ミックス・ブラッド   作:夜草

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大変お待たせ致しましたm(_ _)m


黄金の日々Ⅴ

黄金の日々Ⅴ

 

 

 

回想

 

 

 クロウは、絃神島に来た当初、夜、眠ることができなかった。

 

 特別目が冴えていたわけでもない。夜行性な気質はあっても暗くなれば、自然、眠気を覚える。ただし、眠りたくはなかった。

 森を出た環境の変化も考えられただろうが、それ以前として森にいるころから不眠症を患っていた。

 怖い。

 眠るのが、意識を手放すのが、ただただ、怖い。

 

『うっ、うぅぅぅ~!!』

 

 与えられた自室のベッドの上を忙しく悶える。犬がグルグルと寝床を回りながら、がしがしとひっかいてねぐらを整えるように。

 それから、目を瞑って……でもダメでばっちりと起きてしまい、またベッドメイクに勤しむ。

 それを何度となく繰り返した時だった。

 ぱんっ、と不意に頭を引っ叩くような衝撃がクロウを襲う。

 何事かと顔を上げれば、不機嫌な様子な魔女がいた。

 

『さっきからドタバタとうるさいぞ馬鹿犬。とっとと眠れ。学園生活初日で寝坊したくなかったらな』

 

『うっ、うー……でも、眠りたくないのだ』

 

 クロウは叩かれた頭のたんこぶを擦り、それからおずおずと白状した。

 

『なんだ、枕が変わると眠れん性質か? 図太いと思いきや繊細な奴だな』

 

『むー、オレ、枕なくても眠れるぞ。でもなー、この島、なんかジメジメしてて鼻がむずむずするし、それに暑苦しいのだ』

 

空調機(エアコン)の使い方は犬でもわかるように説明してやったはずだが』

 

『りもこん? てのをボタンをぽちっとしたらばきっとなったのだ』

 

『ちっ、原始人の馬鹿犬に電化製品は早過ぎたか。ふん、いいから寝ろ。夜更かしを許可した覚えはない』

 

『オレだって、頑張って眠ろうとしてるんだけどな、でも、眠りたくない。……眠るのが、怖いのだ』

 

 怖い夢を見る。

 と抱え込んできた胸の内を、ぽつりぽつりと話す。どうにかなるとは思ってない。誰にも相談をした経験なんてないのだから。だから、自分を森から連れ出した魔女が、話を聞いてくれているかも、期待できなかった。問答無用で、もう一発、拳骨代わりの空間衝撃を貰うと身構えてたりもした。

 けどその魔女は揶揄することなく黙って話を聞いてくれていた。

 そして嘆息ひとつして、震えるクロウの手を両手で挟むように握ってくれた。

 

『使い魔を寝かしつける面倒まで見ることになるとはな』

 

 世話の焼ける、と愚痴をこぼしながらだけど。

 それから、『使い魔の契約を使って~』やら、『“眠り”の代償を噛ませる~』やらと小難しい説明があって、クロウはそれをほとんど右から左へ聞き流(スルー)したが、その間、ずっと触れていた実物なき幻像から伝わる不思議な感触にくすぐったさを覚えた。

 

『……なあ、ご主人』

 

『今度は何だ?』

 

『さっき、『暑苦しい』って言ったけど……ホントは、ずっと寒かったのだ』

 

 また呆れられるんだろうなと思いながらも、ふわふわとした心地良さに緩む口は、もうひとつを白状した。

 

『ずっとずーっと……森でひとりになった時からな、寒くて―――でも、“温かいもの”なんてオレひとつも持ってなくて……だから、“温かいもの”がないのか、ひとりでずっと……探してた。きっとずっと探してたのだ』

 

 ここにいるのは実体のない幻。説明もされて、“匂い”でそれくらいの区別はついている。けど、クロウには十分だった。

 

『こうしてると、何だかご主人に手を繋いでもらっているみたいで温かいのだ』

 

 だから、眠るまで、このままでいいか? と少し不安げに訊ねるクロウに、彼女は人形のように無表情のまま。

 

『……勝手にしろ』

 

 許可を貰えた。

 傍にいてくれる。

 もう、ひとりじゃ、ない。

 クロウはそれが嬉しくて嬉しくて………何だか逆に目が冴えてきてしまった。

 

『ご主人ッ』

 

『………』

 

『なぁーっ、ご主人っ!』

 

『……なんだ』

 

『っへへ、ちょっと呼んでみたくなっただけなのだ、ご主人っ!』

 

『用がないなら呼ぶな』

 

『えーっと、じゃあ、ご主人、お腹空いたッ!』

 

『次、くだらんことで騒いだら()()に眠らせるぞ馬鹿犬』

 

『うー、これはどうでもよくないぞ! お腹減るのは死活問題だからな。だから、お夜食を―――』

 

 そうして、クロウは久方ぶりに、よく眠ることができた。

 最後は優しさなど欠片もない強烈な一発にベッドに沈められてしまったが、しかしそれでも、ぎゅっ、と小さな手は握り締めたまま離さなかった。

 

 きっとその時から思うようになった。

 この人は、自分にとって大事な、お月様なのだ!! と。

 真っ直ぐに背骨を支える芯であって、常に厳しく、偶に優しく、月明かりのように導いてくれた。

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

「ぐグ、ぐるルゥ……」

 

 記憶とは一様ではない。

 脳内に蓄えた情報は同じであっても、その時の感情によって印象は大きく塗り替えられる。

 今のクロウにとって。

 その真紅()に染められてしまった記憶が呼び覚ますのは、まさしく魔性の朱月の光に狂わされるが如き、原初の獣性。

 

 一瞬の沈黙の後、すべてを破壊するような咆哮を、叫び放った、

 

 

「――■■―――■■――――■――■■――■――■■■――――■■■■―――――■■――■――■■―――――――」

 

 

 獣祖の咆哮(ビースト・ロアー)。声は大気を震わせ、大気の震えは風となり、高密度の魔力の風が寄り集まって周囲の空間に攻撃的な竜巻を幾本も幾本も生み出した。

 衝動のままに吼え狂い、嘆きが入り混じった凄まじい怒号は、その場にいた者たちの脳髄を搔き乱す不協和音。この場にあるものすべてを狂騒させる。

 

 その様はまるで、黙示録にある“破壊者(アバドン)”。豊饒なる大地に滅ぶを蒔くために現れた怪物。

 

 怒りと哀しみに振り切れた感情が、『墓守』という“守護者”としての属性を反転する。

 すなわち、『咎神の祭壇』に災厄をもたらす“破壊者”と化す。

 

 そして、それに相応しくあるように姿形も変生する。

 ぎちぎち、と皮膚の下で蠢く骨が捻じり回りながら筋肉が巨大に膨張する。自壊すら厭わぬ自制(リミット)(こわ)れた<神獣化>。散々叩きつけられて罅割れた機械鎧が、一瞬で塵になって剥がれる。特殊な金属素材だった鎧装甲を破壊したのは、最凶の血。暴走した肥大化に、内側から皮膚が裂けて、鮮血が――『壊毒』が、溢れた。<黒妖犬>の自戒を破って全身から噴き出し、拘束具であった機械鎧を喰い尽したのだ。そして、血塗れとなって肌さえも蝕みながらも血塊が生体障壁に混ざり、魔獣の外骨格のように瘡蓋は固まっていく。まさに共食いする畜生道――『血途』を体現するかの如き()を纏う威容。

 

 それで、生体として危険域(レッドゾーン)であるほどに、血液を体外へ流出したが、行動不能とはならない。<心なき怪物(ハートレス)>として半死半生のままに活動を可能としてきた死霊術(ネクロマンシー)による自己操縦法が、体内に血が満足に行き渡らずとも支障なく身体を動かす。

 

 

 そして、『壊毒』を纏る腕は真下、この魔族特区・絃神島中央区へと振り落とさんと振り上げる―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――クロウッッッ!!!!」

 

 一帯に波及する狂騒に怯まず、その前に立つ者がいた。

 暁古城。一歩出遅れた形となってしまったがそれでも、足踏みはしなかった。誰よりも早く飛び出して、この凶ツ獣―――違う、馬鹿な後輩を止めにいく。

 

 気持ちは、わかる。わかるつもりだ。

 古城だって、自分のせいで、大切な人を失ったと思い込んだ時はそうなった。<賢者の霊血(ワインズマンズ・ブラッド)>から浅葱を庇った、クロウが死に瀕した時、我を失い、力を暴走させてしまった。“世界最強”などと銘を打たれたところで、それは決して零れ落ちていく命を拾い上げるものじゃないとわかって、自棄にもなろう。

 だから。

 

「お前は<心なき怪物>なんかじゃねぇ! もしも間違えちまうっつうんなら、俺が、止めてやる!」

 

 それがたとえ八つ当たりに過ぎないものだとしても、感情はもはや我慢することなどできずに世界最強の暴虐(ちから)をぶつけてしまう。

 ―――だったら、そんな行き場を失った激情を、先輩(オレ)が身体を張ってでも引き受けよう。

 

「<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――!」

 

 腹の底から吼えた。

 目の前の相手への怯懦など露ほども見せず、むしろこちらから果敢に拳を振り上げながら、古城が走る。

 雪菜や縁堂では近寄れぬ魔力圧が暴れ狂う暴風域に単身突っ込む。古城が発する高濃度の魔力……その奔流と相殺させて強引に打ち破ったのだ。

 

「―――疾く在(きやが)れ! 十番目の眷獣、<魔羯の瞳晶(ダビ・クリユスタルス)>!」

 

 そして、古城が召喚するのは、『タルタロスの薔薇』の事件より加わった新たな<焔光の夜伯(カレイドブラッド)>の眷獣(ちから)。銀水晶の鱗を持つ美しい魚竜、前肢は半透明な翼で、山羊に似た螺旋状の角もまた光り輝く水晶柱だ。

 その水晶柱の輝きが放っている輝きに篭められている魔性は、『魅了』。

 <第四真祖>の『魅了』でもって、その暴走を鎮めようとする。

 

「■■■―――ッッッ!!!」

 

 ―――だが、“後押し”を受けている赫怒は、それでも治まらなかった。

 

 

???

 

 

 堪えようのない悲しみと、ぶつけどころのない怒り。

 足元に無数に転がる犬頭の機甲服(パワードスーツ)を“食事中”だった手を止めた。

 絃神島全体に轟き渡った咆哮を、肉体(うつわ)を得た“彼女”も捉えた。

 

「クカッ……愚かで哀れな咎神の『墓守』よ。我が血も、汝の血もまた呪われている!」

 

 “彼女”の肉体が朽ちても永劫忘れぬ悲嘆と怨嗟が、共振する。

 

「同じだ。妾と汝は同じ。故に、復讐しなくてはならない。億千万の非道を為してきた、欲深き簒奪者たちを許すな!」

 

 “彼女”がもうひとりの『巫女』であるがせいで、その悪性情報を受信してしまう。

 

 同じ内容のことを何十回も、何百回も聞かされ続ければ、否が応でもその影響を受ける。洗脳される。最初は否定出来ていても、徐々に共感が芽生えてしまうものだ。

 その時の南宮クロウの思考は真っ赤に塗り潰されており、奇しくも“彼女”の憎悪と重なってしまっていた。

 “絃神島を滅ぼせ”という何十、何百もの呪詛と怨嗟を圧縮させた濃密な干渉に曝されて、

 

 

「傅け、傅け、傅け! この正統なる支配者たる妾に従い、忌まわしき島に破滅をもたらせ!」

 

 

 定まらなかった矛先に、方向性が与えられてしまっていた。

 

 

    《させ―――ない―――この子は……!》

 

 

人工島中央区 キーストーンゲート前

 

 

 瞬間、クロウが消えた。

 

 代わりに赤の閃きがあった。まるで止まったかのような時間の中で、狩られる、と。

 古城は背筋にゾッと冷たいものを走らせていた。“それ”は血塗れた獣爪の輝きと判断したからだ。

 だが違った。

 “それ”はテールランプじみた殺神兵器の瞳の軌跡だった。

 

「あ―――」

 

 轢かれる、と。

 殴られる、ではない。

 

 一対一の白兵戦において戦闘技術の研鑽はその勝敗を左右する要素だろう。しかし、“技”とはそもそも同じ土俵に立たない相手であれば発揮する必要などない。圧倒的なパワーとスピードの前には、並大抵の攻撃などすべて児戯に等しい小細工に堕す。

 目前の相手は、その体現だった。

 元より魔族の吸血鬼と比較してすら、スペックがケタ違いだというのに、火事場の馬鹿力を発揮したように自壊防止のリミッターが外れている。

 そして、今その総身は真祖すら殺し得る自壊の血毒に塗れていた。

 

「―――先輩ッ!?!?」

 

 いつ攻撃を喰らったかわからない。だが、銀水晶の魚竜が、血飛沫となって霧散。そして、掠った余波で古城自身にも重い衝撃が突き抜ける。みしりと全身の骨格が悲鳴を上げ、内臓が弾けた。一拍遅れて、古城の身体は錐揉み状に回転して後方へと転がされる。

 

 涙が流れた。

 古城の―――ではない、こればかりは人間と変わらない、透明な雫がつうと零れたのを古城は見た。

 破損した部位の再生を待たず、古城は立ち上がる。

 ぐちゃ、と復元途中の肉体から気味の悪い水音がしたが、かまいもしない。無残極まりないその状態で、一歩も臆することなく古城は目を見開いた。

 

「まだだ、クロウッ!」

 

 もう一度、叫ぶ。

 何度だってそうしようと思った。

 この生意気な後輩に食い下がるならば、何度死のうが構うまいと本気で古城は思った。

 

(ああ、そうか)

 

 自覚する。

 思っていたよりも、遥かに自分は負けず嫌いなようだ。

 たとえ五体が千切れようが、この魂が砕けようが、不服な結果を不服なまま受け入れるなんてちっともできる気がしない。

 後輩の駄々を満足に受けられない先輩など先輩ではない、などと命知らずにも思ってしまう。結局、昔にバスケで一対一(ワンオンワン)をした時と同じなのだ。自分の本質はなるほどどうしようもなく傲慢なんだなと、自分で自分に呆れた。

 そして、不敵にも思う。

 アヴローラより継がれた『世界最強の吸血鬼』の力は、こんなものではない。

 

「俺を見ろ! いくらだってサンドバックにしてみやがれ! こんなの、ちっとも効いてねぇんだからな!」

 

 文字通り、死ぬほど痛いが、そんなの痛いだけだ。

 こんなの、我慢すれば我慢できる。なんて無茶苦茶なことを考えてしまう。

 たとえ痩せ我慢であっても、いくらでも付き合ってやろうと思った。

 

(そいつ)をぶつける先はこっちだ!! 俺にぶつけてこいクロウ!!」

 

 我武者羅なその声が。

 

「…………っ!」

 

 鋼の大地へ向けていた矛先(ベクトル)を変えた。

 

 古城が、唸る。

 痛みも何も忘れて、獣のように唸る。

 

 

    “お願い! 古城君に、皆の力を貸して……!”

 

 

 <第四真祖>の眷獣を召喚する余裕はない。だが、血脈に宿る彼女達(アヴローラ)の意思が宿主の奮起に応じた。

 

 一番目の大角羊の力が、古城の右拳に金剛石の手甲を纏わせる。

 五番目の巨獅子の力が、古城の全身に雷電を迸らせる。

 七番目の三鈷剣の力が、古城の周囲に重力場を発生させ重心を安定させる。

 九番目の双角獣の力が、古城の背中を衝撃波で後押しする。

 

 そして、全身の再生すら後回しにして、ありったけの魔力を一点(こぶし)に集約。

 漆黒に染まる腕が噴火のような灼熱の魔力の昂りに呼応し、溶岩(マグマ)の如くに真紅の血脈を浮かび上がらせていく。

 

「うおおおおおおお―――ッッッ!!!!」

 

 真っ向勝負上等! と弾丸のように飛び出した古城は、島を崩壊させる破滅(こぶし)へ向かって、思いっきり突き出す。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ドッッッボッッッ!!!!!! と、

 鈍い音と共に、その右手ごと、古城の右半身は粉々に破壊された。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 一撃、必殺―――

 <焔光の夜伯>の補助は一切合切食い破られたが、『血途』の外骨格を砕き吹き飛ばすことに成功した。だが、破壊力までは相殺し切れなかった。そのあまりの衝撃に痛苦さえ覚えずに吹き飛ばされた古城は、半分になった体のバランスを崩し倒れる。

 

「……っっっ!! 先輩っ!!」

 

 雪菜の頭がスパークする。鉄錆臭い匂いが肺の奥いっぱいまで満たす。視界に赤黒い液体が付着。それでも、彼女はコマのようにクルクル回りながら倒れそうになった古城の身体を受け止めることができた。

 幸いにも――或いは意図して――僅かに逸れた拳筋は急所の心臓からは逸れている。人間なら間違いなく即死だが、真祖ならば、十分復活できる。

 ただし、それは相手が追撃を待ってくれればの話。血毒の殻は破られようとも、暴走する破壊衝動は治まっていない。

 

 

 <雪霞狼>―――!!!

 槍を手に取る。護りたいものを護る為に今一度、深奥に手を伸ばさんとする。

 

 

 獅子王機関の剣巫は、戦闘の最中にも一瞬先の未来を視る。

 相手の行動を先読みし、致命的な未来を視ながら、有利な未来を選択する。だからこそ、身体能力に劣る小柄な雪菜が、魔族と互角に渡り合えるのだ。

 だが、今、その未来視の能力が雪菜に突き付けてきたのは、絶望だった。

 

『■■■■―――ッ!!!!』

 

 この先、ほんの一秒にも満たない未来、蹂躙される。

 ただでさえ、力のない人間には前に立つことすら許されないであろうという圧倒的な空気を身に纏い、世界に終末をもたらす獣を想起させる破壊者。それが再び咆哮をあげて、身体から莫大な魔力が解放されんとしている。

 全方位に拡散された分だけ、その威圧は希釈されたものになるはずだろう。だがしかし、<第四真祖>などといった真祖級の傑物は、それだけで天変地異を醸す状況を引き起こしてみせる。

 これに、半身の再生半ばの先輩が逃れることなどできない。

 そして、雪菜がこの先、如何なる行動を取ろうとも暴走する威圧は防げない。間に合わない、と己が剣巫の霊視が(あきら)めてしまっているのだ。

 だが、その絶望に雪菜の心が塗り潰される直前、誰かの声が聞こえた気がした。

 

 

 《未来は視るのではなく、切り開くものです、姫柊雪菜》

 

 

 懐かしい、けれど決して忘れない彼女の言霊(こえ)が奮い立たせてくれた。

 雪菜に視えた未来は絶望だけ。それを避ける分岐は選べない。

 ならば、自ら作り出すしかない。存在しないはずの未来を―――

 

「あああああああああああ―――っ!」

 

 霊視()に頼り過ぎるな、という縁堂縁の言葉が脳裏に蘇る。(クロウ)との組手指導の際に何度となく説かれてきたその教え。

 存在しない未来を視ることと、存在しない未来の中で動くこと。そこに本質的な違いは存在しないのだ。認識することができるのなら、それを実現することもできるはず。

 既に綴じられていた本の中に、存在しないページを無理やり挟み込むように連続した時間の流れの中に、存在しない一瞬を突き入れる。

 暴走を抑え切れなくなる前に、刻み込む。絶対先制攻撃の権利によって―――

 

「なっ……」

 

 縁堂縁が、弟子を呆然と見つめた。

 世界が破れるような雑音(ノイズ)が響き、時間の流れが正常に戻る。

 破滅的な魔力の嵐が、凪となっていた。そして、破壊者はシャボン玉のような、光り輝く透明な膜に包まれていた。

 

「正気に戻ってくださいクロウ君!」

 

 <神憑り>の暴走を止めてくれた、ならば、今度は自分が彼を止める番。

 暴走する魔力を打ち消すのは、『神格振動波』の結界だ。

 かつて、絃神島を暁古城が出ていこうとしたときに、『異境』の侵食に備えて、『三聖』の閑古詠が施した<雪霞狼>による封印と同じもの。

 だが、そんな真似をする時間などなかったはずだった。

 

「この絃神島(しま)にきてから成長が著しいとは思ったけど―――まさか、()()()()()()()()、雪菜」

 

 誰の目にも知覚できなかった所業。封印術式を刻んだという時間は存在しない。目の前にあるのは、『神格振動波』の封印を施したという結果のみ。

 これより推察されるのは、姫柊雪菜は更なる高みに至ったということだ。

 

 

 《―――まだだ、まだ止まるな!》

 

 

 だが、悪性の呪詛は途絶えず。

 猛り狂う復讐の焔はなけなしの理性を融かす。

 その赫怒が火移りされたかのように、再び真紅の眼光が灯った。

 

 

 《―――壊せ、壊せ、壊せ! すべてを壊せ!》

 

 

 その身体から汚泥の如き血塊が、暴走を封じ込めた泡沫を破って溢れ出た。それに触れた地面は、まるで水に触れた塩の山の如く、そして、底なしの泥沼の如く溶解していった。

 そう。

 拘束具の機鎧が砕け、瘡蓋のような血途の甲殻も剥がれている。狂う破壊者(クロウ)の額に、手に、足に、身体の至る所に傷が浮かび、そこから夥しい量の深紅の毒が氾濫してくる。

 邪念の発信源の肢体と重なるように、またはこれまでの兵器として受けた調教の傷を再演するかのように、幾つもの傷口が開いていく。その様は、敬虔な神の信徒の身体に生じるという聖痕を思わせた。

 

「そんな……っ!」

 

 止められない。

 古城が捨て身で真っ向からぶつかって、雪菜が<雪霞狼>で鎮めようとしたのに、まだ治まらない。止まらせない。

 

「■ァ……! ■■■ァァァ……!!」

 

 もういっそ息の根を止めた方が良い思ってしまうほど哀れになる様相。

 討つ覚悟を、決めるしかないのか、と雪菜の銀色の槍を握る腕が震える。だが、決断に迷う少女の傍で、血反吐を飛ばしながら吠え猛る者がひとり。

 

「まだ……まだ、だっ! 先輩後輩(おれたち)戦争(ケンカ)はまだ終わっちゃいねぇぞっ!!」

 

 歯を食いしばる古城が、再生途中のまま無理に立ち上がろうとする。

 諦めない。諦めてたまるか。もう二度と、世界最強の力を持ったせいで呪われたヤツを見捨ててなるものか!

 

「先輩……!」

 

 古城は左腕を伸ばす。が、それでバランスを崩し、傾きかけた姿勢を脇で雪菜が支える。

 何度だって立ち向かうその姿に、揺れた剣巫の覚悟も定まった。

 不甲斐なくも不死身で不屈の先輩に身を寄せながら、少女は右手に槍を構えた。

 もう一度。

 何度だって、止めてみせる―――!!

 

 

「―――いいや、これは私と馬鹿犬との戦争だ」

 

 

 暁古城と姫柊雪菜の二人が稼いだ僅かな間が、彼女の復活を間に合わせた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 暴走する“破壊者”を、頭上から下った衝撃波が叩き伏せた。

 それは北欧で語られる終末の獣を、顎を踵で踏み抜いて降す顛末の如く、空間の揺らぎは徹底して暴威を押さえ付ける。

 

 ビキビキ、と響く奇怪な音。

 鼓膜を震わせる、空気の振動などとは異なる。別物。これはもっと本質的に――そう、この次元ではありえない異次元の摩擦。そこに居る者らの魂に直接伝播するかのような擦過音。

 その音源の方へと首を振った時、視界に飛び込んできたのは、漆黒の闇。一寸先は闇などとは呼べるものではない。果てなど見えない。時間も距離さえもない、無間地獄。

 そして。

 

 

 ―――――その暗闇の底で、三つの炎を噴き出す目。

 

 

「なっ!?」

 

 暴走した“破壊者”から、意識を逸らされた。雪菜の頬が恐怖に固まり、そして、驚愕に両眼を見開いた。

 

「那月、ちゃん……!!?」

「南宮、先生……!!?」

 

 心臓を斬り飛ばされるなんて致命傷は、不老不死の真祖でもなければ助からない。<第四真祖>の古城にしても心臓ひとつを丸々修復するのは一瞬でとはいかない。

 

「なんだ? 死人でも見たような顔だな?」

 

 人形のような幼い美貌の魔女が不敵に笑う。

 今の彼女は幻などではない。ここにいるのは本物の南宮那月だ。

 

「ふん、どうでもいい。その命知らずの暁古城(バカ)を連れて下がれ。コイツの相手は、私だ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 那月の左胸は潤沢な魔力を帯びて、深紅の燐光が漏れ出ている。

 血、ではない。紅い光を放つのは事前に埋め込んであった、宝石―――<錬核(ハードコア)>。

 

「成功、したようだな」

 

 ニーナ=アデラートは、ふぅ、と安堵の息を吐く。

 その隣で、縁堂縁が目を細め、この絡繰りのタネを見破った。

 

「『霊血』まで用意していたとはね」

 

「うむ。元より那月は天塚より下地となりうる<偽錬核>を回収しておったし、夏音の協力もあった。そして、この(わし)、古の大錬金術師・ニーナ=アデラートがいるのだ。無茶であったが、不可能ではなかった」

 

 『霊血』の材料には、女子高校生一人分の体重と同じだけの黄金と銀と希少金属(レアメタル)各種。それに水銀が900L。そして、供物となる霊能力者が14、5人。

 流石に生贄など用意できようもなかったが、絃神島で最高純度の霊能力資質を持った叶瀬夏音が、そのアルディギア王家の血を提供してくれた。

 時間はかかったが、不老不死は無理であっても、限定的に心臓を創り出す程度の代物ならばニーナに創製することができた。

 

「那月は、用心深い矢瀬顕重より、<瓶詰の心臓>を奪還するのに見切りをつけておった。故に、取り戻すのではなく、自らの心臓を切り捨てることを前提として、また新たに心臓を創り出すことにした」

 

「決死の覚悟、というわけね」

 

 魔女は契約を遵守する。しかしその上で裏をかく。

 一度、己が“死を決める”ことなど、矢瀬顕重には読み切れないだろう。何せリスクが大きい。九死に一生を得る大博打だ。

 錬金術の秘奥をもってしても、死人を生き返らせることはできない。

 ただ絶命する前に命を繋ぎ止め、心臓を創り出した。一瞬の遅れで間に合わなくなる一か八かの賭けだ。

 他にも穴があった。心臓を創り出し、再活動するまでのクールタイムが必要だということ。それは先輩根性を発揮した暁古城らが場を繋いでくれたが、相当に綱渡りであった。

 

「魔女にしては、随分とやけっぱちな作戦ね」

 

「それだけ思うところがあったのであろう。何せ、那月は那月自身が思っている以上に情が深いのだからな」

 

 使い魔に命を懸ける―――

 こんな醜態が魔女の界隈で広まればそれこそとんだ笑い種になるだろう。

 だが、彼女を笑い者にする者はこの場にいない。

 自らの命よりも生き様を優先できる者は、強いことを長命の二人は知っていた。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 あの場面で、使い魔の裏切り行為を予想だにできなかった自分が情けない。

 

 “縛りはしない”と誓っておきながら、“裏切ら(はなれ)ない”などと思ってしまっていた自分があまりに情けない。

 ああ、許せない。

 許せるものじゃない。

 ぶっつけ本番で臨む成功率の問題に矢瀬顕重が監視している最中で迂闊にばらせないという理由から黙っていたが、この趣向がある種の“仕返し”、または“名誉挽回”な意図も含んでいないとは言えない。頭が真っ白になってるのが一目瞭然なほどに瞠目する“馬鹿犬(クロウ)”を見て、傲岸不遜に言い放つ。

 

「それで、馬鹿犬、私が死んだと思ったか? ふん。貴様の世話になるなど真っ平ゴメンだ」

 

 ざまぁみろ、と独り言のように呟く。それは三割ほど、自嘲げな吐息が混じっていたが。

 しかし、胸はスッとする。心臓を壊された苦しみを、(かお)に出す寸前に呑み込むだけの余裕ができた。

 そうして、たとえそれが、後ろの二人組(ロートル)には強がりなどと思われようとも、唯我独尊にして高貴なる魔女は気高(つよ)く美しい微笑を浮かべる。

 

「―――<転環王>!」

 

 抑えつけろ、と<守護者>に命じる。

 しかし、機械仕掛けの黄金騎士の姿はない。<空隙の魔女>に応じて“破壊者”を圧すのは、巨大な闇の獣。深淵そのものを形にしたような、形なき虚無の怪物だ。

 

 <空隙の魔女>が契約した<監獄結界>の番人の真の姿。

 美しかった黄金の甲冑の役目は“防具”ではなく、“枷”だ。出現するだけでこの世界の時空を歪める力を抑えつけるための制限(もの)

 その内側には、あらゆる光の届かぬ固体である、完全なる闇が内包されていた。

 そして、この光さえも呑み込む暗黒の底より解放される絶望的なまでに凄絶な魔力。その本性は守護者などとは程遠い、闇の獣はブラックホールの如き凄まじい引力を発揮して、凶ツ獣を逃さず抑えつける。

 

 

「 ―――(いだ)けッッ!」

 

 

 ほとんど絶叫と言ってよい、古城らが初めて聴く南宮那月の咆哮。

 すべてを握り込むようにして、魔女は叫んだ。

 

 闇の獣がまるで融ける飴のように空に溶け込み、その空間がぐるりと螺旋を描く。時空を捩じれさせる渦の中心点には確かな穴――局所的な<監獄結界>――すなわち、“空隙”が、暴走しているクロウを抱いた。

 

 

           「 ―――<与えし転環(ドラウプニール)>!」

 

 

 <守護者>から外れていた“枷”――黄金の甲冑がそのカタチを崩して融解。液体となった金塊は、雫となってクロウの頭上に滴り落ちる。そして、滴る金の雫は、首輪のカタチへ―――

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 “もしも(IF)”の話。

 彼の伝説の呪われし黄金(ラインゴルド)は、最初から呪われていたわけではない。

 環の形になったことで世界を支配する膨大な力を得ることになった、いわば願望機だ。

 ただし、精霊の棲まう川底より金塊を取り上げ、指輪の形にすることができるのは、“愛なき者”のみという条件があった。

 

 黄金の指輪を手に入れた伝承の小人は、愛など持たなかった、諦めていた、捨て去っていた。他者に相容れることなどあり得ず、決して、愛など求めなかった。世界の支配者としてくれる黄金の指輪に、孤独な幸福(ただひとりのねがい)しか望まなかった。

 だから支配者の指輪が謀略によって奪われたとき、この願望機の力で自分以外のものに永劫の不幸を呪った。

 そうして、所有者の運命を滅ぼす“呪われし黄金”となった指輪は、神々を恐れさせ、英雄を破滅させ、怪物を生み出した。

 

 けれど。

 強奪されたのではなく、与えたのであるのなら。

 手放す際に黄金に願うのが、他者の不幸とはまた違った願掛けであったのなら、“呪われし”などとは、ならなかったかもしれない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 <守護者>の鎧と同じ、月光を透かし込んだか如き金色の転環は、特別、締め上げるような強制力はなかった。

 

 

 《些末な縛などで抑え込まれるな! 憎悪のままに狂い、この血濡れた島を滅ぼすまで止まるな!》

 

 

 浮かぶのは、激痛に歪んだ、苦悶の表情。自らの血で真っ赤に染まったその貌は、まるで血の涙を流しているよう。

 そして、首に巻かれた黄金の()は、この緋色の()()われた。

 

 ―――だが、それでも黄金は依然として首にかけられている。

 

 全身に走る引き裂かれた傷跡から血が溢れ、辺りを澱ませ、崩していく。そんな(なまぐ)さい景色の中でも、黄金の光は失せなかった。

 あらゆるものを壊し、自壊でしか止まらない『壊毒』。

 泥沼に陥るように再び黄金は呑まれ、形も色も融解するのだが、紅の破壊衝動に蝕まれる傍で、それ以上の速度で新たな複製が出来上がっていた。

 決して、転環(ほうよう)は離れない。

 

「■ァッ―――」

 

 出血の速度が鈍っている。全身の傷が塞がっている。

 墳血させる間もなく。いくら復讐者の憎悪に触発されて開こうが瞬きするように傷が癒える(とじる)

 初めて出会ったあの時、森で負わされた致命傷を治したあの時のように。

 

 壊されても、新造する。

 傷つこうが、治癒していく。

 

 しかし、クロウは捉えていた。

 壊されるたびに、治していくたびに、それに合わせて、時空を揺るがすほどの存在感が薄れていく。

 力を失っている。そして、その失ったものを自分に与えられているのだと直感的に理解する。

 

 古代北欧の風習には、身内として認めるモノに、腕輪を授与する儀礼がある。己の財宝を分与し、その価値で以て、繋がりの深さを知らしめるのだ。

 <与えし転環(ドラウプニール)>。

 <空隙の魔女>の<守護者>、<転環王(ラインゴルド)>の一部を切り離し、分け与えることで、絶縁された経路(パス)をより強固にして結び直した。

 『波朧院フェスタ』で一度<守護者>の貸与は経験したことがあるから、接続は容易。

 だが、魔女の魂と密接に繋がりのある<守護者>を直に接続させる行為には、当然、それ相応の危険を孕む。上下関係を築く主従の立場上、干渉は一方的なものに抑えられたが、それだけ密接ともなれば、契約主の方にも影響が出てくるかもしれない。どのような副作用や後遺症が残るかは想像もつかず、反発すれば最悪、共食いで互いの存在が死滅することになるだろう。

 左腕ひとつだけでは済まない爆弾な要素―――しかし、彼女は、そんな魂を懸けることを受容する。

 

「……まったく、これほど馬鹿な真似をするとはな」

 

 ―――月が昇らない日があっても、“ソレ”が昇らない日はない。

 死んでも口に出すまいと決めている非合理的な(バカげた)動機。だがしかし、今この手を伸ばす“黄金(ひかり)”はそれだけの価値のあるものだ。

 

 荊のような蔓が足元の影から伸びて、磔刑のように幼い魔女の肢体に巻き付き始める。掴めば当たり前に傷つく、そんな棘のある“繋がり”を離さない。綱引きで最後尾が全身に縄を巻き付けて自らを縛り上げてでも、最後の一線を踏み止まらせるためにある立ち往生は、どんなに出血を強いても奪わせまいとする気概の顕れだった。

 

 そして、その命を共有するまでに深い繋がりは、ついに繋ぎ止めた。

 

 血が出なければ、毒とはならない。

 つまりは、傷つかなければ、何も壊さない。

 体の傷を癒さ(ふさが)れたのなら、破壊は身の内に収まってしまう。

 また、この黄金の転環は、暴走せぬよう力を封じ込める枷でもある。やがて、悪意ある邪念に誘発された破壊衝動さえも鎮めた。

 ―――だから、正気を取り戻した少年は惑うのだ。

 

 

「どうして、なのだ……?」

 

 人の姿に、戻ったクロウ。

 <心なき怪物>の拘束具(よろい)も、“破壊者”の呪いも剥がれ落ちている。“自由”となった彼は、だがしかし動けなかった。

 

「どうして、ご主人が、間違えるのだ……! オレは、怪物、なんだぞ……!」

 

 こんなの間違いだとクロウは噛みつく。

 こんな失態を、主がするはずがない。していいはずがない、と悲痛を通り越した、自己否定にも通じる問いかけは、胸の奥底、心臓から直接噴き出したような声だった。暴走は鎮まっても、心と体がバラバラに砕け散ったまま。

 

「オレはご主人がいたから、森を出れた。島でもやっていけた。ここが自分の居ていい場所(せかい)なんだ、って……思えたのだ! 全部全部、ご主人がいたから! でも、オレはご主人のサーヴァントを辞めたんだぞ! だから、オレはもう、森の頃と同じ、怪物なんだ……っ」

 

 “殺す”と宣告した怪物(クロウ)を、生かす真似をする。おかしい。

 これに対し、魔女(なつき)はまったくもって不服だとばかりに鼻を鳴らした。

 

「馬鹿犬。私は間違えたつもりなどない。私は、“怪物ならば殺す”と言ったんだ。貴様風情が怪物を騙るなど烏滸がましい」

 

 そんなの屁理屈だ、としつこく異を唱えようとしたクロウだが、喧嘩が決した以上は、負け犬の遠吠えすら言わせるつもりは那月にはなかった。

 問答無用。

 ガツンッ、と後頭部に空間衝撃。抗弁しようと口を開いたタイミングでの一撃に舌を噛みかけたクロウは前のめりに姿勢を崩され―――かき抱かれるように、頭を抱え込まれた。幻ではない、那月の体でもって口を塞がれる。

 

「言われるがままに家族の骸を弄んだ無知の咎が、お前に落とした暗き影は、極夜()の森よりもなお昏い」

 

 もっと言えば、生まれてきたことそのものが罪だとも思い込んでしまっている。

 

「だが、夜も眠れぬ自責の念が己の爪にどうしようもない恐れを抱かせ、懺悔も吐けぬほどに噛み締めた顎に理不尽に抗う反骨の牙を研がせたのなら―――それはもう、心を持たぬ怪物とはかけ離れている」

 

 結果論になるが、誰ひとりとして人を殺さなかったし、死なせていない。

 その命が“罪”なのだと指をさされようが、決して“悪”ではないと魔女は証言する。

 

「お前はあの日の“間違い”を糧にして、決して兵器に成り下がれぬ在り方を確立させることができていた。爪が砕け、牙が折れようとも意地でも譲らん馬鹿さ加減はただの怪物には無理なのだからな。

 この前提を“間違い”などと言うな。それはお前にとっての“誇り”を否定することなのだからな」

 

 クロウの表情がくしゃりと崩れた。その泣き顔を、小さな胸の内だけに押し留める。

 

「そして、キャンキャン吼えるのは弱い犬に許された権利だ。……強がりでもいい。私の眷獣であるなら、黙って呑み込め」

 

「……ぐぐゥゥゥうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!」

 

 酷い有様だ。しかし――生きている。

 弱々しい音。しかし――生きている。

 抱き締める力は簡単に振り解ける。けれど、万の言葉よりも伝わる鼓動が響く。地が割れて泉が湧くように、クロウの胸に熱い感情が満たしたのだった。

 

 

「今は眠れ。寝惚けた頭が少しはましになった時に、お前の話を聞いてやる」

 

 ゆっくり、と眠らせる。

 “お月様”だなんて、無邪気にも、本当に欠片の悪意もない眼差しを向けてふざけた殺し文句をしてくれたあの夜のように。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ―――おやまあ、寝かしつけるのが随分と上手だこと。

 寝た子の髪を指で梳く。素っ気なくも手慣れている仕草に、魔女の心情を見た縁堂縁。

 元々、ギリギリだったか。あっさりと意識の幉を放して、泣き疲れたように<黒妖犬>は抱き着いたまま眠ってしまった。

 人工島の魔族特区、その要石たる『黄龍』の座に据えられたようだけれど、その様子を見るに、まだまだ熟し切れていない子供と変わらない。“黄龍”というよりは、その年若い頃の“応龍”とでも呼ぶべきだろう。

 何せ、最高位の神獣でありながら殺人を犯した咎で、故郷の天へ帰れなくなった“応龍”は、()方の地に棲むようになったというし。

 洒落になってしまうが、こちらの方が似合う。それで、落ち着くべきところに落ち着いたと見れるだろう。今、何よりも気を許している彼女の元が、あの子にとっての居場所。

 

 さて。

 

 

「―――じゃあ、こちらも不肖の弟子を取っちめようかね」

 

 

 その声に、ハッと雪菜が反応したが、遅かった。

 意識の間隙を突いた鋭い薙刀の一閃は、雪菜が反射的に構えた長槍を手元から弾いた。

 

 カンッ!! と硬い音がして、弾き飛ばされた雪菜の槍は、円の軌道を描き地面に落ちる。

 

 主従のケンカに区切りがつくまでは待ってくれてはいたが、古城たちはこの獅子王機関の師家・縁堂縁に追われていたのだ。

 そんな彼女が、隣の古城に倣って余韻に浸り、隙だらけな弟子を見逃すわけがない。

 

「師家様っ!?」

 

 古城も遅れながら咄嗟に身構えるも、縁堂の眼差しひとつで、気圧された。喉元に刃先を突き付けられたかのような感覚に、思わず息をのんだ。現実に薙刀の切先を突き付けられている雪菜も同じ。殺意は感じないにも関わらず、息をするのも辛くなる圧力。

 

「おっと、<雪霞狼>に近づこうとするんじゃないよ雪菜。これ以上、力に頼るとどうなるかは自覚しているんだろう?」

 

 細く眇められた目が、闇の中の獣の如く薄らと光を湛えている。この眼の前では、身動ぎひとつも許されないだろう。

 二度の逃亡は無理だと否が応にも悟る。またそれ以上に、今の発言に滲んだ心配気な響きに古城は気になった。

 どういうことだ?

 この長命種(エルフ)の攻魔師に追跡される理由を知らない。雪菜も、詳しくは語らず、自身のことは後回しとしている。それもあって、牽制の刃を向けられては雪菜を庇うように立っているものの、前に出て勇み足を踏むには後ろ髪が引かれてしまっている。

 そんな半歩引いている姿勢は縁堂にも、わかったのだろう。雪菜がまだ事情を打ち明けていないことを。

 縁堂から放たれていた威圧感が消え、古城は肺の中身をすべて出す勢いで息を吐いた。そして、息を落ち着けることができないままに、急いた声で古城は問うた。

 

「なあ、ニャンコ先生。どうして姫柊を狙うんだ。あんたの弟子なんじゃないのかよ」

 

「ああ、そうさ。雪菜の師だから止めるんだよ。後戻りが出来なくなる前にね」

 

 雪菜が顔を背ける。古城も視界の端に唇を噛む横顔を捉えた。それは、相手の言の正しさを後押しするような態度で、いよいよ雪菜への不信感を募らせるものだった。古城の中で疑念が大きく膨れ上がった、それに応じるかのようにある単語が刺しこまれた。

 

 

「―――<模造天使(エンジェル・フォウ)>です、<第四真祖>」

 

 

 生き物らしい気配も何もなく、姿を現した黒衣の青年。

 彼の左手に握られているのは、両先端に穂先を持つ奇怪な黒い槍である。先程、別れた絃神冥駕が、古城の疑問に答えた。

 

「<雪霞狼>が放つ高純度の神気により、剣巫の少女は人間から高次元の存在へと霊的進化するのですよ。……冬佳と同じようにね」

 

「絃神冥駕!」

 

 淡々と語りながら、近づく冥駕。いつもは“死んでいる”とも形容できそうな、冷え切っている面貌が、今は嬉々とした愉悦に緩んでいた。

 先程は、こちらを助けるように動いてくれたが、それでも古城も周りと同調して警戒した態度を取る。

 全員が構えるのを見ても余裕は崩れない。まるでこの瞬間を待ち望んでいたとばかりに笑みを浮かべている。

 

「縁堂縁が動いているところを見るに、彼女の状態は相当深刻に進んでいるのでしょう。おそらくその覚醒度は、普段は第二段階から第三段階あたりでしょうが、『七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツアー)』を使用した場合は、第五段階を超えている。これは<模造天使>とほぼ同格。この状態で人の限界を超えるレベルの霊力を放出すれば、天使化は一気に進行するでしょうね」

 

「な……姫柊が、<模造天使>にって……そんなはずがあるかよ!」

 

 古城が同意を求めるように、雪菜や縁堂らへ視線を振るが、逸らされ目を合わせてもらえない。誰からも欲した否定(ことば)が返らない古城は、冥駕を睨んで、八つ当たりのように荒々しい声で問い詰める。

 

「だいたい<模造天使>を造り出すためには、候補者同士を殺し合わせるような、面倒な儀式が必要だったはずだぞ!」

 

 その発言にニーナの顔が顰められる。

 かつて叶瀬夏音が参加させられていた模造天使量産計画。夏音の義父である賢生が監督する、その何人もの少女たちが互いに殺し合う蟲毒のような果てに、人間は天使へ至る。

 

「でも姫柊は、他人の霊的中枢を奪ったことなんて、これまで一度もない!」

 

「本当に何も知らないのですねあなたは……同情しますよ、かつての私と同じ、獅子王機関に騙された哀れな少年よ」

 

 激昂する古城に対し、冥駕はその虚ろな瞳に僅かに憐憫の色を浮かべたかと思うと、古城が知りたい(おそれる)真実(こたえ)明かす(かたる)

 

「その儀式を行ったのは、人体を強制的に天使化するために、高出力の霊的中枢が七人分必要であったに過ぎません。『七式突撃降魔機槍』の神格振動波は、<模造天使>と同出力の神気。担い手の霊力を吸い上げて神気へと変換する『七式突撃降魔機槍』は、疑似的な霊的中枢であり、極めて高出力な霊的回路とも言え、当然それを扱う者の肉体に影響を及ぼすでしょう」

 

 <雪霞狼>の、副作用。

 かつて<模造天使>とも渡り合えたのを古城は思い出す。<雪霞狼>と<模造天使>はそれぞれ同種の力。ならば、その代償が同じ末路であるというのは、攻魔師でもない素人の古城の頭でも簡単に結びついてしまう。

 だが、

 

「なんだよそれは!? まさか、獅子王機関はこのことを知っていて、姫柊にあの槍を使わせたのか―――!」

 

「<雪霞狼>を使いこなせるのは、ごく限られた適合者だけでね。剣巫としては未熟な雪菜が、お前さんの監視役に選ばれたのも、あの槍との極めて高い適性を持っていたからなのさ。だけど、そのせいで雪菜の天使化は、獅子王機関の予想より遥かに速く進行しちまった。あたしたちにとっても想定外だったとはいえ、師匠としては面目がないよ」

 

 縁堂が、少しだけつらそうに首を振りながら、獅子王機関の部外秘の事情を白状する。

 姫柊雪菜の状態は深刻。縁堂縁が使う霊弓術のような、霊力を増幅する系統の呪術からも遠ざけた方がいい。ましては『七式突撃降魔機槍』じゃなくても、『六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)』や『乙型呪装双叉槍(リチェルカーレ)』などと言った武神具さえも扱わせるのは論外だ。

 すなわち、もう雪菜を現場に出すことは認められない。<第四真祖>の監視役はお役御免となる。

 

「先輩、その……」

 

「……姫柊も知っていたんだな? ニャンコ先生が自分に会いに来た理由も、本当はわかってたってことだよな?」

 

「っ……」

 

 古城が圧し殺したような声で訊く。今更、縁堂縁たちを責めても意味がない。最もつらいのは雪菜自身だ。幼い頃から過酷な訓練に明け暮れ、剣巫になるためだけに育てられた彼女が、師より剣巫として再起不能だと宣告される。それがどれだけ残酷な事か。古城にもわかっていたが、だからと言って割り切れるものでもなかった。

 

「どうしてだよ。<模造天使>なんてわけのわからないものになって消滅しちまうかもしれないのに、なんでこんな大事なこと黙ってたんだよ」

 

 古城は、キーストーンゲート第零層に向かう途中の、雪菜とのやりとりを思い出す。あの時、彼女は自分の体調に問題ない―――そう、言っていた。そんなすぐにバレる嘘をついてまで、古城に同行することにこだわった。

 その理由が古城にはわからない。

 消滅するほどの危険を冒してまで、どうしてついてこようとしたのか。

 

「それ、は……私は……先輩と―――」

 

 言葉を途切れさす雪菜。

 剣巫を続けられず監視役を辞めさせられたところで、獅子王機関から追い出されるわけではない。

 以前から、簡易霊力検査キットで自分の状態は、師家様に言われるまでもなく把握している。

 『神縄湖』で、先代の担い手・冬佳様の末路を、思い知った時からずっと、その覚悟はあった。

 でも、高神の社に戻る選択肢を、拒否した。

 <タルタロス・ラプス>によるテロに絃神島が復旧していないのもある。あの日から帰って来なくなった藍羽先輩とクロウ君を助けたいのも当然。

 そして、何よりも、私にとっての幸せが―――と共にあることだから。

 

 だけど、その想いが口にはできない。先輩(かれ)を前にするとどうしても感情は千々に乱れて仕方ない。

 

 口を噤んでしまう雪菜。

 この沈黙を契機に、絃神冥駕は、むしろ穏やかな表情で、口を開いた。

 

「どうです? 私にその『七式突撃降魔機槍』を返しませんか? ―――私ならば、天使化を制御できる」

 

「馬鹿を言ってんじゃないよ。『七式突撃降魔機槍』は、獅子王機関の秘奥兵器だ。おいそれと触らせるわけがない。いくら製作者だろうがね」

 

 誰が反応するよりも早く、縁堂が槍を向けた。

 絃神冥駕は技術者としては優秀であったが、獅子王機関の職員を殺害し、閉じ込められていた<監獄結界>から脱獄した危険な人物。

 彼の目的が何であるかは知らずとも、達成させてはならない。倒すべき敵として、十二分に条件が揃っている。

 

「ノコノコと自分から寄ってくるなんて捕まりに来たのかい? 言っておくけど、見逃す気はないよ」

 

「いいえ。見逃すつもりがないのはこちらの方だ。私は、迎えに来たのだ!」

 

 虚ろな瞳に、異様な気配が熾る。

 揺らめく眼光を湛えて、見据える先にいるのは、雪菜、ではない。

 静かに、眠りについているクロウ―――!

 

 

「必要なものは手に入れた。あとは“器”の<黒妖犬>―――「煩い。寝た子を起こすな」」

 

 

 目標に焦点を合わせた視界が、ほぼ黄金一色に占められた(さえぎられた)

 ギンッと音を立てて大気を裂くのは、長さ数十mにも達する黄金の鎖。それが鞭のようにしならせて冥駕に叩きつけられたのだ。

 

「無駄なことを……<空隙の魔女>よ、如何に拒もうが、我が手の内にあるっ……!」

 

 だが、冥駕は無傷のままその場に立っている。そして、己が絶対性を謳う。その瞬間、絃神島が―――否、世界そのものが大きく揺れた。冥駕の全身を包む輝きが明度を増し、人工島の大地へと広がっていく。

 

「っぅ……!!?」

 

 予期せぬ現象に古城たちが戸惑う中、那月の身体は勢いよく弾き飛ばされた。

 

「『墓守』は、『棺桶』を守護するためにある者。―――それ故に、<咎神の棺桶(カインズ・コフィン)>の叡智の“バックアップ”としての役割も負っていたのです。守護者として物理的な守護だけでなく、情報的な保護も果たしていた。もっとも、その叡智は、資格なき愚かな咎神派には扱えない。『無知』である器自身にも、すべては振るえない。管理者権限を認められた『巫女』にのみ開陳を許される。

 だがしかし、いや、だからこそ、顕重翁は、『巫女』によらずに『棺桶』の外にある叡智を完全に支配するべく、『墓守』の身に細工を施した」

 

 ぐっすりと眠りについていたはずのクロウの両目が静かに開き、その眼は紅く光っていた。

 金瞳ではない。

 冥駕と同調するように、クロウの両目は恐ろしいぐらい深紅の輝きを迸らせていた。

 

「っ、そういうことか貴様!」

 

 瞬時に、“細工”を悟るや、叩きつけるように扇を振るう那月。

 再び空間を揺らして、那月は金色の鎖を槍のように射出―――

 

 

「こっちも忘れてもらっちゃ困るね」

 

 同時、縁堂縁もまた、気を消して潜ませていた分身より冥駕に、霊弓術の光矢を放つ。

 警告に留めずに一気に仕留める。

 『三聖』の<静寂破り(ペーパノイズ)>であれば、可能ならば討たずに生け捕りを試みるだろうが、絃神冥駕は、飼い慣らすことの出来ぬ復讐鬼。『零式突撃降魔双槍(ファングツアーン)』の相性からして、弟子たちには荷が重い相手。

 そう判断していた縁堂は、端から機があれば自らの手で葬り去ると決めていた。

 

 取り決めもなく、しかし、隙は無い。共通の敵を見据えた師家と魔女の攻撃は、互いの手を邪魔せず、確殺を狙ったものだった。

 常軌を逸した早業による挟み撃ち。しかし、冥駕は余裕を崩さない。

 

「嘘……!?」

「冗談……だろ……!?」

 

 雪菜と古城が呆然と呟き、縁堂がチッと舌打ちした。

 二人の攻撃は、彼の肉体には届かない。防がれた、というよりは完全に無効化されたのだ。まるで彼への攻撃など、最初から存在しなかったというように。

 絃神冥駕の存在は淡い光の粒子に包まれて、絃神島そのものを侵食し始めていた。

 攻撃魔術や呪術ではなく、もちろん通常の物理現象からも逸脱していた。

 その輝きはふれたものを、決定的に変えてしまう。同じ形でありながら、生者と死者が、異質な存在であるように。

 それが、どうしようもなく危険。理屈でも直感でもなく、<第四真祖>としての血の記憶が、それを古城に伝えてくる。

 

「『天部』の真似事をしようが、結局、その目論見は叶わなかった。顕重翁にしてみれば失敗、未完成のままの、まさしく“廃棄品”。それでも、『聖殲』を己がモノにしたい咎神の末裔共は完成を諦められなかったようですが、しかし、『巫女』がいればこれを御すことができる―――<女教皇>よ」

 

 禍々しい深紅の光は、やがて太古の魔法文字を象る。そして、文字は連なり文章、文章は巡り魔法陣へ。緻密に書き込まれたバーコードのような刻印の楔が絃神冥駕の周囲を包むように循環する。この元となる強大な呪力を秘めた粒子―――これを発しているのは、『墓守(クロウ)』の肉体。

 

「クロウ君から無理やりに引き出してる……! ―――これは、まさか<論理爆弾(ロジックボム)>っ!」

 

 雪菜にも見覚えのある現象だ。

 『<第四真祖>の秘密にアクセスしようとしたものを無差別に殺戮せよ』と設計され、『原初のアヴローラ』の中にも埋め込まれていた安全装置(セーフティ)

 寄生した暁古城の肉体より魔力を横領し、存分に振るった魔術的なウィルスは、宿主の意思など無視する令呪。

 そう、矢瀬顕重の元には、かつて己の作品である人工生命体(ホムンクルス)に、<論理爆弾(ロジックボム)>を仕込んでいた『人形師』がいた。

 『天部』がかつて<第四真祖>に施したように、咎神派も思うがままに兵器を起動できるよう<論理爆弾>を仕込んだ。

 絃神冥駕はこれを知り、このシステムキーを欲した。

 

 

五大主電脳(ファイブエレメンツ)外部副脳(バックアップ)六号機(アルコル)

非常稼働―――」

 

 

 冥駕の手には、犬笛のようなものがあった。

 <角笛杯(ギャラルホルン)>―――戦争を告げる笛であり、全知の泉を汲む杯の名を冠したその道具こそ、『墓守』の制御鍵(システムキー)

 

「<カインの巫女>と<咎神の棺桶>を押さえたようですが、甘い。―――『墓守』と『もうひとりの巫女』が揃えば、『聖殲』は行使できる」

 

 世界を変容させる『聖殲』の魔術。

 その能力は、明らかに個人が制御可能な情報容量を超えている。複雑な魔術儀式もなしに、そんな攻撃を実践できるはずがない。

 故に、絃神島という『祭壇』と、『巫女』の演算能力を発揮させる装置が必要だった。

 ―――その二つを、『墓守』は担えるのだ。

 

 『聖殲』の叡智を頭蓋に蔵し、その頭脳は肉体活動を停止させてフルに演算活動に割り振れば、世界の理すら紐解く。

 そして、絃神島という地の『黄龍』を任せられていた『墓守』は『地』の属性を司る。すなわち、絃神島の身代わりとして『聖殲』の魔力を供給減と見立てることができる。

 

 『墓守』にして『棺桶』であり『祭壇』―――このお膳立てしたが、結局、『巫女』を頼らねば無用の長物であって矢瀬顕重は持て余し、故に、南宮那月の手に渡る前に処分しようとした。

 そして、絃神冥駕には、もうひとりの巫女―――<女教皇>と繋がる伝手があった。

 

「ですが、私は顕重翁とは違い、無闇に『聖殲』を振るい、使い潰す気はありません。大事な器を壊したくはないので。ですから、手を引いていただけるとありがたいのですが」

 

 白々しくもそう宣う。

 それが“南宮クロウ”という個人の人格は一顧だにしないというのは、誰にだってわかった。

 

「ふざけんなよ! もうこれ以上、俺の後輩を利用されてたまるか!」

 

 これ以上、身勝手な言い分など覚える気はない。血を沸き立たせるほどに無制限に魔力を解き放たんとする。

 絃神冥駕(こいつ)を吹っ飛ばして解放する……!

 己の眷獣に攻撃を指示。緋色の双角獣が放つのは、高密度に凝縮された荒れ狂う大気の弾丸。

 

「<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>ッ―――!」

 

「―――」

 

 声高に命じる古城に対し、冥駕は何も言わずに嘲笑を浮かべるのみ。

 迎え撃つよう突き出された黒槍に、深紅の粒子を纏わせる。

 真正面から受け止められた暴風の弾丸は―――陽炎のように揺らめいて、終わった。天地災厄の化身たる<第四真祖>の眷獣の攻撃が、冥駕の前髪一本そよがせることも叶わず。

 この光景を呆然と見つめる古城。

 動揺さえない。それ以前に何が起こったのかさえ不明。たとえ冥駕の黒槍が眷獣の魔力を無効化しても、既に撃ち放たれた以上は物理的な衝撃波までは打ち消すことができないはずなのだ。

 なのに光の粒子を纏っている冥駕は酷薄に笑っている。そして、瞠目する古城たちを哀れむような、優しくも冷淡な笑顔で宣告する。

 

「『聖殲』には何人も敵わない。今の消耗した貴方達なら尚更挑むのは無謀」

 

 そう。

 半身を吹き飛ばされた古城は、まだ肉体が完全に治り切っておらず万全とは言えない。

 雪菜に至っては戦わせれば『天使化』が進行してしまう。

 槍を構えている縁堂にしたって、クロウと激戦を繰り広げて、得物をひとつ破損された。

 ニーナ=アデラートもそもそも戦える身体じゃない。

 

「<女教皇>よ。我に世界を統べる力を―――!」

 

 冥駕は、『仮面』を、装着する。

 あれは雪菜が『神縄湖』で見た、咎神派の遺産。遺人の“情報”を記録複製(コピー)しているその『仮面』。そこに封じているのは、もうひとりの巫女―――<アベルの巫女>

だ。これを完全に調整された<冥餓狼>で御す。

 

「―――そして、彼らに絶望を!」

 

 冥駕の前面に、集束する紅い粒子が、バスケットボールほどの大きさの正六面体を空中に生み出す。直後、魔術的な意味で土の属性を帯びるその立体を砲弾のように撃ち込んだ。

 吸血鬼の反応速度をもってしても回避が容易な弾速ではなく、古城はほとんど反射的に眷獣を召喚する。

 

「くそっ……疾く在れ(きやがれ)、<神羊の金剛(メサルテイム・アダマス)>!」

「―――馬鹿! 避けな!」

 

 出現した、美しい金剛石の肉体を持つ巨大な大角羊(ビッグホーン)は、自分を傷つけたモノにその傷を返す、吸血鬼の不死の呪いを象徴する眷獣。如何なる攻撃にも傷つけられることのない金剛石の神羊が纏う無数の宝石の結晶をもって、古城の前面に強固な防壁を築いた。

 ―――それとほぼ同時に横から割って入った、長命種(エルフ)が古城と雪菜を突き飛ばした。

 

「なっ―――なに!?」

 

 冥駕の深紅の砲弾に触れた瞬間、絶対無謬の防壁は、脆い砂糖細工のように音もなく粉々に砕け散っていた。

 圧倒的な魔力で押し切られたわけでも、古城の魔力が無効化されたわけでもない。まるで最初から存在しなかったかのように宝石の壁を消し去ってしまったのだ。

 そして、直前で二人を突き飛ばした縁堂に深紅の砲弾が直撃し、か細い身体が吹き飛んだ。庇った結果、自身は砲弾を回避し切れず。外套の切れ端が宙に舞う。

 

「師家様―――!!?」

 

 大きな風穴が貫通した縁堂を凝視して、雪菜が絶叫した。

 サァ―――と風に流されるよう、その姿が儚く散る。

 あれは分身。しかし、真に迫った分身(ワケミ)が、一撃で散らされる。術の反動に、本体の縁堂が胸を押さえて、うめく。

 

「大丈夫かニャンコ先生!」

 

 苦悶は一瞬。心配顔の雪菜らへ視線を飛ばす。

 あの赤い光に迂闊に触れるな、と言うまでもなく伝わった。

 縁堂に突き飛ばされなかったら、古城は確実に冥駕の攻撃を食らっていた。如何に不死身の真祖と言えども、あの砲弾を撃ち込まれては無事ではすまい。

 

 だけど、なんなんだ、あの力……?

 <第四真祖(おれ)>の眷獣の防御を一瞬で撃ち抜きやがったぞ?

 

 敵の能力が不明。迂闊に攻撃も防御もできない。これでは一方的に嬲り殺される。

 

「あれこそが、『聖殲』。咎神カインが創り出した、神を殺すための禁断の魔術にして、史上最悪の大虐殺を引き起こした禁呪だよ」

 

 その危険度を一目で看破した縁堂の口から正体が語られる。思いがけない言葉に戸惑う古城。

 名前だけは知っていた。でもそれは、もっと大規模な、歴史的な事件や、天災のようなものだと思っていたのだ。

 絃神冥駕の操る深紅の輝きは、そんな想像よりも遥かに静かで、極めて珍しい魔術の一種のようにしか素人目には見えない。

 だが、恐怖を圧し殺したような縁堂の声音は性質の悪い冗談だと思わせず、何より、この奇怪な能力こそが、<第四真祖>の眷獣の力を、封殺したのを目の当たりにした。

 あまりにも脅威。態勢を立て直すためにも、ここは離脱して―――

 

 

「無駄ですよ、<空隙の魔女>」

 

 

 突然、深紅の輝きが燎原の野火の如く一気に広がった。

 この場にいる全員を取り囲むのは、巨大な正四面体の檻。灼熱の監獄の如き炎の属性を持つその立体が、空間制御による離脱を強制遮断した。

 獲物を取り逃がさぬために冥駕が敷いていた結界だ。

 

「『墓守』を転移させようとしたみたいですが、この一帯の空間は、私の許可なく空間制御できない。そのように作り変えている。これが所詮真似事でしかない<闇誓書>とは次元が違う、本物だというのは言われるまでもなくわかっているはずだ」

 

 <闇誓書>は、世界を上書きする、けれど、絵画をインクで塗り潰しても、その下の絵が消えてしまうわけではない。

 だが、咎神(カイン)が創り出した、神を殺すための禁断の魔術は、世界そのものを変容させる。たとえるなら絵画を切り刻んで焼き捨てることも、美術館ごと消し去ることすらやってのける。

 世界に対する影響力が、不可逆なほどに強烈だった。

 

「それ以前に、貴方はご自分の心配をした方がよろしいのでは?」

 

「っ」

 

 そして、誰よりも那月は危うかった。

 先程の攻撃で限度だったか、その顔からは常にあった不遜な余裕(めっき)が剥がれている。

 

「無茶だ那月! 今の体力でそのような真似をすれば死ぬぞ!」

 

 顔面蒼白の那月を見て、ニーナは声を上げた。

 那月は控えめに見ても、体内の魔力はほとんど残っていない状態だ。今だって<守護者>を現界できないほどに弱り切っている。

 魔力の過剰行使で空間制御もままならぬほどに消耗しているのだ。魔力もだが体力も限界だ。ただでさえ成長しない幼い身体で、心臓を再生させるという荒行は無茶が過ぎるのに、瀕死の身体に鞭打って更に無茶を重ねようとしているのだ。

 立っているのが不思議に見える顔色のまま、酷使した体より精気を絞り出す。

 

「私は―――」

 

 言葉と共に喀血を吐いて、ドレスの胸元を紅く、しとどに濡らす。

 もはや隠しようのない、明らかな異常。完全に再生し切っていない心筋に無理が祟っていることを示す血液量だ。

 だが、この魔女は都合がいいとばかりにこの魔女(おのれ)の純血を“贄”にする。

 

 

「私はっ、もう二度と奪われる気はない! そして、コイツを隷奴とする権限など何人にも握らせるものか!」

 

 

 血だまりが、蒸発する。

 叫びに呼応するかのように湧いて出てきた細かな光の粒子。黄金の鎖が、螺旋状に渦巻く緋色の輝きに包まれる。

 内側に複雑な魔法陣を刻んだ、光り輝く無数の粒子―――その輝きが水を吸うように鎖を染め上げて、先程阻まれた冥駕の領域を打ち破る。

 

「なにっ!?」

 

 咄嗟に黒槍を盾としたが、それごと緋色の鎖は冥駕を吹き飛ばす。

 ありえない。『聖殲』は物理法則も魔術の原則(ルール)からも逸脱した権能(ちから)。<第四真祖>の眷獣でさえも無に帰す『聖殲』を、さらに上書きした変容させるなど、あってはならない―――

 そんなことができるのは、『聖殲』だけなのだ。

 

「何故、<空隙の魔女>が、『聖殲』を……! ―――っ、そうか! 『墓守』と結んだ縁で……!」

 

 本来ならばありえないが、『墓守』である<黒妖犬>と強い契約が結ばれている。不可能な道理を覆すほどの繋がりが可能とした裏技。

 南宮那月までも『聖殲』を振るうなど、冥駕には計算外だった。

 

「だが、それでも限界だ、<空隙の魔女>」

 

 そう、たとえ術式媒体と演算装置の代理を担える『墓守』の援助があったところで、自力で『聖殲』の発動するのは、尋常ではない魔力量を要する。たとえそれが一瞬のことだったとしても、<闇誓書>と同じく龍脈・星辰の力か、真祖級の吸血鬼の魔力量を保有していなければ、起動させるのも無理だ。

 それに重ねて、常人には個人発動自体が無茶な空間制御まで、同時に行おうなど、自殺行為も同然。

 今現在、彼女の左胸に手を当てるニーナが<錬核>を介して、活動を補助していようが、そうでもなければ呼吸すらも危うい。

 

 しかし、風前の灯火のような延命であっても、絃神冥駕が黒槍を向けるのは、他の誰でもなく南宮那月。

 瀕死であろうが油断なく、完膚なきまでに抹殺せんとする。それが、かつて己を監獄に封殺した魔女へ降す評価だった。

 

「これ以上余計な干渉をさせぬためにも最大の難敵であるあなたをここで排除する!」

 

 霊力と魔力の双方を無力化できる『零式突撃降魔双槍』が、魔力を禁止する。魔女の力の根源たる魔力を消滅されては、鳥から翼を奪うも同然。

 そして、同じく、助けに入ろうとした古城も<第四真祖>の無限の魔力を発揮できない。

 

「しかし、『零式突撃降魔双槍』が、一度に消滅させられるのは、どちらか片方だけ。同時に対処はできない、という欠点がある。だから、“廃棄兵器”なんだってことを製作者のあんたが忘れちゃいないだろう?」

 

 指摘しながら、薙刀を振り抜く縁堂。

 刃先に薄く研いだ鋭い霊力を宿らせ、『僵屍鬼』の骸を滅さんとする。魔力を禁じている今、封じることのできない霊力による攻撃に対し、冥駕は無防備だ。

 

「甘い。『聖殲』の世界変容の力と変容すれば、『零式突撃降魔双槍』の欠陥は補える。あなた方が付け入る隙などありはしない!」

 

 深紅の障壁が、師家渾身の一撃を防ぐ。

 そして、反射した深紅の閃光に薙刀の刀身に罅が入り、鋭利な先端が欠けた。

 さらに、次の瞬間、深紅の障壁はばらけて光の粒子に戻してから新たな形態に変ずる。弾丸ほどの大きさの正八面体――魔術的に風の属性を持つ塊が、十数発。

 直後、その光り輝く塊が音もなく一斉に射出。

 飛来する深紅の弾丸はそれぞれが物理法則を無視した不自然なカーブを描いて、回避する逃げ場なく、四方から襲い掛かる。

 空間制御もできない那月に、これは回避不能。そして、幻体ではない生の肉体である状態で、一発でも人体を塩の柱へ変えてしまう『聖殲』をもらえば、終わり―――

 

 

「『―――<雪霞狼>!』

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 え……?

 姫柊雪菜は、その光景に、一瞬魂消たように呆けてしまった。

 あの時、雪菜は周囲の制止を振り切って、戦える力を、この苦難を切り開く力を求め、師家に弾き飛ばされた銀色の槍を求めた。世界を変容する『聖殲』の力にもきっと、『神格振動波』の輝きは相殺できると信じて。だが、手を伸ばし飛びつこうとした雪菜よりも早く、拾われていた。

 

 絃神冥駕より撃ち放たれた深紅の弾丸の全てを斬り落としたのは、横から割って入った、目を瞑る少年。

 そして彼が振り抜いた――ありえざる――眩い銀光の一閃だった。

 

「クロウ、君……?」

 

 ありとあらゆる結界を切り裂く破魔の槍をその手に取り振るうのは、選ばれた剣巫・姫柊雪菜ではなかった。

 そして、“南宮クロウ”でもなかった。

 

「まさか……」

 

 驚きと混乱で言葉ができない。この場にいる誰もが絶句して見つめている最中、構えた銀色の槍を、バトンのように鮮やかに旋回させる―――その様に、“誰か”が重なって見えたのは雪菜だけではなかった。

 そうだ。

 複雑な軌道を描きながら、高速で飛翔する正八面体の塊をギリギリまで引き付けて、<雪霞狼>で撃ち落とすなんて芸当、神業とでもいうべき超絶技巧は、有り余る力に武器の扱いが大雑把とならざるを得ないクロウではありえない。

 だから、今の彼の身体を動かしているのは、“南宮クロウ”ではない。

 これを悟り、誰よりも真っ先に、荒々しい哄笑を挙げたのは、復讐以外の感情が死に絶えていた不死者の青年だった。

 

「ハハッ……ハハハハハハハハッ! そうか、もうすでに“器”の中にいたとは、()()

 

 冥駕に名前を呼ばれた“彼女”は、これまで閉じていた眼を薄らと開ける。

 その眼に、血濡れた赤色は消えている。

 半眼になった双眸は焦点を結ばないまま、不思議な色を湛えている。

 

 <神憑り>を知る雪菜にはわかる。

 剣士の如き凄みと巫女のような神聖さが同居した立ち姿は、彼自身のものではないのは明白。今、クロウは、憑かれている。『十二番目』の人格が表に出た暁凪沙のように、ガラリと雰囲気が別人のものに切り替わっている。

 

「は? 何を言って……? 一体クロウに何が起こっているんだ……!?」

 

「……先輩、今のクロウ君はクロウ君ではありません」

 

 この中で最も事態に追いつけない古城が戸惑いの声をあげ、雪菜がなるべく落ち着いた口調で、わかる事実(こと)だけを簡潔に述べる。

 

「『―――はい、姫柊雪菜の言う通り、彼の身体を借りております』」

 

 クロウの声で、クロウの声音ではないそれが、雪菜の推測を肯定した。

 そうして、焦点が不安定だった瞳はやがて、受信チャンネルが合うと、細波はぴたりと定まる。

 一点の曇りなく澄んだ瞳。ただしその目の色が、陽光のような金色から変わっていた。遥か彼方の天の蒼穹を映す、蒼色の眼に。

 この場の霊脈がより高次なものへと移り変わり、辺りに光の粒が舞い、馥郁たる香りが漂い始めた。

 あの存在を評する言葉は、“神々しい”と言う他ない。

 

 

 元々、“そのように”造られていた。

 かつて、創造主たる<血途の魔女>は、『霊血』を制御するために人格を入力する<錬核>のように“情報”を保存する入れ物となるように仕上げていた。

 形無き“情報”を取り込める<過適応能力>の受信感度。

 獣王の頑丈極まる筋骨があれば、大抵のことは力業で抑え込める頑丈な器。

 素質は、あったのだ。

 それから、『神縄湖』にて、<第四真祖>、『十二番目』の魂を宿らせる暁凪沙の経験値を得ており、そして、影の中を占領していた<血途の魔女>がいなくなった。

 <雪霞狼>から憑依させてから、このスロットの空きに偶然にも入り込んでしまった人格(プログラム)

 拡散されていたその意志を――魂を、集束させる特異な体質、いや、“そうであれ”と製造された肉体は、現世を離れた者の魂を呼び戻す口寄せにも等しい所業を人知れずに為していた。

 

 

 南宮クロウの全身が、青白い輝きに染まる。<雪霞狼>の表面に浮き上がるのと同じ、複雑な魔術紋様が虚空に描き出される。そして、あたかも翼のような姿となり、背中から拡張されていく。

 

「冬、佳―――?」

 

 後光の如き輝きを放っている膨大な霊力は、古城や冥駕、負の属性を持つ者の肌をジリジリと焼く。高密度の神気によるダメージだ。

 当てられるだけでダメージを負う高密度の神気が、槍の穂先一極に絞り込まれていく。表面で弾ける雷光を見てもそこに尋常でないパワーが秘められていることが見て取れよう。

 それを向けられ、冥駕が笑みを消した。

 そして、青白い光が弾けた―――そうとしか認識・形容できない速度と衝撃で投擲された<雪霞狼>が、絃神冥駕に迫った。

 

「ッッッ―――」

 

 <女教皇>―――と声を発する間もなかったが、深紅の障壁は展開された。

 縁堂縁の薙刀の斬撃を寄せ付けなかった護りは、しかし、一瞬で撒き散らされた。その余波で、周囲を囲う炎の檻さえ吹き消すほど。『僵屍鬼』の身体を蒸発しかねかったが、『聖殲』を食い破るのに威力が減退していた。

 しかし、間断なく放たれた追撃の二の矢が、冥駕を貫いた。

 

「かっ……!?」

 

 それは閃光が、得物を模したように長槍の形をしたもの。

 霊弓術、などとは次元が違う。そうこれはかつて古城が相対した、<模造天使>と化した叶瀬夏音が使ってきた光の剣と同種のものだ。

 左肩に突き立った光は、苛烈な衝撃と炎を伴って、視界を真っ白に染める。貫かれたまま冥駕の肉体は吹き飛ばされ、向こうの瓦礫の壁に縫い止められた。

 全身が焼き付けられたように、白い蒸気を噴き上げている冥駕を、冷徹に見据える冬佳(クロウ)。『神格振動波駆動術式(DOE)』が内蔵された武神具を手放しても、依然として神々しい気配を維持している。

 

「ククッ」

 

 冥駕は、笑っていた。

 光の槍に貫かれ、その黄金に輝く神気が、“負”の属性を帯びる骸の肉体を、酸のように蝕み続け、ゆっくりと消滅させられているというのに、この事態を心底から歓迎する、狂った笑みを絶やさずにいる。

 

「ああ、“器”とそんなにも馴染んでいるみたいで、嬉しいよ冬佳。あとは定着させるだけだ。『聖殲』の力ならば、完全に“器”を君のものとすることができる!」

 

 冥駕が右手に持つ黒槍をかざす。その穂先より滲み出てくるのは、霊力を無効化する<冥餓狼>の闇色の薄膜(オーロラ)だ。これが、神気で象られた光の槍を呑み込み、消滅させる。

 神の御使いを堕天させるだけの力を備えた『零式突撃降魔双槍』。その真価を発揮すべきは、この瞬間だ。

 

 一年前、絃神島で起こった<焔光の宴>で、選帝者のひとりだった武器商バルタザール=ザハリアスが<第四真祖>の力を我がものにせんと目論んだ、妹の死骸を利用した魂魄捕獲の術式。

 『原初』に気付かれ、失敗に終わってしまったが、しかしそれは不可能な理論ではない。たとえそれが肉体の軛を捨て、この世から解脱したモノであっても、“器”に留めることはできるのだ。

 

「さあ、冬佳! 私の元に戻ってきてくれ!」

 

 世界変容の禁呪を振るわんと、冥駕は<角笛杯>を起動させた。

 

 

「『……私はそのようなことは望みません、冥駕』」

 

 

 深紅の光は、起こらなかった。

 何も、変わらない。<女教皇>の“情報”を入力された『仮面』で管理制御権を得ている冥駕は、『墓守』に、『聖殲』の演算代理、『棺桶』の機能代用、『祭壇』の供給代行を行わせようと命じた。

 だが、不発。

 今の天使化した藤阪冬佳が憑依している南宮クロウの肉体は、この世の外に置かれている。

 

「『余剰次元薄膜(DEM)』……だと!?」

 

 その身に纏う蜃気楼の如き光輝は、別次元にある天使の領域。この世のあらゆる干渉から隔絶された高みは、<角笛杯>の強制命令(コード)を遥か彼方に遠ざける圏外にある。

 

「どうして拒む、冬佳ッ……!」

 

 冥駕が制御鍵たる犬笛を握り締めるが、あの絶対的な権能が呼応することはない。

 

「『この身体は、彼のものです。私のものではない。そう、私はあってはならないのです』」

「ふざけるな冬佳! あってはならないなど……たとえそれが君であろうと―――そんなこと認められるかッ!」

 

 冥駕の瞳に暗い光が宿る。“温もり”を与えてくれた彼女の声さえも届かないとなれば、もはや彼の凶行は止めるには、討つしかない。

 

「『獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る―――』」

 

 祝詞を奏上するや、冬佳(クロウ)の手元に、初手に投じた銀色の槍が収まった。獅子王機関の秘奥兵器に展開される魔法陣も翼を広げるように拡張されている。

 あれこそ真祖殺しだ。これに穿たれれば、真祖であろうと死滅することが、古城は本能的に理解できた。

 

「『破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!』」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「必ず冬佳を私の元に取り戻す! その為ならばこの世界のすべてを犠牲にしても構わない!」

 

 冥駕は槍の神威に焼き焦がされた左腕を突き出すや、光の粒子に包まれる。

 『墓守』を介さない、自力での『聖殲』の発動だ。冥駕は『聖殲』の知識、咎神の叡智を記憶している。そして、不足する魔力を自らの腕を生贄に捧げることで補い、『聖殲』の力を喚び出した。

 先程のとは格段に劣る規模であるが、深紅の粒子は集いて盾に。

 それを前にして、先代の担い手は豪快に、それでいて華麗に旋回して体を捻り込んで勢いをつけ―――降魔の光を湛えた槍を横一文字に切った。

 

 ―――一閃。

 ただ一振りで大気に亀裂に走らせるほどの一撃に、矛盾の均衡はそう長くは続かず、盾の障壁が引き裂かれて霧散した。

 そして、<雪霞狼>より迸った神気を冥駕は浴びて―――姿を、消した。

 冥駕が自身の痩身に縫い付けていた呪符より、空間転移の術式を発動させた緊急避難。

 腕一本を犠牲にした障害に阻まれて、仕留めきることが叶わなかった。

 

「冬佳、でいいのかい?」

 

「『……はい、師家様』」

 

 残心をとる冬佳(クロウ)へ確認を取ったのは、縁堂。

 『高神の社』で多くの攻魔師を育ててきた師家の目から見ても、槍を振るう様はかつての教え子に重なっていた。

 

「なあ、クロウは無事なのか?」

 

 次に問いかけたのは、古城。

 事情の理解度は最も低く、藤阪冬佳なる女性についてもよく知らない。だからこそ、古城は真っ先に自らの後輩を心配した。

 冬佳(クロウ)は、そっと胸に手を当てて応える。

 

「『はい、この子は無事です。私が表に出ている限り、冥駕は彼に干渉をすることはできません』」

 

「そうか。よくわからねーけど、クロウのことを守ってくれたんだな」

 

「『いいえ』」

 

 古城の言葉を、ゆっくりと首を振って否定する冬佳(クロウ)

 

「『『聖殲』に囚われぬためとはいえ、無理をさせていることには変わりありません。それでもなお、この肉体に取り憑いているのは、我儘な未練です』

 

 再び、依代の少年の背中より、神気で形成された透明な翼が展開される。

 

「『冥駕を止めたい。それが監視役として果たせなかった私の任で、彼を狂わせてしまった私の責。―――それを全うするために、今しばらく彼と槍をお借りします』」

 

 待て、と制止する間もなかった。

 旋風を巻き起こすように閃光が迸り、その目が眩んだ一瞬で、目の前から姿を消した。神秘的な霊気の残滓をおいて、飛び立ってしまった。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「他所にリードを奪られ易い性質でもあるのか、あの馬鹿犬は」

 

 淡々と、そう言葉を零すのは那月。

 古城にはわかる。これは、オブラートに包んだ控えめな表現をすると、機嫌が悪い(ブチ切れている)

 

「つくづく面倒な女に纏わりつかれる。これは貴様の影響か、古城?」

 

「いやなんでだよ!? いきなり俺のせいにするとか理不尽にもほどがあんぞ、那月ちゃん!」

 

「担任教師をちゃん付けで呼ぶな―――っ」

 

 体罰に厳しいご時世であろうと生徒を容赦なく引っ叩くのが傲岸不遜な魔女教師流。空間制御の衝撃波が来るかと、首をすっこめて身構えた古城だったが、何もない。

 扇子を振るう気力さえないのか、那月は膝をついて立ち上がれずにいた。

 

「古城よ、あまり那月を刺激してやるな。もう、本当に限界なのだ」

 

 ニーナの言に、忌々しい舌打ちが返ってきたが、反論は出なかった。

 無理が来ていることなど隠しようなどない。人形のように整った顔からは完全に血の気が失せている。体温も冷え切り、脈も微弱。呼吸も酷く浅かった。そして、半眼にまで落ちている双眸は焦点を結べずに、意思の光が少しずつ消えかけていた。

 

 “眠り”の戒め。

 時空を揺るがすほどの力と引き換えに、<監獄結界>と契約をした番人の責を負わされている。

 もう生身での現界は時間切れであって、これ以上の留守は許されない。強制的に夢幻の牢獄を維持するための要石(せき)へと誘わんと、背後の空間が揺らいでいる。意識が落ちた途端、彼女の身柄は引きずり込まれるだろう。

 

「那月ちゃん、もう無理をしちゃだめだ。心配なのはわかるけど、どこにいるのかわからない以上、今は休むべきだろ」

 

 取り憑かれた後輩のことは、古城も心配だ。

 でも、どうしても助けたいと思っても手掛かりも何もなく闇雲に動いては無駄に浪費するだけだ。だから、ここは自分の無力さを恥じながらも、力を温存するのが最善の策のはず―――と同情する教え子の顔は、那月にはいたく自尊心を傷つけられるものであった。

 おかげで、堕ちかけた意識が少し持ち直される。

 

「誰に向かって言っている? 私は馬鹿犬のことなど心配していない。それに私には奴らの出所くらい既に予測できている」

 

「いや、そんな見栄を張んなくても―――」

 

「見栄ではない!」那月は珍しくも鼻息を荒げに吐く。「人工島東地区の『大規模食糧備蓄庫(グレートパイル)』だ。海底に沈められた芸能人気取りの小娘を拾ったら、そこへ着くようアスタルテに言ってある」

 

「芸人気取りの小娘って、浅葱のことか? いや、テレビに出てんのはCGで作られた偽物で……―――って、そうか! そこで浅葱に調べてもらえば!」

 

 浅葱の情報収集能力さえあれば、すぐに行方が判明できるはず。

 けれど、那月は素っ気なく首を振る。

 

「違う。絃神冥駕は、今度こそ『聖殲』をものにするべく、代用品(バックアップ)ではない本体を狙うはずだ。浅葱が乗り込んでいる<咎神の棺桶(カインズ・コフィン)>をな」

 

 そして、藤阪冬佳(クロウ)は、絃神冥駕を追っている。

 

「……事が終わるまで海底に沈めておきたかったが、手っ取り早く邪魔な結界を破るのに、『棺桶』をアスタルテに殴らせたからな。潜水艇の機関部に支障があった場合のことを考えると、魔獣の腹の中に放置しておくわけにもいくまい」

 

「鬼か、あんた……!? それしかなかったんだろうけど容赦ないな怖ェよ!」

 

 ざっくりと話に聞くと恐ろしさに戦慄を覚える古城である。けれど説明がされれば理にかなっている方法で、それに教え子の安全を確保するように心配っていることがわかる。

 

「っ……ここまでの、ようだな」

 

 不機嫌そうに唇を曲げたまま、その瞳がついに閉ざされた。

 

「急、げ。……浅葱を、狙って、いるのは、絃神冥駕だけではない―――」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 眠りに落ちた契約者の身柄を、虚空が呑み込む。

 あるべき場所へと送られたのだ。ここから現実世界で動くための分身を創り出すにしても時間がかかる。それに時空を歪めかねない<守護者>の封印を修復しなければならない。おそらく、この先の戦いには間に合わないだろう。

 

 那月が消えていった場所を見つめながら、古城はしばらく無言で固まっていた。それはこれからの戦争を引き継ぐのに、偉大なる魔女にして先生の覚悟を少しでも多く背負うのに要した時間。

 そんな古城の耳に聞こえてきたのは、時代劇口調の騒々しい声だ。

 

「彼氏殿! 息災で御座ったか!」

 

 障害となる瓦礫を跳んで躱しながら近づいてくるのは、赤い有脚戦車(ロボットタンク)。甲羅のようなコクピットハッチを開いて、操縦席から出てきたのはやけに立派な制服を着た小学生の女子。特徴的な赤い髪に、愛らしいペレー帽をかぶっている。

 リディアーヌ=ディディエだ。

 浅葱のバイト先の同僚で、凄腕のハッカーにして戦車乗り。

 今搭乗している機体は、いつもの機体とシルエットは同じであるが、微妙に細分デザインが違っている。

 

「予備の戦車が届いたんだな」

 

「<膝丸弐號>にて候。近接戦闘に備えて装備されたドリルこそが、この機体の誉れでござる」

 

 戦車の前脚に取り付けられたドリルを指し示して、リディアーヌは自慢げに胸を張る。果たして実戦においてどれだけの活躍が期待できるかについては、古城は発言を控えることにした。

 

「そ、そうか。俺は格好良いと思うぞ、俺はな……って、それよりもちょうどよかったリディアーヌ。悪いが、今すぐに東地区の倉庫街へ連れてってくれ。そこに浅葱がいるはずなんだ」

 

「なんと、女帝殿が! おお、すでに救出されてござったか。流石ですな、彼氏殿」

 

「いや、俺が助けたわけじゃないぞ。それに、これからヤバい奴らに狙われる」

 

 だから、急いで向かいたい。

 その古城の頼みに、リディアーヌは胸を叩いて頷いた。

 

「お任せあれ。この<膝丸弐號>が暴れん坊将軍な彼氏殿の白馬役を務めさせていただくでござる」

 

「なんかもう色々と突っ込んでやりたいが、今は一分一秒が惜しい。よろしく頼む!」

 

 有脚戦車は個人用。小柄なリディアーヌが操縦できるだけのスペースしか中にはない。そこに標準よりも大き目な男子高校生が乗り込むわけにはいかない。ハッチの上にしがみつく形で古城は搭乗する。

 ―――そこへ発射直前に隣へ跳び乗る影。

 

「姫柊!? お前は残ってねーとダメだろ!」

「先輩、私も行きます! 絶対に、先輩の監視役として、お傍を離れませんから!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 結局、二人を乗せた有脚戦車は途中下車(とまる)ことなく走り去っていった。

 それを見送りながら、縁堂縁は溜息を零す。

 

 まあ、いい。

 本当はよくはないが、<第四真祖>が失った血液(ちから)を補充するためにも馬鹿弟子がついていた方がいい。途中で“ご休憩”を挟むにも相手がいなければ成立しない。流石にこればかりは女子小学生(リディアーヌ)には任せられない。

 

「行かせてしまって、良かったのかい?」

 

 やや愉快気な調子混じりに、声をかけてきたのはニーナだった。

 

「本人の決めたことだ。好きにすればいいさ」

 

 萌黄色の瞳を半眼にしながら、縁堂は乱暴に言い放つ。しかし拗ねたような口調とは裏腹に、縁堂の口元に浮かんでいるのは柔らかな微笑だ。

 肩に乗ってきた使い魔の黒猫を、ゴロゴロと喉を指で擦りあやしながら、

 

「先代も今代も監視役が、思い込んだらこうも一直線の娘たちだとは思わなかったよ。<第四真祖>の坊やもだけど、まったく好き勝手な事ばかりやってくれるね。年長者の苦労も知らずにさ」

 

「うむ、それが若い者らの特権だから仕方あるまい。そして、何が起きても責任を取るのが正しい大人の責務である」

 

 もっともらしいことを言うニーナに、ちっ、と憎々しげに舌打ちした。

 

「うちの馬鹿(まな)弟子にもしものことがあったら、死んだほうがましだって目に遭わせてやるよ」

 

「それには妾も同感だ。どこぞの国王のように無責任な真似をして夏音を泣かせたりするものなら、真祖であろうと物言わぬ彫像に変えてやろう」

 

 クッ、と愉快そうに噴き出してしまう。

 保護者組の意見は一致しているようで何より。

 

「できれば、この手段には頼りたくなかったんだけどね……」

 

 祈るように囁きを紡いだ縁堂の手には、『聖殲』の障壁とぶつかって、毀れた薙刀――『雪霞狼』と銘が打たれた古代の武神具。

 古代の宝槍としての核こそは無事であるが、柄にも罅が入っており、得物としては要修理。

 しかし、“素材”としては欠片であっても使える。刃毀れした欠片や柄の部分は、現在の『七式突撃降魔機槍』と同じ素材であったりする。

 そして、つい先ほど、採取したばかりの“コレ”がある。

 あとは、古の錬金術師であるニーナ=アデラートの手を借りられれば造れるだろう。“おまじない”みたいなものであるが、打開策となるやもしれない一手が。

 

「ニーナ=アデラート、ちょいと頼みたいことがある。いいかい?」

 

 縁堂は淡々と要望を伝える。

 話を聞き、縁堂の手持ちの材料を目算したニーナは、それが可能であると首肯を返してくれた。

 

「しかし、良いのか? 使うのが柄の部分や毀れた刃の欠片であるにしても、この武具は、大事な相棒なのだろう?」

 

「構わないよ別に。<空隙の魔女>に、情の篤さで負けたとは思いたくないのでね。パパッと躊躇わずやっちゃっておくれ」

 

 まあ、これでこちらもほぼ戦力外となってしまうが、大して変わらない。ロートルは舞台を降りて、裏方に回ろう。

 今回の一件は、この魔族特区の黒幕である矢瀬顕重や絃神千羅が企てた本来の計画から外れている。先程、絃神冥駕が起動した『聖殲』は、本来の能力の半分も発揮できていないだろう。

 そんな弱体化した『聖殲』にさえも、太刀打ちできなかった。

 もしも『聖殲』が完全な姿で発動すれば、それを阻止できる可能性があるのは、突っ走っていった“馬鹿共”だけだ。

 

「そう、過去の因習を断ち切るのは、いつだって今を生きる者たちだ」

 

「確かに。あいわかった。この妾、ヘルメス=トリスメギストスの末裔にして、大いなる作業(アルス・マグナ)を究めし大錬金術師であるニーナ=アデラートが、情に篤い師の頼みを請け負おう!」

 

「感謝するよ。それで無茶はわかってるけど、急いでおくれ。ここで元愛弟子の巻き添えで使い魔の坊やを昇天なんてさせたら、一生、おっかない魔女に恨まれることになる」

 

 

人工島東地区 大規模食糧備蓄庫

 

 

 先日のテロ騒動と合わせて二度の<第四真祖>の眷獣が振るった災厄の爆心地となったこの倉庫街は、瓦礫等が撤去されただけのほとんど手つかずの荒れ地のままだった。まだ絃神島全体で復興が進んでいる状況でこちらに手を回す余裕が確保されないのだろう。

 しかし、都合は良かった。

 そこまで強力な人払いの結界を張らずとも人は寄り付かず、この潜水艦を丸呑みできるサイズの魔獣が現れてもパニックにはならない。

 

 ―――誘導完了。教官(アスター)より指定された地点(ポイント)に到着しました。

 

 これより、周囲の安全を確認次第、救出した藍羽浅葱の解放を行う。

 搭乗していた潜水艇より降りた人工生命体の少女、アスタルテは薄水色の瞳を大きく見開いて視線を辺りに走らせる。

 未だ復旧せず、再建を後回しにされている土地。人の気配など感じない。けれど、どうしてかすぐに次の行動に移すことはできずに立ち止まってしまう。用心深いにしてもかける時間が長くなってしまうのは、それ以外のことに思考を割いてしまうからだった。

 

(……どうしているでしょうか)

 

 胸のざわつきが大きくなる。

 つい余分なことに、こだわってしまう。

 もう半月以上の時間、顔を合わせていないその姿を求めて、少しばかり時間を費やしてしまう。

 彼が<心なき怪物(ハートレス)>とされてから、聴かされる情報は伝聞しかない。それも心配や不安を煽るばかりのものしかない。

 教官が、“必ず”、連れて帰ると仰った。

 でも。

 アスタルテは、一秒でも早く先輩(クロウ)と対面し、その無事を、自分の目で見て確かめたかった。

 

「……何も、ありません」

 

 わざと口に出して、言った。

 大丈夫。問題ない。そう言い聞かせ、思い込ませる。冷静であるべき場面で、思考回路を乱す不可解な細波(パルス)をどうにかして落ち着かせる。精神活動の更新(マインドリセット)は、この二週間で幾度となく繰り返してきた行為だ。

 “もしも”だなんて思考は打ち止めにして考えないようにする。

 ―――と。

 

『ゴアアアアッ!!』

 

 不意に鳴く<蛇の仔>。甲羅からニュッと伸びる首の動きに釣られ、人工生命体の視線が空き地から虚空へ吸い寄せられた。

 

「………?」

 

 アスタルテの瞳孔が、微かに収縮した。

 遥か彼方より、接近している気配。教官、ではない。空間転移は、移動する気配など察知させない。それに、肌に刺さるこの魔力反応は異様。

 

「………」

 

 無表情に、アスタルテは自分の胸元を掴んだ。

 感情に疎い人工生命体にもわかるほどに、強烈な視線が睨めつけている。だが、それはアスタルテに、ではない。目標としてるのは、彼女を突き通してその背後――<咎神の棺桶>を呑み込んでいる巨大な魔獣(タラスク)

 どこから放射されているのかはわからぬが、魔獣が震え上がるほどの威圧の篭った視線。

 

「―――防衛モード。執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先(ロドダクテュロス)>」

 

 アスタルテのほっそりとした背中より広げられる虹色の大翼。膨大な魔力を帯びた翼は、自らの意思を持つように自在に動いて、タラスクを覆い隠してみせた。

 敵影を掴めずとも、警戒は最大レベルにまで引き上げなければ。

 何が相手でも、任された任務を全うしなければ。

 

(先輩が……)

 

 彼が、無事に帰って来られるように。

 

「―――!」

 

 さわり、と何かに触れた手応え。

 自身の守護に一体化するのを省いてまで、限界に()を拡張させた眷獣の感覚が神経系を伝ってアスタルテ自身の脳が覚えた。そして、反射的に向いたその方へ注視した。

 

(糸?)

 

 光を反射して、至極細い何かを人工生命体の視界が捉えたのだ。

 それまで、アスタルテが気づけなかった、極細の糸。それも無数に、こちらを囲っている。

 

 いつから、網の目(ネットワーク)は張り巡らされていたのか?

 

 しかし、人工生命体にそれを考える時間はなかった。

 

 次の瞬間、地中から潜り込んできた、数十の糸が少女の胴体に絡みついたのだ。

 

「っぁ―――!」

 

 ごお、と振り回される。

 風にも千切れそうな細さでありながら、その糸が背に眷獣を展開する人工生命体を吊り上げ、ばかりか巨人にも匹敵する剛力でアスタルテの身体を風車の如く回転させた。

 即座に虹色の翼で振り払いはしたが、空中で振り回された慣性は打ち消せない。

 

「ッくぅ、あっ!」

 

 アスタルテの身体が、港向こうの海面へ墜落する。

 

 

「―――見つけた」

 

 

 それは、糸を撚り合わせるように形作られた。

 

「見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた! ―――そこにいたか、<電子の女帝>よ!」

 

 何本も何本も、この区画に散らばる瓦礫のあちこちから、撚り合わされた糸が這い出てくる。自ら動く糸というだけで十分怪異現象で、糸の動きは更なる結果をもたらす。

 それらはゆっくりと持ち上がり、緊密に絡まり合って、撚り糸細工の如くあるカタチを成したのだ。

 少女、だった。

 艶やかな黒髪を持った美しい少女だ。

 極細の糸として絃神島中に散らばらせてしまえば、この魔族特区に敷かれるセンサーとて掻い潜ってしまう。そして、絃神全土に張り巡らした覚知網は、目当てのものを見つけ出したのだ。

 

「魔獣の腸に隠れようが、私は必ず解き放つ。『咎神』の力を振るう者共に、地獄の苦しみを与える呪いを! さあ、その『箱庭』を明け渡せ、忌まわしき咎神の巫女よ!」

 

『ゴアアアァァアアアア―――ッッッ!!!!』

 

 倉庫街に咆哮轟かす<蛇の仔>。

 『棺桶』を呑み込んでいるのはただの隠れ蓑ではない。“世界最強”と称された魔獣の遺伝子から創り出された人工魔獣。その存在は、吸血鬼の眷獣クラスの脅威だ。

 何も武器を持たぬ少女一人、息を吐くだけでも簡単に蹴散らせよう。

 それが見かけ通りなのであれば、だが。

 

『ゴア―――ッ!!?』

 

 激しく回転しながら突撃した魔獣は、止められた。

 甲羅に沿えられた細腕一本に。

 

 新しく得た生身(からだ)は、際限なく力を吸収できる捕食型人工生命体。それが、『聖域条約』の協定に違反する機甲服(パワードスーツ)――<犬頭式機鎧(レプロブス)>を取り込み、植え付けられた『獣王』の細胞を“捕食”していた。

 個人(いっき)で有脚戦車を阻止し得る力を、数十人分(いくつ)も収集している。

 この少女の身に圧縮された情報量の密度。その純粋な馬力でさえ、巨大な魔獣をも凌駕していた。

 

「ククッ……! これは、『蛇』の因子を継ぐ生体兵器!」

 

 魔獣を力で抑え込んだまま、無数の糸を甲殻に突き刺していく。そして、その内部にまで触覚を伸ばした少女の顔が喜悦に歪む。

 

「さあ、傅け! 『箱庭』ごと汝もまた、我が血の呪いに染めやろう!」

 

 『獣王』に続き、『蛇』をも我が物に。

 巨大な魔獣を呑み込んでいく、闇色の侵食。<蛇の仔>はもがくも、抵抗できず。

 

 

「―――させません。<薔薇の指先>」

 

 

 虹色に輝く巨大な腕。

 海中から飛び出てきた眷獣の強襲。

 海面に墜落する間際に、眷獣は宿主であるアスタルテを体内に取り込んでいた。虹色に輝く完全な人型の眷獣の形態へと成った<薔薇の指先>が、復讐者の少女へ腕を叩きつけようとする。

 標的が、少女の見た目であろうが容赦なしの一撃。

 

「邪魔をするな、人形」

 

 突き付けた指先より迸る紅い粒子が、火の粉に変わる。

 そして、火の粉は瞬く間に荒々しく猛る炎へと燃え上がった。

 

「っ!?」

 

 巨人の眷獣が、焼かれる。

 アスタルテがその身に寄生させている眷獣<薔薇の指先>には、物理攻撃は通用しない。魔術を反射する能力をも保有している。

 業火程度でダメージを負うことはないのだ。

 だが、これは、『聖殲』の力を練り込ませた<発火能力(パイロキネシス)>、この世の一切の法則を無視する復讐者の業焔。

 

 

「これは妾の憎悪を示す怨嗟の炎! この世の全てを焼き尽くすまでは治まりはしない!」

 

 

 

つづく

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