はぐれ 暗黒屋敷のランスロット1
まだ日が昇ることのない薄暗い夜明け前からメイドの一日がはじまる。
コツコツコツッ、と掃除の行き届いた廊下を足音を鳴らし、屋敷の主であるルシウスの元へ向かうのは一人のメイド。
まだ幼く十五歳ほど、紫紺色の髪と翠の瞳をした童顔の少女。
少女は去年から見習いメイドとして働きはじめ、一年の労働をやりきり晴れて一人前のメイドとなり、屋敷での新しい生活をスタートさせていた。
目的のルシウスの寝室にたどり着くと、髪の乱れはないか、メイド服の乱れは、手鏡でほんのりとはいえしたメイクは崩れてないかと、身だしなみを確認すると、「よしっ!」と小さく気合を入れた。
四回ドアをノックし、その場で返事が返ってくるのを待つ。
しかし、なかなか返ってくることなくもう一度ノックをした。
先ほどと同じように待つが、それでも返ってくることなく、少女は若干の緊張と共に「しつれいします」と声をかけてからドアを開けた。
ドアを開けた先には屋敷の主の寝室とは思えないほど質素な造りで、普段よく見る少女の部屋と大して変わりはなかった。
壁側には本棚が並び、本がぎっしりと詰まっている。
悪魔や天使、堕天使といった空想上の生物に関するものから、各神話に関するもの、伝説の武具や防具。
果てにはペットの飼い方といった様々なジャンルの本が詰まっていた。
本棚の横には机が置かれ、机の上にはルシウス家族であろう人物たちとの写真が置かれている。
そこに写るルシウスやルシエル、ルシアは無邪気な笑顔を浮かべており、母親と父親もそんな三人を見守るようなやわらかい笑顔をしていた。
奥にはテラスへと続くガラスのドア、その手前にキングサイズのベッド。
寝室の色は白と茶をベースとした落ち着きのあるもの。
寝室に置かれているものはみな、ありふれているデザインではないが煌びやかなものはない。
少女はここに入るのははじめてではないが、はじめて入ったときは驚いたものだ。
少女がベッドに近づくとルシウスがまだ眠っていた。
今日は一人で眠っているらしい。
めずらしいな、少女は思う。
ルシウスはいつも彼の使い魔である黒歌と寝ていた。
あまり屋敷に帰ってこないルシウスが帰ってきた時、起こしに行けば必ずといっていいほど黒歌と一緒に寝ていると、他のメイドたちも少女も知っていた。
先日、日本から帰ってきてからも二人が一緒に寝ているのを少女は今日のように起こしに来たときに確認していたのだから、なおのこと珍しく思う。
すくなくとも少女は一人で寝ているルシウスを見るのははじめてだった。
「ルシウス様朝ですよ、起きてください」と耳元でそっとささやくが起きる気配はない。
仕方がないとルシウスに手を伸ばすと手が触れる前にルシウスが寝返りを打った。
先ほどまでは壁のほうへ向いていた顔が少女のほうを向いた。
銀色のさらさらとした髪にきめ細やかな肌。
今は閉じていて見えない碧の瞳。
スッと高い鼻筋にピンク色の唇。
その唇からわずかに漏れる吐息に少女はどことなくエロスを感じた。
ゴクリ、と喉を鳴らした。
眠っているルシウスの顔に、少女の顔は少しずつ近づいていく。
吐息が顔にかかり、少女の唇が目の前の唇に触れそうになる。
しかし、触れる直前、ルシウスの唇から「うぅ~ん」と小さく声が漏れ、少女は我に返った。
あぶないあぶないと、赤く染まった顔を振る。
もしキスをして、それが他のメイドや黒歌にでも見つかったら、ここから追い出されていただろう。
黒歌もちろんのこと、ルシウスは他のメイドたちからも人気があった。
使い魔の黒歌はともかく、同じメイド、それもまだ一年しか働いていない少女がキスをしたとあっては嫉妬がすさまじいことになっていたと思う。
どうしてあの子が、私のほうがずっと好きだったのに。許せない、と。
もしかしたら追い出すだけでは収まらず、刺されてしまうかもしれない。
軽く想像できてしまう未来を回避できたことに少女は胸を撫で下ろした。
でも、してみたかったとも思う。
少女はまだキスをしたことがない。
だからはじめてのキスはルシウスがいいと思った。
黒歌がうらやましいとも。
改めてルシウスを見るがまだ起きる気配がない。
やっぱりかっこいいな、もう少しだけ……いいよね。
床に敷かれた深緑の絨毯に膝をつき、ルシウスの顔を眺める。
右手を伸ばし、そっとルシウスの頬に当てる。
手から伝わってくるぬくもりに胸がどきどきと高鳴る。
身体が熱くなって、吐く息が熱を帯びる。
そして思うのだ。
どうしようもなく私はルシウスが好きなのだと。
少女がルシウスと出会ったのは一年と数ヶ月前。
少女が住む小さな村が悪魔に襲われたのだ。
襲ってきた悪魔は三体。
どれもはぐれ悪魔で人間に似通った容姿をしていた。
しかしその力は人間とはかけ離れていて、襲われた村人はたちまち数を減らしていった。
少女の親兄弟も殺され、次は自分も、というときに来たのだ。
救世主(ルシウス)が。
たまたま近くで悪魔狩りの任務を受けていたルシウスは宿を借りようとその村に立ち寄ったのだ。
村が荒らされていることに状況を悟ったルシウスは、即座に行動開始。
村人を殺しまわっていた二体の悪魔を瞬時に滅した後、最後の悪魔を捜索。
少女の悲鳴を聞き悪魔のところへたどり着くと、襲っていた最後の悪魔を滅して、少女を救い出した。
目の前ですべてを奪われ、自分自身の命も奪われかけたときに現れたルシウスは少女には英雄に見えた。
悪魔の殲滅も終わり生き残った村人が集められたが、生き残りは十にも満たず、廃村となった。
少女は身寄りがなくなり、孤児院に入ることに決まったが少女はもう十三。
それもあと一ヶ月ほどで十四歳となり十五歳、つまり二年ほどで出ていかねばならなかった。
人嫌い、というより自分以外の何かにかかわりを持とうとしていなかったルシウスであったが、アーシアとの日々の生活によって人間らしさを取り戻しつつあったルシウスは、少女を引き取ることを村の生き残った人たちに提案。
これからの生活に困っていた村人たちは嬉々としてその提案にのり、少女はルシウスに引き取られた。
引き取られてしばらくは使用人としてではなく、ルシウスの妹のような立場で屋敷で生活していたが、自分だけこんな生活してていいのかと、何かやれることは無いかと悩んでいた。
そんな時、めったに帰ってくることのないルシウスが帰ってきた。
少女は自分にも何かやれることがないか聞いた。
このままお世話になり続けるのはいやだと。
自分も何か役に立ちたいと。
すると、いつの間に乗ったのかルシウスの肩に座っていた猫が、
「ここの屋敷で使用人として働いたらどうにゃん?」
と、突然話し出し、猫がしゃべった!?と、驚いている少女を置いて少女の立場が明確になったのだ。
メイド見習いと。
それから一年。
日が昇る前から先輩メイドたちに起こされ、屋敷の掃除から炊事洗濯、おいしい紅茶やコーヒーの入れ方、屋敷を訪れた客人の対応などとさまざまな仕事を教えられた。
大して大きくもない田舎の村で育った少女にとってそれらは毎日取り組んできたもので、そこまで大変なものとは思っていなかったが、認識が甘かった。
屋敷にはルシウス不在時にも十五名の使用人が使用していた。
そこにルシウスが教会に属しているのもあってか、たまにだが同業者、つまり悪魔払い(エクソシスト)や司祭、『神の使徒(ヘヴン・アポストロ)』のメンバーなどが訪ねてくることがあり、そのときは決まって一泊はしていくのだ。
多いときには使用人を含めると四十人ほどが寝泊りができ、食堂があり、大浴場がありと巨大な屋敷だった。
そのため掃除は一苦労。
隅から隅まで掃除をするとなると、十五人だとしてもとても一日で終わる広さではなかった。
若干なめていた少女は今でこそ及第点をもらえるようになったが、最初のころは泣きべそをかいていた。
でも、苦い思い出もあるがやはりここで働けてよかったと思う。
命の恩人であると同時に恋した主に、自由奔放で我侭で、でもとてもやさしい猫。
普段は厳しいがうまくできたときには褒めてくれる先輩メイド。
主がいないときに屋敷を仕切っている責任感の塊のような執事。
いつも庭の花をきれいに保っている庭師のおじさん。
思い出も使用人のみんなにも、あの時ルシウスに会えていなかったら、なかったことだ。
だから寝ているルシウスの耳元で、感謝の言葉をささやいた。
「ありがとうございます、ご主人さま」と。
そして、これだけはいいよねっと、
ルシウスの頬にキスをした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日行なわれた会談―――『駒王協定』から一週間。
ルシウスはあれからアーシアと一日デートに遊園地へ行き、それを知ったイッセーが勝負を吹っかけ、半殺しにされたり、ゼノヴィアとイリナと久々の団欒をしたり、黒歌といつも一緒に寝ていると知ったイッセーが勝負を吹っかけ、半殺しにされたりと、なかなか有意義な生活をしていた。
黒歌は小猫がいる時には顔を伏せてはいたが、どこに行くわけでもなく、ルシウスの隣に引っ付き、小猫もまたどこに行くわけでもなく、姉がくっついているルシウスを見ていた。
小猫はまだわずかに震わせていたが、前とは違い何かを探ろうとしているようにも見えた。
会談から二日ほど滞在し、リアスに何か頼みごとをすると、三日目の午後には屋敷へと飛んでいった。
ルシウスが向かった先は、会談前に立ち寄った屋敷がある街とは違い、別の国にある屋敷だ。
ここは本拠地ではなく他の別荘同様武装庫として建てた屋敷である。
しかし、ここは黒歌と知りあい使い魔とし、教会に悪魔と契約していることが悟られないよう黒歌を隠していた屋敷ということもあって、その造りや仕掛けは他の屋敷よりも厳重だ。
ゼノヴィアとイリナも来たことが幾度かあり、そのあまりの財力の差に落ち込んでいた。
今回ここに帰ってきたのは、目的地に近いということもあるが久々の休暇を楽しむためだ。
『神の使徒(ヘヴン・アポストロ)』として活動していた頃はもちろんのこと、アーシアが追放されてからは、黒歌はアーシア探しと仙術の修行を。
ルシウスはアーシア探しと各地に散らばった武装を集めに行動し、ゆっくりとした暇がもてなかった。
アーシアを発見し、心労から開放されようやく休みをとることにしたのだった。
屋敷に着いてからはルシウスが数年前から拾ってきては住まわせていた使用人たちが、かいがいしくお世話を買って出て、なかなか気は休まることはなかったが、しっかりと身体を落ち着けることはできた。
休暇とはいえ休み続けているわけではなく、そう離れていない海へ泳ぎに行ったり、釣りをしたり、街に出向きショッピングを楽しんだりと、ゆったりとすごしていた。
今ごろイッセーはリアスや朱乃とイチャついていることだろう。
そこにアーシアがいないことを祈るばかりだ。
もしそこにアーシアがいて、普段リアスたちにするようなことをアーシアにもして、それがもしルシウスにでもバレたらイッセーはきっと殺されてしまうだろう。
ゼノヴィアならばワンチャンあるかもしれないが。
ルシウスの今日の予定は午後からであり、いつもより長く眠っていた。
普段は、というより黒歌を使い魔にしてから寝るときは必ず一緒に寝ていたが、珍しいことに今日は一人であった。
正確に言えば、いつもどおり一緒に寝たが朝を迎えると一人だった。
そのためか寝ているルシウスが無防備に見えて、起こしに来たメイドが頬とはいえキスをしてしまったのは。
キスをされたルシウスはゆっくり目を覚ますと、目を閉じた少女の顔が映った。
十六歳の少年にはなかなか刺激的な朝だが、ルシウスは動じない。
少女をずっと見つめる。
十を数えるほど過ぎ、ようやく離れていく少女に、
「おはよう」
と声をかけた。
目をいまだつぶっていた少女はその声に、飛び上がりゆっくりと目を開いた。
少女の目に映ったのは目を覚ました主の姿が。
「オハヨウゴザイマス、ゴシュジンサマ」
気が動転してかカタごとになり、なんとか朝食の準備が整ったので、お持ちしますと伝えると、一礼して寝室から退出した。
しかし、自分がしたことがやはり恥ずかしかったのか、扉が閉まると同時に少女は、「キャアァァァ!!」と、絶叫を上げた。