ミックス・ブラッド   作:夜草

9 / 91
戦王の使者Ⅳ

洋上の墓場

 

 

 すべてが、整った。

 

 150人を超えるハッカーの中で解析できたのは8人いたが、一切の矛盾のない正解を導き出した<電子の女帝>アイバ=アサギのみ。

 それも数多のハッカーが頭を悩ませた難問を『つまらないパズル』と称して、3時間足らずで解析し終えた。

 

 無論、人材だけではなく、設備も最上のものを用意した。

 『スーヴェレーン(ナイン)

 我々の理念に賛同してくれた篤志家であり、“この船の主”によって、アウストラシア軍に納入予定のものを横流ししてもらったスーパーコンピューター。絃神島の管理公社にあるものの同型機(シリーズ)の、最新機種。

 

 『スーヴェレーンⅨ』を暗号破り《パスワードクラック》の実力をもった<電子の女帝>が操り、石板解読をすれば全54枚中残り53枚の<ナラクヴェーラ>の制御コマンドを解析できるだろう。

 

 それも最初の試験課題で出した『始まりの言葉』――起動コマンドのみしかわからない以上、神々の兵器は無秩序に絃神島に破壊をもたらすことになり、それを制御させるためには、残りすべてを解読する必要があるという状況、アイバ=アサギもそれをよく理解している。

 彼女は街を守るために、テロリストに手を貸さなければならない、と。

 

『私をただ働きさせると後で高くつくわよ』

 

 仲間のために一人犠牲となり、なお気丈な態度を貫ける彼女ならば、<ナラクヴェーラ>の完全なる制御もそう時間はかかるまい。

 

 そして、ここには船の主さえ知らぬ―――今、暴れているであろう一機とは別にもう五機の<ナラクヴェーラ>がある。

 

 戦争というのは個々の兵器の性能ではなく、総合的な戦力で決まる。

 そう、神殺しの力を持った獣王に誰もついていけず、動死体となっても追いつけず、我々の革命(テロ)は敗北したのだ。だから、最強の軍を求めた。

 第一真祖の力は確かに脅威だが、広大な『戦王領域』全土をひとりで守護するのは不可能だ。そこを神々の兵器の軍勢が蹂躙すれば、『夜の帝国』は確実に破滅させられる。三真祖の一角を崩せれば、聖域条約は維持できなくなり、戦略的に黒死皇派は勝利となる。

 

 ……ただひとつ。

 組織としては余分な、けれど個人としては必須な存在である<黒妖犬>を連れ出せなかったことだが、それもあの島が沈んでしまえばこちらに来るしかあるまい

 

 すべてが終わった後で改めて勧誘するとしよう。

 

 

ヘリポート付近

 

 

「―――ここで降ります」

「あいよ。780円」

 

 

 狼煙のように蒸気を噴いているワゴン車。

 至る所が荒れ果てた路面。

 明らかに事故現場模様にやってきたタクシーから降りてきたのは、血腥い匂いをぷんぷんと漂わせて、怪しげな楽器ケースを担いでいる男女二人組。

 

「―――! 凪沙、姫柊――「雪菜っ! 無事!」――押すな煌坂! っ!! クロウ!? 矢瀬も!?」

 

 争うように、やってきたのは、暁古城と煌坂紗矢華。

 保健室で倒れているところを応急処置をしたアスタルテから姫柊雪菜、暁凪沙、藍羽浅葱が黒死皇派にさらわれたことを知った二人は、すぐに爆発音響く激しい戦闘地帯へと急行した。

 そして紗矢華は古城にタクシーの支払いを任せて雪菜の下へ駆け寄り、抱きしめる。それに遅れてやってきた古城に、雪菜は苦笑しながら、けれど生真面目そうな口調で叱責する。

 

「先輩、紗矢華さん……なんでまた、こんな危ない場所に顔を突っ込んで。先輩は自分が危険人物だという自覚があるんですか。紗矢華さんも一緒にいて何やってたんですか」

 

「ゆ、雪菜たちが誘拐されたっていうから、心配で……」

 

「ああ、保健室でアスタルテから姫柊たちが誘拐されて人質に……」

 

 古城と雪菜の苦しい言い訳を聞き届けてから、雪菜は沈んだ表情で。

 

「はい。どうやら黒死皇派の狙いは浅葱先輩だったようで」

 

「何? 浅葱が?」

 

「それで、クロウ君のおかげで、私と凪沙ちゃんは助かったんですけど……浅葱先輩は」

 

「そう……」

 

 力が足りなかったばっかりにと悔やむ雪菜に、紗矢華がもう一度抱きしめる。

 とりあえず、まだ意識を失っているが凪沙と雪菜の無事に古城は安堵する。

 

「……騒がしいな、おまえたちは」

 

 その様子に、やれやれと溜息をつく南宮那月。

 それに気づいた古城は少し驚いたように、

 

「那月ちゃん? テロリストの相手をしてたんじゃないのか?」

 

「馬鹿犬の馬鹿騒ぎを聞きつけたのでな。現場のほうは、たまには特区警備隊の連中にも花をもたせてやっているところだ。突入部隊が黒死皇派の生き残りどもを圧倒しているみたいだし。まあ、これで終わりではないようだがな」

 

 その推測に、首肯する金髪の美青年。

 

「だろうね。すぐに部隊を撤退させた方がいいと思うヨ。どうせ、あそこにいるのはただの囮サ。追い詰められたら自爆するんじゃないかなァ」

 

「ヴァトラー!?」

 

 古城に気づいて呻くヴァトラーはサングラスをずらしながら、彼にウィンクを送る。

 割って入られたことに那月は不機嫌そうに眉を寄せて。

 

「囮とはどういうことだ<蛇遣い>? あそこに特区警備隊を集めて何の得がある?」

 

「それはもちろん標的が必要だからだよ。新しく手に入れた兵器のテストにはサ」

 

 知らないわけじゃないンだろう? と意味深な笑みを向けられ、那月の表情が凍りつく。

 古城も理解した。

 黒死皇派は神々の兵器<ナラクヴェーラ>を動かすつもりだ。

 

 ゴオオオオオオオオォォォン―――

 

 その時。

 爆撃にも似た轟音が、その場にいた人々の耳をつんざいた。

 遠く――機動隊がテロリストたちを追い詰めている増設人工島(サブフロート)を震源地とし、揺れがここまで届くほど大きく。

 

「お、始まったようだね」

 

 待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべるヴァトラー。

 それを鬱陶しげに睨んで、古城が苛々と地面を蹴る。

 

「おい、何でここにいる? あいつらはおまえを狙ってんだろ。自慢の船はどうした!?」

 

「ああ。実は、<洋上の墓場>は乗っ取られてしまってねェ」

 

 乗っ取られた!? と古城はヴァトラーに疑惑の目を向ける。

 『旧き世代』の中でも貴族であり、“真祖に最も近い”とも言われるヴァトラーならば、あの豪華客船でさえ一瞬で焼き尽くすことができただろう。テロリストに奪われるなど考えられない。

 

 だとすれば、可能性はひとつ。

 ヴァトラーが自ら喜々として黒死皇派に船を譲り渡したのだ。

 

「つまり、ガルドシュたちを絃神島に運んできたのは、お前の船か―――」

 

 治安を守る国家攻魔師に、獅子王機関の二人も――特に、監視役であった紗矢華の目は厳しい。

 

 黒死皇派にとって仇敵であるヴァトラー。しかしだからこそ、その拠点に隠れ潜んでいるなどとは思わないだろう。警備隊もわざわざ他国の外交使節の船まで調べようとはしなかった。

 だが実際は、<洋上の墓場>のおよそ半分は黒死皇派の残党であり、またヴァトラーは貴族であるため、自分の船に乗り込んでいる船員の素性など、いちいち詮索はしない、と。

 

 監視役の紗矢華の柳眉を逆立てた表情に、ヴァトラーはわざとらしく物憂げな表情になって、

 

「何も知らなかった、と言い張るつもりですかアルデアル公」

 

「いやァ、船員は全部船の管理会社に任せてたんだけどね。まさか、ボクの船の船員にテロリストが紛れ込んでいたとは。ホント、驚いたよ」

 

「善意の被害者を装うつもりか」

 

 深々と息を吐く那月。

 雪菜は不快そうに眉を顰めて、

 

「しかし、何故? そんなことをしてアルデアル公に何のメリットが?」

 

「どうせ退屈を紛らわすためだろう。軽薄男が戦闘狂だったということを考慮に入れておくべきだったな。真祖をも倒し得るやもしれぬ神々の兵器なんて、暇を持て余した<蛇遣い>には格好のオモチャだろう」

 

 昔からの付き合いがある那月がそれに応える。

 面目ないね、とヴァトラーは微笑して、

 

「まあ、安心してくれ。<ナラクヴェーラ>は僕が責任を以て破壊する」

 

 と弾んだ声で宣言する。

 これでは那月の言が正しいと何よりも確定づけている。

 

「安心できるかっ。おまえ、最初からあの化け物相手に暴れたかっただけだろ!」

 

 これ以上コイツの思う通りにさせてたまるか!

 

 古城はヴァトラーを睨み、そして言い切った。

 

「<ナラクヴェーラ>はオレが相手をする。お前は引っ込んでろ」

 

「他人の獲物を横取りするのは、礼儀としてどうかと思うな、暁古城。ボクはね、たった今、とってもイイ感じに熟しそうだった果実を食べ損なって、ちょっと気が立ってるんだヨ」

 

 やんわり、とながら、目をぎらつかせて抗議するヴァトラーだが、古城はそれに取り合わず、

 

「それを言うなら、他人の縄張りに入り込んで勝手してるあんたの方が礼儀知らずだろ、ディミトリエ=ヴァトラー」

 

「ふゥむ、そういわれると返す言葉もないな。仕方がない、領主たる君に敬意を表して、ここは大人しくしてようじゃないか」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 意外にも青年貴族があっさりと引き下がったところで、古城たちは考えた。

 今回は、二面作戦となるだろう。

 まず増設人工島で暴れる<ナラクヴェーラ>の鎮圧と、そして、絃神島の沖合約10kmにある<洋上の墓場>に囚われている藍羽浅葱の救出。

 

「那月ちゃん。船まで跳べないか?」

 

「助けに行くのか」

 

「当然だろ。テロリストに浅葱が捕まってるんだぞ!」

 

 噛みつくように詰め寄る古城に、優雅に日傘をさしている那月は不機嫌そうに睨む。いつの間にか仕切っていることに怒っているのか、それとも古城の呼び方が気に食わないのか。しかし現状が切迫しているものだと理解しているからか、文句を言わず彼女はそれに応えてくれた。

 

「厳しいな。空間制御の本質は距離をゼロにするのではなく、移動にかかる時間をゼロにする魔術だ。一瞬で移動できるというだけで、肉体には同じ距離を徒歩で移動したのと同じだけの負担がかかる。跳ぶのは数kmが精々、10kmとなるとギリギリだな」

 

「魔術も万能じゃないってことか……」

 

 古城は苦悶するように低く呻いた。

 

「それに、軽薄男の<洋上の墓場(ふざけた名前の船)>には結界が張られている。それさえなければ、転移できないことはないだろう」

 

 那月のその分析を聞き、雪菜が静かに頷いて、紗矢華から手渡された楽器ケースから銀槍を展開する。

 

「でしたら、私の<雪霞狼>で結界を無力化にすれば」

 

「ああ、裂いてくれるのならこちらは助かるがな。しかし、その船までどうやっていくつもりだ、姫柊雪菜。言っておくが、絃神島の条例で特区警備隊は航空戦力を持ってない」

 

 魔族特区の条例。治安維持するための組織という建前で、実際は反乱対策として航空戦力の所有が認められていない。

 海上にある巨大人工島で一括管理しているからこそ、本島に魔族の密入国等を防げている。だが、絃神市内の魔族と警備隊が手を組んで反乱なんて起こせば、それは政府には脅威となる。

 けれど、それに応えたものがいた。

 

「じゃあ、オレが姫柊を船まで連れて行く」

 

 少し前に、目覚めていたクロウ。

 それに少し皆が驚く視線を集めながら、クロウは言う。

 

「オレなら海を渡れる。浅葱先輩の匂いも忘れてないから、真っ直ぐいけるぞ」

 

 

 

 そうして、古城と紗矢華が<ナラクヴェーラ>の相手をし、雪菜とクロウが浅葱の救出へ向かう。

 二面作戦が決まったところで雪菜が古城を呼ぶ。本来、監視役である彼女が古城から離れるのは不本意であるところではあるも、役割分担であるから仕方がない、と納得はした。が、心配なのは、心配だ。色んな意味で。

 

「黒死皇派はおそらく浅葱先輩に石板の解析をさせていると思われます。彼女から<ナラクヴェーラ>の停止コマンドがつかめるかもしれません」

 

「それで、浅葱が……なるほど」

 

 浅葱が攫われた理由。確かに彼女の情報解析スキルは古城も舌を巻くところだし、そうだとするなら納得だ。

 

「ですから、先ほど決めたとおり、先輩は足止めだけお願いします。無駄に破壊しようとして、被害を拡大するような真似だけはやめてください」

 

「ああ、わかってるって。姫柊こそ、あまり無茶すんじゃねぇぞ。クロウがついてるから、あまり心配してないが」

 

「……私ひとりでは頼りないですか、先輩」

 

 不服そうに雪菜が溜息をもらす。だが、『喉元を過ぎれば熱さ忘れる』の逆パターンで、徐々に気炎を上げる。

 

「ええ、藍羽先輩たちを守れず、ガルドシュに攫われてしまいましたけど、あれは<雪霞狼>を先輩に預けていたからで、そもそも紗矢華さんとあんな―――」

 

「い、いや、姫柊も頼りにしてるぞ! もちろん! でも、姫柊、責任とか感じると無茶するし、それが心配というかだな……」

 

「大体、私からすれば先輩の方が心配です」

 

 そこで、一度、雪菜はコホン、と咳払い。唐突に口調を改めて、単刀直入に問う。

 

「先輩、もしかして2体目の眷獣が必要だと思ってたりしますか?」

 

「2体目?」

 

 思わず、古城はぐっと喉を詰まらせた。

 <獅子の黄金>は雪菜の血を吸うことで古城を主と認めた。

 だが、古城の血にはまだ11体の眷獣が潜在している。しかしそれらを手懐けるにはやはり、血が、それも気位の高い<第四真祖>の格に合う、優れた霊媒の(エサ)が必要だ。

 しかし、それを得るために必要な行為を想像して、古城は声を上擦らせ、

 

「い、いや、思ってない。全然そんなことは考えてなかったぞ!」

 

「そうですか。もし先輩が必要とおっしゃるのならば、仕方なく私のをまた……」

 

 本当か!? と言いかけて、古城は自制した。

 一応、会話の届かない距離に離れているとはいえ、すぐそこに紗矢華がいる。彼女に雪菜への吸血行為がばれてあわや殺されかけたのだ。もし頷けば、<ナラクヴェーラ>より先に古城が獅子王機関の舞威姫に誅罰される。

 どことなく残念そうな雰囲気を醸し出しつつ、雪菜は声を潜めて、

 

「それならいいのですけど。それで、おそらくクロウ君は気づいていると思いますが、先輩、実は、その―――」

 

 

 

 一方。

 雪菜にしばらく先輩と二人で話をさせてほしいとお願いされた紗矢華は、これを機に、準備体操とばかりにストレッチをしているクロウの下にいた。

 

「……はぁ。ホント、じっとしてられないのかしら」

 

「お。なんだ、煌坂」

 

 殺されかけてまだ一日も経っていないのに、この普通の反応。

 それに少し声をかけるか躊躇した自分を馬鹿らしくなった紗矢華は深い溜息をつきながら、

 

「傷、見せてちょうだい」

 

 紗矢華は制服の袖口から何かを取り出した。長さ15cmほどの、目に見えないほど細い金属針。

 

「む。オレ、注射は嫌いだ」

 

「針治療よ。刺すのは同じだけど。子供みたいなこと言ってないで、いいから傷を見せなさい」

 

 と無理やりしようとその手を伸ばしたところで、それを避けて、渋々カソックの前を開けて、見せた。先ほどのガルドシュとの戦闘できた打撃痕と、昨夜に一刀と同時に刻まれた舞威姫の呪を。

 

「あー、もう包帯の巻方からして雑じゃない。いくら獣人の自然治癒任せだからと言ってこれはないわよ」

 

「これ、傷は治ったのに、なんかピリピリが残ってていつもより動き難かったぞ」

 

「そりゃそうよ。舞威姫は暗殺と呪詛の専門。斬ると同時に拘束術式を仕掛けておくくらいのことできてないと師匠(せんせい)から怒られるわ。といってもそれで戦闘できてた方がおかしいんだけど普通は」

 

 この毒のような呪術をもらってしまえば、タフな獣人種だろうと麻痺して指の先まで動けなくなる。しかし、それで尚動けたのだから、つくづくこちらの自信を無くしてしまいそうだ。

 

「神経構造マップはタイプⅠ準拠の人間型(ヒューマンタイプ)と同じ。拘束術式の解呪と同時に、自然治癒力を活性化させる秘孔を突くわ。あまり休めないでしょうけど、その有り余る元気があるなら少しの時間で大丈夫そうね」

 

 治療するその様は、どこか神々しく、美しさすら感じられる。

 人の生と死を操ることを役目とする舞威姫――すなわち、巫女の別称たる舞姫。彼女もまた雪菜と同じように、神々の声を聴き、森羅万象を見る霊能力者なのだろう。

 だから……

 

「煌坂は、大丈夫か?」

 

「何がよ」

 

 手を休めず、言い返す。

 

「オレに、触っても大丈夫なのか?」

 

 その言葉に、紗矢華は少し見開く。

 ああ、なるほど、だから、と自然納得する。

 その『鼻』は『人の感情を覚る』とあの後に雪菜から聞いていたけど、最初から気づいていたのか。

 男に触れられるのは、嫌悪感より―――恐怖が勝っていることを。

 

 優れた霊能力を持った子供は、しばしば実の両親に疎まれて虐待されるケースがある。

 紗矢華の唯一の肉親であった父親も、やはり恒常的に紗矢華に暴力を振るい、そして小学生になる前に死んだ。

 その後、獅子王機関に引き取られたが、幼いころの父親に刻まれた恐怖は、今でも男性恐怖症とトラウマとなって紗矢華の心に深く根付いている。

 だが、そんなことを何も知らない人間から同情されるのは不快で―――しかし、

 

「オレも、魔女(オヤ)に殺されかけた」

 

 クロウに、ほとんどその記憶は残っていない。

 まるで誰かに『その悪夢(きおく)を食われたように』、忘れたつもりはないのに欠けている。

 思い出せるのは、黒い影のような女の人と、首にかかった細い―――

 

 

 

『強い感情が伴わぬ記憶は、水で薄めた酒のようなもの。我に記憶()を捧げた生贄どもの中でも、そなたのそれは複雑に濃厚な情動が入り混じった、実に味わい深い格別な『混血(カクテル)』であったよ』

 

 

 

 やっぱり……思い出せない。

 あの時に言われた言葉、あの時に見せられた表情も、ずっと覚えていくのだろうと、忘れるのは許されないものだろうとは思っていたのに。

 おかげでその悪夢を見ることはなくなったけれど、その代わりに、たったひとりの少女を守れなかった苦いものでこの空しい欠損は埋められている。

 

「覚えてない……でも、泣きたかったのは確かなんだ」

 

 その首輪の下に指を滑らせる。

 はじめは、触れるように、恐る恐る。

 あとは、握りこむように、強く強く。

 

「そう……」

 

 指を入れてできた隙間から、少しその“過去”が紗矢華にも見えた。

 一刀の断ち切られた傷も一晩で塞いでしまったこの子に、永遠と残るであろう絞め痕。記憶を忘れても、その過去は消えない。呪詛を操りし舞威姫が一目で、その呪怨は人の手では解呪できないほど強いものだとわかるのだ。

 

「本当、ここまで自信を無くさせる相手はあなたが初めてよ」

 

「でも、古城君はひどいことしないぞ。姫柊もいやいやじゃなかったし、むしろよろこんでたっぽいぞあれ。だから、煌坂も戸惑ってるようなら―――」

 

「ここまで調子を狂わされたのも初めてよホントっ!」

 

「あうっ」

 

 バンッ、と叩いて、紗矢華はそれ以上の天然の口を黙らせる。

 とにかく、これに男女の機微を相談させるのは激しく地雷だ。それもあの少女への対応を見る限り、そういった情操的なものに疎いから、悪気なく、むしろこちらのためを思って善意で、個人感情を暴露してしまうというある意味、天然極悪仕様だ。

 しかし、それで調子を取り戻した紗矢華は、クロウの目を見て言う。

 

「別に怖いんじゃなくて、苦手なだけ。そもそも、あなたは犬っぽいから全然気にする必要なんて十年早いわよ。それに、雪菜を助けてくれた。だから、私も助けるわ。それから、これから雪菜を任せるんだから、万全にしておかないと不安じゃない」

 

 最後に、その紗矢華が仕掛けた拘束術式を拭き取るように、指を這わせて、

 

「それから、昨日はごめんなさい。色々と」

 

「ふん。謝罪は転入生からもらったからしなくていいぞ。精々、働きで返すんだな、獅子王機関の舞威姫」

 

 治療と解呪が終わったところを見計らっていたのか、現れた那月に、その高慢な言い様にカチンときたり、けれど負い目があってそれが言い出せない複雑な表情を浮かべる紗矢華は、無言で一礼をして、その場を去った。

 

 

 

「……それで、一応聞いておくが、船までどうやっていくつもりだ馬鹿犬」

 

「? もちろん“走って”だぞ」

 

 その発言に、珍しくも同情したような表情を浮かべた那月だった。

 

 

絃神島 近海沖合

 

 

 結界に阻まれようと、優秀な追跡能力を誇る嗅覚の羅針盤は、船の現在地――藍羽浅葱を捉えており、最短距離で直進する。

 

 海岸から海上へと見躍らせ、海面を走る。

 そう、泳ぐのではなく、疾く駆けるように進んでいる。

 

 陽光を反射する体毛が水面を蹴り、銀の飛沫を燦然と散らす。―――が、その爪先は沈まない。銀人狼が蹴る水がまるで大地と変わらぬ強固さで、その疾走を受け止めている。それは魔族ではなく人間の超能が成し得たもの。

 

 <嗅覚過適応>

 その発香側に使った応用で、足元に接した海面に、瞬間瞬間、生命力を流し込み、刹那の間際だけ足場として凍らせているのだ。

 

 これならば、船までそう時間はかからない。

 が、

 

『よし、姫柊、乗れ!』

 

『ええっ―――!?』

 

 銀人狼と化した同級生が四足歩行のため四つん這いで、上に跨ることを要求してきました。

 

 その馬上ならぬ狼上で、片手に銀槍を手に携え、もう片手にその首輪から垂れてる鎖を幉のように手にとる可憐な乙女の姿は、傍から見れば、もののけ姫と称されるくらい颯爽と絵になりそうなものであったが、本人の心境は『こんなの、知ってる人に見られたらものすごく恥ずかしい!』と公開羞恥な目に遭ってる。

 幸い、海岸まで南宮那月に空間制御で跳ばしてもらったため、先輩や紗矢華に見られるようなことはなかったけど、傲岸不遜な魔女が初めて雪菜に同情的な視線を送ってくれたのが印象的であった。

 もっと他に方法はないんですか!? と言うも、

 

『姫柊、オレより遅いし。船よりこっちの方が速い。今は一刻も争う事態なんだろ』

 

 と言われてしまえば承諾するしかない。

 このクラスメイトが力任せに事を解決したがる脳筋思考だということを失念したことを後悔する雪菜だが、職業義務からこの罰ゲームを受けることになった。

 

 だが、雪菜は恥ずかしさのあまりだけに、その背の体毛に顔をうずめるようにしてるのではない。

 

 今、銀人狼と化したクロウの海面を駆ける速さは、競艇の時速80kmをも上回る――地上における最速とされる獣人種、人豹(ワーパンサー)と同等……いや、さらに舞威姫の呪的身体強化の如く気功も用いていて加速していっているので、もしかすると100kmはもう超えてるかもしれない怪物馬力。

 当然、体感速度はそれ以上となっているので、雪菜はもう必死にしがみついているのだ。

 

「さっき煌坂に秘孔をついてもらったからな。おかげで元気いっぱいだぞ。有り余ってて抑えるのが大変なくらいだ」

(紗矢華さん~~っ!! なんてことをしてくれたんですか~~っ!!)

 

 しかしながら、強烈と思われる空気抵抗はさほど感じていない。

 生体障壁を、頭部前方に鏃形に広げて突き出すよう展開して搭乗している雪菜ごと覆っている。硬密度な気の傘によって完全な空力特性を得た銀人狼は、空気抵抗からも解き放たれていた。

 だが、その器用さにますます速度を上げているわけで、もう雪菜は意識と同級生の幉だけは手放さないことだけを考え―――

 

「船が見えた! でも、見張ってる奴らがいるな―――よし、姫柊、耳を塞いでろ」

 

 え?

 目的地に着いたらしい。でも、片手はその首輪の鎖を掴み、もう片手は槍を持ってるので、あいにくその要求に雪菜は応えられそうにないのだが。

 ツッコミがないことを了承したと認識した同級生は、一気に船上真上に高々と跳躍。

 

「ま、待っ―――」

 

 こちらに気づき、銃口を向ける獣人たち。

 しかし、太陽の逆光で照準を合わせることができず、

 そして、空中で銀人狼の身体はすう、と息を吸った。

 

 その膨らみに、龍の如き息吹(ブレス)を思った者もいるだろう。だが、獣の口腔から発せられるのは、それとは別の『力』だ。

 生きとし生けるものを、あまねく畏怖させる『力』。

 大自然を、己が支配領域であると平伏させる『力』。

 

 

「        ――――っっっ!!!!!!」

 

 

 絶大なる咆哮(ロアー)が、絃神島沖合の空気を引き裂いて、船上の見張りに叩きつけられた。

 そして、テロリストたちを怯ませている間に、雪菜たちは無事?に<洋上の墓場>へ侵入成功した。

 が、直撃をもらってなくても、その余波が凄まじい。

 

「っ、あ、っと」

 

「む。大丈夫か。船酔いしたんだろ、姫柊」

 

 違います! と言いたいが、今はその反射を瞬時にできないくらい雪菜の脳が揺さぶられている。けして、船の揺れに酔わされたのではなく。

 

「そういえば、クラスの皆で、姫柊との接触時間に応じて、3秒、5秒、8秒、24秒ルールを設定してるんだが、ここまで来るのに数分かかったから結構な厳罰か? でも緊急事態だし」

 

 できれば許してほしいぞ、とクロウが言い切る前に、

 

「……ええ、“しっかりと”罰を受けてくださいね、クロウ君」

 

 幽鬼のようにゆらりと身体を揺らしながら、怪しげな光を銀槍と双眸から放っているクラスのお姫様の様子に、銀人狼もさすがに恐れ入るものを感じ取って尻尾を丸めてしまう。

 

「な、なんか、怖いぞ、姫柊。ぶるぶる」

 

「な・に・が?」

 

「くぅんくぅーん」

 

 澄んだ永久凍土のような瞳からの一睨みで、綺麗なお座りならぬ正座をするクロウ。

 

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 

 そうして、<洋上の墓場>テロリストたちの根城に突撃した剣巫は、守備兵として残っていた獣人相手に、鬱憤を晴らすかのように無茶苦茶無双した。

 

 

増設人工島

 

 

 各方角に分けられた主要四基の超大型浮体式構造物(ギガフロート)の他に、絃神島の周囲には、その他にも細々とした拡張ユニットが多く点在しており、この絃神島十三号増設人工島(サブフロート)は、廃棄物処理殻(ダストボックス)として建設中の小島(ユニット)

 

 その分厚い鋼板で敷き詰められた半径5kmほど海へ突き出た平坦な大地。

 そこで神々の兵器<ナラクヴェーラ>は暴れていた。

 ここの立ち入りが禁止されていたが、中の特区警備隊はすでに壊滅しており、このゴミの山の中に装甲車の残骸等があちらこちらに散らばっている。ギリギリ脱出はできたようで、負傷者の数も予想したほどではないそうだ。取り残されていた者たちも<空隙の魔女>の空間制御で残らず拾われている。

 

「一領主としてただ見物するわけにはいかないからね。君が気兼ねなく戦えるよう協力してあげよう―――<魔那斯(マナシ)>! <優鉢羅(ウハツラ)>!」

 

 と物見遊山でついてきたヴァトラーは、古城たちの前でその膨大な魔力を解放する。

 <蛇遣い>という異名に相応しく、眷獣は全長数十mにも達する2匹の蛇。

 荒ぶる海のような黒蛇と凍りついた水面のような青い蛇。

 それら二匹を同時に召喚し、さらに空中で絡めさせて―――融合。

 

 これが若い世代の『貴族』でありながら、格上である『長老』をも下したヴァトラーの特殊能力。

 

 荒れ狂う竜巻の化身が如き巨大な龍と化した合体眷獣は、<第四真祖>の眷獣<獅子の黄金>にも匹敵する格を有しており、“真祖に最も近い”という評価が間違いでないことを示している。

 

「どうだい? ボクの眷獣、中々のモノだろう?」

 

 合体眷獣の群青色の龍は、二つの人工島を繋いでいる強靭な連結ワイヤーを駆け巡るようにひとつ残らず破壊。合わせて、生じた暴風が増設人工島を洋上へと押し出した。

 

「増設人工島を、絃神島本島から切り離したのか……!?」

 

 おそらくは暴れたかっただけなのだろうが、それでもこれで市街地から距離ができた。そう、神々の兵器を相手に暁古城の<第四真祖>の力が発揮できる舞台へ―――ヴァトラーの望む展開へ。

 

「<ナラクヴェーラ>が動き出したわ、暁古城!」

 

 

 

 インド神話の『天翔る戦車(ブシユバカ・ラタ)』、道教の『哪吒太子』の原型。

 その『哪吒太子』の話となるが、

 

 曰く、蓮の花の化身で三頭六臂の異形なカラダを持つ人造神。

 曰く、火と風を操る車輪を持ち、自在に空を飛行する。

 曰く、『火を噴く槍』に『円環の投擲物』などと言った複数の武器を持つ。

 

 今、古城たちの前にいるのは、神が造りしモノにしてはあまりに禍々しく、凶悪であった。

 

 分厚い装甲に覆われた六本の脚をもった戦車、とも言い表すべき異容。

 甲殻昆虫が翅を広げるよう緩やかに湾曲した背中を展開し、内に備え付けられた円筒形のスラスターノズルで滞空。

 そして、戦車の主砲の如き頭部から放たれた真紅の閃光は、鋼鉄で覆われた大地を割断し、大爆発をもたらす。

 焦点温度2万度を超える光速の大口径レーザー砲は、まさに、『火を噴く槍』だ。

 

 現代の人間が造る兵器を大きく上回る古代兵器。吸血鬼の眷獣にも匹敵する戦闘力。

 これは黒死皇派の望んだ兵器。市街地へと進軍すれば、そこはこのゴミ山と同じ光景しか残らない。

 

「―――暁古城。消し炭になりたくなければ下がりなさい!」

 

 再び放たれた『火を噴く槍』

 それを浴びれば、不老不死の吸血鬼でさえ骨まで残さず火葬されるだろうそれに、一瞬先の未来を見た獅子王機関の舞威姫が阻む。

 

 <煌華麟>。

 獅子王機関の『第六式重装降魔弓』は空間を裂く。

 どんな超高温でさえ空間の断層を超えることは不可能。その銀剣が薙いだ領域は絶対不可侵の防波堤と化す。

 

 <ナラクヴェーラ>の紅い閃光は、古城の前で透明な障壁に遮られたように遮られ、霧散した。

 

「それが神々の兵器であろうと私の剣舞に斬れない例外は存在しない―――!」

 

 ヴァトラーをも討伐できる実力を備えた―――それはつまり、怪物にも匹敵する力を持っている。

 レーザーを放ち終えて無防備となった古代兵器の足元へと迫ると、ほっそりと少女のものにしては大きすぎる長剣を自在に振るい、舞うように銀の刃でその前脚2本を斬り払った。

 反撃をもらわぬよう、常にレーザー砲の死角に回るよう位置取りをしながら、絶え間ない斬撃を加え続け―――ついに、脚に自重を支えきれぬほどのダメージを与えて、その巨体を地につけさせ。前に傾倒したところで、大口径レーザー砲の頭部を渾身の一振りで一刀両断に斬り落とした。

 だが、これは神々の兵器―――

 

「えっ―――!?」

 

 万物を切り裂くその空間断絶の刃が阻まれた。

 何度繰り返そうが、紗矢華の剣は<ナラクヴェーラ>に届かない。

 見れば、その装甲に淡い輝きを放つ奇怪な紋様が浮かんでいる。

 

「これは、斥力場の結界!?」

 

 <煌華麟>の空間の連結を切り裂くその力は、刃に触れた空間にしか働かない。

 だから、刃を受けずに撥ね飛ばす。

 古代兵器は、斥力場の結界を纏うことで、舞威姫の斬撃を撥ね返せるように―――進化した。

 

「まさか……これが神々の兵器の能力なの……!?」

 

 古代兵器の恐るべき力は、『火を噴く槍』といった複数の兵器による戦闘火力ではなく、障害に応じて、自ら対応する学習能力。

 加えて、

 

「<煌華麟>で切断した個所が修復されてる!? まさか、元素変換!?」

 

 泥の中から花を咲かす蓮の化身の如く。

 廃棄物処理殻に積まれた資源(ゴミ)を自らの一部として取り込んでいき、自己修復する古代兵器。

 再生と学習能力―――倒しても、より強くなって復活する生体兵器。

 

 そして、黒死皇派の切り札は、一機だけではない。

 

「―――煌坂、危ねぇ!?」

 

 戦慄した紗矢華はそれに気づくのが遅れた。

 海上スレスレを滑空して増設人工島へ迫る五つの影―――五機の古代兵器(ナラクヴェーラ)

 

「ふゥん。これがガルドシュの秘策か」

 

 戦いを眺めるヴァトラーは、静かに手を組み、その吊り上がった口元を隠す。

 

 一定の距離を保ちつつ鏃型の陣形を取る統率された動きは、最新型の超電脳演算機で<電子の女帝>がその神々の言語で記された制御コマンドの石版54枚すべてを解析し終えた証左だろう。

 そして、五機のうちの先頭。

 女王蟻のように一回り巨大な胴体、八本脚に三つの頭部砲台と背中に戦輪(チャクラム)を詰め込んだミサイルランチャーの追加兵装―――<ナラクヴェーラ>の兵器群の『女王(マレカ)』だ。

 それが一時とはいえ、古代兵器を無力化した舞威姫へと爆薬を搭載したミサイルに等しきその戦輪を全弾射撃。

 おそらくは都市攻撃用巡航ミサイルと同等かそれ以上の破壊をもたらすその火を噴く円盤群は、一瞬だけしか絶対的な防壁を展開できない<煌華鱗>では防ぎきれず―――

 

「―――叩き落とせ、<獅子の黄金>!」

 

 紗矢華を身を挺して庇いながら、頭上に右腕を掲げた古城(あるじ)の命令により、膨大な魔力の源たる鮮血より現れた雷の獅子。

 飛来する戦輪を災害に等しき眷獣の咆哮と共に放たれた雷霆が悉く迎撃する。ばかりか、修復途中の最初の<ナラクヴェーラ>へと黄金の稲妻を纏わせて突貫させて機体に更なるダメージを与える。

 完全に破壊させることはできなかったが、左右の翅を砕き、全身の装甲を半壊させた。

 

 だが、一応手懐けたとはいえ、この獅子の力は巨大すぎる。暴走とはいえ、東地区を焼き払いかけたほどだ。

 その勢い余って、増設人工島の鋼鉄板の地面に激突。

 中空構造の人工島ではその威力を受け止めきることはできず、大きな地割れを起こして―――付近にいた古城たちもそれに巻き込まれた。

 

「うおおおっ!?」

「バカ―――っ!」

 

 古代兵器と共に古城と紗矢華は、生じた地割れの中へと落ちていった。

 

 

洋上の墓場

 

 

「槍を振り回して船の結界を裂いてくれて、転移できるようになった。うちの生徒を救出し、それと馬鹿犬の幉を取ってくれたことには、礼を言っておこう、姫柊雪菜」

 

 虚空から音もなく出現した那月は、やけに疲労困憊な雪菜とその横で解析に疲れて寝てしまってる浅葱、その前で正座したクロウを見て、大まかに事情を察した。

 

「いえ……これが私の仕事ですから」

 

「ご主人。姫柊、怖かったぞ」

 

「何ですか、クロウ君?」

 

「ごめんなさいごめんなさい。もう二度と人を無茶に巻き込まないのだ!」

 

 どうやら、犬の格付けする習性で、転入生は相当上位に立ったようだ。古城を見ていてそう思ったが、男を調教する才能があるかもしれない。これが馬鹿犬の同級となって学校に通ってくれれば、飼い主として頭痛が減るかもしれないと那月は密かに獅子王機関の剣巫の期待値を上げた。

 

「それで、先輩の方は……どうなって、ますか?」

 

「そんなに気になるのか、暁が」

 

「監視役、ですから」

 

「仕事熱心だな」

 

 眠り続けている浅葱を、歪めた空間に放り込んでから、那月は少し意地悪く、ふふん、と笑い、

 

「あいつは、自滅だ。<第四真祖>の力を受けるには脆い増設人工島で暴れさせたからな、大穴を作って、そこへお前の同僚と一緒に落ちていったよ」

 

「そんな―――!?」

 

 青白吐息のところをさらに雪菜は顔を青褪めさせる。

 それに那月は、その反応を見て、ふん、と鼻を鳴らし、

 

「まあ、あいつらのことだ。死んではないだろう」

 

 廃棄物処理殻として建設された増設人工島は、石油タンカーと同じ構造で、つまりは頑丈な鋼鉄の外郭に覆われた空っぽな箱だ。それもまだ建設途中で中は空っぽ。土砂崩れに押し流されるような形で緩やかに落下した古城たちは、ゴミの海に生き埋めになることもなく、無事でいるだろう。

 とはいえ、自力で脱出はできないだろうから助けが必要だ。

 そう、たとえば新たな力を得るために―――

 

「転入生が無理していくことはないだろう」

 

「何故ですか!? 先輩は<第四真祖>ですが、まだ―――」

 

「だから、言っただろう。“お前の同僚と一緒に落ちていった”とな」

 

 ようやく察した雪菜は沈黙。そして、未だ正座中の同級生がぞわっと鳥肌を立たせる冷気のようなものを放出。

 

 剣巫と同じく、舞威姫も、優れた霊能力者であり、その血は霊媒としてとても優れている。“吸血鬼のエサとしても”。

 

 二人っきりの、閉じ込められた状況。危機的状況で生死の間際という吊り橋効果。

 そして、先輩の習性に、どことなく違和感を覚える元ルームメイトの対応。

 

「……そうですね。緊急事態ですし、怒りませんよ。もしも紗矢華さんの了承を取らず、無理矢理したというなら、監視役として不埒な真似をした吸血鬼に槍を向けることも吝かではありませんけど。先輩のことですから、きっと………ええ、きっと、大丈夫、です」

 

「ご、ご主人!? 姫柊怖い、怖いぞ!」

 

 ついに泣きが入って、こちらに懇願するクロウ。

 馬鹿犬でも女の嫉妬を怖がるくらいの感性はあるらしい。良い傾向だ、と那月は艶然と微笑み、

 

「とりあえず、転入生はここで休んでいろ。槍を振り回して精根尽きてる状態で行っても役に立たん。馬鹿犬に振り回されて大変だったろう? だから、代わりにコイツに責任を取らせよう」

 

 那月が頷く。

 隠しているつもりだったが、気づいてるのだろう。この胸に燻り続けているものに。それを見透かすような目で、正座から片足を立て(こうべ)を垂れる――騎士が主へ忠誠を表すような――体勢をとるクロウを見下し、呼びかける。

 

「クロウ」

 

「……はい」

 

「<神獣化>は許可せん。すれば、暴走をしなくても力の制御ができていないお前は暁古城の二の舞になるのはわかり切ってるからな」

 

 この身を龍や鳳凰、真祖の眷獣と同じ、最上級にまで格を上げる<神獣化>を禁じる。存分に力を振るうには脆い舞台であるが、それでも市街地への進軍を防ぐためにあの増設人工島に留めなければならない。

 それを理解し、戦況の厳しさを肌で感じ取った時だった。

 不意に、身体が黄金に包まれたのだ。

 

「―――う?」

 

「本体の使用は制限がかかっているがね」

 

 実に、面倒そうな声だった。

 銀人狼の手も足も、黄金に輝いている。

 全身を纏った黄金―――<守護者>の一端を纏い、神々しい『騎士』と化していた。

 そして、この“匂い”は―――

 思わず、クロウは顔を上げてしまった。

 

「馬鹿犬とはいえ、魔女の契約を結んだ眷獣(サーヴァント)である以上、私の沽券に関わる。真祖クラスであろうが<蛇遣い>の眷獣(へび)に劣ることは許さん。

 <輪環王(ラインゴルド)>の『鎧』を貸し出してやる、ありがたく思え」

 

 そんなはずがない。主はその力を制限されているが、絃神島の危機であるならばそれが許されるはずだ。主はこちらの都合に、苦しい言い訳を付けているだけだ。

 なんて傲慢で―――なんと寛大な、頭の下がるような言い訳だろう。

 

「お前の手で終わらせてこい」

 

 そして、魔女は自らの眷獣を戦場へと送った。

 

 

増設人工島

 

 

 無人機が一機、<第四真祖>の災害ともいえる破壊に巻き込まれたが、残りの五機で市街地へ進軍しようとしていた古代兵器たちは、最初、その甲冑を纏った少年を敵性対象と判断しにくかったらしい。

 無理もない。

 自分たちに与えられた戦力からすれば、鎧こそ纏っていてもたったひとりの少年など、まともに相手にするにもあたらない。

 だが、だからといって古代兵器たちが手を抜くこともない。

  与えられたプログラムに従い、南宮クロウに向けて砲門を振り向ける。照準も精密に狙い定め、冷たい機械的な意思が『火を噴く槍』のエネルギーを充填する。

 次の瞬間。

 しかし、轟いた衝撃音は―――古代兵器たちのものではなかった。

 

「なに……っ!?」

 

 <ナラクヴェーラ>に搭乗していた獣人種のひとりが改めて、その眼前――コクピットの真上に立つ、黄金の甲冑を纏う銀人狼をみた。

 その主砲を悉く、発射直前の、“刹那に数発同時に叩き込んで”、破壊させた魔女の眷獣を。

 

 『鎧』を纏った体は、いつもの倍近い速度で動いた。

 いわば<守護者>による強化外骨格。ロタリンギアの殲教師の切り札であった<要塞の衣>と同じ理屈だろうか。

 獣人形態に合わせてくれたのか、手甲が爪のカタチになっており、鎧もそう動き妨げるような作りではない。

 

 そして、何より、これには主の力の一端が貸し与えられていた。

 

「たかがひとり。我ら黒死皇派を勝利へ導くこの<ナラクヴェーラ>に」

 

 言い切ることは、できなかった。

 “ただその手でぶん殴って”、古代兵器を破壊した。

 敵の攻撃を分析し、即時対応する学習能力はそれを把握しようとしたが、“まったくわからなかった”。学習が、理解が、全く追いつけない。たちまち数tもの重量を誇る古代兵器の子機がばぎぼごと音を立てて、ガラクタになるまで粉砕されていく。

 

「これは、もしや……」

 

 見物する『貴族』の青年は、それの正体に勘付く。

 なにせ、これの使い手は、ヴァトラーも一目置くほどだからだ。

 そう、許されるのであれば、神々の兵器よりも殺し合いたいくらいの。

 だけれど、魔女は戦う気はないだろうし、青年もそれを捕まえることはできない。

 

 

 <空隙の魔女>が行使する空間制御の魔術は、距離をゼロにするのではなく、『移動にかかる時間をゼロ』にするものだ。

 

 

 たった今。

 四機を次々と片づけたそれは、『相手を殴る時間をゼロ』にしたのだ。

 

 攻撃から着弾までの時間がゼロになる。

 つまり、放つと同時に当たり、一撃目と二撃目が全く同時に来る。二撃目と三撃目も全く同時に来る。

 おそらく、『殴る』ことだけ。その手の届く間合いでしかそれを発揮できないのだろうが。今、彼の間合いは絶対必殺圏域だ。

 

「オマエらみんな、オレの手でブッ壊す!」

 

 『哪吒太子(ナラクヴェーラ)

 それを降したのは、仙人に弟子入りし、神々からの束縛を受ける、有り余る怪力を持った獣王(サル)の大妖怪『斉天大聖』。

 

 神殺したる獣王の“血”を引く魔女の眷獣が放つ、時間を無視した拳打爪突の乱舞。

 一撃で壊れぬのなら三撃。三撃で壊れぬのなら五撃。

 立て続けに同時に重ねていく爪拳の様は、もはや三面六臂の阿修羅の如く。

 相手に攻撃も防御も分析もさせる機会も与えない、絶対的な先の先。

 

「どうだ<蛇遣い>? これが私の眷獣だ。中々のモノだろう?」

 

 それより上の位置に現れた魔女は見下しながら、青年に先の意趣返しを告げる。

 青年はその手で隠す口元で白い牙を剥きながら、

 

「まったく、やってくれたね、<空隙の魔女>。でも、あまり挑発しないでくれよ。今日は古城の見学で済ませるつもりだったのに、我慢ができなくなるじゃないカ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「『夜の帝国』を崩壊し得ると計算していた神々の兵器の軍勢を、単騎で覆したか。実に愉快だ。知略をいくら突き詰めようが、それを、力を以てして制すその有様。やはりその“血”は、我が古き盟友のものに違いない」

 

 後方で静観していた『女王』の<ナラクヴェーラ>。

 それに搭乗するガルドシュは、その黄金の鎧を纏おうとそれがすぐにわかった。

 子機を全滅されようが、この湧き上がる闘争の喜悦、それに獣人の瞳が爛々と輝く。そして、対峙する黄金鎧の銀人狼は激しく体力を消耗したように、肩を大きく上下させていた。

 

「ハァ―――ハァ―――ハァ―――」

 

 『殴る時間をゼロ』にする空間制御。

 だがそれは尋常ではない瞬発力を持った獣人種が全力で殴り続けられたからこそ成し得たもの。果てしない距離を全速力で走り続けたようなものだ。人間でもサンドバックを全力でどれだけ殴り続けられるかを考えてみればいい。

 殴った時間がゼロになろうが、連打を重ねれば重ねたほど、それに消耗した体力と反動の衝撃を受ける拳への負担は凄まじい。その爪形の籠手で守られてなければ、両手の骨は粉々に砕けていただろう。

 

「しかし、戦争はひとりの強者で勝てるものではないのだ」

 

 老将校の言葉は経験という裏付けのあるものだ。

 古代兵器に搭乗していた獣人種は残らず叩き伏せられてブッ飛ばされたようだが、粉々となった古代兵器四機は、自動で自己修復機能を働かせている。衝撃を計算し、より硬度に高めた装甲を造り上げようとしていた。

 

「私の勝ちだ。その魔女の鎧を脱ぎ、首輪を外して、こちらに付くのだ。必ずその力は我々の獣王に認められるだろう」

 

 『女王』の三つの頭部砲台と戦輪の照準が一点に向けられる。

 個人に向けられるにはあまりに過剰な殲滅火力。しかし、これが正当な評価であることをガルドシュは確信している。

 

 しかし、そんな危機的な状況においてなおその眼光は揺らがない。

 

「オレは、ご主人の眷獣だ」

 

 そして、

 

 キィン、と耳障りな高周波が、増設人工島の真下から響き渡り、続いて全体を強烈な振動が震わせる。

 

「オレは、ひとりじゃない」

 

 それに耳を押さえながら、鼻をスンと鳴らすクロウ。

 血の匂いがまた“濃くなった”。

 この多種他臭なゴミ山の空間においても、“濃い血”の匂いを感じられたからその生存を確信してはいたが、今このとき、ますますそれは強まった。

 

 鋼鉄の大地を突き破り、天に伸びる光の柱。

 それは凶暴に荒れ狂う魔力の塊であり、大気を歪ませる振動波の源。

 『貴族』の合体眷獣にも匹敵するエネルギーはやがて陽炎となり、獣のカタチを作り始める。

 緋色に煌めく鬣と、双角を持つ巨大な獣へと―――

 

疾く在れ(きやがれ)、九番目の眷獣、<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>―――!」

 

 

 

「<第四真祖>の眷獣か!」

 

 緋色の双角獣(バイコーン)は、第四真祖と共に地下へ落ちていた子機の<ナラクヴェーラ>―――の残骸をその音叉のような二本の角から共鳴振動して放たれた高周波で天高くに突き上げながら、ガルドシュの『女王』の前に君臨する。

 そして、その宿主たる暁古城と煌坂紗矢華も。

 

「地上に出ることはできたけど……あなたは滅茶苦茶ね」

 

「それは俺じゃなくて眷獣(こいつ)のことだろ」

 

 わざわざ外に出るために大きく割られたそのクレーター。

 新しく手に入れた眷獣で、障害となる瓦礫を吹き飛ばそうとしたのだが、『天井が高くて出られないのなら、低くすればいいんじゃない』とばかりに、周囲を徹底的に破壊して、地盤沈下。雷光の獅子もそうだったが、この超音波の双角獣も相当なじゃじゃ馬っぷりである。脱出の際も<煌華麟>で防いでなければ、自滅していたところだ。

 とはいえ、精神的疲労で肩を落として消沈している古城に反し、紗矢華の方は口調が愉快気である。今も古城と寄り添うように隣にいながら、笑みを浮かべて見せている。

 

「訂正。あなたたちは本当に滅茶苦茶ね」

 

 そして、紗矢華たちもまた、この戦況―――後輩がたったひとりで、古代兵器四機を撃破したのを見て、心底呆れ果てた表情を浮かべて、

 

「ただでさえあの子の同級生で大変だと思うのに。やっぱりあなたなんかの近くにいたら、雪菜が危険だわ―――だから今回だけは、私が面倒見てあげる」

 

 そして、またひとり。

 紗矢華とは反対側に、その小さな影が歩み立つ。この隣は自分の場所だと主張だとするように。

 

「―――ええ、先輩」

 

 銀色の槍を構えた制服姿の少女、姫柊雪菜が何故か拗ねたような瞳で見上げながら迫る様に、古城は根拠のない不安と謎の後ろめたさを覚える。

 

「ひ……姫柊?」

 

 どうして、ここに……と。

 二面作戦でこの少女は沖合にある船までクラスメイトの浅葱を救出に向かっていたはずだ。けれども、空間制御の使い手である那月と、同行していた後輩がこの場にいるということは、彼女もまたここにいるというのは当然である。とはいえ、あのテロリストの巣窟をこんな短時間で制圧したというのか。

 

「先輩の頼れるクロウ君と一緒でしたから。それに、紗矢華さんのおかげでとても元気がよかったですし。想定されたよりもだいぶ早く終わったんです」

 

 だったら、その一言一言に滲む冷たいものはなんなのか。恨み節と変わらないように聞こえるのだが。そんなことは古城も紗矢華も言えない。

 

「それに、監視役ですから。私が、先輩の」

 

 わざわざ倒置法で強調。そして、雪菜が初めて見るその緋色の双角獣を下から上へとじっくりと見上げて、黄金の獅子と見間違えた錯覚ではないことを重々と承知してから、抑揚のない声で、その一言にいろんなものを篭めて、訊く。

 

「新しい眷獣を掌握したんですね、先輩」

 

 古城はぎくしゃくと頷いて、紗矢華と目を合わせながら、

 

「あ、ああ。何故か、いろいろとあってこんなことに」

「そ、そう。不慮の事故というか、不可抗的ななにかがあって」

 

 そのぎこちなく視線を伏せる紗矢華は、どういうわけか最後にあった時には着てなかったパーカー――先輩のパーカーを羽織っており、その襟でその首元を隠すよう、また埋めるよう指先で引っ張っている。

 そんな元ルームメイトの態度を、雪菜は少し意外そうな表情で見つめて、仕方のない人たちですねとでも言いたげな長い溜息をついてから、

 

「そうですか。では、そのお話は後にするとしましょう」

 

 雪菜は銀槍を古代兵器の『女王』へと向け、続いて紗矢華も長剣をその隣で構える。

 そして、古城は、クロウに向けて、

 

「遅れて悪かったな。けど、古代兵器四機を相手によくやった。市街地への行くのをよく留めてくれた」

 

「古城君……」

 

「けど、ちょっとは先輩にも花を持たせてくれてもいいだろ。だから、今はここで休んでろ。あの親玉の機体の相手は任せろ。そいつは、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ」

 

 禍々しい覇気を古城は纏う。

 そして、雪菜も銀槍から清浄な空気を放ちながら、

 

「―――いいえ、先輩。“わたしたちの”、です」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 『女王』の三頭の砲台に収束される光と熱。

 照準をそれぞれに向けて放たれた『火を噴く槍(レーザー)』に対して、紗矢華が前に出る。

 空間を断つ<煌華麟>が三条の真紅の閃光を阻む壁を作る。

 

 止まらず、『女王』は、その背中に備え付けられている追加兵装の『戦輪(ミサイル)』を一斉射撃。

 雨の如き爆裂弾の群を古城の<双角の深緋>の超振動波で悉く迎撃。

 ばかりか、双角獣は咆哮と共に、音叉の角の共鳴振動をさらに増幅させて、増設人工島の先―――聖書の一説に出てきた光景を再現するよう、海を割った。

 

 それほどの衝撃波の弾丸を受けた『女王』は装甲が砕け散り、骨格はへし折られ、急激に圧縮された周囲の空気が、数千度の高温となって機体を焼き尽くす。

 しかし、それでもなお、子機とは一線を画す指揮官機は原型を留めている。

 ばかりか、自己修復機能と学習能力で衝撃に耐性を持って復元しようとしている。

 これではまた―――そんな焦る古城に、雪菜は華やかに笑いながら、

 

「いいえ、先輩。大丈夫、勝てますよ」

 

 そう言って、雪菜は取り出したのは、船で救出の際に渡された薄桃色の小さなスマートフォン。その液晶画面に、ぬいぐるみのような人工知能が現れる。

 

「―――そうですよね、モグワイさん」

 

『おう。浅葱嬢ちゃんが、逆襲の段取りはきっちりすませておいてくれたからな』

 

 藍羽浅葱は、思考過程に論理演算を必要としない命令言語という言語学者がさじを投げだすようなプログラムを、『時代遅れのアーキテクチャ』とばかりにたった15分で54枚すべての解読を終わらせた。

 だけでなく、黒死皇派に監視される状況下で、密かにネットワーク経由で自身の相棒たる人工知能を呼び出しては、“新しいコマンド”を創り上げていた。

 自己修復機能を反転させて、古代兵器を自滅させる、一種のコンピューターウィルス『終わりの言葉』を。

 天才という言葉では間に合わないほどの荒業を、藍羽浅葱は成したのだ。

 

「<ナラクヴェーラ>は音声コントロールです。『女王』の指揮官機の中に入って、藍羽先輩が創った音声ファイルを流せれば、すべての機体が停止するはずです」

 

「だったら、あのでかいヤツの中に入るまで、集中砲火をさせないようあいつらの動きを止めればいいんだな」

 

 解析して進化する、古代兵器の学習能力がある以上、チャンスは一度きり。

 だが、これを成功させなければ、この戦争に勝ち目はない。

 

「―――私が止めるわ。だから、暁古城。私と雪菜の足を引っ張ったら、灰にするからね」

 

 前に突き出された舞威姫の武神具<煌華麟>。

 その銀色の刀身が前後に割れて、鍔に当る部分を支点にして、割れた刀身の半分が180度回転。銀色の強靭な弦が張られて―――飛行翼に似た流麗な長剣は、優美なアーチを描く長弓へと変形する。

 

「―――弓!? 洋弓か!」

 

 そのリカーブ・ボウと呼ばれる現代の洋弓の形態となった己の得物を紗矢華は構えると、自身のスカートをたくしあげて、太腿に巻き付いていた革製のホルスターから、金属製のダーツを取り出す。そして、ダーツを右手で一閃すると、それが伸びて銀色の矢に変わる。

 

「『第六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)』。これが<煌華麟>の本当の姿よ―――」

 

 そうして、獅子王機関の舞威姫は流れるような美しい姿で矢を番え、力強く弓を引き絞る。

 

「―――獅子の舞女(ぶじょ)たる高神の真射姫(まいひめ)が讃え奉る」

 

 祝詞を紡ぐと共に、体内で呪力を練り上げられる。

 呪的身体強化と同じように、己の手足の一部たる弓の性能を限界まで増幅し、銀色の矢にも呪力を装填する。

 

「極光の炎駆、煌華の麒麟、其は天樂(てんがく)と轟雷を統べ、噴焰をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり―――!」

 

 放たれた矢は、大気を引き裂いて天上へと伸び()がり、その際に生じた甲高い飛翔音は、慟哭にも似た忌まわしき遠鳴りとなって戦場全体に鳴り響く。

 

 <煌華麟>は二つの機能を備えている。

 ひとつは物理攻撃の無効化する空間断絶。

 そして、もうひとつは攻魔破邪の呪を施した鏑矢の魔弾を以て、人間の生体や肺活量では詠唱が不可能である、喪われた秘呪を発動させるというものだ。

 たった一矢で、半径数kmにも達する巨大な不可視の魔法陣を描き出す、これが暗殺と呪詛の専門家たる舞威姫の本領。

 重圧の如き膨大な瘴気が、『女王』と復元途中の子機たちに降り注ぎ、その機能を阻害する。

 

「先輩! 私の後ろを―――!」

 

 神々の兵器さえも圧す壮絶な瘴気は、当然、人間が生身で浴びれば確実に命はない。けれど、それをあらゆる魔力を切り裂く清浄な神気を放つ剣巫の<雪霞狼>が無効化して、道を作る。

 そして、彼女の背中を追って、疾走する古城は、『女王』に向けて右腕を掲げ、

 

「疾く在れ―――<獅子の黄金>! <双角の深緋>!」

 

 イメージするは、二体の眷獣を融合させた<蛇遣い>の姿。

 そのような特殊能力は持ち合わせていないが、同時攻撃を指揮することはできるはずだ。

 獅子が放つ雷光と、双角獣が放つ衝撃波による挟み撃ちの焦点にいた『女王』に襲う、膨大な爆圧。

 その逃げ場のない超高圧、そして、初めて行使した二体眷獣の同時攻撃の威力に、大型古代兵器は大破して、その機能を一時停止させた。

 自己修復機能があろうとそれが終わるまでは、ガラクタとは変わらない。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 そして、古城を先導していた雪菜はそのまま静かに祝詞を紡ぎ、銀槍に纏わす神気を増幅させる。

 

「破魔の曙光。雪霞の神狼。鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!!」

 

 古代兵器のコクピットへとその槍を突き刺し、

 

「―――くっ、獅子王機関の剣巫に舞威姫、そして第四真祖を同時に相手どるのは『女王』だけでは、いささか分が悪すぎるか!」

 

 コクピットから獣人化をした老将校がその血まみれの姿を外気へ晒す。

 銀槍を振るう雪菜と鍔競り合いをこなした後、地上へ逃げる。そして、雪菜はその無人となったコクピットへスマートフォンを投げ入れる。

 

「ぶち壊れてください、<ナラクヴェーラ>」

 

 <電子の女帝>が作成した55番目の命令コマンド『終わりの言葉』、その音声ファイルが指揮官機たる『女王』の内部で再生されて、あっさりと古代兵器群は崩壊した。

 時間を早送りにしたようにそれは化石と朽ち果てて、5分足らずで風化して砂と散った。

 

 これで、<ナラクヴェーラ>は無力化した。

 そして、後は黒死皇派――クリストフ=ガルドシュとの決着のみ。全員でかかれば確実に倒せる。妹の凪沙を、浅葱を攫われたことに古城も怒りを覚えている。

 しかし。

 

「姫柊。煌坂も、手を出すな」

 

 と、古城は言い切ったのだ。

 それに雪菜と紗矢華は大きく目を見開いて、

 

「……そうですね」

「……そうね」

 

 と、ふたりは、嘆息と共に納得した。

 

「何を言うか第四真祖。これは戦争だ。多数で囲もうが、それは非難されるような行いではない。私もまだ負けるつもりはないぞ」

 

「だから、だ」

 

 威厳さえ湛えて、古城は告げる。

 凄まじいほどに赤い、真祖の瞳は、この場において万物を従えるように見えた。

 

「これは、クロウが最初に始めた戦争(ケンカ)だ。

 最後はテメェの手で戦争に蹴りをつけて来いクロウ!」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 肉体も、限界だ。

 精神(こころ)も、一度は折れかけた。

 それでも。

 それでも、なお。

 見られている。

 見守られている。

 今も、正念場に送り出されたこの背中に視線を感じている。

 たったそれだけのことで、自分はもう一度立ち上がることができる。

 

「う。オレの手で、戦争を終わらす」

 

 主から貸し与えられた『鎧』を解いて、その銀人狼の姿を露わにするクロウ。

 それと対峙する、ガルドシュはその凪いでいる双眸に、自らの目を細めて、不思議と昂揚のない穏やかな口調で、

 

「……怒りや憎しみは力をこの上なく引き出してくれる。しかし、本当の強さというのはその先にあるものだったな」

 

 浮かべているのは、ひどく複雑な表情だった。

 けして歯噛みしてるわけではない。ケモノのようにだらしなく口を開いたりもせず、屹然と閉じている。しかしその唇、そして眉は微かに震えつつ動いており、それだけで万華鏡の如く、いくつもの想いが錯綜し乱舞していた。

 怒りであり。

 嘆きであり。

 昂りであり。

 悼みであり。

 そして、慈しみであるような、そんな“匂い”がクロウの鼻腔をくすぐる。

 

「さあ来い“南宮クロウ”。この我が戦争、喰らえるものなら喰らってみるがいい!」

 

 対峙する両者。

 その距離間10mは開いているも、共に一歩で打ち合える間合い。

 

「獣王が編み出した獣人拳法。その四つの秘奥、『混血』の貴様に凌ぎ切れるか……!」

 

 ガルドシュ、クロウに向かって踏み込む

 クロウもこれに応えるように踏み込む。

 

 獣化した身体能力は、音速にも似て大地を削る。

 ケモノではなしえぬ、絶対的な速度。そして。

 

 ガルドシュとクロウ、両者が繰り出した爪拳が激突に溶け合う。

 

 唸る鉤爪はどちらもどちらのを切り裂くことはできず、火花を散らした。

 そしてひとつの火花が消えぬ内に、また火花が散る。それも三度。

 わずか数秒で、数十の火花を散らせる超速度の剣戟。

 人間の動体視力など追いつくはずもなく、古城たちにはその結果だけを見ている。

 

「はははっ!」

 

 嗤ったガルドシュが爪を捩じる。クロウもまた逆の爪を捩じる。

 絡み合う両者の両爪。

 野生の理。

 一歩でも退ければ、負けだ。

 一歩でも引かせば、勝ちだ。

 そのまま、両手を掴み合わせながら、互いの額を真っ向からぶつける。

 鋼板さえ割る石頭。強靭な肉体を持つ獣人ならではのデタラメな威力に、大気の揺らぐほどの衝撃音が響き渡る。

 

 力は互角。

 速度も互角。

 同じ獣人――人狼同士であれば、それも当然であったか。

 ならば、勝敗を分けるのはそれまでに積み上げてきたもの。

 

 吐息のかかりそうな近距離で、額をすり合わせながら見つめ合った。どこかしら同族の抱擁にも似たそれはしかし、絶大な闘争本能で研ぎ澄まされている。

 

「血沸き肉躍る戦いは、やはり楽しいな! だが、まだまだ甘いわ小童! その牙は飾りか!」

 

 拮抗をずらし、ガルドシュは狼口を開いて首筋に噛みつく。その尖った野生の牙を荒々しく突き立て、クロウが身を捻って振り解こうとしたところでその肉を千切る。

 

「は、づぅぅぅう―――ッ!!」

 

「所詮、貴様が学んだのは『人間』の武技! 我ら『獣人』のためのものではない! そん

なお遊戯は上品すぎて肌に合わんわ!」

 

 怯んだところをガルドシュは襲い掛かる。

 

「玄武百烈脚!」

 

 その身触れんばかりの生体障壁。半ば物質化しているそれらを別けて、分身を作る。人間ならば生命力が枯渇するであろう気功武術。

 獣人の動きとシンクロする分身は左右から挟み撃ちで猛烈に攻め立てる。

 

 それをクロウもまた分身を作り、その猛攻を受け流す。

 

「なに―――っ!?」

 

 捌ききれず、弾かれたクロウの身体。

 ガルドシュはその両手を咢と構える―――それを鏡合わせの如くクロウも両手を咢と構えた。

 

「白虎衝撃波!」

 

 放たれた気功砲。真っ向からぶつかり合い、霧散。相殺された。

 

(まさか、見様見真似で獣人拳法を学習しているというのか! いくら素質があろうと、そう一度の見稽古できるものではない!)

 

 腰だめに構える拳。

 当てずとも当てる究極の当身たる遠当て。百歩神拳とも言われる人間以上の、獣人の拳速だからこそなしえるその拳技。

 それもまったく同じ動作で、腰だめに拳を構えられた。

 

「青竜殺陣拳!」

 

 合間の空間が撓むように歪んで、破裂したように暴風が吹き荒れる。またも相殺。いや、こちらが若干、押された。

 半歩、後ろに下がらされたガルドシュの巨体。

 打ち合うたびに、戦闘技術が鍛えられていく。そう、過去の経験を呼吸するように取り込んでいっている。

 

「そうか。その『混血』の半分は、人間の能力者のモノ。<芳香過適応(リーディング)>という奇怪な技で過去を読んだのだな!」

 

「ああ、『混血』のオレはこれでようやくオマエに並んだ」

 

 驚くほどに噛みあい始めている。

 それは老将校の技術がそれほどに源流(オリジナル)に迫ったものであり、その少年に流れる血筋が源流(オリジナル)に近いからこそ。

 

「だから、次は追い抜く」

 

 ダメージも深い。疲労も大きい。あと数分で燃え尽きる。しかし勢いは止まらない。むしろ動きはより速く、無駄のないものになる。蝋燭が最後に一際瞬くように。

 

 防戦一方だったクロウが攻めに回る。

 

 その身を別ける生体障壁の分身を作り出し、シンクロする連打連蹴でガルドシュを挟み滅多打つ。

 浅葱や凪沙、アスタルテたちの分まで殴って、蹴って、殴りまくる。

 それでもガルドシュは頽れず、大きく胸を反らし、

 

「甘い! まだまだ完成度は甘いわ!」

 

 獣気を一帯に放散し、充満させる。

 空間を歪ませ、手足を使わずに相手を屈させる、最後の奥義。

 あの時、止めを刺すはずだったその圧倒。

 

「朱雀飛天の舞!」

 

 だが、<蛇遣い>に横やりを入れられ、一度として見せることのなかったそれさえも『混血』は嗅ぎ取っていた。

 

「―――ウォォッ!!」

 

 <嗅覚過適応>

 それは発香側(アクティブ)匂付け(マーキング)して己の生命力を植え付けることで自然物を手足のように指揮することができる。

 今、己の獣気――“匂い”を大気に充満させ、染み渡らせ、“マーキングした”。

 ただ膨大な生命力で満たすのではなく、溶け込ませて自身の一部となるよう空間と一体化する。

 そう、超能力で補わせることで、ガルドシュの獣人種の優れた五感さえ麻痺させてしまうほどに、源流よりも空間の支配権を上回った。

 

「オレの勝ちだ」

 

 老将校、獣王の古き盟友は、一度だけ目蓋を閉じ。

 

「ああ、私の負けだ」

 

 遠くを見つめながら、己に言い聞かせるように呟いた。

 全身を巨人の手で握り潰されるよう、空間に圧し込められ―――解放された時、膝から落ちて、ゆっくりと大地に伏した。

 

 

 さわり、と―――遠くその異国の空気を運んできた海風が、その頬を撫でた。

 

 

病院

 

 

 世界初の眷獣を寄生させた人工生命体(ホムンクルス)アスタルテは、世界最強の吸血鬼の『血の従者』でもある。

 

 だからか、戦闘用に調整された人工生命体ではないのでその身体能力自体はさほど大したことがないにしても、怪我の治りは他の人工生命個体と比べれば、怪我の治りは早かった。

 通常ならば、拳銃の弾丸6発もらえば即死であったろうが、『血の従者』としての性質で、もちろん、獅子王機関の舞威姫の懸命な応急処置のおかげもあるが、その命を病院まで繋ぎとめることができた。

 

 そうして、病院の人工生命体用の調整槽で目覚めたアスタルテは、まずは自身が失態を犯してしまった事件の状況が気になり、その調整槽の前でプチ家出中だった先輩が何とも難しい顔でリンゴの皮を剥いてる様子からすぐにそれを悟った。

 

「お、起きたか。大丈夫かアスタルテ」

 

「肯定。損傷した臓器は交換し、問題ありません。完治に2週間は必要となるでしょうが。それで、黒死皇派に攫われた藍羽浅葱、暁凪沙、姫柊雪菜の3名の無事は?」

 

「藍羽先輩も、凪沙ちゃんも、姫柊も、3人ともばっちり無事だ。黒死皇派もけちょんけちょんにブッ飛ばしてやったぞ」

 

 身振り手振りを交えて説明されて、彼女らの無事を確認できた。

 けれども、自身が失態を犯してしまったことには変わりない。あそこでもっと迅速に眷獣を召喚できてさえいれば……

 

「申し訳ありません。教官(マスター)から留守を任されていた私があそこで彼女たちを守れていれば……」

 

「ふふん。後輩の尻を拭ってやるのも先輩の役目なのだ。アスタルテは古城君に必死に伝えたみたいだからな、頑張ったぞ。ふむ、よくやった」

 

 おそらく主人の真似をしていると思われる口調だが、残念なことに威厳が足りてない。

 先輩風を吹かすのがあまりに嬉しそうなので、逆に微笑ましくなるくらいだ。

 

「そうだ。オレ、気功波できるようになったから、師匠から免許皆伝を言い渡されたのだ。アスタルテを鍛えてやろうか?」

 

「否定。戦闘用の人工生命体ではありませんので、鍛えようにも先輩の目標とする水準に達することは無理です」

 

「むぅ。そうか。……じゃあ、かけっこで足を早くしてやるぞ」

 

「同上」

 

「毎日の運動は健康にいいんだぞ」

 

「入力された医療知識から、私は今の状態がベストです。また、人工生命体に維持に運動する必要もありません」

 

「むむぅ~、これじゃあ、オレ、アスタルテに何も教えられないぞ」

 

 勉強も苦手。家事は壊滅。とりあえず、運動系なら……と思ったのだが、残念。

 消沈する先輩。アスタルテはその手元を注視しながら、

 

「質問」

 

「なんだなんだ! 何をこの先輩に聞きたいのだ!」

 

「先輩は何をしてるのですか?」

 

「う? リンゴを剥いてるのだ」

 

 剥いてる……というより、その雑な現状からは削いでるというべきだろう。

 

「病院に入院したら定番なんだろ。ここに来る前にスーパーでリンゴを買ってきたのだ」

 

 確かに、そのほとんど芯しか残ってないような惨状を無視すれば、合っているのかもしれないが。

 けれど、ここは病院のベットではなく、調整槽。人工生命体に見舞いを持ってくるのは世間の常識からはいささか外れている。

 でも、アスタルテはそれを指摘することはしなかった。

 それよりも、困惑と混乱に思考回路が満ちている。こういう時は何を言うべきなのか。

 これまで、製造さ(生ま)れてから、医療系の知識情報の入力と、それが終われば眷獣寄生の調整のためカプセルの中にいた時間の方が長い。

 初めて外部に出て、その身体で世界に触れたのは、ほんの二ヵ月前だ。それも『神格振動波駆動術式』の書き込みのためその一日の大半の時間をカプセルの中で過ごしていただろう。

 引き取られてからもまだ半月と経っていない。

 なので、こういうケースで、アスタルテという人工生命体の経験は、あまりに偏り過ぎていた。

 

「もっと先輩に頼ると良い」

(……先輩)

 

 かつて、自分より先に製造された者たちのことを、考える。

 カプセルの外に出されることもなく、出れたとしても、実験につぐ実験ですり減らされていった先行作たち。

 生まれたばかりの眷獣を無垢な人工生命体に寄生させるという冒涜的な計画。

 その冒涜故に、破綻は最初から決まっていたのかもしれない。

 たったひとつ。

 アスタルテという例外を、世界に残して。

 

(………)

 

 その事実を、どう受け止めていいのか、アスタルテにはわからない。

 眷獣を呼び出すことに何の疑問もなく、何の躊躇いのない。

 生命力が尽きたとしても、やはり一緒だったろう。

 ただ、彼を『先輩』と呼ぶには、思いの外時間がかかったのを覚えている。

 『先輩』とは、アスタルテにとって『先行作』という意味と同じなのだから。

 

「質問」

 

「何だ後輩。この先輩に聞きたいことがあるんだな」

 

「先輩は……先輩でよかったですか?」

 

 自分でもわからない。

 何を問いたいのかさえ分からない、そんなアスタルテに、クロウはスンと鼻を鳴らして、

 

「……最初、この島に来たとき、ここに住んでいた皆を、森の皆と比べていた。こんな場所に、オレと血の繋がった家族はいない。近い匂いのする魔族(ヤツ)らの敵に回る。本当は寂しかったんだ。正直、今でもそう想うときもある。

 でも、いつのまにか血の繋がりの方を比べるようになってて、家族のことを忘れてないのに、今の皆の顔の方をよく思い浮かべる。オレは、この街で生きてきたんだからな」

 

 噛み締めるように、ゆっくりという。

 その時、アスタルテの瞳に浮かべていたのは、同情か、それとも憐憫か。

 ……そのどちらにしても訴えるのはひとつ。

 後悔しているのか。

 アスタルテの無言の問いかけに、クロウは目を閉じて頷いた。

 

「……うん。それは仕方のない事だ。ただ、そうなったんなら、今をすばらしいものにするんだ。後悔を、いつまでも、後悔と思わないように」

 

 感謝するように、そう告白した。

 そして、祝福するように、歓迎するように、

 

「だから、オレはアスタルテの先輩になれてよかったぞ」

 

 柔らかな笑顔を浮かべる、道具としてではない、最も対等に接してきた相手。

 未だにその心が定かではない以上、それを言うには不適切かもしれないが、“心から”、南宮クロウを『先輩』とアスタルテが認められたのはきっと今だろう。

 

「……リンゴ、そこに置いてください。あとでいただきます」

 

「うん! じゃあ、早く元気になれよ」

 

「命令受託」

 

 

人工島西地区 高級マンション

 

 

「……馬鹿犬、絃神島(ここ)に来る前はどこにいた?」

 

 あのニシンの缶詰以来、缶詰を開けるのに戦々恐々となったクロウが、ちまちまと缶詰料理を口にしてると、赤ワインを口に転ばすように含んでいた主の那月が口を開いた。

 

「? 森にいたぞ」

 

「自分の故郷のある国名くらい覚えておけ、馬鹿犬」

 

 やれやれ、と溜息をついてから、

 

「北欧アルディギアだ」

 

 それから、一拍、間を置いてから。

 

「その国主から、お前が森に立ち入る――帰れる許可が下りた」

 

 これまでの絃神島での生活状況を見て、その判断が下されたのだろう。がやはり、黒死皇派の討伐がきっかけであることが大きい。北欧アルディギアとの国交がある『戦王領域』の外交使節――結局、独房に入れてやれなかった軽薄男がその情報を流したんだと推測。

 

「今週の休み、外出許可を取ってやった。里帰りでも墓参りにでも行って来い」

 

「……ご主人は」

 

「私は、休日を返上して補習を見てやらねばならないやつがいるからな。ひとりで行って来い」

 

 

 そして、森にいたいのなら帰ってこなくてもいい。

 

 

 

つづく

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。