ミックス・ブラッド   作:夜草

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咎神の騎士Ⅵ

神縄湖付近

 

 

「結局、あいつは何がしたかったのかしら?」

 

『数多の罪人を処刑し、数多の魔獣を討伐した、そして、このすぐ近くの箱根権現に奉納された。『蜘蛛切』に『薄緑』と幾度も改名をしてきた源氏重代の刀『膝丸』!

 しっかーし! その同名で、牛千頭の皮を用いて、『牛』の精を宿す“鎧”があるのでござるよ!』

 

 と侍マニアな<戦車乗り>がノリノリな長広舌で、自社製品の性能よりも、自らの超小型有脚戦車(マイクロロボットタンク)も含めた名付け由来を語ってくれた強化外骨格。

 これに浅葱の持つ予備端末――古城にも渡していた人工知能(AI)と繋がった携帯機器を取り付けさせて、指定の座標に飛ばしてくれ、と。

 理由を訊けば、これがあれば大丈夫、としか言わない。

 しかしながら、向こうがピンチなのは浅葱にもわかることで、そして、浅葱がそこに近づくことをこのモグワイは、有脚戦車の電子機器に干渉してまで『待った』をかけてきた。

 とにかく、『嬢ちゃんが行くのはヤバい』としか答えない。

 まったく、大した相棒をもったものだ。

 とはいえ、あそこが危険だというのは山岳が一気に消し飛ばされた暴風でもわかる。戦う力のない浅葱が行ってもしょうがないことはわかる。なので、渋々と相棒の依頼をチャチャッと仕上げて飛ばしてやった。

 

「―――これが、殺神兵器の力か!」

 

 吸血鬼の視力にて、この遠方より戦場を傍観していたのだろう。戦車の上に乗っていた異邦人の少年がクックッと喉を鳴らし、血がざわめいて彼の全身から尋常ならざる濃密な魔力が立ち昇る。

 

「ちょっとイブリス! あんたなにやってんのよ!」

 

 と一般人にも肌寒さを覚えさせる鬼気に浅葱が文句をつけると、『滅びの王朝』の凶王子は、ふっと笑い、

 

「空気に当てられて、つい昂ぶってしまった。許せ、浅葱」

 

 魔力の放出は控えてくれたが、それでも歯を剥いて獰猛な面を露わにしている。

 だが、『魔族特区』暮らしの一般市民は、荒ぶる凶悪な吸血鬼の王子にも大して臆すことなく、

 

「別にいいけど、何かあったの? 見てるんならこっちにも解説してくれない?」

 

 媚びたり怖れたりせず気軽に頼みごとをする浅葱に新鮮で面白くあるように微笑して―――されど、眼は興奮して血塗られたように赤いまま、

 

 

「そうだな。やはり俺の目に狂いはなかった。ヤツの牙は我らが真祖に届きうるものだ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

疾く在れ(きやがれ)、『二番目』の眷獣<牛頭王の琥珀(コルタウリ・スキヌム)>!」

 

 

 天の神様は空の上に、反対に罪人たちは土の下に、という思想は世界各地にある。

 そして、『墓場から掘り出した呪われた土を、棺桶の中に敷き詰めて眠る』という迷信が流布するほどに、吸血鬼は『大地』と関わり深い魔族だ。

 

 暁古城の全身から膨大な魔力が噴き出して、実体化させた新しい眷獣は、この象徴だ。

 大地から無限に湧き上がる溶岩そのものが本体である、琥珀色に輝く肉体をもつ巨大な牛頭神(ミノタウロス)

 全長は十mを超えており、そしてその巨体をも超える重厚な戦斧をもつ。

 

「今度はお前か……」

 

 その威容を見て、クロウは懐かしむよう感想を洩らした。

 この牛頭神は『宴』で一対一の殺し合いを演じて、幾度も肉体を壊され、そして、その灼熱の戦斧を死ぬ気で切断した相手だった。

 真っ向からぶつかって最も己を砕き、そして初めて打倒した<第四真祖>の眷獣。おそらくこの勝利が、己の存在を<焔光の夜伯>に認めさせるきっかけとなっただろう。

 『二番目』の牛頭神もまた、あれから成長したこの『十三番目』の“後続機(コウハイ)”に反応するかのように真紅の目の輝きを点滅させる。

 互いに脅威だとわかる。だから、味方であるのを頼もしく思う。

 して、新たな眷獣と意思疎通させる一方で、

 

「せ、先輩!?」

 

 地底から噴き出した無数の杭が、姫柊雪菜を囲い、檻と為す。吸血鬼を象徴する物体である杭は、どれもが灼熱の溶岩であり、触れることはできず、わずかな隙間を抜けようとすれば焼き焦がされるだろう。脱出は不可能。そんな灼熱の杭に閉じ込められた雪菜が、古城へ叫ぶ。

 

「どうしてこんな真似をするんですか! 私は先輩が―――」

「下手な演技はやめろ。テメェ……姫柊じゃねェだろ」

 

 静かな怒気に双眸を、この灼熱の溶岩よりなお熱く滾らせる古城に臆したように、知人の少女と同じ顔を騙る“偽者”は黙った。

 クロウが自身よりも早くに反応した先輩に、驚いたように目を瞬きさせ、

 

「よく姫柊の“偽者”だって気づいたな、古城君」

 

「ああ、においっつうか、あそこまで不快な“血の匂い”だからな。……それに、姫柊の偽者は見たばっかりだったからな」

 

 以前に獅子王機関の出張所にて、卓越した術者である師家・縁堂縁が精巧に造り上げた煌坂紗矢華をモデルにした式神にも一目で違和感を悟ったことがあったが。

 機械反応さえ誤認させるほどの姿形に誤魔化されない、吸血鬼の超感覚か。それとも“献血行為”で最もお世話になっている少女だからすぐ違いがわかったのか。

 

 これまで暗躍を成功させ、最も多く標的を暗殺してきた『人狼』の騙し討ちがこんなあっさりと失敗した。

 ならば、もうできることは限られる。

 

「『ク……クク……ク……カ……ッ!』」

 

 影より不知火が噴き上げて『赤竜』が顔を出して、灼熱の杭檻を払い除け、『姫柊雪菜』の化けの皮が割れる。

 現れるのは、包帯塗れの身体。

 手足も胴体もその顔にも所々が黒ずんだ包帯を巻いており、虚ろな瞳がその隙間から覗いていた。

 だが。

 はたしてこの<女教皇>は……本当にヒトの“情報”に基づくものなのか。

 

「『楽に始末してやろうと慈悲を見せたのは間違いであったか』」

 

「姫柊はどうした!」

 

「『メトセラの末裔は、『冥狼』が始末している。貴様ら殺神兵器も後を追わせてやろう』」

 

 残りすべての『聖殲派』の兵『堕天使』を結集させ、鎌首をもたげる『赤竜』が気焔を吐く。

 

 

「『永劫の呪いの烙印を』」

 

 

 憎悪に塗れた呪詛が栓であったかのように、一言だけそう漏らした<女教皇>の口から、濁流のように黒い塊が噴出した。

 <女教皇>は、かつての地獄のような戦乱で滅ぼされた怨霊の集合体である。この『仮面』に複製された“情報”もまたこの複数の残留思念が個となったものといえる。

 そして、『仮面』は次々と新たな“情報”を取り込んでいく魔具だ。

 セーブしておけるストックは数限られていても、複製してきたそれまでの記録、すなわち『固有堆積時間』は失われておらず、澱となってそこに積もっていた―――怨霊の集合体に塗れての混沌の一部となってきた。

 今、『仮面』は蓄積されてきた残留思念の栓を解き放った。

 濃霧のような木霊たちは『赤竜』に、そして、『堕天使』らにずるりと内側に入り込む。血管に入り込む。神経に、骨に、内臓に、筋肉に、脳髄に。全身すべての部位に吸い込まれて、“情報”をより強大なものに改竄していく。

 

「『錬金術師、魔女、呪術師、それに魔族―――咎神の力を振るうものすべてを我が血の呪いに染め上げる。この世界を妾の悲嘆と怨嗟で壊すために、“『聖殲』より“情報”を溜めこんできた”! たかだか千年も生きていない程度の欠陥品ごときに覆せる『歴史』ではない!』」

 

 赤く染め上る『堕天使』たちに、喜びはなく、悲しみも憎悪もない。無機質な瞳は、虫のそれにも似ている。

 ある種の『神懸り』。アヴローラ=フロレスティーナの魂を憑依させた暁凪沙の事例に似て非なるもの。

 <女教皇>という『聖殲』の“被害者”は、誰でもあって誰でもない。名前も、顔もわからない、ただひとりの『巫女』の肉体に染みついた亡霊の群体。その膨らんだ憎悪と絶望で魂が変質した、ひとつの概念だ。

 『仮面』に登録された“情報”のなにもかもは消化されて、ひとりひとりの名前も忘却し、世界に個体としての存在が認められない、概念を構成するためのひとつの細胞に成り果てた。

 そして、<女教皇>という『歴史』は。

 『赤竜』のシステムを完全なものとするために、『魔人』を屠る。玉鋼と化した右腕に、刃と化した五指。『疑似空間切断』という取り込んだ武神具の物理的に防ぎ得ぬ属性も付加する。全身すべてをひとつの武器に変え、一撃で心臓を貫くべく、それ以外の思考を全て捨て去って、“静寂を破った”。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ズドン!! と。

 雑音を呑み込む轟音を生じさせて、『魔人』の手甲に纏った拳骨が、『赤竜』ごと<女教皇>と衝突した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 また『雑音(ペーパーノイズ)』が差し込まれた違和感を察した古城は、見た。

 ぐるんっ!! と『赤竜』の巨体がベクトル法則を無視して、空中で縦に二回転もしている光景を。山でお手玉をすれば、目を疑わざるを得ないだろうが、まさしくそれだ。

 でも、最も驚愕しているのは古城ではない。中途を飛ばされた彼には、全容を知らず、結果だけしか見れない、それ故に意味不明な事態に留まっている。

 繋がる影を切り離されたかのように、『赤竜』から落ちた<女教皇>は、最早自発的な呼吸すらもできなくなった。

 それは背中を打った肉体的な痛苦よりも、理解不能な現象に受けた精神的な衝撃があまりにも大き過ぎることによるものだろう。

 

「『ばっ……ァ!! がゥあ、げぼっっっ!?!?!?』」

 

「『聖殲』からの『歴史』だか何だか知らないけど、オマエはただ記録しているだけ」

 

 呆れ果てたようにクロウは呟く。

 体勢を立て直すところを追打ちに掛けたりはせず、好機を見逃して、常識外れの怪物はさらに言う。

 嘲るでもなく。

 ただの事実を。

 

「“情報”通りのオリジナルじゃないし、どれだけ手札を持っていてもそれを選ぶのは結局“オマエひとりでやってる”ことなんだろ?」

 

 だから勝てない。

 歴史の長さなど関係ない。

 そもそも『巫女』に軍隊を従える指揮官としての腕がなければどうしようもない。

 

「こういうのを『宝の持ち腐れ』というんだな」

 

 こちらにしてみれば、ヘタクソなゲーム用のAI相手にチェスを対局しているのと変わらないのだ。

 どれだけ多くの『歴史』を蓄積したところで、『巫女』の“匂い”は残る。『神縄湖』で滅多打ちにしてくれたときの戦闘経験からその輪郭は掴めていた。有体にいえば、虎の子の『巫女の歴史(デッキ)』を頼る前から『巫女の戦術傾向(パターン)』は分析することができる。

 だから何も問題ない。

 脅威にならない。

 『魔人』は狙い通りに『巫女の歴史』を迎撃できる。

 それにこちらには相手の山札の大半を捨て札にしてしまえる力を持っていた。

 

「『異境(これ)』を使えるのは『聖殲派(オマエら)』だけの特権じゃない」

 

 薄らと鎧<薄緑>より広がる純黒の光。

 自分らのよりも澄んだ色合いのそれに<女教皇>は目を剥いて、しかしそれは予想してしかるべきものだったか。

 

 彼もまた、『咎神』の創造した力の『器』だ。

 何かのきっかけがあれば、『聖殲』の魔具と同じ力を使えるようになってもおかしくはない。

 力の有り余る、手加減が難しい<黒妖犬>に、強化外骨格など不用だ。

 <薄緑>という現代兵器を“改造された魔具”は、筋力を増強させるためのものではなく、現代の殺神兵器としてその足りない“きっかけ”を補う(アップデートする)ためのものであった。

 

 それでも。

 こちらは絶対先制権を取っていた。

 

 獅子王機関筆頭『三聖』の『閑古詠』の最大の脅威である<静寂破り(ペーパーノイズ)>。

 予想はしていても反応はできない。

 直前に『異境』に<静寂破り>を無効化されたとしても、不意打ちは成功していたはずなのだ。

 この現実を受け入れられない<女教皇>の意識は、耳から滑り込んできた『魔人』の言葉に集中していた。

 

 

「そして、オレもひとりじゃない」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <黒殻(アバロン)>に取り込まれていた“情報”を『香纏い』した。

 けれど、そこに含まれていた“匂い”は、『十二番目(アヴローラ)』だけではなかった。

 

 暁凪沙――巫女と過適応者の混成能力者(ハイブリッド)の残り香もあったのだ。

 

 本来持っていた『嗅覚過適応(リーディング)』だけでなく、『触覚過適応(サイコメトリー)』も身についた『二重過適応(ダブルホルダー)』。

 魔力を無効化にする『異境』を<薄緑>より展開しても、魔力に頼らない<過適応能力(ハイパーアダプター)>は問題なく働く。

 つまり、あの静寂を破られた間隙に、感情の動きを鼻が嗅ぎ取り事前に張っていた『異境』の薄膜が『雑音』をかき消し、そして、肌の触覚から相手攻撃を予測する『聴勁』――『触覚過適応』ですべてを理解する。

 そして刹那もあれば『魔人』の反応速度は反撃が可能。

 超感覚からの超反応。

 この速過ぎる後出しが、この先手必勝を潰す後手必殺となった。

 

(……これが凪沙ちゃんの)

 

 過敏な表皮の感覚に言葉を出さず、心中でクロウは呻く。

 『接触過適応(サイコメトリー)』。それは、暁凪沙が先天的に有した特異体質。巫女としても優等である彼女は、文字通り接触するだけで、あらゆる魔性の実体を把握する拡張された超感性をもつ。

 同時に、クロウは知っている。

 この少女が異常なほど『魔族恐怖症(トラウマ)』を抱えるようになった理由が、この力も一因であることを。

 理解し過ぎるのだ。

 剣巫の姫柊雪菜や舞威姫の煌坂紗矢華といった幼いころより訓練を受けた巫女のように、単に霊視を有するというだけではない。この力は、あまりにも“すべて”を気づくのだ。愉悦を、快楽を、激怒を、悲哀をひとつとしてあまさず。

 情報過多で頭がパンクしようとも、その狂気を理解してしまうのだ。

 『魔族恐怖症』となった要因は、<死皇弟>――この<黒妖犬(クロウ)>の素材のひとつに使われた<黒死皇>の弟の襲撃(テロ)。あの時起こった、骸を弄び血に狂う獣の凶手にかかり兄の古城を目の前で失うというあまりの恐怖は、惨劇の記憶を凪沙から奪い、『魔族恐怖症』を抱えることになってしまったが、それだけで済んだことが奇蹟と言える。

 

 それを一時体感した少年は、強く拳を握った。何かを掴むように……

 

「呪いだの歴史だのじゃない。仲間というのはこういうものだ」

 

 視線を通わせ、後輩と意思を同調させた古城は、ああ、と力強く頷いた。

 その瞳が怒りに赤く染まっていた。

 

「目的のために仲間の命すら平然と使い捨てるあんたらは絶対に死なせない。自分がどこで道を誤ったのか、きっちり反省させてやる―――!」

 

 暁古城の右腕より<第四真祖>の魔力が迸り、命を受けた牛頭神が灼熱の戦斧を振り降ろす。

 瞬間、ゴバッッッ!! と噴き出す杭。吸血鬼の象徴である杭が大地から勢いよく飛び出しては、標本にするかのように『堕天使』らを縫い止めた。

 『異境』の力で護られているはずの『聖殲派』だが、牛頭神の力は大地を操るものであり、魔力によって大地を生み出すものではない。だからこそ、『異境』の力に対して、攻撃が通る。

 

 そして、牛頭神に続いて、魔人も両手を地面につける。

 

 

「合体忍法千本桜の術!」

 

 

 <薄緑>鎧籠手より大地に流し込まれる南宮九郎義経の『異境』。

 熊野の春の山を想いて名付けられたその由来の通り、この荒れ果てていた戦場の大地に冬というのに木々が生い茂り始めた。灼熱の杭が、枝葉を分岐させ、花実をつけた樹木に化け始めたのだ。

 

 先日、主人の<空隙の魔女>の放った<禁忌の茨(グレイプニル)>を補強したときと同じく。

 『大地』を操る力に『匂付け(マーキング)』した。

 殺神兵器の先輩後輩の合わせ技の効力は地形エフェクト。描画ソフトの塗り潰しツールのように、鼻の覚知範囲内の大地を自らのフィールドに作り変え、その領域内にある物体、現象、生命に情報干渉する。

 

「自然に還れ、『冬虫夏草(コルジセブス)』―――!」

 

 『堕天使』――その増強に使われた<蜂蛇>の骸らの“情報”――記憶を花にして咲き誇らす。

 魔獣と合成されていた『聖殲派』は融合解除されていき、そしてそのまま杭の樹木に埋もれて拘束される。

 

 そして、残り香を散らす花吹雪は、六刃神官に庇われている鋼色の髪の少女の視界いっぱいに埋め尽くした。

 

「だぁ……」

 

 それが、最後の別れの挨拶であるかのようにグレンダの周りで舞い踊ると、風に乗って彼方へと飛んでいった。

 颯爽と。

 後腐れなく消え去った。

 

 

 

「『咎神』の力……が……」

 

 化けの皮がはがれて、それでも杭の樹木の拘束を、『多頭竜』の残骸を盾にして免れた安座真に、古城が駆ける。

 指揮官である安座真にはまだ騎士鎧と騎槍の魔具が残っている。

 

「っ、第四真祖―――!」

 

 迫る<第四真祖>。眷獣に備えて騎士鎧で守りを固めるべきか、それとも騎槍で不死身の魔族の肉体を穿つべきか。

 騎槍(攻めるべき)騎士鎧(守るべき)、どちらの『咎神』の力に頼るべきか―――この二択の判断に迷い、逡巡した間に、暁古城は目前にいた。

 

「―――終わりだ、オッサンっ!」

 

 古城は跳んでいた。

 二択ではない、多様な真祖の能力を持ちながら、暁古城は迷わなかった。吸血鬼の筋力を限界まで引き出した強引な跳躍で飛び出し、その速度は選択が遅れる安座真には反応できなかった。

 真っ直ぐに相手に近づいて殴る。古城の突き出した拳は、思いつく限りの最もシンプルな攻撃。

 古城は生粋の吸血鬼ではない。吸血鬼の能力に対するプライドはない。だから、『聖殲派』の魔具が魔力を無効化するというのなら、魔力を使わずに殴ればいいと思考が行き着く。

 結果的に、その即断は安座真の意表を衝き、古城の渾身の一撃は驚愕と憎悪に歪む騎士の顔を打ち抜いた。

 安座真の肉体は音もなく宙を舞い、地面に叩きつけられて動きを止める。

 

「痛てて……やべぇな、ちょっとやりすぎた……か?」

 

 安否を確かめ、胸の上下に呼吸をしているのがわかると、古城は深々と溜息をついた。

 達成感はない。きっと古城は最初から最後まで、事件の核心から遠く離れた場所にいたんだろう。

 ただ安座真ら『聖殲派』を止めなければ、という考えで行動し、それをどうにかやり遂げた。それが正しい選択だったのかすらも今はまだわからない。

 だが、後悔はない。

 古城は最後の相手をしている後輩へ向いた。

 

 

 

「オレが、壊す。<女教皇(オマエら)>が、殺しても死にきれない亡念だろうと、あるのならば壊してやる。そうでなければ、休まらない」

 

 『魔人』の眼差しは強い意思を感じさせた。刃のように鋭く、鋼のように硬い意思を。

 

 呪われた魔具『仮面』の中に複製された本物ではない偽者。しかし、そのオリジナルまでも<女教皇>という、誰でもあって誰でもない概念だ。

 ただ、あらゆる魔術魔具、そして魔族――この世を歪ませる『咎神』の力を振るうというだけで呪い殺してきた<女教皇>という概念は、膨らんだ憎悪と殺した魔で変質している。

 だから、救うことなどはできず、このまま残せば、病原菌のように感染させていくことになるのが予想つく。意思に、思想に共感してしまえば、新たな『聖殲派』が生まれることになる。

 滅ぼすしかない。この残留思念が生み出した幻影に過ぎないものを。そうでなければ、解放されない。

 この創造主であった<血途の魔女>と同じく。

 

「戦う気があるなら、立て。オレはオマエらをこの土俵から逃がすつもりはない。これ以上納得できないと逃げたところで、オマエらが中途半端に壊れるしかないのがわかる―――だから、ここでオマエらを完膚なきまでに壊す。きちんと食い残しなく、喰らってやる」

 

 『最大多数の最大幸福』、そんな理想の楽園の守護者であれと望まれた最後の殺神兵器。

 それを完了させた少年は、頽れる少数派となった『聖殲派』、その最後のひとりである『人狼』――<女教皇>を、立ち上がるまで待つという。

 

(壊せるのなら、とっとと壊せばいいのに……本当……)

 

 呆れたように六刃神官は息を零す。

 正々堂々なんてルールはないのに、そんな無用な気遣いをする意味はないはずだろう。

 しかし、これは必要な作業なのだろう。

 次はもうないと宣告した。

 だから、今、すべてを出し尽くさせる。溜め込んだモノを吐き出させる。

 確かにこれで負ければ洒落にならないが―――きっと、だから負けないのではないか。

 本当の強さというのは、懐の深い部分に溜まっていく。

 

「『滅ぼす、この世界を妾が永劫の悲嘆と怨嗟に染め上げる―――!』」

 

 <女教皇>の肉体が、赤黒い光の粒と化して、『赤竜』に注ぎ込まれていく。

 『人狼』がつける、そして『巫女』を宿す『仮面』もまた、相手の“情報”を奪い、自らに融合させる『咎神』の魔具だ。

 

 ―――七つの丘にまた新たな骸の山(れきし)を積み込む。

 

 七つの頭に十本の角をもった『赤竜』、その深紅の巨体より新たな竜頭が突き出た。怪物と巫女が一体となり、八つの頭となったその姿は、伝説上の魔獣である八岐大蛇によく似ている。

 七つの丘を越えて、八つの谷と八つの峰に跨るほど巨大な霊威ある怪物は、正に山か何かと見紛うほどだ。

 

「―――いいや、これで終わらせる」

 

 山を引き抜くほどの強大な力と、世を覆い尽くすほどの圧。

 そして、抜かれたのは力だけではなく、その構えもこれまでの仁王立ちに近いものから、より自然体に近い形をとっていた。硬く拳を握っていた腕もダラリと下におろされており、一見すれば『構えのない』と見られてもおかしくない状態だ。

 しかし、その状態であっても、破壊神たる魔人の全身から放たれる抜山蓋世の覇気は天井知らずに昂る。並の魔獣ならば本能で平伏し、並の魔獣であれば見た瞬間に絶望にも近い恐怖に襲われるだろう。

 

 この比すれば矮小な体躯ながらこの世界において最上級の力の詰まった現代最後の殺神兵器へ、深紅の八岐大蛇は八方同時に襲い掛かる。

 その瞬間に竜頭のひとつになり果てた『巫女』は、受けた。

 ―――覚悟しろ、と訴える魔人の視線を。

 

 肌を震わす咆哮と鼻に刺す芳香。

 それですでに真理(かこ)心理(こころ)――<女教皇>の『固有堆積時間』を、『触覚過適応(サイコメトリー)』と『嗅覚過適応(リーディング)』の『二重過適応(ダブルホルダー)』は取得し(はかり)終えていた。

 

 だから初見であろうと、その攻略法は知悉している。

 相手の状態から行動までも把握予測し、現状の環境と合一するかのように適応する。

 その時その場その敵に“必ず捉える最適手”を狙う型―――それが、この自然体であったか。

 

「壬生の秘拳、夢想阿修羅拳―――」

 

 『移動する時間をゼロにする』空間魔術の補正で、全く同時に放たれる八つの技。拳打、貫手、掌底、膝蹴り、踵落とし、靠、手刀、咆哮(魔力砲)をそれぞれにぶつけさせて、真っ向から防いだ。衝突した竜頭は酩酊したかのようにふらついており、

 そして、体勢を立て直して、攻めに転じた魔人は、“重ねる”から更に“束ねる”、ひとつに一極集中した終わり(止め)を放つ―――

 

 

「―――壬生の秘拳、十束拳!」

 

 

 八つの雷神と八つの将軍の体法、四つの獣王の奥義と人間と魔族の極意を取り込み、己の中で噛み砕いて消化し、昇華させた混血必壊の技巧。

 一撃でも山岳を砕き崩し、海を二つに別つ力を、“十の拳を束ねる”ほど全く同時に放つことで十の一撃をひとつに内包させて、

 かつその一点に絞り込まれた狙いは、二つの超感性で状況対象に対し的確に吸い込まれるかのように相手の急所(かく)を打ち抜く、完成された秘拳(きせき)

 核を抉り込んだ十発の拳が同じ位置座標と時間に存在しており、一撃目を防いだとしても同じ位置を二撃目が打ち、三撃目が挽き、四撃目が砕き、五撃目が削り、六撃目が穿ち、七撃目が抉り、八撃目が肉を喰い、九撃目が気を呑み、十撃目が魂を壊した―――

 反動で手甲が壊れたが、この矛盾した打撃は最早殴るという概念ではなく、一点に絞り込まれた命中箇所で局所的に事象飽和を引き起こしており、吹き飛ぶより先に崩壊を始めている。

 

「返してもらうぞ―――っ!」

 

 ずぶずぶずぶずぶずぶっ。

 その尾の先まで風穴を開けられた八岐大蛇の魂なき骸より音を立てながら、核を破壊した腕を引き抜いて、それらが引きずり出される。

 憎念で膨らんでいた八岐大蛇の姿は、そのときに完全に消えた。

 そして。

 赤の反転した白き龍母を身体で受け止め、もうひとつついでに<女教皇>の『仮面』が砕かれた『人狼』を地面に投げ出す。

 

「おつかれさまだ」

「みー……」

 

 自らの<守護獣>を己の胸の裡に戻して、やっと魔人は―――元の少年の姿へと戻りながら、仰向けで倒れたのだった。

 

 

 そんな精も根も尽きた少年の、動きに耐えきれず自壊した<薄緑>の鎧より、ケケッ、と誰かが愉快そうに笑った。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 絃神冥駕は、森を彷徨っていた。

 身体の中に空間転移の呪符を縫い込むという不死身の肉体ならでは裏技での緊急離脱だ。前回、<黒妖犬>に嗅ぎ取られて発動前に切り捨てられたが、脱獄した後で新たに張り直していたのだ。

 だがそれでも、あの膨大な神気を喰らっていれば逃げれたとしても、死体から生み出された肉体は浄化され、本来あるべき姿へ戻ってしまっただろう。

 

「冬佳……」

 

 だが、あの最後の瞬間、銀槍の軌道は、冥駕を避けた。

 避けて、『聖殲』の力だけを薙ぎ払うように振り斬られた。

 おかげで消滅は免れ、魔術的な加工の施された『墓場の土』と損傷した部位さえ交換できれば、また活動が可能だ。

 

「ああ、やはり君は、まだ―――」

 

 青年は、あの時見た幻影、そして感じた温かさを思い出すかのように、目を瞑り、

 

 

「―――いるのなら、必ず、取り戻して見せよう! 神の下から君を!」

 

 

 執着は、未だ薄れず。

 唯一の温もりをまた。盲目的な思考、狭窄した視野の青年が成さんとする復讐にどのような影響を与えたかは定かではない。だが、けして諦めていない、諦めることのできないことだけは確かであった。

 

「『七式突撃降魔機槍』だけでは、ダメだ………冬佳を降ろすための依代が必要だ………だが、あの剣巫では、ダメだ………そうだ、<雪霞狼>を最も使えるのは冬佳だけだからな………やはり、好ましいは―――」

 

 『完全なる死者蘇生』を可能とする<黒妖犬>。あれは、その身でもって彼女の意思をこの世界に顕現させてみせた。

 また、それに宿らせれば―――そして、今度は一時的ではなく、永遠に彼女の精神をその肉体を張り付けさせる。

 

「大丈夫。安心してくれ。この『僵屍鬼(からだ)』でも受け入れてくれたんだ。君が『混血』の身体であろうとも、愛してみせるさ」

 

 死者蘇生の理論を完成させなければならないが、困難なのは“依代”の調達だ。

 “依代”を庇護下においている忌まわしき<空隙の魔女>は不死身の肉体でもっても要警戒であり、また“依代”自体も冥駕とは相性が悪い。

 しかし、所詮はその程度。『聖殲』の力が完成すれば、この世に障害など存在しなくなる。

 どの道、あの主従を封殺しなければ完全な自由は手に入らないのだ。

 そのためにもこの本土から、『魔族特区』絃神島へ帰還しなければならないのだが、しかし、冥駕のような危険分子を手引きしてくれる酔狂な輩はそういるはずが……

 

 

「ご機嫌よう、絃神冥駕。何かお困りのようだね……?」

 

 

 その声に驚いて顔を上げた冥駕の前に、長身の男が立っていた。二人の側近を従える、純白のスーツを身に包んだ、金髪碧眼の吸血鬼の貴族。

 

「やはり。この地に来ていましたか、アルデアル公――ディミトリエ=ヴァトラー……」

 

 運が向いてきた、と冥駕は溜息交じりに苦笑した。

 ただしこれは女神の助けではけしてなく、悪魔の誘いだ。

 こちらの要望を全て見透かした上で、無償で青年貴族は冥駕に手を差し伸べる。

 

 

「これから絃神島に帰るんだけど、何なら相乗りするかい?」

 

 

???

 

 

『……凪沙ちゃん』

 

 彼は自分の身体を抱きしめる。

 そして、目前で、いつになく真剣な目で、精一杯の勇気を振り絞るだけの間をおいてから、口を開く。

 

『……オレが、好きになってもいいか?』

 

 その余計な装飾のない告白に驚き、そして、感激する。

 そして、その答えを示すように、目を瞑り、わずかに顎を上げた。

 

 

 ………

 ………

 ………

 

 

 あれ? クロウ君……?

 といつまでもやってこないことに、薄目を開けて確認をすれば、目の前に彼の姿はなくて、腕に抱かれた感触もなくなっていた。

 で、何かを取り合うような声が聴こえてくる。

 

 

『手を離しなさい、第四真祖。彼は『咎神』とその末裔(われわれ)殺神兵器(モノ)なのです』

 

『テメェこそ離れやがれ! クロウは第四真祖(オレ)の後輩だ!』

 

 

 彼はいた。

 左右の腕を引っ張り合われている大岡裁きの真っ最中だった。

 

 ああ、これは夢なんだとそのときに理解したけど、

 ドラマの最高潮(クライマックス)を迎えた場面(シーン)でチャンネルを変えられたようなあまりに消化不良な気分だ。

 しかも、変えられたチャンネルで行われていたのは……

 

 

『私は、彼の中にいる冬佳だけしか興味がない』

 

『ふざけるな! ヴァトラーみたいなこと言いやがって! そんな奴にクロウはやれねぇ!』

 

 

 気怠げで熱血な兄と見知らぬインテリ眼鏡の青年に奪い合いされる彼という構図。

 忘れたい悪夢を思い出すのだが、そのときよりもひとり配役が増えてパワーアップしてないか?

 もしこれが新年の初夢での将来の暗示なのだとしたら、きっとおみくじ引いたら恋愛運と家族(あに)運は大凶に間違いない。

 

 うん、忘れよう。それからお祖母ちゃんにお祓いしてもらおう。

 でも、本当に……なんだろう。彼は同性を惹きつけるフェロモンでも発しているとでもいうのだろうか。なら、きっとよくないものが憑いてるから、一緒にお祖母ちゃんにお祓いしてもらおう。

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

 1月1日。

 元日。この新年最初の一日。

 そして、先輩が本土に向かってから一日。

 

 本土(あちら)がどうなっているかは気になるが、対して絃神島(こちら)に特筆すべき事件は起きていない。

 教官より先輩の代理に、つい先日に藍羽浅葱の巻き込まれた事件で防衛網の荒れた空港の警備を任された。

 ……ひとつ、気になったのは、多国籍魔導企業MAR社医療部門――『彩昂祭』で顔を合せたことのある第四真祖の母、暁深森を主任研究員とする――がチャーターした貨物機。

 その中身(コンテナ)は北海道より運ばれたものと情報記録には明記されていたが、しかしあれは“人道支援”として運ばれてきたものとされている。

 “人道支援”という建前であれば、国内を経由させれば『魔族特区』の検疫を通り抜けることは可能であり、また経済制裁対象国であろうと難病の患者の受け渡しは認められている。

 もしかするとあの出所はもっと北にあったかもしれない。

 そして、日本北海道の北にあるのはモスクワ皇国、ユーラシア大陸北部に位置するモスクワ皇国は、広大な領土と豊富な地下資源を持つ大国だが、日本との交流はほとんどない『聖域条約』の非加盟国だ。

 そして、人工島北地区にある医療研究区へ運ぶため、輸送機からトラックに移す際、コンテナの扉が開いて一瞬だけ中身を視認できた。

 

 それは、まるで氷の棺のような青い硝子の容器に収められていた、眠り続ける美しい少女であった。

 

 そして、この少女を保護する容器には、素性を示す単語として、一言刻み込まれていた。

 ―――『巫女(シュビラ)』、と。

 

 果たして、それを見逃したことは正しかったか。

 法律上、MARは密輸すれすれの行為ではあったものの、グレーゾーン。特区警備隊にも荷物を改める必要はない、と事前に話は通っていた。

 教官(マスター)にも報告したが、その判断で間違いはない、と引き続き空港の警護をするように、深入りすることを禁じられた。

 ただ、いやな予感がした。

 

 

 あの『巫女』を先輩に会わせてはダメだ、という。

 

 

 ………

 ………

 ………

 

 

 計算できない、理路整然とした説明のできない勘のようなもので、これは教官にも言えず、誰に話すこともできない。

 そのような不確定な報告をして悩ませるのは、人工生命体(ホムンクルス)として正しい在り方ではない。

 でも、先輩なら―――

 

 Purururu……―――その着信音を耳で拾った時、アスタルテは相手を確かめず、受話器を取った。

 

「もしもし」

 

『ん、お、アスタルテか?』

 

 耳朶を叩くのは、能天気そうな声。けれど、いつも悩みを抱える先輩の声。

 アスタルテは、ふっと一呼吸して、受話器を片手から両手に持ちかえてから、首肯をしながら、常の声調を意識して答える。

 

「……肯定」

 

 その声を聴いて思う。

 ……今日はいつになく時間の経過が遅く感じた、と。

 

『そっか、こっちは色々と大変なことがすっごくあって大変だったけど、頑張って解決したぞ。うん、すっごく大変だったけどな!』

 

 ふふん、とその頭の悪そうな報告に、似合わぬ自慢げなポーズを取ってるのが目に見えるようだ。

 

「確認。負傷はしましたか?」

 

『むぅ、ちっと右腕をぶった切られたりしたり、<守護獣(フラミー)>を取られたりしたけど、全部大丈夫だ』

 

 それは一般的には、ちょっとどころではない重傷。どこにも安心できる要素はないのだが、これもいつも通りの先輩だろう。

 体力おばけ(タフ)な混血なれど、斬られたところからトカゲのしっぽみたいに生えてくる不死身の吸血鬼ではないのだ。

 

「先輩は、自身の頑丈さ(スペック)を過信しています。もっとご自愛ください」

 

『いや本当、大変だったんだぞ』

 

「大変なのはよく理解しました。―――それで、終わったんですね?」

 

 うん、と受話器の向こうで頷く気配。

 それに少し深く息を吸って、胸の裡に積もっていたものを吐き出し、アスタルテはクリアになった状態で口を開く。

 

「無理に急がず、帰ってきてください」

 

『? 今から帰るところだぞ』

 

「忠告。負傷の状態は先輩が考えている以上に重傷です。最低でも一日、本土で休むべきと判断します」

 

 無事であるのなら、それでいい。こちらのわがままで、無理はさせたくない。

 すぐ帰ってきてほしいとお願いしたいけれど、やはりその時は怪我のない彼を出迎えたい。先輩の肉体性能の高い自然治癒力ならば一日も休めばきっと万全になるだろうから。

 

『う、わかったぞ』

 

「それで浅葱先輩を見つけることはできたのですか?」

 

『? 浅葱先輩なら近くにいるぞ』

 

「……確認。教官より任じられた先輩の命は?」

 

『それは……………う、うん、ちゃんと覚えてるぞ!』

 

 先輩は能天気そうで、けど、実は深いことを考えて―――いるようで、頭がぽわぽわしてる。後輩(こちら)がしっかりしないととよく思わされる先輩に、アスタルテは深い溜息を零した。

 

「浅葱先輩の連れ戻し、きちんと果たしてください」

 

『う、了解なのだ』

 

「返事は命令受託(アクセプト)

 

『アクセプト―――うん? これ先輩の威厳ある返事か?』

 

 それから、教官に伝達する現地事情を話して、通話は切れた。

 そして、ちょうどそのときに管理公社に出向いていた教官が帰宅。アスタルテは出迎えて、すぐ先輩の電話の件を報告。だがそれをする前に教官から愚痴るように、

 

 

「太史局から連絡だ。また監視役がつくことになるそうだ。本土でいったいどれだけ暴れたんだあの馬鹿犬は」

 

 

 それはもう“大変”暴れたそうです。

 

 今回で獅子王機関の失態を掴んだ太史局は、それを早速利用して、『青の楽園』での一件で奪われた獣王監視役の権利を取り返したのだとか。

 

(……管理するのは私ひとりで十分です)

 

 やはりあの問題児(センパイ)は、こちらの目を離すところにいられると大変だ。

 帰ってきたら、教官よりサポートを任せられた後輩として、より厳しく管理しよう、とアスタルテは誓った。

 

 

神緒田神社

 

 

「―――唯里!」

 

「志緒ちゃん! よかった、無事で―――」

 

「うん、唯里もね」

 

 昨夜より別れていた剣巫と舞威姫は、互いに手を取り合って、笑顔で再会を喜んだ。お互いボロボロの姿ではあったが、どうにかこの波乱を生還することができた。

 『神縄湖』の儀式の裏の事やら『聖殲派』の策謀を知らず、『滅びの王朝』の凶王子やら『戦王領域』の戦闘狂などの怪物と遭遇したりと、大変な状況であったことを思い返せば、本当に生き延びたことが奇蹟のような幸運であった。

 今だけは獅子王機関の攻魔師であることを忘れ、親友の無事を喜ぶ普通の少女たちの顔を出しても咎められはしないだろう。

 

「ゆいりー!」

 

 そんな志緒と唯里の抱擁を見て真似したくなったのか、鋼色の髪をした少女が二人に跳び付くように抱き着いてくる。初顔合わせの志緒は多少驚くも、不思議と不快とは思わなかった。それは少女の表情が、幼い赤ん坊のようにこちらが害や負の感情を一切起こさせなくさせるほどの無垢であったからだろう。

 

「こら、グレンダ! 靴! ちゃんと靴を履いて!」

 

 そして唯里はまるで保護者のように世話を焼く。

 グレンダも素直にその場に腰を下ろして、ブーツの靴紐との格闘を始めて、唯里は慣れない手つきながら彼女を手伝う。

 どことなく、ほのぼのとした光景であるも、志緒は彼女の正体を報告で聞いている。

 

「この子が『龍族(ドラゴン)』?」

 

「うん。たぶん」

 

 今回の騒動の種となった、『聖殲派』が狙いし『咎神』の遺産。

 でも、本当見た目通りの無邪気な少女にしか志緒には見えなかった。

 

「そっか。よろしく、グレンダ。私、斐川志緒」

 

 隣に屈みこんで彼女と目線の高さを合せた志緒に、グレンダは人懐こい笑顔になって、しおー、と歌うように返事をした。そんな志緒たちの様子を微笑ましく見守る唯里は、靴紐が結べたところで、互いにあった出来事を互いの口から報告し合う。

 

 志緒からは、暁牙城(偽者)を監視して、『聖殲派』の安座真のところに誘い込まれて捕まってしまい、それを暁牙城(本物)に助けられ、騎士に襲われた時も武神具を奪われた志緒を庇い負傷してしまい、そんな状態ながらも、凶王子との事情説明を代わりにしてくれたことなど。

 

 唯里からは、暁凪沙の護衛をしていたところで起こった異変に巻き込まれ意識を失い、そして目が覚めたら魔獣たちを打ち倒す南宮クロウと遭遇、勘違いから戦闘が始まってしまいその腕を断ち切ってしまったがそれでも彼はこちらを許してくれて、それから二人でグレンダや暁凪沙を庇いながら『聖殲派』の包囲網を抜けて、第四真祖と太史局の六刃神官、それから久しぶりに再会した姫柊雪菜と合流、そして、共闘して『巫女』らを撃退した。

 

 どうやら互いに濃密な事態であったようだ。

 そして、ふたりともひとりずつ名前を口にするたびに熱の入った人物がいたことに引っ掛かりを覚えた。

 

「性悪で失礼なセクハラ中年だったけどさ……まあ、牙城さんに助けられなかったら、私……」

 

 言いながら、病院に運ばれていった20歳ばかり年上の中年男性を気遣う志緒に、『志緒ちゃん、まさか……』と目を見開いた唯里。

 

「すごく素直で子供っぽいけど……本当に、クロウ君は頼りになる子だったよ……うん、成長した姿も恰好良かった……」

 

 言いながら、弟と同年代な年下の少年との冒険を思い出す唯里に、『唯里、まさか……』と声を震わせる志緒。

 

「ゆいりー、おにぃは?」

 

 互いの好みを知ってしまった剣巫と舞威姫。その『これ以上、この話題に突っ込まないようにしよう』と駆け引きをするような膠着した状態で目配せをして、そこでまた鋼色の髪の少女が割って入った。

 して、唯里は何を思ったのか、ほとんど無意識にその思い付きを口にしてしまう。

 

「……ねぇ、グレンダ。わたしのこと、おねぇ、って呼んでみて」

「唯里、やっぱり……!」

 

 すぐ唯里は自らの失言を悟るも、そこから『深い意味はないよ全然―――』と言い訳しても、直情なルームメイトの確信は深まるばかり。

 

「ちょっと、南宮クロウと話をしてくる……!」

「し、志緒ちゃん、落ち着いて……!」

 

 そして、純真律儀な剣巫は、気丈で純情な弓姫を引き留めるために、『気になる妻子持ちの中年男性』の件を持ち出すことになり、騒動は最終的に『年上・年下論争』に発展することとなった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 もうすぐ陽が沈む日没近く。

 帰りの手段に頭を悩ませていた古城たちを迎えに、獅子王機関が用意したヘリが到着した。事件の現場検証の関係で、出発までにはもう少し時間がかかるらしいが、それでも帰りの心配はしなくていいだけで非常に助かる。

 今回、迷惑をかけたお詫びということで不法で本土に渡った古城と雪菜をそのまま絃神島まで送り返してもらえる手筈だ。『魔族特区』からの密航も有耶無耶に処理してくれるそうで、古城たちには文句のない結果に終わった。

 ただ一つ問題といえば、その送迎ヘリに何故か凪沙も同乗していたことだ。

 

「ねぇ、だから聞いてよ、古城君。牙城君、深森ちゃんとこの病院に搬送(はこ)ばれるって言われた途端に、やめろ殺される、って暴れ出しちゃって、あれは絶対こないだ酔っ払って帰ってきたときのアレが原因だね」

 

 顔合わせなかったほぼ十日間。話題の種が溜まりに溜まった妹は、目が覚めてからこれまでの分の鬱憤を晴らすかのように物凄い勢いで一方的に古城たちに喋り続けている。これは軽く1、2時間は喋りっぱなしだろう。

 『聖殲派』との戦闘以上に疲れてくるのだが、それでもこうして凪沙の元気な様子を実感できるだけ、よしとすべきなのだろう。

 

 ちなみに凪沙には神社の風呂場で倒れて以降の記憶はないらしく、魔獣の出現やら騎士の戦闘について知らされていない。

 古城が本土にいる理由も、妹のことが心配で、いてもたってもいられず迎えに来た、という説明で通している。今イチ釈然としないのだが、神社の巫女にセクハラして、祖母の緋紗乃に折檻された、という無茶な言い訳で納得された父の牙城に比べれば、まだいくらかましだろう。

 ただ、やっぱりもう一時間以上の聞き役は辛いわけで、小休止を挟むためにも待機中の輸送ヘリの出立を見送りに来ている浅葱に話を振った。

 

「おまえも一緒に乗ってくか?」

 

「あたしは2、3日都内で買い物してから帰るわ。正規の出島手続きも済ませてきちゃったから、ちゃんとした飛行機で帰らないと、後々面倒だし」

 

 言いながら、早速スマホでブランドショップの検索をする浅葱。折角本土に来れたこの機会に、がっつり服やバックや化粧品を買いまくるつもりらしい。

 

 ちなみに協力してくれた<戦車乗り>は、ディディエ重工の回収機待ちで、今回取れた実に有意義なデータを役立てたいと息巻いており、

 異邦の凶王子はいつのまにか姿を消していた。

 

 それから獅子王機関の剣巫と舞威姫は互いの無事を喜び合った後、『龍族』の少女(グレンダ)を保護するための手続きまでの世話役を任され……今はなんか言い争いをしてる。

 で、古城たちの本土行きを手引きしてくれた太史局の六刃神官は、早速上層部に話をしたいと古城たちは獅子王機関に任せて『またね』と意味深なことを言い残してとっとと帰っていった。

 

 そして……

 

「クロウはどうするんだ?」

 

 ちょうど本土にいる主人に報告連絡をしてきた後輩に古城は訊く。

 何ならお前もヘリに乗ってくか? というノリで誘ってみたが、クロウは浅葱の方を見て、

 

「オレは、ここに残るぞ。浅葱先輩を連れ戻すのが本土に行く理由だからな。うん、確かそうだったはず」

 

「確かそうだった、って。まあ、いいんだけど」

 

 体裁を半ば忘れかけているワンコ系後輩にやや浅葱は呆れてしまう。

 

「そうか、それなら仕方ないか。面倒だと思うが、浅葱の付き添いよろしくな」

 

「ん、まかせておくのだ」

 

「あんたらね。あたしはそんな心配されるほど人使い荒くないわよ」

 

「浅葱、これまでの行いを思い出せ。よく俺に奢らせたり荷物持ちとかさせるじゃねーか」

 

「後輩に買わせたりなんて一度もしてないし。っつか、いくらなんでも重傷者を労働力にするほど鬼畜じゃないわよ。普通にピンピンしてるけど」

 

 と会話をする三人を、先ほどまでとは打って変わって静かに傍観している凪沙。

 

「……クロウ君、乗らないんだ」

 

「凪沙ちゃん?」

 

 ぽつりと呟くといそいそと手荷物をまとめて、

 

「それじゃあ、あたしもクロ――浅葱ちゃんたちと一緒に帰る」

 

「はぁ!?」

 

 直前になってヘリを降りた妹に、古城は慌てて真意を問うた。

 

「お、おい、凪沙も乗ってくんじゃないのか?」

 

「そういえば、あたしも浅葱ちゃんと一緒に正規の出島手続済ませてるし、ちゃんと飛行機で帰らないと後々面倒になりそうだよね」

 

「いや、確かにそうなんだろうけどな……」

 

 正論を語られれば、古城は頷く他あるまい。だが、それなら『浅葱が同乗を断った時』にではなく、『後輩の同乗を断った時』にヘリを降りたのか。

 凪沙の中の天秤が何をきっかけに傾いたのか、この行動で推理できてしまうのだが、しかしそれだと『兄<』という優先順位ができていることになってしまう。

 

「クロウ君、この神社にはすっごく霊験あらたかな温泉があるんだよ! もう人生に一度は入らないと大損だっていうくらい! お疲れのようなら、ここの秘湯でゆっくり湯治をするべき!」

 

「ん、そうなのか。身体を休めるようにって言われてるし……うー、でも、オレ、お風呂苦手だぞ」

 

「ダメダメ! 旅行疲れは甘く見たら大変なんだから! しっかり疲労はとっておかないと途中で倒れちゃうよ!」

 

「むぅ……で、でもな、オレは浅葱先輩の付き添いだしな」

 

「いいんじゃない。もうすぐ日が暮れそうだし、許可もらえて泊まれるなら神社(ここ)で泊まっておきたいわね。ちゃんとあたしは後輩を労わる先輩のつもりよ」

 

「よし! じゃあ、早速お祖母ちゃんに訊いてくるね!」

 

 ……後輩に温泉を猛烈に宣伝(アピール)している妹。

 古城の兄としての直感がざわめく。このお泊り(イベント)を見過ごすわけにはいかないと。

 

(そういえば昔にここに来たときは、凪沙と一緒にお風呂に入ったんだっけな……)

 

 互いに小学生だった頃が、慣れない岩風呂を怖がった凪沙が、古城に無理矢理に付き合わせたのだ。

 このことから『男女七歳にして同衾せず』という異性意識が凪沙は疎いと思われる。

 だが、流石に今となっては兄妹一緒に入るのは無理だろう。そのことを想い若干寂しくなるも、また常識ができてきているようで安心する。

 

 いや待て。水着着用ならありだという思考に行き着く可能性があるぞ。

 

「凪沙ちゃんならあたしがしっかり監督してるから心配しなくていいわよ古城」

 

 さっきから突っ込まないでいるが、今、浅葱は身体のラインがくっきりと浮き出た競泳水着風パイロットスーツを着ている。ご丁寧に胸にはゼッケンまで張り付けられていて、何でこのクソ寒いところで水着なんて着ているのかは古城にはわからないが、しかし、“スク水スーツ(あれ)の凪沙に合うサイズの予備”があったとすれば?

 古城は真面目に検討を始め、そして辿り着いてしまった結論はわなわなと目を大きく見開いて震える。

 

「せ、先輩……?」

 

 雪菜がその様を心配して声をかけるが、古城の耳には入らず、そして、

 

「だったら、俺も残るぞ!」

 

 凪沙とクロウを二人残して、湯治などやらせられるか!

 

 当然、監視役の雪菜も慌てた。折角、未登録魔族を正規のルート以外で帰還できるよう獅子王機関が計らってくれたのに、それを取りやめるのはマズい。

 

「先輩ダメです! 落ち着いてください!」

 

 ヘリを降りようとする古城を羽交い絞めにして雪菜は止める。

 

「姫柊、俺は落ち着いてる。凪沙に何かあるんじゃないかって本土まで来たんだ。だったら、不純異性交遊(これ)を看過していいわけねぇだろうが?」

 

「先輩が人のことを言えるとは思えないんですけど……」

 

 して、もみ合ってる男女は目立つもので、

 

「え、古城君も?」

 

 ちょうど職員に祖母を呼んでほしいと頼んで帰ってきたその凪沙の反応は、あまり歓迎してないようで、邪魔者が乱入してきたと顔に書いてあるのが見て取れる。それに古城はますます自身の推理の信憑性が高まった。

 

「ああ! 俺がクロウと一緒に風呂に入るぞ!」

 

 思い切って、思い振り切れて、境内全体に聞こえるほど大声で叫んだ古城。

 ぴきっ、とそのあまりにも必死な兄の様子に妹は固まる。

 覚えてないというより覚えておくと精神衛生上悪いので忘却(デリート)したが、とんでもなく夢見が悪かったような気がする凪沙は、兄に負けじと必死にブンブンと首を振りながら、

 

「だ、だめ! 古城君はクロウ君と一緒に入るのダメ! 絶対ダメ!」

 

 しかし、その反応は兄の危機感を煽るばかりで、

 

「何でダメなんだ?」

 

「そんな裸の付き合いなんて……不純だよ!」

 

「何言ってんだ。男同士で裸を見るのは変じゃねーだろ? 別にクロウのを見たって変な気は起きなかったし。なあ?」

 

 と同意を求めて、後輩に声をかければ、きょとんと首を傾げられる。

 

「ん? オレ、古城君の前で裸になったことがあるのか?」

 

「あ―――」

 

 思わず口の滑った古城は、ぱくぱくと口を開閉しながら視線を宙で一周させるよう彷徨わせて、そこでガシッと肩を掴まれた。

 古城がびっくりしてそちらを向けば、妙に殺伐とした、人工的な微笑があった。そして、古城にだけに聞こえるよう小声で、

 

「(そういえば、先輩―――グレンダさんの血を吸ったんですよね)」

 

 下手な嘘誤魔化しの通じない巫女の霊感。

 見て取れるほど動揺する古城は、徐々に握力の強くなる肩の圧迫を堪えながら、必死に冷静を装い、

 

「(ま、まあな、『異境』の境界だかどっかから戻ってくるためには、仕方なかったしな。それに、あのときはグレンダの奴が―――姫柊に化けてたから……)」

 

「(私に化けた……? 変身してたということですか?)」

 

「(ああ。まあ、そんな感じかな。俺の中の記憶を読み取って、姫柊の姿を再現したんだと思う)」

 

「(先輩の記憶……なるほど……―――でも、グレンダさんはあの時裸だったんじゃ……)」

 

「(あ、いや、そう、グレンダは<龍族化>してたから。裸といっても、あくまで龍族的に―――)」

 

「(そのグレンダさんが私に化けた、ということは……もしかして、先輩、見たんですか?)」

 

「(え?)」

 

「(見たんですか? 私の裸を?)」

 

「(あー……そ、それは……なんていうか……)」

 

「(見たんですか?)」

 

「(いや、でも中身はグレンダだし……)」

 

「(見たんですか?)」

 

「………」

 

「(先輩?)」

 

 もうこの沈黙でアウトであった。

 冷たい刃のような視線で雪菜に睨まれて、古城は硬直したまま脂汗を流し続ける。

 勘弁してくれ、という無意識の呟きが、冬の空に溶けて消えゆく。

 

 でも、ここで尋問官(ゆきな)は、わずかにだが肩を捕まえる手の握力を弱めた。

 そう、まだ問い質すべきことはある。

 

「(それで……私だけですか?)」

 

「(な、何をだ?)」

 

「(グレンダさんは変身能力を持っているそうですが、私以外に変身しましたよね?)」

 

 それは質問ではなく、確認であった。

 

「(い、いやな姫柊、グレンダのヤツ最初はなんか誤解してたみたいで)」

 

「(そうですか。だから、先輩はクロウ君の裸を知っていたんですね。私よりも先に)」

 

「(姫柊! 俺が望んでグレンダにやらせたとかそういうんじゃけっしてないぞ! 誤解はするな!)」

 

 頼む、と理解を求める世界最強の吸血鬼に、うんうん、と監視役は頷いて、手を離してくれた。

 

「凪沙ちゃん、先輩は黒です」

 

「ちょ、姫柊!?」

 

 理解は得られず。

 言葉を失ってしまう凪沙、それに浅葱までも固まってしまう。更にもうひとりにまで波及する。

 

「古城、あなたまさか……」

 

 と見送りにやってきた緋紗乃は、貧血となったように、ぐらりとふらついた。

 孫に対しても厳格であり、魔獣相手にも無双するスーパーお祖母ちゃんであり、日本の攻魔師たちの基盤を築き上げたこの冷静沈着の偉人が、大きく動揺したのだ。

 

「……古城、牙城を反面教師とするのは大いに結構ですが、あれは動物としては正常なのですよ」

 

「何を言いたいのかわからないし、つか、わかりたくないし、あのクソ親父を見習うところなんてねーけど、とりあえずそれは誤解だと言っておくぞ!」

 

 孫を諭そうとする祖母。

 久しぶりに顔合せた祖母に古城は理解を求めようとするが、瞳の憂いは拭えず。風前の灯というように目の光が弱まっている。

 ああ私が息子をしっかりと監督できなかったから孫にまで影響が……と深く、老け込むような疲れた溜息を零して、でも、まだ立て直してみせると祖母は奮起して、目の色を取り戻した。

 

「古城、今日、あなたをここに泊めることはできません」

 

「え?」

 

 まさかの里帰り拒否をされた古城。戸惑う孫に祖母は滔々と理由を説明する。

 

「部屋に空きがありません。凪沙たちを入れる部屋しかないのです」

 

「ここってお祓いしに来た客用の部屋は結構あった気がするんだけど」

 

「今日は、色々と訪問者が多かったものですから。残念なことにあって、1、2部屋です」

 

「だったら、俺はクロウと一緒の」

「なりません。客人に窮屈な思いをさせるわけにはできないでしょう。里帰りはまたの機会になさい」

 

 だめだ。

 もうこれ誤解が解けない限り、一切近づける気はゼロだ。

 なんかもう古城は泣きたくなった。誤解を加速させてしまう自分の言動にも問題はあったかもしれないが、それでも誰にも理解を得られないなんて……いや、まだひとり。

 後輩自身はきっと古城をわかってくれるはず―――そんな期待の眼差しをクロウに向け、視線を通わせると、目を瞬かせてから、あ、と後輩は、

 

「そうだ。古城君、はい、ご主人から届け物だ」

 

 はい、と古城に渡されたのは担任教師からの“お年玉”。

 

「げっ。こんなときでも課題のプリントとか、那月ちゃん……」

 

「ちゃんと全部やっておかないと進級を考えるとか言ってたぞ」

 

 ぱらぱらと用紙をめくり、内容と量を大雑把にだが把握。これは今すぐにでも絃神島に帰って、課題に取りかからないと大変だ。

 

「では、先輩。やることもあるようですし、帰りましょう」

 

 雪菜はヘリの扉を閉ざして、準備の整った操縦者に出立の合図を送る。

 もうこうなれば古城も諦めるしかなく、何も問題が起こらないようにと祈ることしかできなかった。

 

 

???

 

 

「あら、数日ぶりね、毅人(たけひと)、どこに行ってたの?」

 

「なに、昔の仲間(なじみ)を呼びに行っていた。三顧の礼を尽くしてね」

 

「へぇ、私から『宴』と“後続機(コウハイ)”の話を聞いて警戒度を上げたのかしら?」

 

「そうだな。それよりも私はあの那月が育てたというと事に注目している」

 

「那月? <空隙の魔女>のことかしら」

 

「ディセンバーが第三真祖に捕らわれてから加入した教え子でね、魔女になるきっかけを与え、多くの魔族を大虐殺したとびきりの優等生だった。だが、15年前にたったひとりで復讐を終わらせて、俺たちの前から消えた。

 この世界を変えられるだけの力はあったが失望したよ。『魔族特区』を護るためにせっかくの才能を使い潰す真似をするとはね」

 

「ふぅん、15年前。ちょうど“後続機”が生まれた年かしら。ふふ、運命めいたものを感じちゃうわね」

 

「すべてはヤツらの都合のいいように運命は回されている、か。那月もその歯車のひとつにされたのかもな」

 

「それを壊すための私達でしょ?」

 

「そうだ。『聖殲派』などという“お粗末なテロリスト”ではない、本物の魔導の探究者どもの野望を挫く。それが、我々<タルタロス・ラプス>だ」

 

 

人工島北地区第六層

 

 

 一年を通じて陽光が届くことのない地下深くの研究所街。

 その一画に建つ、灰色に薄汚れた小さなビル。

 すべての窓が鉄板で塞がれ、有刺鉄線で出入り口を覆われている。そして、傍目にはただの廃ビルにしか見えないそこは、魔術の心得がある人間ならば気づける、幾重もの結界が周囲に張り巡らされている。

 この普通の人間には近づくこともできないほどの強力な人除けの結界が施されたビルは、『魔族特区』の管理者――人工島管理公社の所有する隔離施設(セーフハウス)だ。

 訳ありの未登録魔族や、司法取引による協力を取り付けた犯罪者を隠匿し、保護するための施設。

 そこに捕らわれる囚人のひとりの牢の前に、ひとりの男が現れた。

 

「ザカリー=多島=アンドレイド」

 

 牢には、頭髪がすべて抜け落ち、頬の痩せこけた、かつては『人形師(マイスター)』と謳われた、生体操作に卓越した腕をもつ魔導犯罪者。

 彼が創る人工生命体(ホムンクルス)は億単位で取引されていた自称芸術家は、久方ぶりにフルネームを呼ばれたことに反応して、ゆっくりと項垂れた頭を上げて、その男を見た。

 五十代ほどの和服姿の男は、こちらを傲慢な目で見下し、

 

「貴様に依頼だ。断わるようならば」

 

 斬、と厳重な結界を施されているはずの牢内、その中の机が何の前触れもなく――そして魔術の結界を破ることなく――断たれた。

 言葉にするよりも明確な意思通達に、罪人は大きく震え上がり、その無様を嘲笑いながら、眼光の鋭い男は、

 

 

「だが、注文を果たせれば、理事長の権限で隔離施設(ここ)から自由にしてやろう」

 

 

神緒田神社 浴場

 

 

 滑らないように細工して磨き上げられた石の床に、柔らかな光沢を帯びた湯が薄膜になって揺蕩っている。

 この管理者の許可なくして立ち入りを禁じられた神聖なる秘湯に、少年と少女が二人きり。

 

 

「これが神緒田神社で管理している温泉だよ。ここで、禊を……水垢離をします」

 

 

 神緒田神社にご一泊することになり、そして、南宮クロウは暁凪沙と緋紗乃より強い勧めがあって、お祓いを受けることとなったのだ。

 そして、正月で帰らせているため(儀式に巻き込まれないようにするため)一般の職員は誰もいないので、凪沙が教官を務めることとなった。

 

「水を浴びてそのままだと風邪を引いちゃうから、禊したらすぐ湯船に温まってね」

 

 じゃ、これに着替えて、と凪沙から白い服を手渡される。

 随分と薄手のもの。光に翳せば透けそうなくらい。とめるのも紐で、細く何かの拍子にぷっつりと切れてしまいそうなくらい頼りない。

 

「凪沙ちゃん、これはなんだ……?」

 

「襦袢だよ。裸になる代わりにこれを着て、禊を行うの」

 

 そして、それを目の前の少女も着ていた。

 

「ん? 凪沙ちゃんも一緒にやるのか?」

 

「う、うん。その方が説明できるしね……クロウ君、口で説明してもわからないでしょ」

 

「む。それを言われると言い返せないのだ」

 

 クロウが納得したのを見たところで、凪沙は準備支度を整えるために先に浴場に入る。

 

「すぅ……よしっ」

 

 服を着てだが、一緒にお風呂。となれば、思春期ならドキドキもしてくるものだ、普通は。

 しかしながら、これから穢れを落とそうという時に何だが、この状況下でも邪な気配が皆無の少年である。

 出家してるわけでも、枯れてるわけでもないというのに、兄や父とは違い煩悩をどこかに置き忘れているこの異性を何としてでも意識させてみせる―――それが、暁凪沙の目標だ。

 ……本当、これから水垢離をするのになんだが。

 

「ご指導お願いしますのだ」

 

 襦袢を着て、浴場に入るクロウ。

 『首輪』だけは付けているものの、常時厚着の彼の肉体は、母からの遺伝なのか鼻の奥がつんとくるものがあった。

 鼻に力を意識しながら、凪沙は水垢離の説明を始める。

 

「こちらから水を汲んで、身体に掛けていくの」

 

 クロウと向かい合った凪沙が桶で水を酌むと、何のためらいもなく身体に掛ける。

 

「こうして、身を清めていくんだよ」

 

 水温は冷たいはずであるが、昔取った杵柄で幼いころのここでの巫女修行で慣れている凪沙は微笑を絶やすことはない。むしろ今は火照ってる身体を冷ますのにちょうどいいくらいである。

 わかった、と頷いて水を被るクロウ。

 

「ん―――」

 

 冷たい。冷たいどころか、身体が凍るほどの冷たさだ。

 やはり当然、冬場の水が冷たくないはずがない。

 喩えるなら噛みつくような冷たさ。

 けれど、生まれが北欧で幼少は年中アウトドア育ちな少年はけろりと平然としている。

 

「むぅ……」

 

 幼いころ、凪沙が最初にやったころは一杯目で心が砕けそうだったのに、初体験の彼は黙々と体に冷水を被る。それもこちらには無反応で。

 実は今も結構痩せ我慢してたんだけど……

 

「んっ……」

 

 それでも教わった通りのことを素直に――もちろん煩悩など持ち込まず――実践している彼の前で、教えている立場の凪沙がただ見てるだけというのも情けないので、表面上はにこやかに、けど歯を食いしばって水を被る。

 

「くぅ……」

 

 そうはいっても、常夏の環境で過ごしている凪沙はこの久方ぶりの冷水に体はガタガタで、歯はガチガチ。

 

「慣れれば、全然大したことないよね!」

 

 口先だけでも余裕を持っておかないと、すぐ目の前の温泉に飛び込みたい気になる。

 でも、まだ水浴びは続けないとならない。

 

「去年の自分のことを振り返って……反省しながらやるんだよ」

 

「わかったぞ……反省だな、反省……うぅ、たくさんあるな……」

 

 ざっぱんざっぱんとさらに倍速で冷水を被り始めた。

 言われたことを素直に実践する。でも、そんなに彼は反省することが多いのだろうかと凪沙はやや呆れつつ訊く。

 

「クロウ君、そんなに反省することがあるの……?」

 

「そうだな。去年は色々とわかったからな。壊すのは一瞬。でも、守るのはずっとだ。だから、オレはもっと反省して強くならないといけないし、守るって決めたモノはきっとオレにとって大事で、好きなものなんだ」

 

 と彼は、凪沙の目を見つめながら、頑張るぞ、と笑った。

 それってつまり……

 ぽー……と冷水を被っているのに湯あたりしてしまったかのように呆ける凪沙。

 で、そこで、ふとクロウは気づいた。

 

 目の前で水垢離をする少女は、普段はまとめてるが解けば豊かな髪も、長襦袢も水でぐっしょりと濡れていて。

 肌にぴっちりと張り付いた髪と布。

 薄手の布は凪沙の身体のラインをくっきりと見せてしまっている。

 肩に太腿に……『なぎさ』とひらがなで書かれたゼッケンも……

 

「な、ぎ、さ……?」

 

「へ!?」

 

 手桶を止めてポツリと呟いたクロウに、急に名前を呼ばれたかと思った凪沙は、その指摘をすぐ解して、羞恥に頬を赤らめる。

 

「これは、浅葱ちゃんが着ておきなさい、ってね……」

 

 この水垢離で一緒にお風呂作戦を実行前に相談したところひとつ年上の幼馴染は流石に水に濡れれば透けてしまう薄い襦袢装備でやらせるのは健全ではないと、競泳水着風パイロットスーツの予備を着るよう厳命したのである。

 二人の関係を応援する浅葱であるが、あの妹馬鹿の兄のこともきちんと配慮していた。

 古城の危惧は正解なのである。

 身も心も清める神聖な儀式に余分だろうが、凪沙としても襦袢の下は無装備というのは恥ずかしかった。ので浅葱の条件を呑んだのだが、でも、このコスプレチックな衣装もまた恥ずかしかった。

 全裸よりは羞恥分はマシだと自分で自分に言い聞かせていたが、襦袢の下に競泳水着とは傍から見ると相当特殊ではないだろうか?

 

「………」

 

 今更ながらそこに思い至って、真っ赤になっていた凪沙は無言で―――震えながらも、何事もなかったように水を被る。

 けれど、どんな空気も一瞬で壊してしまう少年は、ごく素直な感想を口にしてしまう。

 

「なんか変な格好だな凪沙ちゃん」

「わかってるよもう! クロウ君の馬鹿! こういう時は触れないのがエチケットだよ!」

 

 凪沙は目の前の空気の読めない、というかアピールの通じない少年に水をぶっかけた。

 ばしゃん! と思いっきり冷水を浴びせられれば、心臓が止まりかけてしまいかねないが、少年の身体は頑丈―――そう、身体、は……

 

 ぷっつん、と。

 

「お」

 

 元々力加減の苦手な指先で襦袢をいわいた紐の結び目もギリギリ。それに加え、これまで滝行並に物凄い勢いで被っていた水垢離の水圧のせいでもあったのだろうが、真正面から水をぶっかけられたのがトドメとなって、少年の着ていた襦袢の紐が切れてしまった。

 

 はらり、と落ちる襦袢。

 暁凪沙とは違い、下に水着など何も着てない。

 流石の<電子の女帝>も、この事態は想定外であったか。というか、普通、男性(こちら)の配慮など考えない。

 

 ()れるのは一瞬。

 でも、布が落ちるのは走馬灯のようにやけにゆっくりと。

 

「……………」

 

 あまりに衝撃的な出来事が起こると、人間というのは無口無表情になってしまうらしい。

 不慮の事故で、生まれたままの姿の、彼。

 しばらくの間、乙女の視線は上下を往復する。細いながらも筋肉質で引き締まった肢体に、局部……父と兄しか比較対象を知らないが比しても大きな……

 

「おい、凪沙ちゃん、鼻血が出てるぞ」

 

 大丈夫か、と訊かれて、ようやく乙女は正気に戻る。

 小高い鼻から、つう、と一筋の鼻血にも気づく。

 けれど、母遺伝の血の昇り易い体質は棚起きして、凪沙はこの不条理に叫んだ。

 

 

「どうして、クロウ君の方がサービスしてるのおおおおおおおおおっ!」

 

 

 頑張って作戦立てたのに。

 普通は男子が女子になのに、どうして女子が男子に鼻血を出すようなことをしてるのか。

 

「クロウ君の! クロウ君の馬鹿ああああああああああああっ!」

 

 ―――すこーんっ。

 桶が頭に的中した少年は、それからやっと前を隠しながらもなんとなくこの世の理不尽を嘆いた。

 

 

 

つづく

 

 

 

次章『奈落の薔薇編』予告(仮)

 

 

 常夏の人工島に、数多の魔族特区を潰してきた破壊集団が暗躍していた。

 

 ―――『狙撃手(カーリ)

 ―――『風水術師』

 ―――『放火魔(ロギ)

 ―――『電算機(ラーン)

 ―――『白石猿』

 

 そして、この五枚の手札を従える『十月(ディセンバー)』は第四真祖をも圧倒する特別な能力が―――

 孤立させられ、理事会にも襲撃されて、かつてない危機に陥る絃神島。

 破壊集団に対抗して、人工島管理公社も五枚の手札を揃えた。

 

 ―――『覗き屋(ヘイムダル)

 ―――『蒼の魔女(ル・ブルー)

 ―――『薔薇の指先(ロドダクテユロス)

 ―――『戦車乗り』

 ―――『黒妖犬(ヘルハウンド)

 

 そして、魔族特区という実験場の真実を知った第四真祖と監視役(ワイルドカード)―――

 この絃神島の命運(チップ)をかけたこの大戦、勝利するのはどちらの手役(ハンド)か。そして、最後に微笑むのは……

 

 

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