

 空を逃げるよう飛び回ろうが、逃げられない。火そのものが強烈な威力をもった呪詛構造体(しきがみ)の類なのだ。のたくりながら精密誘導兵器の大火は、『多頭竜』を貫き呑み込んで、まだ火勢は止まらず突き進んでは、深く、深く大気に焼き付けた、大文字焼き。

 

 

 彼の神話において、『多頭竜(ヒュドラ)』を滅ぼす際、聖火の松明で焦がすことで首の再生を防いだという。

 ―――だが、ひとつの頭は不死身であり、焼くことはできなかった。

 

 

「―――効かん! <第四真祖>の魔力であろうと『異境』を破ることはできない!」

 

 『多頭竜』を覆う漆黒のヴェールが紅蓮を塗り潰す。

 衝突に生じたエネルギーで機体は揺れたが、装甲は熔解することなく、また焼き焦がされることもなかった。

 これが、魔族を殲滅させる『咎神』の力。

 直撃を受けた情念の大火を、『多頭竜』は宙で旋回行動を取り、振り払う。

 魔力が通用しない以上、相手の手の届かぬ天の高みにあれば、そこは絶対の安全域だ。

 

「今ので邪魔な凍結は解けたぞ! 愚かな混血の忌み子よ! 策を誤ったな―――」

 

 安座真は『多頭竜』の復活した砲門(あたま)を、“天空(こちら)を指差す”『魔人』に向ける。

 

 

「いや、これでいい。この角度が最適だ」

 

 

 空気が、ビリビリと帯電したみたいだった。機内で避難していた安座真でさえ、凄まじい内圧に身体の震えを抑えるのが精一杯だった。

 これが終わりではないと、そのときになって悟る。

 狼煙に冷却され、大火に加熱される―――この一連の行動は、『多頭竜』の頭上に巨大な雲を生んでいた。

 

「勘違いしてるみたいだけど、これは、壊すんじゃなくて、“与える”ものだぞ」

 

 空に打ち上げられた狼煙も大火も狙いは、『多頭竜』ではなく。

 この“匂い付けされた熱量”を、『多頭竜』の周囲の“大気”に与えて、急激な寒暖の変化により上昇気流を発生させること。

 

 魔力を塗り潰す『異境』の護り、だがしかし、“魔力に頼らない”『芳香過適応(リーディング)』の自然干渉。

 

 狼煙にも、大火にも、『匂付け』を馴染ませて、『多頭竜』の――安座真の展開する『異境』の範囲外にある――周りの大気に伝播。

 高位精霊術に匹敵する干渉力は、『魔人』の意思で、熱上昇気流を起こして、積乱雲を作り上げた。

 

 狼煙で散布していた極寒の白霧が、情念の大火によって溶かされ、小さな水滴を生じる。それは同じ狼煙に含まれる『匂付け』された塵を巻き込み、

 そして、『異境』により<生成り>の大火が打ち消されて、再び上空の冷気をあてられ小さな氷粒、あるいは小さな水滴のまま雲を形成。

 

 さらに、精密誘導兵器の如く捕捉した目標に最短距離で突き進む情念の大火によってつくられた『多頭竜』までの一筋の上昇気流は、

 散々火器をばら撒いて燃え盛る地面近くの熱気をも上空へと運んでいき、雪だるま式に肥大化する。

 雲の中の水滴や氷粒は成長し、これらの衝突・摩擦する回数も増加、寒暖の対流に撹拌される速度も加速していき、静電気を貯蓄、地上との電位差が拡大―――

 

 それは通常であれば、時間をかけて行われる自然現象であるも、『匂付け』したものに自然干渉する超能力が、強引に工程を短縮させた。『魔人』の威に従って、雷雲は怒涛の如く渦を巻き、収斂した。

 どっ、と合図があれば“その真下にある傀儡へ雪崩落ちるのがすぐ予想つく。

 

「だから、あとは呼ぶだけだ」

 

 雷とはまず弱い先駆放電(ステップリーダー)と大地から迎えるように伸びる先行放電(ストリーマー)の両者が結合して、道筋を作る。

 そして、道筋が完成したその瞬間に、主雷撃という本格的な電流が流れるもの。

 この原理を応用し、雷雲を制御して稲妻の通り道をつくり誘導させることで、安全な場所へと落雷させるのが、誘雷の技術。

 これより行われるのはそれ。

 

 

「忍法稲妻落としの術」

 

 

 巻き込まれぬよう六刃が下がったところで、『魔人』の手が大きく柏手を打つ。

 神が鳴る。

 クロウの拍手は、正しく“かみなり”となった。

 増幅された生体電流を迸らせる『八雷神法』の技法を、桁外れな生命力を持つ『魔人』が行う。その虚空を割る衝撃音はそのまま呪力の断層を招き、イオン層の断裂を―――雷撃を招いて、『匂付け』された雷雲への呼び水(ストリーマー)となる。

 

 雷鳴が轟いた。

 『多頭竜』がどれほどのスピードで逃げようが遅く、顕現したその瞬間には捕えていた。

 眩い白熱の筋が刻まれ、上空が白光に引き裂かれる。『魔人』の召喚に導かれる激光はまるで怒り狂った雷獣だ。

 轟音と衝撃が大気を震撼して、直撃を受けた『多頭竜』は撃墜。制空権を独占していた傀儡の巨体が、大量の金属片を撒き散らしながらその化けの皮が剥がれていく。

 

 安座真の銀黒色の鎧は、現代兵器を魔獣へと変える魔具だ。兵器としての攻撃力を魔獣に取り込ませるが、同時に魔獣の防御力や性質も素体そのままだ。輸送機をベースに設計された対地攻撃機に、被雷に耐えられるほどの強度はない。雷獣に噛みつかれた時には、『多頭竜』はもはや瀕死の鉄屑と化していた。

 

「ぐっ……」

 

 地に堕ちた安座真が這いずりながら、『多頭竜』の骸より出てくる。

 落下の衝撃もあって、魔獣の“情報”を組み込まされた肉体と言えどもひどく消耗しているようだが、雷撃の影響はほとんど受けていなかった。

 金属などの電気を通しやすい物質に囲まれていると、その内部にいる者は、被雷の影響を受けない――『ファラデーの(ケージ)』と呼ばれる現象だが、おそらくそれと同じことが、安座真と対地攻撃機(ヒュドラ)の間にも起きたのだ。

 

「ハッキリ言って、オマエらはジャンケンでグーしか使わない頑固者だな」

 

 不動、それまでずっとその立ち位置を崩さない『魔人』は、倒れ伏す『聖殲派』の指揮官を見下ろす。

 

「『異境(それ)』に甘え過ぎだ。それだけで世界を変えようなんて、それは傲慢な考えだ」

 

「傲慢、だと? 欠陥製品ごときが、我々の崇高なる理想を愚弄するか……!」

 

「なにが大事かはそれぞれの勝手だろ。そいつが本気なら上も下もない。

 だから、オレが馬鹿やってると思うのは、オマエらの考えじゃなくて、行動なんだろうな」

 

 現実の法則を歪ませる魔力。そして、魔力を無効化する『異境』。しかし、『異境』は現実の前では無力だ。

 故に『聖殲派』は『異境』の力を振るっての殲滅(テロ)では、この現実の世界を変革することはかなわない。

 魔術と異境と現実、この三竦みで成り立つ力関係に、『聖殲派』はひとつしかもたないでいるその有様を指摘する。

 

魔族(チョキ)人間(パー)が揃った『聖域条約(ルール)』で作ったのが今の現実(せかい)だろ? なら、この現実(せかい)を相手に勝負(ジャンケン)したいなら、『咎神(グー)』以外を食わず嫌いするんじゃなくて全部を呑み込んでからにしなきゃ、土俵にも上がれないのだ。そんなのはオマエだってわかってる。でも、それが自分たちの主張(ワガママ)でできないといい、そしてこれでは負けるのが自分でわかってるから、土俵に立つこともなく、逃げてる」

 

 もはや、騎士は声すら出なかった。

 しゃっくりで喉が詰まったようにただ息だけを洩らし、しかしどこまでも冷徹な純性は躊躇いなく『聖殲派』の心臓(かく)に牙をかける。

 

「それで不戦敗して、それが不服だから駄々こね(テロし)てる―――オレにはオマエらがそんな風に見えるぞ」

 

 

 

(遊びに喩えるなんてあの子らしいと言えばらしいけど、幼稚ね。でも、真理はついているのだから言い返せない)

 

 すべてを出し尽くすほどの呪術の反動に足が震えながらも、双叉槍を地面に突いて弱った様を見せず、妃崎霧葉は騎士兜(ナイトヘルム)越しにもはっきりわかるほどに歯噛みしてるであろう安座真の顔を見透かすように笑って見せる。

 

(『聖殲派』はその強さを『咎神』の遺産という理想に頼り過ぎる。結局、あれは夢見がちで現実を直視できていないのね)

 

 『クスキエリゼ』の会長を見てきて思うが、『自分が世界を救う』なんて奴は信用しないし、『自分が導く』とガツガツした熱血が大嫌いだ。

 何故ならば、そういう人種に限って己の欲望むき出しであり、しかも口先ばかりなのだ。

 自分が自分がって普段調子のいい事を言っている割には困難にぶつかるとすぐへこたれる。そして、こうして自身でも気づかないふりをして、目を逸らし続けてきた真理を突かれて、最も柔らかなところを抉られた彼らは何も応えられず、口ではなく力で黙らせようとする。

 結局のところ、そういう人種は自意識と我欲でしか目的を持たない。

 でも、そこの『獣王』は違う。

 あの子は、平穏でのんびりしたい以外の目的なんて持ち合わせていない。

 だからいつも素直でいられるし、目的に縛られて自由とゆとりを失う事もない。

 それは逆に言えばいつでも自由な発想でなんでも出来るという事だ。

 誰しも欲望は満たされた瞬間、消滅する。半永久的に生き続けている『旧き世代』の吸血鬼は、粗方の欲望が満たされてしまい、大抵の輩が狂っている。

 欲のために生まれた目的が魔族の殲滅ならば、それを果たした後、その者はいったい何をしてくれるだろうか?

 何通りか予想はつくだろうが、きっとどれもろくでもない末路だろう。

 彼は何があっても彼でいられる。

 

(だから、あの子は今目の前にあることをあるがままに受け入れ乗り越えていくことができる。だから、私の監視対象は強いのよ)

 

 力云々の前に、懐の問題だ。

 

 仮面を被って正体を隠し、平和的な手段で世の中を変えられず、現実から目を逸らしてテロリストとなっている『聖殲派』。

 対して、吸血鬼の真祖は、人間と魔族の共存を目的に締結された『聖域条約』を強力な後押しをして、実現に貢献した―――そして、現実(せかい)を変えた。

 すべての魔族を滅ぼすしか世界を正せないと『聖殲派』が主張している間に、その他ならぬ魔族の盟主たちが平和に至る手段を形にしてみせた。

 その時点で『聖殲派』は、正義を語る資格を失った。

 そう、“すでに平和になった世界を一体どう平和にする”というのだろうか?

 だからこそ、この現実(へいわ)を乱そうとする『聖殲派』はテロリストであり、そして犯罪者とされたのだ。

 

 

 そして、それは今、同じ『聖殲』の遺産からも基盤を揺らがされる。

 

 

「やっと来たな」

 

 と今まで“影踏み”していた位置から、『魔人』はどいた。

 その行動の意図を探ろうとして、安座真の強張った表情が更に歪む気配があった。

 まさか。

 <女教皇>の制御から奪って、<黒妖犬>がこれまで門を固定していた『異境』の侵食が、ゆっくりと膨れ上がっていくのを見たのだ。

 まるで誰かが、そこにある見えない扉をこじ開けていくように―――

 この影の不知火を大きく波立たせる魔力は、けして『聖殲』の鍵(グレンダ)のものではない。もっと禍々しく獰猛な―――世界最強の吸血鬼の魔力だ。

 

 馬鹿な! 魔族ごときが自力で『異境』の境界を破るというのか!?

 

 混乱する安座真に、『違う』と短く否定の声。

 

「グーを揃えてきたのだ。だから、魔族(チョキ)の力しかなかったけど、今なら『異境(グー)』に負けないようになった」

 

 その回答は、安座真の全身を戦慄したように凍りつかせる。

 

 ヤツは『咎神』の記憶を食ったのか―――!? 馬鹿な、そんなことが―――

 

 安座真の声ならぬ声が漏れる前に、不知火は割れる。

 凄まじい魔力の奔流を海底火山の噴火の如く迸らせながら、現れたのはしっかりと抱き合った一組の男女だ。

 どこか気だるげな表情を浮かべた少年と、ぶかぶかの制服のブレザーを羽織った小柄な少女。

 ―――紛れもなく、<第四真祖>、そして、グレンダだ。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「古城君は、いつも遅れてくるな」

 

 無事生還を果たしたこの先輩に、後輩は素直な感想を洩らす。それに気づいた古城は『魔人(クロウ)』に気づき――一瞬、微妙に顔を逸らして――自発的に謝罪した。

 

「あー……悪い、クロウ。待たせた」

 

「ん? どうした、なんか様子が変だけど、まだ影響が残ってるのか?」

 

 さりげなく、しかし絶対に目を合わせぬ先輩を、クロウは不思議そうに心配そうに問うも、『いや、なんでもない』と古城は話を逸らそうとし、とりあえず、『ぅ……』と自身の背中に隠れて畏縮している鋼色の髪の少女を、後輩へと押し出した。

 

「ごめんなさい、言うこと守れなくて……」

 

「ん。あの時は大変だから大変になってもしょうがない。無事なようだし、古城君のことも助けてくれた。なら、言うことはひとつだぞ。

 ―――よくやったな、グレンダ」

 

「おにぃ―――!」

 

 ぶかぶかのブレザーの裾からはすらりとした太腿を覗かせて、非常に危うい、また眼福な恰好なのだが、大人な姿になっても中身はグレンダと同程度の無垢な後輩はこれといって特に慌てて気にすることもなく、ぽんぽんと頭を撫でた。

 

 そんな和むやり取りを他所に、話題に注意が逸れた第四真祖は、一息安堵しているところを見られた六刃神官よりネズミをいたぶる猫のように嗜虐的に目を細められて、

 

「―――お楽しみだったみたいね。グレンダ(その子)の血は美味しかったかしら?」

 

 状況証拠から明白な事実を告げられて、古城は声を上擦らせた。

 

「ち、違う。あ、いや、違わないけど、つまり、正確に言えば、あれはグレンダであってグレンダじゃなかったって言うか―――もちろんっ! クロウでもなかったぞっ! ちゃんとチェンジさせたからなっ!」

 

 だが、意味不明な古城の供述(かえし)は、六刃神官にも予想以上の動揺ぶりだ。

 その慌てぶり――それも何故かしきりに後輩(クロウ)のことを気にしている――は思いっきり怪しいのだが、今は詳しく追及してやる状況でもない。

 

「わかったわ、でも、この口止めは貸しよ。まあどうせ剣巫にはすぐばれることになるでしょうけど」

 

「高くつきそうな貸しだな。つか、すぐバレんなら意味がねぇじゃねぇか」

 

 軽い絶望感に目眩がする古城。それでも周りに獅子王機関組がいないことに気づいて、厄介事はまだ終わっていないことも把握する。

 

「なぜだ、<第四真祖>……なぜ『咎神』の“器”が貴様を選ぶ……!?」

 

 『赤竜』に『異境』に沈められながらも何事もなかったように大地に立っている古城を睨み、安座真は忌々しげに咆えた。

 それに、古城はあえて彼の神経を逆撫でするように言い放った。

 

「あんたが何を言ってるのかわからないな、安座真三佐」

 

 身勝手な正義を振りかざし、グレンダたちを危険に晒した『聖殲派』に、古城もいい加減に怒りを覚えているのだ。

 

「俺を助けてくれたのはグレンダだ。あんたが道具(モノ)扱いしてたあいつが、あいつの意思で俺に力を貸してくれた。それくらい言われないとわからねーか? 数式の足し算引き算みたいに損得で仲間を切り捨てられるあんたには!」

 

 過度な感情の昂りにブレーカーが落ちたかのように絶句した『咎神』の騎士を、古城は哀れむように見据えながら、冷ややかに言い放つ。

 

「たとえあんたが言うように世界が歪んでるんだとしてもな。世界をあるべき姿に正すという主張が堂々とできねーんだ? 理想が正しいなら、こんなテロリストにならなくて良かったはずだ! 世界を滅ぼせるくらいの力があるのに、吸血鬼の真祖たちは、聖域条約っつう平和的な手段で世の中を変えてみせたんだぞ!」

 

「どいつもこいつも……!」

 

「それができない今のあんたは魔族以下だ。種族も能力も関係ない、あんたは魔族の正義に負けたんだ。歪んでるのは世界じゃなくて、真実を直視できないあんたの方だろ!

 来いよ、おっさん。あんたがそれでも正義を名乗ってグレンダを狙うのなら、俺があんたを止めてやる! ここから先は、<第四真祖(オレ)>の戦争(ケンカ)だ!」

 

「<黒妖犬>も<第四真祖>も……貴様ら殺神兵器の分際でェェェェェェ―――ッ!」

 

 仮面を殴り棄てた、剥き出しの生の感情のままに吼える安座真。

 黒銀の騎士鎧から放たれる『異境』の侵食が、地中より這い伸びる。

 だが、それらが刃と化して古城を貫こうとしたその時、ドンッ、と『魔人』の足。

 

「いいや、古城君。オレたちの戦争(ケンカ)だって―――姫柊なら言うところだぞ」

 

 『異境』の侵食を踏み潰す。

 “『咎神』の殺神兵器”である<黒妖犬>に『異境』は通用しない。『聖殲派』にとって、<第四真祖>よりも天敵だ。

 そして、またひとり―――槍を手にした少女が現れる。

 

「先輩!」

 

 呼ばれた古城は右手を上げて応え―――――わずかの逡巡もせず唱えた。

 

 

疾く在れ(きやがれ)、『二番目』の眷獣<牛頭王の琥珀(コルタウリ・スキヌム)>!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 蟻のような甲殻をもつ『堕天使』らに囲まれながら、『赤竜』を妨害する。

 この死地で踊るような戦場を、獅子王機関の剣巫は槍ひとつで成す。

 

「ハァ―――ッ!」

 

 裂帛の気合いと共に、斬撃が舞い踊った。白刃が大気を裂き、刀身が漆黒を弾く。休むことなく回り続けて、優美な光の筋を引く。その筋が瞬く間に、次から次へと塗り替えられていく。

 “あの槍の切れ味”を体感してしまったことが、枷となり積極的に<女教皇>は前に出れず、また槍の担い手はそれを悟って牽制をしてくる。

 

「『忌々しい―――忌々しいぞ、メトセラの末裔!』」

 

 氷の眼光に射貫かれ、<女教皇>は声高に咆える。だがそれは犬と変わらない。

 戦士ではない、憚ることなく憎悪をさらす『巫女』の感情は読みやすい、それに操られている『堕天使』も同じ。

 

 行動を読み、合気で無理なく相手の勢いを利用する術ならば、この絃神島に来てから同級生を練習相手に師家様に叩き込まれた。

 

 その教えを頭の中で反復しながら雪菜は巧く攻撃のタイミングを外しながら戦う。

 けして一方的に攻め込まず、けして一方的に防戦に追い込まれず、ちょうど中間の位置を絶えず維持し続ける。

 相手が攻め込もうと踏んだ瞬間に雪菜は一歩だけ前へ出る。

 相手が一度引いて体勢を整えようとした瞬間に雪菜は一歩だけ後ろへ下がる。

 予想が外れて自然と拍子抜けしてしまう敵に集団は、その瞬間僅かに足並みが乱れる。『赤竜』の多頭も同じ。そこを狙って、雪菜は容赦なく槍を振るう。相手が慌てて漆黒のヴェールを張って防御したところで、『七式突撃降魔機槍・改』より迸る人工神気は容易く『異境』の護りごと敵を後方へ弾き飛ばす。

 雪菜はそこで追打ちを仕掛けない。一度攻撃を繰り出したら、再び根気良く後ろへ退く。攻めるでも守るでもなく、只管両者のバランスを保ち続けることで『膠着状態』という本来あるはずのない、見えない壁を意図的に築き上げる。

 

 拮抗する力と力が、両者の間の空間を軋ませている。攻撃の手を緩めないまま、雪菜は息を呑む。

 

(この方法はいつまでも頼れるものじゃありません……)

 

 できるだけ遠くに離してきた自身の背後を――先ほどから上空からの爆撃音が連続する苛烈な、同級生に任せてきた状況下――気にしながら、そんなことを思う。

 彼女は毅然とした優勢の態度を取るふりをしながら、しかし内心では緊張していた。今はここにいる『聖殲派』ら状況の分析ができるぐらい、心に余裕があるから付け入る隙ができているだけだ。虎の威を借る狐の例えがあるよう、“剣巫の次に待ち構える<黒妖犬>”を警戒して、戦力を温存しようとしている相手の思惑を、雪菜が上手く利用している。

 だが、<女教皇>が本格的に玉砕を覚悟し、心のバランスを失い、同士討ちも相打ちも覚悟で一斉に攻撃を仕掛けて来たら雪菜のプランは一気に崩れてしまう。

 攻撃にしても防御にしても、どちらか片方にバランスが偏ればその瞬間に心理的な壁は崩れ、雪菜は集団という巨大な波に呑み込まれる。

 この戦法は釣りみたいなもんだよ、と頭の中の黒猫が語るのを聴きながら槍を振るう。

 

 無闇に竿を引き続けても魚は暴れて糸を引き千切って逃げ出すだけ。上手に釣りたければある程度魚の動きに逆らわず、遊ばせ、相手に勝機があると思い込ませなければならない。

 

 

 だが、

 それ故に、

 この拮抗した状況下は、第三者からの予期せぬ介入に脆い。

 

 

「―――雪菜(ユッキー)っ!」

 

 雪菜の方へついてきていた羽波唯里の声。それに<女教皇>に視線を張りつかせて、『聖殲派』へ九割の集中を注いでいた雪菜の意識がほんのわずかにそちらに割いてしまい―――狭窄した視野の死角より迫る黒い刃に気づかせた。

 

 地中を這いずる『異境』の侵食。

 それらが刃と化して雪菜を貫こうとした瞬間、銀槍の一閃が虚無の薄膜を縫い止めた。

 青白い輝きを纏った<雪霞狼>が、間一髪でこの奇襲を凌ぐことができ、そして、その青年は現れる。

 

「救援が遅れましたことにお詫びを<女教皇>」

 

 黒衣を着て、繊細そうなその顔立ちは、十月末の『波朧院フェスタ』で雪菜が(まみ)えた者と同じ。

 

「あなたは、<監獄結界>からの脱獄囚―――!」

 

 『闇誓書事件』で死闘を繰り広げた凶悪な魔導犯罪者たちで、ただひとり免れたという……けれども、たしか第三真祖襲来のごたごたで同級生(クロウ)に捕縛したと聞いていた。

 

「………っ」

 

 黒衣の男――絃神冥駕は、雪菜を一瞥し、ギリッと歯軋りする。その常に冷静沈着な面持ちを崩さないであろう雰囲気の持ち主だと思っていたが、今はその仮面が剥がれかけてるよう。

 いや。

 あの男が見ているのは、雪菜ではなく―――槍だ。

 

「この場は私めにお任せを。<女教皇>は、“鍵”の奪還へ」

 

 恭しく頭を下げてくる冥駕に、<女教皇>は目を細める。

 この男が腹に一物を抱えているのは明白であったが、しかしこの状況は案に乗るほかない。完全に信用できるわけではないが、この邪魔な剣巫を押さえてくれるというのであれば、こちらは自由に動ける。

 『聖殲派』は何としてでも、“情報”の器(グレンダ)を手に入れなければならない。

 今は獅子王機関を退けることができたが、中核の『三聖』を殺し切れなかった以上、すぐ体勢を立て直し、逆襲を仕掛けてくるはずだ。

 時間の余裕は、ない。

 

「『絶対に生かすな、『冥狼』。メトセラの末裔をこれ以上成長する前に芽を取り除け、妾の前に二度と立たせるな』」

 

「無論―――言われるまでもなく」

 

 酷薄な<女教皇>の台詞に、青年は深々と低頭した。

 

 

 

 そして、<女教皇>はこの拮抗した戦線を抜けた。

 雪菜がそれを追おうとするも、妖しい輝きを放つ漆黒の長槍を見せびらかすように視界を遮らせて、行動を阻まれる。

 

「あれは、昨日と同じ……」

 

 絃神冥駕が手にするのは、昨夜に見た左右一対の短槍を強引に接合させた一振りの長槍。

 『零式突撃降魔双槍(ファングツァーン)』、獅子王機関の“廃棄兵器”であり、霊力を打ち消してしまう巫女殺しの武神具。

 

 ちょうど雪菜と唯里が挟み撃ちにしている間に青年は立っているが、その顔に怖れの色はない。

 この<冥餓狼>がある限り、巫女は巫女としての力が使えず、それにひとりは何の武器ももたない。

 彼女たちに不死身の『僵屍鬼(キョンシー)』の肉体を滅することなどできないのだ―――その<雪霞狼>を除いて。

 

「どうやら、また脱走してきたようですね」

 

 雪菜はそう言いながら、脅威対象に前線を抜かれて後ろ髪を引かれていた意識を、絃神冥駕に向けた。ジリジリと間合いを測りながらも身体の軸は微塵もブレることなく、そして武神具と一体であるかのように破魔の銀槍を構えている。

 

「ひとつ提案です」

 

 <女教皇>が立ち去ったのを見計らって、絃神冥駕は口を開いた。

 

「私は、この一件にこれ以上介入する気はない。見るべきものを見て、得るものは得ました。

 ということで、『七式突撃降魔機槍』を譲るのであれば、特別にこの場から退きましょう」

 

「断ります。脱獄囚である貴方を逃すわけにはいきません。それに、<雪霞狼>を誰にも渡す気はありません」

「―――<雪霞狼>は、貴様のものではないッ!」

 

 青年の鬼気迫る叫び。

 ただ雪菜が槍を抱いている―――それだけで男は泰然自若の面相などかなぐり捨てる。

 剥き出しの感情に驚き、あまりの怒気に呑まれかけたが、すぐ青年は眼鏡の位置を直して、気を落ち着けさせた。

 

「すみません。しかし、です。あなたがその槍を持つ限り、<女教皇>はあなたを脅威とし、そして殺そうとするでしょう。ならば、助かる道は槍を手放すしかない」

 

「………」

 

 霊視で視ずとも、それが雪菜を気遣っての事ではないことはすぐに見抜けた。

 最初からこの男が見ている――執着しているのは、槍。こちらに視線が向けられることはあっても、その瞳は無感動。情緒不安定で感情を読むのが逆に難しいが、それでも獅子王機関の秘奥兵器である<雪霞狼>を貪欲なまでに求めているのだけはわかる。

 

「かつて冬佳が救ったあなたを、私は死なせたくはないのです」

 

 その口より独り言のように吐露されたその人名(たんご)に、雪菜は目を瞠った。

 

「冬佳……様? あの人の名前を、あなたが、どうして……!?」

 

「神狼の巫女、槍を渡しなさい―――」

 

 雪菜への回答はなく、冥駕は漆黒の槍を無造作に構えた。

 その失敗作より『聖殲派』と同じ漆黒のヴェールを広げながら、真っ直ぐに心の臓のある左胸へ切先を突き付ける様から、断れば殺す、という意思が伝わってくる。

 だが、雪菜が心変わりすることはない。

 

「雪菜、気をつけて。その槍は霊感を封じてくるよ」

 

 忠告する唯里に頷き返しながら、ごくごくわずかに重心を前にズラした。その僅かな動きに、ピクリと『冥狼』が反応する。

 

「断ります。あなたに冬佳様に託された<雪霞狼>を渡すわけにはいきません」

 

 直後。

 雪菜から莫大な霊力が迸った。神速の踏み込みと同時に斜め下からすくい上げるような逆袈裟の銀閃が、ギラリと牙を剥いて漆黒の薄膜を斬り裂いた。

 『冥狼』が双槍を差し入れてガード。そのガードごと―――どころか、冥駕ごと呑み込んで、凄まじい人工神気の奔流が山森を駆け巡った。

 台風を無理矢理凝縮して解き放ったようだ。高密度の『神格振動波』の渦が、『廃棄兵器』の霊力無効化を振り切って吹き荒れる。唯里が直前に息を呑んだが、そんなものは瞬く間もなくかき消された。

 

 力を温存していたのは、<女教皇>だけではない。

 姫柊雪菜もまた、<雪霞狼>の力をセーブしていた。

 

「馬鹿な……まさか、これほどに力を……!?」

 

 『零式突撃降魔双槍』を発動させて、巫女の核たる霊力に制限をかけているというのに、神狼の巫女は『七式突撃降魔機槍』――『七式突撃降魔機槍・改』を発動させている。

 『ぐっ!?』と唇を驚愕に歪ませた冥駕はガードごと身体が、下からくる圧力に押され宙に投げ出された。その次の瞬間には、雪菜は躊躇なく、後を追って踏み出している。

 まだ人工神気の嵐と粉塵が吹き荒れる中、雪菜は一息に山間を突っ切り、冥駕との間合いを詰めた。

 

「認めるか―――認めてなるものか! その槍は! <雪霞狼>は冬佳のために―――!」

 

 跳躍。

 今この場は霊力に対して、空間全体に重石を乗せられているというのに、しかし剣巫は<冥餓狼>のプレッシャーを物ともしなかった。

 軽く10m以上を飛ぶように跳んで、襲い掛かる重力や風にも身動ぎひとつせずに、吹き飛ばした『冥狼』に追いついて銀槍を振りかぶる。冥駕が目を瞠ったところに―――

 二撃目。

 頭上から振り下ろした一撃が、回避する間もなく『冥狼』を直撃。不死身であるはずの彼の肉体より白煙を噴き上げさせ、隕石のように落下。ドゴッ、と地面に叩きつけられる。ミサイルが着弾したように、また新たな粉塵が舞い上がった。

 

「<雪霞狼>」

 

 ダンッ、

 と背中から羽翼を生やすように輝く紋様を宙空に描きながら、一直線に落下。全身のバネで衝撃を吸収し、爆心地前に着地した。

 電光石火の連続攻撃は、雪菜をよく知る者であっても、背筋を凍らせただろう。およそ並の魔族に耐えられるレベルではない。それでいて、雪菜は息ひとつ乱していない。その印象は冷淡ですらある。

 ひゅん、と雪菜は<雪霞狼>を振るい、発光を抑えた。

 

(すごい、これが本当の<雪霞狼>の力……)

 

 これに雪菜もまた驚いていた。

 “十全に扱えるようになった”というのはわかっていたが、それでも<雪霞狼>の真価は凄まじいものであった。そして、その末路もまた体感する。

 真祖をも殺す秘奥兵器という評価(ブランド)に嘘偽りなし。

 

 

「ふざけるな。そんなこと認められるとでも思うか! 私は冬佳のために造ったのだ! 彼女以上の担い手など存在するはずがない! 否、許せるはずがない!」

 

 

 そして、その猛攻を凌いだ青年。

 どこか異様な気配を発する冥駕に、雪菜は油断なく再び槍を構えた。

 戦闘で眼鏡を失われ、隠せるもののなくなった亡者の虚ろな瞳。左手に握った槍からは、今は力を感じない。

 だが、異変はそこではない。剣巫の直感が警鐘を鳴らす。今すぐここで止めを刺すべきなのだが、彼の口から洩れる『冬佳様』の言葉が雪菜の槍の切先を迷わせる。

 その僅かに躊躇した間に、冥駕は黒衣の懐よりそれを取り出す。

 

「まだ調整の済んでいない複製品ですが、安全装置(セーフティ)がないだけで本物とは変わらない」

 

 手にしていたのは、『仮面』

 『聖殲派』の陣営に確保されていた『仮面』の複製品だ。絃神冥駕は密やかにそれを入手していた。

 瞳孔の開き切った瞳で、冥駕は『仮面』を装着する。

 

「神をも滅ぼす真なる禁呪をお見せしましょう」

 

 瞬間、彼の全身に浮かび上がったのは、ぼんやりとした淡い輝きだ。その輝きの正体は、冥駕の肌を埋め尽くす奇妙な文様の羅列だった。

 存在が、変容する。

 淡い光の粒子に包まれて、世界を侵食し始めた。

 この光景に危機感を抱く雪菜だが、動けない、そのこれまで見たことのないような光景から目が離せなかった。

 攻撃魔術でもない。

 呪術でもない。

 もちろん通常の物理現象でもない。

 そして、『異境』の侵食とも違っている。

 ただその輝きに触れたものを、決定的に性質を変異させてしまう。

 同じ形でありながら、生者と死者が、異質な存在であるように―――

 

「ククッ―――」

 

 冥駕はふっと笑った。その瞬間、理知的な青年の底から、その克己心の原動力となっている核が――求める力の到達点が浮上し、表層に現れた。

 

「神狼の巫女。あなたは選択を誤った」

 

 それは、神の使いを堕したいという、強く、純粋で、剥き出しの欲望。

 その結集が具現化したかのように、周囲に生み出されたのは、無数の深紅の弾丸。

 それらが一斉に撃ち放たれて、四方八方から雪菜へと殺到する。

 

「―――!?」

 

 避け切れぬ、そう判断し、銀槍で祓わんとする。

 しかし、着弾したとき、銀のような輝かしい純白に、まるで希釈した血液を被せられたかのように。押し寄せる深紅の弾丸が、雪菜の纏う高密度の人工神気を侵食していく。

 

「っ―――、―――あ」

 

 このままではあと数秒で力が無くなる。

 この深紅は、神を殺すために生み出された禁呪だ。

 薄れていく思考より、身体がそれを嫌悪した。

 そう、たとえそれが『天使』であろうと、その攻撃は防げない。

 雪菜が辛うじてそれに耐えられているのは、冥駕の力が不完全であり、準備も『仮面』と『零式突撃降魔双槍』では万全とはいえないからだ。

 

「は―――あ、あああああ―――!」

 

 形振りなど構っていられない。

 残った霊力、そのすべてを使い切っても脱出しなければならない。

 けれど、深紅の禁呪に掛けられている状態では、これ以上の力を練ることはかなわない。

 そして、

 

「―――終わりだ神狼の巫女」

 

 対岸の火事の如く、深紅に浸食されていく雪菜を眺める黒衣の青年。彼は今、彼女に(とどめ)を降せる死神だった。

 

「っん……! あ―――つぅ、あ―――」

 

 息が詰まる。呼吸ができない。

 手先足先と端から、感覚が薄らいでいく。

 徐々に存在がこの世にあってこの世にないモノに変えられようとしていく。

 

「さあ、これが最後です。槍を手放しなさい。そうすれば、命だけは助けて差し上げましょう」

 

 最後通牒を告げる冥駕。

 やはり、彼は<雪霞狼>に執着していた。この深紅の侵食も、銀槍とそれを握る右腕だけは避けている。

 霞んでいく視界の中、剣巫は酸素を求めるように喘ぎながらも、しかと唱える。

 

「―――獅子の神子たる、高神の剣巫が、願い奉る」

 

 『七式突撃降魔機槍・改』に刻まれる『神格振動波駆動術式』にありったけの霊力を注ぐ。

 しかし、満足に槍を振るえない彼女にそんな真似は無意味だ。冥駕が深紅――『聖殲』の力を解かない限り、姫柊雪菜は自由になることはできないのだから。

 

 だから、雪菜は槍を手放すしかなかった。

 

 絃神冥駕―――

 

 

「破魔の曙光。雪霞の神狼。鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!!」

 

 

 ―――その背後にいた“もう一人の剣巫”へと。

 

「なっ!?」

 

 最後の力を振り切って、前のめりに倒れ込みながら投げ放たれた銀槍は、冥駕の頭上を通過。咄嗟に冥駕はそこへ手を伸ばそうとしてしまい―――両手で握る<冥餓狼>、その『聖殲』の力の制御が、緩んでしまう。

 そして、<雪霞狼>は、戦力外と最初から注意を外していた羽波唯里が受け取り、後輩から聖句を続けて振るわれた。

 

雪菜(ユッキー)から離れてっ!」

 

 力がない、でも、それでも、彼女は控えていた。

 少年に護られることに甘え、そして、後輩に危険な任務を押しつけることを心に悔やんでいた彼女はいつでも備えていた―――それを姫柊雪菜は知っていた。

 

 お願いします、唯里さん!

 

 だから、きっとこの(バトン)を受け取ってくれると信じられた。

 そして、最後に頼ってくれた後輩の信に何としてでも応じたかった。

 

 お願い、たった一度だけでもいい、私に力を貸して!

 

 『七式突撃降魔機槍』に選ばれなかった剣巫。

 だが、今、その意思に応えるかのように、『七式突撃降魔機槍・()』は、唯里の手の中で輝きを増して、

 不意を打たれた絃神冥駕も振り向きざま、

 

 刹那、『力』が迸った。

 

 

「<雪霞狼>―――!」

「っ、<冥餓狼>―――!」

 

 

 純白と漆黒。

 二つの『力』が、激しくぶつかり合った。

 羽波唯里の放つ破魔の銀槍を、絃神冥駕の漆黒の双槍が断ち切らんとしているのだ。現実の物理法則では定義できぬような力の余波は、あたかも天使と悪魔の翼の如く、其々の背部を黒白に飾った。

 しかし、その拮抗も数秒。

 結果は、すでに見えている。

 この銀槍に満たされる霊力は羽波唯里だけでなく、直前の姫柊雪菜の分も込められていた。剣巫二人分の霊力で紡がれる濃密な神気の刃は、『廃棄兵器』の力でもってしても無効化できない。

 

「……こんな、ありえない」

 

 青年の目が血走る。

 刃の切先が緩み、拮抗していたバランスが崩れる。

 すべての『力』が、冥駕に向けて突っ走る。

 

「………」

 

 その刹那、不意に銀槍の軌道が変わった。

 青年は、ふたりの剣巫が槍を手に取る幻―――その背後にもうひとりの面影を透けて見えた。

 その正体を悟るのには、一瞬さえ必要なかった。

 

「―――おォ、ォ―――」

 

 崩れた均衡は取り戻せぬ。けれど崩れた矛先を誘導することはできた。

 

 あまりにも純白の光が、漆黒の青年の身体を呑み込んでいく。

 もう何も見えない。

 幻影も、青年の血濡れた視界も、ただ真っ白に染まっている。時間も空間も何もかも食わんとするように光がすべてを埋め尽くす。

 

 

「冬佳、君を―――」

 

 

 感じられたのは、懐かしい温もり。

 ああ、間違いなく、この温かさだ。

 今でもなお憶えていた。修羅に堕ちて、夢幻の監獄に囚われようとも、過ぎし日の光だけは、誰に否定されることも、覆されることもなく、この胸の裡にあったのだ。

 いかなる神にも運命にも、けして奪えない、穢せないモノ……

 とうの昔に、あの時に枯れ果てたはずの、はらはらと流れ落ちる己が涙の清冽さに、呆然とさせられる。

 そして、全ての事象を彼方へ飛ばしていく壮絶な光の中に―――青年の意識も包まれていったのだった。

 

 

 

つづく

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