ミックス・ブラッド   作:夜草

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高神の社ルートⅥ

彩海学園

 

 

「―――そこかっ!」

 

 南宮那月が華奢なスリルの裾を翻して振り返る。虚空から吐き出された銀色の鎖が、弾丸のように大気を切り裂いた。

 

「馬鹿なっ! 避けた、だと!?」

 

 那月の表情が驚愕に歪む。彼女の瞳に映っているのは恐怖。あの<空隙の魔女>が怯えているのだ。

 

「何をしている、馬鹿犬! そいつを逃がすな!」

 

「ぬぅ?」

 

 那月の叱責に小首を傾げるクロウ。

 この標的は、確かに凄まじい生命力と増殖力を持っている。『高神の社』でも現れては、候補生らを阿鼻叫喚と震え上がらせていた恐怖の象徴で、果敢に武器を振るう者もいたが、彼奴の反応速度は彼女たちのそれを上回る。

 なので、その相手はよくクロウに任されることが大半だったが……しかし、何故、こんなに混乱するのだろうかと常々クロウは疑問に思う。

 

「この、まだわからんのかっ! ここで看過すれば増殖して手が付けられなくなるぞ!」

 

「よくわからんが、コイツはそんな大げさに騒ぐほど厄介な奴なのか??」

 

「今更何をそんな呑気なことを言っている! 貴様、獅子王機関の猟犬ではないのか!」

 

 獅子王機関の相手はもっぱら魔族。魔獣の方は、太史局が専門だ。もっともこれを魔獣などと認定すれば、六刃神官の怖いお姉さんに説教されてしまいそうな気がする。

 

「………」

 

 これまで無言でこちらを窺っていたアスタルテが、スッと動き出す。その手には、殺虫剤のスプレー缶。

 流石に殺生は忍びない、とクロウもようやく重い腰を上げる。

 

「ほい」

 

 鎖を避ける漆黒の影を、あっさりとクロウは手づかみで捕まえてみせた。そのまま窓を開けて、掌を開く。

 

「ここはお前の縄張りにしちゃいけないところっぽいぞ。向こうに森があるからあっちへお行き」

 

 クロウはそう説得すると、Gの頭文字を持つ黒光りする昆虫は示した方角へと羽ばたいていったのだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「……退治せずに彼奴の逃走を幇助するとはな。貴様、牢獄にぶち込まれたいか?」

 

「うー。そんなにされるほどなのかー? あんまり害のないヤツだと思うんだけどなー」

 

 キチンと手を洗ったクロウが戻ると、迎えてくれたのはジロッとした不満。

 

「それで、何のようなのだ? もう用がないなら帰るぞ」

 

 けれど、ジト目になってしまうのはクロウもである。

 なにせ、緊急の呼び出しで来たらこれである。流石のクロウも不満のひとつでもこぼしたくなるもの。

 そんなクロウの口ほどに意の篭った視線を、軽く流して那月は口を開く。

 

「縁堂クロウ。今夜、私に付き合え」

 

「ぬ。ご飯を食べに行くのか……!」

 

「違う。私の副業(しごと)を手伝えと言っているんだ」

 

 きっらきらに一瞬目を輝かせた食いしん坊を、那月は冷たい視線で一蹴。

 彼女は彩海学園高等部の教師であると同時に、この魔族特区に赴任した国家降魔官である。

 

「一応、おまえは攻魔師資格(Cカード)を持っている。複数の標的を捕らえるのに人手が欲しいからな。私の助手として捜査に同行してもらおう」

 

「う。わかった。それで、相手はどんな奴なのだ?」

 

「なに、虫よりも貴様向きな相手だ」

 

 

絃神島西地区 テティスモール

 

 

 とっぷりと日が暮れて、空の景色に月が顔を出す頃合い。

 この最近、絃神島の上空で戦闘を繰り返す謎の怪物――『仮面憑き』が出現する時間帯。

 これに合わせて国家降魔官の指揮の下で、特区警備隊(アイランド・ガード)が一般市民誘導のために行っている縁日。

 それを説明されながら、堪能しちゃっている獅子王機関所属の攻魔師がひとり。

 

「モグモグ」

 

 左手に焼き鳥、アメリカンドック、ビックフランクフルト、イカ焼きを五指の間に挟み持ちながら、右手で大きなケバブをがっつりと頂いているのはクロウ。

 その装いも、動きやすいショートパンツタイプの二部式浴衣と実に夏祭りを満喫していた。

 

「クンクン! ソースの香ばしい香りがするぞ! う! あっちにあるたこ焼きも食べたいのだ! 是非ともいただきたい! なあ、いいか?」

 

教官(マスター)?」

 

 食欲を誘う匂いにハイテンションなクロウ。尻尾があれば、ブンブンと回していることだろう。

 それを見やって、付き回されている浴衣姿の人工生命体の少女は、主人の那月へ首を傾げる。自身も夜店で林檎飴を購入していた那月はやれやれと肩を竦め、

 

「構わん。買ってやれアスタルテ」

 

「わーい! う! アスタルテも一緒に食べるぞ! この匂いは絶対に美味しい奴なのだ!」

 

 本当によく食べる奴だなぁ……

 監視役の雪菜を連れて待ち合わせ場所に訪れた古城は、その光景に少し呆れたように息を吐く。

 既視感(デジャヴ)。何だかこの後輩転校生とはよくよく食事中の場面に遭遇する。そうじゃないかと思っていたが、コイツは大食いの女帝(あさぎ)と同類だ

 小柄な見掛けを裏切る胃袋ブラックホール。

 もしも飯を奢るとなれば、財布が空にされるくらいの覚悟を持つべきだ。

 けれど、彩海学園の教師にして国家降魔官である那月にとっては、この程度で金払いが縮こまることはない。ただ、まったくの遠慮なしに飲み食いしてる商売敵(クロウ)に、恐ろしく美しい微笑を湛えていらっしゃる。

 

「これで役に立たなかったら、食費は獅子王機関に請求してやろう」

 

「クロウ君、そろそろ食べるのはやめませんか」

 

 その結構本気(マジ)な脅し文句は、クロウではなく、雪菜に効いたようで、やんわりと歯止め(ストップ)をかける。

 

 そう、これは真面目なお仕事である。

 世界最強の吸血鬼の力を継いでいるが素人の古城も狩り出すほどに、今回の相手は厄介だ。もっとも、古城が呼び出されたのは、危険物だからこそ目の届く場所に置いておきたいという理由も含まれるが。

 

 那月に引き連れられてエレベーターに乗り込む前に、パクパクペロリとアスタルテにも持ってもらっていた分まで平らげたクロウは、ふんす、とファイティングポーズを取る。

 

「大丈夫。オレ、頑張って働くぞ。この最近、あんま食べれなかったから、もうちょっと食べたかったけど」

 

「おいおい、なんだ金欠か? 獅子王機関からお金貰ってんじゃねーのか?」

 

 立地条件最悪な寂れた骨董店を拠点にしているが、そこはあくまで副業。所属している国防機関より給金は支払われているはずだろう。

 古城の質問に、雪菜はすぐに首を振って言葉を返す。

 

「いえ、そんなはずはありません。私の方には毎月きちんと活動費は振り込まれています。少々、持て余すくらいの額が……」

 

 じゃあ、どういうことだと再びクロウへ視線を戻せば、

 

「何かなー、この前の査定で白奈とお話ししたんだけど、コウジョリョウゾクに慎むべきですって怒られて、お預けになっちまったのだ」

 

 と事情を話され、理由はわかったが、納得しかねる。

 これは古城が言えることではないのだが……吸血行為に及んでしまっている雪菜はもらえているみたいなのだから、よっぽどのことを仕出かしてないとそんな注意はされないと思う。

 しかし、世間知らずな感はあるも表裏のない純朴な後輩中防が、そんな引っかかるような真似をするとはとてもではないが思えない。

 

「折角、凪沙ちゃんにアイスをご馳走してもらえたのに延期することになっちまった」

「―――おい待て。その話詳しく聞かせろクロウ」

 

 獅子王機関の内部事情よりも、反応が良い古城。

 そんな話題の地雷原(迂闊に踏み誤れば本当に世界最強の吸血鬼の力が暴れるかもしれない)に入っちゃったが気づいていないクロウは、誠に残念そうに語る。

 

「凪沙ちゃんがオススメのアイスを食べに行こうと誘ってくれて、オレ、アイス楽しみだったのだ! 全種類制覇したかった!」

 

 うんうん。

 やっぱり、コイツは色気よりも食い気、花よりも団子派だ。凪沙とそんなルートに発展することは流石にないと安堵。

 しかし、万が一にも起こらないように徹底すべきだろう。

 

「わかった。なら、今度、俺が連れてってやる!」

 

「でも、古城先輩、俺、お金がないぞ」

 

「ああ、だから、クロウの分は俺が払ってやる! 何、遠慮すんな! 凪沙を助けてもらったんだし、俺からもきちんとお礼がしたかったしな」

 

「おお古城先輩、太っ腹なのだ! じゃあじゃあ、今度、凪沙ちゃんにもそう話して」

「待った。……なあ、クロウ、俺と二人で――凪沙は抜きで――男同士で行かないか?」

 

 先輩……。

 妹の逢引きを阻止せんと、自分が誘う兄。シスコンの鑑かもしれないが、鏡に映る姿は、妹の同級生に強引なアプローチに迫っているようにも見えてしまうだろう。以前、それで変な誤解をされたのに懲りてないのだろうか。

 いや、この前の噂でフィルターを噛ませているから変な風に見えてしまうのだ。

 雪菜は目の前の光景から目を瞑り、精神統一。

 このことは、クロウ君のお姉さんである羽波唯里先輩に相談するべきか―――いや、ダメだ。なんか悪化することが霊視に頼るまでもなく予見できた。

 

「んー、これは凪沙ちゃんと一緒に行こうって決めてたことだし、がっかりさせちゃうのはイヤなのだ。それに女の子の約束は絶対守らないとダメなのだと唯お姉ちゃんから言われてる。残念だけど、古城先輩。そういう話なら断」

「わかった。それじゃあみんな一緒に行こう! ほら、こういうのは人数が多い方がいいだろ? な?」

 

 それにしても、もうちょいこの必死さを他にも出せないだろうか。私には一度だってそんなお誘いはしたことがないのに……

 

「う。皆で美味しいものを食べるのは良いことなのだ」

「よしじゃあ決まりだ。浅葱や矢瀬も誘うとして……あ、姫柊も一緒にどうだ?」

 

 とこっそりと耳打ち。

 

「(できれば、クロウの食欲を自重するように働きかけてもらえると非常に助かる。流石に那月ちゃんみたいにポンっと気前よく奢ってやる真似なんて無理だしな。絶対破産する)」

「ええ、別に……構いませんけど」

 

 同行を切願されているけど、思っているのと違う。

 とはいえ、この扱いにやや不満を抱いてしまう雪菜だったが、先輩に頼られるのはやぶさかではない。それに監視者として乗らないわけにはいかないので、了承した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「―――アスタルテ、花火の時間だ、と公社の連中に伝えろ」

 

命令受託(アクセプト)

 

 花火が、打ち上がる。

 爆ぜる轟音と煌びやかな閃光。闇夜に色とりどりの大輪の花を咲かす絶景は、一般市民の視線を誘導する。この一時、多少の爆発や騒ぎは気にならなくなるだろう。

 これが、南宮国家降魔官が仕組んだ偽装工作。

 そして、絢爛な花火とは逆側に、禍々しい光を放つ、人型の飛行物体―――

 

「うおおおおっ!? 何だこれ!? 何でこんな所に……!?」

「先輩、上です! 気を付けて―――!」

 

 空間転移で一気に、出現地点の真下にある塔へ連れてこられた。

 赤と白に塗り分けられた電波塔の骨組み。この急展開に足を踏み外しかけた古城と、それを支える雪菜は出遅れる。

 そして、クロウは、目標を捉えるや、剥き出しの鉄骨を蹴って、躊躇なく飛び出していた。

 

「―――む、この“匂い”は……」

 

 『仮面憑き』と呼ばれているターゲットは、三体いた。

 本体は、小柄な女性。しかし、その背中からは、血管塗れの醜悪な翼が何枚も不揃いに生えている。

 剥き出しの細い手脚には不気味な幾何学模様が浮かび上がり、無数の眼球を象った不気味な仮面が、彼女たちの素顔を覆い隠す。

 そして、翼を広げるたびに、いびつに波打つ光の刃が打ち放たれ、陽炎のように、それらを次々に撃ち落とす。撃墜された光の刃は、灼熱の炎に変わって、眼下の道路や建物を次々に焼き焦がし、戦闘が激化するに比例して被害の加速度は増していくことだろう。

 それでその戦況は、一体の天使に、二体が強襲しているように見える。

 

「とりあえず喧嘩は両成敗だぞ―――()けろ、<火血刀>!」

 

 クロウが構えるのは、昨日になってようやく師家より銘が与えられた『甲式葬無嵐罰土』、改め、<火血刀>。

 式神の呪符と同じ、『呪力適応変形機構』を備えた武神具(バット)は、担い手が獣化するのと同時にホッキョクギツネのような白毛で覆われた鍔を拵えた、ぶ厚い片刃の大剣に化けた。

 長さだけで2mを超える。常人ならばその長さでも持て余すだろう。さらには木製からの材質も変質しており、まっさらな銀や鉄とはまた違う、良く鍛えた玉鋼特有の重たく鋭い輝きがあった。

 これを軽々と片手で携えながら跳躍した銀人狼(クロウ)は、一気に空中戦の舞台へと乱入。

 

「思い切りが良過ぎるな、あの馬鹿犬は。―――チッ、一体、逃した!」

 

 傍若無人な魔女をも振り回す速攻。即座に那月が、何もない虚空より銀色の鎖を矢のように撃ち放ち、空中を舞う『仮面憑き』たちを搦め捕ろうとする。

 しかし、二体を捕らえるも、一体に躱された。

 そして、真っ向から接近してくる――羽ばたける翼もないのに空中戦を挑んでくる愚か者(クロウ)へ、光剣を撃ち放つ。

 

 その瞬間。

 ぐんっ!! と、豪快にクロウの巨大な牙刀が翻る。飛んでくる光剣を迎撃、するのではない。

 空振る。

 空を、振る。

 

 ―――宙空で跳ねやがった!?

 

 その無茶苦茶に、古城は仰天する。

 そう、あの大太刀を羽のように動かして空気を泳ぎ、下手をすれば肩関節を壊しかねないほどの腕の振りで自らを引っ張り上げることで、あのトンデモ後輩は、物理法則から逸脱した空中疾走を為したのだ。

 しなやかな筋力と荷重のかかる大太刀の反動を駆使すれば、多段ジャンプも決して不可能な芸当ではない。

 鋭角に跳ねた銀人狼は、飛来した光剣を躱す。そして、予期せぬ無軌道に戸惑う『仮面憑き』の頭上を取った。

 

「むっ!」

 

 不自然(イヤ)な“匂い”のする大本の翼をバッサリと切り捨てようとしたが、空振った。

 外れたわけではない。確実に当たる軌道で大太刀は振り切られたはずだった。

 

「―――<雪霞狼>!」

 

 続けて、空中に張り巡らされた鎖の上を綱渡りして迫る雪菜が、獅子王機関の秘奥兵器たる『七式突撃降魔機槍』を突き出す。

 魔力を無効化し、あらゆる結界を切り裂くという、対魔族戦闘の切り札。これが繰り出す一撃は、如何なる魔術障壁をもってしても防げない。

 

「えっ!?」

 

 しかし、翼に突き立てた槍から返ってきた異様な手応えに、その顔が歪む。

 金属バットを使ってぶ厚いコンクリートの壁へ殴りかかった反動にも近い鈍い痛みだが、雪菜はそんな肉体の痛み程度で怯んだのではない。

 ()()()()。『仮面憑き』を覆う禍々しい光が、吸血鬼の真祖すら斃し得る<雪霞狼>の刺突を阻んでいる。その事実に驚愕しているのだ

 あらゆる結界を切り裂くはずの刃を、阻むという矛盾。見えない壁に阻まれて激しい火花を散らす拮抗は、『仮面憑き』の咆哮によって吹き飛ばされた。

 

「<戒めの鎖(レーシング)>を断ち切っただと……!?」

 

 同じく、二体の『仮面憑き』を拘束していた鎖が弾け飛ぶ。

 空中に投げ出された雪菜は槍を振り、その反動で自らの姿勢を操って、再び無事に電波塔に着地。クロウもまた猛禽を思わせるしなやかな体術で上昇、落ちかけていたところから難なく脱却し、向かいのビルの屋上へ。

 

「無事か、姫柊、クロウ!?」

 

「私は大丈夫です」

「こっちも大丈夫だぞ」

 

 だが、解放された『仮面憑き』たちはこれまでの争いを中断。攻撃をされた『仮面憑き』など、怒りを露わに電波塔の方へと突っ込んでくる。仮面の下の唇を張り裂けんばかりに開いて咆哮し、その全身が赤い光を放った。

 

「いかん!」

 

 電波塔の根元部分をごっそりと半球状に抉り取る『仮面憑き』の攻撃。

 足元が崩れ、自重を支えきれなくなった電波塔は傾き、折れた鉄骨をばら撒きながら、ゆっくりと倒れていく。その先にあるのは渋滞中の幹線道路と、対岸のビル群。このままでは大惨事は免れない。

 

(おっ)きくなあれ! えいやっ!」

 

 落下する鉄塔へと、大太刀を投擲するクロウ。突き立った鉄骨を基点として大太刀が大樹へと変貌する。

 <嗅覚過適応(リーディング)>の匂付け(マーキング)に触発された『呪力適応変形機構』。

 瞬く間に伸長して大地に根付く樹木の幹は、重量数百tの鉄塔を受け止め、枝分かれして繁茂する枝葉は、細かな残骸から守る傘となる。

 “人”という風に、倒壊して斜め三十度ばかり傾いている電波塔を支えて、そこへさらに無数の鎖が絡み付いて固定する。

 

「こちらは任せろ! 貴様らは上にいる奴らを落とせ! 手加減などするな、死ぬぞ!」

 

 パニックになった住民たちの避難をしながらでは、那月に『仮面憑き』へ気を回す余裕はない。

 依然と猛り狂った絶叫をあげる『仮面憑き』の怒りは収まらない。しつこく鉄塔に追撃する『仮面憑き』へ銀色の鎖が虚空から撃ち出すも、捕まらない。

 

「―――執行せよ(エクスキュート)、<薔薇の指先>」

 

 電波塔に向けて放たれた光の剣に対し、アスタルテも体に寄生させている巨人の眷獣を盾にし、防衛するも迎撃(カウンター)は届かない。速い。最高速は、音の壁を超える『仮面憑き』の飛行に、薔薇(きょじん)の指先はその影を掠めることすら叶わない。

 防戦一方に追いやられる那月とアスタルテ。

 そして、『仮面憑き』は一体だけではない。

 下界の騒動を見下ろしていた『仮面憑き』が、急降下で迫ってきて―――古城の目に、覚悟の定まった真紅の光が宿った。

 

「ああ、くそっ! 疾く在れ、九番目の眷獣<双角の深緋(アルナスル・ミニウム)>―――!」

 

 古城の呼び声に応じるのは、陽炎の如く揺らめく猛々しい巨体に、天を貫く双角を持った緋色の召喚獣。

 それは破壊的な魔力の塊にして、吸血鬼を“最強の魔族”と称させる切り札。

 召喚すればたちまちに宿主の寿命を食らい尽す眷獣は、無限の“負”の生命力を保有する吸血鬼でなければ使役できず、そして、最も力の弱い眷獣でさえ最新鋭の戦闘機を凌駕する攻撃力を持つ―――これが『世界最強の吸血鬼』である<第四真祖>の眷獣ともなれば、天災とも変わらぬ暴威を匹敵するだろう。

 一瞬でも制御を誤れば、最悪、この意と絃神島を丸ごと焼き尽くして廃墟に変えかねない。

 でも、空に向かってぶっ放すのなら影響は少ないだろう。

 こんな市街地の真ん中で、実体化する余波だけでも膨大な魔力を撒き散らす眷獣には頼りたくはなかったが、それよりも、あの『仮面憑き』をこのまま暴れさせる方が被害は甚大になると古城は判断を下す。

 

「なに―――!?」

 

 衝撃波の砲弾と化す双角獣の咆哮は、大気を引き裂く。

 その余波だけで、電波塔をビリビリと震わせ、周囲の建物のガラスが白く罅割れる。

 ―――だが、この攻撃を真正面から浴びた『仮面憑き』は、全く怯まない。

 

「そんな……真祖の眷獣の攻撃に耐えるなんて……!?」

 

 咆哮を食らっても無傷の『仮面憑き』へ、緋色の双角獣は直接攻撃を仕掛ける。強烈な振動波を纏った双角獣の突撃。

 だが、これも効かない。

 確実に標的を捉えたはずなのに、悠々とすり抜けられてしまった。

 湖面の月に石を投げても当たらないのと同じように、攻撃が届かないのだ。

 この事実に古城と雪菜は絶句する。

 

「やばい―――!」

 

 『仮面憑き』が、これまでのより巨大な光の剣を創り出す。古城の全身が凍る。あんな攻撃を市街地のど真ん中で解き放ったら、どれだけの犠牲者が出るか計り知れない。

 空中の攻撃を迎撃すべく、雪菜が<雪霞狼>を投擲する構えを取り、古城も二体目の眷獣の召喚を試みようと右腕を掲げる。

 ―――しかし、それよりも早く、割って入った()()()影が、『仮面憑き』の閃光を打ち払った。

 

「ん。だいたい、わかったぞ。お前らのぶん殴り方」

 

「「クロウ(君)!?」」

 

 正体不明の『仮面憑き』が振るう魔術の術式は、<空隙の魔女>にさえも記憶にない。

 直感に秀でた剣巫は、『仮面憑き』の振るう力の正体は、魔術というよりも<神憑り>に近いものだと核心に迫る。

 そして、師家後継の野生児は、詳しい原理など解明せずとも勘で全容を把握した。

 

 ジャンケンと同じ。

 <第四真祖>の眷獣の攻撃は“グー”で、あの『仮面憑き』は“パー”のような相性。そして、その“パー”に対する“チョキ”はわからないが、双角獣の攻撃とは違って明確に防御行動を取ったということは、どうやらその“パー”は、姫柊雪菜(ユッキー)の<雪霞狼(やり)>の同系統のものであるようだ。

 そこまで判明すれば、クロウには十分だ。

 こちらもより強い“パー”の属性でブッ叩けばいい、という力業の理論。

 

「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、やこともちろらね―――」

 

 ぱん、と合掌とするように両手を打つ。

 目の錯覚か。古城の目には、この拍手に空間が小さく震えたように見えた。

 柏手とは天地開闢の音霊(おとだま)であり、天岩戸を開ける清い音でもある。すなわち、“神”を招く合図であった。

 

 ごおと空が鳴る。

 途轍もない力が唸りをあげている。

 魔族特区の夜空を渡る超自然の“匂い《ちから》”が、根こそぎ搔き集められ、金人狼の輝きに引き寄せられて、怒涛の如く渦を巻き、収斂した。

 どっと、クロウの頭上へと雪崩落ちたのだ。

 

「なっ!?」

 

 思わず、古城は目の前を覆った。

 『仮面憑き』でさえたじろぐほどの力が、一時に眼下へと集中したのだ。

 それだけの力を受ければ、無事で済むはずがない。

 生身の人間が、落雷を受けるようなものである。

 なのに、そこには金人狼は変わらずに佇んでいた。

 

「クロウのヤツが金色に……!? しかも、なんか青く輝いてる……!」

 

 一回り、大きくなったようにも見えた。それ以上に、途轍もない違和感が古城の感覚野を襲っている。

 最初は銀色の人狼だった後輩(クロウ)が、金色の体毛に変わっていて、さらに今は雷光のように青白い、そして大いなる神狼の影法師(かたち)を写し取る気を纏わせていた。

 この鮮烈な後光に古城の目は眩み、熱の放射を受けたかの如く煽られた全身の毛が逆立つ。

 魔族の本能が致命的な相性の悪さを訴えるかのように、そう、直感的になるが、光の強度はあの『仮面憑き』らよりも上にすら感じられた。

 そして、このすべての力が、金人狼の内側で制御されている。

 微調整込みの確認であるかのように、何度か拳を握っては緩めたのち、金人狼は口を開いた。

 

 

「これが、獅子王機関の師家になるべく、『高神の社』で積んできた厳しい修行の成果―――<神憑った神獣人化(ゴールデンウルフゴッドゴールデンウルフ)>なのだ!」

 

「は?」

 

 

 自慢の変身形態(フォーム)について堂々と決め顔を作ったクロウだったが、古城は感嘆を覚えるよりも、気が抜けてしまった。ハンマー投げでグルグル回って遠心力をつけてから投げ飛ばす寸前で、手から鉄球をすっぽ抜けさせてしまった……そんなような盛り上がりの場面を滑った感覚だ。

 

「ご、ごーるでんうるふごっどごーるでんうるふ??」

 

 なんというか、早口言葉みたいな名乗り上げだ。古城も長い眷獣の名を召喚する際に噛まずに言い放っているけれど、それでもあんなに同じ単語が入っていない。

 戸惑う先輩に、トンデモ後輩と同郷の監視役の少女から解説が入った。

 

「え、っとですね先輩。アレは、<神憑り>で神霊の力を取り込んだクロウ君が、人型のまま<神獣化>することで霊的中枢(チャクラ)を覚者レベルにまで拡張させたんです」

 

「なるにはちょっと時間がかかるけどな。皆からは<神獣人化(ゴールデンウルフ)ブルー>と言われてるぞ」

 

 見たまんまの安直な形態名である。簡潔にまとめられてわかりやすいのだが、しかし名称だけ聴くのでは、金色なのか蒼色なのか判断に迷う通称。

 もうちょっとマシなネーミングは思いつかなかったのだろうかと頭が痛い古城。

 

「なあ、姫柊、一気にありがたみとかそういうのが薄れてんだけど、アレ……クロウのその、ゴールデンウルフブルーってヤツは凄いのか?」

 

「はい。一見するとふざけているように思えますが、クロウ君にしかできない秘儀です」

 

 霊格自律進化を促す獣人種の<神獣化>を<嗅覚過適応>の特質を利用して、人間が持つ潜在的な霊的中枢(チャクラ)を100%に開放する真似は、『混血』だからこそ可能な芸当。

 <神憑り>だって簡単に扱える力ではないのだ。

 僅かでも制御をしくじれば術者の人格は破壊され、二度と正気に戻れなくなる。あるいは神霊の力を暴走させて、周囲に凄まじい災厄を撒き散らすことになるだろう。

 それだけの強大な力を、ろくな準備もなく普通に御している。自我を持って(リラックスして)会話ができているのがその証拠だ。専門家から見れば、いっそ喜劇じみている所業であろう。

 『基礎的な呪術の類はてんでダメなくせして、<神憑り>を自然体でこなせるとか、ドンだけ尖った才能を持った師匠泣かせの馬鹿弟子だ。教え辛いったらありゃしない』と師家様によく呆れられていた。

 

 そして、この二つを同時に発揮した<犬夜叉(クロウ)>は、日本最強の攻魔師『三聖』にすら牙を届かせるとの評価が為されている。

 

「コレ、結構疲れるから―――手加減(あそび)無しで一気に狩るぞ」

 

 己よりも強大な『神格(ひかり)』を前に初めて怯む『仮面憑き』へ、蒼き金人狼は、犬歯を剥いて腕を一振りすると、その周囲に拳大のものが数十発出現する。

 霊力を昇華させた神気で矢を撃ち放つ『霊弓術』

 

「逃げても無駄だ。お前の“匂い”はもう覚えてる」

 

 狼は群れで獲物を狩る際、最短距離で追尾して襲い掛かるものと、標的の回避先へ先んじて回り込んで包囲するものと二手に分かれて仕留めにかかるという。

 初手を躱そうが、すぐ目先に二の矢が迫っていた。常に王手を強いる、確実に相手を詰ませるための業だ。

 統率された群狼の如く襲い掛かる攻撃に、『仮面憑き』は逃れられずに直撃。これまで捉えきれなかった高次元の存在に命中した。

 同じ“パー”。障壁を張れば相子で、威力は相殺されるはずだが、それでも格上の“パー”を前に相殺し切れない衝撃に打ちのめされる。態勢を崩したところで、他の矢も次々と追い打ちをかけていく。

 

 そして、熊手の形で双腕をクロスする構えを取った金人狼が、『仮面憑き』との間合いを一気に詰めた。

 

「全力全開!! はぁぁぁぁっ!!」

 

 胸の前で交差させた両腕の掌より、過剰放電(オーバーロード)する程の力を迸らせて渦を巻く。激しい発光を放つそれは電離気体(プラズマ)のようだ。

 さながら、大型加速器みたいに、常に生体発電を追加しながら加速しているから、“溜め”が入るほどに速度とエネルギー量が跳ね上がっていく。

 

 教授された『八雷神法』の白兵戦とも『八将神法』の暗殺術ともかけ離れた、人力を超越した荒技。

 それ故に、師家より『火雷大神』とは異なる、雷神の名が冠せられた。

 

 

「<建雷(タケ)>―――!」

 

 

 布都(ふつ)、と。

 『仮面憑き』がただ無造作に放つ光の剣とは次元が違う、極限まで束ねて次元を断つ強度(レベル)に研がれた雷光が突き抜けた。原理だけならハンマー投げとそう変わらない。もっとも、人間の目で追える速度ではないため古城たちにはいきなり“結果”だけが突き付けられることになる。

 そう。

 届かぬ高みに在った水月の如き存在の大翼が、一閃で切断される快音だ。

 そして、神気が凝縮されたそれは正しく、“神鳴り”。

 異形の翼――『仮面憑き』を『仮面憑き』たらしめる霊的中枢は、本体の少女と切り分かたれて、迸る青白い雷電に食われて黒く炭化した後、影も残さず掻き消された。

 

 

 凄まじい……!

 武神具に頼らない無手での戦闘だが、その五体だけで十分だと知らしめる、圧巻の破壊力。

 先の光剣も、後輩(クロウ)が軽く振るった拳打に触れて灼き溶かされるように消滅した。<雪霞狼>の脅威が『神格振動波』による魔力無効化だとするならば、あの一撃は、クロウの放つ圧倒的な力の熱量によって、強引に灼き切ってしまう。先程のジャンケンで表現すれば、『仮面憑き』と同じ“パー”の属性である。のだが、“パー”でありながら“チョキ”みたいな真似を可能とする“手刀(パー)”であった。

 空恐ろしくなる頼もしさである。

 これならば、『仮面憑き(こいつ)』らを捕まえられる―――と古城が気を抜いてしまった瞬間を突かれた。

 鉄塔を防衛する那月とアスタルテが相手をしていた『仮面憑き』が、方向転換して、古城たちに襲い掛かったのだ。

 

 

「なッ……」

 

 それは、一瞬の出来事だったために、反応が遅れた。

 音さえ切り裂いて、『仮面憑き』が強襲する。空気抵抗を切り裂いた飛行は、もはや迅雷に等しかった。

 一瞬という時間を十にも二十にも分割しながら、不気味な仮面が古城の瞳いっぱいに膨れ上がる。猛禽類の鉤爪の如く伸びる爪は容易く頭蓋を抉り抜くことだろう。

 

「―――」

 

 間に合わない。

 何もできぬままに殺される―――そのイメージが、限りなく現実に近づいた時。

 ひとつの影が古城を庇った。

 不倶戴天の魔族、その中でも無限の負の生命力を有する真祖の吸血鬼の急所たる心臓へ目掛けて突き出された光の剣、これにすんでの所で古城を庇ったのは―――咄嗟に間に割り込んだ、最後の三体目の『仮面憑き』。

 古城たちと遭遇するまで、1対2で攻められていた為、ダメージを負っていて、苦悶の絶叫を上げた。

 閃光に貫かれた彼女は、向かいのビルに激突。鮮血を撒き散らす体の上を、鉤爪の生えた腕で抑え込まれ、同類であろうと容赦なく腹部を抉られた。

 

 あいつ、俺達を庇った……のか……?

 あの瞬間、割って入らなければ、古城があのような目に遭っていた。

 ダメージ回復に専念し、慎重に戦況を傍観していたはずの彼女が、何故そのような行動に出たのか推測できない。古城たちの窮地を救うこと以外には。

 咄嗟に槍を構えたままの雪菜も、戸惑いの表情を隠しきれない。

 

 マウントを取った『仮面憑き』の頭部を覆う仮面、その下で獰猛なる顎が開かれる。ホオジロザメのような無数の牙が密生した口腔。倒れた同類の、剥き出しの白い喉に今にも食いつかんばかりに牙を見せる『仮面憑き』の意図はあからさまだ。

 喰らうつもりだ。

 同類の肉を。

 より高位なる存在に昇華するために。

 元より、同類同士で争っていたのはこのためなのだ。

 

 

「おい」

 

 

 だが、肌を刺す気配に、食事を中断してまで振り向かざるを得なかった。

 いたのは、翼を失くして人間に戻り、そのまま落下した実験体の少女の身柄を回収した金人狼。

 

「オレを無視するとはいい度胸だな、オマエ」

 

 殺気はない。だが、戦慄した。

 ただの呼びかけに過ぎなくとも、その声は、ずん、と腹の底まで響く。

 『儀式』を繰り返す最中に上位の存在へと進化した―――そんな自分よりも格上の存在が放つ言霊。上位存在の前には頭を垂れて平伏すしかない、隔絶とした実力差が本能で理解させられた。

 そして、金人狼は左腕で『仮面憑き』だった少女の身体を抱えながら、右手を血に狂った『仮面憑き』へと振り上げられる。

 

「もう寝てろ―――<玉響(たまゆら)>」

 

 しっぺのように指先本が仮面の額に当てられる。

 肉体の破壊ではなく、肉体の機能を狂わせる、白兵呪術の浸透剄<(ゆらぎ)>。これを<嗅覚過適応>を活用させて独自に昇華させたのが、<玉響(たまゆらぎ)>。

 原理とすれば、ペアリング消臭。

 悪臭を心地良い芳香の一部として取り込んで、より良い香りとするやり方。成分を中和するでも、物理的に吸着するでも、強い匂いで上書きするでもなく、香りの一部としてしまう。

 そう、『仮面憑き』が纏っていた神気が、浸透された神懸る金人狼の神気に“匂付け(マーキング)”されて呑まれ、その現世の者に触れられぬ特性が“消臭”された。

 <雪霞狼>の魔力無効化能力とはまた異なる、厳密にいえば『仮面憑き』の力は消滅していないのだ。ただ、力を発揮しているのに効果が無意味にされている。

 人魔の混成能力者(ハイブリッド)は、己が特性に合わせて昇華された業でもって、世界中の軍事研究者や魔導技師が未だに実用化にできずにいる『魔力による魔術消波(マジックミュート)技術』を再現していた。『仮面憑き』――()()()()()()()“天使”すら鎮めるとは、その<過適応能力>は、かつての『天部』の神力にすら匹敵するか。

 

「女の子を傷つけずに倒すのは、()加減がむずしーのだ」

 

 そして、加護を禊が(けさ)れた()()()()()など、クロウには指二本でも十分に落とせる。むしろ、拳骨で小突けば、頭蓋を砕きかねない。

 音もなく触れ(あて)指二本(しっぺ)に、『仮面憑き』は白目を剥いて昏倒した。

 

 

「―――馬鹿な! あいつ……あの顔!?」

「嘘……」

 

 上に乗っていた『仮面憑き』がどかされて、下に倒れていた『仮面憑き』が古城たちにも見えた。攻撃を受けて、壊れたのだろう。金属製の仮面に亀裂が入っていて、パキンと割れる。仮面に覆われ隠されていた、彼女の素顔が露わになった。

 これを目にした瞬間、古城と雪菜は絶句する。

 未だ幼さを残したその美貌は、間違いない。

 雪原を思わせる銀色の髪と、氷河の輝きにも似た淡い碧眼―――

 いびつな翼を背負い、素肌に電子回路のような文様を走らせているこの少女は、叶瀬夏音。

 先日、学園で出会った、動物好きな女子中学生。

 いつも穏やかな笑顔を浮かべていた彼女の顔が今、青白く、血の気が失せていく。

 肋骨と内臓を酷く損傷している。このままではすぐに死んでしまう……!

 

「………」

 

 これを古城たちよりも間近で見取っていたクロウが、その手を頭上に伸ばす。掲げた手の内へ、塔を支える大樹から分岐した枝が伸びてきて、パキリと折られた。

 それは、見慣れた木製バットへと戻り―――再び重厚なる牙の如き大剣と変ずる。

 

「何を、する気だクロウ……! お前、まさか―――」

 

 古城が吼えるが、人狼は大剣を大上段に構える。振り下ろし、その首を刎ねるギロチンを想起させる行動に、堪らず飛び出そうとした古城は、そっと肩に置かれた手に制された。

 

「大丈夫です先輩。クロウ君の刀は、何も殺せません」

 

 

 普段は木製バットだが、いざ戦闘になると、最高に頑丈で、絶対に破壊されない大太刀に化ける『甲式葬無嵐罰土』。

 『オレが思いっ切り振っても壊れない』という武器の扱いが残念な師家後継のために造られたが、何も武器を持たないそのままの方が強い後輩(クロウ)からすれば無用の長物。姫柊雪菜の『七式突撃降魔機槍』や煌坂紗矢華の『六式重装降魔弓』のように魔族をも圧倒する特別な力があるわけでもない。

 古城にはただカタチの変わる、変わった武神具だとしか思えなかった。

 

「―――此岸彼岸の境界線を仕切り給え、<火血刀>!」

 

 火途、血途、刀途、合わせて三途の川の頭文字から取った銘が意味するのは、生と死の境。その一刀が、斬り分かつのはそれ。

 縁堂クロウが祝詞を唱えながら振り切った途端、叶瀬夏音の腹部の傷が塞がれる。柔肌に一点の痕も残さず。

 代わりに、大太刀に割り振っていた生命力を消費し切ったように、元のバットへ戻っていく。

 

「クロウ君の刀は生きているものは決して斬れないナマクラですが、それが自然死以外の傷を癒す力があります」

 

「すげぇ……あれが、あの『甲式葬無嵐罰土(ぶき)』の本当の力だったのか」

 

「いいえ、それは少し違います先輩。あの武神具は、“未完兵器”。手に取った者の霊力や魔力に触れてはじめて、その所有者の特性や心情に応じた刀身を完成させます」

 

 つまりは、所有者の性質に合わせる太刀なのだ。

 自然な状態に戻す、自然死以外は治せるその力は、他でもない、(クロウ)自身の性格を表したもの。

 

「なるほど。この世のどんなことよりも優しい能力ってことだな」

 

「はい、そういうことです」

 

「ううー。お腹減ったぞー。お夜食が食べたいのだぁー……」

 

 神々しい気も霧散させて、元の人間の姿に戻った途端、ぐてーっとするクロウに、古城はついつい苦笑を洩らしてしまう。

 

 そうして、『仮面憑き』の少女――夏音らは、その身柄を公社管轄の病院へ移送されることになった。

 

 

金魚鉢

 

 

 絶海の孤島に、制服姿の少女たち。

 地面にはあちらこちらに弾丸の薬莢が散らばっていて、まるで野戦地のようなジャングルにいるが、野外訓練を修了している彼女たちは特別臆した様子はない。

 

「……護衛は私ひとりで十分なのに」

 

「はん! 煌坂ひとりじゃ右往左往して見つけられなかった癖に何を言うか」

 

「むっ、そんなことないわよ斐川志緒! 獅子王機関の舞威媛がそんな醜態をさらすわけないじゃない!」

 

 不満げな煌坂紗矢華と、挑発するように言い返す斐川志緒。

 元ルームメイトであり、同世代の舞威媛候補生の中では、両者ともにダントツの成績を修めていた優等生は、力を合わせればこの上なく頼もしいが、顔を合わせれば互いに意地を張り合う間柄。磁石の同極のように近づけばすぐに反発する。

 だから、一緒に任務をすることはお互いに避けていたのだが……

 

「だいたいどうして、昨日いきなり合流してきたのよ。これは私ひとりに命じられた任務のはずでしょ? それも単身で臨むべき極秘案件なのに」

 

「仕方ないだろ。唯里が心配だっていうから……」

 

 志緒とて、暗殺や呪術を専門とする舞威媛は団体行動よりも単独任務が好ましいという紗矢華の言い分の正しさはわかっている。

 しかし、そこは道理を無理に押し通してでも、絃神島に立ち寄れる都合をつけたかった。

 そろそろ限界な相方の剣巫――羽波唯里のためにも。

 そこら辺の事情は、紗矢華とて酌んでいたし、だからこうして同行も許している。

 

「はぁ……この前、私が雪菜と一緒に様子を見てきたけど、全然ピンピンしてたわよクロウ」

 

「そりゃ元気にしてるのはこっちだってわかってるさ。『世界最強の人畜無害』だなんて師家様に言われてるくらいなんだし。ただなあ、クロウ、なんかこの前のテロ騒ぎで携帯を壊しちまったみたいだし、唯里と連絡がつかなくなったんだよ」

 

「ああ……あの、暁古城に―――」

 

 そのテロ騒ぎ……『黒死皇派事件』には紗矢華も遭遇した。雪菜に破廉恥な真似をする<第四真祖>にはキツいお灸をすえてやろうとして……“アレ”な行為に及んでしまったことを思いだした紗矢華は急に火照り始めた顔を忙しく手団扇で煽ぎ始める。

 突発的な奇行を訝しむ志緒だったが、ツッコむと藪蛇な予感がしたのでスルーして、抑え役の苦労話の続きを再開する。

 

「『高神の社』から何百kmも離れたところから式神を通じさせることなんて私にはできないし、だから拠点に使い魔を置いている師家様にお願いして早く新しい携帯を買うようにと伝言を頼んだんだけど、そしたら向こうは金欠でキャットフードも購入する余裕がないと言われたんだ」

 

「は、はぁ? 金欠って、どういうことよ!?」

 

「私もよくわからないんだけど、何でも『大人の女性に給料三か月分の貢ぎ物をしたせいですっからかん』とか師家様は言ってて……で、それを一緒に聴いた唯里はもう止められなくって、その場で師家様に直談判したんだよ」

 

「それは……仕方ないわね」

 

 その情景が紗矢華の脳裏にもありありと浮かぶ。

 それは暴走する。うん。自分も雪菜と置き換えたら間違いなく絃神島行きを願っただろう。

 

 

「そうだよ、煌坂さん」

 

 

 と、紗矢華がつい頷いて同調したところで、物陰からぬっと現れる。

 獅子王機関の剣巫、羽波唯里。紗矢華たちが外回りを警戒する傍らで、彼女は、“最高クラスの要人(VIP)”の身辺警護を任されていた。

 決して不審者とか敵対者とかではない。

 でも、普段穏やかな少女が、静かに光沢(ハイライト)の消えた瞳のまま長剣を構えているのを見て、何故かゾッとしてしまう。

 それでいつになく深刻な口調で唯里は呟いた。

 

「きっとね、今頃、クロ君はひもじい思いをしてるよ」

 

「あ、ああ! そうね羽波唯里! クロウってよく働くけど、その分よく食べるし! 訓練後もよく乞食になってたっけー」

「―――」

 

 そっと暗殺術を使って、相対した唯里からフェードアウトしようとするもうひとりの舞威媛。

 

 ちょっと斐川志緒! あなたパートナーなんでしょ! 何、気配を消して逃げようとしてんの! ずるいわよ!

 厄介な状況を押し付けられたっぽいけど、残念、距離を取る前に肩をガシッと掴まれた。舞威媛が得意とするのはアウトレンジ、そして、剣巫はクロスレンジ……こうなっては僅かな挙動にも目敏い彼女から逃れられない。

 

「それで、お腹を空かしたクロ君はお金が欲しくてブラックなバイトに嵌っちゃって、そのうち過労で倒れて……」

 

「い、いや、それはないんじゃない? 獅子王機関の任務を連続でもこなしても平気なクロウが倒れるほど過酷な仕事なんて想像するのも難しいんだけど……」

 

「そんなことない! 剣巫の勘はビシビシと訴えてるよ」

 

「そ、そう」

 

 逆らっちゃたらますます炎上しそうな唯里の主張に、紗矢華は発言を呑んで首肯する。

 そして、唯里は小さく溜息を吐いて、

 

「それから学校でいじめられたり、中々人間関係がうまくいかなくて先輩に呼び出された挙句、変な噂が流されちゃったり、電話でも学校生活が上手く行ってないことを誤魔化してたりするの! ダメだよクロ君、お姉ちゃんの勘は誤魔化せないんだから!」

 

「そ、それは流石に。ほら、学校には雪菜もいるし、クロウは馬鹿不器用で勉強方面には不安があるけど逞しいし、きっと能天気にうまく馴染んでると思わよ」

 

 説得を試みる紗矢華だったが、沸々と気持ちが荒ぶってきている唯里の耳には届かない。彼女の脳裏には、『唯お姉ちゃん~……』と三頭身のクロウがしおしおに縮んでるのが思い浮かんでいる。これに奮起しない姉はいない。

 雪菜に対して、自分も重度な妹馬鹿(シスコン)だと自覚はしている紗矢華であるが、この娘もまた弟離れができていない。

 

「これも都会に出て悪いお姉さんに捕まっちゃったから! ううん、お姉ちゃんの私がついていなかったからなんだよ! このまま放置してたら、そのうち鎖に繋がれてペットに飼われることになったり―――」

「それはないわ絶対」

 

 若干視線を逸らしてしまっているが、それはマズいと短く強い口調で言い聞かす紗矢華。

 その霊視(想像)が加速していったら、大変なことになりそうだ。下手をすると、舞威媛VS剣巫に発展しかねない。

 努めて冷静に、獅子王機関の構成員として諭す。

 

「羽波唯里、今、私達がするべきことは“彼女”を無事に北欧アルディギアへ送り届けること。絃神島に寄るのは護衛任務の“ついで”であって、本筋を間違ってはいけないわ」

 

 国民、ひいては人類を守るために、獅子王機関であるのなら、私情よりも任務を優先しなければならない。

 

「姉として心配なのは私も重々わかるけど、ここは我慢して次の機会に」

「―――いいえ、このまま絃神島へ向かいますよ、紗矢華」

 

 と割って入る声。

 それは、3人に護衛をされながらであるが、この無人島で水浴びをしていた“彼女”のもの。声に反応してその方へ首を巡らせれば、三つの視線が重なった焦点にいるのはやはりそうだ。

 雪原を思わせる銀髪と、氷河の輝きにも似た水色の瞳。『美の女神(フレイヤ)の再来』とも称えられる美貌の少女。

 北欧アルディギア王家の第一王女、ラ=フォリア=リハヴァインは、呆気にとられる紗矢華たちを前に宣誓する。

 

「わたくしにも果たさなければならない事情があります。それをするまでは国へは帰りません。では、行きましょう絃神島へ」

 

「し、しかし、王女。御身の安全を第一に優先するべきで、このまま絃神島に向かうのは非常に危険で……」

 

「この身が狙われることは常の事です。それにあなた方がついてくださるのなら、問題ありません。実はわたくし、日本に出現したという<第四真祖>、それから『四番目の三聖』とも評価される<犬夜叉>にも興味があります。ふふっ、彼とアルディギアには浅はかならぬ因縁もありますし、“悪いお姉さん”に捕まる前に庇護しましょう」

 

 無邪気な微笑を浮かべて、なんともな無茶ぶりを吹っ掛けてくる要人に、獅子王機関の若手たち一同天を仰いだのだった。

 

 

???

 

 

「どうすんだよっ! 儀式が失敗しちまって“商品”共が公社の連中に捕まっちまったじゃねーか! ヤバいぞおいベアトリス!」

「うるっさいわね! 後がないのはこっちだってわかってんのよ! まさか『仮面憑き』を倒せるヤツがいたなんて計算外よ計算外! 大がかりな儀式までしたってのに折角の商品価値が下がってしまったら大赤字じゃない! アルディギアのお姫様も取り逃がしてるしっ! あー……ホント腹立たしいわ……糞(ダル)っ!」

 

 獣人の男と吸血鬼の女が騒いでいるが、昨夜の“アクシデント”から明確な打開策は出ていない。

 それはこちらとて、同じ。己が思い描く<模造天使(エンジェルフォウ)>の儀式計画の中核だった夏音が管理公社に囚われたのは大きな誤算だ。霊的回路を()われた娘子らを拾われるのとはわけが違う。

 

(そのためには……)

 

 『メイガスクラフト』……叶瀬賢生とは違う利益を求め、儀式計画に協力してくれた連中。

 『魔族特区』の管理公社を相手にするには、奴らの暴力(ちから)に頼るしかない。

 

「取り戻す、何としてでも。どんな非道に手を染めようとも、夏音を真の天使にすることを私は誓ったのだ」

 

 

 

つづく

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